複雑・ファジー小説
- 五話 ( No.6 )
- 日時: 2019/10/09 07:21
- 名前: おまさ (ID: cZfgr/oz)
「—————」
目覚めると、見慣れた天井がまだ眠い視界に移った。ボロボロのトタン屋根の隙間から、今日も変わらず明るい日の光が差す。
「・・・・わ、っ」
起き上がろうと、イオトは体勢を崩して転がり落ちる。寝違えた気もする首をさすりながら、イオトは落ちた高さから自分がソファーの上で寝ていたことを自覚した。
1
洗面所で顔を洗っていたら、少しずつ昨日のことを思い出してきた。
「・・・・・確か、シザと別れて・・・、」
そう、シザと別れてから未だに十何時間しか経っていないのだ。ひどく、長い時間寂しい様に感じられたが、それは自身のただの感傷だということにイオトは気付く。
あの後、イオトは騒ぎがあった街を通らないよう迂回して、陽も傾いてきたころに玄関に転がり込んだ。そのあとの記憶が曖昧だ。
首を回しながら洗面所からソファーに戻ると、エソロー爺がソファー近くの机に突っ伏して鼾をかいていた。起きた時に毛布が掛かっていたのはそれでか。まったくこの老人は素直じゃないなとイオトは肩をすくめる。
2
「—————」
無意識のまま、足はそこに向かっていた。
ソファーの後ろにある戸を抜けてすぐに着く部屋だ。広さはあまりなく、ごちゃごちゃといろいろなものが置かれている。新しい部品だったり、すっかりと錆びついたブリキ人形だったりが棚の上に並んでいる。その位置は一昨日見た時と寸分の狂いもない。
———そして、薄い毛布の敷かれているひしゃげたベッドの横には、車用のバッテリーが置かれている。
この部屋———イオトの部屋に、未だにあの少女がいる気がして足を運んだが、それも感傷だと分かり、自分で自分が馬鹿らしくなってきた。
———何してるんだ、オレ。もうシザは居ないんだ。
言い聞かせても落ち着かない。この思いを忘れるために、イオトは朝食を作ることにした。
3
朝食、と一言で言っても、食糧難が現在進行形なこの惑星では碌なものを食べていない。〈ジルク〉には人工食品みたいな感じの技術があるとしても、文明が忘れ去られたこの地では独自に食料が発達した。
市場には一応バナナが売っているのだが、たいして肥えていない上に一本で三か月分の生活費が飛ぶ代物だ。毎日食えたものではない。
そんなわけでイオト含む庶民は、これを食べている。
無機質なプラスチックの袋を破き、そこから黒いルーのようなものを取り出したイオトは、それを片手でパキパキとボウルの中に割り入れ、それに水をぶっかける。
ふしゅう、と音がして、ボウルの中身がパンのように急激に膨らむ。栄養パッチに水をぶっかけて化学反応を起こし、体積を増やしたのだ。対して旨くも不味くもない味。
半分泡のようなそれを舐めるようにして食べ終わり、リビングを見る。ソファーではまだエソローが大きな鼾をかいて寝ていた。
————今なら、バレない。
内心で謝りつつ、落ち着かないからという建前で、イオトは自宅を後にした。
4
いつも変わらずに朱い砂丘を上る。今日は珍しく肌寒くて、パーカーを羽織って出てきて正解だったなと、そんな感慨を抱いた。
「————」
こんな行いも、自分の感傷なのかもしれない———否、一種の甘えだろう。
こうやって外に出ても、決して彼女には逢えないと解っている。・・・そのはずなのに。
「————っ」
一足一足と、砂に沈む脚を動かし、イオトは砂丘を上っていく。その間、刹那逡巡し、唇を噛んだ。
昔からそうだ。いつも自分じゃ何もできないくせに、不相応に大きな願いばかり抱いて。
自分がきっと、それを実践できると、結果は判っている筈なのに馬鹿みたいに。
そのあと、失敗したその願いに感傷を抱く自分が———嫌いだった。
そして、そうと分かっていながら変われない自分もまた、嫌だった。
————どうしたんですか、少年。
銀鈴の声が脳裏に響く。
やめろ。やめてくれ。もういい。彼女の事は忘れよう。もう終わったことだ。
彼女の声、仕草。歩く間隔。微笑み。
フラッシュバックするそれを、頭を振って忘れようと、して、して、して。
「—————そんなこと、できるわけないだろ!?」
半ば自棄になって、キレたように一人で叫んでいた。
嗚呼、嫌だ。もう嫌で嫌で仕方がない。もうすべてが気に入らない。自分も、この世界も。
言ってやる。思ってること全部。
論理なんて関係ない。イオトは、怒りにも似た原始的な感情のまま吠えた。
馬鹿なことやってると自分でわかる。それでも。
