複雑・ファジー小説
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.2 )
- 日時: 2020/08/28 09:57
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
【第一の依頼 パンドラの黒い箱】
◇
異世界“アンダルシア”。独特の魔法システムがあり、人間と神々が時に関わり、時に交わる、どこかにある世界。
その世界の片隅に、不思議な店がありました——。
『頼まれ屋アリア 開店中!
〜願い、叶えます! アリア&ヴェルゼ〜』
木造の店の入り口には、そんな言葉の書かれた木の看板が下がっている。
木でできた扉を開ければ、赤髪の少女が、木造のカウンター越しに来訪者を迎えてくれるだろう。
今は、店が出来てから一年ほどになる。
◇
扉の開いた音とともに、カランコロン、ドアベルが鳴る。「頼まれ屋アリア」の非日常は、このドアベルの音から始まる。
「はーい、ようこそっ!」
ドアベルの音に来訪者ありと知った赤髪の少女——アリア・ティレイトは、元気よく返事をして扉を見た。彼女は自分の右後方のあたりで誰かが反応したような感覚を覚えたが気にしない。
「やぁ、こんにちは。ちょーっと頼みたいことがあって来たんだけれど……いいかな?」
穏やかな声とともに入ってきたのは、茶髪に青の瞳、くたびれた印象の茶色のコートを羽織り、膝下までの焦げ茶のロングブーツを履いた、旅人めいた青年。彼は肩に掛けていた鞄から何かを取り出し、カウンターの上に置いた。軽い音が鳴る。それは中にそこまで重いものが入っているわけではないような箱だった。色は漆黒で、幾重にも巻き付いた魔法の鎖で厳重に封じられている。
謎の箱を見せながらも、青年の唇が開く。
「あのね、この箱を、王都にあるアンダルシャ神殿へ持っていってほしいんだけれど、頼まれてくれるかい? ああ、お代は先に払うよ。ざっと五千ルーヴだ、悪い条件ではないだろう」
ちょっと待ってよ、とアリアはその目に警戒を浮かべた。
「運び屋としての仕事もやってるわ、引き受けるのもやぶさかじゃない。でも、聞きたいのよ。その箱の中にあるのは、一体なぁに?」
しかし彼女の問いに対し、青年は静かに頭を振る。
その口元に、謎めいた笑みが浮かんだ。
「生憎と、それを話すことはできないのさ。でもすごい秘宝だよ? ああ、君にひとつ忠告しておこう」
決してそれを開けてはいけないよ——と、囁くような音が洩れる。
「それはアンダルシャ神殿の祭壇まで持っていかねばならないものだ。それ以外の場所で迂闊に開けたら、絶対に良くないことが起こるだろう。それは幸運を約束するが、ルールを破ったらおしまいだ」
アリアは難しい顔をした。得体の知れない依頼を受けるか受けないか、心の中に迷いが生じた。しかしそこに青年が追い打ちをかける。
「受けなくていいのかな? 来訪者の依頼料が生活の糧となっている店で、この依頼を蹴っ飛ばしたら次に依頼が来るのはいつかな? その間はずっと貧乏生活だねぇ」
アリアは唇を噛み、観念したように頷いた。
「わかった、わかったわよ。依頼、受けるわ。じゃあお代を頂戴。あたし、まだあなたを信じてないから」
「警戒心が強いのは良いことだね」
笑って、青年は肩掛け鞄から布袋を取り出した。じゃらん、と金属の音のするそれを青年はカウンターの上に置く。「確かめてみたら」の言葉に、アリアは中身を覗き込んで金額を確認、頷いて袋を受け取り、いつもの宣言をした。
「頼まれ屋アリア、依頼、承りましたっ!」
「じゃあ頼むよ」
口元に謎めいた笑みを浮かべ、青年は店を出た。
カランコロン、見送りのドアベルが鳴って、やがてすべては静寂に包まれた。
その静寂の奥から、小さな物音を立てて黒髪の少年が現れる。
黒髪黒眼、黒のマントに黒のコート、マントの留め金は白い髑髏、黒のズボンに黒のブーツ。背に鈍色の大鎌を背負い、首から木で作られた素朴な笛を下げた少年は、アリアにその黒い眼を向けた。
「話は聞いたが……姉貴、面倒なことになったな」
「仕方ないじゃないヴェルゼ。要は開けずに王都のアンダルシャ神殿に届ければいいだけでしょ。簡単よこんなの」
彼女は黒の少年——二歳下の弟、ヴェルゼ・ティレイトの方を向いた。
「とりあえず、この箱はすごい秘宝だけれど良くないものなのかもってことはわかったわ。こんなものとはさっさとおさらばしてしまいたい。まだ陽は高いし、出掛けるのには悪くない日だわ。さっさと用意して行っちゃいましょ?」
「……わかった」
頷き、ヴェルゼは店の奥に消えた。アリアも店の二階に上がり、自分の鞄を用意し始める。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.3 )
- 日時: 2020/08/30 01:20
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: lh1rIb.b)
「よーっし、準備完了! そっちは?」「できた」
互いの用意ができたことを確認し、二人は一緒に店を出る。
店を出た際に、「開店中」の札をひっくり返して「閉店中」にして戸締りも済ませ、旅の用意は万端だ。アリアが例の漆黒の箱を布で丁寧に包み、懐に入れて鞄に仕舞った。
「王都までは何度も行ったことがあるし、届けるだけなら簡単よね」
「その間に何もなければよいがな……?」
姉の暢気さにヴェルゼは呆れた顔。
彼は何かあった時に備え、背負った鈍色の大鎌がしっかりとそこにあることを再確認した。
王都へ続く街道は、大きなアイルベリア川の近くを通る。川はつい最近まで大雨が降っていた影響でか、随分と水量が多くなっていた。
その傍を通っているとき、ヴェルゼは不意に何かを感じた。
「姉貴ッ!」
叫び、姉を突き飛ばす。瞬間、ヴェルゼの目の前に何かが迫ったが、反射的に振り抜いた大鎌で何とかそれを受ける。万全の態勢で受けたわけではないためにヴェルゼの腕が少し痺れたが、そのくらいならば立て直せる。
「ヴェルゼ……大丈夫!?」
「別に、この程度」
心配げに駆け寄ってきたアリアに、ヴェルゼは素っ気なく返す。
ヴェルゼは油断なく辺りを見回し、鋭い声を投げた。
「何者だ。そして何故襲撃を?」
「黒い箱。黒い箱を寄越せ」
声と同時、ヴェルゼの腕に衝撃が走る。目の前には黒づくめの謎の男たち。今度は読めていたために受けることができたが、ヴェルゼは受けるよりも避ける方が得意である。このまま受け続ければ身体が持たない、そう判断したとき炎が飛んだ。
「あたしの弟に手を出さないでよっ!」
アリアが怒りの声を上げ、生み出した炎を黒い人影に向かってぶつけていた。
「あたしは箱なんて渡さないわよ。依頼をしっかり果たしてこそ頼まれ屋、何が目的かはよくわからないけれど、あんたたちの自由にはさせないわ!」
叫び、アリアは心配げな目を弟に向ける。
「ヴェルゼ、下がってていいわ。ここはあたしが何とかするから」
「攻撃を二回受けただけで戦えなくなる男かオレは。大丈夫だ、まだ行けるさ」
「無理しないでね?」
「うるさい、オレは子供じゃないんだ。姉貴は過保護すぎるんだって……の!」
アリアに言葉を返しつつ、ヴェルゼは鈍色の大鎌を一人の黒づくめに向け、横に薙いだ。
当たった感触。黒づくめは後ろに吹っ飛ぶが、裂けた服の間から金属が見えた。一撃で倒せると思っていたが相手の方が一枚上手だった。思わずヴェルゼは舌打ちした。
「くそっ、鎖かたびらか? 周到な準備してやがる……!」
「それなりに訓練された襲撃者みたいね。それほどの人たちが狙うなんて……この箱の中身、本当に一体何なのかしらね?」
アリアも難しそうな顔をする。
「まぁでもともかく」
言って、彼女は自分の周囲に炎を纏った。
「要は、倒せばいいんでしょ! 箱の中身が何なのかは、目的地に着いたらわかるかも? まずは目の前の敵を打ち倒せ! 難しいことは考えない!」
纏った炎を黒服にぶつけた。襲撃者の纏った衣が炎に包まれ、たまらず何人かの襲撃者たちは濁流の川に身を投げた。
その様を見、ヴェルゼは呆れ声でアリアに言った。
「何だ、姉貴のほうが効いてるじゃないか」
「相性というのもあるわよね。でも、あたしはヴェルゼの物理攻撃だってすごいと思うのよ? 魔法特化のあたしには、あんたみたいに華麗に立ち回れないし」
「どうも」
ヴェルゼは素っ気なくお礼を言った、
瞬間。
「……ッ、姉貴——ッ!」
◇
アリアは、自分が大きく突き飛ばされたのを感じた。
何があったの、そう思って咄嗟にそちらを見上げれば、不意を打って飛来した襲撃者の剣を、ヴェルゼが大鎌で防いでいるところだった。彼のすぐ後ろには濁流の川があった。
ヴェルゼは襲撃者の攻撃を防ぎ切ったが、バランスを取るために後ろに一歩踏み出そうとした右足は、空を掻いていた。陸の端に辛うじて踏みとどまっていた彼だがうまく地面を踏めなかったがためにバランスが崩れ、真っ逆さまに川に向かって落ちていく。
「ヴェルゼ————!」
アリアの悲痛な叫びがこだまする。アリアは地面につかまりながら川を覗き込んだ。するとヴェルゼはいつもみたいに口元に皮肉な笑みを浮かべ、大丈夫だ、と言い残して川の中に飲み込まれた。ちらり、視線を上げれば。その隙に逃げだしていく襲撃者の背中が見えた。
アリアは頭を抱えた。
「ヴェルゼ、ヴェルゼ、あたしの弟! ああっ、もう、どうしてなの。どうしていなくなっちゃうのよっ!」
彼女はすぐにヴェルゼを追おうと考えたが、依頼の箱が手元にある。そのため追いたい気持ちを何とか抑え、思い留まった。それは開けてはいけない箱だ。もしも川に飛び込んで、濁流にのまれている間に箱が開いてしまったら大変である。
けれど、と彼女の中の過保護な自分が叫ぶ。ここで大切な弟を見捨てたら、もう二度と会えなくなるのではないか。そう思ったら怖くなった。
昔、ヴェルゼが出掛けたっきり、長い間帰ってこなかったことがあった。アリアは心配してひたすらにヴェルゼを捜し回ったが、それでも見つかることはなく。いなくなってから二ヶ月が過ぎた頃にようやく戻ってきたが、満身創痍になっており、その背後には灰色の霊がついていた。そう——ヴェルゼがデュナミスと出会うことになった事件だ。その時ヴェルゼは「安心して待ってろ」などと言いつつも、長い間帰ってこなかったのだ。そんな事件を経験し、ヴェルゼのいない時を過ごし、アリアはこの弟を失うことが怖くなった。彼は彼女の唯一の家族なのだから。過保護になるのも当然なのだ。
「あの子を失うくらいなら……依頼なんて、どうだっていいよね」
アリアの瞳が揺れる。そうだ、あの子を救うことが何よりも優先だ。そのためならば、たとえこの箱が開いてしまったって関係ない。
そう思い、川に飛び込もうとした時だった。
その状態で再会したヴェルゼの顔を想像し、アリアは固まった。
そうだ、ヴェルゼはこんなこと望んではいない。自分のために誰かの目的を捻じ曲げることなど望まない。あの日も最終的には帰ってきたのだ、次は戻ってこないなんて単なる思い込み、そのために依頼をふいにしたと知ったらヴェルゼは激怒するだろう。『見失うんじゃない』きっと、そう言うはずだ。
それに。
「……あたし、泳げないのよね」
だから彼女が川に飛び込んだって、リスクの方が大きいのである。ここは冷静に、冷静に。気持ちを落ち着けて慎重に陸路を進むしかない。ヴェルゼならば、圧倒的にリスクが高く、リターンの少ないことはしない。現実的なあの子なら。
彼女は混乱していた。いつもならそんな状態の彼女を支え、冷静に状況分析をしてくれるヴェルゼが今はいない。
アリアはぎゅっと歯を噛み締めて、しっかりしないとと自分に言い聞かせた。
「……大丈夫、死んだって決まったわけじゃない。あたしはあたしにできることを、しないと」
小首を傾げて少し考えるような仕草をした後、うんと頷いて呟いた。
「まずは王都を目指すわよ。最終目的地ならそこだし、きっとヴェルゼもそこを目指すよね」
目的地を改めて定めて、彼女は歩き出す。
心の中で、弟が生きていることを願った。
(ヴェルゼ、あたし、信じてるから——!)
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.4 )
- 日時: 2020/09/01 11:00
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「……ッ、とんだ目に遭ったな」
何とか岸にたどり着きながらも、ヴェルゼは荒い息を吐いた。飲み込んだ水を吐き出し、ふらふらと地面に座り込む。そんな彼の背後から、ふわり、灰色の何かが現れた。それは穏やかな声をかける。
「ヴェルゼ、結構消耗したんだから無理しないほうが良いよ」
「余計なお世話だ」
「僕は君のことを気遣ってるのになぁ」
「……悪い」
灰色の何かは淡く透き通った人間の姿をしていた。灰色の髪に灰色の瞳、身に纏うは灰色の衣装。何もかも灰色の彼の名をデュナミス・アルカイオンと言った。数年前、ヴェルゼに救われて共に旅をするうちに大親友になり、旅の果てでヴェルゼを庇って命を落とした、元天才死霊術師の亡霊だ。彼は自身が死んだあと、ヴェルゼの願いと自分の最後の力により起こった奇跡によって霊体として甦り、二人一緒に戦って最大の敵を倒した。以来、霊体のデュナミスはいつもヴェルゼの傍にいる。
「デュナミス、落ち着いたら王都に向かうことにするぜ。今更あの岸には戻れないし、姉貴もきっと、王都を目指しているだろうから。で、無事を伝えなくちゃな……」
言って、ヴェルゼは首から下げていた笛をそっと口元に当てた。
彼は笛作りの町エルナス出身だ。そこでは笛の演奏も盛んであり、笛を極めた者は「笛言葉」という特殊なメロディーを奏でることができる。笛言葉は言葉を笛の音色に置き換えたもので、分かる人にはその演奏が、しっかりとしたメッセージに聞こえる。ただし「笛言葉」の演奏には相当な技術が必要で、現に「笛言葉」を聞き取ることができる者が多くても、奏でられる者は非常に少ない。
ヴェルゼはそんな数少ない、笛言葉の奏者の一人であった。
そして彼の持つ笛、エルナス特産のエルナスの笛もまた特殊な力を持っており、その特性としては「音色を伝えたい相手にだけその音色を届けられる」「いかなる距離をも無視し、たとえ相手が冥界にいたとしても伝えられる」というものがある。
その笛の特性と、ヴェルゼの操れる「笛言葉」が合わされば?
届かせたい相手にだけ、確実にメッセージを送ることができるようになるのだ。
ヴェルゼはアリアを思い浮かべ、笛に息を吹き込んだ。慣れた手つきで指がおどる。彼は明らかに笛を奏でているように見えるのに、周囲にその音が聞こえない。「伝えたい相手限定でその音色を届ける」エルナスの笛の特性だ。その指はまるでそれ自体が意思を持っているかのように動き、常人では真似できない技だとわかる。
《——こちらは無事。そっちも無事か? 無茶な行動しているんじゃないよな? オレがいないと姉貴は不安定になるから心配なんだが……。オレたちは王都に向かうから、そちらも王都を目指してほしい。集合場所は宿屋『アンダルシャの虹』だ。箱はそちらにあるな? ならば絶対に開けるなよ。そちらからも何か伝えたいことがあったら伝えてほしい。姉貴の笛言葉は下手くそだが、少なくとも付き合いの長いオレにならわかる》
そんなメッセージを笛言葉に乗せて奏でる。
——届け。
◇
王都に向かう道すがら、アリアは聞き慣れた笛の音を聞いた。
いつもの音、ヴェルゼの笛だ。ならば伝えられているこれは笛言葉だろうと察し、ヴェルゼが無事なことに安堵しながらも集中して耳を傾ける。
聞こえてきた音を頭の中で言葉に変換する作業。ヴェルゼはこれをごく自然にやってのけるらしいが、アリアは必死で集中して変換するのがやっとである。何かをしながらできるようなことでもないため、アリアは王都へ向かう足をいったん止めて、街道から少し離れた木陰に来て、そこでその音を変換していった。
そこそこ長いメッセージ。要点だけはとりあえず理解し、届いたことを伝えるために自分の笛を取り出して息を吹き込む。彼女の笛の腕は下手くそでヴェルゼほど綺麗には奏でられないが、長い付き合いの彼にならば、いくら拙くても音は通じる。それをわかっているから奏でた。彼女の細い指が、不器用に笛の穴の上を踊る。
《——わかった。ヴェルゼぶじ。おうとをめざす。しゅうごうばしょは、アンダルシャのにじ。はこはぜったいにあけちゃだめ。
あたしもぶじ。もんだいない。おうとであおうね。おうとついたられんらくしてね。あたしもするから。れんらくありがとう》
拙い音を弟に届け、小さく息をつき、呟く。
「王都に行けば再会できる……。なら、さっさと行かないと!」
相手が無事だと分かったから、その足取りは軽い。
◇
「よっし、もうすぐね!」
歩き続けてどれくらい経っただろう。
日が暮れてきた時間帯、アリアは遠くに王都の影を見た。
世界で一番魔法の栄える国、アンディルーヴ魔導王国。その王都ともなれば、夜でも魔法の光によって、昼のように明るいのも当然だ。世界広しといえど、夜でもここまで明るいのはここぐらいのものであろう。炎の魔導士と光の魔導士が協力して生み出した魔法の灯りは、この王国の、もっとも有名な発明品だ。
「うーん、呆気なく辿り着きそうだけど……襲撃が一回だけっていうのも何だか変よねぇ。いや、ないに越したことはないんだけど、さぁ……」
巨大な王都の影が見えたからって、すぐに辿り着けるわけがない。歩きながらもアリアは様々な可能性を考える。
「まぁ、気にしてたって何も進まないわよね! もうヴェルゼは着いたかしら? いや、連絡来てないしあたしが先かぁ。まぁ気長に待——」
呟いた、瞬間。
感じた、頭に強い衝撃。何かが奪われたような感触。仕舞っていた箱が、消え失せる。
「え……?」
戸惑いと共に、アリアの意識は落ちる。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.5 )
- 日時: 2020/09/09 09:43
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
アリアの返答を聴きつつ、ヴェルゼは亡霊デュナミスと共に王都を目指す。川に流された分、こちらは王都から遠い位置にいる。
「……距離があるから、姉貴を待たせることになるなこれ」
「仕方ないさ。……ま、あの子一人で大丈夫か、不安がなくはないけれど」
ヴェルゼの言葉にデュナミスが返した。
その時、
「——ヴェルゼッ!」
緊迫した声、感じた衝撃。自分のすぐそばを通り過ぎた刃。
刃は霊体のデュナミスを切り裂いたが、霊であるデュナミスに一切の被害はない。
デュナミスは咄嗟に自分の身体に実体を与え、ヴェルゼを突き飛ばした後でそれを消した。そこまでに掛かった時間はほんの刹那。そしてデュナミスはあくまでも冷静に、
「うーん、死なないと分かっていても自分の身体を刃が通り抜けるのは変な感じがして嫌だなぁ」
などと呟いている。
ヴェルゼは改めて、この大親友の強さに驚いた。
「大丈夫かい、ヴェルゼ?」
笑うデュナミスに「問題ない」と返し、背負った大鎌を抜き放つ。すっと目を細め、襲撃者を睨みつけた。
「何が目的だ!」
「箱を」
襲ってきた謎の男はそう、短く告げる。漆黒の服を身に纏い、漆黒のフードを被った男だ。フードの奥の顔はうかがい知れないが、声はどこまでも淡々としていた。
男の言葉を聞いたヴェルゼの顔に冷笑が浮かぶ。
「ハッ、そんなの手元にないぜ。川に落ちたときに流されてしまったよ」
「……嘘をついても無駄だ」
低い声で呟いた黒い男。容赦のない刃の連撃がヴェルゼを襲う。
ヴェルゼは相手が両手に刃を持っていることに気が付いて軽く舌打ちした。
「チッ、双剣かよ! 厄介な武器……使いやがって!」
ヴェルゼは大鎌で戦うが、大鎌はリーチが長い分細かい動きに対応しづらい。対し、襲撃者の双剣はリーチが短いが素早い動きが可能なため、相手の懐に入ってさえしまえば圧倒的優位に立てる。しかも今回の襲撃は不意打ちだった。ヴェルゼは防戦に追われ、自分の間合を取る暇などなかった。
必死で襲撃者の刃を受け、反撃しようとヴェルゼは試みたが、瞬く間にその身体に無数の傷が刻まれる。切り裂かれた黒衣から赤く血が滲み、黒の衣を黒褐色に染め上げた。
「……僕の大親友に好き放題やってくれるじゃないか」
その瞳に静かな怒りを込めてデュナミスが特殊な力を使い襲撃者を攻撃しようとした刹那、襲撃者はデュナミスに向かって何かを投げつけた。それは——
「護符!?」
それをぶつけられたデュナミスの身体が動かなくなる。デュナミスは驚きの目でそれを見ていた。
亡霊とは、本来ならば冥界へ行くべきだった魂が無理やり地上界に繋ぎ止められた存在、つまり地上界に留まる異常な存在だ。それらに気づいた地上界のシステムは排除しようと動く。この護符はそういった「地上界の防衛システム」を一時的に強化する機能の付いたもので、弱い亡霊ならばそのまま冥界送り、強い亡霊もその動きを強制的に止められるという効果のある使い捨てのアイテムだ。
「……ごめん。何とかしてこれの効果を解く……けど、今は助けに入れそうにないね! 敵も用意周到だよ! 悪いけど……しばらくは一人で、頑張って」
苦しそうな声でデュナミスは答える。
ヴェルゼは頷き相手に向き合うが、傷は増えるばかりで有効な手が浮かばない。
その時、ヴェルゼの脳裏をよぎった思考。
「——姉貴、は?」
今、ヴェルゼたちは危機にある。だが戦慣れしたヴェルゼですらもこの有様、王都に向かったアリアももし、似たような襲撃を受けているのだとすれば。
ヴェルゼの呟きに襲撃者は答える。
「ああ、今頃王都で我々の仲間と戯れていることだろう。安心せよ、ひどい目に遭わせることはない。が、抵抗されたらそれなりの対応はする」
「……貴様ァッ!」
その言葉を聞き、ヴェルゼの内側に爆発するような怒りが沸き上がってきた。それは自分が傷を負っていることすらも忘れさせるほどの激しい怒りだった。
ヴェルゼは自分を大切にしない。ヴェルゼの死霊術は彼の命を削り、彼はそのために長くは生きられない。それが運命だと彼は半ば諦めている。しかし彼の姉アリアは違う、彼女にはまだ無限の可能性があるのだ。それに彼女はヴェルゼの唯一の肉親、最も大切な人だった。だからこそ。
「……姉貴に手を出したこと、地獄の底で後悔してろ」
身に纏う雰囲気ががらりと変わる。彼の発した魔力の波動が、デュナミスを縛る護符を打ち砕いた。
彼の全身の傷口から血が噴き出す。このままだと貧血で倒れてしまう可能性があるが、彼の第二の固有魔法、血の魔術は術の使用者の血液を媒介として発動するために今の状態は都合がよい。
「デュナミス、力を貸してくれるか?」
ヴェルゼの問いに、「当然」とデュナミスは返す。
互いの状態は完調ではないが、二人で一人のヴェルゼ・ティレイトだ、二人が力を合わせれば。
デュナミスの亡霊がそっとヴェルゼに触れた。そこから感じた温かい魔力を受け取り、ヴェルゼは魔法を発動させる。
「血の呪い《ブラッディ・カース》——血色の縛鎖《ブラッディ・バインド》」
唱えられた言葉。
次の瞬間、ヴェルゼから流れ落ちた血液が生き物のように動き出し、深紅の帯となって襲撃者に絡みついて動きを封じた。
「な……ッ!」
「それだけじゃ……ないぜ」
驚く襲撃者に対し、ヴェルゼは不敵に笑う。
襲撃者に纏わりついた、ヴェルゼの血から成る深紅の鎖。それは相手に絡みつくと身体に吸い付いて、その身をヒルのように膨らませたりへこませたりした。それに伴い襲撃者の顔が少しずつ青ざめていく。
その鎖は、襲撃者の体力を吸っていたのだった。
そして鎖の繋がっているヴェルゼの方は、少しずつ顔色が回復しているようだった。
「血の魔導士は希少だからな。それに呪われた職業でもあるが普段は名乗っていないが……お生憎。並の魔導士じゃないということはわかったろう。わかったのならばさっさと退け」
ヴェルゼはそう、言葉を掛けたが。
男は首を振り、縛られた状態でヴェルゼに向かってこようとした。
「選択は、それか。覚悟はいいな?」
鼻を鳴らし、自身の血で作られた鎖を動かす。それは襲撃者の首を締めあげた。男は息を詰まらせ顔を青くしたがもう遅い、処刑は執行されたのだ。ヴェルゼの血の鎖は数分後にその命を奪った。
ヴェルゼは全身から血を流し、荒い息をつきながらも鎖を振った。するとそれは血煙となって空に赤い軌跡を残して消え去った。その後に鎌を降って血を落とし、背中の定位置に戻す。そのままくずおれそうになったが意志の力で踏みとどまり、よろよろと一歩、また一歩と歩き出す。
「……行く、ぜ」
倒れるわけにはいかなかった。少なくとも、姉の無事を確認するまでは。
そんなヴェルゼに寄り添うように、灰色のデュナミスが浮かんでいた。
「僕が力を貸すけれど、無理は禁物だからね。相手の力を奪ったって、見知らぬ襲撃者の力じゃうまく身体に馴染まないだろう」
「わかっている、が……王都まであと少し、だ。強行軍だ、このまま……行く!」
背負った大鎌を再び取り出し、それを支えにしながらも歩き出すヴェルゼ。
その漆黒の瞳には、強い意志の炎があった。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.6 )
- 日時: 2020/09/11 09:19
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
王都を間近に望む丘。その上で、ヴェルゼは見慣れた赤い髪を見た。
倒れている彼女の姿を見、ヴェルゼの顔が青ざめる。生きているのか、死んでいるのか。ようやく再会できたが彼女は果たして無事なのか? 最悪の予感が彼の脳裏をかすめる。
彼は怪我も忘れて彼女を抱え上げ、必死で揺さぶった。その隣でデュナミスが冷静に呼吸の動きを見、ヴェルゼの視界の端で、丸を作った。大丈夫というサインだろう。ヴェルゼは安堵の息をついた。そのまま姉を揺すり起こそうとする。
「姉貴、起きろ! 一体何があった? あの襲撃者の一団か? 目を覚ませッ!」
ヴェルゼの呼び掛けに、アリアの瞼が震え始めた。ルビーのような瞳が瞼の下から現れる。焦点の合わない瞳が覗き込むヴェルゼの上で揺れた。
「ん……あた、し……——ああっ、そうだっ!」
そして全てを思い出したらしい、アリアはがばっと飛び起きる。勢いあまってヴェルゼの額とアリアの額が衝突し、二人はそろって痛みのあまり涙目になってそっぽを向いた。その様子があまりにもそっくり且つ予想通りだったので、デュナミスは思わず噴き出した。ヴェルゼが大きく溜め息をつき、アリアがごめんと謝るのもまぁ、いつも通りの光景である。
「落ち着け。冷静に状況説明を頼む。いいか、落ち着けよ姉貴?」
ヴェルゼの言葉に頷き、深呼吸してからアリアは話し始める。
「んーとね、ヴェルゼが川に落ちちゃってから、あたしはヴェルゼを心配してたんだけど諦めて王都に向かうことにしたの。連絡を取り合ったのはヴェルゼもわかるはず。あたしはスムーズにこの丘までたどり着いたんだけど、そこで多分……頭、殴られたんだと思う。不意に頭に衝撃が来て、大事にしてた箱を奪われて、そのまま意識を失っちゃったの」
アリアの手が無意識のうちに頭を何度も撫でていた。そこを殴られたのだろう、そこから軽く出血していた。
「……そうか。状況は理解、した」
ヴェルゼの顔には強い怒りが浮かんでいる。普段クールな彼からは考えられもしない表情だ。
「誰だか知らないが、姉貴を害した罰は必ず受けてもらおう。とりあえず王都の門、へ……」
言い掛けて、不意にヴェルゼの全身から力が抜けた。
「…………あ、れ?」
膝をつき、そのまま地面に倒れる漆黒の姿。アリアが悲鳴を上げた。
「ヴェルゼ!?」
「無理しすぎたんだろう。箱の捜索は後にして、とりあえずは休まなくっちゃ」
そう、デュナミスが冷静に解説を入れた。アリアが叫ぶ。
「もうっ! 人の心配する暇があるなら自分の心配をしなさいよこの馬鹿っ! あたしがどれだけ——」
それらの言葉を聞きながらも、ヴェルゼの意識は落ちていった。
アリアと再会できて、安心したせいなのだろう。
◇
ヴェルゼを背負って王都の門をくぐる。
王都の門番は怪我人を背負ったアリアを見るなり咎めるような眼差しを向けた。その後ろで「やあ」とデュナミスが挨拶すると門番は驚いたような顔をしたが、首を振って立ち塞がる。
デュナミスは少し考え、一度姿を透明にしてから門番の背後に現れて「ばあ」と声を掛ける。いきなり背後に現れた影に震え上がった門番はそのまま彼を通してしまった。
「とんでもないものを見たぞ……。おお、光の神アンダルシャよ! 我を救いたまえ……!」
祈るような声が聞こえ、魔除けの仕草をする門番。デュナミスはおかしそうにくすくすと笑った。
ヴェルゼの治療をするために、とりあえず宿を探すアリア。そんなアリアを眺めながらも、デュナミスが提案をする。
「僕が箱の行方を捜しておくよ。その間にそっちが休んでいたら効率が良い」
そうね、とアリアは頷いた。
「ヴェルゼのことも心配だけど! 箱の行方も気になっていたし! お願い、できるかしら?」
