複雑・ファジー小説
- Re: 魂込めのフィレル ( No.1 )
- 日時: 2019/04/18 20:55
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
【前日譚 戦神の宴】
たん、とフィラ・フィアのサンダルが石の地面を踏む。赤い眼差しは真っ直ぐに前を見つめる。
炎のように赤い髪を後ろで括ってポニーテールにし、手には鈴のジャラジャラついた銀の錫杖、服は至る所に露出の見られる踊り子のそれで、それにも鈴がたくさんついている。その目は燃え盛る炎を宿した、深紅。
「エルステッド、シルーク、ヴィンセント。準備はいい?」
彼女は振り向き、背後に声をかけた。ああ、と茶髪に青い目、どことなく気品漂う軽装の青年が頷けば、白髪白目に黒い衣装、全身におびただしいほどの白い蝶を纏わりつかせた少年が無言で頷く。二人の後ろで、「大丈夫だ」と、金髪に赤い瞳の女戦士が応答した。
フィラ・フィアは皆の反応を見て強く頷き、次の一歩を踏み出した。
目の前には血で装飾のされた、禍々しい神殿が広がっている。その入口に掛けられたあれは、供物にされた人間の生首か。
「……おぞましいところだな。長居はしたくないぞ」
凛々しい顔をしかめ、ヴィンセントが呟いた。
◇
それは三千年の昔の物語。
大陸国家シエランディア。その大陸はかつて、古王国カルジアという国に支配されていた。
カルジアの、その時代の王はアノス。優れた政治を行い、人望もあり、民からの信頼も厚く、世に聞こゆる名君と噂される、君主の鑑たる王だった。
けれどそんな王でさえも、どうにもならない問題があった。
「荒ぶる神々」。
その時代、ある神は人間を憎み、ある神は人間に興味を抱き、それぞれの方法で人間に過剰干渉した。その影響を受けて多くの人間が死に、狂わされていった。神々のせいで、人間たちの住まう地上界は大いに荒れた。いくら名君のアノス王でも、神が相手となればどうすることもできず。だから彼は彼に出来る方法で、できる限り混乱を収めていくしかなかった。シエランディアは暗黒時代に突入する。王は便宜上、地上界に災厄をもたらす神々を「荒ぶる神々」と呼ぶことにした。
そんなある日、一人の予言者が王に予言をした。
「未来、神々封ずる舞を舞う『希望の子』が、この暗黒時代を救う光となる」
彼は言ったのだ。『希望の子』ならば神々を封じられると。そして神々の放埒は終わりを告げると。アノス王はその予言に縋るしかなかった。
それから、数年。
「父さま、見て。わたしの踊り!」
生まれた少女、王女フィラ・フィアは幼い頃から舞が好きで得意だった。彼女はある日、父王に自分の踊りを披露した。その場には件の予言者も偶然おり、彼は彼女の舞を見るなり、彼女が『希望の子』であると一目で看破した。彼は慌ててそのことを王に伝えた。
予言者の口から、自分の娘が『希望の子』であることを知らされたアノス王。彼は彼女を大切に育て、大きくなったら「荒ぶる神々」を封ずる旅に出すことを決めた。彼女が育っていく間にも世界に悲哀は積み重なっていくが、彼女が大きくなるまではそれも致し方なしと彼は考えた。
父の決めた同行者五人と、旅先で出会った仲間一人、そして彼女自身で旅に出た。彼女は旅の間に三人の仲間を失ったが、三体の神々を、仲間のフォローとその舞の魔法で封じられた。仲間を失うたびに涙を流しつつも、それでも諦めずに彼女は旅を続ける。彼女の双肩には、世界の未来が掛かっているから……。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.2 )
- 日時: 2019/04/18 22:21
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「……行くわよ、みんな」
踏み出した一歩。数多の屍を、悲哀を越えて、彼女たちはここに立つ。
次に封じるのは無邪気なる戦神ゼウデラ。この神は自身の心を満たすためだけに人間たちの心に争いを植え付け、国全体を戦禍に包みこんだ。この神のせいでたくさんの人が死に、涙を流したのだ。その悲しみの輪廻は、断ち切らねばならない。
「戦神、ゼウデラ」
小さく呟き、彼女は神殿の奥に進む。
むっとするような血の臭いが彼女の鼻を刺す。この戦神への供物として、人間の血が捧げられるようになったのはここ最近の風習らしい。
たん、たん、とサンダルの音。その後を追うように、エルステッドの靴音、ヴィンセントの鉄のブーツの音が鳴り響く。シルークは足音を一切立てず、不気味な蝶を纏わりつかせながらも歩く。その姿はまるで死神のよう。
やがて。
辿り着いたのは神殿の最奥部。そこにあった祭壇には、いまだ脈打つ人間の心臓が捧げられていた。そして、
「……相当悪趣味な神様だな」
エルステッドの感想も最もだろう。
その祭壇は、人間の骨と皮で作られていたのだから。
この神殿は、人間の地と悲鳴を吸ってここに在る。そして祀られている神は戦を起こす。
——何としてでも封じなければならない。
そう、フィラ・フィアが強い決意を固めた時。
「何の用だ、人の子よ」
天上の高きところから、投げかけられた、声。
フィラ・フィアは頭上を見る。大きな神殿の高い天井付近に、赤い男が浮いていた。
頭から血を被ったような、赤いボサボサの髪。血のように赤い瞳。漆黒のマントに、幾重にも交差する漆黒のベルト。深紅のマフラーが、風もないのに揺れる。その男の傍には、翼の生えた純白の獅子が羽ばたいていた。
彼はフィラ・フィアらを見て口の端に薄い笑みを浮かべた。
「我こそゼウデラ、戦乱の鷲、争乱を好み、命を弄ぶ者。人よ、人の子よ。我に何の用があってこの地に来たか」
「お前が、ゼウデラ……!」
フィラ・フィアは喉の奥から押し殺した声を漏らした。
彼女は大きく息を吸い込み、手にした錫杖を地に突いた。しゃん、と涼やかで清浄な音が血まみれの神殿に鳴り響く。
彼女は名乗った。
「わたしはフィラ・フィア、『希望の子』。戦神ゼウデラ、あなたの度を過ぎた放埒に人間たちは苦しんでる! わたしはね、あなたを封じに来たのよ。神は神で生きて、違う種族に関わらないで!」
彼女の名乗りに、ほぅと戦神は眉を上げた。
その口元に、面白がるような笑みが浮かぶ。
「人間が、人間が! この我を封じようと? この、神たる我を! 封じようというのか!」
彼の周囲で風が渦巻く。それは争いの気配のこもった荒々しい風だった。
彼は笑った。抗う人間たちを、哄笑した。その笑い声に神殿が揺れる。
「愚かな! ああ、なんと、愚かな! 人間が神に逆らおうなどと、おこがましいにもほどがある!」
「……でも、逆らうわ」
フィラ・フィアは強い瞳で相手を睨んだ。
「わたしたちは確かに無謀な戦いをしようとしているのかも知れないけれど、」
けれど、それが使命だから、やるしかないのよ。
言葉が放たれた、刹那。
フィラ・フィアの赤い瞳と、シルークの白の瞳が交差した。
頷いたシルークの周囲で風が鳴り、彼の纏う純白の蝶が飛び立って戦神の視界を覆う。それを戦いの合図として、フィラ・フィアはステップを踏み始めた。彼女の周囲で濃密な魔力が膨れ上がっていき、虹色に輝く鎖が出現する。最初はただの光で出来ただけのようにも見えたそれは、フィラ・フィアが舞うたびに少しずつ実体を得ていく。これが完成するまでの間、他のメンバーは全身全霊で彼女を守らなければならない。彼女こそ最後の希望、彼女の代わりは他の誰にも出来ないのだから。
「小賢しい真似をッ!」
自分の視界を覆った純白の死神蝶を、戦神は腕のひと振りで蹴散らした。しかしその瞬間、隙ができたことは確かで。
「悪いが消えろッ!」
「その首、もらったッ!」
右にエルステッド、左にヴィンセント。
二人の戦士が戦神の両脇から跳躍し、肉薄し、その刃を掲げる。その瞬間、フィラ・フィアの虹色の鎖が燦然と強い光を放った。
「わたしは作るのよ。神様になんか干渉されない、人間だけの世界をッ!」
その瞳の奥で、痛いほどに燃えた意思。
仲間たちの死を越えてもなお揺るがなかった思い、強い使命感と燃える心が、彼女の瞳の奥で渦巻いた。
「そう簡単にはいかせぬッ! 神を甘く見るな人間ッ!」
が、その瞬間、弾かれた刃。
戦神自身は動いていない。ならば一体誰が二人の刃を防いだのかと見れば、戦神の前に純白の獅子が立ち塞がり、その両手の爪で相手の攻撃を受け止めているのが分かった。時間稼ぎは、失敗したようだ。
だが、フィラ・フィアの舞の魔法もあと少しで完成する。敵が速いかこちらが速いか。それだけの勝負になった。
舞い踊りながらもフィラ・フィアは叫ぶ。その額から汗がこぼれ落ちた。
「わたしこそ、言わせてもらうわ。——人間を甘く見るな神様ッ!」
そしてついに実体化した虹色の鎖。
「——封じられよ、戦神ゼウデ、」
彼女は勝利を確信した、のに。
何故、戦神は勝ち誇ったような笑みを浮かべたのか。
何故、シルークの白の瞳に、覚悟と諦めのようなものが浮かんだのか。
鋭い音を立てて鎖は弾かれる。神封じの舞の魔法のこもった、虹色の鎖は弾かれる。
立ち塞がった純白の獅子。その爪に鎖が巻きついた。しかしそれは封じる対象ではなくて。
戦神の勝ち誇った笑み。背筋を這いあがった悪寒と嫌な予感。
『フィラ・フィアッ!』
人工音声のような、どこか不自然な声。
「……ラ?」
彼女の目の前で、誰かが倒れる。
赤い血飛沫が彼女の顔に掛かった。
白い姿が赤く染まる。血に濡れた蝶が飛び立った。
フィラ・フィアは固まった。目の前で起きた現実を、信じたくはなかった。
戦神の哄笑が響き渡る。
「ハ、ハハ、ハッハハハッ! 愉快、実に愉快! これが人間種族の自己犠牲という奴か? 踊り子を狙って攻撃したのに、白の死神が庇ったか! 実に面白い! 面白いものを我は見たぞ!」
その言葉の、意味。
戦神の右腕には、いつの間にか鋭い長槍が握られており、その先端は血に染まって赤く濡れていた。
フィラ・フィアの喉から絶叫が洩れる。
「シルーク————ッ!」
- Re: 魂込めのフィレル ( No.3 )
- 日時: 2019/04/20 19:27
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
昔、彼女の兄であり王位継承者でもあったテウィルを殺したシルークは、罪を償うためにフィラ・フィアを助け、彼女の旅仲間になることを決めた。普段は物静かで冷たい雰囲気を見に纏っている彼だが、その実、彼は彼女に最も忠実だった。そんな彼に、彼女が淡い恋心を抱き始めるようになったのはいつの頃からだろうか。そして使命のことしか考えない彼女は、その淡い感情を何というのか、わからない。
ただ、失いたくない人だった。最後まで走りぬけたいと、心の底で思った人だった。
その人物が、死ぬ。自らの身を犠牲にし、彼女をしっかりと守り切って。
『守れ、た……』
合成音声のような声。
かつては美しかったという声を奪われた彼は、特殊な魔法でしか喋れない。
槍に貫かれた腹には大穴が開き、そこから血と臓物がこぼれ出している。新しい血の臭いが彼女の鼻をつく。それは彼女の最愛の人の血の臭いだ。
槍という貫通武器がフィラ・フィアまで届かなかったのは、シルークがその身を挺して彼女を庇い、彼の有する死神蝶の協力も相まって、僅かに軌道が変わったからだ。彼と死神蝶の助けがなければ、この傷を受けていたのはフィラ・フィアだった。
彼女を庇って、彼女の最愛の人は死ぬ。
フィラ・フィアの顔に絶望が広がる。
戦神が、嗤っていた。
「なんだ、もうお終いなのか? 人間というのはかくも脆い。だから言ったであろう? 人間が神に挑むなど、愚行にすぎるとなッ!」
もうフィラ・フィアの周囲で虹色の鎖は輝かない。集中が途切れたせいで、魔法もまた一から組み直しだ。そして今の彼女にはもう、魔法を一から組み直すほどの気力など存在しない。
フィラ・フィアは神々に対する切り札なのかもしれないけれど。
逆に言えば、彼女さえ無力化すれば、神々は圧倒的優位に立てる。
神に敵う人間は確かに存在するが、彼らはとても希少なのだ。
動きを止めたフィラ・フィアを、エルステッドが叱咤する。
「諦めるなフィラ・フィアッ! まだ相手は残っているぞ? お前の使命はどうした? お前は背負っているのだろう!」
何万という、命を。
それはフィラ・フィアにもわかってはいるけれど、何故、再び舞うために身体は動かないのか。
脳裏に繰り返されるのは、彼女を庇ってシルークが倒れた、その瞬間だけ。
そしてその記憶と共のに思い出したのは、旅の途中で失った三人の仲間たちの、散り様。その最後の言葉。
失うのには慣れたはずなのに、どうして身体は動かないのか。
どうして、失った記憶ばかりが頭の中で繰り返しループするのか……。
「しっかりしろって言ってんだろ! お前がそこで腑抜けになってどうする!? これまでの俺たちの旅は何だったんだ? お前が、お前が、動かなくちゃ、さぁ……!」
エルステッドの叫びと、
「フィラ・フィア殿、いい加減になさらぬかッ!」
ヴィンセントの鋭い声。
それらを受けても、フィラ・フィアは呆けたように固まったままで。
そしてそんな彼女を見て、
戦神の赤い瞳が鋭く光る。
「動かぬのか人の子よ。仲間があれほど叫んでおるというのに? 脆いなぁ。仲間一人が死んだからと言って、そうまで魂が抜かれるか」
戦神は溜め息をついた。
「つまらぬ、全くもってつまらぬ。もっと抗ってくれればこちらもそちらを認め、折れてやらんこともないと思うておったのに、実につまらぬ。興が削げたわ。人間など、所詮はその程度か」
彼は、
「そんな人間など、」
宣言する。
「消えてしまえ」
「やめろこの腐りきった戦神ッ!」
エルステッドの悲鳴のような叫び。
その言葉とともに、
投げられた長槍。
今度は庇ってくれる相手もいない。エルステッドとヴィンセントからでは距離があり過ぎて、彼女のもとにはたどり着けない。
衝撃。
「あ……ッ」
彼女の腹を、長槍が貫く。ごぽり、口から溢れた血液、腹に感じた焼けつくような熱さ。
どこかでガラスが砕け散るような音を幻聴として聞いた。それは希望の失われる音。彼女の手にした錫杖が地に落ち、しゃらん、と音を立てた。
彼女しか、彼女しか、暗黒時代を救える人物はいなかったのに。
彼女が暗黒時代に光をもたらすと、そう、予言されていたのに。
倒れるフィラ・フィア。スローモーションに再生されたビデオの如く、ゆっくりと。鈍い音を立てて崩れ落ちた彼女の下、血飛沫が撥ねる。
「フィラ・フィア……?」
信じられないものでも見るようなエルステッドの音。
彼は大慌てで彼女に駆け寄り、その身体を抱き起こした。
大きな長槍に腹を刺し貫かれた彼女。その傷はどう見ても致命傷だった。
「嘘、だろ。予言は、さぁ。成就するはず、だったんじゃ、ないの、か」
こんな結末で終わっていいはずがない。虚ろな声で呟き、エルステッドは腕に抱えたフィラ・フィアを激しく揺する。
「目を覚ませフィラ・フィア、死ぬなフィラ・フィアッ! お前はこんなところで終わっていい人間じゃないだろう、まだ封じられていない神々もいるんだぞ!? こんなところで、こんなところでッ! 終わるような『希望の子』だったのかよお前は!? お前が死んだら、残された民はどうするというんだッ!」
必死で彼は叫んだけれど。
溢れ出る血は止まらなくて。失われゆく命は戻らなくて。
フィラ・フィアは苦痛の中で、笑った。
「ごめん、ね……」
「謝るなッ! 謝る暇があるくらいならば生きろ、生きて民の希望と——」
「無理だよ」
エルステッドの言葉を、無情にもフィラ・フィアは否定する。
その口から血が溢れ出た。エルステッドの手に付いたそれは、否が応でも彼に現実を理解させる。
フィラ・フィアは、言うのだ。
その瞳から涙が溢れ、零れ、彼女の流した血と混ざり合ってエルステッドの手を濡らした。
「わたし、さ……無理だった、の。誰かの死、耐えられると……思ってた、のに。無理だった、の。動けなく……なっちゃった、の。わたしに、は……無理だった、の、よ……」
死んじゃうのかな、死にたくないなと彼女は泣き笑いのような表情を浮かべた。
「終わるわけに、は……いかないの、に。わたし、に、は……使命が、あるの、に……」
彼女は震えた。しかし運命は無情にも、彼女から命を奪っていく。
どんどんと体温の失われていくその身体を、エルステッドはただ抱きしめていることしかできなくて。
そしてフィラ・フィアの赤の瞳から、最後の光が失われた。
「わた、し、は……」
言いかけた言葉は、途中で途切れ。
誰もその先を聞くことはできぬまま、彼女の機関は、止まった。
希望の子、フィラ・フィア・カルディアルト、戦神の神殿にて死す。
誰が、誰がそんな結末を予想しただろうか。確かに戦神は強いけれど、残された皆で協力し合えば倒せない相手ではないと、そう思っていた。戦いの果て、仲間の誰かが欠けることはあっても、要石たるフィラ・フィアが死ぬなど、誰も予想だにしていなかった。
エルステッドはフィラ・フィアの死を知りつつも、それでも彼女を揺すって必死で声を掛けていた。
縋るような声音。
「なぁ……フィラ・フィア。生きているんだろう? まだ死んじゃあいないよな? だってお前はあれほど、民の為になりたいって、世界を救うんだって、強い責任感で言っていたじゃないか。こんなところでお前は死んだりはしない。なぁ、そうだろ? なぁ!!」
けれど。
いくら身体を揺すってみても、いくら言葉を尽くして呼びかけてみても、その身体は冷たいままで。その瞼はもう、開くこともなくて。
「なぁ、起きろよ、なぁ!」
「やめろエルステッド」
それでも尚諦めきれないエルステッドに、ヴィンセントが鋭い声を投げた。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.4 )
- 日時: 2019/04/22 20:14
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「その子をそこに置け。彼女はもう死んでいるんだ。希望は失われた。いくら否定しようとしたって、それが現実だ。前を見ろ『自在の魔神』」
彼女はあえて、彼を二つ名で呼んだ。
しかしその語に飛び出た言葉は、ある意味予想できたとはいえ、とんでもないものだった。
「彼女の仇は私が取る。お前はそこで見ていろ、魔神」
言って彼女は愛用しているレイピアを、宙に浮く男に向けた。
男は哄笑し続けていた。彼は嗤っていた。世界を、人間を、哀れにも散ったフィラ・フィアの生き様を。愚かだと、間抜けだと、嘲笑っていた。
エルステッドは見る。普段は冷静なヴィンセントの瞳に、瞋恚のほむらが燃え上がっているのを。
常に誇り高く会った彼女は、主の誇りが穢されることを許せない。
「……戦神よ。フィラ・フィアは、我が主は精一杯生きたぞ」
静かな言葉に込められた憤怒。
「彼女はな、優しかったんだ。優しかったけれど、使命があったから戦わざるを得なかった。彼女は生まれた時点で過酷な運命に足を踏み入れることが決まっていた。ああ、確かに彼女は最後、仲間の死の衝撃で動けなくなっていたかもしれないが、それを愚かと言うか、間抜けと言うか? これまでもずっとずっと死の悲しみに耐え続けていた彼女の堤防が、ついに決壊した、それだけだ。その間が悪かっただけだ。それを貴様は嘲笑うか?」
一歩、踏み出す。金属製の靴が硬質な音を立てた。戦神はそんな彼女を面白がるように眺めていた。
ヴィンセントは言う、怒りを込めて。そして一抹の悔しさ、悲しみを込めて。
「私はそんな貴様を許せない。人間が足掻く様が面白いか? 争う人間が面白いか?」
止めなければならない、とエルステッドは思った。三人がかりでも倒せなかった相手なのだ。そして今は切り札である少女も失われた。彼女一人で勝てるわけがないとそう思ったから、声を掛けようとした刹那。
ヴィンセントがエルステッドを振り返った。その紅の瞳に込められた意志のあまりの強さに、エルステッドは震えてしまった。彼女は死ぬ覚悟で、それでも自分なりのけじめをつけようとして戦神に挑もうとしている。その誇り高き意志を、誰が邪魔できようか?
頷き、エルステッドは引き下がる。フィラ・フィアの遺体を腕に抱き、せめて自分だけでも生き残って、少女の遺体を父王に渡そうと、そう、小さく決意した。
ヴィンセントは戦神に言う。
「ならば私は貴様に挑もう。たとえこの命散り果てても、主君を守れなかった戦士など生きる価値なし、それは恥。ここで死ぬのも一興だ。その道連れに貴様を選んでも、文句はないだろう?」
彼女は、叫んだ。
「戦神ゼウデラッ! 『天駆ける剣神』ヴィンセント、ここに在り。私の相手をしてもらおうかッ!」
「……いいだろう、人の子よ。我に人間とは何たるか、示してみせよ」
その声と同時に、ヴィンセントは、
疾走。一気に相手の真下まで距離を詰める。跳躍。優れた身体能力を活かし、相手と同じ高さまで飛びあがる。しかし相手は空中に浮いているが、彼女にはそんな能力などない。飛び上がり様に突きだされたレイピアはあっさりとかわされ、彼女は地上に落ちていく。そんな彼女を追撃せんと、純白の獅子が迫る。
「くっそ、見てられないッ! ヴィンセント、これでも使ってろーッ! 長くは保たないぜ、早めに決着よろしくなッ!」
叫び、エルステッドは宙で右手を振った。するとそこから現れたのは、乳白色に輝く足場。しかしそれは不安定で、今にも消えてしまいそうに揺らぐ。ヴィンセントはその足場に反射的に乗ったが、すぐにそこから飛び降りた。何でだよ、とエルステッドが叫ぶと、「真剣勝負に手助けなど無用」と返された。
それにな、と彼女は言う。
「お前には生きていてもらいたいのだ、エルステッド。お前が私を手助けしたら、お前まで標的として認識されるぞ? それでも生き残れる自信はあるのか?」
う、とエルステッドは言葉を詰まらせた。
彼の生み出した乳白色の足場は、霧となって消えていく。
ヴィンセントは凛として立ち、ただ相手を睨むだけ。
「……私はな、私の流儀に、則るだけだ。そこにお前まで巻き込むわけにはいかないんだよ、エルステッド」
その言葉と同時に、疾走、跳躍。相手と同じ土俵に立とうというのか、戦神は先ほどよりも低い位置に浮いている。
「なんだ、その位置ならば好都合だなッ!」
にやり、笑ってレイピアを突き出すヴィンセント。かわされる。落下するヴィンセント。迫る白獅子。けれどすぐに態勢を立て直し、今度は獅子を攻撃する。レイピアが獅子の右腕に突き刺さった。獅子の苦痛の咆哮。すぐに剣を抜き相手に向き直る。「邪魔者など要らない。正々堂々戦え戦神」そう、ヴィンセントは笑う。
が、彼女に笑う余裕など、なかったのだ。
彼女は獅子などに気を取られず、ずっと戦神を見ていなければならなかったのだ。
生まれた一瞬の隙。それが見逃されるわけもなく。
「正々堂々など、我の辞書には存在しない」
その言葉を捨て台詞にして。
迫った長槍は、今度は腹ではなくヴィンセントの首に突き刺さり、彼女の生首を宙にはね上げた。首の断面から間欠泉のように吹きあがった血液。誇り高き戦士である彼女も、戦神の手にかかれば一瞬で無残な姿になった。
エルステッドはその様を、ずっと見ていた。目を見開いて、じっと見ていた。まるで全てを記憶しようとでもするかのように。彼女の生首は口元に笑みを湛えたままで、そんなエルステッドの足元に転がった。
「いくら強い意志をもっていたとて、所詮はその程度。やはり人間など脆い、脆すぎるわ」
戦神はエルステッドを見る。その口元には面白がるような笑み。
「……して、最後の人間。そなたは我に挑むか?」
「否」
きっぱりと、エルステッドは首を振った。
「俺は帰らなければならない。だからお前に挑む暇などない」
「……賢明だな、人間。その賢明さに免じて見逃してやろう。今日は楽しむことができたわけだし、これ以上惨劇を繰り広げる必要もない」
頷き、戦神は高く宙に浮かぶ。完全に興味が失せたようだ。
「ならば疾く失せよ人間。もう我にだって用はない」
「……ああ」
エルステッドはフィラ・フィアの遺体を抱いた。本当は他の遺体も回収したかったけれど、そんな余裕など与えてもらえそうにない。だから、せめて彼女だけは。
エルステッドは物言わぬ骸と化した“希望”を抱いて、神殿を去った。
その背は、完全に敗北者のそれだった。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.5 )
- 日時: 2019/04/24 00:22
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「……ということが、ございました」
カルジアの、王宮にて。
一人生き残ったエルステッドは、アノス王に事の顛末を話し終えた。
そうか、と王は溜め息をつく。その理知的な青の瞳の奥に閃いた感情は、落胆か絶望か。
彼は疲れたような声音で言った。
「……だが、よくやったぞエルステッド。よく生き残り、全てを伝えてくれた。お前には褒賞を与えねば……」
「とんでもございません。俺は姫君を守れなかったのです。そんな俺に褒賞など」
「いいから受け取るが良い」
問答無用、と言わんばかりの口調。
「そなたたちは英雄だ。たとえ使命を完遂できなくとも、一部の神々は封じられたことだしな。英雄には褒賞を与えねば……。いずれ吟遊詩人に歌でも作らせて、悲劇として歌わせてみようか」
そうでもしないと、その旅に意味を見いだせなくなるだろう、と彼は言う。
「中途半端に終わってしまった旅を、美談として飾るには悲劇の英雄になってもらった方が都合が良いのだ。その方が民の落胆も少なくて済むのだ。ああ、これが私のできるせいぜいのことだよ。だから文句など言わないで受け取るんだ」
「……承知、いたしました」
頷き、
「もう帰れ」
というアノス王の指示に従い、エルステッドは玉座の間を出る。
玉座の間を出て、彼は無力感に唇を噛み締めた。
守り切れなかった王女、断たれた希望。そして死んでいった仲間たち。彼だけが、「フィラ・フィアの騎士」を自称していた彼だけが、生き残った。何故か生き残ってしまった。
守るべき主を失った。そんな騎士は、今後、どうやって生きていけばいいのか。
「……語る、か」
やがて彼はそう呟いた。
「歌ではきっと脚色される。でも、俺は知っている、俺だけは知っている! あのときあの神殿で何があったか、そして俺たち七人の旅物語を。死んでいった仲間たちの、散り様を……!」
語り継ぐこと。本当の真実を語り継ぐこと。それが彼に出来る、残されたこと。
フィラ・フィアの葬儀は国葬になるらしい。エルステッドは口にこそしていないが、彼女はエルステッドの初恋の人だった。彼はその真っ直ぐな心に惹かれたのだ。
だが、その彼女ももういない。
「……さようなら、俺の『フィラちゃん』」
幼い頃の呼び名を呟いて、エルステッドはその場を去った。
◇
古の昔、英雄があったよ
荒ぶる神々封ずるために、彼女ら七人、旅立った
しかし運命の悪戯か?
悲しみの物語しか、そこにはなく
旅の果てで希望の子は死に、残ったのは、主無き騎士のみ
騎士はその後に英雄となったが、やがていずこかへと姿を消した
その後の行方は、誰も知らない
その後の彼を、誰も見ていない
——それは、遠い昔の物語——。
【前日譚 戦神の宴 完】
【第一部第一章へ続く】
- Re: 魂込めのフィレル ( No.6 )
- 日時: 2019/04/26 07:27
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
【第一部 旅立ちのイグニシィン】
【第一章 イグニシィンの問題児】
「わぁわぁ逃げろ逃げろーっ!」
「おいコラ待て、走り回るなーっ!」
逃げ回る茶髪の少年を、呆れたように黒髪の少年が追いかけ回す。
イグニシィン城は今日も平和だ。いつも通りの風景の中、あっはっはと茶髪の青年が笑い声を上げる。
そんな青年に、黒髪の少年は文句を垂れた。
「ファレル様も笑ってないで、弟の教育くらいしっかりして下さいよっ!」
「無邪気なのはいいことじゃないか。うん、子供はそれくらい元気にしていないとね」
「ファレル様はあいつに甘すぎますっ!」
憤慨する黒髪の少年を見て、青年は面白そうに笑う。
そんな二人を眺め、茶髪の少年は元気よく飛び跳ねた。
「やっほぅ、兄さんはそれでいいって言ってるよ! だからロアもそんなに怒っちゃ駄目なんだよーっ!」
「……何だろう。フィレル、貴様に言われるとすっごく腹立つのだが」
ロアは、この日何度目かになる溜め息をついた。
大陸国家シエランディアの辺境に、イグニシィンという土地がある。そこを代々治めるのがイグニシィン家で、ファレルはイグニシィンの領主、フィレルはその弟にあたる。ロアは城の前に倒れていたのをファレルが拾い、以来、イグニシィンの一員としてこの城に住まうことになった。
かつてはイグニシィンもそれなりの貴族の家だったらしい。正確に言えば三千年前の英雄の、その子孫の家である。けれどここ三百年ずっと起きている戦乱のせいで少しずつ勢力を失っていき、今は「落ち目のイグニシィン家」と呼ばれるほどの貧乏っぷり、城を保つために働いているメイドもたった二人になり果てた。
隆盛を誇っていた時代に小さかった城は大きく改築されたが、衰退の一途をたどっていくうちに城のあちこちが崩れ落ち、今まともに人が住めるのは、一部の生活空間だけという有様。二人のメイドも、たった二人だけではこの広すぎる城を維持することなどできず、辛うじて城の住人に必要最低限の世話だけをする、という事態に。そんな彼女らに貧乏領主ファレルはなけなしのお金を払って、辛うじて城に留まってもらっている。広かった領土も今や猫の額ほどになってしまい、そこからは大した収益など望めやしない。
そんな「落ち目のイグニシィン家」だけれど、漂う空気は意外にも明るく、楽しげだ。イグニシィンの次男坊フィレルは明るく無邪気な性格で、頻繁に問題を起こす割には可愛がられていた。その明るさや無邪気さによって、城の中にまで彼の楽しげな空気が伝わってくるのだ。だからこの次男坊のことを、悪く言う人物は少なかった。
その数少ない例外の一人がロアである。戦災に巻き込まれて孤児となり、記憶を無くし、ファレルに拾われ、ファレルに忠誠を誓うようになったこの少年は、なんとフィレルのお目付け役に任命された。ファレルの命令なので当然逆らうわけがないロアだったが、お目付け役となった初日でフィレルの腕白ぶりに閉口することになった。家の中を走り回っては花瓶を倒し水をぶちまけ、町を走り回っては何か問題を起こして人や動物に追いかけられ、泥まみれで帰ってくる。それでロアに怒られればその日はしゅんとしてこそいるが、次の日にはまた同じことをやっている。極めつけは、彼の生まれ持った天才的魔法の才、「絵心師」であった。
「ねぇねぇ、ロア! 僕ってば、すごいんだよーっ!」
そう言って、訝しがるロアの前で絵を描いてみせた十歳のフィレル。彼は絵の具と絵筆を巧みに使い、キャンバスに瞬く間につやつやと美味しそうなリンゴを描いてみせた。それだけでも大したものだとロアは感心したが、それだけでは終わらなかった。
フィレルはキャンバスに描いたリンゴに手を触れた。悪戯っぽい緑の瞳がきらきらと輝く。
そして、その次の瞬間。
キャンバスが光を放ち、描かれた絵が実体化したのだ。
先程までリンゴの絵が描かれていたキャンバスは真っ白になり、その上には描かれた通りの、つやつやした美味しそうなリンゴが現れていたのだ。
驚きとともに、ロアは問うた。
「……これ、本物か?」
「もっちろーん! 疑うならば食べてみなよ。おいしいよーっ!」
笑ったフィレル。
半信半疑で、ロアはリンゴを手に取りかぶりつく。リンゴの果汁が彼の顎を垂れた。
彼は目を見開いて、フィレルを見た。
「どう? おいしい?」
にこにこと笑うフィレルに、
「……うまい」
ロアは目を見開いたまま、そう答えたのだった。
以来、フィレルはこの力を自由に使い、様々なことをしでかすようになる。
わかったのは、彼は自分の描いた絵を実体化するが、自分ではない誰かの描いた絵や、印刷物ですら実体化できるということ。そして彼が絵を実体化させると、実体化させた対象があった部分は真っ白になり、残された絵は一部分がまるで穴でも空いたかの様に真っ白になること。そして当然、そうなってしまった絵に絵としての価値などなくなる。フィレルは城にある絵画から勝手に絵を取り出してあちこち“白く”し、流石のファレルもそれにたまりかねて、フィレルを叱ったものだった。貴重な絵もあるのだ、当然のことだろう。
家で怒られてもフィレルはめげない。すると今度は町に出かけて、食べ物屋の看板を“白く”する。そして気づいた人に怒られて追いかけられる。一応謝るが反省はしない。そんな毎日の繰り返しだった。
そんなフィレルに武術を教え、勉強を教えるロアの苦労は計り知れない。ロアは一部記憶喪失だったが、武術の才と勉学はあった。彼はファレルにお願いされてフィレルにそれらを教えていったが、それのなんと難しいこと! 教えられている時に勝手に船を漕ぎだす、隙を見てすぐに逃げ出す、武術の為の木剣を渡せば、気が付いたらそれを持って鶏を追い掛けて笑っている。その腕白さにロアは辟易した。だが、恩人の頼みとあっては断るわけにもいかず。
「……オレの教えたことが、全て馬の耳に念仏状態になっている気がするのだが」
ロアの言葉も最もであろう。
さてさてそんなフィレルであったが、絵の才能だけは文句なしにうまかった。彼は問題を起こすと必ず自分の描いた絵をお詫びに差し出した。それのクオリティたるや、本物かと見まごうほどである。絵を台無しにされた人はそれを見て、フィレルへの怒りを治めるのであった。
ロアはフィレルに歴史も教えた。フィレルは普段、ロアの授業などまるで聞いていないのである。けれど一つだけ、よく聞いていた話があった。それは三千年前の英雄の話だった。
物語の名は、「封神綺譚」。神々を封じるために旅立ち、旅の果てに命を散らした王女と六人の仲間の物語。それはあまりにも悲しい結末で終わり、シエランディア歳大の英雄譚にして最大の悲劇として知られている。その話をロアがした時、フィレルは珍しく真面目に聞いていた。
話が終わった後、ぽつりと呟かれた一言。
「……王女さまは、幸せだったのかなぁ」
その言葉が、印象的だったとロアは思った。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.7 )
- 日時: 2019/04/28 23:18
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
そして変わらぬ毎日が今日も訪れる。フィレルの足音で城中が目を覚まし、騒がしく一日が始まる。
「ハッピーバースデートゥーミー、生まれて良かったぁ!」
その日はフィレルの誕生日だった。彼は「これで好きな物を買っておいで」とファレルにお金を渡されて、にこにこ笑って出かけていった。大喜びで飛び跳ねるフィレルを「待てよ、待てったら!」と必死で追いかける。ロアの苦労人っぷりも板についてきた。
「やったやったぁ、何買おう、何買おう?」
「散財し過ぎるなよ? もらったお金だからって全部使い切るなよ?」
「いーじゃん、いーじゃん。僕の誕生日だし、別にいーじゃん!」
「…………」
ロアは、自分が財布を持っていて良かったと心の底から思った。
フィレルは元気よく飛び跳ねる。その無邪気な姿を見、領民たちはにこにこと笑う。この厳しい世界にあっても、いつもいつだって笑っているフィレルは、確かに皆の心を明るくした。今日がフィレルの誕生日だと思いだした領民たちは、フィレルに何かプレゼントしようとあちこち家を探しまわる。間もなく、ロアの腕はフィレルへのプレゼントでいっぱいになった。フィレルは大はしゃぎしながらも食べ歩きをしたり、怪しい変な物を買おうとしてロアに引っぱたかれたりした。
そんなこんなでいつの間にか渡されたお金も残り少なくなり、ロアの合図でフィレルらは帰ることになった。名残惜しげなフィレルにロアは言う。
「……長時間、ファレル様を一人にするつもりか?」
「あ……それは嫌だぁ」
ロアの言葉に頷いたフィレル。兄の話題を出すと素直である。
フィレルの兄ファレルは心優しい領主さま。しかし彼は病弱で、城の中からは滅多に出てこない。城の中でこそ割と気ままに歩いているけれど、余程のことでもない限り外へは出ない。昔は違ったのになぁとフィレルが寂しそうな顔をして、ごめんよと困ったような顔を浮かべていたファレルを、ロアは見たことがある。
二人して歩いて、城に帰る。城の門の前、門番はいない。門番さえ雇う余裕がない貧乏貴族。メイドを雇うだけでも精一杯だ。何かあった場合、武術の心得のあるロアが皆を守る。
ロアは記憶喪失だ。戦災孤児らしく、イグニシィンの城の前に倒れていたところをファレルに拾われ、やがて家族として迎えられるようになった。そんな彼には、ファレルに拾われる前の記憶がない。「……何か、絶対に忘れてはならないことを忘れている気がする。そして自分が最も大切にしていた存在を、誰かによって殺された気がする。胸の内には喪失感が巣食っているんだ」と彼は語ったが、その過去はいまだ謎に包まれたままである。そしてその過去を明らかにして良いのか、それはわからない。ロアは己の過去を解き明かすことを望んでいたが、ファレルはそれに否定的だった。
「ただいまぁ」
「ただいま」
二人して大扉を開け、城の中に入る。
帰ってきた二人を、茶髪に桃色の瞳をした、メイド服の少女が出迎えた。城に二人いるメイド、リフィア&エイルのリフィアの方だ。エイルは青い髪に赤い瞳という、異様な外見を持つ。
リフィアはくりくりした目を悪戯っぽく輝かせてロアに話しかけた。
「お帰りなさーい。……って、ロア、またまた荷物持ちぃ? いつも大変ねぇ」
「余計な御世話だ。リフィア、たまにはオレと代わってくれないか? コイツのお守りは本当に疲れる」
「あたしは別に構わないけれど、ロアには代わりに家事やってもらうことになるわよ。家事なんてやったことのないロアにあたしの代わりが務まるのかしら?」
「……やれやれ」
ロアは溜め息をついた。
リフィアと呼ばれたメイド服の少女は勝気な笑みを浮かべる。
「そんなわけで、ロアはずっとフィレルのお守りね。
そしてフィレルーっ! お誕生日、おっめでとーっ!」
彼女が笑いかければ、うん、と元気よくフィレルは頷く。
「リフィアもありがとーっ! あのね、後でね、兄さんとお話しするんだよーっ!」
笑いながらもフィレルは城の正面階段を駆け上がる。そこを進めば彼の部屋にたどり着く。そんな様を眺めつつ、ロアは持たされた荷物を置きに、リフィアに別れを告げてからゆっくりと動き出した。
正面階段を上ると、階段は途中で左右に分かれる。その回廊には「封神綺譚」に出てくる伝説的な人物たちの絵画が飾ってある。実はイグニシィン家は「封神綺譚」の七雄の一人レ・ラウィの子孫であり、その関係で、「封神綺譚」関係のものが数多くあるのだ。
飾ってある絵画は、レ・ラウィの息子ラキが、エルステッドから話を聞いて描いたものらしい。彼は伝説の時代には生きておらず、話だけを聞くしかなかった。けれど話を聞いただけで、本物そっくりの絵を描き出した。フィレルの絵の才能はラキから来たのかもねといつしかファレルが話していたこともある。
英雄の、子孫。
七雄の内、唯一子を遺していた英雄レ・ラウィの子孫。
それがイグニシィンの正体なのだ。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.8 )
- 日時: 2019/04/30 09:56
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
飾られた絵を遠目で見つつ、ロアは階段へ歩を進めようとした、
時。
彼は見てしまった。
飾られたフィラ・フィアの絵。美しい王女の絵に、フィレルがその手を伸ばしているのを。
フィレルの手は魔法の手、描かれた絵を実体化させる奇跡の手。その手が目の前の人物画に伸ばされている、意味。
それに気が付いたロアは戦慄した。——フィレルは禁忌を犯そうとしている。
「やめろこの馬鹿ッ!」
叫び、荷物を放り出してフィレルを止めようとしたが時既に遅く。
フィレルが触れた絵画が、虹色の輝きを放った。
その瞬間、飛んできた衝撃波。「フィレルッ!」叫び、ロアは咄嗟にフィレルを庇うように抱きしめて、代わりにしたたかに地面に背中をぶつけた。「わわわっ、ロア、大丈夫!?」と慌てたようなフィレルの声。「問題ない」答え服の埃を払ってから立ち上がる。
虹色の光。輝いた絵画。その光がおさまった時、絵画の目の前に立っていたのは、
「わぁ、ほんとーにいたんだねっ!」
「……嘘、だろ?」
古の王女、悲劇の英雄、『崇高たる舞神』フィラ・フィアだった。
彼女の肖像画は、彼女の絵があった場所だけ、異様な空白を晒している。
そして目の前に立っていたのは、右手に鈴の付いた錫杖を握った、本物の、
「——フィラ・フィア?」
「そう、それがわたしの名前」
目の前に立つ、踊り子風の衣装を身に纏った少女は頷いた。
彼女は手に握った錫杖をしゃんと鳴らす。
「知りたいの。ここはどこ? 今はいつ? わたしは死んだわ、確かに死んだの。なのにどうして生きているの。わたしは生まれ変わったの? 何が起こっているの? ああ、全然わからないわ」
ロアはかつてないほど厳しい顔で、フィレルを睨んだ。
「……貴様、禁忌を犯したな」
絵心師は描かれたものを取り出して、現実世界に召喚することができる。そんな絵心師には、絶対に犯してはならない禁忌があった。それは、人物を取り出すこと。
人物を取り出して、もしもその人物が実在の人物であり、今も生きているとするならば対象は、自身を取り出した絵心師のもとへ自動的にワープする。対象がもしも死者である場合は、死んだはずの者が復活するという異常現象が起こる。ただ、取り出した対象が架空の人物である場合は何も起こらないだけで無害なのだが……。
現実。絵画から取り出された古の王女フィラ・フィアは、今こうして目の前で喋り、生きているのだ。
それは、フィレルが禁忌を犯した証拠。
フィレルは困ったような顔をして、目の前の王女に手を差し出した。
「えーとねぇ、初めまして? 僕はフィレルぅ! 絵心師っていうさ、すごい特殊魔導士なのね。よっろしくぅ!」
「……フィラ・フィア・カルディアルトよ。ところで、どなたか状況を説明してくれないかしら? シルークは? エルステッドは? ヴィンセントは? レ・ラウィは? ユーリオとユレイオの双子は? みんな何処に行ったの? どうして私だけが生きているの」
混乱する王女を見て、ロアは溜め息をついて答えた。
「……王女よ。絵心師って知っているか?」
ロアの質問に、フィラ・フィアは頷いた。
「少しなら聞いたことがあるわ。描いた絵を実体化させる特殊魔導士。自分の描いた絵だけでなく、他人の描いた絵や印刷物まで実体化させる。それがどうしたのかしら?」
「……このフィレルがその絵心師だ。それでだな、王女。あなたの絵はちょうど……」
言いかけて、彼は一部が異様に白くなった、肖像画だったものを指し示した。
「ここにあった。つまりは……」
「わたしはこの絵に描かれていた。それをこの少年が取り出した。それで解釈は合っているの? それって禁忌なんじゃないの?」
頷いたが、彼女は納得のいかない顔だ。
ああ、とロアは答える。
「それで合っている。でも、禁忌すら堂々と破るのがこのフィレルという奴なんだ……」
頭が痛いぜ、と彼が呟いた時。
「どうしたんだい? みんな集まって。……おや、その女の子は?」
優しい碧の瞳に不思議そうな表情を浮かべて、イグニシィンの当主、ファレル・イグニシィンが現れた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.9 )
- 日時: 2019/05/02 05:43
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「……成程、ねぇ。ふーん、そういうこと」
話を聞いて、彼は大きなため息をついた。
「そもそも聞きたいんだけれどさ。フィレル、君はどうしていきなり禁忌を犯したんだい」
彼の碧の瞳は優しいけれど、それは笑ってはいなかった。
兄を見てフィレルはしゅんとうなだれる。
「あのね、ロアの話してくれた物語、とっても面白かったんだ。それでね、もしも彼女たちが実在するならば直接会ってみたいなって」
「……下らない好奇心で、あなたはわたしを呼び起こしたの。へー、そういうこと」
フィラ・フィアは三白眼でフィレルを睨む。
フィレルは困った顔をして、兄の後ろに隠れた。しかしファレルはそれを許さず、さっとその場から退いてしまう。途方に暮れたような顔のフィレルの頭をロアが小突き、フィレルはまたまたうなだれる。
「後悔するようならば、最初からしなければいいものを」
ロアの言葉も最もであったが。
フィラ・フィアは皆に問う。
「状況整理するわ。今はわたしが神々を封じていた時代からかなりの時が経ち、わたしたちのことは伝説として語り継がれているレベル。わたしの時代に生きていた人たちはとうの昔に骨となり、今はもう誰もいない。わたしの六人の仲間——記憶にある限り、わたしが死ぬ前までには二人残っていたはずなんだけれど——も、当然ながらもういない。要は」
その赤の瞳に、寂しさのようなものが宿った。
「わたしは、この世界に、ひとりぼっちなのね」
三千年も時が過ぎれば、よく見知った土地も人も、異世界のものとなり果てる。この世界で彼女が知っているものなど、わかっているものなど、せいぜい魔道原則や神々くらいか。魔導士の種類だって少しずつ増えている。三千年の間にどれだけ増えたか? それすらも追い切れない。
あんまりよ、と彼女は顔を覆った。
「ええ、あまりにもあんまりだわ。せっかく冥界の底でたゆたっていたのに。心残りは確かにあったけれど、それでもわたしは死んだの、死んだのよ。それなのに、ただの好奇心で勝手に眠りから起こされて、全く知らない異世界に放り込まれるの? ……返してよ。わたしに平穏を返しなさいよこの馬鹿ぁっ!」
彼女はフィレルの胸倉をつかみ上げた。
その赤の瞳には、凄まじいほどの怒りが燃えている。
「いったいどうしてくれるのよ! 責任取りなさいよねあなたっ!」
「え、でもどうすれば……」
「そんなの自分で考えれば! どうしてわたしが考えなくちゃいけないのっ!?」
怒り狂うフィラ・フィア。その怒りももっともだと思うから、流石のファレルも彼女を止めない。
はぁ、と彼は二度目の溜め息をついた。
「人間好きな闇神さまがこの様を見たら笑うだろうねぇ。人間はなんて愚かな種族なんだ、ってさ。僕だって怒る時は怒るよ? ああフィレル、君は決してしてはならないことをしたんだ」
その呟きを聞いて、
ふと、フィラ・フィアの目が細められた。
彼女はフィレルの胸倉を掴んでいた手を離し、ずんずんとファレルに近づいた。咳き込むフィレルは放置して、彼女はファレルに問い詰める。
「待って。あなた今『神さま』って言った? それで思い出した、思い出したわ! わたしはかつて、神様を封じる為にこの世に生まれたの。でもね、わたしが戦神の神殿で倒れた時、封じ切れていない神様はまだたくさんいたんだ! わたしにはまだ使命があるっ!」
教えて、と彼女は真剣な瞳でファレルを見た。
「あなたがこの一団のリーダーであり、最も智恵ある人物だとわたしは踏むわ。そこで聞きたいのだけれど、今、『荒ぶる神々』はいるの? いるとしたらどの神様? 教えて、いいえ、教えなさいっ!」
かつて彼女は使命を完遂できずに命を散らした。
彼女は一度死んで生まれ変わった後でも、その強い使命感が変わることはなかった。
ファレルは真剣な彼女の瞳を見、一生懸命に記憶をたどる。
「えーとねぇ、確か……」
彼は「悲しみに見境を失った風神リノヴェルカ」、「虐殺を愛した死の使いデストリィ」、「運命を弄ぶ者フォルトゥーン」、「最悪の記憶の遊戯者フラック」、「死者の王国の主ライヴ」、「生死の境を暴く闇アークロア」など、いくつかの名前を挙げた。そして……戦神ゼウデラ、さ、と付け足した。
「ええと、確かねぇ。三千年前に比べれば被害はおさまったけれど、彼らは今もまだ一部地域で甚大な被害をもたらしているそうだよ。彼らの支配域には誰も住まなくなってしまった」
「……そう」
フィラ・フィアはきっと顔を上げた。その赤い瞳に強い意志が宿る。
彼女は握った錫杖をしゃん、と鳴らした。動きを確かめるように軽く舞い、自分の周囲で魔力が膨れ上がったのを感じ取る。
「……力は変わってない、まだ戦えるわ。ならば」
呟き、彼女は宣言した。
「わたしのやり残したことで子孫たちが傷付いているのならば、それを救うのが『希望の子』の使命。こうして蘇ってしまった以上、これはわたしの仕事だわ。わたしは封神の旅に出る!」
けれどわたし一人では自分の身を守れないから、と、彼女はフィレルを見た。
その赤い瞳に射すくめられ、フィレルは「な、何?」と上ずった声を上げる。
フィラ・フィアは力強く笑った。
「責任取りなさいよねあなた。あなたにはわたしの旅についていってもらうわ。文句はなし。あなたがわたしを起こしたんでしょう? それくらいはしてもらわないとね」
でも、と思わずフィレルは言ってしまった。
彼は知っているのだ、ロアから聞いたのだ。
荒ぶる神々は仮にも神、そう簡単に何とかできる存在ではないと。フィラ・フィアたち『封神の七雄』でさえ何度も手こずり、その戦いの中でたくさんの仲間を失ってきたのだと。
もしも全ての神を封じることができたとしても、その旅についていったら最後、フィレルが生き残れる可能性は少ない。そしてそれはフィレルの愛する兄を悲しませることになるのだと、彼はよくわかっている。ファレルは家族を失うことに関してとても敏感で、フィレルに過保護な理由の一端もそこにある。
フィレルは兄を見た。ファレルは難しい顔をして黙りこんでいた。
けれど、この大事件を起こしたのはフィレルだ。当然ながら、何もなかったようにするわけにはいかず。
わかった、行くよと真剣な声で言おうとした刹那、
「……ったく、手のかかる坊やだよなぁお前は」
呆れた顔をしながらも、ロアがフィレルの隣に立った。
その意味するところは。
「……ロア?」
「仕方ない、ついていってやる。王女様もフィレルも武術なんてからっきしだろう。誰かが前衛として皆を守らなければ、序盤で全員死亡ルートだぜ。そんなのごめんだろ?」
オレはイグニシィンで一番の剣の使い手だからな、と、彼は誇らしげに胸を張った。
「オレならば、守れる。オレならばその運命を変えられる。だからオレも行くんだよ、ああ。
……言っておくがフィレル、お前の為なんかじゃないからな。オレはこの状態を見過ごすことができないだけだ」
ロアの言葉に、フィレルは虚をつかれたような顔をした。
やがて吐き出された言葉。
「僕の為じゃない、って、ロアは素直じゃないなぁ」
「事実だッ! ついていってやると言っているんだから少しくらいは感謝しろ能天気馬鹿!」
「あーハイハイ」
ロアに小突かれながらもフィレルは笑う。
刹那、その鮮やかなエメラルドグリーンの瞳が、真剣な色を湛えた。
「でも……ありがとう」
「ファレル様を悲しませないためだ。他意は無い」
ぷいとそっぽを向いたロア。
その様子を眺め、フィラ・フィアは確かめるように問う。
「……えーと、つまり今回の旅は、わたし、フィレル、ロアさんの三人で行くことになるのね?」
「どーしてロアだけ『さん』付けなのさー?」
「お前は黙ってろ! ……ああ、そういうことだ。宜しく頼むぜ、王女様。あとオレはただの『ロア』でいい。『さん』なんて戦災孤児には要らんよ」
フィレルの文句を封殺しながらもロアは答えた。その黒の瞳に一瞬だけ寂しさと郷愁のようなものがよぎったが、すぐに消えていつもの不敵なロアに戻る。
わかったわ、とフィラ・フィアは頷いた。
頷き、そして宣言する。
「かつてわたしたち『封神の旅団』は神と戦い、神に敗れた。しかし長い時を経てわたしは今復活した! 傍に大切な人はもういない。けれど……!」
赤の瞳に、強い意志が宿る。
「『新生封神の旅団』、ここに在り! さぁ、やり残した仕事を完遂するわよっ!」
古の昔、旅半ばにしてフィラ・フィアは死んだ。
彼女の物語は、シエランディアで一番の悲劇として語り継がれている。
しかし今、彼女は少年の出来心によって蘇り、偶然にもやり直す機会を与えられた。
だから。
——やり直さないわけには、いかないでしょう?
