複雑・ファジー小説
- Re: 【短編集】愛礼、目下前進中 ( No.2 )
- 日時: 2019/07/01 22:57
- 名前: 呂色 猫 ◆CFFEpYy4U2 (ID: q4tyOQof)
地球の引力と宇宙のバランスが崩れたのは、ここ最近の話ではない。何世紀も前に突如として大量の星が降ってきた時の話は、人類最大の絶滅危機であったと語り継がれている。
人類は星が降る度に数を減らし、今では種族や地域ごとに小さな集落を作っている。ビニールハウスのような透明なドームの中に、青色の耐久素材で組まれた同じ形の家が規則正しく立ち並ぶ景色は、ゲームの升目を思い浮かべてしまう。
今でも年に何回かは三等星が降る。大きめの石のようなそれも何十年か前は脅威であったらしいが、今では透明なドームに守られて安全である。皆万が一のために避難しつつも、窓から望遠鏡で鑑賞会をするほどだ。
『おはようございますJ-21の皆さん。今日の最高気温は38度、最低気温は16度。降水確率は30パーセントでしょう。』
天気予報機の機械音声が生存区域J-21内に響き渡った。数十年前に誰かが作った、理論上100%正確な予測が出来る人工知能だ。
『今日の1位はヤギ座の貴方。隕石が降ってきても逃れられるかもしれません。そして残念、今日の12位は——』
ちなみに天気予報だけでなく、娯楽の少ない区域内の楽しみとなるように星座占いや今日のおまじないなど、余計な機能も満載である。
「今日もスターフラワーの成長は期待できませんね、先生」
この研究室で私以外のたった一人の研究員であるレオは、机に開いた数字パズルの冊子と向き合いながらいつもの様に話しかけてきた。
「興味が無いのも分かるけれど、もう少し残念そうにしてくれたって」
「そもそも、この花ってもう枯れてるんじゃないですかね?こんなに茶色いし」
スターフラワーは亡き妻の遺したものだった。妻の家系が代々娘へと受け継いできた、コバルトブルーの花瓶と、その中に入った萎れて色褪せたスターフラワー。昔、花瓶と花が不釣り合いだと揶揄したら、「そんな事ないのよ」と苦笑していた。
私達は子供を授かれなかった。妻と私のどちらが親になれない体だったのかは分からない。分かるのは、妻が毎朝欠かさずに水をやっていたあの萎れた花を、受け継ぐものは居なくなったということだけだ。
そんな花を、せめて人工的に育成し、数を増やしておこうと思ったのが研究の始まりだった。しかし、区域内に植物を学べる場所などあるはずもなく、素人が出来ることなど無いに等しい。スターフラワーは無駄に大きい机にぽつんと置かれたままだ。毎日水をやろうが、窓を大きくして光を沢山当ててみようが、醜い茶色は変わらなかった。
『——ラッキーアイテムはリンゴ! バットアイテ……』
永遠と流れていた区域放送が途切れた。そして、耳を突き刺す爆音の警告音が流れた。
『地球上空30万kmに一等星を確認。繰り返します。地上上空30万kmに一等星を確認。J-21への降星確率78.82パーセント。各自中央塔地下シェルターへの避難を早急に始めてください』
予報機は何度もそれを連呼して、煽るように警告音の音が鳴り響く。年に何度もある避難訓練と殆ど変わらない警告音だが、下2桁まで知らされる降星確率がこれが本番だと告げていた。避難訓練と三等星の鑑賞会に慣れきった住民達が、やっとこの警報の意味を咀嚼して忙しく動き出した。
「先生、早く出ますよ!」
「待ってくれ、花を! 花を持っていかなければ……」
レオはのろのろと花に近づく私の手首を掴み、必死の形相で研究室の階段を駆け下りた。引きずられるように区域内を駆け、人混みに揉まれながら塔へと向かう。空を見あげれば、既に幾つかの星の欠片が透明な天井を避けるように区域外に落ち、破裂した破片がドームに叩きつけられていた。
「も、もうダメだ……俺ら間に合わねぇ」
誰かが絶望したように呟く。塔までの大通りには人が押し寄せていて、その末端にいるような私たちが星が落ちるまでに塔に入れるとは思えなかった。放心して立ち止まる人、歯を食いしばり人ごみをかき分けてでも塔へ避難しようとする人、親と離れた子供の泣き声。
「先生」
レオが爪を立てて掴んでいた私の手を離した。彼女の頬に大粒の泪が何本も伝う。
「一等星って、あんなに大きくて、綺麗なんですね」
今から私達を殺すものだと言うのに、星は天からの贈り物だとでも言うように眼の眩むような光を纏い地上へと降ってきた。地表は常に炎に覆われているのだろう、赤黒く光る球体の輝きは瞬きをする事に増していた。迫り来るそれに辺りは静まり返る。ある者は死を受けいれ目を瞑り、ある者はただその輝きを目に焼き付けんと見続けていた。そのとき、
「おい、なんだあれは!」
遠くの方で、何か青い棒のような物が透明ドームを内側から突き破った。青い棒は星へと伸び続け、空中で枝分かれし葉を付ける。建物から伸びる根の一端に、割れたコバルトブルーの破片がひっかかっていた。
「あれって……」
私が呟く間に、青い棒は先端に鮮やかな同じ色の蕾を付け、また星の方へと長く成長した。
そして、星と蕾が重なる。緩やかに解けた青の花弁が、赤黒い光を完全に包み込み、また花が閉じた。
「その花、花瓶に飾っているというより引き立て役みたいだな」
「そんな事ないのよ」
まだ肌は若々しいが、白髪の混じり始めた妻がそう言って苦笑した。
「いつも水をやりながら、お願いしているのよ。私が居なくなっても、代わりに貴方を見守っていて欲しいって」
英名 starflower
和名 向星葵
——普段は枯れたように萎んでいるが、一等星の光により急激に成長し空の先まで伸び続ける。故に花が開く様子を見たものはおらず、その色は星のような黄金なのではと言われている。
花言葉は「貴方だけを見守る」