複雑・ファジー小説

Re: 宵と白黒 外伝 ( No.26 )
日時: 2020/07/29 06:43
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

 タリスクには、遥か昔から続く三つの家がある。マータ、ルクスィエ、キュラスの三家である。ルクスィエは分家のシールと血で血を洗う争いを繰り返し合い、力を削り削られ合う。マータの一族は首都にて国政へ深く関わっており、他の二家とは一線を画す力を持っている。
 そして、キュラスは長らく国政に関わっていたが、マータの二番手に甘んじていた。当代のキュラスであるルクスは業を煮やし、国政から引いて会社を設立する道を選んだ。
 ノーシュが真名を奪われるよりも10年ほど前のことである。
 彼の選択には反対する者も多く、それを巡って一族は三つの派閥に分かれることとなる。保守派と革新派、そしてなし崩し的に派閥とならざるを得なかった中立派である。
 保守派にはこれからも国政に関わり、マータの下に甘んじようとする者たちが集った。これならば今後も安定して利益を得られると考えたからだろう。
 二番手に甘んじることを拒否し、ルクスについていく事を選んだ者たちが革新派。その圧倒的な力でもってルクスは、働かず、金のみを食い漁っていた人間を──保守派、中立派、革新派問わずに──粛清した。その力とカリスマに惚れた者たちは、彼の狂信者となっていった。

 必然的に、保守派からはルクスに逆恨みの敵意が向けられることとなる。

 その敵意は、ついに殺意へと成り代わった。保守派としてもそこまでの行動に出る気は無く、一部の暴走なのだろう。ルクスに暗殺者が仕向けられたのだ。これが、およそ三年前の出来事。ボディガードが身代わりとなり、彼は事なきを得た。
 しかし、革新派の中にはルクスの狂信者たちがいる。彼らは、主を守るために独断で手を打つ。
 それは、ある一人の少女を犠牲にするものだった。

□  △  □
「貴女は……誰?」

 そんな問が、目の前に立つ少女から投げ掛けられた。此処はパスト・ウィル本社のビルの三階小会議室。彼女と目の前の少女以外に人はおらず、窓は開け放たれている。そこから入ってきた風が、少女のダークグレー、毛先だけライトグレーを帯びた髪をふわりと揺らした。青い目がきゅっと細められる。怯えたように一歩下がって、手のひらを必死に隠しているようだった。

「ボク……私はブランシェ・キュラス。ブラン、と呼んでくれ。君は?」

 涼やかなアルトが会議室に響く。優しく微笑んで、ブランはそう名乗って手を差し出した。

「私、は。リフィス・キュラスです……見たでしょう? 私と握手、なんて。」

 リフィス、と名乗った少女は、ブランの差し出された手を見てビクリと半歩後ずさる。

「……君は、怖いんだろう?」

 ブランのその言葉を聞いて、リフィスは押し黙ってしまった。ブランは空っぽのままの手のひらを見て、ここに来た訳を思い返す。

□  △  □

「……新しいボディガードくんの所に行って欲しい?」

 カフェテリアの一角で、ブランはノーシュと話していた。昼時だからか、たくさんの社員がテーブル席に座っている。窓から入ってくる強烈な陽射しを手で遮りつつ、ノーシュは答えた。

「はい。その、どうやら……その子は、姉上と同じらしくて。」

 同じ、と言われてブランは苦虫を噛み潰したような顔をした。肩を落とし、頬杖をついてガラスの外を見下ろす。

「そう、か。わかった、行こう。どこにいるんだい?」
「あそこにいますよ……ま、姉上なら上手くいきますよきっと。」 

 ノーシュはそう言って楽天的に笑うと、真っ直ぐにブランのかなり後ろを指し示した。同じ窓際の席で、かなり隅の方。周りが大人の社員ばかりだからだろう、その幼い背中は酷く浮いて見える。少女が噂で聞くよりもっと小さかったことに、更にブランの怒りが増す。
 こくりと頷いた彼女は、ガタリと椅子を引いて立ち上がった。胸元のタイ代わりの青いリボンが、ふわりと揺れた。小さく頷きを返したノーシュも、会計をするために立ち上がる。
 すたすたと席の間を通り抜け、ブランは目当ての少女の元へ辿り着いた。それを見て、一瞬あたりがざわつく。それらを欠片も気にとめずに彼女は少女の目の前へ回り込んだ。

「こんにちは。」

 ふわりと顔を上げた少女と目が合う。その幼くて怯えているかのような雰囲気に似合わない鋭い目が、ブランに猫のようだという印象を抱かせた。ぱちぱちと瞬いた彼女は、そのまま首を傾げ、言った。

「何か御用でしょうか……?」
「少し君と話がしたい。どうかな?」

 話がしたい、と言われて少女は一瞬嬉しそうな顔を覗かせた。直ぐに元に戻ってしまったけれど、ブランは僅かに安堵する。テーブルに手を突いて、彼女は微笑んだ。
 少女の方は、少し逡巡したようだった。グレーのワンピースの布地をギュッと掴んで俯いた後に顔を上げ、ブランを見つめる。

