複雑・ファジー小説

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.81 )
日時: 2019/03/03 07:45
名前: 燐音 (ID: y47auljZ)

第三章 始動

 ライラ王国陥落後、アーサー王を討ち取ったキドルは敗走する同盟軍を一人残らず討ち取る。そして勢いと士気が向上する中、同盟諸国を落としていくのだった。一年足らずでハッカ共和国も落とし、帝国の領土を広げていく……。その凄まじい勢いに、同盟軍を追い詰めていくのだった。
 ライラ王国陥落後、一人の少女がキドルの前に姿を現す。王国第一王女の侍女である少女「ルー・アキフォート」と名乗った。
 整った前髪、後ろ髪を束ね、翠色の髪は毎日手入れされているかのように艶があり、老竹色のバンダナとマントを着用し、まるで町娘のような恰好をした弓使いである。

「あの、隊長さん! お願いです、殿下を解放してください! 私……なんだってやります!お掃除洗濯炊事皿洗い、なんなら獲物を獲ってきて料理だってします! だから——」
「ま、待て、落ち着け。それは俺の一存じゃ決められない」

 必死に頭を下げるルーに対し、キドルは彼女を窘める。
 実際、キドルに頼み込んでもキドルはどうする事も出来ないのだ。第一、王女という立場なら、幽閉されているか軟禁されている可能性もある。だが、彼女の希望通りに動く事も出来ない。キドルの勝手な行動で、部下が危うくなるのだから。
 だが彼女は目に涙をためてこちらを見ていた。……そんな顔されても、できないものはできない。だが、簡単に諦めろだなんて残酷な事も言えない。
 困っているキドルと、それを見つめているルーの前にハイレクーンが歩み寄ってくる。相変わらずニヤニヤ笑っていた。

「オヤ、お困りのご様子デスネ、閣下」
「ハイレクーン……」

 キドルは声を低くし、威嚇するように彼の名を呼ぶ。
 ハイレクーンはユピテル山脈に膨大な罠を仕掛けていた。足を踏み入れればたちまち黒い闇に飲まれ、重力で人を押し潰すというもの。暗黒魔法の地雷である。聞くだけで悍ましいが、キドルは押し潰された同盟軍を目の当たりにしてしまったのだ。比喩でもなく本当に潰された死体を見て吐き気すら覚えた。
 一瞬で死ねたならどんなに楽だろうか……とキドルは恐ろしくなった。
 それ以来、ハイレクーンへの見方が変わった。こいつは目的や皇帝のためであれば、なんだってやる。本当になんだってやってのけてしまうのだ。
 それがとんでもなく恐ろしく、嫌悪感を抱いてしまう。