喜んで、とデュナミスは頷いた。その灰色の姿が薄くなっていき、背景と同化した。
おどけた声だけが何もないところから聞こえてくる。
「デュナミス・アルカイオン、依頼、承りましたっと」
アリアがいつも依頼を受けるときに言う決め口上を真似して、デュナミスの気配は消え去った。
さて、とアリアはぐるりと辺りを見回した。
「……そうだ、最初に約束した『アンダルシャの虹』にしよう」
その宿は何度も利用したことのある場所だから、きっとすぐに見つかるだろう。
◇
宿に辿り着いて指定された部屋に向かい、ようやく一息つく。
アリアは顔見知りの若女将に心の中で謝りながら、血まみれのヴェルゼをベッドに乗せて、黒衣をはだけて傷を見た。
刻まれた無数の傷。特にひどいのは右腕の傷で、そこからはまだ出血していた。アリアは緊急時に備えて持っている包帯を出すと、右上腕部にきつく巻いた。他の場所はもう出血は止まっているようだが、血を失いすぎたためかヴェルゼの顔は青い。
アリアは救急箱から様々な道具を取り出して、慣れた手つきで治療を施した。血まみれの服は後で洗うことにして、女将に頼んで男物の服を貸してもらい、ヴェルゼの身体を拭いてやってからそれを着せた。いつもヴェルゼが怪我ばかりするから、アリアは近所の治療師に頼み込んで怪我の治療の方法を教わっていたのだ。
やがて治療が終わり、アリアはほうっと息をつく。そしてようやく自分も頭を強く殴られた傷があったのを思い出し、手探りで不器用に治療をした。
「ふぅ、色々あった一日だったわ。ったく、ヴェルゼも無理しすぎなのよ。あたしを心配させないで」
包帯だらけの弟に文句を並べていると、その目がふっと開いて焦点を結んだ。
「……姉、貴」
「はーい、お喋り厳禁、怪我人はゆっくり休んでなさーい!」
喋ろうとするヴェルゼの額を、アリアは軽く小突いた。
それでもヴェルゼは言葉を紡ぐ。アリアが自分に巻いた包帯に気づいたようだ。
「姉貴だって、怪我……」
ああ、これ? とアリアは何でもないことのように頭を振り、直後、痛みに顔をしかめて苦い顔をする。そんなアリアを見、かすれた声でヴェルゼは呟く。
「無理するなって……こっちの台詞だっての」
「怪我の程度が違うのよ。あたしのは全然大したことじゃ……」
首を振るアリアにヴェルゼの追撃。
「頭の怪我……甘く見ると、危険だぜ……?」
むぅ、とアリアは頬を膨らませた。
「そっちの方が断然ひどいから! とりあえず治療はしたし寝ときなさい! 子供はもう寝る時間よ!」
「誰が子供だ……。姉貴の方がもっとずっと危なっかしいっての……」
「なんだとぉ?」
「……二人ともそろって、何やってんだい」
不意に二人の間を割った声。
「デュナミス!」
声のした方。灰色の亡霊が、壁から滲むように現れた。
彼はすっかり呆れ顔である。
「情報は無事集まったよ。で、その報告をしようと来てみたら……なに喧嘩してんの君たち」
アリアは必死で弁解しようとした。
「違うの! ヴェルゼが無理しようとするから!」
「はい喧嘩両成敗。二人とも意地っ張りすぎるよ。僕からすればどちらとも重傷だから、さっさと寝なさい。僕だって少し無理すれば実体化できるし、こうなったら僕が頑張るしかないよね。二人ともさ、お互いを気遣うあまり本当に大事なことが見えなくなってないかい?」
「…………」
デュナミスの言葉があまりに正論だったため、姉弟ともに黙り込んでしまった。
互いを気遣うあまり何も見えなくなっている、それは確かにそうかもとアリアは思った。
アリアは頷き、部屋にもう一つあったベッドにもぐりこんだ。
「じゃあ、後のこと……頼む、ね。あははー、あたしも無理してたかも知れないわ。人のこと言えないわね」
「デュナミス……お前も、無理しすぎるなよ」
「お気遣いなく。幽霊ですから」
ヴェルゼの言葉に、デュナミスは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「じゃあさ、ゆっくりとお休み……。みんな寝るまで僕はここにいるから。お腹すいたら僕に言って。厨房から何か頼んで持ってくるよ」
デュナミスの温かい言葉に礼を言って、姉弟は眠りについた。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.7 )
- 日時: 2020/09/13 10:56
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: loE3TkwF)
翌朝。
カーテンが開けられて明るい朝の光が差し込んだ。朝の光に目が覚めたアリアは大きく伸びをして身を起こす。自分の傷はまだ治り切ってはいないが、昨日よりはましだと判断、隣のヴェルゼの様子を見に行く。
「おはよう、アリア」
デュナミスがそんな彼女に声を掛けると、おはようと元気よくアリアは返した。
「デュナミス、昨日はありがとうね! お陰でぐっすり眠れたわ。ところでデュナミスは眠らないの?」
「死者である僕には睡眠なんて必要ないんだよ。これくらい問題ないさ。アリアは優しいんだねぇ」
「そっか、良かったわ!」
頷き、アリアはヴェルゼのベッドを覗き込む。ヴェルゼの瞼が開き、朝の光のまぶしさに何度も瞬きした。
「おっはよー、ヴェルゼ! 調子どう? 元気?」
「…………姉貴、わかったからそこを退いてくれないと身を起こせないのだが」
「えっ、あっ、ごめんっ!」
アリアは自分が丁度ヴェルゼの身体の上に身を乗り出していたことに気づき、引っ込んだ。
「その様子なら姉貴も元気そうだな。オレも完調とは言えないが大分楽になった。これなら箱を奪った奴らとも戦えるだろう。それに今は二人揃ってるしな」
呆れたように言いつつも身を起こし、デュナミスに気づいて礼を言う。
「昨日は、済まなかった」
「謝る必要なんてどこにあるんだい? 僕らは大親友、だろ?」
そんなヴェルゼの謝罪を、明るく笑ってデュナミスは退けた。
さて、と彼は真剣な表情になる。
「箱を奪った襲撃者は、厳重に封印された箱を開ける方法を探していたみたいだ。幸いにもまだ開けられていないけれど油断は禁物だ。こっちがうかうかしてるうちに、奴らは解除の方法を発見するかもしれない。場所は王都のスラム街の廃墟。ちょっとわかりにくいところに集まっていたから僕が案内する。奴らは箱を開けるまでそこに留まっているつもりなんじゃないかな」
「わかったわ」
「了解した」
デュナミスの言葉に姉弟は頷く。
「じゃあ行くわよ!」
早速、と言わんばかりのアリアに、
「……何も食べずに行くつもりか。腹が減っては戦はできぬというだろう」
呆れたようにヴェルゼが突っ込むのは、もはや恒例行事である。
◇
宿の料理でお腹を満たし、宿の女将に代金を払う。
ふよふよ宙を浮かぶデュナミスについていって王都の道を進む。しかしデュナミスは浮かびながらも、左足を引きずっているようにも見える。それに気が付いたアリアは問うた。
「デュナミス、左足、どうしたの?」
「ん? ……ああ、癖になっちゃっているんだねぇ」
気付き、デュナミスは苦笑いを浮かべた。
「生きていた頃、左足に大怪我を負ってそれ以来引き摺るようになったんだよ。今のこれは……無意識のうちに出ちゃったけど、その頃の名残、かな」
死んじゃった今はもう関係ないんだけどね、と少し悲しそうな顔になった。
デュナミスは足を引き摺りながらも宙を歩く。その様は死んでいるのに生きていた頃の思いに取りつかれたままのようにも見えて、悲しげだった。
やがて。
「ここだよ」
複雑な道をいくつも抜けて、アリアには帰り道が分からなくなった頃、デュナミスがそっとある場所を示した。それは薄汚れた石と金属で作られた廃墟で、建物の周囲にもごみがたくさん捨てられていて悪臭を放ち、人が寄りつくようなところにも見えない。壁の一部にも穴が開き、場所によっては窓硝子が割れて破片が地面に散乱している。
アリアは思わず鼻と口を覆った。
「きらびやかな王都に、こんな場所があるなんて……」
「光の裏には影がある、当然だろ姉貴。こういった影が、忌むべき一面があるからこそ、王都はあんなにも輝いていられるんだ。影無き光など存在しない。摂理だろう?」
ヴェルゼがそういった光景から目を背けることをせず、淡々と言葉を発した。
さて、と彼はデュナミスを見た。
「案内ありがとな。さっさと行かないと手遅れになる。——行くぜ」
彼の言葉に頷いて、二人と一体は廃墟の中へ、侵入する。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.8 )
- 日時: 2020/09/15 08:53
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
翌朝。
カーテンが開けられて明るい朝の光が差し込んだ。朝の光に目が覚めたアリアは大きく伸びをして身を起こす。自分の傷はまだ治り切ってはいないが、昨日よりはましだと判断、隣のヴェルゼの様子を見に行く。
「おはよう、アリア」
デュナミスがそんな彼女に声を掛けると、おはようと元気よくアリアは返した。「デュナミス、昨日はありがとうね! お陰でぐっすり眠れたわ。ところでデュナミスは眠らないの?」
「死者である僕には睡眠なんて必要ないんだよ。これくらい問題ないさ。アリアは優しいんだねぇ」
「そっか、良かったわ!」
頷き、アリアはヴェルゼのベッドを覗き込む。ヴェルゼの瞼が開き、朝の光のまぶしさに何度も瞬きした。
「おっはよー、ヴェルゼ! 調子どう? 元気?」
「…………姉貴、わかったからそこを退いてくれないと身を起こせないのだが」
「えっ、あっ、ごめんっ!」
アリアは自分が丁度ヴェルゼの身体の上に身を乗り出していたことに気づき、引っ込んだ。
「その様子なら姉貴も元気そうだな。オレも完調とは言えないが大分楽になった。これなら箱を奪った奴らとも戦えるだろう。それに今は二人揃ってるしな」
呆れたように言いつつも身を起こし、デュナミスに気づいて礼を言う。
「昨日は、済まなかった」
「謝る必要なんてどこにあるんだい? 僕らは大親友、だろ?」
そんなヴェルゼの謝罪を、明るく笑ってデュナミスは退けた。
さて、と彼は真剣な表情になる。
「箱を奪った襲撃者は、厳重に封印された箱を開ける方法を探していたみたいだ。幸いにもまだ開けられていないけれど油断は禁物だ。こっちがうかうかしてるうちに、奴らは解除の方法を発見するかもしれない。場所は王都のスラム街の廃墟。ちょっとわかりにくいところに集まっていたから僕が案内する。奴らは箱を開けるまでそこに留まっているつもりなんじゃないかな」
「わかったわ」
「了解した」
デュナミスの言葉に姉弟は頷く。
「じゃあ行くわよ!」
早速、と言わんばかりのアリアに、
「……何も食べずに行くつもりか。腹が減っては戦はできぬというだろう」
呆れたようにヴェルゼが突っ込むのは、もはや恒例行事である。
◇
宿の料理でお腹を満たし、宿の女将に代金を払う。
ふよふよ宙を浮かぶデュナミスについていって王都の道を進む。しかしデュナミスは浮かびながらも、左足を引きずっているようにも見える。それに気が付いたアリアは問うた。
「デュナミス、左足、どうしたの?」
「ん? ……ああ、癖になっちゃっているんだねぇ」
気付き、デュナミスは苦笑いを浮かべた。
「生きていた頃、左足に大怪我を負ってそれ以来引き摺るようになったんだよ。今のこれは……無意識のうちに出ちゃったけど、その頃の名残、かな」
死んじゃった今はもう関係ないんだけどね、と少し悲しそうな顔になった。
デュナミスは足を引き摺りながらも宙を歩く。その様は死んでいるのに生きていた頃の思いに取りつかれたままのようにも見えて、悲しげだった。
やがて。
「ここだよ」
複雑な道をいくつも抜けて、アリアには帰り道が分からなくなった頃、デュナミスがそっとある場所を示した。それは薄汚れた石と金属で作られた廃墟で、建物の周囲にもごみがたくさん捨てられていて悪臭を放ち、人が寄りつくようなところにも見えない。壁の一部にも穴が開き、場所によっては窓硝子が割れて破片が地面に散乱している。
アリアは思わず鼻と口を覆った。
「きらびやかな王都に、こんな場所があるなんて……」
「光の裏には影がある、当然だろ姉貴。こういった影が、忌むべき一面があるからこそ、王都はあんなにも輝いていられるんだ。影無き光など存在しない。摂理だろう?」
ヴェルゼがそういった光景から目を背けることをせず、淡々と言葉を発した。
さて、と彼はデュナミスを見た。
「案内ありがとな。さっさと行かないと手遅れになる。——行くぜ」
彼の言葉に頷いて、二人と一体は廃墟の中へ、侵入する。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.9 )
- 日時: 2020/09/17 09:11
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
廃墟の中を、慎重に進んでいく。複数の話し声、何か道具を使う音。低く呪文を唱える声も聞こえ、その後で失敗したような困った声、それに対する舌打ちの音。
現場の外にまで感じられる張り詰めた空気。何人くらいいるのだろう? アリアは横目でヴェルゼを見た。彼にはもうわかっているのか、任せろと言う風に頷くのが見えた。
そして、その先で明瞭に聞き取れるようになった、声。
「よしっ、ここをこうすれば……」
「あともう少しだ。行けるぞ! 今度こそ失敗するんじゃないぞ!」
「邪魔な守り手は排除した!」
「さぁ、今こそ……」
「——させないわ」「させるかァッ!」
固く閉められた扉をアリアの炎がぶち破り、轟音と共に閃光を放った。爆発した光と炎が、暗い廃墟をまばゆく染め上げた。
刹那、ナイフか何かで肉を断つ音、小さなうめき声。そして直後、囁く声。
「血の呪い《ブラッディ・カース》——血色の縛鎖《ブラッディ・バインド》」
声と同時、赤黒く輝く血色の鎖が闇を切り裂いて伸びていく。
アリアの赤い髪が、廃墟の暗闇の中で燦然と輝いた。
右手に炎を浮かべてアリアは見る。その部屋には男が三人おり、そのうち一人の手に件の箱があるのを。そしてその箱に厳重に施されていた封印が解かれ、今まさに箱が開けられようとしているのを。その箱を開けようとしていた男に血色の鎖が巻き付いて締め上げ、男は思わず箱を取り落とす。それを見逃すわけがなく、素早く駆け寄った漆黒の影が箱を回収、鎖で男を縛ったまま、後ろに向かって跳躍、大きく距離を取る。
「……何故ここがわかった」
部屋の一番奥にいた男が問うと、「僕のお陰だね」とデュナミスが答えた。
「死者たる僕が姿を消して偵察、場所を皆に教えた。それだけさ」
死んでいるのは便利だね、と事も無げに、しかしどこか寂しげに呟いた灰色の亡霊。
何はともあれ、とアリアが言った。
「取り返したければ奪えばいいわ。そう、あたしたちにしたように。でもそう簡単にはいかないわよ? こっちはそこそこ怪我してはいるけど、もう、一人じゃないんだからっ! それにさぁ、あたしの大切な弟に何ひどいことしてくれてんのよ。来るなら来なさい、あなたたちにも同じだけの怪我をさせてあげるわッ!」
「……姉弟の実力を、舐めるな」
アリアの隣に、ヴェルゼが立つ。
彼の右腕は激しく出血していた。彼の使う血の魔術は術者の血を媒体にする、つまり血を流していない術者は自分の身体を傷つけないと術を行えないのだ。そのためにあえてヴェルゼは自分を傷つけ、血の鎖で相手を縛り、強引に箱を奪うという強硬手段を実行した。血の魔術は消耗が激しいが、その分威力も絶大なのだ。
「ちょっと待て待て。提案がある。いいから落ち着け」
リーダーらしき奥の男が降参するように両手を挙げる。何よ、とアリアが鋭く男を睨むと、男は闇の中、ぼんやりと見える口元に得体の知れない笑みを浮かべた。
「この箱は開けた際に周囲にいた人々に幸福をもたらすのだ。最初は我らで独り占めしようとしていたが、どうだろうか。お前たちもその恩恵にあずかるというのは。こちらは攻撃されないし、そちらも恩恵を受けられる。悪くはない取引だと思うがな?」
そうね、とアリアは頷いた。
「確かにそれは一理ある。あたしたちも、余計な争いはお断りよ」
その言葉に、ヴェルゼが焦ったような声を上げた。
「おい、姉貴……」
「——でもね、あたしたちは『頼まれ屋アリア』なの」
彼女の瞳に誇りの炎が宿る。
「だから! あなたの言うことがたとえ真実だとしても、それが幾ら旨みのある話でも、あたしはそれを呑むわけにはいかない、頼まれたことを果たさないわけにはいかないの。だってあたしは言ったんだから」
彼女は誇らしげに「いつもの台詞」を叫んだ。
「『頼まれ屋アリア、依頼、承りました』って、ね! あなたの甘言には惑わされない!」
アリアはきゅっと目を閉じて、開いた。その身体から火の粉が舞う。それは彼女の矜持の炎だ、彼女の強い意志の炎だ。
「いっけぇ!」
叫び、右手を高く掲げれば。天に向かって伸ばされた手に、炎の大きな塊が生まれる。
「……懐柔しようと思ったが、無理であったか」
リーダーは苦い顔をする。アリアの炎に照らされたその顔はいかにも歴戦の戦士といったような傷だらけの顔。歳は四、五十代くらいだろうか。纏う空気も他の男たちとは違い、風格を感じさせる。
リーダーは唇の端をゆがめて笑った。
「だが……こちらに魔導士がいないと思ったら大間違いだぞ、炎の娘」
アリアが男に向かって炎を飛ばした直後、その炎は瞬く間に消えた。
「え……どういう、こと?」
驚いた顔のアリアに、「水使いだね」とデュナミスが解説する。
「水使いが相手じゃ君の炎と相性悪いよ。全属性使いなんだろ、君。たまには違う属性も使ってみたらどうだい」
うーんとアリアは複雑な顔。
「使えなくはないけれど……」
手を握ったり開いたりを繰り返す。そのたびに掌の上に浮かんだのは小さな炎、水滴の集まり、目に見えぬ風、紫電散らす火花、氷の結晶、熱のない光、周囲の暗がりを更に濃くする闇。
魔導士は通常、扱える属性というのが生まれつき決まっており、それ以外の属性も扱えなくはないが得意属性以外に対して干渉できる力は弱い。しかしその代わり、たゆまぬ努力を続ければ得意属性の魔法を極めることができる。
対し、アリアのような全属性使いはその中に得意とするものがあったとしても、ひとつの属性を極めることはできない。しかし彼らはすべての属性を同じ程度で操ることができる。全属性使いの数は少ないが、その対応力は恐るべきものがある。
アリアは普段は炎しか使わないので炎使いだと思われがちだが、彼女は全属性魔導士、その真価はピンチの時にこそ発揮される。
「水には雷だ、雷の魔法素《マナ》を組む準備をしろ」
「わかってる、って!」
ヴェルゼの言葉にアリアは頷き、その手に魔力を集中させる。それらの会話を聞いていた水使いはすっと引き下がろうとするが時すでに遅し。
「知ってるわよね? ——稲妻は、光の次に速いのよっ!」
避けようと思って避けられるような代物では——ないのだ。
掲げた手に稲妻が集まり、鋭い一陣の矢となって、相手の胸に吸い込まれるようにして突き刺さる。くずおれる相手。水を纏っていたがゆえに全身に感電し、そのまま動かなくなる。
「一人目、撃破っと。あとは二人ね? 来るならば来なさい。あたしたち姉弟が、相手になってあげる」
赤い瞳に強い光を浮かべ、そう、アリアは口にした。
一方、そうやっている間にも、ヴェルゼの血の鎖で縛られた相手の体力は削り取られていく。縛られた相手は鎖を引くが、するとヴェルゼの傷から鎖が伸びて、引いても引いてもキリがない。
「無駄だ。この鎖はその程度のことで何とかなるような代物ではない」
ヴェルゼは不敵に笑い、
「では、呪われし血の魔術の第二弾をお見せしよう」
ナイフを構えた。ヴェルゼ自身の血の付いた、ナイフを。
「血の呪い《ブラッディ・カース》——呪い人形《カースド・ドール》」
彼は構えたナイフを傷ついた自分の腕に振り下ろす。当然ながらそこから更なる血が噴き出すが、それだけではなかった。
「ぐあっ!?」
相手の男の、驚いたような声。
ヴェルゼは自分を傷つけただけ、なのに。
相手の腕の、ヴェルゼが自分を傷つけたのと同じところに、同じ傷が刻まれていた。
ヴェルゼは痛みをこらえつつ笑う。
「あんたの利き腕は右腕か? ならば潰して進ぜよう。オレの利き腕は左腕だから自分の右腕を傷つけたって問題はない。この術式は痛み分けの術式——要はオレの食らったダメージが、そっくりあんたに返ってくるというわけさ」
そして問答無用でヴェルゼは右腕をさらに傷つける。相手の右腕にも深い傷がつく。相手はヴェルゼのナイフを奪おうと藻掻くが、ヴェルゼの血の鎖が身動きを許さない。相手は血の鎖に体力を吸われ、さらに利き腕を潰された。当然ながらヴェルゼだって無事では済まないが、それでもこの術式は強力だった。
「二人目、無力化。残るはリーダーらしきあんただけだ」
出血多量でふらつきながらもヴェルゼは笑った。その傍らに寄り添うデュナミスが、ヴェルゼを温かい魔力で支えている。デュナミスの力によってヴェルゼの自己修復能力が加速、彼の傷は少しずつ塞がっていくが、血の鎖で繋がった相手の傷は癒しの動きには連動しない。
リーダーの男は舌打ちをした。
「ただの魔導士姉弟かと思っていたら、舐め切っていたようだな……。まぁ良い! われは全力で立ち向かうのみ! 箱を奪えずともせめて一矢——!」
瞬間、彼は超高速で呪文詠唱を始めた。気付いたアリアが相手を妨害せんと術式の準備を始めるが、先を読んだデュナミスが「水の防御を!」と叫び、アリアは反射的に術式を切り替え、水魔法による防御膜を自分と仲間たちに施した。何かを感じ取ったヴェルゼは血の鎖を強引に断ち切った。繋がりの切れた男がくずおれ——
瞬間。
大爆発。
それはリーダーの男を中心に起こった。
強烈な魔法の波がアリアたちを包み込む。ダメージの少ないアリアは必死で耐えるが、水の防御膜は少しずつ爆風に浸食されていく。
「まさか……自爆!?」
「そのまさかだ! 姉貴、耐えろッ!」
アリアの声にヴェルゼが答える。デュナミスも彼独自の術式を展開、アリアの補助に回る。
やがて。
「ふうっ……終わっ……た」
アリアは大きく息をついた。
爆風は凌ぎ切った。敵は倒せた。
相手の自爆した廃墟は天井が見事に吹き飛び、そこから青い空が見えていた。
鎌に縋って身体を支えつつ、急げ姉貴とヴェルゼは言う。
「あんなに大きな爆発があったんだ、さっさと動かないと王都の治安維持隊が来るぞ。面倒なことになる前にアンダルシャ神殿に行こう。箱を所定の場所に置かなければ……依頼は、完了したことにならないからな……」
「わかった……」
頷き、彼女はゆっくりと動き出す。
皆、満身創痍だったが、最大の壁は乗り越えられた。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.10 )
- 日時: 2020/09/19 11:25
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: vKymDq2V)
アンダルシャ神殿に到着し、祭壇に辿り着く。祭壇の上に封印の解けかかった例の箱を置いた。すると。
置かれた箱から光が溢れた。突如溢れ出した光に、他の参列者たちも目を白黒させてこちらを見る。
数瞬の後、その場には透明な姿が現れていた。
透けた身体、長い髪の毛。薄い衣服を身に纏う、柔らかな曲線を描く肢体。
少女だ。透けた少女が光と共にその場に現れた。
『う……ん』
彼女は大きく伸びをすると、透けた瞳でアリアたちを見た。
『あなたたちが、わたしを解放してくれたの?』
そうだ、と驚きつつもヴェルゼが返した。
「ある人に頼まれたんだ、箱をアンダルシャ神殿の祭壇まで持っていけってな。紆余曲折あったが、オレたちは依頼をこなしただけだ」
そう、と少女は頷いた。
『わたしは地上界と二重写しの世界、精霊界から来た存在。ある人に閉じ込められて、ここ以外の所で解放されると怨霊になって地上界を荒らすっていう呪いを掛けられた。呪いを解いてくれてありがとう。お陰で、わたしはわたしでいられた』
ありがとう、と彼女は笑う。
『お陰で精霊界に帰れるわ。あなたたちには感謝しているの。だから……これはちょっとしたお礼』
彼女はふわりと浮き上がり、その場でくるりと一回転した。すると優しい緑の光が現れてアリアたちを包み込み——
「……すごい。疲れが一気に消えていくわ」
「回復の術式……か?」
それはアリアたちの傷を癒した。もっとも、大した力はないらしく完全には治せていなったが、アリアたちは大分楽になったのを感じていた。
うふふと精霊の少女は笑う。
『わたしは弱い精霊の子。でも、少しでも役に立てるなら』
ちょっとは楽になったかな? と笑い、
彼女は光の中に溶けてゆき——消えた。
呆気ない終わり方だった。もっと大きな何かが起こると思っていたのに。
「……帰るか」
ヴェルゼに声を掛けられ、
「……帰るわ」
アリアも頷いた。いつもの文句を疲れた声で言う。
「頼まれ屋アリア、依頼、完了しましたっ!」
死霊のデュナミスはふわりと笑うと参列者たちに礼をした。
「お騒がせしましたっと。僕らはいなくなるから、後はご自由にぃ」
◇
王都から徒歩で店へと帰る。帰り道は特に問題もなく、行きとは全く違った穏やかな空気が流れていた。
店に帰り着く。「閉店」の札は相変わらずだったが、流石に休まないとまずいと思ったのかアリアもヴェルゼもひっくり返さない。
安心できる家に着き、ヴェルゼの横でアリアが大きな息をついた。
「たっだいまー! ふぅ、やっぱり我が家って安心するわねぇ!」
「……ただいま、だ」
二人揃ってただいまを言うが、テンションは対照的だ。
ヴェルゼは手近な木の椅子を見つけると、そこに乱雑な仕草で座り込んだ。今回の戦いはきつかった、結構な疲れが溜まっている。その右腕に巻かれた包帯が痛々しい。乱雑な仕草をしたせいで傷に痛みが走り、ヴェルゼはつと顔をしかめて包帯をそっと押さえた。それをアリアが見逃すはずもなく。
「あれ? さっきしっかり処置したはずなんだけど! 痛む? どんな感じ? 大丈夫? 辛くない?」
心配げにあれこれ訊ねてくる姉に、ヴェルゼは声に呆れを混ぜて返した。
「姉貴は過保護すぎるぜ。今回よりもっとひどい怪我をしたこともあるんだからこの程度……ッ」
言い掛けて再び顔をしかめるヴェルゼを、呆れ顔でアリアは見遣る。
「まーたあんたはそうやって無理するんだからぁ!」
「ところで、姉貴……」
「なぁに?」
不思議そうな顔をしたアリア。
そんな彼女に、ヴェルゼは一つの問いをぶつけた。
「姉貴は……今回の事件の黒幕に、気づいているか?」
黒幕? と首をかしげるアリア。その顔は全く何も知らなさそうだった。
知らないなら良い、と首を振り、ヴェルゼはゆっくりと立ち上がった。何それ気になると追いすがる姉を振り切って、ヴェルゼは階段を上って自室へと向かう。
彼は、気づいていた。精霊の少女の言葉から、気づいていた。
——この事件の真の黒幕は、依頼者の青年だ。
彼が精霊を閉じ込めそれをアリアらに渡し、神殿以外で開けられることを、それで精霊が怨霊となることを狙ってあの依頼はされたのだ、と。
そうでなければ、何故青年は最初に「持ち主に幸運をもたらす」などと言ったのか? そういった言葉は「中を見てみたい」という思いを加速させる言葉だ。最初からこの箱の正体について教えていれば余計な勘繰りはしないで済むのに、あの青年は敢えてそれをしなかった。
結果、青年の目的は外れることにこそなったが——。
(次にあいつが現れたときは、大いに警戒することにしよう)
そう心に決めて、ヴェルゼは自室に帰ったのだった。
その背をアリアの声が追う。
「ご飯作ったら呼ぶからその時は降りてきなさいよね!」
「わかった」
「ヴェルゼは何が好きだったっけ? 好き嫌いとか特になかったっけ? 身体の調子が悪いならおかゆでも作ろっか?」
「大丈夫だ、任せる! ……ったく、姉貴は過保護すぎるぜ」
苦笑を洩らし、ヴェルゼは部屋の扉を閉めた。すると扉の隙間からデュナミスが部屋に侵入してきた。これもいつもの光景である。
「んー? 過保護なのはどっちなのかなぁ?」
悪戯っぽく笑うデュナミスを殴ろうとヴェルゼは拳を突き出すが、霊体のデュナミスには当たらず、その身体を通り抜けるだけ。ハァ、とヴェルゼは大きく溜め息をついた。くすくすとおかしそうにデュナミスは笑う。
「ヴェルゼはさぁ、もっと素直になった方が良いよ?」
「余計なお世話だ。……それに、姉貴ならオレの気持にも気付いているだろ」
長い付き合いに裏打ちされた、確かな絆があるから。
依頼は完了し、生活はいつも通りに戻る。
こうして一連の事件は解決したのであった。
◇
そして今日も、カランコロン、ドアベルが鳴る。今日も頼まれ屋アリアの一日が始まる。その店の木の扉をくぐれば、赤い髪の少女が来訪者を迎えることだろう。店の奥には黒い髪の少年と灰色の亡霊が、ひっそりと読書をしているだろう。そして赤い髪の少女は言うのだろう——。
「ようこそ、頼まれ屋アリアへ!」
——————————————————
アンディルーヴ魔導王国に、ひとつの不思議な店がある。
『頼まれ屋アリア 開店中!
