複雑・ファジー小説

Re: 風神の台地 ( No.1 )
日時: 2020/06/18 09:48
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)

【第一章 兄妹】

「……ったく、リノったら。またこんなミスして」
「あはは、悪いな。私は考えるのが苦手なんだよ」
「そんな、あっけらかんと言うことなのかなぁ」

 イヴュージオの言葉に、リノヴェルカは明るい笑みを返す。
 白銀の長髪、翠の瞳。太陽を模した金飾りのついた白のローブを身に纏い、額には金の輪。彼女に似た姿の鳥がいることから、彼女は「鳥の乙女」と呼ばれていた。彼女は生まれつき、風を操る力があった。
 対するイヴュージオは青の髪と水色の瞳、青を基調とした動きやすい軽装を身に纏い、額には銀の輪をしていた。その腰には一双の剣がある。彼は生まれつき、海の魔力を持っていた。
 リノヴェルカとイヴュージオ。姿も魔力も違うものなれど、二人はきょうだいであった、母が違うきょうだいだ。母を亡くして泣いていたリノヴェルカをイヴュージオが引き取り、以来、ずっと一緒にいる。リノヴェルカにとってこのイヴュージオは、ただの兄ではなく恩人でもあった。
 リノヴェルカは笑う。
「私は戦闘、イヴは考える。役割分担、それでいいじゃないか? 今まで通りさ」
「……そのイヴって呼び名、やめてくれるかなって何度も言ったはずだけど。イヴは女の子の名前だよ。僕はイヴュージオだってば」
「イヴの方が呼びやすいじゃないか。そう言うそっちこそ私をリノと呼んでいるぞ?」
「リノはどちらにも使える名前だからいいの……」
 溜息をつく兄。リノヴェルカは笑っていた。
 今は戦乱の世の中だけれど、二人一緒ならきっと生きていける。馬鹿だけれど戦闘が得意なリノヴェルカと、頭はいいけれど戦闘が苦手なイヴュージオ。正反対な二人だからこそ、ここまでぴったり噛み合うのだろう。
 リノヴェルカはイヴュージオにもたれかかった。
「私さ、イヴのこと好きだよ」
 それは、ただ純粋な好意から来た言葉。
 イヴュージオが苦笑を返した。
「その言葉は、いつか本当に好きな人が出来た時に取っておくべきだね。少なくとも、僕であるべきじゃない」
「私はイヴのこと、好きだよ?」
「そういう『好き』じゃないんだよ、リノ。……まぁ、いずれはわかるようになるさ」
 遠い目をした兄を、リノヴェルカは不思議がった。しかし深く訊くことはなかった。
 『いずれはわかる』何度も兄に言われたその言葉。十三歳のリノヴェルカには、まだわからないことが多すぎたけれど。
 でも、『いずれはわかる』のだから。今急ぐ必要はないのだろう。
 そうやって他愛もないお喋りをしていたら。
 不意に感じた殺気に、リノヴェルカは咄嗟に兄を突き飛ばし自分は後ろへと転がる。
 そこに突き立っていたのは、鋼の刃。
 リノヴェルカはきっと殺気を感じた方向を睨めつけた。
「誰だ! 出てこい!」
 リノヴェルカの周囲で風が膨れ上がる。その隣で、イヴュージオが何とか体勢を立て直し、腰に差した剣を抜いた。
 現れたのは剣を持った男。来ている衣服はみすぼらしい。
 男は剣をリノヴェルカに向けた。
「持ち物全て置いていけ。命だけは助けてやる」
 何だ、物盗りか、とリノヴェルカは思った。今は戦乱の世、貧しさのあまり盗みを働く者などごまんといる。
 リノヴェルカやイヴュージオがそういった被害に遭ったことがないのは、ただ彼女たちが強いからに他ならない。
 リノヴェルカは鼻を鳴らした。
「そんな一方的な要求には応じないぞ。無理にでもと言うのなら、掛かってくればいい。でも無駄な戦いは嫌だから……」
 腕に通していた金の輪をひとつ外し、地面に置いた。
「これをあげるから引いてくれないか。引いてくれたならこちらも余計なことはしない」
 男は探るような眼でリノヴェルカを見た。そうだな、とリノヴェルカは金の輪を拾い、男の方に放ってみせた。それを男が受け取るのを見ると、もういいだろうと思って背を向けた、
 刹那。
「リノ!」
 兄の声。金属音。イヴュージオの苦鳴にはっとなりリノヴェルカは振り返る。
