複雑・ファジー小説
- 九話 ( No.10 )
- 日時: 2019/10/27 19:26
- 名前: おまさ (ID: cZfgr/oz)
「M-43GL2」
その無機質な名を聞いたとき、脳裏に浮かぶのは先の出来事だ。『オスティム』と相対し己の無力を噛み締めた、事実上戦死者ゼロの戦場。戦塵と硝煙、砂煙のぼる喧騒の気配。
「・・・シザ」
細く、呟かれた言葉は自分のものだ。短いその響きには自覚しきれないほどの万感が確かにある。
後悔。自嘲。懺悔。義憤。憎悪。瞋恚。あらゆるマイナスの感情の波が、心の岸壁に打ち付けられ、胸が締め付けられる。
「・・・お兄さん、あれ・・・」
そんな、己の内の感情の荒波に呑まれるイオトは気付かない。
「お兄さん、」
今、自分の背後に———、
「————イオトっ!!」
「!」
少女——シーナの高い叫び声に我に返ったイオトは、すぐさま背後の気配に気づく。肌が戦慄に粟立ち、刹那思考が漂白された。
その一瞬が大きかった。少なくとも、イオトの首を刎ねるのには十分すぎる時間だったろう。
『敵』は、そのまま右腕の鎌を振り下ろして———、
「しっかりして———っ!!」
「だばっ!?」
横から突き飛ばされた直後。
中空に一閃。空気が切れ、凄まじい風切り音が骨の髄までびりびりと響く。
台地に顔面から着地したイオトは、食んでいた砂を吐き出し———背中の上の重量感に目を剥いた。
「シーナ重い重い重いどいて痛い極まってる関節極まってる痛い痛い痛い痛い死ぬ!」
「大丈夫!?お兄さん」
「息、が・・・しーな・・・はや、く」
「・・・え?あ、ごめん」
シーナがどき、肺にいきなり酸素が入って咳き込む。気管に詰まりかけた痰を、口に微かに残った砂と一緒に吐き出した。
シーナの様子を見るに、どこにも被害は無いらしい。イオトを突き飛ばした勢いで、シーナもイオトと同じ方向に飛び込み死撃を逃れたのだ。
「けほっ・・・ありがとう、シーナ」
「感謝じゃなく反省してほしいな!」
感謝を述べ、改めて相手を吃と睨む。
こちらの平静さを崩さんというばかりの圧倒的な鬼気を以て睥睨する「それ」は、三メートル超の巨大な図体をもっていた。足は六本、先程の『オスティム』よりもスリムな体躯。前足は鎌のような形に発達しており、二つのそれを擦り付ける様子はまさしく殺戮種の闘争心の表れである。
そう、それは一見すると、巨大な砂色の蟷螂のようであった。
「『オスティム』・・・!」
苦々しく呟くシーナ。なるほど、『オスティム』とは単に個体の呼称ではなく、アンドロイド部隊の敵全般を示すことばらしい。
「シーナ、戦闘については期待して大丈夫?」
「———。ごめん。私は戦闘用ユニットじゃないから」
「オーケー。・・・あいつの弱点は?」
「駆逐攪乱型(クレヲヴロター)か。弱点は後ろ足の付け根だけど・・・」
相手の後ろ足の付け根を確認し、イオトはシーナの右腿のホルスターを見やる。
「狙える?」
「————やってみる」
言って、シーナはホルスターから拳銃を取り出した。何ということはない、九ミリ自動拳銃。シザのものよりやや大型の、複列弾倉(ダブルカラム)の。
初弾装填。半自動(セミ・オート)に設定。
撃発。
軽く、乾いた音が響き、初弾が毎秒約360メートルの速度を以て大気中を縦貫。銃身の内圧によりスライドが後退(ブルバック)し、次弾が薬室に装填される。
間を空けずシーナは4発、ぱぁんぱぁんと続けざまに撃ちこむ。
5発撃ちこんだところで、スライドが後退したままになる。弾倉が空になったのだ。
弾倉内の五発の弾丸———この拳銃の弾倉には十六発の弾が入るが、常に全弾を入れていると弾倉のスプリングが弱くなるため、自衛用拳銃には五発のみ入れた状態で装備し、スプリングの劣化を少なくしている———を撃ち尽くし、強化樹脂プラスチックのスライドの熱が手に伝わってくる。
