複雑・ファジー小説
- Re: 魂込めのフィレル ( No.6 )
- 日時: 2019/04/26 07:27
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
【第一部 旅立ちのイグニシィン】
【第一章 イグニシィンの問題児】
「わぁわぁ逃げろ逃げろーっ!」
「おいコラ待て、走り回るなーっ!」
逃げ回る茶髪の少年を、呆れたように黒髪の少年が追いかけ回す。
イグニシィン城は今日も平和だ。いつも通りの風景の中、あっはっはと茶髪の青年が笑い声を上げる。
そんな青年に、黒髪の少年は文句を垂れた。
「ファレル様も笑ってないで、弟の教育くらいしっかりして下さいよっ!」
「無邪気なのはいいことじゃないか。うん、子供はそれくらい元気にしていないとね」
「ファレル様はあいつに甘すぎますっ!」
憤慨する黒髪の少年を見て、青年は面白そうに笑う。
そんな二人を眺め、茶髪の少年は元気よく飛び跳ねた。
「やっほぅ、兄さんはそれでいいって言ってるよ! だからロアもそんなに怒っちゃ駄目なんだよーっ!」
「……何だろう。フィレル、貴様に言われるとすっごく腹立つのだが」
ロアは、この日何度目かになる溜め息をついた。
大陸国家シエランディアの辺境に、イグニシィンという土地がある。そこを代々治めるのがイグニシィン家で、ファレルはイグニシィンの領主、フィレルはその弟にあたる。ロアは城の前に倒れていたのをファレルが拾い、以来、イグニシィンの一員としてこの城に住まうことになった。
かつてはイグニシィンもそれなりの貴族の家だったらしい。正確に言えば三千年前の英雄の、その子孫の家である。けれどここ三百年ずっと起きている戦乱のせいで少しずつ勢力を失っていき、今は「落ち目のイグニシィン家」と呼ばれるほどの貧乏っぷり、城を保つために働いているメイドもたった二人になり果てた。
隆盛を誇っていた時代に小さかった城は大きく改築されたが、衰退の一途をたどっていくうちに城のあちこちが崩れ落ち、今まともに人が住めるのは、一部の生活空間だけという有様。二人のメイドも、たった二人だけではこの広すぎる城を維持することなどできず、辛うじて城の住人に必要最低限の世話だけをする、という事態に。そんな彼女らに貧乏領主ファレルはなけなしのお金を払って、辛うじて城に留まってもらっている。広かった領土も今や猫の額ほどになってしまい、そこからは大した収益など望めやしない。
そんな「落ち目のイグニシィン家」だけれど、漂う空気は意外にも明るく、楽しげだ。イグニシィンの次男坊フィレルは明るく無邪気な性格で、頻繁に問題を起こす割には可愛がられていた。その明るさや無邪気さによって、城の中にまで彼の楽しげな空気が伝わってくるのだ。だからこの次男坊のことを、悪く言う人物は少なかった。
その数少ない例外の一人がロアである。戦災に巻き込まれて孤児となり、記憶を無くし、ファレルに拾われ、ファレルに忠誠を誓うようになったこの少年は、なんとフィレルのお目付け役に任命された。ファレルの命令なので当然逆らうわけがないロアだったが、お目付け役となった初日でフィレルの腕白ぶりに閉口することになった。家の中を走り回っては花瓶を倒し水をぶちまけ、町を走り回っては何か問題を起こして人や動物に追いかけられ、泥まみれで帰ってくる。それでロアに怒られればその日はしゅんとしてこそいるが、次の日にはまた同じことをやっている。極めつけは、彼の生まれ持った天才的魔法の才、「絵心師」であった。
「ねぇねぇ、ロア! 僕ってば、すごいんだよーっ!」
そう言って、訝しがるロアの前で絵を描いてみせた十歳のフィレル。彼は絵の具と絵筆を巧みに使い、キャンバスに瞬く間につやつやと美味しそうなリンゴを描いてみせた。それだけでも大したものだとロアは感心したが、それだけでは終わらなかった。
フィレルはキャンバスに描いたリンゴに手を触れた。悪戯っぽい緑の瞳がきらきらと輝く。
そして、その次の瞬間。
キャンバスが光を放ち、描かれた絵が実体化したのだ。
先程までリンゴの絵が描かれていたキャンバスは真っ白になり、その上には描かれた通りの、つやつやした美味しそうなリンゴが現れていたのだ。
驚きとともに、ロアは問うた。
「……これ、本物か?」
「もっちろーん! 疑うならば食べてみなよ。おいしいよーっ!」
笑ったフィレル。
半信半疑で、ロアはリンゴを手に取りかぶりつく。リンゴの果汁が彼の顎を垂れた。
彼は目を見開いて、フィレルを見た。
「どう? おいしい?」
にこにこと笑うフィレルに、
「……うまい」
ロアは目を見開いたまま、そう答えたのだった。
以来、フィレルはこの力を自由に使い、様々なことをしでかすようになる。
わかったのは、彼は自分の描いた絵を実体化するが、自分ではない誰かの描いた絵や、印刷物ですら実体化できるということ。そして彼が絵を実体化させると、実体化させた対象があった部分は真っ白になり、残された絵は一部分がまるで穴でも空いたかの様に真っ白になること。そして当然、そうなってしまった絵に絵としての価値などなくなる。フィレルは城にある絵画から勝手に絵を取り出してあちこち“白く”し、流石のファレルもそれにたまりかねて、フィレルを叱ったものだった。貴重な絵もあるのだ、当然のことだろう。
家で怒られてもフィレルはめげない。すると今度は町に出かけて、食べ物屋の看板を“白く”する。そして気づいた人に怒られて追いかけられる。一応謝るが反省はしない。そんな毎日の繰り返しだった。
そんなフィレルに武術を教え、勉強を教えるロアの苦労は計り知れない。ロアは一部記憶喪失だったが、武術の才と勉学はあった。彼はファレルにお願いされてフィレルにそれらを教えていったが、それのなんと難しいこと! 教えられている時に勝手に船を漕ぎだす、隙を見てすぐに逃げ出す、武術の為の木剣を渡せば、気が付いたらそれを持って鶏を追い掛けて笑っている。その腕白さにロアは辟易した。だが、恩人の頼みとあっては断るわけにもいかず。
「……オレの教えたことが、全て馬の耳に念仏状態になっている気がするのだが」
ロアの言葉も最もであろう。
さてさてそんなフィレルであったが、絵の才能だけは文句なしにうまかった。彼は問題を起こすと必ず自分の描いた絵をお詫びに差し出した。それのクオリティたるや、本物かと見まごうほどである。絵を台無しにされた人はそれを見て、フィレルへの怒りを治めるのであった。
ロアはフィレルに歴史も教えた。フィレルは普段、ロアの授業などまるで聞いていないのである。けれど一つだけ、よく聞いていた話があった。それは三千年前の英雄の話だった。
物語の名は、「封神綺譚」。神々を封じるために旅立ち、旅の果てに命を散らした王女と六人の仲間の物語。それはあまりにも悲しい結末で終わり、シエランディア歳大の英雄譚にして最大の悲劇として知られている。その話をロアがした時、フィレルは珍しく真面目に聞いていた。
話が終わった後、ぽつりと呟かれた一言。
「……王女さまは、幸せだったのかなぁ」
その言葉が、印象的だったとロアは思った。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.7 )
- 日時: 2019/04/28 23:18
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
そして変わらぬ毎日が今日も訪れる。フィレルの足音で城中が目を覚まし、騒がしく一日が始まる。
「ハッピーバースデートゥーミー、生まれて良かったぁ!」
その日はフィレルの誕生日だった。彼は「これで好きな物を買っておいで」とファレルにお金を渡されて、にこにこ笑って出かけていった。大喜びで飛び跳ねるフィレルを「待てよ、待てったら!」と必死で追いかける。ロアの苦労人っぷりも板についてきた。
「やったやったぁ、何買おう、何買おう?」
「散財し過ぎるなよ? もらったお金だからって全部使い切るなよ?」
「いーじゃん、いーじゃん。僕の誕生日だし、別にいーじゃん!」
「…………」
ロアは、自分が財布を持っていて良かったと心の底から思った。
フィレルは元気よく飛び跳ねる。その無邪気な姿を見、領民たちはにこにこと笑う。この厳しい世界にあっても、いつもいつだって笑っているフィレルは、確かに皆の心を明るくした。今日がフィレルの誕生日だと思いだした領民たちは、フィレルに何かプレゼントしようとあちこち家を探しまわる。間もなく、ロアの腕はフィレルへのプレゼントでいっぱいになった。フィレルは大はしゃぎしながらも食べ歩きをしたり、怪しい変な物を買おうとしてロアに引っぱたかれたりした。
そんなこんなでいつの間にか渡されたお金も残り少なくなり、ロアの合図でフィレルらは帰ることになった。名残惜しげなフィレルにロアは言う。
「……長時間、ファレル様を一人にするつもりか?」
「あ……それは嫌だぁ」
ロアの言葉に頷いたフィレル。兄の話題を出すと素直である。
フィレルの兄ファレルは心優しい領主さま。しかし彼は病弱で、城の中からは滅多に出てこない。城の中でこそ割と気ままに歩いているけれど、余程のことでもない限り外へは出ない。昔は違ったのになぁとフィレルが寂しそうな顔をして、ごめんよと困ったような顔を浮かべていたファレルを、ロアは見たことがある。
二人して歩いて、城に帰る。城の門の前、門番はいない。門番さえ雇う余裕がない貧乏貴族。メイドを雇うだけでも精一杯だ。何かあった場合、武術の心得のあるロアが皆を守る。
ロアは記憶喪失だ。戦災孤児らしく、イグニシィンの城の前に倒れていたところをファレルに拾われ、やがて家族として迎えられるようになった。そんな彼には、ファレルに拾われる前の記憶がない。「……何か、絶対に忘れてはならないことを忘れている気がする。そして自分が最も大切にしていた存在を、誰かによって殺された気がする。胸の内には喪失感が巣食っているんだ」と彼は語ったが、その過去はいまだ謎に包まれたままである。そしてその過去を明らかにして良いのか、それはわからない。ロアは己の過去を解き明かすことを望んでいたが、ファレルはそれに否定的だった。
「ただいまぁ」
「ただいま」
二人して大扉を開け、城の中に入る。
帰ってきた二人を、茶髪に桃色の瞳をした、メイド服の少女が出迎えた。城に二人いるメイド、リフィア&エイルのリフィアの方だ。エイルは青い髪に赤い瞳という、異様な外見を持つ。
リフィアはくりくりした目を悪戯っぽく輝かせてロアに話しかけた。
「お帰りなさーい。……って、ロア、またまた荷物持ちぃ? いつも大変ねぇ」
「余計な御世話だ。リフィア、たまにはオレと代わってくれないか? コイツのお守りは本当に疲れる」
「あたしは別に構わないけれど、ロアには代わりに家事やってもらうことになるわよ。家事なんてやったことのないロアにあたしの代わりが務まるのかしら?」
「……やれやれ」
ロアは溜め息をついた。
リフィアと呼ばれたメイド服の少女は勝気な笑みを浮かべる。
「そんなわけで、ロアはずっとフィレルのお守りね。
そしてフィレルーっ! お誕生日、おっめでとーっ!」
彼女が笑いかければ、うん、と元気よくフィレルは頷く。
「リフィアもありがとーっ! あのね、後でね、兄さんとお話しするんだよーっ!」
笑いながらもフィレルは城の正面階段を駆け上がる。そこを進めば彼の部屋にたどり着く。そんな様を眺めつつ、ロアは持たされた荷物を置きに、リフィアに別れを告げてからゆっくりと動き出した。
正面階段を上ると、階段は途中で左右に分かれる。その回廊には「封神綺譚」に出てくる伝説的な人物たちの絵画が飾ってある。実はイグニシィン家は「封神綺譚」の七雄の一人レ・ラウィの子孫であり、その関係で、「封神綺譚」関係のものが数多くあるのだ。
飾ってある絵画は、レ・ラウィの息子ラキが、エルステッドから話を聞いて描いたものらしい。彼は伝説の時代には生きておらず、話だけを聞くしかなかった。けれど話を聞いただけで、本物そっくりの絵を描き出した。フィレルの絵の才能はラキから来たのかもねといつしかファレルが話していたこともある。
英雄の、子孫。
七雄の内、唯一子を遺していた英雄レ・ラウィの子孫。
それがイグニシィンの正体なのだ。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.8 )
- 日時: 2019/04/30 09:56
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
飾られた絵を遠目で見つつ、ロアは階段へ歩を進めようとした、
時。
彼は見てしまった。
飾られたフィラ・フィアの絵。美しい王女の絵に、フィレルがその手を伸ばしているのを。
フィレルの手は魔法の手、描かれた絵を実体化させる奇跡の手。その手が目の前の人物画に伸ばされている、意味。
それに気が付いたロアは戦慄した。——フィレルは禁忌を犯そうとしている。
「やめろこの馬鹿ッ!」
叫び、荷物を放り出してフィレルを止めようとしたが時既に遅く。
フィレルが触れた絵画が、虹色の輝きを放った。
その瞬間、飛んできた衝撃波。「フィレルッ!」叫び、ロアは咄嗟にフィレルを庇うように抱きしめて、代わりにしたたかに地面に背中をぶつけた。「わわわっ、ロア、大丈夫!?」と慌てたようなフィレルの声。「問題ない」答え服の埃を払ってから立ち上がる。
虹色の光。輝いた絵画。その光がおさまった時、絵画の目の前に立っていたのは、
「わぁ、ほんとーにいたんだねっ!」
「……嘘、だろ?」
古の王女、悲劇の英雄、『崇高たる舞神』フィラ・フィアだった。
彼女の肖像画は、彼女の絵があった場所だけ、異様な空白を晒している。
そして目の前に立っていたのは、右手に鈴の付いた錫杖を握った、本物の、
「——フィラ・フィア?」
「そう、それがわたしの名前」
目の前に立つ、踊り子風の衣装を身に纏った少女は頷いた。
彼女は手に握った錫杖をしゃんと鳴らす。
「知りたいの。ここはどこ? 今はいつ? わたしは死んだわ、確かに死んだの。なのにどうして生きているの。わたしは生まれ変わったの? 何が起こっているの? ああ、全然わからないわ」
ロアはかつてないほど厳しい顔で、フィレルを睨んだ。
「……貴様、禁忌を犯したな」
絵心師は描かれたものを取り出して、現実世界に召喚することができる。そんな絵心師には、絶対に犯してはならない禁忌があった。それは、人物を取り出すこと。
人物を取り出して、もしもその人物が実在の人物であり、今も生きているとするならば対象は、自身を取り出した絵心師のもとへ自動的にワープする。対象がもしも死者である場合は、死んだはずの者が復活するという異常現象が起こる。ただ、取り出した対象が架空の人物である場合は何も起こらないだけで無害なのだが……。
現実。絵画から取り出された古の王女フィラ・フィアは、今こうして目の前で喋り、生きているのだ。
それは、フィレルが禁忌を犯した証拠。
フィレルは困ったような顔をして、目の前の王女に手を差し出した。
「えーとねぇ、初めまして? 僕はフィレルぅ! 絵心師っていうさ、すごい特殊魔導士なのね。よっろしくぅ!」
「……フィラ・フィア・カルディアルトよ。ところで、どなたか状況を説明してくれないかしら? シルークは? エルステッドは? ヴィンセントは? レ・ラウィは? ユーリオとユレイオの双子は? みんな何処に行ったの? どうして私だけが生きているの」
混乱する王女を見て、ロアは溜め息をついて答えた。
「……王女よ。絵心師って知っているか?」
ロアの質問に、フィラ・フィアは頷いた。
「少しなら聞いたことがあるわ。描いた絵を実体化させる特殊魔導士。自分の描いた絵だけでなく、他人の描いた絵や印刷物まで実体化させる。それがどうしたのかしら?」
「……このフィレルがその絵心師だ。それでだな、王女。あなたの絵はちょうど……」
言いかけて、彼は一部が異様に白くなった、肖像画だったものを指し示した。
「ここにあった。つまりは……」
「わたしはこの絵に描かれていた。それをこの少年が取り出した。それで解釈は合っているの? それって禁忌なんじゃないの?」
頷いたが、彼女は納得のいかない顔だ。
ああ、とロアは答える。
「それで合っている。でも、禁忌すら堂々と破るのがこのフィレルという奴なんだ……」
頭が痛いぜ、と彼が呟いた時。
「どうしたんだい? みんな集まって。……おや、その女の子は?」
優しい碧の瞳に不思議そうな表情を浮かべて、イグニシィンの当主、ファレル・イグニシィンが現れた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.9 )
- 日時: 2019/05/02 05:43
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「……成程、ねぇ。ふーん、そういうこと」
話を聞いて、彼は大きなため息をついた。
「そもそも聞きたいんだけれどさ。フィレル、君はどうしていきなり禁忌を犯したんだい」
彼の碧の瞳は優しいけれど、それは笑ってはいなかった。
兄を見てフィレルはしゅんとうなだれる。
「あのね、ロアの話してくれた物語、とっても面白かったんだ。それでね、もしも彼女たちが実在するならば直接会ってみたいなって」
「……下らない好奇心で、あなたはわたしを呼び起こしたの。へー、そういうこと」
フィラ・フィアは三白眼でフィレルを睨む。
フィレルは困った顔をして、兄の後ろに隠れた。しかしファレルはそれを許さず、さっとその場から退いてしまう。途方に暮れたような顔のフィレルの頭をロアが小突き、フィレルはまたまたうなだれる。
「後悔するようならば、最初からしなければいいものを」
ロアの言葉も最もであったが。
フィラ・フィアは皆に問う。
「状況整理するわ。今はわたしが神々を封じていた時代からかなりの時が経ち、わたしたちのことは伝説として語り継がれているレベル。わたしの時代に生きていた人たちはとうの昔に骨となり、今はもう誰もいない。わたしの六人の仲間——記憶にある限り、わたしが死ぬ前までには二人残っていたはずなんだけれど——も、当然ながらもういない。要は」
その赤の瞳に、寂しさのようなものが宿った。
「わたしは、この世界に、ひとりぼっちなのね」
三千年も時が過ぎれば、よく見知った土地も人も、異世界のものとなり果てる。この世界で彼女が知っているものなど、わかっているものなど、せいぜい魔道原則や神々くらいか。魔導士の種類だって少しずつ増えている。三千年の間にどれだけ増えたか? それすらも追い切れない。
あんまりよ、と彼女は顔を覆った。
「ええ、あまりにもあんまりだわ。せっかく冥界の底でたゆたっていたのに。心残りは確かにあったけれど、それでもわたしは死んだの、死んだのよ。それなのに、ただの好奇心で勝手に眠りから起こされて、全く知らない異世界に放り込まれるの? ……返してよ。わたしに平穏を返しなさいよこの馬鹿ぁっ!」
彼女はフィレルの胸倉をつかみ上げた。
その赤の瞳には、凄まじいほどの怒りが燃えている。
「いったいどうしてくれるのよ! 責任取りなさいよねあなたっ!」
「え、でもどうすれば……」
「そんなの自分で考えれば! どうしてわたしが考えなくちゃいけないのっ!?」
怒り狂うフィラ・フィア。その怒りももっともだと思うから、流石のファレルも彼女を止めない。
はぁ、と彼は二度目の溜め息をついた。
「人間好きな闇神さまがこの様を見たら笑うだろうねぇ。人間はなんて愚かな種族なんだ、ってさ。僕だって怒る時は怒るよ? ああフィレル、君は決してしてはならないことをしたんだ」
その呟きを聞いて、
ふと、フィラ・フィアの目が細められた。
彼女はフィレルの胸倉を掴んでいた手を離し、ずんずんとファレルに近づいた。咳き込むフィレルは放置して、彼女はファレルに問い詰める。
「待って。あなた今『神さま』って言った? それで思い出した、思い出したわ! わたしはかつて、神様を封じる為にこの世に生まれたの。でもね、わたしが戦神の神殿で倒れた時、封じ切れていない神様はまだたくさんいたんだ! わたしにはまだ使命があるっ!」
教えて、と彼女は真剣な瞳でファレルを見た。
「あなたがこの一団のリーダーであり、最も智恵ある人物だとわたしは踏むわ。そこで聞きたいのだけれど、今、『荒ぶる神々』はいるの? いるとしたらどの神様? 教えて、いいえ、教えなさいっ!」
かつて彼女は使命を完遂できずに命を散らした。
彼女は一度死んで生まれ変わった後でも、その強い使命感が変わることはなかった。
ファレルは真剣な彼女の瞳を見、一生懸命に記憶をたどる。
「えーとねぇ、確か……」
彼は「悲しみに見境を失った風神リノヴェルカ」、「虐殺を愛した死の使いデストリィ」、「運命を弄ぶ者フォルトゥーン」、「最悪の記憶の遊戯者フラック」、「死者の王国の主ライヴ」、「生死の境を暴く闇アークロア」など、いくつかの名前を挙げた。そして……戦神ゼウデラ、さ、と付け足した。
「ええと、確かねぇ。三千年前に比べれば被害はおさまったけれど、彼らは今もまだ一部地域で甚大な被害をもたらしているそうだよ。彼らの支配域には誰も住まなくなってしまった」
「……そう」
フィラ・フィアはきっと顔を上げた。その赤い瞳に強い意志が宿る。
彼女は握った錫杖をしゃん、と鳴らした。動きを確かめるように軽く舞い、自分の周囲で魔力が膨れ上がったのを感じ取る。
「……力は変わってない、まだ戦えるわ。ならば」
呟き、彼女は宣言した。
「わたしのやり残したことで子孫たちが傷付いているのならば、それを救うのが『希望の子』の使命。こうして蘇ってしまった以上、これはわたしの仕事だわ。わたしは封神の旅に出る!」
けれどわたし一人では自分の身を守れないから、と、彼女はフィレルを見た。
その赤い瞳に射すくめられ、フィレルは「な、何?」と上ずった声を上げる。
フィラ・フィアは力強く笑った。
「責任取りなさいよねあなた。あなたにはわたしの旅についていってもらうわ。文句はなし。あなたがわたしを起こしたんでしょう? それくらいはしてもらわないとね」
でも、と思わずフィレルは言ってしまった。
彼は知っているのだ、ロアから聞いたのだ。
荒ぶる神々は仮にも神、そう簡単に何とかできる存在ではないと。フィラ・フィアたち『封神の七雄』でさえ何度も手こずり、その戦いの中でたくさんの仲間を失ってきたのだと。
もしも全ての神を封じることができたとしても、その旅についていったら最後、フィレルが生き残れる可能性は少ない。そしてそれはフィレルの愛する兄を悲しませることになるのだと、彼はよくわかっている。ファレルは家族を失うことに関してとても敏感で、フィレルに過保護な理由の一端もそこにある。
フィレルは兄を見た。ファレルは難しい顔をして黙りこんでいた。
けれど、この大事件を起こしたのはフィレルだ。当然ながら、何もなかったようにするわけにはいかず。
わかった、行くよと真剣な声で言おうとした刹那、
「……ったく、手のかかる坊やだよなぁお前は」
呆れた顔をしながらも、ロアがフィレルの隣に立った。
その意味するところは。
「……ロア?」
「仕方ない、ついていってやる。王女様もフィレルも武術なんてからっきしだろう。誰かが前衛として皆を守らなければ、序盤で全員死亡ルートだぜ。そんなのごめんだろ?」
オレはイグニシィンで一番の剣の使い手だからな、と、彼は誇らしげに胸を張った。
「オレならば、守れる。オレならばその運命を変えられる。だからオレも行くんだよ、ああ。
……言っておくがフィレル、お前の為なんかじゃないからな。オレはこの状態を見過ごすことができないだけだ」
ロアの言葉に、フィレルは虚をつかれたような顔をした。
やがて吐き出された言葉。
「僕の為じゃない、って、ロアは素直じゃないなぁ」
「事実だッ! ついていってやると言っているんだから少しくらいは感謝しろ能天気馬鹿!」
「あーハイハイ」
ロアに小突かれながらもフィレルは笑う。
刹那、その鮮やかなエメラルドグリーンの瞳が、真剣な色を湛えた。
「でも……ありがとう」
「ファレル様を悲しませないためだ。他意は無い」
ぷいとそっぽを向いたロア。
その様子を眺め、フィラ・フィアは確かめるように問う。
「……えーと、つまり今回の旅は、わたし、フィレル、ロアさんの三人で行くことになるのね?」
「どーしてロアだけ『さん』付けなのさー?」
「お前は黙ってろ! ……ああ、そういうことだ。宜しく頼むぜ、王女様。あとオレはただの『ロア』でいい。『さん』なんて戦災孤児には要らんよ」
フィレルの文句を封殺しながらもロアは答えた。その黒の瞳に一瞬だけ寂しさと郷愁のようなものがよぎったが、すぐに消えていつもの不敵なロアに戻る。
わかったわ、とフィラ・フィアは頷いた。
頷き、そして宣言する。
「かつてわたしたち『封神の旅団』は神と戦い、神に敗れた。しかし長い時を経てわたしは今復活した! 傍に大切な人はもういない。けれど……!」
赤の瞳に、強い意志が宿る。
「『新生封神の旅団』、ここに在り! さぁ、やり残した仕事を完遂するわよっ!」
古の昔、旅半ばにしてフィラ・フィアは死んだ。
彼女の物語は、シエランディアで一番の悲劇として語り継がれている。
しかし今、彼女は少年の出来心によって蘇り、偶然にもやり直す機会を与えられた。
だから。
——やり直さないわけには、いかないでしょう?
