複雑・ファジー小説

17話 ( No.21 )
日時: 2020/06/06 18:27
名前: おまさ (ID: r1bsVuJn)

遅くなりました。
今回は久しぶりにPCを使って執筆。やっぱり書きやすい。



***





------あれから、何時間経った。




 眼窩に収まっている虚ろな眼に一面の紅い砂丘をただ映しながら、イオトは半ば無意識にも近い状態で足を動かしていた。
 
 背中には陽光が突き刺さり、その茹るような暑さでじりじりと気力と体力、水分を簒奪し、舐り、弄ぶことでイオトを嘲笑う。踏むたびに足が沈む砂の台地も、体力を奪ってゆく要素の一つだ。それに加え、今日に限って風が吹いていないため、通気性のよい半袖も露出した片腕やうなじを日光で集中的にいたぶる原因になり果てている。

 額から噴き出した汗が、顔を伝って目に入る。砂丘の砂が、靴の中に入り込む。構わない。今のイオトには、それらに頓着する余裕も不快感に顔をしかめる気力もなかった。
 
「------」
 景色を景色として認識せず、ただ眼球に砂丘を映しているだけのイオトの半歩後ろを続くのは、忠実なる天使------イロハだ。がしゃがしゃと、やや耳障りな音を立てながら、機械仕掛けの足を動かし300キロを優に超える機体を動かしている。

 その、何の感慨も抱いていない浅葱色の双眸はしかし、イオトの虚ろさとは質が異なる。機械仕掛けの天使の瞳はむしろ、無機質で単純な傀儡や木偶のそれであった。


「……気持ち悪い」
 だから、そんな彼女の前では気負わなくていい。胸の内に瀰漫するこの感情を吐き出すことも、イロハは許してくれる。



…許す?







------許さない。許してなんかくれない。

------------そんなの、解ってた筈なのに、ね。








赦されるのだろうか。

自分は、赦してもらえるのだろうか。------シザに。
紛い物にしても妹分を、〈オスティム〉の中に放り込んだこの偽善者を、果たして彼女が許すことはあり得るのだろうか。

------ど、うして、覚えてねえんだよっ!!

記憶の欠落したシザに、情けなくも堪え切れずに声を荒げてしまった。ぶつける場所の無かった感情の蟠りを、あろうことか一番ぶつけてはならないひとに叩きつけてしまった。そんなものは、単なる自慰行為以外の何だというのだ。
八つ当たりに他ならない最低の言動を彼女が容認する保証はない。そんなものはイオトが自ら、とっくに破り捨ててしまっている。

だって。

彼 女 は 人 間 な の だ か ら 。



ひとであるというなら、眼前の理不尽には反発するのが道理だ。そうでないなら、矛盾が生じてしまう。…シザが人間じゃないだなんて、他ならぬ自分には絶対に言えない。
 きっとそうしなければ、イオトはそれまでの自分を、きっと信じられなくなる。



それに。
他ならぬ自分こそ------シザを赦しているのだろうか。


自身を錻力の紛い物だとする彼女らの在り方を、…本当は歯痒く思っていたのではないか。彼女らなりの存在意義を容認できていないのではないか。むしろ、それを確かめるための逢瀬を、今の自分は望んでいるというのか。




…いや。
それは危うい考えだ。間違っている。


------否。
間違っていなければならない。でないと瓦解する。

イオトが。イオトが、イオトが、イオトがイオトがイオトがイオトがイオトが------イオトの全てが、この目に映る世界観が、…もしかしたら世界の事象全部が揺らいで、瓦解してしまいそうな気がして。

こわい、と思った。
だって、もしこの考えを認めてしまえばきっと、シザの内心を見透かそうと躍起になってしまうかもしれない。…傲慢である事は自覚しても、その上にさらに『強欲』のレッテルを貼られたくないし、貼りたくなかった。
そうやって、世界の価値観や自身の根幹、そしてシザの見え方まで変わってしまったら、果たしてイオトは、動けるのだろうか。

否、むしろ------そうなった自分は、本当に自分なのか。



「こわい」
 口について零れた感情は、しかし誰にも掬われることなく消える。


------考えてはならない。考えれば、きっと戻れなくなる。
------知ってはならない。知ったら、きっと立てなくなる。
------信じてはならない。信じては、きっと竦んでしまう。


うだる暑さの中、感傷と思索が脳の中に残留し続け、我が物顔で思考を跋扈する。…してはならない、考えてはならない、と。

そう、そうだ。今はこんな感慨に寄り添ってなどいられない。
そうじゃないか。ただひたすらに足を動かして前に進めばそれで------。





『------お前は、一体どこを目指し足を動かしている?』
 不意に。
 内なる自分が、そう蔑んでいる気がして、息が詰まる。あまりにもその疑問が、考えたくなかった領域を正確に抉っていったからだ。

