複雑・ファジー小説
- Re: 魂込めのフィレル ( No.68 )
- 日時: 2020/06/29 23:03
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: lDBcW9py)
【九章 文明破壊の無垢なる鉄槌】
◇
翌朝。ウィナフの町へ出立する。文明破壊の神様であるシェルファークは過去に幾つもの町を滅ぼしてきたらしい。だから彼を封じるのは早い方が良かったのだ。彼が今の町を破壊する前に。しかしイグニシィンからウィナフは遠く、近いところに神殿のある神様も人間を苦しめていたために、近いところから封印していっただけで。
だが同時にフィレルは思う。シェルファークはこの世の摂理の一部なのではないか、と。どんな文明も育ち過ぎればやがて、腐った果実のように駄目になっていく。シェルファークは腐った果実を除去することで、新たな瑞々しい果実が育つのを手助けしているのではないか、と。けれどそれは神としての越権行為、腐った果実は同じ仲間の手で取り除かなければならない。だからこそ古の王アノスは彼を荒ぶる神として認定したのだ。
オルヴァーンの町から馬で三日ほどの距離にウィナフの町はある。その町は戦争に荒廃したシエランディアの中でも特に栄えた都市であり、王都よりも大きな町であるとされる。形骸化した玉座のあるだけの王都はもう文化の中心地とは言えず、シエランディアの文明は皆、このウィナフの町に集結していると言っていい。ウィナフから遠く離れたイグニシィンのフィレルでもその噂は聞いたことがある。大きな外壁に囲まれ、外壁の中は石で舗装され、お屋敷みたいな大図書館、高度な内容を教える学校があり、町の商店街では威勢の良い声が聞こえる。まだまだ発展途上に見えるこの町は、いつかシエランディアの体制が完全に崩れた時に、新たな王都になるのだろうか。
そんな町だから当然、検閲も厳しいわけで。蝶王はふっと微笑み、ただの白い蝶へと変身してさりげなく寄り添った。そうすればあまり違和感がない。
シェルファーク神殿の情報を集めようと町の入り口に近づくと、武装した兵士に足止めされた。
「ここは花の都、ウィナフの町。この町へはどんな御用事ですか」
丁寧な口調で訊かれ、反射的にフィラ・フィアは「神様の情報を集めているの」と答えそうになったが、先を制してイルキスが口を開く。
「ぼくらはロルヴァから来た旅人だよ。いやぁ、ロルヴァの港町でもさぁ、ウィナフの噂は聞いていてねぇ。一度、この目で見てみたいと、そう思ったのさ。ぼくはロルヴァの領主イルジェス・ウィルクリーストの双子の弟で名はイルキス。これ、身分証ね。あっちのフィレルはイグニシィンの領主の弟で絵描きをやってる。他はみんな仲間。フィレルもこの町の風景描きたいって言ってたしなぁ……。目的は観光、やってきたのはロルヴァの領主の弟と仲間たちってことでどうだい」
相手に何やら書類を見せながら、すらすらとイルキスが言葉を並べる。兵士はイルキスの示した書類を確認し、大きく頷いた。
「かしこまりました、怪しい者ではないと判断し、この門を通します。観光ですね。この町は他の町にはないものがたくさんあるので、思う存分楽しんでいかれると良いでしょう。絵の題材になりそうなものもたくさんございますよ」
笑って、彼は道を開けてくれた。
何の問題もなく町に入ることが出来た。イルキスは仲間に向かって悪戯っぽい笑みを浮かべた。フィラ・フィアは呆れた表情を浮かべた。
「まったく……あなたっていう人は……。でもあなたのさりげない嘘のお陰ですんなり通れたわ。わたしじゃ素直に正しいことを言って、誰にも信用されないで手間取ったと思うし。あなたのそれも才能よねぇ……」
そりゃどうもとイルキスは笑う。
改めて町を見て、感嘆の声を上げた。
きっちりと整備された道路。識字率が高いのか、絵ではなく文字の書かれた看板が町のそこかしこに見られる。戦乱の中でも活気のある声が聞こえ、華やかな笑い声が響き合う。
