複雑・ファジー小説

18話 ( No.23 )
日時: 2020/07/19 18:09
名前: おまさ (ID: Yo35knHD)

つよい、つよい風が吹いていた。



ポッドから降り、砂の大地に立つ。黄昏に染まる稜線と、砂塵を巻き上げる冷たい風。
文明の残り香なんて欠片もない、ただ自然の猛威と行雲流水、鳶飛魚躍の法則がそこにはある。
こんな荒れ果てた地にかつて、人の世と文明が存在していたとは、にわかには信じ難い。
「———、」


 手元の端末から浮かび上がるホログラムを見下ろしながら、私は嘆息した。





————今回の私の任務は、単独で〈M-0E6h:engel〉ユニットを鹵獲・回収することだ。


当該機構人形の脅威度は、ツグミ少佐から配布された資料に目を通した限りなかなかに高い。仮にいくら相手が満身創痍であっても、翼の無いこの身では鹵獲が難しい。空中からの立体機動攻撃には為す術もなし、最悪、飛び去られてしまう恐れもある。
……もっとも、この広大な地表で遭遇すること自体が期待薄だが。

件のアンドロイドを開発した少佐の話によれば、例の機体はかなり特殊性のあるものらしく、ある特殊な電波を発信しているのだそうだ。その電波を衛星で拾って逆探知して、機体の座標を割り出すという。




……そういえばあまり、少佐はそのアンドロイドについて詳しく話したくなさそうな印象を受けた。


それに、今思い返してみれば、私たちに対する少佐の接し方は他の人のそれとは少し異なるものを感じさせるような気もするのだ。優柔不断というか、多分なりそういった印象に近い。
基本的には、私たちアンドロイドに対し、デロル中尉のように事務的なやり取りのみを済ませる者が殆どで、……だから少佐のように少し親身になるような人はいない。———ない、はずだ。

そのため、私はここまで作戦内容について敷衍されることに経験がなかった。きっと通常の作戦であれば、作戦の意図や目的に関して殆どなにも告げられずただ淡々と敵を屠るだけなのに。
少佐の行いが、親切なのかはたまた慈悲なのかはわからない。



その親切を、煩わしいとも思わない。———ただ、困惑がある。

 ただ命令に従い、決められたように決められた仕事を決められた分だけこなし、用意されたレールの上を進むことに不満はない。それこそが、機構人形たる私の在り方で存在意義のはずだ。




けれどどういうわけか、作り物に過ぎない私は感情を与えられた。

本来、地上の〈オスティム〉を掃討することだけが目的なら、感情なんていう機能など必要ないのだ。それこそ、心なんてない殺戮兵器というただの道具であればいい。感情なんて、生産性を落とす無駄な機能なのだから。


……ならば。
ならばこの胸の内にある、蟠りは何だ。


いつからか、何かを探しているような気持ちに取り憑かれ、苛まれる。
その「何か」が自分なのか、それとも別の何かなのか。それはわからないけれど。




そんな感慨を抱きつつも結局量産品として扱われる自分に、けれど向けられる親しげなものが理解できない。ただ困惑するだけだ。
そうだ。きっとそうだ。自己定義の必要性もない、ただの歪な模造品に過ぎない自分には、物事や道理を考える必要性も意義もない。ただ命令に従えば、それで。


それ以上など——受け取る資格は、わたしにはないのだから。



























『———ど、うして、覚えてねぇんだよっ!!』


ふと。
声がした。

毒を吐くようで、そのくせ真摯な声。




『16年前にね。まだ生まれて間もなかった』
『いいえ、違うの。——私が捨ててしまった』 

別の声がした。悔悟に震わせた声。悲しくて——どこか、真摯な。



















『名前、か』

 再び、先の声は言う。





















『じゃあ———シザ、なんてどうかな』








……いいのだろうか。

 私に、私たちにそれは許されるのだろうか。
 私の命は消耗品だ。この体も単なる模造品で、魂の器には成り得ない。……人を模した、木偶人形に過ぎない。
 それでも私は、なにかを受け取る資格を持っていていいのか。
 ひとと同じように、何かを受け取って、何かを紡いで、何かを共有して。……その上で。




