複雑・ファジー小説

Re: 宵と白黒 外伝〜自由と命令(完結)〜 ( No.19 )
日時: 2020/06/12 00:37
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

 とある休日の昼下がり、ソファに座って本を眺めている幼い少女が1人。
 外の空は快晴で、少し暑すぎるほどだろうか。リビングの右横の窓は開け放たれていて、白いカーテンが風に揺れている。その風で、真っ直ぐ伸ばされた黒髪がふわりと揺れた。
 彼女以外リビングに人はおらず、本のページが捲られる音とカーテンの金具が立てる微かな音しか音がしない。


 唐突に、静寂を踏み破って階段を上る音が響く。びくりと顔をはね上げた少女が、黒髪を揺らして振り向いたと同時に、バタバタと床を蹴る音がした。明朗快活な少女の声が向こうから聴こえてくる。

「リュゼー! おもしろいものみつけた!」

 リュゼと呼ばれた幼い少女は、そっと本を置いてソファから立ち上がった。長くて白い髪を一括りにして、きらきらと笑顔を浮かべた少女に目をやりリュゼは溜息を吐く。

「シュゼねえさん……それ、母さんのじゃないの? 大丈夫?」
「うん! だいじょうぶ! だと思う!」

 シュゼと呼ばれた少女が、いまいち定かではなさそうな返事を返してきたことにリュゼは再び溜息をついた。
 その溜息を吹き飛ばすほどの勢いで、シュゼはソファの前のローテーブルに手に持った瓶を置いた。何気に少しそれが気になるらしいリュゼは、そっと瓶を回してラベルを見つめる。
 
「せん、ぱつりょう?」
「そう! なんか、髪の毛に塗ると色が変わるんだって!」
「へー……」

 じぃっ、とそれを見つめていたリュゼに、シュゼが痺れを切らしたようにいった。

「これ、髪の毛黒くなるんじゃない? ちょっとやってみよーよ!」
「え……大丈夫? そんなことして……あとで、怒られそう…」
「どうせ怒られるのやった後でしょ! 大丈夫!」
「わかった、よ……」

 ニィッと笑ったシュゼは、バタバタとバスルームの方へ歩き出した。

▽  ▲  ▽

「おおー……」
「え……なんか、わたしたち見分けつかないね……」

 髪を──リュゼは横の白髪、シュゼは全体的に──どうにか黒く染めて、服も着替えた二人は、鏡の前で呆然としていた。

 あまりにも見分けがつかないからである。

 元々、シュゼとリュゼの髪の長さは同じくらいだった。括っているかおろしているかくらいの違いしかなく、髪の色や服装で判別されていたのである。
 シュゼとリュゼが持っている服のうち唯一揃いの物を着て、髪色を黒に染めて括ってみれば、僅かに目元に違いがあるだけで、もう遠目には何が違うのかすらきっとわからない。
 
「……すごい。」

 ぽつりとリュゼは呟いた。それに頷いて、シュゼは楽しげに言った。

「ね、街出てみようよ! きっと楽しいよ!」
「…うん!」

 少しリュゼもテンションが上がっていたのだろうか、その時は珍しく何も苦言を呈さずに頷いた。


▽  ▲  ▽

 ざわざわと周りの人々の喧騒がひびく。ちょうどおやつ時だからだろうか、母親と連れ立った子供がとても多い。黎明街にしては珍しい、コンクリートではない石畳の二番通りを歩きながら、シュゼはリュゼに笑いかけた。

「ね、すーごいよ! わたしたち、すごいそっくり!」

 ショーウィンドウのガラスに写る自分を指して、シュゼがぴょんぴょんと跳ねながら言った。リュゼはかすかに笑って、そっと頷いた。

 シュゼは、なんだか意識がぼんやりとしているのを感じていた。全てが布1枚向こう側にあるような。じっとショーウィンドウを見つめながら、誰かとぶつかった気がして振り向いた。直ぐに謝ろうとしたが、もう誰もいない。

「え?」

 シュゼの唇から、ぽつりと疑問が零れ落ちた。

 本当に、誰もいない。

 先程まで人で溢れていた二番通りではなく、頭がおかしくなりそうな程の長さの石畳が続いているだけの暗い空間にシュゼはいた。リュゼも、親子も、立ち並んでいた店も何も無い。恐怖を煽る暗闇に耐えきれず、少女は叫んだ。

