複雑・ファジー小説
- Re: 御魔の囁 ( No.1 )
- 日時: 2019/12/14 18:01
- 名前: エイ (ID: Xr//JkA7)
彼はいつもとは違い優柔不断である、、、
『これは戦場である…だから慎重に判断しているのではないだろうか』
その戦場に出た明智光秀の配下らはそう考えた__しかし誠にそうだったのだろうか__
『織田信長を殺していいのか__』そう自らの出兵の賛否を考えているのではないか__
出兵し織田信長を自害に追い込んだのは事実であるが織田信長に恨みがあったのではない__
明智光秀は心中こう心考【しんこう】したのだ。
『私は__将軍を守る為に出兵したのだ__決して将軍に恨みなどない』
心にその想いを留め一万三千人の軍兵に言い放ってしまう__
『織田信長を討首《うちくび》するのだ!』
天正十年(一五八二年)六月二日 信長が宿泊する本能寺とその息子・織田信忠が宿泊する妙覚寺の双方から火が上がっていた__大雨にも関わらず決して信長が刀を握る本能寺の火は消えなかった__
本能寺付近の宿泊寺で明智光秀は【明智想史】という書を書き下ろした。
〈乱暴狼藉を働いた私を信長様は許してくださらぬだろう。しかし後世の者らと私の配下らに伝える。''決して私は将軍に恨みや妬みであったり将軍職を狙った事などない…私は将軍を守ったのだ…私は将軍を殺したがその''殺す''という事が私から織田将軍への最後の忠誠である〉
光秀は筆を置き書を閉じ扉を開き外を見上げた__
大雨の止まぬ空下で明智光秀も短刀を抜くのだった。
『将軍、私をそちら世で殺して罰して下さい__』
光秀は涙を流して空を顔向け目を閉じた。次の瞬間__
明智光秀はバタンッと倒れ光秀の寝巻きに赤い血が染み付いた。
No.1 《全ての始まり》
弘治二年(一五五六)四月 家督継承問題により斎藤義龍《さいとうよしたつ》が反旗を覆し父親の斎藤道三《さいとうどうさん》と美濃長良川《みのながらがわ》にて戦闘を繰り広げた。軍勢は斎藤道三が2500人余りで斎藤義龍は17000人であった。その為斎藤義龍が圧勝する。当時尾張に居住していた織田信長も道三の為援軍を率いて美濃に向かうがその前に道三が全滅し間に合わなかった。
ー 明智城 ー
『美濃の蝮《マムシ》を殺した斎藤義龍と言う者が大軍を率いてこの明智城に攻めて来るぞ!』
弘治二年(一五五六)九月十九日 斎藤道三の家臣であった明智家が居城する明智城《あけちじょう》に斎藤義龍が約4000人の兵士で攻め入って来る。対して明智軍は900人余り。こちらも圧倒的に不利であった。
自らの息子明智秀満《あけちひでみつ》に明智秀安《あけちひでやす》は封筒に入った金を秀満の膝下に置き言った。
『我が息子秀満よ…この金を持ち我が明智家の嫡男である光秀と共に城から逃げるのじゃ!必ずこの戦で勝利しそなたらと共に再び食卓を囲もうではないか!』
秀満は封筒に金を握り締めお辞儀し後を去った。秀満の去る足跡を聞き涙したそして心に決めた。
『必ず勝利せねばならぬ!』 そして秀安は立ち上がり持つ刀を抜いた!
その頃光秀と秀満は走って明智城を脱出した、、、止まる事なく走り、走り、ひたすら走り、走り続けていた…すると、後ろから
『無念ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
と言う秀安の声だった。走り続ける光秀に対して声を聞いた秀満は立ち止まり声に出して言う。
『父上…違いますよね…今の声は父上ではないですよね?父上が倒した軍の頭の声ですよね?』秀満は涙を瞳に溜めて涙を堪えた。『父上…違いますよね?父上…父上…父上…父上!』その叫び声を聞いた光秀はそっと秀満を見守る事しか出来なかった。秀満は溜めていた涙を一気に流した、叫び声と一緒に。
ー 朝倉義景の屋敷 ー
『この家には誰一人武芸の達人はおらぬのか!?我が家の護衛は弱っちいものだ。このままでは我が家が襲撃された時には一瞬で崩れ落ちるであろうな…直ちに街中に武芸に優れた者を護衛に募集する張り紙を貼るのだ!』
朝倉家によって貼られた張り紙を目にする二人はその張り紙に興味を示した。『秀満。どうだ?私も武芸なら得意だ。朝倉家は代々の先祖もお世話になっておる故ここへ言ってはみぬか?』その言葉に秀満も頷いた。
そして鉄砲の武芸や剣法を朝倉義景に見せる二人は即刻合格札を渡された。同じく合格札を渡されたのは鹿奴《かや》である。
十年後…永禄九年(一五六六)一月
