複雑・ファジー小説

16話 ( No.20 )
日時: 2020/06/04 16:03
名前: おまさ (ID: r1bsVuJn)

 戦塵の舞う大気の中、冴えた電脳意識に轟が走る。







《警告》




《code:β302発信者の人命的危機を確認》
《X.I.O.プログラムへの抵触を察知》




《故に》
《code:β302発信者の死亡及び致死結果は許容できず》
《code:β302発信者に対する脅威の迅速な処理を強要》



《観察対象82nをcode:β302発信者に対する武力的脅威と推定》



《観察対象82nを敵性存在と確認》
《観察を破棄》
《以降は此を、敵性存在“イデ”と呼称する》

《敵性存在“イデ”の排除を推奨》


《排除開《強制割込》》
《行動を中断》

《一時待機を強制》
《以降は、観察を推奨》











《尚、code:β302発信者の存命危機の事態に対してのみ、此を破棄する》

***






 黒光りする拳銃は、……やけに冷えた「死」の気配を纏っていた。





「ーーー、」
 眼前に唐突に突き付けられた「死」ーーー理不尽と困惑を嘆かんとして、そこでイオトの言葉は途切れた。

 何故なら、その「死」には冷徹な、冴え冴えと研がれた殺意が感じられなかったから。
 それを裏付けるかの如く、拳銃は震えている。
 いや。
 震えているのが自分なのか、はたまた相手なのか。イオトには最早判らなかった。



 判らないから。だから、言葉は自然と紡がれた。


「…これで予定通り、か?」
「ーーっ、」
 暗くて顔はよく見えなかったけれど、シーナは唇を噛んだらしかった。…こんなときなのに何故か酷く落ち着いるな、とイオトはぼんやり思う。




「…じゃ、あ……お兄さんは……お兄さんこそ、予想済みだって言うの?」
 拳銃の震撼は、声にもそのまま現れた。
 そしてその動揺は、悲痛に変わる。

「全部…全部全部全部全部っ!わたしを、わたしを…っ……!」
「……」
 吠える。糾弾する。









「…赦せるの? ねぇ、わたしを赦せるとでもいうの!? ねぇ、ねぇねぇねぇねぇ……答えてよ!!」



「何にも持っていない、ただの操り人形に殺されるんだよ? それをあなたは、容れられるって、言えるの?」



「この震えだって、…感情だって作り物なのに」



「表情も、行動も運命も何もかも。全部、錻の紛い物なんだよ…?」



「これまでにわたしは、何をしてきたの…?何を選び取って、何を望んだの…?」



「わたしは……っ、『シーナ』じゃない。そんな上等なものじゃないーーーヒトですらない、47番なんだよ」










「そんなわたしにーーわたしたちに情を抱くお兄さんこそ、ヒトじゃないよ。…ただの、」















































ば け も の だ。










 化け物だと。人を象った怪物だと、そう言われてもなお。

ーーシザ。


 瞑目する。
 凪の意識が一瞬、回想する。
 そして、回想から回帰した頭の中には、やけに研がれた冴えと圧倒的な熱があった。

 その熱が、自らを焼き焦がさんとする自責の業火なのか。はたまた「彼女」への恋心か。それはイオトにもわからない。多分、両方だろうなとぼんやり思う。

 カチカチ、という音に見れば、拳銃のトリガーに置いたシーナの指が震えていた。いつの間にか、猫類を模したヘッドセットも砂の上に落ちていた。






 ーー化け物は、死しても尚、来るべき場所へ呼ばれる。






 だから。

「ーーー」
 イオトが目を向けると、シーナは何かを悟った。ぎんいろの瞳が、困惑、理解ーー否、諦観の順に色を変える。
 そしてシーナは、心底疲れたように嘆息した。
「…そっか。無駄なんだね、化け物のお兄さん」



 イオトは苦笑した。
 多分、「化け物」とは少々柔らかい物言いだろう。イオトの積み上げた罪はもっと、重い筈なのだから。
 …いや、シザと出会ってからきっと自分は罪しか積み上げていない。

 ーー彼女の望みを踏み躙って。ーー勝手に世界の意思を代弁して。
 シーナにだってそうだ。シーナの姿に「彼女」を重ねてーーあろうことかそれを当人に見抜かれて。厚顔無恥にも程がある。







 酷く傲慢で狭量。それが自分なのだと、醜い己の姿を嫌というほど思い知った。






 イオトの苦笑は次第に、渇いた酷薄な笑みに変わる。
 その笑みに、シーナが初めて動く。……一歩、後ろに。まるで畏怖に近い念をーー否、実際彼女は畏怖している。未だ此方に銃口を向けた拳銃の震えが一層と激しくなった。嫌々とかぶりを振って、動揺と得体の知れない恐怖に必死に抗うように、拳銃を両手で構え直した。

