複雑・ファジー小説

Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.13 )
日時: 2020/09/25 00:45
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: /ReVjAdg)


 それから二日後のことだった。
 カランコロン、ドアベルが鳴る。

「やぁ。終わらせてきたから持ってきたよ」

 店を訪れたのはイヅチだ。三日は猶予があったはずだが、早めに終わらせてきたらしい。彼の肩の上には依頼の人形があった。
 アリアは驚いた顔でイヅチを見た。

「直ったの!?」
「ああ。ちょっと魔力を込めてみるといい。こいつは魔導士が魔力を込めることで動き出す」

 人形を渡される。アリアは恐る恐る受け取って、言われたとおりに魔力を流してみる。すると、
 動き出す。手足をぱたぱたと動かしている。カウンターに乗せてみると、人形は自力で立ち上がってイヅチの方を見てお辞儀した。人形の胴体からは、青い光があふれていた。
 依頼人から渡されたときは、動きはしなかった。イヅチの実力は本物のようだ。

「イヅチぃ! あのさぁ、もっとゆっくり進めても良かったんだよちゃんと寝た?」

 イヅチを見て、店の奥からミカルが飛び出してくる。
 大丈夫さとイヅチが笑う。

「難しい作業ではなかったしね。そうそう、人形の記憶を覗いたんだけど……」
 イヅチは語る。この人形は、最初はイヅチの依頼人、セーラのものだったと。セーラが親から受け継いだ、由緒正しき古い人形。しかしそれはある時奪われ、セーラはずっとずっと探していたのだという。

「人形を奪ったのが、くすんだ茶色の髪に同じ色の目、ちょっとくたびれた印象のある青年だったんだけど……もしかしてそっちの依頼人だったりするのかな」
「……依頼人さんじゃないの」

 驚いた顔で、アリアはイヅチを見た。

「ちょっと薄暮の鴉亭行ってくるわ。依頼人が悪人だったら、この依頼は破棄させてもらう!」
「待て姉貴早まるな」

 カウンターから飛び出して店を出ようとした姉の腕を、ヴェルゼが引っ張る。それでも先へ行こうとするアリアの前、音もなく亡霊のデュナミスが立ち塞がった。

「依頼人は薄暮の鴉亭にいるんだね? ならぼくも一緒に行くよ。落ち着こうか店主さん?」

 諭すようにイヅチが言うと、そうねとアリアは頷いた。

  ◇

 薄暮の鴉亭へ着く。アリアの手には、直った人形があった。
 目当ての人物を見つけて声を掛ける。

「ウェールさーん! 依頼の人形、直ったわよ?」

 アリアの声に、くすんだ茶色の髪の青年は振り返る。
 彼はアリアの手の中にある人形を見て、嬉しそうに笑った。

「おや、もう出来たのですねありがとうございます! ……して、そちらの方は? 私が店に来たときは見ませんでしたが……」

 ウェールが訝しげにイヅチに目をやると、だろうねとイヅチは微笑を浮かべる。

「ぼくは人形使イヅチ。偶然アリアたちの店に寄って、ついでに人形を直してきたんだけど……きみに少し聞きたいことがあってね? 宿で騒ぎを起こしたくはないし、ちょっと外へ出てもらおうか」

 イヅチの自己紹介を聞くと、明らかにウェールの顔色が変わった。
 駄目押しのようにイヅチが「セーラって女の子を知ってるかい?」と問うと、ウェールは懐からナイフを取り出してイヅチに向けた。おやおやとイヅチは眉を上げる。

「いきなりどうしたんだい。何で刃を向けるの?」

 イヅチの問いにウェールは答えない。一触即発の空気に宿の客たちが息をひそめる。アリアはどんな魔法でウェールを撃退するか悩んだが、彼女の魔法は派手なものばかりで、宿のような狭い空間で使ったら大きな被害をもたらしかねない。狭い場所で、単体相手に戦うのならヴェルゼの方が向いている。
 アリアはヴェルゼに視線を送った。するとヴェルゼが頷き、行動を起こそうとした瞬間。

「真実を知った相手は生かしてはおけない!」

 相手が刃を振りかぶる。すると短いナイフの刀身が、一気に伸びていく。
 ヴェルゼが動く前にイヅチが動いた。彼はマントを翻し、中にいた人形たちを一気に飛びだたせる。きらめく黄金の糸が、イヅチの手から伸びていた。それは彼の操る人形に繋がっている。

「生憎と死ぬつもりはないんだけど。人形使を舐めてもらっちゃ困るね盗っ人さん?」

 イヅチが微笑んだ刹那、
 飛び出した人形たちが相手にしがみつき動きを止めた。相手の急所に猛スピードでぶつかってきた人形もある。そして一体の人形がその手に小さな刃を持って、相手のナイフを持つ手に突き刺した。たまらず手から落ちたナイフを、別の人形が回収する。悶える相手を黄金の糸が取り巻き、瞬く間にぐるぐる巻きにしてしまった。
 人形を操っていた間、一歩も動かなかったイヅチが動き、相手の前に移動して見下ろす。
「幻影だか何だか知らないけどさ。もっと強い相手とかと普通にやり合ってきたぼくにはきみなんか敵ではない。ふふ、出会ったのが運の尽きだね? あの人形は、正しい持ち主に返すとするよ」
 イヅチは、強かった。そして宿に一切の被害を出さず的確に、相手だけを仕留めて見せた。
 アリアの魔法ならば確実に店の何かが壊れるし、ヴェルゼの魔法や武器を使っても、店にそこそこ大きな血痕が残る上に相手を殺しかねない。だがイヅチは違う。相手に最低限の負傷だけさせて、無力化した。アリアもヴェルゼも、イヅチの強さと技術に驚いていた。
 ウェールはうつむいたまま何も答えない。さて、とイヅチが宿の人々を見た。

