複雑・ファジー小説

Re: 自由と命令 ( No.1 )
日時: 2022/11/04 23:56
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)
参照: http://www.kakiko.cc改済

『あてんしょん!
 目次は>>17にあります!』


序章 夕焼ケハ橙ニ染マリテ
 金茶色

 この世界に神は実在する。それは幻想でも救済でも何でもなく、実体を持つ者として存在する。ならば、人を遥かに超える力を持つ者を恐れ、敬うのは道理であろう。
 だからこそ古くからの歴史を持つ秋津国には、無数の神社仏閣が存在する。
 その中で、一番大きく歴史も古い神社───それが、この命風神社である。

 夕焼けよりもはるかに濃い赤の鳥居をくぐった、橙に染まる境内のさらに奥。鬱蒼とした林の中に、何故かぱらりと紙をめくる音が響く。
 その音の発生源であろう場所には、巫女服を纏った緑髪の少女が地べたに直接腰を下ろして本を読んでいた。目が文字列を追いかけ、紙の上を行き来している。
 その少女は誰かが来ないかを気にしているかのように時々辺りを見回し、誰も来ないのを確認してもう一度読書を始める、を先ほどから繰り返していた。
 不意に、がさりと木の葉を踏み締める音がした。その音にびくりと少女の肩に震えが走る。ばっと顔を上げた少女は木の後ろへ隠れ、気配を隠すように息を詰めた。


「あれ? 華鈴さん? おかしいな、さっきまで此処に居たような気がしたんだけど……」

 木々の間からぴょこんと短い黒髪が覗き、少年の声がした。
 息を詰めて隠れていた少女は、その声を聞いて肩の力を抜き、ひとまとめにされた髪を揺らして顔を出した。

「蓮なら先に言ってね、心拍数を無駄に使うから!」
「それはごめんなさいですね。それより華鈴さん、貴女大丈夫なんですか? 仮にも権禰宜でしょう? 後で神主様に怒られても知りませんよ?」
「仮にも、とは何かな。私はれっきとした権禰宜ごんねぎだ!」

 蓮と呼ばれた黒髪の少年が心配げに、半ば怒ったような口調でそう言う。

「その権禰宜さんがこんなとこでお勤めサボってどうするんですか……」

 すると先程むっとした顔で言い返した華鈴、と言うらしいその少女は、蓮の目の前に来ると笑って答えた。

「問題無いさ! 見つからなければ良いんだから!」

 既に幾回も怒られているとは思えぬような明朗快活な声に、蓮が溜息をつき、肩が落ちる。振り仰いだ空は、今はもう、青い空ではなく薄っすらと白い雲がたなびく夕焼け空。

 同じように空を見上げた華鈴が、その黒い瞳を金茶色に染めながらポツリと呟いた。

「ねぇ蓮。私──赤蜻蛉、見てみたい」

 赤蜻蛉。それは、この国で最も希少で神聖な生き物である。『秋津原』という場所が赤蜻蛉の住処であるとされており、秋津原も見つかっているが、そこで赤蜻蛉を見た者はまだいない。

「華鈴さんは……どうして赤蜻蛉を見てみたいんですか……?」

 華鈴は先程からずっと夕焼けを見つめている。蓮は何故だか、華鈴が水みたいに夕焼けの色に染まってそのまま、融けてしまうような気がしたのだ。ざわ、と心の奥底が波立つ。連れて行かれてしまう、という言葉がふと頭をよぎった。誰がいる訳でもないのに。
 よくわからない焦燥に駆られ、華奢な肩を蓮が掴み、叫ぶ。

「華鈴さんッ!」

 必死な声が届いたのか、それとも先程のあれは蓮の勘違いだったのか。ふっと華鈴は何事もなかったかのように笑った。

「ごめん、大丈夫だ。……空が、綺麗だなと思ってね。月はまだ出ていないけれど。……ああ、さっきの質問ね。私は赤蜻蛉、って言うより、自由に……ううん、何でも無いや」
 
 風が吹き抜け、ざわざわと林の木々を揺らす。
 風なんて掴めやしないのに、そのまま風に乗って世界中を巡ってみたい、なんて華鈴は思う。誰よりも自由を望む少女は、きっと誰よりも自由ではないのかも知れない。
 

Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.2 )
日時: 2021/01/24 22:40
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

第一章 目ノ痛クナル程青キ空
 第一話 群青色

「あら、お姉様ではありませんか? また何処かで油を売ってらしたの? まぁ、お姉様は座学がお嫌いでしたものね?」

 蓮と別れ自宅へ帰宅した華鈴が廊下を歩いていると、溌剌とした声を掛けた者がいた。振り返って見れば彼女の勝気な黒い瞳は細められ、口元は弧を描いている。
 それを見た華鈴は、彼女の挑発を鼻で笑い飛ばしながら清冽な声音で言い返した。

「こんばんは華恋かれん。ああ、先程の言葉だけどね。君の方こそこんなところで油を売っていると言えるんじゃないのかい? 本当に勝ってるつもりなら、こんな挑発めいたことしないだろ?」
「なっ……もう良いです、私はまだ教わることがありますから。───お父様たちに見切られてる貴女と違ってね」

 華恋がくるりと背を向ける動きと連動して、長い緑髪の先端が宙に弧を描く。ふん、とでも言いそうな雰囲気を纏った彼女が廊下の向こうへ歩いて行ったのを見届け、華鈴は肩の力を抜いた。

 整頓された自室で大の字になって───もう私服だ───ゴロゴロと転がりつつ、華鈴は先程の華恋の態度について考えていた。
 華恋は本当は気が弱い。なのに執拗に私を蹴落とそうとしているのはきっと、あの伝説が絡んでいるためだろう、と思う。
 ───かつてより命風神社は宮司候補を二人立てるしきたりがある。何故かは分からない。宮司は引退する際に次の宮司を指名して引退する。そして選ばれなかった片方は───消えるのだ。何故か消えている。人々の記憶には残っているのに、存在しなくなる。ただの伝説と言うには今まで居なくなって来た者があまりにも多かった。
 私が宮司に執着しないのを、きっと華恋も華恋なりに心配しているのだ、と気付いたのは何時だったか。自分が消えてしまうかもしれない恐怖と、姉に消えて欲しく無いと言う思いで板挟みになってるのだろうというのは都合のいい思い込みか。そしてあんな挑発するような態度を取って執着させようとしているのだろうか。
 ───そんなことはしないと言うのに。

