複雑・ファジー小説

Re: 宵と白黒 外伝〜自由と命令(完結)〜 ( No.18 )
日時: 2020/06/09 13:52
名前: 心 ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

ヨモツカミさんのみんつくにて投稿したものになります。

【雨が降っていてくれて良かった】

 これは、黒髪の少年が色を失うよりも前の話。

 
 雨は先程から降りしきり続けている。いつもは人通りの多い鳥居前町も、出歩いている者なんてほとんどいない。

 いや、此処に例外が一人。パシャパシャと水を蹴散らす音を立てて、緑髪の少女は疾走していた。
 命風神社の宮司候補である、清和華鈴である。

 雨は良い、と華鈴は思う。泣いているのかいないのか、傘をささなければ自分ですら分からない。
 
 父親にひどく叱られて。いつもは意図が分かっているから耐えられる華恋の言葉にすら耐えられなくて。
 また、飛び出して来てしまった。
 そしてまた、逃げてしまう。
 ───蓮の、家へ。



 雨は良い、と蓮は思う。ほんの少し歩く速度を緩めて、蓮は顔を上げる。雨雲の塊が、もう少しで真上にきそうな気がして、蓮は再び速度を上げた。
 歩きながら、蓮は思う。
 雨が降っている時の音が好きだ。人工的な音がなくて静かだと思うけれど、喧騒とも取れる音。

「楓樹叔父さんに頼まれたものは、っと……」

 そんなことを呟きながら、蓮は傘を左手に持ち替える。ポケットに突っ込んである紙を手に取って、パラリと開く。
 魚屋の隣の曲がり角で立ち止まって、ぼんやりと紙を眺めていた時。不意に、誰かの足音が響いた。


 華鈴は魚屋の角を曲がろうとした時、微かに動揺した。泣いている所を見られるのは格好悪い、と思うのは自分だけだろうか。
 少し目元に触れてから、少女は蓮に問いかけた。

「蓮? 何してるの?」

 自分の周りに広がっていた静寂が破られたのを感じて、蓮がフッと顔を上げた。

「華鈴さん…? ちょっと、傘どうしたんですか!?」

 たったっ、と走りよって傘を共有すると、華鈴の目元がほんの少し赤いことに蓮は気付いた。泣いてたのかな。慰めてあげなきゃ、なんて思った蓮は華鈴の顔を見た。

「華鈴さん? 泣いて、」

 その時、びくりと蓮の肩が跳ね上がった。雨が車軸を流すような大雨へ変化したからだ。
 雨粒が軒先を叩く音やら傘を叩く音やらがいきなり大きくなる。
 傘と前髪の影になって見えない目にハッとして、今度は蓮が俯いた。
 このまま続けて言っていたら、華鈴はきっと傷ついていたかもしれない、と。泣いてるのが格好悪いと思ってるのは、自分だけかもしれないけど。

 華鈴は、傘の中で再び鼻の奥がつぅんとしてくるのを堪えていた。傘だと、雨の雫が当たらないから誤魔化せない、と思って。
 不意に大きくなった雨音で何と言おうとしたのかは聞こえなかったのだけど、きっと蓮なら、と思う。

 桶の水を全てひっくり返し終わったかのように、弱まった雨がしとしとと降りおちる。
 二人で一つの傘をさして大通りへ出れば、遥か向こうに見える山の稜線で雲が切れていた。
 そこから強く射し込む西陽は、雨雲との対比が強烈で。

「ねえ蓮、あの光がなんて言うか知ってる?」
「名前があるんですか?」

 水に濡れた髪を揺らして、華鈴は頷いた。

「天使の階段、って言うんだって。綺麗だよな。」
「それって、天使が綺麗だから降りて来る階段も綺麗なんでしょうか。それとも......空が、天使が降りてくるから光をキラキラさせてるのですか?」

 蓮のその曖昧な問いかけに、華鈴は意表を突かれたような顔をした。

「どっちだろうな。でも、私は......空は、人の気持ちを分かってるんじゃないかな、って思うんだ。」
「人の、気持ちを...そうだとしたら、素敵ですね。」

 華鈴は蓮へ振り返った。きょとんとしている彼をちらりと見て、彼女は笑う。笑ったまま華鈴は、自分の言ったことが本当だと良いな、と思いながら傘のそとへ手を差し出した。もうほとんど霧雨に近いものが降っていて、やっぱり空は人の気持ちを分かってるのかな、なんて。
 だったら、また泣きそうになってしまったときは雨が降ってくれる。きっと大丈夫。

 そうして華鈴は思う。
────雨が降っていてくれて良かった。