『将軍、明智の二人は非常に武芸に秀でている為将来謀反を起こす可能性があります。どうか二人を破門に処して下さいませ。将軍。』鎌山氏は朝倉義景にそう諫言した…その為明智光秀ら二人は破門となった__
朝倉家の奸臣と今でも継がれている鎌山氏、彼は1567年に朝倉家の家臣の反感を買い暗殺される。1566年に出世した明智光秀に殺されたと言う説もある。
終
- Re: 御魔の囁ー ( No.2 )
- 日時: 2019/12/20 18:00
- 名前: エイ (ID: lBubOowT)
ーー私はどうすれば良いのだ__朝倉家からも破門され全てを失ってしまった。どうすれば良いだろうか。越前国の市場をそうひたすら考え二人は歩いた。そして…二人は京都の南部にある山城国へ参った。
ー京都 中京区ー 永禄九年(一五六六)五月十八日
松永久秀《まつながひさひで》は大層頭を抱えていた。彼は傀儡の将軍を擁立しようとしていた。しかし現在の将軍である足利義輝《あしかがよしてる》は直接統治に固執する者である為邪魔である。
『謀叛を決起しよう。そなたらと共に…』松永久秀が話しかけているのは三好政権《みよしせいけん》を牛耳る畿内の三好長逸《みよしながやす》と三好政勝《みよしまさかつ》と岩成友通《いわなりともみち》である。
No.2《光秀と信長の出会い》
夜が明け松永久秀の長男・松永久通《まつながひさみち》と三好長逸ら三人が清水寺参詣を名目に集めた一万余りの軍勢を率いて二条御所に押し入り訴訟ありと偽り取り次ぎを求め御所へ侵入した…
『将軍!将軍に訴訟したき事がございます。取り次ぎ願う。』義輝の配下の武士が久通の通達を受け御所へ入ろうとした隙にその他の武士に攻撃を仕掛けて御所前を掌握、そして久通らと一万の兵士は御所の門を通り御所下へ行った。
通達へ行った兵士が久通らにやられる兵士らの痛声を耳にし義輝寝所へ走り寄って来た。
『将軍。松永久通らの謀叛であります。裏門からお逃げ下さい。敵の軍勢は一万であります。』
横になっていた義輝は静かに起き上がり日本長柄武具である薙刀《なぎなた》を手にし配下の武士に言った。
『逃げたくば逃げればいい。私は決して逃げることなどない。私が世から去り連中の悪行を世に知らしめる事が出来る機会である。そうだ。確か…今日の午後に明智秀安の息子らがこの御所に参ると言っておったな。彼らを弟の義昭《よしあき》に仲介するのだ…』
そして外から久通の声が聞こえた。『足利義輝!出てこい!』 そして義輝は薙刀を手に寝所から飛び出した。
『足利義輝はここにおる。いざ、勝負じゃ!』義輝は敵軍の槍に突かれ地面に伏してしまう__するとその瞬間敵軍に一斉に襲いかけられ殺害された__その際に在京していた山科言継の『言継卿記』によれば義輝は自害した可能性もある。
仏門でお経を唱える覚慶《かくけい、義昭の法名、後の足利義昭》の後ろから明智光秀と秀満が寄って来たのだ。
『千歳丸【仏門に入る前の義昭の幼名】様であられますか?私は明智光秀と申します。』その様に申す光秀に覚慶は振り向き言った。
『そうだが兄上が仰っておられた明智秀安殿の息子とその甥であるか?』そう聞かれた故光秀は頷いた。
庭園にて二人は茶を飲んだ。義輝が久通によって殺された一件を光秀より聞かされた。
『千歳丸様。将軍の葬式に出席くださいませ。』しかし義昭はその葬式に乗り気ではない。自らを仏門に入れたのは他でもない兄なのだから。義昭がいた仏門は平安時代から知られる過酷な試練でいっぱいの仏門であった。しかし何とか光秀は義昭を説得し''義秋''に改名し葬式に出席した。
勿論子がいなかった義輝が亡くなった後は義昭が将軍職に就くのは約束されてるしかし朝廷の雰囲気では20年以上前に将軍候補として上がった足利義栄が再び上がったのだ。大臣らは松永久秀らの圧力により仕方なく義栄を擁立しようとしたに違いない。しかし義栄には違う問題もあった…義栄は病弱であった。義栄は背中に腫物を患っていたのだ。この様な問題がありつつも久秀は黙認した。
ー義輝の葬式ー
そこには信長も出席していた。当時の信長は桶狭間の戦いを終戦した直後であった。(桶狭間の戦いは1560年終戦)信長は以前から義昭と茶を飲む関係であった。
『信長殿久方ぶりですな。十年ぶりですか?信長殿が今川家と戦うと聞いた時は誠に心臓が止まるかと思いましたよ。』
『ハッハッハ。心配して下さったのですか?ありがたいですのう。ところで右の者は誰ですか?』信長は光秀に目を当て義昭にそう尋ねた。
『明智光秀と申します。明智城城主の親戚です。』その言葉を聞き信長は大層不審に思った様だ。それもそうだ十年前に明智城は斎藤義龍によって陥没したのだ…生きているはずがなかろう…信長は疑いの目を向けつつも信長は聞き流すことにした。