「何の用だ」
「イヤイヤ、そんなに好意の眼差しを向けなくともヨロシイのデスヨ」
「逆だ逆!」

 ハイレクーンはキドルの目に対し、ニヤニヤと笑う。人の命を何とも思わないこいつは本当に大嫌いだ。すると、ハイレクーンはルーに視線を向ける。

「オヤ、ライラ王国王女殿下の侍女デスネ?」
「あ、あの……!」

 ルーは戸惑ったように慌ててハイレクーンを見ている。ニヤニヤとした顔つきを不気味に思っているのだろう。

「閣下がお困りのようですヨ、此方に来てくだサイ。なあに、悪いようにはいたしませんカラ」
「あ、あの、えっと……!」

 ルーが戸惑っている事をいいことにハイレクーンはルーの手を引く。ルーはキドルに助けを求める視線を向けて、今にも泣きだしそうであった。

「待て、ハイレクーン」
「オヤ、どうされましたカ」

 ハイレクーンは声を掛けられ、わざとらしく首を傾げた。本当に動作一つ一つも鼻につく。キドルはふうっと冷静になろうと深呼吸し、ルーを指さす。

「そいつは俺の部下だ。勝手に連れて行こうとするな」
「オヤオヤ、そうでしたカ? てっきりお困りの様子だとバカリ……オホホ」

 オホホと不気味に笑うハイレクーン。もうわざとこちらを小馬鹿にしてるんじゃないかと思ってしまうくらい鼻につく。キドルはルーの手を引いた。

「誰も困ってないから、お前はお前の仕事をしろ、俺には何の用もないはずだろ」
「ハイハイ、申し訳アリマセンネ。では、ワタシはこれにて……オーホッホ」

 何が可笑しいのかハイレクーンは笑いながら立ち去った。本当にあいつだけは天地がひっくり返ろうとも好きになる事はないだろうなと思う。

「あ、あの、もしかして、助けてくださったんですか?」
「ん? ああ……多分あいつに連れ去られてたら、お前は今よりひどい目に合ってたかもしれん」

 キドルはため息交じりにルーを見る。小柄で、年頃の少女だ。翠色の瞳をこちらに向けている。

「あの、ありがとうございます、隊長さん!」
「礼はいいよ、それよりも……」

 キドルはルーから一歩後ずさり、腕を組んで尋ねる。

「王女殿下を助けたいって話だったな?」
「はい、そうです! 姫様は戦争になんの関係もないんです!」

 ルーは腕を上下に振って、力強く説明する。本当に王女の事を信頼しているんだなとキドルは思ったが、

「残念だが、ライラ王国の王族ってだけで関係はあるんだよ。だから皇帝は幽閉している」
「そ、そんな! なんとかなりませんか!?」

 ルーは再び涙目でこちらを見ていた。こういう顔は苦手だ、女の涙ほど振り回されるものはないが、こういうのには弱い。それに彼女の思いはまっすぐだ。自分が頑張れば絶対何とかなると信じて疑わない、純真無垢な瞳……お人好しでなければ無情になれるんだが、キドルは残念ながらこういうお願いは無視することができなかった。

「なんともならない事はない、が……うーんそうだなぁ……」
「何か問題が?」
「王女の居場所がはっきりわからないんだ。助けようも助けられない」
「そ、そんな……!」

 ルーは肩を落とした。キドルは慌てて彼女の肩をつかんだ。

「だ、だが、俺の部下になれば、王女を助けられる機会が増えるかもしれないぞ!」
「えっ……?」

 キドルは言葉を口にしてからその言葉が持つ重さに気づいてしまった。
 王女を助けられるかどうかなんてわからないし、そもそも彼女は戦争とは程遠い侍女だ。戦いに参加させるなど、どうかしていた。キドルはそれに気がつき、どうすればいいのかわからず戸惑う。

「あ、えっと……」
「そ」

 ルーはキドルの目を見る。その目は爛々としていた。

「それなら貴方の部下になります! 兵士は初めてですが、私は殿下の無茶振りにも耐えてきたんです! 大丈夫です、何とかなります!」
「い、いや、しかしだな!」

 キドルはルーを止めようとあれこれ説明した。

「お前、俺の部下になるってことは、人を殺すんだぞ! 命を奪う覚悟は——」
「私、狩人なんですよ! ……確かに、人の命を奪うというのは初めてですが……殿下をお救いするためでしたら!」

 ルーは腰に手を当てて、えへんと言わんばかりに鼻を鳴らす。
 キドルはますます不安になってしまう。やはり口は禍の元だとよく言ったものだ。だが、いろいろ理由をつけても彼女はやると決めたら「やる」のだろう。

「……わかった。だが、なるべく戦いには参加させず、部下達の身の回りを世話させる。まずは訓練してから、その後に戦いに参加してもらうぞ」
「わかりました! これも殿下をお救いするための道でしたら、私は頑張って皆様に尽くしますね!」

 ルーは満面の笑みを浮かべた。この子は本当に事の重大さを理解してくれてるのかな、と不安にはなるが、まあ本人がやると決めたのなら、口出しせずに見守ろう。
 そうキドルは考えたのだった。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.82 )
日時: 2019/03/02 08:18
名前: 燐音 (ID: lU2b9h8R)

 その少年はハッカ共和国で踊り子になるべく日々勉強をしていた。母が立派な舞踏家で、母のような舞踏家を目指すべく、練習の日々……。それを毎日付き合って見ていた幼馴染がいた。少年と少女はそれぞれの夢を語りながら夢をかなえるべく、共に過ごしていた。
 だがそんな幸せな時間はある日突然崩れ去る。
 帝国軍がハッカ共和国に襲撃し、落としたのである。
 少年は捕らえられ、少女は皆を救うべく旅に出た。少年は少女の事が気がかりであったが、捕虜となって数日後、帝国でかなり有名な将軍である「竜将ティニーン」と出会った。
 少年は思った。彼は部下にも信頼され、国を次々と落とす実力、そして人柄の良さは彼の年齢とそぐわない。生まれも孤児だというから驚きだ。