「この人は窃盗犯だよ。誰か、町の警備隊を呼んでくれないかな? ぼくの糸って本来は縛るためのじゃないし、向いていないことに使ってると疲れるんだ……」

 イヅチの声を聞いて、人々が動き出す。一人の客が走って宿を飛び出した。町の警備隊を呼ぶつもりなのだろう。
 さて、とイヅチがアリアの方を向いた。

「その人形は、ぼくの依頼人のものだ。悪いけれど、返してもらうよ?」
「……そうね、返すわ」

 アリアはうつむいて、人形を差し出した。
 人形を受け取り懐に仕舞いながらもイヅチが言う。

「落ち込むことはないさ。今回はたまたまぼくらの依頼が被り、そちらの依頼が果たされなかったってだけ。でも……ぼくばっかりが報酬をもらうのも何だかね。そうだ、これあげる」

 イヅチが差し出したのは、ひとつの人形。
 アリアは受け取り、首をかしげる。一見、何も変哲のない人形である。

「これには特殊な魔法を込めてる。家に置いておくだけでも、きっとちょっとした“いいこと”があるよ。幸運を約束する石を飾りに使っているんだ。お金に困ったら売ってもらっても構わない」

 これぐらいしか出来なくてごめんね、とイヅチが申し訳なさそうに謝った。
 ううんとアリアは首を振る。

「今回の依頼、あなたがいなかったら間違った人の手に人形を渡してしまっていたかもしれないし。感謝しているわ?」
「それは良かった」

 と、外が騒がしくなる。警備隊が来たようだ。面倒ごとに巻き込まれるのは嫌なので、アリアたちは宿から出て距離を置く。
 それじゃあまた、とイヅチが手を振った。

「ぼくたち同業者だし、いずれまた会うこともあるだろう。何かあったら、イノスの絡繰人形館をよろしく、ね」
「今回はありがとーっ!」

 元気よくミカルも手を振った。
 こうしてアリアたちは別れ、日常へ。

  ◇

「面白い人たちだったわねぇ」
「あいつと一回戦ってみたいな」

 店に戻り、それぞれの感想を話し合う。
 今回ほとんど何もできなかった亡霊デュナミスは、穏やかな顔で会話を聞いていた。
 ヴェルゼの言葉に、アリアが眉をひそめる。

「出た出たヴェルゼの戦闘狂。やめときなさいよ絶対負けるから」
「血の魔術があれば案外行けるんじゃないか?」
「もうっ! 男の子ってどうしていつも強い相手と戦いたがるのよ!」

 呆れながらも、アリアはイヅチに渡された人形を見る。赤い髪に赤い瞳をした女の子の人形だ。どこかアリアに似た雰囲気がある。
 それを見てふふと微笑み、アリアは人形を店の窓際に置いた。何も置いてなかったそのスペースが、ちょっとだけ華やかになったような気がした。
 こんなちっぽけな人形が、何かを起こせるわけでもないけれど。
 それでも、日々がほんの少しだけ明るくなるかもねとアリアは思う。

 果たせなかった依頼。依頼をしてきた相手は悪人だった。
 けれど、代わりに得たのは素晴らしい出会い。
 イヅチのことを思いながらも、また会えたらなぁとアリアは呟いた。

【人形の行く先 完】

Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.14 )
日時: 2020/10/03 17:57
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: 32zLlHLc)

【第三の依頼 色無き少女の願い事】

 不思議な不思議な店がある。魔法の王国の片隅に。
 店の扉を開ければ、魔導士の姉弟が客を迎えてくれるだろう。

『願い、叶えます! アリア&ヴェルゼ』

 看板には、そんな文言が書かれている。

  ◇

 カランコロン、ドアベルが鳴る。今日も頼まれ屋アリアの一日が始まる。

「はーい、何かしら?」

 客を迎えるは赤髪の少女、アリア・ティレイト。彼女は入口の扉の正面のカウンターの前で、笑顔を浮かべた。
 やってきた客は、

「助けて……下さい……」

 弱々しい声でこう言った。
 白いフードを被った少女。着ているローブはぼろぼろで、怪我をしているようにも見える。少女はそのまま倒れてしまった。アリアはカウンターから飛び出て、少女を助け起こした。その時に見えたのは、白い髪と赤い瞳。

――この子は、イデュールの民だ。

 アリアの頭の中に、嫌な記憶が蘇った。

 昔。アリアと弟のヴェルゼは、エルナスの町という、笛作りで有名な町にいた。姉弟の父はヴェルゼが生まれる前に事故で死に、母はアリアが五歳の時に病死した。まだ幼い二人を引き取ったのは、母の親しい友人であったアルテアという女性。厳格な女性アルテアは、色々と試行錯誤しながらも二人を育て上げた。アリアたちは近所に住む笛職人の息子カルダンと親しくなり、三人は仲の良い幼馴染となった。
 そんなある日のこと。町によそ者の双子がやってくる。兄をフィドラ、弟をシドラというその双子は、アリアたちと仲良くなり、そして裏切った。
 町には「決して無断で枝を折ってはならない木」があった。この町の特産品である笛を作るための木だが、双子のうちシドラはそれを折ってほしいと泣いて頼んだ。優しいアリアはついそれに従い、枝を折った瞬間に、シドラに村の警備隊を呼びだされて町を追放されることになった。
 裏切り騙し、禁忌を犯させてアリアたちを追放させたシドラ。彼は白い髪と赤い瞳をもつ異民族、イデュールの民だった。