こんな町に天空神シェルファークがいるというのだろうか。
「やあ、そこのお人」
イルキスが普通の旅人を装って、道を歩いていた人に問う。
振り返ったのは男性だった。きちんとした身なりをし、髪は茶色、瞳は緑。彼はイルキスに一礼をし、問うた。
「おや、旅人さんですか。私に何の用ですかな」
「いやぁ、この町にある伝説を聞いてみたくってね」
イルキスの青の瞳がきらりと光る。
「天空神シェルファーク。そんな神様がここにいるって話を聞いてね?」
途端、男性の表情が固まった。彼は青い顔をして、イルキスに囁いた。
「いる、いる、いるともさ。だがしかし、旅のお方。その名前は、簡単に口に出しちゃあいけない」
「どうしてだい?」
「私たちは、わかっているんだよ」
男性の瞳からは、諦めのような表情が見て取れた。
「天空神シェルファーク。この町の奥の奥にいる。あいつが、たくさんの文明を滅ぼしてきたあいつが、いつかこの町を滅ぼすって。この町は確かに栄えているのかも知れないが……私たちは皆、いつか訪れる滅びの時を、恐れながら日々を生きているのだ」
シェルファークに目を付けられた町は、必ず滅ぼされる。そしてシェルファークは繁栄している町にしか目をつけない。町がシェルファークを祀れば滅びの時を少しは先延ばしにしてくれるが、結局滅ぼされるのは変わらない。
花の都、ウィナフ。明るく華やかな都の裏に見えた闇。それはシェルファークがいる限り、確実に訪れる破滅への恐怖。
成程ね、とイルキスは頷いた。
「ねぇ、興味本位で聞いていい? 今、シェルファーク様はどこに祀られているの。せっかく訪れたんだ、ここは良い町だし、シェルファーク様にお祈りして、もっとここが存続できるようにしたいんだよ」
イルキスの申し出を聞いた男は、ぱぁっと顔を輝かせた。
男は懐から紙を取り出し、詳細な地図を書いてくれた。イルキスは礼を言い、地図を懐に仕舞ってから仲間の元へ戻った。
戻ってきたイルキスに、フィレルは素直に尊敬の目を向けた。
「イルキス、すっごいや! 僕だったらあんなにすらすら話せなかったよぅ?」
「ま、経験の賜物だろうね。各地を旅してるとさ、厄介事に巻き込まれることも多くってね。自然、そういったことに巻き込まれない話し方や行動が身に着くのさ」
悪戯っぽくイルキスは笑った。
思ったよりもすんなりと神殿の場所が分かった。後はそこに向かう前に、作戦会議である。
フィレルらは宿をとり、その一室で話し合うことにした。
「天空神シェルファークは、攻撃力がとにかく高いわ」
前も言ったと思うけれど、とフィラ・フィアが切り出した。
「文明を破壊する神様だもの。下手な防御に回るよりは、回避に徹した方が良作」
「後は……あいつ、空を飛びまわらなかったか?」
ロアがすっと話に割って入った。
ロアの言葉に、フィラ・フィアが眉をひそめる。
「『あいつ』? まるで知り合いのような口をきくのね」
ロアは難しい顔をして押し黙る。
古代文字も読めて、闇神と知り合いで、天空神とも知り合いらしいロア。
正体がわからない。人外か、神に愛された人間なのか。
知ったらロアがロアでなくなるような気がしたから、フィレルは話題を変えようと試みる。
「天空神だから……雷とか使うの?」
「使っているのを見たことがある。それは我が保証しよう」
蝶王が小さな頭で頷いた。
攻撃力がとにかく高く、空を飛びまわり、雷を使う。並大抵の相手ではない。
「雷ならば、逸らせるよ」
イルキスが自分の胸に手を当てた。
「ぼくが囮になろうか。指運師のぼくに遠距離攻撃は当たらないし、幻影魔法を使えば相手の目を誤魔化せるかもしれないし」
でも危険な役割だよ、とフィレルは心配を込めた瞳でイルキスを見た。
わかっているさと彼は笑う。
「でもこの場合、ぼくしか適任はいないだろう。大丈夫、ぼくには運命神《ファーテ》がいる。そう簡単には死にゃしないさ」