「……無理、だよ…」
「…」
「こんな、こと……。………人を、撃つなんて。ーーたとえ命令でも、わたしには、ぁ……!」

 出来ない、と言外に言ったその声音も、最早震えたか細いものでしかない。

「…殺さないのか」
「……殺、せない。出来ないんだよ…」
「なら、それを下ろしてくれないか。引き金を引けないのなら、そんなもの、何の意味もない」

 一層、震えが大きくなる。恐怖に比例して震える拳銃を必死に押さえ込み、シーナは言葉を絞り出した。



「そ、んなの…無理に決まってるじゃん!」
「…は」
「だってこれを下ろせば、きっとわたしは死んでしまう。……死にたく、ないんだって。そう思うことしか赦しさないつもりなの? …赦すんなら、最後まで責任取ってよ!!」

 拳銃を下ろせば、自分は死ぬと。それがイオトに縊られる可能性を危惧してのことなのかどうか、きっとシーナにもわからない。ひょっとしたら、それを成すのはイオトでないのかもしれない。
 だが、誰に殺されるかどうかなんて、少なくとも今のシーナには関係のないことだった。

 だって、シーナは恐れている。イオトを。この世界を。何もかもを。
 それらの恐怖がぐちゃぐちゃになって、…だから。



「…来、ないで。こっちに寄らないで。わたしに近付かないで。来ないで、来ないで来ないで来ないで止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めてよぉ!!」
「ーーー。」
「何もしないで、そのまま立ち去って。わたしにーーわたしたちに、もう関わらないでーーー!」




 叫び、戦き、畏れ、シーナは塞ぎ込む。拳銃だけを此方に向けたまま、しかし撃鉄を叩くことはしない。そんなシーナの様子に、イオトは息を吐くと後ろに一歩下がった。

「これでいいか」

 一歩。

 拳銃にとっては、無いに等しい距離。自分の命は未だ人質にとられている。シーナは一歩距離をとったイオトを恐る恐る見て、微かに震えた、しかしやけに渇いた声音でポツリと呟く。
 





「やっぱり…嘘、だったんだね」
「…。」
「………許さない。許してなんかくれない。…そんなの、分かってた筈なのに、ね」

 赦しを以て、わたしを許さないと。ある種の呪縛によって、……断罪せんと。
 





 数回瞬いて、それから改めて、シーナはイオトを見た。
 そして。
 震えながら、何かを押し殺して唸るような声で、シーナは言った。

「…まさか、そ、こまで傲慢なの……? お兄さんは…イオトは、どこまで……ど、こまで…ぇ……」
「傲慢、か」
 思い起こすのは、シザが副長を務めていたかの部隊の機構人形の言葉。




『成程、強情なことだ。ーーーー否、この場合、卿は傲慢だと言った方が正しいか』



 確かに、自分は傲慢だ。こうまで言われれば、認めざるをえない。…そも、否定したい訳ではないが。
 それでも。
 己のそんな醜さを知った上でも尚、シザとの再びの逢瀬を諦める気は毛頭ない。



『お前ごときが、彼女に会える訳がない』と、内なる自分が嗤うのが分かる。
 ーー知ったことか。
 怪物だと、傲慢だと罵られてもいい。半ば開き直りにも似た感慨が、頭のなかを支配する。






ーーーこの傲慢さを以て、彼女を連れ出す。そう決めた。



























「ーーーッ、!」
 途端、暫し保たれていた戦場の静謐が途切れる。周囲に膨れ上がる鬼気に、悪寒が猛虎の如く背筋を駆け上がった。



「オスティムが……!」
 人類の外敵が跋扈する競合区域コンテスト・エリアで悠長にし過ぎたとイオトは微かに歯噛みする。見れば、周囲には夜闇に光る〈オスティム〉の眼光が、あたかも人魂の如く浮かび上がっていた。






「…これでも、それを下ろしたりはしないんだな」
 未だに、震えながら照準をイオトに合わせているシーナ。

 今見たところ、辺りを囲んでいるのは駆逐攪乱種クレヲヴロターのような大型の〈オスティム〉ではない。もっと小型のーー獺型強襲種ルトルナと同程度かそれ以下の体躯の。
 故に、四面楚歌の状態から突破口を開くのに、シーナの拳銃の威力があれば十分だ。