力強く笑う彼女の隣、フィレルが無邪気さを封じ込め、真剣な顔をしていたことに気付いたのは、ファレルだけだった。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.10 )
- 日時: 2019/05/04 12:23
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「で? いつ出発するのかしら。わたしも、流石に今日とは言わないわ。でもまだ神々のせいで人間が苦しんでいるのならば、早めに動かないと」
フィラ・フィアは言った。
そうだねぇとファレルは思案顔。
「あなたの事情はわかったけれど……三日だけ、時間をくれるかな」
「……どういうこと?」
フィラ・フィアは訝しげな顔をした。
ファレルは答える。
「いや、これは僕のお節介なんだけれど……。いきなり遥か未来の世界で蘇った君に、この時代のことがわかるのかなぁって、ね」
「あ……」
フィラ・フィアは虚を突かれたような顔をした。
三千年の時を経て、彼女は蘇ったけれど。
三千年のブランクは大きい。あまりに、大きすぎるのだ。
良かったら教えてあげるよとファレルは笑う。
「僕の知っている程度の知識でいいならば、僕の教えられる範囲で教えてあげるよ。旅が始まったら忙しくて、そんなことする暇なんてないだろう? 旅を始める時間は確かに少しだけ遅れるけれど……三日程度ならばまだ、誤差の範囲内なんじゃないかな」
「……そうね」
フィラ・フィアは頷いた。
「ならばわたしからもお願いするわ。ファレルさん、わたしに教えて。わたし、何もわからないの。何ひとつわからないのよ、だから」
「いいよ。ああ、でも今日はもう日が暮れたし、今から勉強しようって気にはならないよね。明日の朝から教えるよ。だから今日と明日はお城に泊まって行って。無駄に広いお城だからさ、空き部屋だけはたくさんあるの、」
さ、と言葉を結びかけて、
不意にファレルが苦しそうに咳き込んだ。その優しい顔が苦痛に歪む。
「ファレル様!?」
慌ててロアが駆け寄って背中をさする。「兄さん……?」とフィレルも不安そうに近づいてくる。ファレルはしばらくずっと咳をしていたが、やがて発作がおさまると、ごめんよと言って弟の頭を撫でた。それでも呼吸は荒く不規則で、完調とは言えない様子だ。
「……本当はさ、僕だってみんなと一緒に行きたかったさ。封神の旅でもしもみんなが死んでしまったとして、それで僕だけ残されるのは嫌だからねぇ。でも、僕はこんな身体だから……」
それでも、苦しくても何とか笑おうとするファレル。
その姿を痛ましく思ったフィラ・フィアは、手にした錫杖をしゃんと鳴らした。
「……どうしたんだい?」
「じっとしていなさいよね。これから癒しの舞を舞うわ。心優しい領主さま、あなたの苦しみが少しでも楽になれるように。わたしはフィレルにこそ文句はあるけれど、あなたに文句はないしそれどころか感謝してる。良かったら受け取って。わたしの舞には魔法がこもるの。知っているでしょ?」
言って、彼女は錫杖を手に、舞う。
しゃん、しゃん、と、彼女が動くたびに彼女の錫杖の鈴が、彼女が身につけた鈴が鳴りだす。鳴りだした鈴は清浄な空間を辺りに作りだし、やがてそれは彼女の舞に合わせて指向性を得、癒しの魔力となってファレルに向かって流れだす。
神さえ封じる舞を舞う『舞師』フィラ・フィア。癒しの舞など神封じの舞に比べれば圧倒的に容易く行えるものだろう。
しばらくして、荒く不規則だったファレルの呼吸が穏やかになり、彼はほうっと大きく息をついた。
「ああ……すごい、魔法だね。さっきはあんなに苦しかったのにさぁ……」
彼の言葉にフィラ・フィアは笑う。
「わたしの舞は伊達じゃないわ。この程度完璧に舞えないと、神様なんて封じられっこない」
やがて舞が終わった時、ファレルの体調は完全に回復していた。泣きそうな顔で兄にしがみつく弟の頭を、ファレルはよしよしと撫でてやる。
「一件落着おめでとさーん!」
と、不意に現れた茶髪の少女。リフィアだ。どうやら少し前からそこにいたらしい。否、最初から彼女は大扉の前で事の顛末を眺めていたが、フィレルが大問題を引き起こしたせいで、話しかけるタイミングを逃していたのだ。ロアが放り出したフィレルの荷物も、ちゃっかり回収して片付けてしまったところが彼女の優秀たる証である。
彼女は皆が自分に注目したのを確認し、提案する。
「初めまして王女様。あたしはリフィア、このお城のメイドさんね。
そろそろいい時間だから夜ご飯にしようと思っているんだけれど、ファレル様の体調さえ大丈夫なら、みんなで食堂に移ってくれないかな? せっかくお客様もいることだし、あたしとエイルとでおいしいの作っちゃうからさっ!」
その言葉に、フィレルは目をきらきらと輝かせた。
「そーだねっ! お腹もすいちゃったし! それにさ王女さま。リフィアとエイルの料理ね、すっごくおいしいんだよーっ! ていうか! 今日は僕の誕生日だし! 特別なご飯に期待するんだよーっ! 王女さまもラッキーだねぇ!」
無邪気に笑うフィレル。
そうだなとロアも頷いた。
「ファレル様、体調は?」
「王女さまのお陰で、すっかり治ったよ」
じゃあ行こうか、と彼がフィラ・フィアを見やると、じゃあお邪魔するわねと彼女は頷いた。
行こうよ行こうよぉと走り出すフィレルに先導されつつ、一行は食堂へと向かう。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.11 )
- 日時: 2019/05/10 09:19
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「はーい、こちらが本日のお料理になりまーす」
「頑張って作ったんだ。喜んでもらえたら嬉しいな」
茶髪のリフィアが元気よく言った後で、青髪の、物静かなエイルが柔らかに微笑む。
食堂についてから数十分後。テーブルには様々な料理が出された。
ニシンの香草焼き、パリッとした皮に甘辛いタレのしみ込んだ鶏のモモ肉焼き、イグニシィン領で採れた新鮮な野菜を使った、ほっこりと温まるスープ。特製ドレッシングのかかったサラダまである。それ以外にも、小麦を使ったふわふわのパン、噛めば肉汁の溢れるソーセージ、レモンでアクセントを加えた、野菜のマリネなどなど。それは貴族の食卓にしてはやや貧相でこそあったが、貧乏貴族イグニシィンの皆からすれば十分なご馳走であった。
「フィレル、誕生日おめでとう。フィレルはわたしのスープが好きだって言ってくれたから、頑張って作った」
エイルがはにかむようにして笑えば、フィレルは満面の笑顔を見せる。
「うんうん、だぁい好きっ! ありがとー、エイルぅっ! やったやったぁ、ご馳走だぁっ!」
笑うその顔の輝かしいこと、穢れないこと。
彼の喜びは周囲にまで伝染し、皆を笑顔にさせた。
「いっただっきまーっす!」
言ってフィレルは真っ先にスープを飲み、にこにこと笑う。続いてソーセージにフォークを突き刺し、さらににこにこと笑う。
「おいしいんだよーっ!」
その笑顔はまるで天使のようだった。
リフィアもエイルも料理が天才的にうまい。
一同は二人の料理に舌鼓を打ち、料理を誉められた二人は嬉しそうである。幸せな食卓だった。
しばらくして、メインの料理が平らげられるとメイドの二人は皿を片づけ、新しい皿を出してきた。そこに乗っていたのは……
「じゃーん! お誕生日ケーキよフィレルっ! あたしたちの合作よ。絶対に美味しいんだから、そのおいしさに目を見開きなさいよね?」
挑戦的に笑うリフィア。
「うん、リフィアは誇張じゃないよ。力作なんだ。……フィレル、十五歳の誕生日、おめでとうね」
静かに微笑むエイル。
それはケーキだった。オーソドックスなショートケーキだが、ケーキの本当の美味しさはチョコレートケーキやフルーツタルトなどにではなく、王道のショートケーキにこそあるのだという。それの上には苺がホイップクリームと一緒に飾られていて、つやつやと美味しそうに光っていた。ケーキの中央には絵筆を模した砂糖菓子があり、その下にはイチゴソースで描かれた、可愛らしくデフォルメされたフィレルの似顔絵がある。どうやら絵筆でフィレルの似顔絵を描いた、という趣旨らしい。イチゴソースは絵の具のつもりなのだろう。だとしたら、ややクリーム色がかったこのホイップクリームは、キャンバスをイメージしているのだろうか。
「『絵心師』フィレル、ハッピィバァスディ! あたしたちはあんたみたいに絵の実体化はできないけれど、それでも頑張って作ったんだよ? 味も保証するから、どうぞ召し上がれーっ!」
笑うリフィア。取り分けられたケーキを食べようとしたフィラ・フィア。彼女の身につけた銀の腕輪にクリームが付着したが、彼女は気にしない。フィレルの隣、どうぞ、とエイルがフィレルに近寄って、微笑む。
「いっただっきまーっす!」
満面の笑顔で、フィレルがフォークを切り分けられたケーキに突き刺そうとした、瞬間。
「——食べるなァッ!」
何かに気付いたロアが、ケーキの皿を腕で薙ぎ払った。
「ロア、どーしたの!?」
驚いた顔のフィレル。
ロアはいつも身に付けている長剣を、エイルに向けていた。
エイルは悲しげな笑みを浮かべていた。まるで何もかもわかっているように。
「説明してもらおうか」
「エイルちゃん、どういうことっ!?」
詰問口調のロアの声と、戸惑いが隠せない様子のリフィアの声。
ロアは溜め息をつき、ある人物の名前を呼んだ。
「王女さま」
「……えーと、何?」
訳が分からないといった体の彼女に、「腕輪を見せろ」とロアは言う。
戸惑いながらもフィラ・フィアは腕輪を身につけた手を掲げた。先程、クリームが付着したそこは。
「……黒く、染まって?」
ファレルが驚きの声を上げる。
銀は毒を感知するために使われる金属だ。ある種類の毒に触れた場合、銀はどす黒く変色する。そんな性質があることから、常に暗殺の危機にさらされている王侯貴族は銀の食器を使うのだ。
彼女の銀の腕輪が、黒く染まる。その意味は。
「えーと、さぁ。ケーキに、毒が?」
フィレルは驚きを隠せない。
ああ、とロアは頷いた。
「お前が食べる直前にそれが見えたからオレは防ごうとした。そしてこの毒に関わる人間が、同じケーキを作ったリフィアだと疑わなかった理由だが……。リフィアはケーキを薙ぎ倒されて純粋に驚いていたが、エイルはこうなることをわかっていたようにも見えた、それだけだ」
ロアはエイルに剣を向けたまま、問う。
「答えよ。お前はこれまでずっとオレたちに忠実でいてくれた。お前の為に、こちらだって尽くした。オレたちの間に悪い感情などなかったはずだ。それなのに一体どうして、このような真似を?」
エイルは悲しげに笑った。
「『命令』だからだよ、ロア」
「……命令、だと?」
ロアが眉をひそめた、瞬間。
食堂へ続く扉が開いて、そこから雪崩れ込んできた人間たち。彼らはフィレルらに武器を向けていた。
「くそっ、何のつもりだッ!」
「英雄なんて要らないんだって『お母さま』は言ってた。英雄の子孫なんて、要らないんだって。過去の遺物は捨て去ってしまえって」
「この裏切り者がッ! わかった、オレが道を切り開くッ! オレの傍から決して離れるな。行くぞ、今はこの場から逃げるッ!」
「できるかな」
エイルの言葉と同時、ロアの膝が崩れ落ちる。「ロアッ!」必死で駆け寄ったフィレルは、ロアの顔が蒼くなっていることに気が付いた。——そう、まるで毒物にでも触れたかのように。
「あのケーキ、触れるだけでも危険だから。ロアは直接腕で薙ぎ払ったよね。『お母さま』からすればロアみたいな前衛が一番邪魔らしいから、排除できて好都合だよね。安心して、致死毒だから。でもさぁ、大切な人を守って死ねるならば本望じゃないの?」
「……ふざけるな」
その言葉を聞いて、フィレルの顔に怒気が宿る。
彼は生まれて初めて、本気で怒っていた。
腕に抱きかかえたロア、大切な幼馴染。いつもうるさいけれど、彼はフィレルの大切な人。
そんな人が、裏切りなんかで命を落とす結末なんて、絶対に認められない。
そんな彼を見て、嘲笑うようにエイルが唇の端を歪めた。
「怒ったって、あなたに何ができるの? 絵筆とキャンバスがなければ何もできないくせに。あなたなんて脅威じゃない。ファレル様も王女さまも、そしてただのメイドのリフィアも。ロアが危険だった、ロアだけが危険だった。だから最初に排除した、それだけ」
あなたに何ができるの、と彼女は繰り返した。
うつむくフィレル。しかしその瞳に閃いたのは、何かの決意。
「……できるよ。だって僕はただの“絵使”じゃない。自分の描いた絵だけを武器とするわけじゃないんだ。僕にだって切り札の一つや二つくらいはあるんだよ? 舐めてもらっちゃあ、困るんだよねっ」
言って、何かを取り出そうとしたフィレル。
その肩にファレルが手を置いて、首を振った。
「お前は穢れなくていいんだ、誰かを傷つけなくていいんだよ。エイルは少し前まで仲間だったんだから、彼女を攻撃するのは辛いだろう? ……僕だって、ね。戦えないわけじゃあ、ないのさ」
ここは僕に任せて、と、その瞳が真剣な輝きを帯びる。
倒れたままのロアが、蒼い顔で「ファレル様……」と呟いた。そんな忠実な仲間に、大丈夫だよと優しく微笑む。
「……思い、出さなくちゃいけないんだよね。僕のトラウマ、心の傷。嫌だよ、嫌だなぁ。でもねぇ……」
彼の身体が、黄金のオーラを身に纏った。
「——家族を失うのは、もっと嫌なのさッ!」
彼は朗朗と何かを唱え始める。それを防がんと、エイルは城内に入り込んだ兵士に指令を飛ばす。ロアは蒼い顔をしながらも力なく剣を構えようとしたが、その身体に力が入らない。
ファレルは、叫んだ。
「言霊よ、今一度僕に力を貸せッ!
我、唱う! 我は虚偽を真実へ、真実を虚偽へと覆す者!
空間は、歪みて力場生み出して、進む者の足を止めるッ!
——現実となれッ!」
纏った黄金のオーラが、揺らぐ。
その瞬間、目に見えない力が作用したのが分かった。ファレルに向かってやってきた兵士たちはある地点に吸い寄せられるようにして集まり、その場から動けないでいる。——彼の放った言葉の通りに、現実が変化した。
ファレルはその顔全体に恐怖の表情を浮かべていた。全身から流れ落ちる汗。食い縛った歯は今にも音を鳴らしそうだ。それでも瞳は強く、前を見据える。
「兄さん……?」
驚きの目で兄を見るフィレルに、ファレルは指示を飛ばした。
その声は上ずっていた。彼は過去の恐怖と、自身のトラウマと闘いながら戦っているのだ。彼の力、『言霊使い』は彼のトラウマと直結する力だった。
「フィレル、王女さまの奇跡の力ならばまだ、ロアを助けられるかもしれない。君は王女さまと一緒にこの場から逃げるんだ、いいね? そしてロア。聞いているならば、これは僕からの命令だ。回復しても、決して戻るな。戻ることは許さない」
「え、でも兄さんは……」
「僕は、平気さ。言霊使いは弱い魔導士じゃない。フィレル、荷物を取りに行く時間くらいは稼いであげるからね。自分の武器は持っていった方がいいだろう。そして王女さま。勉強、教えられそうにないみたいだ、ごめんね。ロアが多少は物知りだから、わからないことがあったら彼に聞いて。そしてリフィア、君は……」
「あたしはファレル様と一緒にいるわ」
リフィアは胸を張って言った。
「あたしは旅なんかしたくありませーん! お互いに生きていたら、イグニシィン城で再会しましょうね? あたしはメイド、ただのメイドだ。でも……」
メイドだからって舐めるなと、彼女は毒のケーキの乗った皿を持ちあげ、兵士たちに向かって投げつけた。
「緊急事態、だからこれは正当防衛よ。ってかこのケーキ、いつの間に毒が混ぜられてたんだろー? あたしは気付かなかった。エイルちゃんさ、いつの間に……?」
リフィアの言葉に、エイルは悲しげに首を振るだけ。
ファレルはフィレルの背中を押した。
「さぁ行きなさい。僕の足止めだっていつまで保つかわからないんだ。願わくは、みんな生きてこの城に帰ってきて。ロアも僕の家族なんだ、簡単に死ぬことは許さないよ」
行きなさいと背中を押されて、フィレルはフィラ・フィアと目配せし合って二人がかりでロアを運ぶ。普段前衛で戦っているロアは、二人がかりでも結構な重さがある。二人は苦心しながらもロアを運び、動けないでいる兵士たちの横をすり抜けた。
「ちょっとお願い!」
食堂を出て、門の前。フィラ・フィアにロアを頼んで、フィレルは全力疾走。必死でたどり着いた自分の部屋、お気に入りの筆と絵の具、紙を大きなリュックに突っ込んで、キャンバスを背負って予備費として渡されたお金を持って、今度は門の前へと走る。待っていたフィラ・フィアと合流し、二人でロアを抱えて城の外へ。町にたどり着いて事情を話し、ある家に匿ってもらってようやく一息。けれどまだまだやることはある。
フィラ・フィアは横たわり、荒い呼吸を繰り返すロアを見た。先ほどよりも元気がない。毒は着実に回っている。致死毒、とエイルは言った。対処が遅いとロアの命は、毒に奪われてしまうのだ。
何の前動作も無しにフィラ・フィアは舞い始める。速いステップ、手にした錫杖がしゃんしゃんと忙しない音を鳴らす。それは余計な動作の一切存在しない、まさに魔法の為の舞だった。彼女の足元で黄緑色の魔法陣が浮き上がり、彼女が舞うたびにその図柄は複雑になっていく。
「即席! あらゆる毒の治療薬、『オルファ香』の効果を再現した舞! 今ならば行けるでしょ? 間に合え——ッ!」
彼女の言葉と同時、魔法陣が強く強く輝いた。
次の瞬間——。
「う……」
小さく呻き声をあげて、ゆっくりとロアが身を起こした。「ロア!」叫んでロアにしがみつくフィレル。ロアは軽く咳き込んだが、やがて。
「……悪い。心配かけたな」
そう言って、微笑んだ。
フィラ・フィアはふうっと息をつく。その顔に浮かぶは、疲労。
「もう無理わたし無理。舞の魔法はただでさえ力の消費が激しいし、即席でやるとなると尚更よ……」
ところで、とロアが難しい顔をする。
「ファレル様は? 許されるならば助けに行きたいが」
「命令されたんじゃないの? それを破るの、ロアは?」
「…………」
フィレルの言葉に、ロアはうつむく。
本当は僕だって助けに行きたいよとフィレルは言う。
「でも仕方ないじゃない。兄さんは僕らに何か隠してた。兄さんがあの状況で全力を出すならば、隠してた何かをさらけ出さなければならないのかも知れない。兄さんがそれを嫌がっているとしたら? 無理に駆けつけて、結果兄さんの心を傷つけることになるのだけはごめんだよ」
「……くそっ」
ロアは自分の無力を嘆いた。
【第一章 イグニシィンの問題児 完】
- Re: 魂込めのフィレル ( No.12 )
- 日時: 2019/05/09 11:43
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
【第二章 哀しみの風は大地に吹く】
なし崩し的に旅は始まる。皆ファレルのことを気にしてはいたが、無事を祈って先へと進む。彼らの旅は封神の旅だ、相手するのは神様だ。一筋縄ではいかない相手、それはわかっていたけれど。
フィラ・フィアには使命があるし、フィレルとロアには責任がある。だから引き下がるわけにはいかないのだ。
「最初は何処へ行き、どの神を封じるんだ?」
ロアがフィラ・フィアに問うた。そうねとフィラ・フィアは答える。
「ええと、地図とかないかしら? 昔と今で名前の変わった町ばかりだとしても、大陸の形はそう簡単に変わらない。それで、その地図で今私たちが何処にいるのか示して欲しいの。そうしたら、大陸の形から大体の場所はわかるし、向かう場所を決める指標にするは丁度良くなるわ」
フィラ・フィアに頷いてロアは懐を探る。が、最初からその日に外出すると決めたわけではないので、外出する際にはいつも持っていっている地図を置いてきたことに気が付いた。そんなロアを見てフィレルは言う。
「ええとねぇ、僕、覚えてるから」
描くよ? 言って、背負った巨大なリュックから紙を取り出し画板の上に貼りつけて、リュックに仕舞ってある携帯筆記具でささっと図を描き始める。歪んだ正方形みたいな大陸、その中心からやや南西に行った辺りに丸をつけ、「イグニシィン」と書く。その後に頭をひねって考え考え。数分後には、大まかな町の名前と地形を描き足した一枚の地図が出来上がった。最後に「シエランディア周辺図」とタイトルを書いて完成、「どうぞ」と笑って差し出した。
フィラ・フィアは一連の作業を驚いたように見つめ、「ありがとう」と地図を受け取る。
彼女はしばらくじっと地図を見詰めていたが、やがて。
「決めたわ」
頷き、フィレルたちの方を向く。
「わたしたちの新しい旅で最初に封じるのは風神リノヴェルカ。大切な存在を失い、悲しみのあまりに力を暴走させ、周辺の風を狂わせて海を魔の海域にした女神。人間に愛されず、人間不信を抱えた女神。彼女の哀しみはわたしたちが終わらせる」
勘違いしてほしくないんだけれど、と彼女の強い瞳はフィレルを見た。
「『荒ぶる神々』は何も、悪神ばかりしかいないってわけじゃないの。リノヴェルカみたいに悲劇を背負って、荒ぶる神々にならざるを得なかった神様もいるのよ。だからわたしたちのこの旅はね、彼女のような神々を救済することにもなるの」
遠い昔、リノヴェルカは人間に裏切られて最愛の兄を失ったそうよ、と呟く。
「その怒りによって偶然神を殺して亜神になり、別の神を殺して風神になったって。
でもそんな悲劇、この世界にはどこにだって転がっているものなのだわ」
その呟きを、複雑な表情でフィレルは聞いていた。
フィレルの地図を見、過去の記憶と照らし合わせ、次行く町の名は「ツウェル」というところだと確認、南東の方角に向かって旅立つ。他の人たちはなにも違和感を覚えてはいなかったようだが、フィレルは南東に嫌な感覚を覚え、目的地に向かうにつれて、それがだんだん強くなっていくのを感じていた。
風神リノヴェルカは風を狂わせた。狂った風は、わかる人には確かにわかるのだ。
歩いていく道の途中、フィレルはそっと、いつも身に付けているエプロンの、ポケットに在る絵筆を握りしめた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.13 )
- 日時: 2019/05/11 22:40
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「風神リノヴェルカの神殿、ね」
町にたどり着き、正確な場所を、近くにいた青年に訊ねた。
青みがかった銀の長髪を頭の高いところで括り、瞳は青。魔導士めいた印象だが、それにしては軽装の彼はその目に諧謔の光を浮かべた。
「聞きたいのだけれど、どうして君たちはそんな場所を目指すんだい。そこに行ったって何もない。彼女は狂ったままなんだよ」
喋る彼を、いきなり吹きつけてきた突風が直撃した。華奢な方の体格である青年は、たまらず風に吹き飛ばされる……かと思いきや、何か不思議の力が働いて、うまい具合に風を逃がした。青年は「反射的に力使っちゃったじゃないかまったくもうこの風は」などとぼやく。
この世界「アンダルシア」には様々な魔導士がいる。絵を実体化させる絵使、絵心師を始めとし、織物の模様に魔法を込める織師、描いた紋章に魔力を込めて罠を張る印象使、人形に関した魔法を行う人形使、死者と対話し、死者を使役する死霊術師、即席で武器や防具を生みだし、用済みになったら乳白色の霧に変える魔素使……などなど、その種類の多さは多岐にわたる。
フィレルはこれまで書籍で様々な魔導士の話を読んできたけれど、今目の前にいる青年が行ったみたいな謎の魔法は知らなかった。青年はフィレルの視線に気付き、ああ、と苦笑いした。
「ご存知ないかな? というか知っていても、ぼくの指運師はわかりにくい魔法だからねぇ」
そうだなぁ、と考えて、彼はロアに目を留めた。
「そうだ、そこの武人みたいなきみ。飛び道具とか持ってないかい? 持ってたらぼくに投げつけてみて。そうしたら指運師が何たるか、わかりやすい説明になるから」
言って彼は、ロアから少し距離を取る。ロアは訝しげな顔をして、懐から一本の投げナイフを取り出した。確認するように問う。
「本当にいいんだな? 言っておくが、この距離からならば外さんぞ」
いいのさ、と青年は笑う。
「いやぁ、実演するとなると怖いねぇ。ま、ぼくもぼくの力に自信があるから、絶対安全だってわかってるからこんなことできるんだけどもさぁ」
頷き、悪く思うなよ、とロアはナイフを青年に向かって投げつける。青年は何もしない、ただその場に立っているだけである。ナイフが無抵抗の青年にぶち当たる——
そう思われた、瞬間。
突如、先程の勢いを超える風が青年に吹き付けて青年は転倒、しかしそのお陰でナイフの射線から外れ、青年は転倒したさいに軽く手を擦りむいたほかは一切の怪我がない。
服の埃を払いナイフを拾い、青年は拾ったナイフをロアに返す。
「要はこういうことね」
「どういうこと!?」
納得できない顔のフィレルに、青年は穏やかに笑って説明する。
「ぼくは昔、運命の双子神ファーテ&フォルトゥーンの内、ファーテと契約したのさ。そして契約の際、ファーテは僕に力をくれた。それが指運師——つまりは、運を操る力さ」
さっきのを例にしてみようか、と彼は言う。
「さっきのは、あの風が吹かなければぼくは確実に怪我していた。でも絶妙なタイミングで風が吹いた、そうだろう? この町はリノヴェルカの影響か、突風が頻繁に吹くんだ。でもあのタイミングで突風が僕に吹くのなんて、それこそ偶然の産物だよね」
でも指運師は、その偶然を必然にするのさ、と説明。
「ただし、例えば大戦の際に、一陣営だけを継続的に勝たせることはできない。ぼくの扱える力はある程度範囲が決まっていて、その中から逃れることはできない。でも使えば自分の身くらいは守れるし、カジノでぼろ儲けすることもできる。お陰で路銀に困ったことはない」
カジノでぼろ儲け、の言葉に、正義感の強いフィラ・フィアは顔をしかめた。
「……あなたの力はわかったけれど、カジノはないわ、流石にないわ。それってただの力の悪用じゃない! そんなことが許されると」
「人間とは自分本位な生き物だよお嬢さん。許されるって、誰が許すというんだい? きみかい? ならばぼくは一向に構わない。偶然すれ違っただけの人間に、許されなくたって痛くも痒くもないね」
明るく温厚に見えた青年だったが、その言葉は冷たく、ナイフのような鋭さを秘めていた。
フィラ・フィアは呆気にとられたような顔をして、黙り込んでしまった。
指運師の青年は、話を戻すけれど、と確認する。
「ぼくは最初に訊ねたよ、きみたちが風神リノヴェルカの神殿を目指す理由について。あっちは本当に何もないし、世界に関わる偉大なる風神さまならリノヴェルカじゃなくってガンダリーゼがいるだろう。彼女は所詮成り上がりの神様だって、この世界の住人ならばわかっていて当然の知識だよね? ならば何故?」
信じてもらえないだろうけれど、とフィラ・フィアは難しい顔をする。
「わたしは、フィラ・フィアよ」
その答えを聞いて、青年は面白がるように笑った。
「ははっ、フィラ・フィアだって? きみが? あの、三千年前の英雄だって? 馬鹿言わないでくれるかい? 彼女はもうとうの昔に死んだんだって、志半ばで死んだんだって、シエランディアの人ならば誰だって知っていることだろう?」
「わたしはフィラ・フィアよ。志半ばで倒れた、から、まだ封じていない神々を封じるのよ。だからリノヴェルカの神殿の場所を訪ねたの」
フィラ・フィアは強い瞳で相手を睨んだ。しかし当然のごとく、信用されていないらしい。
フィレルは困ったような顔をしていたが、しばらくして、名案が浮かんだとばかりに手を叩いた。
「ねぇねぇお兄さん。絵心師って知ってる?」
フィレルの問いに、青年は頷く。
「絵心師? ああ、あれね。知ってるけれど、いきなりどうしたんだい」
「僕がその絵心師なんだけれど、王女さまを実体化しちゃったの」
「きみは禁忌を破ったのかい?」
「うん、そう。僕の好奇心で破っちゃったの。でね、責任取れって、封神の旅についていくことになっちゃったの」
「……へぇ」
青年の顔は穏やかだったが、その瞳は笑っていなかった。
「下手な芝居もいい加減にしなよ」
青年の周囲、冷たい風が吹く。変わった雰囲気に怯えたフィレル。守るようにしてロアが彼の前に立つ。
はぁ、と青年は溜め息をついた。
「風神リノヴェルカ、天鳥の女神、風に愛されし者。彼女は確かに荒ぶる神々であり、彼女のせいでこの町ではまともに洗濯物すら干せない状況だ。そして飛んできたものにぶち当たり、毎年のように死者が出る。竜巻なんかも頻繁に起こる。どれもこれも彼女のせいだ。でもね」
青の瞳が、真剣な輝きを帯びた。
「それでも、彼女はこの町の象徴なんだ。封じる? そんなこと、騙りの封神旅団なんかにさせられると思う? ああ、ぼくは余所者だ、確かにこの町の外部から来た人間だ。でもね、ぼくは女神さまの過去の話を、偶然にも深く知ってしまったのだし……。知ってしまったからには、偽者の封神旅団に、彼女を害させるわけにはいかなくなってねぇ。
女神さまはここから少し東におわす。きみたちはそこへ行くんだろう。でもぼくは通さないよ。どうしても通るというのならば……」
彼はどこからか何かを取り出した。それは青みがかった木で作られた、魔導士の使うような杖だった。青年はそれをフィレルらに向ける。
「ぼくを倒してから行けよ」
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.14 )
- 日時: 2020/08/04 02:21
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: 6Bgu9cRk)
「はぁ……ったく。どうしてこんな展開になるのかねぇ」
ロアは呆れたように溜息をついた。
仕方ないよとフィレルは言う。
「だって普通は信じないよ、そんなコートームケーな話。でもこうなるのは予想外」
「荒唐無稽な。あえて難しい言葉を使おうとしなくても良い。……で? 一対一か、それとも全員で行っていいのか?」
ロアの質問に、青年は頷いた。
「別に全員で来たって僕は構わないさ。ぼくの力も指運師だけじゃないし」
言って彼は何の予備動作もなく叫んだ。
「来たれ風よ、リノヴェルカの加護、ここにありッ!」
瞬間、突風がロアに吹きつけて彼を吹き飛ばそうとしたが、彼は咄嗟に剣を抜き地に突き立ててそれに耐える。それを戦いの始まりの合図と見てとったフィレルは真剣な顔をして、背負ったリュックから紙を取り出し、身につけたエプロンのポケットから、お気に入りの絵筆と愛用しているパレットを出した。戦闘準備だ。
「……えーと、わたしは後方支援?」
戸惑うようにフィラ・フィアは言い、恐る恐る舞い始める。舞うたびに彼女の錫杖が、彼女の身につけた鈴が、しゃんしゃんと清らかな音を鳴らす。
風がおさまった。反撃だとばかりにロアは地に突き立てた剣を抜き、だん、と大地を蹴って疾走、どこか儚くも見える指運師にその刃を振りかぶる。指運師の青年は儚く笑っていた。ロアの刃が青年に到達し、青年は全身から血液を噴き上げながらも大地にくずおれた、が。
「……おかしい。確かに斬ったはずなのに、感触がないし剣に血脂もついていないだと?」
「ロア、罠だよっ! させるかぁ! 僕の絵よ、お願いだよーっ!」
動きを止めたロアの背後から迫ったのは氷で作られた槍。反応が遅れたロアを貫かんとそれは迫るが、その直後、フィレルの絵が実体化した。
「作品番号……何番だっけ? 何でもいいや、使い捨て!」
実体化したそれはごうごうと燃え上がる炎。炎の壁に突っ込んだ氷の槍は瞬く間に融けて、脅威ではなくなる。余った炎がロアの背を焼き、「味方まで攻撃するなこの馬鹿!」とロアが叫んだ。「緊急事態、仕方ないじゃん!」とフィレルが返す。
フィラ・フィアが目を細めた。彼女の見ているそばから、青年の身体は消えていく。
「最初の風はただの威嚇で、本命は幻影魔法ってわけ。中々やる魔導士じゃない。で? 本体は何処? 姿を見せなさいよ——」
その言葉が言い終わるか言い終わらないかの内に、彼女は突風に吹き飛ばされて、地面に身体を強くぶつけた。
「……ッ! この町はリノヴェルカの町。そして相手も恐らく風使い? それで突風が吹いてきても、リノヴェルカの風か相手の風か、全然わからないじゃない。それが狙いなの?」
彼女の呟きに、風に乗って言葉が運ばれてきた。
——どうしたんだい? ぼく程度倒せないんじゃ、神様なんて封じられないんじゃないの?
「……ッ、馬鹿にしないでッ!」
言うけれど。
彼女の舞は、支援あってこその舞だ。支援が何もなければ彼女は、ただ無防備な姿をさらすだけ。
そんな中、フィレルはまた紙に何かを描いている。そんな彼を狙わんと風が少年を襲うが、ロアが前に立ってそれを防いだ。ゆらり、現れる影に投げナイフを投げても、それは影を貫通するだけ。どう見てもそれは幻影だったが、本隊が何処にいるのかは皆目わからないままで。
苛立ったようにロアは叫んだ。
「フィレル、何か策はあるのかッ!?」
ロアの問いに、うん、とフィレルは頷いた。
紙の上を動く絵筆は何かを描きだしている。それは……
「炎、だと? お前、さっきから炎ばっかりだな?」
「読めてるよ、相手の魔法。だから今はそれを破ることに集中するだけなんだよーっ」
その声はいつにない真剣な調子を帯びていた。
フィレルを狙わんと現れる氷の槍も突風も、ロアの剣がすべて防いでいく。相手の魔法が読めないフィラ・フィアは悔しげに唇を噛んで俯くだけだ。けれど時折大地に突く錫杖が、その清浄なる鈴の音が、余計な雑念を振り払う。
やがて。
「でーきたっ! 作品番号……確か223番? 幻影破りの火炎! あのねぇ、水で幻影を作ってもさぁ、要は蒸発させてしまえば破れるってことだよねぇ?」
そこにあったのは一枚の、燃え盛る炎の絵。
フィレルは獰猛な笑みを浮かべた。天使のようだった少年の印象が一変する。
「舐めてもらっちゃあ困るんだ。僕はただの暢気な次男坊ってだけじゃないの。年相応の実力もあるんだよぅ?」
フィレルは炎の絵に右手を押し当てた。その手が強く輝いて——。
「……よく、読めたね。水の幻影じゃなくって、光の幻影もあるのにさ」
燃え盛る火炎は辺りの水蒸気を一気に蒸発させ、近くの木の陰に隠れて立っていた指運師の青年の姿をぼんやりと浮かび上がらせた。直後、その首にロアが剣を押し当てる。青年の負けである。
「あーあ……負けちゃった」
青年が両手を挙げると、ロアは剣を下ろして鞘に仕舞った。
フィレルはにっこりと笑った。
「ロアを炎で守った時さ、偶然見えちゃったの、あなたの服のはじっこが。炎で敗れる幻影は水でできていないとおかしい。だから改めて炎を描いてみたってわけなんだよ。あなたの幻影が光で出来ているってわかったなら、今度は夜に戦いを挑んだかも?」
冷静に分析するフィレルは、これまでの能天気振りからは想像もできないような態度である。
それでも根っこの明るさは変わらないから。
フィレルは紙と絵筆とパレットを仕舞うと、腰に両手を当ててふんぞり返った。
「えっへん! 僕ってすごいんだからねーっ!」
いつもはフィレルに怒ってばっかりのロアも、流石に今回は怒るわけにもいかず。
「……よくやった」
珍しく、手放しの称賛を彼に向けた。
フィラ・フィアは溜め息をついた。
「水の幻影……。そう、そうだったの。ああ、水女神を以前に封じたけれど、彼女も似たような技を使ってた! 思い出すのは遅すぎるけれどもね……」
で、とフィレルは青年に向き直る。
「これで通してくれるの? 僕らは偽者じゃないんだよ?」
ああ、と青年は頷いた。
「いいよ、いいさ、好きに通れば。あなたたちは確かに強い。それに水女神アスフェリーナのことを語るお嬢さんを見ても、嘘ついているとは思えないし、ね。
リノヴェルカはここから少し東に行った、木々のねじ曲がった森の奥だよ。そこに神殿がある。かつてはそこの木々もみんな真っ直ぐだったらしいんだけれど、彼女の風が木々を捻じ曲げてしまったって話」
青年の言葉にフィレルは頷き、思い出したように水筒を取り出して筆とパレットを洗い始める。
ありがとうとフィラ・フィアは笑った。
「これで旅の続きができるわ。
折角の縁だから問いたいのだけれど、あなたの名前はなあに?」
「イルキスさ。指運師イルキス・ウィルクリースト。ちょっと東の方にある町ロルヴァの出で、魔導士の息子」
まぁ、今後も何か縁があったらよろしくね、と彼は微笑んだ。
構えていた杖を、懐に仕舞う。
「お前は今後、どうするんだ?」
フィレルに背中の火傷を診てもらいながらも、そう、ロアは言葉を投げた。
「ぼくかい?」とイルキスは首をかしげ、少し考えた後、答えた。
「そうだなぁ。この町は好きだけれど、ぼくは本当はただの風来坊だし。折角の良い機会だ、ここを離れてまた各地を放浪することにするよ。縁があったらまた会えるかもしれないね」
その青の瞳に諧謔の光を浮かべ、イルキスはさよならをするかのように右手を挙げた。
フィラ・フィアらも頷き、イルキスに背を向ける。
「またね、イルキス。最初はびっくりしたけれど、あなたに会えて楽しかったわ」
「それはお互い様さ。お陰で面白いものを見せてもらった」
互いに声を投げ合って、それぞれに別れた。
◆
その後。
不意にした物音に、イルキスははっとして振り返る。
「——イルキス・ウィルクリーストだな?」
声と同時に、放たれたのは矢。
「……ッ、いきなり何!?」
驚いたイルキスはとっさに指運師の力を発動、奇跡を願い、避けられることを願った、が。
「ぐ……ッ!」
イルキスの脇腹に矢が突き刺さる。
奇跡なんて、起きなかった。所詮は運だ、たまには外れることもある。
呻き、くずおれる彼の耳に、男の声が聞こえた。
「無力化に成功。これで邪魔は消えた。
悪いな指運師、お前の考えは読めているぞ。訳あって阻止させてもらった。毒は塗ってあるが麻痺毒だし、死ぬほどではない」
声と同時、立ち去る足音。
イルキスは顔を歪め、何とか現状を打破しようと必死で這いずった。が、回りの早い毒らしくて、その動きは鈍くなっていく。もう立ち上がる気力などない。
イルキスはフィレルらと別れた後、こっそり後をつけていって、彼らの援助をしようと思ったのだ。その矢先にこれである。どうやらフィレルらを邪魔したい勢力があるらしい。
イルキスは咳き込んだ。それはどんどん激しくなっていき、呼吸困難になって彼の喉が喘鳴を立てた。彼は昔病弱だった。今こそそれは治ったが、時折再発することがある。
苦しい息、少なくなる酸素に頭が朦朧とする。それに毒の効果も合わさって、イルキスの意識は闇と消えた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.15 )
- 日時: 2019/05/15 17:32
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
その森の木々は確かにねじ曲がっていた。真っ直ぐに立っている木など一本もなく、皆、あらぬ方向を向いていた。
そしてその中を時折吹きすさぶ突風。ツウェルの町にいた時よりも、強く強く荒々しく。
その風鳴りの音は、どこか悲痛な叫びを思わせた。
森の中に漂う空気は当然ながら湿ってはいたが、そこからは涙のにおいさえするような気がした。
「風神リノヴェルカは悲しみの女神。人間に裏切られ、最愛の存在を殺された」
歌うようにフィラ・フィアが言う。
「この森は彼女の森。ああ、リノヴェルカが泣いているわ」
悲痛な叫びを挙げて、涸れない涙を流して。
突風が吹き、吹き飛ばされそうになる。それでも足を踏ん張って、何とか耐える。
「あの町の人たちは、三千年間もずっと、この哀しみの風を浴びてきたのかな。リノヴェルカはそれよりもずっと長い間、悲しみを抱えてきたのかな」
呟くフィレルに、ええ、とフィラ・フィアは頷いた。
「だから、早く封じなくちゃ」
その森に動物はいない。あるのはただ、ねじ曲がった木々のみだ。
ねじ曲がり、複雑に絡み合った木々。その枝を剣を持ったロアが切り飛ばしながらも先行し、後にフィレルとフィラ・フィアが続く。
一行は森を進んでいく。哀しみの神を癒すため、そして終わらぬ風を止めるために。
◇
森を抜けた先、いきなり登場した白い神殿。
そこに至って、吹きつける風はますます強くなった。
「この先に、リノヴェルカがいるんだね」
確かめるように呟いて、行こう、とフィレルは前に進んだ。
神殿は白亜で出来ているようで、何もかもが白かった。
三千年以上前に作られた神殿は、成程、イルキスの言う通り、祀られているリノヴェルカが町の人々から愛されているというだけあって、所々朽ちてはいるものの、あちこち修繕したあとがあった。
白亜というのは石灰岩だ。雨というのは弱酸性、三千年もの間雨に打たれていれば、かなりが溶けてしまっていてもおかしくはない。それなのに綺麗な方なのは、やはり人々の信仰が、愛があったからだろうか。崩れ落ちた外部の装飾にも直された痕がある。あの町の人々は、あの森を越えてわざわざこの神殿を修理しに来たのだろうか。
一歩、進む。カツン、と硬質な音がした。石の地面を歩く音。
「風神リノヴェルカ、封神のフィラ・フィアのことを、他の神々から聞いていないかしら?」
歩きつつも、フィラ・フィアは宙に声を投げる。
神殿は随分な広さがあった。正面の門をくぐったら長い廊下があり、廊下の脇にはいくつもの扉があり、廊下の突き当たりに、周囲の扉とは違って立派な作りの扉があった。そこが恐らく祭祀の間、この神殿の心臓部だ。
その扉を目指しながらもフィラ・フィアは声を投げるが、神殿は沈黙したままで一切の返事がない。
「リノヴェルカ。悪いけれど、封じさせてもらうわよ。今のあなたは確かにもう、『荒ぶる神々』と呼ばれるほど暴虐の限りを尽くしてはいないのかも知れない。でも、わたしにはやり残した使命があるから」
その言葉に、
神殿の廊下が震え、風が吹いた。
風と共に聞こえたのは、声。
——(どうして生きているんだ?)
それは少女の、声。寄る辺を失った、頼りのない子供の声。
それでも、いくら傷付いても、誇りだけは失わないままの、痛ましささえ感じられる声。
——(私は知っているぞ。封神のフィラ・フィアはとうの昔に死んだと。それが何故、生きているんだ?)
「簡潔に説明するわ、リノヴェルカ」
歩きながらもフィラ・フィアは言う。
「絵心師が禁忌を破った、それだけよ」
——(そう、か)
声はそれきり沈黙してしまった。
続きは祭祀の間でということだろうか。
とりあえず歩を進めることにした。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.16 )
- 日時: 2019/05/17 07:59
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
繊細な装飾の施された、立派な作りの扉を開けて部屋に入る。一気に広がった視界。広大な部屋のその奥に、白亜の祭壇があった。
その、白亜の祭壇の、上に。
「……風神、リノヴェルカ」
白い女神が浮いていた。
腰まである白の長髪に、凛とした鋭さを湛える水晶の瞳。額には銀の輪をつけ、そこから青い涙型の宝石が垂れている。白の、長い貫頭衣を身に纏い、腰のところは茶のベルトで締めている。貫頭衣の襟元には太陽を模した日輪の模様があり、右手にはいくつも連なった金の輪をはめていた。その足は革のサンダルに包まれている。そしてその背には、鳥のような純白の翼。
彼女が風神リノヴェルカ、悲しみの女神であった。
「そうだ、私がリノヴェルカだ」
彼女は凛とした、しかしどこか寄る辺を失った子供のような声で言った。
「あなたたちは、私を封じに来たのか?」
ええそうよとフィラ・フィアは頷いた。
「ごめんなさい、わたしには使命があるの」
「……やはり、人間というのは身勝手だ。誰もかれもが自分のことばっかりで、他人のことなんて気にしやしない。ああ、神になれて良かったよ。亜神であることすらおぞましいのに、私の親の片方が、そんな穢れた人間だっただなんて……虫唾が走る」
その水晶の瞳には、人間に対する嫌悪と、静かな諦めだけがあった。
リノヴェルカは、言う。
「私は幸せに生きたかったんだ。イヴュージオと一緒に、二人で! ただ幸せに生きたかっただけなんだ! それを人間たちが壊した! 神は私を救ってくれたのに、人間たちは私たちを傷つけるばっかりでッ!」
悲鳴のような叫び。怒りと悲しみが放出される。
彼女の周囲で突風が吹き、一行を大きく吹き飛ばした。咄嗟にロアがフィレルとフィラ・フィアを正面に庇い、代わりに彼は神殿の柱に、したたかに全身をぶつけた。呻き声をあげるロアに、「大丈夫!?」とフィレルが駆け寄る。ロアは口の中を切ったのか、血を神殿の床に吐き捨てると「大丈夫だ」と答え、剣を構えて前を向く。
彼女は自分の発した言葉に何かを思い出したのか、狂ったように何かを叫んだ。同時、飛んできたのは風の刃。触れるものを切り裂く鎌鼬。それらをロアは剣で防ぐ。
「自分の記憶に狂っちゃうとか……そっちだって随分身勝手だねッ!」
ロアの背に守られながら、フィレルは背負ったキャンバスを取り出して絵を描く。描かれたのは大きな盾だ。それを取り出し、フィレルはしっかりと盾を構えて、庇うようにフィラ・フィアの前に立った。
それを見てロアは驚いたように声を投げる。
「お、おいフィレル!? お前にそんなもの扱え——」
「扱えるんだよーっ! 言っておくけれど、僕はロアの授業、実はしっかり聞いてたんだからッ!」
フィレルは笑う。その笑みは無邪気でこそあったが、その瞳の奥には、しっかりと芯の通った何かがあった。
その笑みを受け、「任せた」と頷いたロアは疾走、風神の動きを止めるため、握った刃を振りかぶる。
「……ふふっ、この空気、少し懐かしいわ。ロア、あなたはエルステッド、フィレルはレ・ラウィみたいに見える。ならばわたしも頑張らなくちゃ、ね!」
信頼すべき仲間がいるんだからッ! と叫び、フィラ・フィアは舞を舞い始める。彼女の周辺に虹色に輝く鎖の幻影が生まれ、それは彼女が舞うたびに数を増やし、少しずつ実体を得ていく。
リノヴェルカは、ただ叫ぶだけだった。彼女の周囲で狂ったように風が渦巻き、咆哮をあげ、津波のような勢いで押し寄せてはまた渦を巻き、幾百もの風の刃を送り込む。
「人間なんて嫌いだ、そんな存在消えてしまえッ! 人間さえいなければ、私は、私は——!」
「——人間がいなければ、あなたは生まれなかったよぅ?」
「…………ッ!」
そんなリノヴェルカに、フィレルは真実を突き付けた。
彼の構える大盾は今にも吹き飛ばされそうに揺れていたが、フィレルはかつてないほどの強い意志の力でそれを強引に押さえ込み、背後で舞うフィラ・フィアを守る。彼女の錫杖の音が彼に力を与えた。
フィレルは言葉で追撃する。
「あなたの父は神様、あなたの母は人間。あなたは人間と神のハーフでしょ? 人間がいなかったら、貴女はこの世に生まれなかったんだよぅ?」
「し、しかし……黙れ人間ッ!」
「あなたは生きていたくなかったのぉ?」
「…………ッ」
フィレルは、笑う。無邪気な、天使のような笑顔で。天真爛漫な表情で。
そんな表情をしながらも、ロアから教わった知識を総結集させてフィレルは相手にとどめを刺す。
「あなたは生まれたことでイヴュージオと出会えたんだ。最終的にイヴュージオは死んじゃったけれど……。
——あなたはイヴュージオと出会ったことすらも、育んだ幸せな日々すらも、なかった方が良かったと言うの?」
その言葉を聞いて。
ぱたり、と風が止んだ。肩透かしを食らったようなロアは攻撃を中止、風の女神を仰ぎ見る。
彼女はその瞳から、涙を零した。
「……言わない、さ」
湿気を含んだ風が、ゆるやかに吹く。
「言わない、私はそんなこと言わない。イヴュージオは、私の唯一無二の兄さんは、私を誰よりも愛し、守ってくれたんだ。私を裏切っても、最期の瞬間は私を守って——!」
落ちた涙は水たまりを作る。
「……少年よ、その通りだよ。私は確かに人間が憎い、憎いさ。イヴュージオを殺したのは人間なのだから仕方がないさ。でも、それで、も」
彼女は泣き笑いのような表情を浮かべた。
「——私は私が生まれたことに、一切の後悔などない。ああ、だから私は間違っていたのだ。人間たちに滅びよと願うなどと……!」
そしてその瞬間、
残酷にも、封神の鎖は完成した。
フィラ・フィアは、舞う。容赦なく、舞う。
相手がいくら改心したって、彼女は自分の使命を果たすことを何よりも優先させる。
フィラ・フィアは、叫んだ。
「封じられよ、悲しみの亜神リノヴェルカッ!」
「駄目だよフィラ・フィアッ!」
咄嗟にフィレルは彼女を止めようとしてしまったけれど、時既に遅く。
驚いた顔の風神に、実体化した虹色の鎖は何条も伸びて巻きついた。
そして鎖の巻きついた神は——
「……綺麗、だ」
強く輝き、気が付いた時には水晶の中に封じ込められていた。
フィラ・フィアはふうっと溜め息をつく。
「風神リノヴェルカ、封印完了。ありがとうフィレル。あなたのお陰で楽に出来たわ」
「フィラ・フィアぁっ!」
フィレルは抗議の声をあげた。
「せっかくさ、女神さまさ、荒ぶるのをやめようとしてたのにそれでも封じようとするんだぁ!?」
「当然じゃない。またいつ狂いだすかはわからないし、そうなったら見逃したことを後悔することになるわ。それだけはしたくないの。……ええ、もう、昔みたいなことは」
彼女は何かを思い出すような遠い目をした。
「ひとつ、語っていいかしら」
言って、彼女は勝手に喋り出す。
「昔々、心優しい水女神様がおりました。彼女は人間を愛し、人間の傍にいることを望み、人間との間に可愛らしい赤ん坊を設けました。けれどある時、赤ん坊は殺されてしまいました。殺したのは人間でした。彼女は人間に裏切られたのです。
その日から彼女は狂い、人間の村に大洪水を起こすようになりました」
語られたのは、
「時の王アノスは彼女に『荒ぶる神々』認定を下し、彼女らを封じるために七人の英雄たちが旅立ちました。彼女と対峙し、英雄たちは彼女の哀しみの過去を知りました」
古の昔、フィラ・フィアがその身をもって体験した物語。
「英雄の中でも穏健派であった封術師ユレイオは彼女を封じることを忍びなく思い、誠心誠意、思いを込めて、彼女を説得し、人間を襲わないように約束させました。水女神は約束すると強く頷きました」
けれど、とフィラ・フィアは目を伏せる。
「その次の日、再び洪水が村を襲いました。約束が違う、と憤慨したユレイオは水女神と直談判するため、単身、水女神の神殿に向かいました。仲間には『必ず帰ってくる』と約束しましたが……その約束が守られることは、ついぞありませんでした。わたしたちは一日待ちました。その次の日、ユレイオの双子の兄ユーリオは、弟が死体となって川で浮いているのを発見したのです」
三人称で話しているつもりだろうが、いつの間にか「わたしたちは」と話してしまっていることに、彼女は気付かない。
「そして、わかりました。わたしたちは神々の約束を信じてはならないと。あの後わたしたちはユレイオの復讐の為に水女神に挑み封じましたが、最初に彼女に慈悲を掛けなければユレイオは死ななかったのだと思うと、その心中は複雑でした。残されたユーリオは慟哭し、神々をひどく憎むようになりました。ユレイオはわたしたちの中で、最初の犠牲者でした」
これで話は終わりね、とフィラ・フィアは悲しげな笑みを見せる。
「要は、神様なんて信じちゃいけないの。確実に封じなければ、いつかわたしたち殺されるわ。神様に慈悲なんて掛けちゃいけないの。そうよ、ユレイオみたいな犠牲者を、これ以上増やさないためにも!」
彼女の語った物語は、重い。
そう、とフィレルはうつむいた。
「そっか、それなら仕方がないよね。でも……」
これでリノヴェルカを救ったことになったのかなぁ。
そんな呟きは、風の残骸に乗せられて遠くへ運ばれ、ついぞフィラ・フィアの耳に届くことはなかった。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.17 )
- 日時: 2019/06/18 09:49
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
【間章 その名は霧の……】
風神の神殿を出て、ツウェルの町へ戻る。またイルキスと会えないかなと青みがかった銀の髪を探したが、生憎とそれらしい人物は見当たらなかった。
「まぁ、仕方ないか。風来坊を自称していたし、どこか別の町にでも移動したのだろ……——……ッ!」
言いかけて。
不意に、ロアが顔を歪めて頭を押さえた。激しい頭痛でもするのか、その顔には苦しみがあった。額には脂汗が浮いていた。
「ロア、ロア、どうしたの!?」
彼の尋常でない様子に、心配げな表情を浮かべてフィレルは近づく。フィラ・フィアは癒しの舞を舞おうとしたが、「神様封じに力を使い過ぎたわ」と悔しげに首を振った。
苦しむロア。そんな彼を前に、何もできずにおろおろするフィレル。
と。
——リン。
霧の彼方から聞こえたかのような儚い鈴の音が、ひとつ。
その音のした方を振り向けば、そこには。
「……誰?」
白の、ボサボサの長髪、冷たく澄みきった印象を与える蜜色の瞳。白のローブを身に纏い、足には白のサンダルを履いた、謎の男が立っていた。
男は、口を開く。
「——頭が、痛いか、な?」
凛とした、冷たい声だった。
対するロアは、一言も発することもできない。
男は、言う。
「だろうねぇ。その記憶、私が封じたのだから」
「あんた誰だよっ! ロアに何をしたんだよっ!」
相手の言葉に、フィレルが怒りをあらわにする。
男は泰然として、言った。
「私はそこの少年の記憶を隠した存在さ。今、記憶の一部を返したが、どうかな?」
「ちょっと待ってよ。ロアの記憶を隠した? ロアの過去には何があったの? というか、どうしてそんなことしたのっ!」
憤慨するフィレルの隣、ロアが固まっていた。
頭痛は治まったらしい。その顔には驚きと困惑があった。
「……ロア? 大丈夫?」
心配げに声を掛けるフィレル。
ロアは小さく、呟いた。
「……思い、出した」
その目に浮かんだのは、郷愁のような何か。
その表情を見、フィレルはロアがどこかに行ってしまうような気がして、思わず呼び止めた。
「思い出しちゃ駄目だよ、ロア!」
ファレルもいつしか、ロアの失われた記憶について言っていた。思い出さない方が良いと。忘れてしまったということは、忘れてしまうくらいに、そうやって自己を守らなければならなくなるくらいに、嫌なことがあったのだろうから、と。ロアは失われた記憶を取り戻すことを願っていたが、ファレルはそれによって平穏が失われることを危惧したらしい。ファレルとロアは血のつながりこそないけれど、彼からすれば家族同然の存在だった。
そうやって守ってきた平穏、そうやって守ってきた幸せな日々。
けれどもそのパンドラの記憶の一部が今、謎の男によって強引に取り戻されようとしている。
ロアは呟いた。
「……ノア」
それはフィレルの知らない名前。
ロアはどこか遠くを見るような眼で、夢見るように呟いた。
「大切な存在、だった。誰だったか? 思い出せない。記憶は不完全なままだが、過ごした幸せな日々が、ぼんやりと……」
「ロアッ!」
そんなロアを、背の高いロアの頬を、フィレルは目いっぱい背伸びしてぶっ叩いた。
ぶっ叩かれて、ロアは驚いたように目をしばたたいた。
そんなロアに、フィレルはエメラルドグリーンの瞳に強い輝きを宿しながら、言った。
「思い出しちゃ駄目だってば! その記憶、思い出したらきっと、ロアは僕らから離れちゃうよ。僕はそれは嫌だし、今無事かもわからないファレル様もそれを望んではいないと思うんだ。ロア、ロアはさ、得体の知れない過去の方が、今の僕たちよりもずっと大切なの? ロアは得体の知れない過去の方を選ぶの?」
いなくならないようにとしがみ付いたフィレル。その頭をロアは不器用に撫でて、かすれた声で呟いた。
「……悪かった」
それでもその目はどこか遠くを見ていて。
フィレルは男に向き直った。
「あんた、何者? 目的は何? どうしてロアの記憶を奪っといて今更返したのさ? 答えてよッ!」
男は淡々と答える。
「私はこの世界の霧と灯台の神だよ。霧の神セインリエス、それが私の名前だ。どうしてこのようなことをしたのかと言えば……」
チャンスを与えたかったのもあるけれど、と小さく呟いた、あと。
その瞳に宿ったのは、決して癒されぬ悲しみ。
「生きているのはもううんざりだ。私を殺して欲しいと思ってね」
◇
「どういうこと!?」
驚く一同に、霧の神セインリエスは悲しく笑うだけ。
「誰も私を殺してくれない。人間種族は怖すぎる。ならば繋がりの一部を破壊したら、きっと私を殺してくれるかもしれない? そう思ったけれど一段階目で成功するとは思っていない」
いずれまた会いに来るよ、と彼は底の知れない笑みを浮かべた。
「その時は黒の少年、またあなたの記憶を返そう。ずっとずっと記憶を取り戻したかったのだろう? ならば丁度良いじゃないか。何を恐れる必要がある?」
笑いながらも、霧の男の姿は薄れていく。まるで霧に包まれていくかの様に。
「待て!」
追いかけようとしたフィレルは何かを思い出し、炎の絵を描こうとしたけれど。
既に手遅れ。霧に包まれ、男は消えていった。
ロアはまだぼんやりしていた。そんなロアにしがみついてフィレルは言う。
「思い出さなくていいんだよ。あんな奴の策略になんか乗っちゃ駄目だよ。殺してくれだって? 自殺でもすりゃあいいじゃないか。それに僕らを巻き込むなよッ!」
霧の神は荒ぶる神じゃないの、とフィレルが問うと、フィラ・フィアはいいえと首を振った。
「セインリエスは地上に害をもたらしてはいない。彼は遠い昔に死んでしまった、人間の恋人を求めて死を願うだけ。けれども彼は強すぎて、そう簡単には死ねなくて、死にたいと思いながらも何百年も生きながらえて、悲しみの歌を歌っているだけ」
彼もまた、悲しい神様なのよと目を伏せた。
「それでも、わたしたちを巻き込むのは筋違いだと思う。みんな、あの神様には気を付けて。あの神様は霧のベールに包みこんで、誰かの記憶すらも隠してしまうから」
フィラ・フィアの顔は沈鬱だった。
◇
「次に目指す場所は何処?」
気を取り直して、とフィレルが問うと、フィラ・フィアはフィレルに描いてもらった地図を眺めながらも、頷いて南の町を指した。そこには「エーファ」と書かれている。
「この町の辺りに、死の使いデストリィの神殿があるはず。彼女は決められた命だけを刈り取る死神でありながら、命を刈り取る楽しさに目覚めて関係ない人々も殺すようになり、やがて虐殺者になってしまった神様よ。今もまだ封じられていないのならば、彼女の存在はかなり危険なものだと思う」
オッケー、とフィレルは頷いた。
フィラ・フィアはロアの方を見た。
「過去が気になるのもわかるけれど、あなたはわたしたちの剣であり盾よ。いつまでもセインリエスに引っ張られていないで、しゃんとしなさい」
ロアは頷き、地図の上に鋭い視線をやった。
次の目的地も定まった。旅は順調である。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.18 )
- 日時: 2019/06/22 17:58
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
ツウェルの町からエーファへ。エーファはそこそこ大きな町で、街道もそれなりに整備されており、旅に特に不便は感じなかった。
そしてたどり着いたエーファの町。町の入り口には大きな門があり、町の周囲をぐるりと城壁が取り巻いている。
門には番人のような男がおり、どうやらこの男に認められないと門をくぐることはできないらしい。
フィラ・フィアは難しい顔をした。
「この町に来た目的を言わないといけないようね……。でも、素直に喋ったら信じてもらえるわけがないわよね。——そう、イルキスの時みたいに」
「だよねぇ。どうすればいいんだろ? 普通に『入れてー』って言えば通してくれるかなぁ?」
「そんなので通ったら町の警備はどうなってるんだって話だよ。何か良い言い訳を考えないとな」
ロアは難しい顔をする。
街道を通る人は皆検問を受け、その後で町の中に入っているらしい。
そこでフィレルはぽんと手を叩き、小脇にキャンバスを抱えて、門番に近づいた。「お、おい?」戸惑うロアの声に、大丈夫だよと親指を立てて見せながら。
フィレルは「何の用だ」と声を投げる門番に、最高に無邪気な笑顔を向けた。
「僕はフィレルぅ! 旅の絵描きだよぅ。あのねー、今ねー、いろんな町を回っては絵を描いてるの。こっちの町の風景も描いてみたいなぁって、ね!」
無邪気に笑う少年の姿に毒気を抜かれたのか、ああ、と門番は頷いた。
「わかった、通って良し!」
「あっちの仲間も一緒でいーい?」
「構わない。次!」
言って門番は、次の通行人の検問に入っている。
仲間の元にたどり着いて、フィレルはやったねと笑った。
フィレルの明るさや無邪気さは、確かに彼に禁忌を犯させたけれど。それは意外なところで役に立った。
実際、「僕も町の風景とか描いて、記念にとっておこうかなぁ」などと本人も言う始末。これをまさか違う目的で町に入ろうなどとは思うまい。「そんな暇なんてないわ」と実際、フィラ・フィアに止められたが。
「とりあえず第一目標は達成できたわ。後は情報収集、ね!」
言葉と共に歩きだすフィラ・フィアの後に続いて、フィレルとロアは門をくぐった。
町の中に入った時、ロアは違和感を覚えた。
「ロア、どうしたの?」
ふと眉をひそめた相棒に、フィレルは気遣わしげな声を掛ける。また頭痛が再発したとでも思っているのか。
ロアは難しい顔で答えた。
「いや……何だか、皆に見られているような気がするのだが……気のせいか?」
「外部から来た僕らが珍しいんじゃない。確かに最近はさぁ、旅の絵描きとか減ったしさぁ」
「そうだといいんだが……」
ロアは難しい顔を崩さない。
まぁとりあえず、とフィラ・フィアがまとめた。
「違和感の原因は後で突き止めるとして……今、大事なのは情報収集よね。あれから三千年。死の使いデストリィは今、どうしているのか。それが知りたいわ」
「……だな」
そこへ。
「ねぇねぇ旅の絵描きさん。今、『デストリィ』って言った? それならぼく、知ってるよ!」
会話の端を聞いて、フィレルよりもさらに幼い、可愛らしい顔をした少年が声を掛けてきた。
くるくるとカールした、癖っ毛ぽい淡い金髪、海をその奥に封じ込めたかのような、深く美しい碧の瞳。純白の衣装を身に纏った少年は、まるで天使のようだった。
彼は言う。
「旅の勇者さん、お願いなんだよ。出来るならあんな神様、倒しちゃってよぅ!」
少年はティムと名乗った。彼の話によると、死の使いデストリィは毎週一人の生贄を求めるらしい。逆らえば町の全ての住人を大虐殺する、つまり生贄は町を守るための仕方のない犠牲なのだという。そして生贄として差し出された人間は、次の週には見るも無残な姿で帰ってくるという。
「ぼくの父さん、生贄になって帰ってきたよ。見ないで、って母さんがぼくの目をふさいでたからどうなったのかは知らないの。でね、その母さんはそのまま弱って死んじゃった。今は姉さんがぼくの面倒を見てくれているの」
そう、少年は淡々と告げた。
「ずっと昔からそう。デストリィは生贄を求めるの。でも、ぼくらはそれでもこの町を捨てられないんだ。この町を見た? 海が近いから魚も取れるし、港があるから貿易も盛ん。太陽もよく当たるから農作物も立派に育つし、家畜だってまるまる太ってる。場所だけならば最高の町なんだよね」
ぼくらの祖先は、貧しかった北方から逃げてきてこの町を見つけたんだってさ、と彼は言う。
「だから今更帰れないの。だから犠牲は仕方ないもの、この町を守るための人身御供なんだってさ」
「なんてこと……」
フィラ・フィアは思わず顔を覆った。
しかしその原理は当然とも言えて。
大を生かすためならば、小を切り捨てることを厭わない。隣で誰かが泣いていても、それが集団を生かし、守る唯一の方法ならば仕方がない。
そんな負の連鎖が三千年も、この町で続いてきたというのか。否、多少町が変わっても、この地ではずっとそんなことが起きていたというのか。神に歯向かった町は虐殺という名の粛清を受けるが、土地条件が良いために、気が付いたらそこには新たな町ができている。そして神は再び生贄を求める……。
そこで、とティムは一同をすがるような眼で見上げた。
「生贄はくじ引きで選ばれるんだ。でね、先週のくじ引きでね、とうとうぼくの姉さんが、残った唯一の家族がさぁ、選ばれちゃったんだよぅっ!」
彼は泣きそうな顔をした。
歳は多く見積もっても十歳になるかならないか。そんな子がいきなり家族を全て失うことになったとしたら。そして家族のうち二人が生贄としてささげられることになったとしたら。その悲しみは、やるせなさは、いかほどのものか。
口をきゅっと引き結んで、それでも泣くまいとした少年。彼に目線を合わせ、フィラ。フィアはそっと、その細い肩に触れた。赤い瞳が純粋な怒りを宿している。
「大丈夫、大丈夫よ。わたしが封じる、わたしが何とかするから。わたしたちは今ね、悪いことをする神様を封じる旅に出てるのよ。デストリィも封じるから、安心して大丈夫。あなたの姉さんは死なないわ。約束、する」
ほんとうに? と言う少年に、ほんとうよ、とフィラ・フィアは強く頷いた。
良かったぁ、と少年は嬉しそうな顔をした。
「やったやったやったぁっ! わぁいわぁい、ありがとうっ!
