複雑・ファジー小説
- Re: 魂込めのフィレル ( No.59 )
- 日時: 2019/10/13 08:30
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「闇神さま、満身創痍だぁ……」
「だが見てご覧。災厄の島に掛かった雲が、なくなっている」
落ちてきた鴉の闇神に治療を施しながらもフィレルたちは会話をしていた。
イルキスの言葉に、フィレルは目を細めて遥か向こうを見やる。そこには先程まで、漆黒の島影があったはずだ。しかし今そこには闇なんてなくなっており、通常の島影があるだけになっていた。
ほぅ、とロアが呟きを洩らす。
「あの闇は厄竜の象徴だった……。それがなくなったということは、闇神さまは本当に厄竜を倒したのか」
「でもギリギリだったみたいだねぇ。人間の姿になるほどの気力もないみたいだし……しばらくは彼の助言に期待できそうにはないかも。ええと、七雄の『心の欠片』を探せばいいんだよね? 自分たちで文献あさって何とかするしかなさそうだ」
イルキスはぼくは一部、思い当たるものがあるんだけれどと補足した。
「……まぁとりあえず、全ては本土にたどり着いてからだ。ところで蝶王さま、あなたはこれで良かったのかい?」
イルキスの問いに、ああ、と蝶王は頷いた。
「いつまでもあの地にいるわけにもいくまいて。……そなたらが我に新たな道を示してくれたのだ、感謝している」
そりゃどうもとイルキスは笑った。
そして船は少しずつ進んでいく——。
それから数日後。
「わぁい、シエランディアだぁ! 帰ってきたぁ!」
フィレルが歓声を上げた。
見覚えのある、トレアーの港に船が着く。
その頃には鴉の闇神も大分回復したようだが、まだ言葉を喋れるほどにはなっていなかった。何を話しかけても「カア」と答えるだけの彼に、助言は期待できそうにないだろう。厄竜はそれほどまでに強かったらしい。
「さて、到着だ。ああ……ちょっと頭がふらふらするんだけど……」
一人でずっと船を操っていたイルキスは具合が悪そうだ。
フィラ・フィアを背負ったロアは、「先に休んでろ」と提案した。
「『踊る仔馬亭』にまた泊まることを考えている。オレはフィラ・フィアを宿に置いたらフィレルと共に情報集めに町へ出るが、疲れ切ったあんたまで一緒に来ることはないだろう。休んでおけよ」
「そうさせてもらうよ……」
疲れ切った表情でイルキスは笑った。
そうやって、踊る仔馬亭にたどりついた、時。
聞き覚えのある声が、フィレルの耳を打った。
「あっ、フィレルじゃない! ずっとずっと探してたのよ! ……って、見たことのない人もいるわね。それにその、飛んでる白い人って! まさかの、伝説の蝶王様!?」
その声を聞き、まさかとフィレルは振り返る。
そこにいたのは茶色のツインテールの髪に、赤い瞳の……
「リフィ、ア? それにエイル!?」
「エイルは双子の妹の名だ」
リフィアの隣にいた青い人影が、ぶっきらぼうに答えた。
リフィアはずっとイグニシィン城にいたはずだ、とフィレルは不思議そうな顔をする。
それについては長い話があるのよと彼女は笑った。
「これまでのこと、話すから。だからそっちもどんな旅をしてきたのか教えてほしいな」
どうして蝶王様なんて伝説の存在が一緒にいるのかもわからないしと彼女は言う。
「えーと……王都には踊る仔馬亭だっけ? そんな宿があるよね。そこに行こう、そこで話そう!」
「とりあえず名乗っておく。俺はレイド、エイルの双子の兄だ」
名乗りだけを済ませ、彼は行くぞと声を掛ける。場所はわかっているらしい。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.60 )
- 日時: 2019/10/23 22:29
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
