複雑・ファジー小説
- Re: 将軍の銃口 ( No.1 )
- 日時: 2019/09/20 09:25
- 名前: 渾身 (ID: Xr//JkA7)
- 参照: http://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no=12590
1598年 【露梁海戦】
船に乗り、狙撃するイ・スンシン(水軍統制使)。
「殺せ!」と力強く命令するイ・スンシン。
露梁海戦__慶長の役における最後の大規模海戦。慶長3年の1598年11月18日に無血撤退の双方合意を取り付けた上で撤退しようとした順天城守備の小西行長らに対して、約束を間違えて攻撃を加えようとした明と朝鮮水軍と撤退する船団を援護するために海路出撃した島津軍を中心とした日本軍との間に露梁津で起こった海戦。小西行長軍はこの戦いの最中、戦闘に参加する事なく、巨済島への撤退に成功した。
1618年 漢陽 義禁府
【牢獄の中】
筆を手にして力を手に入れて書に何か字を書くホ・ギュン。
その書の内容には(今も昔も変わらず民に''英雄''として崇められるイ・スンシン将軍は露梁の上で狙撃を行い、血を吐き生涯を終えた。そんな将軍の遺体の上には多くの矢が降り注いだ。イ・スンシン将軍は自ら戦い、銃弾を受けた倒れた。銃弾は将軍の胸を貫いた。強い風に揺らぐ大朝鮮の国旗が船の横にあった。その国旗を上にして見て倒れた将軍の姿は私の隣にあり、その亡骸を見た私を含んだ将軍を尊敬する民は王宮の前の道端に膝をつき、道を塞いだ。銃弾を受けた将軍の血はその民たちの涙へと変わり、道端にその涙粒が垂れた。。。)
ホ・ギュンはその本を閉じる。その本の題名は「露梁英雄海戦録」
将軍の銃口〜英雄の戦い〜第1話「戦の始まり」
1589年 漢陽__150年断たれていた倭国との国交を宣祖が要請した。その事で朝鮮は西人と東人に分裂する__
文禄の役の3年前…1589年(宣祖22年)
【王宮】
宣祖(朝鮮14代国王)は頭を抱える。そんな姿を見て不安そうな顔をするホ・ギュン(兵元大臣)。
ユン・ドゥス(西人派の臣領)が口を開く。
「倭国と国交を結ぶなどあってはならぬ事です。この150年、倭寇は長きに渡り我らの地域を襲って参った。朝鮮の''敵''であります。そのような''敵''と国交を結んだとして、民の反発は避けられぬでしょう。王様。この件についてご再考ください。」とユン・ドゥスは力強く言い放つ。
そんなユン・ドゥスの言葉に怒りを覚えるイ・サネ(東人派の臣領)。リュ・ソンリョン(東人派の臣領、兵判)が代わりに口を開く。
「何とけしからん!倭国が敵だと申すか!朝鮮へ攻撃を仕掛けているのは倭国ではなく倭寇だと言う。倭国の豊臣秀吉は決して朝鮮に攻撃を仕掛けようなどと心の端でも思っておられぬ!倭国と朝鮮が国交を結べば倭寇など決してこの国に入り込む事はなかろう!この私が身を持って保証しよう。」
とリュ・ソンリョンが力強く言う。
【倭国・関白邸の先】
馬を跨ぎ進む関白・豊臣秀吉(倭国の武将、関白)
時の最高権力者として君臨した豊臣秀吉は当時 関白として君臨していた__
彼は幼き頃 亡き織田信長(1582年に没した倭国の天下人)に取り入った。その後、織田信長と共に戦い信長の天下取りの手助けを。
1582年に信長が本能寺の変で人生に終止符を打つとその後、秀吉が天下統一の夢を背負い、天下統一を遂げた。
しかし1590年代に近づくと、彼の性格は横暴極まりない性格へと変化したらしい。
【関白邸】
威容ある秀吉の声が大きく関白邸に響き渡る。
『黙らぬか!私の愛馬を逃すとは!あの愛馬は関白の座よりも大切なものだ。そなたは私から関白の座を引き下ろしたも同然の事をしておるのだぞ?』