「え、ぇえ……なんで、リュゼ!? え、どこいるの──!?」
 
 それを境に、シュゼはがくりと気を失った。

Re: 宵と白黒 外伝〜白と黒〜 ( No.20 )
日時: 2020/06/14 06:52
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

 ショーウィンドウに映る自分と姉を見ていたリュゼは、誰かに見られているような気がして振り向いた。彼女が視線を前に戻した時───その一瞬で、確かにいたはずのシュゼは、居なくなっていた。

「え? ねえさん?」

 ぐるぐると辺りを見回して、姉の姿を探す。ざわざわと通り過ぎていく人々の間に、彼女の姿はどこにも無い。ならばどこかの店だろうか、とリュゼは近くの店の中へ飛び込んだ。店内に目を走らせても、シュゼの姿は見当たらない。

「ッツ……!」

 ばくん、と心拍数が一気に跳ね上がる。自分がはぐれてしまったのか、それともシュゼの方が居なくなってしまったのかは分からない。
 自分が振り返る前には確かに一緒にいた。ほんとうに、一瞬前までは。くるくると当たりを見回し走り回り、それでもシュゼを見つけられない。
 少しでも後ろ姿が見えるように、雑踏の中に消えていくように居なくなればまだ安心なのだ。けれど、忽然と彼女の存在そのものが消えてしまったかのような恐怖が、リュゼを襲っていた。泣きそうになるのを堪えて、リュゼは家へ帰る道を選ぶ。何にせよ大人に相談するべき、と考えたからである。それに、もしかしたらシュゼが先に帰っているかもしれない───そんな願いを抱いて。

 リュゼは家に帰り着くなり、ドアを凄まじいスピードで開けた。廊下を走り抜け、階段を駆け上がり、各部屋のドアを開けて走る。普段の彼女からは想像もつかないほどの荒ぶり様だ。
 バスルーム、寝室、リビング、子供部屋───

 それらのどこにも、シュゼの姿はなかった。

「え、え、え…!? ねえさん!? 何処にいるの!?」

 途方に暮れて、リビングのソファに力なくリュゼが崩れ落ちる。今にも、シュゼが「少し隠れんぼしてみただけだよ?」なんて言って出てくるような気がしていたけど、そんなことはなくて。
 
「電話、しなきゃ…………」
 
 ふらふらとリュゼは立ち上がり、父と母へ電話を掛けた。


 
 窓から入る日差しがほんの少し傾きかけた頃、不意に玄関のインターホンが鳴り響く。ソファの上で膝を抱えて眠ってしまっていたリュゼは、びくりと顔をあげて立ち上がった。階段を駆け下り、玄関の前に立って鍵を開ける。
 もしかしたらシュゼが帰ってきたのかもしれないという淡い期待を乗せて、リュゼは玄関のドアを開けるなり叫んだ。

「ねえさん!? しんぱ……」
「リュゼ? どうしたの、僕だよ、ノーシュだよ? ミュゼットさんが、ここに来てって言ってたから来たんだけど……」
「リュゼ……? シュゼに何かあったの?」

 リュゼの言葉を遮ってそう言った、目の前の人物に彼女は目を見開く。夕陽を背負って逆光で立つのは、灰髪と黒の伸ばされた毛が特徴の若い女性と黒髪の若い男。  
 シュゼでは無かったことに落胆して、リュゼがその場に崩れ落ちそうになる。それをふわりと抱き留めて、若い女性は微笑んで言った。

「何か、あったのならボクたちに聞かせてよ。相談、のるからさ。」
「姉上の言う通りだよ、リュゼ。大丈夫だから…………上がってもいいかい?」
 
 軽やかに言ったノーシュと女性に泣きそうになりながらも頷いて、リュゼはそっと立ち上がった。 

□  ▽  ○

「ん───? え、ここ……どこ?」

 硬い地面の感触と瞼の向こうから差す光で、シュゼはうっすらと目を開けた。妙に視界が暗い。何があったんだっけ…………? 確か…そうだ、誰もいなくて………その恐怖まで思い出し、シュゼは眠気が一度に吹き飛んだのを感じた。力か、私をここに連れてきたのは────なんて思って、くるくると辺りを見渡そうとしたとき漸く、目隠しをされていることに気付いた。