簡単な自己紹介を済ませて、リフィアはこれまでの旅について話した。
フィレルたちと別れた後、ファレルが言霊使いの力でエイルを殺したこと、エイルの言っていた「お母さま」の話、レイドとの出会い、その後の旅路……。
「あたしたちはエイルの言っていた人物を見つけられた。その人物はずっと昔、ファレル様の両親を殺し、ファレル様の心に消えない傷を、トラウマを植え付けた人物だった。名前はウェルフェラ・シエリィ。シエランディアの、形骸化した王族の末端にいる人物だった」
その都合上、ファレル様の抱えた傷についても知っちゃったんだと、リフィアは悲しげに笑う。
「あたしたちは正体を突き止め、彼女を追い詰めた。彼女は追い詰められたと見るや、自ら命を絶った。自爆魔法を使われて、うっかり死にそうになっちゃったんだけど……」
彼女はちらりとレイドを見た。その端正な顔の右頬には、醜い火傷痕がついている。
「レイドが、助けてくれたの。レイドは凄腕の人形使よ、その技を使えば様々なことができる。でも自爆魔法なんてそんなに威力が高いのに、対応できるわけがない。レイドはあたしを腕の中に庇ってくれた。代わりに酷い怪我を負っちゃったんだけど……でも、レイドが庇ってくれてなかったら、きっとあたしは死んでたわ。所詮はただのメイド、特殊な力も何もない女の子なんだもん」
彼女ははにかむように笑った。
「だからレイドには、感謝しているのよ。
その後、あたしたちはフィレルと再会しようとトレアーまでやってきたわけ。そこでこうして出会えたのね。それがこれまでの物語」
どう? と彼女は笑った。
「ただのメイドのあたしだって、たくさん冒険したんだから!」
「それはそうと」
ロアがリフィアにその黒い瞳を向ける。
「ファレル様は、どうなった?おひとりなのか?」
いいえ、と彼女は首を振る。
「レイドの人形が傍にいるって。あっ、そうだ! 思い出した、これ!」
言って彼女は首に下げた何かを見せる。
緑色に輝くそれは——
「レ・ラウィの……」
「そ。レ・ラウィのペンダント! ファレル様がお守りにって渡して下さったのよ!」
フィレルはそれどころではなかった。
闇神は何と言っていたか? フィラ・フィアの心を取り戻すには、彼女と深く関わった六雄の『心の欠片』が必要だと。そしてシルークの『欠片』は蝶王の魔性の声だったが、レ・ラウィの『欠片』は彼の遺品となったエメラルドのペンダントだと。
——エメラルドのペンダント。
何の偶然か、ファレルが受け継いだはずのそれは今、リフィアの手の中にあって。
そのペンダントは遠い昔、レ・ラウィが自分の婚約者たるルキアに渡したものだった。「必ず帰ってくる」言って手を振った彼は、その後家に戻ることはなく、フィラ・フィアたちを守って命を散らしたそうだが……。
「えっと……リフィア。それ、貸してくれない?」
「え? いいけど」
フィレルの頼みに不思議そうな顔をしながら、リフィアはペンダントを外して渡した。フィレルはそれを受け取った。ロアと目が合う。ロアは頷き、背負ったままだったフィラ・フィアを宿のベッドに下ろした。
フィレルの脳裏にロアから聞いた伝説の物語が浮かぶ。
フィレルはレ・ラウィのペンダントを眠ったままのフィラ・フィアの首に掛けた。自然と、言葉が出た。
『——いよぉ、姫さん。いつまで眠っているつもりだい?』
レ・ラウィならば言うであろう台詞、陽気でお茶らけた彼らしい台詞。
言った瞬間、フィラ・フィアの瞼がかすかに動いたが——それだけだった。
だが、確信できる。フィラ・フィアの心に張り巡らせられた鎖の一つが今、確かに解放されたこと。
なぁんだ、とフィレルは思った。
運命というやつは案外、素直に味方してくれるものだった。
「えーと……どういうこと?」
訳がわからないという顔をしているリフィアらに、フィレルはこれまでの冒険を教えてやった。
イルキスとの出会い、風神リノヴェルカの封印、収穫者デストリィ戦でのイルキスの加勢、死者皇ライヴとの戦い……。
