複雑・ファジー小説

Re: 噛マレアト ( No.6 )
日時: 2020/05/31 10:27
名前: オルグチ (ID: bqceJtpc)


3.時を待つ。
ーーーーーーー


 手斧が振り下ろされ、俺の脳天がかち割れて中身が弾ける___そのすんでのところで、彼女はピタリと動きを止めた。

「……中、戻ろっか。ね?」

「……は?」

 何を思い直したのか、血塗れた斧を持つ右腕を脱力させると、俺の手を引っ張って立ち上がらせ、俺を一緒に保健室内に連れ戻す。

 ここから逃げ出したかったはずなのに、結局また惨殺死体とご対面することになった。俺が顔を顰めたのに気付いたのか、「ちょ、ちょっと待っててね…!」と、慌てたようにその両足を掴み、中腰になりながら死体を引き摺って室外へと出し、引き戸を閉める。

「あ、はは……血の跡凄いね、ルカワ君」

 巨大ナメクジが歩いた跡みたいに、引き摺った軌跡に従って血の跡が薄ーく伸びて、余計吐き気を催した。

「…これ、誰ですか?」

「えっとね…タヤマ先生、だよ。あ、でも、もうか、感染してたから、殺人じゃな…」

「あなたはなんなんですか?」

「…えぇ? え……養護教諭の、早乙女さおとめ、です」

「俺も田山先生みたいにされるんですか?」

「……は、早ければ数分後には」

「ああ、ったく…!!」

 わかりきっていた絶望的な事実を改めて突きつけられ、項垂れて崩れるようにその場で座り込む他なかった。

「い、一応…ごめんね」

 早乙女はコンセントから適当な配線コードを引っこ抜くと、俺の手を背中の後ろに回し、キツく縛り上げた。ゾンビになった時に暴れないようにするためだろう。
 抵抗する気も起きず、ただその時を待ってぼーっと向こうを見る他なかった。視線の先には、部屋の角に立ててある立ち鏡がある。

「これが……俺?」

 ……もう既に、人間じゃないみたいな面がそこには映っていた。左の頬はしっかり噛み跡らしく引き裂かれ、格子状に穴が開いて、口内まで丸見えの状態である。頬から首にかけて真っ赤に濡れていて。あとは目が白く濁れば、紛れもなく模範的なゾンビの出来上がりだ。

「なんでさっき、殺さなかったんですか?」

 自分のこんな醜い顔面を見ることなく、ひと思いに斧で頭を真っ二つにされた方がずっとマシだったのに。

「だ、だって…“転化”する前に、殺すのは、可哀想かなって……」

「転化…? ああ」

 ……ゾンビになることを、そう言ってんのか。

「先生。スマホ、持ってますか…?」

「……? 持ってないけど」

「……はは。家族に言葉を遺すのすら叶わねーか」

 ……笹田は人から怪物に成り代わるこの時間を、何を思ってどう過ごしたのだろうか。こうやって、静かに“変わる時”を待つ猶予はあったのだろうか。
 ……何か、最後にしておくべきこと、あるっけな…。

 ___そんなことを考えてるうちにも、確かに時計の針は一秒、一秒を刻んでいた。


「あの…こ、事の始まり、聞きたい……?」


 沈黙を破ったのは、早乙女だった。俺の顔色を伺い、精一杯考えた結果発した言葉らしい。
 死ぬ間際に世界がクソになった経緯と解説を聞いて喜ぶ奴があるものか、とこの人の神経を疑うが……。

「……ぜひ」

 ___世界のことをよく知らないで、世界を恨み続けて死んでいくのも癪だ。

Re: 噛マレアト ( No.7 )
日時: 2020/05/31 10:22
名前: オルグチ (ID: bqceJtpc)