力強く笑う彼女の隣、フィレルが無邪気さを封じ込め、真剣な顔をしていたことに気付いたのは、ファレルだけだった。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.10 )
- 日時: 2019/05/04 12:23
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「で? いつ出発するのかしら。わたしも、流石に今日とは言わないわ。でもまだ神々のせいで人間が苦しんでいるのならば、早めに動かないと」
フィラ・フィアは言った。
そうだねぇとファレルは思案顔。
「あなたの事情はわかったけれど……三日だけ、時間をくれるかな」
「……どういうこと?」
フィラ・フィアは訝しげな顔をした。
ファレルは答える。
「いや、これは僕のお節介なんだけれど……。いきなり遥か未来の世界で蘇った君に、この時代のことがわかるのかなぁって、ね」
「あ……」
フィラ・フィアは虚を突かれたような顔をした。
三千年の時を経て、彼女は蘇ったけれど。
三千年のブランクは大きい。あまりに、大きすぎるのだ。
良かったら教えてあげるよとファレルは笑う。
「僕の知っている程度の知識でいいならば、僕の教えられる範囲で教えてあげるよ。旅が始まったら忙しくて、そんなことする暇なんてないだろう? 旅を始める時間は確かに少しだけ遅れるけれど……三日程度ならばまだ、誤差の範囲内なんじゃないかな」
「……そうね」
フィラ・フィアは頷いた。
「ならばわたしからもお願いするわ。ファレルさん、わたしに教えて。わたし、何もわからないの。何ひとつわからないのよ、だから」
「いいよ。ああ、でも今日はもう日が暮れたし、今から勉強しようって気にはならないよね。明日の朝から教えるよ。だから今日と明日はお城に泊まって行って。無駄に広いお城だからさ、空き部屋だけはたくさんあるの、」
さ、と言葉を結びかけて、
不意にファレルが苦しそうに咳き込んだ。その優しい顔が苦痛に歪む。
「ファレル様!?」
慌ててロアが駆け寄って背中をさする。「兄さん……?」とフィレルも不安そうに近づいてくる。ファレルはしばらくずっと咳をしていたが、やがて発作がおさまると、ごめんよと言って弟の頭を撫でた。それでも呼吸は荒く不規則で、完調とは言えない様子だ。
「……本当はさ、僕だってみんなと一緒に行きたかったさ。封神の旅でもしもみんなが死んでしまったとして、それで僕だけ残されるのは嫌だからねぇ。でも、僕はこんな身体だから……」
それでも、苦しくても何とか笑おうとするファレル。
その姿を痛ましく思ったフィラ・フィアは、手にした錫杖をしゃんと鳴らした。
「……どうしたんだい?」
「じっとしていなさいよね。これから癒しの舞を舞うわ。心優しい領主さま、あなたの苦しみが少しでも楽になれるように。わたしはフィレルにこそ文句はあるけれど、あなたに文句はないしそれどころか感謝してる。良かったら受け取って。わたしの舞には魔法がこもるの。知っているでしょ?」
言って、彼女は錫杖を手に、舞う。
しゃん、しゃん、と、彼女が動くたびに彼女の錫杖の鈴が、彼女が身につけた鈴が鳴りだす。鳴りだした鈴は清浄な空間を辺りに作りだし、やがてそれは彼女の舞に合わせて指向性を得、癒しの魔力となってファレルに向かって流れだす。
神さえ封じる舞を舞う『舞師』フィラ・フィア。癒しの舞など神封じの舞に比べれば圧倒的に容易く行えるものだろう。
しばらくして、荒く不規則だったファレルの呼吸が穏やかになり、彼はほうっと大きく息をついた。
「ああ……すごい、魔法だね。さっきはあんなに苦しかったのにさぁ……」
彼の言葉にフィラ・フィアは笑う。
「わたしの舞は伊達じゃないわ。この程度完璧に舞えないと、神様なんて封じられっこない」
やがて舞が終わった時、ファレルの体調は完全に回復していた。泣きそうな顔で兄にしがみつく弟の頭を、ファレルはよしよしと撫でてやる。
「一件落着おめでとさーん!」
と、不意に現れた茶髪の少女。リフィアだ。どうやら少し前からそこにいたらしい。否、最初から彼女は大扉の前で事の顛末を眺めていたが、フィレルが大問題を引き起こしたせいで、話しかけるタイミングを逃していたのだ。ロアが放り出したフィレルの荷物も、ちゃっかり回収して片付けてしまったところが彼女の優秀たる証である。
彼女は皆が自分に注目したのを確認し、提案する。
「初めまして王女様。あたしはリフィア、このお城のメイドさんね。
そろそろいい時間だから夜ご飯にしようと思っているんだけれど、ファレル様の体調さえ大丈夫なら、みんなで食堂に移ってくれないかな? せっかくお客様もいることだし、あたしとエイルとでおいしいの作っちゃうからさっ!」
その言葉に、フィレルは目をきらきらと輝かせた。
「そーだねっ! お腹もすいちゃったし! それにさ王女さま。リフィアとエイルの料理ね、すっごくおいしいんだよーっ! ていうか! 今日は僕の誕生日だし! 特別なご飯に期待するんだよーっ! 王女さまもラッキーだねぇ!」
無邪気に笑うフィレル。
そうだなとロアも頷いた。
「ファレル様、体調は?」
「王女さまのお陰で、すっかり治ったよ」
じゃあ行こうか、と彼がフィラ・フィアを見やると、じゃあお邪魔するわねと彼女は頷いた。
行こうよ行こうよぉと走り出すフィレルに先導されつつ、一行は食堂へと向かう。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.11 )
- 日時: 2019/05/10 09:19
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「はーい、こちらが本日のお料理になりまーす」
「頑張って作ったんだ。喜んでもらえたら嬉しいな」
茶髪のリフィアが元気よく言った後で、青髪の、物静かなエイルが柔らかに微笑む。
食堂についてから数十分後。テーブルには様々な料理が出された。
ニシンの香草焼き、パリッとした皮に甘辛いタレのしみ込んだ鶏のモモ肉焼き、イグニシィン領で採れた新鮮な野菜を使った、ほっこりと温まるスープ。特製ドレッシングのかかったサラダまである。それ以外にも、小麦を使ったふわふわのパン、噛めば肉汁の溢れるソーセージ、レモンでアクセントを加えた、野菜のマリネなどなど。それは貴族の食卓にしてはやや貧相でこそあったが、貧乏貴族イグニシィンの皆からすれば十分なご馳走であった。
「フィレル、誕生日おめでとう。フィレルはわたしのスープが好きだって言ってくれたから、頑張って作った」
エイルがはにかむようにして笑えば、フィレルは満面の笑顔を見せる。
「うんうん、だぁい好きっ! ありがとー、エイルぅっ! やったやったぁ、ご馳走だぁっ!」
笑うその顔の輝かしいこと、穢れないこと。
彼の喜びは周囲にまで伝染し、皆を笑顔にさせた。
「いっただっきまーっす!」
言ってフィレルは真っ先にスープを飲み、にこにこと笑う。続いてソーセージにフォークを突き刺し、さらににこにこと笑う。
「おいしいんだよーっ!」
その笑顔はまるで天使のようだった。
リフィアもエイルも料理が天才的にうまい。
一同は二人の料理に舌鼓を打ち、料理を誉められた二人は嬉しそうである。幸せな食卓だった。
しばらくして、メインの料理が平らげられるとメイドの二人は皿を片づけ、新しい皿を出してきた。そこに乗っていたのは……
「じゃーん! お誕生日ケーキよフィレルっ! あたしたちの合作よ。絶対に美味しいんだから、そのおいしさに目を見開きなさいよね?」
挑戦的に笑うリフィア。
「うん、リフィアは誇張じゃないよ。力作なんだ。……フィレル、十五歳の誕生日、おめでとうね」
静かに微笑むエイル。
それはケーキだった。オーソドックスなショートケーキだが、ケーキの本当の美味しさはチョコレートケーキやフルーツタルトなどにではなく、王道のショートケーキにこそあるのだという。それの上には苺がホイップクリームと一緒に飾られていて、つやつやと美味しそうに光っていた。ケーキの中央には絵筆を模した砂糖菓子があり、その下にはイチゴソースで描かれた、可愛らしくデフォルメされたフィレルの似顔絵がある。どうやら絵筆でフィレルの似顔絵を描いた、という趣旨らしい。イチゴソースは絵の具のつもりなのだろう。だとしたら、ややクリーム色がかったこのホイップクリームは、キャンバスをイメージしているのだろうか。
「『絵心師』フィレル、ハッピィバァスディ! あたしたちはあんたみたいに絵の実体化はできないけれど、それでも頑張って作ったんだよ? 味も保証するから、どうぞ召し上がれーっ!」
笑うリフィア。取り分けられたケーキを食べようとしたフィラ・フィア。彼女の身につけた銀の腕輪にクリームが付着したが、彼女は気にしない。フィレルの隣、どうぞ、とエイルがフィレルに近寄って、微笑む。
「いっただっきまーっす!」
満面の笑顔で、フィレルがフォークを切り分けられたケーキに突き刺そうとした、瞬間。
「——食べるなァッ!」
何かに気付いたロアが、ケーキの皿を腕で薙ぎ払った。
「ロア、どーしたの!?」
驚いた顔のフィレル。
ロアはいつも身に付けている長剣を、エイルに向けていた。
エイルは悲しげな笑みを浮かべていた。まるで何もかもわかっているように。
「説明してもらおうか」
「エイルちゃん、どういうことっ!?」
詰問口調のロアの声と、戸惑いが隠せない様子のリフィアの声。
ロアは溜め息をつき、ある人物の名前を呼んだ。
「王女さま」
「……えーと、何?」
訳が分からないといった体の彼女に、「腕輪を見せろ」とロアは言う。
戸惑いながらもフィラ・フィアは腕輪を身につけた手を掲げた。先程、クリームが付着したそこは。
「……黒く、染まって?」
ファレルが驚きの声を上げる。
銀は毒を感知するために使われる金属だ。ある種類の毒に触れた場合、銀はどす黒く変色する。そんな性質があることから、常に暗殺の危機にさらされている王侯貴族は銀の食器を使うのだ。
彼女の銀の腕輪が、黒く染まる。その意味は。
「えーと、さぁ。ケーキに、毒が?」
フィレルは驚きを隠せない。
ああ、とロアは頷いた。
「お前が食べる直前にそれが見えたからオレは防ごうとした。そしてこの毒に関わる人間が、同じケーキを作ったリフィアだと疑わなかった理由だが……。リフィアはケーキを薙ぎ倒されて純粋に驚いていたが、エイルはこうなることをわかっていたようにも見えた、それだけだ」
ロアはエイルに剣を向けたまま、問う。
「答えよ。お前はこれまでずっとオレたちに忠実でいてくれた。お前の為に、こちらだって尽くした。オレたちの間に悪い感情などなかったはずだ。それなのに一体どうして、このような真似を?」
エイルは悲しげに笑った。
「『命令』だからだよ、ロア」
「……命令、だと?」
ロアが眉をひそめた、瞬間。
食堂へ続く扉が開いて、そこから雪崩れ込んできた人間たち。彼らはフィレルらに武器を向けていた。
「くそっ、何のつもりだッ!」
「英雄なんて要らないんだって『お母さま』は言ってた。英雄の子孫なんて、要らないんだって。過去の遺物は捨て去ってしまえって」
「この裏切り者がッ! わかった、オレが道を切り開くッ! オレの傍から決して離れるな。行くぞ、今はこの場から逃げるッ!」
「できるかな」
エイルの言葉と同時、ロアの膝が崩れ落ちる。「ロアッ!」必死で駆け寄ったフィレルは、ロアの顔が蒼くなっていることに気が付いた。——そう、まるで毒物にでも触れたかのように。
「あのケーキ、触れるだけでも危険だから。ロアは直接腕で薙ぎ払ったよね。『お母さま』からすればロアみたいな前衛が一番邪魔らしいから、排除できて好都合だよね。安心して、致死毒だから。でもさぁ、大切な人を守って死ねるならば本望じゃないの?」
「……ふざけるな」
その言葉を聞いて、フィレルの顔に怒気が宿る。
彼は生まれて初めて、本気で怒っていた。
腕に抱きかかえたロア、大切な幼馴染。いつもうるさいけれど、彼はフィレルの大切な人。
そんな人が、裏切りなんかで命を落とす結末なんて、絶対に認められない。
そんな彼を見て、嘲笑うようにエイルが唇の端を歪めた。
「怒ったって、あなたに何ができるの? 絵筆とキャンバスがなければ何もできないくせに。あなたなんて脅威じゃない。ファレル様も王女さまも、そしてただのメイドのリフィアも。ロアが危険だった、ロアだけが危険だった。だから最初に排除した、それだけ」
あなたに何ができるの、と彼女は繰り返した。
うつむくフィレル。しかしその瞳に閃いたのは、何かの決意。
「……できるよ。だって僕はただの“絵使”じゃない。自分の描いた絵だけを武器とするわけじゃないんだ。僕にだって切り札の一つや二つくらいはあるんだよ? 舐めてもらっちゃあ、困るんだよねっ」
言って、何かを取り出そうとしたフィレル。
その肩にファレルが手を置いて、首を振った。
「お前は穢れなくていいんだ、誰かを傷つけなくていいんだよ。エイルは少し前まで仲間だったんだから、彼女を攻撃するのは辛いだろう? ……僕だって、ね。戦えないわけじゃあ、ないのさ」
ここは僕に任せて、と、その瞳が真剣な輝きを帯びる。
倒れたままのロアが、蒼い顔で「ファレル様……」と呟いた。そんな忠実な仲間に、大丈夫だよと優しく微笑む。
「……思い、出さなくちゃいけないんだよね。僕のトラウマ、心の傷。嫌だよ、嫌だなぁ。でもねぇ……」
彼の身体が、黄金のオーラを身に纏った。
「——家族を失うのは、もっと嫌なのさッ!」
彼は朗朗と何かを唱え始める。それを防がんと、エイルは城内に入り込んだ兵士に指令を飛ばす。ロアは蒼い顔をしながらも力なく剣を構えようとしたが、その身体に力が入らない。
ファレルは、叫んだ。
「言霊よ、今一度僕に力を貸せッ!
我、唱う! 我は虚偽を真実へ、真実を虚偽へと覆す者!
空間は、歪みて力場生み出して、進む者の足を止めるッ!
——現実となれッ!」
纏った黄金のオーラが、揺らぐ。
その瞬間、目に見えない力が作用したのが分かった。ファレルに向かってやってきた兵士たちはある地点に吸い寄せられるようにして集まり、その場から動けないでいる。——彼の放った言葉の通りに、現実が変化した。
ファレルはその顔全体に恐怖の表情を浮かべていた。全身から流れ落ちる汗。食い縛った歯は今にも音を鳴らしそうだ。それでも瞳は強く、前を見据える。
「兄さん……?」
驚きの目で兄を見るフィレルに、ファレルは指示を飛ばした。
その声は上ずっていた。彼は過去の恐怖と、自身のトラウマと闘いながら戦っているのだ。彼の力、『言霊使い』は彼のトラウマと直結する力だった。
「フィレル、王女さまの奇跡の力ならばまだ、ロアを助けられるかもしれない。君は王女さまと一緒にこの場から逃げるんだ、いいね? そしてロア。聞いているならば、これは僕からの命令だ。回復しても、決して戻るな。戻ることは許さない」
「え、でも兄さんは……」
「僕は、平気さ。言霊使いは弱い魔導士じゃない。フィレル、荷物を取りに行く時間くらいは稼いであげるからね。自分の武器は持っていった方がいいだろう。そして王女さま。勉強、教えられそうにないみたいだ、ごめんね。ロアが多少は物知りだから、わからないことがあったら彼に聞いて。そしてリフィア、君は……」
「あたしはファレル様と一緒にいるわ」
リフィアは胸を張って言った。
「あたしは旅なんかしたくありませーん! お互いに生きていたら、イグニシィン城で再会しましょうね? あたしはメイド、ただのメイドだ。でも……」
メイドだからって舐めるなと、彼女は毒のケーキの乗った皿を持ちあげ、兵士たちに向かって投げつけた。
「緊急事態、だからこれは正当防衛よ。ってかこのケーキ、いつの間に毒が混ぜられてたんだろー? あたしは気付かなかった。エイルちゃんさ、いつの間に……?」
リフィアの言葉に、エイルは悲しげに首を振るだけ。
ファレルはフィレルの背中を押した。
「さぁ行きなさい。僕の足止めだっていつまで保つかわからないんだ。願わくは、みんな生きてこの城に帰ってきて。ロアも僕の家族なんだ、簡単に死ぬことは許さないよ」
行きなさいと背中を押されて、フィレルはフィラ・フィアと目配せし合って二人がかりでロアを運ぶ。普段前衛で戦っているロアは、二人がかりでも結構な重さがある。二人は苦心しながらもロアを運び、動けないでいる兵士たちの横をすり抜けた。
「ちょっとお願い!」
食堂を出て、門の前。フィラ・フィアにロアを頼んで、フィレルは全力疾走。必死でたどり着いた自分の部屋、お気に入りの筆と絵の具、紙を大きなリュックに突っ込んで、キャンバスを背負って予備費として渡されたお金を持って、今度は門の前へと走る。待っていたフィラ・フィアと合流し、二人でロアを抱えて城の外へ。町にたどり着いて事情を話し、ある家に匿ってもらってようやく一息。けれどまだまだやることはある。
フィラ・フィアは横たわり、荒い呼吸を繰り返すロアを見た。先ほどよりも元気がない。毒は着実に回っている。致死毒、とエイルは言った。対処が遅いとロアの命は、毒に奪われてしまうのだ。
何の前動作も無しにフィラ・フィアは舞い始める。速いステップ、手にした錫杖がしゃんしゃんと忙しない音を鳴らす。それは余計な動作の一切存在しない、まさに魔法の為の舞だった。彼女の足元で黄緑色の魔法陣が浮き上がり、彼女が舞うたびにその図柄は複雑になっていく。
「即席! あらゆる毒の治療薬、『オルファ香』の効果を再現した舞! 今ならば行けるでしょ? 間に合え——ッ!」
彼女の言葉と同時、魔法陣が強く強く輝いた。
次の瞬間——。
「う……」
小さく呻き声をあげて、ゆっくりとロアが身を起こした。「ロア!」叫んでロアにしがみつくフィレル。ロアは軽く咳き込んだが、やがて。
「……悪い。心配かけたな」
そう言って、微笑んだ。
フィラ・フィアはふうっと息をつく。その顔に浮かぶは、疲労。
「もう無理わたし無理。舞の魔法はただでさえ力の消費が激しいし、即席でやるとなると尚更よ……」
ところで、とロアが難しい顔をする。
「ファレル様は? 許されるならば助けに行きたいが」
「命令されたんじゃないの? それを破るの、ロアは?」
「…………」
フィレルの言葉に、ロアはうつむく。
本当は僕だって助けに行きたいよとフィレルは言う。
「でも仕方ないじゃない。兄さんは僕らに何か隠してた。兄さんがあの状況で全力を出すならば、隠してた何かをさらけ出さなければならないのかも知れない。兄さんがそれを嫌がっているとしたら? 無理に駆けつけて、結果兄さんの心を傷つけることになるのだけはごめんだよ」
「……くそっ」
ロアは自分の無力を嘆いた。
【第一章 イグニシィンの問題児 完】
- Re: 魂込めのフィレル ( No.12 )
- 日時: 2019/05/09 11:43
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
【第二章 哀しみの風は大地に吹く】
なし崩し的に旅は始まる。皆ファレルのことを気にしてはいたが、無事を祈って先へと進む。彼らの旅は封神の旅だ、相手するのは神様だ。一筋縄ではいかない相手、それはわかっていたけれど。
フィラ・フィアには使命があるし、フィレルとロアには責任がある。だから引き下がるわけにはいかないのだ。
「最初は何処へ行き、どの神を封じるんだ?」
ロアがフィラ・フィアに問うた。そうねとフィラ・フィアは答える。
「ええと、地図とかないかしら? 昔と今で名前の変わった町ばかりだとしても、大陸の形はそう簡単に変わらない。それで、その地図で今私たちが何処にいるのか示して欲しいの。そうしたら、大陸の形から大体の場所はわかるし、向かう場所を決める指標にするは丁度良くなるわ」
フィラ・フィアに頷いてロアは懐を探る。が、最初からその日に外出すると決めたわけではないので、外出する際にはいつも持っていっている地図を置いてきたことに気が付いた。そんなロアを見てフィレルは言う。
「ええとねぇ、僕、覚えてるから」
描くよ? 言って、背負った巨大なリュックから紙を取り出し画板の上に貼りつけて、リュックに仕舞ってある携帯筆記具でささっと図を描き始める。歪んだ正方形みたいな大陸、その中心からやや南西に行った辺りに丸をつけ、「イグニシィン」と書く。その後に頭をひねって考え考え。数分後には、大まかな町の名前と地形を描き足した一枚の地図が出来上がった。最後に「シエランディア周辺図」とタイトルを書いて完成、「どうぞ」と笑って差し出した。
フィラ・フィアは一連の作業を驚いたように見つめ、「ありがとう」と地図を受け取る。
彼女はしばらくじっと地図を見詰めていたが、やがて。
「決めたわ」
頷き、フィレルたちの方を向く。
「わたしたちの新しい旅で最初に封じるのは風神リノヴェルカ。大切な存在を失い、悲しみのあまりに力を暴走させ、周辺の風を狂わせて海を魔の海域にした女神。人間に愛されず、人間不信を抱えた女神。彼女の哀しみはわたしたちが終わらせる」
勘違いしてほしくないんだけれど、と彼女の強い瞳はフィレルを見た。
「『荒ぶる神々』は何も、悪神ばかりしかいないってわけじゃないの。リノヴェルカみたいに悲劇を背負って、荒ぶる神々にならざるを得なかった神様もいるのよ。だからわたしたちのこの旅はね、彼女のような神々を救済することにもなるの」
遠い昔、リノヴェルカは人間に裏切られて最愛の兄を失ったそうよ、と呟く。
「その怒りによって偶然神を殺して亜神になり、別の神を殺して風神になったって。
でもそんな悲劇、この世界にはどこにだって転がっているものなのだわ」
その呟きを、複雑な表情でフィレルは聞いていた。
フィレルの地図を見、過去の記憶と照らし合わせ、次行く町の名は「ツウェル」というところだと確認、南東の方角に向かって旅立つ。他の人たちはなにも違和感を覚えてはいなかったようだが、フィレルは南東に嫌な感覚を覚え、目的地に向かうにつれて、それがだんだん強くなっていくのを感じていた。
風神リノヴェルカは風を狂わせた。狂った風は、わかる人には確かにわかるのだ。
歩いていく道の途中、フィレルはそっと、いつも身に付けているエプロンの、ポケットに在る絵筆を握りしめた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.13 )
- 日時: 2019/05/11 22:40
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「風神リノヴェルカの神殿、ね」
町にたどり着き、正確な場所を、近くにいた青年に訊ねた。
青みがかった銀の長髪を頭の高いところで括り、瞳は青。魔導士めいた印象だが、それにしては軽装の彼はその目に諧謔の光を浮かべた。
「聞きたいのだけれど、どうして君たちはそんな場所を目指すんだい。そこに行ったって何もない。彼女は狂ったままなんだよ」
喋る彼を、いきなり吹きつけてきた突風が直撃した。華奢な方の体格である青年は、たまらず風に吹き飛ばされる……かと思いきや、何か不思議の力が働いて、うまい具合に風を逃がした。青年は「反射的に力使っちゃったじゃないかまったくもうこの風は」などとぼやく。
この世界「アンダルシア」には様々な魔導士がいる。絵を実体化させる絵使、絵心師を始めとし、織物の模様に魔法を込める織師、描いた紋章に魔力を込めて罠を張る印象使、人形に関した魔法を行う人形使、死者と対話し、死者を使役する死霊術師、即席で武器や防具を生みだし、用済みになったら乳白色の霧に変える魔素使……などなど、その種類の多さは多岐にわたる。
フィレルはこれまで書籍で様々な魔導士の話を読んできたけれど、今目の前にいる青年が行ったみたいな謎の魔法は知らなかった。青年はフィレルの視線に気付き、ああ、と苦笑いした。
「ご存知ないかな? というか知っていても、ぼくの指運師はわかりにくい魔法だからねぇ」
そうだなぁ、と考えて、彼はロアに目を留めた。
「そうだ、そこの武人みたいなきみ。飛び道具とか持ってないかい? 持ってたらぼくに投げつけてみて。そうしたら指運師が何たるか、わかりやすい説明になるから」
言って彼は、ロアから少し距離を取る。ロアは訝しげな顔をして、懐から一本の投げナイフを取り出した。確認するように問う。
「本当にいいんだな? 言っておくが、この距離からならば外さんぞ」
いいのさ、と青年は笑う。
「いやぁ、実演するとなると怖いねぇ。ま、ぼくもぼくの力に自信があるから、絶対安全だってわかってるからこんなことできるんだけどもさぁ」
頷き、悪く思うなよ、とロアはナイフを青年に向かって投げつける。青年は何もしない、ただその場に立っているだけである。ナイフが無抵抗の青年にぶち当たる——
そう思われた、瞬間。
突如、先程の勢いを超える風が青年に吹き付けて青年は転倒、しかしそのお陰でナイフの射線から外れ、青年は転倒したさいに軽く手を擦りむいたほかは一切の怪我がない。
服の埃を払いナイフを拾い、青年は拾ったナイフをロアに返す。
「要はこういうことね」
「どういうこと!?」
納得できない顔のフィレルに、青年は穏やかに笑って説明する。
「ぼくは昔、運命の双子神ファーテ&フォルトゥーンの内、ファーテと契約したのさ。そして契約の際、ファーテは僕に力をくれた。それが指運師——つまりは、運を操る力さ」
さっきのを例にしてみようか、と彼は言う。
「さっきのは、あの風が吹かなければぼくは確実に怪我していた。でも絶妙なタイミングで風が吹いた、そうだろう? この町はリノヴェルカの影響か、突風が頻繁に吹くんだ。でもあのタイミングで突風が僕に吹くのなんて、それこそ偶然の産物だよね」
でも指運師は、その偶然を必然にするのさ、と説明。
「ただし、例えば大戦の際に、一陣営だけを継続的に勝たせることはできない。ぼくの扱える力はある程度範囲が決まっていて、その中から逃れることはできない。でも使えば自分の身くらいは守れるし、カジノでぼろ儲けすることもできる。お陰で路銀に困ったことはない」
カジノでぼろ儲け、の言葉に、正義感の強いフィラ・フィアは顔をしかめた。
「……あなたの力はわかったけれど、カジノはないわ、流石にないわ。それってただの力の悪用じゃない! そんなことが許されると」
「人間とは自分本位な生き物だよお嬢さん。許されるって、誰が許すというんだい? きみかい? ならばぼくは一向に構わない。偶然すれ違っただけの人間に、許されなくたって痛くも痒くもないね」
明るく温厚に見えた青年だったが、その言葉は冷たく、ナイフのような鋭さを秘めていた。
フィラ・フィアは呆気にとられたような顔をして、黙り込んでしまった。
指運師の青年は、話を戻すけれど、と確認する。
「ぼくは最初に訊ねたよ、きみたちが風神リノヴェルカの神殿を目指す理由について。あっちは本当に何もないし、世界に関わる偉大なる風神さまならリノヴェルカじゃなくってガンダリーゼがいるだろう。彼女は所詮成り上がりの神様だって、この世界の住人ならばわかっていて当然の知識だよね? ならば何故?」
信じてもらえないだろうけれど、とフィラ・フィアは難しい顔をする。
「わたしは、フィラ・フィアよ」
その答えを聞いて、青年は面白がるように笑った。
「ははっ、フィラ・フィアだって? きみが? あの、三千年前の英雄だって? 馬鹿言わないでくれるかい? 彼女はもうとうの昔に死んだんだって、志半ばで死んだんだって、シエランディアの人ならば誰だって知っていることだろう?」
「わたしはフィラ・フィアよ。志半ばで倒れた、から、まだ封じていない神々を封じるのよ。だからリノヴェルカの神殿の場所を訪ねたの」
フィラ・フィアは強い瞳で相手を睨んだ。しかし当然のごとく、信用されていないらしい。
フィレルは困ったような顔をしていたが、しばらくして、名案が浮かんだとばかりに手を叩いた。
「ねぇねぇお兄さん。絵心師って知ってる?」
フィレルの問いに、青年は頷く。
「絵心師? ああ、あれね。知ってるけれど、いきなりどうしたんだい」
「僕がその絵心師なんだけれど、王女さまを実体化しちゃったの」
「きみは禁忌を破ったのかい?」
「うん、そう。僕の好奇心で破っちゃったの。でね、責任取れって、封神の旅についていくことになっちゃったの」
「……へぇ」
青年の顔は穏やかだったが、その瞳は笑っていなかった。
「下手な芝居もいい加減にしなよ」
青年の周囲、冷たい風が吹く。変わった雰囲気に怯えたフィレル。守るようにしてロアが彼の前に立つ。
はぁ、と青年は溜め息をついた。
「風神リノヴェルカ、天鳥の女神、風に愛されし者。彼女は確かに荒ぶる神々であり、彼女のせいでこの町ではまともに洗濯物すら干せない状況だ。そして飛んできたものにぶち当たり、毎年のように死者が出る。竜巻なんかも頻繁に起こる。どれもこれも彼女のせいだ。でもね」
青の瞳が、真剣な輝きを帯びた。
「それでも、彼女はこの町の象徴なんだ。封じる? そんなこと、騙りの封神旅団なんかにさせられると思う? ああ、ぼくは余所者だ、確かにこの町の外部から来た人間だ。でもね、ぼくは女神さまの過去の話を、偶然にも深く知ってしまったのだし……。知ってしまったからには、偽者の封神旅団に、彼女を害させるわけにはいかなくなってねぇ。
女神さまはここから少し東におわす。きみたちはそこへ行くんだろう。でもぼくは通さないよ。どうしても通るというのならば……」
彼はどこからか何かを取り出した。それは青みがかった木で作られた、魔導士の使うような杖だった。青年はそれをフィレルらに向ける。
「ぼくを倒してから行けよ」
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.14 )
- 日時: 2020/08/04 02:21
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: 6Bgu9cRk)
「はぁ……ったく。どうしてこんな展開になるのかねぇ」
ロアは呆れたように溜息をついた。
仕方ないよとフィレルは言う。
「だって普通は信じないよ、そんなコートームケーな話。でもこうなるのは予想外」
「荒唐無稽な。あえて難しい言葉を使おうとしなくても良い。……で? 一対一か、それとも全員で行っていいのか?」
ロアの質問に、青年は頷いた。
「別に全員で来たって僕は構わないさ。ぼくの力も指運師だけじゃないし」
言って彼は何の予備動作もなく叫んだ。
「来たれ風よ、リノヴェルカの加護、ここにありッ!」
瞬間、突風がロアに吹きつけて彼を吹き飛ばそうとしたが、彼は咄嗟に剣を抜き地に突き立ててそれに耐える。それを戦いの始まりの合図と見てとったフィレルは真剣な顔をして、背負ったリュックから紙を取り出し、身につけたエプロンのポケットから、お気に入りの絵筆と愛用しているパレットを出した。戦闘準備だ。
「……えーと、わたしは後方支援?」
戸惑うようにフィラ・フィアは言い、恐る恐る舞い始める。舞うたびに彼女の錫杖が、彼女の身につけた鈴が、しゃんしゃんと清らかな音を鳴らす。
風がおさまった。反撃だとばかりにロアは地に突き立てた剣を抜き、だん、と大地を蹴って疾走、どこか儚くも見える指運師にその刃を振りかぶる。指運師の青年は儚く笑っていた。ロアの刃が青年に到達し、青年は全身から血液を噴き上げながらも大地にくずおれた、が。
「……おかしい。確かに斬ったはずなのに、感触がないし剣に血脂もついていないだと?」
「ロア、罠だよっ! させるかぁ! 僕の絵よ、お願いだよーっ!」
動きを止めたロアの背後から迫ったのは氷で作られた槍。反応が遅れたロアを貫かんとそれは迫るが、その直後、フィレルの絵が実体化した。
「作品番号……何番だっけ? 何でもいいや、使い捨て!」
実体化したそれはごうごうと燃え上がる炎。炎の壁に突っ込んだ氷の槍は瞬く間に融けて、脅威ではなくなる。余った炎がロアの背を焼き、「味方まで攻撃するなこの馬鹿!」とロアが叫んだ。「緊急事態、仕方ないじゃん!」とフィレルが返す。
フィラ・フィアが目を細めた。彼女の見ているそばから、青年の身体は消えていく。
「最初の風はただの威嚇で、本命は幻影魔法ってわけ。中々やる魔導士じゃない。で? 本体は何処? 姿を見せなさいよ——」
その言葉が言い終わるか言い終わらないかの内に、彼女は突風に吹き飛ばされて、地面に身体を強くぶつけた。
「……ッ! この町はリノヴェルカの町。そして相手も恐らく風使い? それで突風が吹いてきても、リノヴェルカの風か相手の風か、全然わからないじゃない。それが狙いなの?」
彼女の呟きに、風に乗って言葉が運ばれてきた。
——どうしたんだい? ぼく程度倒せないんじゃ、神様なんて封じられないんじゃないの?
