複雑・ファジー小説
- Re: 魂込めのフィレル ( No.1 )
- 日時: 2019/04/18 20:55
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
【前日譚 戦神の宴】
たん、とフィラ・フィアのサンダルが石の地面を踏む。赤い眼差しは真っ直ぐに前を見つめる。
炎のように赤い髪を後ろで括ってポニーテールにし、手には鈴のジャラジャラついた銀の錫杖、服は至る所に露出の見られる踊り子のそれで、それにも鈴がたくさんついている。その目は燃え盛る炎を宿した、深紅。
「エルステッド、シルーク、ヴィンセント。準備はいい?」
彼女は振り向き、背後に声をかけた。ああ、と茶髪に青い目、どことなく気品漂う軽装の青年が頷けば、白髪白目に黒い衣装、全身におびただしいほどの白い蝶を纏わりつかせた少年が無言で頷く。二人の後ろで、「大丈夫だ」と、金髪に赤い瞳の女戦士が応答した。
フィラ・フィアは皆の反応を見て強く頷き、次の一歩を踏み出した。
目の前には血で装飾のされた、禍々しい神殿が広がっている。その入口に掛けられたあれは、供物にされた人間の生首か。
「……おぞましいところだな。長居はしたくないぞ」
凛々しい顔をしかめ、ヴィンセントが呟いた。
◇
それは三千年の昔の物語。
大陸国家シエランディア。その大陸はかつて、古王国カルジアという国に支配されていた。
カルジアの、その時代の王はアノス。優れた政治を行い、人望もあり、民からの信頼も厚く、世に聞こゆる名君と噂される、君主の鑑たる王だった。
けれどそんな王でさえも、どうにもならない問題があった。
「荒ぶる神々」。
その時代、ある神は人間を憎み、ある神は人間に興味を抱き、それぞれの方法で人間に過剰干渉した。その影響を受けて多くの人間が死に、狂わされていった。神々のせいで、人間たちの住まう地上界は大いに荒れた。いくら名君のアノス王でも、神が相手となればどうすることもできず。だから彼は彼に出来る方法で、できる限り混乱を収めていくしかなかった。シエランディアは暗黒時代に突入する。王は便宜上、地上界に災厄をもたらす神々を「荒ぶる神々」と呼ぶことにした。
そんなある日、一人の予言者が王に予言をした。
「未来、神々封ずる舞を舞う『希望の子』が、この暗黒時代を救う光となる」
彼は言ったのだ。『希望の子』ならば神々を封じられると。そして神々の放埒は終わりを告げると。アノス王はその予言に縋るしかなかった。
それから、数年。
「父さま、見て。わたしの踊り!」
生まれた少女、王女フィラ・フィアは幼い頃から舞が好きで得意だった。彼女はある日、父王に自分の踊りを披露した。その場には件の予言者も偶然おり、彼は彼女の舞を見るなり、彼女が『希望の子』であると一目で看破した。彼は慌ててそのことを王に伝えた。
予言者の口から、自分の娘が『希望の子』であることを知らされたアノス王。彼は彼女を大切に育て、大きくなったら「荒ぶる神々」を封ずる旅に出すことを決めた。彼女が育っていく間にも世界に悲哀は積み重なっていくが、彼女が大きくなるまではそれも致し方なしと彼は考えた。
父の決めた同行者五人と、旅先で出会った仲間一人、そして彼女自身で旅に出た。彼女は旅の間に三人の仲間を失ったが、三体の神々を、仲間のフォローとその舞の魔法で封じられた。仲間を失うたびに涙を流しつつも、それでも諦めずに彼女は旅を続ける。彼女の双肩には、世界の未来が掛かっているから……。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.2 )
- 日時: 2019/04/18 22:21
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「……行くわよ、みんな」
踏み出した一歩。数多の屍を、悲哀を越えて、彼女たちはここに立つ。