 華鈴がそんな事を考えている合間に、夕焼けはいつの間にか群青色に沈んでいた。

Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.3 )
日時: 2021/01/24 22:48
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

第二話 留紺色

 蓮は華鈴と分かれてから、神社に参拝してから帰り道を歩いていた。

 命風神社はこの街の東の奥にある。参道とでも言うのだろうか、神社の前から伸びる道には人通りが多い。買い物をしているらしき女たち、仕事の帰りに一杯飲んで行きそうな男たち。
 ちょうど日が沈む時間帯なのもあって、向こうの空から射した強烈な西日が蓮の目を焼く。

「うわ、眩しい……」

 目を思い切りすがめながら、蓮は小走りで魚屋の隣の道へ駆け込んだ。魚屋はどうやら今日も盛況のようで、夕飯の支度に来たらしき女たちが蓮へ口々に喋りかける。

「あら、蓮くんじゃない!」
「ちょっとおかず作り過ぎちゃったんだけどいるかしら?」
「お魚一尾わけてあげましょうか?」

 次々と話し掛けて来る女たちに若干身を引きつつ、蓮は丁寧に答えた。

「あ、どうもこんにちは……え、良いんですか。あ、ありがとうございます、楓樹おじさんも喜ぶと思います……良いですよ、貴女方の家も家族さんたくさんいるでしょ?」

 蓮が一気に答えて一息継ぐ間も無く、今度は腰に小さな子供達が群がって来る。

「蓮にぃ、俺この間ね……」
「蓮! 俺としょうぶしろー!」

 実を言うなら、小さな子供特有の舌の回らなさと声の高さが蓮はあまり好きではない。しかしお母さん方がいる手前、良いように追っ払うわけにもいかない。そう思ったのか、蓮は真面目に対応しようとして息を吸う。

「もう、この子達ったら……蓮くん、ごめんなさいね。それじゃ、私はこれで。おかずはなるべく早く食べてね!」

 だがどうやら蓮が気を回す必要はなかった様で、先程の子供達を引っ張って若い母親が帰っていく。

「あ、ありがとうございます……僕もこれでお暇します」

 ぺこりと魚屋の店主と女たちに向けて一礼した蓮は、片手に荷物をぶら下げて再び家へ歩き出した。


 割と古風な一軒家の戸をガラガラと横へ開け、蓮は三和土たたきを見る。革靴が一足、自分のサンダルが一足。

「楓樹おじさん! ただいま!」

 廊下の先にある部屋からだろうか、楓樹と呼ばれた男の声が返ってくる。

「お帰り、蓮! 夕飯、ちょっと待っててくれ!」
「はーい!」

 そう返事をしつつ、階段を上がり手を洗う。キッチンの前のテーブルに先程貰ったおかずを置いて、リビングのソファの上へ寝転がった。ぼんやりと窓の外から見える景色を眺めている内に、陽は沈んでいく。一片の残光すら消えようとした時、ぎしぎしと階段を登る音がした。

「おーい、夕飯にするぞ!」

 そこに現れた男が、蓮の叔父たる風間楓樹かざまふうきである。

□  △  □

 かちゃりと音を立てて箸を置き、楓樹が唐突に顔をあげる。いきなりの動きにきょとんとする蓮の目を見て、彼は口を開いた。

「そういえば、さ。今日、咲織さおり姉さんの命日、だよな。」
「……あ……そうだね。今日だ。お墓は行ってないけど、命風でお参りはして来たよ」

 蓮がふっと俯きそう答えると、楓樹は謝意を滲ませながら目を伏せる。

「悪いな、毎年お前に行かせて。……潤義兄さんは?」
「音沙汰なし。……大方もう母さんの事なんて忘れてるでしょ」
 
 井上咲織、旧姓風間。蓮の母であり、楓樹の姉である。
 蓮を産んだあと、病を患いそのまま亡くなったのが五年前。蓮が五歳の時の事だ。父親だった井上潤は咲織が亡くなった後、蓮を置いて失踪した。
 ───遊び人でもあったから、誰か別の女を見つけたのだろう、と言うのが楓樹の考えである。
 その後ひとりになってしまった蓮を引き取ったのが楓樹である。まだ独身で、この家で一人暮らしをしていた。

「その、本当に……ありがとう、楓樹叔父さん」
「家族なんだから当たり前だろ」

 楓樹がそう言って快活に笑うと、蓮もうっすらと笑う。しばらくそこは静寂で満たされていた。

Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.4 )
日時: 2021/01/24 22:50
名前: 心 ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

第三話 縹色

「そういえば、さ。……華鈴さんが、赤蜻蛉見てみたい、って言ってたんだけど」

 夕飯を食べ終わった後、のんびりとした会話の中で、蓮が唐突にそう切り出す。
 それを受けて、楓樹はかなり驚いたように目を見開いた。なにか考え込むように彼はずっと黙りこんでいたが、意を決したのか顔を上げると口を開いた。

「……よし! 今度俺が休暇が取れたら、秋津原に行くか!」

 楓樹がさも楽しそうにそう言うと、蓮は驚きに目を見開いた。

「良いの? 大丈夫なの叔父さん?」

 それもそのはず、楓樹はいつも仕事に追われていて、しっかり休みを取れるのは一年で夏に一週間と冬に一週間程度なのだ。それを知っている蓮からすれば、当然の疑問と言えた。

「休暇さえ取れれば問題ないよ! あー、でも……華鈴ちゃんは大丈夫か?」

 蓮の顔が曇ったのを見て、楓樹がやっぱりか、という顔をする。神社の権禰宜がふらふらと遊びに行っていいわけないのだ。今、蓮と話せていること自体がもはや例外なのに、旅をしに行こうとはどうなのか。
 頬杖をついて楓樹は取り敢えず、と笑って言った。

「先ずは華鈴ちゃんに話してこいよ。明日とかでも良いだろ?」

 ばっと顔を上げた蓮は、うんうん、と激しく首肯した。


 夜から雨が降り出した。夏特有の、滝の様な大粒の雨。

 そして次の日の朝には、雲一つない縹色の空が一面に広がっていた。
 雨上がりの後の特徴的な、何だか切なくなる様な匂いで満たされている家の前を、蓮は箒で掃いていた。どうやら夜の雨は風も酷かったらしく、沢山の葉が飛ばされている。
 昨日楓樹から言われたことを思い出した蓮は、ほんの少しだけ心臓が高鳴っていた。

Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.5 )
日時: 2021/01/24 23:07
名前: 心 ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

第四話 天色

 昼食を食べ終えた蓮は、昨日と同じ道を通って命風神社の方へ向かっていた。ただし手には掃除道具であろう柄杓やら桶やらが握られている。
 蓮が向かったさきは命風神社の少し手前の墓地だった。だだっ広い墓地の中で、蓮は母親の墓石を探す。ほかに人がいない墓地で掃除をすると言うのは、ある種の性格の者ならばとても苦行であろうが、蓮にとって一人というのは珍しいことでは無いのだ。

「一日遅れちゃってごめんね、母さん」

 そう言ってから蓮は、墓石の掃除を始めた。太陽が高く昇るにつれて気温は上がりつづけ、朝の心地よい気温はじっとり汗ばむような暑さへ変わっていく。

「一番暑い時間帯に来ちゃったかな」

 蓮はそう呟きながら空を見上げた。突き抜ける青い空に、刷毛ではいたようなと言う表現が確かに当てはまる雲が浮かんでいる。
 一通り墓石の掃除が終わり、蓮は一息つくと手を合わせた。

「母さん。僕ね、華鈴さんと仲良くなったの。後ね……楓樹叔父さんにちゃんとお礼も言ってるよ」
 
 鼻の奥がつんとし、視界がぼやけたような気がした。何年経ったと思っている、と心の中で呟く。未だ慣れなかった。ふわ、と風が吹いた。否、それは風というほど確かなものではなくて、僅かな空気のゆらぎとでも呼べるもの。
 音もなく蓮の隣に膝を突いた少女は、そっと手を合わせてから目を閉じる。数秒間そうしてから、彼女は目を開けた。

「大丈夫か」
「華鈴さん……また抜け出して来たんですか?」

 緑の長髪を認め、蓮が墓から目を離さぬままそう言う。華鈴はそれにどこか不貞腐れたような顔で答えた。

「良いじゃないか、やることはやって来たし」
「……様になってましたね」

 先程の華鈴の手を合わせていた姿を思い出して蓮は呟く。

「君、私と意図的に話合わせてないな」
「そうですか」

 貴女と話すと泣いてしまいそうなので、と言う言葉は胸に秘めたまま、蓮は俯く。しばらく黙り込んでいた二人の静寂を破ったのは、案の定華鈴だ。気遣わしげに蓮を見て、数回口を開閉させてから尚も躊躇いがちに言う。

「私は。14年しか生きてないけど、でも……君みたいな人はたくさん見て来たよ。でね……亡くなって……楽になったでしょう、って言った遺族さんがいたんだ。……君の家の事情はあまりよく知らないけど。病で苦しんでたんだったら、きっと……そっちの方が楽、って事もあると思う」

 華鈴の長くて真剣で───悲しみを纏った言葉。今度は本当に心の中の堤防が決壊した蓮の瞳から、涙が舞い落ちる。

「なんで。そんなこと、言うんですか……カッコ悪いから、泣きたくなかったのに……」

 華鈴への恨み節を炸裂させる蓮の背中を、ポンと華鈴は叩いて微笑んだ。

「無理するな」

 照りつける太陽が、墓地の地面に降った涙を乾かして行く。空からはいつの間にか雲が消え。澄んだ天色が蓮と華鈴を包んでいた。

Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.6 )
日時: 2021/01/24 23:12
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

第二章 赤ニ映リシ世界ハ

第一話 紅緋色

 それから日は経って。ほんの少し、日が沈むのが早くなって来た頃のこと。楓樹はガラリと家の戸を開け、妙に弾んだ声音で叫んだ。

「蓮! 休みが取れたから出掛けよう!」

 聞こえたその言葉に、蓮ががっと顔を上げる。いつになく激しく足音を立てて、階段を駆け下りた。楓樹を玄関に認めると、目を輝かせながら問い掛ける。

「ほんと!? どこ行く!?」
「どこでも良いぞ! 一週間で帰って来られるところならな!」

 蓮の顔に満面の笑みが浮かぶ。それを見た楓樹も嬉しそうな顔をした。

「叔父さん、じゃあ、秋津原に……!」
「おう! そんなに遠くないだろ」

 それを聞いて蓮は頷いた。華鈴にも言わなくては、と思うと心が弾む。さらに蓮の笑みは深まるのだった。

□  △  □

 一方その頃、華鈴は───

「お前に権禰宜としての自覚は有るのか!」
 
 暗くなりつつある部屋に、男性の声が響く。華鈴は父から怒られていたのだ。
 先程から俯きっ放しの華鈴の身体は、小刻みに震えている。それは泣くのを堪えている様でもあり、怒りを抑えている様でもある。
 延々と説教は続いていた。その間華鈴はずっと俯いて震えていたが、男はそれを泣くのを堪えていると捉えたのだろう。不意に優し気な顔をすると、ポンと華鈴の頭に手を置いて慰める様な声を出す。

「華鈴……お前だって今からまた頑張れば、宮司に────」

 宮司に、と言う言葉を聞いた瞬間、華鈴は顔をはねあげた。それは期待に満ちるものではなく、怒りが爆発したもの。

「ふざけるな! 最初から期待もしないで……私は詰まるところ華恋の為の砥石に過ぎないのだろう!?」

 その言葉に、男の目がスッと細められる。立ち上がった華鈴は、男の目を見下ろした。殺意すら宿りかねない瞳が、きつく彼を睨む。

「華鈴。お前は、結局何がしたいんだ?」

 その言葉は、まるで紙に水が染みるように華鈴の心に響き渡る。唐突に、ふと彼女は口角をはね上げた。

「何が……何を、したい……笑ってしまうな……親なのに、そんな事も分からないのか! 私は、自由が欲しいんだよ! 宮司も権禰宜も命も、何も要らない! 自由になりたい、挙句の果てに死んでも構わない!」

 激昂した華鈴の言葉に、男は笑った。

「自由になりたい、か。華鈴と華恋、お前たちのどちらかはいずれ消えるのだ……それが、お前になる。それでも良いのか?」
「ああ構わない、さっき命も要らないと言っただろう!」

