複雑・ファジー小説

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.99 )
日時: 2019/03/10 22:04
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)
参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=image&file=1104.jpg

第一章 この道の向こうに

 その日の空は、皮肉なほど晴れ渡っていた。
 イース王国、王都ブリタニアでは朝から花火が打ち上げられ、まるでお祭りのような騒がしさだった。
 だが、イース同盟は厳しい立場に立たされている。
 まずはディーネ公国はトゥリア帝国によって完全に支配され、グランパス河だけがその行く手を阻んでいた。それとてグランパス大橋が復旧されるまでのわずかな猶予である。
 次にデザイト公国。離反した彼の国は、公子であるイスラフィルを救出した事でひとまずどういう状況にあるのかは分かった。トゥリア教、四大司祭の一人である「メフィスト」の暗黒魔法によって本来イース同盟に参集するつもりであったマリク公爵が操られているという。だが操られているとはいえ、その術が解けない限りデザイト公国の精鋭はイース同盟に敵対したままである。
 そして最後に、トゥリア帝国との激戦を繰り返していた東部諸国同盟は、壊滅した。全ては指揮官であるソスランがイース同盟の盟主であるイース王国モルドレッドにより流刑に処されたせいである。
 その影響で、エリエル公国も陥落の危機に瀕していた。まだアイオロスの副官であり宮廷魔術師の「マジョリタ」が籠城などで耐え忍んでいるが、それもいつまでもつか……。
 そういうわけで、イース同盟は危機に瀕している。
 全ての状況が一般市民に公表されているわけではなかった。例えば東部諸国同盟の崩壊は、知らされていない。グランパス大橋も、復旧が進んでいる事は伏せられている。デザイトの叛乱も、現実よりずっと小規模なものだと伝えられていた。
 だがどこからともなく流れ出る噂は止められず、また大半はいい加減な噂話だったが、それでも正しい物を的確に拾い上げていけばかなりの状況を知る事が出来た。
 人々は肌で状況を察し、不安に感じている。だからこそ、今日という日の出来事に熱狂しているのだろう。
 シャラはブリタニアの宮殿のある部屋のバルコニーからいつになく騒がしい街を見下ろしていた。

「シャラ様、よくお似合いですよ」

 振り返ると、部屋の中でエレインがシャラの衣服を片付けていた。いつも来ている普段着を、だ。

「そうでしょうか? うーん、私はいつもの服の方が落ち着くし、何より動きやすくて好きなんですが」

 厚く、堅い布で作られた礼服だった。色は白を基調にしている。どこの国でも、式典に出席するには堅苦しい服装が好まれるのは変わらない。しかも今日の服には金糸銀糸で細やかな刺繍が施され、女性らしい華美なドレス、留め具や装飾品にはエメラルドがあしらわれている。ドレスに使われるベールは上質な絹でできている。普段は化粧なんかしないが、いざ鏡を見ると、自分の顔だとは思えず驚いて自身の頬を叩いてしまう。
 シャラが改めて自分の身体を見回していると、エレインはおかしそうに笑った。

「そんな事では困りますよ。貴族のご息女が——いえ、失礼しました」

 急にエレインは口元を押さえて黙り込んだ。
 シャラの父、アイオロスは東部戦線にて戦死した。現在、まだ正式に爵位を継いだわけではないが、シャラがエリエル公爵家の全てを背負っている事になる。ご息女、ではもうなかった。
 重かった。全てが。
 陥落の危機にあるとはいえ、領民、役人、城の侍従や騎士達、そしてエオス……。全てがシャラの肩にかかっている。
 戻りたい、なんて少しも思わないと言えばうそになる。だが、今はまだ懐かしい草原の国に帰る事は出来ないのだ。

「式典まであとどれぐらいですか?」

 シャラはあえて明るく振る舞い、笑顔を浮かべてそう聞いた。

「もうすぐだと思います」

 エレインが顔を曇らせる必要はないのだ。そう言いたいのをくみ取ってくれたのか、彼女はいつもの柔らかな笑みに戻りそう答えた。
 また花火が蒼天に打ち上げられた。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.100 )
日時: 2019/03/14 07:49
名前: 燐音 (ID: NGqJzUpF)

