複雑・ファジー小説
- 15話 ( No.19 )
- 日時: 2020/04/09 15:05
- 名前: おまさ (ID: r1bsVuJn)
1
ーーー駆逐攪乱種。前にもシーナと合間見えた相手だ。こうも相対のスパンが短いとなれば、まさか自分は呪われているんじゃあるまいか。
シザを喰ったあの巨獣には敵わないとて、駆逐攪乱種は恐らく重量級の類に与する〈オスティム〉だろう。当然だが、拳銃じゃあとてもじゃないが太刀打ちは出来ない。
いや、厳密には弱点を突ければ拳銃でも対応可能だ。しかし、この場合は数が多すぎる。
「シーナ!何かないか何か!」
「分、かってる….考えてるよっ……!」
少々刺々しい態度になっているシーナにも余裕がない。イオトよりも情報量を持っている彼女だ、多分イオトよりも焦っているのだろう。
見れば、夜の砂丘の向こうには、夥しい程の砂煙が立ち上っている。それが何なのかは想像に難くない。
「….クソ」
漏れた呟きを尚噛みしめ、イオトは歯噛みする。
今日は、何という日なのか。絶望に絶望を重ねて、自己嫌悪と世界への呪詛に塗れて。
ーーもう、終わりなのか。
この感慨を抱くのも、今日で何回目になるだろうか。
ただ一つ明瞭に己の内にあるのは、世界はこんなちっぽけな感傷に浸ることすら赦してくれないということだ。
事実、 駆逐攪乱種と此方との距離は百メートル程まで迫って来ていた。奴らの機動力を以てすれば、この距離は数秒で詰めることができるだろう。
機動力ではこちらを圧倒。攻撃力も、奴らが前足を振り下ろしてしまえば、脆弱なひとの体など引きちぎってしまえる。とても、拳銃一つで突貫できる相手ではない。
数は質に勝るとは言うものの、質すら劣っている此方に、勝機は皆無。
ーー距離、五十メートル。けたたましい咆哮は、戦陣が鬨の声をあげる様とさながら同じだ。
「….ッ」
ーー距離、二十メートル。その、本能的に畏怖を催す外見と眼光は、一方的な暴力の気配を纏っている。
「………ッ……..!」
そのとき。不意にシーナが叫ぶ。
「ーーー北北東より、不明機接近っ! 時速…257キロ…..!?」
息を詰め、振り返っても遅い。
“それ”は、時速二百キロ超の圧倒的な速度とそれに伴う運動エネルギーを以て、中空を飛来する矢の如く。
“それ”は、月光に煌めく銀の色彩と、宿業の成就が叶えば折れ続けるも由とする氷刃の様な冷徹さを以て。
先頭の勢いを削ぐべく、大気を、砂塵を、敵を縦貫しーーー主の槍となって障害を穿つ。
「ーーーーイロハっ!」
突如として吹き飛ぶ、先頭の〈オスティム〉。その光景にイオトは、安堵のような、歓喜の様な声を上げる。
応じる声はない。しかし、翔ぶ機構少女は先陣の勢いを確かに殺している。数発、閃光の様なものを撃ち込んだ彼女は、派手な爆轟を背景にイオトの目前に背を向けて降り立った。
ーーーその綺羅の装いと、頭上の幻想的な光の冠、煌めくけれど華奢な羽は、確かに天使のようであった。
がしゃり、という作動音に見れば、イロハの両拳の付近が裂けーーー鋭利なフォルムの発光体が顕現する。それが近接武器の類いであることは、その危うい紫紺の光芒を見れば明らかだ。
前傾姿勢で脚部ブースターに点火。重量実に300キロ級の重武装のアンドロイドを200キロ毎時超過の世界に導く暴力的なパワーが、大気と砂を蹴散らす。
「….す、ごい」
飛翔体ならではの立体的な機動で敵を撹乱する様に、思わず感嘆が漏れる。