フィレルの話す数々の物語を、リフィアは興味深げに聞いていた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.62 )
- 日時: 2019/10/27 08:39
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「へぇ、ずいぶん大変な旅をしてきたのね」
リフィアは驚いたような顔で頷いた。
そんなわけで、とフィレルは言う。
「偶然だけど、リフィアの持ってきたペンダントが役に立ったね! 僕ら、いったんイグニシィン城に帰らなくちゃならないのかなって思ってたしぃ」
イグニシィン城に戻るのは、全ての旅が終わってからだと思っていた。それまで帰らないと心に決めていたそれが守られるのは良かったなとフィレルは思った。イグニシィン城は優しい、そこにいるファレルは温かい。一度戻ってしまったらその優しさと温かさに甘えて、再出発がなかなか決まらなくなるんじゃないかと、フィレルはそう思っていたのだ。だからフィレルは自分を戒めるためにも、可能ならば城に帰るのは一番最後にしたかったのだ。
リフィアたちのお陰でその目的は果たせそうだ。フィレルは心の中で、ペンダントをリフィアに持たせてくれた兄に感謝した。もしも兄がリフィアに持たせてくれなかったら、フィレルらは城に帰り、そこの安穏とした生活の中で、封神の旅への意欲を失ってしまっていたかもしれない。ファレルは優しい人だから、きっとどこまでもフィレルを甘やかす。そしてフィレルはそれに抗えるか、わからない。
ありがとう、とペンダントを返しながら、フィレルはリフィアらの方を向く。
「リフィアたちは? 僕たちの旅についてくるの?」
少し考え、いいえとリフィアは首を振る。
「行きたい気持ちは山々だけど……ファレル様を、ずっと一人にしておくわけにはいかないの」
「同じく。いくら人形たちに守らせていると言ったって、絶対ではないからな。俺がいれば役に立てることもあるだろう」
そう、レイドも頷いた。
こうして別れることになった。
でも、二度と会えないわけじゃないから。
「フィレルぅ! あんた、他の人に迷惑掛けんじゃないわよ!」
「わかってるってばぁ!」
そんなやり取りをして、リフィアたちはいなくなった。
◇
リフィアらと別れ、次の目的地の相談をする。闇神の話では、後はエルステッドの「欠片」を集めればフィラ・フィアは目覚めるらしい。しかしエルステッドは武器や防具を自分の魔力で作り出す特殊な魔導士なので、彼の遺した武器など探そうとしても出てこない。騎士エルステッドの『欠片』は武器ではないと判断し、別の何かを探す必要がありそうだ。
「そう言えば」
ふっと何かを思い出したようにロアが言った。
「エルステッドは封神の旅の後、手記を残したらしいと聞いたことがある。今回のキーはその手記なんじゃないか?」
エルステッドの手記。それはフィレルも聞いたことのある話だった。
最愛の人、フィラ・フィアを失ったエルステッドは生涯、誰とも結婚しなかった。姫を守れなかった騎士たる彼は、その後悔を、一人だけ生き残ってしまったという十字架を背負いながら生きてきた。だが彼はそんな日々の思いを手記に残し、ある魔導士に頼んで保存の魔法を掛けてもらっていたという。その手記が眠る場所は——
「そうだっ!」
ぽん、とフィレルが手を打った。
「英雄の墓場だよ、覚えてる? フラックに挑む前に行った場所、英雄たちの魂の眠る場所! みんな見えてなかったみたいだけれど、僕、見えたんだよね。エルステッドの墓の足元に何かの本の一部らしきものが見えていたの」
最初は見間違いだと思っていたんだけど、と言いつつ、その目を輝かせた。
「それ、もしかしてエルステッドの手記じゃなぁい? 場所からしてもしっくり来るよ!」
かもしれないねぇ、とイルキスは頷いた。
「ならば前にたどった道を戻るだけだ。闇神さま、合ってるかい? 闇神さまなら手記の場所、知っていそうだけれど……今はこんな状態だからねぇ」