 倒れている少女。彼女はイデュールの民の特徴を持っていた。裏切られた経験があるだけに、アリアは少し慎重になってしまう。だが、

「……シドラは悪い奴。でもこの子はそうじゃないよね? イデュールの民全員が悪い奴ってわけないし!」

 そう思って、アリアは彼女を助けることにした。
 その身体を抱え上げる。

「怪我してるよね。手当てしたげるから部屋まで連れていくわよ? あたしはアリア。あなたの名前は?」

 問えば、少女はか細い声で答えた。

「ソーティア……。ソーティア・レイです……」
「そう。ソーティア、よくここに来たわね。他の人たちはあなたたちイデュールを差別するかもだけど、あたしはそうじゃないわ。安心して大丈夫よ?」
「ありがとう……ございます」

 イデュールの少女は安心したような表情をその顔に浮かべた。
 シドラが悪い奴なだけで、彼女がそうと決まったわけじゃない。
 助けようと思うこの気持ちに、間違いなんてないはずだとアリアは思う。

  ◇

「イデュールの民を匿った? ふざけてんのか姉貴?」

 ヴェルゼに事情を話したアリアが、真っ先に言われた言葉。
 フンとヴェルゼはが鼻を鳴らす。気に食わない、と言わんばかりだ。
 黒髪黒眼、黒のマントに黒のコート、マントの留め金は白い髑髏、黒のズボンに黒のブーツ。背に鈍色の大鎌を背負い、首から木で作られた素朴な笛を下げた彼は、見るからに不機嫌そうだった。

「シドラに裏切られたこと、姉貴もわかっているだろ。イデュールなんて信じられるか」

 でもでもっ、とアリアは必死で訴えかける。

「ソーティアちゃんさ、悪い人には見えなかったわよ? イデュールが全員悪だとは限らないって!」
「姉貴は他人を信用し過ぎる。少しは疑うことを覚えたらどうだ?」
「ヴェルゼは信用しなさすぎよ!」

 アリアは思わず憤慨した。
 ともかく、とヴェルゼが言う。

「オレは彼女に関わるつもりはない。イデュールとの仲良しごっこにはオレを巻き込むなよ姉貴」

 言って、彼はそのまま店の奥の階段を上り、自分の部屋へと消えていく。
 一人残されたアリアは溜め息をつくしかない。

「……上手くやれるかしら」

 アリアは過去の傷を乗り越えて前へ進もうとしているのに、ヴェルゼはずっと停滞したまま。その気持ちがわからないでもない。信じていた人に裏切られて居場所を奪われた。それは簡単に癒える傷ではないし、元からあまり人を信頼しなかったヴェルゼが、珍しく信じた相手に裏切られたのだからなおさら。だが。

「後ろばっかり見ていたって……何も変わらないじゃないの」

 乗り越えて欲しいな、とアリアは強く思う。
 今回、イデュールの少女が来たのはきっと、そのための試練なのだ。
 アリアの溜め息を聞いたのか、

「んーと。困ったことあるなら相談に乗るよ?」

 ふわっ、と。何もないところから、不意に灰色の人影が現れた。
 灰色の髪に灰色の瞳。少年のようにも見えるその人影の身体は、一部透き通っている。
 頼まれ屋アリアの一員たる亡霊、デュナミスである。彼はヴェルゼの大親友だ。
 そうね、とアリアは頷いた。

「あなたを前にすると、あたしを前にしている時よりもヴェルゼの態度が柔らかくなる。ありがとう。何かあったら頼りにさせてもらうわね?」
「あいつはああだけどさ、悪意があるわけじゃないから」
「ええ、わかってるわ」

 困ったように笑うデュナミスに頷く。
 ヴェルゼの態度。それがネックになっていた。

  ◇

 ソーティアの傷の手当てをすると、彼女は安心したのか眠ってしまった。嫌な夢でも見ているのか、時折その顔が苦痛にゆがむ。こんな少女が悪い奴のわけがない、やっぱりヴェルゼは間違っているとアリアは思うけれど、シドラだって最初は弱々しく見せていたっけと考え直す。
 イデュールの民。独特の外見を持つ、変わった一族。彼らは普通の人には見ることのできない魔法素《マナ》を見ることが出来るという。彼らは普通の人間とは違うために、長い間迫害されてきた。ソーティアもきっとそうなのだろうか。
 悪夢に震える少女。アリアはその手をそっと握って囁いた。

「大丈夫よ。あたしはあなたの味方だから……」

 小さな声は、届いただろうか。

  ◇

Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.15 )
日時: 2020/10/05 10:41
名前: 流沢藍蓮@ ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)


