複雑・ファジー小説

Re: 灰かぶりが靴を履くなら ( No.1 )
日時: 2023/01/22 00:40
名前: 心 ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

┄┄1┄┄

 地面に落ちたパンくずを、時計を持ったうさぎが食べていた。遠くの方で、八つ頭の竜が吼えている。僕のすぐ隣を、かぼちゃの馬車が駆けていった。
 何がどうなってる、と呟こうとした時、誰かが僕を呼んだ。
 
「はち……起き…………」
 
 僅かに身じろぐと、肩にぶつかったペンケースが音を立てて床に落ちた。がしゃん、という音と共に中身が床へ放り出され、ふっと僕は顔を上げる。
 
「おーい八王子はちおうじ八王子僚一はちおうじりょういちさーん? 起きたか? 一番後ろの席は意外とよく見えるぞ」
「……僕、寝てました?」
「寝てたぞ、割とガッツリ。深夜まで勉強するのはほどほどにな、中三じゅけんせいとはいえ」
「スミマセン」
 
 周りから笑いが沸き起こる。
 どうやら、朝学活の途中に居眠りをしてしまったようであった。ならば先程の光景は夢なのだろう。
僕はいまさらそれに気付いて、くるりと教室を見回す。ほとんどのクラスメイトがこちらを見て笑っていて、でもそれが嘲笑でないのが救いだった。
 たしかに昨日──もはや今日──は深夜まで勉強したし、疲れが溜まっているのだろう。
 
「りょーちゃん、コレ」 
「ごめん、ありがとう」
 
 床に散らばってしまったシャーペンやら消しゴムやらを拾って渡してくれる心優しい友人に向けて、どうもどうもと礼をする。小学校から何回も筆箱を落とすなんてことはやって来たが、居眠りして筆箱を落としたのは初めてである。差し込んできた日光が目を刺した。
 次第に騒がしくなってくる教室を鎮めるかのように、先生がぱん、と手を叩く。保体の教師らしい快活な声が、教室に響き渡った。
 
「八王子も起きたので……えー、二つお知らせ。一つ目、物騒なことだから気をつけて、北町のほうに住んでる人。住宅とか多いだろ? 家の窓ガラスが立て続けに割られてるって話だ。あの辺防犯カメラとかもないから、何があったのか全然わからないらしい」
 
 手帳を見下ろしながらそう言った先生は、一旦言葉を切った。目が合いかけて、僕は少し姿勢を正す。
 
「あ、それ聞いた! お隣さんちもやられたって」
「マジ? 西山ニシヤマんちあっちの方だっけね」
 
 隣の席の、西山瑞稀ニシヤマミズキが話しかけてくる。
 
「そうなんだよねー、ってヤバ」
 
 いつの間にか教室は静まり返っていて、話しているのは僕らだけだった。あわてて僕と西山は前を向いて、それを見計らって先生がもう一度口を開く。くすりと笑う気配が、前の席から漂ってきた。
 
「えー二つ目。編入生がうちのクラスに来ます」
 
 静まり返った湖面みたいな、悪く言うなら倦んでいたような教室に、大きな石を投げ込んだかのように。たちまち教室内は、喧騒に包まれた。
 
「なんでこの時期なんだろ」
「それな。二学期もうあと二ヶ月くらいだし、転校生来る時期じゃなくね? 高校とかどうすんだろ、私立かなあ」
 
 僕自身、編入生さんが女子なのか男子なのかは気になるところではある。なんで二学期なかばに転校してくるのかということも。だがまあ、こうやって僕たちが騒ぎまくっているだけではそれは発表されないわけだ。中三にもなれば、さすがにそれに気づく。
 僕が先生の方をちらりと指さすと、西山はああ、とでも言いたげな顔をした。ちょい静かにしよ、と前の席の友人に言っているのが耳に入る。
 それが少しづつ伝播するように静かになる僕らを見て、先生は笑って頷いた。
 
「えー、みんなが先ず気になってそうなことから発表します……女の子の編入生さんです。ここからかなり遠いところから来るので、仲良くしてね──えっと今日何曜日? 木曜日か。じゃあ月曜日からなんで、みんな暖かく迎えてください」
 
 ざわざわざわ、と。再び喧騒が広がる。
 流石にこれは僕のテンションも上がらざるを得なかった。編入生がやって来るということが、学生生活の中で何回あるだろう。ましてやそれが女子である。中間試験が思うようにいかなかった人も多くて、やや元気が落ち込み気味だったクラスが、すこし活気を取り戻したような気がした。

