複雑・ファジー小説

Re: ただ、そのために生きて ( No.3 )
日時: 2019/11/15 09:40
名前: えだまめ (ID: 6fVwNjiI)


実を言うとこの地下通路は使ったことがない。
道もわからずひたすら壁伝いに歩くのみで、執事を信じていない訳では無いが暗闇というのは普段よりも一層恐怖が煽られる。地上とは違い、ひんやりとした空気に訪れる静寂、歩みを進める靴の擦れる音とどこからか水の滴るピチャンッという音が響く。
ひと一人分しか通れないような狭い通路は前と後ろから挟み撃ちされてしまえば逃げ道は無い、こんな恐怖と不安が駆られる場所を好き好んで入るものを見てみたいと投げやりに思う。

創造した物が生み出せる能力、聞くだけでは便利なものかもしれないが欠点はあるもので、例えば暗闇を照らすライトを出そうと思っても姿形そっくりなものは生み出せるが電池にエネルギーが溜まっていない為、電池切れで点かないし、火をだそうとしても火の能力など持っていない。
こういう時に最新のものばかりが身近に揃っていて自分の能力を磨く事もせずに育ったことを後悔する、といっても、本来なら出来ることなのかもしれない。
自分には過去の記憶が思い出せない、最後の記憶は五歳の頃。母が亡くなり、父が寂しい気持ちを隠しつつ「二人で強く生きような」と肩を抱いて自分の誕生日を祝ってくれた時のこと。次に目が覚めた時には母にそっくりな女性が父の側にいて、側近の執事は老けていて自分は成長した姿だった。二十年分の記憶がごっそり無くなっていて、昔聞いたことのあるおとぎ話のように眠り続けていたのかとすら思った。

だが、何かを忘れている、そういった感覚なのだ。
身の回りのものは生活する上で便利なほど馴染むし、実際に自分が使っていたようなこともなんとなく解る。自分が前の日に何をしていて、どんな経歴でどこを歩き、どのような服を好んで着るのかも憶えているのに、物凄く大切な何かを忘れている気がしていた。

歯がゆい気持ちのまま、食事は喉を通らなくなり頭を抱えて部屋に籠ることも増えていた、そんな時に執事から呼び出されたのだった。

それを思い出すと恐怖に怯えていたとて、踏みとどまることは出来なかった。

暫く歩いて薄い暗闇にも慣れた頃、目の前に壁が現れたーー突き当たりだ。

思わず駆け寄り壁一面に何か仕掛けがないか触りながら確かめる。
石と壁の隙間に挟まっていたものを引き出す、そこから外の光が見えた。引き出したものは敷物が丸められたように綺麗に畳まれた布だった。紙では水に濡れるとぐしゃぐしゃになってしまうので布にしたのだろう。表面に油性で書かれた文字は執事のものだった。

場所と軽い指示が書かれていて、それと余分な程ある硬貨が袋に包まれて壁の隅に置かれていた、それを持っていけとのことだろう。
縦長のショルダーバッグに銭を入れて斜め掛けしては厚手の手袋を生み出す。それに手を通して先程見えた隙間に指を入れ、意思を取り除く。ある程度開いたら軽いけれど大きめのハンマーを振り翳して数回、崩れて開いた出口から這い出る。

新しい服に着替えて目立たないように全身が隠れる黒いマントをつけてフードを被った、振り返ると案外遠くに来ていたようで城は小さく見えた。

執事の為にも自分は記憶を取り戻さなければならない、彼からの指示に従い街の方へ向かった。