そしてイルキスが相手を引きつけている間、イルキスの幻影魔法に隠れたフィラ・フィアが舞を舞い、シェルファークを封じる。ロアはフィラ・フィアに危機が迫ったら、彼女を抱えてその場を退避する。フィレル、蝶王は状況に応じて支援や妨害をする。
蝶王の死神蝶たちは、たくさん集まれば相手を撹乱できる。蝶王もこの作戦で、大いに役に立つことだろう。
方針は決まった。窓から外を見れば、陽はまだ高い。今日中に封じてしまうのもありかもね、とフィレルの提案に、一同は賛成した。
宿から出て、書いてもらった地図を見て、神殿を目指す。
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.69 )
- 日時: 2020/07/02 09:19
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
町が滅ぼされる日が、近い日にはならないように。
シェルファークに目をつけられた町の人々は彼を祀り、供え物をする。
辿り着いた神殿はしっかりと整備されており、中に入ったらだぼだぼの服を着た人がいた。
「天空神の神殿へようこそ。旅人さんですか? 何の御用でしょうか」
「天空神さまにお祈りをしに来たんだよ」
自然な態度でイルキスが答える。すると、神殿の左の道を進んでくださいと案内があった。そちらの方にある部屋に、神への祈りを捧げる場所があるらしい。
たどり着いた先には、人外の雰囲気を身に纏った一人の男がいた。
燦然と輝く太陽の如き金髪、炎を宿した深紅の瞳。身に纏うはひらひらとした、赤を基調として金のアクセントの入っている軽装。挑発的な笑みを浮かべ、背から黄金の翼を生やし、男は宙に浮いていた。
一目でわかる。これが、この男が。
「無邪気なる天空神、シェルファーク……!」
「無邪気……なんて、あだ名は俺には似合わないがね」
笑みを浮かべて神は言う。
「お前が封神のフィラ・フィアか? お前は俺を倒しに来たのか」
「封じに来たのよ」
フィラ・フィアが錫杖を地に突くと、しゃん、と涼やかな音が鳴る。
「あなたはわたしたち人間の社会に、深く干渉しすぎてはならなかった。社会が腐ってしまったのなら、それはわたしたち人間の手で取り除く。あなたの助けなんて必要ないのよ」
「ったく、馬鹿だよねぇ人間はこれだから。あー、もしかして俺が人間のためにこんなことをしているとでも思っていたのか? そんなわけねぇだろう」
笑みの中に愉悦が宿る。
フィレルはキャンバスと絵筆を構えた。
「来るぞ!」
ロアの声。そして。
「——俺は、足掻く人間たちを見るのが大好きだ。それが俺の行動理念だッ!」
轟いた雷鳴。ばりばりと音をたてて天が裂け、神殿の高い天井から天の裁きの如く、無数の雷条が降ってくる。
「させないよ?」
笑うイルキス。彼の周囲で水が渦巻き、稲妻を集めて外へ逃がした。それを戦いの合図として、動き出す。
シェルファークは強い相手だ。これまでの神々と同様、一筋縄ではいかないだろう。
フィラ・フィアは勢いよくステップを踏む。しゃん、しゃんと清浄な鈴の音。銀の錫杖が神聖な光を帯び、足元から形成されていく虹の鎖。
相手は宙に浮かんでいる。近接攻撃専門のロアには難しい相手だ。
だから、だからこそ。
フィレルはその距離差という不利をなくすためのアイテムを、真っ白なキャンバスに描きだす。
「ロア!」
叫んで放り投げたそれは、銀色の。
「弓、ねぇ……っておっと」
感心する暇もあらばこそ。シェルファークはイルキスの飛ばした水の槍を悠々と回避する。
「何を見ているんだい? きみの相手はこのぼくじゃないのかい?」
水と光をより合わせ、生み出されたのは無数の幻影。そこにシェルファークが稲妻を当てても、幻影は消えることがない。だが、稲妻と水は反応し、幻影はほんの僅かだけ揺らぐ。揺らがなかった本体目がけて飛んでくる稲妻。イルキスは小さく舌打ちをした。