「……ッ、馬鹿にしないでッ!」
言うけれど。
彼女の舞は、支援あってこその舞だ。支援が何もなければ彼女は、ただ無防備な姿をさらすだけ。
そんな中、フィレルはまた紙に何かを描いている。そんな彼を狙わんと風が少年を襲うが、ロアが前に立ってそれを防いだ。ゆらり、現れる影に投げナイフを投げても、それは影を貫通するだけ。どう見てもそれは幻影だったが、本隊が何処にいるのかは皆目わからないままで。
苛立ったようにロアは叫んだ。
「フィレル、何か策はあるのかッ!?」
ロアの問いに、うん、とフィレルは頷いた。
紙の上を動く絵筆は何かを描きだしている。それは……
「炎、だと? お前、さっきから炎ばっかりだな?」
「読めてるよ、相手の魔法。だから今はそれを破ることに集中するだけなんだよーっ」
その声はいつにない真剣な調子を帯びていた。
フィレルを狙わんと現れる氷の槍も突風も、ロアの剣がすべて防いでいく。相手の魔法が読めないフィラ・フィアは悔しげに唇を噛んで俯くだけだ。けれど時折大地に突く錫杖が、その清浄なる鈴の音が、余計な雑念を振り払う。
やがて。
「でーきたっ! 作品番号……確か223番? 幻影破りの火炎! あのねぇ、水で幻影を作ってもさぁ、要は蒸発させてしまえば破れるってことだよねぇ?」
そこにあったのは一枚の、燃え盛る炎の絵。
フィレルは獰猛な笑みを浮かべた。天使のようだった少年の印象が一変する。
「舐めてもらっちゃあ困るんだ。僕はただの暢気な次男坊ってだけじゃないの。年相応の実力もあるんだよぅ?」
フィレルは炎の絵に右手を押し当てた。その手が強く輝いて——。
「……よく、読めたね。水の幻影じゃなくって、光の幻影もあるのにさ」
燃え盛る火炎は辺りの水蒸気を一気に蒸発させ、近くの木の陰に隠れて立っていた指運師の青年の姿をぼんやりと浮かび上がらせた。直後、その首にロアが剣を押し当てる。青年の負けである。
「あーあ……負けちゃった」
青年が両手を挙げると、ロアは剣を下ろして鞘に仕舞った。
フィレルはにっこりと笑った。
「ロアを炎で守った時さ、偶然見えちゃったの、あなたの服のはじっこが。炎で敗れる幻影は水でできていないとおかしい。だから改めて炎を描いてみたってわけなんだよ。あなたの幻影が光で出来ているってわかったなら、今度は夜に戦いを挑んだかも?」
冷静に分析するフィレルは、これまでの能天気振りからは想像もできないような態度である。
それでも根っこの明るさは変わらないから。
フィレルは紙と絵筆とパレットを仕舞うと、腰に両手を当ててふんぞり返った。
「えっへん! 僕ってすごいんだからねーっ!」
いつもはフィレルに怒ってばっかりのロアも、流石に今回は怒るわけにもいかず。
「……よくやった」
珍しく、手放しの称賛を彼に向けた。
フィラ・フィアは溜め息をついた。
「水の幻影……。そう、そうだったの。ああ、水女神を以前に封じたけれど、彼女も似たような技を使ってた! 思い出すのは遅すぎるけれどもね……」
で、とフィレルは青年に向き直る。
「これで通してくれるの? 僕らは偽者じゃないんだよ?」
ああ、と青年は頷いた。
「いいよ、いいさ、好きに通れば。あなたたちは確かに強い。それに水女神アスフェリーナのことを語るお嬢さんを見ても、嘘ついているとは思えないし、ね。
リノヴェルカはここから少し東に行った、木々のねじ曲がった森の奥だよ。そこに神殿がある。かつてはそこの木々もみんな真っ直ぐだったらしいんだけれど、彼女の風が木々を捻じ曲げてしまったって話」
青年の言葉にフィレルは頷き、思い出したように水筒を取り出して筆とパレットを洗い始める。
ありがとうとフィラ・フィアは笑った。
「これで旅の続きができるわ。
折角の縁だから問いたいのだけれど、あなたの名前はなあに?」
「イルキスさ。指運師イルキス・ウィルクリースト。ちょっと東の方にある町ロルヴァの出で、魔導士の息子」
まぁ、今後も何か縁があったらよろしくね、と彼は微笑んだ。
構えていた杖を、懐に仕舞う。
「お前は今後、どうするんだ?」
フィレルに背中の火傷を診てもらいながらも、そう、ロアは言葉を投げた。
「ぼくかい?」とイルキスは首をかしげ、少し考えた後、答えた。
「そうだなぁ。この町は好きだけれど、ぼくは本当はただの風来坊だし。折角の良い機会だ、ここを離れてまた各地を放浪することにするよ。縁があったらまた会えるかもしれないね」
その青の瞳に諧謔の光を浮かべ、イルキスはさよならをするかのように右手を挙げた。
フィラ・フィアらも頷き、イルキスに背を向ける。
「またね、イルキス。最初はびっくりしたけれど、あなたに会えて楽しかったわ」
「それはお互い様さ。お陰で面白いものを見せてもらった」
互いに声を投げ合って、それぞれに別れた。
◆
その後。
不意にした物音に、イルキスははっとして振り返る。
「——イルキス・ウィルクリーストだな?」
声と同時に、放たれたのは矢。
「……ッ、いきなり何!?」
驚いたイルキスはとっさに指運師の力を発動、奇跡を願い、避けられることを願った、が。
「ぐ……ッ!」
イルキスの脇腹に矢が突き刺さる。
奇跡なんて、起きなかった。所詮は運だ、たまには外れることもある。
呻き、くずおれる彼の耳に、男の声が聞こえた。
「無力化に成功。これで邪魔は消えた。
悪いな指運師、お前の考えは読めているぞ。訳あって阻止させてもらった。毒は塗ってあるが麻痺毒だし、死ぬほどではない」
声と同時、立ち去る足音。
イルキスは顔を歪め、何とか現状を打破しようと必死で這いずった。が、回りの早い毒らしくて、その動きは鈍くなっていく。もう立ち上がる気力などない。
イルキスはフィレルらと別れた後、こっそり後をつけていって、彼らの援助をしようと思ったのだ。その矢先にこれである。どうやらフィレルらを邪魔したい勢力があるらしい。
イルキスは咳き込んだ。それはどんどん激しくなっていき、呼吸困難になって彼の喉が喘鳴を立てた。彼は昔病弱だった。今こそそれは治ったが、時折再発することがある。
苦しい息、少なくなる酸素に頭が朦朧とする。それに毒の効果も合わさって、イルキスの意識は闇と消えた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.15 )
- 日時: 2019/05/15 17:32
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
その森の木々は確かにねじ曲がっていた。真っ直ぐに立っている木など一本もなく、皆、あらぬ方向を向いていた。
そしてその中を時折吹きすさぶ突風。ツウェルの町にいた時よりも、強く強く荒々しく。
その風鳴りの音は、どこか悲痛な叫びを思わせた。
森の中に漂う空気は当然ながら湿ってはいたが、そこからは涙のにおいさえするような気がした。
「風神リノヴェルカは悲しみの女神。人間に裏切られ、最愛の存在を殺された」
歌うようにフィラ・フィアが言う。
「この森は彼女の森。ああ、リノヴェルカが泣いているわ」
悲痛な叫びを挙げて、涸れない涙を流して。
突風が吹き、吹き飛ばされそうになる。それでも足を踏ん張って、何とか耐える。
「あの町の人たちは、三千年間もずっと、この哀しみの風を浴びてきたのかな。リノヴェルカはそれよりもずっと長い間、悲しみを抱えてきたのかな」
呟くフィレルに、ええ、とフィラ・フィアは頷いた。
「だから、早く封じなくちゃ」
その森に動物はいない。あるのはただ、ねじ曲がった木々のみだ。
ねじ曲がり、複雑に絡み合った木々。その枝を剣を持ったロアが切り飛ばしながらも先行し、後にフィレルとフィラ・フィアが続く。
一行は森を進んでいく。哀しみの神を癒すため、そして終わらぬ風を止めるために。
◇
森を抜けた先、いきなり登場した白い神殿。
そこに至って、吹きつける風はますます強くなった。
「この先に、リノヴェルカがいるんだね」
確かめるように呟いて、行こう、とフィレルは前に進んだ。
神殿は白亜で出来ているようで、何もかもが白かった。
三千年以上前に作られた神殿は、成程、イルキスの言う通り、祀られているリノヴェルカが町の人々から愛されているというだけあって、所々朽ちてはいるものの、あちこち修繕したあとがあった。
白亜というのは石灰岩だ。雨というのは弱酸性、三千年もの間雨に打たれていれば、かなりが溶けてしまっていてもおかしくはない。それなのに綺麗な方なのは、やはり人々の信仰が、愛があったからだろうか。崩れ落ちた外部の装飾にも直された痕がある。あの町の人々は、あの森を越えてわざわざこの神殿を修理しに来たのだろうか。
一歩、進む。カツン、と硬質な音がした。石の地面を歩く音。
「風神リノヴェルカ、封神のフィラ・フィアのことを、他の神々から聞いていないかしら?」
歩きつつも、フィラ・フィアは宙に声を投げる。
神殿は随分な広さがあった。正面の門をくぐったら長い廊下があり、廊下の脇にはいくつもの扉があり、廊下の突き当たりに、周囲の扉とは違って立派な作りの扉があった。そこが恐らく祭祀の間、この神殿の心臓部だ。
その扉を目指しながらもフィラ・フィアは声を投げるが、神殿は沈黙したままで一切の返事がない。
「リノヴェルカ。悪いけれど、封じさせてもらうわよ。今のあなたは確かにもう、『荒ぶる神々』と呼ばれるほど暴虐の限りを尽くしてはいないのかも知れない。でも、わたしにはやり残した使命があるから」
その言葉に、
神殿の廊下が震え、風が吹いた。
風と共に聞こえたのは、声。
——(どうして生きているんだ?)
それは少女の、声。寄る辺を失った、頼りのない子供の声。
それでも、いくら傷付いても、誇りだけは失わないままの、痛ましささえ感じられる声。
——(私は知っているぞ。封神のフィラ・フィアはとうの昔に死んだと。それが何故、生きているんだ?)
「簡潔に説明するわ、リノヴェルカ」
歩きながらもフィラ・フィアは言う。
「絵心師が禁忌を破った、それだけよ」
——(そう、か)
声はそれきり沈黙してしまった。
続きは祭祀の間でということだろうか。
とりあえず歩を進めることにした。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.16 )
- 日時: 2019/05/17 07:59
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
繊細な装飾の施された、立派な作りの扉を開けて部屋に入る。一気に広がった視界。広大な部屋のその奥に、白亜の祭壇があった。
その、白亜の祭壇の、上に。
「……風神、リノヴェルカ」
白い女神が浮いていた。
腰まである白の長髪に、凛とした鋭さを湛える水晶の瞳。額には銀の輪をつけ、そこから青い涙型の宝石が垂れている。白の、長い貫頭衣を身に纏い、腰のところは茶のベルトで締めている。貫頭衣の襟元には太陽を模した日輪の模様があり、右手にはいくつも連なった金の輪をはめていた。その足は革のサンダルに包まれている。そしてその背には、鳥のような純白の翼。
彼女が風神リノヴェルカ、悲しみの女神であった。
「そうだ、私がリノヴェルカだ」
彼女は凛とした、しかしどこか寄る辺を失った子供のような声で言った。
「あなたたちは、私を封じに来たのか?」
ええそうよとフィラ・フィアは頷いた。
「ごめんなさい、わたしには使命があるの」
「……やはり、人間というのは身勝手だ。誰もかれもが自分のことばっかりで、他人のことなんて気にしやしない。ああ、神になれて良かったよ。亜神であることすらおぞましいのに、私の親の片方が、そんな穢れた人間だっただなんて……虫唾が走る」
その水晶の瞳には、人間に対する嫌悪と、静かな諦めだけがあった。
リノヴェルカは、言う。
「私は幸せに生きたかったんだ。イヴュージオと一緒に、二人で! ただ幸せに生きたかっただけなんだ! それを人間たちが壊した! 神は私を救ってくれたのに、人間たちは私たちを傷つけるばっかりでッ!」
悲鳴のような叫び。怒りと悲しみが放出される。
彼女の周囲で突風が吹き、一行を大きく吹き飛ばした。咄嗟にロアがフィレルとフィラ・フィアを正面に庇い、代わりに彼は神殿の柱に、したたかに全身をぶつけた。呻き声をあげるロアに、「大丈夫!?」とフィレルが駆け寄る。ロアは口の中を切ったのか、血を神殿の床に吐き捨てると「大丈夫だ」と答え、剣を構えて前を向く。
彼女は自分の発した言葉に何かを思い出したのか、狂ったように何かを叫んだ。同時、飛んできたのは風の刃。触れるものを切り裂く鎌鼬。それらをロアは剣で防ぐ。
「自分の記憶に狂っちゃうとか……そっちだって随分身勝手だねッ!」
ロアの背に守られながら、フィレルは背負ったキャンバスを取り出して絵を描く。描かれたのは大きな盾だ。それを取り出し、フィレルはしっかりと盾を構えて、庇うようにフィラ・フィアの前に立った。
それを見てロアは驚いたように声を投げる。
「お、おいフィレル!? お前にそんなもの扱え——」
「扱えるんだよーっ! 言っておくけれど、僕はロアの授業、実はしっかり聞いてたんだからッ!」
フィレルは笑う。その笑みは無邪気でこそあったが、その瞳の奥には、しっかりと芯の通った何かがあった。
その笑みを受け、「任せた」と頷いたロアは疾走、風神の動きを止めるため、握った刃を振りかぶる。
「……ふふっ、この空気、少し懐かしいわ。ロア、あなたはエルステッド、フィレルはレ・ラウィみたいに見える。ならばわたしも頑張らなくちゃ、ね!」
信頼すべき仲間がいるんだからッ! と叫び、フィラ・フィアは舞を舞い始める。彼女の周辺に虹色に輝く鎖の幻影が生まれ、それは彼女が舞うたびに数を増やし、少しずつ実体を得ていく。
リノヴェルカは、ただ叫ぶだけだった。彼女の周囲で狂ったように風が渦巻き、咆哮をあげ、津波のような勢いで押し寄せてはまた渦を巻き、幾百もの風の刃を送り込む。
「人間なんて嫌いだ、そんな存在消えてしまえッ! 人間さえいなければ、私は、私は——!」
「——人間がいなければ、あなたは生まれなかったよぅ?」
「…………ッ!」
そんなリノヴェルカに、フィレルは真実を突き付けた。
彼の構える大盾は今にも吹き飛ばされそうに揺れていたが、フィレルはかつてないほどの強い意志の力でそれを強引に押さえ込み、背後で舞うフィラ・フィアを守る。彼女の錫杖の音が彼に力を与えた。
フィレルは言葉で追撃する。
「あなたの父は神様、あなたの母は人間。あなたは人間と神のハーフでしょ? 人間がいなかったら、貴女はこの世に生まれなかったんだよぅ?」
「し、しかし……黙れ人間ッ!」
「あなたは生きていたくなかったのぉ?」
「…………ッ」
フィレルは、笑う。無邪気な、天使のような笑顔で。天真爛漫な表情で。
そんな表情をしながらも、ロアから教わった知識を総結集させてフィレルは相手にとどめを刺す。
「あなたは生まれたことでイヴュージオと出会えたんだ。最終的にイヴュージオは死んじゃったけれど……。
——あなたはイヴュージオと出会ったことすらも、育んだ幸せな日々すらも、なかった方が良かったと言うの?」
その言葉を聞いて。
ぱたり、と風が止んだ。肩透かしを食らったようなロアは攻撃を中止、風の女神を仰ぎ見る。
彼女はその瞳から、涙を零した。
「……言わない、さ」
湿気を含んだ風が、ゆるやかに吹く。
「言わない、私はそんなこと言わない。イヴュージオは、私の唯一無二の兄さんは、私を誰よりも愛し、守ってくれたんだ。私を裏切っても、最期の瞬間は私を守って——!」
落ちた涙は水たまりを作る。
「……少年よ、その通りだよ。私は確かに人間が憎い、憎いさ。イヴュージオを殺したのは人間なのだから仕方がないさ。でも、それで、も」
彼女は泣き笑いのような表情を浮かべた。
「——私は私が生まれたことに、一切の後悔などない。ああ、だから私は間違っていたのだ。人間たちに滅びよと願うなどと……!」
そしてその瞬間、
残酷にも、封神の鎖は完成した。
フィラ・フィアは、舞う。容赦なく、舞う。
相手がいくら改心したって、彼女は自分の使命を果たすことを何よりも優先させる。
フィラ・フィアは、叫んだ。
「封じられよ、悲しみの亜神リノヴェルカッ!」
「駄目だよフィラ・フィアッ!」
咄嗟にフィレルは彼女を止めようとしてしまったけれど、時既に遅く。
驚いた顔の風神に、実体化した虹色の鎖は何条も伸びて巻きついた。
そして鎖の巻きついた神は——
「……綺麗、だ」
強く輝き、気が付いた時には水晶の中に封じ込められていた。
フィラ・フィアはふうっと溜め息をつく。
「風神リノヴェルカ、封印完了。ありがとうフィレル。あなたのお陰で楽に出来たわ」
「フィラ・フィアぁっ!」
フィレルは抗議の声をあげた。
「せっかくさ、女神さまさ、荒ぶるのをやめようとしてたのにそれでも封じようとするんだぁ!?」
「当然じゃない。またいつ狂いだすかはわからないし、そうなったら見逃したことを後悔することになるわ。それだけはしたくないの。……ええ、もう、昔みたいなことは」
彼女は何かを思い出すような遠い目をした。
「ひとつ、語っていいかしら」
言って、彼女は勝手に喋り出す。
「昔々、心優しい水女神様がおりました。彼女は人間を愛し、人間の傍にいることを望み、人間との間に可愛らしい赤ん坊を設けました。けれどある時、赤ん坊は殺されてしまいました。殺したのは人間でした。彼女は人間に裏切られたのです。
その日から彼女は狂い、人間の村に大洪水を起こすようになりました」
語られたのは、
「時の王アノスは彼女に『荒ぶる神々』認定を下し、彼女らを封じるために七人の英雄たちが旅立ちました。彼女と対峙し、英雄たちは彼女の哀しみの過去を知りました」
古の昔、フィラ・フィアがその身をもって体験した物語。
「英雄の中でも穏健派であった封術師ユレイオは彼女を封じることを忍びなく思い、誠心誠意、思いを込めて、彼女を説得し、人間を襲わないように約束させました。水女神は約束すると強く頷きました」
けれど、とフィラ・フィアは目を伏せる。
「その次の日、再び洪水が村を襲いました。約束が違う、と憤慨したユレイオは水女神と直談判するため、単身、水女神の神殿に向かいました。仲間には『必ず帰ってくる』と約束しましたが……その約束が守られることは、ついぞありませんでした。わたしたちは一日待ちました。その次の日、ユレイオの双子の兄ユーリオは、弟が死体となって川で浮いているのを発見したのです」
三人称で話しているつもりだろうが、いつの間にか「わたしたちは」と話してしまっていることに、彼女は気付かない。
「そして、わかりました。わたしたちは神々の約束を信じてはならないと。あの後わたしたちはユレイオの復讐の為に水女神に挑み封じましたが、最初に彼女に慈悲を掛けなければユレイオは死ななかったのだと思うと、その心中は複雑でした。残されたユーリオは慟哭し、神々をひどく憎むようになりました。ユレイオはわたしたちの中で、最初の犠牲者でした」
これで話は終わりね、とフィラ・フィアは悲しげな笑みを見せる。
「要は、神様なんて信じちゃいけないの。確実に封じなければ、いつかわたしたち殺されるわ。神様に慈悲なんて掛けちゃいけないの。そうよ、ユレイオみたいな犠牲者を、これ以上増やさないためにも!」
彼女の語った物語は、重い。
そう、とフィレルはうつむいた。
「そっか、それなら仕方がないよね。でも……」
これでリノヴェルカを救ったことになったのかなぁ。
そんな呟きは、風の残骸に乗せられて遠くへ運ばれ、ついぞフィラ・フィアの耳に届くことはなかった。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.17 )
- 日時: 2019/06/18 09:49
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
【間章 その名は霧の……】
風神の神殿を出て、ツウェルの町へ戻る。またイルキスと会えないかなと青みがかった銀の髪を探したが、生憎とそれらしい人物は見当たらなかった。
「まぁ、仕方ないか。風来坊を自称していたし、どこか別の町にでも移動したのだろ……——……ッ!」
言いかけて。
不意に、ロアが顔を歪めて頭を押さえた。激しい頭痛でもするのか、その顔には苦しみがあった。額には脂汗が浮いていた。
「ロア、ロア、どうしたの!?」
彼の尋常でない様子に、心配げな表情を浮かべてフィレルは近づく。フィラ・フィアは癒しの舞を舞おうとしたが、「神様封じに力を使い過ぎたわ」と悔しげに首を振った。
苦しむロア。そんな彼を前に、何もできずにおろおろするフィレル。
と。
——リン。
霧の彼方から聞こえたかのような儚い鈴の音が、ひとつ。
その音のした方を振り向けば、そこには。
「……誰?」
白の、ボサボサの長髪、冷たく澄みきった印象を与える蜜色の瞳。白のローブを身に纏い、足には白のサンダルを履いた、謎の男が立っていた。
男は、口を開く。
「——頭が、痛いか、な?」
凛とした、冷たい声だった。
対するロアは、一言も発することもできない。
男は、言う。
「だろうねぇ。その記憶、私が封じたのだから」
「あんた誰だよっ! ロアに何をしたんだよっ!」
相手の言葉に、フィレルが怒りをあらわにする。
男は泰然として、言った。
「私はそこの少年の記憶を隠した存在さ。今、記憶の一部を返したが、どうかな?」
「ちょっと待ってよ。ロアの記憶を隠した? ロアの過去には何があったの? というか、どうしてそんなことしたのっ!」
憤慨するフィレルの隣、ロアが固まっていた。
頭痛は治まったらしい。その顔には驚きと困惑があった。
「……ロア? 大丈夫?」
心配げに声を掛けるフィレル。
ロアは小さく、呟いた。
「……思い、出した」
その目に浮かんだのは、郷愁のような何か。
その表情を見、フィレルはロアがどこかに行ってしまうような気がして、思わず呼び止めた。
「思い出しちゃ駄目だよ、ロア!」
ファレルもいつしか、ロアの失われた記憶について言っていた。思い出さない方が良いと。忘れてしまったということは、忘れてしまうくらいに、そうやって自己を守らなければならなくなるくらいに、嫌なことがあったのだろうから、と。ロアは失われた記憶を取り戻すことを願っていたが、ファレルはそれによって平穏が失われることを危惧したらしい。ファレルとロアは血のつながりこそないけれど、彼からすれば家族同然の存在だった。
そうやって守ってきた平穏、そうやって守ってきた幸せな日々。
けれどもそのパンドラの記憶の一部が今、謎の男によって強引に取り戻されようとしている。
ロアは呟いた。
「……ノア」
それはフィレルの知らない名前。
ロアはどこか遠くを見るような眼で、夢見るように呟いた。
「大切な存在、だった。誰だったか? 思い出せない。記憶は不完全なままだが、過ごした幸せな日々が、ぼんやりと……」
「ロアッ!」
そんなロアを、背の高いロアの頬を、フィレルは目いっぱい背伸びしてぶっ叩いた。
ぶっ叩かれて、ロアは驚いたように目をしばたたいた。
そんなロアに、フィレルはエメラルドグリーンの瞳に強い輝きを宿しながら、言った。
「思い出しちゃ駄目だってば! その記憶、思い出したらきっと、ロアは僕らから離れちゃうよ。僕はそれは嫌だし、今無事かもわからないファレル様もそれを望んではいないと思うんだ。ロア、ロアはさ、得体の知れない過去の方が、今の僕たちよりもずっと大切なの? ロアは得体の知れない過去の方を選ぶの?」
いなくならないようにとしがみ付いたフィレル。その頭をロアは不器用に撫でて、かすれた声で呟いた。
「……悪かった」
それでもその目はどこか遠くを見ていて。
フィレルは男に向き直った。
「あんた、何者? 目的は何? どうしてロアの記憶を奪っといて今更返したのさ? 答えてよッ!」
男は淡々と答える。
「私はこの世界の霧と灯台の神だよ。霧の神セインリエス、それが私の名前だ。どうしてこのようなことをしたのかと言えば……」
チャンスを与えたかったのもあるけれど、と小さく呟いた、あと。
その瞳に宿ったのは、決して癒されぬ悲しみ。
「生きているのはもううんざりだ。私を殺して欲しいと思ってね」
◇
「どういうこと!?」
驚く一同に、霧の神セインリエスは悲しく笑うだけ。
「誰も私を殺してくれない。人間種族は怖すぎる。ならば繋がりの一部を破壊したら、きっと私を殺してくれるかもしれない? そう思ったけれど一段階目で成功するとは思っていない」
いずれまた会いに来るよ、と彼は底の知れない笑みを浮かべた。
「その時は黒の少年、またあなたの記憶を返そう。ずっとずっと記憶を取り戻したかったのだろう? ならば丁度良いじゃないか。何を恐れる必要がある?」
笑いながらも、霧の男の姿は薄れていく。まるで霧に包まれていくかの様に。
「待て!」
追いかけようとしたフィレルは何かを思い出し、炎の絵を描こうとしたけれど。
既に手遅れ。霧に包まれ、男は消えていった。
ロアはまだぼんやりしていた。そんなロアにしがみついてフィレルは言う。
「思い出さなくていいんだよ。あんな奴の策略になんか乗っちゃ駄目だよ。殺してくれだって? 自殺でもすりゃあいいじゃないか。それに僕らを巻き込むなよッ!」
霧の神は荒ぶる神じゃないの、とフィレルが問うと、フィラ・フィアはいいえと首を振った。
「セインリエスは地上に害をもたらしてはいない。彼は遠い昔に死んでしまった、人間の恋人を求めて死を願うだけ。けれども彼は強すぎて、そう簡単には死ねなくて、死にたいと思いながらも何百年も生きながらえて、悲しみの歌を歌っているだけ」
彼もまた、悲しい神様なのよと目を伏せた。
「それでも、わたしたちを巻き込むのは筋違いだと思う。みんな、あの神様には気を付けて。あの神様は霧のベールに包みこんで、誰かの記憶すらも隠してしまうから」
フィラ・フィアの顔は沈鬱だった。
◇
「次に目指す場所は何処?」
気を取り直して、とフィレルが問うと、フィラ・フィアはフィレルに描いてもらった地図を眺めながらも、頷いて南の町を指した。そこには「エーファ」と書かれている。
「この町の辺りに、死の使いデストリィの神殿があるはず。彼女は決められた命だけを刈り取る死神でありながら、命を刈り取る楽しさに目覚めて関係ない人々も殺すようになり、やがて虐殺者になってしまった神様よ。今もまだ封じられていないのならば、彼女の存在はかなり危険なものだと思う」
オッケー、とフィレルは頷いた。
フィラ・フィアはロアの方を見た。
「過去が気になるのもわかるけれど、あなたはわたしたちの剣であり盾よ。いつまでもセインリエスに引っ張られていないで、しゃんとしなさい」
ロアは頷き、地図の上に鋭い視線をやった。
次の目的地も定まった。旅は順調である。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.18 )
- 日時: 2019/06/22 17:58
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
ツウェルの町からエーファへ。エーファはそこそこ大きな町で、街道もそれなりに整備されており、旅に特に不便は感じなかった。
そしてたどり着いたエーファの町。町の入り口には大きな門があり、町の周囲をぐるりと城壁が取り巻いている。
門には番人のような男がおり、どうやらこの男に認められないと門をくぐることはできないらしい。
フィラ・フィアは難しい顔をした。
「この町に来た目的を言わないといけないようね……。でも、素直に喋ったら信じてもらえるわけがないわよね。——そう、イルキスの時みたいに」
「だよねぇ。どうすればいいんだろ? 普通に『入れてー』って言えば通してくれるかなぁ?」
「そんなので通ったら町の警備はどうなってるんだって話だよ。何か良い言い訳を考えないとな」
ロアは難しい顔をする。
街道を通る人は皆検問を受け、その後で町の中に入っているらしい。
そこでフィレルはぽんと手を叩き、小脇にキャンバスを抱えて、門番に近づいた。「お、おい?」戸惑うロアの声に、大丈夫だよと親指を立てて見せながら。
フィレルは「何の用だ」と声を投げる門番に、最高に無邪気な笑顔を向けた。
「僕はフィレルぅ! 旅の絵描きだよぅ。あのねー、今ねー、いろんな町を回っては絵を描いてるの。こっちの町の風景も描いてみたいなぁって、ね!」
無邪気に笑う少年の姿に毒気を抜かれたのか、ああ、と門番は頷いた。
「わかった、通って良し!」
「あっちの仲間も一緒でいーい?」
「構わない。次!」
言って門番は、次の通行人の検問に入っている。
仲間の元にたどり着いて、フィレルはやったねと笑った。
フィレルの明るさや無邪気さは、確かに彼に禁忌を犯させたけれど。それは意外なところで役に立った。
実際、「僕も町の風景とか描いて、記念にとっておこうかなぁ」などと本人も言う始末。これをまさか違う目的で町に入ろうなどとは思うまい。「そんな暇なんてないわ」と実際、フィラ・フィアに止められたが。
「とりあえず第一目標は達成できたわ。後は情報収集、ね!」
言葉と共に歩きだすフィラ・フィアの後に続いて、フィレルとロアは門をくぐった。
町の中に入った時、ロアは違和感を覚えた。
「ロア、どうしたの?」
ふと眉をひそめた相棒に、フィレルは気遣わしげな声を掛ける。また頭痛が再発したとでも思っているのか。
ロアは難しい顔で答えた。
「いや……何だか、皆に見られているような気がするのだが……気のせいか?」
「外部から来た僕らが珍しいんじゃない。確かに最近はさぁ、旅の絵描きとか減ったしさぁ」
「そうだといいんだが……」
ロアは難しい顔を崩さない。
まぁとりあえず、とフィラ・フィアがまとめた。
「違和感の原因は後で突き止めるとして……今、大事なのは情報収集よね。あれから三千年。死の使いデストリィは今、どうしているのか。それが知りたいわ」
「……だな」
そこへ。
「ねぇねぇ旅の絵描きさん。今、『デストリィ』って言った? それならぼく、知ってるよ!」
会話の端を聞いて、フィレルよりもさらに幼い、可愛らしい顔をした少年が声を掛けてきた。
くるくるとカールした、癖っ毛ぽい淡い金髪、海をその奥に封じ込めたかのような、深く美しい碧の瞳。純白の衣装を身に纏った少年は、まるで天使のようだった。
彼は言う。
「旅の勇者さん、お願いなんだよ。出来るならあんな神様、倒しちゃってよぅ!」
少年はティムと名乗った。彼の話によると、死の使いデストリィは毎週一人の生贄を求めるらしい。逆らえば町の全ての住人を大虐殺する、つまり生贄は町を守るための仕方のない犠牲なのだという。そして生贄として差し出された人間は、次の週には見るも無残な姿で帰ってくるという。
「ぼくの父さん、生贄になって帰ってきたよ。見ないで、って母さんがぼくの目をふさいでたからどうなったのかは知らないの。でね、その母さんはそのまま弱って死んじゃった。今は姉さんがぼくの面倒を見てくれているの」
そう、少年は淡々と告げた。
「ずっと昔からそう。デストリィは生贄を求めるの。でも、ぼくらはそれでもこの町を捨てられないんだ。この町を見た? 海が近いから魚も取れるし、港があるから貿易も盛ん。太陽もよく当たるから農作物も立派に育つし、家畜だってまるまる太ってる。場所だけならば最高の町なんだよね」
ぼくらの祖先は、貧しかった北方から逃げてきてこの町を見つけたんだってさ、と彼は言う。
「だから今更帰れないの。だから犠牲は仕方ないもの、この町を守るための人身御供なんだってさ」
「なんてこと……」
フィラ・フィアは思わず顔を覆った。
しかしその原理は当然とも言えて。
大を生かすためならば、小を切り捨てることを厭わない。隣で誰かが泣いていても、それが集団を生かし、守る唯一の方法ならば仕方がない。
そんな負の連鎖が三千年も、この町で続いてきたというのか。否、多少町が変わっても、この地ではずっとそんなことが起きていたというのか。神に歯向かった町は虐殺という名の粛清を受けるが、土地条件が良いために、気が付いたらそこには新たな町ができている。そして神は再び生贄を求める……。
そこで、とティムは一同をすがるような眼で見上げた。
「生贄はくじ引きで選ばれるんだ。でね、先週のくじ引きでね、とうとうぼくの姉さんが、残った唯一の家族がさぁ、選ばれちゃったんだよぅっ!」
彼は泣きそうな顔をした。
歳は多く見積もっても十歳になるかならないか。そんな子がいきなり家族を全て失うことになったとしたら。そして家族のうち二人が生贄としてささげられることになったとしたら。その悲しみは、やるせなさは、いかほどのものか。
口をきゅっと引き結んで、それでも泣くまいとした少年。彼に目線を合わせ、フィラ。フィアはそっと、その細い肩に触れた。赤い瞳が純粋な怒りを宿している。
「大丈夫、大丈夫よ。わたしが封じる、わたしが何とかするから。わたしたちは今ね、悪いことをする神様を封じる旅に出てるのよ。デストリィも封じるから、安心して大丈夫。あなたの姉さんは死なないわ。約束、する」
ほんとうに? と言う少年に、ほんとうよ、とフィラ・フィアは強く頷いた。
良かったぁ、と少年は嬉しそうな顔をした。
「やったやったやったぁっ! わぁいわぁい、ありがとうっ!