「あんたが、「キドル・ティニーン」サン? ……えらい若いんやな。驚いたわ」
「俺はお前の喋り方に驚いた」

 キドルは少々困惑しながらも彼と接する。

「ボク、「ディエン・シンシン」。ただの舞踏家さかい、あんま役にたたへんけど仲良うしてな」

 ディエンはニコニコと笑った。
 彼は黒髪だが毛先が薄くなり、白い。黒装束、白いズボンと動きやすそうな服だ。腰に魔導書を下げているため、魔法が使えるのだろう。

「舞踏家……なんでも踊りで仲間を元気にする、魔道士の一種だとかと聞いたな」
「せやせや、神サマに踊りを捧げて、力をもらうんやで」

 ディエンはにこりと笑う。とはいえ、彼の眼は狐目であり、常にニコニコ笑っているような表情なのだが。
 かなりフレンドリーな彼に、キドルも少し警戒を解く。

「で、なんでボクを呼び出したん?」
「いや、お前に興味があってな」
「そういう趣味なん?」
「いや、違うから」

 キドルはディエンの質問に否定するように手を振る。彼もはははっと笑った。

「ま、まあ、お前を引き抜きたいと思ってな。お前みたいにヒョロヒョロで力がない奴は、トゥリア教に焼き殺されるのがオチだからな」
「……せやな」

 ディエンはキドルの冗談に、表情が陰る。この様子だと、彼は帝国軍のやって来たことを見てきたのだろう。

「謝っても許されないと思うが……すまない」
「なんでキドルサンが謝んの? 確かに帝国は許せへんけど、共和国が陥落したんは覆らない事実やし、トゥリア教が共和国の人間をどついてんは、キドルサンはなんも関係ないやん?」

 ディエンは頭の後ろに手をやってフラフラと左右に揺れて笑う。
 どんな困難や壁にぶち当たろうとも、楽天的に物事を見る……キドルは彼の人生観を見習いたいなと思った。

「まあ、帝国軍に力を貸すんは嫌やけども、キドルサンのためゆうたら、ボクは全然ついていくで」

 ディエンはケラケラ笑う。彼自身もキドルの功績や活躍、その反面、若さゆえによく思われていないというところに興味があった。
 聞けば現在キドルの齢は十九だという。一歳しか離れていないのに、立っている場所は全然違う。だからこそ惹かれる。彼の努力や信念をもっと知りたい。……そう思った。

「お前はなんだか、変わってるなぁ」
「キドルサン程でもないよ? ボクはアナタに期待してるから、ついていきたいゆうてんねん」

 ディエンがそういうと、キドルは頷いてディエンに手を差し伸べる。

「それじゃあ、今から俺達は共に戦う仲間だ。よろしく頼む」
「うん、よろしゅうね、キドル隊長サン……閣下サンかな?」
「好きに呼ぶといい、俺はどんな呼び方でも構わないさ」
「へいへい」

 ディエンはキドルの手を固く握る。意外にキドルの手はヒヤッとしていた。きっと竜人だからだろうか……と思った。
 これから彼の行く末を間近で見れるなんて、と思うとワクワクする。
 その反面、この人が負ける姿を間近で見てしまう事になるのはすごく哀しい。……自分は戦う事は苦手だが、彼を支援できるよう努力していこう……そうディエンは心に決めるのだった。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.83 )
日時: 2019/03/02 20:45
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

「閣下、怪しい者を捕らえました」
「怪しい者……?」

 その報告がキドルの執務室にきたのは、ディエンが騎士団に加わった次の日。
 領土を拡大したおかげで、騎士団に所属する人間もかなり増えてきた。キドルは誰彼構わず入れるというわけではなく、一人一人人格や個性などを見極め部下としてスカウトしているのだ。もちろんジュウベエやプラチナにも手伝ってもらっている。それでもまだ三百人程度しか騎士団には人手がいない。だから有能な部下はどんどん引き入れていきたいと考えている。
 キドルは、「連れてきてくれ」と衛兵に命じ、衛兵は短く返事をして部屋を出て行く。
 怪しい者……大方盗賊とか空き巣辺りだろうかと思いつつも、その人物を見極めておきたいと考えていた。「大いなる計画」のために、今は人員を確保せねばならない……。キドルはそう考えながら衛兵を待つ。

「連れてまいりました」
「いってえ! もうちょっと優しくしろっての!」

 衛兵に乱暴に放り投げられ、床に転がる青年が恐らくその「怪しい者」なのだろう。
 紫のボサボサしている前髪、後ろ髪は紺色のバンダナの中にまとめている。瞳は青く、紫のマントを白い長い布で巻き付け固定し、暗い藍色のズボンを穿いた青年……身軽そうな見た目からして、恐らく盗賊だろう。

「お前、名は?」
「ん? 俺はイケメントレジャーハンター、「ヴェノン・キャッツアイ」さ」

 ヴェノンは名を名乗ると、床に伏せながらも親指でポーズを決め、ニッと笑い歯を見せる。

「ちなみに、こいつはどこで何をしていた?」
「テンペスト王国の「アウステル遺跡」にて物色をしていたものと見られます」
「「物色」じゃねえ! 「冒険」だ! 墓荒らしと一緒にしてんじゃねえよ!」