次に封じるのは無邪気なる戦神ゼウデラ。この神は自身の心を満たすためだけに人間たちの心に争いを植え付け、国全体を戦禍に包みこんだ。この神のせいでたくさんの人が死に、涙を流したのだ。その悲しみの輪廻は、断ち切らねばならない。
「戦神、ゼウデラ」
小さく呟き、彼女は神殿の奥に進む。
むっとするような血の臭いが彼女の鼻を刺す。この戦神への供物として、人間の血が捧げられるようになったのはここ最近の風習らしい。
たん、たん、とサンダルの音。その後を追うように、エルステッドの靴音、ヴィンセントの鉄のブーツの音が鳴り響く。シルークは足音を一切立てず、不気味な蝶を纏わりつかせながらも歩く。その姿はまるで死神のよう。
やがて。
辿り着いたのは神殿の最奥部。そこにあった祭壇には、いまだ脈打つ人間の心臓が捧げられていた。そして、
「……相当悪趣味な神様だな」
エルステッドの感想も最もだろう。
その祭壇は、人間の骨と皮で作られていたのだから。
この神殿は、人間の地と悲鳴を吸ってここに在る。そして祀られている神は戦を起こす。
——何としてでも封じなければならない。
そう、フィラ・フィアが強い決意を固めた時。
「何の用だ、人の子よ」
天上の高きところから、投げかけられた、声。
フィラ・フィアは頭上を見る。大きな神殿の高い天井付近に、赤い男が浮いていた。
頭から血を被ったような、赤いボサボサの髪。血のように赤い瞳。漆黒のマントに、幾重にも交差する漆黒のベルト。深紅のマフラーが、風もないのに揺れる。その男の傍には、翼の生えた純白の獅子が羽ばたいていた。
彼はフィラ・フィアらを見て口の端に薄い笑みを浮かべた。
「我こそゼウデラ、戦乱の鷲、争乱を好み、命を弄ぶ者。人よ、人の子よ。我に何の用があってこの地に来たか」
「お前が、ゼウデラ……!」
フィラ・フィアは喉の奥から押し殺した声を漏らした。
彼女は大きく息を吸い込み、手にした錫杖を地に突いた。しゃん、と涼やかで清浄な音が血まみれの神殿に鳴り響く。
彼女は名乗った。
「わたしはフィラ・フィア、『希望の子』。戦神ゼウデラ、あなたの度を過ぎた放埒に人間たちは苦しんでる! わたしはね、あなたを封じに来たのよ。神は神で生きて、違う種族に関わらないで!」
彼女の名乗りに、ほぅと戦神は眉を上げた。
その口元に、面白がるような笑みが浮かぶ。
「人間が、人間が! この我を封じようと? この、神たる我を! 封じようというのか!」
彼の周囲で風が渦巻く。それは争いの気配のこもった荒々しい風だった。
彼は笑った。抗う人間たちを、哄笑した。その笑い声に神殿が揺れる。
「愚かな! ああ、なんと、愚かな! 人間が神に逆らおうなどと、おこがましいにもほどがある!」
「……でも、逆らうわ」
フィラ・フィアは強い瞳で相手を睨んだ。
「わたしたちは確かに無謀な戦いをしようとしているのかも知れないけれど、」
けれど、それが使命だから、やるしかないのよ。
言葉が放たれた、刹那。
フィラ・フィアの赤い瞳と、シルークの白の瞳が交差した。
頷いたシルークの周囲で風が鳴り、彼の纏う純白の蝶が飛び立って戦神の視界を覆う。それを戦いの合図として、フィラ・フィアはステップを踏み始めた。彼女の周囲で濃密な魔力が膨れ上がっていき、虹色に輝く鎖が出現する。最初はただの光で出来ただけのようにも見えたそれは、フィラ・フィアが舞うたびに少しずつ実体を得ていく。これが完成するまでの間、他のメンバーは全身全霊で彼女を守らなければならない。彼女こそ最後の希望、彼女の代わりは他の誰にも出来ないのだから。
「小賢しい真似をッ!」
自分の視界を覆った純白の死神蝶を、戦神は腕のひと振りで蹴散らした。しかしその瞬間、隙ができたことは確かで。
「悪いが消えろッ!」
「その首、もらったッ!」
右にエルステッド、左にヴィンセント。
二人の戦士が戦神の両脇から跳躍し、肉薄し、その刃を掲げる。その瞬間、フィラ・フィアの虹色の鎖が燦然と強い光を放った。
「わたしは作るのよ。神様になんか干渉されない、人間だけの世界をッ!」
その瞳の奥で、痛いほどに燃えた意思。
