複雑・ファジー小説
- Re: 【幽離病棟零街区】 ( No.3 )
- 日時: 2020/06/06 15:58
- 名前: 供花想赤 (ID: XLtAKk9M)
【幽離病棟零街区】3話
◆
俺には嫌いなモノが沢山ある。
「毎朝の事ながら、まだ慣れないな……」
その内の1つが満員電車だ。すし詰め状態の車内で揺られ人波に揉まれる。
ライブハウスのモッシュかよ。ガタンゴトンと響くベースラインに合わせてパーリナイ。
バカヤロウ何がパーリナイだよ、今は朝だよ。
眠気と併せてとりとめも無い事を考える。寝起きから主にスーツの圧迫祭りはキツい。
もっと家に近い高校を選ぶべきだったかもしれない。
「桜は大丈夫か?」
彼女は頷くが、吊り革も掴めないまま危なっかしく、人と人の隙間に身体を滑り込ませている。
少し乱暴かとは思いつつも、桜の肩を掴んで俺の前へ引き寄せる。
桜はちょうど俺とドアの間に挟まれる形に収まった。
「これで危なくないだろ」
流石に至近距離で正面から顔を見合わせるのは気恥ずかしいので、窓の外に視線をやる。
「ありがと」
胸元辺りから、小さく桜の声が聞こえた。
窓の外で並木が緑息吹いている。今日は初夏の曇天、蒸し暑い日になりそうだ。
◆
映画のシーンが切り替わる様に、現実へ引き戻される。
目の前に俺のひしゃげた頭部が転がっていた。
随分と懐かしい白昼夢を見たもんだ。走馬燈だろうか。胸中を締め付けるような感覚が襲う。
「知ってはいたけど、頭スッ飛ばされても生えてきちゃうんだねー。ア●パンマンみたいだ」
「アンパ●マンは……何かちょっとモヤッとする例え方ですね……」
そんな軽口をドクターと交わしながら、襲撃者の方を向く。
彼は両腕と両脚に拘束具を着けたままだった。ただし鎖は引き千切られている。
赤褐色の髪を獅子のように振り乱す男は、俺と同じ位の歳に思えた。肌も髪と同じく色素が濃い。
男は俺の方を見つめ、牙を剥いて嗤う。まるで獣めいた威容を醸すものだから生唾を飲み込んだ。
「(’&%!”#$%&’())(’&%#)(’&%#!」
全く聞き取れない。
「……なんて?」
「中東圏の言語だねー。まさか頭をフッ飛ばしても生きてるなんて驚いた、だってさ」
さすがはドクターだった。
「!”#$%&’()(’&%$#”!”#$%&’()))(’」
「この島に居るのは化け物ばかりと聞いていたが本当だったみたいだな、らしいよ。僕ぁ普通の人間なんだけどねー」
「俺だって普通の人間なんですけど?」
「元でしょ」
つまりコイツは最初から、俺を殺すつもりで窓の外から飛び込んできたという事だろうか。
その凶暴性と、手足の千切られた拘束具から予想が付く。今回の『新入り』はコイツの事か。
ドクターに目配せをする。舌を出して「アタリ☆」とでも言いたげなウィンクを返された。
「!”#$%&’()(’&%$””#$%&’())(’&%$##」
「今度は何て?」
「面白い、まずは貴様がどれ程の男かを試してやろう……的な?」
「それってつまり……?」
続きを問う前に、野獣の様な男が、その拳がめり込んでいた。
俺の腹部に深く突き刺さる。例えや冗談で無く、指先が直に消化器を抉る。
声も悲鳴も出なかった。短く酸素だけが口腔から逃げていく。
腹部を掴まれたまま病室の壁に叩き付けられる。視界が赤と白に明滅する。
壁からずり落ちるより早く、全身に殴打を叩き込まれる。
左の二の腕が、反対の手が、脚が、大腿が、指先が、肋骨が、頭蓋が、楽器の様に音を奏でた。
全身のあらゆる部位の骨が折れる音だった。
──この朦朧とした感覚、何かに似ているなと思った。そうだ眠い時の満員電車の中だ。
そしてそのまま俺はゴミ屑の様に横たわって、そのまま意識が途切れたのだと思う。多分。
◇
「おやー、やっと目が覚めたかい」
次に目が覚めた時、既に獣の様な男の姿は見当たらなかった。
病室の壁時計が視界に入る。それほど時間は経っていないらしい。数分ほど寝ていたようだ。
覇気のないヘラヘラとした笑みで俺を覗き込むドクターの、襟に掴みかかる。
「アンタまさかアレを知っていて、桜の中身を弄らせる提案したのか!?」
「待った待った待った待った! 直に言葉を交わしたのはさっきが初だよ! それまで何を聞いてもウンともスンとも言わなかったんだ!」
ドクターが彼を出迎えに行ったあの日も、彼は何ひとつ喋らずに居たそうだ。
今日は拘束具を着けたまま別棟へ移送されているハズだったらしい。
移送途中に拘束具を破壊し、脱走してきたのかもしれないとドクターは言う。
「簡単に言ってますけど、アレってそもそも壊せるモンなんですか?」
「テレキネシスの超能力者って言うのは分かっていたからねー。まず力尽くでは壊せない物を選んで宛がわせたハズなんだけど……」
どうやって拘束具を壊したのか。逡巡しても分からない。
「……ところで、何でドクターは無事なんですか?」
「なんか『お前は弱そうだ。興味をそそられない』とか言って出て行っちゃったよ。ひどくない?」
「いや……まあ……」
白衣を捲って力こぶを作って見せるドクターに、俺は言葉を濁す。ヒョロい。もやしのようだ。
「そんな訳で弱そうな僕に代わってー、今回も君が何とかしてくれないかな?」
「ああ……やっぱりまたですか……」
「嫌かい? 元はと言えば、君から持ち掛けた『約束』だったよね?」
人差し指を立てながら笑いかけるドクターの、しかし細めた目の奥から覗く視線は笑っていない。
ドクターはこんなに弱そうなのに、時折うすら寒くなる程の何かを感じさせる瞬間があった。
獣の様な男を放っておけば、他の棟にも、桜が居る棟にも影響が出るかもしれない。
いずれにしても、再捕縛は急務だった。
あの凶暴さでは警備用ドロイドも用を成さないだろうし。アルカも今は昼だから寝てるだろうし。
俺は頭を掻く。どうやらバイトのお時間だ。ボロボロで血まみれのパジャマを脱ぎ捨てる。
「ちなみにアイツ、名前は何て言うんですか?」
「ティムール君と言うらしい」
「じゃあ新入りティムール君の、ちょっと手荒な歓迎会と行きますか。あと、さっきやりたい放題されたからリベンジに」
「意外と根に持ってるんだ?」
「そりゃまあ……ちょっとだけ。めっちゃ痛かったし」
【幽離病棟零街区】続⇒4話