 金の輪を受け取った男が、その剣でイヴュージオを刺していた。しかしイヴュージオの剣もまた、相手の身体を貫いていた。
 爆発した怒り。
「貴——様ァァァ!」
 叫び、風の刃を男にぶつける。吹っ飛ばされた男。イヴュージオの身体から剣が抜ける。抜けたそこから溢れだした真紅の液体に怒りはますます膨れ上がり、リノヴェルカはさらなる追撃を加えようと、
「やめなさい」
 しかし振り上げた手は兄によって止められる。
 傷口を抑えながら、それでもイヴュージオは笑っていた。
「余計な殺しはしないこと。おまえまであの男のように、醜い人間になりたいのかい?」
「……人間? 私たちは、人間じゃないだろ」
「言葉の綾だよ。ひねくれた考え方しないの」
 リノヴェルカは男の方を見た。男は頭を強く打ったようで、ぴくりとも動かない。そのまま死んでしまえばいいのに、とリノヴェルカは思ったが口にはしない。強欲な人間にはその方がお似合いだ。
 心配げな目で兄を見た。
「えっと……イヴ! 怪我、したんだろう。大丈夫なのか!?」
「ちょっと刺されたけど……ああでもしなかったら、リノが大怪我していただろうし。大丈夫だよ、海の力は癒しに向いているんだから」
 刺された脇腹に手を当てれば、そこから溢れだす青い光。しかしその輝きは、あまりに弱い。
 参ったね、とイヴュージオの困り顔。
「僕は……リノと違ってそこまで力を受け継げなかったから。僕の荷物に救急箱があるだろ? 出してきてくれないかな。大丈夫さ、死にはしないよ」
 こくりと頷き、大慌てで救急箱を引っ張り出す。中に入っていた包帯を取り出し、兄の傷口に巻いた。きつく巻きつければ、その血は止まった。リノヴェルカはほうっと安堵の息を吐いた。
「イヴはさ……どこにも、いかないよね?」
 不安のあまり、訊ねてしまう。
 いつだってそうだ。この兄は、自分のことよりもリノヴェルカのことを優先する。その心遣いは嬉しいけれど、そうやって身を削る兄はいつか、自分の前からいなくなってしまうのではないかと、そんな不安に駆られてしまう。
 わからない、とイヴュージオは答えた。
 浅瀬の水のような、淡い瞳がリノヴェルカを見る。
「僕はおまえより五つも上なんだ、このまま何事もなくったって、どうせ僕の方が早く逝くよ」
「そんなの嫌だ……。私たちは亜神だろう、普通の人間のルールなど通じないぞ」
「しかし亜神にだって、寿命はある。長生きできるというだけで、死なないわけではないのだし」
 おまえは僕がいなくても生きていけるようになるべきだ、と澄んだ瞳が言う。
 嫌だ、とリノヴェルカは言った。彼女の感情に呼応して風が鳴る。はぁ、とイヴュージオが溜め息をついた。
「わかった、わかったってば。まぁそんな機会、すぐに来るというわけでもなし。僕も僕なりに自分を大事にするから、泣き止んで。おまえらしくない」
「イヴぅ……」
「はいはい、いい子いい子」
 兄に頭を撫でられれば、押し寄せてくる安心感。
 ずっと一緒にいたい、と切実に思った。この戦乱の世の中、リノヴェルカには兄しか頼るべき存在がいないのだから。
 さて、とイヴュージオが空を見上げた。
「陽はまだ高い。この怪我で野宿はしたくないし……男が目覚める前に、ここを発つよ。陽が落ちるまでに町にはたどり着けるだろうさ。さあ、歩くよ」
 動き出した兄に、心配を込めた声を投げる。
「イヴは……大丈夫なのか?」
 心配しないで、とイヴュージオが笑った。
「急所は外した。言ったろ? 僕は亜神としての力は弱いけれど、その分戦闘技術を磨いたんだって。リノを守りながら最低限の怪我に抑える、なんて簡単なことさ」
「イヴは戦闘も得意なんだな! 頭も良いし戦闘もできるなんてずるいぞ!」
「リノは努力もせずにあんなに大きな力を使いこなせるんだから、リノの方がすごいよ。僕は……いくら努力したって……」
 すっと眼を伏せる。
 リノヴェルカは兄の見せた影には気づかず、兄が無事だと知って元気に歩きだしていた。
 イヴュージオが、誰にも聞こえない声で言葉を投げた。
「……僕はね、リノ。時折、何の努力もしないで強大な力を使いこなせるおまえを、憎らしく思うことがあるんだよ」
 その言葉は地面に落ちて、妹に届くことはなく、消えた。
 その様子を、紫色をした一対の瞳が、じっと見ていた。