〜願い、叶えます! アリア&ヴェルゼ〜』
店を訪れれば、きっとあなたの願いを叶えてくれる。依頼によっては蹴られることもあるだろうけれど——。
彼女らの日々はまだ続く。それぞれに様々な思いを抱え、時にすれ違うこともあるけれど。
そして彼女たちはまだ知らない。
それからしばらく。この店に、新しい仲間が来ることを——。
【パンドラの黒い箱 完】
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.11 )
- 日時: 2020/09/21 22:12
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: fQORg6cj)
【第二の依頼 人形の行く先】
不思議な不思議な店がある。魔法の王国の片隅に。
店の扉を開ければ、魔導士の姉弟が客を迎えてくれるだろう。
『願い、叶えます! アリア&ヴェルゼ』
看板には、そんな文言が書かれている。
◇
カランコロン、ドアベルが鳴る。今日も頼まれ屋アリアの一日が始まる。
「頼まれ屋アリアへようこそ! 依頼は何かしら? お客さん」
赤い髪に赤い瞳、赤いワンピースを身に纏った少女アリアが、やってきた客に声を掛ける。
客はくすんだ茶色の髪に、同じ色の瞳をした男性だった。彼はアリアに、そっと何かを見せた。どうやらそれは、人形のようだった。
「魔法で動く人形です。壊れてしまったので直して頂きたく……」
「……人形?」
アリアは難しい顔をした。
ここ、リノールの町からやや離れたところに、イノスという町がある。そこには人形使の兄と薬草師の妹が、アリアたちと同じような何でも屋をやっているという情報があった。アリアたちはまだ二人に会ったことはないが、情報としては知っていた。
「人形は専門外よ。まぁ、やってみないことはないけど……絡繰人形館《からくりにんぎょうかん》に頼んだ方がいいんじゃないの? あたしより確実よ?」
「訳ありの人形ゆえ人形館には頼めない代物なのでございます。なのでそこを何とか……!」
男は頭を下げた。
アリアは難しい顔をする。
「……んー、わかった。とりあえず引き受けたげる。直ったら渡すから。何処に行ったらあなたにまた会えるかしら?」
男は顔を輝かせた。
「ありがとうございますっ! あ、私は宿屋『薄暮の鴉亭』にしばらく滞在していますので、そこでウェールの名前を出して頂ければ……」
「りょーかい。ウェールさんね。じゃあ……」
アリアはいつもの決め台詞を口にした。
「頼まれ屋アリア、依頼、承りましたっ!」
◇
渡された人形。それは金の髪に青い瞳をした、麗しい男性の人形だった。
壊れてしまった、と言うがどこがどう壊れているのか。ひっくり返してみてもわからないし、『魔法で動く』と言われたって、仕組みがわからない以上どうしようもない。いや、仕組みがわかっていたとしても専門外なアリアに修理できるかどうか。
「……自分にできないことをわざわざ引き受けるなんて、姉貴もお人好しだよな」
呆れた声がした。
店の奥から現れたのは、黒髪黒眼、黒いマントを羽織った少年。アリアの弟ヴェルゼである。
アリアは口を尖らせる。
「ふーん、だ! 魔法で動くって話だし、魔法関係ならあたしでも何とかなると思ったのよ! どこが壊れているかすらわからないなんて!」
「こういった人形は電気を流し込んで動くものが多いぜ。姉貴、弱い雷魔法を打ち込んでみろ。それで何かわかるかもしれない」
「ヴェルゼったら。お姉ちゃんのあたしよりも物知りなんだから……」
溜め息をつきながらも、言われたとおりにしてみようとアリアは魔法式を組む。
えいやっ、と簡単な雷魔法撃ち込むと、人形は小さく震えた。一瞬だけその胸元に青い光が浮かんだが、それだけだった。ただ、普通の人形ではないことは理解した。
それを見てふむ、とヴェルゼが頷く。
「胸元に特殊な魔法石が埋め込まれてる人形……かも知れないな。だが何も知らない一般人が触ったら、暴走するかも知れん」
諦めな姉貴、と彼は言う。
「専門外。オレたちに修理は不可能だ。今日渡されていきなり返すのもなんだから、明日中に薄暮の鴉亭へ行って返すんだな。仕方あるまい」
そっか、とアリアは肩を落とす。
「直そうにも手掛かりすらないし、変にいじったら危険だっていうなら……仕方ないよね」
アリアは複雑な顔で人形を眺めた。
人形にはめ込まれた硝子の瞳が、きらりときらめいた。
「でもこの人形、さ。何かの意思を感じるよ」
声を掛けたのは灰色の亡霊。
ヴェルゼの傍にずっといる、元天才死霊術師のデュナミスである。
「僕はうまく説明出来ない。でも何かがそこにいる。死霊……のようなものかな。でも心を閉ざしているのか、働きかけても反応がない」
得体のしれない人形だね、と彼は難しい顔。
「誰か専門家に話を聞ければいいんだけどなぁ……」
彼はぽつりと呟いた。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.12 )
- 日時: 2020/09/23 09:03
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
翌日。薄暮の鴉亭へ行こうとしたアリアだったが、その時にドアベルが鳴った。
「はーい、何の用かしら?」
顔にいつもの笑顔を貼り付けて、アリアは接客する。
客が多い週だなと思いつつも、そっと相手を観察する。
「ある人形を探しているんだけども……ね。金の髪の青い瞳をした、中央に魔法石の埋め込まれた特殊な人形。知ってるかい?」
柔らかな声を発したその人物は、金の髪に金の瞳をしていた。身に纏う服は黒ずくめで、黄金の闇とかいう言葉を具現化したらこうなるのだろうかと思わせた。羽織ったマントはあちこちが妙に膨らんでいた。見た目は青年のようである。
青年はアリアが手にしている人形に気が付き、それだと声を上げた。
「ここの店主さん……で間違いないよね? そうそれその人形。探していたんだけど……譲ってもらうことって、出来ないかな?」
アリアは難しい顔をした。
「お断りするわ。だってこれ、あたしの依頼人に修理を頼まれた品だもの。依頼人を裏切るわけにはいかない。そもそもあなたは誰なの? 何故この人形を探しているの」
いきなり譲って欲しいと言われても、知らぬ人物に渡す道理がない。
そうだね、と青年は頷いた。胸に手を当てて、名乗る。
「ぼくはイヅチ。イノスの絡繰人形館の店主……と言ったら伝わるかな? ぼくのところの依頼人が、その人形を探していた。同業者なら何か知ってるかなと思ってさ、ここへ来たわけなんだよ」
「……驚いた」
アリアは目をまん丸にした。
絡繰人形館。昨日、少し話題にしていた同業者の店である。その主ならば、人形のことに詳しいだろう。そんな彼が、アリアの人形と同じ人形を求めている。
専門家がいれば壊れた人形を何とか出来るのに、と思っていたところでこの出会い。運命なのか特殊なご縁なのか。
とりあえず話してしまえと、アリアはこれまでの経緯をイヅチに説明した。
話を聞いて、成程とイヅチが頷く。ぼくならば直せるよと彼は言う。
「人形はぼくの専門だからねぇ。でも……そうだよね、会ったばかりの人間を、信用するわけにはいかないよね? ぼくが人形館の主だってことも証明しようがないしなぁ……」
イヅチが困った顔をしていると、イヅチのマントからぴょーいと何かが飛んで出た。それは、短めの金髪に金の瞳、青いマントを身に纏った少女の人形だった。唐突にそれが喋りだす。
「はーい証明ターイム! 意思持つ人形って知ってる? ボクがそれだから! 人形使じゃなきゃ意思持つ人形は作れないから! はい証明しゅーりょー!」
「……ミカル」
呆れた目を、イヅチが人形に向けた。
ミカルと呼ばれた人形は、怒ったような仕草をする。
「ボクが出てこなくっちゃ証明出来ないでしょー? だって今回は道具とか持ってきてないし!」
ミカルはアリアに硝子玉の目を向けた。
ぶんぶんと小さな両手を振って、訴えかける。
「ねぇね、店主さん! 依頼の人形さ、三日だけイヅチに預けてくれると嬉しいんだよ。保険としてボクはここに残るから! イヅチが戻ってこなかったら、ボクを壊しちゃってもいいからさー!」
アリアは困った顔をした。
赤の他人を信用できるわけがない。アリアは比較的他人を信用しやすいたちだが、今回は店の依頼が、店の誇りがかかっているため迂闊な行動は出来ない。そこでミカルは自分を人質にしろと言う。確かに筋は通ってはいる。しかし。
「妥当だな。受けた」
迷っているそばから、勝手にヴェルゼが出てきた。
「ちょっとヴェルゼ!?」
「直してくれるってんだからこっちからすれば大助かりだろ。相手の条件も筋が追ってる。何を迷ってるんだよ姉貴。……ああ、人形館の主、紹介が遅れたな。オレはヴェルゼ。そこのアリアの弟だよ」
アリアの困惑にはお構いなしに、淡々とヴェルゼが発言する。
しかし、とヴェルゼは訝しむような目を向けた。
「人形を直してくれるのは助かるが……あんたに何のメリットがある?」
あるさ、とイヅチが言う。
「ぼくは人形の中に魂を入り込ませて、人形に宿る記憶をたどることが出来る。今回は……同じ人形に対し、依頼人が二人いるようだ。どちらかが不当な手段で人形を得ようとしている可能性も捨てきれない。ぼくは真実を知りたいのさ。ああ、結果はみんなに伝えるよ?」
「お前が嘘を言う可能性は」
あるかもね、とイヅチは笑う。
「だから、人形館と頼まれ屋アリアのふたつの店で、それぞれの依頼人に会いに行く。ぼくはそこで、人形の中に宿っていた記憶を明らかにしよう。もしもどちらかの依頼人が不当な手段で人形を得ようとしていた場合、明らかにされた事実によってはきっと動揺するだろうから」
納得できるかな、と彼は問う。
わかった、とヴェルゼは頷いた。
「じゃあ……人形を渡す。代わりにミカル? こっちへ来い」
「あいあいさー!」
ヴェルゼがアリアから人形を受け取ってイヅチに渡すと、ミカルがヴェルゼの方に飛んできてその肩にちょこんと座った。
じゃあ、これでと去ろうとするイヅチに、ミカルが声を掛けた。
「三日あればイヅチなら余裕でしょー? さっさと助けに来てくれないと泣いちゃうぞー!」
元気いっぱいなミカルに優しい笑みを向け、イヅチはいなくなった。
ふうっとアリアは大きく息をつく。
「同業者……まさか会えるなんて」
「胡散臭い奴だったな」
ヴェルゼの意見は否定的だ。
「姉貴は気付かなかったろうが……あいつ、優しそうに見えて何人も人を殺している眼をしてたぜ。簡単に心を許すなよ」
「出た出たヴェルゼの心配性!」
笑うアリアは取り合わない。
だが、確かにと心の中では納得していた。
黄金の瞳。瞳の奥に垣間見えた、底知れぬ深い闇。
ただの人間では、絶対にない。彼はきっと、深淵を覗いてきている。
だが、だからと言って信用しない理由にはならない。
そうだね、とミカルがやや真剣な声で言った。
「ヴェルゼさんの言葉、合ってるよ。とりあえずひとつだけ言っとく。イヅチは敬愛していた師匠を殺し、闇の人形使になったんだ。その時イヅチはきっと、深淵に足を踏み入れたんだと思う。それ以上は聞かないで」
「…………そう」
得体のしれない人形使、イヅチ。アリアたちと同じような店を経営する店主。
不思議な人に出会ったものだなとアリアは思った。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.13 )
- 日時: 2020/09/25 00:45
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: /ReVjAdg)
それから二日後のことだった。
カランコロン、ドアベルが鳴る。
「やぁ。終わらせてきたから持ってきたよ」
店を訪れたのはイヅチだ。三日は猶予があったはずだが、早めに終わらせてきたらしい。彼の肩の上には依頼の人形があった。
アリアは驚いた顔でイヅチを見た。
「直ったの!?」
「ああ。ちょっと魔力を込めてみるといい。こいつは魔導士が魔力を込めることで動き出す」
人形を渡される。アリアは恐る恐る受け取って、言われたとおりに魔力を流してみる。すると、
動き出す。手足をぱたぱたと動かしている。カウンターに乗せてみると、人形は自力で立ち上がってイヅチの方を見てお辞儀した。人形の胴体からは、青い光があふれていた。
依頼人から渡されたときは、動きはしなかった。イヅチの実力は本物のようだ。
「イヅチぃ! あのさぁ、もっとゆっくり進めても良かったんだよちゃんと寝た?」
イヅチを見て、店の奥からミカルが飛び出してくる。
大丈夫さとイヅチが笑う。
「難しい作業ではなかったしね。そうそう、人形の記憶を覗いたんだけど……」
イヅチは語る。この人形は、最初はイヅチの依頼人、セーラのものだったと。セーラが親から受け継いだ、由緒正しき古い人形。しかしそれはある時奪われ、セーラはずっとずっと探していたのだという。
「人形を奪ったのが、くすんだ茶色の髪に同じ色の目、ちょっとくたびれた印象のある青年だったんだけど……もしかしてそっちの依頼人だったりするのかな」
「……依頼人さんじゃないの」
驚いた顔で、アリアはイヅチを見た。
「ちょっと薄暮の鴉亭行ってくるわ。依頼人が悪人だったら、この依頼は破棄させてもらう!」
「待て姉貴早まるな」
カウンターから飛び出して店を出ようとした姉の腕を、ヴェルゼが引っ張る。それでも先へ行こうとするアリアの前、音もなく亡霊のデュナミスが立ち塞がった。
「依頼人は薄暮の鴉亭にいるんだね? ならぼくも一緒に行くよ。落ち着こうか店主さん?」
諭すようにイヅチが言うと、そうねとアリアは頷いた。
◇
薄暮の鴉亭へ着く。アリアの手には、直った人形があった。
目当ての人物を見つけて声を掛ける。
「ウェールさーん! 依頼の人形、直ったわよ?」
アリアの声に、くすんだ茶色の髪の青年は振り返る。
彼はアリアの手の中にある人形を見て、嬉しそうに笑った。
「おや、もう出来たのですねありがとうございます! ……して、そちらの方は? 私が店に来たときは見ませんでしたが……」
ウェールが訝しげにイヅチに目をやると、だろうねとイヅチは微笑を浮かべる。
「ぼくは人形使イヅチ。偶然アリアたちの店に寄って、ついでに人形を直してきたんだけど……きみに少し聞きたいことがあってね? 宿で騒ぎを起こしたくはないし、ちょっと外へ出てもらおうか」
イヅチの自己紹介を聞くと、明らかにウェールの顔色が変わった。
駄目押しのようにイヅチが「セーラって女の子を知ってるかい?」と問うと、ウェールは懐からナイフを取り出してイヅチに向けた。おやおやとイヅチは眉を上げる。
「いきなりどうしたんだい。何で刃を向けるの?」
イヅチの問いにウェールは答えない。一触即発の空気に宿の客たちが息をひそめる。アリアはどんな魔法でウェールを撃退するか悩んだが、彼女の魔法は派手なものばかりで、宿のような狭い空間で使ったら大きな被害をもたらしかねない。狭い場所で、単体相手に戦うのならヴェルゼの方が向いている。
アリアはヴェルゼに視線を送った。するとヴェルゼが頷き、行動を起こそうとした瞬間。
「真実を知った相手は生かしてはおけない!」
相手が刃を振りかぶる。すると短いナイフの刀身が、一気に伸びていく。
ヴェルゼが動く前にイヅチが動いた。彼はマントを翻し、中にいた人形たちを一気に飛びだたせる。きらめく黄金の糸が、イヅチの手から伸びていた。それは彼の操る人形に繋がっている。
「生憎と死ぬつもりはないんだけど。人形使を舐めてもらっちゃ困るね盗っ人さん?」
イヅチが微笑んだ刹那、
飛び出した人形たちが相手にしがみつき動きを止めた。相手の急所に猛スピードでぶつかってきた人形もある。そして一体の人形がその手に小さな刃を持って、相手のナイフを持つ手に突き刺した。たまらず手から落ちたナイフを、別の人形が回収する。悶える相手を黄金の糸が取り巻き、瞬く間にぐるぐる巻きにしてしまった。
人形を操っていた間、一歩も動かなかったイヅチが動き、相手の前に移動して見下ろす。
「幻影だか何だか知らないけどさ。もっと強い相手とかと普通にやり合ってきたぼくにはきみなんか敵ではない。ふふ、出会ったのが運の尽きだね? あの人形は、正しい持ち主に返すとするよ」
イヅチは、強かった。そして宿に一切の被害を出さず的確に、相手だけを仕留めて見せた。
アリアの魔法ならば確実に店の何かが壊れるし、ヴェルゼの魔法や武器を使っても、店にそこそこ大きな血痕が残る上に相手を殺しかねない。だがイヅチは違う。相手に最低限の負傷だけさせて、無力化した。アリアもヴェルゼも、イヅチの強さと技術に驚いていた。
ウェールはうつむいたまま何も答えない。さて、とイヅチが宿の人々を見た。
「この人は窃盗犯だよ。誰か、町の警備隊を呼んでくれないかな? ぼくの糸って本来は縛るためのじゃないし、向いていないことに使ってると疲れるんだ……」
イヅチの声を聞いて、人々が動き出す。一人の客が走って宿を飛び出した。町の警備隊を呼ぶつもりなのだろう。
さて、とイヅチがアリアの方を向いた。
「その人形は、ぼくの依頼人のものだ。悪いけれど、返してもらうよ?」
「……そうね、返すわ」
アリアはうつむいて、人形を差し出した。
人形を受け取り懐に仕舞いながらもイヅチが言う。
「落ち込むことはないさ。今回はたまたまぼくらの依頼が被り、そちらの依頼が果たされなかったってだけ。でも……ぼくばっかりが報酬をもらうのも何だかね。そうだ、これあげる」
イヅチが差し出したのは、ひとつの人形。
アリアは受け取り、首をかしげる。一見、何も変哲のない人形である。
「これには特殊な魔法を込めてる。家に置いておくだけでも、きっとちょっとした“いいこと”があるよ。幸運を約束する石を飾りに使っているんだ。お金に困ったら売ってもらっても構わない」
これぐらいしか出来なくてごめんね、とイヅチが申し訳なさそうに謝った。
ううんとアリアは首を振る。
「今回の依頼、あなたがいなかったら間違った人の手に人形を渡してしまっていたかもしれないし。感謝しているわ?」
「それは良かった」
と、外が騒がしくなる。警備隊が来たようだ。面倒ごとに巻き込まれるのは嫌なので、アリアたちは宿から出て距離を置く。
それじゃあまた、とイヅチが手を振った。
「ぼくたち同業者だし、いずれまた会うこともあるだろう。何かあったら、イノスの絡繰人形館をよろしく、ね」
「今回はありがとーっ!」
元気よくミカルも手を振った。
こうしてアリアたちは別れ、日常へ。
◇
「面白い人たちだったわねぇ」
「あいつと一回戦ってみたいな」
店に戻り、それぞれの感想を話し合う。
今回ほとんど何もできなかった亡霊デュナミスは、穏やかな顔で会話を聞いていた。
ヴェルゼの言葉に、アリアが眉をひそめる。
「出た出たヴェルゼの戦闘狂。やめときなさいよ絶対負けるから」
「血の魔術があれば案外行けるんじゃないか?」
「もうっ! 男の子ってどうしていつも強い相手と戦いたがるのよ!」
呆れながらも、アリアはイヅチに渡された人形を見る。赤い髪に赤い瞳をした女の子の人形だ。どこかアリアに似た雰囲気がある。
それを見てふふと微笑み、アリアは人形を店の窓際に置いた。何も置いてなかったそのスペースが、ちょっとだけ華やかになったような気がした。
こんなちっぽけな人形が、何かを起こせるわけでもないけれど。
それでも、日々がほんの少しだけ明るくなるかもねとアリアは思う。
果たせなかった依頼。依頼をしてきた相手は悪人だった。
けれど、代わりに得たのは素晴らしい出会い。
イヅチのことを思いながらも、また会えたらなぁとアリアは呟いた。
【人形の行く先 完】
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.14 )
- 日時: 2020/10/03 17:57
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: 32zLlHLc)
【第三の依頼 色無き少女の願い事】
不思議な不思議な店がある。魔法の王国の片隅に。
店の扉を開ければ、魔導士の姉弟が客を迎えてくれるだろう。
『願い、叶えます! アリア&ヴェルゼ』
看板には、そんな文言が書かれている。
◇
カランコロン、ドアベルが鳴る。今日も頼まれ屋アリアの一日が始まる。
「はーい、何かしら?」
客を迎えるは赤髪の少女、アリア・ティレイト。彼女は入口の扉の正面のカウンターの前で、笑顔を浮かべた。
やってきた客は、
「助けて……下さい……」
弱々しい声でこう言った。
白いフードを被った少女。着ているローブはぼろぼろで、怪我をしているようにも見える。少女はそのまま倒れてしまった。アリアはカウンターから飛び出て、少女を助け起こした。その時に見えたのは、白い髪と赤い瞳。
――この子は、イデュールの民だ。
アリアの頭の中に、嫌な記憶が蘇った。
昔。アリアと弟のヴェルゼは、エルナスの町という、笛作りで有名な町にいた。姉弟の父はヴェルゼが生まれる前に事故で死に、母はアリアが五歳の時に病死した。まだ幼い二人を引き取ったのは、母の親しい友人であったアルテアという女性。厳格な女性アルテアは、色々と試行錯誤しながらも二人を育て上げた。アリアたちは近所に住む笛職人の息子カルダンと親しくなり、三人は仲の良い幼馴染となった。
そんなある日のこと。町によそ者の双子がやってくる。兄をフィドラ、弟をシドラというその双子は、アリアたちと仲良くなり、そして裏切った。
町には「決して無断で枝を折ってはならない木」があった。この町の特産品である笛を作るための木だが、双子のうちシドラはそれを折ってほしいと泣いて頼んだ。優しいアリアはついそれに従い、枝を折った瞬間に、シドラに村の警備隊を呼びだされて町を追放されることになった。
裏切り騙し、禁忌を犯させてアリアたちを追放させたシドラ。彼は白い髪と赤い瞳をもつ異民族、イデュールの民だった。
倒れている少女。彼女はイデュールの民の特徴を持っていた。裏切られた経験があるだけに、アリアは少し慎重になってしまう。だが、
「……シドラは悪い奴。でもこの子はそうじゃないよね? イデュールの民全員が悪い奴ってわけないし!」
そう思って、アリアは彼女を助けることにした。
その身体を抱え上げる。
「怪我してるよね。手当てしたげるから部屋まで連れていくわよ? あたしはアリア。あなたの名前は?」
問えば、少女はか細い声で答えた。
「ソーティア……。ソーティア・レイです……」
「そう。ソーティア、よくここに来たわね。他の人たちはあなたたちイデュールを差別するかもだけど、あたしはそうじゃないわ。安心して大丈夫よ?」
「ありがとう……ございます」
イデュールの少女は安心したような表情をその顔に浮かべた。
シドラが悪い奴なだけで、彼女がそうと決まったわけじゃない。
助けようと思うこの気持ちに、間違いなんてないはずだとアリアは思う。
◇
「イデュールの民を匿った? ふざけてんのか姉貴?」
ヴェルゼに事情を話したアリアが、真っ先に言われた言葉。
フンとヴェルゼはが鼻を鳴らす。気に食わない、と言わんばかりだ。
黒髪黒眼、黒のマントに黒のコート、マントの留め金は白い髑髏、黒のズボンに黒のブーツ。背に鈍色の大鎌を背負い、首から木で作られた素朴な笛を下げた彼は、見るからに不機嫌そうだった。
「シドラに裏切られたこと、姉貴もわかっているだろ。イデュールなんて信じられるか」
でもでもっ、とアリアは必死で訴えかける。
「ソーティアちゃんさ、悪い人には見えなかったわよ? イデュールが全員悪だとは限らないって!」
「姉貴は他人を信用し過ぎる。少しは疑うことを覚えたらどうだ?」
「ヴェルゼは信用しなさすぎよ!」
アリアは思わず憤慨した。
ともかく、とヴェルゼが言う。
「オレは彼女に関わるつもりはない。イデュールとの仲良しごっこにはオレを巻き込むなよ姉貴」
言って、彼はそのまま店の奥の階段を上り、自分の部屋へと消えていく。
一人残されたアリアは溜め息をつくしかない。
「……上手くやれるかしら」
アリアは過去の傷を乗り越えて前へ進もうとしているのに、ヴェルゼはずっと停滞したまま。その気持ちがわからないでもない。信じていた人に裏切られて居場所を奪われた。それは簡単に癒える傷ではないし、元からあまり人を信頼しなかったヴェルゼが、珍しく信じた相手に裏切られたのだからなおさら。だが。
「後ろばっかり見ていたって……何も変わらないじゃないの」
乗り越えて欲しいな、とアリアは強く思う。
今回、イデュールの少女が来たのはきっと、そのための試練なのだ。
アリアの溜め息を聞いたのか、
「んーと。困ったことあるなら相談に乗るよ?」
ふわっ、と。何もないところから、不意に灰色の人影が現れた。
灰色の髪に灰色の瞳。少年のようにも見えるその人影の身体は、一部透き通っている。
頼まれ屋アリアの一員たる亡霊、デュナミスである。彼はヴェルゼの大親友だ。
そうね、とアリアは頷いた。
「あなたを前にすると、あたしを前にしている時よりもヴェルゼの態度が柔らかくなる。ありがとう。何かあったら頼りにさせてもらうわね?」
「あいつはああだけどさ、悪意があるわけじゃないから」
「ええ、わかってるわ」
困ったように笑うデュナミスに頷く。
ヴェルゼの態度。それがネックになっていた。
◇
ソーティアの傷の手当てをすると、彼女は安心したのか眠ってしまった。嫌な夢でも見ているのか、時折その顔が苦痛にゆがむ。こんな少女が悪い奴のわけがない、やっぱりヴェルゼは間違っているとアリアは思うけれど、シドラだって最初は弱々しく見せていたっけと考え直す。
イデュールの民。独特の外見を持つ、変わった一族。彼らは普通の人には見ることのできない魔法素《マナ》を見ることが出来るという。彼らは普通の人間とは違うために、長い間迫害されてきた。ソーティアもきっとそうなのだろうか。
悪夢に震える少女。アリアはその手をそっと握って囁いた。
「大丈夫よ。あたしはあなたの味方だから……」
小さな声は、届いただろうか。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.15 )
- 日時: 2020/10/05 10:41
- 名前: 流沢藍蓮@ ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
翌朝。体調の回復したソーティアはアリアに礼を言い、姿勢を正した。
その場にはヴェルゼもいたが、彼はそっぽを向くだけだ。
ソーティアの唇が、開く。
「あの……ここって頼まれ屋アリアで合ってます……よね?」
ええ、とアリアは頷いた。
「そうよ。もしかして何か依頼かしら? 聞くだけは聞いたげるけど」
「あ、あの!」
震える声でソーティアは言う。
「こ、こんなこと図々しいと思うんですけど! わたしにはこれしか方法がなくて!」
「何かしら?」
首をかしげるアリアに、爆弾発言が投げつけられた。
「わたしを……この店の従業員として、雇って下さいっ!」
「……え?」
思わずアリアは固まってしまった。
しかしソーティアの瞳は真剣だった。
「わたし、ずっと居場所を探していたんです。それで、ここになら居場所が出来るって話をある方から聞いて……。わたし、家事も接客もやりますから! 住み込みで働かせて下さい! どうか、どうか、お願いします!」
「ええと、確かにこの家に空き部屋はあるけどね? ちょっと考えさせて……」
「却下だ」
頭を抱えたアリアの言葉を遮り、割って入った声。
冷たい瞳で、ヴェルゼがソーティアを見ていた。
「イデュールを雇う? 寝言は寝て言え、社会のゴミが」
ヴェルゼの冷たい態度に、ソーティアが怯えた顔になる。そんな酷いこと言わなくたって、とアリアはソーティアを庇うように立った。
「過去のしがらみもある、それはわかる! でもさ、あたし、乗り越えようと思うんだ。あたしはいいわよ? 新しい子が増えることに異存はないの。困っているなら助けるがあたしのモットーだしさ」
いい加減乗り越えなさいよ、とアリアは言う。
するとヴェルゼが傷付いた顔をした。
「……何だよ。姉貴だって同じ傷を受けたじゃないか。なのに姉貴はオレを否定し、そんな奴の肩を持つのか」
違う、とアリアは首を振る。
「頭冷やしなさいって言ってるの。シドラとこの子は違うでしょ?」
「……るっせぇよ」
ヴェルゼの低い呟き。
「姉貴は何もわかってない! そりゃそうだろうよ! 姉貴とオレじゃあ、受けた傷の大きさが違うんだよッ! 一緒にされてたまるかッ! オレが人間不信になったのはイデュールのせいだ。イデュールなんて受け入れられるかッ!」
叫び、ヴェルゼが店を飛び出す。反射的に追おうとしたアリアを、不意に現れたデュナミスが止めた。一瞬だけ、透き通ったその身体が実体化する。
「……ヴェルゼも色々と思うことがあるんだ。しばらくは一人にさせてあげて」
「あたしだって言いたいことあるんだけど!?」
「落ち着きなさい、アリア・ティレイト」
凛、とした声で言われ、アリアは肩を落とす。
ぽつん、と呟いた。
「デュナミス……あたしの考えさ、間違っていないわよね?」
「だがヴェルゼにとっては間違えていた、と。そういうわけさ。これはもう仕方がないね。お互い頭を冷やすべきだよ」