Re: 灰かぶりが靴を履くなら ( No.2 )
日時: 2023/01/22 00:43
名前: 心 ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

┄┄2┄┄
 
 朝学活が先生の話で長引いたが故に、一時間目までは五分しかなかった。トイレに行くほどの時間もなく、さりとて勉強するほどの意欲も持ち合わせていない僕は、時計の針が九時へ向かっていくのを眺めていた。
 確か課題が出ていた、ということを思い出して、僕は数学のワークを机の中から取り出す。一応全てやってあるかを確認しようとすると、前の席から声がかかった。
 
「さっきの、りょーちゃんが居眠りとかめっちゃ珍しいじゃん。しかもあんなうつ伏せになってさ」
「聞いてくれ、ノスケ……」
 
 僕の幼なじみこと、志村瞬之介しむらしゅんのすけである。ちなみに50メートル走において学年で一番で、ついこの間の体育祭の時は大いに活躍していた。
 ───閑話休題それはともかく、居眠りについてはさすがに弁明をしないわけにも行かない。僕は右手をひらひらと振って言う。
 
「最近眠りが浅くてさあ。四時くらいに一回起きちゃうんだ。そのままもう一回寝ようとするじゃん? 寝れないんだ、これ。だから勉強したりとかスマホいじったりとかしてて、そのツケが回ってきた」
「それは分かる、取り敢えずスマホ見るよな」
「ノスケ、分かってくれるのか……!」
 
 感動した僕が手を握ろうとすると、ノスケこと瞬之介は笑って手を引っ込める。傷ついたー、と呟いてみれば、彼はからからと笑った。
 
「てかさあ、りょーちゃんも俺のことノスケって呼ぶようになったよね。昔は瞬ちゃんだったのに」
「だって皆ノスケって呼んでるじゃん」
「昔からそういうとこあるよね、なんか。みんなに合わせようとするみたいな」
「ノスケがマイペースすぎるだけだろ」
 
 みんなに合わせようとしてる、と言われて、僕は少し考え込む。そういうことをした覚えはあまりないのだが、小一からの友達であるノスケが言うのならそうなのだろうか。
 
「あー、数学シンプルにだるい」
 
 ノスケはそう呻いて、教科書を机に叩きつける。
 ちらりと黒板の方へ目を転じると、数学の先生が入ってきたのが見えた。チャイム鳴るよー、と呼びかける学年委員の声がする。ノスケが前を向いたので、僕もまた姿勢を伸ばした。
 
□  △  □
 
 僕は昼休みが好きだ。特に晴れた日。理由は、閑散としてるからと言うだけだけど。
 外は快晴だが、こんな暑い日に外へ出る気になれるはずもなく。もし仮に僕がテニス部とかバドミントン部とかであったなら外へ行こうという気になったのだろうか。三年生はほぼ全員が引退している今となっては無意味な想像である。まあ僕は文芸部なので、昼休みは基本教室で読書なのだが。
 今日も今日とて文庫本を読んでいれば、唐突にページへ影が落ちる。机の前に誰かが立ったのだ。
 
「あのさあ、僚一りょういち高校どこ受ける? 」
 
 続けて聞きなれた声が耳に入って、僕は本から顔を上げた。
 
宏介こうすけじゃん、いきなりどした? テニ部見に行かないの?」
 
 ノスケと同じくらいの幼なじみ、守谷宏介もりやこうすけであった。ちなみに元男子テニス部主将、50メートル走は大体ノスケと同じくらい。
 
「いや、今日は寒いからいいんだわ。そ、で高校の話しだけど。お前頭いいから、どこ受けるのか気になるなあと思ってさ」
「……───かな。滑り止めに──附属あたり」

 志望校は、正直言ってしっかりここに行きたいというのがある訳ではなかった。別に音楽が出来るわけでも、スポーツができるわけでも、絵が描けるわけでもなかったからだ。何かになりたいとかそういうのもない。比較的英語が出来るが、別にそれを将来活かしたいとは思わなかった。
 だから、塾の先生に訊いたことから選んで決めた。なんとなく、というのに尽きる。
 
「マジか……? お前そんだけ頭いいんだから他行けるだろ、例えば──とか」

 宏介が、かなり頭のいい高校の名前を告げる。

「あそこなんて無理に決まってるよ! あそこめっちゃ頭いいんだぞ……ほんとに落ちたくないしさ。確実に受かれるところだろ。結構みんなそこ行くって言ってるし、知り合いも多そうじゃん」
 