……あれれぇ? でもさぁ、デストリィは強いんだよぅ? 町の大人たちでも倒せなかったんだよぅ? 確実に倒せるって自信はあるの?」
それは、とフィラ・フィアは言い淀みかけたが、あるよ! とフィレルが力強く笑った。
「僕はただの絵描きってだけじゃないもん。描いた絵を実体化させる、『絵心師』だもん。そこのフィラ・フィアは神様さえ封じられる『舞師』だし、ロアもすっごく強いんだからっ!」
相手の言葉を聞いて、少年はおかしそうに笑った。
「はははっ、神封じのフィラ・フィアだって? そんなのがいたら心強いねぇ」
彼は明らかに本気にしていないようだったけれど。
それでも、フィラ・フィアは強く言った。
「わたしはフィラ・フィア、神封じのフィラ・フィアよ。信じてくれなくてもいい。でも、これだけは信じて、ティム。
——わたしはこの悪夢を終わらせる」
強い決意で放たれた言葉に、お願いねとティムは頷いた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.19 )
- 日時: 2019/06/24 11:59
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
折角だから泊まってってよ、というティムの言葉に甘えて、デストリィ戦への英気を養うためにも、フィレルらはティムの家に一晩だけ、厄介になることにした。ティムの家はそこそこ大きく、親がそれなりに裕福であったことがわかるような作りだ。
「初めまして。ティムの姉、ティラですわ」
ティムに案内されて立派な柱時計のある応接間に通され、しばらくして、そこからティムと、一人の少女が現れた。
歳は十九、二十くらいか。艶やかで美しい黒髪を背中に垂らし、その瞳は憂いを含んだ紫。ワインレッドのワンピースに身を包み、白い靴下、黒い革靴を履いている。人形のような少女だった。
彼女は問うた。
「ティムから聞きましたけれど……あなたがたが、デストリィを倒して下さる勇者様ですの?」
ええ、とフィラ・フィアは頷いた。
「ティムと約束したの。わたしたちが、絶対にあの神様の横暴を止めてみせるって!」
「そう……」
ティラは頷き、艶やかに微笑んだ。
「それはそれは、非常にありがたいですわ。わたくしはまだ、死にたくはないのです。殺されたくはないのです。あんなに無残な姿になって、苦しみぬきたくはないのですもの。あなたがたがわたくしたちの希望の光、わたくしの未来は託しましたわよ」
「託されたわ! ええ、任せなさい!」
強く答えるフィラ・フィアに、紫の眼差しを向けて。
「では、素敵な晩餐に招待いたしますわね。ああ、遠慮はなさらないで。わたくしたちの、感謝の気持ちですの。素直に受け取って下さると助かりますわ」
言って、彼女は部屋を出た。その後ろでティムが、「しばらく待っててね。できたら呼ぶから!」と声を掛けてから、姉の背中を追い掛けていった。
「妙なことになったな」
二人が応接間の扉を閉めてから、ロアがそんなことを言いだした。
そうかしら、とフィラ・フィアが首をかしげる。
「神様に虐げられている人々がいる。ティムくんのあの表情を覚えているわよね? ならばそれを助けるのがわたしの使命よ。ツウェルでは神様を信仰していたみたいで人間と神様の関係はここほど悪くはなかった。でも、ここの神様はそうじゃないし、だからこそしっかり封じないと。何がおかしいの、ロア」
「それはわかってはいるんだが……」
彼は妙に納得のいかない顔をしていた。
「まぁ、なるよーになるよ!」
フィレルは何処までも楽観的である。
ロアは相変わらず、どこか腑に落ちないような顔をしていた。その顔がどこか遠くを見るように、ふと細められた。
「ノア……」
知らず、呟かれたのは、霧の男がロアに思い出させた名前。
フィレルの知らない過去、パンドラの記憶。
ロアは、言うのだ。
「あの少年……ノアと、似ているような……? というかそもそも『ノア』って誰だ?」
思い出せない、と言うロアに、思い出さなくていいとフィレルは言った。
それでもその目は遠くを見たままで。
それはロアの問題だ。いくらフィレルが『思い出さなくていい』と言ったって、考えてしまうものは考えてしまうのだろう。
ただ、フィレルの心の内には嫌な予感があった。
——ロアが全てを思い出したら、僕らの幸せは崩れ去ってしまう。
霧の男の言い草からして、ロアの失われた記憶は決して、良いものばかりではないことがわかる。記憶を失い、自分をそうして守らなければならないくらい最悪な出来事が起きた可能性だってある。だって今は戦時中なのだ、何が起きたっておかしくはない。
それを思えば検問もなかったツウェルの町は開放的なところだったなぁとフィレルは思いを馳せた。
何はともあれ。
「ま、とりあえずご飯を待とーよ」
楽観的なフィレルは、あまり深く考えない。
◆
丁度その頃。
「入って良し!」
「どうもね」
検問をくぐってきた一人の青年がいた。
頭の高いところで括られた、青みがかった銀の長髪、海を写し取ったかのような深い碧の瞳。魔導士めいてはいるが、ローブの腰のところをベルトで留めて動きやすくし、裾もたくしあげて焦げ茶のブーツを履いている。
青の瞳の奥にきらめく諧謔の光を浮かべた青年は、町に入るとぐるり辺りを見回した。
「きっと次はデストリィだから……この町、だよねぇ」
彼は一回引き返すと、検問の人に尋ねた。
「ねぇねぇ、この町に絵描きの男の子と黒の剣士と、踊り子の少女の三人組が来なかったかい?」
「ああ、来たぞ。旅の絵描きなんて珍しいからよく覚えているんだ。知り合いかね?」
「ま、そんなものかな」
ありがとうと検問の人に礼を言い、青年は難しい顔をする。
「この町って何も知らない人には、否、この町を知っている人にだって危険なんだよね。あの一団は恐らく何も知らないだろうけれど……」
青年は右足を大地に打ち付けた。途端、周囲に冷たい風が吹く。町人たちはそんな魔法を使った青年を驚いたような眼で見つめ、青年は冷たい声を放った。
「この町についてはよく知っているよ。言っておくけれど、ぼくに手出ししようと思うなんて無謀だからね。僕の魔法ならば、人間くらい簡単に八つ裂きに出来るんだ」
冷たい声での威圧に怯え、町人たちは彼から距離を取っていく。
それでいい、と彼は呟いた。
「うう……あの毒のせいで病弱体質が復活しそうなんだけど。でもまぁ、仕方ない仕方ない。今夜は野宿するしかないかな」
その身体を震わせ、軽く咳き込みながらも青年は呟いた。
◆
- Re: 魂込めのフィレル ( No.20 )
- 日時: 2019/06/27 11:29
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「ご飯、できたよーっ!」
それからしばらく。
天使のようなティムが、フィレルたちを呼びにきた。
「あのね、姉さんが頑張って作ったの。ぼくも手伝ったの。すっごくおいしいから食べてねっ!」
無垢な笑顔に案内されて、一同は食事の間へと向かう。
食事の間には、立派な料理が用意されていた。
子羊の照り焼き、オマール海老のスープ、新鮮野菜のサラダに特製ドレッシングがたっぷり。そして小麦のふわふわのパン。
「わぁ、美味しそうっ!」
目を輝かせるフィレルに、いつの間にか現れたティラは微笑みを向けた。
「喜んで下さって何よりですわ。さぁ、お召し上がりになって」
「みんなは食べないの?」
「客人が先に食べるのが礼儀というものでしょう」
彼女の微笑に誘われて、フィレルは料理を口にした。おいしい、と目を輝かせ、もりもり食べる。その勢いにつられてか、ロアとフィラ・フィアも恐る恐る料理に口をつけた。咀嚼して呑みこみ、それぞれに感想を言い合う。
が、その瞬間。
「あれれぇ……?」
ぐらり、傾いたフィレルの身体。
「おい、フィレ……」
その背を支えようとしたロアの身体も、崩れ落ちた。
「……ちょっと、あなた、たち」
二人と同じく崩れ落ちながらも、フィラ・フィアは信じられないという顔をした。
「わたしたちに……毒、を?」
がたん、落ちてきた料理の皿がフィラ・フィアの銀の腕輪に当たった。当たったそこが黒く染まる。——毒がある、証拠だ。
フィレルらの視界に、姉弟の顔が歪んで映った。
「誰があのデストリィを倒せるなんて信じるかな。悪いけれど、きみたちには姉さんの代わりに生贄になってもらうから」
二人は最初から信じてなどいなかったのだ。二人は余所者が町に来たと知ったときから、計画していたのだ。
——その余所者を捕まえて、デストリィに、自分たちの代わりとして差し出そうと。
そうすれば、確実に自分たちは死なないで済む。そうすれば、確実に悲しみの未来を回避できる。
相手がいくらデストリィを倒すと口にしたって確証はない。ならば確実に、自分たちが助かる方法を——選ぶ。
その行動原理は理解できたけれど、騙された、という絶望は深くて。
しかし今更何か描いて攻撃しようにも、身体に力が入らなくて。
明滅しながら、少しずつ暗くなっていく視界。闇に落ちようとする意識を懸命に呼び戻そうとしたがうまくいかない。
「騙した、な……」
悔しそうなロアの声を耳に聞きながら。
抗えず、フィレルの意識は闇に閉ざされた。
◇
次に目が覚めた時、フィレルらは縄で縛られて、一つの部屋に転がされていた。
「調子はいかがですの?」
声に視線を向ければ、そこには黒髪の美しい少女。
フィレルは彼女に恨めしげな目を向けた。
「悪いよぅ、すっごく悪い! さっさとほどいてよっ! 僕らにはまだまだやることがあるのっ!」
「それはできない相談ですわ。ああ、でも大丈夫。『やること』なんてもう、永遠にやらなくてよいようになりますもの」
「……僕らを、どうする気」
「決まってますわ」
彼女は優雅に微笑んだ。
「わたくしたちの代わりにデストリィの生贄になっていただき、地獄の責め苦を受けていただくだけ。最終的には命も奪っていただけますのでご安心あそばせ。わたくしたちの代わりに、あなたがたは尊い犠牲になるのですわ」
「……っ、ふざけるなよなっ!」
その身勝手な言い分に怒ったフィレルは、縄から逃れようともがくが、力が入らず、その身体はただ無駄に体力を使うだけ。
「抵抗するだけ無駄ですわ。さっさと運命を受け入れた方が楽になれましてよ」
そんな捨て台詞を残して彼女はいなくなった。
「……あいつめ」
フィレルの隣で、目を覚ましたらしいロアが毒づいた。
彼も先ほどから縄から逃れようと試行錯誤しているようだが、どうにもうまくいかないらしい。
そんな二人の隣で、目を覚ましたフィラ・フィアが、ぽつりと呟いた。
「……絶対に何とかするって、約束したのに。あっちも信じてくれたはずなのに」
彼女の瞳は悲しげだ。
「わたしたちは裏切られたのね。善良そうな人たちだと、思ってたのに」
「……人は見かけによらないってことだな」
ロアは悔しそうに歯を噛み締めた。
そして、時が来た。
「生贄さーん、時間だよー」
そんな声とともに、天使のような顔のティムが扉を開けた。
彼の後ろに続くのは、何人もの大人たち。彼らは目の前に転がされているフィレルらを見、確認するように言った。
「こいつらがお前の姉さんの代わりの生贄でいいんだな?」
うん、とティムは頷いた。大人たちは「わかった」と言うと、無造作にフィレルらを肩に担ぎあげた。
「わわっ、何するんだよぅ」
「いいから黙ってろ!」
びっくりして声を上げたフィレルは頭を殴られ、涙目で大人たちを見た。
そうして彼らは連れていかれる。予期せぬ形で、全身を動けなくさせられた状態で、死の使いデストリィの神殿へと。
大人たちに連れていかれる。ティム姉弟の家の前でティムはフィレルらを見送っていた。最後、その唇が「ごめんね」という言葉に形作られた。もしもこんな形で出会わなかったのならば、彼らは友達になれたのかも知れないのに。
裏切られたことへの苦い思いはあったが、フィレルの脳裏には、ティムが最後に見せた表情が離れずに繰り返し浮かんでいた。
その表情は、罪を覚悟で、それでも自分たちが助かろうとして罪を犯した、それは一種の誇りのようなものであった。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.21 )
- 日時: 2019/07/01 12:51
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
どさり、投げ出された身体、感じた衝撃。石の冷たい感触、ひんやりとした空気。「一応返しとくぜ」隣に荷物も放り投げられた。
デストリィの神殿についてからしばらく。フィレルらの身体は神殿の奥にある祭壇の前に投げ捨てられた。当然ながら、縄は解かれないままで。
「しばらくしたらデストリィが来る。一週間後にはおまえたちは、見るも無残な遺体となって捨てられるだろう。この町に来たことが運の尽きだ、旅の絵描きさんよぉ? ま、せいぜい、自分の悪運を恨むこったな」
そう、大人の一人は言って、フィレルらを置いて来た道を引き返していった。
フィレルらの意識はこの頃には既に完全覚醒していたが、今の状況の打開策が浮かばない。意識はあっても毒のせいか、全身は異様なだるさに包まれていた。
そして、
◇
「——あなたたちが、今回の生贄?」
空間を裂いて聞こえた声。それは淡々とした、少女の声。
灰色の、ショートボブの髪。感情を湛えない、無機質な白の瞳。頭には黒いリボンがついていて全体に白っぽい灰色のフリルのついた、灰色のヘアバンド。胸元にはフリルのついた、手の大きさほどの黒いリボン。灰色のワンピースに、白いフリルが要所要所についている。太ももまである白のロングソックスを履き、黒の靴。ロングソックスは素肌は見えないギリギリ位までワンピースの丈はある。その手には真っ白な刃のついた、大きな鎌があった。
全体的に、どこか死神っぽい印象のある、無機質な少女だった。彼女は名乗る。
「わたしはデストリィ。死の使いにしてこの神殿の主。あなたたちがわたしのおもちゃ? ここにいるということはきっと、そういうことなんだよね」
フィレルはその意外さに驚いた。デストリィの別名は「愉悦に狂った収穫者」。そのあだ名の通りに、もっと狂った外見を想像していたのだ。
彼女は面白そうな顔で、フィラ・フィアを見た。その顔に輝いたのは好奇心。
「へぇ、あなたは封神のフィラ・フィア? 生きてたんだ。死んだはずだよね、ずっと昔に。どうして生きてるの?」
彼女の質問に、フィラ・フィアは唇をきっと引き結んで相手を睨んだ。
「あなたの質問に答える義理などないわ。そんな顔をして、あなたが散々ひどいことをしてきたのは町の人から聞いているの」
「へぇ、そう。まぁいいや。
でも、あなたたちは今回、わたしの生贄として選ばれた、わたしの玩具として選ばれた。なら……」
デストリィは面白そうに笑った。
その白の瞳に狂気が宿る。
「——壊しちゃったって、いいよねっ!」
言葉と同時、彼女は手にした鎌を振る。ぐるり描かれた半月の軌道、鎌の動きに合わせて無数の小さな白刃が現れ、縄に縛られたままの、無防備なフィレルらに迫る。
「くそっ!」
ロアが毒づき、縄の拘束から逃れようと必死でもがくが抜けられない。そして非情にも迫る刃。
その、刹那。
柔らかな風が、吹いた。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.22 )
- 日時: 2019/07/03 01:48
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
フィレルは自分の死の瞬間を想像して怯えていたが、いくら待っても何も起こらないことを知り、恐る恐る顔を上げた。
そして、気づく。
「……動ける」
デストリィの刃は不思議なことに、フィレルら本体を傷つけず、縄だけを切り裂いて止まっていたのだ。
はらはらと落ちた縄の残骸。
顔を上げた先には、青みがかった銀の長髪の、魔導士めいた軽装の青年がいた。青年はフィレルの視線に気づくと、爽やかに笑って声を投げた。
「やぁ、ここで会えるなんて、“運”がいいね?」
「イルキス!?」
彼は微笑み、間に合ってよかったと息をついた。
そんな彼に、デストリィは怒りを向ける。
「ひどい。わたしの玩具、勝手に自由にしないで」
「ひどいのはどっちの方さ」
呆れたようにイルキスは呟き、フィレルたちを振り返る。
「さぁ、拘束は解けたよ。毒はまだ抜けてないかな? ならば……それ、これでもどうだい」
言って、彼は懐から何かを取り出した。マッチと……不思議な、木の一部。イルキスが小皿を取り出して木片をその上に置き、マッチで火をつけた。すると間もなく、清浄な空気がその気から漂い、それを吸い込むと全身のだるさが一気に引いていくのをフィレルは感じた。
毒が抜けるとすぐにロアは立ち上がり、剣を構えてデストリィを睨む。
フィレルは驚きの目でイルキスを見た。
「すごい……。これ、何なの?」
「山の奥深くにしか生えないオルファ香さ。あらゆる毒を消し去る万能の霊木だよ」
これで何とかなったかな? と彼は笑う。
フィレルは恐る恐る立ち上がり、身体を動かしてみる。動いた。それを確認すると、フィレルは転がされた荷物に飛びつき、キャンバスを取り出した。絵筆とパレット、一部の絵の具はポケットにあるし水筒は装備している。
「ありがとー、イルキス! 助かったんだよー!」
「……助けは本当に嬉しいけれど、どうしてわたしたちを助けたの。ツウェルでは敵対したじゃない」
フィラ・フィアは訝しげな表情を浮かべながらも立ち上がり、落ちていた錫杖を拾い上げ、封印の舞を舞う準備をする。
そんな彼女の隣に立って、イルキスは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「あの時は確かに対立したけれど、今はぼく、きみたちが『本物』って信じてるし。それにさぁ、ぼくは風のように気まぐれなんだ。きみたちについていくの面白そうだと思って、ね」
その目に諧謔《かいぎゃく》の光を浮かべ、笑うイルキス。
そんな彼に向かって容赦なく白い刃が飛んだが、毒の抜けきったロアが剣を抜き放ち、それを防いだ。
「不意打ちを狙おうとしたのだろうが……させないぞ」
「……わたしの、玩具」
デストリィの顔に強い怒りが浮かび、その瞳が赤く染まる。
「あなた、邪魔した。ならば壊してあげるよ、苦しめてあげるよ。わたし、容赦なんかしないんだよっ!」
言って振った鎌の先、先ほどよりも圧倒的多数の白刃が浮かび、フィレルらに飛来する。流石のロアもこの量を一人で捌《さば》き切るのは無理だ。
だが、今ここには、飛来する攻撃に対しては圧倒的な回避力を誇る特殊魔導士がいる。イルキスは真剣な目をして叫んだ。
「運命神《ファーテ》よ、ぼくに力を貸すならば今なんじゃないのかい!?」
風も起こらない、何も起こらない。けれどその刹那、確かに感じた圧倒的な力の波動。それはファーテの力、運命神の力。イルキスと契約した、力ある神の力。
幾千もの刃は一部はロアの剣に食い止められて砕け落ち、残りは奇跡的にもフィレルらを避けた軌道を取った。
フィレルは呆然とした。この力、指運師の力。奇跡としか思えない力を駆使し、どんな矢も当たらなくしてしまうその力は確かに、状況によっては非常に有利な結果を味方にもたらしてくれるに違いない。
「……って、そんな場合じゃない! わたしは舞うわ。みんな、しばらく食い止めててッ!」
同じく呆然としていたフィラ・フィアは不意に我に返り、封神の舞を舞い始める。しゃん、しゃん、と錫杖と身につけた鈴が鳴り、光でできた虹色の鎖が現れて、少しずつ実体を得ていく。
「間接攻撃は……無理? ああ、もうっ! みんな、わたしを怒らせるのは得意だね。わたしは無抵抗な生贄で遊ぶのが好きなのに……」
苛立たしげに呟いたデストリィ。彼女の目が赤く光ったかと思われた、瞬間。
「あっさり殺してあげるね」
彼女の身体が瞬間移動し、刹那の後にはイルキスの目の前にいた。驚いた顔のイルキスを彼女の大鎌が切り裂く。飛び散った血の飛沫。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.23 )
- 日時: 2019/07/04 10:25
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
だが、イルキスは笑っていた。その目に諧謔を浮かべながら。
イルキスは幻影使いだ。そのことに気が付いたフィレルは、見る。イルキスを斬ったデストリィの背後、もう一人のイルキスが立っているのを。
このイルキスが本物だ。
「もらった、よ!」
イルキスの呼び出した水の竜巻はデストリィを包み込み、彼女を縛り、自由を奪う。同時、凄まじい勢いで回転する水はデストリィから酸素をも奪っていく。
そんな彼に守られて、ついぞ完成した虹色の鎖。
フィラ・フィアは銀の錫杖を、水に包まれた死の使いに向けた。
「覚悟しなさい、愉悦に狂った命の収穫者、デストリィ! 定められた命だけを奪っていればよかったのに、命を奪う楽しさに目覚めてしまったのが運の尽き! 悪いけれど、封じさせてもらうわね!」
燦然と輝いた虹の鎖。
が、
不意に。
「…………ッ」
イルキスが苦しげに膝を折った。水の竜巻が消滅し、死の使いが解放される。
その顔は苦しみに歪められ、呼吸が荒く細く乱れている。「イルキス!?」フィラ・フィアの注意が逸れて、虹色の鎖の実体が薄れる。
それを好機と見て、イルキスを殺さんと迫ったデストリィの鎌。
「させるかァッ!」
ロアが吼え、デストリィとの距離を一気に詰める。が、あと一歩のところでロアの剣はデストリィの鎌に届かない。デストリィの顔に勝ち誇ったような笑みが浮かんだ。だが。
「……僕のことを忘れてなぁい?」
その瞬間、完成したフィレルの絵。フィレルは即席で描いたくせに緻密な仕上がりになっている絵に触れた。触れたところが緑色に輝き、描かれた絵が実体化する。
それは、青々とした、植物の蔦。
「いっけぇ!」
蔦はフィレルの指示に従って、真っ直ぐに伸びていく。蔦はイルキスを切り殺さんとしたデストリィの鎌に巻き付き、辛うじてイルキスが傷付くのを防ぐ。
それを見て安心したフィラ・フィアは舞を再開、今度こそ実体化した鎖はデストリィに巻きついた。
「……死の使いデストリィ、封印完了!」
フィラ・フィアの声とともに巻きついた鎖は光を放ち、数瞬後にはその場には、煙水晶に覆われた神の姿があった。煙水晶はフィレルの蔦の一部も一緒に巻き込んでいた。
「……ふう。今回はイルキスが大活躍だったわね。
……って!」
錫杖を振り、満足げに呟いたフィラ・フィア。彼女は微笑んだが、その時イルキスが具合悪そうにしていたことを思い出し、片膝をつき、乱れた呼吸を繰り返しているイルキスに駆け寄った。
「あなた、大丈夫? どこか悪いの?」
「……ここに来る前に毒矢を喰らってね。それ以降調子が悪いのさ」
調子が悪くても、それでも笑おうとするイルキス。フィラ・フィアは困った顔をした。
「……そう。本当ならわたしの舞であなたを治療したいところなんだけれど……神様を封じた直後だし、ごめんなさい、今はもう力の舞を舞えそうにないの」
「大丈夫さ。休んでたら……何とか、なる」
とりあえず、第二の封印は達成したね、とフィレルは笑った。
「じゃあさ、帰ろうよ! 帰ってさ、エーファの人たちを安心させちゃえー!」
「……だな。イルキス、よく頑張った。よく助けに来てくれたな。お前は休んでろ。町までオレが背負って行ってやる」
「……済まないね」
申し訳なさそうなイルキスを、ロアが背負う。
じゃあ帰りましょうとフィラ・フィアは言った。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.24 )
- 日時: 2019/07/08 12:52
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「デストリィは、最初は黄昏の主の命令を忠実に実行するだけの神様だったんだって」
「黄昏の主ぃ?」
「死の神様のことだ。それくらい知ってろ馬鹿」
帰り道。フィレルらの応酬を隣に聞きながら、フィラ・フィアは今回の神様のことを訥々とつとつと語り出す。
「デストリィは忠実だった。デストリィは真面目だった。でもある日偶然、ある人間をひどい方法で殺してしまったときから、人を殺す楽しさに、弱きをいたぶる喜びに、目覚め始めた」
彼女は、語る。
「そしてデストリィは黄昏の主の制御を離れ、好き勝手するようになった。黄昏の主もその息子カイも、そんなデストリィを放置して、誰も何とかしようとしなかった。そしてわたしが生まれたの」
歩きながら、彼女は語る。
「黄昏の主もカイも、わたしが、わたしという神封じの存在が生まれたから、デストリィの処分はわたしに任せることにした。でもわたしは死んでしまった。だからあの神様はそれから長いこと、放置されることになってしまったのね」
でも、と彼女は誇らしげに笑う。
「ようやく封じられたわ。ようやく封じられた。わたしは着実に、三千年前にやり残した仕事を終わらせてきてる」
「あとどれくらい封じればいいのさ?」
フィレルの問いに、そうねと彼女は考え込む顔。
「戦呼ぶ騒乱の鷲、戦神ゼウデラでしょ、死者皇ライヴでしょ、生死の境を壊す者アークロアでしょ、無邪気なる天空神シェルファークでしょ、最悪の記憶の遊戯者フラックでしょ、運命を弄ぶ者フォルトゥーンでしょ……。
あと六体? まだまだ道は長いわ」
そっかぁ、とフィレルは頷いた。
「まぁ、地道に頑張ろーね!」
「そんなこと言ってられないわ。次の目的地は何処?」
「まぁそんなに焦りなさんな」
ぶつぶつ言いだしたフィラ・フィアに、呆れたようにロアが声を掛けた。
「荒ぶる神々のせいで皆が被害を受けているのは解ってはいるが、こっちのスピードにも限度があるんだよ。焦っても何も始まらん。少し落ち着いたらどうだ」
「……それも、そうね」
フィラ・フィアは不思議そうな眼でロアを見上げ、続いてフィレルを見、ロアに背負われているイルキスを見た。
「……不思議。あなたちといると、かつての仲間を思い出すの。ロアはエルステッドに似ているし、フィレルはレ・ラウィそっくり。イルキスは旅の序盤に散った、ユーリオ&ユレイオ双子にそっくりなの。ヴィンセントとシルークはいないけれど……」
彼女の言葉に、フィレルはえっへんと胸を張った。
「ふふふっ、僕はレ・ラウィの子孫なんだよーっ! レ・ラウィと奥さんのルキアの間に神絵師ラキが生まれた。僕にはそんな英雄たちの血が流れているのさっ!」
「オレは記憶喪失の戦災孤児だから出自を覚えていないが、でも、唯一生き残ったエルステッドは、フィラ・フィアの死後、誰とも結婚しなかったと聞く。双子は言うに及ばずだ。だから真に英雄の血を引いていると言えるのは、そこのフィレルだけなんだ。オレやイルキスは……他人の空似だろう」
そっか、とフィラ・フィアは頷いた。
そうやって話している間に、エーファの町に着く。
エーファの町の検問に会った時、一行は大いに驚かれた。
「生贄が……生きて、いる!?」
驚く検問にフィラ・フィアは誇らしげに胸を張る。
「封神のフィラ・フィア、愉悦に狂った収穫者デストリィを、封印してきたわ。報告したい人たちがいるの。わかったならばさっさと通しなさい」
「封神のフィラ・フィア……? あなたが……?」
「疑うならば神殿に行けばいいわ。デストリィの形をした煙水晶がそこにある。それが、わたしが真にフィラ・フィアたる証」
「し、ししし失礼しましたっ!」
検問の人はその場で大きくお辞儀をすると、一行を町の中に通してくれた。
その先で、再会する。
「……どうして、生きてらっしゃるの」
驚いたような顔をして、町の真ん中で固まったティラ。
封じたんだよーっ、とフィレルは笑った。
「えっへん! 僕たちは強いんだからねーっ!」
「ああ、わたしはあなたちを責めないわ。仕方のない選択だって、わかっているもの。まぁ結果オーライだし、どうせすぐに新しい町へ旅立つから」
フィラ・フィアの言葉に、青い顔をしてティラは黙り込むのみ。
そんな彼女の隣から、天使のようなティムが現れて天使のような笑顔を浮かべた。
「旅の絵描きさん、本当にありがとう! お陰で姉さんも死なないで済みます。ひどいことしちゃってごめんなさい」
「大丈夫。だから結果オーライだってば」
そんな少年にフィラ・フィアは優しく笑う。
「でも、もう二度と旅人を騙すなんてことはしてほしくないかな」
ティムは強く頷いた。
「うん、しないよ。ぼく、絶対にしないよ!
……伝説の人、今、本当にここにいるんだね」
そうよ、とフィラ・フィアの瞳に強い光が宿る。
「わたしはフィラ・フィア、封神のフィラ・フィア! 今は過去にやり残した仕事の続きをやろうとしているの。これで信じてくれたかしら?」
「うん!」
少年の笑顔を見、一件落着と判断。別れの言葉を口にし、姉弟と別れた。
今回はこの町の宿にお世話になることにする。次の目的地はのんびり話し合おうということになった。
町にひとつだけある宿で、フィレルの地図を広げて相談する。その頃にはイルキスの体調も回復していた。
そう言えば、とフィレルは首をかしげる。
「イルキスは今後、どうするのぉ?」
言ったでしょ、と彼は笑った。
「ぼくは風のように気紛れなんだ。でね、きみたちのことを面白いと思ってね。ぼくは風来坊、旅をするのは大好きだし、きみたちさえ良かったら、封神の旅団に加えてもらいたいのだけれど?」
その言葉に、フィラ・フィアは目を輝かせた。
「その申し出、ありがたいわ! わたしはいつでも歓迎よ。じゃあ、イルキスもついてきてくれるのね!」
言っておくけれど、死ぬ可能性だってあるのよ? と言うフィラ・フィアの言葉に、覚悟の上さとイルキスは涼しい顔で答えた。
「でも、気になったからねぇ。この旅の結末がどうなるのか……ぼくはそれが見てみたい」
「じゃあ決まりね。ようこそイルキス、新生封神の旅団へ!」
メンバーに新しい仲間が加わった。
さて、とロアは言う。
「次はどうするんだ? 次に封じるのはどの神だ?」
そうねぇ、と地図を見ながらフィラ・フィアは考え込む顔。
彼女は地図に記された一つの町を指差した。
「次は、ここ。封じる神様は死者皇ライヴ」
そこには「エルクェーテ」と書かれている。
その町は、知る人ぞ知る、大きな魔道学校のある町だった。その魔道学校には、今後のシエランディアを担う、若く有望な学生が通っている。そんな町に、未来ある町に、荒ぶる神々の一角がいる。
「死者皇ライヴは死者を操る。単体じゃないからこれまでみたいには戦えないかもしれないわ」
フィラ・フィアの言葉に、真剣な表情で一同は頷いた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.25 )
- 日時: 2019/07/10 10:45
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
【間章 動乱のイグニシィン】
時はさかのぼる。
「終わりだよ、裏切りのエイル」
現実となれ。ファレルの解放された言霊使いの力が彼女に迫った。
彼が力で彼女を動けなくしたから、彼女はもう死を待つしかない。
エイルはその目に悲しみを浮かべながらもファレルを見た。全てを理解しているという顔だった。
最後に、とファレルは問うた。
「君はどうして、僕らを裏切ったんだい?」
「……『お母さま』が」
彼女はぽつりと呟いた。
「『お母さま』が、わたしに命じたんだ。みんなみんな殺しちゃえって。そうすればわたしを愛してくれるって。わたしに本当の愛をくれるって」
その言葉に、ファレルは悲しそうな顔をした。
「『お母さま』が誰かは知らないけれど……僕らでは、君の居場所になれなかったのかな。僕はねぇ、この城の人間全てを僕の家族だと思うようにしていた。実際そのように振る舞ったし、リフィアもエイルも旅立ったロアも、血の繋がりこそないけれど家族だと思っているんだよ。それでは足りなかったのかい? 僕の愛では、君の心を満たせなかったのかい?」
エイルはうつむいて唇を噛んだ。
「ファレル様の愛や優しさは知ってる。でもわたしの一番はファレル様じゃないし、大親友のリフィアでもないの。遠い昔、わたしを地獄から救ってくれた『お母さま』だけ。わたしは『お母さま』の命令でここにいる。『お母さま』の言葉になら、何にだって従う」
彼女は『お母さま』に盲従していた。
「誰もわたしを見てくれなかった。誰もわたしをあいしてくれなかった。みんながみんな、この特異な見た目のわたしを気味悪がるだけ。でも『お母さま』は違ったんだ。『お母さま』は最初から、わたしを愛してくれたんだ。だからわたしは『お母さま』に従うの。それだけ」
「……あたしと仲良しだったのも、その人に命じられてのことなの?」
「違うよリフィア。わたしはあなたと友達になりたかったの。でもできなかった、それだけ」
リフィアの言葉に首を振る。
さぁ、と彼女は赤い瞳でファレルを見た。青いショートボブの髪が、揺れる。
「任務は失敗。帰ったら怒られちゃうよ、嫌われちゃうよ、酷い目に遭っちゃうよ。だからそうなる前に殺してよ、ファレル様」
「……ここに居続けることは、出来ないのかい?」
「無理。わたしと一緒に来てた男たち、『お母さま』の仲間。あの人たちならわたしを殺すことなんて造作ないし、それにずっとここにいたらファレル様たちが危険だよ」
わたしに未来なんてないんだよ、とどこまでも淡々と。
ファレルは溜め息をつき、目を閉じた。彼の周囲に濃密な魔力が集まる。
そんな彼にリフィアはしがみついて叫んだ。
「駄目、駄目だよファレル様ぁっ! エイルちゃんはまだ——!」「息絶えよ、エイル。——現実となれ」
が、問答無用でファレルは“言葉”を発した。彼の周囲ですさまじいほどの魔力が膨れ上がり、問答無用でエイルを襲い、彼女を亡骸に変えた。リフィアの瞳から涙が流れる。
ファレルはそんなリフィアの頭を優しく撫でてやりながらも、幼い子に諭すような調子で言った。
「仕方のないことだったんだよ。彼女はもう、殺してやるしか幸せになる術はなかった」
「……ファレル様は……平気、なの?」
涙をこぼしながらもリフィアは問うた。ああ、とファレルは淡々と答える。
「悲しいとか辛いとか、そんな感情はずっと昔に封じた。僕が人殺しをしたのは初めてじゃないし、今回はその相手が僕の家族だったってだけさ」
「……ファレル様は、もしも相手がフィレルとかロアだったとしても、場合によっては殺せるの?」
「場合によっては、ね。ああ、勘違いをさせないために言っておくけれど、僕は周囲から受ける印象ほど聖人君子ってわけではないし善人でもない。だからエイルを殺しても、リフィアほど心は痛まない」
そう、とリフィアは頷いた。
流れる涙は止まらない。
「あたし、さ……エイルちゃん、大親友だって思ってた。何があっても、これから先ずっと一緒にいるんだって思ってた。それがこんなことになって、さ……。辛いよ、悲しい、よ……」
人はいつしか死ぬものだよ、とファレルは言う。
「だから涙を拭いて。ケーキとか吹っ飛んじゃったし、後片付けしないと。折角の御馳走が台無しになっちゃったね。フィレル達はうまく逃げられたかなぁ」
言いつつ、彼は次の作業に取り掛かろうとするが。
エイルの亡骸が、彼の記憶の中の誰かと重なった。
それはずっと封じていた記憶。彼が壊れた原因である、遠い遠い日の記憶。
あの日、彼の母親は殺されたのだ——。
思い出すまい、強くこらえて、彼は自分を守るために、こうせざるを得なかった。
「意識よ……消え、よ」
呟けば、彼に言霊が応じた。
そして彼の意識は闇に包まれる。
「ファレル様!?」
リフィアの悲鳴が遠くに聞こえた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.26 )
- 日時: 2019/07/14 13:19
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
穏やかな光の中、ファレルは目を覚ます。
そこは彼の部屋だった。彼の眠っていたベッドの横には、椅子の上でリフィアが目を閉じていた。あの後、彼女が後始末をし、ファレルをここまで運び、ずっと傍にいてくれたらしい。申し訳ないことをしたなとファレルは思ったが、あの時、あれしか最善の策は無かったのだ。
ファレルはそっと身を起こす。トラウマの記憶は心の奥に封じ込めた。それに付随する言霊使いの力も一緒に封じ込められたが、仕方あるまい。彼が力を使うことは、最悪の場合彼自身を壊しかねない、非常にリスキーなことなのだ。
「さて、これからどうするか……」
ファレルとリフィア。二人だけならばきっと生きていけるだろう。変わらぬ毎日を過ごしながら、フィレルたちの帰りを待つ。騒がしい弟がいないと毎日は非常に退屈になるだろうが、フィレルには果たすべき責任があるのだ、仕方ない。
「う……ん……」
身動きしたファレルに気付いたのか、リフィアが目覚めて大きく伸びをする。彼女は「うー、寝違えたー」などとぼやきながらも目をこすり、ファレルに焦点を合わせた。その顔が輝く。目が一気に覚めたようだ。
「あ、ファレル様! 起きたのね! おはよーございまーっす! 体調、大丈夫?」
「ああ、おはよう、リフィア。うーん……ちょっと頭痛がするけれど、まぁいつものことだし、あまり気にしなくていいかな。リフィアはさ、僕が倒れた後にどうしたんだい?」
「町の人呼んで後片付け手伝ってもらいましたぁ! 毒物もあるし、流石にあたし一人じゃ無理だわ。……エイルちゃんね、あたし一人で弔って、お城の前のイチイの木の下に埋めたの。それで疲れちゃって寝ちゃったのね」
彼女の顔には、疲れがあった。
ファレルは穏やかに微笑んで、言う。
「昨日はよく頑張ってくれたね。今日は料理とか僕が作るからさ、君は一日中休んでいていいよ」
ファレルの言葉にリフィアは驚いた顔をし、全力で首を横に振る。
「ええっ、そんな! ファレル様をあたしの代わりに働かせるとか罰が当たるわよ!」
「メイドには休みがない。君だって、時には休んでもいいと思うんだけどなぁ」
とんでもないと彼女は首を振る。
「領主さまは領主さまとしてしっかり責任を果たしているからそれでいいの。領主さまに代わりなんていないけれど、メイドなんて誰だって代われる存在でしょ? だからあたしはそれでいいの!」
僕だって何かしたいんだけどなぁ、とぼやくファレルに、ファレル様は優しすぎるんだからとリフィアは呆れた顔。
「とりあえず万事あたしに任せなさい。そーだ、フィレルたちの話、何か掴めたら町で聞いてくるわね。今日は町にお買い物に出かけなきゃだし、そのついでね。ファレル様は何もしなくていいの。だってファレル様はあたしたちに居場所をくれたじゃない。それだけでいいのよ」
言って、行ってきまぁすと彼女は足早にファレルの部屋を出る。
そんな彼女を、複雑な顔でファレルは見ていた。
◇
昨日は流せなかった涙。大好きだったエイルへの涙。
一人になったら流せるだろうか? 思って、城の外へ駆けだして、近くの森の木に頭を押し当ててリフィアは泣いた。昨日は忙しかったからそんな暇なんてなかったけれど、エイルのことを思えばちゃんと泣けた。
「エイルちゃん……どうし、て……」
理由は昨日、説明してくれたけれど。
それを頭では理解できるけれど、感情は納得していなかった。
初めて出来た友人なのだ、同年代の友人なのだ。そんな友人にいきなり裏切られて敬愛する人物に殺されて、悲しくないはずがないのだ。
そうやって、泣いていたら。
掛けられた、声。
「どうしたんだ?」
そこにいたのは青髪赤眼の、
「……エイル、ちゃん?」
「どうして妹の名を知っている?」
それが、彼と彼女との出会いだった。
エイルとよく似た外見の青年は、不思議そうにリフィアを見ていた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.27 )
- 日時: 2019/07/16 09:09
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「俺はレイド。いなくなった妹をずっと探していたんだが……成程、そういうことか」
リフィアの拙い説明を、エイルそっくりの彼は即座に理解した。
青い、少しぼさぼさの髪、赤く輝く瞳には知性が宿る。灰色の地に黒いつる草模様のあるシャツを着て、その上には青のジャケット。大きな灰色の肩掛け鞄を肩から下げ、やや黒寄りのズボンを履き、靴は黒の、機能性に優れていそうに見えるもの。腰には二本の剣を差している。双剣使いに見えなくもない。
彼は泣きじゃくるリフィアに、不器用に声を掛けた。
「話は理解した。リフィア、と言ったか? 大親友を失って辛いだろうが、現実はずっと続くぜ。涙を拭いて前を見ろ。
あんたには感謝している。これで新しい目的ができたからな」
「……目的?」
「妹は死んだ。あの子が『お母さま』と呼ぶ存在によって、望まぬ裏切りを強いられて、な。ならば兄は妹の為に動かねばなるまい。俺はあの子の復讐をしに行く。情報は少ないが……絶対に、何とかしてやるさ」
その瞳には、強い決意があった。
だが、と彼はリフィアを見た。
「こうやって泣いている女の子をそのままにしておくのも忍びないな。何かの途中だったか? 折角だから、そちらさえ良ければ一緒についていってやるよ。こういうときは、誰かが傍にいたら心強いだろう」
リフィアは涙に濡れた顔を上げた。
「……いいの?」
ああ、とレイドは頷いた。
「逃げられたって追い付けばいい。気長に追跡戦を仕掛けるさ。それに、妹が世話になったしな、ファレル様? に、礼を言わなくちゃならない。そしてお詫びもしなくちゃならない」
しっかりした人だ、とリフィアは思った。
ロアもこういうところがあるが、この青年ほどしっかり者だっただろうか。
いつもフィレルに振り回されているロアを想像し、無理だなとリフィアは思った。ロアも確かにしっかり者だけれど、この青年ほどではないだろう。
「立てよ、まだ生きていくつもりならば」
青年は手を差し出した。その手は無骨で、ずっと武器を握り続けてきたことがうかがえる。
リフィアは頷き、差し出された手を握って、立ちあがる。
気づけば涙は乾いていた。「ほら」と差し出されたハンカチ。礼を言って涙を拭う。
「あたし、買い物に行くところだったんだ」
思い出したように呟いて、ふらふらと歩きだす。
おいおい大丈夫かと、青年の呆れた声がした。
◇
今日の夕御飯の材料と、いくつかの日用品を買いに行く。
町の人たちはイグニシィン城であった事件を皆知っていて、気の毒そうにリフィアを見ていた。が、彼女の近くに控えるエイルそっくりな青年を見ると、みんながみんな目を丸くして何者かと訊ねる。そのたびにレイドは「生き別れになった妹を捜しに来た兄だよ」と答えていた。
「聞きたいんだが、お前たち、この町では有名なのか?」
質問の多さに辟易しながら、そうレイドは訊ねた。
そうね、とリフィアは頷く。
「まず、ファレル様の弟のフィレルが問題ばっかり起こしていてある意味有名。で、哀れにもそのフィレルのお守りに任命されたロアが苦労人として有名。で、あたしとエイルちゃんはファレル様のお使いとしてしょっちゅう町に出掛けていてそこそこ顔が広い。ファレル様はお城から外に出ないけれど、お城の中には割と頻繁に町人を招いていて、その優しさや明るさ、おおらかさにみんな心酔。で、あたしたちは『ファレル様御一行』と一括りにされるようになって、まぁみんなみんな親しいのよね。ファレル様は町人との間に身分の垣根を作らない方だし」
「……今時、そんな領主が、いるのか」
驚いたようなレイドの言葉に、ええそうよと誇らしげに胸を張る。
「ファレル様は世界で一番の領主さま。私利私欲に囚われないで、常に町のことを考える。ここの税金の安さを知ってる? それだからいつもお城は貧乏。でもそれでもファレル様はお城の住人ばっかり気遣って、ファレル様自身の部屋も衣服もみぃーんな貧相」
彼女の言葉に、レイドの口角が上がった。
「そんな聖人君子みたいな領主さまがいるとはな。ますます会いたくなってきたぜ」
「買い物終わったら会わせてあげるわ。
……ああそうだ、頼まれてた情報聞かないと」
ふと思い出し、リフィアは近くにいた町人に訊ねた。
「ねぇねぇ! あの事件の後さ、フィレルたちがどうしてるか知ってる?」
声を掛けられたのは大工みたいな恰好をして、腰に金槌やら釘やらの道具をぶら下げた男だった。男はああ、と頷いた。
「助けを求めていたから俺の家に匿った。翌日、ツウェルを目指すとか何とか言って旅立った。それ以降は知らないが、危機的状況は脱したようだ。足取りを追いたければツウェルに向かうことだな」
相手の言葉に、リフィアは頷いた。
「そっか、あなたの家に泊まったのね。フィレルは悪さしなかった?」
「別に。というか俺の家には子供が悪さするようなものなど置いてねぇし、あの時は皆切羽詰まってたからそんな余裕などなかったと思うがな」
「わかった、ありがとう!」
「おう。嬢ちゃんも頭切り替えて、頑張れよ」
わかってるって、と笑顔を見せて、彼女は大工風の男と別れる。
その様を見て、レイドが感想を漏らした。
「『ファレル様御一行』か。愛されているんだな」
当然よ、とリフィアは笑う。
「この町には敵なんていないわ。みんなみんな仲間だもの!」
気づけば涙は完全に乾いていて、そこにはいつものリフィアがいた。
無理していない、自然なリフィア。いつもの明るさがそこにあった。
彼女はレイドを振り返った。彼の手には「手伝う」と彼自身が申し出て持った幾つかの荷物がある。
「じゃ、行きましょ。ファレル様に紹介するわね!」
ああ、と頷いた彼。
その瞳の奥の感情は、読めない。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.28 )
- 日時: 2019/07/18 14:42
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「……ってわけで、ファレル様。エイルちゃんの兄さんらしいのね」
「初めまして、領主ファレル。レイド・アルクェルと言います。宜しくお願い致します」
「初めまして。ファレル・イグニシィンだよ。こちらこそよろしくね」
リフィアがざっと事情を話し、二人はファレルの部屋で対面する。
ファレルはいつもの穏やかな青の瞳でレイドを見ていた。
済まないね、とファレルは申し訳なさそうな顔をした。
「せっかく妹を捜しに来たらしいのに、もうあの子はいないんだ。
……恨んでも、いいんだよ? あの子に直接手を下したのは僕さ。でも、それしかあの状況のあの子が幸せになる道はなかった。あの子が生きていたら、『お母さま』の手の者が任務に失敗したあの子をひどい目に遭わせるんだって、そうはなりたくないからせめて、敬愛する僕の手で殺して欲しいって、そう懇願されたんだ」
済まないね、と彼はもう一度謝った。
ファレルの言葉に、レイドはつとその目を細めた。が、それはたった一瞬のことで。
「……こちらこそ、妹が迷惑をかけました」
淡々とした口調で謝罪の言葉を口にする。
ところで、とファレルは問うた。
「君さえ良ければ、君とあの子との間にどんな事情があったのか、話してくれないかい?
……そうそう。あの子はお城の前のイチイの木の下にリフィアが埋めたらしいから、後で行ってやるときっと喜ぶよ」
ああ、とレイドは頷いた。
「俺とエイルは双子だったのですが——」
◇
彼の語った内容によると、エイルとレイドは双子の兄妹だったらしい。二人は仲良しでいつもずっと一緒にいたが、ある時住んでいた町が津波に呑みこまれた。そこで両親は死に、双子は生き残ったもののばらばらになってしまった。生き残った双子は最初、相方も死んでしまったと思っていた。けれど双子の兄レイドは噂に聞いた。自分とよく似た外見の少女のことを。それが妹のことだと即座に理解した彼は噂を追って各地を放浪し、ようやくこの地にたどり着いたが妹は既に死んでいたということ。
「……まぁ、死んでしまったのならば仕方がないな。また会えればと思ってはいたが、死者は蘇らない。諦めるしかないさ」
そう、レイドは締めくくった。
じゃ、と彼は言う。
「あの子が世話になった相手に挨拶することができたし、あの子の結末も分かった。俺はこれ以上ここにいる用を感じない。だからもう、出掛けるぜ」
「……もう、行っちゃうの?」
リフィアは寂しげにレイドを見た。
そんな彼女に、
「ついてきたいならば止めはしない。お前も大親友を殺した相手を知りたいならば好きにすればよい」
彼は言う。
リフィアの赤い瞳が、戸惑うようにファレルとレイドの間をさまよった。大好きな領主様と、新しい世界への誘
いざな
い。どちらも選びたいけれど、選べるのはひとつだけ。
「行けばいいじゃないか」
優しく笑ってファレルは言った。
「僕は一人でも構わないんだ。ああ、ひとりぼっちでも寂しくはないさ。それに僕は僕の存在によって、大切な家族の行動を邪魔したくないのさ。後悔しない選択をしなさい。全ては君の心の赴くままに」
優しい青の瞳の奥の感情は読めない。
彼の言葉がリフィアの心を打った。
『後悔しない選択をしなさい』その言葉が、彼女に前へ進む勇気を与える。
やがて彼女は頷いて、ファレルに深く頭を下げた。
「……ごめんなさい、ファレル様。あたしはエイルちゃんを滅ぼした相手が知りたい。それにやっぱり! 旅がしたいの、外の世界を見て見たいのっ!」
「……それが、君の心から望むことならば」
ファレルは頷いた。
彼女はこのイグニシィンで生まれ育ち、イグニシィンから出たことがない。ファレルに仕えることは確かに幸せであったが、彼女にとって、外の世界は、未知の世界は、ずっとずっとあこがれの対象だったのだ。
でも、と彼女には不安があった。
「メイドがいなくなったら、家のことはどうなるのかな……」
「こんな手があるが」
レイドは肩掛け鞄から幾つかの何かを取り出し、宙に放り投げる。それは——
「……人形?」
「双剣も使うがな、俺の本業は人形使だ」
言って、彼はにやりと笑った。
「この人形たちにファレル様を守らせる。こいつらは意思持つ人形だから、俺の命令なくとも自分の意思で動き、与えられた使命を果たす」
そしてこいつらはいくら傷付いても死なないからな、と補足した。
「だから大丈夫だ。こいつらは家事もできるし、安心してくれて構わない」
ありがとう、とリフィアは笑った。
「ならば心配ないわね! ……でも、ファレル様。本当に、だいじょう……」
「大丈夫だから、心配しないで。君は君の好きなように生きればいい。君の行動を、僕が縛っていい理由なんてどこにもないのだから」
行ってらっしゃい、と彼は言った。
その優しく穏やかな瞳に後押しされて、行ってきます、とリフィアは頷いた。
「あたし、見てくるわ。ファレル様の知らない外の世界を。そして、帰ってきたら、出かけられないファレル様の為にいっぱいいっぱい話すのよ! だから楽しみにしていて」
ああ、とファレルは頷いた。
決まりだな、とレイドは言う。
「出来るならさっさとあの子を弔ってやりたいんだ。まだ日は高いし、今日中に出掛けたいんだが?」
「わかったわ、準備する!」
頷き、リフィアは駆けだした。
その背には若く輝かしい光があった。ファレルが“あの日”に失った光が——。
こうしてリフィアはレイドと共に旅立つ。
イグニシィン城から旅立ったこの新たな勢力が、今後物語にどのような影響を及ぼすのか——それはまだ、未知数だ。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.29 )
- 日時: 2019/07/20 10:19
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
【第四章 死者皇ライヴの負の王国】
道を南西に進むと、大きな街道に出る。
エルクェーテは大きな町だ。そこに繋がる道も、当然ながら大規模なものだ。
その大街道のあちこちに、様々な露店が立っている。大きな道だからそういった露天商売も成り立つのだろう。
「エルクェーテって魔導士たちの町なんだよねぇ?」
改めてフィレルが確認すると、そうだよとイルキスが頷いた。
「ウァルファル魔道学校っていう大きな学校があって、そこには優れた実力を持つ魔導士しかいない。力のない魔導士は入学できないんだ。入学試験が厳しいことでも有名だけれど、完全に実力主義だから、大した家の出でなくても、実力さえあれば入学できる。僕も一度旅で訪れたことがあるけれど、皆、意欲がすごかったよ。ああ、活気のある町だ」
へーぇ、とフィレルはその目を輝かせた。
「何だか面白そう! ……んーと、でもさぁ。そんなに実力のある生徒たちがいるならさぁ、神様くらい簡単に討伐できるんじゃないの? 神様を倒して亜神に成りあがった人間の話もあるじゃん」
そう簡単にはいかないさ、とロアは複雑な顔。
「まず、いくら実力主義だからって、そこにいるのは学生、つまりまだ青い。死者皇ライヴはかなり強い神だと聞くし、知識も経験も足りない状態で、実力だけで討伐出来るとは思わない。それにあいつはな……」
「ひとりで戦わないもの。死者を眠りから揺り起こして、死者の大群を操って戦うの。それにライヴは本当は死の神じゃなくって生の神なの。彼は自分の持つ生の力を死者に分け与えて操ってるってだけで、迂闊に触れれば自身の生を抜かれて死者にされてしまうわ。風の神や炎の神とは、操るものの種類が違うのよ」
ロアの言葉を引き継いで、フィラ・フィアが補足した。
人間は、間を一つの仕切りで仕切られた、中に水の湛えられた器のようなものなのだという。仕切りの片側には魔力という液体、仕切りのもう片側には体力という液体が、それぞれ収まっている。魔力も体力も使えば減るが、時とともに回復する。魔力を使っても体力が減ることはないし、その逆も然りだ。それが基本概念である。
そして人間の力にはもう一つ、「生命力」というものが存在する。それは器そのものであり、これが欠けたり傷付いたりすると魔力や生命力を治められる絶対量が減り、この器が砕けた時に、人は死ぬのだという。魔力や体力の限界を超えた使用もまた、器の損傷を招く。
そしてこの器自体を自由自在に加工できるのが死者皇ライヴだ。彼は砕けた器を修復し、そこに仮の力を流し入れて一時的に蘇らせ、死者の王国を築きあげた。死者は死者で失われた魔力や体力、人間としての心は二度と戻らないが、それでも器が仮の修復を受け、器に仮の液体が満たされたためにそれは動くことができるようになる。死者皇ライヴはそうやって器に仮の修復を施し続け、仮の生者に、本当の生者の命を奪わせ、そしてその器にまた仮の修復を与えて自分の王国を大きくしていった。
その目的は何なのか、それは誰にもわからない。ただ一部の人は言ったという。
『死者皇ライヴは、自分の力を真逆のことに使ってみたかったのではないか』と。
真相はわからない。誰も死者皇ライヴに近づけた人間はいないからだ。
しかし、ある人は見たという。
『死者皇ライヴは、木々の間から差し込む陽光のような、美しい髪と瞳をしていた』と——。
「まぁとりあえず、行くしかないわね」
物思いを中断し、フィラ・フィアは皆に声をかける。
強大な神を封じるために、また一歩、前へ。
◇
エルクェーテの町に、風が吹く。
暗い呪いの混じった風だ。フレイリアはふうっと溜め息をつく。
「良くない風ね。また、何か来るのかしら」
彼女がじっと見据えるは、西の方角。遠く目を凝らせば、そちらには黒くうごめく何かがあるのがわかるだろう。
「救世主なんていない、運命は自分で切り開くだけ。私はそれを知っている、ええ、よく知っているわ」
呟いた。
揺れる炎髪に、強い意志を宿した翡翠の瞳。しかし服から垣間見えるその右半身は酷い火傷に覆われ、左半身にもまた、大きな傷があるようだ。その頬にも、醜い火傷の痕が走っている。
「私の傷は悔恨の証。もう二度と、同じ過ちは犯さない」
来るわ、と彼女は言った。西にうごめく黒い何かは、どんどんとこの町に近づいてきている。
フレイリアは後ろを向き、叫んだ。
「魔導士部隊、迎撃用意! この町に一歩の侵入すらも許さない! 我こそは?」
「我こそは!」
彼女の声に応え、彼女の背後に控えていた数人の制服姿の少年少女が彼女に唱和する。
「「ウァルファル魔道学校の、気高き心の風紀委員!」」
◇
「我が心の内に宿る、気高き風の刃を受けよ!」
フレイリアの風が、町に近づく何かを切り裂いた。
それはどう見ても人間だったが、それにしては挙動がおかしい。まるで何かに操られているようにぎこちなく、その目は死んでいる。中には腐敗しかかった身体を引きずってやってくるものもいる。——死者皇ライヴの操る、不完全なる死者だ、仮の命を与えられた器だ。
そして彼女の瞳は見た。それら死者に、追い立てられるようにして走ってきた四人の人影を。フレイリアの目が驚きに見開かれる。
「旅人!? ああっ、もう! あんなところで何やってるのよ! 何も知らないでここに来たのかしら!?」
彼女は四人の人影に向かって叫んだ。彼女の声は、彼女の操る風の魔法に乗って四人の耳に届くだろう。
「ここは危険よ、すぐに帰りなさい! 町の門を開ける余裕なんてない! 死にたくなければ帰りなさい!」
しかし四人は帰ろうとせずに、閉まった町の門を背に、それぞれの武器を構え始める。
フレイリアは頭を抱え、門の上から飛び降りて四人の近くに降り立った。
「死にたいの!? 頭沸騰してんじゃないのあんたたち!」
「生憎と、引き下がるわけにはいかないわ。わたしたちには使命があるのよ」
そんな彼女に、赤い髪に赤い瞳、手に銀の錫杖を持った少女が静かに告げた。
「これは死者皇ライヴの仕業? ならば、尚更」
来るわ、その声とともに、死者たちが簡単に視認できる距離まで近づいた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.30 )
- 日時: 2019/07/22 12:54
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
エルクェーテの町に一行が辿り着いた時、町は既に交戦中だった。
町に向かっている時は気がつかなかったが、フィレルらの背後から死者の軍勢が近づいてきたらしい。途中からそれに気が付いた一行はそれから逃げるようにエルクェーテの町を目指したが、町の門は既に閉ざされていた。
「ならば戦うしかないわ」
覚悟を決めて前を見据えたフィラ・フィア。その耳に届いた警告の声。
——ここは危険よ、すぐに帰りなさい! 町の門を開ける余裕なんてない! 死にたくなければ帰りなさい!
