複雑・ファジー小説

三話 ( No.4 )
日時: 2019/08/17 10:43
名前: おまさ (ID: 79DeCD8W)
参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=article&id=1219&page=1

「ヤバイヤバイヤバイバイバイバイ逃げろーーーー!!」



 シザの手を引いて走り出したイオトは、煙幕に紛れてこの状況から脱出しようと試みる。しかし世界は、いつまでもイオトの運命を嘲笑っていて。

 二人の頭上から降り注ぐのは燃え盛る炎ーーーーーーー否、火炎瓶だ。声の聞こえる方向から推測するに、建物の二階から投げられているものだろう。膨大な数の炎が二人に対して放たれ、それらが地に落ちた瞬間、肌が粟立つような熱量が怒声とともに殺到する。

堪らず、近くの市場の中に飛び込み、動揺と喧騒が人とともに押し寄せる。人混みをかき分け、押しとばし、イオトは少女の手を引いて必死に走った。

 火は、もう背中のすぐ後ろまで迫ってきている。振り返らずとも、人々の殺気と辺りに充満する焦げ臭い臭いで想像がついた。

何で、こんなことになっているんだ。
何で、この人たちはこんなに騒いでいるんだ。
何で、オレ達を狙うんだ。
何で、オレ達から奪うんだ。



怖い。



 たった一粒、水滴のように言葉がこころの奥底にぽつりと落ちる。それがそのまま口に出た。


「怖い」


 たった一言、燃え盛る戦禍の中呟かれたことばは、隣の機構少女にも聞こえない。

 だが、無力な少年のこころの平衡を崩すには十分だった。水面に波紋が広がるように、ゆっくりと、だが確実に、こころの中を恐怖が蝕む。

怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いーーーーーーーーーーーー!

 ある人は、恐怖は人を動けなくするとも、人を動かすとも言った。
 一見矛盾した言葉だなと、かつての自分は馬鹿にしたものだ。

 でも、違った。矛盾なんかじゃない。



 恐怖は、人を動かすのだ。

 自分は、何が怖い。
 人だ。
 心だ。
 世界だ。

 自分はきっと、この理不尽な世界が怖いのだ。

 人は、何が怖い。
 他人だ。
 心だ。
 世界だ。

 ヒトはみな、怯えている。何時の日か、この理不尽な世界が自分等を踏み躙ることに。



 そこで、イオトは自分の中に恐怖以外の何かを見た。恐る恐る、指を伸ばしそれを分析する。










 ようやく解った。

 人々は恐れているのだ。彼女を。天から降りてきた、機構少女を。隣にいる、シザを。

 だから地上にいる者たちは、〈ジルク〉のものを破壊し、己が更なる恐怖に抗えるように力を振るう。アンドロイドを駆逐して、勝利の余韻に酔って、束の間の平穏を享受し、怯えを少しでも和らげるために足掻く。

 だから、恐怖を排除するためなら、火でも何でも投げられる。
 ただ、恐怖が人々を動かしている。

 それは、イオトも同じこと。ーーーーでなければ、こんなことはできっこない。

 市場の中、近くにあった小麦粉の袋をかっぱらい、袋を破く。そうして、白い粉を撒き散らしながらひっつかみ、背後に投げつけられる火炎瓶に向かって投げた。瞬間、

「ーーーーわぁーーッ!?」

 火炎瓶が爆発し、圧倒的な熱量が辺りを焦がした。陽炎揺らぐ光景に、追っ手も急制動をかける。
 

ーーーー粉塵爆発。可燃性の粉状の物体を空中にばら蒔き、物体の粒子がより多く酸素と接することからより燃焼しやすくさせた上で火気を近づけ、爆発的に物体を燃焼させる現象だ。

 小麦粉の粒子は、可燃性の物質から構成されているので手っ取り早い。威力は見た通りだが、イオトは原理として知っていただけで実践するのは初めてだった。その分、賭けに近い。

 ともかく、追っ手を足止めできた。急いで街の外まで行けばシザは無事でいられるだろう。ちらと横を見ると、シザと目があった。

「無事ですか、少年」
「この通り、ピンピンしてる・・・って言いたいけど、そろそろスタミナが限界ッ!」
「そうですか。それなら、私が少年を担いで走りましょうか」
「気持ちはありがたいけど絵的に情けないから勘弁!」

 息を切らしながら叫ぶと、シザは不思議そうに首を傾げた。その仕草がなんとも可憐で見惚れそうになるが、同時にふと疑問に思った。













ーーー恐怖が人を動かすのなら、人でない彼女は何によって動かされるのだろう・・・・?






