複雑・ファジー小説

Re: 噛マレアト ( No.1 )
日時: 2020/05/31 10:26
名前: オルグチ (ID: bqceJtpc)


1.眠りは深い。
ーーーーーーー

「えーようするに、フェヒナーの目指したものは、物質世界と感覚世界の普遍的関係を…」

 国語教員の町田が無駄にでかい声で授業をする中、ある奴は真面目に聞いていたり、ある奴は内職していたり、またある奴はすーすーと寝息を立てていた。
 …そしてまた、ある俺はひたすらぼーっとするという、クラス43人中トップレベルの時間の浪費をしている。
 昨日も何も生産性のないネットサーフィンに明け暮れて夜更かしをしていたから、本当はめちゃくちゃ眠かったが、俺はどうもどうも柔らかいベッドでしか寝れない体質だった。

「物理法則のように数学的に記述する、とはいうが、物理法則とは一体何か。それが次の段階に説明されることであり…」

 町田の話を一部聞いたり聞かなかったりしながら、窓側の席であるのをいい事に、頬杖をついて黄昏てみたりする。どこかの日常退屈系主人公のように、「平凡すぎてつまらない」、なんて考えながら。
 …実際、退屈だった。特筆することのない薄っぺらい、省エネな生き方のまま高3になって。進学に悩む時期になりながらも、夢はなければ、やりたいことも見つからず…

「おい流川、聞いてるのか?」

「…あ、すません」

 俺、流川るかわは文字通り、流れるように適当に周りに身を委ねて生きてるだけの人間だった。
 …というか、もっと他にいただろ、注意するべき奴。

「ちょっと、気分が悪くて…」

 …今日は何となく、魔が差した。
 平凡な日常に、何でもいいからちょっとしたスパイスが欲しかったのかもしれない。優等生とはお世辞にも言えない人間だが、急に仮病を使って授業を抜け出そうだなんて、らしくない。そう自分で思いながらも、不意に口をついて出ていた。

「…ん? そうか、具合が悪けりゃ保健室に行ってこい。1人で行けるか?」

「はい、大丈夫です」


 ___いつもとほんの少し変わったこの行動が、俺の命運に繋がるなんて、この時の俺には当然知る由もない。

Re: 噛マレアト ( No.2 )
日時: 2020/05/30 23:25
名前: オルグチ (ID: bqceJtpc)


 引き戸をノックして弱々しい女声の返事を待ち、保健室に入る。

「すみません、授業中気分が悪くなりまして…3年の流川です」

 今まで保健室というものにあまり縁がなかったから、いつもの日常よりは多少新鮮を味わえると思ったが…特になんてことはない。どっかで見た学園ドラマなんかと同じような感じだ。
 壁際半分はベッド数台、もう半分は養護教諭のデスクやらなんやら。…チラッと漫画が積み重なってるのが見える。

「…あら、え、えと…大丈夫、かしら?」

 人と接するのが苦手なのか、目を見ず俯きがちに、もじもじと小さな声でそう言った。
 さっき図体と声ばかりがでかい町田を見ていたせいもあって、養護教諭が折れそうなくらい華奢であることに目を引かれた。そうでなくとも、丸眼鏡に茶髪のボブ、それになかなか若く見えるから自然と目を引く。今年からここに来た新任だったっけか。名前は覚えてない。
 男子高校生であれば、「保健室の先生」 「若い」のキーワードだけであんなことやこんなことの妄想を捗らせるべきなのかもしれないが、陰鬱な雰囲気に身を包まれすぎていて、目を引きはするが全く魅力的に映らなかった。無念。

「あー…多分、少し横になれば大丈夫かなあ、と」

「…そ、そう。じゃあ、空いてるベッド、好きに使ってね。お部屋も、暗くしておくから」

「…どうも」

 先客は誰もいないようなので、適当に丁度いいベッドに向かい、囲いのカーテンを閉めて横になった。そのうち部屋の明かりが、ベッドが並んでいる半分側だけ消される。ふかふかとまではいかないが…授業をサボって寝れるという愉悦もあってか、心地良い。ちょっとの罪悪感は否めないが。

 ここで寝ても、起きたらまたいつもと同じ日常、か。四限…科目、なんだったっけか。数学だったっけな。終わったら昼飯食べて、午後の授業やって、放課後になって、家に帰って…それから…

 ああ、どうせならこの日常が滅びたらおもしろそうだな。

 そんなくだらないことを考えてるうちに、寝不足に堪えていた瞼も自然と重くなり、やがて…

Re: 噛マレアト ( No.3 )
日時: 2020/05/30 23:25
名前: オルグチ (ID: bqceJtpc)


 …暗すぎる、というのが目が覚めてすぐの感想だった。
 相変わらず部屋の明かりは半分だけ点いていたが、まさにそれくらいしか光源がなかった。
 …それに、静かすぎる。校舎の構造上、この保健室はかなり他教室から隔絶されてはいるが、それにしても静かすぎた。授業中の教師の声も聞こえなければ、休み時間中の生徒の喧騒もない。
 
 普通じゃないことだけは確かだ。変な胸騒ぎに促され、ベッドから勢いよく出るなり、衝動的にカーテンを素早く開けた。



「…は?」



 ___目の前の凄惨な光景に、しばらく唖然とする。

 腹からは、腸のようなものが帯のように伸びている。頭からは、潰れて果肉を散らした鬼灯みたいに、肉だか脳ミソだか分からない何かが飛び出ている。
 床一面、赤で染まっていた。

 …やばい。

 本能で命の危機を察する。一目散に逃げ出したい一心だったが、恐怖で体が動かなかった。ひたすらに、むせるような血の匂いに口元を塞ぐ。

 男だか女だかもわからないくらいの惨殺死体で、見たところで何も得られそうにない。今にも吐き出しそうなので目を逸らす。
 …多分、あの養護教諭ではなさそうだ、とは思った。茶髪に丸眼鏡に細身のシルエット、と特徴はかなり多かった故、一目見た印象では何となく違う気がした。
 ならばあの人はどこだ、という疑問も残るが、そんなことはどうだっていい。とにかく助けを呼ばなくては。

 すぐ近くでこんな惨劇が起きていたというのに、平気でぐっすり眠っていた自分にすら恐怖を覚える。一体いつ、ここで、何が…?

 いつ…
 そうだ、時間は…?

 俺は壁掛け時計に目をやる。短針は「8」を指していた。
 窓を覗けば、外は闇だった。