この町の人が、警告を発しているのだろうか。
しかしフィラ・フィアは首を振り、瞳に強い輝きを宿しながらも前を向く。
退かぬ、という彼女の意志を見て取って、呆れたように、街を囲む壁の上から一人の少女が飛び降りてきた。炎のような色した髪に、翡翠の輝きを宿した瞳。身体の左側には醜い火傷の痕、右側にはひどい傷痕。そんな彼女は制服のようなものを身に纏い、フィラ・フィアたちの隣に着地してから怒鳴った。
「死にたいの!? 頭沸騰してんじゃないのあんたたち!」
「生憎と、引き下がるわけにはいかないわ。わたしたちには使命があるのよ」
けれどそんな彼女の言葉を、フィラ・フィアは燃える瞳で遠ざける。
「これは死者皇ライヴの仕業? ならば、尚更」
彼女は少女に言った。
「信じてくれなくてもいいわ。でも、わたしはフィラ・フィアなの。封神のフィラ・フィアなの! 死者皇ライヴを封じにこの町に来た、それだけよ」
「……いいわ。もしもあなたが本当にフィラ・フィアだと言うのならば、ライヴを封じてもらいましょう……かッ!」
迫ってきた死者の大群。その一角に向けて少女が手にした杖を振ると、風の刃が死者を切り裂く。
「でも、まずはこの大群を押しのけてからよ。用意はいいかしら?」
「当然よ」
かくして、交戦が始まった。
◇
ロアの背後に隠れながらも、フィレルは即席で絵を描く。
死者が相手ならば炎が有効だと見たフィレルは、一本の松明を真っ白なキャンバスに描き上げた。その手が緑色に輝く。
そして取り出されたのは、普通よりも少し大きい程度の松明。
ロアがそれを見て、死者を切り伏せながらも文句を言った。
「おい! そんな小さいのでこの大群を撃退できると思ってるのか! 頭を使えよ頭を!」
「使ってるんだよー!」
フィレルはにこにこと楽しそうに笑い、ロアの陰から出てきて松明を死者の大群に投げ込んだ。瞬間、フィレルの瞳が緑玉石エメラルド色に輝き、悪戯っぽい笑みが口元に浮かぶ。
彼は背後に叫んだ。
「イルキスぅ、今のうちなんだよーっ! その風で、僕の炎を大きく燃え広がらせちゃえーっ!」
「任せて、フィレル」
相手の策を知り、イルキスも悪戯っぽい笑みを浮かべた。ロアも、フィレルが何をしようとしているのかを察してその目に驚きの表情を浮かべた。
放り投げられた松明は、真っすぐに死者の軍勢の上へ。
着弾、死者の軍勢が炎を上げて燃え上がる。
そして次の瞬間、イルキスの呼び起こした風が死者たちに対して逆風となり、延焼した炎が壁となって死者の大群を襲う。
火種は小さな松明だったけれど。
気が付けばそこには、巨大な炎の壁が出現していた。
それを見て、傷だらけの少女は手を叩く。
「素晴らしいアイデアだわ! 確かに! 人の死体は炎に弱い! よぉーっし!」
彼女は町の外壁を振り返り、大きく声を上げた。
「魔導士部隊、炎の魔法を用意せよ! 死者の大群は燃やせば倒せる! 炎使い、迎撃用意!」
「「了解しました!」」
外壁から声が上がり、そちらの方から次々と飛んできた炎魔法。崩れ落ちる死者たち。所詮は烏合の衆、集団を崩す方法が見つかれば何とでもなるのだ。
フィラ・フィアは驚きとともに傷だらけの少女を見た。
「あなた……何者なの」
「私? 私は、ね」
傷だらけの少女は誇らしげに告げた。
「フレイリア・アニルハイト。ウァルファル魔道学校の風紀委員長にして首席よ。得意属性は風。伝説の英雄さん? これからよろしくね」
彼女こそ、この学校の若き卵たちの筆頭人物であった。
◇
フィレルの松明を火種に、次々と燃え上がる炎。ウァルファル魔道学校の生徒たちの炎の魔法が炸裂し、それにイルキスとフレイリアの風が勢いを与える。それでもなお近づいてくる敵はロアの剣が切り倒した。フィラ・フィアはロアたちの後ろで支援の舞を舞っていたが、今回の戦いで、彼女が果たした役割は小さいだろう。
炎に包まれ、くずおれる死者たち。やがて進撃は止み、炎に巻かれていない死者たちは引き返していった。それを確認すると、フレイリアは町の外壁の上に指示を飛ばす。
「追撃はなし! 二次被害が出ないように、あとは鎮火よ! 水使い、魔法の用意!」
「「了解しました!」」
彼女の指示に従って、街の外壁の上から放出される水。
死者たちは随分な大群になっていたけれど。
気が付いたら、撃退できていた。
「やったわ。ウァルファルの力を甘く見ないことね、死者皇ライヴ!」
誇らしげにフレイリアが言い放った、時。
その身体が、ぐらり、傾いた。
「え……?」
驚きの声を上げるフレイリア。その脇腹を、
——腕が。
炎の雨を生き残った死者の腕が、
貫通、していた。
「委員長——ッ!!」
町の外壁から、悲痛な叫びが響き渡った。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.31 )
- 日時: 2019/07/24 09:48
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「ん、何とか処置したから、死ぬことはないと思うよ。協力、ありがとうね」
小柄な少年が頭を下げた。
あの後、町の門が開いて、制服姿が何人も現れてフィレルらを取り囲み、事情を聞くと、フレイリアを抱えてどこかへ連れて行った。フィレルたちはその間に巨大な学校に通され、その一室でフレイリアの治療が終わるのを待つことになった。
そしてようやく終わったらしい。治療担当をしていた小柄な少年は、溜息をついた。
「全部倒したと思ったらあんなところに伏兵がいたなんてね……予想外。
でも、あなたたちには感謝しているかな。僕たちさ、炎を使うってこと、これまで考えてなかったし。リーダーが風使いだからさ、こっちもひたすらに物理で殴ってたんだよね」
ところで、と少年のはしばみ色の瞳が好奇心の輝きを帯びる。
「ここに伝説のフィラ・フィアがいるって、本当?」
「わたしがそのフィラ・フィアよ」
首を傾げた少年の前、フィラ・フィアがずいと進み出る。
「疑うんなら、いくらでも語ってあげるわ。あなたたちは知らないでしょう。あの時代に起きた様々なことの、生の話を。ええ、わたしは確かにあの時代に生きていたの。それはわたしにしか語れないこと」
いいよ、と少年は微笑んだ。明るいひなたの色をしたふわふわの髪が、首を振る動きに合わせて揺れる。
「そっちの話し方で何となくわかるもん、あなたはこの時代の人じゃないんだって。あなたの目はどこか遠くを見ているんだって」
じゃあ、と少年の目が期待に輝いた。
「あなたたちは、あのライヴを封じてくれるの?」
ええ、とフィラ・フィアは頷いた。
「わたしたちはそのためにこの町に来たの。哀しみの風神リノヴェルカ、殺しに狂った収穫者デストリィは既に封じたわ。残るは死者皇ライヴと無邪気なる天空神シェルファークと運命の遊戯者フォルトゥーンと闇の亜神アークロアと記憶弄ぶ者フラックと争乱の鷲ゼウデラ……って、結構多いわね!?
まぁ、まだ旅は長いけれど、わたしにはやり残した使命があるから。それを果たすまでは死ねないわ」
へーぇ、と少年は頷いた。
ところで、と少年は首をかしげる。
「何で、フィラ・フィアさまは蘇ったの? 死者蘇生の魔法なんてお伽話の中の世界だよ?」
それは、とフィラ・フィアが説明しようとしたところ、ロアが呆れ顔でフィレルを指さした。
「コイツのせいだよ。コイツ、絵心師なんだけれど、好奇心で禁忌を破って、家に飾ってあった絵から伝説のフィラ・フィアを呼び出しちゃったってわけだ。全ての原因はコイツが作った」
ぶぅ、とフィレルは頬を膨らませた。
「あの時は軽率だったよぅ。でも、興味、あったんだもん」
「開き直るのは良くないな。お前のお陰で救われた人間もいるが、お前のお陰で迷惑を被った人間もいるのだからな? 自覚しろよ、領主の次男坊」
ロアはフィレルを軽く小突いた。
で、ぼくは、とそんな二人を横目で見ながらもイルキスが静かに言葉を発する。
「そんなメンバーと旅先で出会った風来坊。面白そうだからついてきたってだけだけれどね。
ああ、名前を紹介していなかったね? 僕はイルキス。あっちは、あの絵心師がフィレルで剣士がロアさ。君の名前は何て言うんだい?」
「伝説に……絵心師。すっごいメンバーだなぁ」
少年は感心したあと、頷いて自分の胸に手を当て、名乗る。
「僕はシュウェン。みんな、シュウって呼んでる。ウァルファル魔道学院所属、得意属性は大地と治癒。僕の癒しの力は学校の中では飛びぬけていて、みんな僕がいるから、安心して前線で戦えるんだ。僕自身は戦いなんて好きじゃないから普段は医務室に引きこもってるけど」
よろしくね、と少年が頭を下げると、不意に音がして部屋の扉が開いた。
扉を開け、開けた扉に寄りかかるようにして荒い息をついていたのは、青い顔をした、満身創痍のフレイリア。それでも瞳に宿る強固な意志だけは変わらず、彼女は強い口調で言ったのだった。
「話……聞いたわ。あなたたち、ライヴを封じるんでしょう。それに……私も、つれていってもらえないかしら?」
「フレイリアさん!? ちょ、今は安静に……」
「ユヴィオールと約束したもの」
驚いたようなシュウェンの言葉を遮って、フレイリアは言葉を発する。
「ユヴィオールと約束した……。私が、この学校を守るって。今はこの町にいない彼と……約束、したの。だから……ライヴを封じるというのなら、私も、行かないと……」
その約束は、彼女にとって、とても大事なものだったのだろうか。
彼女の翡翠の瞳には、必死さがあった。
仕方ないわね、とフィラ・フィアは溜め息をついた。
「わたしとしても、あなたのような強い魔導士が一緒に来てくれるというのならば大歓迎。でもこのままじゃ戦えないでしょうから、特別に癒しの舞を舞うわ。……まぁ、これをやったらわたしもそれなりに疲れるから、決行は明日以降になるでしょうけれど」
いいわね、と彼女が問うと、お願い、とフレイリアが頷いた。
それを見、フィラ・フィアは舞い始める。
右足を前に踏み出し、右手に握った錫杖を一回転。その場でくるりと回り、錫杖を地に打ち付ける。しゃん、しゃん、と清浄な音が鳴り響き、辺りを一瞬にして神秘的な空間に変える。
歌もない、音楽もない。あるのはただ、鈴の音色と彼女のサンダルの足音のみ。それだけなのに、辺りには不思議な空気が満ち満ちていて、その空気に包まれた者は、心地よさを感じるのだった。
しゃん、しゃん、鳴り響く鈴の音は高く響く。舞うフィラ・フィアの周囲に濃密な魔力が漂う。
——これが、舞の魔法。
フィラ・フィアの使える舞師の技の中でも、最も優しく最も温かい魔法。
やがて彼女の舞が終わった。フレイリアは驚きの目でフィラ・フィアを見る。
「あなた……やっぱり、本当に……?」
ええ、とフィラ・フィアは頷き、誇らしげに言った。
「わたしはフィラ・フィア。封神の七雄のリーダー、『崇高たる舞神』フィラ・フィアよ!」
もう、彼女を偽物と疑う人物はいないだろう。
自分たちの目の前で、こんな奇跡を見てしまったのだから。
フレイリアは扉から手を離し、恐る恐るといった感じで数歩、歩いてみる。何ともない。彼女がよろけることはなく、その足取りは確かなものだった。
フレイリアは微笑みを浮かべた。その時になってようやく、フィレルたちは彼女の左目に光が宿っていないことに気が付いた。彼女の左目の視力は失われていた。
それに、彼女は右半身に酷い火傷の痕、左半身に醜い大きな傷痕がある。いったいどうしてそんなに傷だらけなのか気になったフィレルは、何の考えも無しに疑問を口にした。
「ねぇねぇ! ところでさ、フレイリアってどーしてそんなに傷だらけな……」
「おいフィレル! 少しは考えて物を言え!」
口にしかけた言葉は、ロアに口を押さえられることによって途中で消える。
済まないな、とロアが謝罪した。
「何か事情があるのだろう、追求はしない。うちのフィレルが礼儀知らずで済まないな……」
「構わないわ。後で話しましょうか? まさか今日、いきなりライヴを封印するわけじゃないわよね。時間ならたっぷりある。
それに、せっかくの客人だわ。そっちさえ良いのならば、学校を案内して夕食の誘いをしようと思うんだけれどどうかしら。そこらの宿も悪いってわけじゃないけれど、せっかくだから私たちでおもてなししたいのよ」
フレイリアの言葉に、本当にいいのかとロアが問うと、当然よと彼女は笑う。
「じゃ、お誘い、受けてくれるのね。ならばこれから学院内を案内して差し上げたいところだけれど……私は、後で報告があるから。ねぇ、シュウ。あなたが案内してくれる?」
「わかりました、リーダー!」
フレイリアの言葉に、小柄なシュウェンが元気よく返事した。
「ではでは、改めまして! 僕が案内担当になった、シュウェンです!」
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.32 )
- 日時: 2019/07/26 11:18
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
ウァルファル魔道学院は、エルクェーテの町の三分の一程度を占める広大な学校だった。町の他の建物も、ほとんどはこの魔道学校の為にあるようなものらしい。この町は魔道学校が主体であり、それ以外の施設はただのおまけにしか過ぎないらしい。
シュウェンはフィレルらを図書室らしき、本棚が並んでいる部屋に案内した。
扉をくぐれば、一気に変わる風景。所狭しと並んだ書架に、書架の海の向こうに見える螺旋階段。螺旋階段を上っていくと二階にたどり着くらしく、その二階にも書架の海があるのが垣間見える。
書架は入口の辺りにあるものは整然と並んでいたが、一階の奥の方は雑然と並んでいるようで、その様はまるで迷路のようである。
「ここが僕らの図書館ね。二階と奥の方の書架の海は通称『本の迷路』で、決められた手順で進まないと確実に迷うし、一番奥にはやばい守り神がいるからそっちには行かない方がいいよ」
そう、シュウェンは説明してくれた。
イルキスは興味深そうに書架を眺める。その瞳が好奇心に輝いた。
「あ、もしかしてあれって一部では禁書指定された『アルヴェラリの魔道書』じゃないのかい? って、あれは傀儡使の魔法について書かれた貴重な書物? で、あれは……まさか」
「そう、『アンダ・クィム』だよ。よく知ってるね。読書は好きなのかな?」
ああ、とイルキスは頷いた。
「僕の住んでいた町では図書館に入れなくなった本ばっかりだよ。本の迷路の奥には一体どんな素晴らしい書物が眠っているのか気になるところだけれど……」
「ああ、気持ちはわかるけれどそれはだめ。実はフレイリアさんが大怪我した理由って、本の迷路と密接な関係があるわけだし。……本当に、ね。あの守り神はやばいんだよ。天才であるフレイリアさんさえ、助けが来なかったら死んでたんだから……っと、喋り過ぎたかな。詳しいことは僕の口からは語れないけれど、図書館の奥には行っちゃ駄目だよ。生半可な気持ちで行ったら大怪我するから」
「……わかった」
心なしか、イルキスは少し残念そうな表情である。
シュウェンはにっこりと微笑んだ。
「読書好きなら、後で僕とお話しない? 僕ね、ここにあるものの中で、本の迷路以外の本はほとんど全て読み尽したんだ。一緒にお話ししたらきっときっと楽しいと思う」
「喜んで」
イルキスも穏やかな微笑みを見せた。
さて、とシュウェンは一同を振り返る。
「図書館の案内はいったんここまで。後は……えーと、僕たちの食堂に行こう。そろそろフレイリアさんも着いている頃合いだと思うし、丁度良いんじゃないかなぁ」
行くよ、と彼は歩き出す。
イルキスはしばらく書架を名残惜しそうに見ていたが、やがてゆっくりと一番後をついていった。
◇
食堂にたどり着くと、そこには既に何人かの生徒たちがいた。
フィレルは、フレイリアはどこかと辺りを見回したが、まだ着いていないらしく姿が見当たらない。
先に食堂にいた何人かの生徒たちはフィレルたちを見て、様々にざわめきあっていた。先程の戦いを、町の外壁から見ていた者もいるのだろう。
その中のある生徒が、シュウェンに声を掛けてきた。
「よーぅ、シュウ。何だ、お客様の案内か?」
つんつん突っ立った赤い髪、挑発的な赤い瞳。学校の制服を着崩した、どこかおちゃらけた雰囲気の漂う少年は、シュウェンにその赤い瞳を向けた。
うん、とシュウェンは頷いた。
「そうだよ。フレイリアさんから頼まれたんだ。この人たちの詳しい紹介はフレイリアさんが到着した後になると思うけれど……。そうだ」
シュウェンは赤髪の少年を突っついた。
「せっかくだからさ、君。お客様に自己紹介くらいしたら?」
「ん、そうだな」
赤髪の少年は頷き、自分の胸に手を当てた。
「オレ様は! ウァルファル魔道学院所属、規律を守らない風紀委員ことエルクェーテに吹く赤き風!
イシディア・アルゥテスとはオレ様のことだ!」
「ディア、規律を守らない風紀委員とか自慢にならないからね!? いつも困ってるのは僕らだからね!?」
シュウェンの呆れたような突っ込みなんてどこ吹く風。
イシディアと名乗った少年は、ちょうど近くにいたフィレルに手を差し出して、フィレルの手を握って豪快にぶんぶん振った。
「そんなわけで、よろしくだぜお客人!
……って、お前、細っそいのな。ちゃんとメシ食ってるか?」
「わぁ、わぁ、ちょっと待って落ち着いてよ!?
僕は芸術家だしたくさん食べなくても大丈夫なのそれにいつもたくさん食べてるし!?」
びっくりした様子のフィレルを見、イシディアは豪快に笑った。
そこへ。
「報告は済ませたわ。シュウェンはいるかしら……って、あら?」
遅れて到着したフレイリアがその様子を見、何があったのかを悟って笑った。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.33 )
- 日時: 2019/07/28 11:02
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「皆さん、紹介するわ。私たちを助け、死者の軍勢を退ける一助となった者たちよ。左から、フィレル、ロア、フィラ・フィア、イルキスね。聞いて驚きなさい。このフィラ・フィアは、伝説のフィラ・フィアなのよ? こっちの絵心師フィレルが誤って禁忌を犯して彼女を呼び出してしまい、呼び出された彼女は昔やり残した使命を果たすために旅をしているんだって」
到着したフレイリアは皆を集め、静かにさせてから部屋の一番奥でそう、皆に説明した。
「そして明日、彼らはあのライヴを封じに行くの。もちろん、私もついていくわ。そして折角のお客様なのだから、しっかりおもてなししないとねってことで学院に呼んだの。今夜は客人をもてなす晩餐会よ。
さて……伝えたいことは大体これだけ、かしら。質問などあればお気軽にどうぞ? 質疑応答が終わったら食事になるわ」
すると、すっと手を挙げる者がいた。あのシュウェンである。
彼は言う。
「リーダー、僕も同行させて下さい! えっと……僕の癒しの力、役に立てればいいなって……」
へぇ、とフレイリアは翡翠の右目に面白がるような光を宿らせた。
「言っておくけれど、対峙するのは神様、そう簡単な相手じゃないわ。私だって死ぬ可能性は考慮しているの。その覚悟は——あるわね?」
「ええ、あります!」
「ならよろしい。一緒にいらっしゃい」
フレイリアが頷くと、シュウェンは心から嬉しそうな顔をした。
すると「オレ様も」とイシディアが手を挙げた。
「シュウだけじゃ心配で見てられねぇよ! いやー、リーダーがいるのはわかるけど、シュウを一人にゃできねぇわ。そんなわけでオレ様も行く! 異存があるとは言わせねぇぜ?」
「……あんたは私が止めたって強引についていくでしょうね。わかったわ、いらっしゃい」
他にはもういない? と彼女が問うと、残った一同は頷いた。
フレイリアはオーケイ、と呟くと、ぱんぱんと手を叩いた。
「では食事にしましょう。客人たちも好きに食べるといいわ」
こうして晩餐会が始まった。
「あなた、知りたがっていたでしょう。私のこの傷跡について」
様々な料理を食べながら、フレイリアは静かに言った。
慌てるフィレルに「気にしなくていいわ」と返す。
「私の過ちでこうなった。それにまぁ、私、話すことそこまで苦痛じゃないもの」
そして彼女は語り出す。昔に犯した過ちと、ほろ苦い思い出を——。
◆
ある貴族の家、アニルハイト家に一人の少女が生まれた。フレイリアと名付けられた少女は幼い頃から天才的な風の魔法を自在に操ることができ、彼女はその力によって誰からも一目置かれていた。
そして今や国の体をなしていない大陸国家シエランディア、そこに唯一ある、実力者たちの魔道学校、ウァルファル魔道学院に首席で入学、彼女の才能は溢れんばかりだったが、しかし彼女は傲慢で、他人を見下すように育ってしまった。彼女が誰よりも強いから、誰も彼女を止めることができなかったためだ。
そしてある日彼女は自分を試すために、禁書を読んで更なる力を得る、なんて建前を使って本の迷路に挑戦、封じられた第一の扉を破り、第二の扉の守護者を倒すところまで行き彼女は有頂天になっていた。しかし第三の扉、最後の扉の守護者はこれまでの守護者とは格が違った。そこにいたのは竜だった。とうの昔に滅びたとされる伝説の一族、竜族《ドラグーン》だったのだ。
フレイリアは果敢に挑むも竜の鱗に魔法を弾かれ、辛うじて竜の左目を傷つけることに成功しはしたが反撃に遭って左半身を炎に焼かれ、右半身を大きく抉られた。そして彼女が自分の愚かさを知り、死を悟った時、
「そこをどけ!」彼女を突き飛ばして青い影が立ちはだかったのだ。
「……その人。ユヴィオールは私の次に成績が良かったし実力も私の次にあった人だった。故郷では天才と呼ばれた彼も、ウァルファルでは常に私の次っていう立場、つまりトップにはなれない人で、私に嫌な気持ちを抱いていたって不思議ではなかったの。それなのに」
彼は自身の全ての魔力を消費し、魔力の限界を超えた力を使ってまでして竜の火焔の息からフレイリアを守った。しかし彼はその直後に倒れて昏睡したが、騒ぎを聞きつけてやってきた先生たちによって二人は救出された。
フレイリアが目覚めてから一週間くらい後にユヴィオールは目覚めた。彼は限界を超えた力を使った為に全ての魔力を失っていた。先生たちは彼に「ここにいてもいいよ」と言ったが、「魔力を失った魔導士が、魔道学校で何を学ぶというんだ」とその申し出を拒否、傷の影響で動けないフレイリアに、「お前を恨んだり憎んだりはしていない」と言い残し学校を去った。その時初めてフレイリアは、彼に恋をしていたのだと気がついたが全ては後の祭りだった。
それから一カ月後。後遺症は残ったが授業に出られるほどには傷の回復したフレイリアは授業に出て、クラスメートにこれまでの態度を謝る。するとクラスメートは笑って彼女を許し、ようやく彼女に居場所ができた。
そして主席へと舞い戻ったフレイリアは今、風紀委員長兼生徒会長として学校をまとめている……。
◆
「まぁ、そんな話になるわ。だから私のこの傷は、私の愚かさの証ってわけ」
そう、フレイリアは締めくくった。
予想よりもはるかに波乱の多い話にフィレルは目を白黒させた。
「何て言うか……大変な人生を歩んできたんだね」
「ここまで波乱のある人生を、一生かかったって歩めないやつもいるのにな……壮絶な物語だ」
そう、ロアも感想を漏らした。
それでね、とフレイリアは続ける。
「エルクェーテは死者皇ライヴの勢力圏だから、卒業するまでお前がこの学校を、この町を守れって、そうユヴィオールは言い残した。だから私は頑張ってるの。私の愚かさに気付かせてくれたユヴィオールがいたからね」
だからこそ、と彼女は言った。
「明日の封印、絶対に成功させるわよ」
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.34 )
- 日時: 2019/07/30 10:01
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
やがて晩餐会が終わり、生徒たちはそれぞれに散っていった。
フレイリアはフィレルたちをある場所に案内した。
無駄に広い学校には寮もついている。寮は二人で一部屋らしく、フレイリアやシュウェンにもそれぞれルームメイトがいるようだ。
フィレル達は寮の空き部屋に案内され、フィラ・フィアだけが女子寮へ、残りの男子たち三人は男子寮へ行くことになり、その入口で二つに分かれた。
「私だって暇じゃないけれど、明日は大切な日だし、早めに寝るわ。あなたたちも夜更かししないでね。明日は朝七時に食堂集合よ、遅れないでね」
そう言って、フレイリアはフィラ・フィアと共に女子寮へと消えていった。
「僕とロアは一緒だねっ!」
フィレルがはしゃぐと、そうだな、とロアは頷いた。
「悪いがイルキスは……」
「ああ、わかっているさ。一人部屋もないことはないらしいし、僕はこれまでずっと一人旅だったからねぇ。大丈夫、気にしなくていいよ」
申し訳なさそうにしたロアに、イルキスは明るく笑い掛けた。
日はもう暮れて、時刻は遅い。もう寝る時間だ。
「じゃ、また明日」
「またね」
指定された部屋の前、それぞれに挨拶を交わして別れた。
「さぁって、僕はもう寝ちゃうよ、お休みぃっ!」
部屋の中身をよく見るまでもなく、二段ベッドを見つけたフィレルはその下の段に飛び込んでさっさと寝てしまった。ロアはそんなフィレルに呆れた目を向けながらもそっと布団を掛けてやり、二段ベッドの上の段におさまった。
寮の二人部屋はそこそこ広く、ざっと十畳くらいはあるだろうか。ロアの座る二段ベッドの上の方からは窓から月が見えた。それをぼんやり眺めていた、ロアの元へ。
謎の霧が、忍び寄った。
「……ッ、何だ?」
眠るフィレルを起こさぬよう、そう、鋭くロアは問うた。
霧、謎の霧、白い霧。それから思い出すのはいつかの霧の男。ロアの記憶を一方的に暴き、思い出してはならない何かを思い出させようとした存在。
今、ロアの目の前に揺蕩《たゆた》う月の光を反射してきらめいているそれは、あの霧の男と同じ匂いがした。
「君に思い出を返しに来たんだよ」
その霧は、そんな言葉を紡ぎだした。
次の瞬間、ロアの目の前に、白の、ボサボサの長髪、冷たく澄みきった印象を与える蜜色の瞳。白のローブを身に纏い、足には白のサンダルを履いた謎の男が現れた。男は宙に浮いていた。その男の姿を目にした途端、ロアの頭に激痛が走る。
「ぐ……ぅ……ッ!」
フィレルを起こさぬように極力声を抑えながらもロアは呻きを漏らした。頭の奥を抉るような激しい痛みが彼を襲う。
「貴様……何の、用だ……!」
「だから言ったじゃないか。僕を殺してくれないかって、ね」
何でもないことのように霧の男は、霧の神セインリエスは笑う。
「一気に返したら君が壊れるからねぇ。面倒だから少しずつだ。ほら、何か思い出しただろう?」
ロアの頭の奥で激痛がする。それは隠された記憶を強引に晒されてあげる痛みの声だ、苦しみの声だ。
そして痛みの中でロアがつかみ取ったのは——
「……憎し、み?」
それは神々に対する激しい憎悪だった。ロアは己の感情に戸惑う。確かに神々は地上を荒らしてはいるが、その魔の手がイグニシィン領に迫ったことはない。ロアもフィレルもファレルも、フィレルが誤ってフィラ・フィアを取り出すまでは神々とは無縁の存在だったのだ。だからこの記憶は、ロアがファレルに拾われる前の記憶だ。完全に失われた十年間。
「神々は……オレに、何をした?」
「さぁねぇ。自分で見つければ? ああ、少なくとも私は君の憎悪に関係していない。それだけは確かだ」
もやもやするだろう、と霧の男セインリエスは笑った。
「健気にフィレル君が頑張ったって無駄。君は記憶を取り戻すことを完全には拒否できない。だって、自分のことなのに自分でわかっていないことなんだもの、知りたいと思うのは当然さ」
その結果がどうであろうとも——と、霧の男は低く囁く。
と、二段ベッドの下のフィレルがロアの名を呼んだ。どうやら寝言らしいが、その声を聞いた霧の男の姿が薄れ始める。
「ふふふ、私はそろそろ帰るとするよ。次はいつ来ようかな? ああ、全ての神々を封じる前には君の記憶を完璧なものにしてあげよう、約束するさ」
その時は私を殺してね、と、蜜色の瞳に切実な光が宿った。
そして彼は姿を消した。霧のように、忽然と。
「待て!」
ロアは霧を掴もうとしたが、霧は彼の手をすり抜けて散ってしまった。勢い余ったロアはバランスを崩し、二段ベッドの上から落下する。激しい音と息の詰まるような衝撃。
「ロアぁ、どーしたのさぁ?」
その音にぼんやりと目を覚ましたフィレルが身を起こし、目をこすりながらも、無様に部屋の床に転がるロアを見て眠たげな声を投げた。ロアは何度か深呼吸して痛みと衝撃を身体の外に逃がすと、努めて冷静な声で
「……悪い夢を見たんだ。大丈夫だ、気にするな」
と言葉を投げ、何でもないことのように立ちあがって梯子を登り、二段ベッドの上へと戻った。
そっか、と眠たげなフィレルが答える。
「でも……ロア、いなくならないでねぇ」
お休み、良い夢を、と声がして、そのすぐ後に穏やかな寝息が聞こえてきた。
「……いなくならないで、か」
ロアは小さく呟いた。
頭痛はいつしか止まっていた。どうやら記憶が返されるのと連動して激しい頭痛がするらしい。
「オレの記憶がすべて戻ってきた時、オレはフィレルの願う通りにいられるのか……?」
窓辺から差し込む月明かりだけを頼りに己の手を見た。それは紛れもないロアの手だったけれど、一瞬だけ、その手に懐かしい感触が蘇ってきた。そう、自分はかつて、この手で誰かを抱き締めていたのだ。その名は、ノア。ノアがロアにとってどのような関係にあった人物なのかは記憶が抜けているが、とても大切な存在だったことはわかる。ノアと過ごした明るく穏やかな記憶は先日、霧の男に返された。
しかし今、ノアはロアの近くにはいないようだ。戦乱によってロアは記憶を失い戦災孤児となったが、もしもノアと戦乱の中で別れてしまったのならば、そしてまだノアが生きているのならば。
ノアを探せば、記憶が戻るかもしれない。こんな霧の男になんか頼らずとも。
そう、ロアは思った。
「……さて、寝るか」
呟き布団を引っ被る。
明日の朝は、早い。
夜。ウァルファル魔道学院の寮で、イルキスはひとり月を眺める。
その青の瞳には、小さな不安が揺れていた。
「ぼくは今この旅を楽しんでいるけれど、今度こそ僕の『悪運』に、誰も巻き込まずにいられるかな……?」
ぎゅっと固く目を閉じた。閉じられた瞼の裏に浮かぶのは、嵐の海と揺れる船。そして耳の奥に蘇る、イルキスの名を呼ぶ悲痛な叫び。
イルキスは自分を守って死にかけた大切な人を守るため、自分の人生を運命の女神に売り払った。代わりに得たのがこの指運師の力だが、彼にはその代償として、常に『悪運』が付きまとうようになってしまった。そしてその『悪運』は他者をも巻き込むのだ。それを知っていたからイルキスは、彼の『悪運』で偶然出会った少女を失ったからイルキスは、それ以来極力他者に関わらず、自分の大切な人の元にも帰らないようにしていたのだが。
「……どうして、助けてしまったのかな」
風のように気紛れなイルキスだけれど、自分を縛る枷はあって。
自分と関わった他人は、彼の『悪運』に巻き込まれる可能性も高いのに。
それなのに今、もうすぐで死者皇ライヴを封じられる現場で伝説のフィラ・フィアの仲間として彼女の隣に立てることに、心躍らせる自分がいた。誰かを巻き込むのは嫌だけれど、それでも誰かの傍にいたいという二律背反。
「まぁ、考えていても仕方ないか。ぼくはみんなと一緒に行くんだ、『悪運』なんかに負けてやるものか」
決意を新たに布団にもぐる。
しかしその夜彼が夢に見たのは、あの少女を失った日の悪夢だった。
「明日は死者皇ライヴを封じる日……。わたし、しっかりやり遂げるんだから」
寮の一人部屋で、誰にともなくフィラ・フィアは呟いた。
「エルステッド……シルーク……ヴィンセント……レ・ラウィ……ユーリオにユレイオ! 見てるかしら? わたし、やり残した仕事を完遂させに行くのよ。みんなはもういないけれど、新しい頼れる仲間たちと一緒に!」
あれからもう三千年。見知った世界は遥か彼方に消え失せてしまったけれど。
いくら会いたい、と願っても、彼らはもうとうに骨となり朽ち果てているけれど。
彼らと過ごした思い出は、今も彼女の胸の中。忘れられない重い思い出として、残り続けている。
「今度こそ成功させるわ、今度こそ誰も死なせないわ」
それは彼女の強い決意。
失うのはもうこりごりなのだ。悲しみに心はすり減っても、失う痛みに慣れることはない。
「わたし、頑張るから……。見てて、そして応援していて」
願った時、彼女の視界の端に純白の蝶の群れが映ったのは、彼女の想いの見せた幻影なのだろうか——。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.35 )
- 日時: 2019/08/01 12:37
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
ロアに叩き起こされて、フィレルは食堂に向かう。
食堂にはもう全員がついていた。が、イルキスだけが少し疲れているような眼をしていた。
それに気が付いて、
「イルキス、大丈夫ぅ?」
フィレルが問えば。
イルキスは苦笑いを返した。
「……嫌な夢を見たんだ、それだけさ」
そしてそのまま黙り込んでしまった。
一瞬暗くなった雰囲気。それを打破せんとフレイリアが声をあげる。
「暗い話はおいておくわよ! 死者皇ライヴの封印だけれど——みんな、準備はいいかしら?」
フィラ・フィアの言葉に頷く一同。
じゃあ行くわよとフィラ・フィアは言った。
◇
死者皇ライヴの神殿にたどり着く。それは白っぽい石で出来た、明るい雰囲気の神殿だった。ところどころに植物や動物を模した装飾があるその神殿は、死者皇のイメージにそぐわない。ただ、ところどころに朽ちた骨や動物の死骸があったが、それも生命力あふれる装飾の前では、生物の一形態にしか見えず、死の雰囲気は感じられない。
フィレルは首をかしげる。
「死者の王様って聞いたからさぁ、もっと暗くって怖いイメージがあったんだけど、この神殿は明るい雰囲気なんだね」
そうよ、とフィラ・フィアは頷いた。
「ライヴは最初から死者皇だったわけじゃないもの。彼は元は生命の神様だったのよ。だからこんな装飾が」
と、不意に声が聞こえた。それは感情を感じさせない声だったが、どこか少年のもののようにも聞こえた。
『——ようこそ僕の王国へ。他国へ侵略を試みる王を討ちにきたの? でも簡単にはさせないよ。そして王に無断で国境侵犯をし、王の命を狙おうとするのならば王の忠実なる部下たちがそれを許すはずがない』
その声と同時、そこらに落ちていた骨や動物の死骸が突如、生命を得たかのように動き出す。
少年の声が——死者皇ライヴの声が、どこからともなく聞こえてくる。
『王を討ちたければ、王宮の最奥部を目指せ。そこで王は待っているが——まず、王の部下を無事に倒し切れるかな。さて、王国の民よ、侵犯者を追い払え、殺しても構わない!』
動きだした死者たちが、フィラ・フィアたちの方を向いた。融けかかった眼窩に、虚ろな骨の奥の空間に、白く濁った眼の奥に、赤い光が灯る。
「来る——!」
フレイリアは杖を構えた。他の皆もそれぞれに武器を取る。
神殿のこのエリアは一本道だ。どうやらこの死者たちを倒さないと先に進めないらしい。数はざっと四、五体程度。小手調べとして送り出した先鋭のようなものらしい。
「行くぞッ!」
ロアが剣を抜き放ち、高速で骸骨の首をぶった切る。骸骨の頭と首が見事に分離された。骨を断つなんてことしたらロアの方も剣も無事では済まないはずだが、何故か彼は涼しそうな顔。彼は余裕の表情で宣言する。
「一体目」
そんなロアの雄姿に鼓舞されて、イシディアが炎の魔法を放つ。イシディアが掲げたトネリコの杖の先、強大な魔力の炎が灯る。イシディアは口元に獰猛な笑みを浮かべた。
「風紀破りの風紀委員イシディア様参上! 死者だかなんだか知らねぇが、いい加減堪忍袋の緒が切れたぜぇ! さっさと燃えて成仏しなッ!」
イシディアが杖を死者たちに向けると、杖の先にともった炎が空高く舞い、急速で落下して着弾、派手な大爆発を引き起こした。爆風で死者たちの身体がはじけ飛ぶ。巻き込まれそうになったロアは持ち前の瞬発力で間一髪、、何とか爆風から身をかわしたが、味方まで巻き込むつもりかと文句を言った。
イシディアは頭を掻いた。
「悪い悪い、調子に乗っちゃったかもなぁオレ様? いやいやそんなに怒るなって。オレ様のお陰でさっきの雑魚は一掃よ? ホントに小手調べだったみてーだな、さっさと先に進もうぜ?」
爆炎が晴れた先、動いている死者は一体たりとも存在してはいなかった。
その強さに呆然としているフィレルの肩を、イシディアが気さくに叩く。
「オレ様、強いだろ芸術家の坊っちゃん? だからよ、先の露払いはぜぇーんぶオレ様に任せてくれよなっ!」
イシディアの切り開いた道を一行は進む。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.36 )
- 日時: 2019/08/03 10:50
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
進めば進むほど増えていく死者の群れ。倒しても倒してもキリがない。
ロアは剣で骸骨の骨を叩き斬るが、首を切断されない限り、骸骨は他のどこを切られても動く。そりゃあ痛覚がないからねぇとイルキスは苦い顔。イルキス程度の風の刃では骸骨の骨を断つのは難しく、彼はもっぱら補助に回っていた。
「私も……これを切るのは、至難の業よ」
額から軽く汗を流しながらもフレイリアが言った。彼女ほどの使い手となれば風の刃でも骨を断つことはできるが、それには随分な力を消耗する。
「ライヴ本人と戦う時まで力は温存しておきたいところ……。でもっ、来るならやるしかないわよね」
そんな彼女に、「大丈夫です」とかかる声。
シュウェンが掲げた杖の先をフレイリアに向けていた。杖の先端に緑の光が灯り、それがフレイリアを包み込んだ。すると彼女の乱れていた呼吸が通常に戻り、その顔も少し楽になった。シュウェンの持つ癒しの力である。
「助かるわ、シュウ!」
「当然ですよ」
フレイリアの言葉に力強く返すシュウェン。
「僕は完全なる補助役です、攻撃役がいなければ一人では何もできない力しか持っていないんです。だから、だからこそ! 代わりに戦ってくれている前衛の為にも役に立たないとって思うんです」
「それは頼もしいわ」
フレイリアはにっこりと微笑んだ。
ロアは剣で相手をぶった切り、イシディアは炎魔法で死者たちを燃やす。イルキスは風魔法を巧みに操って味方の補助や敵の妨害を行い、フレイリアは風の刃で攻撃をする。フィラ・フィアは決戦の時まで力を温存するために、今回はあえて動いていない。守られてばっかりの自分が嫌だなどと彼女は言っているが背に腹は代えられない。
そんな一方、フィレルは……。
「来るな来るな来るなぁーっ!」
絵心師の力で絵から取り出した松明を振り回し、それで死者たちを撃退していた。死者は火に弱い、それがわかっているので彼なりに対応しているつもりだろう。少しくらいは役に立っている。
そうやって少しずつ進んでいったら。
空気の違う場所に出た。
長い廊下はいつの間に終わったのだろうか。目の前に広がるのは大きな部屋。その部屋の中央には玉座のようなものがあり、その上には赤い布地で裏打ちされた、黒のマントを羽織った少年がいた。金の髪、金の瞳。しかしその黄金の瞳の奥には妖しく光る深紅の輝き。彼こそ、死者皇ライヴなのだろう。
『よく来たね。何だ、もう僕の民を倒したのか。そっちが強いのか僕の民が全然大したことがなかったのか……』
どっちにしろ関係ないか、と彼は薄く笑う。
『僕は僕の王国を侵犯する存在を許さない。そして全ての民が死んだとしても王として抗い続けよう。侵犯者よ、見るが良い。——これが僕の王国だ』
言って彼はその手を振った。するとどこからか現れたのは——
「ヴェイル!? それにリッカにエレン!」
「……死んだんじゃ、なかったの」
「生きてたのかよお前ら!?」
フレイリアが悲鳴のような声を上げ、シュウェンが呆然と呟き、イシディアが驚き叫ぶ。
身体を縄で縛られて動けなくされ、骸骨によって連行されてきた三人は、ウァルファル魔道学院の服を着ていた。一人は灰色の髪に青い瞳の、物憂げな少年。一人は茶色のふわふわのショートボブに鮮やかな緑の瞳の少女。一人は金のセミロングヘアに紫の瞳のおとなしそうな少女。
「……三人は、ライヴを討伐しに行ったんだ。でもずっと帰ってこなかったからてっきり死んだものかと……」
シュウェンがそう、解説した。
死んだはずの仲間たちが生かされて、今、決戦の場で改めて呼び出される。
ライヴは何故三人を殺さなかったのか。
フィレルの脳裏に、昔ロアから意地悪で聞かされた、恐ろしい物語が浮かんだ。
そして気づく。何もわからない、知らない、頭がお花畑なフィレル。でもその頭の中には常にファレルからロアから聞かされた様々な物語があったから、物語を頼りに導きだした、導きだせた答え。
『懐かしの友と出会えて嬉しいだろう』
感情のないライヴの声。
これから起きることに気がついて、フィレルは最悪の未来を回避するためにスケッチブックに絵を描いていた。
「やめてえぇぇぇーっ!」
描いたのは、たった一つ。
相手の動きを止めるもの。
相手の動きさえ止めれば、その危機は回避できる。
生者も死者も火を厭う。生者は本能的に、死者だって火を近づければ燃えるから。それは生死に関わる神、死者皇ライヴだって同じこと。彼だって火を嫌うはず。
「止まれっ!」
フィレルは絵を描いた紙を紙飛行機の形にして、死者皇ライヴに向けて放った。そこから生まれたのは幻影破りの火炎。いつしかイルキスの幻影を破った時のような、水を蒸発させる、力の炎。
しかし。
『思考する暇なんてどこにもなかったのに』
相手の方が、一瞬だけ早かったのだ。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.37 )
- 日時: 2019/08/05 11:47
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
骸骨が、縛った大人しそうな少女をぶん投げた。少女は紙飛行機に衝突し、生まれた炎に、悲鳴を上げながらも包まれる。そしてその隙にライヴが手で指示を出すと、
残りの少年少女の頭が、骸骨の腕で砕かれた。
悲鳴、そして飛び散った脳漿ともう頭の形をしていない歪《いびつ》な頭部。辛うじて見える虚ろな目玉が、その人がかつてその人だったことを感じさせてさらに不気味だ。その場は一瞬にして地獄と化した。思わず目を覆いたくなるような、目も当てられぬ深紅の光景。
フィレルは知っていた、物語の法則として知っていた。
——「一度死んだと思われた仲間が何らかの形で生かされ、その後に囚われた状態で再会する時。大抵の場合は殺され、助けに来た仲間に絶望を与えるためだけの道具となる」ということを。
そうさせないためにも呼び出したのに、全ては無駄だった。
悲痛な叫びが神殿を震わせ、その叫びを聞いて死者皇は笑う。
『さぁ、新たな僕の民だよ、動け』
そして頭を砕かれて死んだはずの二人が動き出す。燃え上がった少女もまた、燃えながらも動き出す。
そう、今まさに彼らを救わんとしていた、フィレルらの方へ。
フレイリアがへたり込んだ。あの強かったフレイリアが。
皆、状況が見えてきたのだ。皆、少しずつ分かってきたのだ。死者皇ライヴが三人を生かし、最終的に何をやりたかったのか。
彼はみんなの目の前で三人を殺し、その上死んだ三人に強引に生命の力を与え、自分の国民とした上で侵犯者に歯向かわせる心づもりだったのだ。そのために生かした、そのために殺さなかった。——侵犯者の心を、折るために。
『侵犯者に裏切り者が現れた。しかし裏切り者はよく知る顔だ。さてどうする? 王はただ命じるだけ、自分からは何も動かない』
「貴様ァッ!」
激怒したフレイリアが荒れ狂う風を身に纏い、爆発させた。衝撃波となった風がライヴを襲う。それを予期したのか、死者皇はすっと玉座の陰に引っ込んだ。
フレイリアは本気で怒っていた。
「死んだと——あの人たちは死んだと! 思ってたんだ、思ってたのよ! なのに生きていると希望を抱かせてその上で希望を叩き折るとか! 命を弄ぶのも大概にしなさいよねぇあなたッ!」
『命をあげるだけじゃつまらないから。奪ったり弄んだりしたっていいじゃないか。だって僕はこの王国の王様だもの』
対する返事は何処までも淡々と。フレイリアの叫びに堪える様子もないようだ。
そもそもこの神に良心の呵責なんて、そんなものなど存在しないのかも知れない。
そんな様をきゅっと唇を引き結んで見詰めながらも、慎重に舞い始めるフィラ・フィア。フレイリアとライヴが対立している内に封印を済ませるつもりだろうか。それに気が付き、ロアがそっと彼女を守るように寄り添った。イルキスは複雑な表情で神と人間との対話を見詰め、イシディアとシュウェンはまだ動揺から立ち直れてはいない。
そんな周囲に気を使う余裕なんてなく、フレイリアはただ自分の思いのたけを吐きだした。
「王様だからって好き勝手するなんてこの私が許さないッ! 許されたいなんて思ってない、ってあんたが言ったって私の気持ちは別物だッ! 私はねぇ、学院を、託されたのよ。だからこれまでずっとずっと守ってきた。でもその結果がこれなの、仲間のこんな無残な死なの!? だから私は守り切れなかった自分を許せないし、命を命と思っていないあんたを許さない。生命の神? どこが! 生命の名が聞いて呆れるわ!」
ユヴィオールに託された学院。彼との出会いと別れによって変わった自分。
フレイリアの心には強い使命感があったのに、強引な手段で大切な仲間を奪われた。
彼女の語った物語を、フィレルは思い出していた。
動きだす死者たち。それは顔を半分崩壊させてはいたが、紛れもなくその顔はフレイリアの仲間のもの。死んだ仲間をもう一度殺すなんて非道、行うのは辛すぎる。しかしこのままではこの仲間の顔をしたゾンビに殺されてしまうから、それだけは決して望まぬ結末だから。
「何、呆けているのみんな。今目の前にいるのはもう、ヴァイルでもリッカでもエレンでもないわ、みんなの顔をかぶったゾンビよ。ならば彼らを恐れる必要なんてどこにある? みんなは死んだのよ、ええ。帰らなかったあの日から!」
立ち上がりなさいと彼女は鼓舞する。
その後ろで着々と作られていく虹色の鎖。
しゃん、澄み渡った錫杖の音が狂った理性を正していく。
それに気がついた死者皇が、フィラ・フィアと彼女を守るように立つロアに金色の目を向けた。
『……不意を打って王を封じようとしたのかな封神の姫? だがそう簡単に行くと思うのは間違いだ、身をもって知るといいよ』
刹那、死者皇が、動いた。赤い裏地の黒いマントが翻る。
死者皇ライヴは生命の神。彼は死者を使役するが、その手で触れれば生者から生命力を抜き取り死者にすることもできる。その彼が、直接動いた。その意味。
『もう二度と蘇れないように、その命、食らってあげる』
高速で迫ったライヴの手。それを防ごうとロアが剣を構えるが——。
「ロア、死んじゃうよッ!」
フィレルの悲鳴。死者皇ライヴがにやりと笑った。彼のターゲットはロアに移った。ロアさえ倒せばフィラ・フィアは無防備だ、それをわかっているから。それでもロアはその場を動かないだろう。動いたら全てが終わる、それをよくわかっているから。
『邪魔をする者は全て死ぬ。王国の律法からは誰も逃れられないよ』
ライヴの手とロアの剣がぶつかった。直接触られてはいないが、ロアの表情が苦痛に歪む。破滅の未来を回避しようとイルキスとフレイリアが風を送るが死者皇はびくともせず、イシディアが炎を送ろうものならばライヴの使者たちが自ら犠牲になって食い止める。
やがて。
「く……ッ!」
ライヴの手によって弾かれた剣。銀の軌跡が宙を舞う。フィレルの悲鳴。ライヴはその口元を歪め、ロアの心臓に手を押しつけようとした、
刹那。
「——させないよッ!」
死の覚悟を秘めた声が、した。
ライヴの動きが止まる、否、強引に止められる。
イシディアが驚愕の叫びを上げた。
「シュウッ! お前——!」
- Re: 魂込めのフィレル ( No.38 )
- 日時: 2019/08/07 11:45
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
シュウェンは、叫んだ。
「死んだって構わないさ! 僕の命を以てこの悪夢を終わらせられるのならば! 犠牲がなければクリアできない難題ならば、僕が! その犠牲になってやる! 僕しかいないんだ、大地使いの僕しかいないんだからッ!」
僕が死んだら医務室にはレーニャを置いてよねと彼は笑う。
そのはしばみ色の瞳の意志は、揺らがない。
死者皇ライヴがそんな彼を見て、凄絶な笑みを浮かべた。
『へぇ、邪魔するんだ、この期に及んで! ならば望み通り君には死をプレゼントしよう。そして僕の部下として使ってあげる!』
「やめろォォォォォォオオオオオオッ!!」
「シュウッ!!」
イシディアの叫びとフレイリアの悲痛な声。
ライヴに絡みついていた蔦が端から白化していき崩れ落ち、しがみついていたシュウェンに迫る猛烈な死の嵐。
シュウェンは口の動きだけでこう言った。
——『後を、託すよ』
そして次の瞬間、それはシュウェンに届いた。シュウェンの肉体が瞬く間に老いて老人のものとなり干からびて朽ちて骨になって骨さえも朽ちて、
ついには何も残らなかった。
そこにはつい先程まで、優しくやや内気な少年が、いたのに。
彼の身に纏っていた魔道学院の制服が、主を失ってはらりと落ちた。
その瞬間、完成した封神の魔法陣と虹色の鎖。フィラ・フィアは鬼の形相を浮かべながらも勝利を宣言する。
「シュウェンの死は無駄にはしないわ! 封じられよ、死者皇ライヴッ!」
虹色の鎖が回転し、忌まわしき死者の王を縛る。ライヴはそれでも笑っていた。それは最悪の笑顔だった。
何かが割れるような音がする。死者皇ライヴは禍々しい深紅の宝石となった。もう二度と悪さはしない、王国の主は封じられた、それはわかってはいるけれど——。
イシディアはよろよろと、つい先程までシュウェンが身に纏っていた魔道学院の制服を手に取った。それはまだ温かくて、ほんの少し前まではそこに、確かに命があったんだと実感させる。
「シュウ……お前、無茶しやがっ、て……!」
イシディアはシュウェンの服に顔をうずめ、声を上げて慟哭した。悲痛な長い叫びが神殿を震わせ、悲しみで全てを覆い隠していく。話しぶりからイシディアとシュウェンは一番の親友だったのだろう。だからシュウェンを死なせないためにイシディアがついて行ったのに……結局、シュウェンは死んでしまった。イシディアの嘆きは深いだろう。
フレイリアの瞳にも涙があった。しかし彼女は大きく首を振ると、強い瞳で前を向き、両の足を踏ん張った。踏ん張らなければくずおれてしまいそうだった。彼女の身体は大きく震えていた。
ぽつり、その口から呟くように発された言葉。
「死ぬ可能性は考慮してる、そうは言ったけど……言った、けど……!」
死者皇ライヴの封印により、生ける死体にされていた三人の仲間もただの死体に戻っている。この惨状では遺体を学校に運ぶことなど到底不可能だろうし、ゾンビとして操られていたなどと、彼らの家族や友人に報告できるわけがない。
「……燃やして」
ぽつり、彼女は言った。
「シュウの服は持って帰るわ。でもそれ以外は……燃やして、しまいましょう。それが私たちに出来る供養だから。このままにして帰ったら、みんなあまりに可哀想だから」
できる? と彼女がフィレルを見ると、フィレルは真剣な瞳でうんと頷いた。
スケッチブックに絵を描く、思いを込めて絵を描く。フィレルの腕は震えていて、描かれつつある炎の絵が、何度もブレる。
「……僕、さ。誰かが死んだのを見るのは、初めて。死ぬってこんなに悲しいことなんだね。僕、この光景、一生忘れないよ。こんなに悲しい光景、忘れられないよ……」
神妙な顔でフィレルは言った。
その言葉に反応し、ロアが妙な呟きをした。
「……死ぬ、か。誰かを失う、か」
「ロア、どうしたの? また“過去”のこと?」
考え込むロアに、炎を描きながらもフィレルが問うた。スケッチブックの上には繊細な作りの美しい炎が描かれつつある。
ロアは両手で頭を抱えた。その瞳が少しずつ狂気にも似た何かに食われつつある。
「失う……大切なもの……永遠の喪失……嘆き……怒り、憎しみ!」
ロアは目を大きく見開いた。気がついてはならないものに気がついたような顔だった。
ロアの瞳は、横たわるヴェイル、リッカ、エレンを見ていた。三人の、頭を潰された無残な死に様がロアの記憶の中の誰かと重なり、それが激しく共鳴し合う。フラッシュバック。最悪の記憶がロアの中で蘇り——
「ノア……!」
「——ロア、目を覚ませぇっ!」
描き途中の絵もそのまま放りだし、フィレルはそのか弱い腕で、精一杯ロアの頬を殴った。それでもロアの瞳の狂気は変わらない。途方に暮れかけた時、不意に感じたのは湿ったにおい。そして、声。
「……やれやれ。手間が掛かるねまったく」
- Re: 魂込めのフィレル ( No.39 )
- 日時: 2019/08/09 10:27
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
声と同時、ロアの瞳が虚ろになる。
そこにはいつぞやの霧の男が立っていた。
「何しに来たの霧の神様。永遠の孤独が辛いなら、わたしが封じてあげるわよ?」
フィラ・フィアが敵意を剥き出して相手を睨んだ。そう怒らないでくれと、降参するようにセインリエスは両手を挙げた。
「封じるだけじゃあ足りないんだよ。私は死にたいんだ、封印が解けた時、また孤独を味わいたくないんだわかるかい? それに今回は記憶を返すのではなく、再び封印しに来ただけだから。“あの記憶”を今ここで戻させるわけにはいかないんだ。物事には順序ってものがあるからね」
今回だけは味方だよと、彼は底の知れない笑みを浮かべる。
「ああ、でも私が少し記憶を返しただけで、封印が結構緩くなっちゃった、ってことなのかな?