「ありゃりゃあ。稲妻に水の幻影は相性最悪かい? ならばこれはどうだい!」
見破られないように。イルキスは自身に水を纏う。これで稲妻を当てられても、条件は同じになった。蝶王が死神蝶を呼び寄せて、少しでも相手を撹乱できるように神殿の中を飛ばす。
そうやって二人が敵を引きつけている間にも、フィラ・フィアは舞う。ただひたすらに。
昔、使命を負って旅に出た。あの日抱いた熱い思いはいまだ、衰えることを知らない。
その横で、ロアがフィレルの弓を引き絞る。全力で引き絞られた弓は、白銀の輝きを放つ矢をシェルファークに向けて撃ち放つ。
閃光。放たれた矢は、イルキスと戦うので精いっぱいだったシェルファークに迫る。
だがその瞬間、シェルファークが獰猛な笑みを見せた。嫌な予感がフィレルの背筋を走る。
「ロアッ!」
思わず上げた悲鳴。ロアの放った矢は、見えない壁によって、空中ではじき返された。フィレルとロアの魔力を載せて放たれた、渾身の一撃は。
ちらり、垣間見えたのはいつかの幻影。シェルファークに巨大魔法をぶつけた人たちが、全て跳ね返されて吹っ飛んでいった場面。それはかつて、実際にこの神殿で起こった事実。
気がついた時は、もう遅い。“魔力を込めて”放たれた矢はそのまま返されて、自分たちを害する武器となって目の前に迫っていた。
「俺に魔力は効かないぜ、人間ッ!」
シェルファークの高笑いが響き渡る。
イルキスが相手を攪乱している間に、フィレルとロアで渾身の一撃を放つ作戦だった。だがその一撃は破られた。
「フィレルッ!」
魔力を込めた矢が二人を貫こうとした刹那、フィレルは何者かに突き飛ばされるのを感じた。
呻き声。振り返ったそこにいたのは、いつも自分を守ってくれた広い背中。
どしゃり。全ての攻撃を一身に受けて倒れたのは。
「ロア!? ロア、ロアッ!」
抱き上げた身体は、血まみれだった。大丈夫だ、死にはしない、とロアが掠れた声で返事をするが、溢れ出る血は止まらなくて。その唇が動き、言葉を繋ぐ。
「ファレル様と約束……したんだ。生きて……帰る、と」
必死で身を起こし、それでもまだ動こうとしたロア。フィレルはその動きを止めて、ちらり、イルキスが戦っていた方を見る。そこにはイルキスが倒れていた。その身体は、動かない。魔力は効かない、とシェルファークは言った。イルキスもフィレルらと同じように、手痛い反撃を受けてしまったのだろうか。
忘れてはならない。シェルファークはとても高い攻撃力を持つ存在。防いではならない、回避しない限りその死の攻撃に対処することは不可能だ。
直接攻撃専門のロアが倒れ、魔法攻撃に特化したイルキスが倒れ。今、残っているのは戦闘向きではないフィレル、フィラ・フィア、蝶王だけ。そっか、とフィレルは呟き、覚悟を決めた瞳で相手を見据えた。
心の内には喪失への恐怖。ロアもイルキスも大切な仲間だ。失いたくない、その想いがフィレルの心を強くして。
心が、壊れそうなくらい大きな想いに揺れた、時。
弱かったフィレルの中で、スイッチが入った。
明るく無邪気な表情が、急激に冷めていく。
これまで自分を守ってくれていた人が傷つき、倒れているのならば。
「……そう」
呟いた声は、普段の無邪気な彼とは打って変わった、冷たく無機質な声。
急速に冷えていく頭の中、初めて心から本気になったフィレルは、動き出す。
「なら、僕が」
守るしかないんだ。
言って、フィレルは倒れているロアを守るように、両腕を広げて神の前に立ちふさがった。その姿を見た蝶王が驚きの声を上げる。
「絵心師! そなた、何をする気——」
「黙ってて」
冷めた声で相手の言葉を切り捨てると、フィレルはいつも身につけていた、絵描きの証たる白いエプロンを外した。その下にあったものがあらわになる。そこにあったのは、
「……武器の絵、だと?」
「絵心師ならではの切り札さ」