イルキスの問いに、鴉の姿から戻れない闇神は賛同するようにカアと鳴いた。
目指す場所は決まった。きっともうすぐでフィラ・フィアは目覚めることだろう。
フィレルはロアに背負われているフィラ・フィアを見た。
「目覚めてね……! 僕らさぁ、君がいないと目的を達成できないんだよぅ?」
眠ったままのフィラ・フィアにそっと、無言で蝶王が寄り添った。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.63 )
- 日時: 2019/10/29 12:30
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
辿ってきた道を戻り、円環の丘に到着する。中央の石碑を取り囲むように並ぶ、六つの石碑群。ロアが石碑に書かれた文字を読み取り、「エルステッドの墓はこれだ」と指し示す。その足元に——
「あった! 手帳みたいなやつ! これだよ、これじゃなぁい?」
フィレルがぴょんぴょん跳ねて興奮を示す。彼の差した地面には確かに、何かの本の青い表紙が見えた。フィレルはそれに近づいていき、せっせと地面を掘り返す。そしてそれは姿を現した。
読めない文字で書かれた表紙。しかしロアはその文字を読み取る。
「姫失いし騎士の記録——エルステッド・カルーディス。すごいな、フィレル。これはきっと本物だぜ」
その青い表紙の手記は、書かれてから千年以上の年月を経たのにまだ新しく、ざっと開いたページの文字は、まだ簡単に読み取れそうだ。ロアはフィレルの手から手記を奪い、高速でページをめくりながらもざっと内容に目を通していく。その黒いまなこが忙しなく動いた。ロアしか読めない昔の文字。イルキスも読めないことはないが彼はたどたどしくしか読めないからロアが読む。何故ロアがこの文字を読めるのか、その理由はいまだにわからないけれど。
やがて。
読み終わったのか、ロアは手記を閉じて大きな息をついた。
「……晩年のエルステッドはもう、英雄ではなくなったな」
それが彼の発した第一の感想だった。
「だが、フィラ・フィアを起こすキーとなるような言葉が見つかった。フィラ・フィアはシルークが好きだったが、エルステッドは純粋にフィラ・フィアを愛していた。ゆえに、だからこそ、出た言葉だ」
言って、ロアはフィレルに開いたページを見せ、そこに走り書きされたような一文を指し示した。そこに書かれていたのは——
「『さようなら、フィラちゃん。大好きだったよ』」
口に出して、フィレルは驚いた。今の言葉は誰のものだろう? ロアとは違い、フィレルにはこの文字なんて読めないはずなのに。フィレルの中には確かにその時代に生きたレ・ラウィの血が流れているけれど、血の繋がりがあると言うだけで、それで当時書かれていた文字を読み取れるなんて有り得ない。
しかし起こるべくして奇跡は起こる。
何か、硝子質の何かが割れるような甲高い音がした。
そして、
「う……ん」
ロアの背で、ずっと眠っていたフィラ・フィアが動き出す。
フィレルは歓喜の声を上げた。その時ちらりと手記を見たけれど、もうその文字を読むことはできなかった。
「やったやったぁ、フィラ・フィアが目覚めたぁっ!」
「……長い、悪夢を見ていたの。長い、長い、終わりのない、悪夢」
ぼんやりと、焦点の合わない眼をこすりながらもフィラ・フィアは呟いた。
ロアは背負っていた彼女をそっと、大地に横たえた。フィラ・フィアの瞳が心配げに自分を見る仲間たちの視線に気付き、少しずつ焦点を結んでいく。
その瞳がふっと蝶王の上に留まった。彼女はぼんやりと呟いた。
「シルーク……?」
「シルークはもういない」
「そう、そうよね……知ってた……わかってた、わ……」
蝶王の言葉に、フィラ・フィアは頷いた。
やがて、彼女は言う。
「ごめんなさい……起こして」