 衛兵の報告にヴェノンは怒鳴って腕を振り上げる。確かに盗賊にしては身なりもきちんとしているし、本当にただの冒険家なのだろう。ただ、タイミングが悪かったようだ。

「ん? ……お前よく見たら……」

 ヴェノンはキドルの顔を見て体を起こして立ち上がり、キドルに顔を近づける。キドルはその様子に「な、なんだ」と声を出して一歩後ずさった。

「やっぱり、竜将さんじゃないの! 有名人〜!」

 ヴェノンは笑みを浮かべて大はしゃぎする。そして、キドルの手を取ってぶんぶんと上下に振る。
 キドルは突然の行動に戸惑いを隠せなかった。

「知ってるぞお前、アーサー王を殺したんだってな」

 ヴェノンは笑顔から一変、彼を鋭くにらみつけるような表情に変わる。キドルはそれに一瞬怯んでしまった。が、気取られないように顔を強張らせる。

「そうだ」

 隠しようのない事実なので、そう答えた。
 ヴェノンはそれを聞いて、キドルの手を握る力を強めた。

「他人の生活を、命を奪って、よくもまあのうのうと生きてられるよな、冷血野郎が」

 キドルはその言葉が胸に刺さる。まるで研ぎ切った鋭利な剣のように。
 彼もまた、帝国軍や自身の侵攻によって家族や大事なものを失った人物なのだろう。だが。こうやって直接言葉にされると、本当に……

「無礼者、閣下にそんな——」
「いや、いい、事実だ」

 衛兵がヴェノンを取り押さえようとするが、キドルはそれを制す。

「それで、何が望みだヴェノン」
「望みぃ? ……決まってんだろ」

 ヴェノンは懐から鋭利な短剣を取り出し、キドルの首元に突き立て胸ぐらをつかむ。

「お前の死だ」

 彼の瞳は自分に対する憎しみで染まっている。この状況で彼を制するのは難しいだろう。

「貴様、これ以上は——」
「よせ、手を出すな!」

 キドルはなおも衛兵を制止させる。衛兵は「しかし……」と返すが、キドルはヴェノンを見る。

「分かっている、俺は俺の命を以ってしても決して許されないことをしていることくらい」
「分かってるじゃないか」
「だが……」

 キドルは短剣を力強く握る。力強く握ったせいか鮮血が短剣を伝ってヴェノンの手袋を濡らす。痛みは自身への戒めだと、キドルはそう考える。

「だが、少し待ってほしい。償いは必ずするが、俺にはやるべきことがある」
「やるべきこと?」
「ああ、だから今はお前の望みを叶えてやれない」

 ヴェノンは黙りこくる。キドルの瞳から、真意を悟ったのだ。

「……わかった、だがそれを口実に逃げられたら困るしな」
「逃げるなんて——」
「いーや、絶対逃げるね。お前ら帝国軍は卑怯で残酷で、他人を平気で踏みにじるような奴らだ。信じられるわけがない」

 ヴェノンは皮肉たっぷりにわざと声を荒げた。だが、嫌味を言っている事とは裏腹にヴェノンは短剣を下げ、懐に仕舞う。

「だから、お前が逃げないように俺はお前の傍にいる……騎士団に加入してやるよ」

 ヴェノンはそういうと、不愛想に腕を組んだ。

「お前が逃げようとしたら、俺はお前の首を掻っ切るからな」
「……望むところだ」

 キドルは深々と頷いた。
 逃げるなんて考えたこともない。何故なら、逃げられるような場所に立っていないからだ。キドルはもう既に後に引けなかった。自身が何も知らない孤児だったなら、野垂れ死んでこの地獄という名の世界から解放されていたことだろう。だが、ジュウベエに拾われ、育てられ、騎士となり、将軍まで上り詰めた今……振り返る事すら許されなかった。自身が通った道には幾多の血が流れ、手に掛けた死体がこちらを見ている。そして前方にはヴェノンのように自身を恨んでいる人々が此方を睨んでいる。……逃げられるはずもない。だからこそ、進むしかないのだ。
 この大陸を変えるために……。

「俺がしくじったら、ヴェノン……その手で俺を殺すといい。だが、それまでは俺の道を見ていてほしい」

 キドルはヴェノンに対しそう答え、ヴェノンはそれに頷いた。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.84 )
日時: 2019/03/03 06:22
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)