「え、な、わたしは───!?」

 動揺したシュゼは、バクバクと心拍数が飛び上がったのを感じた。すると、カツカツと地面を踏みしめる音と共にシュゼに影が落ち、男の声が響く。

「起きたかい、お譲様?」

「え……!? 何、貴方誰!? ちょっと、ねえ……!?」

 男の声、そしてさらに何も見えない状況でシュゼの不安がさらに募っていく。心臓を鳴らしながら、せめて身体は動かぬものかと手を動かしてみる。だが、手首も確かにしばられているようで身動きが取れない。座らせられているのだろうが、立ち上がることもできない。
 シュゼが試行錯誤しているのを見て、男は笑った。

「無理だぜ、お譲様。…………リュゼ・キュラスだな?」

 冷ややかな声音で掛けられた問に、シュゼはさらに動揺した。わたしのことをリュゼと言ったの、この人? 何でだ? ああ──髪色か。そうだ、わたしは今黒髪だ。ならば、とシュゼは思う。このままリュゼの振りをしよう。

 人の思考は、こういう時ほど冴えてよく回るらしい。

 違うって行ったら───殺されるかもしれない。リュゼにバレたらテレビの見過ぎだなんて言われるかもしれないけれど、きっとこうするのが良い。
 そう考えてシュゼは、コクリと頷いた。

「そうだよ。私がリュゼ。…………リュゼじゃないとダメな理由でも、あるの?」

「そうか…………大人しくしてろ、面倒だからな…………」

「あなた、誘拐犯? 私が逃げたら殺す?」

「おしゃべりなお譲様だな。口も塞いでやろうか……誘拐犯が自ら誘拐犯だって名乗るか? ああ、殺しはしねぇよ。それだと話にならない。死なねぇ程度に痛めつける。」

 男はそう言って低く含み笑いをこぼした。ポケットに手を突っ込んで、かたりと壁に寄りかかる。
 一方シュゼは、殺されないということに安堵していた。それと同時に、なぜ殺しはしないのかを考え始める。

 やはり、この人は誘拐犯だ。身の代金か何か知らないけど、私を出汁にしてなにかする気だ───!

□  ▽  ○

「で、そしたらいつの間にかシュゼが居なくなってた、と。」

 リビングのソファに腰掛けて、ループタイを身につけたノーシュは腕を組んでそう言った。右隣に座る、黒いリボンのついたブラウスを纏った女性も顎に手を当てて考え込む。

「本当に、一瞬でいなくなっちゃったの?」

 その正面の1人用ソファに座ったリュゼは、項垂れたまま頷いた。
 
「あの……ノーシュさん、ブランさん、本当に、ごめんなさい…………」

 その言葉に、ブランと呼ばれた女性はニカリと笑った。ヒラヒラと手を振りながら、彼女は快活に言い放つ。

「貸し一つな。」
「ちょ、姉上何言ってんですか!?」
「やだなー、ノーシュはボクがよく冗談言うことくらい知ってるだろ?」

 ぶんぶんと手を振りながらそう言って、ブランはふっと力を抜いてソファの背にもたれかかった。ノーシュががくりと力を抜いて、リュゼへ苦笑しながら言う。

「ごめんね、こんな時なのに。ああ…………ミュゼットさんとアルフィーさんには言ってあるのでしょ? 警察には連絡した?」
「あ、はい……でも、帰っては来ないそうです。父さんも母さんもノーシュさん達が来るから大丈夫だろう、って言ってましたから。警察への連絡は、もう少しシュゼが帰ってくるのを待ってからにしようかな、と思ってます…………ほんと、ごめんなさい。わざわざ、仕事もあるのに。」

 ますます項垂れてリュゼは言う。唐突に立ち上がったブランは、すたすたとフローリングの床を踏み締めてリュゼの横でそっと膝をついた。ソファの肘掛けの部分にひじを着いて頬杖をつき、彼女は笑う。

「リュゼ、ボクを舐めちゃダメだよー。ボクがこのまま引き下がるわけないでしょ? ちゃんと貸し一つ、ってアルフィーさんにも言ってきたから、気にしないでね。まぁ、多分この貸しは巡り巡ってルクスさんあたりに行き着くと思うから、大丈夫!」