それでももう、韜晦しているわけにはいかないと。
もう、認めないわけにはいかない。・・・オレはアイツに、
「—————————一目惚れしたんだよ・・・!」
世界がどうとか、相手が機構人形だろうとか、そういう理屈はどうでもいい。彼女は人間だ。機械の体を持っているだけで、ヒトの心を持っている少女なのだ。
声が木霊していて、はっと思わず叫んでしまったことを自覚して、座り込んだ。今思えば、随分と野暮なことをしたもんだと思う。自分でキレて、自分で恥ずかしい思いをして。
いつまでそうしていただろうか、意味もなくイオトは顔を腕にうずめ、唯風の音を聞いていた。
「————、」
ふと、肌を戦禍の香りが掠めたのを感じ、イオトは顔を上げる。乾いた風が静かに吹く砂丘の上から辺りを見下ろした。
————微かに、遠くに喧騒の気配。怒号と、爆発。焦燥と戦塵があたりを舞い、轟音が静かに砂漠に響き、散華を彩る。
「・・・何だ?」
風で乾いた唇を舐めて湿らせ、イオトは立ち上がる。・・・あの距離では、歩けば時間が掛かるだろう。
だからイオトは、一度砂丘を降りることにした。
*
「ん、」
目を開けると、自分が机の上で突っ伏して寝ていたことを自覚した。傍らを見れば、水をかけてから随分と時間のたった、黒い栄養パッチが置かれていた。イオトが用意したのだろうか。
剛腕を使って、自身の巨大な図体を持ち上げたエソローは、肝心の少年の姿が無いことに気付いた。
「イオトー、おい、聞いてるのか!」
掠れた喉を使って怒鳴り、反応が無いことを悟った老人は舌打ちし、仕方なく立ち上がる。
————そこで老人は、音を聞いた。
それは、機械の音だ。すっかり時代遅れになった、内燃機関の音だ。・・・いつもあのイオトが「遺骨」と呼んでいる、エソローの愛車の音だ。
慌て、裏の玄関口を開け様子を見る。そこで見た光景を見、エソローは反射的に叫んでいた。
「イオトっ!!!」
*
イオトは、エソロー爺の声を無視し、スロットル(注;アクセルのこと)を捻る。途端、エンジンが火を噴き二輪のタイヤが砂を巻き上げた。
「ごめんエソロー爺、ちょっと借りる!」
呆然と見つめる老人に、聞こえないかもしれないが謝罪し、イオトは前を見据えた。
———イオトが、この「遺骨」を操縦するのはこれが初めてだ。
普段はエソロー爺がハンドルを握り、絶対にイオトに運転席に座らせてもらえない。しかし、長年助手席に座ってエソローの運転を眺めていたイオトは、どこをどう操作すればいいかわかっていた。分かっていたのだが。
「・・・ク、ソ」
長年観察してきたとはいえ、機械の「クセ」までは判らない。ハンドルに僅かに遊びがあるし、スロットルも重い。
そもそも、エソロー爺がここまで速度を出すこともなかったから、イオトは事実上未知の領域にいる。
滑りやすい砂の上で車体を駆るのは至難の業だ。ちょっとハンドルを切ってスロットルを開ければ、途端にタイヤが滑り車体が横を向く———ドリフト状態に陥る。
かといってスロットルを開けないと、中途半端な重さのフライホイール(注;エンジンが止まらないようにする錘)のせいでエンジンが止まる。
おまけに、継ぎ接ぎだらけの寄せ集めに過ぎないこの「遺骨」の錆びたフレームからは、既に嫌な音がギシギシと伝わってきていた。
「・・・ほ、んと、つくづく運が無い」
———そんなマシンと格闘すること早三分程、イオトは目的地に着いた。
4
そこは、爆轟と剣花が咲く戦場———だったものだ。既に戦闘は終わり、しかしそこには確かに刻まれた激しい攻防の跡と、十数人の人影が見える。
一人は、剣を鞘に納めるもの。
一人は、千切れた仲間の手を無表情で握っているもの。
————そしてもう一人は、長い銀髪を二つおさげにした、見覚えのある少女だった。
「——————シザっ!!」
イオトはそれに気づくや否や、やかましい内燃機関の音に負けないように声を張り上げ、その途端にエンジンが止まる。
急にエンストを起こし、急停止するエソロー爺の愛車。その勢いでイオトは、車外に投げ出された。背中に衝撃。
「———っ」
口の中の砂を吐き出し、痛めた背中をさする。そのまま立ち上がろうと———、
「——————」
意識の片鱗に映った冷たい敵意——否、少し困惑と警戒が入り混じった感情を感じ取り、イオトは目の前を見た。
—————先日親しくしたはずの銀髪の機構少女が、薙刀の剣先をこちらに向けていた。
そして、目の前の彼女は、こちらを鋭い目つきで睥睨する。
「—————————少年。貴方は、何者ですか」