と秀吉が凄まじい威容ある怒鳴り声で言う。
『関白様。私は…許されない罪を犯しました…どうか罰してください…』
と秀吉の使用人が秀吉に許しを請う。そのような使用人の姿に腹立った秀吉は刀を自らの腰から抜いて言わんとばかりに無惨に使用人の首に刀を振り落とす。
そんな秀吉の惨動に目を瞑る秀吉の臣たち。
『関白殿。やり過ぎでは?このような状況を天皇陛下ら朝廷に知れれば関白の座どころか将軍の座も失ってしまう。』と秀吉の臣の加藤清正(秀吉の臣、武将)が言う。
笑いながら加藤清正に向けて言う。
『関白の座よりも大切な愛馬を失った私にはもう何も残っていないではないか。これ以上私から何を取ると言うのだ。』と秀吉は肩を落として落ち込んだ様子で自ら寝室に戻る。
【朝鮮の王宮】
「何と言う事だ。倭国の秀吉は殺生をよく行い、戦争を好みとする将軍だそうだ。いつ我々も秀吉の殺生に巻き込まれるかも分からない。。。どうすればいいだろうか。」
とイ・ハンボク(西人派の臣領)が言ったその時…チョ・ホンが息を荒くしてやって来る。
「大変です。宗義智(倭国の武将)と玄蘇(倭国の僧侶、使節団)が朝鮮へ来國しました。お急ぎください。」
とチョ・ホンが息の荒い中、言い終わる。
【渡し場】
宗義智と玄蘇が歩いてやって来る。
『お迎えくださったのですね。とても光栄である限りでございます。』と宗義智が日本語にて話す。
すると玄蘇がそれを通訳して伝える。
「はっはっは。とんでもない。ようこそ朝鮮の都へ。」
玄蘇を迎えたのは__リュ・ソンリョンだった
終
- Re: 将軍の銃口 ( No.2 )
- 日時: 2019/09/24 17:26
- 名前: 渾身 (ID: Xr//JkA7)
〜登場人物〜
【主要人物】
主人公 ホ・ギュン
この作品の主人公に当たる人物。光海君の側近、東人派
宣祖イ・ヨン
国王、光海君の父。
リュ・ソンリョン
官僚、学者
【その他の人物】
チョン・チョル
西人派の副領袖
ソン・インピル
西人派の首領
豊臣秀吉
倭国の関白(国王にあたる人物)
玄蘇
倭国の使節団
終
- Re: 将軍の銃口 ( No.3 )
- 日時: 2019/09/18 08:29
- 名前: 渾身 (ID: Xr//JkA7)
【朝鮮の王宮】
夜半より降り始めた雨が次第にその強さを増す。。。
そんな雨の中庭園を一人歩く悲しみに明け暮れた宣祖の姿があった。
その後ろにはホ・ギュンとハン内官(宣祖の内官)。二人は宣祖の姿を不安そうに見守る。宣祖は涙を流し、肩を落としていた__そんな姿はとても王とは言えぬ姿であった。
宣祖は空を見上げ、こう悟る。
(余は幼き頃から王位を夢見て生きてきた。。。しかしこれほどまでに大変な任務だとは思いもしなかった。先代の王もこれほど王位に心に負担をかけられて精神病を患ったのか…王位とはとても…恐ろしいものだ。。。)
涙を流し、心中そう悟る宣祖。
将軍の銃口〜英雄の戦い〜 第2話「謀反」
朝鮮が倭国からの出征を恐れていた時代。豊臣を恐れた朝鮮の臣下らは豊臣に取り入り、朝鮮と倭国の国交を結ぶ事を進言し、その反対派と対立した。朝鮮のリュ・ソンリョンはその戦を恐れ、1589年(天正17年・宣祖22年)柳川調信(倭国の使節団)と宗義智、玄蘇らと倭迎館で談を取った。朝鮮側は完全に豊臣が戦を起こそうと攻めてくる事を確信していた。
【倭迎館(倭国歓迎司館)】
『''征明響導''』と玄蘇が日本語にてリュ・ソンリョンに言う。
「征明響導だと?ハッハッハ。豊臣の関白はそのような事を言うのか?つまり、豊臣の関白は朝鮮に対して戦対意思だと言うか!」玄蘇含める日本の使節団らに怒鳴りつける。
『リュ・ソンリョン殿、誤解なさられるな。関白は決してそのような意思はない。』