ロアが頷き、横たわったままの彼女の脇に手を入れ首を支え、その身体を起こしてやる。ありがとうと彼女は言った。錫杖の場所を探す様に目が動くと、ずっと錫杖を預かっていたイルキスがそれを彼女の手に握らせる。フィラ・フィアは頷き、錫杖を持ったままうーんと大きく伸びをした。錫杖についた鈴がしゃん、と鳴り、彼女の意識を正常にさせる。
そして、彼女は錫杖を支えに自分の力で立ち上がる。焦点のしっかり結ばれた瞳で、しっかりとした声で、言う。
「ただいま」
その声を、その言葉を。どれほど聞きたかっただろうか。
「皆には迷惑掛けたわね……。夢うつつの世界の中でも、そちらのことはぼんやりとわかっていたの。わたしは弱かったわ、ええ、本当に弱かった。でももう違うの、今度こそわたしは負けないわ!」
眠りから醒めて、悪夢から醒めて。希望の姫はより強くなる。
しゃん。強く打ちつけられた錫杖から、彼女の決意の音が鳴る。
「待たせたわね、みんな。わたしはもう大丈夫、大丈夫、だから……!」
彼女はぐるり、自分の信頼する仲間たちを見渡した。
「さぁ、行くわよ、もう一度! 最悪の記憶の遊戯者の神殿へ。今度こそ絶対に、負けないんだからっ!」
その時、英雄の墓場の石碑ひとつひとつに、不思議な輝きが宿った。その輝きの向こうに、ぼんやりとした人影が見える。フィラ・フィアはそれらを見、あっと驚いたような声を漏らした。
フィレルだって、イグニシィン城に飾られている絵で見たことのあるそれは、封神の七雄の亡霊のようにも見えた。かつて彼女と共に旅をして、そして散っていった英雄たちの。
「ユーリオ……ユレイオ……ヴィンセント……レ・ラウィ……エルステッド……シルーク……!」
ひとりひとりの名を呟き、彼女は泣き笑いのような表情を浮かべた。
「何……何よ。わたしが心配で現れてきちゃったってわけ? 心配性ねぇみんな……」
彼女はごしごしと目をこすった。
「でももう大丈夫だから。みんなは安心して眠ってなさいよ……わたしはもう、立ちあがれるんだから……」
言って、彼女は亡霊たちに背を向けた。フィレルの視界の端、イルキスがフィレルにしかわからないようにウィンクしたのが見えた。あれはイルキスがフィラ・フィアを元気づけるために作りだした幻影らしい。彼女には内緒でね、とイルキスが口の形だけで言った。
行くわよ、とフィラ・フィアが言い、そのままずんずん進みだす。イルキスは幻影を消したけれど。
何故だろう、それでも気配らしきものが、残っているのは。
もしかしたら、遠い昔に死んだ英雄たちの霊が、今も尚この地に、英雄の墓場に、留まっていたのではないだろうか。そうフィレルは考え、不思議な気持ちになった。そうやって佇んでいるフィレルに、置いていくわよとフィラ・フィアの声。ずっと持っていたエルステッドの手記を元あった場所に戻し、待ってよぅとフィレルは慌てて追いかける。
希望の子、再び立つ。
封神の旅は、終わらない。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.64 )
- 日時: 2019/10/31 14:39
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
フィラ・フィアの心を取り戻し、再び最悪の記憶の遊戯者の神殿へ向かう。トレアーの港町へ戻り、イルキスの案内に従って、地下牢獄の先の先へと。イルキスしかわからない、迷路のような道を進む。しかしそこを歩く一行の顔は初めてそこを歩いていった時よりも、ずっとずっと晴れやかだった。特にフィラ・フィアは、憑きものが落ちたような顔をしていた。
そして扉の前に立つ。前回はこの扉を開けた時、フラックの不意打ちを食らいフィレルの最悪の記憶が呼び起こされたのだ。覚悟して扉を開けなければ、前回と同じ轍《てつ》を踏む。
「でも、大丈夫だから。今度も僕が先に行くよ!」
言って、フィレルがドアノブに手を掛け、開けた瞬間。
——鴉の鳴き声が、した。