 翌朝。体調の回復したソーティアはアリアに礼を言い、姿勢を正した。
 その場にはヴェルゼもいたが、彼はそっぽを向くだけだ。
 ソーティアの唇が、開く。

「あの……ここって頼まれ屋アリアで合ってます……よね?」

 ええ、とアリアは頷いた。

「そうよ。もしかして何か依頼かしら? 聞くだけは聞いたげるけど」
「あ、あの!」

 震える声でソーティアは言う。

「こ、こんなこと図々しいと思うんですけど! わたしにはこれしか方法がなくて!」
「何かしら?」

 首をかしげるアリアに、爆弾発言が投げつけられた。


「わたしを……この店の従業員として、雇って下さいっ!」


「……え?」

 思わずアリアは固まってしまった。
 しかしソーティアの瞳は真剣だった。

「わたし、ずっと居場所を探していたんです。それで、ここになら居場所が出来るって話をある方から聞いて……。わたし、家事も接客もやりますから! 住み込みで働かせて下さい! どうか、どうか、お願いします!」
「ええと、確かにこの家に空き部屋はあるけどね? ちょっと考えさせて……」
「却下だ」

 頭を抱えたアリアの言葉を遮り、割って入った声。
 冷たい瞳で、ヴェルゼがソーティアを見ていた。

「イデュールを雇う? 寝言は寝て言え、社会のゴミが」

 ヴェルゼの冷たい態度に、ソーティアが怯えた顔になる。そんな酷いこと言わなくたって、とアリアはソーティアを庇うように立った。

「過去のしがらみもある、それはわかる! でもさ、あたし、乗り越えようと思うんだ。あたしはいいわよ? 新しい子が増えることに異存はないの。困っているなら助けるがあたしのモットーだしさ」

 いい加減乗り越えなさいよ、とアリアは言う。
 するとヴェルゼが傷付いた顔をした。

「……何だよ。姉貴だって同じ傷を受けたじゃないか。なのに姉貴はオレを否定し、そんな奴の肩を持つのか」

 違う、とアリアは首を振る。

「頭冷やしなさいって言ってるの。シドラとこの子は違うでしょ?」
「……るっせぇよ」

 ヴェルゼの低い呟き。

「姉貴は何もわかってない! そりゃそうだろうよ! 姉貴とオレじゃあ、受けた傷の大きさが違うんだよッ! 一緒にされてたまるかッ! オレが人間不信になったのはイデュールのせいだ。イデュールなんて受け入れられるかッ!」

 叫び、ヴェルゼが店を飛び出す。反射的に追おうとしたアリアを、不意に現れたデュナミスが止めた。一瞬だけ、透き通ったその身体が実体化する。

「……ヴェルゼも色々と思うことがあるんだ。しばらくは一人にさせてあげて」
「あたしだって言いたいことあるんだけど!?」
「落ち着きなさい、アリア・ティレイト」

 凛、とした声で言われ、アリアは肩を落とす。
 ぽつん、と呟いた。

「デュナミス……あたしの考えさ、間違っていないわよね?」
「だがヴェルゼにとっては間違えていた、と。そういうわけさ。これはもう仕方がないね。お互い頭を冷やすべきだよ」

 僕はヴェルゼを慰めに行ってくるよ、と微笑んで、デュナミスはいなくなる。
 残されたソーティアが、泣きそうな顔をした。

「ごっ、ごめんなさいっ! わた、わたしのせいで……っ」
「あなたのせいじゃない。大丈夫よ、安心して」

 アリアはそっとソーティアの頭を撫でた。

「あの子は理解しようとしなかった。でもね、あたしはあなたが悪い奴なんかじゃないって信じてるから。あたしたち……過去にね、イデュールの民の子から手酷い裏切りを受けたことがあるんだ。でもそれって、イデュール全体の罪じゃないし。だからヴェルゼは間違ってるの。憎むべきはイデュールじゃなくって、裏切った本人シドラでしょって」
「でもわたしの一族ですし……」
「あんたのせいじゃないでしょーが」

 でも困ったわねぇ、とアリアは苦い顔をした。

「あの子が受け入れてくれなくちゃ、店の空気が最悪になっちゃうわ」

  ◇

Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.16 )
日時: 2020/10/07 09:02
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)


「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

 目的地も決めず、ヴェルゼはひた走る。気が付いたら近所の森に入っていた。
 頭の中に浮かぶのは、裏切られたあの日の光景。にっくきシドラのあの顔が、頭にこびりついて離れない。

――忘れようとしていたのに。

 それは、思い出すと激情のあまり、冷静さを失うほどの記憶だから。
 あまり人を信じないヴェルゼ。余所者ならば尚更だ。そんな彼が信じた相手はしかし、ヴェルゼたちを裏切って居場所を奪った。二年前の事件だが、いまだ傷は癒えない。
 そんなことを考えていたら、視界にひらり、映ったのは白い髪。悪戯っぽい赤い瞳がヴェルゼを見た。ヴェルゼの中で電撃が走る。こいつは。この少年は。
 忘れようもない。

「シドラぁぁぁああああああああッ!!」

 頭の中が赤く染まる。黒く染まった感情が、心の内を支配する。もう何も考えられない。消えていく理性を止めるものはない。


 だってそいつは。
 宿敵だから。


 逃げる少年。逃がすものかとヴェルゼは追う。やっと会えた、会えたのだから。きちんと復讐してやらねば気が済まない。あの日自分が味わったのと、同じだけの苦痛を味わわせてやらないと気が済まない。
 完全に捨て去った冷静さ。ヴェルゼは激情に身を任せ、ただひたすらに少年を追った。
 その途中。