 仮にも娘であるはずの彼女に向けて、男は言い放つ。それは消えろ、と言っているのと等しいのに。何の情も浮かばぬ顔で、平然と。

「ならば秋津原に行くと良い。ただし家は……勘当だ。そこでお前は『自由』になれる」

 それを聞いてから華鈴は言葉を発さなかった。くるりと背を向けて部屋の扉を開けると、廊下を歩き出す。否応無しに見える紅緋色の袴は、彼女を此処に縛り付ける枷だった。権禰宜と言う、自由が無いそれに。姉妹での争いに。
 だけれど、それももう終わりだ。私が消えて、華恋が宮司になる。そして私は、この枷を脱せる。そう思うと、消える恐怖よりも嬉しさが勝る。秋津原に行け、か。勘当されたのだ、そう思った時、一番に思い浮かんだのは蓮の家だった。 私は憧れていたのかも知れない、と華鈴は思う。
 世間一般では男の顔がいきなり浮かんで来たのだからそれは恋をしていると呼んだりしなくもないのだが、華鈴は分かって居ない。
 蓮の家に、行ってみようかな。そう思った華鈴は、自室へ戻ると巫女服を脱ぎ捨てた。
 着替えて、最低限の持ち物を持つ。
 自由への期待に胸を高鳴らせながら、一切の未練なく華鈴は家を出ると、夕方の街を歩き出した。

Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.7 )
日時: 2021/01/24 23:16
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

第二話 茜色

「ごめんくださーい」

 蓮の家の前に辿り着いた華鈴は、軽やかにインターホンを押してそう言う。
 
『……華鈴ちゃん?』

 華鈴の予想に反して、スピーカーからこぼれ出たのは若い男の声だった。この声は楓樹さんだな、と当たりをつけた華鈴はインターホンに向かって返事をする。

「はい、そうです。少し用があって来たのですが……」

 数瞬の時間差、足音がスピーカー越しに響いた。それは雑音としてしか聞こえないが、華鈴にはその足音の主が分かり切っている。

『華鈴さん!? 何やってんですか、ともかく……入ってください!』

 そんな声がした後、ガチャリと鍵を開ける音が目の前の引き戸から響く。引き開けられた戸の向こうで蓮が呆れた様な、はたまた悟った様な顔をして華鈴を見ていた。

「……えと、こんばんは?」
「こんばんは、じゃ無いですよ。貴女何やってんですか、また抜け出して来たんですか?」

 その言葉に華鈴は首を振り、笑って自慢気に答えた。

「抜け出して来たんじゃ無い。飛び出して来た、と言うか……追い出されて来た?」

 蓮の表情が呆れたを通り越して徐々に怒っている様な表情になるのをみて、華鈴はひょいと肩をすくめた。その動きにあわせてさらりと髪が揺れる。ほんの少しの静寂に華鈴が何故かいたたまれなくなり、言い訳しようと口を開きかけた時、蓮の後ろから声がかかった。

「取り敢えず、上がって座ってよ華鈴ちゃん。蓮、お茶淹れて?」
「叔父さん……分かったって」
「あ、どうも……お邪魔します!」

 靴を脱いで華鈴は蓮の家に上がる。蓮の家に上げてもらうのは何気にまだ二回目ぐらいなのか、と思いながら蓮の背中を追って階段を登った。
 
「華鈴ちゃん、取り敢えずそこの椅子座って」

 楓樹が指差した椅子に腰掛け、華鈴は軽く会釈した。ことり、と音を立てて目の前に置かれた茶から立ち昇る湯気に目を細める。ありがと、と小さく礼を呟けば、どういたしまして、と静かに言葉が返ってきた。
 蓮がすとん、と華鈴の目の前の椅子──楓樹は向こうのソファだ──に座る。真っ直ぐに華鈴を見つめて蓮は口を開いた。

「今更何をしたかは聞きませんが。なんでこんなことしてるんですか?」
「だってさ。父様が酷いんだ、私の気持ちなんて分かりもしないで。だから出て来た。ついでに言うと、勘当されたからもう帰れない」

 口を尖らせて華鈴が言い訳を呟いた。それを茶を飲みながら聞いていた蓮は、勢い良くむせると華鈴に問いかけた。

「なんですって? 勘当された? アホですか貴女は」
「華鈴ちゃん……」

 二人からの視線の集中砲火を受けて華鈴が僅かにたじろぐ。

「……でね、私は秋津原に行かないといけないんだけど。」

 無理矢理話題を変えた華鈴に蓮が一層冷ややかな視線を浴びせる。一方楓樹は、秋津原と言う言葉に首を傾げていた。

「華鈴さん、貴女ね……」

 お説教状態に移行しかけている蓮の口調に華鈴が首を竦めていると、楓樹が横から割って入る。

「いいじゃ無いか、ちょうど良い。俺たちも秋津原に行こうって言う話してたんだ、華鈴ちゃんも一緒にどうだい?」
「良いんですか?」
「ちょっと叔父さん!?」

 華鈴が身を乗り出して叫び、それを止めるかの様に蓮が叫ぶ。まあまあ、と2人を宥めつつ、楓樹は笑った。

「いいじゃない、別に。蓮もどちらにせよ華鈴ちゃん誘ってみるつもりだったのだろ?」
「まあ、そうだけど……」
「大丈夫です! 絶対、何があろうと迷惑はかけませんから!」

 渋々蓮が頷くと、華鈴は力強く頷きながらそう言った。それを見た楓樹はにこりと笑いながらカレンダーを開き、それを見ながら言った。

「明日から行けるからな……明日からで良いかい?」
「はい! 私は大丈夫です!」
「はー……分かった、僕も行くよ!」

 蓮が肩を落としながら、それでもどこか嬉し気にそう言った。華鈴も満面の笑みを浮かべて同意し、楓樹はニッコリと笑う。
 蓮の黒の瞳が窓から射し込む光を映して茜色に染まる。窓の外の空は、果てしなく広い。

Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜【修正済】 ( No.8 )
日時: 2021/01/24 23:21
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

第三話 銀朱色ぎんしゅいろ

 がたがたと体が揺れる。窓が全開になっているせいで風が吹き込んで、前髪を激しく揺らした。それをどこか鬱陶しく感じながらも、心は軽い。昨日蓮の家に転がり込んでから、今朝もう秋津原の近くまで行けるらしい『列車』なるものに乗っている。
 それを思い返す度、自分は消えてしまうのだ、と淡く思った。何を今更、と心の中でもう一人の自分が嘲笑しているのにも気づいていたが。それでも、窓の外を眺めながら決意を固める。
 ───責任はとる。迷惑は掛けない。最後は、力で。