 が、シーナは拳銃をイオトに向けており、それを周囲に蔓延る害悪の存在に向けることは多分、頭にない。


 今もなお、震えるシーナ。

 すぐ近くに、分かりやすい敵が存在しているのにも関わらず、得体の知れない「怪物」に必死に威嚇している。ーー優先的に排除するのが〈オスティム〉ではなく自分とは、とイオトは少し感傷的になる。













 ……いや。
 本当はシーナは、迷っているんじゃあるまいか。



 拳銃を下ろせば自分は死ぬ、とシーナは言った。それは即ち、『イオトから照準を外せば自分は死ぬ』と言い換えることが出来るのではないか。

 ーー故に、仮に照準をイオトから〈オスティム〉に移した場合、なんらかの原因でシーナは死亡する。
 ーー故に、仮に照準をイオトから移さなかった場合、〈オスティム〉の手によってイオトは死亡する。

 後者の場合、シーナも無事では済まないだろうが、彼女は機構少女だ。脆弱なひとの体よりは堅牢に作られているのが道理だ。


 ーー他人を殺して自分は生きるか。それとも。












 その白銀の瞳は、難儀な命題の狭間で揺れているように見えた。思わず何か、声を掛けようと一歩ーー、




「おい、」
「ーー来ないでっ!!」

 本気の怒声だったーーー否、違う。

「そ、れ以上…近付いたらわたしは、………わたしはお兄さんを、っ……!」










 そこにあるのは憤怒ではなく、ただただ迷いと怯えが渦巻いているだけだった。
 グリップを握る握力が強くなり、銃が軋むように見えた。

 しかし、無情にもこの世界は、そんなシーナを待ってはくれない。



 じりじりと、〈オスティム〉が彼我の距離をあたかも嬲るように詰める。













 ーー距離、十五メートル。
「……ぅ、やめ………っ、」









 ーー距離、十メートル。
「…ぁ、うぅぁぁ……!」







「…うぅ、ぅぁぁぁああああああああっああ………!!」
 顔を伏せ、銃口のみをこちらに向けたまま、シーナは叫ぶ。

 瞳が揺れる。焦点が合わなくなり、視界は眩む。脚は小鹿のように震え、歯はカチカチと耳障りな音をたて噛み合わない。


 迷いと、憂いと、焦燥と、脅威と、畏怖と、恐怖と、恐怖と、恐怖と、恐怖と、恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖と恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖がーーーー選択を、迫る。







『恐怖は、人を動かすことができる』。何処かで思った言葉が、脳裏を掠める。
 


ーーそして、シーナはついに、それに対してはっきりと『対処』した。




「っぅぅううああああああああっぁああああぁあああぁあぁあああああああ!!」





















































































 撃発。




 九ミリ弾が、夜の澄んだ大気を引き裂く。銃身内圧と射撃反動でスライドが後退し、空薬莢が薬室から弾き出される。

 そして、それだけのエネルギーを以て、九ミリ弾は真っ直ぐと大気を縦貫しーー、









    ・・・・・・・・・
 ーーーイオトの頭上斜め上を通過した。


 それは、シーナが引き金を引いたということだ。それは、射線がイオトから逸れたということだ。

 それはつまりーー、





***




《敵性存在“イデ”のcode:β302発信者に対する武力的脅威の失効を確認》
《クリア》

《排除実行》


《》

《》


《…》
《………、…》


***


 背後から迫る暴力の気配に、身じろぎをーーー遅い。

「…ぅ、ぶ」
 シーナが、華奢な肩を僅かに跳ねさせ体を震撼させた。無理もない。






 だって、胸を背後から貫かれ、蠢く腕にその心臓をーーリアクターを握り潰されているのだから。






 無論、心臓を潰されようと、予備電力がバッテリーに残っているシーナは死なない。ーーその状態で、〈オスティム〉の群れに放り投げられさえしなければ。

 胴を穿った腕が抜かれる。宙に放り出され、刹那の浮遊感。

 

〈オスティム〉に群がられる直前、ぎんいろの瞳が向く。

 何の感慨も抱かず、心臓を抉った「天使」を見る。
 そして。
「ーー、」
 
 最期まで、凪の瞳でシーナを見据えていた少年。シーナは安堵に頬を緩め、












「嘘つき」






 砂に後頭部から着地する。同時に、またも野蛮な暴力の気配。群がる〈オスティム〉。


「ーーーー!」
 口腔から迫る牙が、爪が、人工の喉を食い破る。構わず、絶叫を上げ続けた。


 太陽が地平線から昇ってきていた。
「ーー! ーーーー!!」

 自分を照らしているのが陽光なのか、〈オスティム〉の眼光なのか。眼球を抉られたシーナには、最早わからない。


「ーーーーーーーーーーっ!!」








 ーーーその断末魔はイオトとイロハ以外、誰も聞かない。