複雑・ファジー小説
- Re: 逢う魔が時に手をとって ( No.1 )
- 日時: 2019/05/02 19:03
- 名前: ザネリ (ID: Gp3daWUL)
人間をその人たらしめるものというのは、果たして何なのだろうか。おそらくこの議題に明確な解答は存在しない。あるとすればそれは、回答。あるいは解釈と呼ばれるものだ。俺は、私は、これこれこういう者だから他ならぬ自分自身であると宣言できる確固たる証拠。その選択肢は燦然と光放つ星々ほど多岐に渡る。
私は中学高校で奉仕活動に取り組んでおりました。なるほど、それは過去だ。それゆえに献身を厭わない精神性を獲得した。かつての経験が今の己を支え、育んだと言える。才の無い人間にとって理想的な存在証明だ。
俺の自慢は鍛え上げられたこの筋肉だ。なるほど、それは肉体だ。その鋼のような肉体からは、鍛練と折れぬ意志とが透けて見える。整然と並び、峡谷を織り成す肉の鎧こそが、その人物の在り方を雄弁に物語っている。
僕が僕らしくあるのは誰かの役に立ちたいと心から願い、行動できる人柄だ。なるほど、それは後天的な歴史ではなく、先天性の贈り物。確かに生まれながらの代物であるため、その者が本人たり得る理由としてはこれ以上ないように思える。なるほど、それは人間性だ。
かくして、誰かが他の誰でもない己を自覚できる理由としては、其処に生きる命と同じだけの数が並ぶ。それこそ、彼方に浮かぶ光の欠片と変わらない。
今挙げたものはどれも、その人の内側より滲み出るものであると、その原点を共有している。生まれ落ちる際魂に刻まれた人柄、途切れることの無い努力により獲得した肢体、奉仕を通じて知見を得た思慮。それらは彼らの行動を決定し得る価値観であり、自己決定により習得した勤勉な報酬に他ならない。
そういった過去に起因する、あるいは未来への起因となる、これまで歩んだ軌跡の結晶となったものこそが、各人の存在証明となるのだ。一人一人の進む歴史は異なる。だからこそ、多様性が生じ、一人として同一人物となることができない。
だがしかし、悲しいことにそうでない人々も存在することを忘れる訳にはいかない。時として人はレッテルに縛られる。彼ないしは彼女の内面を除いてやらねばならないというのに、見せかけだけの情報で初見の他人を判断する。
あの人はプロ野球選手の息子だから、上手いのも当然よね。そう井戸端会議する母親達に悪気はない。悪意はないというのに、誰かの研鑽を殺している。血筋の二文字で、その子の努力を無下にしたという訳だ。親がいかに優れた選手であろうとも優れた肉体を思うように子供に与えられない。両親が与えたとすれば、のびのびと修練に打ち込むだけの環境と、じきじきの指導くらいだ。上達のための下積みは、間違いなく子供本人が積み上げた。
血筋というのは何も才能に限らない。大財閥の娘だから、沢山お金を持っていると思い込まれる。現実は、寄り道させないためにお小遣いを与えられていないかもしれないのに。いじめっ子は、心臓に毛が生えているように考えられるだろう。しかし、真に強き者は私刑など考えない。弱く、しかし強かだからこそ数の利で立ち向かう。いつだって貶められるのは、強き者だ。
レッテルというのは化粧であり、入れ墨であり、またある時は装身具となる。モデルの娘だと箔をつけて男を籠絡する、あの人は犯罪者の息子だからと色眼鏡を通して見る、敢えて変装し著名人であることを脱ぎ捨てて恋の湯に浸かる。時として見せかけだけの印で飾り立て、印に足を引っ張られ、印そのものは置き去りにされる。
それは、内的な要因のみならず、外的な要因さえもその人を構成する一因子となる可能性を孕むせいだ。そこに努力や技能の獲得が関与する余地は無い。それがあるべき、摂理だ。
しかしもし、その摂理を破ることができたとしたら。才能も努力も、アクセサリを付け替えるように自分をカスタマイズできたとしたら。
それを満たす空間が用意された。本来の世界では、そんな事が許される筈もない。そのため、一部の摂理があべこべになった反転世界を、神様は用意した。どうなったことだろう。その世界は怠惰に染まった。いつでも欲しい才能が手に入る。それなら働く義務が生じた時に働き、飽きたら寝てばかりの生活を送ればいい。あぁ、何とおぞましい。神様は嘆き、台風のようなため息が世界を覆った。
そうして作り出されたのが天使だった。天使は一日に一度、人々が世界の理に溺れず、勤勉に過ごしているかを巡回し、確かめている。
ある日その世界が、戦争の舞台となった。それも、異世界から連れこまれた哀れなポーン達が戦うための。
これは、そんなチープな出来事を綴ったありきたりな物語。鏡写しの反転世界、逢逆の町を天使が往く。逢う魔が時を、天使が往く。手を取り合うこともないままに。