複雑・ファジー小説
- 一話 ( No.1 )
- 日時: 2019/08/17 10:41
- 名前: おまさ (ID: 79DeCD8W)
砂、砂、砂。
どこまでも続く赤い砂漠。紅鏡は真上に昇りつつあり、厳しい砂漠の炎天下に砂丘へ吹き捲る乾燥した風
が、猛暑を微かに和らげていた。蒼穹と赤い砂の大地との境目には、人間はおろか植物の影のひとつも存在しない。
風の音と砂が擦れる音だけが在るこの砂丘は、静寂という名の秩序が保たれていた。
そんな静寂を破り、喧騒の気配が近づいてくる。それは、すっかりと時代遅れになった内燃機関の音だ。トコトコ、トコトコと騒音と排気ガスを撒き散らしながら、バイクのエンジン音がゆっくりと近づいてくる。そんな音が不意に途絶え、代わりに聞こえてきたのはやかましい老人の声だ。
「ーーーチクショウ!こいつめ、また止まりやがった!これで何回目じゃ!?」
故障して止まったエンジンを足で蹴りつけ、長身に大きなハットを被った老人が怒鳴る。
禿げ頭が印象的な人物だ。歳は七十路に近付き、その割には体格も大きく筋肉質。肌は日焼けで褐色になっていて更に左肩にはおおきな古傷の跡が残っている。
そんな老人の傍らに立つのは、奇妙な形をした乗り物だった。前輪が二つついていて、そのすぐ後ろには二つの座席と座席の斜め後方にあるエンジンやその他の機械類。後輪は二つだが、それぞれが縦に並んでいる。
「・・・また焼けつき?あーあ、これだから内燃機関はダメなんだ」
乗り物からもう一人降りてきたのは一人の少年だ。黒髪を後ろで刈り上げ、白っぽいTシャツを着ている。体躯は老人と違い筋肉質ではなく、身長も別段高いわけでも低いわけでもない平均的なものだ。
その少年の言葉に老人は車体の下を見て、
「・・・んや、そう簡単でもないわい」
潤滑油が滴る様子を見て苦々しくこぼした。
「イオト。工具箱を」
老人が、体の中の熱を外に吐き出すように吐息混じりに言うと、イオト、と呼ばれた少年が「はいよー」と軽く答えた。
少年ーーーイオトは、座席の足元にある金属製の工具箱を開け、老人の近くにどさりと置いた。
「はいどうぞ。他には?エソロー爺」
「水を。暑くて敵わん」
イオトが水筒を渡すと、エソローは半ばひったくるようにして勢いよく水を飲み始める。無理もない。猛暑に陽炎揺ら立つ砂漠のど真ん中で立ち往生、なんて状況におかれ、朝からの仕事の疲労に加えこの日照りだ。水を飲むことに一時の快楽を求めるのであれば、それは生物として当たり前のこと。
エソローに返された水筒を傾けイオトも同じようにして水を飲む。
途中、日輪が陰り空が少し暗くなった。水筒から口を離しイオトは空を見上げた。見れば、ちょうど太陽が〈ジルク〉に遮られて隠れている。イオトはその様子を複雑な想いで見上げた。
〈ジルク〉について説明せねばならない。
ーーーー〈ジルク〉とは、土星の環のようにこの惑星を一周する巨大なスペースコロニーである。
*
時は六百年前。
この惑星は何らかの原因で汚染された。汚染地域は年々拡大し、対照的に人類の生存域は減少していた。多くの人々が汚染により地を追われ、その結果大量の難民がでた。このままでは、人類は自らの文明もろとも汚染に飲み込まれてしまう。
当時、強大な技術力を持った国があった。名を、エガルトという。
人類はエガルトの技術を駆使し、天に〈ジルク〉を建造。多くの人々がそこに逃げ込んだ。
しかしそれは、途上国各国を除いた処置だった。
所得の低い途上国の民は〈ジルク〉に入植できず、残された地で滅びの時を待つ結果となる。
勿論抵抗はあった。しかし〈ジルク〉側は圧倒的な武力を以てこれを制し、自分達は天空に浮かぶ夢の砦に籠った。
現在、この惑星では砂漠化が進み毎年大量の餓死者を出している。かつての文明も大半が汚染され、忘れ去られた。故にこの惑星のことをかつて何と呼んでいたのか、それすらも残っていない。ただ言語だけが残り、惑星に残った人々は砂漠から出土するかつての文明の残り香を嗅ぎながらこの世の破滅を待っている。
汚染について、原因や実態はよく知られていない。おそらく、“上”にある国連本部の上層部が知る事実だろう。彼らの真意はわからないが。
ともあれ、〈ジルク〉に籠る人々は現在、深刻な資源不足に喘いでいるらしい。噂によれば月面の資源採取のみでは間に合っていないようだ。
資源と、かつての領土を取り戻す。その目的で、十年前からアンドロイドの部隊が派遣されている。
ーーーこれが、地に残った人々の間で語り継がれる人類史である。
とはいえ、これは伝承だとか〈ジルク〉側の噂だとかをくっつけた継ぎ接ぎだらけの代物に過ぎない。事実はきっと、あの雲の向こう側にある。・・・少なくともイオトはそう信じている。
この人類史で、〈ジルク〉の民が途上国の人民に行った処置は特に認知度が高く、それ故か地上の人々は〈ジルク〉に住む人々や派遣されるアンドロイドを嫌っている場合が多い。
特に地上でたまに遭遇するアンドロイドの部隊は非難の対象にされる。
「アンドロイドは我々を監視している」と吹聴する輩もいる。ただ、そうやって罪を誰かに押し付けなければ生きていけない程度にはこの惑星は荒廃しているのだ。
アンドロイド部隊は、その荒廃した世界におかれた人々の、いわばスケープゴートの様な役割を無意識のうちに引き受けているのかも知れない。
「・・・お、」
ーーーーそんなことを考えていると、エンジンがかかる音がした。見ればエソローが修理を終え、”過去の遺物“に火を灯したところだった。
「それ、行くぞイオト」
隣のシートにどっかりと腰を収めエソロー爺が計器類のチェックを始めた。それを横目にイオトはちらと視線を外にさ迷わせる。いつの間にか太陽は移動して、噎せ返る様な暑さが戻ってきていた。
煌々と輝く陽の光に目を眇めながらーーーイオトはあるものを赤い砂漠の中に見つけた。座席を離れ、そちらに歩いていく。
「、イオト」
「ごめんエソロー爺。すぐ戻る」
砂に僅かに足をとられながら、しかしイオトの意識は前に向いていた。
ーーーーーー碧落の下、一人の銀髪の少女が倒れていた。意識はない様で、死んだように目は閉じられている。・・・まさか、死んではいまい。
仮に生きていても、砂漠のど真ん中で炎天下に長時間晒されていれば人間など簡単に死ぬ。ひとまず連れて帰って看た方が良さそうだ。「失礼しますよ・・・?」と前置きしてから少女を抱き上げーーー、
「ーーって重っ!?」
鉄の塊と錯覚するような重量感にイオトは目を剥くが、そこで気付いた。
染めている以外は人間には絶対にあり得ない白銀の銀髪。金属塊の様な重量感。人間にしてはあまりに白い処女雪の透き通るような肌。ーーーーそして、右肩に刻まれた刻印。刻印をちらと見て「たぶん」が確信に変わる。
「〈M-43gl2〉・・・まさか、アンドロイド・・・!?」
「イオト!早く、行くぞ!」
驚愕するイオトに業を煮らしたか、エソローが苛立ちながら言う。イオトは思い煩いながら、目前に倒れる機構少女を見つめた。