 本当にそれしか考えていなかった。
 そもそも、僕はそこまで勤勉ではないし頭も良くないのだ。勉強の意欲が絶対に続かない。真面目に受けてなんになるのか。
 僕がそう言って、宏介こうすけがちらりと顔をしかめたのが見える。
 
「うわー、マジ、煽りかそれ? 俺も勉強頑張らないとな」
 
 よくそう言われるよ、と苦笑して呟く。
 ただ僕には、周りの連中が、レベルの高いところを受けようとする意味があまり分からない。

「……だって、ほんとにリスク取る必要ないと思うんだよ。落ちたら高校行けないかもしれないよ?」
 
 落ちたらどうする? これに尽きる。チャレンジして、それでも駄目だったら諦めるとか、そういう訳には行かない。

「そのための滑り止めだろ? とぅ高校に行く。いえすいえす」
「いきなり中二の文法持ってくる? to不定詞じゃん」
「それがすぐに出てくる僚一りょういちやっぱ天才?」
 
 気持ちを切り替えたのか、けらけらと笑う宏介につられて僕も笑う。to不定詞はこれから使えるギャグだな、と心のメモ帳にメモする。昔からこういうのは、きっと宏介の方が天才だと思う。
 
「理科とか復習やってる? 僕、マジで物理苦手すぎて人権がありません」
「理科は……とりあえずフレミングの法則覚えとけばいいだろ物理。逆にそれ以外ぼくはおぼえてません」
 
 シャッ、と効果音が付きそうなほどの勢いで、宏介は左手を突き出した。人差し指を僕の方へ、中指を左側へ。ここまでは正しいからいい。だが──
 
「お前それ、親指倒さないよ? 親指は力の向きだから真上だよ、僕よりダメなヤツいたわ」
「嘘だろ……まあいいや、テスト本番では合ってたから!!」
「嘘だろ……僕でさえそれは覚えてるよ……」
 
 空気が一気に軽くなった気がした。何はともあれ、僕も受験までに物理を完璧にしなくてはならない。もう中一の冒頭なんて忘れ去ってるし、なによりも中二が大変だ。あの時は地獄だったなと思う。
 理科の勉強会をノスケと宏介に提案しよう、と僕は心のメモ帳に追記した。

Re: 灰かぶりが靴を履くなら ( No.3 )
日時: 2023/01/22 00:44
名前: 心 ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

┄┄3┄┄
 
 視界が猛烈なスピードで流れていく。
 夜の冷たい空気が肌を切っている、とはいささか詩的な表現が過ぎるだろうか。夜に気温が下がるのは、太陽が出ていないのもそうだが、陸は温度を溜めにくいからだと地学で習った気がする。
 いやまあ、シンプルにいま僕が自転車に乗っているからかもしれないが、さすがにこれは寒い。
 
「九月終わりの気温かこれ……」
 
 必死に自転車を漕ぎながら呟いたせいで、さらに口元が寒くなる。吸い込んだ空気まで冷たいものだから、身体の芯まで冷えていく。
 
 そんなことを呟いていると、曲がり角で曲がるのを忘れそうになる。最近ノスケが発見した抜け道で、正規ルートにある坂道をショートカットできるとノスケが言っていた。それを信じて通ってみれば、確かに遠回りではあるが比較的平坦な道ばかりである。
 以後僕はこの道を使っているのだが、たまに気を抜くと曲がるのを忘れてしまう。
 今回は思い出せてよかったな、と思いつつ、僕は自転車のハンドルをきった。コンビニエンスストアの角を左折して、住宅街に入る。
 そう言えば、窓ガラスが立て続けに割られているというのはこの辺なんだったか。
 ────特に泉町方に家ある人。あの辺って住宅とか多いだろ? 家の窓ガラスが立て続けに割られてるって話だ。
 僕の家は下泉しもいずみと言う地区にあって、泉町とは若干離れているから、別に危なくはないのだが。
 建ち並ぶ住宅を横目に見つつ、若干加速。流石に人を襲ってくるなんてことはないと信じているが、ちょっと怖いのは否めない。なら通るなよという話ではあるが、早く帰りたいという気持ちと恐怖を天秤にかけた結果である。月曜日とかならば通らなかっただろうが、金曜日は早く帰りたい方が勝る。
 道を直進して、信号で右折。交通安全の看板を目印にして、そこの通りで左折しようとした時───
 
