複雑・ファジー小説

十四話 ( No.17 )
日時: 2020/02/21 19:22
名前: おまさ (ID: fwxz9PQ9)

 
1



ーーー砂に足を少しとられながらも、赤い砂丘を駆け登っていくシーナの小さな背中をイオトは追いかけていた。


 砂を蹴散らし、踏みしめ、掬って、巻き上げて。足元に体力を僅かに削られながらも砂塵を撒き散らし、シーナに徐々に追い付いてゆく。
 そういえば、シザのような戦闘用アンドロイドはともかくとして、シーナのような非戦闘要員はあまり足が速くないのだな、とぼんやり思う。

「ーーこで、いっか」
 砂丘を登り終えた辺りだろうか。シーナが足を止め、何事か呟いた。
 少し息を弾ませ、イオトはシーナに追い付いた。
「おい、急にどうしたんだよーーー、」
「ーーーしっ」
 言いかけると、シーナはこちらの唇に白い指を当てて先を続かせない。いきなりの行動に、男の子的な事情で少し硬直しているーーー普段ならそうしただろうが、シーナの表情を見ればそれはできまい。

 シーナは、その柔和な顔に僅かな緊張を滲ませていたから。

「これから、目標の観測を行う。観測に影響しちゃうから、静かにしててね」
「わ、かったよ。………….でも、いきなり何も言わず出ていかないでくれ、頼むから」
「…..ゴメン」
 長めの睫毛を伏せて謝罪したシーナ。その様子を見ながらイオトは、一つだけ疑問に思う。




 ーーシーナといいシザといい、何でこう人間らしく作られているのだろうか、と。
 戦闘人形に、表情を作る機能など必要ないはずなのだ。本来の目的だけを加味すれば、それこそ敵を屠るだけでいい。表情や感情、ちょっとした仕草など、生産性を落とすだけの無駄な機能だろう。
 人形は、いくら人間の形をしていたところで、所詮は作り物。魂の器にはなり得ない半端物に過ぎないのだと。だから当然、表情なんてなくて当然で。
 それなのに。
 何故。

 思い出すと胸が苦しくなるほどに、彼女は美しく映ってしまうのか。


「よいしょ、」
 ふと、声に思索から抜け出して見れば、シーナはてきぱきと何かを組み立てている。重そうなバックパックを砂の上にどさりと下ろし、下ろしたそれから何かを取り出した。
 黒くて、無機質な金属製の箱だ。側面には冷却用の吸気口のようなものと、スイッチ類が陳列している。スイッチの横にあるジャックにシーナは何かを繋ぐと、再びバックパックから何かを取り出した。
 
 黒と白のツートンのそれは、二対になっていた。シーナが両耳を覆うように二対のそれを着けた途端、変化が始まる。
 摩訶不思議なぎんいろの流体が滲み、対になっているそれぞれを繋ぐように形を形成する。シーナの頭頂部で繋がったそれは動きを止め、そこから二対の突起ーーー傍から見ればシーナに狐のような耳が生えたように見えるーーーが出現した。
 対になったそれの右側からは、口元に何かが伸び。左側からは先程と同じ銀の光芒が煌めき、白くて細いうなじに続いていた。
「……..これでよし。お兄さん、今から遠距離の観測に集中するから、その間周囲に気を配ってて」
「分かったけど……….その拳銃は、どうする」

 ぶっちゃけて言うと、その拳銃はたとえイオトが持っていようと大した意味はない。シーナのガバガバのエイムはどうとかはこの際関係なく、ただ純粋に威力の問題だからだ。
 フルオート射撃のできる拳銃ならギリギリ牽制はできるかも知れないが、たかがセミオートの九ミリ自動拳銃で〈オスティム〉を迎え撃てるかと考えると流石に無理がある。種類によっては、アサルトライフルの一斉射撃では仕留めきれないものすらいるのが〈オスティム〉だ。仮にアンドロイドが、一斉射撃を援護として薙刀で斬り込んでも、結果玉砕されてしまうこともこの目で既に確認済みである。
 無論、そういった強力な種に限って襲ってくるとは考えたくもないが。

 つまるところ、イオトの今の提案は護衛的な意味を伴ったものではなく、何もできない歯痒さと気休めのためのものだった。

「じゃ、お兄さんが持ってて」
 そう言って右腿のホルスターから抜いた拳銃を差し出すシーナ。その気遣いに甘え、拳銃を受け取る。
 黒くて無骨なフォルムの九ミリ自動拳銃は、しっくりと手に馴染んだ。試しに両手で構えてみても、重心の位置が低いためかぴたりと安定する。
「よし」
 半自動セミ・オートに設定。スライドを引き初弾を薬室に装填。残弾は薬室内のものも含め合計五発。
 この拳銃一丁で確実に身を守れるかは微妙なところではあるが、少なくともすぐ死ぬ心配だけはしなくて良さそうだ。イオトは内圧を下げるように、深く息を吐いた。