仲間たちの死を越えてもなお揺るがなかった思い、強い使命感と燃える心が、彼女の瞳の奥で渦巻いた。
「そう簡単にはいかせぬッ! 神を甘く見るな人間ッ!」
が、その瞬間、弾かれた刃。
戦神自身は動いていない。ならば一体誰が二人の刃を防いだのかと見れば、戦神の前に純白の獅子が立ち塞がり、その両手の爪で相手の攻撃を受け止めているのが分かった。時間稼ぎは、失敗したようだ。
だが、フィラ・フィアの舞の魔法もあと少しで完成する。敵が速いかこちらが速いか。それだけの勝負になった。
舞い踊りながらもフィラ・フィアは叫ぶ。その額から汗がこぼれ落ちた。
「わたしこそ、言わせてもらうわ。——人間を甘く見るな神様ッ!」
そしてついに実体化した虹色の鎖。
「——封じられよ、戦神ゼウデ、」
彼女は勝利を確信した、のに。
何故、戦神は勝ち誇ったような笑みを浮かべたのか。
何故、シルークの白の瞳に、覚悟と諦めのようなものが浮かんだのか。
鋭い音を立てて鎖は弾かれる。神封じの舞の魔法のこもった、虹色の鎖は弾かれる。
立ち塞がった純白の獅子。その爪に鎖が巻きついた。しかしそれは封じる対象ではなくて。
戦神の勝ち誇った笑み。背筋を這いあがった悪寒と嫌な予感。
『フィラ・フィアッ!』
人工音声のような、どこか不自然な声。
「……ラ?」
彼女の目の前で、誰かが倒れる。
赤い血飛沫が彼女の顔に掛かった。
白い姿が赤く染まる。血に濡れた蝶が飛び立った。
フィラ・フィアは固まった。目の前で起きた現実を、信じたくはなかった。
戦神の哄笑が響き渡る。
「ハ、ハハ、ハッハハハッ! 愉快、実に愉快! これが人間種族の自己犠牲という奴か? 踊り子を狙って攻撃したのに、白の死神が庇ったか! 実に面白い! 面白いものを我は見たぞ!」
その言葉の、意味。
戦神の右腕には、いつの間にか鋭い長槍が握られており、その先端は血に染まって赤く濡れていた。
フィラ・フィアの喉から絶叫が洩れる。
「シルーク————ッ!」
- Re: 魂込めのフィレル ( No.3 )
- 日時: 2019/04/20 19:27
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
昔、彼女の兄であり王位継承者でもあったテウィルを殺したシルークは、罪を償うためにフィラ・フィアを助け、彼女の旅仲間になることを決めた。普段は物静かで冷たい雰囲気を見に纏っている彼だが、その実、彼は彼女に最も忠実だった。そんな彼に、彼女が淡い恋心を抱き始めるようになったのはいつの頃からだろうか。そして使命のことしか考えない彼女は、その淡い感情を何というのか、わからない。
ただ、失いたくない人だった。最後まで走りぬけたいと、心の底で思った人だった。
その人物が、死ぬ。自らの身を犠牲にし、彼女をしっかりと守り切って。
『守れ、た……』
合成音声のような声。
かつては美しかったという声を奪われた彼は、特殊な魔法でしか喋れない。
槍に貫かれた腹には大穴が開き、そこから血と臓物がこぼれ出している。新しい血の臭いが彼女の鼻をつく。それは彼女の最愛の人の血の臭いだ。
槍という貫通武器がフィラ・フィアまで届かなかったのは、シルークがその身を挺して彼女を庇い、彼の有する死神蝶の協力も相まって、僅かに軌道が変わったからだ。彼と死神蝶の助けがなければ、この傷を受けていたのはフィラ・フィアだった。
彼女を庇って、彼女の最愛の人は死ぬ。
フィラ・フィアの顔に絶望が広がる。
戦神が、嗤っていた。
「なんだ、もうお終いなのか? 人間というのはかくも脆い。だから言ったであろう? 人間が神に挑むなど、愚行にすぎるとなッ!」
もうフィラ・フィアの周囲で虹色の鎖は輝かない。集中が途切れたせいで、魔法もまた一から組み直しだ。そして今の彼女にはもう、魔法を一から組み直すほどの気力など存在しない。
フィラ・フィアは神々に対する切り札なのかもしれないけれど。
逆に言えば、彼女さえ無力化すれば、神々は圧倒的優位に立てる。
神に敵う人間は確かに存在するが、彼らはとても希少なのだ。