「は……え……?」

 この辺りの住宅街は、家と家の間の隙間が小さな路地のようになっている。そこに、人がいた気がした。僕の方へ振り返ってきて、目が合いかけた気がした。
 ただの人ならば気にしなかった。コンビニが比較的近いから、出掛ける人だっているだろう。でもそれより僕の目を引いたのは、その人が持つ色彩だ。
 流れる金髪と、空みたいな薄い青の目。白皙の肌と青いドレス。足元には黒いブーツ、だろうか。よく見えない。まるでシンデレラみたいな。でもガラスの靴じゃない。じゃあシンデレラではないのか。そもそも、この道を使っていてあんな子とすれ違ったことなんてなかった。
 自転車は速いから、僕の視界から一瞬でその人は消えてしまう。だが、確かに誰かがいた気がする。ざわざわと胸の中が荒波立った。
 なぜか先程の恐怖が重みを増してきて、ペダルを強く踏み込む。吹き付ける風も構わずに、立ち漕ぎで家を目指した。どくどく、と心臓の血液を送り出す音が耳元で鳴っている。吸い込んだ息が肺を刺した。
 
□  △  □

「ただいま……」
 
 玄関のドアを開けて、小さく呟く。ほっとひとつ息をついて、少し胸をなでおろす。きっと幻覚か。幻覚が見えているというのも相当に頭が疲れている気がするけれど。
 もう寝ているであろう、年の離れた妹を起こさぬように、静かに廊下を移動した。一旦自分の部屋へ行ってバックを置き、洗面所で手を洗う。
 明かりの着いたリビングに踏み込むと、母さんはまだ起きているようだった。ふわりと暖かな空気が身を包む。父さんは帰ってないんだろう。
 テーブルへ向かいながら、スマホをとりあえず起動してLINEを開いた。
 
「おかえり。カレー温めて食べてね」
 
 自分は寝室の方へ向かいながら、母さんがそう言った。
 
「あー、ありがと」
「じゃ母さんは寝るから、僚一も夜更かしあんましないで寝てね。電気消すの忘れないで」
「分かってるって」
 
 ちゃんと返事しなくては、と思うのだが、おざなりな返しになってしまう。かすかに苦笑した気配を漂わせ、母さんを見送る。
 リビングが静まりかえった。エアコンの駆動音がやけに耳につく。ふと、前に親にどう接するかの話題になった時のことを思い出した。友達もみんなこういう感じらしいから、僕は普通なのだろう。不意に、スマホが振動した。LINEの通知ではないかと検討をつけてみれば、やはりノスケから来たメッセージである。
 
『やっぱ絶対そうなんだよな』
 
 トーク画面に移動して、とりあえず返信を打ち込む。
 
『何が?』 
『今日の塾。課題、みんな出さないんだったら僕も明日でいいですって言ってたじゃん』
『いや、絶対気まずいし目立つ』
『そういうとこ、皆に合わせようとしてる感じする』 

 さっきのことを思い返してみる。僕だけしか課題をやっていない──提出日が今日じゃなかっただけ──で、それで僕は明日でいいと言ったのだ。塾の先生たちも大変だろうし、目立つし、皆出さないんだったら出さなくていいだろうと思う。
 カレーの鍋を火にかけて、白米をレンジに入れた。
 そのままノスケとLINE上で会話しつつ、なにか忘れているような気がしていた。レンジの動く音を聞きながら、心のメモ帳と記憶を漁る。ああ、そういえば、理科の勉強会をしようとしていなかったか。
 
『起きてる?』
『起きてるよ』
『明日勉強会しない? 理科』
『真面目くんじゃん、良いよ』
『二重の意味であざす』
 
 なんだかんだ言ってノスケも真面目だろ、と思うが返信には打ち込まず、代わりに『宏介にも言っとく』と続けて送信する。それに既読が付くのを確認して、視線を鍋の中のカレーへ向けた。
 ぴー、ぴー。静寂を唐突に破って、レンジが鳴る。びくりと一瞬肩がはねてしまった。いつになったらこれに慣れるんだろうなと思いながらも、白米をレンジから取り出す。熱っ、と小さく口から声がこぼれた。火を消して、鍋をコンロからおろす。
 ちらりとスマートフォンへ目をやれば、またメッセージが来ていた。勉強の途中だったら悪かったな、という申し訳なさが一瞬過ぎる。
 