「……ッ!?」

 何かをふんづけたような、妙な感覚がした。
 ぱきり。何かが割れるような音が足元からした。
 恐る恐る足元を見ると、そこには割れた卵が落ちていた。ただの卵ではない。まるで、それは何か他の生物のもののような、やや大きめの卵だった。割れたそこからは、何かの生物の赤ちゃんのようなものが、濡れた状態で顔をのぞかせていた。しかしその身体は見ている内に干からびていき、あっという間に絶命する。
 くつくつくつと、笑い声が聞こえた。


「引っかかった。キミは馬鹿なの?」


 同時。
 怒りに震える何かの生物の声が、入り込んだ森を震わせた。のそり、のそり、姿を現したのは巨大な爬虫類。
 ヴェルゼは理解する。
 自分はハメられて、この爬虫類の卵を踏むように仕向けられたのだと。そう、相手に誘導されていたのだと。
 白い少年は笑っていた。嗤って、いた。赤い瞳に愉悦が浮かぶ。

「さぁて、ヴェルゼ・ティレイト、お手並み拝見。この森に住まう珍しい生物、ナグィルだよ。倒せたらはい拍手。……あぁ、あとキミは邪魔!」

 白い少年は何かを投げる。それはヴェルゼの近くにいた誰かに当たった。

「……っと。バレちゃったかい。何かあったら飛びだそうと思っていたんだけどなぁ」

 苦笑いして現れたのは、亡霊デュナミスだ。
 彼は自分に投げられたものを見て呆れた顔をした。

「護符かい? 亡霊への対策はばっちりなんだねぇ。悪いヴェルゼ! しばらく……自力で頑張って」

 亡霊とは、本来ならば冥界へ行くべきだった魂が無理やり地上界に繋ぎ止められた存在、つまり地上界に留まる異常な存在だ。それらに気づいた地上界のシステムは排除しようと動く。この護符はそういった「地上界の防衛システム」を一時的に強化する機能の付いたもので、弱い亡霊ならばそのまま冥界送り、強い亡霊もその動きを強制的に止められるという効果のある使い捨てのアイテムだ。
 デュナミスは強い亡霊だ。その気になれば、自分で護符の効果を解くことが出来るが時間がかかる。ヴェルゼだって護符の効果を解くことが出来るが、今彼の目の前には、危険な魔物が迫っている。デュナミスの護符を何とかするほどの余裕はなさそうだ。
 ヴェルゼはぎりと奥歯を噛み締めた。

「シドラ! 貴様、何のつもりだ!」
「遊びだよ、キミを裏切ったのも全部」

 シドラが何でもないことのように言う。

「だってこの世の中はつまらない。ならさ、自分たちで面白い見せものを作るしかないじゃあないか」
「貴様ッ! ひとの人生を何だと思って――」
「どうでもいいじゃん? 他人なんだし。それより前見てないと死ぬよ?」

 はっとなってヴェルゼは前を見る。
 我が子の卵を潰されて怒り狂ったナグィルが、ヴェルゼに向かってその爪を振りかぶっていた。

「忠告……ありがとなッ!」

 金属音。反射的に背中の鎌を抜き放って受ける。衝撃。受けたタイミングが悪かったのか、吹き飛ばされて背中を打つ。ヴェルゼの黒い瞳と、怒りに我を忘れたナグィルの赤い瞳が交錯した。このような事態を招いたのはシドラだが、口で説明したって納得するような生物でもあるまい。我が子を殺されたから復讐する。親としては当然の行動だろう。
 イデュールの民の登場に怒り、シドラを見て我を忘れて走り出したのは自分の失態だ。自分がもっと冷静であれば、このようなことは起きなかった。無駄にナグィルの子が死ぬことはなかった。
 ナグィルの怒りの爪撃。痛みをこらえつつ身を起こし、ヴェルゼは辛うじてかわす。反撃。今度はヴェルゼから攻めてみるが、ナグィルの硬い鱗はヴェルゼの鎌を通さない。弾かれる。思案。何か方法はないのかと考えるが爪撃、考える隙など与えずに苛烈な攻撃を受ける。

「耐えてヴェルゼ! もう少しで……護符を解けるから!」

 デュナミスの叫び。ああ、とヴェルゼが頷いた瞬間、
 爪撃。反応出来なかった。激痛。ナグィルの爪はヴェルゼの脇腹を貫いて。
 だが、ただで転ぶヴェルゼではない。自分が怪我をした状態ならばやりようがある。ヴェルゼは起動語を叫ぶ。

「――血の呪い《ブラッディ・カース》発動! 紅の接続《ロート・ノードゥス》!」

 起動語を唱えたヴェルゼの周囲、傷から滴る赤い血が、たなびくスカーフのようにひらひらと動き出しナグィルの首に巻きついた。その途端、ナグィルが悲鳴のような呻きを上げる。見ればナグィルの脇腹に、ヴェルゼが受けたのと同じような傷がついていた。
 ヴェルゼの固有魔法、血の魔術。それは術者の血液を媒介として放たれる呪われし魔法。|紅の接続《ロート・ノードゥス》対象の体調を、術者の体調で上書きする呪いだ。術者が大怪我を負っている時に掛ければ、自分の怪我を相手に上書きし、痛み分け状態にすることが出来る。逆にそれを応用すれば、体調を崩した他者を一時的に回復させることもできる。そこそこ汎用性のある魔法だ。
 ヴェルゼはそれで、自分の負った傷を相手にそっくりそのまま返した。