動きを止めたフィラ・フィアを、エルステッドが叱咤する。
「諦めるなフィラ・フィアッ! まだ相手は残っているぞ? お前の使命はどうした? お前は背負っているのだろう!」
何万という、命を。
それはフィラ・フィアにもわかってはいるけれど、何故、再び舞うために身体は動かないのか。
脳裏に繰り返されるのは、彼女を庇ってシルークが倒れた、その瞬間だけ。
そしてその記憶と共のに思い出したのは、旅の途中で失った三人の仲間たちの、散り様。その最後の言葉。
失うのには慣れたはずなのに、どうして身体は動かないのか。
どうして、失った記憶ばかりが頭の中で繰り返しループするのか……。
「しっかりしろって言ってんだろ! お前がそこで腑抜けになってどうする!? これまでの俺たちの旅は何だったんだ? お前が、お前が、動かなくちゃ、さぁ……!」
エルステッドの叫びと、
「フィラ・フィア殿、いい加減になさらぬかッ!」
ヴィンセントの鋭い声。
それらを受けても、フィラ・フィアは呆けたように固まったままで。
そしてそんな彼女を見て、
戦神の赤い瞳が鋭く光る。
「動かぬのか人の子よ。仲間があれほど叫んでおるというのに? 脆いなぁ。仲間一人が死んだからと言って、そうまで魂が抜かれるか」
戦神は溜め息をついた。
「つまらぬ、全くもってつまらぬ。もっと抗ってくれればこちらもそちらを認め、折れてやらんこともないと思うておったのに、実につまらぬ。興が削げたわ。人間など、所詮はその程度か」
彼は、
「そんな人間など、」
宣言する。
「消えてしまえ」
「やめろこの腐りきった戦神ッ!」
エルステッドの悲鳴のような叫び。
その言葉とともに、
投げられた長槍。
今度は庇ってくれる相手もいない。エルステッドとヴィンセントからでは距離があり過ぎて、彼女のもとにはたどり着けない。
衝撃。
「あ……ッ」
彼女の腹を、長槍が貫く。ごぽり、口から溢れた血液、腹に感じた焼けつくような熱さ。
どこかでガラスが砕け散るような音を幻聴として聞いた。それは希望の失われる音。彼女の手にした錫杖が地に落ち、しゃらん、と音を立てた。
彼女しか、彼女しか、暗黒時代を救える人物はいなかったのに。
彼女が暗黒時代に光をもたらすと、そう、予言されていたのに。
倒れるフィラ・フィア。スローモーションに再生されたビデオの如く、ゆっくりと。鈍い音を立てて崩れ落ちた彼女の下、血飛沫が撥ねる。
「フィラ・フィア……?」
信じられないものでも見るようなエルステッドの音。
彼は大慌てで彼女に駆け寄り、その身体を抱き起こした。
大きな長槍に腹を刺し貫かれた彼女。その傷はどう見ても致命傷だった。
「嘘、だろ。予言は、さぁ。成就するはず、だったんじゃ、ないの、か」
こんな結末で終わっていいはずがない。虚ろな声で呟き、エルステッドは腕に抱えたフィラ・フィアを激しく揺する。
「目を覚ませフィラ・フィア、死ぬなフィラ・フィアッ! お前はこんなところで終わっていい人間じゃないだろう、まだ封じられていない神々もいるんだぞ!? こんなところで、こんなところでッ! 終わるような『希望の子』だったのかよお前は!? お前が死んだら、残された民はどうするというんだッ!」
必死で彼は叫んだけれど。
溢れ出る血は止まらなくて。失われゆく命は戻らなくて。
フィラ・フィアは苦痛の中で、笑った。
「ごめん、ね……」
「謝るなッ! 謝る暇があるくらいならば生きろ、生きて民の希望と——」
「無理だよ」
エルステッドの言葉を、無情にもフィラ・フィアは否定する。
その口から血が溢れ出た。エルステッドの手に付いたそれは、否が応でも彼に現実を理解させる。
フィラ・フィアは、言うのだ。
その瞳から涙が溢れ、零れ、彼女の流した血と混ざり合ってエルステッドの手を濡らした。
「わたし、さ……無理だった、の。誰かの死、耐えられると……思ってた、のに。無理だった、の。動けなく……なっちゃった、の。わたしに、は……無理だった、の、よ……」
死んじゃうのかな、死にたくないなと彼女は泣き笑いのような表情を浮かべた。
