複雑・ファジー小説
- Re: 自由と命令〜宵と白黒・外伝〜 ( No.9 )
- 日時: 2021/01/24 23:40
- 名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)
第三章 再ビ、夕暮レノ元ニテ
金茶色
その後も列車に乗った華鈴たちは、色々な話に花を咲かせていた。
駅で降りて三人は秋津原に向けて歩き出す。楽し気な楓樹と蓮を裏腹に、華鈴は微かに沈鬱を滲ませていた。それは本当に微かで、蓮と楓樹は全く気付いていなかったが。
「秋津原までは徒歩で行けるの?」
ほとんど人のいない構内を抜けながら、蓮は楓樹にそう尋ねる。その問いに華鈴も顔を上げて楓樹を見あげた。問われた楓樹は、にっと笑って答えた。
「そうだ。ま、そんなに遠くない」
「そうなの?」
「そうなのですか?」
楓樹は頷いて肯定すると、くるりと辺りを見渡した。
「人が余りいないね。まあこんな国境近くになれば当然か……」
「国境近く? 秋津原が、ってこと?」
「天津川が国境でしたっけ?」
また先程と同じ順番で喋った二人に仲良しか、と思いながら楓樹は答えた。
「そうだ。タリスク国との国境は天津川。秋津原の中を流れているらしいぞ、天津川は」
へぇ、と感心した顔で頷く二人を見て微笑みながら、楓樹は顔を上げた。仄暗かった駅の構内が終わり、いつの間にか外へ出ていたのだ。
「わ、眩しい……」
「ん……」
またしても同じ順番で呟く二人を見て、楓樹は再び仲良しだな、と確信する。既に空は日が傾きかけていて、それはどこまでも澄んだ光だった。
□ △ □
それからしばらく、森を抜け川を渡り──蓮が何気無く華鈴の手を引いていたのはさておき──歩いた先に一本の獣道が伸びていた。
「この先だ」
「うん……」
「そうですね……」
道を抜けて吹き抜けてくる風が優しく華鈴の頬を撫でる。不意に、脳内に響く声がひとつ。
『命謳う風の巫女……我らの、元に……』
ぞわり、と鳥肌が立った。女とも男ともつかない、中性というよりは性別が抜け落ちたかのような。機械が喋ったらきっとこんな声をしているだろうと思わせる、無機質な声。不審がられぬよう、そっと辺りを見渡しても、当然のように蓮と楓樹しかいない。だが確かに、見られていると思う。
身体が引かれるように、そこへ向かいはじめていた。神に操られているかのように、華鈴は歩き出す。
「あ、華鈴さん!」
「気が早いなあ、華鈴ちゃん」
さくさくと足元の草を踏んで自分を追いかけてくる二人を気にも留めずに。彼女はもう、走り出していた。
半ば息を切らしながら、ようやく踏み込んだ秋津原は、もう既に夕空だった。
目を刺す光の鮮烈さに、華鈴はふとため息をついた。チカラが己自身に使えれば良いものを、と何度願ったか。そうすれば楽になれた。楽なまま、後悔など微塵もなく行けたのに。
それは結局、叶わない夢。
慌てて後から追いかけてきた蓮と楓樹が目にしたのは、あまりにも美しい光景だった。
夕焼けに飛ぶのは赤蜻蛉。
靡く緑髪が、夕陽を吸って煌めく。彼女を歓迎するかのように、祝福するかのように、その翅に夕暮れの光を透かして飛んでいた。
「すごい……本当に、赤蜻蛉が飛んでる……」
「何でだ……?」
そして華鈴に目を移した蓮は唐突に、かつての感覚を思い出した。あの時、神社の境内で。夕焼けを見ていた華鈴が。そのまま消えてしまいそうに見えたこと。
蓮の中に、あの時の焦燥が再び戻る。
「華鈴さんッ!」
「蓮!? どうした!」
楓樹を無視して、駆け寄りながら蓮が叫ぶ。
その言葉は、華鈴の意識の表層を撫でただけ。だが確かに、ぼんやりとした意識の中で、華鈴は蓮の声を捉えた。そして思う。自分は本当に消えるのか。命風の伝説は伝説なんかじゃなくて、本当にあったことなんだ、と。
「華鈴さんッ! こっち、こっち見てください、華鈴さんッ!」
かつての何倍もの焦燥が喉を灼く。蓮は手を伸ばし、華鈴の肩を掴もうとする。だがその手は通り抜けてしまう。まるで、彼女がもうここにいないかのように。別のところも。手も、指先も、髪も首も、全て。まるで流れ落ちる滝に手を通したみたいに、突き抜ける感触はあるのに掴めない。
いっそう強く風が吹き、赤蜻蛉が飛び回る。
「え……?」
蓮は目を見開き、手をさらに伸ばす。無駄に空気だけを握った手に、本当に微かに重みが乗ったような気がした。それを決して逃がすまいと、無意識のうちに少年は問う。
「華鈴さん…? 何で……? いなく、なるの……?」
「蓮、楓樹さん……ありがと。好きだよ、蓮」
蓮の手を握って、静かに微笑んだ華鈴の声が響いた。そして華鈴は、真っ直ぐに右手を蓮と楓樹へ向けた。
───華鈴の力は、『記憶の書き換え』である。まだ一度も使ったことのないそれを、華鈴は発動した。蓮と楓樹、二人分の記憶を遡り。清和華鈴と言う人間は、存在しない、関わったことなどないと書き換えていく。
この後に、少しでも違和感がなくなるように。なるべく深く広く。と
力を使いながら華鈴は尚も微笑んで、蓮の目を見つめた。今にも泣きそうに潤んだ彼の目は、とても純粋な黒だった。金茶色を背景にした自分が、そこに写っている。
己が泣いていることを、そこに自覚した。格好悪い。
そう思ったのを最後に、華鈴の意識は完全に閉ざされた。
風が強く吹いて。華鈴の右手が煌めいて。好きだよ、って言われたことすら気付かぬまま。泣いていた彼女と、最後に目が合った。
そして、蓮の視界は───