複雑・ファジー小説

Re: 御魔の囁 ( No.5 )
日時: 2019/12/25 20:05
名前: エイ (ID: lBubOowT)

 前回までのあらすじ #1《戦いの始まり》No.1〜3 >>1-3

 光秀は従兄弟の秀満を連れ足利義輝の元へ行くが義輝は暗殺され光秀らは義輝に紹介された義昭に仕えることに…そこで出会ったのは桶狭間の戦いで大勝した織田信長であった…

 
 弓と矢を背負い砂上の地を密かに走る人影が映った。男達が立ったのは茶山《ちゃのやま》氏の屋敷前である。男は屋敷中におる兵《ひょう》らの様子を探り男達に手を上げて合図した。すると男達は静かに弓を構えて矢先を兵士らの胸に当てた。そして男は大声で男達に言った。

   『放つのだ!!!』

 茶山氏を包囲した百人余りの男らが一斉に茶山氏の兵らに矢を放った。気づいた茶山氏の兵らも刀を抜き回りを探った。しかし周りには誰もいない…決して兵らは油断せず刀を握り締めていた…するとその背後から短刀を握った男が兵の首を斬りつけた。しかし生憎茶山氏の族主は屋敷を出てしまったようだ。それに気づいた男らは屋敷を去った。

  
  No.4《両属家来へ》



 それから四刻の時が経ち謀反の知らせを聞いた足利義栄が数十名の護衛を背後に茶山氏の宅邸にやって参った。足利義栄はその際、自らが寵愛していた茶山真忠《ちゃのやままつただ》の屋敷が余りの惨状であった為真忠が死んだと勘違いした。また負けた際には戦国日本人は自害すると思われていた為死んだと誰もが思ったのだ。1571年戦乱が終息した際彼は生きて戻ってくるがその時には既に義栄は生涯を終えている。この謀反を起こしたのは織田信長であると知られているがその時は誰が犯人だか分かっていなかった。信長が謀反を起こした理由は未だ不明である。上洛の準備の為茶山氏を殺したと言う説が有力である。

 正親町天皇《おおぎまちてんのう》の令外が信長に綸旨を下した。

『上総介《かずさのすけ》織田信長を皇室領回復の為丁子府右臣《ちょうしふうしん》に命ずる。』
信長はその一言に驚いた。それもそのはず無冠無位の信長が階級を波越えて行ったのだ。余りにも凄すぎる人事であった。

『せ、せ、せ、聖恩の限りでございます。天皇陛下。』永禄十年織田信長は急な人事で官位に就くこととなった。
 織田信長は上洛を命じられそれを機に義昭の擁立も試みていた。



 『おい、光秀殿。何をやっておるのだ!信長様に怒られてしまう…いや…丁子府右臣様だ。そなたは義昭公の配下であろう?何故ここにおるのだ?』

光秀は木下秀吉に怒られながらもそれを無視して信長の刀を磨いていた。信長はそれを遠くから眺める。

〈あの者は…確か義昭公の家来の者ではないか…何故私の刀を磨いているのだ?〉

信長は光秀の背後を近くから寄り肩を叩いた。光秀はそれに驚き背中から腰抜け倒れたのだ。信長は光秀のあまりの間抜けさにクスッと笑ってしまう。

その小さな笑い声に光秀が気付く目の前に立っていたのは織田信長。彼であった。すぐに信長に気付き立ち上がり手を腰に組んだ。

『右臣様。申し訳ございません。勝手に宅に上がらせて頂きました。』

信長は光秀を少々不審に思ったが訳も分からないままではいけない。信長は光秀に進んで尋ねた。

『光秀殿が何故儂の宅におるのじゃ?』

中々光秀も言いにくかったのであろう。数秒間を開けて口を開いた。

『義昭公の御命令であります。上洛の際、三人衆より抗戦を受けるでしょうから刀を確と磨いて来るよう申されました。』

光秀は信長を少々恐れて緊張でもしたのか…言葉が詰まって光秀は上手く話す事が出来なかった…信長はその様子を察していたながらも義昭の心遣いに感謝して笑い出して光秀に言った。

『ハッハッハ。義昭公が私の心配をして下さるとは。光栄でありますのう。光秀殿。義昭公にこう伝えなさい。
''私の心配をして下さるなら明智光秀を義昭公と私信長家の両属家来にして下さい。''と。』

光秀は信長のその言葉を聞いた瞬間驚いた。

明智光秀__彼は明智光綱《あけちみちつな》の子息として1528年3月(1526年説あり)に生まれたとされる。しかし1556年に長良川の戦いにより血縁の者らを全て失い朝倉義景《あさくらよしかげ》に武術に優れていた事を魅入られ十年世話になる。(朝倉義景に何らかの理由で破門されたという説が有力)朝倉義景と友好関係を築いていた足利義昭《あしかがよしあき》に出会い数年仕え1568年に足利義昭の家来となった織田信長《おだのぶなが》と足利義昭の両属家来になる。