僕はヴェルゼを慰めに行ってくるよ、と微笑んで、デュナミスはいなくなる。
残されたソーティアが、泣きそうな顔をした。
「ごっ、ごめんなさいっ! わた、わたしのせいで……っ」
「あなたのせいじゃない。大丈夫よ、安心して」
アリアはそっとソーティアの頭を撫でた。
「あの子は理解しようとしなかった。でもね、あたしはあなたが悪い奴なんかじゃないって信じてるから。あたしたち……過去にね、イデュールの民の子から手酷い裏切りを受けたことがあるんだ。でもそれって、イデュール全体の罪じゃないし。だからヴェルゼは間違ってるの。憎むべきはイデュールじゃなくって、裏切った本人シドラでしょって」
「でもわたしの一族ですし……」
「あんたのせいじゃないでしょーが」
でも困ったわねぇ、とアリアは苦い顔をした。
「あの子が受け入れてくれなくちゃ、店の空気が最悪になっちゃうわ」
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.16 )
- 日時: 2020/10/07 09:02
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
目的地も決めず、ヴェルゼはひた走る。気が付いたら近所の森に入っていた。
頭の中に浮かぶのは、裏切られたあの日の光景。にっくきシドラのあの顔が、頭にこびりついて離れない。
――忘れようとしていたのに。
それは、思い出すと激情のあまり、冷静さを失うほどの記憶だから。
あまり人を信じないヴェルゼ。余所者ならば尚更だ。そんな彼が信じた相手はしかし、ヴェルゼたちを裏切って居場所を奪った。二年前の事件だが、いまだ傷は癒えない。
そんなことを考えていたら、視界にひらり、映ったのは白い髪。悪戯っぽい赤い瞳がヴェルゼを見た。ヴェルゼの中で電撃が走る。こいつは。この少年は。
忘れようもない。
「シドラぁぁぁああああああああッ!!」
頭の中が赤く染まる。黒く染まった感情が、心の内を支配する。もう何も考えられない。消えていく理性を止めるものはない。
だってそいつは。
宿敵だから。
逃げる少年。逃がすものかとヴェルゼは追う。やっと会えた、会えたのだから。きちんと復讐してやらねば気が済まない。あの日自分が味わったのと、同じだけの苦痛を味わわせてやらないと気が済まない。
完全に捨て去った冷静さ。ヴェルゼは激情に身を任せ、ただひたすらに少年を追った。
その途中。
「……ッ!?」
何かをふんづけたような、妙な感覚がした。
ぱきり。何かが割れるような音が足元からした。
恐る恐る足元を見ると、そこには割れた卵が落ちていた。ただの卵ではない。まるで、それは何か他の生物のもののような、やや大きめの卵だった。割れたそこからは、何かの生物の赤ちゃんのようなものが、濡れた状態で顔をのぞかせていた。しかしその身体は見ている内に干からびていき、あっという間に絶命する。
くつくつくつと、笑い声が聞こえた。
「引っかかった。キミは馬鹿なの?」
同時。
怒りに震える何かの生物の声が、入り込んだ森を震わせた。のそり、のそり、姿を現したのは巨大な爬虫類。
ヴェルゼは理解する。
自分はハメられて、この爬虫類の卵を踏むように仕向けられたのだと。そう、相手に誘導されていたのだと。
白い少年は笑っていた。嗤って、いた。赤い瞳に愉悦が浮かぶ。
「さぁて、ヴェルゼ・ティレイト、お手並み拝見。この森に住まう珍しい生物、ナグィルだよ。倒せたらはい拍手。……あぁ、あとキミは邪魔!」
白い少年は何かを投げる。それはヴェルゼの近くにいた誰かに当たった。
「……っと。バレちゃったかい。何かあったら飛びだそうと思っていたんだけどなぁ」
苦笑いして現れたのは、亡霊デュナミスだ。
彼は自分に投げられたものを見て呆れた顔をした。
「護符かい? 亡霊への対策はばっちりなんだねぇ。悪いヴェルゼ! しばらく……自力で頑張って」
亡霊とは、本来ならば冥界へ行くべきだった魂が無理やり地上界に繋ぎ止められた存在、つまり地上界に留まる異常な存在だ。それらに気づいた地上界のシステムは排除しようと動く。この護符はそういった「地上界の防衛システム」を一時的に強化する機能の付いたもので、弱い亡霊ならばそのまま冥界送り、強い亡霊もその動きを強制的に止められるという効果のある使い捨てのアイテムだ。
デュナミスは強い亡霊だ。その気になれば、自分で護符の効果を解くことが出来るが時間がかかる。ヴェルゼだって護符の効果を解くことが出来るが、今彼の目の前には、危険な魔物が迫っている。デュナミスの護符を何とかするほどの余裕はなさそうだ。
ヴェルゼはぎりと奥歯を噛み締めた。
「シドラ! 貴様、何のつもりだ!」
「遊びだよ、キミを裏切ったのも全部」
シドラが何でもないことのように言う。
「だってこの世の中はつまらない。ならさ、自分たちで面白い見せものを作るしかないじゃあないか」
「貴様ッ! ひとの人生を何だと思って――」
「どうでもいいじゃん? 他人なんだし。それより前見てないと死ぬよ?」
はっとなってヴェルゼは前を見る。
我が子の卵を潰されて怒り狂ったナグィルが、ヴェルゼに向かってその爪を振りかぶっていた。
「忠告……ありがとなッ!」
金属音。反射的に背中の鎌を抜き放って受ける。衝撃。受けたタイミングが悪かったのか、吹き飛ばされて背中を打つ。ヴェルゼの黒い瞳と、怒りに我を忘れたナグィルの赤い瞳が交錯した。このような事態を招いたのはシドラだが、口で説明したって納得するような生物でもあるまい。我が子を殺されたから復讐する。親としては当然の行動だろう。
イデュールの民の登場に怒り、シドラを見て我を忘れて走り出したのは自分の失態だ。自分がもっと冷静であれば、このようなことは起きなかった。無駄にナグィルの子が死ぬことはなかった。
ナグィルの怒りの爪撃。痛みをこらえつつ身を起こし、ヴェルゼは辛うじてかわす。反撃。今度はヴェルゼから攻めてみるが、ナグィルの硬い鱗はヴェルゼの鎌を通さない。弾かれる。思案。何か方法はないのかと考えるが爪撃、考える隙など与えずに苛烈な攻撃を受ける。
「耐えてヴェルゼ! もう少しで……護符を解けるから!」
デュナミスの叫び。ああ、とヴェルゼが頷いた瞬間、
爪撃。反応出来なかった。激痛。ナグィルの爪はヴェルゼの脇腹を貫いて。
だが、ただで転ぶヴェルゼではない。自分が怪我をした状態ならばやりようがある。ヴェルゼは起動語を叫ぶ。
「――血の呪い《ブラッディ・カース》発動! 紅の接続《ロート・ノードゥス》!」
起動語を唱えたヴェルゼの周囲、傷から滴る赤い血が、たなびくスカーフのようにひらひらと動き出しナグィルの首に巻きついた。その途端、ナグィルが悲鳴のような呻きを上げる。見ればナグィルの脇腹に、ヴェルゼが受けたのと同じような傷がついていた。
ヴェルゼの固有魔法、血の魔術。それは術者の血液を媒介として放たれる呪われし魔法。|紅の接続《ロート・ノードゥス》対象の体調を、術者の体調で上書きする呪いだ。術者が大怪我を負っている時に掛ければ、自分の怪我を相手に上書きし、痛み分け状態にすることが出来る。逆にそれを応用すれば、体調を崩した他者を一時的に回復させることもできる。そこそこ汎用性のある魔法だ。
ヴェルゼはそれで、自分の負った傷を相手にそっくりそのまま返した。
「やられっぱなしは……主義じゃないんだ、よッ!」
口元に獰猛な笑みを浮かべる。シドラが面白そうな顔をした。
「ヘェ、やっぱりキミの血の魔術は面白いねぇ! でもさ……それ」
いつまで保っていられるかな? シドラがそう口にしたとき。
ヴェルゼは己の視界が明滅しているのを感じた。
「何……ッ!?」
気がついた時にはもう遅い。急な脱力感を覚え、ヴェルゼは地面に倒れてしまった。急速に遠のいていく意識の片隅で、にっくき相手の声がした。
「先に言うの忘れてたね? ナグィルは毒を持っているのさ――」
その言葉を最後に、ヴェルゼの意識は消え失せた。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.17 )
- 日時: 2020/10/09 09:02
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
ヴェルゼも、ヴェルゼを捜しに行ったデュナミスも戻ってこない。
アリアは心配で心配でたまらなかった。だから決意した。
「ねぇソーティアちゃん! あたし、捜しに行くわ! 危ないことになってるかも知れないからソーティアちゃんは店に残ってて」
大切な弟だから。何かあったとしたら大変なのだ。
すると「わたしも行きます」とソーティアが胸に手を当てた。
「元はと言えば、わたしの責任ですし……。足を引っ張らないとお約束いたしますので、わたしも、どうか!」
「……危ないかもしれないのよ?」
「わたしだって、戦えます!」
「……そう」
ソーティアの揺るがぬ瞳を見て、アリアは溜め息をついた。
「ええ、わかったわ。ならばついてきなさい。大体の場所は見当ついてるの。あの子、嫌なことがあるといつも逃げ込む森があってね……」
アリアとの意見の相違によって、ヴェルゼは何度もあの森に逃げ込んだことがある。そのたびに連れ戻してきて仲直りしてきたアリアだったが、今回は嫌な予感がした。戦闘の気配をそっと感じ取り、アリアはあらかじめ魔法素《マナ》で式を組んでおくことにする。何かあった時に放てるように、とびっきり強力な式を。
イデュールの少女、ソーティア・レイ。彼女が一体何を出来るのかは分からないけれど。彼女は戦力にならないと考えた上で行動した方が、彼女の実力が未知数なのだから安心出来るだろう。
と、ソーティアがアリアの手元に意味深な視線を向けた。
「アリアさん……火属性の魔法は、森で放つには危険ですよ?」
「……ッ!?」
ソーティアの言葉にアリアは動揺する。自分が火属性の式を組んでいたことなんて、ソーティアには伝えていないはずだ。
驚くアリアを見て、ソーティアが自分の目を指さした。
「ふふっ。わたしたちイデュールは、誰だって生まれつき魔法素《マナ》を見ることが出来るんです。アリアさんの式も見えましたよ? 森で使うなら……そうですね、水か風の魔法素《マナ》を使うことをお勧めします。森で炎は大変危険です。でも……わたしは魔法を使うことは出来ないのでそこは期待しないで下さいね」
「……わかったわ。その力、知ってはいたけれど、実際に組んだ魔法素《マナ》を当てられてみると、改めてあなたのすごさを感じるわ。あなたってすごいのね!」
アリアは頷き、魔法を発動させないように慎重に、組んだ式を解いていく。
ソーティアの勧めに従い、風の式を組んでいく。
判明したソーティアの意外な能力。これは戦闘にどう影響するのか。
「……ったく。考えるのはいつだってあの子の領域なのに。あたしに苦手なことさせないでよ」
難しい顔をしながらアリアは進む。
◇
森に着く。ヴェルゼはどこだと捜しまわる。そこで。
「アリアッ!」
先に行っていたはずのデュナミスが、珍しく焦った顔をしていた。
その身体は消えそうになったり実体を取り戻したりと不安定だ。何かあったのかとアリアは問う。
「デュナミスじゃないの! ヴェルゼを見た? 捜してるの!」
「僕はアリアたちに助けを求めようとしていたところでね! 端的に言おう。シドラが現れた」
シドラが現れた。それだけで大体の状況はわかった。
シドラはヴェルゼの因縁の相手。普段は冷静なヴェルゼだが、シドラを相手にした時だけは冷静さを失う。ヴェルゼはきっとシドラの罠にはめられて、戻ってこられないのだろう。そしてデュナミスもその現場を目撃していた。
「この森にナグィルっていう生物がいるのは知ってるかい? 毒を持つ危険な生物だ。そいつにヴェルゼはやられた。死んじゃあいないが……とにかく来て!」
「……わかった。ああもう、あの子ったら! お姉ちゃんに心配かけさせるんじゃないわよ!」
アリアは頭を抱えた。
案内するよ、と消えかけのデュナミスは言う。
そんなデュナミスにソーティアが問うた。
「ええと……デュナミス、さん」
「何だい?」
ソーティアは心底心配そうにデュナミスを見る。
「消えそうですけど……大丈夫なんですか?」
ああ、とデュナミスは頷いた。
「君は優しいんだね。ちょっと冥界からの引力が強くなってるだけだよ。このままだったらヤバいけど、ヴェルゼが目覚めたら何とかしてもらえるから……」
そのためにも、急いで欲しいんだとデュナミスは走り出す。
その左足は少し引き摺っていた。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.18 )
- 日時: 2020/10/12 09:11
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
やがて辿り着く。辿り着いた現場には、巨大な爬虫類に襲われそうになっているヴェルゼの姿が。その身体はぐったりとして動かない。奥の方に、見覚えのある白い髪を見かけた。
「やぁ、遅かったじゃあないか」
くつくつとシドラはおかしそうに笑う。
「もう少しでヴェルゼが死ぬところだったよ? でも来てくれたんだし、始めようか――ゲームの続きをッ!」
シドラが指で合図を送る。するとナグィルが唸りを上げて、ヴェルゼへその爪を振りかぶる。
「させないッ!」
叫んだアリア。反射的に、ずっと組んでいた式を破壊、巨大な魔法を叩きつける。式を的確に破壊するために起動語を唱える。
「吹き荒れよ烈風、切り裂け鎧! 守るために戦う力を! 風の神の加護よ此処に在れ!」
相手は鱗に守られている。ならば守られていない箇所を的確に狙うだけ。
破壊された魔法式から、膨大なエネルギーがあふれ出す。
アリアの呼びだした風は、的確に相手の目を柔らかい腹を切り裂いた。悲鳴のような声を上げるナグィル。
ごめんなさい、とアリアは言う。
「あたしだって、あなたを傷つけたいわけじゃないの! でもあなたがヴェルゼを傷つけるなら! あたしは容赦なんてしないわ!」
「ヴェルゼはそのナグィルの子を殺したのにねぇ」
そんなアリアに、シドラが声を掛ける。
驚いた顔をするアリアに、芝居がかった仕草で彼が言う。
「ヴェルゼはナグィルの卵を踏みつぶした。ああ、なんて哀れなナグィル! 子を殺され、その上自身まで死ななければならないとは!」
「……ッ、それもあんたの作戦でしょ! あんたがヴェルゼに、ナグィルの卵を踏みつぶすように仕向けたんだ!」
「ふふっ、それはどうかな?」
シドラは妖しく笑う。
笑い、シドラは何かを投げる。鋭利なそれはアリアにぶつかり、皮膚を薄く切り裂いた。
「な、何なのよこれ!」
それは金属片だった。つまんでみると、そこには謎の紋様が刻まれていた。
良くない予感を覚え、アリアはそれを投げ捨てる。傷を確認したが、浅いものだったため放っておけば治るだろう。
相手が何をしようとしたのか。考える暇はなく。
気が付いたら大怪我を負ったナグィルが、目の前に迫っていた。迎え撃たんとアリアは式を組もうとするが、
出来ないよ、とシドラの声。
「先程投げたのは魔法封じの魔道具。これでつけた傷が完治するまで、対象は魔法を使えない。……キミの魔法は厄介だ。封じさせてもらったよ」
「……ッ」
組もうとした式。しかし魔力が集まらない。目の前迫るはナグィルの爪。アリアの反射神経では避けられない。絶体絶命の状況に戸惑うばかりのアリアの耳に、
凛、とした声が聞こえたのだ。
「吹き荒れよ烈風、切り裂け鎧! 守るために戦う力を! 風の神の加護よ此処に在れ!」
アリア以外に、属性魔法を使える者などここにはいないはずなのに。
呼び出された風は、アリアの魔法でついたナグィルの傷をさらに押し広げ――
その爪は、アリアに届く前に力を失った。ナグィルの身体はぐったりとなった。
アリアは声のした方を振り返る。そこにいたのは白い少女。
ソーティアが、震える声で言った。
「魔法素《マナ》を見ることの出来るわたしたちイデュールは……直前に放たれた魔法限定で、魔法を使うことだって出来るんです」
わたしたちは魔法転写と呼んでいます、とソーティアは笑う。
「わたしだって、役に立てるんですよ!」
ぱちぱちぱち、と音がした。
シドラが笑みを浮かべていた。
「ふふっ……ああ面白い。絶望から立ち上がるその姿! ヴェルゼは倒れアリアは魔法を封じられ、灰色の亡霊は護符に縛られ実力を出せない。ボクが勝ったと思っていたのに、とんだ伏兵が紛れ込んでいたなんてね?」
ご褒美を上げる、と投げ渡されたものをアリアは受け取る。それは中に液体の入った、硝子の小瓶だった。
「ナグィルの解毒剤が入ってる。ヴェルゼに飲ませてあげるんだね。負けたのはボクなんだから、勝った方にはご褒美をあげなくちゃ」
シドラがくるりと背を向ける。
待ちなさい、とアリアは呼び止めようとするが、急いだ方がいいよとデュナミスが声を掛ける。
「ナグィルの毒って、全身に回ったら手をつけられなくなるからねぇ。今回はもういいよ。今やるべきことを優先しよう」
「……そうね」
アリアは唇を噛んだ。
では御機嫌よう、とシドラがそのまま去っていく。奥へ奥へ森の奥へ。何処を目指すというのだろう。また「ゲーム」と称して誰かを破滅させるのだろうか。彼がなぜそのようなことをやるのか、アリアにはわからない。彼もその双子の兄フィドラも、行動原理は完全に謎だった。ただ彼らが、いつも誰かをたばかって、それを「ゲーム」と称していることだけがわかっている。
正義感の強いアリアは、それを止めたかったけれど。
自分の仲間たちの方が優先だから。
アリアは小瓶の蓋を開け、倒れたままのヴェルゼに駆け寄り中の液体を飲ませた。
しばらくすると、その目蓋が震え、黒曜石の瞳が姿を現す。
「う……」
呻き声。黒曜石の瞳が、アリアの赤玉石の瞳に焦点を合わせる。
かすれた声が、彼女を呼んだ。
「姉、貴……?」
「こんの馬鹿ぁ!」
アリアはヴェルゼの頬を思い切り張った。ヴェルゼが驚いた顔をする。
まくし立てるようにアリアは叫んだ。
「このぉ、馬鹿ヴェルゼ! 勝手に飛び出してシドラなんか追い掛けて危険な怪我をして! あたしがどれほど心配したと思ってんの! 寿命縮まるかと思ったわよ馬鹿馬鹿馬鹿、ヴェルゼの馬鹿ぁっ!」
アリアの瞳から、一筋、涙が落ちる。
「……本当に、心配したのよお姉ちゃんさぁ」
姉の涙を見て、ヴェルゼが大きく息をついた。
「……悪かった」
「ふーん、だ! 当分は許したげないからっ!」
文句を言いつつ、涙をぬぐってアリアは、常備している道具の中から包帯と小瓶を取り出した。これでもかとばかりに小瓶の中身をヴェルゼの傷にかけ、ぎゅうぎゅうと包帯で威張る。ヴェルゼが悲鳴を上げた。
「……ッ、痛い痛い痛いって姉貴! オレは怪我人だぞ少しは優しく」
「しないもんっ! お姉ちゃんを泣かせた弟はこうなんだからっ!」
ヴェルゼの痛そうな声が森に響く。
微笑ましそうな目でそれを見ていたソーティアの身体が、ぐらりと傾いた。
「ったく馬鹿ヴェルゼ……って、ソーティアちゃん!?」
異変に気付いたアリアは、ソーティアの身体を支える。
アリアの腕の中で、ソーティアは苦しそうな顔をしていた。
「うーん……やっぱり難しいですね」
「どうしたの? ナグィルにやられた!? 薬あるけど!」
違うんですとソーティアは首を振る。
「魔法を使えない一族、イデュールの民。それが無理に魔法を使おうとしたら……どうなると思いますか?」
「あ……」
アリアはわかったと頷く。
「……魔力欠乏症?」
「そうです……」
ソーティアの息は苦しげだ。
「アリアさんの魔法……一般人の魔力量で扱えるような代物ではありませんから……」
しばらく放っておいて頂ければ治りますよ、と彼女は言う。
そんなわけには行かない、と難しい顔をするアリアに、
「……オレが背負って連れて帰る」
「ヴェルゼ!?」
意外な人物の声がした。
ばつが悪そうな顔をして、ヴェルゼが立ち上がる。
「意識が消えていた間にも、何となく状況はわかっていた。無意識の狭間にたゆたっていた時、デュナミスがそっと教えてくれた」
ソーティア・レイ、と彼が名を呼ぶと、はい、とソーティアは背筋を正した。
ヴェルゼは穏やかな微笑みを浮かべていた。
「姉貴を助けてくれて……ありがとな」
「……はいっ!」
ソーティアは満面の笑みを浮かべる。
その前に、とヴェルゼが虚空に声を掛けた。
「デュナミス! おい……まさか消えたわけじゃないだろうな?」
「いる……けど……」
返事をしたデュナミス。しかしその身体はほとんど透き通っていて、今にも消えそうだ。
その様子を見たヴェルゼは首に下げた笛を吹く。魔力のこもった旋律が流れ、デュナミスを地上界に繋ぎ止める。
本来ならばそのまま冥界へ行くだけだった魂を、繋ぎ止めたのはヴェルゼの力とデュナミスの力。今再び、彼が冥界へ行きそうになっているのならば。ヴェルゼの力が彼を地上へ繋ぎ止める楔《くさび》となる。
やがて演奏が終わる。旋律が止む。その時はもう、デュナミスの身体は透き通ってはいなかった。
ヴェルゼが大きく息をつき、言う。
「何か……疲れた。帰ろうぜ」
「ええ……そうね」
アリアは頷く。
動けないソーティアをヴェルゼが背負い、アリアを先頭にして一同は帰る。
そんな四人を、シドラの赤い瞳が、面白がるような輝きを帯びて追い掛けていた。
◇
ヴェルゼの傷はそこそこ大きい。ヴェルゼは絶対安静を言い渡された。ソーティアは店にあった空き部屋を使わせてもらうことになった。
それから、数日。
傷のだいぶ回復したヴェルゼとアリア、ソーティアが改めて相対した。
ソーティアは息を吸い込む。
「改めて、依頼させてもらってもいいですか」
赤い瞳には、確かな光が宿っている。
ソーティアは、言う。
「わたしを……この店の従業員として、雇って下さいっ!」
「いいわよ」「いいぜ」
返ってきたのは肯定の言葉。
ソーティアはその目を輝かせて、溢れる思いを込めて笑った。
「ありがとう……ございますっ!」
「頼まれ屋アリア、依頼完了しました! ……ってね」
アリアが悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「これからよろしくね、ソーティアちゃん」
「はいっ!」
イデュールの少女ソーティア・レイ、頼まれ屋アリアの一員になる。
故郷を滅ぼされ、放浪の果てにようやく辿り着いた場所。
ソーティアは確信する。ここが新しい居場所になると。
振り返った窓の向こうでは、優しい日差しが笑い掛けていた。
【色無き少女の願い事 完】
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.19 )
- 日時: 2020/10/14 09:11
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
【双頭の魔導士】
異世界“アンダルシア”。魔法素《マナ》を操作することによって魔法の生まれる、人間と神々が時折交わる世界。その、北大陸東方、アンディルーヴ魔導王国に不思議な不思議な店がある。その名も、「頼まれ屋アリア」と。
二階建ての木造の店。その入口に掛けられた大きな看板には、こんな文字が。
『願い、叶えます! ――アリア&ヴェルゼ――』
ドアベルを鳴らしてドアを開ければ、真っ先に赤髪の店主アリアが来客を迎えるだろう。弾けるような笑顔で、彼女は依頼の内容を聞くのだ。
そして店の奥に目をやれば、黒髪黒眼に黒の衣装、背に大鎌を背負った少年が、何だと文句を言うようにこちらを見るだろう。彼こそアリアの弟、死霊術師ヴェルゼである。
◇
「用事は済ませたし……後は帰るだけ、か」
ヴェルゼ・ティレイトは呟いた。
場所はいつもの頼まれ屋ではない。彼は所用で、イェレルの町まで来ていた。
陽はまだ高い。今から歩けば夕方までには帰れるだろう。
ヴェルゼは町で買った荷物を手に、町の出口へ向かって歩いていく、
その時、耳に聞こえたのは。
馬の驚いたようないななき。人々の悲鳴。
反射的に駆けだし、そこで見る。
馬車に一人の人間が、轢かれそうになっているのを。
「危ないッ!」
疾走。一気に加速、轢かれそうになっていた少年を救出し、横っ飛びで道の端に転がる。荒い息を吐きながら体勢を整え、「大丈夫か」と腕に抱えた少年を見た。その瞬間、息が止まりそうになった。
少年は頭が二つあった。胴から、二つの頭が生えていたのだ。
左の頭が申し訳なさそうに礼を言い、青い瞳を伏せた。右の頭は眠っているのか、反応がない。
ヴェルゼは動揺を隠すように、問うた。
「あんなところで眠っていたら危ないぞ。寝不足ならちゃんと寝てこい」
「……ルゥの眠りに引き摺られたは事実」
左の頭はすっと眼を細めた。真剣な輝きが瞳に宿る。
彼は問う。
「おぬしは……わしらのこんな見た目を、怖いとは思わないのか」
ヴェルゼはフンと鼻を鳴らした。
「外見で差別していた日々は終わった。オレはそんなので人を差別などしない」
かつてヴェルゼは、白い髪に赤い瞳を持つ一族、イデュールの民の少年によって騙されて故郷を追放された。以来、ヴェルゼは白い髪に赤い瞳をもつ人々を毛嫌いするようになり、引いては異種族、異民族への差別意識へとつながった。
しかし頼まれ屋アリアにイデュールの民の少女、ソーティアが助けを求めに来た時、凝り固まっていたヴェルゼの意識は変わった。最初は彼女を嫌い遠ざけ姉に文句を言われた彼だったが、彼女に命を救われたことによって、イデュールの民は悪人ばかりしかいないわけではない、と気付けたのだ。
普通ではない見た目の人を目にしたら、驚くことはあるだろう。しかしそれ以上の感情を抱くことはなくなったのだ。
左の頭はふふと笑う。
「それなら重畳。そんなそなたに折り入って頼みがあるのじゃが……」
左の頭が心配そうに、右の頭を見た。
「わしの相棒のルゥは、ご覧の通り、時折深すぎる眠りに囚われることがある。前はなかったことなのじゃが……その理由を、調査してはもらえんかのぅ?」
つ、と瞳を細くする。完全に仕事をする時の目に切り替える。
「構わないが……報酬は何だ。報酬次第で協力するか否かは決める。オレはヴェルゼ・ティレイト、リノールの町の『頼まれ屋アリア』の一員だ。依頼をこなして報酬をもらい、日々の糧を得る。あんたのそれは、正式な依頼ととらえて間違いないんだな?」
「おやおや、頼まれ屋アリアの一員じゃったか。今から訪ねようと思うていたのじゃが手間が省けたのぅ」
左の頭は懐を探る。左手しか動かせないらしく、動きは不器用だった。
悪戦苦闘することしばらく。左の頭は赤い宝石のついた指輪を探り当てた。
「報酬はこれじゃ。わしらの作った魔法の指輪。魔法を使う才能がなくても、頭でイメージするだけで魔法が使える。……ただ、これは炎属性限定じゃがの。魔道具は貴重な品じゃろう? これでどうじゃ」
頷き、指輪を懐に仕舞う。珍しい品だ、報酬として十分だろう。
「……受けた。で? オレはまだ依頼人の名を聞いていない」
「それは失敬」
くすくすと笑い、左の頭は首を動かす。礼をしているつもりなのだろう。
「わしはリーヴェ。リーヴェ・ラルフヘイヴェンじゃ。眠ったままのこっちは相棒のルーヴェ。……なぁ、ヴェルゼとやら。双頭の魔導士の伝説について、聞き覚えがないかのぅ?」
はっとなって、驚きに目を見開いた。
この国アンディルーヴ魔導王国に、とある伝説があったのだ。双つの頭を持った魔導士のこと。片方は攻撃魔法、もう片方は防御魔法を得意とし、不老不死のままで永遠を生きるという、そんな伝説。双頭の魔導士は人々に幸運や不幸をもたらす存在であり、現れた場合、必ず何かが起こるという。
「その双頭の魔導士とは、わしらのことじゃよ」
「……伝説直々の依頼か。これは腕が鳴るな」
ヴェルゼは驚きの目で相手を見ていた。
確かに伝説と一致する。双つの頭、『わしらの作った』魔法の指輪。こんな代物を作れるくらいなのだ、優秀な魔導士でないはずがない。
と、不意に眠ったままだった右の頭がまぶたを動かした。ぼんやりと開けられたその目の色は赤だった。右の頭、ルーヴェは不思議そうに相棒を見た。
「えっと……何が何だか」
「ようやく起きたのかルゥは。ええと……お前が急に眠りだして、わしもその眠りに引き摺られそうになってのぅ……」
リーヴェは簡潔に事の次第を説明した。そう、とルーヴェが頷く。
赤の瞳がヴェルゼを見た。
「あなたがぼくの……恩人さん」
「反射的に動いただけだ。礼を言われる筋合いはないね」
「でもこれからしばらく一緒に動くんでしょ……? なら……よろしく」
右の手がすっと差し出された。ヴェルゼはその手を握り、離す。
「さて……頼まれ屋アリアに戻るぞ。それなりに歩くことになるが……大丈夫か?」
「二人起きてりゃなんのその、じゃ!」
「眠っちゃってごめんね……」
まるで性格の違う双つの頭がそれぞれ返す。
そうしてヴェルゼは依頼人とともに、頼まれ屋アリアへ帰還する。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.20 )
- 日時: 2020/11/03 09:17
- 名前: skyA (ID: 2AFy0iSl)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no=12886
え、えーっと。これは、コメントを書いてもいいパターンなのでしょうか……?