浮かべたのは獰猛な笑み。
フィレルは緑に輝く手で、所狭しと武器の絵の描かれた服に触れた。
そう、これこそがフィレルの切り札。描かれた絵を自在に取り出せるフィレルならば、絵の中に武器を隠して持つことも容易い。フィレルがいつもちぐはぐなエプロンを身に纏っていたのは、これを隠すためだったのだ。
フィレルは服の中に描かれた数多ある武器の中から、一本の剣を選び取る。実体化したそれを握り、宣言した。
「創作系特殊魔導士、絵心師フィレル・イグニシィン! 神だか何だか知らないけどさ、大切な人を酷い目に遭わされたんだ、相応の罰を受けてもらうんだよぅ?」
しかし剣は苦手だったはずでは、と言おうとしたロアに、力強く笑い掛ける。
「だってあのロアが教えてくれたんだ、上達しないわけがないでしょ? のーある鷹は爪を隠す、ってね!」
その言葉は、これまでのあれはただの演技だったのだということを示していた。
明るく無邪気な問題児、フィレル・イグニシィン。勉強もしないで武術も碌に練習しないで。けれどフィレルは陰でこっそりと練習していた。フィレルなりに考えて、己を磨いていたのだ。
その成果が、今ここにある。
フィレルは戦力外なんかじゃなかった。しっかりとした戦力として数えられる程には、十分に強かったのだ。
シェルファークは呵呵大笑した。豪快な笑みが口元に浮かぶ。
「は、はは! そうか、そうなのか! それでこそ……人間だッ!」
すたっ。音を立てて地上に降りる。雷を集めより合わせ、一本の太い綱のようにしたそれを硬化させて雷の剣とする。それを構え、天空神は言う。
「いいだろう、いいだろう! 絶望から這い上がるその姿! 挫けそうになっても諦めぬその姿こそ、俺の愛した『人間』の姿だ! 絵心師フィレル・イグニシィンと言ったか? 人間の意地、見せてみろッ!」
「望むところさ」
言うなり。
一閃。
いつの間にか抜かれていた剣が、神速の動きでシェルファークへと迫る。跳躍。天空神は地を蹴り大きく後方に退避。その顔に浮かぶ表情は愉悦。
絶望から立ち上がる人間の姿を見るのが好きだった神、天空神シェルファーク。その赤い瞳は久々の強い相手との戦いにきらきらと輝き、少年のように純粋な輝きを宿している。無邪気なる天空神、と呼ばれる所以だった。彼はただ純粋に、絶望から立ち上がった人間と戦うのが好きだったのだ。
そんな相手と戦いながら、フィレルは油断なく剣を構えつつ獰猛に笑った。それは図らずも、いつも戦闘時にロアが浮かべている笑みとそっくりなものになっていた。
フィレルは背後で固まっていたフィラ・フィアに声を掛けた。
「ロアが動けないんだ、ならば僕がロアを守るよ。だからお願い、フィラ・フィア。僕がこうしている間に——」
「え、ええ!」
返事をし、フィラ・フィアが舞いながら術式の続きを紡いでいく。それを見てひとつ頷き、フィレルは、
跳躍。引き下がった天空神の前、たった一歩で距離を詰める。それは訓練された武人の如き動き。一閃。絵の中から生み出され実体化させられた煌く刃が、神の身体を切り裂こうと迫る。追撃。フィレルの手から逃れようとした天空神に、逃がさんとばかりに追いすがる煌めき。そして連撃。服の中からいつの間にか取り出されていたもう一本の剣が、天空神の退路を阻む。相手を切り裂くその顔には、力強い笑みと、守るべきものを後ろに庇った、一人の戦士の不退転の覚悟があった。両の手に握った双つの刃は、神すらも殺せそうな勢いで、本気の殺意を込めて唸りを上げる。
フィレルはただの泣き虫な問題児ではなかった。内なる強さをずっと、その身の内に秘めて隠していたのだ。
一閃、二閃、三閃。力強い連撃に、押されていく天空神。雷の刃が悲鳴を上げるかのように火花を散らす。先程まで余裕のあった天空神のその顔には余裕がない。ただ、愉悦があった。無邪気な感情と愉悦によって、その顔は心から嬉しそうに笑っていた。