「そのような事は信じられぬ。豊臣関白が''征明響導''を口にしたと言う訳は戦対意思である。そう朝鮮は認識する事とする。」と服を払い、館からリュ・ソンリョンが出ようとした時…
『''仮途入明''の交渉はどうだ?』
リュ・ソンリョンは玄蘇の言葉を聞いて立ち止まる。
「何だと?''仮途入明''?」とリュ・ソンリョンは驚いた顔で玄蘇を見る。
『関白は未だ戦対意思の確定の意思表示はしておられぬ。まだ朝鮮は安心していいぞ。だが一つこのまま戦争を起こさぬ方法がある。それは…光の海を王位に据える事だ。期限は2年。天正が20年になる時だ。』
と玄蘇らは取引をした。
「ああ。分かった。」とリュ・ソンリョンは頷いた。
(征明響導…征の心持つ者の中に響く心の内を導け 征…戦い)(戦対意思…戦いの意思を宣布する)
(仮途入明…保険をかける事。後にその事柄が変化する事を恐れて前もってその変化は未だ不明である事を伝える事。)
【倭国の関白邸の前】
(戦乱反対)の文字を手にした倭国民たちが関白邸の前に群がる。
『関白様!我々倭国の民たちは決して戦乱に乗じません!関白様。戦乱はお考え直しください。』
と一人の男が関白邸の前で訴える。
そんな倭国の民たちを包囲する秀吉と加藤清正率いる兵士たち。
『戦乱に反対する者たちを皆殺しにせよ!』と豊臣秀吉が刀を掲げて言う。
兵士たちは無惨にそんな倭国の民たちから血を流させる。関白邸の前には血の海があった__
西暦1589年 倭国の戦乱反対派が豊臣に殺され、反乱が倭国の各地で引き起こった。豊臣反軍がこの時より決起したとされる。この豊臣反軍は日本の朝鮮出兵の時にも出没したとされ、豊臣を何かと邪魔してきた。
【リュ・ソンリョンの屋敷】
リュ・ソンリョンは一呼吸置いて目を見開く。
(これで…よかったのだろうか…私が謀反を起こさねば国は戦乱に陥り、私が光海君様を王位に据えれば歴史に逆賊として刻まれる事になる。私は国を選ぶか名誉を選ぶか__究極の選択に迫られてしまった__)
と心中リュ・ソンリョンは複雑の気持ちだった。
そんなリュ・ソンリョンの元へホ・ギュンがやって来る。
「兵曹判書(ヒョンジョパンソ、役職)様。酒だけ飲んでおられたのですか?つまみも持ってきましたぞ。」
とホ・ギュンが笑いながらリュ・ソンリョンの元に座る。
「洪山(キョサン、ホ・ギュンの号)、来てくれたのか?」とリュ・ソンリョンがとても喜んだ声で。
「ハッハッハ。何をそれほどお悩みになっておられるのです!」とホ・ギュンはトクトクとリュ・ソンリョンの杯に酒を入れながら聞く。
「いいや、何でもない。そう言えば王様の体調が最近よくないとか。」と不安そうにホ・ギュンに質問する。
「少々王様は心の病を患われたのです。」とホ・ギュンが涙を目に溜めながら話す。
「ぜひ、そなたが王様の心を少しでも癒してやれ。王様の1番の癒しは洪山なのだから。私はこれから王様に不忠を犯すやもしれない。いいや、不忠ではなく大逆罪だな。神からは甘んじて死の罰も受けるつもりだ。」
と笑いながら言う。
「何をするつもりですか?」とホ・ギュンが聞く。
「そなたもいずれ知る事になるだろう。だが今は知ってはならない。」
終
- Re: 将軍の銃口 ( No.4 )
- 日時: 2019/09/20 10:00
- 名前: 渾身2 (ID: Xr//JkA7)
【西人派の集まる流刑地】
杖をつき、何者かがその場所へ歩いて来る。
「チョン・チョル(西人派の臣領)そなた、何をしておる?」と笑いながら質問するソン・インピル(西人派の臣領)
「ソン殿か?」と不思議そうな顔でインピルを見つめるチョン・チョル。
「ああ。そうだ。チョン・チョル。久し振りだ。」とソン・インピルはチョン・チョルと握手する。