書いている途中なのに、すみません。スカイアと申します。
キャラが濃くて、ストーリー的にもとても面白い作品だなぁって思いました(←なんか上から目線でごめんなさい)
これからも応援させてください。自分のペースで頑張ってください!
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.21 )
- 日時: 2020/10/15 09:17
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
>>20 SkyAさま
コメントありがとうございます。
いえいえ、荒らしでない限りどのタイミングでコメントを下さっても構いません。
嬉しいお言葉、大変励みになります。
ありがとうございます。これからも頑張りますね!
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.22 )
- 日時: 2020/10/17 09:26
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: HijqWNdI)
「いきなり現れたら驚くだろう。オレが姉貴に話をつけてくる」
言って、ヴェルゼは双子を店の前で待たせておくことにした。
ふっと耳を澄ますと何やら店の中が騒がしい。嫌な予感を抱きつつ、ヴェルゼは店の扉を一気に開け放った。やかましいくらいにドアベルが鳴る。
そこで見たのは、
「姉、貴……?」
謎の男たちに刃を向けられ迫られている姉と、居候の少女ソーティアの姿だった。
ヴェルゼの守るべき大切な人たち。彼女たちが、怯えた眼をしていた。
男の一人は笑う。
「依頼を受け付けないから悪いんだよ! 俺たちは客だぜ? ああん?」
「殺しの依頼は受け付けない! それがあたしたちのポリシ……」
「黙りやがれこのアマ!」
言い返そうとしたアリアが殴られる。
その光景を見て、ヴェルゼの怒りに火がついた。
普段は冷静で滅多に感情を乱すことのない彼だが、大切な人に危機が迫った時は状況が違う。
ヴェルゼは背負った大鎌に手を掛け、一気に鞘から引き抜いた。
と、男の一人がアリアとソーティアの首に刃を押し付ける。
「おっとぉ! こいつらがどうなってもいいのかぁ? お前がその鎌を振る前に、俺たちのナイフが首を掻っ切るぜぇ」
「……ッ」
ヴェルゼは一瞬、躊躇した。その一瞬の隙を、見逃すような男たちではなく。
「あ……がッ」
「ヴェルゼッ!」
アリアの悲鳴。
別の男の振られた拳がヴェルゼの腹を強打、ヴェルゼは吹っ飛ばされて床に身体をぶっつける。構えた鎌も飛ばされて、手の届く場所にない。それでも血の混じった唾を吐き捨てながら何とか立ち上がり、鋭い瞳で男たちを睨む。
アリアたちを人質に取られ、武器も奪われた。こんな状態で、どうやって現状を打破すればいいのか。
痛みに明滅する視界。ぐっとこらえて思考、
したとき。
「風の使者、解放の子らよ!」
凛、とした声が響いて。
次の瞬間、男たちだけが綺麗に、店の左へ吹っ飛ばされて、折り重なるようになって積み上がった。その身体に、風をより合わせて作った糸が何重にも絡みつく。
「これから依頼をするというのに、こんなんじゃ寝覚めが悪いからのぅ」
「えっと……大丈夫?」
飄々とした声と内気な声。
店の入り口に現れたのは、双頭の魔導士だった。
驚くヴェルゼにほっほっほとリーヴェが笑う。
「伝説と呼ばれた力の片鱗じゃ。どうじゃ? わしら、格好良かったじゃろうそうじゃろう!」
そこへアリアとソーティアが駆けつけてきた。困惑したようにアリアが声をあげた。
「ヴェルゼ、大丈夫? 殴られてたよね……。ところで、この人、は?」
「過保護。あの程度なら問題ないさ、姉貴。ええと……事情を説明しよう。適当に座ってくれ」
ヴェルゼは店の中に置いてある、机と椅子を指し示した。
◇
「……そういうことね。了解したわ」
ヴェルゼの説明を聞き、アリアが頷いた。
その後、男たちは町の警備隊を呼んでしかるべきところに連れて行ってもらい、頼まれ屋に平和が訪れた。
ヴェルゼはアリアに悪戯っぽい目を向けた。
「で? 依頼、受けるんだろう?」
「当ったり前でしょ!」
アリアはえっへんと胸を張る。いつもの台詞を口にする。
「頼まれ屋アリア、依頼、承りましたっ!」
ヴェルゼは依頼の内容を思い返す。
最近、ルーヴェが異様な眠りに包まれることが多くなったそうだ。その原因を調査してもらいたい、とのこと。
ヴェルゼはちらりと横目で双子を見た。ルーヴェの瞳が閉じている。再び、眠ってしまったということだろうか。
「……眠り病という病があるんだが」
首を傾げ、ヴェルゼは口にしてみる。
「人が眠ったまま、そのまま目覚めなくなる病気。もしかしてルーヴェの症状が、それに関連するものだったとしたら……?」
「それはわしも疑っていたのじゃが……」
リーヴェは難しい顔をする。
「セウン、という町がある。眠り病で全滅したと伝えられている町じゃ。以前、わしらはそこへ調査に向かったのじゃが、問題が発生してのぅ……」
その町には謎の瘴気が漂っている。それを避けるため、リーヴェはルーヴェに防御魔法を張ってもらったのだという。
「しかし町に入ってすぐに、ルーヴェに例の眠りの症状が表れたのじゃ。眠ったままでは防御魔法は維持できん。その後も何度か接近を試みたが結果は同じじゃった。あの町には何かある、そうわかってはいるのじゃが……」
ふむ、とヴェルゼは顎に手を当てる。何か考え込む表情だ。
目的地は決まった。しかし良い方法が、見つからない。
しばらくして。
「……要は、ルーヴェが眠らなければいいのだろう?」
何かを閃いた眼をして、ヴェルゼは言葉を発する。
何か浮かんだのか、と問うリーヴェに頷いた。
「オレの固有魔法を使えば……何とか」
「ちょっと待ってそれ、自傷が必要なやつじゃないの?」
ヴェルゼの言葉にアリアが反応する。
彼女は心配げな目でヴェルゼを見ていた。
「過保護」
対するヴェルゼはばっさりと切り捨てる。
「痛みには慣れている。自傷による傷なんて、今更」
ヴェルゼはナイフを取り出した。
「この魔法が有効になるかは、ちょっと試してみないとわからんな。さて……血の呪い《ブラッディ・カース》、紅の接続《ロート・ノードゥス》!」
唱え、取り出したナイフを自分の腕に振り下ろす。アリアが顔を背けた。振り下ろしたそこから赤い血が滴り、そしてそれはたなびくスカーフのようにひらひらと動きだしルーヴェに迫った。
血のスカーフはルーヴェの首に巻きついた。その動きが止まった時、ルーヴェが閉じていた目を開けた。ヴェルゼはにやりと笑みを浮かべる。
「成功のようだ。この魔法を使えば行けるぜ」
「え……と。どのような仕組みなのじゃ?」
驚き問うリーヴェに答える。
「対象の体調を、術者の体調で上書きする呪いだ。術者が大怪我を負っている時に掛ければ、自分の怪我を相手に上書きし、痛み分け状態にすることが出来る。だがこういう使い方も出来なくはない。要は」
血の滴る右腕に手慣れた仕草で包帯を巻きながら、ヴェルゼは言う。
「ルーヴェの眠り病を、オレの体調で上書きした。そう長くは保たないが、こうすれば一時的に眠り病を遠ざけることが可能だ。この状態ならばセウンの町を探索出来るだろう?」
「でも欠点があるわね」
アリアがびしっとヴェルゼを指さした。
「これってあなたが傷を負えば、その分お客さんにも返ってくるってことでしょ? この状態の時は無茶禁止ね! ヴェルゼ一人の命じゃなくなったんだから!」
「だがこのメンバーで前衛として動けるのはオレだけだぜ? 多少の無茶は覚悟してもらわないとな」
で、とヴェルゼは窓の外を見た。
「……今から出掛けるには遅い気もするが。今日は客人にこの家に泊まってもらうというのは、どうだ?」
太陽はもう中天を過ぎて、夕暮れ時になりつつある。そうねとアリアは頷いた。
ヴェルゼは包帯を巻いた右腕に触れた。するとルーヴェの首に巻きついていた血のスカーフが解け、霧散した。同時、ルーヴェの首がかくんと落ちる。上書きしていた体調が元に戻ったため、眠りの症状が再発してしまったらしい。
ヴェルゼの申し出を受け、リーヴェが頷いた。
「そうじゃな。ではありがたく、泊めてもらうとしようかの」
「了解したわ! ご飯の準備してくるわね。ソーティア、行くわよ!」
「ま、待って下さいー!」
アリアに引っ張られて、消えていくソーティア。それを見ながら、ソーティアも大変だなとヴェルゼは苦笑いを浮かべた。
リーヴェたちの方を見る。
「居住域に案内しよう。使っていない部屋があって、客人用としている。今日はそこに泊まってくれ」
「ありがたいのぅ」
「お気遣いなく。依頼を受けたからには、客人の安全も守らなけりゃならんのでね」
さらりと口にし、居住域へ続く階段を上っていく。その後を、右足を引き摺りながらもリーヴェがついてきた。それを見てヴェルゼは不思議そうな顔をした。
「身体が……不自由なのか?」
いいや、とリーヴェが首を振る。
「わしは左半身しか動かせぬ。右半身を動かすのはルゥの役割なのじゃ。いつも二人で息を揃えて動いているのじゃぞ? しかしルゥが眠っている今とあっては、右半身を動かすことは出来ぬでな」
「……その状態で階段を上るのは辛いだろう。背負ってやる。掴まれ」
「それはそれはありがたい」
屈み、背中を差し出してヴェルゼにリーヴェが掴まった。しかし左半身しか動かせないためか、掴まり方がぎこちない。ヴェルゼは両手でしっかり支えてやると、階段を上りはじめた。
伝説の魔導士、リーヴェとルーヴェ。伝説を聞く限りでは成人男性の姿だと思っていたが、実際目にしたのは十代前半くらいに見える少年の姿である。伝説には尾ひれがつくものだな、とヴェルゼは思った。背負ったその身体は軽かった。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.23 )
- 日時: 2020/10/18 10:20
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: z5ML5wzR)
アリアとソーティアの作った夕飯を皆で食べ、翌朝。
「おはよー、ヴェルゼ! そしてお客さんも!」
「お、おはようございます……」
いつも通り、階段の下へ降りるとアリアとソーティアが迎えてくる。
今日はルーヴェも目覚めていたみたいで、双頭の魔導士は危なげなく階段を下りてきた。
「今日、行くのよね」
「今日、行くんだぜ」
確認し合うように姉と言葉を交わし、ヴェルゼは食卓についた。
料理をするのも選択をするのも、いつも姉の役割だった。ヴェルゼは生まれてこの方、家事というものをやったことがない。幼い頃は母が、母が死んでからは母代わりとなった女性が、故郷を追放されてからは姉が、それぞれやってきた。それを当たり前だと思っていた。
その日の朝食は焼いたパンにバターを塗ったものと蜂蜜を掛けたヨーグルト。いつ客が来るのかわからないこの店の食事はいつも質素だ。ヴェルゼのパンにはサラミが挟まっていた。血の魔術で血を失いがちな彼に配慮して、あえて肉を多めにしてくれたものと見える。アリアはそういった些細な気遣いの出来る子だった。
「……いただきます」
挨拶をしてご飯を食べる。双頭の双子は右手と左手をそれぞれで器用に使い分けて、お互いの頭に食べさせていた。
腹ごしらえを終えて、早速出発だ。セウンの町へ向かって歩き出す。町の場所は地図で確認しているので問題ない。そのまま歩く。
いつか、眠り病で全滅したという町、セウン。そこに行けば、ルーヴェの眠りについて何かがわかるはずだから。
◇
遠くにセウンの廃墟が見えた場所で、ヴェルゼは一行を止めた。
「この辺りでいいだろう。……血の呪い《ブラッディ・カース》を掛けるぞ」
言って、黒の瞳でルーヴェを見た。ルーヴェは真摯な顔で頷いた。
では始める、とヴェルゼはナイフを構える。
「血の呪い《ブラッディ・カース》、紅の接続《ロート・ノードゥス》!」
唱え、昨日包帯を巻いた場所とは少しずらし、右腕へナイフを振り下ろす。飛び散った血液が赤い帯となってルーヴェの首に巻きついた。
傷口に包帯を巻きながら、満足げにヴェルゼは頷いた。
「ふむ、これでいいだろう。ただ、この呪法は術者の血液を消費する。そう長くは続けられないから……さっさと行くぞ」
「待って」
ルーヴェが歩き出そうとするヴェルゼを止めた。
「防御魔法……掛けていかないと、ね?」
「……そうだな」
ヴェルゼは頷いた。
ルーヴェが天に右手を差し伸べ、詠唱を開始する。
「あまねく照らす父なる空よ、守護のヴェールを我らが元に」
短い詠唱。その直後、輝く光が薄い膜となって、ヴェルゼたちをそれぞれ包み込んだ。
はにかむようにルーヴェは笑う。
「これで瘴気から守れるよ」
◇
町の廃墟へ入る。建物は皆倒壊し、屋根の残っているものは珍しい。至るところに白骨化した遺体が転がっており、町がこうなったのはずいぶん昔のことなのだと思わせる。そこには死の空気が漂っていた。
「こんなところで、何か見つかるのでしょうか……」
ソーティアが不安そうな顔をした。
するとリーヴェがソーティアの方へ首を向け、にっこりと笑った。
「こんなところだからあるんじゃろう。瘴気の漂うこんな廃墟に、わざわざ訪れる者など普通はいまいて。本の置いてある場所を目指すが良かろう」
町を少し歩いた時だった。不意に妙な音がした。それは骨の軋むような、聞いていて怖気を発する音だった。
「……何の音だ?」
振り返ったヴェルゼと、そこらに転がっている髑髏の目が合った。ヴェルゼは確かに見る。その髑髏が、ニタァと笑みを作ったのを。
背筋に怖気が走った。
「……このッ!」
反射的に背から鎌を引き抜き、向かってきた一体を横薙ぎにする。骸骨の頭と胴が分離した。その頭は笑っていた。
「え? え? 何? 何なのよ?」
「杖を構えろ」
混乱する姉にヴェルゼは囁く。
「死霊の気配がする。人々の亡骸に悪霊がとり憑いて、悪さをしているとオレは見る。転がっている骸骨に気をつけろ。そいつらは皆……敵だ」
アリアの目の前で不意に骸骨が跳び起き、その腕でアリアを貫こうとする。アリアは炎の魔法を浴びせてこれを撃退した。
「気をつけるのじゃ! 広範囲で炎の魔法を使ったら、貴重な資料も燃えてしまうぞ!」
「細かい制御って苦手なのよねっ! ったくもう!」
リーヴェの言葉に、アリアは苛立たしげに返事をした。
リーヴェも炎の魔法で援護しているようだが、その勢いは弱めである。ルーヴェと身体を共有している以上、リーヴェが魔法を使いすぎたら、防御魔法を張っているルーヴェにも影響が出てしまうということだろうか。
骸骨は鎌で斬っても死なず、バラバラに分離したパーツで襲ってくる。ヴェルゼの斬撃はこの場では不利だった。
攻めあぐね、何か他に手はないかと懐を探った手に何かが触れる。それは報酬としてリーヴェの差し出した、炎魔法が使えるようになる赤い指輪だった。属性魔法に適性のないヴェルゼだが、これを使えばもしかして。
この世界“アンダルシア”の呪文詠唱はアドリブである。頭の中にある魔法イメージをしっかりとした形にするために、魔導士たちは詠唱を行う。効果の大きさに比例してその分詠唱は長くなるが、ベテランの魔導士は短い詠唱で大きな効果を生み出すことが出来るらしい。
ヴェルゼは指輪を左手に嵌め、炎の魔法をイメージした。試しに詠唱。
「赤く染まれ、白き骸《むくろ》よ!」
狙ったのは、骨だけをピンポイントで燃やす魔法。属性魔法は不慣れだが、細かい制御には自信があった。感覚的に魔法素《マナ》を組み、組んだそれを破壊してエネルギーを生み出す。
瞬間。
ぼうっと火柱が立ち上った。それは今まさにヴェルゼを襲わんとしていた白い骨から。しかしそれは近くに転がっていた何かの書物も燃やしてしまう。
「ああっ、もう何やってんのよ馬鹿! 属性魔法はあたしに任せて、あんたは余計なことしないの!」
アリアに頭をはたかれた。済まない、と返事をして指輪をポケットに仕舞った。
誰だって魔法を使えるようにする代物らしいが、慣れぬ者が使った場合、上手くいかないのが道理である。ならば、とヴェルゼは鎌を構えた。この鎌で障害を排除するのみ。
しばらくして、ソーティアが歓声をあげた。
「あ、ありました! この病に倒れた人の日記です! これを読めば何かわかるかも――って、きゃあっ!?」
上がった悲鳴。
先行していたソーティアの背に迫るのは、骨の腕。ソーティアは胸に日記を抱きかかえ、思わず目を閉じた、
その時。
ふわり、穏やかな風が吹いた。
「やあ、遅れてごめんね」
現れた灰色の人影が、ソーティアを貫く寸前で骨の腕を止めていた。
ヴェルゼは驚きに目を見開く。
「デュナミス!」
灰色の人影は悪戯っぽく笑った。
「今からでもこのメンバーに、入れるかな?」
もちろんだ、とヴェルゼは頷いた。
デュナミスは亡霊である。数年前か。ヴェルゼは悪しき死霊を追って遠い町まで来ていた。その先で出会った天才死霊術師の少年デュナミスと大親友になったが、旅の最後、デュナミスはヴェルゼを庇って死んでしまった。しかし「死にたくない」デュナミスの想いと「死なせたくない」ヴェルゼの想い、そしてそれぞれの死霊術が絡み合って奇跡を起こした。その時の奇跡のお陰で、デュナミスは亡霊であるにもかかわらず冥界に呼ばれることはなく、ヴェルゼの相棒として、ヴェルゼが死ぬまで一緒に居続けることが可能となったのだ。
デュナミスは亡霊であるがゆえに、決して死ぬことがない。それに透けた身体を実体化させることだって出来る。そんな彼の登場は、とても心強いものだった。
ヴェルゼは相棒に問うた。
「デュナミス、例の調査は」
「済ませたよ。とりあえず、この悪霊たちを撃退すればオーケイ?」
「任せた」
頷き、ヴェルゼは皆に声を掛けた。
「ソーティアが資料を入手したらしい! これ以上ここにいるのは危険だ、一旦帰るぞ!」
ヴェルゼの声に従い、皆、町の入り口へ向かっていく。ソーティアがぺこりと頭を下げた。
「あの、ありがとうございました」
「同じ頼まれ屋の仲間じゃないか、当然だろう?」
デュナミスは優しげな笑みを浮かべ、ソーティアの背中を押した。
ヴェルゼとデュナミス。二人だけが町に残る。死霊術師である彼らには、やらなければならないことが残されていた。
この町で骨に潜み、操っていたのは悪霊だ。しかし霊である以上、鎮めなければならない。それが死霊術師の役割である。
ヴェルゼはいつも首から下げていた笛を、そっと口に当てた。そんなヴェルゼを守るように、デュナミスが身体を実体化させた。
全ての悪霊を骨の器から解放出来たわけではない。だが、少しでもいい、鎮めなければ。
ヴェルゼの笛から清浄な音楽が流れ出す。
「暴れるな、眠れ。冥界への路《みち》はここにある」
その音楽に乗せ、歌うようにデュナミスが囁いた。骨の器から解放された魂たちが、きらめきながらも天へ昇っていく。それは幻想的な光景だった。
だが、そうしている間にも他の骨たちが向かっていく。デュナミスはそれらをヴェルゼに近づけさせんと遠ざけ続けた。死者であるデュナミスならば、いくら傷付いたって死ぬことはない。
それからしばらく。骨から解放された魂を皆、冥界に送り終わり、ヴェルゼはデュナミスに守られながらも町から出る。町の入り口では、アリアたちが心配そうな顔をしていた。
「ヴェルゼ! もうっ、全然戻ってこないんだから、心配したわ!」
「姉貴は過保護過ぎ……」
アリアの方へ向かおうと伸ばした足は、何故折れたのだろう。
何故、皆がこんなに大きく見えるのだろう。
「……ッ」
ヴェルゼは激しく息を切らし、地に膝をついていた。
当然のことだろう。血の呪いでただでさえ血を消耗しているのだ。その状態で骨どもを撃退し、弔いの儀式まで行って。アリアのように膨大な魔力量を持つわけではなく、魔法の技術でもって戦ってきたヴェルゼがこうなるのも自明の理だった。
ヴェルゼの不調につられ、ルーヴェの顔色が悪くなる。ヴェルゼはナイフを取り出し、それで空を切った。するとルーヴェの首に巻きついていた血の帯がはらりと落ちて、ルーヴェの顔色が元に戻った。
が、そこで限界だった。視界が明滅する。アリアの悲鳴が耳に聞こえたのを最後に、ヴェルゼの意識は消滅した。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.24 )
- 日時: 2020/10/20 09:16
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「ったく……ヴェルゼったら。無茶し過ぎなんだから」
意識を失った弟を見、アリアは溜め息をついた。
どうしようかと考えた結果、アリアがヴェルゼを背負って帰ることになった。「重いなら手伝うよ?」とデュナミスが申し出たが、大丈夫と首を振る。
背負った身体は軽かった。とても、十五歳の男の子とは思えない。
「ヴェルゼ……あたしよりも軽いんじゃないかしら。このまま力を使い続けたら、そのうちに抜け殻になって死んじゃわないかな……」
「死ぬよ」
答えるデュナミスは、どこまでもにこやかに、かつ冷静に。
「長生きした死霊術師なんていないよ。僕だって死んだし、ね。ヴェルゼは君よりも早く死ぬ運命なんだ。力を使うなって言ったって……君は今の魔法なしで生活できると思うかい? それと同じこと。ヴェルゼが命を削って魔法を使うのは、彼が彼である証拠」
「わかっては……いるんだけど」
アリアは背負ったヴェルゼの方を見る。固く閉じられた目、苦しげな表情。幸せに長生きしてほしいとは思うけれど、それは絶対に叶わない夢で。
暗い雰囲気になった一行を、ソーティアが励ました。
「えっと、帰ったらみんなで例の日記を読んでみましょう! それで色々情報をまとめて、ヴェルゼさんが目覚めたら伝えるんです。どんなことが書いてあるんでしょうね?」
彼女なりの精一杯。そうじゃそうじゃとリーヴェが乗った。
「凹んでおる場合か? この先、こんなことは何度もあるじゃろう。そんなことより今を見よ」
「うん……」
こくり、とアリアは頷いた。
その顔には、いつもの笑顔。
「そうよね、そのとおりよね! あたしったら、どうかしていたわ」
けれどヴェルゼなら見抜けただろう。その笑みが、無理をして作ったものだと。
ヴェルゼが力を使うたび、その命の時間は減っていく。
どんなに別れたくなくったって、確実に別れは迫っていた。
◇
頼まれ屋に戻り、ヴェルゼを部屋に寝かせた。「見張りをしておくねぇ」と申し出たデュナミスを部屋に残し、アリアたちは居間にやってきた。大机の上には件の日記が置いてある。
発見者、ということでソーティアがそれを読むことになった。
大きく息を吸い込んで、ソーティアが緊張した面持ちで内容を声にしていく。
「三月八日。新しい日記に変えた。町の入り口に魔導士みたいな変な奴がいたが、睨んだらいなくなった。近所のレィさんが眠ったまま起きなくなったらしい。過労だろう。しっかり休んでほしい。自分は特に問題もなく、いつも通りの毎日である」
眠ったまま起きなくなった。眠り病の初期だろうか。
アリアは頭の中で考察を始める。ソーティアが次のところを読んでいく。
「三月九日。レィさんの奥さんが仕事中にあくびをした。生真面目な彼女らしくない。今日はもう休んでいいと、言われているところを目撃した。最近少し暖かくなってきた。春の陽気にやられたのだろうか」
話はそんなところから始まっていき、次第に町中の人に似たような症状が起こっていく様が語られるようになった。
「三月十八日。大変だ、レィさんが死んだ。眠ったまま動かなくなって、気が付いたら冷たくなっていたらしい。レィさんの奥さんも同じようにして亡くなった。八百屋のサーヤさんも、警備員のリューさんも。みんなみんな眠ったまま死んでいった。何かがおかしい。これは病なのだろうか?」
そしてさらなる急展開へ。話を聞きながら、自分の顔が青ざめていくのをアリアは感じた。
「三月三十日。町中の人が眠ったまま死んだ。生きているのはもう自分だけだ。何処へ行けばいい。この町から出れば助かるのだろうか。そうだそうだこの町を出よう。出るのだ私はで……る? えっと……文字が歪んで読めないです」
ソーティアはそのページを皆に見せた。
そこにある文字は途中で歪み、判読不可能になっていた。まるで、うとうとしながら授業を受けた時のノートのように。
考えられることは。
「……これを書いた人も、同じ病にかかってそれっきりになったってこと?」
アリアは思わず身を震わせる。
「何よこれ、一体何なの。みんなみんな死んでいった……。これがセウンの町の滅びた原因なの!」
「落ち着くのじゃアリア・ティレイト」
静かな声でリーヴェが言った。
「これは疫病ではない。疫病に見せかけた、魔法じゃ」
断言する。
「日記の最初に、変な魔導士について書かれていたじゃろう。あの町……歩いてみてわかったのじゃが、妙に魔力の匂いが濃いのじゃ。あの瘴気も自然ではない。魔法によるものだとすれば、納得がいく」
「そんな魔法、存在するんだ?」
純粋なアリアは、そういった暗い領域の魔法には疎かった。アリアが知っているのは属性魔法と回復、防御の魔法くらいで、ヴェルゼの死霊術のことも詳しくは知らない。
あるね、と右の頭、ルーヴェが頷いた。
「人を……病気にさせる魔法。暗い魔法、良くない魔法。もしもあの町がそういった類の魔法にやられたとするならば、ぼくのこれも……解呪出来る可能性がある」
にやり、とリーヴェが笑い、背伸びしてソーティアの頭を撫でた。
「ソーティア・レイ、よくやった。これで決定的な証拠が掴めたわ。あの町で感じた魔法の匂い……ルーヴェが眠ってしまう時のとよく似ている。これは……詳しく調査せねばのぅ」
情報は共有できた。これでひとまず解散ということにして、アリアは皆に問うた。
「ところで! お腹空いてなぁい?」
するとリーヴェもルーヴェも、子供みたいに目を輝かせた。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.25 )
- 日時: 2020/10/22 09:12
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
夕飯を食べ終わり、それぞれが眠りについて翌朝。
居間に降りてきたヴェルゼは、真っ青な顔をしていたらしい。
ヴェルゼを見るなり、アリアが叫んだ。
「……ッ、ヴェルゼ! 消耗し過ぎたあんたは部屋で休んでなさいよ!」
「昨日の……日記は?」
「そんなことより」
「教えろ」
ヴェルゼの黒い瞳が鋭く輝く。そこには有無を言わせぬ光があった。
アリアは溜め息をついた。
「わかったわ、話すわよ。ご飯はあんたの部屋に持っていくから、そこで話をするわよ。あんたは絶対安静! わかったわね?」
「……話を聞かせてくれるなら」
不承不承、ヴェルゼは頷いた。
◇
アリアたちから話を聞いて、成程なとヴェルゼは頷く。
布団から出ようとしたが、貧血からくる眩暈のせいで、そのまま布団の上にダウンした。
苛立たしげに舌打ちする。
「くそっ、この身体がもっと強けりゃ……」
文句を言ったって状況は変わらない。さてどうしようかと顎に手を当てる。
少なくとも自分は動ける状態にない。デュナミスもきっとヴェルゼの傍にいるだろう。となると、現状動ける人はアリアとソーティアと、客人二人である。
「疫病の魔法……確かに実在する。だが、仮にそうだとして。何故あの町が狙われた? 原因を知らなければな」
はーいとアリアが手を挙げた。
「なら、あたしが図書館に行ってセウンの町について調べてくるわ。狙われる原因が分かったら、その先のこともわかるかも!」
「任せた」
ヴェルゼは頷いた。
「えっと……ヴェルゼ、さん」
遠慮がちに、ソーティアが手を挙げた。
「あの町は魔法でああなったかも、ということですよね? ならば、魔法素《マナ》の見えるわたしが適しています。もう一度あの町に行って、わたしの眼で見れば何かがつかめるかも知れません」
ソーティアは異民族『イデュールの民』の一人である。彼女の一族は何故か、目に見えないエネルギー物質である魔法素《マナ》を直接見ることが出来た。そんな彼女にとって、魔法の解析はお手のものである。
しかしソーティアがセウンの町へ行くとして、あの町を安全に通るためにはヴェルゼの血の魔術は不可欠だ。アリアがぎろりとソーティアを睨んだ。
「言っとくけど、ヴェルゼはもう動けないから」
「わかってますよ、大丈夫です」
ソーティアはルーヴェの方を見た。
問う。
「ルーヴェさん、遠距離からでも防御魔法、掛けられます?」
「……距離にもよるけど、出来ないことは、ないよ」
彼女が提案したことはこうだった。町の眠りの影響を受けないギリギリのところでルーヴェには待機してもらう。その先を、遠距離からの防御魔法に守られたソーティアが進む。
「ヴェルゼさん、あの指輪、貸して下さいね?」