  ◇

Re: 風神の台地 ( No.2 )
日時: 2020/06/19 08:58
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)


 町にたどり着き、ほっと息をつく。宿を探し、宿の主に宿賃代わりに金の輪を渡すと、驚いた顔をされた。イヴュージオがリノヴェルカを止めて輪を取り返し、懐から数枚の硬貨を取り出して渡した。案内された部屋で、イヴュージオに呆れた顔をされた。
「あのさ、純金は高価だってわかってる? リノ」
 リノヴェルカはしゅんとなる。
「だって……私、お金それしか持ってないんだ」
「僕が払うから、ね? 下手に目立つことはしない方がいい。悪い奴らに目をつけられたら大変だろう」
 リノヴェルカの身につけた金の飾り、そしてイヴュージオの額の銀の輪。それだけでも、狙われる理由には十分だ。それ以上の金品を持っているなどと悟られるわけにはいかない。戦乱で貧しくなった人が多い中、リノヴェルカたちのきらびやかさは人の目を引いてしまう。
 イヴュージオの銀の輪は、少ない彼の魔力を増幅させる魔道具としての役割がある。そう簡単に外すわけにはいかない品だ。リノヴェルカの金の装身具は彼女の母の遺品らしい。金の輪は気軽に渡していたが、他の品は断じて渡そうとはしない。そういった理由はあるのだが。
「……傍から見れば、歩く宝物庫みたいなのはわかるけど、さ」
 イヴュージオが溜め息をついた。
「今夜は念のため、海の結界を張っておくよ。襲われたら面倒だろう」
「そ、それなら私が風の結界を張るぞ。イヴは怪我人なんだから、しっかり休んでおけばいい!」
 自信に満ちたその表情、絶対に魔法を間違えない、という確信。
 それがイヴュージオの劣等感を掻き立てているとは、彼女は知るまい。
 そうだね、とイヴュージオは笑みを返した。心を、殺して。
「じゃあおまえに任せるよ。僕はちょっと休む……」
「怪我したまま、イヴは結構歩いたよな。ゆっくり休むといいぞ」
 ベッドに横になる兄にリノヴェルカは声を掛けた。
 そして静かに唱える魔法。それは風の結界の魔法。
「さやかに揺れそよぐ風、我らへの害意にその耳澄ませ!」
 リノヴェルカの起こした風が、宿の廊下を渡っていく。
 リノヴェルカは兄の横たわるベッドに背中を預けていたが、しばらくして、眠ってしまった。