「やられっぱなしは……主義じゃないんだ、よッ!」

 口元に獰猛な笑みを浮かべる。シドラが面白そうな顔をした。

「ヘェ、やっぱりキミの血の魔術は面白いねぇ! でもさ……それ」

 いつまで保っていられるかな? シドラがそう口にしたとき。
 ヴェルゼは己の視界が明滅しているのを感じた。

「何……ッ!?」

 気がついた時にはもう遅い。急な脱力感を覚え、ヴェルゼは地面に倒れてしまった。急速に遠のいていく意識の片隅で、にっくき相手の声がした。

「先に言うの忘れてたね? ナグィルは毒を持っているのさ――」

 その言葉を最後に、ヴェルゼの意識は消え失せた。

  ◇

Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.17 )
日時: 2020/10/09 09:02
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)


 ヴェルゼも、ヴェルゼを捜しに行ったデュナミスも戻ってこない。
 アリアは心配で心配でたまらなかった。だから決意した。

「ねぇソーティアちゃん! あたし、捜しに行くわ! 危ないことになってるかも知れないからソーティアちゃんは店に残ってて」

 大切な弟だから。何かあったとしたら大変なのだ。
 すると「わたしも行きます」とソーティアが胸に手を当てた。

「元はと言えば、わたしの責任ですし……。足を引っ張らないとお約束いたしますので、わたしも、どうか!」
「……危ないかもしれないのよ?」
「わたしだって、戦えます!」
「……そう」

 ソーティアの揺るがぬ瞳を見て、アリアは溜め息をついた。

「ええ、わかったわ。ならばついてきなさい。大体の場所は見当ついてるの。あの子、嫌なことがあるといつも逃げ込む森があってね……」

 アリアとの意見の相違によって、ヴェルゼは何度もあの森に逃げ込んだことがある。そのたびに連れ戻してきて仲直りしてきたアリアだったが、今回は嫌な予感がした。戦闘の気配をそっと感じ取り、アリアはあらかじめ魔法素《マナ》で式を組んでおくことにする。何かあった時に放てるように、とびっきり強力な式を。
 イデュールの少女、ソーティア・レイ。彼女が一体何を出来るのかは分からないけれど。彼女は戦力にならないと考えた上で行動した方が、彼女の実力が未知数なのだから安心出来るだろう。
 と、ソーティアがアリアの手元に意味深な視線を向けた。

「アリアさん……火属性の魔法は、森で放つには危険ですよ?」
「……ッ!?」

 ソーティアの言葉にアリアは動揺する。自分が火属性の式を組んでいたことなんて、ソーティアには伝えていないはずだ。
 驚くアリアを見て、ソーティアが自分の目を指さした。

「ふふっ。わたしたちイデュールは、誰だって生まれつき魔法素《マナ》を見ることが出来るんです。アリアさんの式も見えましたよ? 森で使うなら……そうですね、水か風の魔法素《マナ》を使うことをお勧めします。森で炎は大変危険です。でも……わたしは魔法を使うことは出来ないのでそこは期待しないで下さいね」
「……わかったわ。その力、知ってはいたけれど、実際に組んだ魔法素《マナ》を当てられてみると、改めてあなたのすごさを感じるわ。あなたってすごいのね!」

 アリアは頷き、魔法を発動させないように慎重に、組んだ式を解いていく。
 ソーティアの勧めに従い、風の式を組んでいく。
 判明したソーティアの意外な能力。これは戦闘にどう影響するのか。

「……ったく。考えるのはいつだってあの子の領域なのに。あたしに苦手なことさせないでよ」

 難しい顔をしながらアリアは進む。

  ◇

 森に着く。ヴェルゼはどこだと捜しまわる。そこで。

「アリアッ!」

 先に行っていたはずのデュナミスが、珍しく焦った顔をしていた。
 その身体は消えそうになったり実体を取り戻したりと不安定だ。何かあったのかとアリアは問う。

「デュナミスじゃないの! ヴェルゼを見た? 捜してるの!」
「僕はアリアたちに助けを求めようとしていたところでね! 端的に言おう。シドラが現れた」

 シドラが現れた。それだけで大体の状況はわかった。
 シドラはヴェルゼの因縁の相手。普段は冷静なヴェルゼだが、シドラを相手にした時だけは冷静さを失う。ヴェルゼはきっとシドラの罠にはめられて、戻ってこられないのだろう。そしてデュナミスもその現場を目撃していた。

「この森にナグィルっていう生物がいるのは知ってるかい? 毒を持つ危険な生物だ。そいつにヴェルゼはやられた。死んじゃあいないが……とにかく来て!」
「……わかった。ああもう、あの子ったら! お姉ちゃんに心配かけさせるんじゃないわよ!」

 アリアは頭を抱えた。
 案内するよ、と消えかけのデュナミスは言う。
 そんなデュナミスにソーティアが問うた。

「ええと……デュナミス、さん」
「何だい?」

 ソーティアは心底心配そうにデュナミスを見る。

「消えそうですけど……大丈夫なんですか?」

 ああ、とデュナミスは頷いた。

「君は優しいんだね。ちょっと冥界からの引力が強くなってるだけだよ。このままだったらヤバいけど、ヴェルゼが目覚めたら何とかしてもらえるから……」

 そのためにも、急いで欲しいんだとデュナミスは走り出す。
 その左足は少し引き摺っていた。

  ◇

Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.18 )
日時: 2020/10/12 09:11
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)

 やがて辿り着く。辿り着いた現場には、巨大な爬虫類に襲われそうになっているヴェルゼの姿が。その身体はぐったりとして動かない。奥の方に、見覚えのある白い髪を見かけた。

