複雑・ファジー小説
- Re: 【短編集】愛礼、目下前進中 ( No.1 )
- 日時: 2018/11/20 22:02
- 名前: 呂色 猫 ◆CFFEpYy4U2 (ID: nyr1MBL9)
「今日はお茶会を辞めましょう」
彼女は薄汚れたテーブルクロスに頬杖をつき、大した事でもなさそうに言葉を漏らした。あまりにも突飛な提案に私は無意識に眉を顰めてしまう。
「どうしたんだいアリス。面白い冗談だね、お茶会以外に君に何が出来るっていうんだ」
帽子屋はかなり控えめな反論をしたが、彼女はそれを馬鹿にされたと受け取ったのか、目を細めた。
「なんだって出来るわ。冒険も、クロッケーも。だからこのお茶会にだって辿り着いたし、赤の女王とも仲良くやっていけたのよ」
冒険とクロッケーでは、「なんでも」とは程遠い。彼女自身もそれを理解しているのだろう、苛立ったように宙を睨んだ。
「じゃあ、久しぶりに女王を茶会に呼ぶのはどうだろう。思い出話に花を咲かせるというのは」
帽子から花を取り出す手品で機嫌をとろうとするが、差し出した花は萎びていた。前に使った時から変えていなかったのだろう。そもそも生花を使っていたのが間違いだ。
「貴方知らないの? 彼女は退位して病床についているわ。今お茶会に誘えば、それこそもう一度首をかけたクロッケーをしなくちゃならないでしょうね」
私は震え上がる。そんなことになってしまったら、この夢が泡沫のように弾けてしまう。震える私に気づかない彼女は、さらに続ける。
「不思議なこの世界に閉じ込められて、もう何年経ったかしら。最初は腰が抜けるほど驚いた何もかもが、今では退屈な日常なの」
確かに今の彼女は、無邪気な好奇心に溢れる幼い子供ではない。同じなのは、見事なブロンドと青いエプロンドレスだけだ。
「チェシャ猫はどこかへ消えて、ウサギは慌ただしく去ってしまった。残ったのは貴方たちだけよ」
彼女はテーブルに置かれたティーポットを手に取り、3つのカップに茶を注いだ。帽子屋は首を傾げる。
「はて、貴方「達」とはどういうことだろう」
「ずっと前から、ずっと居たのよ」
ねぇ?と彼女は私の方を見るが、どこか焦点が定まっていない。私は目を見開き、じっと見つめ返した。
「毎日決まった時間に始まるお茶会には、もう飽き飽きしているの。スコーンにクッキー、ケーキにマカロン。どれも素敵だったけれど、でも、もう要らない」
帽子屋が問いかける。
「じゃあ、もう茶会は終わりかい?」
彼女は首を横に振る。そしてまた私の方を見つめると、童話の中のアリスのように無邪気な笑顔を作った。
「次のお茶会は、鏡の外で開きましょう。私がかつて生きていた、あの世界で」
——分かっていたのか。
私がアリス達を見つけたのは、かなり前の事だった。毎夜午前3時に必ず行われるそれに、私は外から参加していた。いや、眺めていた。
今この瞬間は幻なのだろうか。いや、茶会を覗き始めた時からの記憶は、全て一夜の夢なのだろうか。
帽子屋はまだ理解していないようだった。アリスは私に向かってぱちりと片目を瞑ってみせる。その長い睫毛が、一瞬風を起こした。