複雑・ファジー小説

Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.5 )
日時: 2021/01/24 23:07
名前: 心 ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

第四話 天色

 昼食を食べ終えた蓮は、昨日と同じ道を通って命風神社の方へ向かっていた。ただし手には掃除道具であろう柄杓やら桶やらが握られている。
 蓮が向かったさきは命風神社の少し手前の墓地だった。だだっ広い墓地の中で、蓮は母親の墓石を探す。ほかに人がいない墓地で掃除をすると言うのは、ある種の性格の者ならばとても苦行であろうが、蓮にとって一人というのは珍しいことでは無いのだ。

「一日遅れちゃってごめんね、母さん」

 そう言ってから蓮は、墓石の掃除を始めた。太陽が高く昇るにつれて気温は上がりつづけ、朝の心地よい気温はじっとり汗ばむような暑さへ変わっていく。

「一番暑い時間帯に来ちゃったかな」

 蓮はそう呟きながら空を見上げた。突き抜ける青い空に、刷毛ではいたようなと言う表現が確かに当てはまる雲が浮かんでいる。
 一通り墓石の掃除が終わり、蓮は一息つくと手を合わせた。

「母さん。僕ね、華鈴さんと仲良くなったの。後ね……楓樹叔父さんにちゃんとお礼も言ってるよ」
 
 鼻の奥がつんとし、視界がぼやけたような気がした。何年経ったと思っている、と心の中で呟く。未だ慣れなかった。ふわ、と風が吹いた。否、それは風というほど確かなものではなくて、僅かな空気のゆらぎとでも呼べるもの。
 音もなく蓮の隣に膝を突いた少女は、そっと手を合わせてから目を閉じる。数秒間そうしてから、彼女は目を開けた。

「大丈夫か」
「華鈴さん……また抜け出して来たんですか?」

 緑の長髪を認め、蓮が墓から目を離さぬままそう言う。華鈴はそれにどこか不貞腐れたような顔で答えた。

「良いじゃないか、やることはやって来たし」
「……様になってましたね」

 先程の華鈴の手を合わせていた姿を思い出して蓮は呟く。

「君、私と意図的に話合わせてないな」
「そうですか」

 貴女と話すと泣いてしまいそうなので、と言う言葉は胸に秘めたまま、蓮は俯く。しばらく黙り込んでいた二人の静寂を破ったのは、案の定華鈴だ。気遣わしげに蓮を見て、数回口を開閉させてから尚も躊躇いがちに言う。

「私は。14年しか生きてないけど、でも……君みたいな人はたくさん見て来たよ。でね……亡くなって……楽になったでしょう、って言った遺族さんがいたんだ。……君の家の事情はあまりよく知らないけど。病で苦しんでたんだったら、きっと……そっちの方が楽、って事もあると思う」

 華鈴の長くて真剣で───悲しみを纏った言葉。今度は本当に心の中の堤防が決壊した蓮の瞳から、涙が舞い落ちる。

「なんで。そんなこと、言うんですか……カッコ悪いから、泣きたくなかったのに……」

 華鈴への恨み節を炸裂させる蓮の背中を、ポンと華鈴は叩いて微笑んだ。

「無理するな」

 照りつける太陽が、墓地の地面に降った涙を乾かして行く。空からはいつの間にか雲が消え。澄んだ天色が蓮と華鈴を包んでいた。