 
 それと同時にシーナは観測機の索敵能力を完全に解放する。光芒が首筋に伸びる白銀の紗を駆け巡り、白銀の瞳が鴇鼠に淡く発光。それと共に幻の熱が頭蓋と眼窩、脊髄にかけて伝播する。
 於菟の両耳を象った探査アンテナから流れ込む膨大な情報量を処理、処理、処理処理ーー。
「っ!お兄さん、正面2時方向、獺型強襲種ルトルナ!」

ーーーそうして、果たして処理した情報の通り、突貫が来る。
 
 その体躯、獺の如し。嘶き、殺戮本能の儘に鈍く光を宿した紅蓮の双眸と、漆黒の爪牙。
 生物本来の姿を甚だしく逸脱ーーー否、冒涜した姿のあれは、〈オスティム〉。

 その脅威を目前にしてなお、何故かイオトの意識は不思議と凪いでいた。脛椎の辺りを冴えた意識で照準し。
「ーーーーーっ!」



 撃発。



 スライドが後退。空薬莢の排出と同時に両手に伝わるのは、九ミリ弾とはいえ強烈な反動と震撼、そしてスライドからの熱。
 それらのエネルギーを以て、貧弱な九ミリ弾は夜の澄んだ大気を縦貫する。およそ360メートル毎秒の弾速と、それが有する運動エネルギー、そして集中力も合わせればーーー奴の身体機能を破壊することなど造作もない。

 朱の色彩が僅か宙を舞い、〈オスティム〉の咆哮を断末魔に塗り替える。力なく、僅かに四肢を震顫させたと思うと、そのまま砂丘へ命を散らした。

 ーーーーその様子を見届けてから、イオトは己の心拍数が上昇しているのを自覚した。
「は、ふぅ………」
「まだ!次が来る!」

 息つく間も無く。
 そう。
 息を吸うことすら忘れ、イオトは第六感に近い感覚で銃口を定める。次は二体。続けてトリガを引く。拳銃は手のなかで暴れるが、こちらも何とか命中。掌に痺れ。

「今のところ、何とか当てられてるな………」
 銃口から僅かに昇る煙を見ながら、痺れた手を軽く振る。
 我ながら、初めての射撃にしては中々上手く出来ている方ではないかと思う。まあ、シーナの拳銃が扱い易いといった点もあるが。
 残弾は残り二発。そろそろ弾倉をーーー、

「っ!?」
 シーナの戦慄の気配にイオトはふと我に返る。
「シーナ、どう…….」
「ーーー南西より距離、およそ200」


 少女は、震える唇を引き結び、恐ろしい観測結果を報告する。




















「………駆逐攪乱種クレヲヴロター、多数……..!?」


2

 
 人は、無力だ。

 如何な英雄や豪傑、猛者とて世界に歯向かえる所以も道理も、存在すらこの世界には許容されていない。
 如何な愚物や只人、蛮輩とて運命を謗り貶める故由も理屈も、縷述すらこの世界では誅殺の罪に値する。







 故に。
 仮に、世界に、運命に、摂理に、未来に、過去に、克つ存在が居たとするのならば。

 人はそれを、「神」と崇む。








 ーーーーそして、御身の叡慮を為すべく、爪を、牙を、骨を、命を以て福音に報いるのだ。

3
 

 静謐と宵闇が辺りを抱擁する砂丘。そこに人影がぽつんと佇んでいた。
 細身の“それ”は、白銀の短髪を夜風に晒しながら疲れたように呟いた。


「……やれやれ。また今回も事務処理か、面白くない」
 テノールの響きは、砂風に掻き消される。

「直接干渉する訳にはいかないけれど。でも、僕らの敵を傀儡にするのは興醒めだと思うな」
 人影は、退屈と呆れ、僅かな諦念が混ざった声音で、宣う。

「まあ、僕も造られたものに過ぎない。命令には常に忠実に、従順な木偶人形でいるべきだ。けれどさ、それってどうなのかな。特定のやり方に固執するのは面白味に欠けるのに」

 人影は、ゆっくりと両手を掲げた。




「事務処理、後処理、後始末。つまらないよね。ああ、なんて心踊らない」

 言葉とは裏腹に、声には僅かに愉しげなものが滲む。




 砂の大地から、月が夜の紗を引き連れて昇る。その月光に透き通るように白い肌を照らされながら、人影ーーー否、少年は嗤う。












「ーーーーー何事も、楽しまなくちゃ」


 さらさらと、砂の音だけが高説を聞いていた。