複雑・ファジー小説

Re: 宵と白黒 外伝【更新じゃない】 ( No.29 )
日時: 2021/11/05 22:44
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

(第四章後の時空です。四章までのネタバレを含みます。)

 雨が上がった。

「蓮、あなたの名前はね、一蓮托生っていう四字熟語からつけたんだよ」

 薄く笑ってそういった母の顔は、もうおぼろげだった。声だって当然のように思い出せない。もう十年が
経つのだから当然かもしれないが、それを当然だと思いたくなくて、無駄な努力を続ける。
 その後自分はどうしたんだろう。一蓮托生の意味を尋ねたんだったか。思い返そうとしても、どこかでブレーキがかかっていて、記憶を探るのをやめてしまう。
 こわいのだ。

「か、は……」

 息が浅くなる。
 母がいなくなるのがこわかった。ずっと思い出そうとしなかった理由はそれだ。最も身近にいた人間の死というのは、どうやらこんなにも恐ろしいらしい。
 心臓が締め付けられる。
 ぎゅっと閉じた目のおくで、緑色の髪が揺らいだ。夕陽に透けて淡い金色を帯びるそれと、前髪の色を吸って陽炎みたいな緑を帯びる黒。からりと笑う。手を伸ばせない。
 確かめてしまうのがこわいから。
 吐きそうだった。
 この感情が恋だというのなら、愛だというのならば、母はどれほど苦しかったろう。確かに愛した男に捨てられて、頼るものは弟しか居らず。故に身体を壊したのだ。
 どん、とテーブルを殴りつけた。
 痛みで、ふっと我に返る。苦しいのは自分だけじゃない。リフィスだってそうだ。愛する人間には先立たれるものなんだろうか。わからない。
 それは不謹慎かな、と小さく呟きを落とした。トワイとリュゼの、どちらにも死んでほしくないと思う自分がいる。
 自分たちはどうなのだろう。今は無理でも、来世では一緒にいられるのだろうか。
 来世。
 なにか思い出せそうだった。一歩先へ踏み出す。

───「二つを一つにする、みたいな意味もあるんだよ。極楽でひとつの同じはすの上に生まれ変わる、っていう」

 ああ。そうだった。
 だからね、と笑う母と、揺れる黒髪。カーテンみたいに光を遮るそれが好きだった。思えば彼女の髪は、華鈴と同じくらいに長かった気もする。
 ぐしゃり、と心臓が押しつぶされて、気付いたら泣こうとしていた。好きだった。

───「極楽で家族三人で暮らしたいなって思ってつけたの。ごめんね、自分勝手で。……もしも、もしも蓮に好きな子ができたら」

 止めろ、と叫びたかった。けど、今を逃したら思い出せないとすら思った。

───「その子が先に亡くなってしまったり、蓮が先に死んでしまう可能性だってある」

 泣いていた。誰が泣いている? いや、ふたりともが泣いている。記憶の中の母も泣いていた気がする。

───「だから、この子と一生いっしょにいたいって子が出来たら、ちゃんとあなたの名前の由来を伝えるんだよ? 待ってるからって言ってあげてね」

 ずっといっしょだからって、安心させてあげられる男の人になってね、と。そう笑いながら泣いた母を、ようやく思い出した。怖かったんだろう、自分の息子が夫と同じようになってしまうのは。自分と同じような思いをする人間が、また生まれるのが。
 苦しかった。何ら言えなかったからだ。

「待ってます。……まってて、ください。かりんさん、いかないで、そこに、そこで、ずっと、」

 ベランダへ飛び出す。冬の澄んだ空気に透ける夕陽が強く目を刺した。

「ぼくだって、ちゃんと、そこに、いくから」

 手を伸ばした。空を切る。
 
「またこんど、しあわせに、なりましょう」

 すとん、と座り込んだ。あなたが許してくれるのならですけど、と小さく呟きを添えて、笑う。
 恋をしている、どうしようもなく。

(了)