 事の始まりから今に至るまで、その一連を知り、ますます早乙女という人間の異常さを知った。

 ……はじまりは、俺がここに来てから1時間後。保健室に田山先生が来たところからだ。あまりにも激しいノックの音に驚き、早乙女が引き戸の窓を見ると、そこには、腹から腸が飛び出て、白濁した目で戸をぶっ叩きまくる田山がいたらしい。
 ……ここで、「田山先生はゾンビになっている」と察した早乙女。私物の手斧を手に取ると、引き戸を素早く開けて、田山の頭をかち割った。俺の眠りを妨げることなく、手早く。

「ちょっと待ってください…」

 ツッコミどころが多すぎる。早乙女の話を遮り、思わず再確認する。

「早乙女先生は、田山先生の様子を見て、何の疑いもなく、ゲームや映画からの知識だけでゾンビと断定して……そこから逃げたり助けを呼ぶならまだしも、何の躊躇もなく私物の手斧で、頭をかち割った、ということで……?」

「……へ? あ、頭を破壊しないと死なないのが、ゾンビものの、お約束……でしょ?」

 ……現実を何だと思ってるんだ、この人。ていうか、私物の手斧ってなんだよ。

「ああ、なるほど、どうぞ続けてください」

 ……真面目に付き合ってると頭がおかしくなりそうなので、そのまま好きに喋らせることにした。

 田山先生を処理した後、異常を察した早乙女は保健室を出て校舎内を軽く回ったそうだ。既にゾンビパニックは盛況を迎えていたらしい。
 「こ、ここの保健室、体育で怪我した生徒が校庭からすぐ、来れるように、他の教室と少し離、れてる作りになってるでしょ…?」と、補足する早乙女。田山先生(ゾンビver.)が保健室に辿り着くずっと前に、事は始まっていたようだ。
 早乙女はそんな地獄と化した学校から逃げるでもなく、ひたすらひたすらゾンビ化した生徒と職員の頭を叩き切りながら、全校舎を何周も何周もしたらしい。

「…………っ」

 またもやツッコミどころが多すぎて口を開きかけたが、理由は何となく理解したので黙って聞くことにした。
 話しっぷりが、良いことあった時の女子のそれだ。この人、ただただ刺激的な非日常にずっと身を置きたくて学校から出なかっただけだ。

 夜まで何周もしてたので、さすがにいろんな生存者も見掛けたらしい。襲われそうな生徒もついでに助けたり、でも次の周にはさっき助けた生徒が噛まれてたり、次の周には立派にゾンビ化していたり。……無事に学校から脱出したのも少なからずいるようだ。何人か俺の友人のことを聞いてみたが、保健室に来た生徒以外の名前や顔はよく覚えていないようで、はっきりした答えは返ってこなかった。

 それと本人は気付いてないようだが、話から察するに、手当り次第ゾンビを処理していく早乙女の姿に恐れをなして逃げ惑った生徒もいたらしい。
 ……そりゃそうだ。ゾンビ作品で序章から何の躊躇もなく殺りまくる生存者がいてたまるものか。

「……それから、あの……太った子を、倒して…」

 そして笹田の頭を吹っ飛ばしたところにまで繋がり、話が終結する。

 話しながら早乙女は血塗れた服からラフな白Tに着替え終え、今は脱いだ服で田山の血の跡を拭いていた。
 シンプルな服装が、より線の細さを強調する。こんな枝みたいな腕で、本当に田山先生や笹田、それに数多くのゾンビを仕留めたというのか……?

「ははは……」

 何で死ぬ間際にイカれ女の武勇伝なんか聞いてるんだ、俺は。


「……普通じゃ、ないね」


 急に力なく笑ったからか、ポツリと早乙女が呟く。お前に言われてたまるか、と思ったが、早乙女の目線は壁掛け時計に向けられていた。

「いや、こ、ここまで転化、遅い人……いなかったからさ」

 数分で終わる話の内容のはずが、早乙女の所々でつまずく話し方で冗長になり、気付けば時計の短針がもうすぐ9を指す頃合いだった。

「……どうせいつかは」

 ……遅いから何だ。変わる時が来るのを、今か今かと怯えながら、ただ時計を見つめる他ないってのに。