「はい、構いません。」
「ありがとう。じゃ、場所を変えようか……会計はしてあるかい?」
「あ、はい。」
「じゃ、行こうか。」

 そう言ってブランはくるりと出口の方へ体を向けた。僅かに微笑んで振り返り、そっと手を差し出す。

「行くよ? 来ないのか?」
「あ、はい。」

 伝票を左手に持って、立ち上がった少女が右手でテーブルの上に置かれていた紙コップを掴んだ。その時───その紙コップが、溶け落ちた。

「ッツ……!」
 
 少女が悲鳴のような声を零す。

「これ、か……」

 周りの社員たちがざわめき、明らかな蔑視が少女に突き刺さる。伸ばされたブランの手がが少女の手を掴むより早く、彼女は駆け出してしまう。

「何で……!」
「待ってくれ!」

 幼くて細い泣き声が、ブランの耳に響く。絶対に救ってやる、と彼女は思う。そして、その幼い背中を追いかけてブランは走り出した。

□  △  □

 溜め息をついて、ブランは少女の青い目を真っ直ぐにみつめた。恐れと怯えからだろうか、その目はゆらゆらと視線を定めていない。
 リフィスは、押し黙って俯いたままぎゅっと右手をにぎっている。風が強く吹き抜け、髪が揺れる。ホワイトボードに張り付けられていたポスターが剥がれそうなほどの風。
 なにも状況が変わらないことに、ふっと息を吐いたブランはウエストポーチへ手を差し込んだ。取り出したケースから、度の入っていないメガネを出して掛けておく。ぱちぱちと瞬いて、もう一度リフィスに呼びかけた。

「リフィス。君は力が制御出来ていない。そうだな?」

 静かに落ちたその言葉に、少女は顔を跳ねあげた。

「だからなんだって言うんですか!?」

 キッとこちらを睨んでくるさまは、本当に猫のようだった。

「ボクもさ。」

 そう言って、ブランは微笑む。かつり、と音を立ててリフィスへ一歩近づき、メガネを外す。度が入っていないから、当然視界に変化なんてない。くるりと長い会議用のテーブルを回り込んで、リフィスの斜め後ろへ移動する。
 若干息を飲んで、リフィスは振り向いた。その目は、先程までの恐怖だけでなく、僅かな期待で揺らいでいる気がする。

「貴女、も……?」
「そうさ。ボクも──今は違うけど──君くらいの年の時は力の制御なんて全然上手くいかなかったよ。だから、大丈夫。君も大人になれば、きっと上手くいくようになるから。」

 優しく、言い含めるように。そっと人差し指を立てて、内緒話のように彼女は話す。微笑んで、少女の頭に手を乗せた。

「それじゃダメなんです!」

 ぎゅっと拳を握って震えていたリフィスが、そう叫んだ。風が強く吹き、ざわざわと音を立てる。

「私は、今すぐルクス様を守れるようにならないといけないんです! いつか、じゃダメなんですよ!?」

 そう叫んで、リフィスは泣き出した。それを見て、ブランは考え込む。きっとこの子はどこまでも純粋で、刷り込まれた事にさえ気付かずに信じ込んでしまうのだろう。なら、と彼女は思う。しゅるりと胸元の青いリボンタイを引き抜いて、ブランはリフィスを呼んだ。

「リフィス。」
「なん、ですか……?」
「これ。ボクもこれのおかげで制御出来るようになったの。」

 そっと少女の右手首を手に取って、くるりとそこへ巻き付ける。ブレスレットのような華々しさは無いけれど、確かにそれが良く似合う。本当は、嘘だ。何も証拠なんてない、とブランは思う。自分が制御出来るようになったのはメガネによる、いわば暗示のお陰だ。なのに、ボクは平然と嘘をついている。

「ほんと……?」
「ああ。」

 苦い思いと、少女を救える喜びのような感情。所詮偽善なのだけれど。他者を見る目を持つ彼女は、それより何より自分をよく知っている。
 それでも尚ブランは少女の手のひらへ己の手を重ねる。ッツ、と。浅くリフィスが息を飲んだのがわかった。逃げ出そうとしている身体を押さえ込んで、ブランは囁く。

「ほら、大丈夫だろ?」
「私、は。大丈夫、なんですか? そうなんですよね?」
「うん。大丈夫だ。」

 まるで彼女の精神へそれを染み込ませるように、ブランは幾度も囁いた。暗示と言うより、己を信じさせて精神を安定させる。
 つねに力が発動してしまうわけではないから、今ブランの手が溶けていないのは純粋に運が良かっただけかもしれない。だが、それでも彼女は手を離さなかった。

「ありがとうございます、ブランさん。」

 そう、リフィスは言った。そっと身体をブランから離し、手首のタイへ触れる。ゆっくりとそれを撫ぜながら、少女は笑った。

「もう、大丈夫だといいですね。」
「ああ、そうだな。」

 ブランは一つ、ここで優しい嘘を吐いた。