君たちに忠告だ。もしもこのままずっと幸せでいたいなら、ロアに無残な死体を見せるな。特に彼よりも幼い少年少女の死体は厳禁だ。最悪の記憶がフラッシュバックして、ロア自身が壊れるからね」
「……ロアは、さ」
フィレルが真摯な瞳を相手に向ける。
「過去に、さ。一体何があったの。どうして記憶を封じられなければならないの」
「心が壊れるほどの悲惨な出来事が」
霧の男セインリエスは、読めない表情を浮かべてそう言った。
「だから私はチャンスをあげたんだ。ロアがもう一度、幸せな人生を送れるように。でも……壊して、みたくなったのさ。ロアは今、実力の半分も出せてはいないんだよ絵心師さん。そのロアが本気を出したらきっと——私を殺してくれると、そう思ってね。だから一度壊れたのを直してまた壊し、最初に壊れたのよりもさらにひどい壊れ方をさせる。でもゼウデラが邪魔なんだよ、あの戦神が」
だからさっさとアイツを封じておくれよね、と。言うだけ言ってその姿が薄れていく。
「待ちなさい! わたしたちをさんざんかき回した挙げ句に逃げ帰るなんて許さない!」
叫び、フィラ・フィアは彼を追おうとしたけれどその手がつかんだのは湿った空気のみ。
フィレルはロアを見た。ロアの表情は虚ろで、いつもの格好よさや頼れる強さは欠片もなかった。
霧の神は記憶に霧を侵入させ、それで記憶を覆い隠すという。ロアがされたのはそういうことなのだろう。そして迂闊に正気にさせたらロアがロアでなくなるから。
フィレルは投げ捨てたスケッチブックを広い、描きかけの炎の絵を完成させた。
そして。
「イシディア、三人は火葬にするから、シュウを連れてちょっと離れて」
そう指示を出し、イシディアが三人から離れたのを確認すると、スケッチブックのページを破り、破ったページで紙飛行機を作って飛ばす。その直前、炎の絵に触れたフィレルの手が、明るい緑色に輝いた。
紙飛行機は飛んで行き、ゾンビ状態から解放された三人の上に柔らかに着地、ぱっと燃え上がり鮮やかな火の粉を散らす。
死者皇ライヴの玉座の間に上がる炎。それは場所も相まって、荘厳なほどに美しかった。
命が、燃えていく。フレイリアたちの仲間だった三人の、命が。
その炎はただどこまでも清らかで美しく、見ている者に涙さえ流させるほどだった。
「これで、ヴェイルもリッカもエレンも、安心して冥界に行けるわ……」
フレイリアの呟きは、炎が爆ぜる音にまぎれていく。
戦いは激しかったが、その後に燃え上がる炎はひどく穏やかなものだった。その優しい揺らぎが、高ぶった皆の心を鎮めていく。イシディアの慟哭はいつしか嗚咽に変わり、主なき衣が彼の涙で湿っていった。
こうして第三の封印は、終わる。
「誰かを失うっていうのは、本当に、何度味わったって慣れないよねぇ……」
イルキスが、神殿の天井を仰いでいた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.40 )
- 日時: 2019/08/11 08:01
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
炎の前でフィレルらはしばしたたずんだ後、ロアを起こして学校に帰った。
正気に戻ったロアはそれまでのことを全く覚えてはおらず不思議そうな顔をしていたが、それはいつものロアだった。ただ、ぼんやりしている時間が多く、フィレルはロアが遠くに言ってしまいそうな気がして怖くて、黒衣にずっと寄り添い続けた。いつものロアならば「くっつくな、鬱陶しい」とフィレルを追い払うはずなのに、来ないのロアはただぼんやりとしているだけで、そんな動作を見せはしなかった。それがフィレルをより不安にさせた。
「ロア……。ロアはイグニシィンの一員だよ。どこにも行かないでよぅ?」
「…………」
「ロアぁ?」
「……! っと、悪い。ああ、どこにも行かないさ。オレはイグニシィンの一員だからな」
「…………」
そんな会話を続けつつ、魔道学院に戻る。
沈痛な表情をした一同を見、皆、何か悲しいことがあったと悟ったようだ。シュウェンの制服を強く抱きしめたままのイシディアを見、その肩を励ますように無言で叩いてくる制服姿もちらほら。フレイリアは何も言わないままで大広間に向かい、「皆を集めて」とだけ近くの生徒に指示を出し、広間にあった椅子の一つに、力なく座り込んだ。促され、フィレルらも彼女の近くの椅子にそれぞれ腰かける。
やがて一同が大広間に集まると、彼女は椅子の背につかまりながらも立ち上がり、疲れたような声音で言った。
「死者皇ライヴは封じられたわ。これ以上被害が出ることはないから安心していい。彼女は本物のフィラ・フィアだった、それは間違いないの。でも……」
彼女はシュウェンの服を抱き締めるイシディアに、片目だけになった視線を送った。
「シュウが、死んだわ。フィラ・フィアを守って。犠牲が出るのは覚悟の内だったけれど、犠牲なんて出すつもりは端からなかった。それでもシュウは死んでしまったの」
広間に悲しみの空気が漂い出す。
「シュウはいい子だった、誰にも愛される子だったわ。だから悲しいならば泣けばいい。でも!」
フレイリアはきっと前を見据えた。残された翡翠色の右目が強い輝きを宿す。
「悲しみに心を停滞させてはいけない、それを忘れないで! シュウは死んじゃったけれど、私たちは生きてるの、今現在、確かに生きてるの! だからしゃんとしなさいウァルファルの未来ある学生たち! この学院を卒業するその日まで、ユヴィオールの残した思いを忘れるなッ!」
これで話は終わりよと彼女は言った。
「今日は悲しんでいい日にする。でも明日以降も悲しみを引きずっていいのはイシディアだけ。ライヴの遺した傷跡に、みんな惑わされてはいけない。それじゃああの死者皇の思うつぼよ、忘れないで」
では、解散。
そう言って、彼女は席を立ってどこかに行ってしまった。
「……俺、部屋に帰るわ」
そう言って、イシディアは大広間から退散した。誰もその背を追わなかった。一番の大親友を失った彼は、時が悲しみを忘れさせるその日まで、ずっと停滞したままなのだろうか。
「……僕も、戻るよ。少し考えることがあるんだ」
そう言ってイルキスがいなくなると、皆も三々五々に散っていって、気が付いたら大広間に残っていたのはフィレルたちだけだった。
フィレルにとっては初めて見た死であり、ロアにとってはどこかで見た死であり、フィラ・フィアにとっては何度も見た死である。死へのそれぞれのとらえ方は全く異なっているが、心に渦巻く暗い気持ちは、変わらない。
「あーあー!」
唐突にフィレルが叫びだし、スケッチブックを机に広げて猛烈な速さで何かを描き出す。それは花だったり歌っている鳥だったり豊かな森だったりと、心穏やかになる自然の風景。
「描かなくっちゃやってられないよまったくもうっ!」
フィレルの手はスケッチブックの上を何度も行き来していた。そうやって、わだかまった気持ちを何とかしようとでも言うかのように。
皆、黙ったままだった。何も言わなかった、何も言えなかった。
今回の死者皇ライヴの封印に関する一連の出来事は、一行の間に重い影を落としたのだった。
◇
明けぬ夜はない、昇らぬ朝日はない。
翌朝、フィレルらはウァルファル魔道学校の一同にお暇をし、次なる目的地へ進むために動き出した。
フレイリアはフィレルたちを見送りに来たが、イシディアは部屋にこもったまま出てこず、「放っておいてくれ」と言うだけであるという話だ。一番の大親友を失ったのだ、そうなるのも止むなしであろう。
フィラ・フィアはフレイリアに頭を下げた。
「あの……本当にありがとう。あなたたちがいなかったらわたしはライヴを封印できなかったし、きっときっと死んでいたわ。だからとっても感謝しているの。それに……シュウを、死なせちゃってごめんなさい」
謝る必要なんてないわ、とフレイリアは首を振る。
「シュウは未来を託して死んだの。あなたがライヴを封じてくれなかったら、私たちは全滅してた。気高き犠牲なのよ、だから謝らないで」
ごめんなさいとフィラ・フィアは言った。フレイリアはそんな彼女を複雑な顔で見ていた。
そうだ、とフィレルがフレイリアに声を掛け、手に持ったあるものを渡す。
「これ、イシディアに渡して。僕も何か出来ないかなって思って……自分の得意なことで何か出来ないかなって考えて……描いたの。悲しみは、そう簡単には治らないと思う。でも少しでも元気になれるようにって」
フィレルが渡したそれは、シュウェンの似顔絵だった。気弱に見えてしっかりものだった癒し手、シュウェン。絵の中の彼は満面の笑みを浮かべていた。その周囲では花が咲いていた。
その絵を見た途端、フレイリアの残された翡翠の右目から大粒の涙がこぼれ出す。それはいくら目をしばたたいても止まらなくて、彼女の制服を湿った色で染め上げた。
「シュウ……笑ってる、ね」
「うん、笑ってる」
「花が……咲いて、いるわ」
「大地の魔導士なんでしょ? だからさ……似合うと、思って」
フレイリアは制服の袖で涙を乱暴に拭い、震える手でその絵の描かれたスケッチブックの一ページを受け取った。
「絶対に、イシディアに渡すわ。この笑顔を見たらきっと、彼も泣くと思うけど……」
もう二度と、その笑顔を見ることはない。もう二度と、その声を聞くことはない。
これが、喪失の重み。もう、二度と——。
ありがとうとフレイリアは言った。
「素晴らしいものをどうもありがとう、フィレル。あなた、立派な画家になれるわ……」
「えへへ……嬉しいんだよーっ!」
無邪気さが影をひそめた瞳で、フィレルは無理に笑った。
誰かの死を越えて、喪失というものを知って、彼はまた一つ大人になる。
もう旅を始めたころみたいに完全に無邪気には戻れない。フィレルは深淵の一部を知ってしまった。
それでも根っこは明るいから、立ち直るのは一番早いはずだ。フィレルは山火事で焼けた山に芽吹く、青々とした力強い新芽なのだ、荒れた大地でも元気よく伸びる若葉なのだ。そう簡単にはへこたれない。
「じゃ、行こうよ?」
笑って、皆を先導して学校を出る。町の外壁付近にたどり着き、門番に頼み込んで外へと。
エルクェーテの町の外には青々とした木々が。そうか、今は夏なんだと実感、深呼吸して蒸し暑い空気を胸一杯に吸い込んだ。
「じゃあ、行こう。残った神様はだぁれ? まだやることはたくさんあるんだよねぇ?」
フィレルの言葉に、ええ、と魂が抜けたような顔でフィラ・フィアは頷き、緩慢な動作で指折り数え始める。
「無邪気なる天空の破壊神シェルファークでしょ……運命を弄ぶ者フォルトゥーンでしょ……最悪の記憶の遊戯者フラックでしょ……生死の境を暴く闇アークロアでしょ……争乱の鷲ゼウデラでしょ……まだこんなに、たくさん」
疲れたわ、と溜め息をつく。それでも必死で何かを考えているようで。
「ここが死者皇ライヴの神殿なら……一番近いのは」
彼女は一つの名を告げる。
「最悪の記憶の遊戯者、フラック」
フィレルたちはまだ知らない。次の戦いで、驚愕の真実が明らかにされることを。
終わりへの歯車は、回り始めたばっかりだ。
【第四章 完】
- Re: 魂込めのフィレル ( No.41 )
- 日時: 2019/08/13 10:11
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
【間章 英雄の墓場】
死者皇ライヴの次は、最悪の記憶の遊戯者フラックだ。エルクェーテ南方にトレアーという町があるらしく、フラックはそこにいるらしい。
「フラックってどんな神様なの」
フィレルが問うと、
「最も危険な神様と言ったって過言ではないわ」
とフィラ・フィアが答えた。
彼女は道を歩きながら、複雑な表情をして語りだす。
「フラックは対象のトラウマを、封じた最悪の記憶を強引に思い出させるの。直接攻撃はできるけれどあまりうまくないし滅多にしないわ。彼が得意なのは精神攻撃。精神攻撃は厄介よ。これまでも何人もの人間が、溢れ返る最悪の記憶に狂わされて壊れていった。トラウマというのは心の傷、時間を掛けて忘れていかなくてはならないものなのに……彼はその傷を一気に押し広げて、心そのものを崩壊させてしまうの」
物理攻撃相手ならばある程度は対処のしようがあるけれど、精神攻撃相手ではそうはいかないものねと彼女は言う。
「なら、フィレルの活躍に期待だな。お前にトラウマの記憶なんてないだろう」
ロアが言えば、うん、そうだよとフィレルは頷く。
シュウェンの死は確かにショックだったかもしれないが、トラウマと呼ぶレベルにはなってはいない。対し、フィラ・フィアは大切な仲間を失った経験があるし、イルキスも何やら暗い過去がありそうである。それに、ロアは……。
フィレルはロアをちらりと見た。本人は“あのこと”を忘却しているらしいが油断はできない。無残な死体を目撃し、解き放たれようとした最悪の記憶。それはきっとロアを狂わせるものだから。
旅に出て、ロアは変わった。封じられた記憶が戻りつつある、強引に戻されつつある。そしてそれが良い結果を生まないであろうことは何となくわかる。壊れかけたロアを見て、そう、フィレルは強く思ったのだ。
「何だよフィレル。どうかしたか?」
無意識にロアのマントの裾にしがみついていたフィレルに、訝しがるような声を投げるロア。それに気づき、何でもないよとフィレルは離れる。
ロアは優しい瞳でフィレルを見た。
「だから大丈夫だって言っているだろ。フラックは物理攻撃には弱いんだな? ならばこっそり神殿に忍び込んで物理攻撃を仕掛けてしまえばいい話。確かに過去の記憶は気になるが、旅がすべて終わった後で記憶のかけらを探したっていい。オレはいなくならないから安心しろ、フィレル」
「うん……」
それでも、くっついていないと本当にどこかに行ってしまいそうな気がして、怖くなってフィレルは離れようとはしなかった。そんなフィレルに呆れた顔をし、ロアは一旦フィレルを強引に引き離すと、その漆黒のマントでフィレルを包み込んでやった。
「ほらな、こうすれば安心だろう。まったくお前は……十五にもなって、子供なんだから」
いつものフィレルならばえへへと笑って返すのだろうが、今のフィレルは無言でしがみついているだけだった。
イルキスがぽつりと呟く。
「最悪の記憶の遊戯者かぁ……。ぼくが壊れたら見捨てていいよ? ぼくはさ、ぼくの力の代償による『不幸』で、初恋の人を失っちゃったんだし……きっと現れるならそれが現れるだろうし」
それぞれ傷を抱えて生きる。
フィラ・フィアは両手を合わせて、何かに祈るような仕草をしていた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.42 )
- 日時: 2019/08/19 15:54
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
※間違えて一部の話を飛ばして投稿してしまったのでそれらを一旦削除の上、正しい順番で再投稿です。ご迷惑をおかけしました。
◇
トレアーの町へ向かう先、ふっとイルキスが足を止める。
どうしたの、とフィレルが問えば。イルキスはしばらく考えた後、何でもないと首を振る。
「この道の先……トレアーの町以外にも、その前にもひとつ、あるんだけど……。辿り着けばわかるからぼくからは説明しない。フィラ・フィア、きみに関わるものさ」
「わたしに?」
首を傾げた彼女に、「正確には、きみが死んでた時代の話さ」とイルキスは笑う。
「行けば分かるよ。……悲しい、思い出だ。ああ、とっても悲しい話さ」
首をかしげながらも一行は進む。
◇
歩いていった道の先、目に入ったのは円環の丘。舗装のされていない道の先、現れたのは、石碑のようなものが円を描いている謎の丘。その丘の中央には、周囲の石碑よりも一回り背の低い石碑がある。それはまるで、円を描くような石碑が、中央の石碑を守っているかの様で。
「これは、何?」
遠目からもわかる謎のそれを指さしてフィラ・フィアが問うと、「行けば分かる」とイルキスは繰り返した。
やがて丘の麓にたどり着き、そこにあった別の石碑の文字を見る。
書かれていた文字は「英雄の墓場」。
『死者たち眠る永遠《とわ》の墓。訪れるもの、死者たちの眠りを荒らすべからず。彼らは国を守りし英雄なり。たとえ旅の途上に命が絶えても、その気高き精神は永遠なれ』
それを見て、フィラ・フィアは恐る恐る問うた。
「これ……もしか、して?」
そうさ、とイルキスは頷いた。
「エルクェーテからトレアーに至るまでには必ず通らなければならない場所、それが『英雄の墓場』。かつて神々を封ぜんと旅立った『封神の七雄』たちの墓が円形に並べられている。実際、墓の下に骨が並んでいるのは一部しかないし、それももう朽ちているだろうけれど。だからこれはどちらかといえば——記念碑としての意味合いが強い」
「英雄の墓場……」
呟き、フィラ・フィアはふらふらと頼りない足取りで丘を上っていく。その後に皆が続いた。
『封神の七雄』たちの活躍を唯一生き残ったエルステッドの口述により記録した『封神綺譚』によれば、最初に死んだのは封術師ユレイオだとされる。彼は荒ぶる水女神との和平案を提案し単身、水女神の神殿に赴いたが、そのまま帰らぬ人となって数日後に彼の水死体が近くの川で発見された。彼はその場で丁重に火葬され、遺骨は彼の双子の兄、ユーリオが持っていった。
次に死んだのは風を操るレ・ラウィだ。彼は『人間を救うために殺す』影の神シャリル・エポーネとの戦いで、迫りくる影の軍勢をたった一人で相手して他の皆を先に進ませ、その果てで息絶えたという壮絶な最期だ。その遺体はこれでもかと言うほど損壊していたが唯一、彼がいつも首から下げていたエメラルドのペンダントだけは無事だった。だからフィラ・フィアはそれを彼の遺品として持ち帰った。
その次に死んだのは破術師ユーリオだ。魔法破りの術者である彼でも、炎の神の魔法を破ることはできなかった。自分の力に自信を持っていた彼はフィラ・フィアらを守るために炎の亜神アルギアを挑発、自分に攻撃が来るように仕向け、防ぎ切れずに命を散らす。彼こそ遺品は残らなかった。ずっと大事にしていた弟の骨も、その場で焼け落ち灰になった。
そしてシルークは戦神ゼウデラの神殿でフィラ・フィアを守って死に、ヴィンセントも死に、生き残ったエルステッドはフィラ・フィアの遺体を抱いて城に帰った。そして彼は八十まで生きて死んだ。レ・ラウィの遺した子、ラキの世話をしてやりながら——。
そういった理由で、墓場などあってもその下に遺骨が眠るのはエルステッドの墓とフィラ・フィアの墓だけ。レ・ラウィの遺品は息子に受け継がれ、そして今はその子孫であるファレルが持っているはずだ。そのためレ・ラウィの墓の下にも何もない。だからここは正確には墓場と言うよりは、英雄の活躍を称えた記念場といった方が正しいのかも知れない。『英雄の墓場』なんて名前は、感傷的につけられたみたいなものだ。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.43 )
- 日時: 2019/08/19 15:56
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
そして登りきった円形の丘。その中央に立つ石碑にフィラ・フィアは手を触れる。
書かれていた文字は古代の文字で、フィレルの知らない文字だった。フィラ・フィアも読めず、首を傾げたが、横から見ていたロアがすらすらと読みあげる。
「崇高たる舞神、フィラ・フィア・カルディアルト。享年十七歳。希望の子の命は旅の途上に潰えたが、気高きその理想は今も尚我らの中で生き続ける。希望の王女よ安らかに眠れ——って、書いてあるぜ」
「ロア、読めちゃうんだ!? 何でも知ってるんだねすごいやっ!」
そんなロアにフィレルが驚きの目を向ける。
イルキスも、面白がるような眼でロアを見ていた。
「へぇ、わかるんだ、すごいね。この石碑が立てられたのは古王国カルジアの滅亡後で、そして今の文字が確立する以前の中途半端な時期でシエランディアの学者も頭を悩ませている複雑な文字なんだけど……。だから古王国カルジアの文字を知っているフィラ・フィアも、文字の統一の為されたシエランディア文字を知っているフィレルにも読めないの。ぼくはまぁ、興味本位で学んだから読めないことはないけど……。初見でこの碑文をすらすらと読めるなんてさ、ロア、きみ、本当に何者なんだい。この丘の麓の石碑は割と最近——確か五十年くらい前、に作られたから他の皆が読めるのも納得だし、雰囲気作りの為に古代文字も書かれているからフィラ・フィアが読めるのもわかるんだけど」
フィレルの反応とイルキスの問いに、ロアも驚いた顔をしていた。
「……これ、そんなに難しい文字だったのか? オレには普通にすらすら読めたがおかしいのかそれは?」
「……きみさ、ぼくが思っているよりも長く生きているんじゃないの。十七歳なんて本当は嘘で、何かがあって身体年齢を幼くされたとかぼくはその路線を疑いたくなるよ。ま、そんなことが出来るのは神様だけだし、きみが神様だというのならばとっくの昔にこれまできみと対峙した他の神様が気付いているだろうから……あり得るならば、そういったことが出来る神様に身体年齢を幼くされたとか、かな?」
少なくとも、戦災孤児の十七歳がぱっと見ただけですらすら読めるようなものじゃないのは確かだねとイルキスは頷く。
「少しは勉強したぼくだってまだ、たどたどしくしか読めないんだからさ。きみって本当に何者なの」
「そう言われても、思い出せないものは思い出せないんだがな……」
額に手を当て、ロアはうつむく。そんなのどうでもいいじゃんと、フィレルがロアを庇うようにイルキスの前に立ちふさがる。
「過去に何があったって、ロアはロアなの! それでいいじゃん!」
「わかったわかったわかりましたってば。ぼくの単なる好奇心ですよそんなに怒らないで……っと」
ふっと彼がフィラ・フィアの方を見ると、彼女は石碑の前に立ち尽くしていた。
忘れてはならない。これは彼女の墓、その下には彼女の遺骨が埋まっていたはずなのだ。
忘れてはならない。これは皆の墓、遺骨はなくとも彼女の愛した人たちの疑似的な墓場。
自分の墓を前に、愛する人たちの墓を周囲に。立ち尽くす彼女の心境は如何程のものか。
「そうだ。わたし、死んだのよね……」
呆然と彼女は呟いた。その頬を涙がひとすじ、流れて落ちる。
「わたしは死んだの、遠い昔に。そして今、死んだはずのわたしがわたしの墓を見ている。これって不思議な気持ち。言葉では言い表せないわ……」
彼女はロアを振り返り、問うた。
「中央はわたしの墓、それはわかった。じゃあシルークの墓は? エルステッドの墓は? 教えて」
ロアは頷き、石碑の文字に目を走らせつつ周辺を歩く。
やがて。
「『白蝶の死神』シルークの墓はこれで、『自在の魔神』エルステッドの墓はこっちだな。シルークの墓には蝶の模様が描かれていてわかりやすい。ああ、あと『天駆ける剣神』ヴィンセントはこっちで『奔放なる嵐神』レ・ラウィはこっち、『陽光の破神』ユーリオのはこれで、こっちが『清水の封神』ユレイオだ」
ロアの言葉に頷き、フィラ・フィアはそれぞれの墓に触れ、その名を呼んでいく。応える声は勿論、ない。遠い昔に終わった冒険。死んだ命は帰らない。
本来ならば、フィラ・フィアもその中で永遠に眠っていたはずなのに。
「……でも、わたしは、生きているわ」
噛み締めるように、呟いた。
「中央の墓の下にいるのはわたしじゃない。そこにいるのは過去のわたしだ、今のわたしたり得ない。シルークに思いを抱き、皆と共に歩んだわたしはもういない……」
シルークの墓の前にたどり着き、屈みこんで蝶の模様に触れた。
溢れだす涙を抑え、彼女はすっくと立ち上がって所在なさげにしているフィレルらの方を向いた。
「過去の自分はこの下に封じた。あるのは今の『わたし』だけ。……連れてきてくれてありがとう。わたしはもう、過去に囚われることはないわ。自分の墓と、みんなの墓と向き合って……決められ、たの。ロアにエルステッドを、フィレルにラウィを重ねて見てしまうことが時にある。でもみんなは死んだ、死んだんだから……」
彼女はもう一度自分の墓の前に立つ。錫杖から鈴をひとつ外し、墓の前に置いた。チリンと涼やかな音が鳴る。
「これを過去のわたしへの手向けとしてわたしは前を向く。……行きましょう、トレアーの町へ、フラックの神殿へ」
迷いない足取りで彼女は進む。彼女の気迫に押され、フィレルたちもその後に続いた。
彼らがいなくなった英雄の墓場で、七つの影が、まるでさよならをするように動いていたのは幻だったのか。
過去の自分を墓の下に葬り、希望の子は、前へ。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.44 )
- 日時: 2019/08/19 15:56
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
【第五章 最悪の記憶の遊戯者】
英雄の墓場を越え、過去のフィラ・フィアを封印し、トレアーの町へと。
たどってきた道のりを思い、ずいぶん長い旅をしてきたものだとフィレルは感慨に浸った。
イグニシィンからトレアーまで。シエランディア大陸の半分を縦断する旅。途中、出会いや別れ、裏切り、死を経験し、フィレルは少しずつ大人になった。
次の場所、最悪の記憶の遊戯者の神殿で、一体何を経験するのだろうか? そしてその経験を経て、どう変わるのだろうか? 期待と不安を抱きつつ。
「見えたよ。あれが港町トレアーだ」
イルキスの声に物思いから抜け出し、前を見た。
その先には、広大な港町が広がっていた。
◇
トレアーはシエランディア南方最大の港町だ。この港町を経由して、東に広がる北大陸や、南に広がる南大陸に旅行する人間も多い。トレアーの町はその立地から、長らく他大陸との貿易の要とされてきた町だ。その町のどこか、あるいはその町に近いところに、最悪の記憶の遊戯者の神殿があるというのか。
この町にはエルクェーテやデストリィの神殿のあったエーファの町みたいな城壁はない。ただ、町に近づくにつれて舗装されてきている街道が、そのまま真っ直ぐ町に続いているだけだ。誰が町に来ようと誰が町から出て行こうと一向に気にしない、自由な雰囲気が感じ取れる。町の奥からはフィレルの知らないにおいが漂ってきた。ツンとした、そして何かが腐ったような独特のにおい。これは何とフィレルが問うと、フィレルは海を知らないんだねとイルキスが頷いた。
「川の果てには海がある。海の中には様々な生き物の死骸が漂っていて……これは、海の生き物の死骸のにおいなんだ。僕らは礒の香と呼んでいる。ほら、独特なにおいだろう」
「川の果てにはそんなものがあるんだね。海? 聞いたことはあるけれど直接見たことはないんだよねぇ」
フィレルは鼻の先をひくつかせ、礒の香を胸一杯に吸い込んだ。小さな身長でめいっぱい背伸びをして、町の奥に何があるのか見てみようとする。その様を見てイルキスは笑った。
「封印が終わったら見せてあげるよ。海ってさ、すごいんだ。ただ広くて大きいだけじゃなくって、ただその中で魚が育っているだけってわけでもなくて、怖くておどろおどろしいところもちゃんとある。海に生きる船乗りたちは海の神様の怒りを買わないように、舟の頭に像をとりつけたり船に目の模様を描いたりする」
「へえぇ、そんな風習があるんだねっ! 僕、楽しみになってきちゃったなぁ」
「その前に、封印が優先だからな」
目を輝かせたフィレルをロアが窘《たしな》める。
わかってるよぅとフィレルは頬を膨らませた。
「最悪の記憶の遊戯者の神殿は、トレアーの町の地下にあるよ。トレアーの人たちは海に行くと気がふれる人が一定確率で出るみたいなんだけど、そんな時はフラックにお供えして、記憶の神よ鎮まりたまえってみんな唱えるんだってさ。フラックがみんなを狂わせていると、そんな考えらしい」
イルキスが町を歩きながらも説明した。
「まぁ実際、この町の人たちは不意におかしくなる確率が高い。フラックは人の最悪の記憶を掘り起こす神——。やっぱりこの神様が影響していると見て間違いはないかな」
海は人の命を奪うから、と静かにイルキスは言った。
つとその目が細められる。嫌なことを思い出したかのように。
「海は荒れて、時に人の命を奪う。海によって大切な存在を失った人もいる。フラックはその喪失感を呼び起こす神だから」
過去を振り払おうとするかのように首を振り、先に立って歩き出す。
「神殿はこっちだよ。ぼくは様々なところを旅してきたから、色々と詳しいのさ」
- Re: 魂込めのフィレル ( No.45 )
- 日時: 2019/08/21 17:09
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
トレアーの町の端に、地下へ降りる階段があった。そこをイルキスは歩いていく。石造りの階段に、それぞれの靴が音を鳴らす。てんでばらばらな音は共鳴し、その先にある謎の空間に意味不明な音の集まりとして響き渡る。
階段を降りた先は真っ暗だった。石造りの壁のあちこちに燃え尽き掛けた松明が掛かっており、それが唯一の光源となっているらしい。暗闇に目が慣れてくると、大体の状況が理解出来てきた。
暗い地下空間の入口にあったのは狭い道。その奥には三つに分かれた道がある。どれが正しいの、とフィレルが問う間もなく、イルキスは確固たる足取りで左の道を進んでいく。その先にまた分かれ道。今度は四つに分かれているが、イルキスは一切迷わない。
不思議に思ってフィレルが問うた。
「ねぇ、何でこんな複雑な迷路、そんな簡単に進めるの。一度来たことあるって言ってたけれど、こんなところまで行ったの?」
イルキスは後ろを振り返り、にやりと笑った。悪戯っぽい笑みが松明の揺れる光の中に浮かび上がる。
「ネタばらし。トレアーに行ったことがあるのは本当だけれど、この迷路は、ぼくと契約している運命の女神さまが正確な道を教えてくれているのさ。ぼくにしか聞こえない声。ああ、でも知らない方がいい声」
謎めいたことを口にしつつ、相変わらず迷いのない足取りでイルキスは進む。フィレルはもう、どこからどう来たのかわからなくなってきた。そして思った。
(もしもこの先にフラックの神殿があるとするならば)
それは彼を祀るための神殿ではないのではないか、と。
(フラックは悪さする神様だから、閉じ込められているんじゃ……ないかな)
この広く複雑な迷路の奥に。
それでも地上に影響を及ぼすことはあるが、野ざらしにするよりはまし。神々の中には移動能力がないものもあるらしく、フラックがもしもそれに該当しているならば、フィレルの立てた仮説の辻褄が合う。
気を狂わす神様は、気の狂うような長い年月、ずっとずっと地上の光を見ずに過ごしているとしたら。
それはどんなに寂しいことなのだろうか。否、そもそも寂しいという感情が存在するのかは甚だ疑問だが。
そんな迷路に置いてある松明は誰が交換しているのか。フラックの世話係みたいな存在がいるのだろうか?
疑問は、尽きない。
◇
幾つもの松明の間を抜け、幾つもの分岐を乗り越えて。
やがてたどり着いたのは、松明の明かりに照らされた、
「……扉?」
「うん、そうだよ。この先のことは運命の女神さまも黙っちゃって教えてくれない。最後に一言こう言ってた。『扉は押せば開く。——そして、覚悟せよ』だってさ」
「覚悟せよ、かぁ……」
フィレルはイルキスの言葉を口の中で転がした。
最悪の記憶の遊戯者フラック。人のトラウマを掘り返して狂気の淵へ突き落す神。そんな神が相手ならば、先陣を切るのはトラウマたる記憶の存在しないフィレルが適任だろう。皆そう思っているようで、一様にフィレルを見つめる。フィレルは頷き、扉に手を掛けた。
赤ワイン色の重厚な扉には、金の飾りが幾つもついていた。それは一見豪華に見えるけれど、ドアノブらしき場所に付着したこの赤錆色《あかさびいろ》は、扉の塗料のものではないだろう。その正体に気付き、フィレルはぞっとした。
でも、そんなことに怯えて動きを止めてしまっては、いけないから。
「……行くよ」
小さく呟き、ドアノブを掴み、回し、一気に押し開けた、
その瞬間、
「————ッ!!」
フィレルは強烈な頭痛に襲われて、悲鳴を上げて地面に転がった。
「フィレル、どうしたッ!」
慌ててロアが駆け寄ってくる。
扉の向こうから声がした。
「呼んでいない客に用はないのさァ。さっさとお帰り願おうかなァ?」
歯車が軋むような、耳障りな、声。
激しい頭痛の中、ロアに助け起こされながらもフィレルは見る。
扉の奥に広がった広大な空間。その奥に佇む異様な影を。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.46 )
- 日時: 2019/08/27 08:25
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
これまでの神々は少なくとも人間の姿をしていたが、ソレは完全なる異形だった。
鎖で縛られ、吊るされた両腕は人間の骨。頭は爬虫類の頭蓋骨のようで、虚ろな眼窩の向こうに仄暗い紫の明かりが灯る。頭を除く上半身は人間の骨だが、下半身には無数の足がうごめいて、まるで蜘蛛のようだ。ソレが、最悪の記憶の遊戯者、フラックだというのか。
それは腕を吊るしていた鎖を一気に引っ張った。じゃらん、と音がして鎖が引っ張られるが、それでも鎖は解けない。骸骨の頭がにぃっと笑った。不気味な笑みと共に、フィレルの心に何かが突き刺さる。その痛みに悲鳴を上げて、フィレルは両の瞳から涙を流し、苦しみにのたうちまわった。
「……貴様、何をした」
ロアの冷めた声が、凛と空間を打った。
ロアは静かに怒っていた。片方の手で苦しむフィレルの背を撫でてやりながらも、もう片方の手は剣の柄に伸びていた。
簡単なことさァと骸骨は笑う。
「この無邪気な坊やにも悲しい過去はあったってことさァ。ボクはそれを呼び起こしてやっているだけなのさァ。一番槍とは大したものだけれど、それでボクに敵うとでも? 誰も認知していない『最悪の記憶』を持っていた、それがあまりに致命的だったのさァ」
キシシッ、と軋んだ音が骸骨から洩れる。これが骸骨特有の笑い声らしい。
「そこの蘇った姫様も剣士のキミも、運命の女神に愛された風来坊も、みィーんな同じ。みィーんな悲しみの記憶を持ってる。それじゃァボクに勝てないよォ? ボクをここに封じたのは、そのために何の悲しみも与えられないで育てられてきた特別な子供たちだったんだから。悲しみの記憶のある人間は決してボクには勝てない。諦めなよォ?」
言って、骸骨は鎖をじゃらんと鳴らした。さらなる痛みにフィレルが悲鳴をあげ、胃の中のものを大地に吐きだしてひたすらに泣き喚いた。
そして次の瞬間。
その緑の瞳が、驚きに見開かれる。
緑の奥に、影が差した。彼の光が闇に食われる。
フィレルは動きを止めて、ただ呆然と座りこんだままだった。
「……フィレ、ル?」
戸惑い、ロアがフィレルの肩に手を触れるが、フィレルはいつものひ弱な彼からは想像出来ないほどの力でロアを振り払い、頭を抱えた。
「思い、だしたよ。思い、だしちゃったよぉ……」
染みひとつないはずの、真っ白で無垢であったはずのフィレルの過去に、一点、暗い染みを落とす悲しみの過去。
フィレルは思い出す。自分の目の前で両親が殺され、ファレルが自分を守って力を失った遠い日のことを。
その日のことは、幼い自分にとっても忘れられない衝撃的な日になったはずだ。それなのにずっと忘れていたのはなぜなのか。それは——。
「兄さん、だ」
ぽつり、呟いた。
心優しいファレルが、言霊使いの力を使って、優しくも残酷な魔法を掛けた。全て忘れてしまえばいいと、悲しみは全て僕が背負うからと。だからフィレルにはずっと幸せでいてほしいんだと——。
その優しさは、本当に優しさだったのだろうか?
一方的に忘れるように仕向けられ、そして今一度生々しい実体を持って現れてきた最悪の過去の幻影は、深く深くフィレルを傷つけた。それは忘れていなければきっと、過ぎゆく時が少しずつ痛みを和らげてくれたであろうはずのもの。忘れさせられていたからこそ、痛みは和らがずに生のままでフィレルを襲う。
忘却の魔法も万能ではない。一度忘却させられたのならば、その記憶を再び思い出した時、痛みは何倍にもなって記憶の所持者に返ってくることをファレルは知らなかったのか。否、知っていても尚、「今のフィレルを守るために」そんなことをしたのか。
どっちにしろ、今、フィレルの中を最悪の記憶が掻き回しているのは事実で。蘇ってきた恐怖と悪夢にフィレルは暴れ、ロアに身体を押さえつけられても尚、狂ったように暴れ続けた。
「フィレルッ、目を覚ませこの馬鹿ッ!」
ロアの声は一切、その耳に届かない。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.47 )
- 日時: 2019/08/29 14:30
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
やってくれたわね、とフィラ・フィアが怒りの声を上げた。
「よくもわたしの仲間を、酷い目に遭わせてくれたわね? やっぱりあなたは害悪よ。大人しく封じられるが世のため人のため。悪いことは言わないわ、さっさと諦めて悪夢を終わらせなさい」
「やめるとでも思ったのかなァ?」
軋んだ声。心穿つフラックの楔が、フィラ・フィアの中に突き刺さる。
それでも、彼女は強く首を振って持ちこたえる。過去の自分は英雄の墓場に葬ったのだ、だからこの痛みは悲しみは、過去のもので今感じているものではないと。
ユーリオの、ユレイオの、レ・ラウィの、死に様が浮かんでは消える。ユレイオの死に怒り狂ったユーリオの顔。そして笑って皆に後を託したレ・ラウィの広い背中と風の魔法。忘れ得ぬ遠い日の悲しみが彼女の胸を駆け巡るが、それでも彼女は血が出るほどに固く唇を噛みしめ、必死で耐えて舞う準備をする。
「ほゥ、強くなったねェ封神の姫。でもこれはまだ小手調べさァ。——本番は、ここからだよォッ!!」
じゃらじゃらじゃらん。鎖が激しく振られ、虹色の魔法陣を形成していたフィラ・フィアの心にフラックの楔が突き刺さる。そう、彼女には最大のトラウマがあるのだ。自分を間接的に死に追いやった、
——『白蝶の死神』、シルークの死。
「やめてぇぇぇえええええええっ!!」
フィラ・フィアは絶叫を上げた。
謎めいた彼が好きだったのだ。いつも笑わず、声も出せず。不思議の存在『蝶王』によって声を奪われた彼は『蝶の魔法』でしか喋ることができず、そうやって作られた偽りの声は合成音声のようでどこか不自然で。誰にも心を開かなかった彼だけれど、ある時フィラ・フィアには心を開くようになって、初めて笑ってくれた。そして蝶王が調子に乗って、奪った『本当のシルークの声』で数声喋ったのだ。その声の美しさは魔性の美しさで、それゆえにシルークは声を奪われたのだとフィラ・フィアは理解した。
暗く冷たく不器用な彼。それでも笑っている時は春のひなたのように優しく穏やかで。ずっとずっと一緒にいたいと、近くでその笑顔を眺めていたいと、密かにそう思っていた。この長い旅が終わったら、彼にこの不思議な気持ちを打ち明けてみようとさえ思っていた。しかし。
そんな彼は、彼女を守って、死ん——
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だッ!」
心の奥底に封じたはずの最悪の記憶が彼女を打ちのめす。作られつつあった魔法陣は虹色の破片と共に砕け散り、封神の舞はまた最初から。しかし今や彼女に魔法をやり直す気力なんて欠片も残ってはいなくて。
無慈悲な声が、軋んだ音を立てる。
「封神の姫、面倒だなァ。容赦なく心の奥底まで破壊しないと後が大変かなァこれは?」
蜘蛛の足が彼女に伸びる。イルキスの制止の声も当然のごとく無視して、蜘蛛の足が彼女を包む。
「眠れよ姫、永遠に。永遠の悪夢の檻に囚われよ」
軋まない綺麗な声が、魔性の声が、彼女の記憶の底から引っ張り出された《本物のシルークの声》が、彼女の鼓膜を震わせる。
そして彼女の全身はくたりとなって、動かなくなった。
骸骨は勝ち誇ったような甲高い声を上げて、蜘蛛の足で彼女の身体を放り投げた。重い音。彼女はぴくりとも動かない。慌てて駆け寄ったイルキスが彼女の脈を調べ、生きていると知って一安心。しかしいくら揺すってみても呼びかけてみても、彼女の意識は戻らない。
イルキスは彼女の傍に跪きながらも、ぼんやりと骸骨のフラックを見た。
骸骨は軋んだ音を立てながらも解説した。
「心を壊してやったのさァ、彼女の、心を! 封神の姫はもう二度と意思を持って動くことはない。彼女はただ生きているだけで、心のない人形のようになったのさァ」
これでもう封じられないなァ、と骸骨は笑う。
「憎いならば挑んでみるかィ運命の愛し子。ボクは身体を破壊されても、封じられなければ不死身だぜィ」
「……遠慮させていただこう。ぼくだって、壊れたくはないからね」
努めて冷静な口調でイルキスは言った。
ちらり、フィレルの方を振り向けば、暴れて疲れたのかフィレルは寝息を立てており、戸惑ったようにその身体をロアが抱いているのが見えた。眠るフィレルの顔は、悪夢でも見ているかのようにしかめられたままだ。
イルキスはロアに言った。
「ぼくらの、負けだ。でも心が壊れたって封神の姫は生きている。再起する機会はまだあるはずさ。戻ってどうするか考えるんだ」
帰り道はぼくが案内するから、とイルキスは意識を失ったフィラ・フィアを背負いあげ、扉を開けて進んでいく。ロアもフィレルを背負い、その後に続いていこうとした、矢先。
軋んだ声がその背に呼び掛けた。
「剣士の少年。見えるぞ見えるぞォ、オマエに宿る最悪の記憶が。過去を知りたいならば教えてやろうかァ?」
「お断りする。オレだって、壊れるのは御免なんだ」
きっぱり断りロアは部屋を出、扉を閉めた。
バタンという音がふたつを隔てた。
隔てられた扉の向こう、最悪の記憶の遊戯者がひとり、笑っていた。
「剣士……ロア……闇の気配……繋がった! ハァハッハッハァ、セインリエスめェ、粋なことをしているなァ!」
その声は誰に届くこともなく、ただ閉ざされた空間に反響するのみ。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.48 )
- 日時: 2019/09/02 14:38
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
トレアーの町へ戻り、手近な宿に部屋を借りて、部屋のベッドにフィレルとフィラ・フィアを寝かせ、作戦会議が始まる。フィレルはただ眠っているだけのようだが、フィラ・フィアの場合は違うようだ。その目は開いてはいるがどこまでも虚ろで、意思の光を宿さない。あんなに強くて真っ直ぐだった封神の姫が、この体たらく。他者の最悪の記憶を暴き、強引に晒すフラックは、封神のフィラ・フィアの心をも破壊したのだ。
「まず、これからどうするかなんだけれど……」
疲れたようにイルキスは言った。
「フィレルはじき回復すると思う。で、問題はそこのフィラ・フィアだ。リーダーが動けないんじゃ旅を続けられないし、だいいち、彼女しか神々を封じられない」
「心を回復させるという手段は?」
「……あるとは、思うけれど。難しいねぇ」
ロアの質問に、イルキスはそう返した。
「彼女の心を壊したのはシルークの死の記憶。でも、忘れちゃあいけない。シルークはあの時死んだけれど、シルークの契約していた蝶王は死んではいなかった。蝶王の寿命は十年と短いけれど、蝶王は何度も何度も転生し、過去の記憶をずっとずっと受け継いでいる。だから……」
「蝶王の生まれ変わりに会えればもしかして、ということか?」
うん、とイルキスは頷いた。
「でも、シルーク本人じゃないからそれで彼女の心が戻ってくる可能性は薄……って、あっ!」
何かを閃き、イルキスはぽんと手を叩いた。
「『魔性の声』だよ、蝶王の奪った! シルークは魔性の声を持っていたがゆえに美しいものが好きな蝶王に目をつけられ、その声を奪われた。蝶王は生まれ変わるたび、記憶以外にももう一つ受け継ぐことができるんだけど……今の蝶王が、まだずっとシルークの魔性の声を受け継いでいたのならば、可能性は、あるかもしれない」
藁にも縋るような可能性だな、とロアが鼻を鳴らすと、何も無いよりはいいじゃないかとイルキスは反論する。
「ぼくが考えられる可能性はこれだけだ。だから、状況を見つつ、フィレルが落ち付いたら行動を開始するよ。蝶王が、伝説の存在が今どこにいるかなんて見当はつかない。これに関しちゃ運命の女神さまも答えてくれない。砂漠の砂の中で一粒の金を探すようなものなのかもしれない。でも、ほんの僅かでも可能性があるのなら」
わかったから落ち付け、とロアが半ば立ち上がりかけたイルキスの腕を引き、座らせる。
「蝶王の居場所ならば、オレに見当がつかないわけでもない。シエランディアの南西方向、名前の付けられていない巨頭があるのを知っているか? 人が災厄の島と呼ぶその場所に、恐らく蝶王はいる。蝶王はな、シルークの死後、心を閉ざして人間と関わるのをやめてしまったんだ。シルークは蝶王の最後にして最高のパートナーだったらしい」
ロアの言葉に、イルキスは驚いた顔をした。
「……どこで知ったのさ、そんなすごい情報」
ああ、とロアは少し考えるような仕草をした。
「赤眼の鴉、だったか。いつの頃かは覚えていないが、赤眼の鴉が教えてくれた気がする。……ちょっと待てよ。赤眼の鴉……赤眼の鴉、って」
「闇神ヴァイルハイネン。極夜司る闇呼ぶ鴉、風の体現者、異界の渡し守。人間好きな奇妙な神様で、気紛れに人間の生に干渉し、その一生に寄り添って、相方が死ぬと一時的に天界に帰る。人間好きな神様だから、気紛れに誰かに話し掛けることもあるだろう。しかし驚いた。きみがあのヴァイルハイネンと話したことがあるとはね」
ロアの言葉を引き継ぎ、イルキスが興味深げな表情を浮かべる。
赤眼の鴉は闇神ヴァイルハイネンの象徴。災厄の島に行かなくとも、彼に会えればもっと確実な手段を得られるかも、知れないが……。
「まぁ、闇神さまに会えるかなんて、それこそ運だし。運命の女神さまでも神々の行動までは制限できないからぼくの力もこれには無力だし。大人しく災厄の島へ行こうか。目的地は決まったね」
それにしても、きみってすごいねとイルキスは不思議そうな顔。
「英雄の墓場の文字も読めたし、偶然にしろ闇神さまにも会えてるし。……きみって、本当に何者なんだい?」
「生憎と、自分ではわからなくてな」
そう、ロアは苦笑いを浮かべた。
こうして一日が過ぎていった。
敗北はすれども決して諦めじ。フィラ・フィアの思いを継いで、前へ進むためにまた一歩。
【第五章 完】
- Re: 魂込めのフィレル ( No.49 )
- 日時: 2019/09/04 08:55
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
【第六章 心の欠片をめぐる旅】
翌朝。
「う……ん」
大きく伸びをしてフィレルは目を覚ます。その回顔には疲れがあった。その顔には恐怖があった。
声を聞き、フィレルの目覚めを知ったロアは、そっとフィレルの手を握ってやる。
「起きたか」
「うん……。怖い夢、見たの。すっごく怖い夢。血がいっぱい飛び散って、その中に——」
フィレルは固く唇を噛み締めた。忘れろとロアは言う。
「それは確かにお前の経験した過去かもしれないが、今は忘れろ。少しずつ時がその傷を癒すまで、下手に意識にのぼらせない方がいい。悲しみの記憶は、トラウマの記憶は——人を、壊すから」
言ってロアが頭を撫でると、フィレルは安心した顔をした。その顔にいつもの明るさが戻ってくる。
病弱なファレルはあまりフィレルに構ってやれなかった。メイドのリフィアは積極的にフィレルに構ってくれたが、フィレルは同性の友達が欲しかった。そんな中でロアが来たのだ。フィレルはいつもロアを困らせロアに文句ばっかり言われていたが、ロアによく懐いていた。だからロアがいればフィレルは、心の平穏を取り戻すことができる。
ファレルはいつもフィレルを第一に考えてくれていたけれど、隠していることもたくさんあるし、時に冷たい顔を見せることもあってフィレルは少し怖かった。が、ロアは謎めいた過去こそあるものの嘘は言わないし、その剣の腕は広い背中は、誰よりも頼りになった。
ファレルの知略とロアの腕に守られながら、フィレルは悲しみを知らないで生きてきていた、はずだったのに。
知った過去。心の底に沈めながらも、フィレルはロアの顔を見て笑顔を浮かべた。
その笑顔を見てロアは複雑な顔をする。
「オレに頼るのもいいが、自分で立ち直れるようにしておけよ」
「ロアはいなくならないよね?」
「またそんなこと。当然に決まっているだろう」
縋るようなフィレルを、ロアはあえて突き放す。実際、この先何事も起こらなかったとしても、ロアの方がフィレルよりも若干年上である。ロアの方が早く逝くのは自明の理なので、フィレルにはもう少し自分ひとりで何とかできるようになってほしいとロアは考えていた。
そうだ、とフィレルがロアに問う。
「ええと、イルキスと、フィラ・フィアは? フラックは封じられたのぉ?」
「それが、な……」
ロアはこれまでの経緯を説明した。フィレルは難しい顔で頷いた。
「イルキスは今、船を探してる。災厄の島へ向かう定期便なんてあるわけがないから、指運師の力で賭け事をして資金を集め、船を買って出発する予定らしい。でもあいつ、海には不安があるようだが……背に腹は代えられない。あいつが海関係で嫌な思い出があったとしても、行くしかないんだ。あいつは風の魔導士でもあるから、風の魔法を船の帆にぶつければ、割と簡単にたどり着けるのかも知れないな」
こんな形で海を見ることになってしまったなとロアは苦笑いする。別にへーきだよとフィレルは笑う。
「海、海、初めての海だよっ! ねぇねぇ今さぁ時間ある? 僕、この港町の絵を描いてみたい! 旅の記念にいいかないいかな?」
海、という言葉を聞いて、フィレルの目に活力が宿る。仕方ないなとロアは言い、フィレルのリュックサックを投げて寄越した。
「イルキスが戻ってきたらフィレルは絵を描きに行ったと伝えておく。ああ、トラブルを起こしたりトラブルに巻き込まれたりなんてことはするなよ? 後始末するのはいつもこっちなんだから」
「わかってるよぅ。じゃあ、行ってきまーっす!」
うきうきとした足取りでフィレルは出ていった。
ロアは彼の為に用意していた朝食の入った盆を手に途方に暮れた。
「昨日あんなに疲れたんだからせめて何か口にしてから出掛けろよ……」
海、という単語を口にしたロアの失敗である。
少し落ち込んでいたって、フィレルはイグニシィンの問題児であることに変わりはないのだった。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.50 )
- 日時: 2019/09/06 08:04
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
海を見るのは初めてだ。フィレルはきょろきょろしながら町を歩く。町の奥に見えた青色を不思議そうに眺め、そちらの方へと駆けだしていった。そして港の船着き場にたどり着き、わぁっと歓声を上げた。
「これが、海……! 川の行き着くところ!」
初めて見る海は青く美しく、フィレルの心を打った。
「坊主、海は初めてか?」
そんなフィレルを見て、たくましい体格の男が声を掛けてきた。擦り切れてボロボロになったシャツとズボン、同じような革のサンダル。頭には青いバンダナを巻いていたが、それもまたボロボロになっていた。男が腰にさげた短いナイフは年季の入った代物のようにも見えた。
男は歯を見せてニッと笑う。
「海はいいぞぅ。海は男の浪漫だ。お前さんはこのどこまでも続く海の向こうに、見知らぬ島が見えた時の感動やワクワク感を知らないだろう。海は時に荒れて人の命を奪うが、海は生き物さ、怒りに打ち震えることもあるだろう。それでも俺たち船乗りは海に出ることをやめない。だって俺たちは知っているんだから、な!」
海の向こうに広がる、新たな世界を、と男は誇らしげに胸を張りながらも言った。
フィレルは目を輝かせて話を聞いていた。
「海ってすごいんだねっ! 僕さ、大陸の内側から来たの。だからこれまで海なんて見たことなかったんだけど……今、すっごく感動してる。この世界って、広いんだ。まだ僕の知らないものなんて星の数ほどあるんだね」
「海へ出れば、もっと見ることができるぞ。一日中太陽の沈まない日、逆に一日中太陽の昇らない日。ああ、そして海を泳ぐ様々な生き物や……海に沈んでいく夕日なんて、美しいなんて言葉じゃあ表せないぜ」
いつか描いてみたいなぁ、とフィレルが言うと、絵描きなのかと訊いてくる。
うん、とフィレルは頷き、旅の日々の中で茶色く変色してしまったエプロンをつまんでみせた。
「僕はある領主さまの弟なの。そこで僕はとんでもないことやらかしちゃって、その償いのために旅に出ているの。でも、本業は絵描きだし、綺麗なものを描きたいって気持ちはそのまんまなんだ。僕、仲間に海を描きたいって言って宿を飛び出してここに来たの」
そこでようやく思い出したのか、フィレルのお腹がぐぅーっと音を立てた。それでやっと空腹に気付き、ふっと力が抜けてフィレルはそのままぺたんと座り込んでしまった。昨日、あれほど疲れたのにまだ何も口にしていないのだ、そうなるのも当然と言えた。
おいおい大丈夫かと、男はフィレルの顔を覗き込んだ。
「今日は船出の予定なんてないしな。良かったらうちに来るか? 美味しい魚とか御馳走してやるよ」
「え、本当? わーい!」
フィレルは目を輝かせて喜ぶが、一度疲れを意識してしまうと、どうにも立ち上がれなくなった。必死で立とうと動くフィレルを見、男は呆れた顔をした。
「芸術家の坊主よ、何かに夢中になるのはいいが、自分の身体の心配くらいしないと駄目だぞ?」
言ってフィレルの身体を背負いあげ、「軽いな」と呟いた。
「まだ若いんだからしっかり食っとかないと大人になった時苦労するぞ? 家まで連れてってやるよ。まずは腹ごしらえで、海を描きたきゃあその後で描きゃあいいんだ」
こうしてフィレルは男の家に行くことになったのだった。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.51 )
- 日時: 2019/09/08 08:35
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
魚の香草焼き、魚介類のダシで作ったスープに塩パン。
男は家に着くとフィレルを椅子に座らせて、しばらくしてからそれらの料理を盆に載せて持ってきた。
石造りの家はフィレルの予想したものとは違っていた。フィレルはもっと、船に関係する船乗り独特のものが置いてあるかと思っていたのだが、中は普通の家のようだった。
「ほら、食いな。港町ならではの魚料理だぜ。簡単なものだが元気になれる」
にやりと笑った男。フィレルはありがとうと礼を言って、ナイフとフォークを手に取った。
魚の香草焼きを一口食べた途端、溢れる笑顔。香草の香りが魚の臭みを討ち消して、良いアクセントになっている。魚の旨みがフィレルの口の中に広がった。
「うまいか?」
そんなフィレルを見、男は問うた。
うんっ! とフィレルは元気よく頷いた。
「おいしい、おいしいよっ! 魚ってあんまり食べたことないんだけれどおいしいんだねぇ!」
「港で獲れる魚は鮮度が違う。そう言ってもらえて何よりだぜ」
「このスープも……おいしいっ!」
「そりゃあ良かった」
フィレルは貴族の端くれだが、イグニシィンの家は落ちぶれた。贅沢なんてさせてもらえないから、フィレルは食べ物を描き、それを実体化させて食べて空腹を凌いでいた時期もあった。でもそれは空気を食べるような感じがして、あまり満足できなかった。でも贅沢を言うわけにはいかなかった。フィレルが贅沢を言ったら、きっと心優しいファレルは「僕は小食だから」なんて言って、フィレルに自分のご飯を分けてしまうだろう。ただでさえ身体の弱い兄に、そんなことさせるわけにはいかなかった。
出された料理を夢中で食べるフィレルを見、お前も苦労しているんだなぁと男は呟いた。
「んーとね、僕の家貧乏なんだー。領主さまの弟って言ったって、お金持ちってわけじゃあないんだよぅ」
何でもないことのようにフィレルは返す。
やがて全て食べ終わり、男に満面の笑みを浮かべた。
「おいしいご飯、御馳走様でしたっ! ありがとねー、元気になった!」
はい、お礼、と言って、フィレルは男の手に何かを押しつけた。
「これは……?」
「似顔絵! ご飯作ってくれてる間に描いたんだ。良かったらどーぞ!」
フィレルはにっこりと笑った。
紙に炭で描かれたらしいそれは当然ながらモノクロだったが、まだ出会ってから大した時間も過ぎていない相手を描いたにしてはうま過ぎた。フィレルの絵の腕は本物なのである。
「ありがとねー! じゃあそろそろ僕、行かなくちゃ!」
フィレルは海を描きたかったが、ロアやイルキスのことを思い出して我慢する。
それに今後も描く機会があるかもしれないし、気にしないことにしたのだ。
またね、と声を掛けて元気よく去っていったフィレルを見、男はぽつりと呟いた。
「……結局、名乗り忘れちまったじゃねぇかよ」