 軽薄な調子でそう言ったブランは、ニヤニヤと笑いながらぱちんと指を鳴らした。


「ここで待っててもキリがないから、ボクたちで取り敢えず1回探しに行こうか!」
 

Re: 宵と白黒 外伝〜白と黒〜 ( No.21 )
日時: 2020/06/28 11:08
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

 ブランの言葉にノーシュはコクリと頷いて、スラックスのポケットに手を入れながら立ち上がる。ローファーが床のタイルを踏んで、かたりと音を立てた。

「それが良いかも知れないな。姉上と僕の力使えば、すぐ見つかるだろうしね。」

 ノーシュの返答を聞いて、ブランもまた立ち上がった。口元に笑みを浮かべたまま、目を細める。ショートカットの灰髪が揺れた。ソファの合間に置かれているローテーブルを回りこんで、リュゼの足元で膝をつく。芝居がかった調子で彼女の手をとると、びっくりした顔をするリュゼの手を引いて立ち上がらせた。

「ノーシュもあー言ってることだし、行っちゃおっか?」
「え…でも、力って、使っていいんですか……?」

 ブランに手を握られたまま、リュゼは首を傾げた。微かな不安が、青い目の中で揺らぐ。ヘラりと笑ったブランは、何でもないとばかりなもう片方の手を振って言った。

「まあ、ギリギリ正当防衛じゃないかとボクは思う!」
「姉上、適当なこと言わないでくださいまったく。そうだな、うん! 此処で発動して行けば見つからないし、問題ないと思う。ま、どちらにせよシュゼを見つけられればそれで良いし、ダメだったら警察に相談しよう。それでどうかな?」
「……でも、私は…何の役にも、立てません……」

 不意に、リュゼの手に力がかかった。ブランの、フィンガーレスグローブに包まれた手がキツく彼女のそれを握っているのだ。
 ハッとして顔を上げたリュゼは、ブランの顔を見た。細められた瞳が、真っ直ぐに少女を射る。その顔の、薄い色の唇がゆっくりと音を紡いだ。

「リュゼ。そんなことを、言うなよ────力の源は、真名だ。真名は、キミ自身なんだよ? リュゼ……キミが、キミの本質を否定して、どうする。いつか、きっと役に立つ時が来るさ。」

 淡々と、しかし真っ直ぐにそう言った彼女は、目をさらに細めて笑った。そっとリュゼの手を離し、軽く肩を叩いて玄関の方へ体を向ける。

「姉上、あんましリュゼを虐めないでください!」
「お? なになに、もしかしてノーシュはリュゼの事好きなの?」

 後ろからカツカツと歩いてきたノーシュが、溜息を吐きながらブランの肩を叩いた。重くなった空気を切り裂くように、彼女の快活な笑い声が部屋に響く。全く、と呟きながらノーシュは振り返ると、リュゼに手を差し出した。安心させるように微笑めば、微かにリュゼも笑い返す。

「ね…? 大丈夫だから、行こう?」
「ブランさん…ノーシュさん。分かりました。行きま、しょう!」

 キッと前を睨んだリュゼは、ショートブーツの底で床を踏んで歩き出した。

Re: 宵と白黒 外伝〜白と黒〜 ( No.22 )
日時: 2020/09/28 13:51
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

 玄関のドアの前で立ち止まったブランとノーシュは、僅かに息を吐いた。ちらりと目を合わせて、彼等はそっと頷き合う。細められたブランの青い目が、きらきらとまたたいた。
 唐突に、空気が冷えきる。その冷気は、この国を代表する三つの一族のひとつであるキュラスの人間としての───圧倒的な力の開放。そのままブランは、持っていたポーチから取り出したフレームレスの眼鏡をそっと掛けた。

「ッツ……!」

 特に潜在能力ポテンシャルが高い二人の発した気を前にして、リュゼが反射的に体を引く。それに気付いたノーシュが、ちらりとリュゼを見て安心させるように微笑んだ。
 深呼吸して呼吸を整えた彼女は、ぎゅっと胸の上で手を握りしめたまま、邪魔をせぬよう後退る。それを確認して、視線を前へ戻したノーシュは右手の人差し指を眉間に当てた。
 自分を中心として、音の波が走り抜けていくような感覚。ザザッ、とノイズのように人々の思考が彼の脳内に滑り込んでくる。

