複雑・ファジー小説

Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.6 )
日時: 2021/01/24 23:12
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

第二章 赤ニ映リシ世界ハ

第一話 紅緋色

 それから日は経って。ほんの少し、日が沈むのが早くなって来た頃のこと。楓樹はガラリと家の戸を開け、妙に弾んだ声音で叫んだ。

「蓮! 休みが取れたから出掛けよう!」

 聞こえたその言葉に、蓮ががっと顔を上げる。いつになく激しく足音を立てて、階段を駆け下りた。楓樹を玄関に認めると、目を輝かせながら問い掛ける。

「ほんと!? どこ行く!?」
「どこでも良いぞ! 一週間で帰って来られるところならな!」

 蓮の顔に満面の笑みが浮かぶ。それを見た楓樹も嬉しそうな顔をした。

「叔父さん、じゃあ、秋津原に……!」
「おう! そんなに遠くないだろ」

 それを聞いて蓮は頷いた。華鈴にも言わなくては、と思うと心が弾む。さらに蓮の笑みは深まるのだった。

□  △  □

 一方その頃、華鈴は───

「お前に権禰宜としての自覚は有るのか!」
 
 暗くなりつつある部屋に、男性の声が響く。華鈴は父から怒られていたのだ。
 先程から俯きっ放しの華鈴の身体は、小刻みに震えている。それは泣くのを堪えている様でもあり、怒りを抑えている様でもある。
 延々と説教は続いていた。その間華鈴はずっと俯いて震えていたが、男はそれを泣くのを堪えていると捉えたのだろう。不意に優し気な顔をすると、ポンと華鈴の頭に手を置いて慰める様な声を出す。

「華鈴……お前だって今からまた頑張れば、宮司に────」

 宮司に、と言う言葉を聞いた瞬間、華鈴は顔をはねあげた。それは期待に満ちるものではなく、怒りが爆発したもの。

「ふざけるな! 最初から期待もしないで……私は詰まるところ華恋の為の砥石に過ぎないのだろう!?」

 その言葉に、男の目がスッと細められる。立ち上がった華鈴は、男の目を見下ろした。殺意すら宿りかねない瞳が、きつく彼を睨む。

「華鈴。お前は、結局何がしたいんだ?」

 その言葉は、まるで紙に水が染みるように華鈴の心に響き渡る。唐突に、ふと彼女は口角をはね上げた。

「何が……何を、したい……笑ってしまうな……親なのに、そんな事も分からないのか! 私は、自由が欲しいんだよ! 宮司も権禰宜も命も、何も要らない! 自由になりたい、挙句の果てに死んでも構わない!」

 激昂した華鈴の言葉に、男は笑った。

「自由になりたい、か。華鈴と華恋、お前たちのどちらかはいずれ消えるのだ……それが、お前になる。それでも良いのか?」
「ああ構わない、さっき命も要らないと言っただろう!」

 仮にも娘であるはずの彼女に向けて、男は言い放つ。それは消えろ、と言っているのと等しいのに。何の情も浮かばぬ顔で、平然と。

「ならば秋津原に行くと良い。ただし家は……勘当だ。そこでお前は『自由』になれる」

 それを聞いてから華鈴は言葉を発さなかった。くるりと背を向けて部屋の扉を開けると、廊下を歩き出す。否応無しに見える紅緋色の袴は、彼女を此処に縛り付ける枷だった。権禰宜と言う、自由が無いそれに。姉妹での争いに。
 だけれど、それももう終わりだ。私が消えて、華恋が宮司になる。そして私は、この枷を脱せる。そう思うと、消える恐怖よりも嬉しさが勝る。秋津原に行け、か。勘当されたのだ、そう思った時、一番に思い浮かんだのは蓮の家だった。 私は憧れていたのかも知れない、と華鈴は思う。
 世間一般では男の顔がいきなり浮かんで来たのだからそれは恋をしていると呼んだりしなくもないのだが、華鈴は分かって居ない。
 蓮の家に、行ってみようかな。そう思った華鈴は、自室へ戻ると巫女服を脱ぎ捨てた。
 着替えて、最低限の持ち物を持つ。
 自由への期待に胸を高鳴らせながら、一切の未練なく華鈴は家を出ると、夕方の街を歩き出した。