モノクロの絵を抱き締めながら、元気でなと言葉を投げた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.52 )
- 日時: 2019/09/10 09:37
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
ロアたちの待つ宿に戻ると、そこには既に疲れた顔のイルキスがいて、ロアと何やら話しているところだった。二人はやってきたフィレルを見ると話をやめ、フィレルの方を向いた。
「気は済んだか?」
ロアが問うと、フィレルはうんと頷いた。
「ええとね、海で働く人に会ったの。おいしいご飯ご馳走してもらったの。海の絵描く時間はなかったけれど楽しかった!」
「……そうか」
フィレルとの付き合いの長いロアは、何となく何があったのか悟ったようだった。
「で、こっちの話なんだけど」
疲れた顔でイルキスは微笑んだ。
「船は買えた。流石に同じ賭場で荒稼ぎばっかりやってると、目を付けられて危険な目に遭いかねないから様々に移動しながら資金を集めた。でもさ、みんなぼくがイカサマしてるってすぐに思っちゃうから大変だったよ、ふぅ……。海の男たちはいい人だけれど、怒らせると怖いからねぇ」
船は港に置いてきたと彼は言う。
「で? 急がなくちゃならないんだろ。すぐに出発するかい? ところでフィレルかロア、船を操った経験は?」
二人とも首を振る。そうかいとイルキスは溜め息をついた。
「じゃあぼくが船を操るしかないようだね……。ぼくなら経験、あるから……」
と、不意にイルキスの身体がぐらりと傾く。ロアが手を伸ばし、咄嗟に支えた。
ロアの黒の瞳が、心配そうにイルキスの顔を覗き込む。
「そう言えばお前、昔は病弱だったみたいだな? それに徹夜したんだし疲れが溜まっているだろう。そんな体調で海になんか出られるか。今日の出発は取りやめて明日にしたらどうだ」
ううんとイルキスは首を振る。
「大丈夫……さ。今日しかないんだよ、チャンスは。明日には潮の流れが変わって、災厄の島へ行くのが非常に難しくなってしまう。潮の流れを見てきたけれど、今日しかないみたいなんだ」
「イルキス……」
大丈夫だからと彼は無理して笑う。
「まぁ……落ち付ける場所に着いたら代わりに、たっぷり休ませてもらうけれどね」
じゃあ行こうかと彼は言う。
ロアは頷き、眠ったままのフィラ・フィアを背負った。心壊れた彼女の身体は、異様なほどに軽かった。
「お前が希望の綱なんだから……さっさと目覚めろよ」
ロアの言葉なんて無論、届かない。
その後ろを、うつむいてフィレルがついていった。
◇
港に出る。イルキスはフィレルらをある桟橋に案内した。そこには一隻の船が停泊していた。
マストは二本。そこに掛けられた白い帆は今は畳まれている。船首付近には舵輪《だりん》があり、それを回すことで船の行き先を定めるらしい。大きさは十メルくらいか。そこそこの広さがあり、甲板の奥からは船室にも行けるらしかった。それなりに本格的な、立派な船である。船首には目のマークがついていた。
「これはなぁに?」
フィレルが問うと、「お守りさ」とイルキスは答えた。
「この地方の風習だよ。悪しきものに目をつけられないように、見張るためのお守りさ」
言って、イルキスは船に乗り込み、舵輪の前に置いてある台に地図のようなものを広げた。その後に続いて進んで行き、揺れる大地に目を白黒させながらも、フィレルは地図らしきものを指差して訊ねた。
「これって?」
「海図だよ。航海には必要なものさ。……ぼくはここではない港町に生まれ育ってね。ぼくもまた領主の息子だったんだけど、そこで船を操る術を学んだのさ。ぼくがいて良かったね?」
海図を広げると、今度は船尾の方へ行き何やらいじり始める。真っ黒な鉄の何かが現れた。「錨《いかり》か」ロアが問うと、「よくご存知で」と微笑んだ。
「これがないと船が停泊できないからね……。災厄の島まではしばらくかかりそうだ。だから食糧や水も買い込んで、本格的な航海の開始だよ。船の上はよく揺れる。気持ち悪くなってもどこにも逃げる場所なんてないから我慢だね」
先程まで疲れた様子を見せていたイルキスだったが、今はわくわくと楽しそうである。久々に船に触ることが出来て浮かれているのだろうか。
やがて。イルキスは様々な場所を一通りチェックしたあと、満足げに頷いた。
「これで良し……と。じゃあ今からぼくが船長だ。ロアが……出来るかわからないけれど頼りにしているから航海士ね。ああ、護衛も頼むよ。で、フィレルは雑用係」
「僕の扱い、ただの雑用!?」
「とりあえず、そういうことでね。まぁフィレルの力があればもっと様々なことができるだろうけれど、丁度良い役職が思い浮かばなかったものでね。ああ、料理もぼくがやる。船の上だから陸上と同じようにはやれないのさ」
頬を膨らませたフィレルをさらりと流し、てきぱきとまとめていく。
イルキスは手でひさしを作り、空を見上げた。太陽はまだ中天にある。夜になるまでどこまで進めるか。夜になったら流石のイルキスも休もうと思っていたし、その間に、船員としての様々な心得を皆に教えようと思っていた。
初心者を二人連れての船旅。希望の子は眠ったままで目を覚まさない。
しかしイルキスの胸は高鳴っていた。かつて、海で大切な人を失ったというのに。
「……でもやっぱり、海への憧れは捨てられないんだな」
自分の気持ちに気が付き、まるで少年のような、冒険への強い憧れに気が付き、イルキスは苦く笑った。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.53 )
- 日時: 2019/09/12 14:37
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「さぁ、出発だ」
イルキスはフィレルらに指示を出しつつ、錨を引きあげ畳んでいた帆を張った。真っ白な帆が風を受けて大きく膨らんだ。フィラ・フィアは船室に置いてきた。そして。
「わぁっ、動いた!」
思わずフィレルは歓声を上げる。いいだろう、とイルキスは船首に堂々と立ち、笑った。
彼の、背中に流した青みがかった銀の長髪が、海風を受けて霧のヴェールのようにきらめいた。
揺れる大地にはまだ慣れない。フィレルは欄干の手すりを掴んで倒れないようにしていた。身体能力が高くバランス感覚も良いロアはすぐに慣れたようで、揺れる地面を気にしなくなるのもすぐだった。彼は欄干からそっと身を乗り出して海を見詰め、空を見上げた。空と海。同じ青でも色は違う。今まで内陸の地で育ってきた彼らにとっては、何もかもが新鮮に映るだろう。
不意に船ががくんと揺れた。思わずつんのめりそうになったフィレルをロアが支える。
イルキスはつと目を細めた。その目は海の中の何かを読んでいる。
「潮が変わったね、待ち望んでいた潮だ。これから一気に沖に出るよ。陸地とはしばらくはお別れさ?」
言葉と同時、船がどこかに引っ張られるような感触。陸地がみるみるうちに遠くなっていく。
イルキスは海図を見つつ舵を取った。ぐるぐると舵輪が回される。海の上は見事に何もなかったけれど、それでもイルキスの目にはしっかりとした何かが見えているようで。
少しずつ日は暮れていき、吹いていた風も収まる。凪《なぎ》のひとときが訪れ、風はやがて完全に止んだ。真白な帆が垂れ下がる。その中で。
「ご覧、フィレル。海から見る夕焼けは格別だろう?」
言って、イルキスはある方角を指し示した。藍色に染まっていく海の中、溶けていくような鮮やかな橙色。それは近くの空を海を同じ色に染めて、たとえようもないほど幻想的で美しかった。自然、フィレルの手がスケッチブックに伸び、フィレルは憑かれたように絵を描き始めた。描きたかった海の光景。その夕景ともなれば、彼の中に眠る絵師の心が動くのも当然なのだ。
夕焼けの時間はあまりに短い。やがて日は完全に沈み残照すらも消え失せ星の光が射すのみとなったが、それでもフィレルは絵を描き続けていた。まるで先程の光景を忘れまいと、心に刻みつけるかの様に。その表情は鬼気迫っていて、いつもの無邪気でお茶らけた態度はすっかりなりを潜めていた。
やがて。
「終—わったぁ!」
叫び、フィレルは大きく伸びをする。
携帯している水筒で筆とパレットを洗い、絵を描くための道具を仕舞っていく。垣間見えたその絵はとても美しく、イルキスもロアもフィレルの才能の片鱗を思い知ったのだった。絵心師だとかイグニシィンだとかはどうでもいい。やはり彼は彼の本職は、絵描きなのだ。
イルキスはしばらく呆然と立っていたが、やがて船尾に行って、金属の塊を操作し始めた。それはなぁにと問うフィレルに、錨《いかり》だよとイルキスは返す。
「今日の船旅はここでおしまい。休んでいる間に船が遠くに流されないように重石を置くのさ。これはそのための道具でね」
それにしても疲れたねぇと彼は大きく伸びをして、船室方面に歩いていく。
「ふあぁ……。海の上の夜は長いよ。何かあったらぼくを呼んでくれればいいけれど、きみたちもさっさと眠ってしまうことをお勧めするね。ぼくは徹夜だったから……本当に、疲れた」
言って彼はそのまま船室に消えてしまった。
フィレルはロアと顔を見合わせると互いに頷きあって、船室へ消えた。
海の上の夜は静かに過ぎていく……。
◇
それからしばらくは、船の上での生活が続いた。フィレルもロアも船に乗るのが初めてにしては船酔いに悩まされることもなく、旅は快調に進んでいった。イルキスも久しぶりの海に本当に嬉しそうだった。
しかし最初は目新しかった景色も、何日も旅を続けていればその単調さに飽きが来る。旅も三日目になった頃だろうか、フィレルは退屈だと文句を言いだした。旅の食料も決まったものしかなく、それがお坊ちゃまとして育ってきたフィレルには我慢ならなかったのだろう。これまでフィレルは優しい兄ファレルの庇護のもと、不自由な思いなどしたことが無かったのだ。
「そんなこと言われてもねぇ……」
イルキスは困ったように頭を掻いた。
「そうだ、きみは絵心師だろう。その絵の魔法で単調な日々を変えてみたらどうかな? ぼくはこれを単調だとは思わないけどね……。海にいると、落ち付くんだ。海には嫌な思い出だってるのにさ……結局ぼくは海が好きなんだねぇ」
イルキスはそう、苦笑いした。
イルキスの提案に頷いて、フィレルはいつも持ち歩いているスケッチブックに早速絵を描き出した。
しばらくして見えてきたその全貌は。
「……料理、か?」
「うん! 僕、おいしいご飯をたくさん食べたいなぁって!」
フィレルの言葉にロアはそうかと頷いた。
彼らしいと思ったのだ。
その日の夕飯は、フィレルが実体化させた食べ物になった。
が、ロアは知っている。そんな魔法の産物でしかない料理など、本当はお腹をいっぱいにはさせてくれないのだと。満腹感、満足感は得られるかもしれないが所詮は魔法素の塊である。
それでもフィレルは大喜びだった。
そうしてその日は過ぎていった。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.54 )
- 日時: 2019/09/16 21:48
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
船旅を始めて、七日が過ぎただろうか。
海図を確認しながら時折魔法の風を送って船を操っていたイルキスが、「そろそろかな」と言った。
ふっと見上げた海の向こう。単調な風景の彼方、かすかに見えた黒い影。
「あれが……?」
「そう、災厄の島だ。海図には載ってるんだけど、実際にお目にかかるのは初めてだねぇ」
ようやくだねと疲れた顔でイルキスは笑う。
彼がちらり振り返った船室には、いまだ目覚めぬ封神の姫が眠っているはずだ。
「この島で彼女の目覚めへのヒントが見つかるといいんだけど……」
ロアの話によると、そこに蝶王がいるという。
蝶王との話いかんでは、状況は様々に変化するだろう。
「見えてきたっ! ……ってこの島、何だか怖い空気があるね?」
フィレルが近づいてくる島を前に感想を述べる。
そうだなとロアが頷いた。
「昔、この島には善良なる竜族が住んでいた。が、彼は人間に裏切られた悲しみでこの島に閉じこもり、以来、島に太陽が昇ったことはないという、そんな伝説がある。今、その竜族は深い眠りについているらしいが、再び目覚めた際に人間を目撃するようなことがあれば、この島の災厄はシエランディア本土にも波及するだろう、とな……。島に大きな火山があるんだが、その竜族は火山の火口の中で眠っているらしい。だから人間は迂闊に火口に近寄ってはならないんだって、な。
この島は今では、世界のどこにも居場所を見つけられなくなった人々の行き着く終着地だ。そこにいる人間のほとんどはこの島に来た際に船を壊し、もう二度と帰れないようにしているらしい。碌な人間などいないから関わるなよ」
ロアの説明にフィレルはへぇーと頷く。イルキスが探るような眼を向けたが、ロアは「記憶はなく知識だけが頭の中に残っている」と返した。
この長い封神の旅の中、ロアの知識量は彼と同年代の少年のそれに比べればはるかに多いものだということがわかってきた。それが何に起因するものなのかはわからないが……。
そして、着く。
濁った波寄せる波打ち際に、白い帆の船が寄ってきた。イルキスは錨を放り投げようとしたが少し考えて道筋を変更、波打ち際ではなく岩場付近に接岸し、板を渡してフィレルらを促した。
どうしてそんな手間が掛かるようなことをしたのかとフィレルが問うと、ロアの話さとイルキスは答えた。
「碌な人間がいない、船を壊した。それらの話を聞いた限りでは……簡単に船に触れるようなところに船を置くのはご法度だろう。何をされるかわかったものじゃないからね。そんなわけでぼくはここに残ることにするよ。ぼくだって伝説の蝶王に会いたかったし災厄の島の内部にも立ち入ってみたかったけれど……それで帰れなくなったらぼくたち、死ぬまで永遠にこの島に取り残されることになるからね。そんな未来、ごめんだろ?」
うん、と神妙な顔でフィレルは頷いた。
じゃあフィラ・フィアを頼むよとイルキスはロアを振り返った。
「彼女を背負っていけば、もしかして蝶王の方から見つけてくれるかもしれないしねぇ」
後はよろしくと彼は言い、フィレルが、フィラ・フィアを背負ったロアが板を渡り終えて岩場に着いたのを確認すると、板を片づけた。
「ぼくは岸からやや離れた場所にいる。でもこの近辺にいることは間違いないから、見当たらなかったら声を上げるなりなんなりして欲しい。それでも返事がない時はどうにもならない事態が起こったと考えてくれて構わない。そうなった時は悪いけれど、最低でも三日くらいは待っていてほしい。その間に何とかするから」
気をつけてね、と声を掛け、イルキスの船は遠ざかっていった。
災厄の島の上のはいつも暗い雲が掛かっており、太陽なんてのぞきやしない。暗く異様な空気のこの島に怖さを覚えてフィレルはロアにしがみついた。普段のロアならばそんなフィレルの頭を小突いて「しっかりしろ」と声を掛けるくらいはするのだが生憎と今は両手がふさがっている。だからロアはフィレルに声を掛けるだけは掛け、不安定な岩場の上を、特にぐらぐら揺れることもなく安定した足取りで進んでいった。
岩場が終わると浜辺に出る。先程の浜辺だ。打ち寄せる波までもが灰色がかっていて、この島に明るい色彩のものなど何ひとつないのだということを思わせる。そんな中で、フィレルの元気な茶色の髪と鮮やかな緑の瞳は、異様なほど際立って見えた。白いエプロンに飛び散った絵の具の痕すらも、この島の中では場違いな明るさを放っていた。
空気は寒かった。凍えるようだ。それは当然ともいえるだろう。この島には太陽が昇らないのだから。この島の天気は曇りか雨か荒天かしかないのだから。
そうやって歩いていたら。
いつしか周囲にぽつり、ぽつり。虚ろな人影が現れるようになってくる。
「関わるな」
ロアは言った。
「世界を捨てた人たちだ。オレたちみたいに目的を持って、確固とした未来への意思を持ってこの島を訪れたわけではない。元いた場所でも簡単に死ぬことはできないからこそここに来たんだ。そんな人たちと絶対に関わろうとはするなよ。何かあったらオレが守るからそうなったらお前はフィラ・フィアを背負って逃げろ」
ここはこれまでみたいにはいかない場所だからなと補足した。
フィレルはロアの陰に隠れ怯えながらも、通りすがる人々を隠れ見る。皆その顔に感情は無く虚ろで、悲壮さや悲しみやその他暗い感情だけが瞳の奥に渦巻いている。彼らは生きてこそいるが、もう死んだようなものなのだ。死んでもいいと思ってこの島に来た人たちなのだ。
彼らは鮮やか過ぎるフィレルたちを見て時に驚きを示しこそはしたが、ロアの発する張りつめた空気に何かを感じ取り、近づいてきたり余計な辛みをしてきたりする者はいなかった。今ロアは自分と周囲の仲間を守るために、周囲に殺気のような空気を振りまいていた。これまでそんなロアなんて見たことのなかったフィレルは怯え、ロアの黒いマントの端を縋るように握りしめた。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.55 )
- 日時: 2019/09/21 00:51
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
そうやって歩いていたら。
ふっと周囲の空気が変わった。
これまではただ異様で恐ろしい空気だけだったものが、一気に冷たい死の気配を帯びた。
冷たいだけだった外気が、一気に零下まで下がり空気が凍り付く。
その向こうに“それ”はいた。
真白な蝶、純白の蝶。おびただしい数群れ飛んで。
死そのものを周囲に振り撒くそれはさながら死神の化身。
その蝶の群れの中央に“それ”はいた、“彼”はいた。
後ろ姿だ。純白の衣装に身を包み、背に蝶の翼を生やした、身長三十セメルほどの、
「——蝶王」
『我の名を呼ぶは誰《た》そ』
フィレルの驚きの声に反応し、氷の刃の如き声が空を渡って突き刺さる。
“彼”はゆっくりと振り向いた。純白の髪が揺れる。心閉ざした純白の瞳が眠たげにフィレルらを見遣った。麗しいかんばせが正面を向く。
その、色をなくした唇が言葉を紡いだ。
『いかにも、我こそは蝶王、蝶の中の王。伝説の時代に生くる不思議の存在なり。我を呼ぶは何者そ。答えよ』
その声は相手に言い訳を許さぬ魔性の声。
フィレルの口がその魔力に囚われて勝手に開き、言葉を紡いでいた。
「絵心師、フィレル」
『フィレルとやら。我の名を呼んだ訳を答えよ』
「伝説の、フィラ・フィア。蘇って。でも、目覚めなくなっちゃって」
「——ほぅ?」
その声が面白がるような調子を帯び、フィレルは声の魔力から解放された。
蝶王はフィレルの隣に無言で立つロアを見た。彼の背負っているフィラ・フィアを見た。
「どうやら通常の客ではないようだな。そこにいるのは本当に封神の姫か? 彼女は確かに死んだのではなかったのか」
「僕が禁忌犯して、絵の中から取り出しちゃって」
「しかし何らかの原因で深い眠りについてしまったと、そう解釈して良いのか?」
フィレルは頷いた。
蝶王はロアを見て“声”を発した。
『そこにいる人間。お前はフィレルとやらの仲間か。我が問いに答えよ、そして名を答えよ』
フィレルはロアもまた声の魔法に囚われるかと思ったが。
ロアはフィレルのようにはならず、平然として答えた。
「最初の問いへの答えは、応。そしてオレの名はロア、そこのフィレルの幼馴染だ」
蝶王は平然と答えたロアを見て小さな眉を上げた。
『我の声を聞いてもそれに囚われぬ人間など初めて見たわ。そなた、人間ではないな?』
「生憎と記憶喪失だ、細かいことはわからないな」
本題に入っていいか、と彼が訊ねると、蝶王は面白がるような光を目の奥に浮かべて頷いた。
ロアはこれまでの経緯をざっと説明する。
「そこのフィレルが好奇心によって絵から伝説のフィラ・フィアを取り出した。フィレルは現代に蘇った彼女によって、新しい封神の旅の仲間にされた。オレもついていき途中で一人が新たな仲間になった。オレたちはフィラ・フィアのやり遺した封神の旅を完遂させるために長い長い旅をした」
ロアは背負っていたフィラ・フィアをそっと地面に横たえた。彼女は相変わらず深い眠りに落ちたままだ。彼女の心はいまだ、この場にはなかった。
ロアは話を続ける。
「最悪の記憶の遊戯者フラックとの戦いで、彼女は心に最悪の傷を受けて心を壊し、人形のようになってしまった。推測するに、蝶王、あんたの遠い日の相棒シルーク・フォルイェンの死の記憶を強引に蘇らせられたからだろう。彼女はシルークに淡い恋心のようなものを抱いていたようだな。
そしてリーダーたる彼女が動けなくなってしまった以上、こちらが動くしかない。オレは前に闇神ヴァイルハイネンがしてくれた話を思い出し、それを希望の綱にここまで辿り着いたわけだ」
フィラ・フィア、目覚めるかなぁとフィレルは心配げだ。
しかし蝶王はそれどころではなかった。
「シルーク……シルーク! ああ、その名を聞くのはいつぶりであろうか。そうだそうだ我の魔性の声も! あの子から奪ったものなのだそしてあの子は我に名をくれたのだ! 覚えている昨日のことのように覚えているぞ! あの子が死んだから我は心を閉ざし、この島に……ッ!」
呻くように叫び、呼吸を整えてから彼はふわり、眠るフィラ・フィアの上に舞い降りた。彼女の顔を間近で見詰め、しみじみと呟く。
「そなたたちの言葉は嘘ではないようだ。先程は怖がらせて悪かったな。彼女のことだって覚えているとも。あの子もな、明るく真っ直ぐな彼女を好ましく感じていたのだよ。このまま二人がずっと生きていたら、不器用な恋はやがて結ばれるかも知れなかったと思ったことが何度あったか……!
そうだ、我こそが蝶王だ。何百回何千回と生まれ変わりを繰り返し、幾星霜の記憶を受け継いできた存在だ」
彼女の心を取り戻したいと言ったな、と確認し、ひとつ頷くと蝶王は眠るフィラ・フィアの耳元に寄ってきて、
“声”を発した。
それは、たったの一言。
『——いつまで寝ているの、フィラ・フィア』
遠い日の『彼』ならば、シルークならば発したであろう言葉を、魔力のこもった魔性の声に乗せて届ける。
彼女の愛した彼の、人間不信で不器用だった彼の——。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.56 )
- 日時: 2019/10/13 08:27
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
しかしその瞳は開かない。蝶王の声すらも、シルークの声すらも届かない。
一瞬だけ、確かにその瞼は震えたのに。それっきり、動かない。
「……駄目であったか」
落胆したような蝶王の声。
「済まぬ、我ならばできると思ったのだ。そなたらの話を聞く限り、彼女はあの子を直接の原因としてこのような事態になったと思ったがゆえにな。しかし原因は違うところにあるというのか? わからぬ……」
頼みの綱である蝶王でもこの事態を解決出来なかった。
フィラ・フィアは目覚めない。希望の子は目覚めない。
フィレルらが途方に暮れた、時。
不意にどこからか、カアと鴉の鳴き声がした。
それに反応し、まさかとロアは声のした方を見る。
島の闇を切り裂いて、闇よりも黒い鴉が飛んでくる。その瞳だけは血のように赤い、鴉が。
フィレルはロアから聞いた話を思い出し、思わずといった感じで口にしていた。
「赤眼の鴉って……もしか」
「しなくても闇神ヴァイルハイネンだ。人間たちはご機嫌麗しゅう」
フィレルの言葉を引き継いで、聞いたことのない声が答えた。
高速で迫って来た赤眼の鴉は宙で一回転すると、人間の姿になった。
闇よりも黒い髪、血のように赤い瞳、褐色の肌。赤いマフラーをし、濃い灰色を基調とした地の上に赤い模様が交差する意匠の服を身に纏い、漆黒のマントを上に羽織る。
人間ではないと一瞬でわかる、圧倒的な存在感。
彼はマフラーに隠れた口元に、不敵な笑みを浮かべた。
「こんにちはだな人間たち。前からずっと様子を見させていただいていたが詰んだみたいだからな、ヒントを与えに来たんだよ」
俺は人間が好きだからなと笑う。
「そして最悪の記憶の遊戯者には通常の人間は立ち向かえん。今回だけだが特別に手を貸してやろうとも思った。人間好きな闇神の気紛れだよ。まぁ、否と言われたって勝手についていくがな」
驚くフィレルらに闇神は言う。
「眠っている封神の姫を呼び起こすには、あと二つの『欠片』が必要だ。壊れ傷付いた彼女の心を復元するには、彼女と強い関わりを持つ人物のものを集めなければならない。シルークの『欠片』は蝶王だった。レ・ラウィの『欠片』はエメラルドのペンダントだ。そういった全てを集めなければ彼女は目覚めないようになっているという。……全く。面倒な鍵を掛けたものよあの骸骨めが」
蝶王の声は確実に届いているぞと彼は言う。
「だから絶望するな、前を見ろ。歴史を思い出し文献をあされ。彼女を七雄のゆかりの地に連れていけ。そうするごとに彼女に掛かった『鍵』が外れ、最後の『鍵』が外れた暁には彼女はようやく心を取り戻す。旅は長いが全てが終わったわけではない。……ほら、な。希望が見えてきただろう? ヒントをやる。七雄全てのものを集める必要はない。必要なのはシルークと、レ・ラウィと……エルステッドだ」
闇神の、言葉。
全て終わった、打つ手はないと思っていたけれど、そんなことはなくて。
よかった、とフィレルはその顔に微笑みを浮かべた。
「レ・ラウィのペンダントなら兄さんが持ってるから最後に行けばいいね!」
とにかく、用は済んだのだしこの島から出ようとフィレルは笑った。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.57 )
- 日時: 2019/10/01 10:04
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
来た道を戻り、島の入口へと向かう。蝶王と闇神もついてきた。
その途中。
不意に、大きく大地が揺れた。
「地震……?」
フィレルは両足を踏ん張ってバランスを取る。ロアも体勢を崩し掛けたが何とか留まる。
どこかで、竜の咆哮が聞こえたような気がした。悲しい叫びが島をつんざく。
竜の、咆哮。そしてこの地震。それの示すことは。そもそもこの島が災厄に包まれた原因とは。
——この島の、禁忌とは。
「え、まさか……」
気付き、フィレルもロアも顔色を変える。
島に住む竜、人間に裏切られ、島を災厄に包みこみ、火口に眠る竜は人間が嫌いだ。火口になど通常の人間は近づかないはずだが、話を知らない人間からすれば火山の火口は丁度良い自殺スポットである。何も知らない人間が火口に近づき、眠る竜を起こしてしまったのだとしたら。
「まずいな」
闇神の言葉と同時、
爆発。
「火山が噴火したぞ、今すぐ逃げろッ!」
切羽詰まった声。
轟音。
島の奥の火山が大爆発を起こし、その向こうから巨体が現れる。
漆黒の鱗に紫水晶の瞳をしたそれは、紛れもなく、伝説の存在、竜族であった。それは紫の瞳を怒りと狂気に爛々と光らせ、大地をどよもすような声で叫びを上げた。
《——我を眠りから起こしたは誰そ》
その声の圧力たるや。
蝶王の、もといシルークの『魔性の声』と同等か、それ以上の威圧感を聞く人に与えた。
爆発する大地。闇神が守護魔法を展開、フィレルらに火山弾などが飛んでいかないようにしているが、その顔は難しげだ。
悲しみの竜は叫びを上げる。
《——我を! 穏やかなる眠りから起こしたのは! 誰そ!》
目覚めたくなかったのにと竜は呟くような声を漏らす。
《目覚めなければ思い出すことはなかった。人間種族への怒りや悲しみ、奪われた我が子の命のこと! 近づかなければ傷つけることもなかった。我はこの炎の海で、ずっとずっと眠っていられたのに》
その瞳がぎろり、闇神を見つけて光る。
《——お前か》
「否」
人間の姿に変じた闇神は首を振る。
「落ち付くが良い、災厄のアリューン。きっとただの自殺志願者だ。俺——闇神ヴァイルハイネンはお前の目覚めに一切の関与はしておらんぞ。俺は訳あってこの地に来、この地に本土からはるばるやってきた人間たちを救っただけだ。そしてその人間たちは可能な限り、火山から距離を置いていた」
《闇神、だと?》
竜の瞳に、束の間宿った冷静さ。巨大な竜は翼をはばたかせこちらに近づき、目を細めた。その目がフィレルとロアと、ロアに背負われたフィラ・フィアを捉える。
《成程、人間好きな闇神が来たか。だが闇神は人間好きゆえに人間を庇う。ああ、我は信じん信じんとも! 人間種族など、人間種族に関わるものなど! たといそれがこの世界の神であろうと!》
叫び、竜は咆哮を上げた。その声に応じ、無数の火山弾がこちらに向かって降ってくる。どう考えても常軌を逸した力、大地そのものに働きかける強力な力に、フィレルらはただ縮こまることしかできない。
そしてそんな大自然の暴力を、闇神は掲げた腕で受け止める。彼の掲げた腕の先、透けた闇色の魔法陣が無数生まれ、それが火山弾を受け止め、流し、勢いを殺して大地に返す。瞬く間に変わっていく地形の中で、闇神を中心とした部分だけは無傷だった。
「話を聞け、災厄のアリューン!」
闇神は叫んだが。
災厄の竜の瞳は再びの狂気に侵食されていきつつあった。
闇神は舌打ちをする。
「話しても無駄だということか」
彼はフィレルらを見た。
「仲間が船で待っているらしいな。そこまで送り届けるからお前たちは全力で本土を目指せ。俺はこの災厄を止めた後に合流する」
「勝算はあるの?」
あまりの竜の力に不安になってフィレルが問うと、闇神は「どうだか」と難しい顔をした。
「余裕だ、と笑いを返したかったのだが、な……。
ここが天界であるならば俺の勝利は間違いない。が、ここは本来の姿を現すわけにはいかない地上界。かりそめの姿でこの化け物とどこまで戦えるか……それは未知数だ。本当にどうしようもなくなったら天界に救援を要請する。……有名ではないが俺には兄神がいてな。あいつなら、ゼクシオールならば俺の危機にはきっと駆けつけてくれるだろう」
話は終わりだ、と闇神は打ち切り、右手を何もない空間に伸ばした。すると、そこに生まれる黒い闇のだかまり。それは縦に伸び、その向こうの光景はうかがい知れない。
闇神は言う。
「緊急時だから仕方あるまい、過干渉と言われようが関係ない。俺の権能『異界の渡し守』で『扉』を開いた。この闇の向こうに仲間と仲間の船がある。だからさっさと行け」
行って闇神はフィレルらに背を向けた。
彼が見上げるは災厄の竜。この島の主にしてとても強い力を持つ竜。
その竜に比べれば、人間の姿をしている闇神はあまりに頼りなく見えたけれど。
「——信じてる。頑張って!」
声を掛け、蝶王、ロアと一緒にフィレルは闇を越えた——。
「話は聞いたよ。すぐに逃げる!」
船に着くなり、イルキスは叫んだ。
風魔法を目いっぱい使い、全速力で船を進ませ災厄の島からなるべく遠ざかろうとする。
彼は船を進ませながらも、災厄の島の解き放たれた災厄を遠くに見遣った。
「闇神さま、無事だといいんだけれど……!」
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.58 )
- 日時: 2019/10/02 09:28
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
《人間を逃がし己は残るか》
「応。お前をこのまま放置したら、シエランディア本土に災厄が波及するというのが俺の考えだ。俺は人間種族の味方だからな、そんな可能性、許すわけにはいかないんだよ」
災厄の島で、闇神と厄竜は対話していた。
厄竜は問う。
《して? そなたは我に戦いを挑む気か》
「応」
闇神の瞳は揺るぎない。
「お前が人間種族を害し得るというのならば、俺はこの身をもって人間種族の壁となろう」
《我は強いぞ? そんじょそこいらの伝説生物とは訳が違うぞ? 本来の力を出し切れぬそなたに我を倒せるのかわからぬぞ?》
「承知の上で、戦いを挑んでいるんだ」
そうか、と厄竜は頷いた。
紫の瞳がぎろりと光る。
《ならば我も容赦はせんぞ。全力で来い、人間好きの闇神》
闇神は頷き、宙を蹴った。するとその背に現れる、漆黒の鴉の翼。
燃え盛る火山弾を右に左に高速飛翔し回避して、厄竜へ迫る。赤いマフラーが翻り、彼をかすめた火山弾に触れて一部が焼け焦げたにおいを発した。
闇神は何も持っていない両腕を振る。するとそこから現れた漆黒の双剣。それは闇で作られたもの。
迫る闇神。迎え撃つ厄竜。人間の力を遥かに超えた存在同士の戦いが始まった。
闇神に対し、厄竜は大きく口を開けてブレスを吐こうとする。が、闇神はそれを見切り、急上昇。目の前すれすれに迫った地獄の火炎を回避する。
厄竜は感心したように言った。
《やりおるな》
「一応、世界誕生からいる最古の神の一柱なんでね。竜と戦った経験だってあるさ」
ふっと笑う闇神。その姿が、消えた。
《なん、だと?》
厄竜の驚きの声。
闇神ヴァイルハイネンは闇の神であると同時に影の神。彼は闇に紛れ、影に紛れ、予測不能な攻撃を仕掛けることができる。
厄竜は自身の鱗に衝撃を感じた。だが、それだけだった。闇神の影の刃は厄竜の鱗を貫くには至らなかった。
何だ、その程度かと厄竜は笑う。
《そうか、そうであったな! 闇の神は炎の神や大地の神とは違うのだ! 行動が素早く視界に捉えることなどできないが、その分攻撃力も防御力も低い……。それに、“見る”ことはできずとも、“感じる”ことは可能である!》
感覚解放。呟き、厄竜は目を閉じる。彼の全ての感覚が研ぎ澄まされていく。
そして感じた。自分の弱点である柔らかい腹を目掛けて迫ってくる動く影を。
闇の神は動きこそ素早いが防御力は低い。ゆえに一撃でも喰らったら、それは大きなダメージとなる。
厄竜は尻尾を動かし、見えぬ影に向かって尻尾による殴打を加えた。直後、呻き声。纏った影のベールがはがれ、闇神の姿があらわになる。
尻尾の一撃で、咄嗟に顔を庇った彼の右腕は使い物にならなくなっていた。闇神は苦しみに顔をしかめ、口の中に溜まった血を吐きだした。
《見えぬからって油断するな》
「油断していたわけじゃあ……ないんだけど、な」
苦しげに闇神は笑った。
戦況は一変し、今は厄竜が有利となった。どうやって撃破するか頭を巡らす闇神に、不意撃つ地獄のブレスが迫る。
「くっ……!」
間一髪、闇神はそれをかわしたが空中で大きく態勢を崩し、状況の劣勢は変わらない。
《神といえどもその程度か。やはり天界ではない場所で戦う神は弱いな? お前が原初神だと? 笑止!》
笑い、厄竜は今度は自分から攻めかからんと動き出す。その動きを見切ることは闇神にとっては余裕だったはずだが……。
「……ッ」
ダメージを負い、動きの鈍っていた身体。かわしきれず、闇神は厄竜の腕に薙ぎ倒されて遠くへ吹っ飛ぶ。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
苦しみに顔を歪め、それでも闇神の瞳は揺るがない。
彼の全身から闇が噴きだし彼を包み込み見えなくさせる。何だと厄竜は笑った。
《先程と同じではないか。同じ手が我に通じると思うな。一回目も防がれたであろうに》
「同じじゃ……ないぜ」
答える声は、複数箇所から同時にした。
何だと、と厄竜は目を瞠る。
そこに闇神がいた。満身創痍の姿で、しかしその姿は七つに分かれて。
厄竜は目を閉じ感じ取る。それら七つすべてに熱があるのを。
厄竜は相手の熱を感知して闇神の接近に対処したが、分身すべてに熱を感じるとなると本体のみを撃破するのは難しい。
七体の闇神は同時に言った。
「「『竜と戦った経験だってある』と言っただろう。先程の交錯であんたのことは大体わかったんだよ」」
言って、七体が同時に迫る。
あるものは厄竜の腹へ、あるものは厄竜の口の中へ、あるものは厄竜の目をめがけて、あるものは厄竜の鱗の隙間を狙い、それぞれ闇の剣を振る。四方八方から迫る攻撃全てに対処できるわけもなく。辛うじて口へ迫るもの、腹へ迫るものは撃退できたが代わりに目を貫かれ、鱗の隙間を抉られた。感じた痛みに厄竜は絶叫し、残った片目を爛々と光らせた。彼の叫びに呼応して、火山が再び噴火して火山弾が闇神たちに迫る。が、闇神たちは右に左に高速飛翔、危なげなく避けていく。
一転して優位に立った闇神たち。が、体力も限界に近づいて来たようで動きがぎこちない。余裕のない表情で、無言で闇神たちは追撃開始。飛翔する彼らを厄竜は尻尾とブレス、腕で撃退しようとするが、全てを撃退しきることはできずにさらなるダメージを喰らう。
闇神の一体の剣が鱗を抉り、首の筋肉をあらわにさせた。その向こうにあるのは大事な血管、切られたら死ぬ急所である。そこを目がけて残った闇神たちが殺到する。厄竜は腕でそれらを何とかしようとするが、かと思えば他の闇神が別の場所を攻撃、強引に注意を逸らさせる。
どれが本体かわからない。どれを攻撃すれば良いのかわからない。ただ、分身でも自身に傷を与え得ると気付き厄竜はひたすらに撃退するが、高速飛翔する相手が七体もいるのだ、動きのあまり速くない厄竜に全てを撃退しきることは不可能で。
闇神たちは不敵に笑った。
「「ダメージを喰らわないと発動させられないのが厄介だが——この術式の分身は全て俺だ。俺は自分を七つに分けた。だから分身が死ねば自分も残り体力の七分の一を一気に消失するが、逆に言えば全員倒されない限り俺は死なない。肉を切らせて骨を断つ——苦肉の策の技だがな?」」
しかし流石に苦しいか——などと闇神たちはぼやいているが、攻撃の手は止まることなく。
「「厄竜よ。本来、お前に罪はないが、人間種族の敵となり俺と向かい合ったが不幸、悪いが安らかに死んでくれ」」
言葉と同時、厄竜の首の血管が、断たれる。盛大に噴き出した血液を浴びないように、闇神たちは一気に離れる。
そして、空中で集まり——ひとつに、戻った。
くずおれつつも、厄竜は呟いた。
《油断していたのは——我であったか》
「こっちだって無事とは行かないがな。こんなに苦戦したのは久しぶりだ。奥の手を使うことになるとは思わなんだ、あんたは強かったぜアリューン」
闇神の翼が消え失せる。勢いよく大地に激突した闇神は、もう立ち上がれなかった。それでも彼は必死で大地に膝をつき、何度も血を吐きながらも笑ってみせた。
「あんたの無念もよくわかる、人間種族の醜さも。その件はこちらで何とかすると約束しよう。だから——安らかに、眠れ」
《……闇神、ヴァイル、ハイネ、ン》
「どうした?」
厄竜は何かを言おうとした。しかし言葉は出なかった。厄竜はそのまま残った片目を閉じ、もう二度と開くことはなかった。
不意に、空が晴れる。厄竜の死により島に掛けられた呪いは解け、実に久しぶりの青空が姿を現したのだ。青空の下に広がるは荒野、火山の大噴火によって何もかもが無に帰した地。だがそれでもいつかはこの島に植物の種子が運ばれ、島が生まれ変わる日も来るのだろう。自然は、強い。闇神はそれをよく知っている。
闇神は自分に残された体力を感じ取り、今のままでは先に行ったフィレルたちに合流できないこを悟った。どうせ翼もしばらくは出せないのだ、休息しても良いかとは思ったが。
「……でも、心配なものは心配だし、な」
呟き、彼は震える身体を何とか動かし呪文を唱える。するとその身体が鴉のものに変じた。片方の翼の折れてねじ曲がった鴉は必死に空を飛ぶ。鴉の姿ならば消耗が少ないと、そう思ったが故の変身である。体の構造を人間の言葉が喋れるようにするほどの余裕もなかったが、少なくともこれで合流できる。
そうやって必死で羽ばたいていたら。
「——ハインも無茶しちゃって。まったく、俺の手間を掛けさせないでくれる?」
笑い声と同時、翼を支えるように風が吹いた。
姿は、見えない。だが闇神は感じ取る。それが、彼と親しくしている神、風神ガンダリーゼのものだということを。
「そっちの戦いに干渉はするつもりなんてなかったけれど、ずっと見させてもらってたよ。いやぁ、厄竜アリューンは強かったなぁ。でも、いくら人間種族のためだからって、お前は無茶し過ぎ。俺が心配になるじゃんかよー」
明るく笑う風神の声。しかし闇神はそれに応える力を持たなかった。
風神の声が心配げになる。
「応えることもできないくらいになっちゃったわけ? まったく、無理すんなよな。船までは俺の風で送り届けるけれど、その先は無茶しないでしっかり休めよ? 鴉の姿じゃ何もできないぜ?」
わかってる、と言う風に辛うじて闇神が首を上下させると、それで良しと満足げに風は笑った。
やがて見えてきたイルキスの船。白い帆を張り、船首に目の模様の描かれた船。
風はその近辺まで闇神を送り届けると、最後に癒しの力のこもった風を送り、「元気でな」と声を掛けて気配ごと消え去った。
そして。
「わっ、赤眼の鴉! 落ちてくるよ!」
「闇神さまだ、受け止めろッ!」
墜落するように船に向かって飛んできた彼は、フィレルの手に受け止められたのだった。
そして安心したのか——彼は意識を手放した。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.59 )
- 日時: 2019/10/13 08:30
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「闇神さま、満身創痍だぁ……」
「だが見てご覧。災厄の島に掛かった雲が、なくなっている」
落ちてきた鴉の闇神に治療を施しながらもフィレルたちは会話をしていた。
イルキスの言葉に、フィレルは目を細めて遥か向こうを見やる。そこには先程まで、漆黒の島影があったはずだ。しかし今そこには闇なんてなくなっており、通常の島影があるだけになっていた。
ほぅ、とロアが呟きを洩らす。
「あの闇は厄竜の象徴だった……。それがなくなったということは、闇神さまは本当に厄竜を倒したのか」
「でもギリギリだったみたいだねぇ。人間の姿になるほどの気力もないみたいだし……しばらくは彼の助言に期待できそうにはないかも。ええと、七雄の『心の欠片』を探せばいいんだよね? 自分たちで文献あさって何とかするしかなさそうだ」
イルキスはぼくは一部、思い当たるものがあるんだけれどと補足した。
「……まぁとりあえず、全ては本土にたどり着いてからだ。ところで蝶王さま、あなたはこれで良かったのかい?」
イルキスの問いに、ああ、と蝶王は頷いた。
「いつまでもあの地にいるわけにもいくまいて。……そなたらが我に新たな道を示してくれたのだ、感謝している」
そりゃどうもとイルキスは笑った。
そして船は少しずつ進んでいく——。
それから数日後。
「わぁい、シエランディアだぁ! 帰ってきたぁ!」
フィレルが歓声を上げた。
見覚えのある、トレアーの港に船が着く。
その頃には鴉の闇神も大分回復したようだが、まだ言葉を喋れるほどにはなっていなかった。何を話しかけても「カア」と答えるだけの彼に、助言は期待できそうにないだろう。厄竜はそれほどまでに強かったらしい。
「さて、到着だ。ああ……ちょっと頭がふらふらするんだけど……」
一人でずっと船を操っていたイルキスは具合が悪そうだ。
フィラ・フィアを背負ったロアは、「先に休んでろ」と提案した。
「『踊る仔馬亭』にまた泊まることを考えている。オレはフィラ・フィアを宿に置いたらフィレルと共に情報集めに町へ出るが、疲れ切ったあんたまで一緒に来ることはないだろう。休んでおけよ」
「そうさせてもらうよ……」
疲れ切った表情でイルキスは笑った。
そうやって、踊る仔馬亭にたどりついた、時。
聞き覚えのある声が、フィレルの耳を打った。
「あっ、フィレルじゃない! ずっとずっと探してたのよ! ……って、見たことのない人もいるわね。それにその、飛んでる白い人って! まさかの、伝説の蝶王様!?」
その声を聞き、まさかとフィレルは振り返る。
そこにいたのは茶色のツインテールの髪に、赤い瞳の……
「リフィ、ア? それにエイル!?」
「エイルは双子の妹の名だ」
リフィアの隣にいた青い人影が、ぶっきらぼうに答えた。
リフィアはずっとイグニシィン城にいたはずだ、とフィレルは不思議そうな顔をする。
それについては長い話があるのよと彼女は笑った。
「これまでのこと、話すから。だからそっちもどんな旅をしてきたのか教えてほしいな」
どうして蝶王様なんて伝説の存在が一緒にいるのかもわからないしと彼女は言う。
「えーと……王都には踊る仔馬亭だっけ? そんな宿があるよね。そこに行こう、そこで話そう!」
「とりあえず名乗っておく。俺はレイド、エイルの双子の兄だ」
名乗りだけを済ませ、彼は行くぞと声を掛ける。場所はわかっているらしい。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.60 )
- 日時: 2019/10/23 22:29
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
簡単な自己紹介を済ませて、リフィアはこれまでの旅について話した。
フィレルたちと別れた後、ファレルが言霊使いの力でエイルを殺したこと、エイルの言っていた「お母さま」の話、レイドとの出会い、その後の旅路……。
「あたしたちはエイルの言っていた人物を見つけられた。その人物はずっと昔、ファレル様の両親を殺し、ファレル様の心に消えない傷を、トラウマを植え付けた人物だった。名前はウェルフェラ・シエリィ。シエランディアの、形骸化した王族の末端にいる人物だった」
その都合上、ファレル様の抱えた傷についても知っちゃったんだと、リフィアは悲しげに笑う。
「あたしたちは正体を突き止め、彼女を追い詰めた。彼女は追い詰められたと見るや、自ら命を絶った。自爆魔法を使われて、うっかり死にそうになっちゃったんだけど……」
彼女はちらりとレイドを見た。その端正な顔の右頬には、醜い火傷痕がついている。
「レイドが、助けてくれたの。レイドは凄腕の人形使よ、その技を使えば様々なことができる。でも自爆魔法なんてそんなに威力が高いのに、対応できるわけがない。レイドはあたしを腕の中に庇ってくれた。代わりに酷い怪我を負っちゃったんだけど……でも、レイドが庇ってくれてなかったら、きっとあたしは死んでたわ。所詮はただのメイド、特殊な力も何もない女の子なんだもん」
彼女ははにかむように笑った。
「だからレイドには、感謝しているのよ。
その後、あたしたちはフィレルと再会しようとトレアーまでやってきたわけ。そこでこうして出会えたのね。それがこれまでの物語」
どう? と彼女は笑った。
「ただのメイドのあたしだって、たくさん冒険したんだから!」
「それはそうと」
ロアがリフィアにその黒い瞳を向ける。
「ファレル様は、どうなった?おひとりなのか?」
いいえ、と彼女は首を振る。
「レイドの人形が傍にいるって。あっ、そうだ! 思い出した、これ!」
言って彼女は首に下げた何かを見せる。
緑色に輝くそれは——
「レ・ラウィの……」
「そ。レ・ラウィのペンダント! ファレル様がお守りにって渡して下さったのよ!」
フィレルはそれどころではなかった。
闇神は何と言っていたか? フィラ・フィアの心を取り戻すには、彼女と深く関わった六雄の『心の欠片』が必要だと。そしてシルークの『欠片』は蝶王の魔性の声だったが、レ・ラウィの『欠片』は彼の遺品となったエメラルドのペンダントだと。
——エメラルドのペンダント。
何の偶然か、ファレルが受け継いだはずのそれは今、リフィアの手の中にあって。
そのペンダントは遠い昔、レ・ラウィが自分の婚約者たるルキアに渡したものだった。「必ず帰ってくる」言って手を振った彼は、その後家に戻ることはなく、フィラ・フィアたちを守って命を散らしたそうだが……。
「えっと……リフィア。それ、貸してくれない?」
「え? いいけど」
フィレルの頼みに不思議そうな顔をしながら、リフィアはペンダントを外して渡した。フィレルはそれを受け取った。ロアと目が合う。ロアは頷き、背負ったままだったフィラ・フィアを宿のベッドに下ろした。
フィレルの脳裏にロアから聞いた伝説の物語が浮かぶ。
フィレルはレ・ラウィのペンダントを眠ったままのフィラ・フィアの首に掛けた。自然と、言葉が出た。
『——いよぉ、姫さん。いつまで眠っているつもりだい?』
レ・ラウィならば言うであろう台詞、陽気でお茶らけた彼らしい台詞。
言った瞬間、フィラ・フィアの瞼がかすかに動いたが——それだけだった。
だが、確信できる。フィラ・フィアの心に張り巡らせられた鎖の一つが今、確かに解放されたこと。
なぁんだ、とフィレルは思った。
運命というやつは案外、素直に味方してくれるものだった。
「えーと……どういうこと?」
訳がわからないという顔をしているリフィアらに、フィレルはこれまでの冒険を教えてやった。
イルキスとの出会い、風神リノヴェルカの封印、収穫者デストリィ戦でのイルキスの加勢、死者皇ライヴとの戦い……。
フィレルの話す数々の物語を、リフィアは興味深げに聞いていた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.62 )
- 日時: 2019/10/27 08:39
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「へぇ、ずいぶん大変な旅をしてきたのね」
リフィアは驚いたような顔で頷いた。
そんなわけで、とフィレルは言う。
「偶然だけど、リフィアの持ってきたペンダントが役に立ったね! 僕ら、いったんイグニシィン城に帰らなくちゃならないのかなって思ってたしぃ」
イグニシィン城に戻るのは、全ての旅が終わってからだと思っていた。それまで帰らないと心に決めていたそれが守られるのは良かったなとフィレルは思った。イグニシィン城は優しい、そこにいるファレルは温かい。一度戻ってしまったらその優しさと温かさに甘えて、再出発がなかなか決まらなくなるんじゃないかと、フィレルはそう思っていたのだ。だからフィレルは自分を戒めるためにも、可能ならば城に帰るのは一番最後にしたかったのだ。
リフィアたちのお陰でその目的は果たせそうだ。フィレルは心の中で、ペンダントをリフィアに持たせてくれた兄に感謝した。もしも兄がリフィアに持たせてくれなかったら、フィレルらは城に帰り、そこの安穏とした生活の中で、封神の旅への意欲を失ってしまっていたかもしれない。ファレルは優しい人だから、きっとどこまでもフィレルを甘やかす。そしてフィレルはそれに抗えるか、わからない。
ありがとう、とペンダントを返しながら、フィレルはリフィアらの方を向く。
「リフィアたちは? 僕たちの旅についてくるの?」
少し考え、いいえとリフィアは首を振る。
「行きたい気持ちは山々だけど……ファレル様を、ずっと一人にしておくわけにはいかないの」
「同じく。いくら人形たちに守らせていると言ったって、絶対ではないからな。俺がいれば役に立てることもあるだろう」
そう、レイドも頷いた。
こうして別れることになった。
でも、二度と会えないわけじゃないから。
「フィレルぅ! あんた、他の人に迷惑掛けんじゃないわよ!」
「わかってるってばぁ!」
そんなやり取りをして、リフィアたちはいなくなった。
◇
リフィアらと別れ、次の目的地の相談をする。闇神の話では、後はエルステッドの「欠片」を集めればフィラ・フィアは目覚めるらしい。しかしエルステッドは武器や防具を自分の魔力で作り出す特殊な魔導士なので、彼の遺した武器など探そうとしても出てこない。騎士エルステッドの『欠片』は武器ではないと判断し、別の何かを探す必要がありそうだ。
「そう言えば」
ふっと何かを思い出したようにロアが言った。
「エルステッドは封神の旅の後、手記を残したらしいと聞いたことがある。今回のキーはその手記なんじゃないか?」
エルステッドの手記。それはフィレルも聞いたことのある話だった。
最愛の人、フィラ・フィアを失ったエルステッドは生涯、誰とも結婚しなかった。姫を守れなかった騎士たる彼は、その後悔を、一人だけ生き残ってしまったという十字架を背負いながら生きてきた。だが彼はそんな日々の思いを手記に残し、ある魔導士に頼んで保存の魔法を掛けてもらっていたという。その手記が眠る場所は——
「そうだっ!」
ぽん、とフィレルが手を打った。
「英雄の墓場だよ、覚えてる? フラックに挑む前に行った場所、英雄たちの魂の眠る場所! みんな見えてなかったみたいだけれど、僕、見えたんだよね。エルステッドの墓の足元に何かの本の一部らしきものが見えていたの」
最初は見間違いだと思っていたんだけど、と言いつつ、その目を輝かせた。
「それ、もしかしてエルステッドの手記じゃなぁい? 場所からしてもしっくり来るよ!」
かもしれないねぇ、とイルキスは頷いた。
「ならば前にたどった道を戻るだけだ。闇神さま、合ってるかい? 闇神さまなら手記の場所、知っていそうだけれど……今はこんな状態だからねぇ」
イルキスの問いに、鴉の姿から戻れない闇神は賛同するようにカアと鳴いた。
目指す場所は決まった。きっともうすぐでフィラ・フィアは目覚めることだろう。
フィレルはロアに背負われているフィラ・フィアを見た。
「目覚めてね……! 僕らさぁ、君がいないと目的を達成できないんだよぅ?」
眠ったままのフィラ・フィアにそっと、無言で蝶王が寄り添った。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.63 )
- 日時: 2019/10/29 12:30
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
辿ってきた道を戻り、円環の丘に到着する。中央の石碑を取り囲むように並ぶ、六つの石碑群。ロアが石碑に書かれた文字を読み取り、「エルステッドの墓はこれだ」と指し示す。その足元に——
「あった! 手帳みたいなやつ! これだよ、これじゃなぁい?」
フィレルがぴょんぴょん跳ねて興奮を示す。彼の差した地面には確かに、何かの本の青い表紙が見えた。フィレルはそれに近づいていき、せっせと地面を掘り返す。そしてそれは姿を現した。
読めない文字で書かれた表紙。しかしロアはその文字を読み取る。
「姫失いし騎士の記録——エルステッド・カルーディス。すごいな、フィレル。これはきっと本物だぜ」
その青い表紙の手記は、書かれてから千年以上の年月を経たのにまだ新しく、ざっと開いたページの文字は、まだ簡単に読み取れそうだ。ロアはフィレルの手から手記を奪い、高速でページをめくりながらもざっと内容に目を通していく。その黒いまなこが忙しなく動いた。ロアしか読めない昔の文字。イルキスも読めないことはないが彼はたどたどしくしか読めないからロアが読む。何故ロアがこの文字を読めるのか、その理由はいまだにわからないけれど。
やがて。
読み終わったのか、ロアは手記を閉じて大きな息をついた。
「……晩年のエルステッドはもう、英雄ではなくなったな」
それが彼の発した第一の感想だった。
「だが、フィラ・フィアを起こすキーとなるような言葉が見つかった。フィラ・フィアはシルークが好きだったが、エルステッドは純粋にフィラ・フィアを愛していた。ゆえに、だからこそ、出た言葉だ」
言って、ロアはフィレルに開いたページを見せ、そこに走り書きされたような一文を指し示した。そこに書かれていたのは——
「『さようなら、フィラちゃん。大好きだったよ』」
口に出して、フィレルは驚いた。今の言葉は誰のものだろう? ロアとは違い、フィレルにはこの文字なんて読めないはずなのに。フィレルの中には確かにその時代に生きたレ・ラウィの血が流れているけれど、血の繋がりがあると言うだけで、それで当時書かれていた文字を読み取れるなんて有り得ない。
しかし起こるべくして奇跡は起こる。
何か、硝子質の何かが割れるような甲高い音がした。
そして、
「う……ん」
ロアの背で、ずっと眠っていたフィラ・フィアが動き出す。
フィレルは歓喜の声を上げた。その時ちらりと手記を見たけれど、もうその文字を読むことはできなかった。
「やったやったぁ、フィラ・フィアが目覚めたぁっ!」
「……長い、悪夢を見ていたの。長い、長い、終わりのない、悪夢」
ぼんやりと、焦点の合わない眼をこすりながらもフィラ・フィアは呟いた。
ロアは背負っていた彼女をそっと、大地に横たえた。フィラ・フィアの瞳が心配げに自分を見る仲間たちの視線に気付き、少しずつ焦点を結んでいく。
その瞳がふっと蝶王の上に留まった。彼女はぼんやりと呟いた。
「シルーク……?」
「シルークはもういない」
「そう、そうよね……知ってた……わかってた、わ……」
蝶王の言葉に、フィラ・フィアは頷いた。
やがて、彼女は言う。
「ごめんなさい……起こして」
ロアが頷き、横たわったままの彼女の脇に手を入れ首を支え、その身体を起こしてやる。ありがとうと彼女は言った。錫杖の場所を探す様に目が動くと、ずっと錫杖を預かっていたイルキスがそれを彼女の手に握らせる。フィラ・フィアは頷き、錫杖を持ったままうーんと大きく伸びをした。錫杖についた鈴がしゃん、と鳴り、彼女の意識を正常にさせる。
そして、彼女は錫杖を支えに自分の力で立ち上がる。焦点のしっかり結ばれた瞳で、しっかりとした声で、言う。
「ただいま」
その声を、その言葉を。どれほど聞きたかっただろうか。