「わ……華鈴さん、外見て下さい!」

 不意に華鈴の目の前に座る蓮が外を指差した。目をキラキラと輝かせ、楽し気に笑っている。何を見つけたんだ、と思いながら蓮の指差す方向へ視線を滑らせた。
 
「……山が赤い?」

 華鈴は本気で首を傾げた。
 その理由を本気でかいしていない華鈴を見かねたのか、右斜め前に座る楓樹は微笑んで口を開く。

「華鈴ちゃんは紅葉、って知ってる?」
「こう、よう……何ですか、それ?」
「紅葉、って言うのはもみじ、って書くんだけど。葉っぱが、秋になるとじわじわ赤くなったり黄色くなったりする事を言うんだよ。あの山はきっと、葉が全部、紅葉したんだろうね」

 ニコリと笑った楓樹は、楽しそうに解説を始めた。それを聞いた華鈴が更なる疑問に首をまた傾げる。

「命風の木は、あんなことになってませんでしたけど……。」
「それはきっと、その木が常緑樹っていう種類だからさ」
「じょうりょくじゅ?」
「うん。常に緑の樹、って書いて常緑樹。その種類の木は紅葉しないんだ。詳しいことは知らないけど」

 華鈴と楓樹の会話を黙って聞いていた蓮が今度は首を傾げた。

「もうこの辺は秋なのかな? あっちはまだ夏の終わり、って感じだったけど……」
「それは多分、ここが秋津原に近いからだな。秋津原に近ければ近い程秋の訪れが早い、ってこの辺に住んでる知り合いが言ってた」

 楓樹が昔の事を思い出しながらそう言う。

「すごいね、全然知らなかったや」
「そんなことがあるんですね……」
「俺、昔は放蕩息子って呼ばれてたからな。色んな所に行ってたんだ。ま、今はさすがにちゃんと働いてるけどね」

 ひょいと首を竦めながら楓樹は笑って言った。
 世界は広い、なんて華鈴は思う。命風に居たら欠片も見えなかったものが見えているのだから。舞い飛ばされ、窓から滑り込んで来た銀朱色の葉が、ふわりと華鈴の膝に舞い落ちる。
 本当に赤くなっているその葉を見つめて、華鈴は微笑んだ。

Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.9 )
日時: 2021/01/24 23:40
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

第三章 再ビ、夕暮レノ元ニテ
 金茶色

 その後も列車に乗った華鈴たちは、色々な話に花を咲かせていた。
 駅で降りて三人は秋津原に向けて歩き出す。楽し気な楓樹と蓮を裏腹に、華鈴は微かに沈鬱を滲ませていた。それは本当に微かで、蓮と楓樹は全く気付いていなかったが。

「秋津原までは徒歩で行けるの?」

 ほとんど人のいない構内を抜けながら、蓮は楓樹にそう尋ねる。その問いに華鈴も顔を上げて楓樹を見あげた。問われた楓樹は、にっと笑って答えた。

「そうだ。ま、そんなに遠くない」
「そうなの?」
「そうなのですか?」

 楓樹は頷いて肯定すると、くるりと辺りを見渡した。

「人が余りいないね。まあこんな国境近くになれば当然か……」
「国境近く? 秋津原が、ってこと?」
「天津川が国境でしたっけ?」

 また先程と同じ順番で喋った二人に仲良しか、と思いながら楓樹は答えた。

「そうだ。タリスク国との国境は天津川。秋津原の中を流れているらしいぞ、天津川は」

 へぇ、と感心した顔で頷く二人を見て微笑みながら、楓樹は顔を上げた。仄暗かった駅の構内が終わり、いつの間にか外へ出ていたのだ。

「わ、眩しい……」
「ん……」

 またしても同じ順番で呟く二人を見て、楓樹は再び仲良しだな、と確信する。既に空は日が傾きかけていて、それはどこまでも澄んだ光だった。

□  △  □

 それからしばらく、森を抜け川を渡り──蓮が何気無く華鈴の手を引いていたのはさておき──歩いた先に一本の獣道が伸びていた。

「この先だ」
「うん……」
「そうですね……」

 道を抜けて吹き抜けてくる風が優しく華鈴の頬を撫でる。不意に、脳内に響く声がひとつ。

『命謳う風の巫女……我らの、元に……』

 ぞわり、と鳥肌が立った。女とも男ともつかない、中性というよりは性別が抜け落ちたかのような。機械が喋ったらきっとこんな声をしているだろうと思わせる、無機質な声。不審がられぬよう、そっと辺りを見渡しても、当然のように蓮と楓樹しかいない。だが確かに、見られていると思う。
 身体が引かれるように、そこへ向かいはじめていた。神に操られているかのように、華鈴は歩き出す。

「あ、華鈴さん!」
「気が早いなあ、華鈴ちゃん」

 さくさくと足元の草を踏んで自分を追いかけてくる二人を気にも留めずに。彼女はもう、走り出していた。
 
 半ば息を切らしながら、ようやく踏み込んだ秋津原は、もう既に夕空だった。 
 目を刺す光の鮮烈さに、華鈴はふとため息をついた。チカラが己自身に使えれば良いものを、と何度願ったか。そうすれば楽になれた。楽なまま、後悔など微塵もなく行けたのに。
 それは結局、叶わない夢。

 慌てて後から追いかけてきた蓮と楓樹が目にしたのは、あまりにも美しい光景だった。
 夕焼けに飛ぶのは赤蜻蛉。
 靡く緑髪が、夕陽を吸って煌めく。彼女を歓迎するかのように、祝福するかのように、その翅に夕暮れの光を透かして飛んでいた。

「すごい……本当に、赤蜻蛉が飛んでる……」
「何でだ……?」

 そして華鈴に目を移した蓮は唐突に、かつての感覚を思い出した。あの時、神社の境内で。夕焼けを見ていた華鈴が。そのまま消えてしまいそうに見えたこと。
 蓮の中に、あの時の焦燥が再び戻る。

「華鈴さんッ!」
「蓮!? どうした!」

 楓樹を無視して、駆け寄りながら蓮が叫ぶ。
 その言葉は、華鈴の意識の表層を撫でただけ。だが確かに、ぼんやりとした意識の中で、華鈴は蓮の声を捉えた。そして思う。自分は本当に消えるのか。命風の伝説は伝説なんかじゃなくて、本当にあったことなんだ、と。