ソーティアの手に、ヴェルゼは赤い宝石のついた指輪を落とした。確かにこれがあれば、魔法の使えないソーティアでも自分の身を守れる。
ソーティアは言う。ルーヴェの魔法に守られた状態で、この指輪を武器に魔法の痕跡の調査をするのだと。危なくなったらすぐ退散するから……と。そんな計画だった。
ヴェルゼは難しい顔をした。
「悪くはない計画だが……ソーティアへのリスクが大きすぎる」
「じゃあ代わりに、あなたが血の呪いを使いますか?」
ソーティアが華やかな笑顔を浮かべた。
流石にそれは出来ないと、ヴェルゼは仕方なく彼女の計画を受け入れることにした。
アリアはセウンの町を調べに図書館へ。ヴェルゼは休養を取り、デュナミスはその護衛。ソーティアは双頭の魔導士と共にセウンの町へ向かい、魔法の痕跡の調査。三つに分かれて行動することが決定した。
「そんなわけで、行ってきます」
ソーティアの気弱な瞳に、強い輝きが宿った。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.26 )
- 日時: 2020/10/24 10:36
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: z5ML5wzR)
「あまねく照らす父なる空よ、守護のヴェールを我らが元に」
ルーヴェの防御魔法を受け、ソーティアは途中で双子と別れる。
たった一人で町の中へ入る。あの、動く骨だらけの不気味な町へ。
怖くはない、と言ったら嘘になる。けれどソーティアしか適任はいないのだ、やるしかない。
「一人で行動するのは……里が滅ぼされて以来でしたっけ……」
ソーティアらイデュールの民は、「異種族狩り」と称する人々によって迫害された。かつてソーティアはイルヴェリア山脈の奥地のカディアスという里で静かに暮らしていたが、そこもまた異種族狩りによって蹂躙された。
生き残り、一人きりで各地をさまよっていた彼女。助けてくれたサルフという人物としばらく過ごし、別れ際に頼まれ屋アリアについて教えてもらい、今に至る。サルフに助けられてから、ソーティアは一人ではなくなった。
一人になれば、思い出すのは里が滅ぼされた日のこと。固く眼をつぶり、首を振って記憶を追いだす。今目の前にあることに、集中せねば。サルフやアリアたちとの幸せな思い出を頭の中心に置いて、深呼吸して町へ入る。
魔法素《マナ》を見る眼を起動させた。意識して視れば、確かにわかる、異様な魔法の痕跡。
「疫病の魔法、ですか……。見るからにおぞましい魔法式。……って、この式は!?」
ある痕跡を見つけ、ソーティアは驚きに目を瞠る。そうかそうだったのかと手を叩き、見た痕跡を頭の中にしっかりと叩き込む。
不意に殺気を感じた。反射的に飛び退けば、ついさっきまで彼女がいた場所を骨の腕が薙ぎ払っていた。
赤い指輪を手に、ソーティアは不敵に笑う。
「魔法が使えないからって……何もできないわけじゃない……」
魔法素《マナ》を視るその眼は、これまでたくさんの魔法を見てきたのだ。見識だけは、積んできた。
赤い指輪をつけた手を握りしめる。感じたのは、確かな魔力の鼓動。行ける、とソーティアは思った。魔法の使えない自分だけれど、その原理は理解出来ている。
唱えた。
「山の底にある爆炎よ! 胎動せよ動き出せ。眠れぬ者たちを包みこめ!」
指先から、炎が爆ぜた。それは大きな壁となり、向かってきた骨たちを包み込んだ。
「わたしは……出来るよ。そう、わたしは! 役立たずなんかじゃ、ない!」
指輪の力を制御して、最低限の敵だけを追い払い町の入り口へひた走る。全てを相手にしている余裕はない。そんなことしていたらきっと、指輪の魔力が尽きてしまうだろう。
炎で道を切り開き、必死に走って町から出る。町の外までは、骨たちは襲ってこなかった。
息を切らしながら、双頭の魔導士の待つ木蔭へと向かった。
「その様子だと、何か収穫があったようじゃな?」
問うリーヴェに。
ソーティアはびしっとルーヴェの首を指さした。
「そこに! 町で見掛けたのと同じ魔法の痕跡があります!」
◇
頼まれ屋アリアに戻り、それぞれの成果を話し合う。ヴェルゼは黙って聞いていた。
アリアの方は収穫がなかった。セウンの町は至って平凡な町で、疫病の呪いを掛けられる原因なんて見つからないという。
ソーティアの方は大収穫だった。
彼女は語る。セウンの町で見つけた魔法の痕跡のこと、それと同じものがルーヴェの首に巻きついていること。
ソーティアが問うた。
「えっと……双頭の魔導士さま。町に眠り病をもたらした人物に、恨まれるようなことしました?」
そもそも心当たりがあり過ぎるのぅ、とリーヴェは苦い顔をする。
そんなことなら、とアリアが提案した。
「王都にね、客の過去を読み取る魔導士がいるんだって。その人の力を借りれば犯人が分かるかも!」
ああ、と納得のいったようにヴェルゼは頷いた。
「幻想使イリュースか。話には聞いたことがあるが……。確かに、彼を頼れば良さそうだな」
こういった呪いの類は、呪いを掛けた本人に解いてもらうか、本人の名前を知った上で、解呪師に解いてもらうかのいずれかの方法でないと解除できない。どちらの方法をとるにせよ、呪いを掛けた相手について知る必要がある。
アリアがヴェルゼを見た。その顔には心配。
「じゃあみんなで王都に行く……ってことになるんだけれど。ヴェルゼ、体調大丈夫?」
「今日一日休ませてもらったからな。明日まで休めば問題ないさ。オレに気遣って出発を遅らすようなことはするな。こうしている間にも、呪いは進行しているんだ」
ヴェルゼはちらりとルーヴェを見た。その目は閉じている。それに引き摺られているのか、リーヴェの瞳もとろんとしてきていた。
王都出立は次の日にすることに決め、その日はそのまま休むことにした。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.27 )
- 日時: 2020/10/26 09:01
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
翌朝。朝食を食べ終え、一行は王都へ。王都の入り口へ着く前に、アリアが皆を止めた。
「えっと……お客さんたちってさ、普通の……見た目じゃないわよね。王都の検問で止められたら嫌だから……ちょっとあたしの魔法に付き合ってくれる?」
許可を取り、杖を構える。
「幻惑の風よ、風のヴェールに真実を匿え!」
唱えた途端、巻き起こる風。
そこにいるのは双頭の魔導士ではなかった。頭が一つだけある、普通の人間。その顔はリーヴェの顔をしていた。
ごめんね、とアリアは謝る。
「幻影の魔法よ。えっと……しばらくルーヴェには喋らないでいてほしいの。王都を出たら解除するからね!」
「……大丈夫、慣れてる」
リーヴェの首の辺りから、リーヴェよりもやや低い声がした。姿は見えなくなったけれど、ルーヴェは確かにそこにいる。
じゃあ僕も、と言い、デュナミスがその姿を透明にした。だがヴェルゼはその存在を感じている。見えなくたって、彼は確かにそこにいる。
準備を整え、王都の門をくぐった。アリアたちは、何も言われることはなかった。
◇
王都を少し進み、「運命屋」と書かれた看板の前で止まる。ここを経営している双子はアリアたちの同業者で、アリアたちと同じく、人々からの依頼をこなして日々の糧を得ているらしい。件のイリュースはその一員なのだという。
「お邪魔しまーす」
早速アリアが扉を開けると、一人の少年が出迎えた。
「やぁ、お客さん。運命屋に何の用かな?」
黒い髪、白い瞳。着ているのは黒づくめの服。
噂によると、運命屋の双子は他者の運命に干渉する力があるらしい。
アリアの後から店に入ったヴェルゼが答えた。
「『過去の導き手』イリュースに用があって来た。どうしても読み取ってもらいたい過去がある」
「話を聞かせてもらおうか?」
黒の少年に、ヴェルゼたちはこれまであった出来事をかいつまんで話した。成程、と黒の少年は頷いた。
後ろを見ずに、声を掛ける。
「だってさ、イリュース」
「僕がいたの、わかってたの?」
店の奥から、一人の少年が現れた。黄昏の空のような橙色の髪、宵闇の紫の瞳。
彼は笑みを浮かべ、リーヴェに近づいた。
「いいだろう、読み取ってあげる。でも僕の能力って、少し特殊なんだ。この場にいるみんなにも、一緒に記憶の世界を旅してもらうよ」
その手がリーヴェに触れた時、世界が暗転した。
◇
「双頭の魔導士。俺と勝負しろ」
双子の背に声が掛かる。なんじゃ、とリーヴェは訝しげな眼を男に向けた。
振り乱した銀髪に赤紫の瞳。異様な風体の男は声をあげた。
「大魔導士ヘイズ・ラグルーンが、伝説を倒しに来た」
「ヘイズ・ラグルーン? 大魔導士ではなく堕魔導士の間違いじゃろうが」
呆れた顔でリーヴェは答えた。
ルーヴェがリーヴェに言う。
「何か、嫌な気配。まともにやりあっちゃ駄目。逃げよっ」
「そうじゃの……」
リーヴェがつっと目を細めた、瞬間。
「喰らいつけ淀みの底の大蛇よ!」
声と同時、禍々しい紫の帯が、双子目掛けて飛んできた。
「不意打ちとは……卑怯なものよのッ!」
その帯はルーヴェの首に巻きついたかと思えば、その場で霧散した。
相棒を攻撃されたリーヴェの瞳に怒りが宿る。爆発的な魔力がその身の内から燃え出でた。
「空高き地の、烈風の子らよ! 獲物はそこぞ、とくと味わえ!」
詠唱。唸りを上げて迫りくる風の刃が、反応する暇もなく男の身体を微塵切りにした。
ふう、とリーヴェは息をつく。その頭に、ルーヴェが頭をもたせかけてきた。
「……何じゃ、ルーヴェ。あの男に何かやられたか」
ううんとルーヴェは首を振った。
「なんか……眠いんだ……ふわああ……」
「わしが魔力を使い過ぎたせいかの。なら一旦、この辺りで休むとするかのぅ」
にっこり笑い、二人して近くの木陰に来ると、木に頭をもたせかけて眠った。
◇
現実に戻り、ヴェルゼは驚きに目を見開いた。
「今のは……何だ」
「僕の能力」
さらりとイリュースが言う。
「僕はその場にいる人を直接過去の記憶に導いて、その記憶を追体験させることが出来るんだ。『過去の導き手』なんて呼ばれているのはそういうわけさ……」
イリュースはふっと笑った。
「で? お望みの記憶は見つかったでしょ?」
そうじゃの、とリーヴェは難しい顔。
「しかし……術者が死んでおったか。本人に解いてもらう、という方法は使えぬな。ならば解呪師を頼らねば」
「解呪師ならばカレッダの町にいるだろう。東国呪物店のリンエイを頼ればいい」
黒の少年がぼそっと言った。
「俺は運命屋のデスト。今回は俺たちデスティニーが動いたわけではないし、お代は要らない。同業者さん、また縁があったら御贔屓に」
「あたしは頼まれ屋アリアのアリアで、こっちが弟のヴェルゼね。ふふっ、ありがとう。また会えれば面白いわね」
アリアがデストに挨拶を返す。
目的の人物の名は手に入れたし、次の目的地も決まった。
ヴェルゼたちは王都を発って、カレッダを目指す。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.28 )
- 日時: 2020/10/28 08:58
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「何だ、まだ死んでいなかったのかい」
カレッダへ向かう途中、冷たい声がした。殺気を感じて飛び退いたそこに、飛んできたのは金属片。
紫の長髪に赤い瞳、紫のローブを身に纏い、手に杖を持った女が不敵に笑っていた。
ぞっとするような魔力の気配。危険な奴だとヴェルゼの本能が警告する。
彼女の瞳は双頭の魔導士を見ていた。その赤い唇が言葉を紡ぐ。
「伝説と呼ばれた存在なんて、さっさと死んで次の世代に伝説の名を渡すべきだろう? あたいは伝説になりに来たんだ、そのための手段は厭わない。あたいが言いたいのはさ、伝説」
魔力が膨れ上がる。来るぞ、とヴェルゼがアリアを見ると、わかってるわよとアリアが防御魔法を紡ぎ出す。
「――さっさと死んでくれないかねぇって、ことさ!」
大地が盛り上がった。爆発するように地面の一部が崩落する。ヴェルゼは一瞬だけ反応の遅れたアリアを抱えて慌てて後ろに跳び退った。隣を見ると、デュナミスが実体化してソーティアを抱えていた。
だが、双頭の魔導士は。
ヴェルゼは見る。崩落した地面の真ん中にちょこんと残された地面に、呆然と立つ双子の姿を。ルーヴェは再び眠っていた。リーヴェは、
「……眠りかけているのか? おい、反応しろ!」
呼び掛けたら、赤い瞳がぼんやりとヴェルゼを見た。
どう考えても普通の状態ではない。ヴェルゼは病み上がりの身体に鞭打って、血の魔術を放つことを決める。
掲げたナイフは、誰かを救うために。
「――血の呪い《ブラッディ・カース》、血色の縛鎖《ブラッディ・バインド》!」
唱え、ナイフを右腕に振り下ろす。二度傷つけられた右腕に、三つ目の傷が走る。傷口から迸った血は真紅の鎖となって双子の胴体に巻き付き、強引に安全な地上へ引き戻した。それを確認するなり鎖を切る。この呪いは本来、相手に巻きついてその魔力を吸いとったり相手の行動を制限したりするものだ。緊急事態でもない限り、味方には使わない。
「おや、外したか。孤立させて殺すつもりだったのに」
悠々と女は言う。
ヴェルゼは右腕に包帯を巻きながら、鋭い瞳で女を睨んだ。
「貴様、何者だ」
「名はルーリヤ・ケイト。伝説になろうとして、なれなかった女さ」
不敵に笑う女から感じられるのは余裕。対するヴェルゼは病み上がりの身体に鞭打って戦っている状態だ、長期戦になったらきっと倒れる。
大丈夫だよとデュナミスが寄り添った。温かな魔力の波動を受け取る。ありがとなとデュナミスに笑みを返した。
ヴェルゼは双頭の魔導士を見る。リーヴェもルーヴェも深い眠りに落ちていた。戦闘前は二人ともしっかりと目が覚めていたはずである。この女が原因しているのか。
「まぁいいさ、邪魔をするならこのあたいが切り捨てるまで。大地の胎動、目覚めよ命! 偽りの器に宿れよ心!」
止める間もなく始まった詠唱。彼女の周囲の地面がぼこぼこと膨れ上がり、無数の土の兵隊を練成した。
「そんなもの!」
アリアが炎を放つ。
「土の兵隊なんか飛び越えちゃって、その先にある本体を燃やせばいいのよ!」
炎球は勢いよく女にぶつかった、かと思えたが。
炎球がぶつかると、女は空気に溶けるように消滅した。どう考えてもそのままやられたとは思えない消え方だ。
アリアがその目に真剣な輝きを宿す。
「幻影魔法? 来なさいよ! あたしの炎で吹き飛ばしてあげるんだか――きゃあっ!」
炎を放とうとしたその瞬間、アリアの足に土の兵隊の腕が絡みついた。
「姉貴ッ!」
姉を助けるために走るヴェルゼの前に立ちふさがる土の兵隊。ヴェルゼの瞳がきらりと輝いた。
斬撃。背負った鎌を振り抜いて、土の兵士をまっぷたつにする。疾走。ただ大切な人を救うために、必死で脚を動かして。跳躍。迫りくる土くれどもを追い越して、姉の元へ。大切な人が危機に陥った時、ヴェルゼの真価は発揮される。
「無事か」
倒れていた姉に群がっていた土の兵隊どもを薙ぎ払い、姉を守るように立つ。うん、とアリアは頷いたが、難しい顔をしていた。どうした、と問うヴェルゼに、彼女は困ったような顔を向ける。
「魔法が……使えないの……」
「何ッ!?」
女が、笑っていた。
「ただの土くれだと思ってくれるな。ヘイズ・ラグルーンの呪いのこもった土くれさ。触れた魔導士の魔力を吸い取るんだよこいつらは! 厄介な炎使いは潰したし? これでもう勝ち目はあるまい」
だから土の兵隊はアリアを狙ったのだ。しかし炎使いを真っ先に潰したということは、相手は炎が苦手だということだ。何か利用できるものはないか。
ヴェルゼの視界の端、デュナミスがソーティアと双頭の魔導士を守りながら戦っている。しかし身体全体が魔力で出来ているようなデュナミスに、魔力を吸い取る相手は天敵だ。早急に対処しないと、デュナミスが消滅しかねない。
ヴェルゼとソーティアの目が合った。閃く。あれがあれば、魔力がなくたって魔法が使える。何度もヴェルゼたちを助けることとなった、あれがあれば。
「指輪を使え!」
ヴェルゼの叫びに頷いたソーティア。ヴェルゼが渡したままだった赤い宝石のついた指輪をはめ、唱える。
「大地の底にある熱き炎よ! 理《ことわり》乱す者に鉄槌を!」
赤い指輪が炎を上げて燃え上がる。ソーティアは歯を食い縛って、肌の焼かれる痛みに耐えた。
次の瞬間。
爆炎。指輪から放たれた炎が、悲鳴のような音を上げて土の兵隊たちに突き刺さる。悲鳴。土の兵隊たちが甲高い音を立てて崩れ落ちていく。蒸発。水分を奪われた土の兵隊たちは、ただの砂に戻る。ソーティアの鋭い瞳が、きっと女を睨みつけた。
はははと女は笑っていた。
「魔道具か! 確かにそれなら魔力を吸われたって関係ないな! ならばこれはどうだ!」
「させるかよッ!」
ヴェルゼは吼えた。
疾走。大切な姉をその場に置いて、今はただ勝利のためにひた走る。女とソーティアの間に割って入り、構えた鎌に衝撃。金属音。最初に女の投げた金属片を、ヴェルゼの鎌が的確に弾く。女の顔が、初めて歪んだ。
「なぁ少年! あんたはさぁ、伝説がいつまでも生き続けることをどう思う! おかしいとは思わないか!」
必死な声で叫ぶ女に、ヴェルゼはさらりと返す。
「思わないね。伝説は伝説なんだよ、好きに生きてりゃいいじゃないか。だが……」
鎌を構え、死神の如き足取りで、一歩、一歩、近づいていく。
「――そのためだけに卑怯な手を使うのは間違いだと、オレは思うぜッ!」
ぶんっと鎌を振り下ろす。振り下ろしたそれは女に刺さる直前で止まる。
それでも、女は笑っていた。
ヴェルゼはふんと鼻を鳴らす。
「ヘイズ・ラグルーンを操ったのはお前だろう。お前がセウンの町の、関係ない人々を殺したんだ。その罪は償ってもらおう」
今度こそ、殺す気で鎌を構える。
「ルーリヤ・ケイト。名前だけは覚えておくぜ」
次の瞬間。
振り下ろされた鎌が、女の命を奪った。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.29 )
- 日時: 2020/10/30 16:56
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: XsTmunS8)
ふうっと大きく息をつき、ヴェルゼはその場に倒れ込む。これから東国呪物店に向かわなければならないというのに、身体はもう言うことを聞いてくれないらしい。
「ヴェルゼ!」
そんなヴェルゼに真っ先に駆け寄ってくるのはアリア。彼女はいつもそうだった。ヴェルゼが怪我をするたびに、誰よりも先に駆け付けるのだ。その後ろから遠慮がちにソーティアが歩いてくる。そのさらに後ろを、実体化したデュナミスが意識を失った双頭の魔導士を背負ってきていた。
心配げな姉に、笑い掛ける。
「疲れただけだ、気にするな……。少し休めば、また歩けるから。今日中に東国呪物店へ……着くぞ……」
「おやおや、私たちに何か御用かい?」
と、不意に聞き慣れない声がした。
音もなく現れたのは、謎の青年だった。円筒形で先が折れた形の見たこともない黒い帽子を被り、髪は黒、瞳は青。水色を基調とした、袖の長い独特な衣装を身に纏い、足にはサンダルのような謎の靴。彼が歩くとカランコロンと音がする。
どこか異国の装いを感じさせる服を着た青年は、軽く礼をして、名乗った。その動きに合わせて、さらさらと石のこすれあうような音がした。
「やあ初めまして。私はアイカゼ。東国呪物店の一員さ? お店はこの近くにあるよ。君たち、運が良かったねぇ」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、彼はそっとヴェルゼに近づいた。
「君さえ良ければお店まで運んであげるけど?」
動けないヴェルゼは、相手の申し出を受け入れることにした。
◇
アイカゼに背負われて、店に入る。木造のその店は、異国情緒にあふれていた。
美しい模様の描かれた陶磁器、黒一色で描かれた絵。木でできた器は黒く塗られ、金や紅の模様が輝く。
ヤマトワ、という国がこの世界の東方にある。アイカゼの服やこの店の内装はどうも、ヤマトワのもののように見える。
「あーっ、アイカゼお帰りなさい! えっと……お客さんなのね。ようこそ、東国呪物店へ!」
アイカゼが店に入るなりした、元気な声。黒髪の赤い瞳、赤い着物を身に纏った少女が笑っていた。
「みんなみんなボロボロねぇ。……大丈夫、傷は癒えるわすぐに早く! 私が言ったんだから間違いない!」
元気よく笑う少女。
アイカゼは少女に軽く挨拶をし、きょろきょろと店を眺めているアリアたちを見た。
「さて、落ち着ける部屋に行こう。話はそこで聞くよ。店のメンバーはあと四人いる。いずれは会えるだろうさ」
◇
アイカゼに案内された部屋で、ヴェルゼは事の次第をかいつまんで話した。すべて聞き終わり、アイカゼは成程と頷いた。
「それでリンエイの出番ってわけ。確かにリンエイなら、解呪出来るかもねぇ……」
アイカゼは窓から外を見た。夕焼けの赤い光が部屋の中を照らす。
不意にアイカゼが立ちあがった。怪訝な目を向けたヴェルゼに、言う。
「帰ってきたよ。まったく、家の中でまで気配消す必要はないだろうに」
迎えに行ってくるから少し待ってて、と言い残しアイカゼは消えた。
それからしばらく。鈴のように澄み渡った声が、部屋の外から聞こえてきた。
「お客様はこちらに?」
「そうだよ。リンエイの力を借りたいってさ。疫病の呪いなんだって」
澄み渡った声に応えるアイカゼの声。部屋の扉が開き、美しい女性が現れた。
棒状の髪飾りを使って高く括った黒い髪、紫の瞳。真珠のような肌に熟れた林檎のように赤い唇。紫を基調とした袖の広い服の、胸の上辺りを赤い帯で縛っている。
ヤマトワ……のものと似通ってはいるが、どこか違った雰囲気の衣装を身に纏う少女は、ヴェルゼたちに両の腕を組み袖の中に仕舞い礼をする、という独特の挨拶をした。
「初めまして、お客様。わたくしはコウ・リンエイ。解呪師にございます。アイカゼから話を聞きましたわ。呪いを掛けられているのは……この方でしょうか? 呪いを掛けた相手の名前はヘイズ・ラグルーン」
彼女の視線の先には、眠ったまま動かない双子の姿がある。ああ、とヴェルゼは頷いた。
「頼まれ屋アリアの……依頼人だ。最終的に他の『店』を頼ることになってしまったのは面目ないが……」
「助けあうのが『店』ですわ。お気遣いなく」
頷き、リンエイが双子に近づいた。絹のように白く美しい手が、双子の胸のあたりに触れた。
成程、と彼女は頷く。彼女の瞳に、魔法素《マナ》によって織り成された複雑な世界が映る。
しばらくして、彼女は双子の胸に置いた手を離した。少し疲れたような顔で、微笑む。
「終わりましたわ」
アリアが素っ頓狂な声をあげた。
「そんなに早く終わるんだ!?」
ええ、とリンエイは頷いた。
「わたくしが感じた時間は結構長いものですが、実際はこんなものです。こんな術式の解除なんてまだまだ序の口ですわ。ですから」
リンエイはにっこりと笑った。
「お代は要りませんの。だって実際、大した手間ではなかったですもの。わたくしはこの辺りでは一番の解呪師という自負がある。もっと難しい呪いを解いたことだってありますし、それに比べれば……」
そしてその時、眠ったままだった双子の目蓋が、同時に開いた。
それを見てヴェルゼらは、依頼の完了を悟った。
「頼まれ屋アリア、依頼、完了しましたっ!」
アリアがいつもの台詞を口にすると、目を覚ました双子が交互に言葉を発した。
「おはようなのじゃ」
「おはよう……。何だか良い気分だよ……」
双つの頭はうーんと伸びをして、互いに顔を見合わせあって、笑った。
ルーヴェが自分の胸に手を当てる。
「うん……もう大丈夫。眠くない……」
「ルーヴェさんの首にあった、魔力の痕跡も完全に消えています」
ソーティアが安心させるように頷いた。
紆余曲折あったけれど、これで問題は解決した。
その先にあるのはお別れの時間だ。
「頼まれ屋アリアの皆よ」
リーヴェが微笑みながら、呼び掛けた。
「このたびは非常に世話になった。我ら双頭の魔導士、その恩は決して忘れぬ。最初にお代は渡したが、これは感謝の気持ちじゃよ、受け取ってくれ」
ひょいと何かを放り投げる。慌てて拾ったのはアリアだった。
それは一枚のカードだった。魔法の紋様の刻まれた紙片だった。
「このカードに強く願えば、一回だけ、わしらはどんな状況にあっても必ず、おぬしらの元へやってくる。空間移動魔法を封じ込めた魔法の紙片じゃ。一回しか使えないがゆえ、使いどころは考えるのじゃぞ」
伝説の魔導士の召喚券。それはたった一回きりだとしても、すごいことだ。
アリアは受け取ったそれを、大事そうに懐に仕舞った。
それを見て、双頭の魔導士は背を向ける。
「さらばじゃ、頼まれ屋の姉弟よ。今回の件、非常に助かった。おぬしらに幸せのあらんことを」
一陣の風が吹いた後、もうそこに二人はいなかった。
あっという間にいなくなった、伝説の魔導士。その別れは呆気なかった。
◇
その後、アイカゼたちの好意でぼろぼろのアリアたちは店に一晩だけ泊めてもらうことになり、その翌日、礼を言って頼まれ屋アリアに帰った。ヤマトワでは自分たちの名前をこう書くんだよ、と、アイカゼは最後に名前の書かれた紙片をくれた。そこには
「藍風《あいかぜ》」「香《こう》鈴瑛《りんえい》」
とあった。ヤマトワの文字である「カンジ」というものらしい。
「色々あったわねぇ」
アリアの呟きに、ああとヴェルゼは頷いた。
「セウンの町に王都にカレッダに……。こんなに各地を移動した依頼は久し振りだよな」
頼まれ屋アリアに転がり込んでくる依頼。その大半は、ひとつの町で完結してしまう依頼なのである。
でも楽しかったんじゃない、とデュナミスが微笑む。
「伝説の魔導士にも出会えたし? 他の『店』の人たちとも知り合いになれたしね」
「わたし……活躍、出来ました」
噛み締めるようにソーティアが言う。
「わたしだって戦えるんだって……。わたし、役立たずなんかじゃないんだって……」
「ソーティアはもっと自分に自信持ちなさいよ?」
アリアがソーティアの髪をわしゃわしゃと撫でると、くすぐったそうにソーティアは笑った。
ひとつの依頼を解決し、日常へと戻る。
これから先も、また様々な依頼が来るのだろう。解決するのが困難な依頼だって、きっと来る。
けれど、きっと解決できる。自分たちなら、このメンバーなら。
穏やかな顔で、ヴェルゼは微笑んだ。
そんな彼の無茶がたたって体調を崩し、またアリアに心配されることになろうとは、今の彼には分かっていない。
【双頭の魔導士 完】
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.30 )
- 日時: 2020/11/02 09:09
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
【アーチャルドの凍れる姫君】
不思議な不思議な店がある。魔法の王国の片隅に。
店の扉を開ければ、魔導士の姉弟が客を迎えてくれるだろう。
『願い、叶えます! アリア&ヴェルゼ』
看板には、そんな文言が書かれている。
◇
その日は雨が降っていた。憂鬱な日ねとアリアが呟いた、時。
カランコロン、ドアベルが鳴る。今日も頼まれ屋アリアの一日が始まる。
暑い季節になってきた。蝉の声が響くある夏のことである。
「すいません! ちょっとの間、泊まらせてくれませんか!」
鬼気迫る表情でやってきたのは、茶髪に青い瞳をし、腰に二本の剣を刺した青年。彼は水色の髪の少女を背負っていた。背負われている少女は意識を失っているらしく、その顔は蒼白だった。どう見ても普通の状況ではない。
「いらっしゃいませ……ってどうしたの!? 怪我? 病気?」
「怪我です。毒のついた武器にやられちまいまして! 治療は済んでます。いきなり来て悪いってのはわかってる。でも……この雨だ、ずっと外にいたら良くない」
「わかったわ!」
アリアは頷き、カウンターを回って青年に駆け寄ろうとする。が、そんな彼女の前に、遮るようにヴェルゼが現れた。
「ちょっと待て。面倒事に首を突っ込むのは御免だが?」
「そんなこと言ってられないじゃない! 困っている人がいるのなら助けなきゃ!」
「しかし……」
ヴェルゼは難しい顔をしていた。
そこへ。
「僕も賛成はしない。背負われた彼女は高貴な身分に見える。そんな人を匿ったら? 僕も面倒事は嫌だね」
ふわり、現れたのは亡霊デュナミス。
その灰色の瞳は、冷たい輝きを宿していた。
「今ならまだ大丈夫だ。今のうちに店から追い出すんだね」
もう、とアリアは頬を膨らませた。
「どうして二人はそんなに冷たいの! 面倒事が舞い込んでくるのが頼まれ屋でしょーが! あたしはこんなのほっとけない!」