 トゥリア帝国軍がソール王国を落としたという報告を聞き、キドルは無言でその報告に頷く。
 いよいよ東部戦線との戦いも本番と言ったところか。
 さらに、ソール王国の敗走兵を追撃する追撃部隊の出撃も開始したとの事だ。将来の敵となりうる兵士を今のうちに叩いておこうという魂胆だろう。自身が上の立場でも追撃を命じたはずだ。
 ソール王国第一王女である「ラクシュミ・リート・ソール」の行方が不明であり、敗走兵に紛れ込んだのだろうと予想できる。見つけ次第捕縛せよとの命が出たらしい。ラクシュミ王女は「王家の歌姫」の称号を賜っている、歌を神に捧げる聖女だ。捕らえてどうするのかなど、安易に想像がつく。
 そういえばハイレクーンの姿が見当たらない……。恐らくまた「あの場所」へと出向いているのだろうと考え、キドルは立ち上がる。

「プラチナ、俺達も行動に出るぞ」
「……いよいよってわけか」

 隣にいたプラチナに声を掛けると、プラチナも立ち上がり、ニッと笑う。
 そう、いよいよなのだ。ジュウベエの言っていた「頃合い」は今ここから始まる。そのための準備、そのための部下達、そのための布石を用意してきた。全ては「大いなる計画」のため。キドルは足を踏みしめ、一歩前へと出る。


 帝国軍がソール王国を攻め入る一月程前。
 キドルは執務室に二人の人物を呼び出していた。一人はクリス、もう一人は上官に剣を向け、死罪となりかけた竜騎士「セレスティア・ウンセギラ」。二人はなぜ呼び出されたのか不思議に思っているようだ。キドルは二人にある事を命じた。

「セレス、クリスを連れてイース同盟に亡命しろ」
「に、兄さん!?」
「理由をお聞かせ願えませんか?」

 二人は目を見開いて驚いている。セレスの質問に、キドルは静かに答えた。

「今この帝国にお前たちを残しておくと危険だ。ハイレクーンは恐らく、———にいる。だから、今のうちにこの帝国から脱出してほしいんだ」
「しかし、同盟に行って僕らの素性がばれたら……」

 キドルは不安がるクリスの頭に優しく手を置く。

「大丈夫、そのために俺はお前に名前を与えたんだ。同盟諸国でお前の素顔を知る者はいない。いざとなれば、これを使って誤魔化せばいい」

 キドルはクリスの手に細長い物を握らせた。
 それは、帝国で正式に採用されている短剣であり、帝国の国章が刻まれた物だった。これを何に使うというのだろうか。

「兄さん、これで何をすれば?」
「簡単だ、帝国軍から奪ったんです。とでも言っておけばいいだろう」

 うまくいくかは不安だが、こういうのは度胸だ。とキドルは腰に手を当てて大笑いする。
 結構無茶ではあるが、でも不思議と何とかなる気がする。クリスは兄を信じてみることにした。

「セレス、お前はクリスを途中で降ろして、一人で同盟軍に亡命しろ。平和を愛し、民のために命を賭す……そういった騎士がいれば、そいつに頼み込むんだ」
「心当たりはあるのですか?」
「ジュウベエ殿の話によると、「エリエル公国」のアイオロス公……の娘である公女シャラザード……だったかな。そいつを探し出し、頼み込むといいとさ」

 セレスは「シャラザード様」と繰り返し、さらに尋ねる。

「なぜジュウベエ殿は、そのアイオロス公の事を?」
「親友、らしいぞ。師匠はアイオロス公に剣を教えていたとかなんとか」

 だからこそ信頼できるのだという。根拠は薄いが、信じて進むしかない……とセレスは思った。セレスにはイース同盟に友も家族もいないのだから、すがれるものはすがっておくべきだ。
 キドルは頷いて二人を見る。

「クリスは頃合いになれば、迎えに行く。……その時が、大陸が変わる瞬間だ」

 キドルはセレスに近づき、肩を力強く掴んだ。そして、彼女の瞳を一心に見つめる。

「クリスを……俺の弟を頼んだぞ」
「は。命に代えましても!」
「クリス、絶対に生き延びてくれよ」
「はいっ! 兄さんも、どうか御武運を……!」

 セレスとクリスは頷いて力強く答える。





 キドルは、動き出す。次の出撃は恐らく「ソスラン」が流刑になった頃合いに、イース同盟の東部戦線を襲撃するのだろう。と予想できる。なぜその情報がこちら側に流れてくるかは、安易に想像がつく。
 それがいつになるかはまだわからないが、キドルはプラチナを連れてその頃合いに備え、準備を確実に進めていくのだ。
 でなければ、手遅れになればこの大陸は破滅する事となる。