「華鈴さんッ! こっち、こっち見てください、華鈴さんッ!」

 かつての何倍もの焦燥が喉を灼く。蓮は手を伸ばし、華鈴の肩を掴もうとする。だがその手は通り抜けてしまう。まるで、彼女がもうここにいないかのように。別のところも。手も、指先も、髪も首も、全て。まるで流れ落ちる滝に手を通したみたいに、突き抜ける感触はあるのに掴めない。
 いっそう強く風が吹き、赤蜻蛉が飛び回る。
 
「え……?」

 蓮は目を見開き、手をさらに伸ばす。無駄に空気だけを握った手に、本当に微かに重みが乗ったような気がした。それを決して逃がすまいと、無意識のうちに少年は問う。

「華鈴さん…? 何で……? いなく、なるの……?」
「蓮、楓樹さん……ありがと。好きだよ、蓮」

 蓮の手を握って、静かに微笑んだ華鈴の声が響いた。そして華鈴は、真っ直ぐに右手を蓮と楓樹へ向けた。
 ───華鈴の力は、『記憶の書き換え』である。まだ一度も使ったことのないそれを、華鈴は発動した。蓮と楓樹、二人分の記憶を遡り。清和華鈴と言う人間は、存在しない、関わったことなどないと書き換えていく。
 この後に、少しでも違和感がなくなるように。なるべく深く広く。と
 力を使いながら華鈴は尚も微笑んで、蓮の目を見つめた。今にも泣きそうに潤んだ彼の目は、とても純粋な黒だった。金茶色を背景にした自分が、そこに写っている。
 己が泣いていることを、そこに自覚した。格好悪い。
 そう思ったのを最後に、華鈴の意識は完全に閉ざされた。
 

 風が強く吹いて。華鈴の右手が煌めいて。好きだよ、って言われたことすら気付かぬまま。泣いていた彼女と、最後に目が合った。
 
 そして、蓮の視界は───

Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.10 )
日時: 2020/05/20 18:08
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

幕間 遥カ昔、秋津原ニテ

 遥か、遥か昔のこと。
 まだ秋津国も、タリスク国なんてものも無かった時のこと。

 命を与える力と、死を与える力と言う、相反する力を持った人間が居た。

 命を与える力を持った者の名はすず、死を与える力を持った方がはな、と言う。
 力は相反しながらも、とても仲の良い従姉妹であった。

 はなはずっと、力の制御が不得手だった。
 誰が殺されるか分からないそれは恐れられていて、故に彼女は牢に閉じ込められていた。
 そこにやってきたすずは、己の力があれば大丈夫だと言って、はなを外へ連れ出した。


 秋津原に二人が訪れた時のこと。
 何故か彼女らを歓迎するように飛んでいた赤蜻蛉を、はなが暴走させた力で殺してしまったのだ。
 その赤蜻蛉は消え去り、すずの力で生き返らせることは不可能だった。
 もしも、殺したのが彼女でなければ神たちは手を下さなかっただろう。

 けれど、神たちは恐れていた。神をも超越できる生と死の力を。
 だから、それを口実にして二人を捕らえた神は、天上へ召し上げて罰を受けさせようとした。


 そこではなは己を責めた。こんなことになったのは私の力のせいだと。

 そしてすずを庇ったはなは、罰を受けるのは自分だけで構わない、と言った。元凶は私なのだから、と。
 
 神をも殺せるかもしれぬはなの力を最も恐れていた神たちは、それを聞き入れた上で二つ条件を課すことにしたのだ。

 一つ目は、今後すずの子孫から生贄を捧げ続けること。
 二つ目は、神を祀る社を建ててそこで暮らすこと。

 その条件を飲まされたすずは、泣き叫びながら下界へと戻された。
 はなは別れの瞬間、優しく笑っていて。それがすずを苦しめた。

 神を祀る社を建てることも、生贄を捧げるものも。全て神が再び同じような力を持つ者が産まれた時の為の監視であるとすずは分かっていた。
 けれど神に従うしか無かったすずは、条件の通りに神社を建てて生贄を捧げ続けるように子孫へ伝えた。
 己の後を継ぐものへ、片方を選びもう片方を生贄として捧げるように。

 これ以来、ここには二人の候補を立て一人を秋津原へ送ると言う慣習が残った。
 そしてこれは何百年と受け継がれ、今に至る。
 

Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.11 )
日時: 2020/05/21 13:47
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

第四章
第一話

 光が強く煌めき、何故か一瞬だけ頭痛がする。
 楓樹は、黒髪の甥を目の端に捉えながら辺りを見渡した。
 此処が何処か、一瞬だけ分からなくなる。けれど、涼やかな風が吹いて川が流れていて。川の向こうを透かし見れば、建ち並ぶ家々が見えるような気がする。
 
「ここ、秋津原だよな………なんで、俺たちここにいるんだ……?」

 旅をしていた若い頃に、一度だけ訪れたことのあるここの記憶を楓樹は掘り出す。

 その時、かすかに緑色の髪をした少女のことが脳裏をよぎった。
 けれど、それは楓樹の意識の上層には登らない。
 
 俺たちはここに何をしに来たのだったか、と楓樹は思う。
 川を越えればタリスク国で、ここに来た。ということはタリスクに行く予定が合ったのだ、と楓樹は思い出した。
 
 本当は、楓樹たちは赤蜻蛉を見に来たはずだ。
 しかし、楓樹の記憶はタリスクへ行く、と言うものへ変わっていた。なぜなら、華鈴が己の存在した記憶を全て書き換えたからである。
 華鈴は赤蜻蛉を見てみたいと言った。それを前提として蓮が秋津原に行こうと言い、実現した。
 けれどその前提が消失したことで、蓮の言葉も無かったことになる。
 すると、楓樹の記憶は都合を合わせるためにタリスク国へ行く予定が合った、という予定を作り出したのだ。

「タリスクに行く予定あるなら、もうちょい先まで列車乗らないと行けないのにな……」

 楓樹はそう呟きながら、蓮の方へ歩き出した。
 

Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.12 )
日時: 2021/01/24 23:43
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

第二話 

 蓮の視界の大半から、色相が喪失した。

 かつて、緑色の髪をした少女が、自分にの隣にいて。彼女が、とても大事だった気がした。けれどそれが誰だか分からないし、名前も思い出せない。
 いや。名前を思い出すとは何か。誰のものを思い出すのか。思い出さなくてはならない人がいたか。
 何もわからなかった。蓮は脳内で自問自答する。顔を上げた先の夕焼けの色は、もっと鮮やかで豊かな色を持っていた気がした。振り返ると見える山は、もっと赤かったはずなのに灰色に見える。
 