そしてその瞬間、舞が終わる。しゃん、と涼やかな鈴の音が神殿内に響き渡り、虹色の鎖が彼女の周囲を取り巻くように、ぐるぐると幾重にも回り出す。
澄み渡った声が、神殿内を打った。
「封じられなさい! 無邪気なる天空神——シェルファーク!」
「人間……ああ、やっぱり面白い存在だッ!」
ただひたすらに愉悦をその声に含ませて、神の姿は光へと変わる。虹色の鎖が幾重にも巻き付き、神殿の中を眩しすぎる光が通り抜けた、後。
そこにあったのは、天空神の姿をした巨大な空色石《ターコイズ》だった。
もう大丈夫だ。それを見て、安堵がフィレルの中を駆け巡る。その瞳からは、先程の苛烈な輝きは消えていて。いつもの、無邪気で明るいフィレルに戻っていることが分かる。
がらーん。大きく音を立てて、その両の手から剣が落ちた。
フィレルは泣きそうな顔で、倒れているロアに笑い掛けた。
「やったよ、ロア。僕ね……守れたっ!」
「お前……」
驚きの目でフィレルを見るロアの手を、フィレルは握り締める。
「僕だって、戦えるんだよぅ?」
泣きそうな顔、壊れそうな顔でフィレルは笑う、無理して笑う。
「戦うなんて、武器を使って振り回すなんて、嫌だよぅ。たとえ誰かを守るためであってもさ、武器を振るたびに僕の心は傷ついているんだ」
でも、仕方ないじゃあないかと笑う。
「僕しか、僕だけしか、戦える人はいなかったんだからさっ! いくら戦うのが嫌でも辛くても、僕しかいないなら……僕が、僕が、やるしか、戦うしか、ないじゃあないか……」
フィレルの身体がぐらり、よろける。「フィレル!?」心配そうな顔をしたフィラ・フィアたちの前、フィレルはがくりと、地に膝をついた。その辺りまで広がっていたロアの血が、撥ねた。フィレルはがくがくと震えていた。その顔は蒼白だった。
「嫌だってば、怖いってば。だってさ僕は戦うのが嫌いな平和主義者なんだよなのにどうしてこんな」
フィレルはちらり、ロアの方を見た。大きな怪我を負っていたロアの顔は蒼白になっていた。ロアが、大切な人が危ないと悟ったフィレルは怯える身体を叱咤してロアの方へ急ごうとするが、その身体を猛烈な疲労感が襲う。身体を動かすこともままならないほどの疲労感。フィラ・フィアの心配そうな声がフィレルの耳を叩くが、意識を失いそうになっているフィレルには届かない。
倒れつつも、ロアの方へ手を伸ばした。
意識を手放す寸前、思う。
——ロア。
——僕は大切なものを、守れた……かなぁ?
◇
- Re: 魂込めのフィレル ( No.70 )
- 日時: 2020/07/06 10:26
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
目が覚めた場所は、宿のひと部屋だった。前に、作戦会議をした宿だった。
「フィレル! 目が覚めたのね?」
むくっと身体を起こすと、フィラ・フィアが心配そうにやってきた。
そして思い出す。天空神との戦いのこと、倒れていたロアのこと。
「ロアは? ロアは、どうしたの? 生きてる!?」
「案ずるな絵心師よ」
はたはたと小さな音を立て、フィレルの前に小さな影が現れる。背には蝶の翼。蝶王である。
「あそこは神殿だ、あれほど大きな騒ぎを起こせば他の人がやってくる。我々は事情を説明し、手当てをしてもらったのだ。町の人も、我らのことを無碍にはできまい。我らのお陰で、この町は滅びの運命から逃れられたのだからな」
身を起こしたフィレルが横を見ると、そこにもうひとつベッドがあった。その上ではロアが眠っていた。その顔は安らかだった。フィレルは安堵の息をつく。
「幸い、反射的に急所を避けたようだから見た目ほど酷い怪我ではない。数日もすれば戦えるようになるとのことだ。イルキスの負った傷もそこまでではなかった。シェルファークは派手好みの神だ、そこまで酷い傷を負わせる気はなかったのだろう」
「そっか……良かった……」