「やったか!?」
・・・ここでこの台詞を口にした自分を責めたい。
ひどく、動悸がうるさい。と、
「——————ッ!!」
「「うわぁぁっっ!?」」
耳障りな音を出し、『オスティム』が咆哮。その迫力に、思わず身が縮こまってしまいそうだ。
———拳銃は、効かない。
「・・・そういえば私、前お姉ちゃんに『二度と拳銃触らないで』って言われてたような・・・」
「———、」
結論。
シ ー ナ 射 撃 下 手 く そ
当たる当たらないという次元の範疇にない。先程視界の端で火花が散っていたが、よくよく考えればシーナの撃った弾が舗装路のフェンスに突き刺さっていただけで。
というか弱点をピンポイントで突くは不可能にしても、十メートルもないこの至近距離で正面の外皮にすら掠りもしてないエイムって、いったいどういう。
青い顔で——アンドロイドにそんな機能があるのかわからないが、そう見えた——イオトを見るシーナ。そんな少女を尻目に、『オスティム』が一歩、二歩と近づく。十メートルもない距離を詰めてくる。
———こんなところで、終わりなのか。
———まだ。
———まだシザを取り戻していないのに。
「・・・ク、ソぉ・・・」
終わりだ。そう思って目を瞑る。隣で少女が何かを叫んでいる。自分に何か訴えているのだろうか。
いづれにせよ、終焉だ。鎌が、愚者の首に迫る。
————。
—————————。
———————————————。—————————ん?
意識の淵に、何かが聞こえる。ドロロロロと響く喧騒。時代遅れの内燃機関の音。
〈レヴァトノフ〉ではない。既に燃料が尽きているし、第一、エンジン音が違う。
これは———大排気量・スモールブロックV8の音だ。
「—————おっとォ、カマキリさんよォ。轢禍の御歓待はいかがァ〜?」
瞬間、『オスティム』が爆ぜる。
太く、巨大な四つのタイヤに体躯を蹂躙され、変な音を立てて巨躯が軋み、均され、潰れる。
「———ッ!!—————ッ!!」
その絶叫と、ブレーキ音が奴の断末魔となり、青の血潮が噴出。その様を、イオトとシーナは呆然と見ていた。
喧騒の正体である、六輪のトラック(スポーツカーの前半分に荷台をくっつけたみたいな見た目)が止まる。そこから降りてきたのは白馬の王子様————、
「—————イオトぉぉぉぉぉぉおおおおおお!!!」
————じゃなかった。血相を変えた大柄の老人が降りてきた。
「え、エソローじ・・・・ごぼびゅらっ!?」
即座に腹筋を鉄槌———否、拳骨が貫く。そこから間髪入れず、御年六十とは思えない正確さとパワーを以てイオトの右頬に丸太のように太い左腕がぶち込まれた。
吹っ飛ぶイオト。
「全く、馬鹿かお前は!どれだけ心配したと・・・ん?」
イオトを叱責し始めた時、視界の淵に何か見慣れないものが映り、エソローはそちらを注視。
銀髪の少女、シーナが視線に困ったように「え、えっと・・・?」と首を傾げる。
「———とりま、説明が必要な感じッスかねェ?」
と、六輪トラックの運転席から顔を出したのは。
「・・・ら、ラティビさん・・・?」
「んや。みんな大好きラビさんよォ。イオト君はお久だね」
苦し気に呻きながら、イオトが呟くと、女——ラビは微笑む。
瑪瑙の髪をポニーテールにまとめ、動きやすさを重視したホットパンツと黒いシャツ。その上に羽織ったカーキ色のジャケットが、風にはためく。年齢は十九歳あたりで、鋭い三白眼をこちらに向け、すこし高めの鼻頭を擦っている。
その、整った顔立ちのラビに見下ろされ、イオトは状況がつかめずに混乱した。すると。
「・・・イオト」
「ハイっ!何でしょう」
思わず背筋を正したイオトにエソローは、
「車に乗れ、行くぞ」
「・・・え」
その後、一行は〈レヴァトノフ〉を荷台に固定した後、その地を後にした。