「貴族絡みは面倒なのさ。僕だってさ、生きていた頃は貴族の端くれだったしその辺りよくわかっているよ。彼らを助けて、結果、この店が危険な奴らに目をつけられたら? 後悔することになるさ」
「しないわ!」
アリアはデュナミスを睨みつけた。
「あたしはね、助けられたはずの人を助けられなかったことにこそ後悔する。あんたたち冷酷人間二人が反対していたって、絶対に助けるんだから!」
言って、ヴェルゼたちの脇を通り抜けて、青年の方を向いた。
「周りはこんな感じだけどさ、あたしはあなたを助けたげる」
「……わたしも、放っておけないです」
店の奥からソーティアが現れる。
「わたし、ほとんど荷物持ってないので。しばらくアリアさんの部屋に行っていてもいいですか? この方たちにわたしの部屋を貸します」
「了解! とりあえず部屋に来て! 頼まれ屋アリア、依頼承ったわ!」
アリアたちは、そのまま客人を連れて行ってしまった。
残されたヴェルゼはため息をつく。
「はぁ……ったく。お人好しなんだから姉貴は」
「まぁ、でも面倒を持ち込んだら僕らで追い出そう。ね?」
デュナミスの言葉に、ああとヴェルゼは頷いた。
だが、出来るなら姉と直接対決は避けたいところである。
ヴェルゼは複雑な表情をしていた。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.31 )
- 日時: 2020/11/05 09:02
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
翌朝。食事を済ませたアリアとヴェルゼは、二人で客人の部屋に行くことになった。扉をノックすると青年の返事。入ってもいいとのことで扉を開ける。
「そうだ、紹介忘れてたわ。俺はゼクティス、そこの姫さ……彼女の仲間だ。で、彼女はイルシア、貴族の娘さんだ」
ゼクティスの紹介にアリアたちも簡単な自己紹介をする。
部屋の中で、少女イルシアは目を覚ましていた。最初は焦点の合わなかった青い瞳が次第に焦点を結んでいく。彼女の唇が、開いた。か細い声がする。
「あなた方が……わたくしを助けて下さいましたの?」
ええ、とアリアが頷くと、彼女はぺこりと礼をした。
「そう……。ありがとう、助かりましたわ。わたくしはまだ、死ぬわけにはいかないんですの。お礼をしたいですわ」
そのまま動き出そうとしたイルシアをアリアは止めた。
「ちょっとストーップ! お礼は後でいいからさ、あんたはとりあえず怪我を治しなさい! お礼はその後でいいから」
ありがとう、と彼女は再度言い、優しげな笑みを浮かべた。
「けれど……ええ、わたくしには分かりません。あなた方はどうして、わたくしを助けて下さいましたの? 見返りは何でしょう?」
「え? 見返りなんて必要ないわよ?」
アリアは首をかしげた。
彼女は知らないのだろう。見返り無しで与えられる愛があるということを。貴族の家で生きてきたという彼女。そこでは様々なものに縛られて、あらゆる愛は見返りあってこそのものだったのかも知れない。
アリアは笑顔を浮かべて言った。
「あたしはさ、困っている人を見ると放っておけないのよ。だからあなたを助けるのも当たり前。あなたが誰かなんて関係ないの。ただ、あたしが助けたかっただけよ!」
アリアの赤い瞳はどこまでも澄み渡り、一切の嘘を感じさせない。
ただし、とこれまで黙っていたヴェルゼが口を挟んだ。
「面倒事はお断りだ。お前たちが何かを起こした時点で、ここを出て行ってもらうからな。頼まれ屋アリアは中立なんだ、どこの貴族にも加担はしない」
冷たい言葉を言ったヴェルゼをアリアは睨んだが、ヴェルゼはどこ吹く風である。
了解だ、とゼクティスが頷いた。
「まぁ、妥当だろうな。でもしばらくは厄介になるぜ?」
「……好きにしろ」
ヴェルゼはぷいとそっぽを向いて、部屋から出ていった。
ごめんねとアリアが謝ると、気にすんなとゼクティスが返す。
「あーいった冷てー奴の一人や二人、いて当然だしな。つーかあいつがいて安心した。優しい奴ばっかりのところってさ、俺は平気だけど彼女は不安になるんだってさ。俺は周囲の優しさのお陰で生きてるみたいなトコあったからよくわかんねーけど」
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.32 )
- 日時: 2020/11/08 11:47
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: 6Z5x02.Q)
それから数日。イルシアの体調も回復し、翌日に彼女らは店を出ていくことになった。その日のことだった。
カランコロン、ドアベルが鳴る。お客さんかしらとアリアは笑顔を浮かべた。
「はーい! 頼まれ屋アリアへようこそ! ご用事は何かしら?」
やってきたのは貴族風の服を着た男だった。彼がアリアに近づき、丁寧な口調で問う。
「アリアさん、ですよね? ある人物についてお聞きしたく。水色の髪に青い瞳を持った、麗しい姫君なのですが」
「……!」
アリアは気付く。この男はイルシアを追っているのだと。
ゼクティスは言ってなかったか。『毒のついた武器にやられた』と。彼らは逃げてきたのだ。そして今、その追手がきた。
『面倒事はお断りだ』冷たく言い放ったヴェルゼを思い出す。しかしアリアは、自分が助けるという選択をしたことを間違っているとは思えない。
だから。
「ええ、彼女を見た。そして彼女を匿ったわ。でも絶対に渡さない。困っている人を見過ごすようなあたしじゃないもの。彼女を捕らえるって言うのなら、あたしを倒してから行きなさい!」
魔法素《マナ》を練る。店の中で炎は厳禁だ。だから大地の魔法素《マナ》にして、植物を使って相手を拘束する戦術で行こうと考える。
あるいは、風で奴らを店の外まで吹き飛ばしてから戦うか。
ちらり、店の奥を見てもそこにヴェルゼはいない。いつもそこにいるとは限らないが、タイミングの悪い時にいなくなったものである。
そこまで考えた時、返答があった。
「そうですか……それは残念です。ならば私たちは、あなたに制裁を加えなければなりません。それが我ら『妹姫派』の使命ですから」
言うなり。
男の手で刃が閃くのが見えた。速い。アリアでは、とてもじゃないが目で追えない。閃いた刃はそのままアリアの首へ吸い込ま――
「あら、わたくしはここですわ? 御機嫌よう、イグノス・ヴェルテ」
れそうになった寸前、
鈴を転がすような声がした。目に映ったのは水色の髪。
イルシアは、言う。
「イグノス、わたくしはここですわ? わたくしを捕まえたいのなら、追い掛けてみてご覧なさい」
言って、彼女は店の窓を開けてそこからひらりと外へ出た。
イグノスと呼ばれた男は一瞬だけ躊躇した後、イルシアを追って飛び出した。開け放たれた窓からのぞくと、イルシアの背後にゼクティスがおり、彼女を守るように動いていた。
「イルシア……」
アリアは呟く。
彼女はアリアたちをこれ以上巻き込まないために、あえて姿をさらすことにしたのだ。そのままアリアたちを隠れ蓑に、こっそり逃げ出しても良かったのに。アリアは彼女たちを庇うつもりでいたのに。
なのに、彼女はわざわざ姿を見せた。アリアたちを見捨てたって、良かったのに。
アリアは呟く。
「……だから、見過ごせない。一度関わったんだ、最後まで関わらせてほしいわ」
彼女たちの優しさに、報いたいと強く思った。
「ヴェルゼ! デュナミス! ソーティア!」
いつものメンバーを呼ぶと、店の奥の方から返事があった。
アリアはそちらに声を投げる。
「あたしはイルシアたちを追う。あの子たちを助けるわ。あなたたちがどうするかはそっちで勝手に決めなさい!」
言って、店を飛び出した。
まだまだ見える、男の背中。きちんとした服を着ているため走りにくそうだが、その割には速い。
追い掛けるアリア。その後ろにヴェルゼが追い付く。
「姉貴だけに任せられるか。オレがいなきゃ姉貴は駄目だろ」
生意気な口をきくヴェルゼに、そっちこそじゃない、とアリアは返す。
二人で謎の男を追い掛ける。ただ、店に迷い込んできた赤の他人を救うために。
アリアはどうしても見過ごせないのだ。だから自分の心に従いひた走る。ヴェルゼはただ、アリアを守るためにひた走る。目的は違ったが、取った行動は同じだった。
そしてアリアは見る。逃げるイルシアたちが、町の袋小路に入っていくのを。そこに行ったら確実に追い詰められる。男はこの町の構造を理解した上であえて、袋小路に追い込んだのだろうか。
アリアは見る。追い詰められた二人。イルシアを庇うように立つゼクティス。その青の瞳に浮かぶ揺るがぬ闘志を。
絶対に守るんだという、強い意志のこもった瞳を。
そんなゼクティスに対し、男が剣を振りかぶる。その剣先には赤く燃える炎があった。炎属性を付与した特殊な剣なのだろうか。あれはたとえ防げたとしても、軽い火傷くらいは負いかねない代物だ。
「――させないッ!」
咄嗟に組んだ水の魔法素《マナ》。相手にぶつけ、押し倒す。思わずつんのめった男を見、チャンスだとばかりにゼクティスがイルシアの手を引きその脇を走った。
「悪ぃ、恩に着る!」
申し訳なさそうなゼクティスに、放っておけなかったのよとアリアは返す。
ヴェルゼは男を油断のない瞳で睨んでいた。
位置が逆転したことにより、今度は男が袋小路に追い詰められる番だった。
「……お見事ですね」
観念したように男が両手を挙げる。
「いいでしょう、今回は見逃して差し上げます。しかし次はないと思って頂きたい。あの方の紡ぐ未来を見るためには、貴女など不要なのですよ姫さま」
「……あなたは何もわかっておりませんわ。わたくしが今ここにいるのは、あの子を思ってのことですのに」
イルシアがうつむく。
念のため、とアリアが言って、植物の魔法で男を縛りあげた。確かに男をこのまま残して行ったら背後を狙われる可能性がある。しかし殺すほどでもないと思ったし、アリアは殺しなんてしたくはなかった。
「三時間くらい経ったら勝手にほどけるけど、それまではそこに立ってなさい」
そう言い残し、アリアたちは去る。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.33 )
- 日時: 2020/11/11 09:10
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
町の片隅で、イルシアはぽつりと言った。
「わたくしは、ここから遠く離れた国、アーチャド法国の王女なのですわ。けれど王宮には、わたくしと妹のアレイシャリアのどちらを次の王にすべきかで揉めていた。だからわたくしは王宮を出た」
遠い目をして彼女は語る。
「わたくしには王になる資格などないと、自分でも思っておりますもの。素直で真っ直ぐなあの子の方が、きっときっと良い王になる。そしてわたくしが王宮を出ることはあの子を守ることにも繋がる。わたくしはそう思っていた」
でも、とうつむく。
「現実は非情ですわね。あの子を推す派閥がわたくしの命を狙っている。あの子はわたくしに懐いていたからそんな命令下すわけがない。だとすると、それは部下の暴走。あの子はそれを止められていない」
どうすれば良かったのでしょうね、と頼りなさげに空を見上げた。
その顔は、母を失ったばかりの幼子のようにも見えた。
でも、ありがとうと彼女は笑う。
「わたくし、これまで無償の愛というものを信じることが出来ませんでしたの。でもあなた方は、ただ偶然出会っただけのわたくしたちに、ここまで親切にしてくれた。アリアさん……あなたを見ていると、妹を思い出しますの。あなたのその真っ直ぐさ、妹とよく似ておりますわ」
その笑顔を見ると、ヴェルゼもデュナミスも彼女に対して悪い感情を抱くことは出来なくなった。二人は確かにドライな方だけれど、完全に冷徹な人間ではない。イルシアの笑顔はそう思わせるほどに、無垢な笑顔だった。
そんな笑顔でイルシアは言うのだ。
「心を隠して生きてきたわたくしはもう、自分が本来どんな姿だったのか忘れてしまった。嬉しいとか楽しいとか、そういった感情も今浮かべている笑顔も、本物かどうかわからないのですわ。でも……この胸にある感謝の気持ちは本物だと、信じたい」
「……本物だろ」
思わずヴェルゼが呟く。
イルシアの悲しい境遇を聞いて、心が少しだけ動いたせいなのだろうか。
「オレはこれまでたくさんの人間を見てきたが……その笑顔は本物だろ。嘘をついている人間は、そこまで晴れやかな表情浮かべないんだよ」
「そうですの?」
きょとんと首を傾げるイルシアに、そうだよとゼクティス。
「姫さんはさ、気付いてねーだけだ。旅の間に、元の姿を取り戻しつつあるっつーことにな。俺の存在もあったろーけど……赤の他人に親切にされるっつーのが大きいよな。そんなわけで、あんたらには俺からも感謝だ」
で、とゼクティスがイルシアの方を振り返った。そうですわねと頷き、イルシアが懐から大きな袋を取り出しアリアに渡す。受け取ったそれはずっしりと重かった。開けてみると、きらめく黄金の輝きが目に入った。
思わずアリアは声を上げる。
「これって……」
「依頼料ですわ」
ふふふとイルシアが笑う。
「わたくし、国を出たとは言え支持して下さる派閥もありますのでそこそこお金は持っておりますの。聞いたところによるとあなた方、ある悪党魔導士から返済期限付きで多額の借金を背負わされているようですわね。その一助になるかと思いまして」
悪党魔導士シーエン。ここに店を構えた時に借金を背負うことになった原因の相手だ。アリアたちはある夫婦の代わりに借金を肩代わりすることになったが、まだ半分も返せていなかった。その額、五百万ルーヴ。
渡された袋の中にあるのは金貨ばかりで、百万ルーヴは超えそうに見える。そんな大金をいきなりぽんと出せるのも、その立場あってのことなのだろうか。イルシアは身分を捨てて旅をしているとのことだけれど、肝心な時だけ自分の派閥に頼っていいのだろうか。いや、利用しているだけなのかもしれないが。
アリアは目を輝かせて黄金のきらめきを見ていた。こんな大金、見たことがなかったのだ。
「あなた方はわたくしの心に、小さな光をくれました。あなた方にとってはそう動くのは当たり前かもしれない。でもわたくしは……本当に嬉しかった。お金でしか返せないのは残念ですけれど……受け取って下さる?」
「……ええ!」
アリアは頷いた。
それでは、とイルシアが背を向ける。
「わたくしたちはまた、旅立たねばなりません。長居して迷惑を掛けるわけにはいかないですし、ずっといたらまた襲われるでしょうし。けれどあなた方とここで出会ったことは忘れませんわ。いつか……全てが丸く収まった日に、改めてお礼をして差し上げたい」
振り返り、彼女は実に優雅な仕草で礼をした。それはアーチャドの王族の礼だった。
「では、御機嫌よう。あなた方に、光の神アンダルシャの祝福のあらんことを」
「俺からも……ありがとな! 助かったぜ!」
二人一緒に背を向け去っていく。アリアたちはその場で見送っていた。
心に氷を張ったお姫様。全ては大切な妹を守るために。その氷はいつか、融ける日が来るのだろうか。
彼女に幸あれと、アリアは心の中でアンダルシャに願った。
◇
「ええと……待って思ったよりも多くない?」
「手持ちと合わせれば……二百万ルーヴくらい、か? あの姫様も太っ腹だな」
その後。
頼まれ屋アリアで、アリアたちはイルシアから渡されたお金を数えていた。
店に残ったデュナミスとソーティアが、興味深げにそのさまを見ている。
「あの方たち、お金持ちだったんですね……」
「遠い国のお姫様だったみたいよ」
ソーティアの言葉に、アリアが答える。
「あたしたちの優しさが嬉しかったって。お金でしかお礼が出来ないのは残念だけど、って言ってたわ」
彼女たちを助けた日、ヴェルゼとデュナミスはアリアに反対した。でもアリアは自分の行動が間違っているとは思えない。自分なりの正義を貫き通した結果、彼女は心からの笑みを見せてくれた。
これから先、誰かに親切にして騙されることだってあるだろう。既に一度、アリアたちが故郷から追放される原因となった存在である、シドラに騙されている。あの日彼の願いを聞いて、枝を折らなければアリアたちが追放されることもなかった。そんな過去はあるけれど。
(動かないで後悔するよりは、動いて後悔した方がいい)
それがアリアの信条なのだ。
「何もしない」そんなの無理だから。すべきことをするだけなのだ。
イルシアの笑顔を頭の中に浮かばせながらも、アリアはお金を袋にしまった。
「でもこんな大金……下手なところに置いたら盗られかねないわよね。罠でも仕掛けとく? 置くならどこにしようかしら」
「光の幻影でカモフラージュした上で、屋根裏に隠したらどうだ」
ヴェルゼが提案した。
「この家から屋根裏に行くには、オレの部屋を通るしかない。オレの部屋に侵入者があればオレは絶対に気付くし、亡霊ゆえに眠らないデュナミスもいる。安全だと思うぜ」
「そうね。じゃあそこに置いたらあたしが幻影魔法を掛けるわね」
問題は解決した。
うーんと伸びをして、アリアはイルシアを想う。
いつかまた、彼女たちはここに来るという。その時、イルシアは自然と心から笑えるようになっているだろうか。彼女たちを取り巻く状況はどうなっているだろうか。
明るい未来だといいな、とアリアは小さく呟いた。
【アーチャルドの凍れる姫君 完】
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.34 )
- 日時: 2020/11/13 09:02
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
【死霊ツイソウ譚】――頼まれ屋アリア外伝
不思議な不思議な店がある。
不思議な不思議な世界の片隅、覗いてご覧? 見つめてご覧?
その名を、『頼まれ屋アリア』と――。
木造の店に掛かった看板には、次のようなことが書かれていた。
『願い、叶えます! アリア&ヴェルゼ』
この店はお金と引き換えに、訪問者の願いを何でも叶えるというお店。
店を経営する姉弟は、特殊な魔法を持っている。二人揃えば大体のことは解決できるのだ。
店の扉を開ければ、軽やかなドアベルの音と共に、赤髪の少女があなたを出迎えるだろう。
――が、これは少々違うお話。外伝と言ったって過言ではない。
店を経営する弟の方、ヴェルゼには、ある大親友との出会いと別れがあったのだ。
夜の闇に包まれた、語られざる物語をご覧あれ。
◇
――時はさかのぼる。
カランコロン、ドアベルが鳴る、今日も頼まれ屋アリアの日常が始まる。
「はーい、ただいま!」
その音に、店に入って正面にある木造のカウンター、その向こうにある椅子に座っていた少女がいそいそと動き出す。炎のように赤い髪、強い意志を宿した赤い瞳。茶色のコートに身を包み、その下は白いシャツ。濃い赤のズボンを履いているが、その下はカウンターに隠れて見えない。歳は十代後半くらいのように見えた。
彼女こそ、この店の主、アリア・ティレイトである。
「ちょっとどーにもならない大変なことが起こりましてねぇ!」
慌てて店に入ってきた客は十代前半くらいか。茶色の髪に純朴そうな碧の瞳、粗末な生成りの貫頭衣を着て、足には木靴を履いている。少年のようだ。
店に入ってきた少年は、店をぐるりと見回した。
「あの! ヴェルゼさんいますか! ヴェルゼさんにしかどうにもならないことなんで……」
「呼んだか」
少年の声に応じ、店の奥から黒い人影が現れた。
漆黒の髪に夜をそのまま宿したかのような漆黒の瞳、漆黒のコートに灰色のシャツ、灰色のズボン、黒い靴。コートの胸元は髑髏の飾りで留めてあり、首から木製の縦笛を下げている。その背には漆黒の大鎌があった。歳は十代後半くらい。先程のアリアと似た顔をしていることから、きょうだいであることがうかがえる。アリアの宿す雰囲気が明るい炎を連想させるのに対し、こちらは夜の闇と死を連想させる。
彼はアリアの弟、死霊術師ヴェルゼ・ティレイトである。
ヴェルゼは少年に静かに問うた。
「で? オレにしか出来ないこととは? “裏”の依頼ならば蹴っ飛ばす。姉貴の前で依頼するということはそれくらいの意味のあることなんだな?」
「簡単に言えば、死の危険が伴う……」
「却下だ。この話はなかったことにしろ」
話を聞くなりヴェルゼは即答、ぷいとそっぽを向いて店の奥に戻ろうとする。
しゅん、とうなだれる少年。それを見てアリアはヴェルゼの背中に声を投げる。
「ちょっとちょっとぉ、ヴェルゼ! せっかく来てくれたんだから話くらいは聞いてあげなさいよ!」
ヴェルゼはハァと溜め息をつき、少年の方に向き直った。
「わかった、わかったよ。話くらいは聞いてやる。ただし受けるかどうかは別問題だ、いいな?」
「はいっ!」
少年は神妙な顔で頷いた。
ちょっと長い話になるのですが、と前置きする。
「僕は近くの村、リドラで働く農家の子です。僕は一家の中では唯一魔法が使えなくって、嫌われ者でした。でも、僕には他の家族にはない力があったみたいで」
ある日、不思議な声を聞いたんです、と彼は語る。
「その声は自由を求めていました。その声はずっとずっと叫んでいました。僕はそれが危険なものだというイメージを抱きましたが、その声は遥か東にありました。僕はその声が怖かったけれど、遠くにあるので安心していました」
しかし、と声のトーンが低くなる。
「その声はある時、歓喜の叫びをあげました。自由になって喜んでいるような、そんな感じです。そしてその声は僕のいる村にだんだんと近づいてきました。怖くなった僕は家族にそのことを伝えたのですが誰も信じてはくれません。でもその声は確実に近づいていた。僕は怖くて怖くて、このリノールの町まで逃げ出しました。その日の夜は、それの喜びの声が耳の奥に響いて、恐怖のあまり眠れませんでした。その次の日、村を見に行ったら」
何かを思い出し、少年の身体が震えた。
「そこにあったのは死屍累々、変わり果てた村人たちの姿だったのです。そして僕は、大きな黒い影のようなものが僕のよく知っていたおじさんを血祭りにあげているその現場を目撃しました。僕は思わず悲鳴を上げました。それは僕を見てにやりと笑ったのです。僕は怖くなって一目散に村から逃げ出しました。まだ生きている人が村にいたとしても、もう、僕は自分のことしか優先できなかった」
逃げる先で、思い出したのです、と少年はヴェルゼを見た。
「村によく来る行商人の話。リノールの村の何でも屋の話。普段はアリアという赤髪の子が客の応対をしているけれど、死霊関係では弟のヴェルゼが出てくると。僕はあれを死霊、もしくはそれに準ずるものだと思っています。だからこのお店のヴェルゼさんなら何とかできる、そう思って……」
お願いします、と彼は頭を下げた。
「あれはリドラの村を喰い尽したら、次は別の村に行くと思うんです。そうしたら被害が広がります。だからそうなる前に、何とか」
話を聞き、ヴェルゼは頷いた。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.35 )
- 日時: 2020/11/16 09:03
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「……わかった。確かにそれはおおごとだ。そしてそれは、強大な死霊であるに違いない。ならば討滅しないと最終的にはリノールも被害に遭いかねない。……行くか」
いつになく真剣な表情で、ヴェルゼはアリアを見る。
「姉貴」「だめ!」
ヴェルゼの言おうとしたことを察し、アリアがいやいやをするように首を振る。
「あたしはヴェルゼについていくわ。ヴェルゼだけをそんな危険な目に遭わせるわけには……!」
「だからこそ、だ。一人で行く。死霊など姉貴は専門外だろう? 下手に関わると火傷どころじゃ済まないぜ」
「でも……!」
オレに任せてくれ、と漆黒の瞳が真摯な輝きを宿してアリアを見つめる。その瞳に射抜かれて、アリアは身動きが出来なくなった。
「オレじゃないと駄目なんだ、オレしか適任がいないんだよ。死霊についてよく知らない一般人が来ても足手纏いなだけで、それはメンバー全員の生存率を大幅に下げることになる。二人一緒に死にたいのか? それは避けねばならないだろう」
「ヴェルゼ……」
「安心しろ。無事に戻ってくると約束する」
さて、とヴェルゼは少年の方を向いた。
「死霊術師ヴェルゼ・ティレイト、依頼、承った。緊急事態だ、お代など要らない。オレだって、この町を破壊されたくはないし故郷の村に被害が行ったら、なんて考えたらやってられん」
その言葉を聞き、少年の顔がぱっと輝いた。
「……ありがとう、ございますっ!」
「任せろ」
ふ、とその目に不敵な笑みを浮かべ、ヴェルゼは答えた。
「さて。故郷を破壊されたということは、あんたは居場所がないんだろ? ならば町の表通りにあるこの町唯一の薬草屋を頼ると良い。そこを経営している女性は、これまで何度も身寄りのない子供たちを引き取っていたからきっと、そこになら居場所が見つかるだろう」
今日はもう閉店だ、とヴェルゼは少年を追い出しにかかる。いつも冷たく見えるヴェルゼだが、ふとしたことで優しさを見せることもあるのだ。
少年は何度も感謝の言葉を述べながら、店から出て行った。
それを見届けるとヴェルゼは店の表に回って、「開店」と書いてある木のプレートをひっくり返し、「閉店」と書いてある面を表にした。そのまま店に入ると、心配げな顔でアリアがヴェルゼを見ていた。
「……本当に、気をつけてね?」
「当然。何かあったらこの笛で伝える。あの村で育った姉貴なら、これの音がわかるだろう?」
言って、胸に下げた笛を軽く持ち上げた。
その笛は「エルナスの笛」と呼ばれる、ある村の特産品だ。そこにしかない「エルナスの木」という門外不出の霊木からその笛は作られる。その笛には、二つの特殊な魔法が込められていた。
ひとつは、「その音を届けたい相手にだけ届けられる」というもの。音色を届ける相手 限定することができるのだ。関係のない人はその調べを聞くことがかなわない。
もうひとつは、「どんなに離れていても、望んだ人に確実にその音色を届けることができる」というもの。それは音色を届けたい対象がたとえ死んで冥界にいようとも関係ない。
そして姉弟の故郷、笛作りのエルナスの村には、「笛言葉」なるものが存在する。それは笛の音を特定の言葉に置き換えてメッセージを伝える特殊技術だ。エルナスの者ならば皆この特殊な言葉を聞くことができるがこれを奏でるのは容易ではなく、これを奏でられる者は村の中でも数えるほどしかいない。
ヴェルゼはその数少ない、笛言葉の奏者だ。「笛の神童」と幼い頃から呼ばれていた彼は天才的に笛の演奏が上手かった。姉のアリアはそうでもないのに、弟の彼だけが。アリアも拙い笛言葉ならば奏でられるが、音階もリズムも滅茶苦茶なそれを笛言葉として認識し、内容を理解できるのは長い付き合いのヴェルゼだけ。姉弟の間限定でならば笛言葉によるメッセージのやり取りは成立する。
そういった様々な事情が組み合わさって、二人が別れるときは、笛言葉で連絡を取り合うことにしているのだ。特定の相手にしか届かないし、相手がいくら離れていても音色を届けることができるエルナスの笛は、一部の間では最強の伝言ツールなのである。
ヴェルゼの言葉に、アリアは頷いた。
「あたしは、わかるわ。ヴェルゼ、頻繁に連絡して頂戴ね? あたしを心配させないでね?」
「過保護」
姉の言葉を切って捨てるヴェルゼ。
店の奥へ行き、その先にある二階――彼らの部屋のある場所だ――に向かう。
「出立は明日だ。荷物の用意をする」
そう言い置いて、そそくさと消えてしまった。
アリアはほうっと溜め息をつく。
「あたし……過保護、なのかしら?」
両親はもうとうに死んでしまったから、残された唯一の肉親を守ろうとしていただけなのに。
考えていても仕方がないな、と思ったアリアはカウンター背後にある扉から厨房に向かう。
「ふーん、だ! 最高の料理作ってびっくりさせてやるんだから! これがあたしの愛だ、受け取っておきなさいよねヴェルゼ!」
言って、調理の準備を始めたアリアだった。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.36 )
- 日時: 2020/11/18 08:50
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「ヴェルゼ、ご飯出来たわよー!」
アリアの声がヴェルゼを呼ぶ。わかった、と返事、しばらくして階段を下りてくる足音がし、ヴェルゼの漆黒の姿が現れた。
「ヴェルゼ、あたしの料理、しばらくは食べられないんだよね。気合い入れて作ったんだから!」
言って自慢げにアリアは胸を張る。
店の奥のスペースにはに幾つかの椅子とテーブルがあり、アリアたちはいつもそこでご飯を食べる。店を開けている時間帯はいつも、そのスペースでヴェルゼが静かに本を読んでいる。