 今日、ブリタニアの宮殿……イース王国王宮にて一つの祭典が催される。シャラの叙勲式だった。
 この数か月の活躍を評価し、シャラに「ハイロード」の位を授けるという判断をモルドレッドは下した。その判断が心からの褒美であると誤解するほどシャラは子供ではない。押し寄せるトゥリア帝国の不安に浮足立つ住民達を落ち着かせるための、いわば宣伝道具に使われるのだ。
 シャラがエリエル騎士団の面々にそれを知らせたのは会議の席であった。騎士団本部では、毎夜就寝前に小隊長以上が集まって会議を開く。相互連絡が主な議題だが、叙勲について部下達に打ち明けると、直情径行なスコルはシャラの目の前で怒りを露わにしモルドレッド王をこき下ろした。
 すぐにハティが周囲に頭を下げながらスコルの耳を引っ張って会議室を出て行ったのだが。
 普段ヘラヘラ笑うスコルの顕著な反応は珍しかったのだが、少なくとも諸手を挙げて喜んだ者は一人もいなかった。大方の意見は、モルドレッドが招いた不安の尻拭いでしかない今回の叙勲を辞退するべきではという者と、無用の確執を避けるためあえて受け入れるべきだという者に分かれた。
 だが一人、エドワードだけが違う意見を口にする。

「確かに尻拭いは尻拭いでしょうが、これで陛下は我らの事を軽んじる事が出来なくなりますな」

 シャラが叙勲を受けると決意したのもエドワードのこの一言だった。「ハイロード」とは。ただ名誉だけの位で王国の序列とは関係ない。地位は今迄と何一つ変わらないだろう。それでも民衆に知らしめてしまった以上、もう捨て駒のようには使えない。本当にその気になれば方法はいくらでもあるだろう。だとしても部下達を無駄に危険な目に合わせる事は減るはずだ。それに住民達が少しでも心安らげるなら、それでいいと思っていた。

「ですが、こんな格好はこれで最後にしたいものです」

 シャラはため息をつきながらつぶやくとエレインはくすくすと楽しげに笑った。

「あら、最低でもあと一回はそんな服を着なくてはなりませんよ」
「あと一回?」
「はい、シャラ様のご結婚式ですわ。最も、その時はもっと堅苦しい物となりますけれど」
「結婚……私が!?」

 驚いて思わず一歩後ずさってしまうシャラにエレインは大まじめに頷く。

「はい、公爵家を継がれるのであれば早く旦那様をお迎えにならなければなりませんわ。シャラ様の結婚式にはぜひ私も呼んでくださいね」

 なんともエレインらしい言葉にシャラは苦笑を禁じ得なかった。
 そういえばそんな事、考えもしなかった。まあ今はそんな事を考えてる暇もない、それはまだまだ自分には関係ないのだ。とシャラは自分に言い聞かせる。
 そうこうしていると、シャラを呼びに衛兵が現れ式が始まる旨を伝えた。


 いつもの謁見の間が、同じ場所だとは思えないほど煌びやかに飾られていた。柱から柱へはイース同盟各国の国旗が掲げられ、外から吹き込むそよ風に揺れている。
 大理石の柱には純銀の花台が置かれ、その上に置かれた花瓶には色とりどりの花が生けられていた。
 多くの人々が式に参列している。
 同盟に参集している各国の代表者やイース教関係者。日頃の倍以上の人間が謁見の間に詰め込まれていた。その中に会って例外が二つある。一つは王座の周囲。ここはモルドレッドとアムル以外、誰も立ち入ることを許されない場所だ。
 そしてもう一つの例外が、謁見の間の正面にある入り口から王座へとまっすぐ敷かれた赤い絨毯の上である。今日ここに踏み入る事を許されているのはたった一人しかいない。即ち、この叙勲式の主役であるシャラである。
 人だかりが二つに割れた道の真ん中をただ一人、シャラは歩いた。式典特有の高ぶった空気を身体が包む。華々しい気配に背中を押され、王座の前に進み出た。
 静かに跪き頭を垂れると、視界の外でモルドレッドが立ち上がる気配があった。