……あれれぇ? でもさぁ、デストリィは強いんだよぅ? 町の大人たちでも倒せなかったんだよぅ? 確実に倒せるって自信はあるの?」
それは、とフィラ・フィアは言い淀みかけたが、あるよ! とフィレルが力強く笑った。
「僕はただの絵描きってだけじゃないもん。描いた絵を実体化させる、『絵心師』だもん。そこのフィラ・フィアは神様さえ封じられる『舞師』だし、ロアもすっごく強いんだからっ!」
相手の言葉を聞いて、少年はおかしそうに笑った。
「はははっ、神封じのフィラ・フィアだって? そんなのがいたら心強いねぇ」
彼は明らかに本気にしていないようだったけれど。
それでも、フィラ・フィアは強く言った。
「わたしはフィラ・フィア、神封じのフィラ・フィアよ。信じてくれなくてもいい。でも、これだけは信じて、ティム。
——わたしはこの悪夢を終わらせる」
強い決意で放たれた言葉に、お願いねとティムは頷いた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.19 )
- 日時: 2019/06/24 11:59
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
折角だから泊まってってよ、というティムの言葉に甘えて、デストリィ戦への英気を養うためにも、フィレルらはティムの家に一晩だけ、厄介になることにした。ティムの家はそこそこ大きく、親がそれなりに裕福であったことがわかるような作りだ。
「初めまして。ティムの姉、ティラですわ」
ティムに案内されて立派な柱時計のある応接間に通され、しばらくして、そこからティムと、一人の少女が現れた。
歳は十九、二十くらいか。艶やかで美しい黒髪を背中に垂らし、その瞳は憂いを含んだ紫。ワインレッドのワンピースに身を包み、白い靴下、黒い革靴を履いている。人形のような少女だった。
彼女は問うた。
「ティムから聞きましたけれど……あなたがたが、デストリィを倒して下さる勇者様ですの?」
ええ、とフィラ・フィアは頷いた。
「ティムと約束したの。わたしたちが、絶対にあの神様の横暴を止めてみせるって!」
「そう……」
ティラは頷き、艶やかに微笑んだ。
「それはそれは、非常にありがたいですわ。わたくしはまだ、死にたくはないのです。殺されたくはないのです。あんなに無残な姿になって、苦しみぬきたくはないのですもの。あなたがたがわたくしたちの希望の光、わたくしの未来は託しましたわよ」
「託されたわ! ええ、任せなさい!」
強く答えるフィラ・フィアに、紫の眼差しを向けて。
「では、素敵な晩餐に招待いたしますわね。ああ、遠慮はなさらないで。わたくしたちの、感謝の気持ちですの。素直に受け取って下さると助かりますわ」
言って、彼女は部屋を出た。その後ろでティムが、「しばらく待っててね。できたら呼ぶから!」と声を掛けてから、姉の背中を追い掛けていった。
「妙なことになったな」
二人が応接間の扉を閉めてから、ロアがそんなことを言いだした。
そうかしら、とフィラ・フィアが首をかしげる。
「神様に虐げられている人々がいる。ティムくんのあの表情を覚えているわよね? ならばそれを助けるのがわたしの使命よ。ツウェルでは神様を信仰していたみたいで人間と神様の関係はここほど悪くはなかった。でも、ここの神様はそうじゃないし、だからこそしっかり封じないと。何がおかしいの、ロア」
「それはわかってはいるんだが……」
彼は妙に納得のいかない顔をしていた。
「まぁ、なるよーになるよ!」
フィレルは何処までも楽観的である。
ロアは相変わらず、どこか腑に落ちないような顔をしていた。その顔がどこか遠くを見るように、ふと細められた。
「ノア……」
知らず、呟かれたのは、霧の男がロアに思い出させた名前。
フィレルの知らない過去、パンドラの記憶。
ロアは、言うのだ。
「あの少年……ノアと、似ているような……? というかそもそも『ノア』って誰だ?」
思い出せない、と言うロアに、思い出さなくていいとフィレルは言った。
それでもその目は遠くを見たままで。
それはロアの問題だ。いくらフィレルが『思い出さなくていい』と言ったって、考えてしまうものは考えてしまうのだろう。
ただ、フィレルの心の内には嫌な予感があった。
——ロアが全てを思い出したら、僕らの幸せは崩れ去ってしまう。
霧の男の言い草からして、ロアの失われた記憶は決して、良いものばかりではないことがわかる。記憶を失い、自分をそうして守らなければならないくらい最悪な出来事が起きた可能性だってある。だって今は戦時中なのだ、何が起きたっておかしくはない。
それを思えば検問もなかったツウェルの町は開放的なところだったなぁとフィレルは思いを馳せた。
何はともあれ。
「ま、とりあえずご飯を待とーよ」
楽観的なフィレルは、あまり深く考えない。
◆
丁度その頃。
「入って良し!」
「どうもね」
検問をくぐってきた一人の青年がいた。
頭の高いところで括られた、青みがかった銀の長髪、海を写し取ったかのような深い碧の瞳。魔導士めいてはいるが、ローブの腰のところをベルトで留めて動きやすくし、裾もたくしあげて焦げ茶のブーツを履いている。
青の瞳の奥にきらめく諧謔の光を浮かべた青年は、町に入るとぐるり辺りを見回した。
「きっと次はデストリィだから……この町、だよねぇ」
彼は一回引き返すと、検問の人に尋ねた。
「ねぇねぇ、この町に絵描きの男の子と黒の剣士と、踊り子の少女の三人組が来なかったかい?」
「ああ、来たぞ。旅の絵描きなんて珍しいからよく覚えているんだ。知り合いかね?」
「ま、そんなものかな」
ありがとうと検問の人に礼を言い、青年は難しい顔をする。
「この町って何も知らない人には、否、この町を知っている人にだって危険なんだよね。あの一団は恐らく何も知らないだろうけれど……」
青年は右足を大地に打ち付けた。途端、周囲に冷たい風が吹く。町人たちはそんな魔法を使った青年を驚いたような眼で見つめ、青年は冷たい声を放った。
「この町についてはよく知っているよ。言っておくけれど、ぼくに手出ししようと思うなんて無謀だからね。僕の魔法ならば、人間くらい簡単に八つ裂きに出来るんだ」
冷たい声での威圧に怯え、町人たちは彼から距離を取っていく。
それでいい、と彼は呟いた。
「うう……あの毒のせいで病弱体質が復活しそうなんだけど。でもまぁ、仕方ない仕方ない。今夜は野宿するしかないかな」
その身体を震わせ、軽く咳き込みながらも青年は呟いた。
◆
- Re: 魂込めのフィレル ( No.20 )
- 日時: 2019/06/27 11:29
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「ご飯、できたよーっ!」
それからしばらく。
天使のようなティムが、フィレルたちを呼びにきた。
「あのね、姉さんが頑張って作ったの。ぼくも手伝ったの。すっごくおいしいから食べてねっ!」
無垢な笑顔に案内されて、一同は食事の間へと向かう。
食事の間には、立派な料理が用意されていた。
子羊の照り焼き、オマール海老のスープ、新鮮野菜のサラダに特製ドレッシングがたっぷり。そして小麦のふわふわのパン。
「わぁ、美味しそうっ!」
目を輝かせるフィレルに、いつの間にか現れたティラは微笑みを向けた。
「喜んで下さって何よりですわ。さぁ、お召し上がりになって」
「みんなは食べないの?」
「客人が先に食べるのが礼儀というものでしょう」
彼女の微笑に誘われて、フィレルは料理を口にした。おいしい、と目を輝かせ、もりもり食べる。その勢いにつられてか、ロアとフィラ・フィアも恐る恐る料理に口をつけた。咀嚼して呑みこみ、それぞれに感想を言い合う。
が、その瞬間。
「あれれぇ……?」
ぐらり、傾いたフィレルの身体。
「おい、フィレ……」
その背を支えようとしたロアの身体も、崩れ落ちた。
「……ちょっと、あなた、たち」
二人と同じく崩れ落ちながらも、フィラ・フィアは信じられないという顔をした。
「わたしたちに……毒、を?」
がたん、落ちてきた料理の皿がフィラ・フィアの銀の腕輪に当たった。当たったそこが黒く染まる。——毒がある、証拠だ。
フィレルらの視界に、姉弟の顔が歪んで映った。
「誰があのデストリィを倒せるなんて信じるかな。悪いけれど、きみたちには姉さんの代わりに生贄になってもらうから」
二人は最初から信じてなどいなかったのだ。二人は余所者が町に来たと知ったときから、計画していたのだ。
——その余所者を捕まえて、デストリィに、自分たちの代わりとして差し出そうと。
そうすれば、確実に自分たちは死なないで済む。そうすれば、確実に悲しみの未来を回避できる。
相手がいくらデストリィを倒すと口にしたって確証はない。ならば確実に、自分たちが助かる方法を——選ぶ。
その行動原理は理解できたけれど、騙された、という絶望は深くて。
しかし今更何か描いて攻撃しようにも、身体に力が入らなくて。
明滅しながら、少しずつ暗くなっていく視界。闇に落ちようとする意識を懸命に呼び戻そうとしたがうまくいかない。
「騙した、な……」
悔しそうなロアの声を耳に聞きながら。
抗えず、フィレルの意識は闇に閉ざされた。
◇
次に目が覚めた時、フィレルらは縄で縛られて、一つの部屋に転がされていた。
「調子はいかがですの?」
声に視線を向ければ、そこには黒髪の美しい少女。
フィレルは彼女に恨めしげな目を向けた。
「悪いよぅ、すっごく悪い! さっさとほどいてよっ! 僕らにはまだまだやることがあるのっ!」
「それはできない相談ですわ。ああ、でも大丈夫。『やること』なんてもう、永遠にやらなくてよいようになりますもの」
「……僕らを、どうする気」
「決まってますわ」
彼女は優雅に微笑んだ。
「わたくしたちの代わりにデストリィの生贄になっていただき、地獄の責め苦を受けていただくだけ。最終的には命も奪っていただけますのでご安心あそばせ。わたくしたちの代わりに、あなたがたは尊い犠牲になるのですわ」
「……っ、ふざけるなよなっ!」
その身勝手な言い分に怒ったフィレルは、縄から逃れようともがくが、力が入らず、その身体はただ無駄に体力を使うだけ。
「抵抗するだけ無駄ですわ。さっさと運命を受け入れた方が楽になれましてよ」
そんな捨て台詞を残して彼女はいなくなった。
「……あいつめ」
フィレルの隣で、目を覚ましたらしいロアが毒づいた。
彼も先ほどから縄から逃れようと試行錯誤しているようだが、どうにもうまくいかないらしい。
そんな二人の隣で、目を覚ましたフィラ・フィアが、ぽつりと呟いた。
「……絶対に何とかするって、約束したのに。あっちも信じてくれたはずなのに」
彼女の瞳は悲しげだ。
「わたしたちは裏切られたのね。善良そうな人たちだと、思ってたのに」
「……人は見かけによらないってことだな」
ロアは悔しそうに歯を噛み締めた。
そして、時が来た。
「生贄さーん、時間だよー」
そんな声とともに、天使のような顔のティムが扉を開けた。
彼の後ろに続くのは、何人もの大人たち。彼らは目の前に転がされているフィレルらを見、確認するように言った。
「こいつらがお前の姉さんの代わりの生贄でいいんだな?」
うん、とティムは頷いた。大人たちは「わかった」と言うと、無造作にフィレルらを肩に担ぎあげた。
「わわっ、何するんだよぅ」
「いいから黙ってろ!」
びっくりして声を上げたフィレルは頭を殴られ、涙目で大人たちを見た。
そうして彼らは連れていかれる。予期せぬ形で、全身を動けなくさせられた状態で、死の使いデストリィの神殿へと。
大人たちに連れていかれる。ティム姉弟の家の前でティムはフィレルらを見送っていた。最後、その唇が「ごめんね」という言葉に形作られた。もしもこんな形で出会わなかったのならば、彼らは友達になれたのかも知れないのに。
裏切られたことへの苦い思いはあったが、フィレルの脳裏には、ティムが最後に見せた表情が離れずに繰り返し浮かんでいた。
その表情は、罪を覚悟で、それでも自分たちが助かろうとして罪を犯した、それは一種の誇りのようなものであった。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.21 )
- 日時: 2019/07/01 12:51
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
どさり、投げ出された身体、感じた衝撃。石の冷たい感触、ひんやりとした空気。「一応返しとくぜ」隣に荷物も放り投げられた。
デストリィの神殿についてからしばらく。フィレルらの身体は神殿の奥にある祭壇の前に投げ捨てられた。当然ながら、縄は解かれないままで。
「しばらくしたらデストリィが来る。一週間後にはおまえたちは、見るも無残な遺体となって捨てられるだろう。この町に来たことが運の尽きだ、旅の絵描きさんよぉ? ま、せいぜい、自分の悪運を恨むこったな」
そう、大人の一人は言って、フィレルらを置いて来た道を引き返していった。
フィレルらの意識はこの頃には既に完全覚醒していたが、今の状況の打開策が浮かばない。意識はあっても毒のせいか、全身は異様なだるさに包まれていた。
そして、
◇
「——あなたたちが、今回の生贄?」
空間を裂いて聞こえた声。それは淡々とした、少女の声。
灰色の、ショートボブの髪。感情を湛えない、無機質な白の瞳。頭には黒いリボンがついていて全体に白っぽい灰色のフリルのついた、灰色のヘアバンド。胸元にはフリルのついた、手の大きさほどの黒いリボン。灰色のワンピースに、白いフリルが要所要所についている。太ももまである白のロングソックスを履き、黒の靴。ロングソックスは素肌は見えないギリギリ位までワンピースの丈はある。その手には真っ白な刃のついた、大きな鎌があった。
全体的に、どこか死神っぽい印象のある、無機質な少女だった。彼女は名乗る。
「わたしはデストリィ。死の使いにしてこの神殿の主。あなたたちがわたしのおもちゃ? ここにいるということはきっと、そういうことなんだよね」
フィレルはその意外さに驚いた。デストリィの別名は「愉悦に狂った収穫者」。そのあだ名の通りに、もっと狂った外見を想像していたのだ。
彼女は面白そうな顔で、フィラ・フィアを見た。その顔に輝いたのは好奇心。
「へぇ、あなたは封神のフィラ・フィア? 生きてたんだ。死んだはずだよね、ずっと昔に。どうして生きてるの?」
彼女の質問に、フィラ・フィアは唇をきっと引き結んで相手を睨んだ。
「あなたの質問に答える義理などないわ。そんな顔をして、あなたが散々ひどいことをしてきたのは町の人から聞いているの」
「へぇ、そう。まぁいいや。
でも、あなたたちは今回、わたしの生贄として選ばれた、わたしの玩具として選ばれた。なら……」
デストリィは面白そうに笑った。
その白の瞳に狂気が宿る。
「——壊しちゃったって、いいよねっ!」
言葉と同時、彼女は手にした鎌を振る。ぐるり描かれた半月の軌道、鎌の動きに合わせて無数の小さな白刃が現れ、縄に縛られたままの、無防備なフィレルらに迫る。
「くそっ!」
ロアが毒づき、縄の拘束から逃れようと必死でもがくが抜けられない。そして非情にも迫る刃。
その、刹那。
柔らかな風が、吹いた。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.22 )
- 日時: 2019/07/03 01:48
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
フィレルは自分の死の瞬間を想像して怯えていたが、いくら待っても何も起こらないことを知り、恐る恐る顔を上げた。
そして、気づく。
「……動ける」
デストリィの刃は不思議なことに、フィレルら本体を傷つけず、縄だけを切り裂いて止まっていたのだ。
はらはらと落ちた縄の残骸。
顔を上げた先には、青みがかった銀の長髪の、魔導士めいた軽装の青年がいた。青年はフィレルの視線に気づくと、爽やかに笑って声を投げた。
「やぁ、ここで会えるなんて、“運”がいいね?」
「イルキス!?」
彼は微笑み、間に合ってよかったと息をついた。
そんな彼に、デストリィは怒りを向ける。
「ひどい。わたしの玩具、勝手に自由にしないで」
「ひどいのはどっちの方さ」
呆れたようにイルキスは呟き、フィレルたちを振り返る。
「さぁ、拘束は解けたよ。毒はまだ抜けてないかな? ならば……それ、これでもどうだい」
言って、彼は懐から何かを取り出した。マッチと……不思議な、木の一部。イルキスが小皿を取り出して木片をその上に置き、マッチで火をつけた。すると間もなく、清浄な空気がその気から漂い、それを吸い込むと全身のだるさが一気に引いていくのをフィレルは感じた。
毒が抜けるとすぐにロアは立ち上がり、剣を構えてデストリィを睨む。
フィレルは驚きの目でイルキスを見た。
「すごい……。これ、何なの?」
「山の奥深くにしか生えないオルファ香さ。あらゆる毒を消し去る万能の霊木だよ」
これで何とかなったかな? と彼は笑う。
フィレルは恐る恐る立ち上がり、身体を動かしてみる。動いた。それを確認すると、フィレルは転がされた荷物に飛びつき、キャンバスを取り出した。絵筆とパレット、一部の絵の具はポケットにあるし水筒は装備している。
「ありがとー、イルキス! 助かったんだよー!」
「……助けは本当に嬉しいけれど、どうしてわたしたちを助けたの。ツウェルでは敵対したじゃない」
フィラ・フィアは訝しげな表情を浮かべながらも立ち上がり、落ちていた錫杖を拾い上げ、封印の舞を舞う準備をする。
そんな彼女の隣に立って、イルキスは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「あの時は確かに対立したけれど、今はぼく、きみたちが『本物』って信じてるし。それにさぁ、ぼくは風のように気まぐれなんだ。きみたちについていくの面白そうだと思って、ね」
その目に諧謔《かいぎゃく》の光を浮かべ、笑うイルキス。
そんな彼に向かって容赦なく白い刃が飛んだが、毒の抜けきったロアが剣を抜き放ち、それを防いだ。
「不意打ちを狙おうとしたのだろうが……させないぞ」
「……わたしの、玩具」
デストリィの顔に強い怒りが浮かび、その瞳が赤く染まる。
「あなた、邪魔した。ならば壊してあげるよ、苦しめてあげるよ。わたし、容赦なんかしないんだよっ!」
言って振った鎌の先、先ほどよりも圧倒的多数の白刃が浮かび、フィレルらに飛来する。流石のロアもこの量を一人で捌《さば》き切るのは無理だ。
だが、今ここには、飛来する攻撃に対しては圧倒的な回避力を誇る特殊魔導士がいる。イルキスは真剣な目をして叫んだ。
「運命神《ファーテ》よ、ぼくに力を貸すならば今なんじゃないのかい!?」
風も起こらない、何も起こらない。けれどその刹那、確かに感じた圧倒的な力の波動。それはファーテの力、運命神の力。イルキスと契約した、力ある神の力。
幾千もの刃は一部はロアの剣に食い止められて砕け落ち、残りは奇跡的にもフィレルらを避けた軌道を取った。
フィレルは呆然とした。この力、指運師の力。奇跡としか思えない力を駆使し、どんな矢も当たらなくしてしまうその力は確かに、状況によっては非常に有利な結果を味方にもたらしてくれるに違いない。
「……って、そんな場合じゃない! わたしは舞うわ。みんな、しばらく食い止めててッ!」
同じく呆然としていたフィラ・フィアは不意に我に返り、封神の舞を舞い始める。しゃん、しゃん、と錫杖と身につけた鈴が鳴り、光でできた虹色の鎖が現れて、少しずつ実体を得ていく。
「間接攻撃は……無理? ああ、もうっ! みんな、わたしを怒らせるのは得意だね。わたしは無抵抗な生贄で遊ぶのが好きなのに……」
苛立たしげに呟いたデストリィ。彼女の目が赤く光ったかと思われた、瞬間。
「あっさり殺してあげるね」
彼女の身体が瞬間移動し、刹那の後にはイルキスの目の前にいた。驚いた顔のイルキスを彼女の大鎌が切り裂く。飛び散った血の飛沫。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.23 )
- 日時: 2019/07/04 10:25
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
だが、イルキスは笑っていた。その目に諧謔を浮かべながら。
イルキスは幻影使いだ。そのことに気が付いたフィレルは、見る。イルキスを斬ったデストリィの背後、もう一人のイルキスが立っているのを。
このイルキスが本物だ。
「もらった、よ!」
イルキスの呼び出した水の竜巻はデストリィを包み込み、彼女を縛り、自由を奪う。同時、凄まじい勢いで回転する水はデストリィから酸素をも奪っていく。
そんな彼に守られて、ついぞ完成した虹色の鎖。
フィラ・フィアは銀の錫杖を、水に包まれた死の使いに向けた。
「覚悟しなさい、愉悦に狂った命の収穫者、デストリィ! 定められた命だけを奪っていればよかったのに、命を奪う楽しさに目覚めてしまったのが運の尽き! 悪いけれど、封じさせてもらうわね!」
燦然と輝いた虹の鎖。
が、
不意に。
「…………ッ」
イルキスが苦しげに膝を折った。水の竜巻が消滅し、死の使いが解放される。
その顔は苦しみに歪められ、呼吸が荒く細く乱れている。「イルキス!?」フィラ・フィアの注意が逸れて、虹色の鎖の実体が薄れる。
それを好機と見て、イルキスを殺さんと迫ったデストリィの鎌。
「させるかァッ!」
ロアが吼え、デストリィとの距離を一気に詰める。が、あと一歩のところでロアの剣はデストリィの鎌に届かない。デストリィの顔に勝ち誇ったような笑みが浮かんだ。だが。
「……僕のことを忘れてなぁい?」
その瞬間、完成したフィレルの絵。フィレルは即席で描いたくせに緻密な仕上がりになっている絵に触れた。触れたところが緑色に輝き、描かれた絵が実体化する。
それは、青々とした、植物の蔦。
「いっけぇ!」
蔦はフィレルの指示に従って、真っ直ぐに伸びていく。蔦はイルキスを切り殺さんとしたデストリィの鎌に巻き付き、辛うじてイルキスが傷付くのを防ぐ。
それを見て安心したフィラ・フィアは舞を再開、今度こそ実体化した鎖はデストリィに巻きついた。
「……死の使いデストリィ、封印完了!」
フィラ・フィアの声とともに巻きついた鎖は光を放ち、数瞬後にはその場には、煙水晶に覆われた神の姿があった。煙水晶はフィレルの蔦の一部も一緒に巻き込んでいた。
「……ふう。今回はイルキスが大活躍だったわね。
……って!」
錫杖を振り、満足げに呟いたフィラ・フィア。彼女は微笑んだが、その時イルキスが具合悪そうにしていたことを思い出し、片膝をつき、乱れた呼吸を繰り返しているイルキスに駆け寄った。
「あなた、大丈夫? どこか悪いの?」
「……ここに来る前に毒矢を喰らってね。それ以降調子が悪いのさ」
調子が悪くても、それでも笑おうとするイルキス。フィラ・フィアは困った顔をした。
「……そう。本当ならわたしの舞であなたを治療したいところなんだけれど……神様を封じた直後だし、ごめんなさい、今はもう力の舞を舞えそうにないの」
「大丈夫さ。休んでたら……何とか、なる」
とりあえず、第二の封印は達成したね、とフィレルは笑った。
「じゃあさ、帰ろうよ! 帰ってさ、エーファの人たちを安心させちゃえー!」
「……だな。イルキス、よく頑張った。よく助けに来てくれたな。お前は休んでろ。町までオレが背負って行ってやる」
「……済まないね」
申し訳なさそうなイルキスを、ロアが背負う。
じゃあ帰りましょうとフィラ・フィアは言った。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.24 )
- 日時: 2019/07/08 12:52
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「デストリィは、最初は黄昏の主の命令を忠実に実行するだけの神様だったんだって」
「黄昏の主ぃ?」
「死の神様のことだ。それくらい知ってろ馬鹿」
帰り道。フィレルらの応酬を隣に聞きながら、フィラ・フィアは今回の神様のことを訥々とつとつと語り出す。
「デストリィは忠実だった。デストリィは真面目だった。でもある日偶然、ある人間をひどい方法で殺してしまったときから、人を殺す楽しさに、弱きをいたぶる喜びに、目覚め始めた」
彼女は、語る。
「そしてデストリィは黄昏の主の制御を離れ、好き勝手するようになった。黄昏の主もその息子カイも、そんなデストリィを放置して、誰も何とかしようとしなかった。そしてわたしが生まれたの」
歩きながら、彼女は語る。
「黄昏の主もカイも、わたしが、わたしという神封じの存在が生まれたから、デストリィの処分はわたしに任せることにした。でもわたしは死んでしまった。だからあの神様はそれから長いこと、放置されることになってしまったのね」
でも、と彼女は誇らしげに笑う。
「ようやく封じられたわ。ようやく封じられた。わたしは着実に、三千年前にやり残した仕事を終わらせてきてる」
「あとどれくらい封じればいいのさ?」
フィレルの問いに、そうねと彼女は考え込む顔。
「戦呼ぶ騒乱の鷲、戦神ゼウデラでしょ、死者皇ライヴでしょ、生死の境を壊す者アークロアでしょ、無邪気なる天空神シェルファークでしょ、最悪の記憶の遊戯者フラックでしょ、運命を弄ぶ者フォルトゥーンでしょ……。
あと六体? まだまだ道は長いわ」
そっかぁ、とフィレルは頷いた。
「まぁ、地道に頑張ろーね!」
「そんなこと言ってられないわ。次の目的地は何処?」
「まぁそんなに焦りなさんな」
ぶつぶつ言いだしたフィラ・フィアに、呆れたようにロアが声を掛けた。
「荒ぶる神々のせいで皆が被害を受けているのは解ってはいるが、こっちのスピードにも限度があるんだよ。焦っても何も始まらん。少し落ち着いたらどうだ」
「……それも、そうね」
フィラ・フィアは不思議そうな眼でロアを見上げ、続いてフィレルを見、ロアに背負われているイルキスを見た。
「……不思議。あなたちといると、かつての仲間を思い出すの。ロアはエルステッドに似ているし、フィレルはレ・ラウィそっくり。イルキスは旅の序盤に散った、ユーリオ&ユレイオ双子にそっくりなの。ヴィンセントとシルークはいないけれど……」
彼女の言葉に、フィレルはえっへんと胸を張った。
「ふふふっ、僕はレ・ラウィの子孫なんだよーっ! レ・ラウィと奥さんのルキアの間に神絵師ラキが生まれた。僕にはそんな英雄たちの血が流れているのさっ!」
「オレは記憶喪失の戦災孤児だから出自を覚えていないが、でも、唯一生き残ったエルステッドは、フィラ・フィアの死後、誰とも結婚しなかったと聞く。双子は言うに及ばずだ。だから真に英雄の血を引いていると言えるのは、そこのフィレルだけなんだ。オレやイルキスは……他人の空似だろう」
そっか、とフィラ・フィアは頷いた。
そうやって話している間に、エーファの町に着く。
エーファの町の検問に会った時、一行は大いに驚かれた。
「生贄が……生きて、いる!?」
驚く検問にフィラ・フィアは誇らしげに胸を張る。
「封神のフィラ・フィア、愉悦に狂った収穫者デストリィを、封印してきたわ。報告したい人たちがいるの。わかったならばさっさと通しなさい」
「封神のフィラ・フィア……? あなたが……?」
「疑うならば神殿に行けばいいわ。デストリィの形をした煙水晶がそこにある。それが、わたしが真にフィラ・フィアたる証」
「し、ししし失礼しましたっ!」
検問の人はその場で大きくお辞儀をすると、一行を町の中に通してくれた。
その先で、再会する。
「……どうして、生きてらっしゃるの」
驚いたような顔をして、町の真ん中で固まったティラ。
封じたんだよーっ、とフィレルは笑った。
「えっへん! 僕たちは強いんだからねーっ!」
「ああ、わたしはあなたちを責めないわ。仕方のない選択だって、わかっているもの。まぁ結果オーライだし、どうせすぐに新しい町へ旅立つから」
フィラ・フィアの言葉に、青い顔をしてティラは黙り込むのみ。
そんな彼女の隣から、天使のようなティムが現れて天使のような笑顔を浮かべた。
「旅の絵描きさん、本当にありがとう! お陰で姉さんも死なないで済みます。ひどいことしちゃってごめんなさい」
「大丈夫。だから結果オーライだってば」
そんな少年にフィラ・フィアは優しく笑う。
「でも、もう二度と旅人を騙すなんてことはしてほしくないかな」
ティムは強く頷いた。
「うん、しないよ。ぼく、絶対にしないよ!