フィレルは妙に疲れているのを感じていた。当然だろう、初めて本気を出して戦ったのだ。慣れない力、慣れない戦い方。そんなので戦い続けていたら過剰に疲れるのは当たり前だ。
「次の目的地は決めているわ。でも次はそう、戦神ゼウデラ……かつてわたしたちが敗北を喫し、わたしが死んだ原因の神様だから。万全な状態で行かなくてはならないの。だからしばらくはこの町に滞在することにする。フィレルも、疲れが取れたらこの町を観光してみるのはどうかしら?」
そうだね、うん、とフィレルは頷いた。
ひとまずは、再び押し寄せた眠気に身を任せることにして、フィレルは眠る。
◇
その翌日に、ロアとイルキスが目を覚ました。ロアを看た町の医者の話によると、ロアは普通の人間であは有り得ないくらいに自然回復能力が高いという。大した御仁だ、と医者は笑っていた。
「……フィレル」
目を覚ましたロアが、フィレルの名を呼んだ。
言葉なんて必要なかった。目覚めたロアを、フィレルは大声で泣きながら抱き締めた。
「死んじゃうかと……本当に、死んじゃうかと思ったんだよぅ! 怖かった……。ロア、ロアぁ!」
「……生きているからちょっと離れろ」
苦しそうにロアが言うと、ごめん、と謝って後ろへ下がる。
ロアの身体には包帯が巻かれていた。いつも強かったロアのそんな姿を見ていると、胸が苦しくなるのをフィレルは感じた。
「なぁ、フィレル」
静かな声でロアが言う。
「お前……強かったんだな」
「もう二度とあんなことやりたくないけどねっ!」
涙を拭ってフィレルは言う。
「だってさ……ロアが死んじゃうかもって、思ったんだもん。手段を選んでなんからんないよ! 戦うのとか嫌だし武器を使うのって怖いの。でも……失いたく、なかったんだもん」
うつむくフィレルの手を、そっとロアが握った。
「心配かけて、悪かった」
「ううん、大丈夫。生きててくれて、ありがとねぇ!」
ロアの手を握り返して、フィレルは笑った。
と、不意に部屋の扉が開いた。現れたのはイルキスだった。その顔は少しやつれているものの、比較的元気そうである。
イルキスが負ったのは魔法による傷だった。魔法による傷は魔導士ならば治りが早い。ロアに比べるとスムーズに回復できたように見えるのもそのためだろう。
「やぁ、皆様方。元気かな?」
すたすたと歩いていき、手近な椅子に座る。
「ぼくは……まぁ、まだ万全とは言えないけれど大体はもう大丈夫さ。ロアの怪我は……まだみたいだね。フィレル、疲れは取れたかい?」
イルキスの問いに、うん、と大きくフィレルは頷いた。
揃った一同を見て、感慨深げにフィラ・フィアが呟く。
「フィレル、ロア、イルキス、蝶王、そしてわたし。今回はこの五人でゼウデラに挑むのね……。今度こそわたしはやり遂げられるかしら? シルーク、エルステッド……見ていてね」
次の戦いが正念場だ。重い空気が辺りに流れた。
◇
花の都、ウィナフ。そこでフィレルたちは英雄、と町の人々から慕われた。いつか訪れる破滅の運命を回避したのだ。フィレルたちは待ちの人々の不安を取り去った。
大きな図書館があった。そこにはツウェルのウァルファル魔道学院にあった本の迷路を遥かに超えそうなくらいの書物が収まっていた。劇場があった。そこでは古の英雄譚が演じられていた。商店街に行けば様々な食べ物や珍しいものが置いてあり、町の繁栄をうかがわせる。フィレルらはウィナフの都に、五日間留まった。とても五日では観光し切れないほどの町だったが、目的を果たしてからまた来ればよいと割り切った。
傷の治った一同は、宿のひと部屋に集まる。あれだけ大きな怪我を負ったのに、ロアの傷はもう治っていた。人間とは思えないほどの回復力だった。
「次に封じるのは戦神ゼウデラ」
地図を広げながらフィラ・フィアが言う。
「そして、ね。ゼウデラが封じられているのは……ここよ」
彼女が指し示した町の名は、
イグニシィン。
フィレルは知った。
究極の敵は、最も身近なところにいたのだと。
◇