そして予想していた悪夢の波動は、誰にも届くことがなかった。
軋んだような声、悔しそうな声が響き渡る。
「闇神ヴァイルハイネン! また人間に味方しおったか!」
「それが俺の性だからな」
不敵に笑い、鴉は人間の姿になる。
闇よりも黒い髪、血のように赤い瞳、褐色の肌。赤いマフラーをし、濃い灰色を基調とした地の上に赤い模様が交差する意匠の服を身に纏い、漆黒のマントを上に羽織る。
人間ではないと一瞬でわかる、圧倒的な存在感。
「闇神ヴァイルハイネン、今ここに復活す。時間はあった、その間に傷を癒すことはできた。そしてフラックの精神攻撃は俺には効かぬ」
行けよ、と彼は背後にいる仲間たちを見た。
「この下衆野郎の精神攻撃は全て俺が食い止めよう……。物理攻撃はそこの剣士が防げるな? ならば封神の姫はそのまま奴を封じろ。大丈夫だ、この俺が人間の味方をしている限り、人間側に敗北はあり得ない」
「貴……様ァッ!」
じゃらん、じゃらん、と鎖を鳴らし、骸骨が怒りをあらわにする。かつてその鎖の音は、人間にトラウマを思い出させる狂気の音だった。しかし今、その音を聞いても。心の内にトラウマは蘇らない。
フラックの前に立ちふさがる闇神の背が、とても大きく見えた。
行けよ、と彼は不敵な笑みを浮かべ、背後を振り返る。
「俺だってまだ完調じゃないんだ、いつまで持つかわからんぞ?」
「はい、行きます!」
頷き、フィラ・フィアはステップを踏む。舞の魔法が発動し、足元には輝く魔法陣、彼女の周囲には虹色の鎖が生まれ、少しずつ実体を得ていく。それを防がんとフラックの鎖が暴力となって飛ぶ。ロアの剣が鎖に巻かれ、持っていかれそうになるが。
「僕のこと忘れてなぁい? 燃えちゃえ!」
フィレルの描いた炎が実体化し、それどころではない状況を作りだす。フラックは炎を避けるために、鎖による拘束をやめざるを得なかった。ありがとなとロアが礼を言うと、当然でしょとフィレルは笑う。
その片隅で蝶王が、小さく呪文を唱えていた。魔性の声ではなく、通常の声で。その隣でイルキスが幻影を紡ぎだし、ふたり顔を見合せにやりと笑う。
次の瞬間。
「さぁ、行け!」
イルキスの掛け声と共に現れた、雲霞《うんか》の如き蝶の群れ。蝶王の蝶は猛毒だ、下手に触れれば骨さえ腐る。フラックの焦ったような声。フラックは鎖で撃ち落とそうとするが、何分数が多すぎて、対処しきれるはずもなく。
そして蝶が触れた場所の骨が、毒々しい赤紫色に染まった。フラックは痛みに悲鳴を上げる。
「ぐぅ……ッ! 蝶王……めェ!」
そうやってひるんだ隙に、虹色の鎖は完成する。しゃんしゃんしゃんと、錫杖の清浄な音が空気を凛としたものに変えていく。
思いを込めて、願いを込めて、フィラ・フィアはその言葉を口にする。
「封じられよ! 最悪の記憶の遊戯者、フラック……ッ!」
虹色の鎖が回転し、骸骨の身体に巻きついた。フラックは抵抗するような仕草を見せたがそれも意味なく。
強い光が満ち溢れ——気が付いたら、そこにはもう、骨の骸骨の姿はなかった。
深い闇を湛えた黒曜石が、ただその場に在るだけで。
「——最悪の記憶の遊戯者フラック、封印完了」
勝利宣言のようにフィラ・フィアは言った。
「長かったわ……。でも、ようやく勝てた。みんなのお陰よ? ありがとう」
じゃあ、俺は帰るぜと闇神は言った。
「人間への過剰干渉は神々に罰せられかねない。俺が手伝ってやれるのはここまでだ。残る神々は、お前たちで何とかできるだろう。俺は信じる、人間の可能性を」
時に、ロア——と、彼はつとその目を細め、ロアを見た。
「忠告しておこう。霧の神セインリエスには関わるな。何度もお前たちの旅を邪魔してきた、自殺志願のあの神様だ。関わると碌なことにならない。幸せな生活を維持したいなら、あいつの言葉に耳を貸すな」
あいつは嘘を言わないけれど、と彼は言う。
「だが、残酷な真実というのもあるものなんだ。ロア、いくら気になっても、お前は自分の過去を知ろうとしちゃいけないぜ。真実を知ったら最後、お前は二度と戻れなくなる」