「終わるわけに、は……いかないの、に。わたし、に、は……使命が、あるの、に……」
彼女は震えた。しかし運命は無情にも、彼女から命を奪っていく。
どんどんと体温の失われていくその身体を、エルステッドはただ抱きしめていることしかできなくて。
そしてフィラ・フィアの赤の瞳から、最後の光が失われた。
「わた、し、は……」
言いかけた言葉は、途中で途切れ。
誰もその先を聞くことはできぬまま、彼女の機関は、止まった。
希望の子、フィラ・フィア・カルディアルト、戦神の神殿にて死す。
誰が、誰がそんな結末を予想しただろうか。確かに戦神は強いけれど、残された皆で協力し合えば倒せない相手ではないと、そう思っていた。戦いの果て、仲間の誰かが欠けることはあっても、要石たるフィラ・フィアが死ぬなど、誰も予想だにしていなかった。
エルステッドはフィラ・フィアの死を知りつつも、それでも彼女を揺すって必死で声を掛けていた。
縋るような声音。
「なぁ……フィラ・フィア。生きているんだろう? まだ死んじゃあいないよな? だってお前はあれほど、民の為になりたいって、世界を救うんだって、強い責任感で言っていたじゃないか。こんなところでお前は死んだりはしない。なぁ、そうだろ? なぁ!!」
けれど。
いくら身体を揺すってみても、いくら言葉を尽くして呼びかけてみても、その身体は冷たいままで。その瞼はもう、開くこともなくて。
「なぁ、起きろよ、なぁ!」
「やめろエルステッド」
それでも尚諦めきれないエルステッドに、ヴィンセントが鋭い声を投げた。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.4 )
- 日時: 2019/04/22 20:14
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「その子をそこに置け。彼女はもう死んでいるんだ。希望は失われた。いくら否定しようとしたって、それが現実だ。前を見ろ『自在の魔神』」
彼女はあえて、彼を二つ名で呼んだ。
しかしその語に飛び出た言葉は、ある意味予想できたとはいえ、とんでもないものだった。
「彼女の仇は私が取る。お前はそこで見ていろ、魔神」
言って彼女は愛用しているレイピアを、宙に浮く男に向けた。
男は哄笑し続けていた。彼は嗤っていた。世界を、人間を、哀れにも散ったフィラ・フィアの生き様を。愚かだと、間抜けだと、嘲笑っていた。
エルステッドは見る。普段は冷静なヴィンセントの瞳に、瞋恚のほむらが燃え上がっているのを。
常に誇り高く会った彼女は、主の誇りが穢されることを許せない。
「……戦神よ。フィラ・フィアは、我が主は精一杯生きたぞ」
静かな言葉に込められた憤怒。
「彼女はな、優しかったんだ。優しかったけれど、使命があったから戦わざるを得なかった。彼女は生まれた時点で過酷な運命に足を踏み入れることが決まっていた。ああ、確かに彼女は最後、仲間の死の衝撃で動けなくなっていたかもしれないが、それを愚かと言うか、間抜けと言うか? これまでもずっとずっと死の悲しみに耐え続けていた彼女の堤防が、ついに決壊した、それだけだ。その間が悪かっただけだ。それを貴様は嘲笑うか?」
一歩、踏み出す。金属製の靴が硬質な音を立てた。戦神はそんな彼女を面白がるように眺めていた。
ヴィンセントは言う、怒りを込めて。そして一抹の悔しさ、悲しみを込めて。
「私はそんな貴様を許せない。人間が足掻く様が面白いか? 争う人間が面白いか?」
止めなければならない、とエルステッドは思った。三人がかりでも倒せなかった相手なのだ。そして今は切り札である少女も失われた。彼女一人で勝てるわけがないとそう思ったから、声を掛けようとした刹那。
ヴィンセントがエルステッドを振り返った。その紅の瞳に込められた意志のあまりの強さに、エルステッドは震えてしまった。彼女は死ぬ覚悟で、それでも自分なりのけじめをつけようとして戦神に挑もうとしている。その誇り高き意志を、誰が邪魔できようか?