「どう……して……?」

 微かに言葉が零れ落ちる。分からない、分からないのだ。けれど、絶対に忘れないはずの何かを忘れているような気がして、蓮は辺りを見渡した。
 けれど、そこには彼自身と楓樹しか居なくて。
 
「光を見ちゃった、所為かな……」

 蓮はそう呟いた。そうだ、強い光を見ると失明すると聞いたことがある。多分、先程の光の所為で目がおかしくなったのだろう。それの影響を、頭も受けただけだろう。
 ─────最初から、居なかったはずだ。僕は、何を思い出そうとしてたんだろう。
 蓮は、そう思うことにした。

「おーい、蓮。列車、乗りに行くぞー」

 楓樹の声が、後ろから聞こえてくる。蓮は楓樹の方へ振り返った。

「あ、はーい。……どこ行くの?」
「タリスクだぞ。あれ? 蓮には言って無かったか?」

 首を傾げた蓮は、ゆっくりと記憶の糸を手繰りよせる。ああ、と蓮は呟いた。そうだ、叔父さんが休暇だからタリスクに行こうと言ったんだったか。

「うん、行こう叔父さん!」

 返事をした蓮は、一瞬振り返った。瞬きをしてから、夕焼けを見つめる。場所が変わったことで見えた山も、夕焼けも。蓮の視界には、灰色に見えた。どこか空疎を感じる。泣きたくなるほどの郷愁と共に。
 
 行きと同じ道を帰って行く蓮は、何処と無く手のひらが寒いような気がしていた。

Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.13 )
日時: 2021/01/24 23:48
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

第五章 色ハ、ソノ瞳二映ルカ?
第一話

 その後、国境を越えてタリスクに入った列車は、やがて駅で停車した。列車に乗っていても、何だかふわふわして落ち着かない。苦しい、何か忘れているような気がする。
 何も、思い出せない。否、思い出すことなんてない筈なのに。幾度も繰り返した問。
 蓮はてっきり国境を越えるには入国許可証のようなものが必要だと思っていたが、楓樹によるとそれは要らないのだそうだ。きょうていの恩恵だ、とは楓樹の弁である。蓮にはそもそも協定が何かが分かっていなかったのだが。

□  △  □
 
 駅を出た先の街にある街は、こちらの言葉で黎明街と言うらしい。蓮にとっては目新しいものばかりだったが、ここに来て一番彼が驚いたのは楓樹がこの国の言葉を話せることだった。
 楓樹は仕事で何度も訪れたことがあるのだそうで、彼はすぐ話せるようになると言っていた。蓮には話せるような気がしなかったのだが。
 宿に着いたとき、楓樹は少し友人に挨拶してくる、と言って部屋を出て行ってしまった。楓樹が居なくなって手持ち無沙汰になった蓮は、窓の外を見つめてみる。
 窓の外は、澄んだ青い空ではなかった。何故だか灰色の空が視界一面に広がっている。

「見えない……」

 色が見えない。空の色も、ガラスに映り込む自分の瞳の色も。思い出せはする。絵の具でこの色を作れと言われたら、どうすればいいのかは分かる。だが見えないのだ。
 蓮は、記憶に穴が空いているような気がしてならなかった。その色とともに、誰かいたような気がするのだ。
 分からないけれど。

□  △  □

 ある夜、買って来たタリスク特有の料理を食べていた時のこと。楓樹が、真剣な顔で切り出した。

「蓮、ここにしばらく留まろうと思うんだ」
「ここに? 大丈夫なの?」

 あまり荷物など持って来て居ないことを心配した蓮がそう尋ねると、楓樹が頷いて答えた。それに、かすかな既視感。ぴぃん、と記憶の糸が震えるような。

「友達が部屋貸してくれるらしいんだ。だからそこに住もうと思ってる。俺が荷物取ってくるよ、そんなに遠くないから一日で帰ってこれるし。仕事もこっちに転職になりそうだったから。勿論蓮が嫌なら良いんだけど」

 そう言った楓樹は笑うと、蓮の目を見た。その黒い目が、蓮の記憶の海に一石を投じる。けれどそれが波となることはなくて。
 それに蓮は何処か虚無を感じながらも頷いて、笑った。

「良いよ。……ねえ、叔父さん。何かさ。忘れて、無いよね……?」

 漠然とした不安を抱えた蓮が、楓樹の顔を見つめる。先程から、記憶が揺れている気がして。蓮のその問いに、記憶の頁の文字が揺らぐ。だが、楓樹もまたそれが蘇ることは無かった。

「何か、忘れてたかな?」

 楓樹がそう言うと、蓮は何処か安心したように肩の力を抜いたのだった。

□  △  □

 それから少しして。蓮と楓樹はついに引越した。黎明街のかなり端のほうにある、大きめのアパートの一室である。
 玄関の前で大柄な男が一人、楓樹と聞きなれぬ言葉で会話していた。互いの真剣な顔を見るに、どうやら何か交渉をしているようだ。 
 
 蓮は玄関の前に立って、次々と若い男たちが荷物の箱を家の中に運び込んで行くのを眺めていた。手伝おうにも言葉がいまいち分からないので手伝えなかったのだが、それもさておき。 
 蓮の斜め後ろの方にいた楓樹が不意に聞き取れる言葉を、つまり秋津の言葉を発した。

「蓮! 俺ちょっと出かけてくるから、良い感じに荷物空けといてくれ!」
「わかった!」

 楓樹と話していた大柄な男がバシバシと彼の背中を叩きながら何処かへ歩き去って行く。お互い笑っていたし、悪いことは無かったのかな、と思いながら蓮はドアを開けた。
 
「……あれ?」

 少しの違和感は、すぐに具体的なものに変わった。三和土が無いのだ。キョロキョロと辺りを見回していると、後ろからぽん、と蓮の肩が叩かれる。蓮の肩を叩いた男は、自分の靴を指差してから、首を横に振ってみせた。そして、敷かれていたマットを靴で叩く。
 その動きが意味することを悟った蓮は、ぺこりと一礼した。靴底をマットで軽く擦って、部屋へ踏み込んだ。踏み込んだリビングに、空が見える窓がある。けれど、蓮にはやはり灰色にしか見えない。
 怖い、とここで初めて思った。
 色が、欠片も見えなくなっている。何て言えば良いんだろう。色の温度か。分からない。分からない。本当に何も分からないけれど、思い出して───何を? 見たい。思い出す──違う、誰──思い出せない──いるわけない──
 