「皆には迷惑掛けたわね……。夢うつつの世界の中でも、そちらのことはぼんやりとわかっていたの。わたしは弱かったわ、ええ、本当に弱かった。でももう違うの、今度こそわたしは負けないわ!」
眠りから醒めて、悪夢から醒めて。希望の姫はより強くなる。
しゃん。強く打ちつけられた錫杖から、彼女の決意の音が鳴る。
「待たせたわね、みんな。わたしはもう大丈夫、大丈夫、だから……!」
彼女はぐるり、自分の信頼する仲間たちを見渡した。
「さぁ、行くわよ、もう一度! 最悪の記憶の遊戯者の神殿へ。今度こそ絶対に、負けないんだからっ!」
その時、英雄の墓場の石碑ひとつひとつに、不思議な輝きが宿った。その輝きの向こうに、ぼんやりとした人影が見える。フィラ・フィアはそれらを見、あっと驚いたような声を漏らした。
フィレルだって、イグニシィン城に飾られている絵で見たことのあるそれは、封神の七雄の亡霊のようにも見えた。かつて彼女と共に旅をして、そして散っていった英雄たちの。
「ユーリオ……ユレイオ……ヴィンセント……レ・ラウィ……エルステッド……シルーク……!」
ひとりひとりの名を呟き、彼女は泣き笑いのような表情を浮かべた。
「何……何よ。わたしが心配で現れてきちゃったってわけ? 心配性ねぇみんな……」
彼女はごしごしと目をこすった。
「でももう大丈夫だから。みんなは安心して眠ってなさいよ……わたしはもう、立ちあがれるんだから……」
言って、彼女は亡霊たちに背を向けた。フィレルの視界の端、イルキスがフィレルにしかわからないようにウィンクしたのが見えた。あれはイルキスがフィラ・フィアを元気づけるために作りだした幻影らしい。彼女には内緒でね、とイルキスが口の形だけで言った。
行くわよ、とフィラ・フィアが言い、そのままずんずん進みだす。イルキスは幻影を消したけれど。
何故だろう、それでも気配らしきものが、残っているのは。
もしかしたら、遠い昔に死んだ英雄たちの霊が、今も尚この地に、英雄の墓場に、留まっていたのではないだろうか。そうフィレルは考え、不思議な気持ちになった。そうやって佇んでいるフィレルに、置いていくわよとフィラ・フィアの声。ずっと持っていたエルステッドの手記を元あった場所に戻し、待ってよぅとフィレルは慌てて追いかける。
希望の子、再び立つ。
封神の旅は、終わらない。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.64 )
- 日時: 2019/10/31 14:39
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
フィラ・フィアの心を取り戻し、再び最悪の記憶の遊戯者の神殿へ向かう。トレアーの港町へ戻り、イルキスの案内に従って、地下牢獄の先の先へと。イルキスしかわからない、迷路のような道を進む。しかしそこを歩く一行の顔は初めてそこを歩いていった時よりも、ずっとずっと晴れやかだった。特にフィラ・フィアは、憑きものが落ちたような顔をしていた。
そして扉の前に立つ。前回はこの扉を開けた時、フラックの不意打ちを食らいフィレルの最悪の記憶が呼び起こされたのだ。覚悟して扉を開けなければ、前回と同じ轍《てつ》を踏む。
「でも、大丈夫だから。今度も僕が先に行くよ!」
言って、フィレルがドアノブに手を掛け、開けた瞬間。
——鴉の鳴き声が、した。
そして予想していた悪夢の波動は、誰にも届くことがなかった。
軋んだような声、悔しそうな声が響き渡る。
「闇神ヴァイルハイネン! また人間に味方しおったか!」
「それが俺の性だからな」
不敵に笑い、鴉は人間の姿になる。
闇よりも黒い髪、血のように赤い瞳、褐色の肌。赤いマフラーをし、濃い灰色を基調とした地の上に赤い模様が交差する意匠の服を身に纏い、漆黒のマントを上に羽織る。
人間ではないと一瞬でわかる、圧倒的な存在感。
「闇神ヴァイルハイネン、今ここに復活す。時間はあった、その間に傷を癒すことはできた。そしてフラックの精神攻撃は俺には効かぬ」
行けよ、と彼は背後にいる仲間たちを見た。
「この下衆野郎の精神攻撃は全て俺が食い止めよう……。物理攻撃はそこの剣士が防げるな? ならば封神の姫はそのまま奴を封じろ。大丈夫だ、この俺が人間の味方をしている限り、人間側に敗北はあり得ない」
「貴……様ァッ!」
じゃらん、じゃらん、と鎖を鳴らし、骸骨が怒りをあらわにする。かつてその鎖の音は、人間にトラウマを思い出させる狂気の音だった。しかし今、その音を聞いても。心の内にトラウマは蘇らない。
フラックの前に立ちふさがる闇神の背が、とても大きく見えた。
行けよ、と彼は不敵な笑みを浮かべ、背後を振り返る。
「俺だってまだ完調じゃないんだ、いつまで持つかわからんぞ?」
「はい、行きます!」
頷き、フィラ・フィアはステップを踏む。舞の魔法が発動し、足元には輝く魔法陣、彼女の周囲には虹色の鎖が生まれ、少しずつ実体を得ていく。それを防がんとフラックの鎖が暴力となって飛ぶ。ロアの剣が鎖に巻かれ、持っていかれそうになるが。
「僕のこと忘れてなぁい? 燃えちゃえ!」
フィレルの描いた炎が実体化し、それどころではない状況を作りだす。フラックは炎を避けるために、鎖による拘束をやめざるを得なかった。ありがとなとロアが礼を言うと、当然でしょとフィレルは笑う。
その片隅で蝶王が、小さく呪文を唱えていた。魔性の声ではなく、通常の声で。その隣でイルキスが幻影を紡ぎだし、ふたり顔を見合せにやりと笑う。
次の瞬間。
「さぁ、行け!」
イルキスの掛け声と共に現れた、雲霞《うんか》の如き蝶の群れ。蝶王の蝶は猛毒だ、下手に触れれば骨さえ腐る。フラックの焦ったような声。フラックは鎖で撃ち落とそうとするが、何分数が多すぎて、対処しきれるはずもなく。
そして蝶が触れた場所の骨が、毒々しい赤紫色に染まった。フラックは痛みに悲鳴を上げる。
「ぐぅ……ッ! 蝶王……めェ!」
そうやってひるんだ隙に、虹色の鎖は完成する。しゃんしゃんしゃんと、錫杖の清浄な音が空気を凛としたものに変えていく。
思いを込めて、願いを込めて、フィラ・フィアはその言葉を口にする。
「封じられよ! 最悪の記憶の遊戯者、フラック……ッ!」
虹色の鎖が回転し、骸骨の身体に巻きついた。フラックは抵抗するような仕草を見せたがそれも意味なく。
強い光が満ち溢れ——気が付いたら、そこにはもう、骨の骸骨の姿はなかった。
深い闇を湛えた黒曜石が、ただその場に在るだけで。
「——最悪の記憶の遊戯者フラック、封印完了」
勝利宣言のようにフィラ・フィアは言った。
「長かったわ……。でも、ようやく勝てた。みんなのお陰よ? ありがとう」
じゃあ、俺は帰るぜと闇神は言った。
「人間への過剰干渉は神々に罰せられかねない。俺が手伝ってやれるのはここまでだ。残る神々は、お前たちで何とかできるだろう。俺は信じる、人間の可能性を」
時に、ロア——と、彼はつとその目を細め、ロアを見た。
「忠告しておこう。霧の神セインリエスには関わるな。何度もお前たちの旅を邪魔してきた、自殺志願のあの神様だ。関わると碌なことにならない。幸せな生活を維持したいなら、あいつの言葉に耳を貸すな」
あいつは嘘を言わないけれど、と彼は言う。
「だが、残酷な真実というのもあるものなんだ。ロア、いくら気になっても、お前は自分の過去を知ろうとしちゃいけないぜ。真実を知ったら最後、お前は二度と戻れなくなる」
不吉な言葉を残し、じゃあなと彼は赤眼の鴉に姿を変えて、飛び去った。その姿が途中でかき消すようにいなくなる。
最悪の記憶の遊戯者には勝ったけれど、消えないもやもやが残る結果となった。
ロアの過去とは一体どんなものなのだろう? 闇神は全て知っているようだけれど……。
フィレルはそっとロアを見た。ロアは複雑な表情で黙り込んでいた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.65 )
- 日時: 2020/06/25 00:00
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: lDBcW9py)
◇
「残る神々は、戦呼ぶ争乱の鷲ゼウデラでしょ、生死の境を暴く闇アークロアでしょ、運命を弄ぶ者フォルトゥーンでしょ、無邪気なる天空の破壊神シェルファークでしょ……っと。あと四体! あと少しで封神の旅は終わるわ!」
トレアーの町にて。次の目標を確認するために、フィラ・フィアは数を数えていた。
長かった封神の旅も折り返し地点を過ぎた。あと少しなのだ、あと少しでこの旅も終わるのだ。
そう思うと不思議な気がした。フィレルの過ちから始まった長い旅が、もうすぐ終わる。
終わったら、みんなでまた笑い合えるだろうか? 結末はまだわからないけれど……。
地図と睨めっこしていたフィラ・フィアは、うん、決まったと声を上げた。
「次に目指すのはここ、オルヴァーンの町よ。そこに運命を弄ぶ者フォルトゥーンが、いるの」
彼女は地図の一点を指し示した。そこはトレアーよりも東にある、海沿いの町だった。
「フォルトゥーンは神殿にやってきた人に『ゲーム』と称した拒否権なしの遊びを仕掛け、『ゲーム』に勝った人の願いは何でも叶え、負けた人の一族を本人もろとも『ペナルティ』と称して皆殺しにしてきた。。かつて彼は神殿の来訪者にだけ『ゲーム』を仕掛けていたけれど、それだけでは飽き足らず、いつの間にか、まったく関係のない他者にも同じことをするようになった。そして彼のお陰で世界の均衡は乱れに乱れ、智神兼秩序の女神であるアルアーネが奔走したけれど放埒は止まず、双子の姉である運命神ファーテの言葉も聞かず、と」
危険な神様よ、とフィラ・フィアは言う。
「正攻法は通じない。『ゲーム』に勝ちさえすればいいけれど、負けたら問答無用で全てが終わる。一族諸共ってことは、フィレル、負けたらあなたの大好きな兄さんも殺されるわ。相手の盤面の上で、確実に勝利をつかまなければならない……。そもそも何が来るのか予想すらできないけれど、覚悟を決めてやるしかないわね」
◇
トレアーの港町に別れを告げ、次の町へ、オルヴァーンへ。
舗装された灰色の道を歩く道すがら、彼らの前を不意に白い影が遮った。
「やあやあ久し振り……。ヴァイルハイネンが余計なこと言ってくれたみたいだけれど、私は気にしない。また気紛れに現れるだけさ」
白の、ボサボサの長髪、冷たく澄みきった印象を与える蜜色の瞳。白のローブを身に纏い、足には白のサンダルを履いた、どこか儚げな印象を与える男。
フィレルはその名を呟いた。
「霧の神様……セインリエス!」
これまで散々、ロアの過去を強引に暴き、ロアの心をかき乱した存在。出会った当初はフィレルは相手を「敵か味方かわからない」と思っていたが、今は違う。彼のせいでフィレルの大切な親友が、幼馴染が傷つけられたのだから、セインリエスは敵である。
きっと鋭い視線で自分を睨むフィレルに、嫌われたものだねぇとセインリエスは眉を上げる。
「私はこれからしばらく現れる予定はない。そうだね……次に現れるとするならば、私を殺してもらう時かな? だから挨拶しに来たんだ。そして、ひとつ、お土産を」
言ってセインリエスは蜜色の瞳でロアを見た。途端、ロアががくりと膝をつく。まただ、また何か、セインリエスはロアに対してやったのだ。覗きこんだロアの瞳の奥には、これまで見たことのなかったような、深い深い虚無が宿っていた。
「お前ッ! ロアに何をしたんだよッ!」
叫ぶフィレルに、返してやったのさと飄々とセインリエスは言う。
「残る二つのパーツの一つ、底知れぬ喪失感を。最後のパーツは最後に返そう。そうでないと面白くないからね」
底知れぬ喪失感。そう言えばロアには、ノアという大切な人がいたらしい。その人を無残な方法で殺されたらしい。そしてノアを殺したのは神々らしい、だからロアは神々を憎んでいる、とまではフィレルも何となく予想出来ている。今、セインリエスが返したのは、その時ロアが抱いていた感情だ。大切な人をこれ以上ないほど無残な方法で殺された時の——。
ちらり、振り返ったロアは震えていた。いつも強かったはずのロアが、いつも最前線でフィレルを皆を守っていてくれたはずのロアが、こんなにも弱々しく。それくらいひどい出来事だったのだ。そんなことが、誰も知らない過去にあったのだ。
大丈夫だよとフィレルは囁き、弱い力で精いっぱい幼馴染を抱き締めた。ロアの冷えた体温が伝わってくる。ロアの顔は蒼白だった。
大丈夫だよとフィレルは繰り返した。
「過去になんか囚われないで。僕がいるよ、兄さんがいるよ、フィラ・フィアがいるよ、イルキスがいるよ」
『そして我もだ』
「魔性の声」で蝶王が言った。彼の声は魔法となってロアの耳に届く。
『旅人を惑わす霧に目を向けるな、霧の彼方から聞こえる誰とも知らぬ声に耳を傾けるな。霧の向こうにそなたの大切な人はいない。霧に目を向けるのをやめ、今自分の近くにいる仲間たちを意識しろ。そなたは霧の世界の住人ではない。現実に戻って来い——ロア』
蝶王の声に、言葉に、ロアの震えは止まる。でも瞳の奥に宿る恐怖は消えなくて。そんな幼馴染を失いたくなくて、フィレルは強く強く、しがみ付くようにロアを抱き締めた。
感心はせぬな霧の主、と蝶王が厳しい声を投げる。
「最悪の記憶の遊戯者フラックでもあるまいし、他者の封じられた記憶を暴くことに何の意味がある? 自殺志願ならば兄神にでも殺してもらったらどうだ。風の神ガンダリーゼなら、兄弟を害したお前を許しておくま……」
「——ふざけるなただの虫風情がッ! お前に何がわかるッ!」
蝶王の言葉の何かに激怒し、セインリエスは水滴を集めた刃をその場で作りだし、蝶王に向けて振るった。だが、させないとばかりに何かが防ぐ。金属音、そしてきらめく剣の金属質な輝き。
「……お前なんかに、傷つけさせやしない」
一切の感情を感じさせない極低音の声で、ロアが言葉を発した。彼が咄嗟に剣を抜き、蝶王を守ったのだ。
心配掛けて悪かったなと、同じ声で彼はフィレルに言う。
「今まではわからなかった。過去を知りたい気持ちと知ってはならないという理性がオレの中でせめぎ合っていた。オレの中ではこの霧の神が敵か味方かいまだ判別がつかなかったが——仲間を傷つけようとしたのならば話は簡単、お前は敵だ」
言って、その刃をセインリエスに向ける。
いつもの態度を取り戻したセインリエスが、薄ら笑いを浮かべる。
「そうか、君はそうだったね。下手に記憶を返すより、そうした方が怒るんだ。ようやくわかったよ」
「……さっさと失せろ、そして二度と現れるな」
「生憎と、最後の言葉には従えないねぇ」
笑い声を残しながら、セインリエスの身体は霧となって空気に溶けていった。
それを見届け、ロアは剣を仕舞ってふうっと大きく息をつく。大丈夫、と駆け寄ったフィレルに、不器用な笑みを返してみせる。
「ああ、大丈夫さ。余計な記憶なんかに、負けてたまるか。オレはロアだ、イグニシィンのロアなんだよ。それ以外の記憶なんて要らない。過去がどうだろうが知ったことか」
助けてくれてありがとな、とフィレルと蝶王に礼を言い、彼は呆然と立ちすくむフィラ・フィアを見た。
「で? 行くんだろ、オルヴァーンへ」
ええ、と頷き、フィラ・フィアは歩き出す。
微妙な空気の中、旅は進む。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.66 )
- 日時: 2020/06/27 12:50
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: lDBcW9py)
オルヴァーンの町へたどり着く。運命の遊戯者フォルトゥーンは町の人にはそれなりに崇められているようで、立派な神殿があるらしい。
フォルトゥーンについて人に聞くと、あまり悪くはない評判が流れる。
「フォルトゥーンの『ゲーム』に勝ったら病気の娘を治してくれた」
「フォルトゥーンに祈ったら、人生を賭けた大一番で最高の勝利を収めた」
そんな話ばっかりで。フォルトゥーンによって人生を狂わされた人はいないのだろうか、とフィレルは思い、そっかと考える。
今、町にいるのはフォルトゥーンの『ゲーム』に勝った人だけだ。負けた人間は一族郎党殺される。フォルトゥーンによって願いを叶えられた人は嫌な思いを味わわない。そうやって彼は恨まれることなく、しかし確実に着実に人々の運命を狂わせて来たのだ。
「フォルトゥーン様の神殿に行きたい? ならば町を出て東に少し進むと神殿があるよ。みんなフォルトゥーン様に感謝しちゃって。立派な立派な神殿になっているからすぐにわかるよ」
町の人はそう言った。
その案内に従い、町を出て東に進むと、遠目からでもわかる豪華な神殿。
打ち捨てられた神殿や地下牢獄のような神殿、慎ましやかに整備はされている神殿などをこれまで見てきたが、こうまで絢爛豪華な神殿はこれまで見たことがない。
神殿の柱は大理石。あちらこちらに本物の金で作られたような装飾が見られ天井は高く、ステンドグラスもあるし柱には精緻な装飾が施されている。
「みんなは知らないのね……この神の悪意に。荒ぶる神々認定を受けたのに、それもとうの昔のことだから皆忘れてしまったのかしら?」
ぽつり、フィラ・フィアが呟いた。
そして無言で奥へ進む。やがて一気に開けた場所。
高い高い天井には、精巧で美しいステンドグラス。正面にある祭壇には、金銀宝石、美しい装飾品や調度品。その奥にある黄金の玉座に、一人の少年が座っていた。身に纏う衣装も実に豪華で、どこか気だるげに玉座のひじ掛けに肘をつき、足を組んでいる。美しい輝きを放つ黄金の髪、海の宝石の如き瞳、端正なかんばせに口元には悪戯っぽい笑みを浮かべた美少年。その頭には王冠を被る。
王と言えばいつぞやの死者皇ライヴを思い出すが、ライヴは夜の王のような暗い印象の王様だった。対する相手はどこまでも明るい輝きに包まれて、ライヴとは正反対の位置にいる王様のようにも見えた。
玉座に座る人物は来訪者を見、姿勢を変えずに声だけを投げた。
「やあやあようこそ、よく来たね? 僕こそ運命神フォルトゥーン。君たちは僕を封じに来たんだろう?
あっはっは、僕も遊びが過ぎたからねぇ、そろそろ年貢の納め時かなぁ?」
くっくっくと彼は笑い、すっと立ち上がる。
次の瞬間、彼の姿が消えた。え、と驚いた刹那、彼はイルキスの目と鼻の先に立ち、悪戯っぽく笑った。
「ふふっ、君のことはよく知ってるよ、姉上に愛されし幻影使いさん。ねえねえ君に提案があるんだけどさ?」
その口元に、蠱惑的な笑みが浮かぶ。
「——皆を、裏切らない?」
「……お断りするよ」
いきなり出された裏切りの提案を、イルキスはばっさり切り捨てる。
「裏切りによってぼくが得られる利益がわからない。いきなり何だい? ぼくに運命の女神がついているからって、あっさりと裏切らせられるなんて甘いよ。運命の女神ならばともかく、ぼくはきみに対して好意的な感情などないのだから」
そうだろうねぇと彼は笑う。なら、これならどうだろうと彼は言う。
その青の瞳が、見た者を惹きつけずにはいられない悪魔の輝きを帯びた。
「——なら、僕が君の恋人を蘇らせる条件として、君の裏切りをつけたら?」
「……ッ」
イルキスの顔が、大きなダメージでも負ったかのように歪む。
そう言えばいつしかイルキスは言ってなかったか。力の代償による『不幸』で、初恋の人を失ったのだと。そして彼は海に生きる人間だったが、同時に海を恐れてもいた。海難事故でその人を失ったのかも知れない。そしてそのことがずっと、彼の中で心の傷になっているとするなら。
フィレルはイルキスを見た。揺れるイルキスの瞳。彼の中で様々な感情がせめぎ合っていた。ずっと昔、救えなかった命と。そして今の大切な仲間と。
やがて、彼は頷いた。ごめん、謝るようにフィレルに頭を下げて。まさか、とフィレルは思い、イルキスに縋るような眼を向けた。イルキスは重い口を開く。
「フォルトゥーン、ぼくは……」
「嘘を言うんじゃない」
と、その言葉を割る声がした。声を発したのはロアだった。しかしどこかがおかしい、何かがおかしい。そこにいたのは確かにロアだったが、同時にロアではない何者かがロアの身体を借りて喋っているようにも見えた。
フォルトゥーンはへぇと面白がるような笑みを向けた。
「僕が嘘つきだって? なら証拠を見せてみなよ」
「ああ」
ロアは答え、淡々と言葉を紡ぎだす。
「死者蘇生なんていくら神様であろうと不可能だ。お前が黄昏の主であるならば話は別だが、運命神といえどそのような権能は存在しない。この俺ですらできなかったんだ、この人間を超越した存在となった俺です、ら……」
言って、え、と彼は自分の口を押さえる。
彼は驚きの目でフィレルを見た。
「なぁ……今、オレは、何を?」
フィレルは確かに聞いていた。『この人間を超越した存在となった俺ですら』という言葉を。
ロアは頭を抱える。
「違う……違う! オレはロア、イグニシィンのロアだ! ならば何だ、さっきの発言は! この記憶は誰のものだッ!」
そんなロアを、フォルトゥーンはじっと見つめる。
「へェ、もしかして君は——」
「言わないで!」
言葉を遮ったのはフィラ・フィアだった。彼女は蒼白な顔をしてロアを見ていた。
「言わないでフォルトゥーン。言ったら全てが崩れる、壊れるわ。ああ、なんてこと! そうなのね、真実はそうなのね! ああ、ああ!」
彼女は大層錯乱した様子だった。今の言葉で、ロアの正体に気がついたのだろうか? フィレルは訝しがるが、怖くてその正体を聞く気にはなれなかった。
くっくっくとフォルトゥーンは笑う。
「いいねいいねぇ、面白いねぇ! この場にはすごい奴がいるぞ。ああ、僕は嘘つきだ、認めよう。そして先程の発言も取り消そう。僕には死者蘇生の権能なんてないのさ。僕が出来るのは生きている人間の運命を操ることだけなのさ。嘘をついて裏切らせようとしたけれど、まさか思いの寄らぬところから思いの寄らぬ言葉が出るなんてね!」
でもあっさり封じられるわけにはいかないから、と彼は言う。
「僕とゲームをしよう。君たちが勝ったら僕を封じていいよ。でも負けたら皆殺しだ。そうでないとつまらないよね? 命を賭けたゲームこそ、僕の求める至高のゲームさッ!」
話を聞きながら、フィレルはちらりとイルキスを見た。彼は苦笑いし、「ぼくとしたことが、愚かだった」とフィレルに謝った。
「……そうだ、よ。あの子が蘇るわけがないのに。とうの昔に魂は冥界に行って、もうどこかで生まれ変わってるかも知れないのに。過去の後悔を取り戻せると、言葉に踊らされ一抹の希望に縋って……」
そんな彼らの会話を尻目に、話は進んでいく。
ルール説明をしようとフォルトゥーンが言った。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.67 )
- 日時: 2020/06/28 12:47
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: lDBcW9py)
「僕がこれから問題を三問出す。それら全てに正解したら君たちは僕に問題を出すチャンスを与えられる。君たちが僕の出した問題を間違えたり答えられなかったりした場合は君たちの敗北、ルールにのっとって一族郎党皆殺しだ。けれど君たちの出した問題に僕が答えられなかったり間違ったりした場合——」
彼はふっと目を細めた。それは何かを強く望んでいるがどうせ無理だろうととでも言うかのような、諦めのこもった目。
「君たちは僕を封じることができる。僕はルールに忠実だから、敗北した場合素直に封じられよう。これでどうかな? ああ、当然ながら拒否権はない。回答者は誰でもいいけれど一度答えたら回答がわかっても他の問題には答えられないし、相談するのも禁止だよ。制限時間は各問三分。それは僕も同じだけれどね」
要は、問題全てに正答して、相手が答えられないような問題を作ればいいのだ。
それしかこの神を封じる手段がないのならば、やるしかない。フィレルらは頷いた。
では始めようか、と笑った神の顔に、愉悦が浮かぶ。
「第一問。それは天に浮かぶ星の中にあり、それはあなたの心に宿る。それは時に草を木を森を包み込み大災害をもたらすけれど、同時に人間を助けることもできる。さあ、答えてもらおうか。それとは一体何なのだろう?」
フィレルはうーんと考える。大災害、というところから自然に関わるものかなと思ったが、大災害を引き起こせる魔法も確かに存在する。星の中にあり心に宿り大災害を引き起こし人間を助ける。一体何なのだろうとフィレルは頭を抱えたが、
「わかったわ」
凛とした声が空間を割る。
堂々と胸を張り、フィラ・フィアは答えた。
「正解は……炎ね。星……たとえば太陽は燃えているし、人の心の中にも炎は宿る。山火事などが起これば大災害になり得るし、炎は古来より人間だけが扱えるもの。炎ならば辻褄が合うわ。……どう?」
「お見事。正解だよ封神の娘」
フォルトゥーンは口元に笑みを浮かべる。
「君には簡単過ぎたかな? まぁ良いよ。
では第二問。歌みたいになっているからしっかり聞いてね」
言って、彼は淡々と問題文を口にする。
「農耕の女神が木を植えた
魔除けのナナカマドの木を植えた
アレヴの街道に沿って木を植えた
二十五メルごとに木を植えた
木を植えた後に彼女は帰り、魔除けの街道は出来上がる
彼女の植えた木の数何本」
数学の問題らしい、とフィレルは気がついた。イグニシィン城で少しは勉強してきたために数学の問題が解けないわけではないフィレルだったが、どうやらこの問題、問題文に出てくる「アレヴの街道」の長さを知らないと解けないようになっているようだ。フォルトゥーンは三回読みあげてくれたが、何度聞いても街道の長さは出てこない。街道の長ささえわかれば簡単な問題なのにな、と難しい顔をしていると、蝶王と視線が合った。蝶王は任せろとでも言うように大きく頷き、フォルトゥーンの方を向く。「わかったぞ」と蝶王はフォルトゥーンに声を投げた。
「アレヴの街道の長さは七百メルだ。この問題は七百を木の数であるニ十五で割り、それに一を足すことで解ける植木算だ。七百を二十五で割れば答えは二十八、これに一を足して二十九が答え……と、言いたいところだが」
蝶王の顔に苦い笑みが浮かぶ。
「そなた、最初から騙すつもりでこの問題を出したのであろう。我は二十九ではなく、三十と答える。それがそなたの言う正解であろう? アレヴの街道を指定されたからな……引っかけ問題だと思うたわ」
「……正解。ああ、答えは三十さ」
「どういうこと!?」
わからず目を白黒させるフィレルに、「ナナカマドの期の一本にはヤドリギが生えていたんだよ」とフォルトゥーンは解説する。
「魔除けのナナカマドの木。けれどナナカマドはヤドリギが宿り得る木。アレヴの街道は美しい対称を描いているけれど、一つだけ対称じゃないところがあってね。そこが……」
「……ヤドリギの生えたナナカマドってわけ?」
むぅ、とフィレルは頬を膨らませた。
「ずるーい! 普通に何も知らないで解いてたら確実に間違ってた問題じゃん! そんなのフェアじゃないってばぁ!」
まあまあとフォルトゥーンは笑う。
「解けて、結果生き残れたんだからいいじゃないか。伝説の蝶王様に感謝だね?
さてさてこちらの出す最後の問題、第三問! 難易度の高い論理パズルだ! 三分以内にわからなかったら君たちの挑戦は終了、ここで朽ち果てる羽目になる!」
さぁ行くよ、と微笑みを浮かべ、運命神は問題を読み上げる。
「その神殿には神がいた 三体の偉大なる神がいた
真の神と偽りの神、そして気紛れなる風の神
真の神は真実しか語らず、偽りの神は嘘しかつかぬ。
風の神の答えは変幻自在、気紛れに嘘も真も答える
彼らは皆同じ顔、同じ声
彼ら、互いの正体こそわかれども、外部が判別すること難し
あなたの前に立ちはだかる神
神々は言う、「我らの正体を見破れ」と
あなたは三度質問できる
されどそれは「はい」か「いいえ」で答えられるもののみ
神の返答は「ルー」か「ロー」
どちらが「はい」か「いいえ」かは判らぬ
そんな彼らの正体を知るには、どのような質問をすべきであろうか?」
問題を聞いて早々に、フィレルは匙を投げてしまった。
キャンバスの端っこに大慌てでざっとした問題文を書いてみるけれど、まるで見当がつかなかった。ちらり、周辺の仲間を見てみるけれど、皆難しい顔で考え込んでいる。ただ一人イルキスだけが、目に強い光を宿らせて、ひたすら思考を巡らせているようだ。
制限時間はたったの三分。そんなので解ける問題ではない、そう、思っていたのに。
「残り時間は十秒だよ」
「わかった」
フォルトゥーンの声と同時、イルキスがきっと相手を見据える。
「いやぁ、難しい問題だったけれど……ぼくみたいな嘘つきに、嘘つき問題が解けないわけがないのさ」
言って、回答を口にする。
「そこに一、二、三の三人の神様がいるってことにして、最初に一の神様にこう尋ねる。『二は風の神ですかと聞いたら、あなたはルーと答えますか』と。答えが『ルー』なら三が、『ロー』なら二が風の神ではない神様さ」
二回目の質問は、と彼は続ける。
「一回目の質問に対する答えを受けつつ、風の神ではない神様にこう尋ねる。『もし、あなたは偽りの神ですか、と聞かれたらあなたはルーと答えますか』と。答えが『ルー』ならその神様は偽りの神、『ロー』なら真実の神さ」
たった三分で、イルキスは難しい問題の答えへと到達した。
フィレルは彼の口から発される答えを、驚いた顔で聞いていた。
イルキスは続ける。
「最後の質問。二回目の質問をしたのと同じ神様に対し、『もし、一は風の神ですか、と聞かれたらあなたはルーと答えますか』と質問する。答えが『ルー』なら一は風の神、『ロー』なら残った一人が風の神。これで全員の正体が明らかになる。……さて運命神フォルトゥーン。ぼくの答えに間違ったところは?」
「……ない。見事だね。流石姉上に愛されるだけのことはある。姉上は馬鹿を愛さない。そんなに優れた頭を持つならばそうなるのもむべなるかな、ってね」
ぱちぱちぱち、とフォルトゥーンは拍手をした。その顔には面白がるような笑み。
「過去に何度もこの問題は出してきたけれどさ、正解したのはほんの一握りしかいないんだよ。いいねいいね、面白い! じゃあさ、今度はそっち側が問題を出してみてよ! 僕が答えられないようなとびきり難しい奴を!」
その時、フィレルの脳裏に電撃のようにして何かが閃いた。
フィレルは知っていた、この神様の物語を。冬のある日、兄が読んでくれた童話集。その中にあった悲しい物語を——。
「質問はどんなものでもいいんだよねぇ?」
問うと、ああ、とフォルトゥーンは頷いた。ならば、とフィレルは手を挙げる。
「今度は僕が質問するよっ! ねぇねぇフォルトゥーン様。神様でも人間でもいいからさ、何でもいいからさ、あなたの好きな存在を一人挙げてみてよ。恋じゃなくって、友情とかそういった『好き』でもいいよ。簡単でしょ?」
フィレルの質問を聞いて、皆顔を青くした。ロアは思わずといった風にフィレルの胸倉を掴みあげる。
「おいこの馬鹿! そんな簡単な質問投げて……。全滅したいのか!?」
えへへとフィレルは笑う。
「まぁ見ていて。絶対に、答えられない質問だから。僕、知っているんだもん」
ちらり、フォルトゥーンを見れば彼はその場で凍りついたように固まっていた。
その顔に悲しげな笑みが浮かぶ、その顔に何かを諦めたような笑みが浮かぶ。
「……制限時間を待つまでもない。答えられない質問だよ絵心師の少年。よく知っていたね。身構えていたけれど……まさか、そんな質問が来るなんて」
どういうこと、とフィラ・フィアが問うと、僕は秤だからとフォルトゥーンは答える。
「僕は運命の秤として生を受けた神だ。秤は絶対に平等でなくてはならない。そんな都合で、僕は秤を狂わせるような感情を、最初から付与されていない。それは憤怒と憎悪と——愛、さ」
愛、とフィラ・フィアが呟くと、愛だよとフォルトゥーンは頷く。
青の瞳に様々な感情が渦巻いた。
「僕は、さ。そうやって上の神様の都合で感情を制限されたのが悔しかった。だから、さ。運命の神様の権能を使って、何かを変えて均衡を崩し、それで奪われた感情を取り戻そうと思っていたわけ。それが僕の放埒の動機。……まぁ、元からゲームが好きだったのもあるけどさ。結局、何をやっても感情は戻って来はしなかった」
どこで知ったの、とフォルトゥーンはフィレルに問う。フィレルは昔兄さんが読み聞かせてくれた一冊の童話集からだよ、と答えた。
「イルキスとは違う人で、運命の女神に愛された人がいたの。その人の話なんだけど、途中であなたの話も出てきたんだ。その時僕はまだちっちゃかったけれど、よぅく覚えてるんだよ」
成程、とフォルトゥーンは頷いた。
そしてフィラ・フィアに向き直る。
「さて……僕の敗北だ封神の姫。宣言通り、僕は無抵抗だ、封じるといいよ。君が僕の地獄を終わらせてくれ。僕は、さ……得られないものを求め続けるのはもう嫌なんだよ。君が封じてくれればきっと、僕はこの際限のない虚無感から解放されるんだ……」
わかったわ、とフィラ・フィアは頷いた。
「じゃあ……悲しみの運命神フォルトゥーン。わたしがあなたに休息をあげる。安らかに……眠りなさい」
言って、彼女は舞を舞い始める。しゃん、しゃん、と澄み渡った錫杖の音、彼女のサンダルが意思の地面を打つ音。そう言えば封神の舞を彼女が舞う時はいつも戦闘中だった、だからこうしてしっかりと見るのは初めてだなと、居並ぶ者たちは彼女の舞に見入った。舞う彼女の足元、生まれる魔法陣と虹色の鎖。少しずつ実体を得ていく鎖はやがて完全に実体化し、彼女の手の動きに合わせて一直線、フォルトゥーンのもとへと向かった。そして……
「ありがとう……ね……」
最後の最高の笑顔を見せたフォルトゥーン。身体に巻きついた鎖、そして溢れたまばゆい光。
光が消えて視界が開けた時、そこには玉座に座ったフォルトゥーンの形をした、青金石《ラピスラズリ》があった。青の表面に時折星のような輝きを宿すその石は、フォルトゥーンらしいなとフィレルは思った。
さて、とフィラ・フィアは皆を振り返る。
「帰るわよ……オルヴァーンの町へ」
そうして彼らは神殿を発った。
黄金の玉座には、孤独な運命の神を封じた青金石が、悲しげな輝きを帯びていた。
◇
オルヴァーンの町で、残った神々を指折り数える。
「後は無邪気なる天空神シェルファークと、戦呼ぶ争乱の鷲ゼウデラと、生死の境を暴く闇アークロアの三体ね。もう半分以上封じたわ、あと少しよ!」
フィラ・フィアは嬉しそうに笑った。
「ところで、次はシェルファークでいいとして……封じる順番について提案があるの。いいかしら?」
何だろうとフィレルは思う。戦神ゼウデラはかつてフィラ・フィアが負けた相手、最後に回すべきだと考えていた。そこに何か変更でもあるのだろうか。
「本来の予定ならばゼウデラは最後よ。でも違う、わたしはそうしない。最後に封じるのは闇のアークロア。アークロアには神殿がない、彼には祈る人すら存在しない。そんな不確定な神様は最後に回さないと、いつまで経っても旅を終わらすことができないわ」
そして方針は定まったのだった。
シェルファークがいるのはオルヴァーンの北、ウィナフの町だ。話によるとシェルファークは、文明を破壊してはそこから人々が立ちあがる姿を見て愉悦を覚えるのだという。文明破壊の無垢なる鉄槌、という異名もある神様で、その攻撃力は恐るべきものだという。十分に用心する必要があるだろう。
次の目的地のことを考えながら、今日はこの町で休みましょうとのフィラ・フィアの提案を受け宿に泊まる。
この旅ももう少しで終わる。それは嬉しいことだけれど、どこか寂しくもフィレルは思っていた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.68 )
- 日時: 2020/06/29 23:03
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: lDBcW9py)
【九章 文明破壊の無垢なる鉄槌】
◇
翌朝。ウィナフの町へ出立する。文明破壊の神様であるシェルファークは過去に幾つもの町を滅ぼしてきたらしい。だから彼を封じるのは早い方が良かったのだ。彼が今の町を破壊する前に。しかしイグニシィンからウィナフは遠く、近いところに神殿のある神様も人間を苦しめていたために、近いところから封印していっただけで。
だが同時にフィレルは思う。シェルファークはこの世の摂理の一部なのではないか、と。どんな文明も育ち過ぎればやがて、腐った果実のように駄目になっていく。シェルファークは腐った果実を除去することで、新たな瑞々しい果実が育つのを手助けしているのではないか、と。けれどそれは神としての越権行為、腐った果実は同じ仲間の手で取り除かなければならない。だからこそ古の王アノスは彼を荒ぶる神として認定したのだ。
オルヴァーンの町から馬で三日ほどの距離にウィナフの町はある。その町は戦争に荒廃したシエランディアの中でも特に栄えた都市であり、王都よりも大きな町であるとされる。形骸化した玉座のあるだけの王都はもう文化の中心地とは言えず、シエランディアの文明は皆、このウィナフの町に集結していると言っていい。ウィナフから遠く離れたイグニシィンのフィレルでもその噂は聞いたことがある。大きな外壁に囲まれ、外壁の中は石で舗装され、お屋敷みたいな大図書館、高度な内容を教える学校があり、町の商店街では威勢の良い声が聞こえる。まだまだ発展途上に見えるこの町は、いつかシエランディアの体制が完全に崩れた時に、新たな王都になるのだろうか。
そんな町だから当然、検閲も厳しいわけで。蝶王はふっと微笑み、ただの白い蝶へと変身してさりげなく寄り添った。そうすればあまり違和感がない。
シェルファーク神殿の情報を集めようと町の入り口に近づくと、武装した兵士に足止めされた。
「ここは花の都、ウィナフの町。この町へはどんな御用事ですか」
丁寧な口調で訊かれ、反射的にフィラ・フィアは「神様の情報を集めているの」と答えそうになったが、先を制してイルキスが口を開く。
「ぼくらはロルヴァから来た旅人だよ。いやぁ、ロルヴァの港町でもさぁ、ウィナフの噂は聞いていてねぇ。一度、この目で見てみたいと、そう思ったのさ。ぼくはロルヴァの領主イルジェス・ウィルクリーストの双子の弟で名はイルキス。これ、身分証ね。あっちのフィレルはイグニシィンの領主の弟で絵描きをやってる。他はみんな仲間。フィレルもこの町の風景描きたいって言ってたしなぁ……。目的は観光、やってきたのはロルヴァの領主の弟と仲間たちってことでどうだい」
相手に何やら書類を見せながら、すらすらとイルキスが言葉を並べる。兵士はイルキスの示した書類を確認し、大きく頷いた。
「かしこまりました、怪しい者ではないと判断し、この門を通します。観光ですね。この町は他の町にはないものがたくさんあるので、思う存分楽しんでいかれると良いでしょう。絵の題材になりそうなものもたくさんございますよ」
笑って、彼は道を開けてくれた。
何の問題もなく町に入ることが出来た。イルキスは仲間に向かって悪戯っぽい笑みを浮かべた。フィラ・フィアは呆れた表情を浮かべた。
「まったく……あなたっていう人は……。でもあなたのさりげない嘘のお陰ですんなり通れたわ。わたしじゃ素直に正しいことを言って、誰にも信用されないで手間取ったと思うし。あなたのそれも才能よねぇ……」
そりゃどうもとイルキスは笑う。
改めて町を見て、感嘆の声を上げた。
きっちりと整備された道路。識字率が高いのか、絵ではなく文字の書かれた看板が町のそこかしこに見られる。戦乱の中でも活気のある声が聞こえ、華やかな笑い声が響き合う。
こんな町に天空神シェルファークがいるというのだろうか。
「やあ、そこのお人」
イルキスが普通の旅人を装って、道を歩いていた人に問う。
振り返ったのは男性だった。きちんとした身なりをし、髪は茶色、瞳は緑。彼はイルキスに一礼をし、問うた。
「おや、旅人さんですか。私に何の用ですかな」
「いやぁ、この町にある伝説を聞いてみたくってね」
イルキスの青の瞳がきらりと光る。
「天空神シェルファーク。そんな神様がここにいるって話を聞いてね?」
途端、男性の表情が固まった。彼は青い顔をして、イルキスに囁いた。
「いる、いる、いるともさ。だがしかし、旅のお方。その名前は、簡単に口に出しちゃあいけない」
「どうしてだい?」
「私たちは、わかっているんだよ」
男性の瞳からは、諦めのような表情が見て取れた。
「天空神シェルファーク。この町の奥の奥にいる。あいつが、たくさんの文明を滅ぼしてきたあいつが、いつかこの町を滅ぼすって。この町は確かに栄えているのかも知れないが……私たちは皆、いつか訪れる滅びの時を、恐れながら日々を生きているのだ」
シェルファークに目を付けられた町は、必ず滅ぼされる。そしてシェルファークは繁栄している町にしか目をつけない。町がシェルファークを祀れば滅びの時を少しは先延ばしにしてくれるが、結局滅ぼされるのは変わらない。
花の都、ウィナフ。明るく華やかな都の裏に見えた闇。それはシェルファークがいる限り、確実に訪れる破滅への恐怖。
成程ね、とイルキスは頷いた。
「ねぇ、興味本位で聞いていい? 今、シェルファーク様はどこに祀られているの。せっかく訪れたんだ、ここは良い町だし、シェルファーク様にお祈りして、もっとここが存続できるようにしたいんだよ」
イルキスの申し出を聞いた男は、ぱぁっと顔を輝かせた。
男は懐から紙を取り出し、詳細な地図を書いてくれた。イルキスは礼を言い、地図を懐に仕舞ってから仲間の元へ戻った。
戻ってきたイルキスに、フィレルは素直に尊敬の目を向けた。
「イルキス、すっごいや! 僕だったらあんなにすらすら話せなかったよぅ?」
「ま、経験の賜物だろうね。各地を旅してるとさ、厄介事に巻き込まれることも多くってね。自然、そういったことに巻き込まれない話し方や行動が身に着くのさ」
悪戯っぽくイルキスは笑った。
思ったよりもすんなりと神殿の場所が分かった。後はそこに向かう前に、作戦会議である。
フィレルらは宿をとり、その一室で話し合うことにした。
「天空神シェルファークは、攻撃力がとにかく高いわ」
前も言ったと思うけれど、とフィラ・フィアが切り出した。
「文明を破壊する神様だもの。下手な防御に回るよりは、回避に徹した方が良作」
「後は……あいつ、空を飛びまわらなかったか?」
ロアがすっと話に割って入った。
ロアの言葉に、フィラ・フィアが眉をひそめる。
「『あいつ』? まるで知り合いのような口をきくのね」
ロアは難しい顔をして押し黙る。
古代文字も読めて、闇神と知り合いで、天空神とも知り合いらしいロア。
正体がわからない。人外か、神に愛された人間なのか。
知ったらロアがロアでなくなるような気がしたから、フィレルは話題を変えようと試みる。
「天空神だから……雷とか使うの?」
「使っているのを見たことがある。それは我が保証しよう」
蝶王が小さな頭で頷いた。
攻撃力がとにかく高く、空を飛びまわり、雷を使う。並大抵の相手ではない。
「雷ならば、逸らせるよ」
イルキスが自分の胸に手を当てた。
「ぼくが囮になろうか。指運師のぼくに遠距離攻撃は当たらないし、幻影魔法を使えば相手の目を誤魔化せるかもしれないし」
でも危険な役割だよ、とフィレルは心配を込めた瞳でイルキスを見た。
わかっているさと彼は笑う。
「でもこの場合、ぼくしか適任はいないだろう。大丈夫、ぼくには運命神《ファーテ》がいる。そう簡単には死にゃしないさ」
そしてイルキスが相手を引きつけている間、イルキスの幻影魔法に隠れたフィラ・フィアが舞を舞い、シェルファークを封じる。ロアはフィラ・フィアに危機が迫ったら、彼女を抱えてその場を退避する。フィレル、蝶王は状況に応じて支援や妨害をする。
蝶王の死神蝶たちは、たくさん集まれば相手を撹乱できる。蝶王もこの作戦で、大いに役に立つことだろう。
方針は決まった。窓から外を見れば、陽はまだ高い。今日中に封じてしまうのもありかもね、とフィレルの提案に、一同は賛成した。
宿から出て、書いてもらった地図を見て、神殿を目指す。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.69 )
- 日時: 2020/07/02 09:19
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
町が滅ぼされる日が、近い日にはならないように。
シェルファークに目をつけられた町の人々は彼を祀り、供え物をする。
辿り着いた神殿はしっかりと整備されており、中に入ったらだぼだぼの服を着た人がいた。
「天空神の神殿へようこそ。旅人さんですか? 何の御用でしょうか」
「天空神さまにお祈りをしに来たんだよ」
自然な態度でイルキスが答える。すると、神殿の左の道を進んでくださいと案内があった。そちらの方にある部屋に、神への祈りを捧げる場所があるらしい。
たどり着いた先には、人外の雰囲気を身に纏った一人の男がいた。
燦然と輝く太陽の如き金髪、炎を宿した深紅の瞳。身に纏うはひらひらとした、赤を基調として金のアクセントの入っている軽装。挑発的な笑みを浮かべ、背から黄金の翼を生やし、男は宙に浮いていた。
一目でわかる。これが、この男が。
「無邪気なる天空神、シェルファーク……!」
「無邪気……なんて、あだ名は俺には似合わないがね」
笑みを浮かべて神は言う。
「お前が封神のフィラ・フィアか? お前は俺を倒しに来たのか」
「封じに来たのよ」
フィラ・フィアが錫杖を地に突くと、しゃん、と涼やかな音が鳴る。
「あなたはわたしたち人間の社会に、深く干渉しすぎてはならなかった。社会が腐ってしまったのなら、それはわたしたち人間の手で取り除く。あなたの助けなんて必要ないのよ」
「ったく、馬鹿だよねぇ人間はこれだから。あー、もしかして俺が人間のためにこんなことをしているとでも思っていたのか? そんなわけねぇだろう」
笑みの中に愉悦が宿る。
フィレルはキャンバスと絵筆を構えた。
「来るぞ!」
ロアの声。そして。
「——俺は、足掻く人間たちを見るのが大好きだ。それが俺の行動理念だッ!」
轟いた雷鳴。ばりばりと音をたてて天が裂け、神殿の高い天井から天の裁きの如く、無数の雷条が降ってくる。
「させないよ?」
笑うイルキス。彼の周囲で水が渦巻き、稲妻を集めて外へ逃がした。それを戦いの合図として、動き出す。
シェルファークは強い相手だ。これまでの神々と同様、一筋縄ではいかないだろう。
フィラ・フィアは勢いよくステップを踏む。しゃん、しゃんと清浄な鈴の音。銀の錫杖が神聖な光を帯び、足元から形成されていく虹の鎖。
相手は宙に浮かんでいる。近接攻撃専門のロアには難しい相手だ。
だから、だからこそ。
フィレルはその距離差という不利をなくすためのアイテムを、真っ白なキャンバスに描きだす。
「ロア!」
叫んで放り投げたそれは、銀色の。
「弓、ねぇ……っておっと」
感心する暇もあらばこそ。シェルファークはイルキスの飛ばした水の槍を悠々と回避する。
「何を見ているんだい? きみの相手はこのぼくじゃないのかい?」
水と光をより合わせ、生み出されたのは無数の幻影。そこにシェルファークが稲妻を当てても、幻影は消えることがない。だが、稲妻と水は反応し、幻影はほんの僅かだけ揺らぐ。揺らがなかった本体目がけて飛んでくる稲妻。イルキスは小さく舌打ちをした。
「ありゃりゃあ。稲妻に水の幻影は相性最悪かい? ならばこれはどうだい!」
見破られないように。イルキスは自身に水を纏う。これで稲妻を当てられても、条件は同じになった。蝶王が死神蝶を呼び寄せて、少しでも相手を撹乱できるように神殿の中を飛ばす。
そうやって二人が敵を引きつけている間にも、フィラ・フィアは舞う。ただひたすらに。
昔、使命を負って旅に出た。あの日抱いた熱い思いはいまだ、衰えることを知らない。
その横で、ロアがフィレルの弓を引き絞る。全力で引き絞られた弓は、白銀の輝きを放つ矢をシェルファークに向けて撃ち放つ。
閃光。放たれた矢は、イルキスと戦うので精いっぱいだったシェルファークに迫る。
だがその瞬間、シェルファークが獰猛な笑みを見せた。嫌な予感がフィレルの背筋を走る。
「ロアッ!」
思わず上げた悲鳴。ロアの放った矢は、見えない壁によって、空中ではじき返された。フィレルとロアの魔力を載せて放たれた、渾身の一撃は。
ちらり、垣間見えたのはいつかの幻影。シェルファークに巨大魔法をぶつけた人たちが、全て跳ね返されて吹っ飛んでいった場面。それはかつて、実際にこの神殿で起こった事実。
気がついた時は、もう遅い。“魔力を込めて”放たれた矢はそのまま返されて、自分たちを害する武器となって目の前に迫っていた。
「俺に魔力は効かないぜ、人間ッ!」
シェルファークの高笑いが響き渡る。
イルキスが相手を攪乱している間に、フィレルとロアで渾身の一撃を放つ作戦だった。だがその一撃は破られた。
「フィレルッ!」
魔力を込めた矢が二人を貫こうとした刹那、フィレルは何者かに突き飛ばされるのを感じた。
呻き声。振り返ったそこにいたのは、いつも自分を守ってくれた広い背中。
どしゃり。全ての攻撃を一身に受けて倒れたのは。
「ロア!? ロア、ロアッ!」
抱き上げた身体は、血まみれだった。大丈夫だ、死にはしない、とロアが掠れた声で返事をするが、溢れ出る血は止まらなくて。その唇が動き、言葉を繋ぐ。
「ファレル様と約束……したんだ。生きて……帰る、と」
必死で身を起こし、それでもまだ動こうとしたロア。フィレルはその動きを止めて、ちらり、イルキスが戦っていた方を見る。そこにはイルキスが倒れていた。その身体は、動かない。魔力は効かない、とシェルファークは言った。イルキスもフィレルらと同じように、手痛い反撃を受けてしまったのだろうか。
忘れてはならない。シェルファークはとても高い攻撃力を持つ存在。防いではならない、回避しない限りその死の攻撃に対処することは不可能だ。
直接攻撃専門のロアが倒れ、魔法攻撃に特化したイルキスが倒れ。今、残っているのは戦闘向きではないフィレル、フィラ・フィア、蝶王だけ。そっか、とフィレルは呟き、覚悟を決めた瞳で相手を見据えた。
心の内には喪失への恐怖。ロアもイルキスも大切な仲間だ。失いたくない、その想いがフィレルの心を強くして。
心が、壊れそうなくらい大きな想いに揺れた、時。
弱かったフィレルの中で、スイッチが入った。
明るく無邪気な表情が、急激に冷めていく。
これまで自分を守ってくれていた人が傷つき、倒れているのならば。
「……そう」
呟いた声は、普段の無邪気な彼とは打って変わった、冷たく無機質な声。
急速に冷えていく頭の中、初めて心から本気になったフィレルは、動き出す。
「なら、僕が」
守るしかないんだ。
言って、フィレルは倒れているロアを守るように、両腕を広げて神の前に立ちふさがった。その姿を見た蝶王が驚きの声を上げる。
「絵心師! そなた、何をする気——」
「黙ってて」
冷めた声で相手の言葉を切り捨てると、フィレルはいつも身につけていた、絵描きの証たる白いエプロンを外した。その下にあったものがあらわになる。そこにあったのは、
「……武器の絵、だと?」
「絵心師ならではの切り札さ」
浮かべたのは獰猛な笑み。
フィレルは緑に輝く手で、所狭しと武器の絵の描かれた服に触れた。
そう、これこそがフィレルの切り札。描かれた絵を自在に取り出せるフィレルならば、絵の中に武器を隠して持つことも容易い。フィレルがいつもちぐはぐなエプロンを身に纏っていたのは、これを隠すためだったのだ。
フィレルは服の中に描かれた数多ある武器の中から、一本の剣を選び取る。実体化したそれを握り、宣言した。
「創作系特殊魔導士、絵心師フィレル・イグニシィン! 神だか何だか知らないけどさ、大切な人を酷い目に遭わされたんだ、相応の罰を受けてもらうんだよぅ?」
しかし剣は苦手だったはずでは、と言おうとしたロアに、力強く笑い掛ける。
「だってあのロアが教えてくれたんだ、上達しないわけがないでしょ? のーある鷹は爪を隠す、ってね!」
その言葉は、これまでのあれはただの演技だったのだということを示していた。
明るく無邪気な問題児、フィレル・イグニシィン。勉強もしないで武術も碌に練習しないで。けれどフィレルは陰でこっそりと練習していた。フィレルなりに考えて、己を磨いていたのだ。
その成果が、今ここにある。
フィレルは戦力外なんかじゃなかった。しっかりとした戦力として数えられる程には、十分に強かったのだ。
シェルファークは呵呵大笑した。豪快な笑みが口元に浮かぶ。
「は、はは! そうか、そうなのか! それでこそ……人間だッ!」
すたっ。音を立てて地上に降りる。雷を集めより合わせ、一本の太い綱のようにしたそれを硬化させて雷の剣とする。それを構え、天空神は言う。
「いいだろう、いいだろう! 絶望から這い上がるその姿! 挫けそうになっても諦めぬその姿こそ、俺の愛した『人間』の姿だ! 絵心師フィレル・イグニシィンと言ったか? 人間の意地、見せてみろッ!」
「望むところさ」
言うなり。
一閃。
いつの間にか抜かれていた剣が、神速の動きでシェルファークへと迫る。跳躍。天空神は地を蹴り大きく後方に退避。その顔に浮かぶ表情は愉悦。
絶望から立ち上がる人間の姿を見るのが好きだった神、天空神シェルファーク。その赤い瞳は久々の強い相手との戦いにきらきらと輝き、少年のように純粋な輝きを宿している。無邪気なる天空神、と呼ばれる所以だった。彼はただ純粋に、絶望から立ち上がった人間と戦うのが好きだったのだ。
そんな相手と戦いながら、フィレルは油断なく剣を構えつつ獰猛に笑った。それは図らずも、いつも戦闘時にロアが浮かべている笑みとそっくりなものになっていた。
フィレルは背後で固まっていたフィラ・フィアに声を掛けた。
「ロアが動けないんだ、ならば僕がロアを守るよ。だからお願い、フィラ・フィア。僕がこうしている間に——」
「え、ええ!」
返事をし、フィラ・フィアが舞いながら術式の続きを紡いでいく。それを見てひとつ頷き、フィレルは、
跳躍。引き下がった天空神の前、たった一歩で距離を詰める。それは訓練された武人の如き動き。一閃。絵の中から生み出され実体化させられた煌く刃が、神の身体を切り裂こうと迫る。追撃。フィレルの手から逃れようとした天空神に、逃がさんとばかりに追いすがる煌めき。そして連撃。服の中からいつの間にか取り出されていたもう一本の剣が、天空神の退路を阻む。相手を切り裂くその顔には、力強い笑みと、守るべきものを後ろに庇った、一人の戦士の不退転の覚悟があった。両の手に握った双つの刃は、神すらも殺せそうな勢いで、本気の殺意を込めて唸りを上げる。
フィレルはただの泣き虫な問題児ではなかった。内なる強さをずっと、その身の内に秘めて隠していたのだ。
一閃、二閃、三閃。力強い連撃に、押されていく天空神。雷の刃が悲鳴を上げるかのように火花を散らす。先程まで余裕のあった天空神のその顔には余裕がない。ただ、愉悦があった。無邪気な感情と愉悦によって、その顔は心から嬉しそうに笑っていた。
そしてその瞬間、舞が終わる。しゃん、と涼やかな鈴の音が神殿内に響き渡り、虹色の鎖が彼女の周囲を取り巻くように、ぐるぐると幾重にも回り出す。
澄み渡った声が、神殿内を打った。
「封じられなさい! 無邪気なる天空神——シェルファーク!」
「人間……ああ、やっぱり面白い存在だッ!」
ただひたすらに愉悦をその声に含ませて、神の姿は光へと変わる。虹色の鎖が幾重にも巻き付き、神殿の中を眩しすぎる光が通り抜けた、後。
そこにあったのは、天空神の姿をした巨大な空色石《ターコイズ》だった。
もう大丈夫だ。それを見て、安堵がフィレルの中を駆け巡る。その瞳からは、先程の苛烈な輝きは消えていて。いつもの、無邪気で明るいフィレルに戻っていることが分かる。
がらーん。大きく音を立てて、その両の手から剣が落ちた。
フィレルは泣きそうな顔で、倒れているロアに笑い掛けた。
「やったよ、ロア。僕ね……守れたっ!」
「お前……」
驚きの目でフィレルを見るロアの手を、フィレルは握り締める。
「僕だって、戦えるんだよぅ?」
泣きそうな顔、壊れそうな顔でフィレルは笑う、無理して笑う。
「戦うなんて、武器を使って振り回すなんて、嫌だよぅ。たとえ誰かを守るためであってもさ、武器を振るたびに僕の心は傷ついているんだ」
でも、仕方ないじゃあないかと笑う。
「僕しか、僕だけしか、戦える人はいなかったんだからさっ! いくら戦うのが嫌でも辛くても、僕しかいないなら……僕が、僕が、やるしか、戦うしか、ないじゃあないか……」
フィレルの身体がぐらり、よろける。「フィレル!?」心配そうな顔をしたフィラ・フィアたちの前、フィレルはがくりと、地に膝をついた。その辺りまで広がっていたロアの血が、撥ねた。フィレルはがくがくと震えていた。その顔は蒼白だった。
「嫌だってば、怖いってば。だってさ僕は戦うのが嫌いな平和主義者なんだよなのにどうしてこんな」
フィレルはちらり、ロアの方を見た。大きな怪我を負っていたロアの顔は蒼白になっていた。ロアが、大切な人が危ないと悟ったフィレルは怯える身体を叱咤してロアの方へ急ごうとするが、その身体を猛烈な疲労感が襲う。身体を動かすこともままならないほどの疲労感。フィラ・フィアの心配そうな声がフィレルの耳を叩くが、意識を失いそうになっているフィレルには届かない。
倒れつつも、ロアの方へ手を伸ばした。
意識を手放す寸前、思う。
——ロア。
——僕は大切なものを、守れた……かなぁ?