……伝説の人、今、本当にここにいるんだね」
そうよ、とフィラ・フィアの瞳に強い光が宿る。
「わたしはフィラ・フィア、封神のフィラ・フィア! 今は過去にやり残した仕事の続きをやろうとしているの。これで信じてくれたかしら?」
「うん!」
少年の笑顔を見、一件落着と判断。別れの言葉を口にし、姉弟と別れた。
今回はこの町の宿にお世話になることにする。次の目的地はのんびり話し合おうということになった。
町にひとつだけある宿で、フィレルの地図を広げて相談する。その頃にはイルキスの体調も回復していた。
そう言えば、とフィレルは首をかしげる。
「イルキスは今後、どうするのぉ?」
言ったでしょ、と彼は笑った。
「ぼくは風のように気紛れなんだ。でね、きみたちのことを面白いと思ってね。ぼくは風来坊、旅をするのは大好きだし、きみたちさえ良かったら、封神の旅団に加えてもらいたいのだけれど?」
その言葉に、フィラ・フィアは目を輝かせた。
「その申し出、ありがたいわ! わたしはいつでも歓迎よ。じゃあ、イルキスもついてきてくれるのね!」
言っておくけれど、死ぬ可能性だってあるのよ? と言うフィラ・フィアの言葉に、覚悟の上さとイルキスは涼しい顔で答えた。
「でも、気になったからねぇ。この旅の結末がどうなるのか……ぼくはそれが見てみたい」
「じゃあ決まりね。ようこそイルキス、新生封神の旅団へ!」
メンバーに新しい仲間が加わった。
さて、とロアは言う。
「次はどうするんだ? 次に封じるのはどの神だ?」
そうねぇ、と地図を見ながらフィラ・フィアは考え込む顔。
彼女は地図に記された一つの町を指差した。
「次は、ここ。封じる神様は死者皇ライヴ」
そこには「エルクェーテ」と書かれている。
その町は、知る人ぞ知る、大きな魔道学校のある町だった。その魔道学校には、今後のシエランディアを担う、若く有望な学生が通っている。そんな町に、未来ある町に、荒ぶる神々の一角がいる。
「死者皇ライヴは死者を操る。単体じゃないからこれまでみたいには戦えないかもしれないわ」
フィラ・フィアの言葉に、真剣な表情で一同は頷いた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.25 )
- 日時: 2019/07/10 10:45
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
【間章 動乱のイグニシィン】
時はさかのぼる。
「終わりだよ、裏切りのエイル」
現実となれ。ファレルの解放された言霊使いの力が彼女に迫った。
彼が力で彼女を動けなくしたから、彼女はもう死を待つしかない。
エイルはその目に悲しみを浮かべながらもファレルを見た。全てを理解しているという顔だった。
最後に、とファレルは問うた。
「君はどうして、僕らを裏切ったんだい?」
「……『お母さま』が」
彼女はぽつりと呟いた。
「『お母さま』が、わたしに命じたんだ。みんなみんな殺しちゃえって。そうすればわたしを愛してくれるって。わたしに本当の愛をくれるって」
その言葉に、ファレルは悲しそうな顔をした。
「『お母さま』が誰かは知らないけれど……僕らでは、君の居場所になれなかったのかな。僕はねぇ、この城の人間全てを僕の家族だと思うようにしていた。実際そのように振る舞ったし、リフィアもエイルも旅立ったロアも、血の繋がりこそないけれど家族だと思っているんだよ。それでは足りなかったのかい? 僕の愛では、君の心を満たせなかったのかい?」
エイルはうつむいて唇を噛んだ。
「ファレル様の愛や優しさは知ってる。でもわたしの一番はファレル様じゃないし、大親友のリフィアでもないの。遠い昔、わたしを地獄から救ってくれた『お母さま』だけ。わたしは『お母さま』の命令でここにいる。『お母さま』の言葉になら、何にだって従う」
彼女は『お母さま』に盲従していた。
「誰もわたしを見てくれなかった。誰もわたしをあいしてくれなかった。みんながみんな、この特異な見た目のわたしを気味悪がるだけ。でも『お母さま』は違ったんだ。『お母さま』は最初から、わたしを愛してくれたんだ。だからわたしは『お母さま』に従うの。それだけ」
「……あたしと仲良しだったのも、その人に命じられてのことなの?」
「違うよリフィア。わたしはあなたと友達になりたかったの。でもできなかった、それだけ」
リフィアの言葉に首を振る。
さぁ、と彼女は赤い瞳でファレルを見た。青いショートボブの髪が、揺れる。
「任務は失敗。帰ったら怒られちゃうよ、嫌われちゃうよ、酷い目に遭っちゃうよ。だからそうなる前に殺してよ、ファレル様」
「……ここに居続けることは、出来ないのかい?」
「無理。わたしと一緒に来てた男たち、『お母さま』の仲間。あの人たちならわたしを殺すことなんて造作ないし、それにずっとここにいたらファレル様たちが危険だよ」
わたしに未来なんてないんだよ、とどこまでも淡々と。
ファレルは溜め息をつき、目を閉じた。彼の周囲に濃密な魔力が集まる。
そんな彼にリフィアはしがみついて叫んだ。
「駄目、駄目だよファレル様ぁっ! エイルちゃんはまだ——!」「息絶えよ、エイル。——現実となれ」
が、問答無用でファレルは“言葉”を発した。彼の周囲ですさまじいほどの魔力が膨れ上がり、問答無用でエイルを襲い、彼女を亡骸に変えた。リフィアの瞳から涙が流れる。
ファレルはそんなリフィアの頭を優しく撫でてやりながらも、幼い子に諭すような調子で言った。
「仕方のないことだったんだよ。彼女はもう、殺してやるしか幸せになる術はなかった」
「……ファレル様は……平気、なの?」
涙をこぼしながらもリフィアは問うた。ああ、とファレルは淡々と答える。
「悲しいとか辛いとか、そんな感情はずっと昔に封じた。僕が人殺しをしたのは初めてじゃないし、今回はその相手が僕の家族だったってだけさ」
「……ファレル様は、もしも相手がフィレルとかロアだったとしても、場合によっては殺せるの?」
「場合によっては、ね。ああ、勘違いをさせないために言っておくけれど、僕は周囲から受ける印象ほど聖人君子ってわけではないし善人でもない。だからエイルを殺しても、リフィアほど心は痛まない」
そう、とリフィアは頷いた。
流れる涙は止まらない。
「あたし、さ……エイルちゃん、大親友だって思ってた。何があっても、これから先ずっと一緒にいるんだって思ってた。それがこんなことになって、さ……。辛いよ、悲しい、よ……」
人はいつしか死ぬものだよ、とファレルは言う。
「だから涙を拭いて。ケーキとか吹っ飛んじゃったし、後片付けしないと。折角の御馳走が台無しになっちゃったね。フィレル達はうまく逃げられたかなぁ」
言いつつ、彼は次の作業に取り掛かろうとするが。
エイルの亡骸が、彼の記憶の中の誰かと重なった。
それはずっと封じていた記憶。彼が壊れた原因である、遠い遠い日の記憶。
あの日、彼の母親は殺されたのだ——。
思い出すまい、強くこらえて、彼は自分を守るために、こうせざるを得なかった。
「意識よ……消え、よ」
呟けば、彼に言霊が応じた。
そして彼の意識は闇に包まれる。
「ファレル様!?」
リフィアの悲鳴が遠くに聞こえた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.26 )
- 日時: 2019/07/14 13:19
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
穏やかな光の中、ファレルは目を覚ます。
そこは彼の部屋だった。彼の眠っていたベッドの横には、椅子の上でリフィアが目を閉じていた。あの後、彼女が後始末をし、ファレルをここまで運び、ずっと傍にいてくれたらしい。申し訳ないことをしたなとファレルは思ったが、あの時、あれしか最善の策は無かったのだ。
ファレルはそっと身を起こす。トラウマの記憶は心の奥に封じ込めた。それに付随する言霊使いの力も一緒に封じ込められたが、仕方あるまい。彼が力を使うことは、最悪の場合彼自身を壊しかねない、非常にリスキーなことなのだ。
「さて、これからどうするか……」
ファレルとリフィア。二人だけならばきっと生きていけるだろう。変わらぬ毎日を過ごしながら、フィレルたちの帰りを待つ。騒がしい弟がいないと毎日は非常に退屈になるだろうが、フィレルには果たすべき責任があるのだ、仕方ない。
「う……ん……」
身動きしたファレルに気付いたのか、リフィアが目覚めて大きく伸びをする。彼女は「うー、寝違えたー」などとぼやきながらも目をこすり、ファレルに焦点を合わせた。その顔が輝く。目が一気に覚めたようだ。
「あ、ファレル様! 起きたのね! おはよーございまーっす! 体調、大丈夫?」
「ああ、おはよう、リフィア。うーん……ちょっと頭痛がするけれど、まぁいつものことだし、あまり気にしなくていいかな。リフィアはさ、僕が倒れた後にどうしたんだい?」
「町の人呼んで後片付け手伝ってもらいましたぁ! 毒物もあるし、流石にあたし一人じゃ無理だわ。……エイルちゃんね、あたし一人で弔って、お城の前のイチイの木の下に埋めたの。それで疲れちゃって寝ちゃったのね」
彼女の顔には、疲れがあった。
ファレルは穏やかに微笑んで、言う。
「昨日はよく頑張ってくれたね。今日は料理とか僕が作るからさ、君は一日中休んでいていいよ」
ファレルの言葉にリフィアは驚いた顔をし、全力で首を横に振る。
「ええっ、そんな! ファレル様をあたしの代わりに働かせるとか罰が当たるわよ!」
「メイドには休みがない。君だって、時には休んでもいいと思うんだけどなぁ」
とんでもないと彼女は首を振る。
「領主さまは領主さまとしてしっかり責任を果たしているからそれでいいの。領主さまに代わりなんていないけれど、メイドなんて誰だって代われる存在でしょ? だからあたしはそれでいいの!」
僕だって何かしたいんだけどなぁ、とぼやくファレルに、ファレル様は優しすぎるんだからとリフィアは呆れた顔。
「とりあえず万事あたしに任せなさい。そーだ、フィレルたちの話、何か掴めたら町で聞いてくるわね。今日は町にお買い物に出かけなきゃだし、そのついでね。ファレル様は何もしなくていいの。だってファレル様はあたしたちに居場所をくれたじゃない。それだけでいいのよ」
言って、行ってきまぁすと彼女は足早にファレルの部屋を出る。
そんな彼女を、複雑な顔でファレルは見ていた。
◇
昨日は流せなかった涙。大好きだったエイルへの涙。
一人になったら流せるだろうか? 思って、城の外へ駆けだして、近くの森の木に頭を押し当ててリフィアは泣いた。昨日は忙しかったからそんな暇なんてなかったけれど、エイルのことを思えばちゃんと泣けた。
「エイルちゃん……どうし、て……」
理由は昨日、説明してくれたけれど。
それを頭では理解できるけれど、感情は納得していなかった。
初めて出来た友人なのだ、同年代の友人なのだ。そんな友人にいきなり裏切られて敬愛する人物に殺されて、悲しくないはずがないのだ。
そうやって、泣いていたら。
掛けられた、声。
「どうしたんだ?」
そこにいたのは青髪赤眼の、
「……エイル、ちゃん?」
「どうして妹の名を知っている?」
それが、彼と彼女との出会いだった。
エイルとよく似た外見の青年は、不思議そうにリフィアを見ていた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.27 )
- 日時: 2019/07/16 09:09
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「俺はレイド。いなくなった妹をずっと探していたんだが……成程、そういうことか」
リフィアの拙い説明を、エイルそっくりの彼は即座に理解した。
青い、少しぼさぼさの髪、赤く輝く瞳には知性が宿る。灰色の地に黒いつる草模様のあるシャツを着て、その上には青のジャケット。大きな灰色の肩掛け鞄を肩から下げ、やや黒寄りのズボンを履き、靴は黒の、機能性に優れていそうに見えるもの。腰には二本の剣を差している。双剣使いに見えなくもない。
彼は泣きじゃくるリフィアに、不器用に声を掛けた。
「話は理解した。リフィア、と言ったか? 大親友を失って辛いだろうが、現実はずっと続くぜ。涙を拭いて前を見ろ。
あんたには感謝している。これで新しい目的ができたからな」
「……目的?」
「妹は死んだ。あの子が『お母さま』と呼ぶ存在によって、望まぬ裏切りを強いられて、な。ならば兄は妹の為に動かねばなるまい。俺はあの子の復讐をしに行く。情報は少ないが……絶対に、何とかしてやるさ」
その瞳には、強い決意があった。
だが、と彼はリフィアを見た。
「こうやって泣いている女の子をそのままにしておくのも忍びないな。何かの途中だったか? 折角だから、そちらさえ良ければ一緒についていってやるよ。こういうときは、誰かが傍にいたら心強いだろう」
リフィアは涙に濡れた顔を上げた。
「……いいの?」
ああ、とレイドは頷いた。
「逃げられたって追い付けばいい。気長に追跡戦を仕掛けるさ。それに、妹が世話になったしな、ファレル様? に、礼を言わなくちゃならない。そしてお詫びもしなくちゃならない」
しっかりした人だ、とリフィアは思った。
ロアもこういうところがあるが、この青年ほどしっかり者だっただろうか。
いつもフィレルに振り回されているロアを想像し、無理だなとリフィアは思った。ロアも確かにしっかり者だけれど、この青年ほどではないだろう。
「立てよ、まだ生きていくつもりならば」
青年は手を差し出した。その手は無骨で、ずっと武器を握り続けてきたことがうかがえる。
リフィアは頷き、差し出された手を握って、立ちあがる。
気づけば涙は乾いていた。「ほら」と差し出されたハンカチ。礼を言って涙を拭う。
「あたし、買い物に行くところだったんだ」
思い出したように呟いて、ふらふらと歩きだす。
おいおい大丈夫かと、青年の呆れた声がした。
◇
今日の夕御飯の材料と、いくつかの日用品を買いに行く。
町の人たちはイグニシィン城であった事件を皆知っていて、気の毒そうにリフィアを見ていた。が、彼女の近くに控えるエイルそっくりな青年を見ると、みんながみんな目を丸くして何者かと訊ねる。そのたびにレイドは「生き別れになった妹を捜しに来た兄だよ」と答えていた。
「聞きたいんだが、お前たち、この町では有名なのか?」
質問の多さに辟易しながら、そうレイドは訊ねた。
そうね、とリフィアは頷く。
「まず、ファレル様の弟のフィレルが問題ばっかり起こしていてある意味有名。で、哀れにもそのフィレルのお守りに任命されたロアが苦労人として有名。で、あたしとエイルちゃんはファレル様のお使いとしてしょっちゅう町に出掛けていてそこそこ顔が広い。ファレル様はお城から外に出ないけれど、お城の中には割と頻繁に町人を招いていて、その優しさや明るさ、おおらかさにみんな心酔。で、あたしたちは『ファレル様御一行』と一括りにされるようになって、まぁみんなみんな親しいのよね。ファレル様は町人との間に身分の垣根を作らない方だし」
「……今時、そんな領主が、いるのか」
驚いたようなレイドの言葉に、ええそうよと誇らしげに胸を張る。
「ファレル様は世界で一番の領主さま。私利私欲に囚われないで、常に町のことを考える。ここの税金の安さを知ってる? それだからいつもお城は貧乏。でもそれでもファレル様はお城の住人ばっかり気遣って、ファレル様自身の部屋も衣服もみぃーんな貧相」
彼女の言葉に、レイドの口角が上がった。
「そんな聖人君子みたいな領主さまがいるとはな。ますます会いたくなってきたぜ」
「買い物終わったら会わせてあげるわ。
……ああそうだ、頼まれてた情報聞かないと」
ふと思い出し、リフィアは近くにいた町人に訊ねた。
「ねぇねぇ! あの事件の後さ、フィレルたちがどうしてるか知ってる?」
声を掛けられたのは大工みたいな恰好をして、腰に金槌やら釘やらの道具をぶら下げた男だった。男はああ、と頷いた。
「助けを求めていたから俺の家に匿った。翌日、ツウェルを目指すとか何とか言って旅立った。それ以降は知らないが、危機的状況は脱したようだ。足取りを追いたければツウェルに向かうことだな」
相手の言葉に、リフィアは頷いた。
「そっか、あなたの家に泊まったのね。フィレルは悪さしなかった?」
「別に。というか俺の家には子供が悪さするようなものなど置いてねぇし、あの時は皆切羽詰まってたからそんな余裕などなかったと思うがな」
「わかった、ありがとう!」
「おう。嬢ちゃんも頭切り替えて、頑張れよ」
わかってるって、と笑顔を見せて、彼女は大工風の男と別れる。
その様を見て、レイドが感想を漏らした。
「『ファレル様御一行』か。愛されているんだな」
当然よ、とリフィアは笑う。
「この町には敵なんていないわ。みんなみんな仲間だもの!」
気づけば涙は完全に乾いていて、そこにはいつものリフィアがいた。
無理していない、自然なリフィア。いつもの明るさがそこにあった。
彼女はレイドを振り返った。彼の手には「手伝う」と彼自身が申し出て持った幾つかの荷物がある。
「じゃ、行きましょ。ファレル様に紹介するわね!」
ああ、と頷いた彼。
その瞳の奥の感情は、読めない。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.28 )
- 日時: 2019/07/18 14:42
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「……ってわけで、ファレル様。エイルちゃんの兄さんらしいのね」
「初めまして、領主ファレル。レイド・アルクェルと言います。宜しくお願い致します」
「初めまして。ファレル・イグニシィンだよ。こちらこそよろしくね」
リフィアがざっと事情を話し、二人はファレルの部屋で対面する。
ファレルはいつもの穏やかな青の瞳でレイドを見ていた。
済まないね、とファレルは申し訳なさそうな顔をした。
「せっかく妹を捜しに来たらしいのに、もうあの子はいないんだ。
……恨んでも、いいんだよ? あの子に直接手を下したのは僕さ。でも、それしかあの状況のあの子が幸せになる道はなかった。あの子が生きていたら、『お母さま』の手の者が任務に失敗したあの子をひどい目に遭わせるんだって、そうはなりたくないからせめて、敬愛する僕の手で殺して欲しいって、そう懇願されたんだ」
済まないね、と彼はもう一度謝った。
ファレルの言葉に、レイドはつとその目を細めた。が、それはたった一瞬のことで。
「……こちらこそ、妹が迷惑をかけました」
淡々とした口調で謝罪の言葉を口にする。
ところで、とファレルは問うた。
「君さえ良ければ、君とあの子との間にどんな事情があったのか、話してくれないかい?
……そうそう。あの子はお城の前のイチイの木の下にリフィアが埋めたらしいから、後で行ってやるときっと喜ぶよ」
ああ、とレイドは頷いた。
「俺とエイルは双子だったのですが——」
◇
彼の語った内容によると、エイルとレイドは双子の兄妹だったらしい。二人は仲良しでいつもずっと一緒にいたが、ある時住んでいた町が津波に呑みこまれた。そこで両親は死に、双子は生き残ったもののばらばらになってしまった。生き残った双子は最初、相方も死んでしまったと思っていた。けれど双子の兄レイドは噂に聞いた。自分とよく似た外見の少女のことを。それが妹のことだと即座に理解した彼は噂を追って各地を放浪し、ようやくこの地にたどり着いたが妹は既に死んでいたということ。
「……まぁ、死んでしまったのならば仕方がないな。また会えればと思ってはいたが、死者は蘇らない。諦めるしかないさ」
そう、レイドは締めくくった。
じゃ、と彼は言う。
「あの子が世話になった相手に挨拶することができたし、あの子の結末も分かった。俺はこれ以上ここにいる用を感じない。だからもう、出掛けるぜ」
「……もう、行っちゃうの?」
リフィアは寂しげにレイドを見た。
そんな彼女に、
「ついてきたいならば止めはしない。お前も大親友を殺した相手を知りたいならば好きにすればよい」
彼は言う。
リフィアの赤い瞳が、戸惑うようにファレルとレイドの間をさまよった。大好きな領主様と、新しい世界への誘
いざな
い。どちらも選びたいけれど、選べるのはひとつだけ。
「行けばいいじゃないか」
優しく笑ってファレルは言った。
「僕は一人でも構わないんだ。ああ、ひとりぼっちでも寂しくはないさ。それに僕は僕の存在によって、大切な家族の行動を邪魔したくないのさ。後悔しない選択をしなさい。全ては君の心の赴くままに」
優しい青の瞳の奥の感情は読めない。
彼の言葉がリフィアの心を打った。
『後悔しない選択をしなさい』その言葉が、彼女に前へ進む勇気を与える。
やがて彼女は頷いて、ファレルに深く頭を下げた。
「……ごめんなさい、ファレル様。あたしはエイルちゃんを滅ぼした相手が知りたい。それにやっぱり! 旅がしたいの、外の世界を見て見たいのっ!」
「……それが、君の心から望むことならば」
ファレルは頷いた。
彼女はこのイグニシィンで生まれ育ち、イグニシィンから出たことがない。ファレルに仕えることは確かに幸せであったが、彼女にとって、外の世界は、未知の世界は、ずっとずっとあこがれの対象だったのだ。
でも、と彼女には不安があった。
「メイドがいなくなったら、家のことはどうなるのかな……」
「こんな手があるが」
レイドは肩掛け鞄から幾つかの何かを取り出し、宙に放り投げる。それは——
「……人形?」
「双剣も使うがな、俺の本業は人形使だ」
言って、彼はにやりと笑った。
「この人形たちにファレル様を守らせる。こいつらは意思持つ人形だから、俺の命令なくとも自分の意思で動き、与えられた使命を果たす」
そしてこいつらはいくら傷付いても死なないからな、と補足した。
「だから大丈夫だ。こいつらは家事もできるし、安心してくれて構わない」
ありがとう、とリフィアは笑った。
「ならば心配ないわね! ……でも、ファレル様。本当に、だいじょう……」
「大丈夫だから、心配しないで。君は君の好きなように生きればいい。君の行動を、僕が縛っていい理由なんてどこにもないのだから」
行ってらっしゃい、と彼は言った。
その優しく穏やかな瞳に後押しされて、行ってきます、とリフィアは頷いた。
「あたし、見てくるわ。ファレル様の知らない外の世界を。そして、帰ってきたら、出かけられないファレル様の為にいっぱいいっぱい話すのよ! だから楽しみにしていて」
ああ、とファレルは頷いた。
決まりだな、とレイドは言う。
「出来るならさっさとあの子を弔ってやりたいんだ。まだ日は高いし、今日中に出掛けたいんだが?」
「わかったわ、準備する!」
頷き、リフィアは駆けだした。
その背には若く輝かしい光があった。ファレルが“あの日”に失った光が——。
こうしてリフィアはレイドと共に旅立つ。
イグニシィン城から旅立ったこの新たな勢力が、今後物語にどのような影響を及ぼすのか——それはまだ、未知数だ。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.29 )
- 日時: 2019/07/20 10:19
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
【第四章 死者皇ライヴの負の王国】
道を南西に進むと、大きな街道に出る。
エルクェーテは大きな町だ。そこに繋がる道も、当然ながら大規模なものだ。
その大街道のあちこちに、様々な露店が立っている。大きな道だからそういった露天商売も成り立つのだろう。
「エルクェーテって魔導士たちの町なんだよねぇ?」
改めてフィレルが確認すると、そうだよとイルキスが頷いた。
「ウァルファル魔道学校っていう大きな学校があって、そこには優れた実力を持つ魔導士しかいない。力のない魔導士は入学できないんだ。入学試験が厳しいことでも有名だけれど、完全に実力主義だから、大した家の出でなくても、実力さえあれば入学できる。僕も一度旅で訪れたことがあるけれど、皆、意欲がすごかったよ。ああ、活気のある町だ」
へーぇ、とフィレルはその目を輝かせた。
「何だか面白そう! ……んーと、でもさぁ。そんなに実力のある生徒たちがいるならさぁ、神様くらい簡単に討伐できるんじゃないの? 神様を倒して亜神に成りあがった人間の話もあるじゃん」
そう簡単にはいかないさ、とロアは複雑な顔。
「まず、いくら実力主義だからって、そこにいるのは学生、つまりまだ青い。死者皇ライヴはかなり強い神だと聞くし、知識も経験も足りない状態で、実力だけで討伐出来るとは思わない。それにあいつはな……」
「ひとりで戦わないもの。死者を眠りから揺り起こして、死者の大群を操って戦うの。それにライヴは本当は死の神じゃなくって生の神なの。彼は自分の持つ生の力を死者に分け与えて操ってるってだけで、迂闊に触れれば自身の生を抜かれて死者にされてしまうわ。風の神や炎の神とは、操るものの種類が違うのよ」
ロアの言葉を引き継いで、フィラ・フィアが補足した。
人間は、間を一つの仕切りで仕切られた、中に水の湛えられた器のようなものなのだという。仕切りの片側には魔力という液体、仕切りのもう片側には体力という液体が、それぞれ収まっている。魔力も体力も使えば減るが、時とともに回復する。魔力を使っても体力が減ることはないし、その逆も然りだ。それが基本概念である。
そして人間の力にはもう一つ、「生命力」というものが存在する。それは器そのものであり、これが欠けたり傷付いたりすると魔力や生命力を治められる絶対量が減り、この器が砕けた時に、人は死ぬのだという。魔力や体力の限界を超えた使用もまた、器の損傷を招く。
そしてこの器自体を自由自在に加工できるのが死者皇ライヴだ。彼は砕けた器を修復し、そこに仮の力を流し入れて一時的に蘇らせ、死者の王国を築きあげた。死者は死者で失われた魔力や体力、人間としての心は二度と戻らないが、それでも器が仮の修復を受け、器に仮の液体が満たされたためにそれは動くことができるようになる。死者皇ライヴはそうやって器に仮の修復を施し続け、仮の生者に、本当の生者の命を奪わせ、そしてその器にまた仮の修復を与えて自分の王国を大きくしていった。
その目的は何なのか、それは誰にもわからない。ただ一部の人は言ったという。
『死者皇ライヴは、自分の力を真逆のことに使ってみたかったのではないか』と。
真相はわからない。誰も死者皇ライヴに近づけた人間はいないからだ。
しかし、ある人は見たという。
『死者皇ライヴは、木々の間から差し込む陽光のような、美しい髪と瞳をしていた』と——。
「まぁとりあえず、行くしかないわね」
物思いを中断し、フィラ・フィアは皆に声をかける。
強大な神を封じるために、また一歩、前へ。
◇
エルクェーテの町に、風が吹く。
暗い呪いの混じった風だ。フレイリアはふうっと溜め息をつく。
「良くない風ね。また、何か来るのかしら」
彼女がじっと見据えるは、西の方角。遠く目を凝らせば、そちらには黒くうごめく何かがあるのがわかるだろう。
「救世主なんていない、運命は自分で切り開くだけ。私はそれを知っている、ええ、よく知っているわ」
呟いた。
揺れる炎髪に、強い意志を宿した翡翠の瞳。しかし服から垣間見えるその右半身は酷い火傷に覆われ、左半身にもまた、大きな傷があるようだ。その頬にも、醜い火傷の痕が走っている。
「私の傷は悔恨の証。もう二度と、同じ過ちは犯さない」
来るわ、と彼女は言った。西にうごめく黒い何かは、どんどんとこの町に近づいてきている。
フレイリアは後ろを向き、叫んだ。
「魔導士部隊、迎撃用意! この町に一歩の侵入すらも許さない! 我こそは?」
「我こそは!」
彼女の声に応え、彼女の背後に控えていた数人の制服姿の少年少女が彼女に唱和する。
「「ウァルファル魔道学校の、気高き心の風紀委員!」」
◇
「我が心の内に宿る、気高き風の刃を受けよ!」
フレイリアの風が、町に近づく何かを切り裂いた。
それはどう見ても人間だったが、それにしては挙動がおかしい。まるで何かに操られているようにぎこちなく、その目は死んでいる。中には腐敗しかかった身体を引きずってやってくるものもいる。——死者皇ライヴの操る、不完全なる死者だ、仮の命を与えられた器だ。
そして彼女の瞳は見た。それら死者に、追い立てられるようにして走ってきた四人の人影を。フレイリアの目が驚きに見開かれる。
「旅人!? ああっ、もう! あんなところで何やってるのよ! 何も知らないでここに来たのかしら!?」
彼女は四人の人影に向かって叫んだ。彼女の声は、彼女の操る風の魔法に乗って四人の耳に届くだろう。
「ここは危険よ、すぐに帰りなさい! 町の門を開ける余裕なんてない! 死にたくなければ帰りなさい!」
しかし四人は帰ろうとせずに、閉まった町の門を背に、それぞれの武器を構え始める。
フレイリアは頭を抱え、門の上から飛び降りて四人の近くに降り立った。
「死にたいの!? 頭沸騰してんじゃないのあんたたち!」
「生憎と、引き下がるわけにはいかないわ。わたしたちには使命があるのよ」
そんな彼女に、赤い髪に赤い瞳、手に銀の錫杖を持った少女が静かに告げた。
「これは死者皇ライヴの仕業? ならば、尚更」
来るわ、その声とともに、死者たちが簡単に視認できる距離まで近づいた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.30 )
- 日時: 2019/07/22 12:54
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
エルクェーテの町に一行が辿り着いた時、町は既に交戦中だった。
町に向かっている時は気がつかなかったが、フィレルらの背後から死者の軍勢が近づいてきたらしい。途中からそれに気が付いた一行はそれから逃げるようにエルクェーテの町を目指したが、町の門は既に閉ざされていた。
「ならば戦うしかないわ」
覚悟を決めて前を見据えたフィラ・フィア。その耳に届いた警告の声。
——ここは危険よ、すぐに帰りなさい! 町の門を開ける余裕なんてない! 死にたくなければ帰りなさい!
この町の人が、警告を発しているのだろうか。
しかしフィラ・フィアは首を振り、瞳に強い輝きを宿しながらも前を向く。
退かぬ、という彼女の意志を見て取って、呆れたように、街を囲む壁の上から一人の少女が飛び降りてきた。炎のような色した髪に、翡翠の輝きを宿した瞳。身体の左側には醜い火傷の痕、右側にはひどい傷痕。そんな彼女は制服のようなものを身に纏い、フィラ・フィアたちの隣に着地してから怒鳴った。
「死にたいの!? 頭沸騰してんじゃないのあんたたち!」
「生憎と、引き下がるわけにはいかないわ。わたしたちには使命があるのよ」
けれどそんな彼女の言葉を、フィラ・フィアは燃える瞳で遠ざける。
「これは死者皇ライヴの仕業? ならば、尚更」
彼女は少女に言った。
「信じてくれなくてもいいわ。でも、わたしはフィラ・フィアなの。封神のフィラ・フィアなの! 死者皇ライヴを封じにこの町に来た、それだけよ」
「……いいわ。もしもあなたが本当にフィラ・フィアだと言うのならば、ライヴを封じてもらいましょう……かッ!」
迫ってきた死者の大群。その一角に向けて少女が手にした杖を振ると、風の刃が死者を切り裂く。
「でも、まずはこの大群を押しのけてからよ。用意はいいかしら?」
「当然よ」
かくして、交戦が始まった。
◇
ロアの背後に隠れながらも、フィレルは即席で絵を描く。
死者が相手ならば炎が有効だと見たフィレルは、一本の松明を真っ白なキャンバスに描き上げた。その手が緑色に輝く。
そして取り出されたのは、普通よりも少し大きい程度の松明。
ロアがそれを見て、死者を切り伏せながらも文句を言った。
「おい! そんな小さいのでこの大群を撃退できると思ってるのか! 頭を使えよ頭を!」
「使ってるんだよー!」
フィレルはにこにこと楽しそうに笑い、ロアの陰から出てきて松明を死者の大群に投げ込んだ。瞬間、フィレルの瞳が緑玉石エメラルド色に輝き、悪戯っぽい笑みが口元に浮かぶ。
彼は背後に叫んだ。
「イルキスぅ、今のうちなんだよーっ! その風で、僕の炎を大きく燃え広がらせちゃえーっ!」
「任せて、フィレル」
相手の策を知り、イルキスも悪戯っぽい笑みを浮かべた。ロアも、フィレルが何をしようとしているのかを察してその目に驚きの表情を浮かべた。
放り投げられた松明は、真っすぐに死者の軍勢の上へ。
着弾、死者の軍勢が炎を上げて燃え上がる。
そして次の瞬間、イルキスの呼び起こした風が死者たちに対して逆風となり、延焼した炎が壁となって死者の大群を襲う。
火種は小さな松明だったけれど。
気が付けばそこには、巨大な炎の壁が出現していた。
それを見て、傷だらけの少女は手を叩く。
「素晴らしいアイデアだわ! 確かに! 人の死体は炎に弱い! よぉーっし!」
彼女は町の外壁を振り返り、大きく声を上げた。
「魔導士部隊、炎の魔法を用意せよ! 死者の大群は燃やせば倒せる! 炎使い、迎撃用意!」
「「了解しました!」」
外壁から声が上がり、そちらの方から次々と飛んできた炎魔法。崩れ落ちる死者たち。所詮は烏合の衆、集団を崩す方法が見つかれば何とでもなるのだ。
フィラ・フィアは驚きとともに傷だらけの少女を見た。
「あなた……何者なの」
「私? 私は、ね」
傷だらけの少女は誇らしげに告げた。
「フレイリア・アニルハイト。ウァルファル魔道学校の風紀委員長にして首席よ。得意属性は風。伝説の英雄さん? これからよろしくね」
彼女こそ、この学校の若き卵たちの筆頭人物であった。
◇
フィレルの松明を火種に、次々と燃え上がる炎。ウァルファル魔道学校の生徒たちの炎の魔法が炸裂し、それにイルキスとフレイリアの風が勢いを与える。それでもなお近づいてくる敵はロアの剣が切り倒した。フィラ・フィアはロアたちの後ろで支援の舞を舞っていたが、今回の戦いで、彼女が果たした役割は小さいだろう。
炎に包まれ、くずおれる死者たち。やがて進撃は止み、炎に巻かれていない死者たちは引き返していった。それを確認すると、フレイリアは町の外壁の上に指示を飛ばす。
「追撃はなし! 二次被害が出ないように、あとは鎮火よ! 水使い、魔法の用意!」
「「了解しました!」」
彼女の指示に従って、街の外壁の上から放出される水。
死者たちは随分な大群になっていたけれど。
気が付いたら、撃退できていた。
「やったわ。ウァルファルの力を甘く見ないことね、死者皇ライヴ!」
誇らしげにフレイリアが言い放った、時。
その身体が、ぐらり、傾いた。
「え……?」
驚きの声を上げるフレイリア。その脇腹を、
——腕が。
炎の雨を生き残った死者の腕が、
貫通、していた。
「委員長——ッ!!」
町の外壁から、悲痛な叫びが響き渡った。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.31 )
- 日時: 2019/07/24 09:48
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「ん、何とか処置したから、死ぬことはないと思うよ。協力、ありがとうね」
小柄な少年が頭を下げた。
あの後、町の門が開いて、制服姿が何人も現れてフィレルらを取り囲み、事情を聞くと、フレイリアを抱えてどこかへ連れて行った。フィレルたちはその間に巨大な学校に通され、その一室でフレイリアの治療が終わるのを待つことになった。
そしてようやく終わったらしい。治療担当をしていた小柄な少年は、溜息をついた。
「全部倒したと思ったらあんなところに伏兵がいたなんてね……予想外。
でも、あなたたちには感謝しているかな。僕たちさ、炎を使うってこと、これまで考えてなかったし。リーダーが風使いだからさ、こっちもひたすらに物理で殴ってたんだよね」
ところで、と少年のはしばみ色の瞳が好奇心の輝きを帯びる。
「ここに伝説のフィラ・フィアがいるって、本当?」
「わたしがそのフィラ・フィアよ」
首を傾げた少年の前、フィラ・フィアがずいと進み出る。
「疑うんなら、いくらでも語ってあげるわ。あなたたちは知らないでしょう。あの時代に起きた様々なことの、生の話を。ええ、わたしは確かにあの時代に生きていたの。それはわたしにしか語れないこと」
いいよ、と少年は微笑んだ。明るいひなたの色をしたふわふわの髪が、首を振る動きに合わせて揺れる。
「そっちの話し方で何となくわかるもん、あなたはこの時代の人じゃないんだって。あなたの目はどこか遠くを見ているんだって」
じゃあ、と少年の目が期待に輝いた。
「あなたたちは、あのライヴを封じてくれるの?」
ええ、とフィラ・フィアは頷いた。
「わたしたちはそのためにこの町に来たの。哀しみの風神リノヴェルカ、殺しに狂った収穫者デストリィは既に封じたわ。残るは死者皇ライヴと無邪気なる天空神シェルファークと運命の遊戯者フォルトゥーンと闇の亜神アークロアと記憶弄ぶ者フラックと争乱の鷲ゼウデラ……って、結構多いわね!?
