複雑・ファジー小説
- Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.2 )
- 日時: 2021/01/24 22:40
- 名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)
第一章 目ノ痛クナル程青キ空
第一話 群青色
「あら、お姉様ではありませんか? また何処かで油を売ってらしたの? まぁ、お姉様は座学がお嫌いでしたものね?」
蓮と別れ自宅へ帰宅した華鈴が廊下を歩いていると、溌剌とした声を掛けた者がいた。振り返って見れば彼女の勝気な黒い瞳は細められ、口元は弧を描いている。
それを見た華鈴は、彼女の挑発を鼻で笑い飛ばしながら清冽な声音で言い返した。
「こんばんは華恋。ああ、先程の言葉だけどね。君の方こそこんなところで油を売っていると言えるんじゃないのかい? 本当に勝ってるつもりなら、こんな挑発めいたことしないだろ?」
「なっ……もう良いです、私はまだ教わることがありますから。───お父様たちに見切られてる貴女と違ってね」
華恋がくるりと背を向ける動きと連動して、長い緑髪の先端が宙に弧を描く。ふん、とでも言いそうな雰囲気を纏った彼女が廊下の向こうへ歩いて行ったのを見届け、華鈴は肩の力を抜いた。
整頓された自室で大の字になって───もう私服だ───ゴロゴロと転がりつつ、華鈴は先程の華恋の態度について考えていた。
華恋は本当は気が弱い。なのに執拗に私を蹴落とそうとしているのはきっと、あの伝説が絡んでいるためだろう、と思う。
───かつてより命風神社は宮司候補を二人立てるしきたりがある。何故かは分からない。宮司は引退する際に次の宮司を指名して引退する。そして選ばれなかった片方は───消えるのだ。何故か消えている。人々の記憶には残っているのに、存在しなくなる。ただの伝説と言うには今まで居なくなって来た者があまりにも多かった。
私が宮司に執着しないのを、きっと華恋も華恋なりに心配しているのだ、と気付いたのは何時だったか。自分が消えてしまうかもしれない恐怖と、姉に消えて欲しく無いと言う思いで板挟みになってるのだろうというのは都合のいい思い込みか。そしてあんな挑発するような態度を取って執着させようとしているのだろうか。
───そんなことはしないと言うのに。
華鈴がそんな事を考えている合間に、夕焼けはいつの間にか群青色に沈んでいた。
- Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.3 )
- 日時: 2021/01/24 22:48
- 名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)
第二話 留紺色
蓮は華鈴と分かれてから、神社に参拝してから帰り道を歩いていた。
命風神社はこの街の東の奥にある。参道とでも言うのだろうか、神社の前から伸びる道には人通りが多い。買い物をしているらしき女たち、仕事の帰りに一杯飲んで行きそうな男たち。
ちょうど日が沈む時間帯なのもあって、向こうの空から射した強烈な西日が蓮の目を焼く。
「うわ、眩しい……」
目を思い切り眇めながら、蓮は小走りで魚屋の隣の道へ駆け込んだ。魚屋はどうやら今日も盛況のようで、夕飯の支度に来たらしき女たちが蓮へ口々に喋りかける。
「あら、蓮くんじゃない!」
「ちょっとおかず作り過ぎちゃったんだけどいるかしら?」
「お魚一尾わけてあげましょうか?」
次々と話し掛けて来る女たちに若干身を引きつつ、蓮は丁寧に答えた。
「あ、どうもこんにちは……え、良いんですか。あ、ありがとうございます、楓樹おじさんも喜ぶと思います……良いですよ、貴女方の家も家族さんたくさんいるでしょ?」
蓮が一気に答えて一息継ぐ間も無く、今度は腰に小さな子供達が群がって来る。