「やぁ、遅かったじゃあないか」

 くつくつとシドラはおかしそうに笑う。

「もう少しでヴェルゼが死ぬところだったよ? でも来てくれたんだし、始めようか――ゲームの続きをッ!」

 シドラが指で合図を送る。するとナグィルが唸りを上げて、ヴェルゼへその爪を振りかぶる。

「させないッ!」

 叫んだアリア。反射的に、ずっと組んでいた式を破壊、巨大な魔法を叩きつける。式を的確に破壊するために起動語を唱える。

「吹き荒れよ烈風、切り裂け鎧! 守るために戦う力を! 風の神の加護よ此処に在れ!」

 相手は鱗に守られている。ならば守られていない箇所を的確に狙うだけ。
 破壊された魔法式から、膨大なエネルギーがあふれ出す。
 アリアの呼びだした風は、的確に相手の目を柔らかい腹を切り裂いた。悲鳴のような声を上げるナグィル。
 ごめんなさい、とアリアは言う。

「あたしだって、あなたを傷つけたいわけじゃないの! でもあなたがヴェルゼを傷つけるなら! あたしは容赦なんてしないわ!」
「ヴェルゼはそのナグィルの子を殺したのにねぇ」

 そんなアリアに、シドラが声を掛ける。
 驚いた顔をするアリアに、芝居がかった仕草で彼が言う。

「ヴェルゼはナグィルの卵を踏みつぶした。ああ、なんて哀れなナグィル! 子を殺され、その上自身まで死ななければならないとは!」
「……ッ、それもあんたの作戦でしょ! あんたがヴェルゼに、ナグィルの卵を踏みつぶすように仕向けたんだ!」
「ふふっ、それはどうかな?」

 シドラは妖しく笑う。
 笑い、シドラは何かを投げる。鋭利なそれはアリアにぶつかり、皮膚を薄く切り裂いた。

「な、何なのよこれ!」

 それは金属片だった。つまんでみると、そこには謎の紋様が刻まれていた。
 良くない予感を覚え、アリアはそれを投げ捨てる。傷を確認したが、浅いものだったため放っておけば治るだろう。
 相手が何をしようとしたのか。考える暇はなく。
 気が付いたら大怪我を負ったナグィルが、目の前に迫っていた。迎え撃たんとアリアは式を組もうとするが、
 出来ないよ、とシドラの声。

「先程投げたのは魔法封じの魔道具。これでつけた傷が完治するまで、対象は魔法を使えない。……キミの魔法は厄介だ。封じさせてもらったよ」
「……ッ」

 組もうとした式。しかし魔力が集まらない。目の前迫るはナグィルの爪。アリアの反射神経では避けられない。絶体絶命の状況に戸惑うばかりのアリアの耳に、
 凛、とした声が聞こえたのだ。


「吹き荒れよ烈風、切り裂け鎧! 守るために戦う力を! 風の神の加護よ此処に在れ!」


 アリア以外に、属性魔法を使える者などここにはいないはずなのに。
 呼び出された風は、アリアの魔法でついたナグィルの傷をさらに押し広げ――
 その爪は、アリアに届く前に力を失った。ナグィルの身体はぐったりとなった。
 アリアは声のした方を振り返る。そこにいたのは白い少女。
 ソーティアが、震える声で言った。

「魔法素《マナ》を見ることの出来るわたしたちイデュールは……直前に放たれた魔法限定で、魔法を使うことだって出来るんです」

 わたしたちは魔法転写と呼んでいます、とソーティアは笑う。

「わたしだって、役に立てるんですよ!」

 ぱちぱちぱち、と音がした。
 シドラが笑みを浮かべていた。

「ふふっ……ああ面白い。絶望から立ち上がるその姿! ヴェルゼは倒れアリアは魔法を封じられ、灰色の亡霊は護符に縛られ実力を出せない。ボクが勝ったと思っていたのに、とんだ伏兵が紛れ込んでいたなんてね?」

 ご褒美を上げる、と投げ渡されたものをアリアは受け取る。それは中に液体の入った、硝子の小瓶だった。

「ナグィルの解毒剤が入ってる。ヴェルゼに飲ませてあげるんだね。負けたのはボクなんだから、勝った方にはご褒美をあげなくちゃ」

 シドラがくるりと背を向ける。
 待ちなさい、とアリアは呼び止めようとするが、急いだ方がいいよとデュナミスが声を掛ける。

「ナグィルの毒って、全身に回ったら手をつけられなくなるからねぇ。今回はもういいよ。今やるべきことを優先しよう」
「……そうね」

 アリアは唇を噛んだ。
 では御機嫌よう、とシドラがそのまま去っていく。奥へ奥へ森の奥へ。何処を目指すというのだろう。また「ゲーム」と称して誰かを破滅させるのだろうか。彼がなぜそのようなことをやるのか、アリアにはわからない。彼もその双子の兄フィドラも、行動原理は完全に謎だった。ただ彼らが、いつも誰かをたばかって、それを「ゲーム」と称していることだけがわかっている。
 正義感の強いアリアは、それを止めたかったけれど。
 自分の仲間たちの方が優先だから。
 アリアは小瓶の蓋を開け、倒れたままのヴェルゼに駆け寄り中の液体を飲ませた。
 しばらくすると、その目蓋が震え、黒曜石の瞳が姿を現す。