まぁ、まだ旅は長いけれど、わたしにはやり残した使命があるから。それを果たすまでは死ねないわ」
へーぇ、と少年は頷いた。
ところで、と少年は首をかしげる。
「何で、フィラ・フィアさまは蘇ったの? 死者蘇生の魔法なんてお伽話の中の世界だよ?」
それは、とフィラ・フィアが説明しようとしたところ、ロアが呆れ顔でフィレルを指さした。
「コイツのせいだよ。コイツ、絵心師なんだけれど、好奇心で禁忌を破って、家に飾ってあった絵から伝説のフィラ・フィアを呼び出しちゃったってわけだ。全ての原因はコイツが作った」
ぶぅ、とフィレルは頬を膨らませた。
「あの時は軽率だったよぅ。でも、興味、あったんだもん」
「開き直るのは良くないな。お前のお陰で救われた人間もいるが、お前のお陰で迷惑を被った人間もいるのだからな? 自覚しろよ、領主の次男坊」
ロアはフィレルを軽く小突いた。
で、ぼくは、とそんな二人を横目で見ながらもイルキスが静かに言葉を発する。
「そんなメンバーと旅先で出会った風来坊。面白そうだからついてきたってだけだけれどね。
ああ、名前を紹介していなかったね? 僕はイルキス。あっちは、あの絵心師がフィレルで剣士がロアさ。君の名前は何て言うんだい?」
「伝説に……絵心師。すっごいメンバーだなぁ」
少年は感心したあと、頷いて自分の胸に手を当て、名乗る。
「僕はシュウェン。みんな、シュウって呼んでる。ウァルファル魔道学院所属、得意属性は大地と治癒。僕の癒しの力は学校の中では飛びぬけていて、みんな僕がいるから、安心して前線で戦えるんだ。僕自身は戦いなんて好きじゃないから普段は医務室に引きこもってるけど」
よろしくね、と少年が頭を下げると、不意に音がして部屋の扉が開いた。
扉を開け、開けた扉に寄りかかるようにして荒い息をついていたのは、青い顔をした、満身創痍のフレイリア。それでも瞳に宿る強固な意志だけは変わらず、彼女は強い口調で言ったのだった。
「話……聞いたわ。あなたたち、ライヴを封じるんでしょう。それに……私も、つれていってもらえないかしら?」
「フレイリアさん!? ちょ、今は安静に……」
「ユヴィオールと約束したもの」
驚いたようなシュウェンの言葉を遮って、フレイリアは言葉を発する。
「ユヴィオールと約束した……。私が、この学校を守るって。今はこの町にいない彼と……約束、したの。だから……ライヴを封じるというのなら、私も、行かないと……」
その約束は、彼女にとって、とても大事なものだったのだろうか。
彼女の翡翠の瞳には、必死さがあった。
仕方ないわね、とフィラ・フィアは溜め息をついた。
「わたしとしても、あなたのような強い魔導士が一緒に来てくれるというのならば大歓迎。でもこのままじゃ戦えないでしょうから、特別に癒しの舞を舞うわ。……まぁ、これをやったらわたしもそれなりに疲れるから、決行は明日以降になるでしょうけれど」
いいわね、と彼女が問うと、お願い、とフレイリアが頷いた。
それを見、フィラ・フィアは舞い始める。
右足を前に踏み出し、右手に握った錫杖を一回転。その場でくるりと回り、錫杖を地に打ち付ける。しゃん、しゃん、と清浄な音が鳴り響き、辺りを一瞬にして神秘的な空間に変える。
歌もない、音楽もない。あるのはただ、鈴の音色と彼女のサンダルの足音のみ。それだけなのに、辺りには不思議な空気が満ち満ちていて、その空気に包まれた者は、心地よさを感じるのだった。
しゃん、しゃん、鳴り響く鈴の音は高く響く。舞うフィラ・フィアの周囲に濃密な魔力が漂う。
——これが、舞の魔法。
フィラ・フィアの使える舞師の技の中でも、最も優しく最も温かい魔法。
やがて彼女の舞が終わった。フレイリアは驚きの目でフィラ・フィアを見る。
「あなた……やっぱり、本当に……?」
ええ、とフィラ・フィアは頷き、誇らしげに言った。
「わたしはフィラ・フィア。封神の七雄のリーダー、『崇高たる舞神』フィラ・フィアよ!」
もう、彼女を偽物と疑う人物はいないだろう。
自分たちの目の前で、こんな奇跡を見てしまったのだから。
フレイリアは扉から手を離し、恐る恐るといった感じで数歩、歩いてみる。何ともない。彼女がよろけることはなく、その足取りは確かなものだった。
フレイリアは微笑みを浮かべた。その時になってようやく、フィレルたちは彼女の左目に光が宿っていないことに気が付いた。彼女の左目の視力は失われていた。
それに、彼女は右半身に酷い火傷の痕、左半身に醜い大きな傷痕がある。いったいどうしてそんなに傷だらけなのか気になったフィレルは、何の考えも無しに疑問を口にした。
「ねぇねぇ! ところでさ、フレイリアってどーしてそんなに傷だらけな……」
「おいフィレル! 少しは考えて物を言え!」
口にしかけた言葉は、ロアに口を押さえられることによって途中で消える。
済まないな、とロアが謝罪した。
「何か事情があるのだろう、追求はしない。うちのフィレルが礼儀知らずで済まないな……」
「構わないわ。後で話しましょうか? まさか今日、いきなりライヴを封印するわけじゃないわよね。時間ならたっぷりある。
それに、せっかくの客人だわ。そっちさえ良いのならば、学校を案内して夕食の誘いをしようと思うんだけれどどうかしら。そこらの宿も悪いってわけじゃないけれど、せっかくだから私たちでおもてなししたいのよ」
フレイリアの言葉に、本当にいいのかとロアが問うと、当然よと彼女は笑う。
「じゃ、お誘い、受けてくれるのね。ならばこれから学院内を案内して差し上げたいところだけれど……私は、後で報告があるから。ねぇ、シュウ。あなたが案内してくれる?」
「わかりました、リーダー!」
フレイリアの言葉に、小柄なシュウェンが元気よく返事した。
「ではでは、改めまして! 僕が案内担当になった、シュウェンです!」
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.32 )
- 日時: 2019/07/26 11:18
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
ウァルファル魔道学院は、エルクェーテの町の三分の一程度を占める広大な学校だった。町の他の建物も、ほとんどはこの魔道学校の為にあるようなものらしい。この町は魔道学校が主体であり、それ以外の施設はただのおまけにしか過ぎないらしい。
シュウェンはフィレルらを図書室らしき、本棚が並んでいる部屋に案内した。
扉をくぐれば、一気に変わる風景。所狭しと並んだ書架に、書架の海の向こうに見える螺旋階段。螺旋階段を上っていくと二階にたどり着くらしく、その二階にも書架の海があるのが垣間見える。
書架は入口の辺りにあるものは整然と並んでいたが、一階の奥の方は雑然と並んでいるようで、その様はまるで迷路のようである。
「ここが僕らの図書館ね。二階と奥の方の書架の海は通称『本の迷路』で、決められた手順で進まないと確実に迷うし、一番奥にはやばい守り神がいるからそっちには行かない方がいいよ」
そう、シュウェンは説明してくれた。
イルキスは興味深そうに書架を眺める。その瞳が好奇心に輝いた。
「あ、もしかしてあれって一部では禁書指定された『アルヴェラリの魔道書』じゃないのかい? って、あれは傀儡使の魔法について書かれた貴重な書物? で、あれは……まさか」
「そう、『アンダ・クィム』だよ。よく知ってるね。読書は好きなのかな?」
ああ、とイルキスは頷いた。
「僕の住んでいた町では図書館に入れなくなった本ばっかりだよ。本の迷路の奥には一体どんな素晴らしい書物が眠っているのか気になるところだけれど……」
「ああ、気持ちはわかるけれどそれはだめ。実はフレイリアさんが大怪我した理由って、本の迷路と密接な関係があるわけだし。……本当に、ね。あの守り神はやばいんだよ。天才であるフレイリアさんさえ、助けが来なかったら死んでたんだから……っと、喋り過ぎたかな。詳しいことは僕の口からは語れないけれど、図書館の奥には行っちゃ駄目だよ。生半可な気持ちで行ったら大怪我するから」
「……わかった」
心なしか、イルキスは少し残念そうな表情である。
シュウェンはにっこりと微笑んだ。
「読書好きなら、後で僕とお話しない? 僕ね、ここにあるものの中で、本の迷路以外の本はほとんど全て読み尽したんだ。一緒にお話ししたらきっときっと楽しいと思う」
「喜んで」
イルキスも穏やかな微笑みを見せた。
さて、とシュウェンは一同を振り返る。
「図書館の案内はいったんここまで。後は……えーと、僕たちの食堂に行こう。そろそろフレイリアさんも着いている頃合いだと思うし、丁度良いんじゃないかなぁ」
行くよ、と彼は歩き出す。
イルキスはしばらく書架を名残惜しそうに見ていたが、やがてゆっくりと一番後をついていった。
◇
食堂にたどり着くと、そこには既に何人かの生徒たちがいた。
フィレルは、フレイリアはどこかと辺りを見回したが、まだ着いていないらしく姿が見当たらない。
先に食堂にいた何人かの生徒たちはフィレルたちを見て、様々にざわめきあっていた。先程の戦いを、町の外壁から見ていた者もいるのだろう。
その中のある生徒が、シュウェンに声を掛けてきた。
「よーぅ、シュウ。何だ、お客様の案内か?」
つんつん突っ立った赤い髪、挑発的な赤い瞳。学校の制服を着崩した、どこかおちゃらけた雰囲気の漂う少年は、シュウェンにその赤い瞳を向けた。
うん、とシュウェンは頷いた。
「そうだよ。フレイリアさんから頼まれたんだ。この人たちの詳しい紹介はフレイリアさんが到着した後になると思うけれど……。そうだ」
シュウェンは赤髪の少年を突っついた。
「せっかくだからさ、君。お客様に自己紹介くらいしたら?」
「ん、そうだな」
赤髪の少年は頷き、自分の胸に手を当てた。
「オレ様は! ウァルファル魔道学院所属、規律を守らない風紀委員ことエルクェーテに吹く赤き風!
イシディア・アルゥテスとはオレ様のことだ!」
「ディア、規律を守らない風紀委員とか自慢にならないからね!? いつも困ってるのは僕らだからね!?」
シュウェンの呆れたような突っ込みなんてどこ吹く風。
イシディアと名乗った少年は、ちょうど近くにいたフィレルに手を差し出して、フィレルの手を握って豪快にぶんぶん振った。
「そんなわけで、よろしくだぜお客人!
……って、お前、細っそいのな。ちゃんとメシ食ってるか?」
「わぁ、わぁ、ちょっと待って落ち着いてよ!?
僕は芸術家だしたくさん食べなくても大丈夫なのそれにいつもたくさん食べてるし!?」
びっくりした様子のフィレルを見、イシディアは豪快に笑った。
そこへ。
「報告は済ませたわ。シュウェンはいるかしら……って、あら?」
遅れて到着したフレイリアがその様子を見、何があったのかを悟って笑った。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.33 )
- 日時: 2019/07/28 11:02
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
「皆さん、紹介するわ。私たちを助け、死者の軍勢を退ける一助となった者たちよ。左から、フィレル、ロア、フィラ・フィア、イルキスね。聞いて驚きなさい。このフィラ・フィアは、伝説のフィラ・フィアなのよ? こっちの絵心師フィレルが誤って禁忌を犯して彼女を呼び出してしまい、呼び出された彼女は昔やり残した使命を果たすために旅をしているんだって」
到着したフレイリアは皆を集め、静かにさせてから部屋の一番奥でそう、皆に説明した。
「そして明日、彼らはあのライヴを封じに行くの。もちろん、私もついていくわ。そして折角のお客様なのだから、しっかりおもてなししないとねってことで学院に呼んだの。今夜は客人をもてなす晩餐会よ。
さて……伝えたいことは大体これだけ、かしら。質問などあればお気軽にどうぞ? 質疑応答が終わったら食事になるわ」
すると、すっと手を挙げる者がいた。あのシュウェンである。
彼は言う。
「リーダー、僕も同行させて下さい! えっと……僕の癒しの力、役に立てればいいなって……」
へぇ、とフレイリアは翡翠の右目に面白がるような光を宿らせた。
「言っておくけれど、対峙するのは神様、そう簡単な相手じゃないわ。私だって死ぬ可能性は考慮しているの。その覚悟は——あるわね?」
「ええ、あります!」
「ならよろしい。一緒にいらっしゃい」
フレイリアが頷くと、シュウェンは心から嬉しそうな顔をした。
すると「オレ様も」とイシディアが手を挙げた。
「シュウだけじゃ心配で見てられねぇよ! いやー、リーダーがいるのはわかるけど、シュウを一人にゃできねぇわ。そんなわけでオレ様も行く! 異存があるとは言わせねぇぜ?」
「……あんたは私が止めたって強引についていくでしょうね。わかったわ、いらっしゃい」
他にはもういない? と彼女が問うと、残った一同は頷いた。
フレイリアはオーケイ、と呟くと、ぱんぱんと手を叩いた。
「では食事にしましょう。客人たちも好きに食べるといいわ」
こうして晩餐会が始まった。
「あなた、知りたがっていたでしょう。私のこの傷跡について」
様々な料理を食べながら、フレイリアは静かに言った。
慌てるフィレルに「気にしなくていいわ」と返す。
「私の過ちでこうなった。それにまぁ、私、話すことそこまで苦痛じゃないもの」
そして彼女は語り出す。昔に犯した過ちと、ほろ苦い思い出を——。
◆
ある貴族の家、アニルハイト家に一人の少女が生まれた。フレイリアと名付けられた少女は幼い頃から天才的な風の魔法を自在に操ることができ、彼女はその力によって誰からも一目置かれていた。
そして今や国の体をなしていない大陸国家シエランディア、そこに唯一ある、実力者たちの魔道学校、ウァルファル魔道学院に首席で入学、彼女の才能は溢れんばかりだったが、しかし彼女は傲慢で、他人を見下すように育ってしまった。彼女が誰よりも強いから、誰も彼女を止めることができなかったためだ。
そしてある日彼女は自分を試すために、禁書を読んで更なる力を得る、なんて建前を使って本の迷路に挑戦、封じられた第一の扉を破り、第二の扉の守護者を倒すところまで行き彼女は有頂天になっていた。しかし第三の扉、最後の扉の守護者はこれまでの守護者とは格が違った。そこにいたのは竜だった。とうの昔に滅びたとされる伝説の一族、竜族《ドラグーン》だったのだ。
フレイリアは果敢に挑むも竜の鱗に魔法を弾かれ、辛うじて竜の左目を傷つけることに成功しはしたが反撃に遭って左半身を炎に焼かれ、右半身を大きく抉られた。そして彼女が自分の愚かさを知り、死を悟った時、
「そこをどけ!」彼女を突き飛ばして青い影が立ちはだかったのだ。
「……その人。ユヴィオールは私の次に成績が良かったし実力も私の次にあった人だった。故郷では天才と呼ばれた彼も、ウァルファルでは常に私の次っていう立場、つまりトップにはなれない人で、私に嫌な気持ちを抱いていたって不思議ではなかったの。それなのに」
彼は自身の全ての魔力を消費し、魔力の限界を超えた力を使ってまでして竜の火焔の息からフレイリアを守った。しかし彼はその直後に倒れて昏睡したが、騒ぎを聞きつけてやってきた先生たちによって二人は救出された。
フレイリアが目覚めてから一週間くらい後にユヴィオールは目覚めた。彼は限界を超えた力を使った為に全ての魔力を失っていた。先生たちは彼に「ここにいてもいいよ」と言ったが、「魔力を失った魔導士が、魔道学校で何を学ぶというんだ」とその申し出を拒否、傷の影響で動けないフレイリアに、「お前を恨んだり憎んだりはしていない」と言い残し学校を去った。その時初めてフレイリアは、彼に恋をしていたのだと気がついたが全ては後の祭りだった。
それから一カ月後。後遺症は残ったが授業に出られるほどには傷の回復したフレイリアは授業に出て、クラスメートにこれまでの態度を謝る。するとクラスメートは笑って彼女を許し、ようやく彼女に居場所ができた。
そして主席へと舞い戻ったフレイリアは今、風紀委員長兼生徒会長として学校をまとめている……。
◆
「まぁ、そんな話になるわ。だから私のこの傷は、私の愚かさの証ってわけ」
そう、フレイリアは締めくくった。
予想よりもはるかに波乱の多い話にフィレルは目を白黒させた。
「何て言うか……大変な人生を歩んできたんだね」
「ここまで波乱のある人生を、一生かかったって歩めないやつもいるのにな……壮絶な物語だ」
そう、ロアも感想を漏らした。
それでね、とフレイリアは続ける。
「エルクェーテは死者皇ライヴの勢力圏だから、卒業するまでお前がこの学校を、この町を守れって、そうユヴィオールは言い残した。だから私は頑張ってるの。私の愚かさに気付かせてくれたユヴィオールがいたからね」
だからこそ、と彼女は言った。
「明日の封印、絶対に成功させるわよ」
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.34 )
- 日時: 2019/07/30 10:01
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
やがて晩餐会が終わり、生徒たちはそれぞれに散っていった。
フレイリアはフィレルたちをある場所に案内した。
無駄に広い学校には寮もついている。寮は二人で一部屋らしく、フレイリアやシュウェンにもそれぞれルームメイトがいるようだ。
フィレル達は寮の空き部屋に案内され、フィラ・フィアだけが女子寮へ、残りの男子たち三人は男子寮へ行くことになり、その入口で二つに分かれた。
「私だって暇じゃないけれど、明日は大切な日だし、早めに寝るわ。あなたたちも夜更かししないでね。明日は朝七時に食堂集合よ、遅れないでね」
そう言って、フレイリアはフィラ・フィアと共に女子寮へと消えていった。
「僕とロアは一緒だねっ!」
フィレルがはしゃぐと、そうだな、とロアは頷いた。
「悪いがイルキスは……」
「ああ、わかっているさ。一人部屋もないことはないらしいし、僕はこれまでずっと一人旅だったからねぇ。大丈夫、気にしなくていいよ」
申し訳なさそうにしたロアに、イルキスは明るく笑い掛けた。
日はもう暮れて、時刻は遅い。もう寝る時間だ。
「じゃ、また明日」
「またね」
指定された部屋の前、それぞれに挨拶を交わして別れた。
「さぁって、僕はもう寝ちゃうよ、お休みぃっ!」
部屋の中身をよく見るまでもなく、二段ベッドを見つけたフィレルはその下の段に飛び込んでさっさと寝てしまった。ロアはそんなフィレルに呆れた目を向けながらもそっと布団を掛けてやり、二段ベッドの上の段におさまった。
寮の二人部屋はそこそこ広く、ざっと十畳くらいはあるだろうか。ロアの座る二段ベッドの上の方からは窓から月が見えた。それをぼんやり眺めていた、ロアの元へ。
謎の霧が、忍び寄った。
「……ッ、何だ?」
眠るフィレルを起こさぬよう、そう、鋭くロアは問うた。
霧、謎の霧、白い霧。それから思い出すのはいつかの霧の男。ロアの記憶を一方的に暴き、思い出してはならない何かを思い出させようとした存在。
今、ロアの目の前に揺蕩《たゆた》う月の光を反射してきらめいているそれは、あの霧の男と同じ匂いがした。
「君に思い出を返しに来たんだよ」
その霧は、そんな言葉を紡ぎだした。
次の瞬間、ロアの目の前に、白の、ボサボサの長髪、冷たく澄みきった印象を与える蜜色の瞳。白のローブを身に纏い、足には白のサンダルを履いた謎の男が現れた。男は宙に浮いていた。その男の姿を目にした途端、ロアの頭に激痛が走る。
「ぐ……ぅ……ッ!」
フィレルを起こさぬように極力声を抑えながらもロアは呻きを漏らした。頭の奥を抉るような激しい痛みが彼を襲う。
「貴様……何の、用だ……!」
「だから言ったじゃないか。僕を殺してくれないかって、ね」
何でもないことのように霧の男は、霧の神セインリエスは笑う。
「一気に返したら君が壊れるからねぇ。面倒だから少しずつだ。ほら、何か思い出しただろう?」
ロアの頭の奥で激痛がする。それは隠された記憶を強引に晒されてあげる痛みの声だ、苦しみの声だ。
そして痛みの中でロアがつかみ取ったのは——
「……憎し、み?」
それは神々に対する激しい憎悪だった。ロアは己の感情に戸惑う。確かに神々は地上を荒らしてはいるが、その魔の手がイグニシィン領に迫ったことはない。ロアもフィレルもファレルも、フィレルが誤ってフィラ・フィアを取り出すまでは神々とは無縁の存在だったのだ。だからこの記憶は、ロアがファレルに拾われる前の記憶だ。完全に失われた十年間。
「神々は……オレに、何をした?」
「さぁねぇ。自分で見つければ? ああ、少なくとも私は君の憎悪に関係していない。それだけは確かだ」
もやもやするだろう、と霧の男セインリエスは笑った。
「健気にフィレル君が頑張ったって無駄。君は記憶を取り戻すことを完全には拒否できない。だって、自分のことなのに自分でわかっていないことなんだもの、知りたいと思うのは当然さ」
その結果がどうであろうとも——と、霧の男は低く囁く。
と、二段ベッドの下のフィレルがロアの名を呼んだ。どうやら寝言らしいが、その声を聞いた霧の男の姿が薄れ始める。
「ふふふ、私はそろそろ帰るとするよ。次はいつ来ようかな? ああ、全ての神々を封じる前には君の記憶を完璧なものにしてあげよう、約束するさ」
その時は私を殺してね、と、蜜色の瞳に切実な光が宿った。
そして彼は姿を消した。霧のように、忽然と。
「待て!」
ロアは霧を掴もうとしたが、霧は彼の手をすり抜けて散ってしまった。勢い余ったロアはバランスを崩し、二段ベッドの上から落下する。激しい音と息の詰まるような衝撃。
「ロアぁ、どーしたのさぁ?」
その音にぼんやりと目を覚ましたフィレルが身を起こし、目をこすりながらも、無様に部屋の床に転がるロアを見て眠たげな声を投げた。ロアは何度か深呼吸して痛みと衝撃を身体の外に逃がすと、努めて冷静な声で
「……悪い夢を見たんだ。大丈夫だ、気にするな」
と言葉を投げ、何でもないことのように立ちあがって梯子を登り、二段ベッドの上へと戻った。
そっか、と眠たげなフィレルが答える。
「でも……ロア、いなくならないでねぇ」
お休み、良い夢を、と声がして、そのすぐ後に穏やかな寝息が聞こえてきた。
「……いなくならないで、か」
ロアは小さく呟いた。
頭痛はいつしか止まっていた。どうやら記憶が返されるのと連動して激しい頭痛がするらしい。
「オレの記憶がすべて戻ってきた時、オレはフィレルの願う通りにいられるのか……?」
窓辺から差し込む月明かりだけを頼りに己の手を見た。それは紛れもないロアの手だったけれど、一瞬だけ、その手に懐かしい感触が蘇ってきた。そう、自分はかつて、この手で誰かを抱き締めていたのだ。その名は、ノア。ノアがロアにとってどのような関係にあった人物なのかは記憶が抜けているが、とても大切な存在だったことはわかる。ノアと過ごした明るく穏やかな記憶は先日、霧の男に返された。
しかし今、ノアはロアの近くにはいないようだ。戦乱によってロアは記憶を失い戦災孤児となったが、もしもノアと戦乱の中で別れてしまったのならば、そしてまだノアが生きているのならば。
ノアを探せば、記憶が戻るかもしれない。こんな霧の男になんか頼らずとも。
そう、ロアは思った。
「……さて、寝るか」
呟き布団を引っ被る。
明日の朝は、早い。
夜。ウァルファル魔道学院の寮で、イルキスはひとり月を眺める。
その青の瞳には、小さな不安が揺れていた。
「ぼくは今この旅を楽しんでいるけれど、今度こそ僕の『悪運』に、誰も巻き込まずにいられるかな……?」
ぎゅっと固く目を閉じた。閉じられた瞼の裏に浮かぶのは、嵐の海と揺れる船。そして耳の奥に蘇る、イルキスの名を呼ぶ悲痛な叫び。
イルキスは自分を守って死にかけた大切な人を守るため、自分の人生を運命の女神に売り払った。代わりに得たのがこの指運師の力だが、彼にはその代償として、常に『悪運』が付きまとうようになってしまった。そしてその『悪運』は他者をも巻き込むのだ。それを知っていたからイルキスは、彼の『悪運』で偶然出会った少女を失ったからイルキスは、それ以来極力他者に関わらず、自分の大切な人の元にも帰らないようにしていたのだが。
「……どうして、助けてしまったのかな」
風のように気紛れなイルキスだけれど、自分を縛る枷はあって。
自分と関わった他人は、彼の『悪運』に巻き込まれる可能性も高いのに。
それなのに今、もうすぐで死者皇ライヴを封じられる現場で伝説のフィラ・フィアの仲間として彼女の隣に立てることに、心躍らせる自分がいた。誰かを巻き込むのは嫌だけれど、それでも誰かの傍にいたいという二律背反。
「まぁ、考えていても仕方ないか。ぼくはみんなと一緒に行くんだ、『悪運』なんかに負けてやるものか」
決意を新たに布団にもぐる。
しかしその夜彼が夢に見たのは、あの少女を失った日の悪夢だった。
「明日は死者皇ライヴを封じる日……。わたし、しっかりやり遂げるんだから」
寮の一人部屋で、誰にともなくフィラ・フィアは呟いた。
「エルステッド……シルーク……ヴィンセント……レ・ラウィ……ユーリオにユレイオ! 見てるかしら? わたし、やり残した仕事を完遂させに行くのよ。みんなはもういないけれど、新しい頼れる仲間たちと一緒に!」
あれからもう三千年。見知った世界は遥か彼方に消え失せてしまったけれど。
いくら会いたい、と願っても、彼らはもうとうに骨となり朽ち果てているけれど。
彼らと過ごした思い出は、今も彼女の胸の中。忘れられない重い思い出として、残り続けている。
「今度こそ成功させるわ、今度こそ誰も死なせないわ」
それは彼女の強い決意。
失うのはもうこりごりなのだ。悲しみに心はすり減っても、失う痛みに慣れることはない。
「わたし、頑張るから……。見てて、そして応援していて」
願った時、彼女の視界の端に純白の蝶の群れが映ったのは、彼女の想いの見せた幻影なのだろうか——。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.35 )
- 日時: 2019/08/01 12:37
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
ロアに叩き起こされて、フィレルは食堂に向かう。
食堂にはもう全員がついていた。が、イルキスだけが少し疲れているような眼をしていた。
それに気が付いて、
「イルキス、大丈夫ぅ?」
フィレルが問えば。
イルキスは苦笑いを返した。
「……嫌な夢を見たんだ、それだけさ」
そしてそのまま黙り込んでしまった。
一瞬暗くなった雰囲気。それを打破せんとフレイリアが声をあげる。
「暗い話はおいておくわよ! 死者皇ライヴの封印だけれど——みんな、準備はいいかしら?」
フィラ・フィアの言葉に頷く一同。
じゃあ行くわよとフィラ・フィアは言った。
◇
死者皇ライヴの神殿にたどり着く。それは白っぽい石で出来た、明るい雰囲気の神殿だった。ところどころに植物や動物を模した装飾があるその神殿は、死者皇のイメージにそぐわない。ただ、ところどころに朽ちた骨や動物の死骸があったが、それも生命力あふれる装飾の前では、生物の一形態にしか見えず、死の雰囲気は感じられない。
フィレルは首をかしげる。
「死者の王様って聞いたからさぁ、もっと暗くって怖いイメージがあったんだけど、この神殿は明るい雰囲気なんだね」
そうよ、とフィラ・フィアは頷いた。
「ライヴは最初から死者皇だったわけじゃないもの。彼は元は生命の神様だったのよ。だからこんな装飾が」
と、不意に声が聞こえた。それは感情を感じさせない声だったが、どこか少年のもののようにも聞こえた。
『——ようこそ僕の王国へ。他国へ侵略を試みる王を討ちにきたの? でも簡単にはさせないよ。そして王に無断で国境侵犯をし、王の命を狙おうとするのならば王の忠実なる部下たちがそれを許すはずがない』
その声と同時、そこらに落ちていた骨や動物の死骸が突如、生命を得たかのように動き出す。
少年の声が——死者皇ライヴの声が、どこからともなく聞こえてくる。
『王を討ちたければ、王宮の最奥部を目指せ。そこで王は待っているが——まず、王の部下を無事に倒し切れるかな。さて、王国の民よ、侵犯者を追い払え、殺しても構わない!』
動きだした死者たちが、フィラ・フィアたちの方を向いた。融けかかった眼窩に、虚ろな骨の奥の空間に、白く濁った眼の奥に、赤い光が灯る。
「来る——!」
フレイリアは杖を構えた。他の皆もそれぞれに武器を取る。
神殿のこのエリアは一本道だ。どうやらこの死者たちを倒さないと先に進めないらしい。数はざっと四、五体程度。小手調べとして送り出した先鋭のようなものらしい。
「行くぞッ!」
ロアが剣を抜き放ち、高速で骸骨の首をぶった切る。骸骨の頭と首が見事に分離された。骨を断つなんてことしたらロアの方も剣も無事では済まないはずだが、何故か彼は涼しそうな顔。彼は余裕の表情で宣言する。
「一体目」
そんなロアの雄姿に鼓舞されて、イシディアが炎の魔法を放つ。イシディアが掲げたトネリコの杖の先、強大な魔力の炎が灯る。イシディアは口元に獰猛な笑みを浮かべた。
「風紀破りの風紀委員イシディア様参上! 死者だかなんだか知らねぇが、いい加減堪忍袋の緒が切れたぜぇ! さっさと燃えて成仏しなッ!」
イシディアが杖を死者たちに向けると、杖の先にともった炎が空高く舞い、急速で落下して着弾、派手な大爆発を引き起こした。爆風で死者たちの身体がはじけ飛ぶ。巻き込まれそうになったロアは持ち前の瞬発力で間一髪、、何とか爆風から身をかわしたが、味方まで巻き込むつもりかと文句を言った。
イシディアは頭を掻いた。
「悪い悪い、調子に乗っちゃったかもなぁオレ様? いやいやそんなに怒るなって。オレ様のお陰でさっきの雑魚は一掃よ? ホントに小手調べだったみてーだな、さっさと先に進もうぜ?」
爆炎が晴れた先、動いている死者は一体たりとも存在してはいなかった。
その強さに呆然としているフィレルの肩を、イシディアが気さくに叩く。
「オレ様、強いだろ芸術家の坊っちゃん? だからよ、先の露払いはぜぇーんぶオレ様に任せてくれよなっ!」
イシディアの切り開いた道を一行は進む。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.36 )
- 日時: 2019/08/03 10:50
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
進めば進むほど増えていく死者の群れ。倒しても倒してもキリがない。
ロアは剣で骸骨の骨を叩き斬るが、首を切断されない限り、骸骨は他のどこを切られても動く。そりゃあ痛覚がないからねぇとイルキスは苦い顔。イルキス程度の風の刃では骸骨の骨を断つのは難しく、彼はもっぱら補助に回っていた。
「私も……これを切るのは、至難の業よ」
額から軽く汗を流しながらもフレイリアが言った。彼女ほどの使い手となれば風の刃でも骨を断つことはできるが、それには随分な力を消耗する。
「ライヴ本人と戦う時まで力は温存しておきたいところ……。でもっ、来るならやるしかないわよね」
そんな彼女に、「大丈夫です」とかかる声。
シュウェンが掲げた杖の先をフレイリアに向けていた。杖の先端に緑の光が灯り、それがフレイリアを包み込んだ。すると彼女の乱れていた呼吸が通常に戻り、その顔も少し楽になった。シュウェンの持つ癒しの力である。