「蓮にぃ、俺この間ね……」
「蓮! 俺としょうぶしろー!」
実を言うなら、小さな子供特有の舌の回らなさと声の高さが蓮はあまり好きではない。しかしお母さん方がいる手前、良いように追っ払うわけにもいかない。そう思ったのか、蓮は真面目に対応しようとして息を吸う。
「もう、この子達ったら……蓮くん、ごめんなさいね。それじゃ、私はこれで。おかずはなるべく早く食べてね!」
だがどうやら蓮が気を回す必要はなかった様で、先程の子供達を引っ張って若い母親が帰っていく。
「あ、ありがとうございます……僕もこれでお暇します」
ぺこりと魚屋の店主と女たちに向けて一礼した蓮は、片手に荷物をぶら下げて再び家へ歩き出した。
割と古風な一軒家の戸をガラガラと横へ開け、蓮は三和土を見る。革靴が一足、自分のサンダルが一足。
「楓樹おじさん! ただいま!」
廊下の先にある部屋からだろうか、楓樹と呼ばれた男の声が返ってくる。
「お帰り、蓮! 夕飯、ちょっと待っててくれ!」
「はーい!」
そう返事をしつつ、階段を上がり手を洗う。キッチンの前のテーブルに先程貰ったおかずを置いて、リビングのソファの上へ寝転がった。ぼんやりと窓の外から見える景色を眺めている内に、陽は沈んでいく。一片の残光すら消えようとした時、ぎしぎしと階段を登る音がした。
「おーい、夕飯にするぞ!」
そこに現れた男が、蓮の叔父たる風間楓樹である。
□ △ □
かちゃりと音を立てて箸を置き、楓樹が唐突に顔をあげる。いきなりの動きにきょとんとする蓮の目を見て、彼は口を開いた。
「そういえば、さ。今日、咲織姉さんの命日、だよな。」
「……あ……そうだね。今日だ。お墓は行ってないけど、命風でお参りはして来たよ」
蓮がふっと俯きそう答えると、楓樹は謝意を滲ませながら目を伏せる。
「悪いな、毎年お前に行かせて。……潤義兄さんは?」
「音沙汰なし。……大方もう母さんの事なんて忘れてるでしょ」
井上咲織、旧姓風間。蓮の母であり、楓樹の姉である。
蓮を産んだあと、病を患いそのまま亡くなったのが五年前。蓮が五歳の時の事だ。父親だった井上潤は咲織が亡くなった後、蓮を置いて失踪した。
───遊び人でもあったから、誰か別の女を見つけたのだろう、と言うのが楓樹の考えである。
その後ひとりになってしまった蓮を引き取ったのが楓樹である。まだ独身で、この家で一人暮らしをしていた。
「その、本当に……ありがとう、楓樹叔父さん」
「家族なんだから当たり前だろ」
楓樹がそう言って快活に笑うと、蓮もうっすらと笑う。しばらくそこは静寂で満たされていた。
- Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.4 )
- 日時: 2021/01/24 22:50
- 名前: 心 ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)
第三話 縹色
「そういえば、さ。……華鈴さんが、赤蜻蛉見てみたい、って言ってたんだけど」
夕飯を食べ終わった後、のんびりとした会話の中で、蓮が唐突にそう切り出す。
それを受けて、楓樹はかなり驚いたように目を見開いた。なにか考え込むように彼はずっと黙りこんでいたが、意を決したのか顔を上げると口を開いた。
「……よし! 今度俺が休暇が取れたら、秋津原に行くか!」
楓樹がさも楽しそうにそう言うと、蓮は驚きに目を見開いた。
「良いの? 大丈夫なの叔父さん?」
それもそのはず、楓樹はいつも仕事に追われていて、しっかり休みを取れるのは一年で夏に一週間と冬に一週間程度なのだ。それを知っている蓮からすれば、当然の疑問と言えた。
「休暇さえ取れれば問題ないよ! あー、でも……華鈴ちゃんは大丈夫か?」
蓮の顔が曇ったのを見て、楓樹がやっぱりか、という顔をする。神社の権禰宜がふらふらと遊びに行っていいわけないのだ。今、蓮と話せていること自体がもはや例外なのに、旅をしに行こうとはどうなのか。