「OKかな、ノーシュ? ボクの方は観えるよ、問題ない。」
「僕も大丈夫ですよ、姉上。きっちり視えます。」

 青い目を薄明るく光らせて、ブランはドアの外を見つめた。彼女の視界には、この家の外も向かいの家の中も、全て見えている。これこそが、すなわち【透視】である。弟のノーシュの【透思】と一対をなし、名前を持つ力──ちなみに呼び分ける際はブランの方を【アイサイト】、ノーシュの方を【マインド】と呼ぶ───だ。

「大丈夫、ですか?」

 1歩その場から離れていたリュゼが、心配げにそういう。ぱちぱちと目を瞬かせて、ブランは意識をこちらへ引き寄せた。

「ああ、ボクは問題ない。これのお陰さ。」

 掛けている度の入っていない眼鏡のつるを叩いて、彼女は笑った。元々彼女の力は強力で、それは幼かった彼女には制御出来るものでは無かった。そこで、彼女の両親は幼いブランにこの眼鏡を与えたのだ。この眼鏡を掛けていれば、力を上手く制御できる、と。
 いわば、この眼鏡は暗示なのである。もちろんとっくにブランはその事に気付いている。けれど、それでも尚眼鏡を使い続けていた。精神安定剤の代わりだよ、なんて言って彼女は笑う。
 元々力は精神状態に由来する面も大きい。怒りで力が倍増する、なんてこともありうるように、感情によっても強さは左右される。だからこそ、この眼鏡には意味があると彼女は考えて掛け続けていた。親をどう思うにせよ、だ。

「僕も大丈夫。ただね、やっぱ長くは持たないから、さ。早く、行こう?」
「は、はい! 行きましょう!」

 痛みを堪え、軽やかに笑ってノーシュは僅かに眉間を抑えた。彼の力もまた、使用している間は絶え間のない微かな頭痛に悩まされる。
 そっと左手をドアノブに当てて、ノーシュはゆっくりとドアを開けた。
 夜の広がる黎明街へ、三人はそっと踏み出した。

Re: 宵と白黒 外伝〜白と黒〜 ( No.23 )
日時: 2020/06/29 18:30
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

 はっ、は……とノーシュの口から息が吐かれる。シュゼがいなくなったという通りを三人は走っていた。オシャレな街灯で照らされる無数のショーウィンドウが、きらきらと光を反射してオレンジに瞬いている。冬の寒い空気が肌を撫でていくのすらも涼しいほど、ノーシュは暑かった。体温を必死に下げようとしているのか、全身から汗が吹き出ている。
 それは、限りなく力に対して体がオーバーヒートしている状態に近い。だが、ここで力の行使を止めるわけにはいかない。必死に視線を辺りへ巡らせれば、パチパチと弾けるように誰かの思考が流れ込んでくる。『腹減った……』『まだかなぁ……』『あいつ絶対ぶっ殺す!』『何なんだよ……』『まだか、まだなのか!?』

「ッくそっ!」

 思わずノーシュは悪態を吐いた。無数の人々の思考が無差別に流れ込み、目的のそれなど視つかる気配もない。それが聞こえ、ブランは同じように顔を歪めた。集中が切れたせいでさらに眼に負担がかかっている。グルグルと辺を見回して、必死にシュゼの姿を探す。

「ノーシュさん、大丈夫ですか!?」

 後ろを走るリュゼが、泣きそうな声でそう呼びかけた。肩で息をしながら、ノーシュは振り返る。彼女が泣きそうな顔をしているのに気付いて、ノーシュは笑ってみせた。

「大丈夫。」
「無理はよしとけ、ノーシュ。ボクも居るから、落ち着いて!」

 横合いを走るブランが、ノーシュにそう呼びかけた。

□  △  □

 シュゼと誘拐犯と思しき人物の間には、しばらく沈黙が落ちていた。先程から男は、手に携帯電話を握って張り詰めた眼差しであたりを見回している。シュゼの黒く染めた髪を、吹き抜ける風が揺らしていた。

「ッツ………!」

 男の口からわずかに悲鳴のような息が零れた。突き刺すような何かが、彼の肌に焼き付く。その声に、シュゼがばっと顔を上げる。それと同時に、はっきりとした音が響いた。携帯の着信音だ。

