複雑・ファジー小説
- Re: 【幽離病棟零街区】 ( No.1 )
- 日時: 2020/06/05 21:06
- 名前: 供花想赤 (ID: XLtAKk9M)
【幽離病棟零街区】1話
◆
強盗を装って銀行へ押しかけた。そして俺を取り囲む警官たちに言った。
「さあ早く死刑にしてくれ。そうでなきゃ銃で撃ち殺してくれ」
◆
数年前の若気の至りだ。
今はそりゃもう大人しいもので、今日も元気に、この真っ白な病室で朝を迎えた。
時計の針は8時過ぎを指している。
病棟暮らしも案外悪くないものだ。あと10分少しすれば朝食が運ばれてくるだろう。通学も通勤もしないから、満員電車にも縁がない。
河川敷の鉄橋下で段ボールハウスを「我が家」と呼ぶ人もいる時代で、病人と犯罪者はなんと恵まれていることか。病室も刑務所も、下手な民宿より至れり尽くせりである。
ドロイドが乳白色のプレートに載せてきた朝食(薄味)を平らげ、上下黒のジャージに着替える。
鏡の前で寝ぐせを梳(す)いてみたが、どうにもならないので諦めた。
この病棟はどこもかしこも真っ白だ。廊下へ出るとドクターが数体のドロイドを連れていた。
ドクターは俺を見ると、気だるげに片手を挙げる。俺は応じて会釈した。
「おはようございます。今日の回診ってドクターでしたっけ?」
「おはよう。君は午後からドロイドが担当するよー。新しい『お仲間』が来るってーんでね、今から出迎えに行くところなんだ」
ドクターが病棟に負けず真っ白な髪を掻く。
目元には深いクマが刻まれていた。いつもそうだ。
「新入りが来るのは久々ですね。今度は悪魔か妖怪か」
「まだわからーん。その診断も含めてこっちの仕事さー。只でさえ忙しいのに嫌んなっちゃうぜ」
お手上げだ、とでも言わんばかりにドクターはひらひら適当なバンザイをする。
医者の不養生とはよく言ったもんだ。俺ら『患者』よりドクターの方が先に死ぬんじゃないか?
もちろん過労で。
「君は今日も日課かい?」
「そうですね。検査の日以外は割と自由なんで」
「そのヒマちょっと分けてくんないかなー。ってーかもー代わりに仕事してくれよー」
「お断りします。これでも結構満喫してるんで。あと自由ってだけでヒマじゃないです」
「ファッカップ!」
ドクターは鋭く中指を立てツバと共に吐き捨てる。
おい良いのか医療従事者(一応)。衛生的に。あと倫理的に。
「そいじゃ忙しい僕ぁ退散するよ。畜生め、絶対に近いうち有給まとめて消化して世界一周してきてやる」
「数年来そう言って、休んでるところ見た事ありませんよ」
「それなんだよなー……」
肩を落としながらドクターは廊下の向こうへ歩いていく。
随伴するドロイドがドクターを慰めるように、ポンと肩に手を乗せる。なんだかシュールだ。
あのドロイド……果たして意思や感情はあるのだろうか?
◇
とはいえドクターが休めないのも仕方がない。
この隔離病棟は地図上存在しない事になっている。
仮に休みが取れたとして、世界一周はおろか、この島から出る事さえ叶うかどうか。
なぜなら『外界に存在してはいけないモノたち』——その終着点がここなのだ。
ここの職員は、この世の裏側を知る者たち。
ここの患者は、この世ならざる災厄、もしくはその罹患者たち。
まるでこの世ならざる幽世(かくりよ)は、しかし今日も静かに穏やかである。
巨大なモノリスのような病棟の合間にはランニングコースも設けられている。
路の左右には色とりどりの花が添えられているため、眺めは悪くない。
無くて泣く、有るほどうれしい、我が筋肉。
外界にいた頃、友人が事あるごとに説いていた座右の銘だ。
彼は普段から特に理由なくても幸せそうだったため、俺も倣う事にした。
いつも午前中はとにかく身体を動かしている。
ランニングの道すがら、見知った顔があった。
木陰なのに日傘を差している少女は、座り込んで読書に耽っているようだ。
お嬢様然とした姿の彼女は、俺の姿を見留めると、いつもの様に軽く手を振った。
「ごきげんよう。今日も日課かい?」
「おはようございます。アルカさんこそまた夜更かし……いや朝更かしですか?」
「朝更かしとは良い言い回しだね。よし今度からボクも使おう」
アルカは鈴の鳴るような声で笑い転げる。
病的なほど白い頬に、長いうばたま色の綺麗な髪が揺れる。
その拍子に彼女が取り落とした本に目が行く。どこかで見た事のある装丁だ。
「それってラノベ……?」
「うん。書庫に外界から新刊が入ってね。中々面白いよ。良かったらキミも読むかい?」
「いや俺マンガ派なんで」
「つれないね。知っていたけれど。ところで今日も日課かな?」
「ええまあ。今日も午後からは書庫に向かうんで、タイトルとあらすじだけ教えてくださいよ」
「なんだ、やっぱり気になるんじゃないか」
またもアルカは吹き出す。
聞き覚えのないタイトルだった。
平凡な少年が、怪物にされてしまった想い人の呪縛を解くために闘う物語だという。
「どこかの誰かさんによく似た主人公だと思ってね。気になったんだ」
「ヒマが出来たら手を伸ばしてみます」
「それがいい。根を詰めすぎると良くない」
「大丈夫ですよ。これでも満喫しているんで」
「本当かい? なら良いけれどね」
アルカは両手を組んで背筋を伸ばす。
ライトノベルを拾い上げ、立ち上がってロングスカートの裾を払う。
その華奢な立ち姿はいつ見ても、彼女が俺より遥かに年上である事を忘れそうになる。
「ボクはそろそろ寝ようかな。あまり陽の光を浴びると身体が重いからね」
「おやすみなさい。俺もこれで」
そして彼女が吸血鬼であるという事を忘れそうになる。
◇
午前中に走り込んで、軽く身体を動かす。これらは日課のついでだ。
この島には巨大な病棟が幾つかある。そして俺の幼馴染が別の棟に収容されている。
白い病室。
俺の部屋と違うのは、まず窓のひとつもない閉ざされた空間であるという事。
それからベッドやイスや机だとか、生活に最低限のモノすら無いという事。
今日も彼女はその中央に居た。
「おはよう桜(さくら)。今日も会いに来たよ」
返事は無い。
赤と白と黄色と肌色と黒の肉塊が、空気の音を漏らしながらうごめくだけだった。
こうして彼女の、桜の面会に来る事が日課である。
いつも通り桜の隣に腰掛ける。今日も特に変わったところは無いようだ。
抱き締めるように腕を回す。そっと唇をつける。
まだ人の形をしていた頃の彼女が、おまじないと言っては俺の額へ口づけたように。
「必ず元に戻してやるからな」
桜に聞こえているかは分からない。
自分に言い聞かせるように呟いた。
彼女をこの姿にしたのは俺なのだから。
勝手に朝昼夕の三食出るし、衣食住の三拍子揃った、傍から見れば恵まれた環境。
しかし内心休まらない。桜を元の姿に戻す手がかりは、未だに掴めない。
何不自由ない入院生活は、静かな焦燥感と共に3年目へ突入していた。
【幽離病棟零街区】続⇒2話