そして将軍候補と足利家が集まる将軍就任式で将軍武士が任命の書を読む。
『永禄十一年二月八日、将軍就任式を始める。亡き前将軍の意見と大臣らの意見の下次の将軍を決めたいと思う。亡き前将軍は病により急死なされた為意見を得られませんでした。大臣らの意見としては義栄様に98票、義秋様に1票、そして義句様に17票であります。そして占い師によると義栄様は優しい性格を持っている為長寿なさり民を思う善政を敷く事が出来るでしょう。しかし義秋様は優しい性格をお持ちになられていますが身内の配下に裏切られる事となり長寿は出来ますが将軍職に就いても追放される事となるでしょう。よって義栄様に将軍職が渡される事となります。』
それを聞いた瞬間、静かに彼が立ち上がった瞬間__松永久秀は足利義昭の肩に手を置き武官を呼びこう伝達した。
『興福寺を開けるのだ。義昭公を興福寺に幽閉するのだ!』
終
- Re: 御魔の囁ー ( No.3 )
- 日時: 2019/12/25 18:33
- 名前: エイ (ID: lBubOowT)
+用語解説+【随時更新】
討首《うちくび》…敵将を倒す事 本能寺《ほんのうじ》… 京都油小路高辻と五条坊門の間に位置する寺 妙覚寺《みょうかくじ》… 京都府京都市上京区に位置する寺 親公《しんこう》…配下
*登場人物*【随時更新】
#1〈戦いの始まり〉
主人公 明智光秀…足利義昭の忠臣
準主人公 織田信長…義昭を将軍に擁立する後の戦国大名
準々主人公 足利義昭…室町幕府15代将軍、信長に擁立される。
#2〈足利家と織田家の対立〉
主人公 明智光秀…足利義昭と織田信長の両属家来 信長に憧れ将軍を目指す。
準主人公 織田信長…足利義昭を将軍に擁立した戦国大名。明智を親公にしたい。
準々主人公 足利義昭…室町幕府15代将軍、信長に不信感
- Re: 御魔の囁 ( No.4 )
- 日時: 2019/12/25 18:23
- 名前: エイ (ID: lBubOowT)
雨天の夜更け 三淵藤英《みつぶちふじひで》と細川藤孝《ほそかわふじたか》が義昭が幽閉される興福寺《こうふくじ》に忍び忍んで救出に参った。
義昭はその二人の人影に怯えて刀を手にした。松永久秀が自らを殺しに来たのではないかと怯えた。震え震えに立ち上がり刀を強く握りしめた時…
『義昭公。三淵藤英です。救出に参りました!』その声を聞き刀を落とし気を失う。それに驚き二人は義昭の龍身を背に背負い興福寺を脱出した。
その夜更けに予約していた船に気を失い目を覚さぬ義昭と共に乗り込んだ。
ー近江国 和田ー
日の出る翌日の早朝である。近江国の和田にある船停場に停まる義昭ら乗る船で気を失っていた義昭は目を覚ます__
ーー周辺を見渡していた__少し先の軍営には見覚えのある背姿がありその者は振り向く__黒髭を鼻下に生やし美濃斎藤氏との決闘の作戦会議を執り行う信長__織田信長の姿があった。私は信長を気に入った。一瞬で見惚れたのだ。彼を親公にしたいと私は思った__
親公…自らが従わせる者 別の言い方で配下 部下とも呼ぶ
永禄八年(一五六五)十二月 信長は義昭に正式に奉仕を誓った。その後、信長は一度帰った細川藤孝に上洛の願い届けを出して信長も尾張や駿府から兵を連れて上洛して参ると言い近江より尾張に向かった。上洛の理由はもちろん義昭の推薦擁立が理由だ。しかし美濃斎藤氏との対立で戦乱に発展する。
ー 稲葉山城の戦い ー
永禄十年(一五六七)信長軍との戦いに斎藤龍興《さいとうたつおき》は敗れ伊勢国長島に敗走した。結果としては信長軍が美濃を平定したのだ。しかし戦前に義昭の命令で斎藤氏と織田氏は和睦を結んだが結果的に信長が決起したに至る。この事に義昭は信長に不信感を抱くようになりここから不仲説が浮上したとされる。
No.3《謀反の報告》
世は既に義昭と信長の世に染まりつつあり光秀はどちらに所属せんか迷いに迷っていた。
光秀は両属にしようかも迷ったが斎藤氏の軍営に勝手に攻め込んでいった信長に義昭も不信感を抱いており仲違いの可能性もあった__だからと言い二人に従わない訳にもいかず人生最大の迷いどころである。しかし光秀は両属の意思を二人に伝えてあっさり両属したのだ。『義昭公はそこまで信長公に不信感を抱いていなかったのか?』そう心中、心考し二人に仕えた。
『謀反──今、謀反と申したのか?』
義栄宅の一室
足利義栄はそう尋ねると宇司信山上《うしのやまうえ》は首を縦に振った。
終