将軍の銃口〜英雄の戦い〜第3話「究極の選択」
1589年10月
【チョン・ヨリプ(西人派の武官)の屋敷】
チョン・ヨリプの屋敷に流刑を解かれたチョン・チョル加えたソン・インピルらがやって来る。
「ヨリプ殿。我らがやって来たぞ。」とヨリプに笑顔で話しかけるインピルたち。
ヨリプは歓迎するような言調で言う。
「ソン様。チョン様。お越しですか。」とヨリプが言う。
1589年10月25日、チョン・ヨリプは''大同契''を率いて王宮に進撃をしろとソン・インピルらに脅されたと後に判明する。10月26日、反乱を知らされた宣祖はチョン・ヨリプの屋敷に1000の兵を向かわせる。しかし10月27日に到着した兵士らはチョン・ヨリプの遺体を確認した。ヨリプの手に力強く握られていた遺言書には「大同契はこれまで倭寇を倒し続けた王様の忠臣だ。そんな倭寇を率いる獣より恐ろしい豊臣秀吉と手を組むなど…あってはならぬ事だ。東人派はこのまま豊臣との国交を結ぶ気になっているのだろう。いつかは東人を倒すものが現れる事を信じあの世へ向かう__」と記されている__その遺言書を読んだ宣祖は机を叩き、こう命ずる。
「そうだ。その通りだ。獣の国の倭国とは手を結んではいけない。そうだ。その通りだ。余はこう命ずる。西人を朝廷に登用せよ。」と。
1589年11月の初め、ソン・インピルを始めとした西人派は宣祖の命令で朝廷への出仕を果たす。西人派はその後、チョン・ヨリプの親族のチョン・ハボン(東人派の臣領)らを始めとした東人らの臣下が粛清を召され、処刑や流刑を強いられた。東人派のイ・サネやリュ・ソンリョンらも立場的には危機に迫られた。
数ヶ月後…1590年3月(宣祖23年)
【倭迎館】
リュ・ソンリョンは力強く言う。
「玄蘇!私はもう決してそなたらの脅しには聞かない事にした。」と玄蘇らに言う。
『兵判、それで良いのか?朝鮮は倭国の植民地へとなり、滅亡を避けられんぞ?』
「そのような事はない。既に王様が豊臣秀吉に手を打っておいた。」と顔に笑いが出るリュ・ソンリョン
「何だと?」と不思議な顔をして驚く玄蘇。
【倭国の京都・関白邸】
関白邸に馬に跨り、やって来たイ・ドッキョン(朝鮮の使節団、東人派)
豊臣秀吉はイ・ドッキョンを団扇で扇ぎ、待つ。
『何だ?そなたがイ・ドッキョンか?』と豊臣秀吉は自らの腰に巻く帯を強く握りしめ、言う。
「はい。豊臣関白。」と態度の悪い豊臣に頭を下げる。(拳を強く握りしめる)
【関白邸の中】
「豊臣関白。後に戦乱を朝鮮に仕掛けるつもりですか?」と心配そうな顔で尋ねるイ・ドッキョン
『いいや、朝鮮より先に明を攻略する事に決めた故、朝鮮は我ら倭国が明を攻略するまで防塁でも作って待っておれ。』と陽気に話す豊臣秀吉。
「豊臣関白。どうしても朝鮮に出征をせねばならぬのですか?」と恐る恐る尋ねるイ・ドッキョン。
『戦乱がそれほど恐ろしいか?ならば我らの明の攻略に協力するのだ。』と笑いながら言う秀吉。
1590年3月、イ・ドッキョンは宣祖の命令を受け、倭国へ渡ったとされる。イ・ドッキョンは宣祖の苦悩の末、通信使として送られた。宣祖はリュ・ソンリョンらの通信使派遣の願いを受けながらも西人派らの反対で中々派遣が難しかったらしい。また、宣祖自身が倭国を獣の国と発言し、宣祖がその通信使の派遣を嫌がり、反対したと言う可能性もあるが、西人派の反対意見によって通信使派遣が難しかった。そう考えられる。あくまで宣祖は通信使派遣への賛成意見は持っていなかった。そう確認できる。それは豊臣が自らを王と名乗り、朝鮮全土をも揺るがす力を持っていたからであり、朝鮮を倭寇が侵したからだもちろん賛成意見を持てるはずもなかろう。
終