「助かるわ、シュウ!」
「当然ですよ」
フレイリアの言葉に力強く返すシュウェン。
「僕は完全なる補助役です、攻撃役がいなければ一人では何もできない力しか持っていないんです。だから、だからこそ! 代わりに戦ってくれている前衛の為にも役に立たないとって思うんです」
「それは頼もしいわ」
フレイリアはにっこりと微笑んだ。
ロアは剣で相手をぶった切り、イシディアは炎魔法で死者たちを燃やす。イルキスは風魔法を巧みに操って味方の補助や敵の妨害を行い、フレイリアは風の刃で攻撃をする。フィラ・フィアは決戦の時まで力を温存するために、今回はあえて動いていない。守られてばっかりの自分が嫌だなどと彼女は言っているが背に腹は代えられない。
そんな一方、フィレルは……。
「来るな来るな来るなぁーっ!」
絵心師の力で絵から取り出した松明を振り回し、それで死者たちを撃退していた。死者は火に弱い、それがわかっているので彼なりに対応しているつもりだろう。少しくらいは役に立っている。
そうやって少しずつ進んでいったら。
空気の違う場所に出た。
長い廊下はいつの間に終わったのだろうか。目の前に広がるのは大きな部屋。その部屋の中央には玉座のようなものがあり、その上には赤い布地で裏打ちされた、黒のマントを羽織った少年がいた。金の髪、金の瞳。しかしその黄金の瞳の奥には妖しく光る深紅の輝き。彼こそ、死者皇ライヴなのだろう。
『よく来たね。何だ、もう僕の民を倒したのか。そっちが強いのか僕の民が全然大したことがなかったのか……』
どっちにしろ関係ないか、と彼は薄く笑う。
『僕は僕の王国を侵犯する存在を許さない。そして全ての民が死んだとしても王として抗い続けよう。侵犯者よ、見るが良い。——これが僕の王国だ』
言って彼はその手を振った。するとどこからか現れたのは——
「ヴェイル!? それにリッカにエレン!」
「……死んだんじゃ、なかったの」
「生きてたのかよお前ら!?」
フレイリアが悲鳴のような声を上げ、シュウェンが呆然と呟き、イシディアが驚き叫ぶ。
身体を縄で縛られて動けなくされ、骸骨によって連行されてきた三人は、ウァルファル魔道学院の服を着ていた。一人は灰色の髪に青い瞳の、物憂げな少年。一人は茶色のふわふわのショートボブに鮮やかな緑の瞳の少女。一人は金のセミロングヘアに紫の瞳のおとなしそうな少女。
「……三人は、ライヴを討伐しに行ったんだ。でもずっと帰ってこなかったからてっきり死んだものかと……」
シュウェンがそう、解説した。
死んだはずの仲間たちが生かされて、今、決戦の場で改めて呼び出される。
ライヴは何故三人を殺さなかったのか。
フィレルの脳裏に、昔ロアから意地悪で聞かされた、恐ろしい物語が浮かんだ。
そして気づく。何もわからない、知らない、頭がお花畑なフィレル。でもその頭の中には常にファレルからロアから聞かされた様々な物語があったから、物語を頼りに導きだした、導きだせた答え。
『懐かしの友と出会えて嬉しいだろう』
感情のないライヴの声。
これから起きることに気がついて、フィレルは最悪の未来を回避するためにスケッチブックに絵を描いていた。
「やめてえぇぇぇーっ!」
描いたのは、たった一つ。
相手の動きを止めるもの。
相手の動きさえ止めれば、その危機は回避できる。
生者も死者も火を厭う。生者は本能的に、死者だって火を近づければ燃えるから。それは生死に関わる神、死者皇ライヴだって同じこと。彼だって火を嫌うはず。
「止まれっ!」
フィレルは絵を描いた紙を紙飛行機の形にして、死者皇ライヴに向けて放った。そこから生まれたのは幻影破りの火炎。いつしかイルキスの幻影を破った時のような、水を蒸発させる、力の炎。
しかし。
『思考する暇なんてどこにもなかったのに』
相手の方が、一瞬だけ早かったのだ。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.37 )
- 日時: 2019/08/05 11:47
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
骸骨が、縛った大人しそうな少女をぶん投げた。少女は紙飛行機に衝突し、生まれた炎に、悲鳴を上げながらも包まれる。そしてその隙にライヴが手で指示を出すと、
残りの少年少女の頭が、骸骨の腕で砕かれた。
悲鳴、そして飛び散った脳漿ともう頭の形をしていない歪《いびつ》な頭部。辛うじて見える虚ろな目玉が、その人がかつてその人だったことを感じさせてさらに不気味だ。その場は一瞬にして地獄と化した。思わず目を覆いたくなるような、目も当てられぬ深紅の光景。
フィレルは知っていた、物語の法則として知っていた。
——「一度死んだと思われた仲間が何らかの形で生かされ、その後に囚われた状態で再会する時。大抵の場合は殺され、助けに来た仲間に絶望を与えるためだけの道具となる」ということを。
そうさせないためにも呼び出したのに、全ては無駄だった。
悲痛な叫びが神殿を震わせ、その叫びを聞いて死者皇は笑う。
『さぁ、新たな僕の民だよ、動け』
そして頭を砕かれて死んだはずの二人が動き出す。燃え上がった少女もまた、燃えながらも動き出す。
そう、今まさに彼らを救わんとしていた、フィレルらの方へ。
フレイリアがへたり込んだ。あの強かったフレイリアが。
皆、状況が見えてきたのだ。皆、少しずつ分かってきたのだ。死者皇ライヴが三人を生かし、最終的に何をやりたかったのか。
彼はみんなの目の前で三人を殺し、その上死んだ三人に強引に生命の力を与え、自分の国民とした上で侵犯者に歯向かわせる心づもりだったのだ。そのために生かした、そのために殺さなかった。——侵犯者の心を、折るために。
『侵犯者に裏切り者が現れた。しかし裏切り者はよく知る顔だ。さてどうする? 王はただ命じるだけ、自分からは何も動かない』
「貴様ァッ!」
激怒したフレイリアが荒れ狂う風を身に纏い、爆発させた。衝撃波となった風がライヴを襲う。それを予期したのか、死者皇はすっと玉座の陰に引っ込んだ。
フレイリアは本気で怒っていた。
「死んだと——あの人たちは死んだと! 思ってたんだ、思ってたのよ! なのに生きていると希望を抱かせてその上で希望を叩き折るとか! 命を弄ぶのも大概にしなさいよねぇあなたッ!」
『命をあげるだけじゃつまらないから。奪ったり弄んだりしたっていいじゃないか。だって僕はこの王国の王様だもの』
対する返事は何処までも淡々と。フレイリアの叫びに堪える様子もないようだ。
そもそもこの神に良心の呵責なんて、そんなものなど存在しないのかも知れない。
そんな様をきゅっと唇を引き結んで見詰めながらも、慎重に舞い始めるフィラ・フィア。フレイリアとライヴが対立している内に封印を済ませるつもりだろうか。それに気が付き、ロアがそっと彼女を守るように寄り添った。イルキスは複雑な表情で神と人間との対話を見詰め、イシディアとシュウェンはまだ動揺から立ち直れてはいない。
そんな周囲に気を使う余裕なんてなく、フレイリアはただ自分の思いのたけを吐きだした。
「王様だからって好き勝手するなんてこの私が許さないッ! 許されたいなんて思ってない、ってあんたが言ったって私の気持ちは別物だッ! 私はねぇ、学院を、託されたのよ。だからこれまでずっとずっと守ってきた。でもその結果がこれなの、仲間のこんな無残な死なの!? だから私は守り切れなかった自分を許せないし、命を命と思っていないあんたを許さない。生命の神? どこが! 生命の名が聞いて呆れるわ!」
ユヴィオールに託された学院。彼との出会いと別れによって変わった自分。
フレイリアの心には強い使命感があったのに、強引な手段で大切な仲間を奪われた。
彼女の語った物語を、フィレルは思い出していた。
動きだす死者たち。それは顔を半分崩壊させてはいたが、紛れもなくその顔はフレイリアの仲間のもの。死んだ仲間をもう一度殺すなんて非道、行うのは辛すぎる。しかしこのままではこの仲間の顔をしたゾンビに殺されてしまうから、それだけは決して望まぬ結末だから。
「何、呆けているのみんな。今目の前にいるのはもう、ヴァイルでもリッカでもエレンでもないわ、みんなの顔をかぶったゾンビよ。ならば彼らを恐れる必要なんてどこにある? みんなは死んだのよ、ええ。帰らなかったあの日から!」
立ち上がりなさいと彼女は鼓舞する。
その後ろで着々と作られていく虹色の鎖。
しゃん、澄み渡った錫杖の音が狂った理性を正していく。
それに気がついた死者皇が、フィラ・フィアと彼女を守るように立つロアに金色の目を向けた。
『……不意を打って王を封じようとしたのかな封神の姫? だがそう簡単に行くと思うのは間違いだ、身をもって知るといいよ』
刹那、死者皇が、動いた。赤い裏地の黒いマントが翻る。
死者皇ライヴは生命の神。彼は死者を使役するが、その手で触れれば生者から生命力を抜き取り死者にすることもできる。その彼が、直接動いた。その意味。
『もう二度と蘇れないように、その命、食らってあげる』
高速で迫ったライヴの手。それを防ごうとロアが剣を構えるが——。
「ロア、死んじゃうよッ!」
フィレルの悲鳴。死者皇ライヴがにやりと笑った。彼のターゲットはロアに移った。ロアさえ倒せばフィラ・フィアは無防備だ、それをわかっているから。それでもロアはその場を動かないだろう。動いたら全てが終わる、それをよくわかっているから。
『邪魔をする者は全て死ぬ。王国の律法からは誰も逃れられないよ』
ライヴの手とロアの剣がぶつかった。直接触られてはいないが、ロアの表情が苦痛に歪む。破滅の未来を回避しようとイルキスとフレイリアが風を送るが死者皇はびくともせず、イシディアが炎を送ろうものならばライヴの使者たちが自ら犠牲になって食い止める。
やがて。
「く……ッ!」
ライヴの手によって弾かれた剣。銀の軌跡が宙を舞う。フィレルの悲鳴。ライヴはその口元を歪め、ロアの心臓に手を押しつけようとした、
刹那。
「——させないよッ!」
死の覚悟を秘めた声が、した。
ライヴの動きが止まる、否、強引に止められる。
イシディアが驚愕の叫びを上げた。
「シュウッ! お前——!」
- Re: 魂込めのフィレル ( No.38 )
- 日時: 2019/08/07 11:45
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
シュウェンは、叫んだ。
「死んだって構わないさ! 僕の命を以てこの悪夢を終わらせられるのならば! 犠牲がなければクリアできない難題ならば、僕が! その犠牲になってやる! 僕しかいないんだ、大地使いの僕しかいないんだからッ!」
僕が死んだら医務室にはレーニャを置いてよねと彼は笑う。
そのはしばみ色の瞳の意志は、揺らがない。
死者皇ライヴがそんな彼を見て、凄絶な笑みを浮かべた。
『へぇ、邪魔するんだ、この期に及んで! ならば望み通り君には死をプレゼントしよう。そして僕の部下として使ってあげる!』
「やめろォォォォォォオオオオオオッ!!」
「シュウッ!!」
イシディアの叫びとフレイリアの悲痛な声。
ライヴに絡みついていた蔦が端から白化していき崩れ落ち、しがみついていたシュウェンに迫る猛烈な死の嵐。
シュウェンは口の動きだけでこう言った。
——『後を、託すよ』
そして次の瞬間、それはシュウェンに届いた。シュウェンの肉体が瞬く間に老いて老人のものとなり干からびて朽ちて骨になって骨さえも朽ちて、
ついには何も残らなかった。
そこにはつい先程まで、優しくやや内気な少年が、いたのに。
彼の身に纏っていた魔道学院の制服が、主を失ってはらりと落ちた。
その瞬間、完成した封神の魔法陣と虹色の鎖。フィラ・フィアは鬼の形相を浮かべながらも勝利を宣言する。
「シュウェンの死は無駄にはしないわ! 封じられよ、死者皇ライヴッ!」
虹色の鎖が回転し、忌まわしき死者の王を縛る。ライヴはそれでも笑っていた。それは最悪の笑顔だった。
何かが割れるような音がする。死者皇ライヴは禍々しい深紅の宝石となった。もう二度と悪さはしない、王国の主は封じられた、それはわかってはいるけれど——。
イシディアはよろよろと、つい先程までシュウェンが身に纏っていた魔道学院の制服を手に取った。それはまだ温かくて、ほんの少し前まではそこに、確かに命があったんだと実感させる。
「シュウ……お前、無茶しやがっ、て……!」
イシディアはシュウェンの服に顔をうずめ、声を上げて慟哭した。悲痛な長い叫びが神殿を震わせ、悲しみで全てを覆い隠していく。話しぶりからイシディアとシュウェンは一番の親友だったのだろう。だからシュウェンを死なせないためにイシディアがついて行ったのに……結局、シュウェンは死んでしまった。イシディアの嘆きは深いだろう。
フレイリアの瞳にも涙があった。しかし彼女は大きく首を振ると、強い瞳で前を向き、両の足を踏ん張った。踏ん張らなければくずおれてしまいそうだった。彼女の身体は大きく震えていた。
ぽつり、その口から呟くように発された言葉。
「死ぬ可能性は考慮してる、そうは言ったけど……言った、けど……!」
死者皇ライヴの封印により、生ける死体にされていた三人の仲間もただの死体に戻っている。この惨状では遺体を学校に運ぶことなど到底不可能だろうし、ゾンビとして操られていたなどと、彼らの家族や友人に報告できるわけがない。
「……燃やして」
ぽつり、彼女は言った。
「シュウの服は持って帰るわ。でもそれ以外は……燃やして、しまいましょう。それが私たちに出来る供養だから。このままにして帰ったら、みんなあまりに可哀想だから」
できる? と彼女がフィレルを見ると、フィレルは真剣な瞳でうんと頷いた。
スケッチブックに絵を描く、思いを込めて絵を描く。フィレルの腕は震えていて、描かれつつある炎の絵が、何度もブレる。
「……僕、さ。誰かが死んだのを見るのは、初めて。死ぬってこんなに悲しいことなんだね。僕、この光景、一生忘れないよ。こんなに悲しい光景、忘れられないよ……」
神妙な顔でフィレルは言った。
その言葉に反応し、ロアが妙な呟きをした。
「……死ぬ、か。誰かを失う、か」
「ロア、どうしたの? また“過去”のこと?」
考え込むロアに、炎を描きながらもフィレルが問うた。スケッチブックの上には繊細な作りの美しい炎が描かれつつある。
ロアは両手で頭を抱えた。その瞳が少しずつ狂気にも似た何かに食われつつある。
「失う……大切なもの……永遠の喪失……嘆き……怒り、憎しみ!」
ロアは目を大きく見開いた。気がついてはならないものに気がついたような顔だった。
ロアの瞳は、横たわるヴェイル、リッカ、エレンを見ていた。三人の、頭を潰された無残な死に様がロアの記憶の中の誰かと重なり、それが激しく共鳴し合う。フラッシュバック。最悪の記憶がロアの中で蘇り——
「ノア……!」
「——ロア、目を覚ませぇっ!」
描き途中の絵もそのまま放りだし、フィレルはそのか弱い腕で、精一杯ロアの頬を殴った。それでもロアの瞳の狂気は変わらない。途方に暮れかけた時、不意に感じたのは湿ったにおい。そして、声。
「……やれやれ。手間が掛かるねまったく」
- Re: 魂込めのフィレル ( No.39 )
- 日時: 2019/08/09 10:27
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
声と同時、ロアの瞳が虚ろになる。
そこにはいつぞやの霧の男が立っていた。
「何しに来たの霧の神様。永遠の孤独が辛いなら、わたしが封じてあげるわよ?」
フィラ・フィアが敵意を剥き出して相手を睨んだ。そう怒らないでくれと、降参するようにセインリエスは両手を挙げた。
「封じるだけじゃあ足りないんだよ。私は死にたいんだ、封印が解けた時、また孤独を味わいたくないんだわかるかい? それに今回は記憶を返すのではなく、再び封印しに来ただけだから。“あの記憶”を今ここで戻させるわけにはいかないんだ。物事には順序ってものがあるからね」
今回だけは味方だよと、彼は底の知れない笑みを浮かべる。
「ああ、でも私が少し記憶を返しただけで、封印が結構緩くなっちゃった、ってことなのかな?
君たちに忠告だ。もしもこのままずっと幸せでいたいなら、ロアに無残な死体を見せるな。特に彼よりも幼い少年少女の死体は厳禁だ。最悪の記憶がフラッシュバックして、ロア自身が壊れるからね」
「……ロアは、さ」
フィレルが真摯な瞳を相手に向ける。
「過去に、さ。一体何があったの。どうして記憶を封じられなければならないの」
「心が壊れるほどの悲惨な出来事が」
霧の男セインリエスは、読めない表情を浮かべてそう言った。
「だから私はチャンスをあげたんだ。ロアがもう一度、幸せな人生を送れるように。でも……壊して、みたくなったのさ。ロアは今、実力の半分も出せてはいないんだよ絵心師さん。そのロアが本気を出したらきっと——私を殺してくれると、そう思ってね。だから一度壊れたのを直してまた壊し、最初に壊れたのよりもさらにひどい壊れ方をさせる。でもゼウデラが邪魔なんだよ、あの戦神が」
だからさっさとアイツを封じておくれよね、と。言うだけ言ってその姿が薄れていく。
「待ちなさい! わたしたちをさんざんかき回した挙げ句に逃げ帰るなんて許さない!」
叫び、フィラ・フィアは彼を追おうとしたけれどその手がつかんだのは湿った空気のみ。
フィレルはロアを見た。ロアの表情は虚ろで、いつもの格好よさや頼れる強さは欠片もなかった。
霧の神は記憶に霧を侵入させ、それで記憶を覆い隠すという。ロアがされたのはそういうことなのだろう。そして迂闊に正気にさせたらロアがロアでなくなるから。
フィレルは投げ捨てたスケッチブックを広い、描きかけの炎の絵を完成させた。
そして。
「イシディア、三人は火葬にするから、シュウを連れてちょっと離れて」
そう指示を出し、イシディアが三人から離れたのを確認すると、スケッチブックのページを破り、破ったページで紙飛行機を作って飛ばす。その直前、炎の絵に触れたフィレルの手が、明るい緑色に輝いた。
紙飛行機は飛んで行き、ゾンビ状態から解放された三人の上に柔らかに着地、ぱっと燃え上がり鮮やかな火の粉を散らす。
死者皇ライヴの玉座の間に上がる炎。それは場所も相まって、荘厳なほどに美しかった。
命が、燃えていく。フレイリアたちの仲間だった三人の、命が。
その炎はただどこまでも清らかで美しく、見ている者に涙さえ流させるほどだった。
「これで、ヴェイルもリッカもエレンも、安心して冥界に行けるわ……」
フレイリアの呟きは、炎が爆ぜる音にまぎれていく。
戦いは激しかったが、その後に燃え上がる炎はひどく穏やかなものだった。その優しい揺らぎが、高ぶった皆の心を鎮めていく。イシディアの慟哭はいつしか嗚咽に変わり、主なき衣が彼の涙で湿っていった。
こうして第三の封印は、終わる。
「誰かを失うっていうのは、本当に、何度味わったって慣れないよねぇ……」
イルキスが、神殿の天井を仰いでいた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.40 )
- 日時: 2019/08/11 08:01
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
炎の前でフィレルらはしばしたたずんだ後、ロアを起こして学校に帰った。
正気に戻ったロアはそれまでのことを全く覚えてはおらず不思議そうな顔をしていたが、それはいつものロアだった。ただ、ぼんやりしている時間が多く、フィレルはロアが遠くに言ってしまいそうな気がして怖くて、黒衣にずっと寄り添い続けた。いつものロアならば「くっつくな、鬱陶しい」とフィレルを追い払うはずなのに、来ないのロアはただぼんやりとしているだけで、そんな動作を見せはしなかった。それがフィレルをより不安にさせた。
「ロア……。ロアはイグニシィンの一員だよ。どこにも行かないでよぅ?」
「…………」
「ロアぁ?」
「……! っと、悪い。ああ、どこにも行かないさ。オレはイグニシィンの一員だからな」
「…………」
そんな会話を続けつつ、魔道学院に戻る。
沈痛な表情をした一同を見、皆、何か悲しいことがあったと悟ったようだ。シュウェンの制服を強く抱きしめたままのイシディアを見、その肩を励ますように無言で叩いてくる制服姿もちらほら。フレイリアは何も言わないままで大広間に向かい、「皆を集めて」とだけ近くの生徒に指示を出し、広間にあった椅子の一つに、力なく座り込んだ。促され、フィレルらも彼女の近くの椅子にそれぞれ腰かける。
やがて一同が大広間に集まると、彼女は椅子の背につかまりながらも立ち上がり、疲れたような声音で言った。
「死者皇ライヴは封じられたわ。これ以上被害が出ることはないから安心していい。彼女は本物のフィラ・フィアだった、それは間違いないの。でも……」
彼女はシュウェンの服を抱き締めるイシディアに、片目だけになった視線を送った。
「シュウが、死んだわ。フィラ・フィアを守って。犠牲が出るのは覚悟の内だったけれど、犠牲なんて出すつもりは端からなかった。それでもシュウは死んでしまったの」
広間に悲しみの空気が漂い出す。
「シュウはいい子だった、誰にも愛される子だったわ。だから悲しいならば泣けばいい。でも!」
フレイリアはきっと前を見据えた。残された翡翠色の右目が強い輝きを宿す。
「悲しみに心を停滞させてはいけない、それを忘れないで! シュウは死んじゃったけれど、私たちは生きてるの、今現在、確かに生きてるの! だからしゃんとしなさいウァルファルの未来ある学生たち! この学院を卒業するその日まで、ユヴィオールの残した思いを忘れるなッ!」
これで話は終わりよと彼女は言った。
「今日は悲しんでいい日にする。でも明日以降も悲しみを引きずっていいのはイシディアだけ。ライヴの遺した傷跡に、みんな惑わされてはいけない。それじゃああの死者皇の思うつぼよ、忘れないで」
では、解散。
そう言って、彼女は席を立ってどこかに行ってしまった。
「……俺、部屋に帰るわ」
そう言って、イシディアは大広間から退散した。誰もその背を追わなかった。一番の大親友を失った彼は、時が悲しみを忘れさせるその日まで、ずっと停滞したままなのだろうか。
「……僕も、戻るよ。少し考えることがあるんだ」
そう言ってイルキスがいなくなると、皆も三々五々に散っていって、気が付いたら大広間に残っていたのはフィレルたちだけだった。
フィレルにとっては初めて見た死であり、ロアにとってはどこかで見た死であり、フィラ・フィアにとっては何度も見た死である。死へのそれぞれのとらえ方は全く異なっているが、心に渦巻く暗い気持ちは、変わらない。
「あーあー!」
唐突にフィレルが叫びだし、スケッチブックを机に広げて猛烈な速さで何かを描き出す。それは花だったり歌っている鳥だったり豊かな森だったりと、心穏やかになる自然の風景。
「描かなくっちゃやってられないよまったくもうっ!」
フィレルの手はスケッチブックの上を何度も行き来していた。そうやって、わだかまった気持ちを何とかしようとでも言うかのように。
皆、黙ったままだった。何も言わなかった、何も言えなかった。
今回の死者皇ライヴの封印に関する一連の出来事は、一行の間に重い影を落としたのだった。
◇
明けぬ夜はない、昇らぬ朝日はない。
翌朝、フィレルらはウァルファル魔道学校の一同にお暇をし、次なる目的地へ進むために動き出した。
フレイリアはフィレルたちを見送りに来たが、イシディアは部屋にこもったまま出てこず、「放っておいてくれ」と言うだけであるという話だ。一番の大親友を失ったのだ、そうなるのも止むなしであろう。
フィラ・フィアはフレイリアに頭を下げた。
「あの……本当にありがとう。あなたたちがいなかったらわたしはライヴを封印できなかったし、きっときっと死んでいたわ。だからとっても感謝しているの。それに……シュウを、死なせちゃってごめんなさい」
謝る必要なんてないわ、とフレイリアは首を振る。
「シュウは未来を託して死んだの。あなたがライヴを封じてくれなかったら、私たちは全滅してた。気高き犠牲なのよ、だから謝らないで」
ごめんなさいとフィラ・フィアは言った。フレイリアはそんな彼女を複雑な顔で見ていた。
そうだ、とフィレルがフレイリアに声を掛け、手に持ったあるものを渡す。
「これ、イシディアに渡して。僕も何か出来ないかなって思って……自分の得意なことで何か出来ないかなって考えて……描いたの。悲しみは、そう簡単には治らないと思う。でも少しでも元気になれるようにって」
フィレルが渡したそれは、シュウェンの似顔絵だった。気弱に見えてしっかりものだった癒し手、シュウェン。絵の中の彼は満面の笑みを浮かべていた。その周囲では花が咲いていた。
その絵を見た途端、フレイリアの残された翡翠の右目から大粒の涙がこぼれ出す。それはいくら目をしばたたいても止まらなくて、彼女の制服を湿った色で染め上げた。
「シュウ……笑ってる、ね」
「うん、笑ってる」
「花が……咲いて、いるわ」
「大地の魔導士なんでしょ? だからさ……似合うと、思って」
フレイリアは制服の袖で涙を乱暴に拭い、震える手でその絵の描かれたスケッチブックの一ページを受け取った。
「絶対に、イシディアに渡すわ。この笑顔を見たらきっと、彼も泣くと思うけど……」
もう二度と、その笑顔を見ることはない。もう二度と、その声を聞くことはない。
これが、喪失の重み。もう、二度と——。
ありがとうとフレイリアは言った。
「素晴らしいものをどうもありがとう、フィレル。あなた、立派な画家になれるわ……」
「えへへ……嬉しいんだよーっ!」
無邪気さが影をひそめた瞳で、フィレルは無理に笑った。
誰かの死を越えて、喪失というものを知って、彼はまた一つ大人になる。
もう旅を始めたころみたいに完全に無邪気には戻れない。フィレルは深淵の一部を知ってしまった。
それでも根っこは明るいから、立ち直るのは一番早いはずだ。フィレルは山火事で焼けた山に芽吹く、青々とした力強い新芽なのだ、荒れた大地でも元気よく伸びる若葉なのだ。そう簡単にはへこたれない。
「じゃ、行こうよ?」
笑って、皆を先導して学校を出る。町の外壁付近にたどり着き、門番に頼み込んで外へと。
エルクェーテの町の外には青々とした木々が。そうか、今は夏なんだと実感、深呼吸して蒸し暑い空気を胸一杯に吸い込んだ。
「じゃあ、行こう。残った神様はだぁれ? まだやることはたくさんあるんだよねぇ?」
フィレルの言葉に、ええ、と魂が抜けたような顔でフィラ・フィアは頷き、緩慢な動作で指折り数え始める。
「無邪気なる天空の破壊神シェルファークでしょ……運命を弄ぶ者フォルトゥーンでしょ……最悪の記憶の遊戯者フラックでしょ……生死の境を暴く闇アークロアでしょ……争乱の鷲ゼウデラでしょ……まだこんなに、たくさん」
疲れたわ、と溜め息をつく。それでも必死で何かを考えているようで。
「ここが死者皇ライヴの神殿なら……一番近いのは」
彼女は一つの名を告げる。
「最悪の記憶の遊戯者、フラック」
フィレルたちはまだ知らない。次の戦いで、驚愕の真実が明らかにされることを。
終わりへの歯車は、回り始めたばっかりだ。
【第四章 完】
- Re: 魂込めのフィレル ( No.41 )
- 日時: 2019/08/13 10:11
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
【間章 英雄の墓場】
死者皇ライヴの次は、最悪の記憶の遊戯者フラックだ。エルクェーテ南方にトレアーという町があるらしく、フラックはそこにいるらしい。
「フラックってどんな神様なの」
フィレルが問うと、
「最も危険な神様と言ったって過言ではないわ」
とフィラ・フィアが答えた。
彼女は道を歩きながら、複雑な表情をして語りだす。
「フラックは対象のトラウマを、封じた最悪の記憶を強引に思い出させるの。直接攻撃はできるけれどあまりうまくないし滅多にしないわ。彼が得意なのは精神攻撃。精神攻撃は厄介よ。これまでも何人もの人間が、溢れ返る最悪の記憶に狂わされて壊れていった。トラウマというのは心の傷、時間を掛けて忘れていかなくてはならないものなのに……彼はその傷を一気に押し広げて、心そのものを崩壊させてしまうの」
物理攻撃相手ならばある程度は対処のしようがあるけれど、精神攻撃相手ではそうはいかないものねと彼女は言う。
「なら、フィレルの活躍に期待だな。お前にトラウマの記憶なんてないだろう」
ロアが言えば、うん、そうだよとフィレルは頷く。
シュウェンの死は確かにショックだったかもしれないが、トラウマと呼ぶレベルにはなってはいない。対し、フィラ・フィアは大切な仲間を失った経験があるし、イルキスも何やら暗い過去がありそうである。それに、ロアは……。
フィレルはロアをちらりと見た。本人は“あのこと”を忘却しているらしいが油断はできない。無残な死体を目撃し、解き放たれようとした最悪の記憶。それはきっとロアを狂わせるものだから。
旅に出て、ロアは変わった。封じられた記憶が戻りつつある、強引に戻されつつある。そしてそれが良い結果を生まないであろうことは何となくわかる。壊れかけたロアを見て、そう、フィレルは強く思ったのだ。
「何だよフィレル。どうかしたか?」
無意識にロアのマントの裾にしがみついていたフィレルに、訝しがるような声を投げるロア。それに気づき、何でもないよとフィレルは離れる。
ロアは優しい瞳でフィレルを見た。
「だから大丈夫だって言っているだろ。フラックは物理攻撃には弱いんだな? ならばこっそり神殿に忍び込んで物理攻撃を仕掛けてしまえばいい話。確かに過去の記憶は気になるが、旅がすべて終わった後で記憶のかけらを探したっていい。オレはいなくならないから安心しろ、フィレル」
「うん……」
それでも、くっついていないと本当にどこかに行ってしまいそうな気がして、怖くなってフィレルは離れようとはしなかった。そんなフィレルに呆れた顔をし、ロアは一旦フィレルを強引に引き離すと、その漆黒のマントでフィレルを包み込んでやった。
「ほらな、こうすれば安心だろう。まったくお前は……十五にもなって、子供なんだから」
いつものフィレルならばえへへと笑って返すのだろうが、今のフィレルは無言でしがみついているだけだった。
イルキスがぽつりと呟く。
「最悪の記憶の遊戯者かぁ……。ぼくが壊れたら見捨てていいよ? ぼくはさ、ぼくの力の代償による『不幸』で、初恋の人を失っちゃったんだし……きっと現れるならそれが現れるだろうし」
それぞれ傷を抱えて生きる。
フィラ・フィアは両手を合わせて、何かに祈るような仕草をしていた。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.42 )
- 日時: 2019/08/19 15:54
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
※間違えて一部の話を飛ばして投稿してしまったのでそれらを一旦削除の上、正しい順番で再投稿です。ご迷惑をおかけしました。
◇
トレアーの町へ向かう先、ふっとイルキスが足を止める。
どうしたの、とフィレルが問えば。イルキスはしばらく考えた後、何でもないと首を振る。
「この道の先……トレアーの町以外にも、その前にもひとつ、あるんだけど……。辿り着けばわかるからぼくからは説明しない。フィラ・フィア、きみに関わるものさ」
「わたしに?」