***

「・・・疲れた」

 砂漠にどさりと腰を下ろし、最初に口から飛び出たことばがそれだ。足はもうすっかり棒になってしまったし、汗に湿るシャツも着心地が悪かった。

 今日は珍しく涼しく、風がいつもよりも少し強かった。太陽はもうすっかり昇っているのに、あまりいつものような暑さは感じない。

 吹いてきた風に、汗が少しずつ引いてきた体をなぞられ、少し寒かった。取り出したハンカチで額の汗を拭っていると、いつの間にか隣に座っていたシザが不思議そうな顔をして尋ねる。

「その液は何ですか?」
「液・・・っていうか汗だな」
「アセ・・・・?」
「要は冷却液だよ、人間の」

 ああ、と納得する風のシザに、それもどうなのかとイオトが苦笑した。
 その会話を境に、二人の会話は途絶える。話し声はなくなり、砂漠にいつもの静けさが戻る。二人はただ、風にさらさらと擦れる、砂の音を聞いていた。だが、けっして嫌な沈黙ではない。

「・・・私が覚えているのは、地上に降下した直後のことです」
 二分くらいだろうか、続いた沈黙を破りシザが呟いた。

「私は部隊にいて、ちょうど汚染区域突入の時でした。不意に、力が抜けたんです」

 イオトは、予想もつかない状況を回想してきゅっと唇を結ぶシザの様子を見ていた。その仕草一つとっても、まるでーーーー否、実際彼女は人間なのだ。ただ機械の体を持った、一人の女性なのだ。ーーーーーそうでなければ、どうしてこんなに自然な表情を持つことができる。

「脚からふっ、と力が抜けて。足回りの不調か、それとも制御系の不調なのか、わかりませんが」

 シザは、そこから先を回想するのを少し躊躇うように間をおいて、観念したかのように一度目を閉じてから、瞳を開いた。

「ふらふらと、次第に暗転する意識の縁に、見えたんです。・・・・・誰かの、黒い笑みが」
「それは、」
「その人が誰なのか、私にはわかりませんが・・・。その後、再び目を開けたら今朝になっていて」

 イオトが何かを言いかけて、途中で口をつぐんだのを気付かないふりをして、シザは不気味な記憶を話し終えた。そしてイオトが何か言う前に再びシザがこちらを向いて、
「少年は、何故私を助けたんですか?」
「え、?」
「こんな分からないことだらけの世界で、地上で疎まれる私達をーーアンドロイドなんかを、狙われると知りながら同じ屋根の下にいさせてくれて。まだ名前も聞けてないのに」

 確かに、この世界は分からないことだらけだ。理不尽で、不条理で、未来なんか望めない。そんな世界が怖い。
 でも、彼女にとっては、自分が助けられることの方が分からないのだろうか。イオトは小声で、彼女にだけ聞こえるように言った。もちろん、この場には自分達しかいないということはわかっているけれど。

「分からない」
「え?」
「分からないんだ。自分でも、何で君を助けたのか上手く説明できない。でもさ、」

「あの時、直感したんだ。ーーー助けないとすごく後悔するかも、って」

「ーーーーーー。」

 うまく言えず、そのもどかしさに頬を掻いた。でも、本当にうまく言葉にできないのだ。何かもやもやした、抽象的なものが己の中に漂っている。故に、今の言葉はその抽象的なものを必死に表現したものだったのだが、

「ーーーーーー。」

 シザがたっぷり数十秒も沈黙するものだから、少しずつ心配になってきた。何か相手の気に障ってしまっただろうか?

「ーーー。」

・・・。

 不意にシザが口を開いた。

「・・・分かりました」
「・・・へ?」
「今は、騙されてあげます。でも、」



「いつか、ちゃんと説明して下さいね?えっと・・・」
「オレの名前はイオトだ。解った、いつか・・・ね」

「約束ですよ。ーーーイオト」

 と、シザは、見惚れるほど愛らしく微笑んだ。









































 不意にシザが、勢いよく振り返り砂漠の向こうを見つめた。そして。

「ーーーーえ、」

 急にシザに突き飛ばされたイオトは見ていた。


 
ーーー彼女の華奢な左足の、膝から下が砕け散る様を。

ただ、呆然と。



シザのイラスト公開しました。上のURLからどうぞ。