「エリエル公国、公女シャラザード・グン・エリエル。汝の功績を称え、ここに「ハイロード」の位を授ける」

 モルドレッドの言葉に従い、傍に控えていた文官がある物を手にシャラへと近づいてきた。
 名を呼ばれたシャラは静かに身を起こす。文官の手にあった物は勲章だった。純金の地に剣と盾を意匠化して掘り込み、いくつかの宝石がちりばめられている。大きさは手のひらに収まる程度だ。それが文官の手によって、シャラの左胸に付けられる。
 文官が下がると同時に人々から盛大な拍手がわき起こった。

「身に余る光栄にございます」
「今後も、余と王国のために邁進せよ」

 返事をするまでには一瞬の間が空いた。他の誰もが気が付かない、自覚したのはシャラだけだっただろうが。

「命ある限り、陛下と母なるイース女神に忠誠を誓う事を、ここにお約束いたします」

 だがシャラの心は、その日の空とは違い少しも晴れはしなかった。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.101 )
日時: 2019/03/11 11:36
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 空には灰色の厚い雲が立ち込め、冷たい雨が降っていた。
 彼女は窓際に立ち、外の世界でただひたすら降り続く雨にため息を漏らす。
 空から降り注ぐ水滴が静かに葉を打ち、梢を濡らした。
 外には、鉛色の重苦しい空気が立ち込めている。誰もいない。人も、動物達も、息を潜めて隠れている。窓から滴る水滴が、世界を歪にしていた。
 この世界の中にたった一人で取り残されているのではないか、実はこうして悩んでいる事の全てがもう過去の幻想ではないのか、そんな馬鹿げた妄想に憑りつかれそうだった。
 独りだけの世界は、唐突なノックによって破られた。

「エオス様。ご準備はよろしいですか?」

 紫の長い髪、その髪で右目を隠した長身の女性が部屋へと現れる。まるで紫色のチューリップを逆さにしたようなドレスを身にまとう、おっとりした雰囲気を持つこの人物は、「知識の魔女」の異名を持つ「マジョリタ・マジョルタ・マジョレータ」という「ヴァルプルギスの夜会」の魔女だという。今はアイオロスが戦死したことにより、彼の最期の命令によりエリエル公国へと戻り、この城を守っている。彼女はエオスがエリエル公国に来た時には既にアイオロスの副官を務めていたため、会ったことはなかったがおっとりとした見た目とは裏腹に兵士への指示は的確で、何より彼女の召喚術により呼び出された魔獣や死霊を入れた人形達の戦力のおかげでトゥリア帝国からの攻撃は防げている。……今はまだ。
 マジョリタが部屋に入ってくるまでにもうすべての準備は終わっており、エオスはマジョリタに向け静かに頷くだけだった。

「民達の避難は終わったのですか?」

 今度はマジョリタが難しい顔で微妙に頷く。

「はい。ただ、完全にとは言いかねます。第一、無茶が過ぎます。いくらエリエルが小国だと言っても、この国にいる民達を全て避難させるだなんて……」

 それは言われるまでもなくエオス自身が分かっていた。
 今、トゥリア帝国の軍勢がこのイース同盟の国々を次々と支配下に納めていった。ソスランが取り戻したソール王国は再び帝国の支配下に戻っている。それだけでなく、彼らが命を賭して守り通してきたこのエリエル公国が帝国の手に落ちるのも、もはや時間の問題だった。
 今はまだなんとかなっても、いずれはマジョリタの力が尽くか、食糧や水も尽きて戦力を失うかして落ちるだろう。
 エオスは住民の避難を決意した。イース王国へ南下するように騎士達に誘導させた。しかし、そううまくいくはずもなく、事態はこの雨空のように曇り冷たい雨で道を阻んでいた。

「私や部下でなんとか住民達をイース王国へ避難させておりますが、帝国軍に捕縛された者も少なくなく、避難を拒む者もいます。……王国に縁者がある者はまだしも、そうでない者が避難を拒むのは当然でしょうけれど」
「ええ……ですが、お姉さまがおられない今、私が民達を守らねば」