首を傾げた彼女に、「正確には、きみが死んでた時代の話さ」とイルキスは笑う。
「行けば分かるよ。……悲しい、思い出だ。ああ、とっても悲しい話さ」
首をかしげながらも一行は進む。
◇
歩いていった道の先、目に入ったのは円環の丘。舗装のされていない道の先、現れたのは、石碑のようなものが円を描いている謎の丘。その丘の中央には、周囲の石碑よりも一回り背の低い石碑がある。それはまるで、円を描くような石碑が、中央の石碑を守っているかの様で。
「これは、何?」
遠目からもわかる謎のそれを指さしてフィラ・フィアが問うと、「行けば分かる」とイルキスは繰り返した。
やがて丘の麓にたどり着き、そこにあった別の石碑の文字を見る。
書かれていた文字は「英雄の墓場」。
『死者たち眠る永遠《とわ》の墓。訪れるもの、死者たちの眠りを荒らすべからず。彼らは国を守りし英雄なり。たとえ旅の途上に命が絶えても、その気高き精神は永遠なれ』
それを見て、フィラ・フィアは恐る恐る問うた。
「これ……もしか、して?」
そうさ、とイルキスは頷いた。
「エルクェーテからトレアーに至るまでには必ず通らなければならない場所、それが『英雄の墓場』。かつて神々を封ぜんと旅立った『封神の七雄』たちの墓が円形に並べられている。実際、墓の下に骨が並んでいるのは一部しかないし、それももう朽ちているだろうけれど。だからこれはどちらかといえば——記念碑としての意味合いが強い」
「英雄の墓場……」
呟き、フィラ・フィアはふらふらと頼りない足取りで丘を上っていく。その後に皆が続いた。
『封神の七雄』たちの活躍を唯一生き残ったエルステッドの口述により記録した『封神綺譚』によれば、最初に死んだのは封術師ユレイオだとされる。彼は荒ぶる水女神との和平案を提案し単身、水女神の神殿に赴いたが、そのまま帰らぬ人となって数日後に彼の水死体が近くの川で発見された。彼はその場で丁重に火葬され、遺骨は彼の双子の兄、ユーリオが持っていった。
次に死んだのは風を操るレ・ラウィだ。彼は『人間を救うために殺す』影の神シャリル・エポーネとの戦いで、迫りくる影の軍勢をたった一人で相手して他の皆を先に進ませ、その果てで息絶えたという壮絶な最期だ。その遺体はこれでもかと言うほど損壊していたが唯一、彼がいつも首から下げていたエメラルドのペンダントだけは無事だった。だからフィラ・フィアはそれを彼の遺品として持ち帰った。
その次に死んだのは破術師ユーリオだ。魔法破りの術者である彼でも、炎の神の魔法を破ることはできなかった。自分の力に自信を持っていた彼はフィラ・フィアらを守るために炎の亜神アルギアを挑発、自分に攻撃が来るように仕向け、防ぎ切れずに命を散らす。彼こそ遺品は残らなかった。ずっと大事にしていた弟の骨も、その場で焼け落ち灰になった。
そしてシルークは戦神ゼウデラの神殿でフィラ・フィアを守って死に、ヴィンセントも死に、生き残ったエルステッドはフィラ・フィアの遺体を抱いて城に帰った。そして彼は八十まで生きて死んだ。レ・ラウィの遺した子、ラキの世話をしてやりながら——。
そういった理由で、墓場などあってもその下に遺骨が眠るのはエルステッドの墓とフィラ・フィアの墓だけ。レ・ラウィの遺品は息子に受け継がれ、そして今はその子孫であるファレルが持っているはずだ。そのためレ・ラウィの墓の下にも何もない。だからここは正確には墓場と言うよりは、英雄の活躍を称えた記念場といった方が正しいのかも知れない。『英雄の墓場』なんて名前は、感傷的につけられたみたいなものだ。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.43 )
- 日時: 2019/08/19 15:56
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
そして登りきった円形の丘。その中央に立つ石碑にフィラ・フィアは手を触れる。
書かれていた文字は古代の文字で、フィレルの知らない文字だった。フィラ・フィアも読めず、首を傾げたが、横から見ていたロアがすらすらと読みあげる。
「崇高たる舞神、フィラ・フィア・カルディアルト。享年十七歳。希望の子の命は旅の途上に潰えたが、気高きその理想は今も尚我らの中で生き続ける。希望の王女よ安らかに眠れ——って、書いてあるぜ」
「ロア、読めちゃうんだ!? 何でも知ってるんだねすごいやっ!」
そんなロアにフィレルが驚きの目を向ける。
イルキスも、面白がるような眼でロアを見ていた。
「へぇ、わかるんだ、すごいね。この石碑が立てられたのは古王国カルジアの滅亡後で、そして今の文字が確立する以前の中途半端な時期でシエランディアの学者も頭を悩ませている複雑な文字なんだけど……。だから古王国カルジアの文字を知っているフィラ・フィアも、文字の統一の為されたシエランディア文字を知っているフィレルにも読めないの。ぼくはまぁ、興味本位で学んだから読めないことはないけど……。初見でこの碑文をすらすらと読めるなんてさ、ロア、きみ、本当に何者なんだい。この丘の麓の石碑は割と最近——確か五十年くらい前、に作られたから他の皆が読めるのも納得だし、雰囲気作りの為に古代文字も書かれているからフィラ・フィアが読めるのもわかるんだけど」
フィレルの反応とイルキスの問いに、ロアも驚いた顔をしていた。
「……これ、そんなに難しい文字だったのか? オレには普通にすらすら読めたがおかしいのかそれは?」
「……きみさ、ぼくが思っているよりも長く生きているんじゃないの。十七歳なんて本当は嘘で、何かがあって身体年齢を幼くされたとかぼくはその路線を疑いたくなるよ。ま、そんなことが出来るのは神様だけだし、きみが神様だというのならばとっくの昔にこれまできみと対峙した他の神様が気付いているだろうから……あり得るならば、そういったことが出来る神様に身体年齢を幼くされたとか、かな?」
少なくとも、戦災孤児の十七歳がぱっと見ただけですらすら読めるようなものじゃないのは確かだねとイルキスは頷く。
「少しは勉強したぼくだってまだ、たどたどしくしか読めないんだからさ。きみって本当に何者なの」
「そう言われても、思い出せないものは思い出せないんだがな……」
額に手を当て、ロアはうつむく。そんなのどうでもいいじゃんと、フィレルがロアを庇うようにイルキスの前に立ちふさがる。
「過去に何があったって、ロアはロアなの! それでいいじゃん!」
「わかったわかったわかりましたってば。ぼくの単なる好奇心ですよそんなに怒らないで……っと」
ふっと彼がフィラ・フィアの方を見ると、彼女は石碑の前に立ち尽くしていた。
忘れてはならない。これは彼女の墓、その下には彼女の遺骨が埋まっていたはずなのだ。
忘れてはならない。これは皆の墓、遺骨はなくとも彼女の愛した人たちの疑似的な墓場。
自分の墓を前に、愛する人たちの墓を周囲に。立ち尽くす彼女の心境は如何程のものか。
「そうだ。わたし、死んだのよね……」
呆然と彼女は呟いた。その頬を涙がひとすじ、流れて落ちる。
「わたしは死んだの、遠い昔に。そして今、死んだはずのわたしがわたしの墓を見ている。これって不思議な気持ち。言葉では言い表せないわ……」
彼女はロアを振り返り、問うた。
「中央はわたしの墓、それはわかった。じゃあシルークの墓は? エルステッドの墓は? 教えて」
ロアは頷き、石碑の文字に目を走らせつつ周辺を歩く。
やがて。
「『白蝶の死神』シルークの墓はこれで、『自在の魔神』エルステッドの墓はこっちだな。シルークの墓には蝶の模様が描かれていてわかりやすい。ああ、あと『天駆ける剣神』ヴィンセントはこっちで『奔放なる嵐神』レ・ラウィはこっち、『陽光の破神』ユーリオのはこれで、こっちが『清水の封神』ユレイオだ」
ロアの言葉に頷き、フィラ・フィアはそれぞれの墓に触れ、その名を呼んでいく。応える声は勿論、ない。遠い昔に終わった冒険。死んだ命は帰らない。
本来ならば、フィラ・フィアもその中で永遠に眠っていたはずなのに。
「……でも、わたしは、生きているわ」
噛み締めるように、呟いた。
「中央の墓の下にいるのはわたしじゃない。そこにいるのは過去のわたしだ、今のわたしたり得ない。シルークに思いを抱き、皆と共に歩んだわたしはもういない……」
シルークの墓の前にたどり着き、屈みこんで蝶の模様に触れた。
溢れだす涙を抑え、彼女はすっくと立ち上がって所在なさげにしているフィレルらの方を向いた。
「過去の自分はこの下に封じた。あるのは今の『わたし』だけ。……連れてきてくれてありがとう。わたしはもう、過去に囚われることはないわ。自分の墓と、みんなの墓と向き合って……決められ、たの。ロアにエルステッドを、フィレルにラウィを重ねて見てしまうことが時にある。でもみんなは死んだ、死んだんだから……」
彼女はもう一度自分の墓の前に立つ。錫杖から鈴をひとつ外し、墓の前に置いた。チリンと涼やかな音が鳴る。
「これを過去のわたしへの手向けとしてわたしは前を向く。……行きましょう、トレアーの町へ、フラックの神殿へ」
迷いない足取りで彼女は進む。彼女の気迫に押され、フィレルたちもその後に続いた。
彼らがいなくなった英雄の墓場で、七つの影が、まるでさよならをするように動いていたのは幻だったのか。
過去の自分を墓の下に葬り、希望の子は、前へ。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.44 )
- 日時: 2019/08/19 15:56
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
【第五章 最悪の記憶の遊戯者】
英雄の墓場を越え、過去のフィラ・フィアを封印し、トレアーの町へと。
たどってきた道のりを思い、ずいぶん長い旅をしてきたものだとフィレルは感慨に浸った。
イグニシィンからトレアーまで。シエランディア大陸の半分を縦断する旅。途中、出会いや別れ、裏切り、死を経験し、フィレルは少しずつ大人になった。
次の場所、最悪の記憶の遊戯者の神殿で、一体何を経験するのだろうか? そしてその経験を経て、どう変わるのだろうか? 期待と不安を抱きつつ。
「見えたよ。あれが港町トレアーだ」
イルキスの声に物思いから抜け出し、前を見た。
その先には、広大な港町が広がっていた。
◇
トレアーはシエランディア南方最大の港町だ。この港町を経由して、東に広がる北大陸や、南に広がる南大陸に旅行する人間も多い。トレアーの町はその立地から、長らく他大陸との貿易の要とされてきた町だ。その町のどこか、あるいはその町に近いところに、最悪の記憶の遊戯者の神殿があるというのか。
この町にはエルクェーテやデストリィの神殿のあったエーファの町みたいな城壁はない。ただ、町に近づくにつれて舗装されてきている街道が、そのまま真っ直ぐ町に続いているだけだ。誰が町に来ようと誰が町から出て行こうと一向に気にしない、自由な雰囲気が感じ取れる。町の奥からはフィレルの知らないにおいが漂ってきた。ツンとした、そして何かが腐ったような独特のにおい。これは何とフィレルが問うと、フィレルは海を知らないんだねとイルキスが頷いた。
「川の果てには海がある。海の中には様々な生き物の死骸が漂っていて……これは、海の生き物の死骸のにおいなんだ。僕らは礒の香と呼んでいる。ほら、独特なにおいだろう」
「川の果てにはそんなものがあるんだね。海? 聞いたことはあるけれど直接見たことはないんだよねぇ」
フィレルは鼻の先をひくつかせ、礒の香を胸一杯に吸い込んだ。小さな身長でめいっぱい背伸びをして、町の奥に何があるのか見てみようとする。その様を見てイルキスは笑った。
「封印が終わったら見せてあげるよ。海ってさ、すごいんだ。ただ広くて大きいだけじゃなくって、ただその中で魚が育っているだけってわけでもなくて、怖くておどろおどろしいところもちゃんとある。海に生きる船乗りたちは海の神様の怒りを買わないように、舟の頭に像をとりつけたり船に目の模様を描いたりする」
「へえぇ、そんな風習があるんだねっ! 僕、楽しみになってきちゃったなぁ」
「その前に、封印が優先だからな」
目を輝かせたフィレルをロアが窘《たしな》める。
わかってるよぅとフィレルは頬を膨らませた。
「最悪の記憶の遊戯者の神殿は、トレアーの町の地下にあるよ。トレアーの人たちは海に行くと気がふれる人が一定確率で出るみたいなんだけど、そんな時はフラックにお供えして、記憶の神よ鎮まりたまえってみんな唱えるんだってさ。フラックがみんなを狂わせていると、そんな考えらしい」
イルキスが町を歩きながらも説明した。
「まぁ実際、この町の人たちは不意におかしくなる確率が高い。フラックは人の最悪の記憶を掘り起こす神——。やっぱりこの神様が影響していると見て間違いはないかな」
海は人の命を奪うから、と静かにイルキスは言った。
つとその目が細められる。嫌なことを思い出したかのように。
「海は荒れて、時に人の命を奪う。海によって大切な存在を失った人もいる。フラックはその喪失感を呼び起こす神だから」
過去を振り払おうとするかのように首を振り、先に立って歩き出す。
「神殿はこっちだよ。ぼくは様々なところを旅してきたから、色々と詳しいのさ」
- Re: 魂込めのフィレル ( No.45 )
- 日時: 2019/08/21 17:09
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
トレアーの町の端に、地下へ降りる階段があった。そこをイルキスは歩いていく。石造りの階段に、それぞれの靴が音を鳴らす。てんでばらばらな音は共鳴し、その先にある謎の空間に意味不明な音の集まりとして響き渡る。
階段を降りた先は真っ暗だった。石造りの壁のあちこちに燃え尽き掛けた松明が掛かっており、それが唯一の光源となっているらしい。暗闇に目が慣れてくると、大体の状況が理解出来てきた。
暗い地下空間の入口にあったのは狭い道。その奥には三つに分かれた道がある。どれが正しいの、とフィレルが問う間もなく、イルキスは確固たる足取りで左の道を進んでいく。その先にまた分かれ道。今度は四つに分かれているが、イルキスは一切迷わない。
不思議に思ってフィレルが問うた。
「ねぇ、何でこんな複雑な迷路、そんな簡単に進めるの。一度来たことあるって言ってたけれど、こんなところまで行ったの?」
イルキスは後ろを振り返り、にやりと笑った。悪戯っぽい笑みが松明の揺れる光の中に浮かび上がる。
「ネタばらし。トレアーに行ったことがあるのは本当だけれど、この迷路は、ぼくと契約している運命の女神さまが正確な道を教えてくれているのさ。ぼくにしか聞こえない声。ああ、でも知らない方がいい声」
謎めいたことを口にしつつ、相変わらず迷いのない足取りでイルキスは進む。フィレルはもう、どこからどう来たのかわからなくなってきた。そして思った。
(もしもこの先にフラックの神殿があるとするならば)
それは彼を祀るための神殿ではないのではないか、と。
(フラックは悪さする神様だから、閉じ込められているんじゃ……ないかな)
この広く複雑な迷路の奥に。
それでも地上に影響を及ぼすことはあるが、野ざらしにするよりはまし。神々の中には移動能力がないものもあるらしく、フラックがもしもそれに該当しているならば、フィレルの立てた仮説の辻褄が合う。
気を狂わす神様は、気の狂うような長い年月、ずっとずっと地上の光を見ずに過ごしているとしたら。
それはどんなに寂しいことなのだろうか。否、そもそも寂しいという感情が存在するのかは甚だ疑問だが。
そんな迷路に置いてある松明は誰が交換しているのか。フラックの世話係みたいな存在がいるのだろうか?
疑問は、尽きない。
◇
幾つもの松明の間を抜け、幾つもの分岐を乗り越えて。
やがてたどり着いたのは、松明の明かりに照らされた、
「……扉?」
「うん、そうだよ。この先のことは運命の女神さまも黙っちゃって教えてくれない。最後に一言こう言ってた。『扉は押せば開く。——そして、覚悟せよ』だってさ」
「覚悟せよ、かぁ……」
フィレルはイルキスの言葉を口の中で転がした。
最悪の記憶の遊戯者フラック。人のトラウマを掘り返して狂気の淵へ突き落す神。そんな神が相手ならば、先陣を切るのはトラウマたる記憶の存在しないフィレルが適任だろう。皆そう思っているようで、一様にフィレルを見つめる。フィレルは頷き、扉に手を掛けた。
赤ワイン色の重厚な扉には、金の飾りが幾つもついていた。それは一見豪華に見えるけれど、ドアノブらしき場所に付着したこの赤錆色《あかさびいろ》は、扉の塗料のものではないだろう。その正体に気付き、フィレルはぞっとした。
でも、そんなことに怯えて動きを止めてしまっては、いけないから。
「……行くよ」
小さく呟き、ドアノブを掴み、回し、一気に押し開けた、
その瞬間、
「————ッ!!」
フィレルは強烈な頭痛に襲われて、悲鳴を上げて地面に転がった。
「フィレル、どうしたッ!」
慌ててロアが駆け寄ってくる。
扉の向こうから声がした。
「呼んでいない客に用はないのさァ。さっさとお帰り願おうかなァ?」
歯車が軋むような、耳障りな、声。
激しい頭痛の中、ロアに助け起こされながらもフィレルは見る。
扉の奥に広がった広大な空間。その奥に佇む異様な影を。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.46 )
- 日時: 2019/08/27 08:25
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
これまでの神々は少なくとも人間の姿をしていたが、ソレは完全なる異形だった。
鎖で縛られ、吊るされた両腕は人間の骨。頭は爬虫類の頭蓋骨のようで、虚ろな眼窩の向こうに仄暗い紫の明かりが灯る。頭を除く上半身は人間の骨だが、下半身には無数の足がうごめいて、まるで蜘蛛のようだ。ソレが、最悪の記憶の遊戯者、フラックだというのか。
それは腕を吊るしていた鎖を一気に引っ張った。じゃらん、と音がして鎖が引っ張られるが、それでも鎖は解けない。骸骨の頭がにぃっと笑った。不気味な笑みと共に、フィレルの心に何かが突き刺さる。その痛みに悲鳴を上げて、フィレルは両の瞳から涙を流し、苦しみにのたうちまわった。
「……貴様、何をした」
ロアの冷めた声が、凛と空間を打った。
ロアは静かに怒っていた。片方の手で苦しむフィレルの背を撫でてやりながらも、もう片方の手は剣の柄に伸びていた。
簡単なことさァと骸骨は笑う。
「この無邪気な坊やにも悲しい過去はあったってことさァ。ボクはそれを呼び起こしてやっているだけなのさァ。一番槍とは大したものだけれど、それでボクに敵うとでも? 誰も認知していない『最悪の記憶』を持っていた、それがあまりに致命的だったのさァ」
キシシッ、と軋んだ音が骸骨から洩れる。これが骸骨特有の笑い声らしい。
「そこの蘇った姫様も剣士のキミも、運命の女神に愛された風来坊も、みィーんな同じ。みィーんな悲しみの記憶を持ってる。それじゃァボクに勝てないよォ? ボクをここに封じたのは、そのために何の悲しみも与えられないで育てられてきた特別な子供たちだったんだから。悲しみの記憶のある人間は決してボクには勝てない。諦めなよォ?」
言って、骸骨は鎖をじゃらんと鳴らした。さらなる痛みにフィレルが悲鳴をあげ、胃の中のものを大地に吐きだしてひたすらに泣き喚いた。
そして次の瞬間。
その緑の瞳が、驚きに見開かれる。
緑の奥に、影が差した。彼の光が闇に食われる。
フィレルは動きを止めて、ただ呆然と座りこんだままだった。
「……フィレ、ル?」
戸惑い、ロアがフィレルの肩に手を触れるが、フィレルはいつものひ弱な彼からは想像出来ないほどの力でロアを振り払い、頭を抱えた。
「思い、だしたよ。思い、だしちゃったよぉ……」
染みひとつないはずの、真っ白で無垢であったはずのフィレルの過去に、一点、暗い染みを落とす悲しみの過去。
フィレルは思い出す。自分の目の前で両親が殺され、ファレルが自分を守って力を失った遠い日のことを。
その日のことは、幼い自分にとっても忘れられない衝撃的な日になったはずだ。それなのにずっと忘れていたのはなぜなのか。それは——。
「兄さん、だ」
ぽつり、呟いた。
心優しいファレルが、言霊使いの力を使って、優しくも残酷な魔法を掛けた。全て忘れてしまえばいいと、悲しみは全て僕が背負うからと。だからフィレルにはずっと幸せでいてほしいんだと——。
その優しさは、本当に優しさだったのだろうか?
一方的に忘れるように仕向けられ、そして今一度生々しい実体を持って現れてきた最悪の過去の幻影は、深く深くフィレルを傷つけた。それは忘れていなければきっと、過ぎゆく時が少しずつ痛みを和らげてくれたであろうはずのもの。忘れさせられていたからこそ、痛みは和らがずに生のままでフィレルを襲う。
忘却の魔法も万能ではない。一度忘却させられたのならば、その記憶を再び思い出した時、痛みは何倍にもなって記憶の所持者に返ってくることをファレルは知らなかったのか。否、知っていても尚、「今のフィレルを守るために」そんなことをしたのか。
どっちにしろ、今、フィレルの中を最悪の記憶が掻き回しているのは事実で。蘇ってきた恐怖と悪夢にフィレルは暴れ、ロアに身体を押さえつけられても尚、狂ったように暴れ続けた。
「フィレルッ、目を覚ませこの馬鹿ッ!」
ロアの声は一切、その耳に届かない。
- Re: 魂込めのフィレル ( No.47 )
- 日時: 2019/08/29 14:30
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)
やってくれたわね、とフィラ・フィアが怒りの声を上げた。
「よくもわたしの仲間を、酷い目に遭わせてくれたわね? やっぱりあなたは害悪よ。大人しく封じられるが世のため人のため。悪いことは言わないわ、さっさと諦めて悪夢を終わらせなさい」
「やめるとでも思ったのかなァ?」
軋んだ声。心穿つフラックの楔が、フィラ・フィアの中に突き刺さる。
それでも、彼女は強く首を振って持ちこたえる。過去の自分は英雄の墓場に葬ったのだ、だからこの痛みは悲しみは、過去のもので今感じているものではないと。
ユーリオの、ユレイオの、レ・ラウィの、死に様が浮かんでは消える。ユレイオの死に怒り狂ったユーリオの顔。そして笑って皆に後を託したレ・ラウィの広い背中と風の魔法。忘れ得ぬ遠い日の悲しみが彼女の胸を駆け巡るが、それでも彼女は血が出るほどに固く唇を噛みしめ、必死で耐えて舞う準備をする。
「ほゥ、強くなったねェ封神の姫。でもこれはまだ小手調べさァ。——本番は、ここからだよォッ!!」
じゃらじゃらじゃらん。鎖が激しく振られ、虹色の魔法陣を形成していたフィラ・フィアの心にフラックの楔が突き刺さる。そう、彼女には最大のトラウマがあるのだ。自分を間接的に死に追いやった、
——『白蝶の死神』、シルークの死。
「やめてぇぇぇえええええええっ!!」
フィラ・フィアは絶叫を上げた。
謎めいた彼が好きだったのだ。いつも笑わず、声も出せず。不思議の存在『蝶王』によって声を奪われた彼は『蝶の魔法』でしか喋ることができず、そうやって作られた偽りの声は合成音声のようでどこか不自然で。誰にも心を開かなかった彼だけれど、ある時フィラ・フィアには心を開くようになって、初めて笑ってくれた。そして蝶王が調子に乗って、奪った『本当のシルークの声』で数声喋ったのだ。その声の美しさは魔性の美しさで、それゆえにシルークは声を奪われたのだとフィラ・フィアは理解した。
暗く冷たく不器用な彼。それでも笑っている時は春のひなたのように優しく穏やかで。ずっとずっと一緒にいたいと、近くでその笑顔を眺めていたいと、密かにそう思っていた。この長い旅が終わったら、彼にこの不思議な気持ちを打ち明けてみようとさえ思っていた。しかし。
そんな彼は、彼女を守って、死ん——
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だッ!」
心の奥底に封じたはずの最悪の記憶が彼女を打ちのめす。作られつつあった魔法陣は虹色の破片と共に砕け散り、封神の舞はまた最初から。しかし今や彼女に魔法をやり直す気力なんて欠片も残ってはいなくて。
無慈悲な声が、軋んだ音を立てる。
「封神の姫、面倒だなァ。容赦なく心の奥底まで破壊しないと後が大変かなァこれは?」
蜘蛛の足が彼女に伸びる。イルキスの制止の声も当然のごとく無視して、蜘蛛の足が彼女を包む。
「眠れよ姫、永遠に。永遠の悪夢の檻に囚われよ」
軋まない綺麗な声が、魔性の声が、彼女の記憶の底から引っ張り出された《本物のシルークの声》が、彼女の鼓膜を震わせる。
そして彼女の全身はくたりとなって、動かなくなった。
骸骨は勝ち誇ったような甲高い声を上げて、蜘蛛の足で彼女の身体を放り投げた。重い音。彼女はぴくりとも動かない。慌てて駆け寄ったイルキスが彼女の脈を調べ、生きていると知って一安心。しかしいくら揺すってみても呼びかけてみても、彼女の意識は戻らない。
イルキスは彼女の傍に跪きながらも、ぼんやりと骸骨のフラックを見た。
骸骨は軋んだ音を立てながらも解説した。
「心を壊してやったのさァ、彼女の、心を! 封神の姫はもう二度と意思を持って動くことはない。彼女はただ生きているだけで、心のない人形のようになったのさァ」
これでもう封じられないなァ、と骸骨は笑う。
「憎いならば挑んでみるかィ運命の愛し子。ボクは身体を破壊されても、封じられなければ不死身だぜィ」
「……遠慮させていただこう。ぼくだって、壊れたくはないからね」
努めて冷静な口調でイルキスは言った。
ちらり、フィレルの方を振り向けば、暴れて疲れたのかフィレルは寝息を立てており、戸惑ったようにその身体をロアが抱いているのが見えた。眠るフィレルの顔は、悪夢でも見ているかのようにしかめられたままだ。
イルキスはロアに言った。
「ぼくらの、負けだ。でも心が壊れたって封神の姫は生きている。再起する機会はまだあるはずさ。戻ってどうするか考えるんだ」
帰り道はぼくが案内するから、とイルキスは意識を失ったフィラ・フィアを背負いあげ、扉を開けて進んでいく。ロアもフィレルを背負い、その後に続いていこうとした、矢先。
軋んだ声がその背に呼び掛けた。
「剣士の少年。見えるぞ見えるぞォ、オマエに宿る最悪の記憶が。過去を知りたいならば教えてやろうかァ?」
「お断りする。オレだって、壊れるのは御免なんだ」
きっぱり断りロアは部屋を出、扉を閉めた。
バタンという音がふたつを隔てた。
隔てられた扉の向こう、最悪の記憶の遊戯者がひとり、笑っていた。
「剣士……ロア……闇の気配……繋がった! ハァハッハッハァ、セインリエスめェ、粋なことをしているなァ!」
その声は誰に届くこともなく、ただ閉ざされた空間に反響するのみ。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.48 )
- 日時: 2019/09/02 14:38
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
トレアーの町へ戻り、手近な宿に部屋を借りて、部屋のベッドにフィレルとフィラ・フィアを寝かせ、作戦会議が始まる。フィレルはただ眠っているだけのようだが、フィラ・フィアの場合は違うようだ。その目は開いてはいるがどこまでも虚ろで、意思の光を宿さない。あんなに強くて真っ直ぐだった封神の姫が、この体たらく。他者の最悪の記憶を暴き、強引に晒すフラックは、封神のフィラ・フィアの心をも破壊したのだ。
「まず、これからどうするかなんだけれど……」
疲れたようにイルキスは言った。
「フィレルはじき回復すると思う。で、問題はそこのフィラ・フィアだ。リーダーが動けないんじゃ旅を続けられないし、だいいち、彼女しか神々を封じられない」
「心を回復させるという手段は?」
「……あるとは、思うけれど。難しいねぇ」
ロアの質問に、イルキスはそう返した。
「彼女の心を壊したのはシルークの死の記憶。でも、忘れちゃあいけない。シルークはあの時死んだけれど、シルークの契約していた蝶王は死んではいなかった。蝶王の寿命は十年と短いけれど、蝶王は何度も何度も転生し、過去の記憶をずっとずっと受け継いでいる。だから……」
「蝶王の生まれ変わりに会えればもしかして、ということか?」
うん、とイルキスは頷いた。
「でも、シルーク本人じゃないからそれで彼女の心が戻ってくる可能性は薄……って、あっ!」
何かを閃き、イルキスはぽんと手を叩いた。
「『魔性の声』だよ、蝶王の奪った! シルークは魔性の声を持っていたがゆえに美しいものが好きな蝶王に目をつけられ、その声を奪われた。蝶王は生まれ変わるたび、記憶以外にももう一つ受け継ぐことができるんだけど……今の蝶王が、まだずっとシルークの魔性の声を受け継いでいたのならば、可能性は、あるかもしれない」
藁にも縋るような可能性だな、とロアが鼻を鳴らすと、何も無いよりはいいじゃないかとイルキスは反論する。
「ぼくが考えられる可能性はこれだけだ。だから、状況を見つつ、フィレルが落ち付いたら行動を開始するよ。蝶王が、伝説の存在が今どこにいるかなんて見当はつかない。これに関しちゃ運命の女神さまも答えてくれない。砂漠の砂の中で一粒の金を探すようなものなのかもしれない。でも、ほんの僅かでも可能性があるのなら」
わかったから落ち付け、とロアが半ば立ち上がりかけたイルキスの腕を引き、座らせる。
「蝶王の居場所ならば、オレに見当がつかないわけでもない。シエランディアの南西方向、名前の付けられていない巨頭があるのを知っているか? 人が災厄の島と呼ぶその場所に、恐らく蝶王はいる。蝶王はな、シルークの死後、心を閉ざして人間と関わるのをやめてしまったんだ。シルークは蝶王の最後にして最高のパートナーだったらしい」
ロアの言葉に、イルキスは驚いた顔をした。
「……どこで知ったのさ、そんなすごい情報」
ああ、とロアは少し考えるような仕草をした。
「赤眼の鴉、だったか。いつの頃かは覚えていないが、赤眼の鴉が教えてくれた気がする。……ちょっと待てよ。赤眼の鴉……赤眼の鴉、って」
「闇神ヴァイルハイネン。極夜司る闇呼ぶ鴉、風の体現者、異界の渡し守。人間好きな奇妙な神様で、気紛れに人間の生に干渉し、その一生に寄り添って、相方が死ぬと一時的に天界に帰る。人間好きな神様だから、気紛れに誰かに話し掛けることもあるだろう。しかし驚いた。きみがあのヴァイルハイネンと話したことがあるとはね」
ロアの言葉を引き継ぎ、イルキスが興味深げな表情を浮かべる。
赤眼の鴉は闇神ヴァイルハイネンの象徴。災厄の島に行かなくとも、彼に会えればもっと確実な手段を得られるかも、知れないが……。
「まぁ、闇神さまに会えるかなんて、それこそ運だし。運命の女神さまでも神々の行動までは制限できないからぼくの力もこれには無力だし。大人しく災厄の島へ行こうか。目的地は決まったね」
それにしても、きみってすごいねとイルキスは不思議そうな顔。
「英雄の墓場の文字も読めたし、偶然にしろ闇神さまにも会えてるし。……きみって、本当に何者なんだい?」
「生憎と、自分ではわからなくてな」
そう、ロアは苦笑いを浮かべた。
こうして一日が過ぎていった。
敗北はすれども決して諦めじ。フィラ・フィアの思いを継いで、前へ進むためにまた一歩。
【第五章 完】