左斜め上に旋回、そして急降下。
ブースターによって吹き飛ばした砂塵で相手の視界を塞ぎ、その隙をついて敵の斜め後ろに回り込む戦術。口にすればそれだけの事だが、正気の沙汰でないことは確かだ。ーー何せイロハは、それを時速200キロ以上のステージで平然とこなしているのだから。
〈オスティム〉の後方に回り、イロハは自身からブースターを切り離す。ブースターはより高く高度を上げ、….イロハは砂の帳のなか地表に降り立った。
イロハの両拳に装備されている武器ーー詳細は不明だが、いわゆる暗器に近い近接武器では、数多の敵を掃討するのにはあまりに効率が悪い。
何せ、一体一体を相手取らなければならないのだ。近接武器というのはそういうもので、だからこそ敵の射程の外側から面制圧可能な銃器やミサイル、ひいては航空爆弾が、戦争においては発展してきたのだと言えよう。
故に、こう断言できる。ーー殲滅戦において、近接戦闘は愚の骨頂。刃など、以ての他である、と。
無知蒙昧の衆愚の早合点を、しかしイロハは続く攻様で否定し、鼻で嗤った。そして軽く軽蔑するかの如く体現する。
ーー舐めるな、凡愚。
高く高く飛翔したブースターは一定の高度に達すると、変形。そして、
「…あ」
ーーー刹那、ブースターを起点に、放射状に紫紺の光線が大気を灼いた。
2
天誅。そんな言葉が脳裏を掠める。
神に代わり、下賤に誅を下す執行者。“engel”ーー天使の名を冠するに相応しい様だ。
光の矢が数多の〈オスティム〉を貫く様は、宛ら雷霆を想起させた。
そうして生まれるのは、戦場にはいっそ不自然な空白地帯だ。
「…」
それだけの攻撃を成したイロハはしかし、その攻撃を受けあまりの高温に血潮すら流れない屍を意に介さず、地を蹴る。最も近い〈オスティム〉との距離を詰め、一閃。吹き出す青の鮮血。
「……っ、は」
イロハがとどめを刺したとき、イオトは自身の呼吸が止まっていたことを自覚した。あまりの攻勢の鮮やかさに、呼吸を忘れていたのだ。
「ーーー。シーナ、マガジンを」
弾倉を受け取り、思い出したように拳銃をリロード。十六発の九ミリ弾を収め、初弾を装填した。
「……とりあえず、半径五十メートル付近の目標は完全に沈黙したよ」
シーナが目線を此方に向ける。その白い顔が僅かに、緊張が解れたような表情をしている気がするのは間違いではないだろう。イオトも、はりつめていた息を吐いた。
「そ、っか…」
ひとまずは安堵だ。気休めでも、今は余裕が欲しい。
「あ、そうだ。ありがとう、これ」
イロハがいれば、この拳銃がなくても大丈夫そうだ。礼を言い、拳銃を差し出した。それを受け取りシーナは再び表情を引き締めると、少々気まずそうに切り出した。
「お兄さん…?」
「ん?」
「…ごめん」
シーナは、頭を下げていた。
「ちょちょちょ、どういうことだよ。何で頭なんか下げて、」
慌てて頭を上げさせようとしたイオトは、そこで言葉に詰まった。シーナがその容姿には合わぬ、泣き笑いのような自嘲のような、断頭台に上がった聖女の様な、複雑な表情を滲ませていたからだ。
その表情に、感情に対してかけるべき適切な言葉を、イオトは知らない。慰撫の類いは、イオトの語彙は持ち合わせていない。ーーそれが酷く、歯痒かった。
しかし、そんな歯痒さも、続くシーナの言葉と行動の前では焦螟に等しい。
「ーーーここが、終着点みたいだね。イオトも、わたしも」
胸に突き付けられる冷たい感触が、拳銃のそれであることを理解するのに数秒を要した。