複雑・ファジー小説

Re: 噛マレアト ( No.8 )
日時: 2020/05/31 16:14
名前: オルグチ (ID: bqceJtpc)

 
4.痛みがある。
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 痛みというものは、実に生を実感する。窓から差し込む朝日に、目を細める。そんな僅かな表情筋の動きでも、風通しの良い格子状の噛み跡に続く皮膚が引っ張られ、頬はひどく痛んだ。……さすがにアドレナリンが切れたかな。

 ___午前4時30分。俺はまだ、人として生きていた。

 転化したら俺を殺すつもりだった早乙女も途中で飽きて、0時を過ぎた頃には俺から一番離れたベッドに潜り込んでいて。当然眠ることなんてできる訳もない俺は震えながら時計を眺め続けていたわけだが、今この時まで、体に何ら異変はない。
 ……いや、十分異変ではあるけど。部屋の隅の立ち鏡に映るおぞましい顔面の自分からは、できるだけ目を逸らした。

 何で転化しないのかは知らない。俺に運良く抗体でもあったのか、ただ個人差で、怪物に成り代わる時は刻一刻と迫っているのかもしれない。……だが、ここまで変化がないと、とりあえずは大丈夫という自負はあった。自分の体のことだ。そういう予感を信じたっていい。

「……帰ろう」

 転化もせず、外も明るくなり……となれば、家に帰らなければという焦燥にさえ駆られる。母さんの安否を確認しなければいけない。スマホも家に置いてある。生きてる友人がいれば連絡を寄越してるに違いない。

「……おらっ!!」

 両手をキツく締め付ける配線コードをどうにか解こうと奮闘する。力を入れる度に昨夜笹田にがっちり掴まれた肩が痛んだが、実際本気で解こうとすると大した拘束力でもなく、10分もしないで自由の身になった。

 昨夜のイカれエピソードもしかり、拘束も甘いし、危機管理能力がまるでないなこの人……。
 奥のベッドですやすや眠っている早乙女を脇目に、今度は保健室内の棚の引き出しを手当り次第に漁る。

 ……あった。

 ガーゼとそれ専用のハサミ、そして固定テープを取り出して立ち鏡に向き合いながら、見るに堪えない抉れた頬を覆う。
 何とかそれっぽく隠せそうだ。笹田が大食漢のくせして一口が小さい奴で助かった。ガーゼを正方形に切り、十字にテープを貼る。
 ガーゼをあてがう度に頬が痛んで顔を顰め、それによってまたさらに痛むという地獄の悪循環と格闘しながらも、まあ……見れる顔にはなった。

 さて、と。

 最後に早乙女の様子を見つつ、彼女の寝ているベッド付近の床に転がっている手斧を手にして、俺は保健室から___。


「……いや」


 再びベッドまで戻って床に手斧を置き、俺は保健室を後にした。