「え……? ちょっと、何!? ねぇ!」
「うるさい、静かにしてろ!」

 容赦なくシュゼの腹に男の足が蹴りこまれる。ドッ、と鈍い衝撃が彼女の体を駆け抜ける。誰かに手を上げられるのは初めてだ。たすけて───! そんな事を必死に願いながら、未知の痛みにシュゼは意識が遠のいていくのを感じた。

□  △  □

「シュゼ!? 今、助けにいってやるから!」
「なんだ、あの男ッ! シュゼのこと、蹴りやがった! クソ、ボクがあそこにいれば蹴りかえしてやるのに!」
「姉上、言葉!」

 黎明街を駆け抜けながら、ノーシュとブランはほぼ同時に叫んだ。顔を怒りに染めて口汚く叫ぶブランをノーシュが諌める。ショーウィンドウから零れるオレンジの光が、彼らの足元を照らしだす。周りを歩く品の良さげな貴婦人たちが驚いてこちらを見るが、それを気にせずにノーシュたちは走り出した。

「ノーシュさんっ! ブランさん!」

 後ろから急いで追いかけるリュゼが、彼らの名を呼んだ。何かを見つけたように駆け出す二人を見て、リュゼの心に希望が宿る。ブランはその声に振り返った。追いつけそうに無い程の速さで走っていた彼女が少し速度を落とし、リュゼと併走する。そっと少女の小さな手を握り、僅かに笑った。

「見つかったから、もう大丈夫。あとはボクらに任せて。リュゼ、君は先に家に帰っていて?」
「ブラン、さん……」

 泣きそうになりながらもこくりと頷いたリュゼは、くるりと踵を返して走り出した。結局私がいると足でまといなんだから、とそんな事を思って。

□  △  □

「おら、起きろお嬢様!」

 気絶していたシュゼの頬が、ぱちぱちと叩かれる。下腹が痛まないような体勢を探しながら体を起こしつつ、シュゼは呻いた。

「何、どうしたの!?」

 男は苛立ったようにシュゼを拘束を解く。手の自由を味わう間もなく、ヒヤリと冷たい感触が指先に触れる。男の息がかかるのが首筋に感じられ、ぞわりとシュゼの体に鳥肌が走る。

「分かるか? 動いたら、この刃がお前の指を切り落とす。痛い目に会いたくないなら動くなよ?」
「ッ!」

 指先に、刃が食いこんだ。白い肌に赤い雫がぽつりぽつりと浮かび上がり、滴り落ちる。それの恐怖に、シュゼの魂は警鐘を鳴らした。このままでは命が危ないと。身体を、守れと。

 男の手首に、鮮やかな青の炎が灯った。


「ぐぁ!?」

 不意に、手首に這う刃の感触が消え去る。それと同時に、男の手による拘束も解けた。からりと刃が落ちた音を立て、きらきらと瞬く。

「うわぁっ!」 

 恐怖に竦みそうになりながらも、シュゼはもどかしげに目を覆っていた布のようなものを投げ捨てた。急に明るくなった視界に目を慣らそうと必死に瞬きながら、ばっと振り返る。男は手首を抑えて呻き声を上げていた。

「っひっ、ハッ!」

 それは、酷い火傷の後だった。そこだけが燃やされたかのごとく赤く焼け爛れていて、思わずシュゼは目をそらす。だが、現実は変わらない。彼女が、己の力で彼を傷付けたのだということは。
 恐怖に顔を歪めながら、シュゼは駆け出した。ふらつきながら、何度も転びそうになりながら。光のある方へ、街へ。路地を抜け出て、走る。いくつもの角を衝動的に曲がる。
 だが。逃げ続けることは、出来なかった。

「お前……よくも、やってくれたな…………!」

 何故か瞬間で後ろに現れた男は、顔を歪めながら残った左手に握られた刃を振り上げた。月の光を写して、キラリと刃が光る。再び力を発動するのは、不可能だ。あれは、シュゼの魂が反射的に発動したもの。自発的な意思によるものでは無いから。
 今度こそ、本当に死ぬ───! シュゼの思考は、そこで停止した。