『そんなに傷ついて、そんなに辛い思いをして、一体何になる?』


…うるさい。

『傲慢というラベルを貼られていてもなお、何故動こうと試みる?』


…煩わしい。どこかに行ってしまえ。今はなにも、ききたくない。










『そこまでの価値が------彼女にはあるのだろうか?』

「っ------!?」


どす黒い酸を顔面にぶちまけられた時みたいに、そのときのイオトは激しく吃驚------否、衝撃を露にした。
揺らぐ。…いままでの行動原理が。ひいては行動そのものが。
 
その価値が、シザにあるか。

いつもなら簡単に頷けるはずの問いに、しかしこのときは首を縦に振ることが出来なかった。
何故なら、気付きを得てしまったからだ。
決して気付いてはならないことに、辿り着いてしまった。
だってもしそれに気付いてしまったら、…自分が定義できなくなってしまうから。


愚かだと、そう思っていた。
地に住まう人々は、人の心を持つ機構人形に情を持たない。それがひどく愚かだと、イオトは思っていた。
体が錻力の紛い物でも、彼女らには心がある。彼女らが、人を模したものに過ぎないとしても、感情を与えられた彼女らには情を抱かせる権利があると。
そんな感慨を傲慢だと罵られて、それでもイオトはシザを錻力の人形として扱うのを拒んだ。








でも。

でもそれは、傲慢と罵倒されてもなお、イオトが自分の内の本当の「傲慢」に気付いていなかっただけなのだ。


『嘘つき』
その「傲慢」にしかし、シーナの最期の言葉を聞いて気付かされてしまった。

『成程、強情なことだ。------否、この場合、卿は傲慢であると言った方が正しいか』
『そんなわたしに…わたしたちに、情を抱くお兄さんこそ、ヒトじゃないよ』

彼ら彼女らがイオトを傲慢と称したのは、…その性格を顧みた結果でないと、今なら断言できる。



























------彼女らは、他でもないイオトこそが、シザを人形だと思っていたことを「傲慢」と称したのだ。


シザをひとだと嘯いた自分はあろうことか、ぶつけてはならない言葉を彼女に吐き捨て、挙句の果てには存在理由すら貶めようと、無意識のうちに思ってしまっていた。そんな自分の態度が、一体人形へのそれと何が違うのだろうか。
愚かだと、そう思って見下し侮蔑してきたものに成り下がってしまった。結果として、シザを無意識のうちにスケープゴーストにしてしまったのだ。
その醜悪な在り方そのものが、「傲慢」たる所以と成り得る。


ちがう。
そんなはずはない。
ちがっていてほしい。ちがっていなければならない。

『逃げるな』
 
 耳をふさぐ。そんなことをしても意味がないと理性が告げるが、それでも。
内なる己という悪魔から、こころを守りぬかなくては。

しかし、悪魔は続ける。……気のせいか、その悪魔は声音に愉悦の色を滲ませて、ゆっくりと嬲るように。



『過去から逃れることは、赦されない』
 その声が聞こえたと、錯覚した途端。




「------わ、ぶ」
水分不足のせいか、眩暈と同時に体から力という力が抜け落ちる。重力に逆らえなくなり、そのまま顔面から地面に倒れこんだ。
痛みは無い。倒れた先が柔らかい砂地だったということもあるが、それだけではない。



------イオトの身体は、酷く痛々しい有様だった。

シーナを投げ込んだ〈オスティム〉の群れに囲まれ、無理くり脱出しようとしたツケがこれだ。
片腕を食まれ、抉られた腕から覗くのは神経か血管か、それとも筋繊維か。いずれにせよ、人体が破壊されている光景は原始的な不快感を催す。食まれた左腕のうち上腕部から上は無事だが、だからと言って流れ落ちる血の量が変わるわけではない。付け加えれば、辛うじてくっついている掌にはいまは三本の指しか残っていない。わざわざ利き手を避けてくれたところに、運命の悪意を感じた。
そんな傷の痛みに比べれば、地面に倒れこんだ時の痛みはむしろ、痛覚のうちに入らない。

イロハのレーザーで傷を焼いて無理くり止血させたが、その荒療治ももう限界だ。流れ出た血が多すぎるのと、炎天下で浪費したことで体内の水分の大半が枯渇してしまった。

…それに、一度膝を折ったイオトには立ち上がる気力すらない。




















「------、」

 ふと。
次第に暗転していく視界の淵。人影が砂丘を踏みしめ近付いてくる。それが誰か判った途端、イオトは少し救われた気がした。------この卒倒が安堵によるものだと言い訳できるから。





そこに立っていたのは紛れもなく------緇衣を身に纏い、髪をばっさりと切り落としたシザだった。






暗転。