複雑・ファジー小説
- Re: 魂込めのフィレル ( No.17 )
- 日時: 2019/06/18 09:49
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
【間章 その名は霧の……】
風神の神殿を出て、ツウェルの町へ戻る。またイルキスと会えないかなと青みがかった銀の髪を探したが、生憎とそれらしい人物は見当たらなかった。
「まぁ、仕方ないか。風来坊を自称していたし、どこか別の町にでも移動したのだろ……——……ッ!」
言いかけて。
不意に、ロアが顔を歪めて頭を押さえた。激しい頭痛でもするのか、その顔には苦しみがあった。額には脂汗が浮いていた。
「ロア、ロア、どうしたの!?」
彼の尋常でない様子に、心配げな表情を浮かべてフィレルは近づく。フィラ・フィアは癒しの舞を舞おうとしたが、「神様封じに力を使い過ぎたわ」と悔しげに首を振った。
苦しむロア。そんな彼を前に、何もできずにおろおろするフィレル。
と。
——リン。
霧の彼方から聞こえたかのような儚い鈴の音が、ひとつ。
その音のした方を振り向けば、そこには。
「……誰?」
白の、ボサボサの長髪、冷たく澄みきった印象を与える蜜色の瞳。白のローブを身に纏い、足には白のサンダルを履いた、謎の男が立っていた。
男は、口を開く。
「——頭が、痛いか、な?」
凛とした、冷たい声だった。
対するロアは、一言も発することもできない。
男は、言う。
「だろうねぇ。その記憶、私が封じたのだから」
「あんた誰だよっ! ロアに何をしたんだよっ!」
相手の言葉に、フィレルが怒りをあらわにする。
男は泰然として、言った。
「私はそこの少年の記憶を隠した存在さ。今、記憶の一部を返したが、どうかな?」
「ちょっと待ってよ。ロアの記憶を隠した? ロアの過去には何があったの? というか、どうしてそんなことしたのっ!」
憤慨するフィレルの隣、ロアが固まっていた。
頭痛は治まったらしい。その顔には驚きと困惑があった。
「……ロア? 大丈夫?」
心配げに声を掛けるフィレル。
ロアは小さく、呟いた。
「……思い、出した」
その目に浮かんだのは、郷愁のような何か。
その表情を見、フィレルはロアがどこかに行ってしまうような気がして、思わず呼び止めた。
「思い出しちゃ駄目だよ、ロア!」
ファレルもいつしか、ロアの失われた記憶について言っていた。思い出さない方が良いと。忘れてしまったということは、忘れてしまうくらいに、そうやって自己を守らなければならなくなるくらいに、嫌なことがあったのだろうから、と。ロアは失われた記憶を取り戻すことを願っていたが、ファレルはそれによって平穏が失われることを危惧したらしい。ファレルとロアは血のつながりこそないけれど、彼からすれば家族同然の存在だった。
そうやって守ってきた平穏、そうやって守ってきた幸せな日々。
けれどもそのパンドラの記憶の一部が今、謎の男によって強引に取り戻されようとしている。
ロアは呟いた。
「……ノア」
それはフィレルの知らない名前。
ロアはどこか遠くを見るような眼で、夢見るように呟いた。
「大切な存在、だった。誰だったか? 思い出せない。記憶は不完全なままだが、過ごした幸せな日々が、ぼんやりと……」
「ロアッ!」
そんなロアを、背の高いロアの頬を、フィレルは目いっぱい背伸びしてぶっ叩いた。
ぶっ叩かれて、ロアは驚いたように目をしばたたいた。
そんなロアに、フィレルはエメラルドグリーンの瞳に強い輝きを宿しながら、言った。
「思い出しちゃ駄目だってば! その記憶、思い出したらきっと、ロアは僕らから離れちゃうよ。僕はそれは嫌だし、今無事かもわからないファレル様もそれを望んではいないと思うんだ。ロア、ロアはさ、得体の知れない過去の方が、今の僕たちよりもずっと大切なの? ロアは得体の知れない過去の方を選ぶの?」
いなくならないようにとしがみ付いたフィレル。その頭をロアは不器用に撫でて、かすれた声で呟いた。
「……悪かった」
それでもその目はどこか遠くを見ていて。
フィレルは男に向き直った。
「あんた、何者? 目的は何? どうしてロアの記憶を奪っといて今更返したのさ? 答えてよッ!」
男は淡々と答える。
「私はこの世界の霧と灯台の神だよ。霧の神セインリエス、それが私の名前だ。どうしてこのようなことをしたのかと言えば……」
チャンスを与えたかったのもあるけれど、と小さく呟いた、あと。
その瞳に宿ったのは、決して癒されぬ悲しみ。
「生きているのはもううんざりだ。私を殺して欲しいと思ってね」
◇
「どういうこと!?」
驚く一同に、霧の神セインリエスは悲しく笑うだけ。
「誰も私を殺してくれない。人間種族は怖すぎる。ならば繋がりの一部を破壊したら、きっと私を殺してくれるかもしれない? そう思ったけれど一段階目で成功するとは思っていない」
いずれまた会いに来るよ、と彼は底の知れない笑みを浮かべた。
「その時は黒の少年、またあなたの記憶を返そう。ずっとずっと記憶を取り戻したかったのだろう? ならば丁度良いじゃないか。何を恐れる必要がある?」
笑いながらも、霧の男の姿は薄れていく。まるで霧に包まれていくかの様に。
「待て!」
追いかけようとしたフィレルは何かを思い出し、炎の絵を描こうとしたけれど。
既に手遅れ。霧に包まれ、男は消えていった。
ロアはまだぼんやりしていた。そんなロアにしがみついてフィレルは言う。
「思い出さなくていいんだよ。あんな奴の策略になんか乗っちゃ駄目だよ。殺してくれだって? 自殺でもすりゃあいいじゃないか。それに僕らを巻き込むなよッ!」
霧の神は荒ぶる神じゃないの、とフィレルが問うと、フィラ・フィアはいいえと首を振った。
「セインリエスは地上に害をもたらしてはいない。彼は遠い昔に死んでしまった、人間の恋人を求めて死を願うだけ。けれども彼は強すぎて、そう簡単には死ねなくて、死にたいと思いながらも何百年も生きながらえて、悲しみの歌を歌っているだけ」
彼もまた、悲しい神様なのよと目を伏せた。
「それでも、わたしたちを巻き込むのは筋違いだと思う。みんな、あの神様には気を付けて。あの神様は霧のベールに包みこんで、誰かの記憶すらも隠してしまうから」
フィラ・フィアの顔は沈鬱だった。
◇
「次に目指す場所は何処?」
気を取り直して、とフィレルが問うと、フィラ・フィアはフィレルに描いてもらった地図を眺めながらも、頷いて南の町を指した。そこには「エーファ」と書かれている。
「この町の辺りに、死の使いデストリィの神殿があるはず。彼女は決められた命だけを刈り取る死神でありながら、命を刈り取る楽しさに目覚めて関係ない人々も殺すようになり、やがて虐殺者になってしまった神様よ。今もまだ封じられていないのならば、彼女の存在はかなり危険なものだと思う」
オッケー、とフィレルは頷いた。
フィラ・フィアはロアの方を見た。
「過去が気になるのもわかるけれど、あなたはわたしたちの剣であり盾よ。いつまでもセインリエスに引っ張られていないで、しゃんとしなさい」
ロアは頷き、地図の上に鋭い視線をやった。
次の目的地も定まった。旅は順調である。
◇