「待てぇっ!」
「お前……ボクのシュゼに好き勝手やってくれやがって!」
「姉上、シュゼは貴女のものじゃありません! あと言葉!」

 夜闇を切り裂くかの如く、凜然としたテノールとアルトが響く。白い服を纏った背中が、目の前に映る。ざっ、と石畳を蹴立てて現れたのはノーシュとブランの二人だった。誘拐犯とシュゼの間に立ちはだかる彼らの姿は、何処までも頼もしい。安心してか腰が抜け、ぺたりとへたり込んだシュゼが呆然と彼らを見上げているうちに、気の抜けるような会話を二人は交わした。
 殺されるかもしれない相手を前に軽口を叫び合う二人を前にして、男は我慢できぬとばかりに叫んだ。

「何なんだ、お前らっ! いい加減……いい加減にしろ! お前……リュゼ・キュラスじゃなかったのか!? 俺を、騙したんだな!」
「うぉっ!」

 ブランが勢いよく飛びずさる。不意に、間合いを詰めて目の前に出現した男は石畳に付着していた土を舞い上がらせる。足をブラン目掛けてはね上げると、立て続けに刃を振るった。僅かに息を零しながらそれら全てをかわしてのけたブランは、ニヤリと笑って言った。

「そっか、それが君の力か。そうだな、んん…身体を粒子状の何かに変えて、高速で移動している。そして、それは他人とも共有可能…………それで君はシュゼを攫った。どうだい? こんなところだろ? ボクを女だと思ってナメるなよ?」

 メガネの奥で、青く瞳を煌めかせながらブランはそう分析してのけた。自信満々に紡がれた言葉の刃によって、生じた綻びを縫うかのように、男は連続で攻撃をブランへ向ける。
 だが、その全てを彼女の目は捉えていた。それもそのはずだ、彼女の力とはそう言うものだから。視力全般の強化、それに付随する透視────視力を強化した時に生じる効果の中で、最も人外であった透視が高名になっただけのことなのだ。
 全ての攻撃を見切って、ブランが反撃に出た。左足を軸にした回し蹴り。

「ぐっ、は……!」

「ねぇ、君。さっき、リュゼ・キュラスじゃなかった、とか言ったよね?」

 倒れた男を地面にローファーを履いた足で踏みつけて、ブランは笑う。もう抵抗する気もないのだろう男へ、酷く冷たい声を投げかけながら、ニヤニヤと。

「君はもしかして、リュゼの髪色が黒だからそう判断した? だったら、君は何も見えていないな。ボクは一発で分かったけどね。」
「間違った子を誘拐して、こんな怪我して……いっそ同情できる。まあ……僕は許さないけどさ。」

 冷たい空気を発しながら、ノーシュたちはそう言った─────────

□  △  □

「わぁぁぁねぇさぁぁん!」
「リュゼ…………!」

 あの後、警察へ男を───二人ほど迎えに来た仲間がおり、やはり身代金のための誘拐だったそうだ─────を連れていったノーシュとブランは、そのまま病院へ直行した。シュゼの怪我の検査をする為である。シュゼは蹴られただけだと言ったのだが、ノーシュとブランは聞かなかった。
 本当に大事ないことが検査で確認され、シュゼの望みである所に寄ってから家へと帰宅した三人を、リュゼが出迎えた。
 泣きながらシュゼに抱きついてから、少女は何かに気づいたように顔を上げた。

「あれ? ねえさん…髪、切ったの?」
「あ、うんっ! ほら、もう……間違えられたり、しないように。リュゼをちゃんと守るために、ね。」

 ふわりとボブカットの白髪に触れながら、シュゼは微笑んだ。その様子にノーシュとブランは、ゆっくりと口元に笑みを浮かべると手を振った。

「あとは二人水入らずで話しなよ。僕たちは帰っているから。じゃ、バイバイ!」
「バイバイ、ボクのシュゼリュゼ!」
「だから、貴女のものじゃないつってんでしょう姉上!」

 軽口を叩き合いながら、ブランとノーシュが立ち去っていく。ハッと顔を上げた二人が、がばりと頭を下げた。

「あの、本当に……ありがとうございました!」
「ありがとう、ございました!」

 ひらっと手を振って立ち去っていく二人の姿が見えなくなるまで見送りながら、リュゼはシュゼへと向き直って言った。

「ねえさんは………長い髪が、好きなんじゃなかったの?」

 その問いに、シュゼはハッとした顔をした。次の瞬間、くしゃりと破顔して少女は言う。

「いいの。全部、リュゼを守る為だから。だって私は───────お姉ちゃんでしょ?」

(白と黒〜完〜)