頷き、エルステッドは引き下がる。フィラ・フィアの遺体を腕に抱き、せめて自分だけでも生き残って、少女の遺体を父王に渡そうと、そう、小さく決意した。
ヴィンセントは戦神に言う。
「ならば私は貴様に挑もう。たとえこの命散り果てても、主君を守れなかった戦士など生きる価値なし、それは恥。ここで死ぬのも一興だ。その道連れに貴様を選んでも、文句はないだろう?」
彼女は、叫んだ。
「戦神ゼウデラッ! 『天駆ける剣神』ヴィンセント、ここに在り。私の相手をしてもらおうかッ!」
「……いいだろう、人の子よ。我に人間とは何たるか、示してみせよ」
その声と同時に、ヴィンセントは、
疾走。一気に相手の真下まで距離を詰める。跳躍。優れた身体能力を活かし、相手と同じ高さまで飛びあがる。しかし相手は空中に浮いているが、彼女にはそんな能力などない。飛び上がり様に突きだされたレイピアはあっさりとかわされ、彼女は地上に落ちていく。そんな彼女を追撃せんと、純白の獅子が迫る。
「くっそ、見てられないッ! ヴィンセント、これでも使ってろーッ! 長くは保たないぜ、早めに決着よろしくなッ!」
叫び、エルステッドは宙で右手を振った。するとそこから現れたのは、乳白色に輝く足場。しかしそれは不安定で、今にも消えてしまいそうに揺らぐ。ヴィンセントはその足場に反射的に乗ったが、すぐにそこから飛び降りた。何でだよ、とエルステッドが叫ぶと、「真剣勝負に手助けなど無用」と返された。
それにな、と彼女は言う。
「お前には生きていてもらいたいのだ、エルステッド。お前が私を手助けしたら、お前まで標的として認識されるぞ? それでも生き残れる自信はあるのか?」
う、とエルステッドは言葉を詰まらせた。
彼の生み出した乳白色の足場は、霧となって消えていく。
ヴィンセントは凛として立ち、ただ相手を睨むだけ。
「……私はな、私の流儀に、則るだけだ。そこにお前まで巻き込むわけにはいかないんだよ、エルステッド」
その言葉と同時に、疾走、跳躍。相手と同じ土俵に立とうというのか、戦神は先ほどよりも低い位置に浮いている。
「なんだ、その位置ならば好都合だなッ!」
にやり、笑ってレイピアを突き出すヴィンセント。かわされる。落下するヴィンセント。迫る白獅子。けれどすぐに態勢を立て直し、今度は獅子を攻撃する。レイピアが獅子の右腕に突き刺さった。獅子の苦痛の咆哮。すぐに剣を抜き相手に向き直る。「邪魔者など要らない。正々堂々戦え戦神」そう、ヴィンセントは笑う。
が、彼女に笑う余裕など、なかったのだ。
彼女は獅子などに気を取られず、ずっと戦神を見ていなければならなかったのだ。
生まれた一瞬の隙。それが見逃されるわけもなく。
「正々堂々など、我の辞書には存在しない」
その言葉を捨て台詞にして。
迫った長槍は、今度は腹ではなくヴィンセントの首に突き刺さり、彼女の生首を宙にはね上げた。首の断面から間欠泉のように吹きあがった血液。誇り高き戦士である彼女も、戦神の手にかかれば一瞬で無残な姿になった。
エルステッドはその様を、ずっと見ていた。目を見開いて、じっと見ていた。まるで全てを記憶しようとでもするかのように。彼女の生首は口元に笑みを湛えたままで、そんなエルステッドの足元に転がった。
「いくら強い意志をもっていたとて、所詮はその程度。やはり人間など脆い、脆すぎるわ」
戦神はエルステッドを見る。その口元には面白がるような笑み。
「……して、最後の人間。そなたは我に挑むか?」
「否」
きっぱりと、エルステッドは首を振った。
「俺は帰らなければならない。だからお前に挑む暇などない」