不吉な言葉を残し、じゃあなと彼は赤眼の鴉に姿を変えて、飛び去った。その姿が途中でかき消すようにいなくなる。
最悪の記憶の遊戯者には勝ったけれど、消えないもやもやが残る結果となった。
ロアの過去とは一体どんなものなのだろう? 闇神は全て知っているようだけれど……。
フィレルはそっとロアを見た。ロアは複雑な表情で黙り込んでいた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.65 )
- 日時: 2020/06/25 00:00
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: lDBcW9py)
◇
「残る神々は、戦呼ぶ争乱の鷲ゼウデラでしょ、生死の境を暴く闇アークロアでしょ、運命を弄ぶ者フォルトゥーンでしょ、無邪気なる天空の破壊神シェルファークでしょ……っと。あと四体! あと少しで封神の旅は終わるわ!」
トレアーの町にて。次の目標を確認するために、フィラ・フィアは数を数えていた。
長かった封神の旅も折り返し地点を過ぎた。あと少しなのだ、あと少しでこの旅も終わるのだ。
そう思うと不思議な気がした。フィレルの過ちから始まった長い旅が、もうすぐ終わる。
終わったら、みんなでまた笑い合えるだろうか? 結末はまだわからないけれど……。
地図と睨めっこしていたフィラ・フィアは、うん、決まったと声を上げた。
「次に目指すのはここ、オルヴァーンの町よ。そこに運命を弄ぶ者フォルトゥーンが、いるの」
彼女は地図の一点を指し示した。そこはトレアーよりも東にある、海沿いの町だった。
「フォルトゥーンは神殿にやってきた人に『ゲーム』と称した拒否権なしの遊びを仕掛け、『ゲーム』に勝った人の願いは何でも叶え、負けた人の一族を本人もろとも『ペナルティ』と称して皆殺しにしてきた。。かつて彼は神殿の来訪者にだけ『ゲーム』を仕掛けていたけれど、それだけでは飽き足らず、いつの間にか、まったく関係のない他者にも同じことをするようになった。そして彼のお陰で世界の均衡は乱れに乱れ、智神兼秩序の女神であるアルアーネが奔走したけれど放埒は止まず、双子の姉である運命神ファーテの言葉も聞かず、と」
危険な神様よ、とフィラ・フィアは言う。
「正攻法は通じない。『ゲーム』に勝ちさえすればいいけれど、負けたら問答無用で全てが終わる。一族諸共ってことは、フィレル、負けたらあなたの大好きな兄さんも殺されるわ。相手の盤面の上で、確実に勝利をつかまなければならない……。そもそも何が来るのか予想すらできないけれど、覚悟を決めてやるしかないわね」
◇
トレアーの港町に別れを告げ、次の町へ、オルヴァーンへ。
舗装された灰色の道を歩く道すがら、彼らの前を不意に白い影が遮った。
「やあやあ久し振り……。ヴァイルハイネンが余計なこと言ってくれたみたいだけれど、私は気にしない。また気紛れに現れるだけさ」
白の、ボサボサの長髪、冷たく澄みきった印象を与える蜜色の瞳。白のローブを身に纏い、足には白のサンダルを履いた、どこか儚げな印象を与える男。
フィレルはその名を呟いた。
「霧の神様……セインリエス!」
これまで散々、ロアの過去を強引に暴き、ロアの心をかき乱した存在。出会った当初はフィレルは相手を「敵か味方かわからない」と思っていたが、今は違う。彼のせいでフィレルの大切な親友が、幼馴染が傷つけられたのだから、セインリエスは敵である。
きっと鋭い視線で自分を睨むフィレルに、嫌われたものだねぇとセインリエスは眉を上げる。
「私はこれからしばらく現れる予定はない。そうだね……次に現れるとするならば、私を殺してもらう時かな? だから挨拶しに来たんだ。そして、ひとつ、お土産を」
言ってセインリエスは蜜色の瞳でロアを見た。途端、ロアががくりと膝をつく。まただ、また何か、セインリエスはロアに対してやったのだ。覗きこんだロアの瞳の奥には、これまで見たことのなかったような、深い深い虚無が宿っていた。