『図書館?』
 
 まだ小学生の妹がいるうちは論外だし、宏介の家も弟がいると言っていたからきっと無理だ。ノスケが図書館を提案してきたということは、彼は図書館で勉強したいのだろう、と考える。
 
『それがいいと思う』
『りょうかい』
『10時でたのむ』
『早起きするわ』

 よろしく、とスタンプを送り付けてスプーンを握った。宏介にも連絡しておこうと思いながら、ちらりと時計へ目をやる。22時30分。まだ起きているはずだ。トーク画面を立ち上げて、明日勉強会をする旨を送信する。すぐさま了承の返信が返ってくるのを確認して、LINEを閉じた。
 リビングには、時計の針の音だけが響いていて。そう、時計。
 
「不思議の国のアリス……」
 
 Googleを立ち上げて、そう打ち込んだ。不思議の国のアリス。妹がよく読んでいる本だと覚えている。夢に出てきた時計を持ったウサギ、あれはあの話に出てくるのではなかったか。パンくずを食べていたけれど、不思議の国のアリスにそんな話はなかった気がする。
 パンくず。道標みちしるべ、という言葉が頭をよぎった。ああそうだ、ヘンゼルとグレーテルで道標として落としていくもの。
 だったらなぜ、アリスのウサギがパンくずを食べていたのか。僕が見つけられない、もしくは知らないだけで、不思議の国のアリスにはパンくずの話があるのか。
 
「まあ夢、だもんなあ……」
 
 そう呟いて、僕はスマートフォンの電源を落とした。

Re: 灰かぶりが靴を履くなら ( No.4 )
日時: 2021/03/07 10:30
名前: 心 ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

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 図書館で勉強するということが、効率がいいかなんて知るはずもない。
 
「待て、俺スタバもう一杯飲みたい。誰か買ってきてくれ」
「え、宏介が僕たちに奢ってくれるんじゃないの!?」
「は!? 主催者は僚一りょういちなんだからお前奢れよ」
 
 中学一年生の内容から理科復習しようぜ大会、略して理科復習大会は学校近くの図書館で開催されていた。スターバックス併設になっているので、僕らはそこのテーブルで勉強していたわけである。ちなみにTSUTAYAも併設されている図書館だ。学生が利用しないはずがなく、今日も今日とて混みあっていた。
 テーブルを使うのだからとりあえず一杯買うのは当然として、この男はどうやらもう一杯飲みたいらしかった。今日は昨日ほど寒くはなくて、割と暖かい。外のテラス席でも十分である。九月終わりの気温に相応しく、フラペチーノにするか紅茶のたぐいにするかというのは悩みどころだ。
 しかし、先程宏介はなんと言ったか。主催者が僕だから僕が奢れなどと言っただろうか。
 
「邪智暴虐やめてもらっていいですか」
「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」
 
 僕のメロス──これは若干の語弊があるけど──に対抗して、宏介はエーミールを返してきた。これは手強い、と感じながらも、頭のキャパシティは湿度の計算にぎ込まれている。つまり返す言葉が浮かばない。小数点の計算をミスしそうで怖かった。
 このままでは僕の負けである。
 
「君らうるさいんですけど!? ビークワイエット!」
 
 窮状を救ったのは、ノスケの一言である。見事なまでのカタカナ英語でそう告げた彼は、シャーペンの先端を僕らの方へ向ける。それを聞いた僕と宏介は顔を見合わせ、ノスケの方をもう一度見た。
 謝るより先に解決しなくてはならないことがある。
 
「これはノスケの負けだわ……ノスケ買ってきて」
 
 宏介が、とてつもなく重大なことを告げる口調でそう言った。突拍子もなくお前が負けだと言われれば、誰だって動揺するだろう。
 
「なんの勝負してたの!?」
 
 ノスケだって例外ではなく、目を若干見開きながらそう叫ぶ。
 
「どれくらい勉強ネタ使えるかな選手権」
「は!? だからメロスとエーミール?」
「そう」

 18%、と解答欄に書き込みながらもちらりと様子を伺えば、かなりノスケが可哀想な感じになっている。なにも僕はノスケを嵌めたくて選手権をやっていたつもりはない。僕らが騒ぎ合う中で一番真面目だったノスケが割を食うのはやはり良くないと思って、バッグから財布を取り出した。
 