 ぐるぐると回る思考は、結局形にはならなかった。

□  △  □

 ある程度荷物が運び込みが終わると──元からあまりなかった──、若い男たちが撤収して行く。ヒラリと手を振った先程の男に手を振りかえしながら、蓮は玄関のドアを閉めた。
 先程の思考は少し疲れていたことにしよう。忘れることにする、と決めて蓮は袖を捲った。
 
「さて、やるか……」

 少しでも進めておこう、と思いながらカッターを手に取り、早速一つ目の箱を開けにかかる。
 カッターの刃を、テープで止められている切れ目に食い込ませる。ざくり、と音を立てて刃が沈みこんでゆく。そっと左手を添えて、刃を引き切る。
 赤い雫が、舞った。

「つっ……!」

 何のことは無い、押さえていた手を刃が掠めただけのこと。
 けれど、血に蓮の瞳は───

Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.14 )
日時: 2021/01/24 23:55
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

第二話

 溢れ落ちる赤を写して、がくがくと瞳孔が揺らぐ。

「あ、かい?」

 ふわりと、無色が舞い落ちた。見えるのだ、色が。望んでいたはず。なのに、苦しくて仕方ない。何でだろう、と蓮は思う。指先は酷く震えて、目頭も熱かった。
 その感情に名前をつけるならば、それは哀惜か。くらくらする思考に苦しくなって、蓮は視線を落とした。左手の傷の血は、止まっていて。ちからを抜いたことで、右手に握られたカッターの刃先が床に着き、かすかに音を立てる。
 目に入った刃先にも付着した赤色に、蓮の記憶が揺さぶられる。糸が、海が。苦しい。頭がいたい。微かに、声。糸は繋がるのか。無意識に、再び刃を持ち上げる。もっと。もっと、赤。心の奥が酷く渇望する。乾ききった喉から、嗚咽のような声が溢れ出た。
 蓮の左手首に、赤が走る。乾いた笑みすら零れ落ちる。手を伸ばす。視界に、赤が写りこむ。清冽な赤。手首に赤。それと同時に痛み。空気に触れて酸化していく、血。
 手首への線は増えていくのに、外の景色は見えないまま。なにも変わらない。
 その代わり、心が。罅が入って、割れて、砕けて。
 頭痛がして。
 書き換えられた記憶に、罅。けれど、何も。頭がおかしくなりそうだ。荒い息が吐かれる。
 不意にしたおとに、びくりと蓮の肩が跳ねあがる。後ろの方で、箱が倒れたのだ。
 するりと右手からカッターが滑り落ち、だらりと力が抜ける。左手の血が乾いて、剥がれおちていく。

「ぁ────!」
 
 己のしていたことに、震えが駆け抜ける。心臓が鳴っていた。血でぬめる手。何をしていた、と激しく己に問う。立ち上がった蓮は、ドアを押し開けて逃げ出した。でも何故か、カッターは手放さぬまま。

「蓮? どした!? おいその血……! くそ、蓮!」

 帰ってきて、偶然ドアを開けかけていた楓樹の声がするのにも関わらず。蓮は走り出す。そこから遠ざかりたくて、苦しくて仕方がなかったから。

Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.15 )
日時: 2021/01/24 23:57
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

終章 常闇

 恐怖に押されて走り続けていた蓮の目の前が、不意に暗くなった。ドンッ、という音が響き、身体が誰かにぶつかった感触。

「ッ……すいません!」

 ここが何処だか、蓮には分からない。
 けれど謝って顔をあげ、蓮は辺りを見渡す。随分と街並みが変わった気がするのだ。より暗さが強調されるかのような、色彩の少ない街。それでも蓮は、ひどく居心地の良い街だ、と思う。無駄な色がない、鮮やかでもない。記憶が揺さぶられることも無い。 
 蓮がぶつかった相手は細身の男ようだった。
 男は少し蓮の言葉に驚いたような顔をしたが、ちらりと一瞥くれると何事も無かったかのように立ち去って行く。少し拍子抜けしながらも、蓮の脳内に思考がまたたいた。
 言葉は、通じているのだろうか。

「ッあの! ここは何処ですか?」

 その声に、男は足を止めて振り向いた。黒いコートの裾が、ふわりと揺れる。焦げ茶色の髪のしたから覗く黒の瞳が、蓮を射る様に見つめた。微かに冷気の様なものが男から発せられる。
 けれど蓮は全く動じない。否、何も感じていない。
 緑の目が微かに見張られる。すなわち、彼は何も知らないのだ。そして、男は蓮へ向けて呟くように言う。

「此処は殺し屋の街。常闇街だ」

 低い声で、しかも秋津の言葉で男は端的に言った。蓮へ彼は問い掛けを放つ。

「……お前、秋津の人間か? 服も綺麗だし、殺気に反応しなかった。黎明から来たお坊ちゃんなら帰りな、ここは宵闇と違って餓鬼を取って食う様なことはしないから」

 男のその言葉に、蓮は黙り込んだ。
 叔父に恩はあるし、あの生活は嫌いじゃ無い。けれど、明るすぎる。彩度も明度も色相も。何か頭が割れそうで仕方ない。苦しいのだ。ちくり、と左手に痛みが走る。乾いた血が、ぱりぱりと落ちていく。ごめんなさい叔父さん、母さん、と呟いて、蓮は決断した。それは気の迷いであったかもしれないし、理性的な判断であったのかもしれない。

「貴方に、着いて行かせてもらえませんか」

 蓮がしばらくの沈黙の末に出したその答えに、今度は男が黙り込んだ。左手に傷があることに気づいたのだ。
 そして、彼は顔を上げて言い放つ。

「……深くは聞かないが。ここで生きられる様になるまで。それまで、お前を預かってやろう。……殺しの仕事も教えるから、仕事をしたら金を払え。お前が依頼主だ」

 殺し、と言う言葉に蓮は動揺した。けれど。けれど、赤い血が。

「分かりました」

 それに頷いた男は、くるりと振り向くと歩き出す。
 着いてこいと言いそうな背中を追いかけて、蓮は常闇で生きることを決めた。


 その後、力を開花させて一人で生きることになった蓮は、その力から【人形使い】と言う二つ名で呼ばれるようになる。
 そして、ある依頼で紺色の髪の青年たちと出会うのだ。けれどそれは、また別の話。



自由と命令(完)