 言葉とは裏腹に、心細かった。
 戦い方など知らない。エリエル公国に女性騎士は少なくなく、姉がそうだし姉の部下にもいる。だがエオスは生まれてこの方剣を手に取った事すらなかった。
 自分の手で民達を守れる自信などない。誰か傍にいてほしかった。傍にいて、エオスを支えてほしかった。

「エオス様、お急ぎを」
「マジョリタは?」
「私は最後の最期まで公爵の愛した国を守ります。それに私は強いのですよ」

 マジョリタはエオスを安心させるために笑顔を見せる。だが、その言葉と笑顔とは裏腹に彼女もまた不安でしょうがないのだ。魔女とて、万能ではないのだから。
 エオスはもう一度窓の外を見て、その沈鬱な景色が今の自分の気持ちに似ているのだと、その時気づくのだった。

Re: イストリアサーガ-暁の叙事詩- ( No.102 )
日時: 2019/03/11 17:54
名前: 燐音 (ID: .CNDwTgw)


 エオスには馬車が用意された。
 だが二頭立てで、荷台もただ幌がかぶせられただけで密閉されておらず、延々と降り続く雨のしぶきが厚手の布に染み込み隙間から滴り落ちてくる。

「申し訳ありません、エオス様。このような粗末な馬車にお乗せしてしまって……」

 御者台に乗っている騎士が申し訳なさそうに振り返る。だが彼は普段とは違い粗末な服に着替えていた。まるで農民のように。
 いくら小国とはいえ、エリエルにも箱馬車ぐらいはある。純白の美しい客車はエオスのお気に入りであった。それを牽く馬も、気品ある純白のエリエル馬。だがこれからエリエルから避難しようという人間がそのような目立つ格好をすることはできない。盗賊に目を付けられるからだ。

「いえ、他の人達はほとんど歩いているんですもの。贅沢は言えません」

 エオスが持ち出せたのも必要最低限の荷物だけだった。
 同乗していた侍女が大きなマントをかけてくれる。道連れは、農民に扮した護衛の騎士が御者台に二人、エオス付きの侍女が四名だった。
 前後に数名の騎士が付き添っていたが、エリエル城にあった戦力のほとんどは市民が南下する護衛につけておいた。今エリエル城を守るのは、少しの騎士とマジョリタの傀儡のみである。

「姫様、お心を静かに。必ずや騎士達が無事に届けてくれます」

 侍女の一人がなだめてくれる。だが彼女自身も声を静かに震えているのにエオスは気が付いていた。
 エオス達が向かおうとしているのは、ここエリエルとイースを繋ぐ橋、「ワータ橋」の先にある「ケートス伯爵」が治める領地である。位置としてはエリエルの南、イースの北西に位置する離島であり、マジョリタの親友であるケートス伯爵にマジョリタが事前に話を通していた。離島とはいえ、エリエル公国の3分の1ほどの大きさであり、エリエル公国の民もそこを経由して避難している。

「東部諸国同盟が壊滅した今、我々にはもはや籠城か逃亡の道しかありません」

 マジョリタがそう言っていた。
 今、イース王国にいるイース王が討ち取られれば、この世からイース教は払拭されてしまうだろう。人々は、トゥリア帝国が勝てばイース教を信じている者は皆殺しになってしまうのではないかと、口々に不安を募らせていた。
 民達を守らなければならない。エオスは、声には出さず、自分に言い聞かせるように口の中で繰り返した。
 空からは静かに、冷たい雨が降り続いていた。
 いつまでも降り続いていた。
 それはいたずら者の運命の魔女が、人々の不安を煽るために降らせているように暗鬱な光景だった。
 荷台の後ろから、ふとエオスは自分たちが後にしてきたエリエル城を振り返る。
 城の前でマジョリタが小さくなっていった。冷たい雨が降っているのにもかかわらず、彼女は雨に打たれこちらを見送っていた。そして、雨で視界が悪くなっているのか、その姿も間もなくして見えなくなってしまった。