「……賢明だな、人間。その賢明さに免じて見逃してやろう。今日は楽しむことができたわけだし、これ以上惨劇を繰り広げる必要もない」
頷き、戦神は高く宙に浮かぶ。完全に興味が失せたようだ。
「ならば疾く失せよ人間。もう我にだって用はない」
「……ああ」
エルステッドはフィラ・フィアの遺体を抱いた。本当は他の遺体も回収したかったけれど、そんな余裕など与えてもらえそうにない。だから、せめて彼女だけは。
エルステッドは物言わぬ骸と化した“希望”を抱いて、神殿を去った。
その背は、完全に敗北者のそれだった。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.5 )
- 日時: 2019/04/24 00:22
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「……ということが、ございました」
カルジアの、王宮にて。
一人生き残ったエルステッドは、アノス王に事の顛末を話し終えた。
そうか、と王は溜め息をつく。その理知的な青の瞳の奥に閃いた感情は、落胆か絶望か。
彼は疲れたような声音で言った。
「……だが、よくやったぞエルステッド。よく生き残り、全てを伝えてくれた。お前には褒賞を与えねば……」
「とんでもございません。俺は姫君を守れなかったのです。そんな俺に褒賞など」
「いいから受け取るが良い」
問答無用、と言わんばかりの口調。
「そなたたちは英雄だ。たとえ使命を完遂できなくとも、一部の神々は封じられたことだしな。英雄には褒賞を与えねば……。いずれ吟遊詩人に歌でも作らせて、悲劇として歌わせてみようか」
そうでもしないと、その旅に意味を見いだせなくなるだろう、と彼は言う。
「中途半端に終わってしまった旅を、美談として飾るには悲劇の英雄になってもらった方が都合が良いのだ。その方が民の落胆も少なくて済むのだ。ああ、これが私のできるせいぜいのことだよ。だから文句など言わないで受け取るんだ」
「……承知、いたしました」
頷き、
「もう帰れ」
というアノス王の指示に従い、エルステッドは玉座の間を出る。
玉座の間を出て、彼は無力感に唇を噛み締めた。
守り切れなかった王女、断たれた希望。そして死んでいった仲間たち。彼だけが、「フィラ・フィアの騎士」を自称していた彼だけが、生き残った。何故か生き残ってしまった。
守るべき主を失った。そんな騎士は、今後、どうやって生きていけばいいのか。
「……語る、か」
やがて彼はそう呟いた。
「歌ではきっと脚色される。でも、俺は知っている、俺だけは知っている! あのときあの神殿で何があったか、そして俺たち七人の旅物語を。死んでいった仲間たちの、散り様を……!」
語り継ぐこと。本当の真実を語り継ぐこと。それが彼に出来る、残されたこと。
フィラ・フィアの葬儀は国葬になるらしい。エルステッドは口にこそしていないが、彼女はエルステッドの初恋の人だった。彼はその真っ直ぐな心に惹かれたのだ。
だが、その彼女ももういない。
「……さようなら、俺の『フィラちゃん』」
幼い頃の呼び名を呟いて、エルステッドはその場を去った。
◇
古の昔、英雄があったよ
荒ぶる神々封ずるために、彼女ら七人、旅立った
しかし運命の悪戯か?
悲しみの物語しか、そこにはなく
旅の果てで希望の子は死に、残ったのは、主無き騎士のみ
騎士はその後に英雄となったが、やがていずこかへと姿を消した
その後の行方は、誰も知らない
その後の彼を、誰も見ていない
——それは、遠い昔の物語——。
【前日譚 戦神の宴 完】
【第一部第一章へ続く】