 なにかを望んで、いいのだろうか。





 覚えている。……覚えていた。何もかも。

 私が忘れていても——あるはずのない魂が彼を覚えていた。





「……イオト」
 そっと、自分の唇が何かを呟いた。



……あろうことか。
 真摯に、懸命に手を伸ばしてくれた彼のことを、私は忘れていた。



 ———そんな恩知らずの自分に望みを抱くことがゆるされるのだろうか。






 なるほどそれは、……傲慢なことだろう。
 でも。
 けれどその傲慢を——過去を躙り幻想にすることは赦されない。
 己の過去という名の十字架は決して、なくなったりはしない。その者が在る限り背負い続けるものなのだと、そう思うから。



……ただ。

 醜い過去を認めることが、望みを抱くことへの免罪符になるわけではない。それとこれとは全く以て別の問題だ。
 じゃあそれならそれで、何をすれば望みを抱くことが許されるというのか。——そんな命題の答えは、今の私には到底計り知れないことだった。





ふと。
思い至って———否、気付きを得て顔を上げる。そして愕然とした。


『何かを望んでもいいのか』なんて。
それはつまり。
赦されていないのにも関わらず。




     ・・ ・・・・・・・・・・・・・
私は既に「望む」ことを望んでいるではないか。




 遅すぎる吃驚と白々しさに我ながら心底反吐が出る。
……嗚呼、何て傲慢!人でない身にも関わらず、既に「望み」を抱きつつあるこの身の卑劣さよ。己への軽い軽蔑すら生温く、衝動的な自罰欲求すらも覚える。
 こんな傲慢で、醜悪で、卑劣愚劣で恩知らずで人でない自分に、果たして「望み」を抱けるだけの価値はあり得るのだろうか。


———価値の有無に拘らず、おまえは勝手に望んでいるではないか。






そんな声が聞こえた気がして、私は必死にかぶりを振った。


そんな筈はないと、必死に否定しなければ。………きっと、こころがいたいから。






 刹那。

 ホログラムにノイズが入る。電波変調の余響だ。
 先の思考を引きずりつつ私は強引に思考を切り替えた。そんな感傷に付き合っている暇はない。……少なくとも、今は。
 途端に夕凪の如く落ち着く戦闘機械としての自我に嫌悪感を抱きつつも、ホログラムを閉じてインターフェースに並ぶ情報の羅列を注視する。

《目標を探知:北北東、距離およそ300000》
《時速5キロ以下で移動中と推定》
《接触目標所要時間設定:7時間38分》
《目標の推定電源残量:30%以下》

 目標の電波が僅かに微弱なのは、上空の雲が原因だろう。最悪、電波が途切れることもありうる。
 迷っている暇などないな、と私は駆け出した。


****************


*当該機構人形には、発電装置及び内核熱機関が搭載されていない。
*故に、当該機構人形との戦闘に発展した場合の最適解は持久戦である。
*尚、当該機構人形の脅威度が未知数な以上、以降は現場での判断を優先する。
*尚、目標の損傷率を可能な限り抑え、無力化した上で鹵獲することが必須条件となる。


****************



「———え、」

 その光景を目の当たりにして、私はひどく空虚な声音を零した。
 嘘だ。嘘だ。そんな筈はない。そんな筈がない。あり得ない。あっては、ならない。
 目を逸らしたい。目を逸らせない。見なかったことにしたい。……そんな陳腐な演技すら、する事が出来ない。
 眩んで、竦んで、呆然となる。
 だって、そこには————、







「イオトっ!!」

 ———眼前で血と砂の海に溺れ伏した少年の名を、本能的に呼んだ。


言の葉に———運命を覆す力などない。



「イオト、イオト、イオトイオト、イオトっ!」
 それでもけれど、まるで呪詛のように繰り返す。求めるように。欲するように。縋るように。何度も、幾度となく、繰り返して彼を呼んだ。


「———、」
そんな私を、機械仕掛けの天使は見ていた。











「……ぁ」


 ——双眸に、無機質な殺意を孕ませて。