 気が付いたら、夜だった。
 風の結界がうるさいくらいに唸りを上げている。
 リノヴェルカは飛び起きて、兄を起こした。
「イヴ、イヴ! 大変だ、何かが起こっているみたいだぞ! 起きろ!」
「……何」
 目を覚ましたイヴュージオの動きは迅速だった。怪我をした脇腹に負担を掛けないように動きつつ、悲鳴の聞こえた宿のロビーへ慎重に向かう。
 そこは炎に包まれていた。
 声がする。
「大変だ大変だ! 誰かが町に火を放ちやがった!」
 ロビーの炎は、リノヴェルカたちのやってきた階段をも燃やしていた。このまま突破したら大火傷を負ってしまう。リノヴェルカたちの後ろで、他の宿泊客が騒いでいる。
 リノヴェルカの風で吹き飛ばせる炎は小規模なものだけだ。今のように勢いの強い炎に浴びせたら逆効果になってしまう。こんな時は。
 リノヴェルカは縋る瞳で兄を見た。ああ、とイヴュージオは頷き、虚空に向かって手を伸ばす。
「優しき母なる大海よ、溢れる慈悲で我らを包め!」
 弱い力、海の力。それでも、事態を打開するにはこの力を使うしかない。
 瞬間、溢れだした水によって炎が割れた。リノヴェルカは死に物狂いでその刹那に出来た道を走った。身体が焼ける。激しい痛み。しかし確かに、生きている。
 刹那の道を走り切り、リノヴェルカは背後を振り返る。しかしそこに、一緒にいたはずの兄の姿はなかった。
 まさか、とその顔が青ざめる。
 リノヴェルカは、見た。

 閉じてしまった道の向こう、諦めたように笑う兄がいるのを。
 炎の向こうに、兄がいるのを。

 思わず、叫んでいた。
「イヴ——! どうして!」
「僕には無理さ」
 悲しげにイヴュージオが笑った。
「そもそも怪我もしているし……僕の体力では、この距離を一気に走りぬけるのなんて、無理なのさ」
「最初からそれをわかって、イヴは——?」
「リノだけでもさ、生きていて欲しいんだよ」
 イヴュージオの顔には、静かな決意があった。
 彼は凛とした声で言う。
「生きなさい、リノ」
 兄を見るリノヴェルカの目に、涙があふれ出た。
「おまえは強い、そう簡単には死なない。僕がいなくたって、やっていけるだろう」
「でも、イヴ!」
「生きろ!」
 それでも、炎の壁を突っ切ってそちらへ向かおうとするリノヴェルカに、鋭い一喝が飛んだ。
 さようなら、と声を出さず、唇だけが動いた。その瞬間、瓦礫が崩れ落ちてきて二人の間を分かった。燃え盛る瓦礫の向こう、愛した兄は見えなくなった。リノヴェルカは慟哭した。
「イヴ——!」
 燃え盛る炎はそんなリノヴェルカのすぐ傍まで迫っている。死ぬわけにはいかない、と本能が叫び、たまらず外へと飛び出した。
 飛び出した先に見たのは、地獄だった。
 燃え盛る建物、焼け焦げた人々。普通の町だったはずの場所が、あっという間に阿鼻叫喚の地獄へと変わる。
 崩れ落ちた幸せに、何をどうすればいいのかわからず途方に暮れる。
 いくら力があったって、亜神として生まれたって。
 今の自分は、あまりにも無力だった。
 それでも。
「……イヴ」
 『生きろ』その言葉が、くずおれそうになるリノヴェルカに活力を与える。兄の決意と覚悟、無駄にするわけにはいかなかった。
「ありがとう、兄さん」
 小さく呟いて。
 リノヴェルカは阿鼻叫喚の町から逃げ出した。
 火傷を負った全身が痛い。それよりも、心の方が痛かった。
 ずっと一緒にいた大切な兄。唐突な別れが来るなんて、考えたこともなかった。
 泣いて泣いて泣き疲れて、傷の手当てもしないまま、リノヴェルカの意識は闇に落ちていった。

  ◇