「ノスケが可哀想だから僕行ってくる、ついでに妹用の本借りてきたいし」
「いいお兄ちゃんだ……」

 しみじみと呟きながら頷くノスケを見て、どこかしらおじいちゃんのような感じを覚える。ノスケっておじいちゃんじゃね、ということばは胸の内に留めつつ、僕は財布を持って立ち上がった。と、そこでふと違和感。なぜ僕が財布を持っているのだ。
 
「僕の奢りなのおかしくない? 宏介が払うんじゃないの?」
「気付いちゃったか……」
 
 なんだかんだで宏介も悪いヤツじゃない。そう言えばちゃんと分かってくれるヤツである。ぽん、と差し出された五百円玉を確かに受け取ると、ぐっと親指を立てられた。なんの幸運を祈られたのだと思いながらも、ちらりとノスケを見遣れば、すまないとでも言いたいのか手を合わせられる。
 こちらも特に意味はないものの、親指を立てて小さく挨拶。

「じゃ」
 
 そのまま立ち上がって店内に入り、最初に絵本がある場所を目指す。
 階段を二階分ほど上がっていると、段々とスターバックスから聞こえてくる話し声がフェードアウトしていくのだ。この、少しづつ静寂に包まれていくような感覚が僕はとても好きだった。まるで、別世界に迷い込んだみたいな。
 いつの間にか足元の床の柄は変わっていた。童話を思わせるパンくず柄、飛び石のようになったキノコ柄。小さな子供が楽しめるようにとの配慮だろうか。向こうの方まで見透かせば、様々な模様があるのが見えた。通路の両脇に本棚があって、たくさんの絵本が並んでいる。
 子供本の場所に来た証であった。
 
──ッ」
 
 不意に、頭の奥が痛むような感覚。青いドレスをそこに幻視する。が、次の瞬間には何も見えなかった。白昼夢を見たのか。分からない。視界がぐるぐるした気もしたし、何も起きなかった気もした。
 ここがどこか不安になってしまって、左手の方の本棚に目を転じる。『不思議の国のアリス』、『ヘンゼルとグレーテル』、『ブレーメンの音楽隊』。子供向けの童話が並んでいた。
 そうしてきっとさっきの感覚は気のせいだと言い聞かせようとするが、どうしても不安が心の内に巣食う。
 
「……どうして? なんで……」
 
 小さな声が聞こえた。幼稚園生や小学校低学年特有の高い声ではない。むしろアルトとでも言うべき、それなりに低い声。でも女性であることは確かに分かる。縦に長い通路の、向こうの方だ。顔を上げて、失礼にならない程度にちらりとそちらを伺う。
 さら、と金髪が落ちるのが見えた。手には青い表紙の本か。何よりも目を引いたのは、彼女の服装だった。青いドレス。白い肌。あの時の人だ、と思う。自転車の時の。
 その中で異形のように佇むのは、黒いブーツだった。光を吸い込む漆黒が、肌とドレスに相反している。
 本来僕は、そこで違和感を覚えるべきなのかもしれなかった。しかし、彼女の姿はどこまでも現実味が薄くて、それでいてそこにあるのが当然と思うこともできる気がした。果てしなく矛盾した感情が渦巻いて行き着いた先で、僕は呟いた。
 シンデレラじゃない、って。
 
「あ……!」
 
 不意に彼女の手に力が籠ったのがわかる。本のページがぐしゃり、となる音が本当に微かにだけれど聞こえたからだ。ページを破り捨てようとしているのか? だったら止めなくては。そう思うと同時に、ふと一つ思う。
 何故止める必要があるのか。そんなことしたら自分が目立つだけだ。
 一瞬そこで躊躇ってしまって、次瞬きしたときにはもう彼女は見えなかった。鳥肌が立つ。僕のイメージとして記憶されているのは、青と白と金と黒。それ以外には何も思い出せず、何を彼女が言っていたのかも覚えていなかった。
 
「気の所為であってくれよ……」
 
 小さく祈るように呟きながら、妹用の本を探す。最初に目に付いた『シンデレラ』と『ブレーメンの音楽隊』を手に取って、貸し出しカウンターに向かった。
 宏介に頼まれたものも忘れずに買って、ノスケたちのところへ戻る。
 
 ────その後は、僕は安穏と一日を終えた。特に幻覚を見ることもない。だけど、頭の中に黒いシンデレラというイメージは焼き付いたままだった。