「う……」

 呻き声。黒曜石の瞳が、アリアの赤玉石の瞳に焦点を合わせる。
 かすれた声が、彼女を呼んだ。

「姉、貴……?」
「こんの馬鹿ぁ!」

 アリアはヴェルゼの頬を思い切り張った。ヴェルゼが驚いた顔をする。
 まくし立てるようにアリアは叫んだ。

「このぉ、馬鹿ヴェルゼ! 勝手に飛び出してシドラなんか追い掛けて危険な怪我をして! あたしがどれほど心配したと思ってんの! 寿命縮まるかと思ったわよ馬鹿馬鹿馬鹿、ヴェルゼの馬鹿ぁっ!」

 アリアの瞳から、一筋、涙が落ちる。

「……本当に、心配したのよお姉ちゃんさぁ」

 姉の涙を見て、ヴェルゼが大きく息をついた。

「……悪かった」
「ふーん、だ! 当分は許したげないからっ!」

 文句を言いつつ、涙をぬぐってアリアは、常備している道具の中から包帯と小瓶を取り出した。これでもかとばかりに小瓶の中身をヴェルゼの傷にかけ、ぎゅうぎゅうと包帯で威張る。ヴェルゼが悲鳴を上げた。

「……ッ、痛い痛い痛いって姉貴! オレは怪我人だぞ少しは優しく」
「しないもんっ! お姉ちゃんを泣かせた弟はこうなんだからっ!」

 ヴェルゼの痛そうな声が森に響く。
 微笑ましそうな目でそれを見ていたソーティアの身体が、ぐらりと傾いた。

「ったく馬鹿ヴェルゼ……って、ソーティアちゃん!?」

 異変に気付いたアリアは、ソーティアの身体を支える。
 アリアの腕の中で、ソーティアは苦しそうな顔をしていた。

「うーん……やっぱり難しいですね」
「どうしたの? ナグィルにやられた!? 薬あるけど!」

 違うんですとソーティアは首を振る。

「魔法を使えない一族、イデュールの民。それが無理に魔法を使おうとしたら……どうなると思いますか?」
「あ……」

 アリアはわかったと頷く。

「……魔力欠乏症?」
「そうです……」

 ソーティアの息は苦しげだ。

「アリアさんの魔法……一般人の魔力量で扱えるような代物ではありませんから……」

 しばらく放っておいて頂ければ治りますよ、と彼女は言う。
 そんなわけには行かない、と難しい顔をするアリアに、

「……オレが背負って連れて帰る」
「ヴェルゼ!?」

 意外な人物の声がした。
 ばつが悪そうな顔をして、ヴェルゼが立ち上がる。

「意識が消えていた間にも、何となく状況はわかっていた。無意識の狭間にたゆたっていた時、デュナミスがそっと教えてくれた」

 ソーティア・レイ、と彼が名を呼ぶと、はい、とソーティアは背筋を正した。
 ヴェルゼは穏やかな微笑みを浮かべていた。

「姉貴を助けてくれて……ありがとな」
「……はいっ!」

 ソーティアは満面の笑みを浮かべる。
 その前に、とヴェルゼが虚空に声を掛けた。

「デュナミス! おい……まさか消えたわけじゃないだろうな?」
「いる……けど……」

 返事をしたデュナミス。しかしその身体はほとんど透き通っていて、今にも消えそうだ。
 その様子を見たヴェルゼは首に下げた笛を吹く。魔力のこもった旋律が流れ、デュナミスを地上界に繋ぎ止める。
 本来ならばそのまま冥界へ行くだけだった魂を、繋ぎ止めたのはヴェルゼの力とデュナミスの力。今再び、彼が冥界へ行きそうになっているのならば。ヴェルゼの力が彼を地上へ繋ぎ止める楔《くさび》となる。
 やがて演奏が終わる。旋律が止む。その時はもう、デュナミスの身体は透き通ってはいなかった。
 ヴェルゼが大きく息をつき、言う。

「何か……疲れた。帰ろうぜ」
「ええ……そうね」

 アリアは頷く。
 動けないソーティアをヴェルゼが背負い、アリアを先頭にして一同は帰る。
 そんな四人を、シドラの赤い瞳が、面白がるような輝きを帯びて追い掛けていた。

  ◇

 ヴェルゼの傷はそこそこ大きい。ヴェルゼは絶対安静を言い渡された。ソーティアは店にあった空き部屋を使わせてもらうことになった。
 それから、数日。
 傷のだいぶ回復したヴェルゼとアリア、ソーティアが改めて相対した。
 ソーティアは息を吸い込む。

「改めて、依頼させてもらってもいいですか」

 赤い瞳には、確かな光が宿っている。
 ソーティアは、言う。


「わたしを……この店の従業員として、雇って下さいっ!」


「いいわよ」「いいぜ」

 返ってきたのは肯定の言葉。
 ソーティアはその目を輝かせて、溢れる思いを込めて笑った。

「ありがとう……ございますっ!」
「頼まれ屋アリア、依頼完了しました! ……ってね」

 アリアが悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「これからよろしくね、ソーティアちゃん」
「はいっ!」

 イデュールの少女ソーティア・レイ、頼まれ屋アリアの一員になる。
 故郷を滅ぼされ、放浪の果てにようやく辿り着いた場所。
 ソーティアは確信する。ここが新しい居場所になると。
 振り返った窓の向こうでは、優しい日差しが笑い掛けていた。

【色無き少女の願い事 完】