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.70 )
- 日時: 2020/07/06 10:26
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
目が覚めた場所は、宿のひと部屋だった。前に、作戦会議をした宿だった。
「フィレル! 目が覚めたのね?」
むくっと身体を起こすと、フィラ・フィアが心配そうにやってきた。
そして思い出す。天空神との戦いのこと、倒れていたロアのこと。
「ロアは? ロアは、どうしたの? 生きてる!?」
「案ずるな絵心師よ」
はたはたと小さな音を立て、フィレルの前に小さな影が現れる。背には蝶の翼。蝶王である。
「あそこは神殿だ、あれほど大きな騒ぎを起こせば他の人がやってくる。我々は事情を説明し、手当てをしてもらったのだ。町の人も、我らのことを無碍にはできまい。我らのお陰で、この町は滅びの運命から逃れられたのだからな」
身を起こしたフィレルが横を見ると、そこにもうひとつベッドがあった。その上ではロアが眠っていた。その顔は安らかだった。フィレルは安堵の息をつく。
「幸い、反射的に急所を避けたようだから見た目ほど酷い怪我ではない。数日もすれば戦えるようになるとのことだ。イルキスの負った傷もそこまでではなかった。シェルファークは派手好みの神だ、そこまで酷い傷を負わせる気はなかったのだろう」
「そっか……良かった……」
フィレルは妙に疲れているのを感じていた。当然だろう、初めて本気を出して戦ったのだ。慣れない力、慣れない戦い方。そんなので戦い続けていたら過剰に疲れるのは当たり前だ。
「次の目的地は決めているわ。でも次はそう、戦神ゼウデラ……かつてわたしたちが敗北を喫し、わたしが死んだ原因の神様だから。万全な状態で行かなくてはならないの。だからしばらくはこの町に滞在することにする。フィレルも、疲れが取れたらこの町を観光してみるのはどうかしら?」
そうだね、うん、とフィレルは頷いた。
ひとまずは、再び押し寄せた眠気に身を任せることにして、フィレルは眠る。
◇
その翌日に、ロアとイルキスが目を覚ました。ロアを看た町の医者の話によると、ロアは普通の人間であは有り得ないくらいに自然回復能力が高いという。大した御仁だ、と医者は笑っていた。
「……フィレル」
目を覚ましたロアが、フィレルの名を呼んだ。
言葉なんて必要なかった。目覚めたロアを、フィレルは大声で泣きながら抱き締めた。
「死んじゃうかと……本当に、死んじゃうかと思ったんだよぅ! 怖かった……。ロア、ロアぁ!」
「……生きているからちょっと離れろ」
苦しそうにロアが言うと、ごめん、と謝って後ろへ下がる。
ロアの身体には包帯が巻かれていた。いつも強かったロアのそんな姿を見ていると、胸が苦しくなるのをフィレルは感じた。
「なぁ、フィレル」
静かな声でロアが言う。
「お前……強かったんだな」
「もう二度とあんなことやりたくないけどねっ!」
涙を拭ってフィレルは言う。
「だってさ……ロアが死んじゃうかもって、思ったんだもん。手段を選んでなんからんないよ! 戦うのとか嫌だし武器を使うのって怖いの。でも……失いたく、なかったんだもん」
うつむくフィレルの手を、そっとロアが握った。
「心配かけて、悪かった」
「ううん、大丈夫。生きててくれて、ありがとねぇ!」
ロアの手を握り返して、フィレルは笑った。
と、不意に部屋の扉が開いた。現れたのはイルキスだった。その顔は少しやつれているものの、比較的元気そうである。
イルキスが負ったのは魔法による傷だった。魔法による傷は魔導士ならば治りが早い。ロアに比べるとスムーズに回復できたように見えるのもそのためだろう。
「やぁ、皆様方。元気かな?」
すたすたと歩いていき、手近な椅子に座る。
「ぼくは……まぁ、まだ万全とは言えないけれど大体はもう大丈夫さ。ロアの怪我は……まだみたいだね。フィレル、疲れは取れたかい?」
イルキスの問いに、うん、と大きくフィレルは頷いた。
揃った一同を見て、感慨深げにフィラ・フィアが呟く。
「フィレル、ロア、イルキス、蝶王、そしてわたし。今回はこの五人でゼウデラに挑むのね……。今度こそわたしはやり遂げられるかしら? シルーク、エルステッド……見ていてね」
次の戦いが正念場だ。重い空気が辺りに流れた。
◇
花の都、ウィナフ。そこでフィレルたちは英雄、と町の人々から慕われた。いつか訪れる破滅の運命を回避したのだ。フィレルたちは待ちの人々の不安を取り去った。
大きな図書館があった。そこにはツウェルのウァルファル魔道学院にあった本の迷路を遥かに超えそうなくらいの書物が収まっていた。劇場があった。そこでは古の英雄譚が演じられていた。商店街に行けば様々な食べ物や珍しいものが置いてあり、町の繁栄をうかがわせる。フィレルらはウィナフの都に、五日間留まった。とても五日では観光し切れないほどの町だったが、目的を果たしてからまた来ればよいと割り切った。
傷の治った一同は、宿のひと部屋に集まる。あれだけ大きな怪我を負ったのに、ロアの傷はもう治っていた。人間とは思えないほどの回復力だった。
「次に封じるのは戦神ゼウデラ」
地図を広げながらフィラ・フィアが言う。
「そして、ね。ゼウデラが封じられているのは……ここよ」
彼女が指し示した町の名は、
イグニシィン。
フィレルは知った。
究極の敵は、最も身近なところにいたのだと。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.71 )
- 日時: 2020/07/08 01:34
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: 3edphfcO)
ウィナフの町を出て次の町へ。フィレルたちの顔は引き締まっていた。
「……最初から、知っていたの?」
フィレルの問いに、ええ、とフィラ・フィアは頷いた。
「今の時代の地図を渡された時から、もうわかっていたわ。ゼウデラは強い神様、一筋縄ではいかない相手。それはわたしが一番よくわかってる。でも……もしも旅の最初にそれを知ったとして、あなたたちは平静でいられる? 隠したのはわたしなりの判断よ。今でもそれが、間違いだとは思えない」
うん、とフィレルは頷いた。
確かに旅の最初にゼウデラがイグニシィンにいると知ったら、責任感の強いロアなんか、真っ先にゼウデラを封じると言うに決まっている。その果てに全滅して結局何も果たせずに終わる未来なんて、容易に想像できる。そんな悲劇を起こさないために、フィラ・フィアは一人でその秘密を抱えてきたのだ。
「イグニシィンに帰る時は、全部終わってからにしようって決めてたんだけどなぁ」
思わずぼやいた。
フィレルは今いるメンバーを思う。自分とロアとフィラ・フィアと、イルキスと蝶王。旅の最初に比べれば増えた仲間こそいるものの、欠けた仲間なんて存在しない。
「誰一人欠けさせないで帰り着く」フィレルが兄ファレルとした約束は、果たせそうである。
「兄さん、元気かな?」
今はただ、それだけが心配だ。
様々な思いを抱え、フィレルたちは歩き出す。ロアは先程から黙ったままで、何も話してはくれない。
終わりの時は間近に迫っていた。
◇
何か月ぶりなのだろうか。
フィレルの足は、懐かしい町の地面を踏んだ。
石畳で舗装されてはいるものの、ところどころでこぼこな道。町の奥に建つ、あちこちぼろぼろの大きなお城。最初は逃げながらこの町を出たのだな、と思いを馳せる。リフィアとレイドの話から兄は無事だとはわかってはいるものの、会いたくてたまらなかった。
「イルキス、蝶王さま! ここがね、僕の生まれ育った町なんだよぅ?」
笑いながら、誇らしげに二人に紹介する。
イルキスは穏やかな笑みを浮かべた。
「ふふ、ウィナフのような活気はないけれど、穏やかでいい町だね」
「でしょでしょー?」
町を歩いていたら、掛けられた声。
「あれは……まさかのフィレルさまにロアさま!?」
「お帰りなさいませー!」
いつも遊んでいた町の人々が声を掛けてくる。その全てに、ただいまとフィレルは返した。
改めて、実感する。ここは自分の帰るべき場所だと。
こんなに大好きな町に戦神がいる。何としてでも封じなければならない。
そうやって歩き、城の前にたどり着く。城の前には人形がいた。レイドの残した人形だろうと思い名を名乗り挨拶をすると、すっと通してくれた。そのまま進み、入口の大扉を開け放った、
先に。
「……フィレル」
驚いた顔の、兄がいた。
あの日、別れたっきりの大好きな兄が。
「兄さんっ!」
叫んでその胸に飛び込んだ。会いたかった、会いたかったのだ、と溢れだす想いが止まらない。
「……ファレル様」
ロアがすっと膝をつく。
「ロア、只今戻りました」
「ファレル・イグニシィン。お初にお目に掛かるよ」
ロアの隣でイルキスが挨拶をする。
「ぼくはロルヴァの領主イルジェスの双子の弟、イルキス・ウィルクリースト。フィレルたちの旅の仲間だよ。神々の封印はまだ終わってないけれど……ここに戦神ゼウデラがいると、知ったからね。ここに来ることにしたんだ」
「……よろしく、イルキス」
穏やかな笑みをファレルは浮かべる。
フィレルはファレルを見た。久しぶりに見た兄の顔は、どこかやつれているようにも見えた。
「兄さんさ、元気してた? 僕はいつも通りだけど……兄さん、元気ないように見えたの」
僕はいつも通りだよ、とさらりとファレルは返してしまう。
それより、と言葉を繋ぐファレルの青い瞳には、心からの喜びがあった。
「みんな……無事で良かったよ。次が正念場だってことはわかったけれど、長い旅だったし……誰かが、死んでしまうんじゃないかって。ただそれだけが、怖かったんだ」
歓迎しよう、と彼は言った。
「明日にはイグニシィンの神を封じるために発つのだろう? でもね、今夜だけは。レイドとリフィアも帰ってきたんだ。みんなで一緒に、楽しい晩餐会をしようか」
穏やかに笑ったファレル。
久しぶりの、優しい時間が訪れた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.72 )
- 日時: 2020/07/10 00:24
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: 3edphfcO)
フィレル、ファレル、ロア、フィラ・フィア、蝶王、リフィア、そしてレイド。エイルはもういない。そして新しいメンバーが増え、見覚えのある食卓とは少し変わってしまった食卓。しかしそこに流れる穏やかな時間は、変わらない。
リフィアはフィレル帰還の知らせを聞き、きらきらと目を輝かせていた。
「おっかえりぃ、フィレル! なぁんだ、帰ってくるならもっと早く教えてくれれば良かったのに! ありあわせの材料でしか歓迎の料理作れないじゃないの! まったくもうったら!」
怒っているような口調ではあるが、心底嬉しそうでもあった。
「話は聞いた。本番はこれからだそうだな」
「ああ。この先、何が起こってもおかしくはない。この晩餐会が最後の晩餐になるかも知れない……」
その隣で、ロアとレイドが言葉を交わしあっていた。聞こえる内容は不穏ではあったが、そうなるのも仕方のないことなのかもしれない。
リフィアが即席で作ったそこそこ豪華な料理を食べながら、フィレルは旅の中であった様々な出来事を報告していた。
「でね……ツウェルの町では死者皇ライヴと戦ったの。ウァルファル魔道学院っていうすごい学校の生徒たちと一緒に、ライヴを倒したんだよ! そこで……一緒に来てくれた学院の生徒が死んじゃって。僕は初めて死ぬっていうことを知ったんだけどさ」
楽しいことも悲しいことも。神々を封じる旅の中、本当に様々なことがあった。話が最悪の記憶の遊戯者フラックのこと、封じられた記憶の話になると、ファレルはその顔を固く強張らせた。
「……そうだよ、フィレル。君の最悪の記憶を封じていたのは僕だ。でもそれが仇となったのだね。フィレル、僕を恨むかい? 恨んでもいいんだよ?」
ううん、とフィレルは首を振った。
「僕さ、それは兄さんの優しさから来ているんだって知ってるんだもん。だから怒ってないよぅ」
あの日、思い出させられた記憶。遠い日に両親を失ったあの痛みは、いまだ胸の内でくすぶり続けてはいるけれど。でも、乗り越えられないほどじゃない。もうフィレルは弱くない。この長い旅でした様々な経験が、心の強さをくれたから。
フィラ・フィアを絵から取り出して始まった、神封じの旅。新生風神の旅団。なし崩し的に始まった旅だったけれど、歩んできたその旅路は決して無駄なんかじゃない。
フィレルは同じ食卓についている仲間を見た。ロア、フィラ・フィア、イルキス。それぞれ、様々な場所で自分たちの過去と相対した。くじけそうになることもあったけれど、結果的に乗り越えられた。互いを思うその心が、それぞれの強さに繋がった。
それを改めて、思って。
フィレルはにっこりと笑った。緑の瞳が輝きを帯びる。
「あのね、僕ね、この旅に出て良かったって思ってるの!」
強くなったんだ、色々変わったんだと兄に言うその姿は、確かに旅の最初の頃のフィレルとは違うもの。
「だからさ、兄さんが色々気に病む必要なんて、ないんだよー?」
「……それは良かった」
ファレルもまた、穏やかな笑みを浮かべる。
この穏やかな時間が、永遠に続けばいいのに。
けれどいずれ、晩餐は終わる。
気がつけば、食卓の食べ物は皆、なくなっていた。宴はお開きだ。
ファレルが言った。
「ふふ、今日はよく帰ってきてくれたね。新しいお客さんも楽しめたかな? 僕は三階の部屋に戻るけれど……何かあったら気軽に声を掛けてね。フィレルたちはいつもの部屋だけど……客人たちの部屋はっと。リフィア、適当に案内してくれるかい?」
「了解しましたっ!」
ぴしっとリフィアが礼をする。
こうして一同は、三々五々散っていった。
◇
「……ファレル様」
自分の部屋へ去りゆくファレルを、呼び止める声があった。
ファレルは振り向かずにその名を呼んだ。
「どうしたんだい、ロア」
「……オレは」
混乱したような声でロアが言う。
「何者なのだと、ファレル様は思いますか」
「わからないけれど……知らない方が、いいよ」
振り向いたファレルは、碧い瞳でロアを見た。
「何度も言うけれど、君はイグニシィンのロアであって他の何者でもない。もしも自分の正体を知る機会があったとしても、それを聞いてはいけないよ。話を聞く限り……君は普通の存在ではないようだから。記憶が消えたということは、何かがあったということ。そして余計なことは知らない方がいい」
「オレは……怖いんです」
『ロア』
ファレルは言霊使いの力を、束の間だけ解放した。
『おまえはおまえの記憶に怯えない。これは現実となる』
大切な家族を、安心させるために。
強張っていたロアの身体から、力が抜けた。ロアは深く礼をした。
「ありがとうございます……ファレル様」
「大切な家族なんだ、当然だろう?」
ファレルは優しく笑う。
決戦前夜。それぞれに不安はある。
ならばそれを払拭してやるのが戦わない者の役目だと、ファレルは思う。
◇
城の正面階段の向こう、階段が左右に分かれる位置にある回廊には、封神の七雄たちを描いた絵画が飾ってある。それらをひとつひとつ愛《いと》おしむ様に撫でながら、フィラ・フィアは呟いた。
「エルステッド……シルーク……ヴィンセント……レ・ラウィ……ユーリオにユレイオ……」
もうすぐだ、もうすぐで。三千年前にやり残した封印を、完遂させることができる。戦神ゼウデラ、自分の死ぬ原因となった神を封じれば、残る神は一体だけ。
かつては果たせなかった使命が。
三千年の時を経て、完遂されようとしている。
そんな彼女の隣に、そっと寄り添う影がいた。どこまでも白いその姿は、
「シルーク……じゃなくって蝶王ね。驚かせないでよ」
「そなたが見間違いをしただけであろうが」
呆れた声で蝶王が言った。
フィラ・ファイアはそんな蝶王に、言葉を投げる。
「それにしても、あんたは変わらないわね。世界も人々も、色々変わってしまったのに……」
「これでも何百回と生まれ変わっておるぞ。蝶の一族は長生きしない。ただ……我は記憶をそのまま引き継いでいるだけの別人だ。あの時代、シルークと共にいた蝶王は……ネーヴェは、もういないのだ」
「そうね、そうよね。結局わたしはこの時代に、一人きりなのよね」
寂しげにつぶやく。
蝶王は誕生から十年くらいで死んでしまう儚い存在だ。ただその記憶だけは、次の代へ、その次の代へと受け継がれていく。蝶王に個々の名前などないが、ごく稀に名前を与えられる個体がいる。それが三千年前の蝶王——ネーヴェだった。その名前の意味は雪。蝶王によって望まぬ修羅の道を歩まされたシルークだったが、それでも彼は蝶王を愛していた。だからこそ、死神蝶の中では最大の栄誉である名前を、与えたのだ。
いくら記憶と「魔性の声」、姿を受け継いでいても、今の蝶王は蝶王ではない。あの時代の蝶王は、シルークの死と同時に死んだのだ。そして死神蝶の一体が全てを受け継ぎ、次の世代の蝶王になった。
「落ち込むことはない」
蝶王は慰めるように声を掛ける。
「もうすぐで使命を完遂出来るのだろう? それにな、新しい時代も悪くはないではないか」
「わかってるけど……」
懐かしの仲間たちの姿を写し取ったその絵画を見ていると、知らず、伝い落ちる涙。
絵の中にしかいない大切な人々。改めて、悲しみが胸を穿つ。
絵心師であるフィレルならば、自分と同じように、彼らを絵から取り出すことが出来るのだろう。しかしそれはあってはならないことだから。そうしたい、という強い望みを胸の内に押し込めて、フィラ・フィアは前を向く。
「大丈夫、わたしは大丈夫よ……」
言い聞かせるように何度も口にした。
はじまりの地。並ぶ七つの絵画。その中でたったひとつだけ、一部が異様に白くなっている絵がある。そこから自分は出てきたのだ。そして長い旅は始まったのだ。
「わたし……終わらせるから」
呟き、決意を新たにして。
フィラ・フィアはリフィアに言われた部屋へ向かう。
その後ろを、ネーヴェではない蝶王が無言でついていった。
◇
久しぶりに戻ってきた自分の部屋、懐かしい、いつもの部屋。フィレルは窓から差し込む月の光を、膝の上に愛用のキャンバスを載せながらぼんやりと眺めていた。
月明かりの中、照らされたキャンバス。開けっぱなしの窓から吹き込む風が、紙をぱらぱらとめくっていく。
描かれているのは旅の景色。リノヴェルカの白亜の神殿や初めて見た海、災厄の島のおどろおどろしい雰囲気、そして花の都ウィナフの反映した景色。様々な場所を旅してきた。キャンバスにはそういった思い出が詰まっている。
「封印が終わったら……旅も終わっちゃうのかぁ」
呟いた。それは少し、寂しい気がした。初めて見た様々な景色。旅は心から楽しいものだったから。
旅ばかりしているイルキスを思う。彼は何度もこのような光景を見て、感動してきたのだろうか。
「封神の旅が終わったら……もっと色々なところに行ってみたいよ」
今度こそ、何にも追われることなく。
外へ出ることに対して恐怖を抱く兄を誘って、ロアと一緒に三人で。いや、リフィアやイルキス、レイド、フィラ・フィアも誘ってみんなで。ただ当てもなく、様々なところを冒険してみたい。
そんな日が来ればいい。心からそう思う。
だから。その夢を叶える為に、誰も失ってはならない。
「僕……強くなったんだ。だから、頑張るよ!」
ぐっと拳を握ったフィレルを、淡い月明かりが照らしていた。
◇
「思えば随分遠いところまで来たねぇ」
城の中庭をぼんやりと散歩しながらも、イルキスは呟いた。
「ったく、ぼくってばとんだお人好しだよ。結局、最終決戦までついてきてしまったじゃあないか。昔のぼくならば考えられないことだったよね」
気紛れにフィレルたちを助けた。以来、なし崩し的にずっと一緒にいる。
イルキスに神々を封じる義務なんてない。いなくなろうと思えばいなくなったっていいのに、フィレルたちと時を過ごせば過ごすほどそんな気持ちは薄れていって、思考の端に上ることすらもなくなっていた。
「全て終わったら……兄さんになんて話そうかな」
呟く。
イルキスには双子の兄がいる。自分にも他人にも厳しいくせに、唯一、イルキスにだけは甘い兄が。彼は昔、イルキスを守って大怪我を負ってしまったがために、外へ出ることが出来なくなった。外へ出ることが出来なくなった、という点、弟に甘いという点に於いてはファレルと同じだが、彼はファレルのように温厚な性格ではない。
「土産話、たくさんあるんだ。また会える日が楽しみだ」
月を見上げた。今、遠いロルヴァの町でも、兄が同じ月を眺めているのだろうか。
遠く離れた場所にいても、空に月があることは変わらないから。
「運命神《ファーテ》よ……ぼくに加護をくれるかな?」
呟き、小さく祈る。
全てが終わったら、再会できますようにと。
◇
こうしてそれぞれの夜は過ぎる。祈り、願い、決意を新たにして。フィレルたちは究極の敵に臨むのだ。
穏やかな時間はあっという間に過ぎていく。苦しい時間ほど長く感じる。
けれど、戦いの果てに、幸福な時間があると知っているから。また大切な人々に会えると、知っているから。
だからこそ、それを得るために戦うのだ。それがあるから頑張れる。
決戦前夜。穏やかだがどこか張り詰めた空気が、イグニシィン城の中を流れていた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.73 )
- 日時: 2020/07/13 09:21
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
翌朝。朝食の席に揃った一同。これが戦いの前、皆で食べる最後のご飯だ。特に話すこともなく、黙々と食べ終わった。
イグニシィン城から出る時、ファレルが声を掛けた。
「約束しておくれよ。死なないと。僕はもう……家族を失いたくはないんだからね」
「うん! 約束、するよ!」
頷いたフィレル。
そして一行は、戦神の神殿へと向かう。
◇
「戦神の神殿は、わたしが一番よくわかってる」
フィラ・フィアが指し示したその場所は、幼い頃、フィレルとロアがよく一緒に遊んでいた森だった。フィレルは思い出す。遠い日の夏のことだった。ロアと一緒に遊んでいたら、突如目の前に、謎の建物が現れたこと。そしてそれからは、とても怖い空気が流れていたこと。嫌な予感を感じて、慌てて逃げ出したこと。それ以来、森で遊ぶのはやめたのだ。あれには絶対に近づいてはならないと、本能が告げていた。
今、歩いているのはその森だった。いつかのあの森だった。あの日見た恐怖が、得体の知れない嫌な予感が背筋を這い上がる。だがもう、あの日のように逃げ出そうとは思えなかった。それが倒すべき相手であるならば、怖がってはいられない。
誰も立ち入らなくなった森の中を無言で歩く。一歩一歩が重く感じた。この先にあるのは戦神の神殿なのだ。だがそんな空気を、しゃん、しゃん、と鳴るフィラ・フィアの錫杖の鈴が打ち消していく。彼女の鈴の音が、心を落ち着かせてくれる。
そうやってしばらく歩いただろうか。深い森の奥、一部だけ木がなくなって、光が差している場所があった。そこにそれがあった。
あちこち苔むして、ひび割ればかりの建物。感じる禍々しい気配。戦神の神殿だ。
今はもう、人を捧げる儀式は行われなくなったらしい。しかし過去の儀式の痕なのだろうか、苔むした石の奥、確かに見える赤錆色。あれは遠い昔、戦神に捧げられた生贄の血の痕だ。
長い時を経て、苔に覆われて。その神殿は、どこか荘厳で神秘的な空気をたたえていた。
「行くわよ」
覚悟を決めたフィラ・フィアが先立って歩き出す。
まるで地獄の底へ案内するかのような真っ暗な入口。その最初の石を、フィラ・フィアのサンダルがかつんと叩いた。
◇
かつん、かつん。それぞれの足音が鳴る。暗い神殿を無言で進む。聞こえる音は足音とどこからか流れる水音、フィラ・フィアの錫杖の鈴の音だけ。神殿はところどころが崩壊しており、そこから外の光が見えた。神殿の中に目を凝らせば、人間の骸骨や衣服、武器の残骸が転がっているのが時折見えた。
何も話すことが出来ない。重苦しい空気は、進むにつれて深くなっていく。
やがて、辿り着いた大きな広間に、
“それ”はいた。
頭から血を被ったような、赤いボサボサの髪。血のように赤い瞳。漆黒のマントに、幾重にも交差する漆黒のベルト。深紅のマフラーが、風もないのに揺れる。その男の傍では、翼の生えた純白の獅子が羽ばたいている。
フィラ・フィアらを見て、“それ”の口が、動く。
「再び来たか、人間よ」
遠い昔のあの日と、同じように。
放たれた声は低く響く。
フィレルはキャンバスを用意し、絵筆を構えた。その隣でロアが剣を引き抜き、イルキスが魔法を唱える準備をし、蝶王が相手を鋭く睨みつける。
大きく息を吸い込んで、錫杖を構えながら、フィラ・フィアは言った。
「戦神、ゼウデラ」
その声は震えることはない。旅の中、様々なトラウマを乗り越えた彼女はもう弱くはない。
「わたしはあなたを、封じに来た」
くつくつと面白そうに戦神は笑う。
「何度来たって結果は同じだ。人間が神に勝てるわけがない。幾らお前たちが蘇ろうと、我を倒せるなどとは思うなよ?」
「思うわッ!」
叫ぶ。これまでの旅で得てきた全てを声に乗せて。
「わたしはもう違う、シルークの死に振り回されてきたわたしではないの。わたしは変わったわ、ゼウデラ。そして今度こそ——」
構えた錫杖が、しゃん、とひときわ澄み渡った音を鳴らす。
「おまえを、封じるッ!」
そして彼女は舞い始める。朽ち果てた神殿の中、天井から差し込む光の中で舞う彼女の姿は神のようでもあった。『崇高たる舞神』。いつか人は彼女のことをそう呼んだが、今の彼女はその二つ名にも負けず劣らずの神聖さだった。
戦神は、吼えた。
「何度舞おうが同じことッ! 行けアウラ、神の偉さを思い知らせてやるが良いッ!」
彼の声に応じ、白獅子アウラが跳躍、舞うフィラ・フィアに迫る。
「させるか戦神ッ!」
金属音。飛んできた爪をロアが悠々と弾く。その後ろから、
「僕だって……戦えるんだぁーっ!」
服の中から取り出した剣を片手にフィレルが跳躍、戦神に迫る。宙に浮いている戦神に、フィレルの剣は届かない。だがそこへイルキスの風。風はフィレルの身体を押し上げて、戦神へその剣を届かせる。
「やるなッ! 確かに強くなった。考えるようにもなった! だが……神の力、舐めてくれるなッ!」
戦神の取り出した漆黒の剣がフィレルを弾く。転がされたフィレルを追撃するかのように迫った白獅子。だが、させまいとばかりにロアの剣がそれを防ぐ。
かつての戦いで、戦神は剣を抜かなかった。彼は長槍しか使わなかった。彼にとって、剣は本気を出す時以外は使わない武器なのだ。その剣を使ったということは。
フィレルも本気だが、戦神も今、本気を出しているということなのだ。つまり、それぐらい、戦神が本気を出さなければならなくなった程に、フィレルたちは強くなったという証。
「フィレル、受け取りなさい!」
イルキスが寄越したのは、風の魔法で編まれた翼。これがあれば空を飛ぶ相手とも対等に戦える。翼を操るのはイルキスなので、フィレルの運命は全てイルキスに掛かっていることになるが。
フィレルはイルキスを見た。イルキスの瞳が真摯な輝きを帯びる。任せてくれ、信じてくれとその瞳は訴える。フィレルは頷き、
跳躍。戦神になんとかその刃を届かせんと腕を振る。追風。イルキスの風がフィレルを運ぶ。高いところ、宙に浮かぶ戦神へ。フィレルの瞳に迷いはない、恐怖もない、躊躇いも諦めも一切ない。握った刃はただ、相手を切り裂くためだけに。
誰ひとり欠けさせないで、帰り着くと誓った。だから、その約束を守るために。
フィレルの振るった刃。戦神が回避動作を見せる。イルキスの風による強化を受けて、防御できないような勢いがその刃には込められていた。ぎらり、輝く緑の瞳はいつか、仲間たちを逃がして命を散らしたレ・ラウィの、あの日の瞳と同じものだった。フィレルは確かに、英雄の子孫だった。
回避する戦神に追撃。服から取り出したもう一本の剣が相手の逃げ場所を奪う。確かに感じた手ごたえ。斬撃。見えたのは、戦神の身体に刻まれた確かな傷。
「やりおるなッ! 人間風情がッ!」
戦神の手に生み出された赤黒い魔力。感じたのは嫌な予感。
「イルキス!」
声を掛ければ、その身体は引き戻される。先程までフィレルのいた場所に、赤黒い長槍が突き立っていた。それはいつしか、シルークとフィラ。フィアの命を奪ったものだった。だが、同じ轍は踏まない!
重なり合う心が、確かな信頼によってつながった想いが、最悪の未来を回避する。
フィレルは見る。風の翼を操るのに精いっぱいだったイルキスに迫る、白獅子の尾を。ロアはフィラ・フィアに迫る爪を防ぐので手一杯でイルキスを守れない。だが、今フィレルは地上に降りている。フィレルならば、死の一撃を防ぐことができる。
「させないって、っば!」
様々な事態を想定し、服の中に仕込んだ数多の武器。その中に飛び道具がないわけではない。
緑に輝く手が取りだしたのは、淡く輝く一本の槍。
「とど——けぇぇぇーッ!」
勢いよく投げられたそれは、すんでのところでイルキスの命を繋ぎ止める。蝶王が翼をはばたかせた。彼の周囲で白い魔法陣が幾重にも浮かび、光を散らす。
「絵心師! ここは我に任せて、お前は戦神を!」
白い魔法陣から生み出されたのは光条。幾重にも交差しながらそれは、白獅子の身体を貫いた。白獅子が苦鳴の声を上げ、蝶王に向かっていく。させんとばかりにロアの剣が割って入る。
ロアの視線とフィレルの視線が交錯した。フィレルはロアの瞳から言いたいことを悟り、イルキスに頷いて再び、
跳躍。三度目の空。迎え撃つ戦神。直接攻撃しても回避され、反撃されるだけだと理解する。だからあえて剣を構えず、
「馬鹿か? 自殺する気か人間ッ!」
相手の剣の中、自らその身を飛びこませる。相手の剣がフィレルの身を切り裂くが、その瞬間、確かに生まれた隙を突く。肉を切らせて骨を断つ。古典的な戦い方だが、最も効果のある戦い方でもある。
相手に腹を刺されながらも、フィレルはその剣をさらに深く、自分の中に押し込んだ。
「何ッ!?」
初めて聞いた、戦神の焦った声。
フィレルと戦神の距離が、ゼロになる。苦痛に顔を歪めながらも、フィレルは握った双つの剣で相手を切り裂いた——深く、深く。
そしてフィレルは相手の身体を蹴り飛ばして自分に刺さった剣を抜く。傷口から溢れる血、急速に冷えていく身体、感じた死の予感。それでも、相手の負った傷も尋常の傷ではない。戦神は宙でよろけていた。押え切れない傷口から、どくどくと溢れだすは戦神の血。三千年前は傷ひとつつけられなかった戦神が、今、血を流してよろけている。
蒼白になっていくフィレルの顔。イルキスが彼を降ろして傷の治療をしようとしたその瞬間、
「封じられなさい!」
凛、とした声がひとつ。
振り向いたそこでは虹色の鎖が完成し、希望の王女の周囲を取り巻いていた。
裂帛の声が、これまで抱えてきた全てを乗せた声が、その喉の奥から放たれる。
「わたしたちは、人間だけの世界をこの地上に作るんだから! 戦神——ゼウデラッ!」
逃れられない。大きな傷を負った戦神は、その顔に笑みを浮かべてフィラ・フィアを見た。
「そうか……これが、人間の力だと……言うのか」
満足げに放たれた言葉を最後に。
虹色の鎖が巻きついていく。封じの鎖は白獅子アウラだって逃しはしない。
爆発するような光が、溢れて。
次の瞬間、そこにあったのは、
ゼウデラの形をしたガーネットと、白獅子ラウラの形をした水晶だった。
終わったのだ、と悟る。最大の敵の封印は、終わったのだ。
くずおれるフィレル、駆け寄った仲間たち。負った傷は深かったが、
「天の神アンダルシャに願うなり! 我、我らが蝶を天に捧げん!」
蝶王が詠唱を口にした瞬間、その傷はみるみるうちに塞がっていった。
しかし代わりのように、薄れゆく蝶王の姿。
「蝶王さま……もしかして」
フィレルは悟る。
代償なしに、傷を完治させる魔法など存在しないのだ。そして蝶王がフィレルを直す代わりに払った代償は、
「そうだ、我の命だ!」
叫んだ蝶王は、どこか誇らしげだった。
「悲しむな絵心師よ! 我は伝説の生まれる瞬間に立ち会えた。それだけで十分満足なのだ! それにな、我は蝶王、何度も生まれ変わりを繰り返す普遍の存在なのだ。だから……」
いつかまた会おう、そう最期に言い残し、蝶王の姿は消えていった。無数の小さな蝶となって砕けて、神殿から差し込む光の中に溶けていった。
「……ありがとう」
呟き、立ち上がる。
フィレルは皆を見た。フィラ・フィアは涙をこぼしていた。
「みんな……わたしは、出来たよ……!」
三千年の昔、この地で彼女たちは死んだ。その無念が、長い時を経てついに晴らされたのだ。
瞳に光る涙は、とても綺麗な色をしていた。
そしてフィレルたちは神殿を出る。ゼウデラを封じたからと言って、全ての旅が終わったわけではない。
最後に残された神、生死の境を破壊する闇、アークロア。その名前が、不吉な響きを帯びてフィレルたちに重くのしかかっていた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.74 )
- 日時: 2020/07/17 12:10
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
【十一章 握った絵筆に魂を込めて】
「やあ、久し振りだね」
神殿を出たところで、冷たい霧の気配。霧の向こう、忌々しい影と出会った。
白の、ボサボサの長髪、冷たく澄みきった印象を与える蜜色の瞳。白のローブを身に纏い、足には白のサンダルを履いた青年。
ロアの記憶を握る者、霧の神セインリエス。
嫌な予感が吹き荒れる。決して出会ってはならない存在と、ぶつかってしまったような気がする。
セインリエスの唇が、動いた。
「ありがとう。君たちのお陰で邪魔な戦神は排除された。後は私が好きに出来る! やっとだ、やっと! 私の世界が幕を開ける!」
セインリエスは笑う。心底、楽しそうに。
「なぁ、私を……殺しておくれよっ!」
放たれた霧の刃。容赦なく。真っ先に対応したのはロアだった。させるかとばかりに弾く。霧の神はうすら笑いを浮かべた。
「そうだよ、そうだよ。私はねぇ、ロア。君と戦いたかったんだッ!」
勝手に斬られた戦いの火蓋。最悪の予感がフィレルの中を動き回る。
まずい、と本能的に思った。この男とロアを戦わせてはいけない、とフィレルの心が必死で叫ぶ。しかし戦神との戦いで疲れ果てたフィレルには、ただ戦いを見ていることしか出来なくて。
「ぼくだって……まだ戦えるさッ!」
イルキスが風を吹かせて霧を吹き払う。その向こう、見えた霧の神。ロアは目をぎらつかせ、その身体に向かって刃を叩き込んだ。
ごぼり、溢れた血。防げたはずなのに、霧の神は防がなかった。
「……どうして防がなかった」
問うたロアに、霧の神は歪んだ笑みを浮かべた。
「だって私は……言っただろう? 殺しておくれよ、と」
話をしようか、と彼は言う。
語られたのは、遠い悲劇の物語だった。
昔、彼は傲慢だった。彼はその傲慢さによって一番上の兄に酷い怪我を負わせ、二番目の兄の怒りを買って、神の力を奪われ人間同然にされた上で地上に追放された。
本来ならば、そのまま野垂れ死ぬはずだった。だがそんな彼を救った人物がいた。
機織りの娘ティア。彼女に救われ、その優しさに触れるうち、彼の心の氷は融けていった。
ある日、彼女が危機に陥った時、彼は彼女を守った。その瞬間、彼の追放は解け、神としての力を取り戻した彼は天界へ帰還、兄神たちと和解するが、天界にて発覚した事実。彼女は重い病を背負っており、もうほとんど生きられないこと。彼は彼女の最後の願いを叶える為に地上に降り、極北の地の極光を見せてやったが彼女はそのまま死んでしまった。
霧の神は言う。
「彼女が死んで以来、私の心は凍ったままだ。だから私は……殺してもらいたかったのさ」
そこまで言って、彼は盛大に血を吐きだした。命の終わりが、近い。
その顔が、孤独に歪んだ霧の神の顔が、ぐしゃりと歪な笑みを作った。
「そして! ただ死ぬだけなんてつまらないだろう! だから私は置き土産をすることにしたんだ……」
その蜜色の瞳は、ロアを見ていた。狂ったような輝きがロアを射抜く。
霧の神は、笑っていた。嗤っていた。嘲笑《わら》っていた。ただ、どこまでも可笑しそうに、わらっていた。
「さようなら地上! 私はあの子に会いに行くんだ! さようなら哀れな人形たちよ! 全ての記憶を君に返そう。そしてその記憶に狂うが良い!」
「やめろぉぉぉーッ!」
叫び、飛びつこうとしたがもう遅い。霧の神の身体は砕け散り、そこから溢れた霧が、ロアを包み込んだ。フィレルはただ、それを見ていることしか出来なかった。
霧が晴れた時、そこにいたのはロアだった。だが、それはロアであってロアではない存在だった。
「思い出した……」
漏れたのは、絶望に染まった声。
「ノア……闇神ヴァイルハイネン……古代文字……ああ、オレはッ!」
「駄目だよロアぁっ!」
叫んでも、その声は届かない。
呆然と立ち尽くすロアの周囲から闇が溢れて、ロアの全身を覆い尽くしていく。その闇の深さは、神にも匹敵するものだった。
——神?
はっとなる。
「そうよ」
フィラ・フィアの声が、凛、と響く。
彼女は悲しみを心の底に押し殺したような顔をしていた。
その錫杖が、ロアに向けられる。仲間である、ロアに。
まるで、彼が、敵であるかのように。
「ロアは」
闇が晴れた時、そこにいたのは完全に、ロアではないモノだった。
深い闇と絶望を宿した漆黒のソレの正体を、フィラ・フィアは暴く。
「生死の境を暴く闇、アークロア——それこそが、ロアの正体だったのよ」
思わず、嘘だ、と呟いた。
言葉が、出なかった。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.75 )
- 日時: 2020/07/21 11:45
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「フィラ・フィアは……いつからわかっていたの?」
フィレルの問いに、悲しみを噛み殺すような顔をしながらもフィラ・フィアが言う。
「フォルトゥーン戦からよ。ロアが死者蘇生について言及した。その時、全てのピースが繋がったの」
「オレは……失ったノアを蘇らせる、ためにッ!」
まだ辛うじて正気を保っているロアが、ぎらつく瞳で答える。
「生死の境を……破壊……しようと……ッ!」
だからこそあの発言。ロアが古代文字を読めたのも、彼が昔に誕生した神だったからだ。彼が他の神々と繋がりがあるのも……。
全て繋がった先、あったのは残酷すぎる現実。
嘘だ、とフィレルは呟く。縋るような瞳でロアを見た。緑の瞳いっぱいにたたえられたのは、涙。
「ロアはロアだよ、アークロアなんかじゃない! お願いだロア、元に戻って! 僕らと一緒に帰るんでしょ!? ねぇっ!」
不可能だ、とロアは首を振る。その腕が持ち上がり、剣を引き抜きフィレルに向ける。
これまで、絶対に自分を裏切らないと信じていたロアが、自分に剣を向ける。
フィレルは現実に打ちのめされた。
封じろ、と異形の闇の殻を身に纏いながらもロアは言う。
「オレに正気が……残っている、内に!」
剣を握った腕が震えている。だがその黒の瞳は闇に、侵されていく。冒されて——いく。
闇の亜神アークロアは、弟を失ったことにより狂い、死者蘇生の方法を求めて地上を荒らした。アークロアは、弟さえ蘇れば地上がどうなろうと構わなかった。その横暴によって「荒ぶる神」認定を受けたのだ。アークロアには死んだ弟以外に優先すべき存在など、ない。
「ロア、ロア、目を……覚ましてぇっ!」
「無駄よ!」
叫ぶフィレルをフィラ・フィアが制す。
フィラ・フィアの赤い瞳の奥に宿る決意は、一瞬足りとも揺らぐことがなく。
彼女は舞い始める。そんな彼女を倒さんとロアの剣が迫る。フィレルは反射的に受けた。受けたそれは、二人で何度も特訓して、よく知っているロアの剣術。金属音。フィレルはロアの剣を防ぐことは出来たが、どうしてもロアを攻撃することが出来なかった。迷いに剣が滑る。隙が生まれる。ロアはフィレルを無視し、フィラ・フィアの無防備な胴体に一撃を叩き込、
「させないよッ!」
烈風。イルキスの生み出した風が辛うじてロアの剣筋を逸らす。
フィレルたちに剣を向けながらも、ロアは懇願するように叫んだ。
「フィレルッ!」
瞳から流れ出した涙は血の色をしていた。
「お前に心があるというのなら、オレをオレのままでいさせてくれ。オレがアークロアに完全になり果てる前にッ! オレを止めてくれ封じてくれッ!」
その瞳から急速に失われていく正気。振るわれる剣に、明確な殺意が宿っていく。“ロア”が失われ、“アークロア”が彼の中に広がっていく。
失いたくない、ずっと一緒にいたい、と誰よりも強く思い、願った人だった。そんなロアが、大切な人が、フィレルが初めて本気を出す原因を作った人が、失われていく。いなくなっていく。闇に溶けて、消えていく。
心の中、広がっていくのは絶望。果てしなく。
どうすれば良いというのだろう。誰よりもずっと一緒にいた人が、封じなければならない人だっただなんて。
「きゃあっ!」
悲鳴。ロアの闇に吹き飛ばされたフィラ・フィアが宙を舞う。そのまま地面に叩きつけられた彼女は身動きをしない。それを見ても、凍りついたように身体は動かない。
希望の子フィラ・フィア。彼女が死んだら、この長い旅の全ては意味のないものになるのに。
わかっているのに、動けなかった。ただロアだったモノを、見ていることしか出来なかった。
しっかりしなさい、とイルキスが叫びを上げる。
「フィレルッ! もうあいつはロアじゃないんだ、倒すべき相手なんだよ!? 呆けている場合じゃないッ!」
そんなイルキスに迫る刃。魔法専門の彼に、剣をかわす反射神経なんてない。斬撃。盛大に血飛沫を上げて倒れるイルキス。それでも身体は動かない。動けない。
気が付いたら、フィレルはロアと二人きりになっていた。完全にアークロアとなったその瞳が、無感情にフィレルを見つめる。その剣が持ち上げられ、無防備なフィレルに振るわれ——
「……わかったよ、ロア」
なかった。
すんでのところでロアの剣は、フィレルの剣に受け止められていた。
泣きそうな顔で、フィレルは剣を構えた。瞳に宿るのは静かな決意。
「ロアの悪夢は僕が終わらせるよ。僕しかいないんだ、僕しかいないんだろ。なら……」
叫んだ。あまりにも残酷な運命に対し、叫んだ。
「——僕がやるしか、ないじゃないかッ!」
迷いはない、惑いはない。目の前にいるのがアークロアであるならば、ただ封じればいいだけ。しかし封じの王女はもう動けない。だが、封じる手段は一つしかないわけじゃない。
フィレルの手が神速で動く。肩に掛けたキャンバスに、ひとつの絵を描き出す。神のごとき早業で、一枚の絵が仕上がっていく。描かれたそれは、
一本の槍。
遠い昔、ある英雄が、神を封じるために作ったという伝説の武器。神封じの槍ヴェルムヴェルテ。
フィレルの手が翠に輝き、キャンバスに触れる。描かれた絵が引き出される。長い時を経て再現された神封じの槍は、ぴったりとフィレルの手に収まった。
フィレルは泣きながらそれをロアに、否、ロアだったモノに、アークロアに、向ける。
思いのたけをぶっつけた。
「ロア、ロア! 僕はさ……ロアのこと、大好きだよっ!」
泣いて叫んでひたすらに泣いて。それでもフィレルはもう折れない。
輝く緑の瞳には、強い強い覚悟の光が灯っていた。
「だからさ——ロア」
槍を構え、ロアに向かいながらも言葉を紡ぐ。
「——もう苦しまなくっても、いいんだよッ!」
一閃。閃いた槍の先。防がれる。勢いのまま突き進み反撃を回避。ロアの動きを見る。見慣れた動き、見慣れた剣術。何度も何度も試合《しあ》ったがために、誰よりもよくわかっているその動き。
狙い澄まし、槍を放つ。今この瞬間しかない、というタイミングで放たれた神封じの槍は、
「フィ……レ……ル」
最期に漏れた声。
槍は的確にアークロアの胸を貫いていた。その胸から鮮血が溢れ、溢れるそばから結晶化していく。その様は美しかったが、同時に永遠の喪失を表してもいた。
そしてその瞬間だけ、戻った正気。
ロアは、笑った。アークロアなんかじゃなくて、ロアの顔で。
最高に綺麗な、笑顔で。
血まみれの唇が紡ぎだした言葉。
「終わらせてくれて……ありがと……な……」
紫色の光が弾けた。フィレルは目を灼くような光の中でも目を閉じず、最後までロアを見届けていた。ロアの身体が結晶に覆われていき、ロアの形をした紫水晶になるのを見届けていた。ロアは紫水晶に完全に覆われて、もう二度と動くことはない。
「あ、ああ……」
地に膝をつく。漏れたのは、慟哭。
こんな悲しみを、これまで味わったことなんて、なかった。
目の前の無機質な結晶が、フィレルに残酷な現実を突き付ける。
ロアはもういない。
クールで格好良くて、文句を言いながらも結局いつもフィレルを守ってくれたロアは。
もう、いない。
もう、いないのだ——。
フィレルの胸の中で、何かが砕けて散った。代わりに生まれたのは喪失感。果てのない闇のようなそれがフィレルを覆い尽くし、思わず自分を見失い掛けた、時。
しゃん、と澄み渡った音がした。
凛、とした声が響く。
「——ここに全ての荒ぶる神々は封じられた。わたしたちの使命は、成ったのよ」
振り返れば。錫杖により掛かるようにして辛うじて立っている、満足げな表情のフィラ・フィアがいた。
彼女はフィレルに頭を下げた。
「ありがとうフィレル。あなたのお陰で——」
「……ふざけるな」
フィラ・フィアの言葉を遮ったフィレルの瞳は、激しい怒りに燃えていた。
フィレルは憎悪の言葉を叩きつける。
「お前のせいで……お前の旅につきあったせいで、ロアは、ロアは……ッ!」
「その原因を作ったのはあなたでしょう、フィレル。わたしはずっと眠っているはずだったのに」
言い返されて、押し黙る。やりきれない思いが、その心を支配していた。
誰も悪い人なんていなかった。この悲劇は、起こるべくして起こったのだ。
フィレルは紫水晶になったロアを見る。改めて、もうロアはいないのだと思い知って、
「ロア……ロアぁ……ッ!」
溢れだす涙が、止まらなかった。
フィレルは紫水晶に駆け寄って、その拳で殴った。何度も、何度も。拳が切れて血が出ても、何度も殴り続けた。そうすれば紫水晶が割れて、ロアが戻ってくるとでも思っているかのように。それが無理だとわかったフィレルは、地面に膝をついてただひたすらに泣き続けた。
「……喪失の痛みは、誰よりもわかっているわ」
その背に、静かにフィラ・フィアが声を掛けた。
彼女は優しい声音で、言う。
「とりあえず、今は泣きなさい。泣いて泣いて泣いて——自分が空っぽになるまで泣いたら、いつか時がその空白を、その喪失感を、埋めてくれるから」
痛ましげな表情をして、フィラ・フィアはそっと両手を組む。
まるで祈るかのように。
◇
「……さようなら、ロア」
それから、どれだけ時が経ったろう。
ひたすらに泣いてようやく激情の静まったフィレルは、紫水晶に声を掛ける。
「今まで本当にありがとう。僕……ロアのこと、忘れない。絶対に忘れられない」
紫水晶は、沈黙したままだけれど。
フィレルは静かに決意を述べる、覚悟を述べる。
「僕……立ち直るから。悲しみに停滞なんて、しないから」
だから、と紫水晶を愛おしげに撫でた。
「……安心して、眠ってね!」
その緑の瞳からは、何も知らなかった頃のような無邪気さは消えていた。
もうフィレルはこれまでのフィレルではない。悲しみを知らなかったあの頃には、戻れない。
瞳に灯った炎は、燃え上がる強い想いの証。
大切な人の喪失を経て、涙の代わりに空白を抱えて、フィレルはようやく英雄の顔になった。
「……帰ろう、みんな」
言って、返事も待たずにその場を去る。
彼はもう、振り返らなかった。
その背中には、海の底よりも深い悲しみがあった。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.76 )
- 日時: 2020/07/24 00:02
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: eso4ou16)
【終話 魂込めのフィレル】
傷ついたイルキスとフィラ・フィアを連れ、虚ろな思いを抱えて城へと戻る。戻った後のことは覚えていない。ただひたすらに泣いて叫んで、意識を失っていた。
そして巡る朝。ロアが自分を起こす声が聞こえない。そうだ、ロアはもういないんだとわかって沈んだ気持ち。
あの後、ファレルとは何度も話した。約束、したのに。大切な家族の一員は、欠けてしまった。ぽっかりと胸に空いたこの穴は、そう簡単に埋まることはないだろう。
いつもの城、いつもの食卓。長かった封神の旅を終えて、日常が戻ってくる。だが、何かが足りない。いつもそこにあったはずの「ロア」というピースが足りない。それだけで、ただそれだけでこんなにも違うのかと思った。失ってから初めてわかる、その人の大切さ。ロアは失ってはならない人だった。
フィレルは笑わなくなった。笑い方を忘れてしまった。ただ、虚ろに日々を過ごすだけになった。
イルキスは怪我を治したあとで故郷に帰り、帰る場所のないフィラ・フィアはイグニシィンの養女となった。沈んでばかりのフィレルをファレルは心配したが、「時が過ぎれば元に戻るから」とフィラ・フィアは必要以上に関わることはしなかった。
フィレルは思う。朝起きれば、今でもロアがいるような気がする。「寝ぼすけめ」と笑っているような気がする。いつもみたいに、いつもみたいに。
停滞はしない、いつかは動く。あの日、そうロアに誓ったけれど。空白を抱えた心はそう簡単に、再び動き出すことは出来なかった。
そして、過去に一度喪失感を経験し乗り越えたことのあるファレルとフィラ・フィアはロアの死からも立ち直ることが出来たけれど、初めてといっても過言ではない喪失を経験したフィレルは、そこまで強くはなれなかった。
フィレルは、ロアの部屋の方を見ながら、思うのだ。
——ロア、ロア。
何処にいるの?
僕とまた話してよ。僕はまた会いたいよ。
そんな呟きも嘆きも、ただ壁に吸い込まれるだけ。
◇
いつか、ロアがいない現実も、当たり前だと思えるようになってきた。
いつか、ロアがいない風景にも慣れてきた。
心の底の空白は、いまだ消えることはないけれど。喪失の痛みはいまだ、激しく心を苛み続けるけれど。
——それから、二年。
かつてのロアと同じ十七歳になり、フィレルは悲しみの幻影と立ち向かうことを決意した。
◇
二年ぶりに訪れた、あの暗い森。いつかセインリエスと、ロアと戦ったあの場所には、変わらぬ紫水晶があの時のままにそこにあった。
凍りついた時間。積もった埃が、時が経ったことを示している。
願いを込めて、絵を描いた。魂を込めて、絵を描いた。
それを実体化させることは、ないけれど。再び禁忌を犯す気は、ないけれど。
描いたそれは、ロアの顔。ただどこまでも明るく笑う、大切な人の顔。
「ありがとう、ロア。そしてさようなら。僕はもう、ロアがいなくてもやっていけるから」
呟いて、これまでの思い出の詰まったキャンバスをその場に置く。一番上にはロアの顔。
「……またね」
フィレルは来た道を去っていく。
似顔絵の中のロアの顔が、不敵な笑みを浮かべたのは、気のせいだったのだろうか。
◇
「あーあ、退屈だなぁ」
フィレルはうーんと伸びをした。
長い冒険が終わり、戻ってきたいつも通りの日々。それはあの冒険の日々に比べれば、あまりにも退屈で。
「そーだ、ロルヴァに行こう!」
思い立ち、みんなに話すためにお城の中を駆け回る。
ロルヴァ。それはイルキスの故郷。いつでも歓迎すると、彼は言っていた。
まだ行ったことのない町だ。そこに行けば、また面白いものが見つかるだろうか?
目を輝かせてフィレルは走る。その肩には、新しいキャンバスが下がっていた。
あの冒険の日々を描いたキャンバスは、悲しみと一緒にあの場所に置いていったのだ。これから始まる新しい日々に、過去の思い出なんて似合わない。
喪失感を乗り越えて、少年は前へ進む。
悲しみを乗り越えて、彼はまたひとつ強くなる。
その瞳に涙はあれど、彼はもう迷わない、惑わない。
握った絵筆に魂を込めて、描いた絵を取り出して色々と応用しながら、そして彼は生きていく。
暖かな日差しが、そんな彼を祝福するかのように降り注いでいた。
——僕はもう、一人でも。
——生きていけるよ。
◇
【魂込めのフィレル 完】
【読んでいただき、ありがとうございました!】