「お前ッ! ロアに何をしたんだよッ!」
叫ぶフィレルに、返してやったのさと飄々とセインリエスは言う。
「残る二つのパーツの一つ、底知れぬ喪失感を。最後のパーツは最後に返そう。そうでないと面白くないからね」
底知れぬ喪失感。そう言えばロアには、ノアという大切な人がいたらしい。その人を無残な方法で殺されたらしい。そしてノアを殺したのは神々らしい、だからロアは神々を憎んでいる、とまではフィレルも何となく予想出来ている。今、セインリエスが返したのは、その時ロアが抱いていた感情だ。大切な人をこれ以上ないほど無残な方法で殺された時の——。
ちらり、振り返ったロアは震えていた。いつも強かったはずのロアが、いつも最前線でフィレルを皆を守っていてくれたはずのロアが、こんなにも弱々しく。それくらいひどい出来事だったのだ。そんなことが、誰も知らない過去にあったのだ。
大丈夫だよとフィレルは囁き、弱い力で精いっぱい幼馴染を抱き締めた。ロアの冷えた体温が伝わってくる。ロアの顔は蒼白だった。
大丈夫だよとフィレルは繰り返した。
「過去になんか囚われないで。僕がいるよ、兄さんがいるよ、フィラ・フィアがいるよ、イルキスがいるよ」
『そして我もだ』
「魔性の声」で蝶王が言った。彼の声は魔法となってロアの耳に届く。
『旅人を惑わす霧に目を向けるな、霧の彼方から聞こえる誰とも知らぬ声に耳を傾けるな。霧の向こうにそなたの大切な人はいない。霧に目を向けるのをやめ、今自分の近くにいる仲間たちを意識しろ。そなたは霧の世界の住人ではない。現実に戻って来い——ロア』
蝶王の声に、言葉に、ロアの震えは止まる。でも瞳の奥に宿る恐怖は消えなくて。そんな幼馴染を失いたくなくて、フィレルは強く強く、しがみ付くようにロアを抱き締めた。
感心はせぬな霧の主、と蝶王が厳しい声を投げる。
「最悪の記憶の遊戯者フラックでもあるまいし、他者の封じられた記憶を暴くことに何の意味がある? 自殺志願ならば兄神にでも殺してもらったらどうだ。風の神ガンダリーゼなら、兄弟を害したお前を許しておくま……」
「——ふざけるなただの虫風情がッ! お前に何がわかるッ!」
蝶王の言葉の何かに激怒し、セインリエスは水滴を集めた刃をその場で作りだし、蝶王に向けて振るった。だが、させないとばかりに何かが防ぐ。金属音、そしてきらめく剣の金属質な輝き。
「……お前なんかに、傷つけさせやしない」
一切の感情を感じさせない極低音の声で、ロアが言葉を発した。彼が咄嗟に剣を抜き、蝶王を守ったのだ。
心配掛けて悪かったなと、同じ声で彼はフィレルに言う。
「今まではわからなかった。過去を知りたい気持ちと知ってはならないという理性がオレの中でせめぎ合っていた。オレの中ではこの霧の神が敵か味方かいまだ判別がつかなかったが——仲間を傷つけようとしたのならば話は簡単、お前は敵だ」
言って、その刃をセインリエスに向ける。
いつもの態度を取り戻したセインリエスが、薄ら笑いを浮かべる。
「そうか、君はそうだったね。下手に記憶を返すより、そうした方が怒るんだ。ようやくわかったよ」
「……さっさと失せろ、そして二度と現れるな」
「生憎と、最後の言葉には従えないねぇ」
笑い声を残しながら、セインリエスの身体は霧となって空気に溶けていった。
それを見届け、ロアは剣を仕舞ってふうっと大きく息をつく。大丈夫、と駆け寄ったフィレルに、不器用な笑みを返してみせる。
「ああ、大丈夫さ。余計な記憶なんかに、負けてたまるか。オレはロアだ、イグニシィンのロアなんだよ。それ以外の記憶なんて要らない。過去がどうだろうが知ったことか」
助けてくれてありがとな、とフィレルと蝶王に礼を言い、彼は呆然と立ちすくむフィラ・フィアを見た。
「で? 行くんだろ、オルヴァーンへ」
ええ、と頷き、フィラ・フィアは歩き出す。
微妙な空気の中、旅は進む。
◇