頬杖をついて楓樹は取り敢えず、と笑って言った。
「先ずは華鈴ちゃんに話してこいよ。明日とかでも良いだろ?」
ばっと顔を上げた蓮は、うんうん、と激しく首肯した。
夜から雨が降り出した。夏特有の、滝の様な大粒の雨。
そして次の日の朝には、雲一つない縹色の空が一面に広がっていた。
雨上がりの後の特徴的な、何だか切なくなる様な匂いで満たされている家の前を、蓮は箒で掃いていた。どうやら夜の雨は風も酷かったらしく、沢山の葉が飛ばされている。
昨日楓樹から言われたことを思い出した蓮は、ほんの少しだけ心臓が高鳴っていた。
- Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.5 )
- 日時: 2021/01/24 23:07
- 名前: 心 ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)
第四話 天色
昼食を食べ終えた蓮は、昨日と同じ道を通って命風神社の方へ向かっていた。ただし手には掃除道具であろう柄杓やら桶やらが握られている。
蓮が向かったさきは命風神社の少し手前の墓地だった。だだっ広い墓地の中で、蓮は母親の墓石を探す。ほかに人がいない墓地で掃除をすると言うのは、ある種の性格の者ならばとても苦行であろうが、蓮にとって一人というのは珍しいことでは無いのだ。
「一日遅れちゃってごめんね、母さん」
そう言ってから蓮は、墓石の掃除を始めた。太陽が高く昇るにつれて気温は上がりつづけ、朝の心地よい気温はじっとり汗ばむような暑さへ変わっていく。
「一番暑い時間帯に来ちゃったかな」
蓮はそう呟きながら空を見上げた。突き抜ける青い空に、刷毛ではいたようなと言う表現が確かに当てはまる雲が浮かんでいる。
一通り墓石の掃除が終わり、蓮は一息つくと手を合わせた。
「母さん。僕ね、華鈴さんと仲良くなったの。後ね……楓樹叔父さんにちゃんとお礼も言ってるよ」
鼻の奥がつんとし、視界がぼやけたような気がした。何年経ったと思っている、と心の中で呟く。未だ慣れなかった。ふわ、と風が吹いた。否、それは風というほど確かなものではなくて、僅かな空気のゆらぎとでも呼べるもの。
音もなく蓮の隣に膝を突いた少女は、そっと手を合わせてから目を閉じる。数秒間そうしてから、彼女は目を開けた。
「大丈夫か」
「華鈴さん……また抜け出して来たんですか?」
緑の長髪を認め、蓮が墓から目を離さぬままそう言う。華鈴はそれにどこか不貞腐れたような顔で答えた。
「良いじゃないか、やることはやって来たし」
「……様になってましたね」
先程の華鈴の手を合わせていた姿を思い出して蓮は呟く。
「君、私と意図的に話合わせてないな」
「そうですか」
貴女と話すと泣いてしまいそうなので、と言う言葉は胸に秘めたまま、蓮は俯く。しばらく黙り込んでいた二人の静寂を破ったのは、案の定華鈴だ。気遣わしげに蓮を見て、数回口を開閉させてから尚も躊躇いがちに言う。
「私は。14年しか生きてないけど、でも……君みたいな人はたくさん見て来たよ。でね……亡くなって……楽になったでしょう、って言った遺族さんがいたんだ。……君の家の事情はあまりよく知らないけど。病で苦しんでたんだったら、きっと……そっちの方が楽、って事もあると思う」
華鈴の長くて真剣で───悲しみを纏った言葉。今度は本当に心の中の堤防が決壊した蓮の瞳から、涙が舞い落ちる。
「なんで。そんなこと、言うんですか……カッコ悪いから、泣きたくなかったのに……」
華鈴への恨み節を炸裂させる蓮の背中を、ポンと華鈴は叩いて微笑んだ。
「無理するな」
照りつける太陽が、墓地の地面に降った涙を乾かして行く。空からはいつの間にか雲が消え。澄んだ天色が蓮と華鈴を包んでいた。