そこまで大きくはないそのテーブルには、アリアの精一杯の料理が並べられていた。
最初に目に入るのはふわふわの小麦パン。いつお金が手に入るかわからない「何でも屋」を経営しながら日々の糧を稼いでいる都合上、収入が不安定なために普段はあまり贅沢などしない。だから小麦百パーセントのパンなんて滅多にお目にかかれないのだが、どうやらアリアが急いで買いに行ったものらしい。そこには高い小麦パンが置いてあった。
次に目に入るのは椀に盛られた赤ワイン色のシチュー。シチューを作るのはずいぶん時間がかかるし、使っている肉によっては材料費も格段に跳ね上がる。こんな日なのだ、アリアは当然、良い肉を用意したに違いない。
最後に目に入るのは新鮮野菜のサラダ。これまたさっぱりしていて美味しそうである。
テーブルの上に乗っているのは、これら三品だけ。だがこの店の経済力では、よくもまぁ高級なものを揃えたといった感じである。ヴェルゼはアリアの努力を見てとって、「ありがとな」と微笑んだ。食べて驚きなさいよねとアリアは言う。
「ヴェルゼにね、すぐにこの家に帰りたくさせちゃうような味にしたのよ! あなたが過保護だとか言って立って関係ない! あたしはお姉ちゃんとして、あなたを愛しているんだから!」
「……いただきます」
頷き、ヴェルゼはパンを千切ってシチューに浸した。シチューに浸した場所が赤茶に染まる。
それを口に持っていって、咀嚼。ヴェルゼの目が驚きに見開かれた。
「……うまい」
それを見てアリアは嬉しそうに笑った。
「当然でしょ? あたし、伊達にお料理やってきたってわけじゃないもの!」
ヴェルゼが笑ったのを確認してから、アリアは自分の料理に口をつけた。
二人はただ黙々と食べていた。会話こそなかったが、そこには穏やかな時間が流れていた。
辺りはもう夜の闇に包まれている。二人は部屋の天井近くに吊るした魔法のランプの明かりを頼りに、アリアの夕食を食べていた。
やがて全て食べ終わると、アリアは笑ってヴェルゼに言った。
「片づけはあたしがやっておくわ。ヴェルゼは明日大変なんでしょう、早めに寝なさいよね」
「……ああ。姉貴、美味しかった。ありがとな」
「当然でしょ?」
アリアはにっこりと笑った。
ヴェルゼも、ふ、と微笑みを返し、店の奥、階段を昇った先にある自分の部屋に向かっていった。
アリアはその背を見送ると、自分の作業に取り掛かった。
穏やかな時間はあっという間に過ぎる。けれど確実にそんな時間があったことは、忘れない。
◇
翌日。
「では、行ってくる」
身支度を完璧に済ませたヴェルゼは、そう、アリアに声を掛けてきた。
気をつけてねとアリアが言うと、連絡するからとヴェルゼは返した。
そしてヴェルゼはいなくなった。アリアはその背が見えなくなるまで、ずっと店の前で見送り続けていた。
やがてその背が見えなくなると、アリアは大きなため息をついた。
「あたし、しばらくこのお店で、一人ぼっちかぁ……」
寂しげな表情を浮かべた。
「一人は嫌い。あたし、誰かと一緒にいないとさびしさで死んじゃうよ? だからさっさと帰ってきてよね……」
そう、言葉を残すと、「閉店」の札を裏返して「開店」にし、ただしヴェルゼ不在中といつも持っている羊皮紙の切れっ端に走り書き、木の隙間に差しこんだ。
「依頼? じゃんじゃん来なさいよ! あたし一人で解決できるものなら何だって解決してやるんだからっ!」
そうやってたくさん働くことで、ヴェルゼがいないことによる心の空白を埋めようとしたのだ。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.37 )
- 日時: 2020/11/20 08:58
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
死霊は西に向かっているという。だからヴェルゼは西を目指すことにした。
意識を集中させれば確かに、ヴェルゼの鋭い勘が西に禍々しいモノがいるとわかる。
(声が聞こえた、か。あの少年は少々特殊な人間だったのかも知れんな)
そんなことを思いつつ、西へヴェルゼは歩き出す。
頼まれ屋アリアのある町リノールを西に行くと、アイルベリア川という大河があり、川向こうにフィルスという町がある。その周辺ではアイルベリア川が他の川と合流して一つの川となる場所があるため、フィルスは三つの川にはさまれた町、という少々特殊な町となっている。
「……フィルスよりもさらに遠くに気配があるが、まずはこの町で情報を集めるか」
そう決めてヴェルゼは、この川を渡る船を出してくれる渡し守を探した。
ヴェルゼはたまに、店の依頼でこの川を渡ることがある。だから渡し守とはそれなりに面識がある。
川を上流に向かって少し歩くと、数隻の粗末な木の船が川べりに繋がれている掘っ立て小屋にたどり着く。そこで「川を渡りたいのだが」と声を掛けると、「はいよ」と声がして小屋の中から初老の男性が現れた。
「渡り賃はいつも通り四百ルーヴだぜ」
「ここはいつだって値段変わらないんだな。良心的で助かる」
ヴェルゼは他の渡し守を利用したこともあるが、他の渡し守は少しずつ運賃を吊りあげてきたり、気分によって運賃を変えたりと安定しないのを知っている。しかしこの渡し守だけはいつだって同じ値段なのだ。
渡り賃を払って船に乗る。向こう岸で男と別れ、男はそのまま船でもとの岸に帰る。
岸からはぼんやりとフィルスの町が見える。そのまま町へ行こうとした途上、
何かを、見つけた。
「……行き倒れ、か?」
それは灰色の少年だった。全身ボロボロで、来ている灰色のマントもあちこち裂けている。
ただの行き倒れか、と思いヴェルゼはその少年を見なかったことにしてその場から立ち去ろうとしたが、
見えて、しまったから。
少年の身体から立ち上る、灰色の影を。
それは魂のようだった、何かの霊のようだった。人ならざる存在で、死者の国に属するモノだった。死霊術師にしかわからないモノだった。それがこの少年の近くにたゆたっているということは。
「……こいつ、同業者か?」
自分と同じ、死霊術師の。
ヴェルゼは訝しがった。
少年の周囲に漂う灰色の影と対話してみようとヴェルゼは試みたが、予想外の力で反発された。反発しているのは何と、目の前で倒れている少年の力なのだと知ってヴェルゼは驚愕した。
少年は見る限り今にも死にそうなのに、反発した力は完調のヴェルゼよりも強くて。
(――驚いた)
ヴェルゼは自分がリノール一番の死霊術師という自負があったから、これまで自分よりも強い死霊術師と出会ったことがなかったから、自分よりも強い存在がいることに強い驚きを覚えたのだった。
驚きを覚えた後には、この少年への興味が湧く。
ヴェルゼは倒れて動かない少年の前に屈みこんで、そっと囁いた。
「助けてやる。オレはヴェルゼ、死霊術師のヴェルゼだ。お前は?」
かすれた声が、かすかにヴェルゼの耳に届いた。
「デュナミス……。デュナミス・アルカイオン・リテュクシア……。死霊に愛されし者……」
「そうか。これからよろしくなデュナミス。いきなりで悪いが、背負っていくぞ」
言ってヴェルゼはデュナミスを背負いあげる。
灰色の少年の身体は、驚くほど軽かった。
「何か事情があるようだな。オレで良ければ聞いてやるが、まずは生きろ。話はその後だ」
そして町へ颯爽と歩きだす。
ありがとう……と、小さな声が礼を言った。
◇
「で。身分は、立場は。どうしてあのようなところで倒れていた」
少年を介抱し、その顔色が落ち着いたころ。
ヴェルゼは少年に質問を浴びせかける。
少年は少しずつ答えていく。
「えっと……僕はデュナミス。デュナミス・アルカイオン・リテュクシア。ある貴族の家の子で死霊術師。歳は十六歳、だよ」
あの死霊は……と暗い顔をする。
「僕のものだ、僕の家にとらわれていたものだ」
「詳しく説明しろ」
聞いてくれるかい、と彼が灰色の瞳でヴェルゼを見上げる。ああ、とヴェルゼは頷いた。
デュナミスは語りだす。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.38 )
- 日時: 2020/11/23 22:25
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: KqRHiSU0)
デュナミスは幼い頃から死霊の声を聞くことが出来る体質だった。それゆえに気味悪がられたが、けれど愛されて育ったのだという。
彼はある日、不思議な声を聞いた。出して出してと嘆く声、それは屋敷の奥の奥に封じられている死霊の声だった。デュナミスはその声を可哀想と思い、ある日声に導かれるままに禁じられた部屋に行き、死霊を解放してしまった。すると。
「……あいつは、さ」
話すデュナミスの声は震えていた。
「壊したんだ、何もかも。僕の家も、僕の家族も僕の町もめちゃめちゃにした。狂ったように笑いながら、あいつは全てを壊していった。父さんが死んだ、母さんも弟も死んだ。妹と一部の人が生き残って、こんなことをした僕を家から追放した……」
だから、と彼は言う。
「僕が、あいつを倒さなくちゃ。あいつはまだ他の町で暴れ回ってる。こんなことになったのは僕のせいだ、あいつの声なんかに応えた僕のせいなんだ。でも、あいつを解き放った時に大きな傷を受けてね……」
言って、彼は苦しげな顔をした。
傷もまだ治ってはいないのだから無理するな、とヴェルゼは声を掛ける。
ちらり見たデュナミスは、左足を庇っているようだった。
「事情は理解した。相手が死霊となれば、野放しに出来ないのはこちらも同じこと。それにそいつ……オレが追っている死霊と同じ奴かも知れんしな。手を組まないか」
ヴェルゼからすれば、デュナミスのように強い死霊術師が協力してくれるのは好都合である。それはデュナミスからしても同じだろう。
いいの、と目を輝かせるデュナミスに、ただしとヴェルゼは釘を刺した。
「くれぐれも、足手纏いにはなるなよ」
するとデュナミスは朗らかに笑った。
「あっははぁ、誰に言ってるの? 君こそね」
「オレの方が強い」
「さぁて、どうだか」
悪戯っぽく笑うデュナミス。
こうして二人は邂逅した。
◇
死霊は何処へ逃げたのか。情報を探しに町を歩く。
随分規模の大きい被害を起こしている死霊である、情報はすぐに見つかった。
「ああ、あれねぇ」
旅人らしき格好をした女性は、ヴェルゼの問いに頷いた。
「形のない災厄。あれは西の方へ行ったってよ。川沿いをそのまま西に進んで、少しイルヴェリア山脈方面に行った場所で見掛けたって話だよ。危ないから近付くのはやめた方がいいと思うけどねぇ」
「オレたちはあれを倒しに行く」
ヴェルゼの問いに、女性は驚いた顔をした。
「腕っぷしに自信があるのかな? あたしゃ止めはしないけど。まぁ、なら気をつけなさいな。あれはこれまでに三つの町を滅ぼしてるんだって」
「忠告、感謝する」
軽く礼をして、ヴェルゼは女性と別れた。
で、とデュナミスの方を見る。
「怪我はもう平気か? 話を聞く限りでは、奴の次の目的地はペナンの町と見た。まだ間に合いそうだし、先回りして迎え撃ちたいが……」
あぁ、大丈夫さとデュナミスが頷く。
「黄昏の主はもう僕の目の前。どうせ死ぬのなら、多少の無茶は許されるだろうって話さ?」
黄昏の主。この世界の死の神。
ヴェルゼたち死霊術師は、その力を使うたびに、黄昏の主に自分の寿命を差し出さねばならない。それが死者を死霊を操るという禁忌を犯した代償だ。死霊術師は例外なく早死にする。偉業を成した死霊術師が長生きした例なんて存在しない。
デュナミスの言葉。『黄昏の主はもう目の前』。その言葉の、意味とは。
「お前……どれだけの寿命を差し出した?」
ヴェルゼの問いに、たくさんだよとデュナミスは答える。
「僕のせいで壊滅した町、リテュクスの町。僕は僕のせいで致命傷を負った人々に、自分の命を与えて癒した。それが僕の贖罪だと思ったから。……長生きしたいなんて思っていない。僕は僕で、自分のしたことに対するけじめをつけるだけだよ」
「……そうか」
ヴェルゼは頷いた。
「ならばその決意を無駄にしないように、一刻も早く向かおうじゃないか」
イルヴェリア山脈のふもとの町、ペナンに。
きっとそこで、追い掛けていた敵と巡り合う。
ヴェルゼは思う。偶然出会ったこの死霊術師。きっと一緒にいられる時間は一瞬だ。
それでも、それは忘れられない鮮烈な一瞬になる。
隣に感じる強い気配、力持つ同業者の気配。それは今まで感じたことのなかったもので。
ヴェルゼは不思議な高揚感と安心感を覚えていた。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.39 )
- 日時: 2020/11/25 08:58
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
ペナンの町に向かう途中、出会ったのは謎の人々。
道は左右をちょっとした崖に挟まれており、背後しか逃げ場はない。彼らは、その進行方向を塞ぐようにして立っていた。
ヴェルゼは油断なく問いかける。
「……何の用だ?」
すると、一団の先頭にいたいかつい男が声を上げた。
「おいそこのガキ! この先へ行きたいのなら、持ち物全て置いていけ! 強引に通ろうとするのならば命はない!」
「物盗りか……ったく」
ヴェルゼは冷めた目で相手を見る。
後ろのデュナミスを振り返った。
「おい。お前は後方で戦う方が得意か?」
ああ、とデュナミスが頷いた。
「僕は前衛は出来ないね」
「了解。ならば後方支援は任せたぜ」
ニッと笑って、背負った鎌を抜く。
盗人風情に従う理由などなかったし、ヴェルゼには自信があった。
ヴェルゼ・ティレイト。歳はまだ十四歳。だが積んできた経験は、普通の十四歳のそれではない。
友と思った人物に裏切られ、絶望の底に叩き落されながらも這い上がり、頼まれ屋の一員として依頼をこなす傍ら、死霊術師としての“裏”の依頼もこなしてきた。のしかかってきた運命が、彼が子供であることを許さなかった。
「強引に通らせてもらうぜ盗人さん? ガキだからって舐めてもらっちゃあ困るんだよ」
抜いた鎌を構えた。
ヴェルゼの背後、圧倒的な力が高まっていくのを感じた。やはりデュナミスの力はヴェルゼのそれを上回る。そんなデュナミスを越えてやりたいと強く思う。もしも越えられたのならば、新しい境地にたどり着けるような気がして。
ヴェルゼとデュナミスの視線が、交錯して笑い合った。
前衛のヴェルゼと後衛のデュナミス。共闘するのは初めてだが、案外良いタッグになるかも知れない。
ヴェルゼたちの姿を見て、男は溜め息をついた。
「そうか……素直に従ってくれないか……。ガキだからもっと聞きわけがいいと思ったが違うようだな? 母ちゃんに泣きついたって知らねぇぞ!」
相手の言葉に、ヴェルゼは淡々と答える。
「生憎と母はオレが幼い頃に死んでいるし、父はオレが生まれる前に死んだ」
「そうかよぉ。なら冥界で母ちゃんに詫びるがいい! 早く死んでごめんってなぁ!」
男は腰に差していた剣を振り上げた。それを合図として、他の男たちも武器を抜く。戦闘が始まった。
斬撃。先頭の男が、ヴェルゼの足を切らんと向かってくる。跳躍。最初から殺しにはくるまいと予測したヴェルゼは、軽くステップを踏んで避ける。反撃。体勢を崩した男に蹴りを喰らわせ吹っ飛ばす。今度は男が二人同時に掛かってきた。金属音。二本の剣を一本の鎌で同時に受け、手首をひねって衝撃を流す。
道は狭い。相手の逃げ道をなくす目的でこんなところを選んだのだろうが、道の狭さに影響を受けるのは相手も同じこと。道が狭いがために、相手はまとめて攻撃してくることが出来ない。ヴェルゼの鎌は大人数相手には向いていないために好都合である。
そうこうしている内に、術式が完成したようだ。ヴェルゼの背後で感じていた力が、一気に大きくなる。
ちらり背後を振り返ったら、宙に浮く灰色の魔法陣から、何かを呼び出しつつあるデュナミスが見えた。
「時間稼ぎありがとう。ふふっ、出来たよヴェルゼ。さぁ流れろ流れろ魂の炎!」
ひときわ強く、魔法陣が光り輝いて、
爆発した。
吹き飛んだ地面。飛んできた石が大地を叩く。
ヴェルゼが己の身を守れたのは、相手の術式に気がついたからだ。
「……ッ、何も注意なしに魂の灯火《ウィスプ・リュウール》なんて使うなお前!」
「君だから安心して使ったんだよ。一応信頼しているからねぇ」
文句を言うヴェルゼに、デュナミスは飄々と返す。
灰色に輝く魔法陣。そこから無数の星が生まれ、勢いよく大地に落ちていく。流れる星は地面を穿ち、抉り、砕いた。持っている武器を砕かれた相手は腰を抜かして逃げていく。
魂の灯火《ウィスプ・リュウール》。これまで捕えてきた魂を星の欠片に変換し、相手に放つという大技だ。本来、こんな盗人程度の相手に使うような簡単な魔法ではない。
だが。
「……逃げていくな」
ヴェルゼは呟く。
それは高位の魔法であるがゆえに、弱い相手に対しては放っただけでも戦いを終わらせられる可能性がある。今回はそれが功を奏したようだった。
相手に底知れぬものを感じ、ヴェルゼはデュナミスに問うた。
「なぁお前。これまでどれだけの魂を捕えてきた?」
さあね、とデュナミスは答える。
「あの死霊を呼びだしたことによって死んだ魂を全員捕えた。リテュクスはそこそこ大きな町だったし、あと二、三回は魂の灯火《ウィスプ・リュウール》を放てるくらいのストックはあるよ?」
「魂を捕えるにはかなりの力が必要だが、ずっとその状態を維持したままで平気なのか?」
「体質的にね、死霊を操る分には問題ないのさ」
「ほぅ……」
ヴェルゼの時間稼ぎは、本当に時間稼ぎにしかならなかった。
ヴェルゼは改めて、デュナミスの強さを思い知ったのだった。
さぁて、とデュナミスは言う。
「道も開いたし、先へ行こうか?」
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.40 )
- 日時: 2020/11/27 11:53
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
ペナンの町へ向かう。そこで追い掛けている死霊と出会えることを期待して。
デュナミスは左足に随分大きな怪我をしていたようで、動きが遅かった。デュナミスに合わせていたらきっと、先回りしてペナンに着くことは出来ないだろう。
「……ッ、足手纏いになって、ごめん」
申し訳なさそうなデュナミスに、気にするなとヴェルゼは返す。
「鎌を預かってくれるなら、お前を背負って進むことも出来るが?」
「それは流石に申し訳ないけれど……言っていられる状況じゃあないか。ごめん、お願い」
済まなそうなデュナミスに気にするなと返し、デュナミスに鎌を預けてから背負う。
ヴェルゼは男子にしては華奢な方でそこまでの力はない。だが背負ったデュナミスは軽く、さして気になるほどではなかった。ヴェルゼはデュナミスを背負ってそのまま進む。
ペナンの町を目指しながら、二人で色々と話をした。ヴェルゼは姉のこと、頼まれ屋アリアのことを話した。デュナミスはそれを聞きながら、優しい顔をしていた。
「いいなぁ。そんなに優しい姉さんがいるんだ。僕さ……あまり愛されなかったから。羨ましいんだよね」
「ただのお節介なだけの姉貴だがな? デュナミスは……どうなんだ。ああ、言いたくないなら言わなくて結構」
「僕はね……」
デュナミスは語る。どうやら自分は本当はアルカイオンの家の子ではないらしいこと。子供が出来なくて悩んでいた父が家の前に捨てられていた自分を拾い、アルカイオンの当主として育てたこと。けれど妹が生まれてからは、愛情を向けられなくなったこと。
「僕の使う死霊術を、みんなみんな気味悪がってた。誰も僕の本当の姿を見ようとはしなかった。だから、さ……僕は、君みたいな死霊術師に出会えて嬉しいんだ。君ならさ、僕を怖がらないでしょ? 君ならさ、死霊術のことわかるでしょ?」
ああ、とヴェルゼは頷く。
「そうだな……。ああ、わかる。日々自分に近づいてくる黄昏の主の幻影のことも、身近に感じる死の予感も。オレの場合は姉貴が、そんな力を使うオレを肯定してくれていた。だが、お前は……」
「否定の言葉しか、貰ったことはなかったんだよ」
デュナミスは明るく笑う。口にしている言葉は悲しいものなのに。
デュナミスは明るく笑う。まるで、そうすることで他の感情を封じ込めているかのように。
ヴェルゼは問うた。
「なぁお前。件の死霊を倒したらどうするつもりだ?」
「どうって……」
デュナミスは虚を衝かれたような顔をした。
やがて、いつもの笑みを顔に浮かべた。
「死ぬよ。だって黄昏の主はもう目の前だもの。何かする前に、死ぬよ? でも、もしも生き残ったとしても、あちらに帰るわけにはいかない。ああ、何処にも居場所なんてないのさ」
ならば、とヴェルゼは提案する。
彼となら、一緒にいたっていいと思った。
「なら……頼まれ屋アリアに、来てみないか?」
「え……?」
デュナミスは再び、虚を衝かれたような顔をした。
その顔が、本当の笑顔を浮かべる。
「いいのかい? 僕さ、足はこんなだしあまりお役に立てないかもしれないよ?」
「立てなくてもいい。居場所がないんだろ? 受け入れてやる。姉貴はお人好しだから、絶対にお前を受け入れるだろうし。過ごした時間は短いが……」
オレはお前と一緒の時間が楽しいんだ、と本心を述べる。
ヴェルゼは常に本心を隠す。それは自分を守るため。
だが、デュナミスにだけは、初めて出会えた不思議な同業者にだけは、明かしたっていいと思った。
デュナミスは嬉しそうに頷いた。
「……そうかい。ありがとね」
「だから生きろ。黄昏の主になんか屈するな。お前にはまだ先の人生があるだろう」
「うん……そうだね」
笑うデュナミス。
「ならば、改めて。これからもよろしくね?」
死霊を追う旅の中、二人の絆は深まっていく。
決戦の時は間近にあった。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.41 )
- 日時: 2020/11/30 09:02
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
やがて辿り着くペナンの地。町の人々は普通に暮らしている。まだ、件の死霊は来ていないらしい。安心に二人は肩の力を抜いた。
「でもね、感じるよ。あいつは確かにここに向かってる。で、あいつの目的地に僕がいる以上、あいつは僕を目指して来るだろう。準備はいいかい、ヴェルゼ。決戦の時だ」
「ああ勿論」
デュナミスの言葉にヴェルゼは頷く。
「ペナンの町には行ったことがある。奴を迎え撃つのに丁度良さそうな場所があるからそこまで行くぞ」
デュナミスを背負い歩く。
やがて辿り着いた場所は、ちょっとした広場になっていた。そこにデュナミスを下ろす。
「さて……戦闘が始まるから注意しろとみんなに言ったって、普通は信じてくれないよな? 下手なことしたら治安維持部隊呼ばれておしまいだろうしな」
そうだねぇ、とデュナミスは頷く。その灰色の瞳に、鋭い輝きが宿った。
「ならさ、治安維持部隊が来る前に決着をつければいいんだよ。――流れろ流れろ魂の炎、空を大地を穿て抉れ破砕せよ!」
「おい待てその詠唱は――」
デュナミスが天に手を掲げる。すると生まれた灰色の魔法陣。そこから無数の星が生まれ、大地に落ちて地面を砕く。轟音に気付いた町の人々は、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
ヴェルゼは思わずデュナミスに食って掛かった。
「だから! 魂の灯火《ウィスプ・リュウール》なんて簡単に使っていい魔法じゃないだろ!? っていうかあれは準備が必要な魔法だよな一体いつ準備した!?」
「まぁまぁ落ち着いて。これで他人を巻き込まないで済むようになったし、あいつも呼び寄せられるだろうから。この町に着いた時から詠唱待機状態にしてたよ? 僕なりに計画練っていたのさ」
「なら最初から言え! それならまだ対応のしようもあった!」
「驚かせてみたかった……じゃあ駄目かな?」
悪戯っぽくデュナミスは笑う。まったくとヴェルゼは溜め息をついた。
と、不意におぞましい気配を感じた。反射的に上を見る。
「来たよ、ヴェルゼ……奴だ」
そこにいたのは、全長五メルほどの漆黒の影。一見人の形をしているようにも見えるそれは、何度も収縮と膨張を繰り返し、不気味にうごめいている。ソレの目らしき部分には、白い光が宿っていた。
ヴェルゼは感じる。こいつは別格だ、と。
これまで何度も様々な死霊と対峙してきた彼だが、目の前のこいつは格が違った。死霊の発する圧倒的な威圧感に、思わず膝を折ってしまいたくなる。
ソレはデュナミスを見て、口らしき部分をくわっと開けた。喉の奥から洩れる声は喜びに満ちていた。見るもおぞましきソレは歓喜の叫びを上げて、デュナミスを抱き締めようとでもするかのように手を伸ばす。
ソレの声が聞こえる。解放されたばかりのソレの心はあまりに幼い。だが、ソレは幼いがゆえにとんでもない邪悪さを秘めていた。何も知らないソレは、ただ欲望の赴くままに、目に入ったあらゆるものを破壊する。
「君が……僕の罪」
囁くようにデュナミスが言う。
「無邪気で悲痛な声に、耳を貸した僕が悪い。優しすぎた僕が悪い。名もなき怪物よ、遠い日の死霊よ。君は君を解放した僕が倒す。だから……」
動かぬ足を動かして、抱き締めようと伸ばされた手をかわす。
灰色の瞳には、揺るがぬ決意が燃えていた。
「大人しく、葬られなよッ!」
瞬間。燃え上がるデュナミスの魔力。それは灰色の波濤となって、ソレに襲いかかる。
「加勢するぞッ!」
叫び、ヴェルゼは駆ける。デュナミスの生み出した灰色の波濤を追うように。
灰色の波濤。ソレに到達する。それは悶えるような仕草を見せたが、大したダメージではないらしい。斬撃。生まれた隙に、ヴェルゼは鎌を叩き込む。己の魔力を込めた鎌は、死霊のように実体のないものですら切り裂く力を秘める。
悲鳴。おぞましい声が響き渡る。聞いていたら頭がおかしくなりそうな声。同時、響いたのは無垢であまりに無邪気な、
『――どうして こんなひどいこと するの』
「デュナミス! 耳を貸すなッ! そいつは化け物だッ!」
「わかってるさ! 僕はもう、優しすぎた自分じゃない!」
ヴェルゼの声に応える声は、少しも揺るがないしっかりとした声。
普通の人ならばその声を聞いた瞬間に、戦意を喪失するだろう。だがデュナミスもヴェルゼもそうではない。そんな声には惑わされない。そんな叫びで揺らぐような決意ではない!
「教えてやろうか化け物! お前はッ!」
「悪い子だからねぇ! お仕置きしないとねッ?」
ヴェルゼの言葉にデュナミスが被せる。
ちらり振り向いたデュナミスの周囲には、灰色にきらめく魔法陣が浮いていた。感じたのは圧倒的な魔力。天才死霊術師、デュナミス・アルカイオンの本気が垣間見える。
デュナミスの口が開き、高速で詠唱を紡ぎ出す。
「流れろ流れろ魂の炎、空を大地を穿て抉れ破砕せよ! 悲しみの運命に嘆く魂よ、今こそその無念を解き放て! 全力解放ッ! ――魂の灯火《ウィスプ・リュウール》!」
喉も裂けんばかりの絶叫。デュナミスがこれまで捕らえてきた全ての魂が解き放たれて、怨嗟の叫びをソレにぶつける。魂の弾丸に貫かれ、ソレはおぞましい悲鳴を上げた。確実に入っているダメージ。相手の負った傷は軽いものではないだろう。
ソレは声を上げる。
『ひどいこと するなら やりかえす!』
「望むところだ! 防御式を紡ぐぞ耐えろデュナミスッ! 血の呪い《ブラッディ・カース》、闇色の抱擁《フォンセ・アンブラッス》!」
ヴェルゼは懐からナイフを取り出し、躊躇なくそれを自分の右腕に突き刺す。溢れ出た血が渦巻いて、周囲の闇を取り巻いた。やがてそれはデュナミスとヴェルゼを包み込むようにして動き出す。
驚いた顔でデュナミスが叫ぶ。
「ちょ、それ何!? 死霊術じゃないよね!?」
「独自で編みだした魔法、血の魔術だよ。オレの血液を媒介とする強力な魔法だぜ、そんな簡単には破られまい」
ヴェルゼはにやりと笑った。
血の魔術。自傷によって発動する魔法。それこそヴェルゼの最強の切り札。
それは術者の血を消費するが、その分強力である。怒り狂った死霊が拳を振り上げるが、それはヴェルゼの守護魔法によって弾かれる。
ヴェルゼは勝利の笑みを浮かべた。
「防御さえ出来れば怖くはない。一気にたたみかけ――ぐあぁッ!」
だが、油断してはならなかった。
勝利を確信したその瞬間、破られた闇の防壁。術者であるヴェルゼは吹っ飛ばされて、しばらく動くことは出来そうにない。
魔法の切れ目から見上げたソレは、無邪気な子供のように小首をかしげている。ソレはしばらくデュナミスを見ていたが、興味なさそうにして目をそむけ、倒れているヴェルゼを見た。その目が新しいおもちゃを見つけた子供のように光り輝く。
「……ッ、やめろ!」
意図を察したデュナミスが叫び、ヴェルゼの方へ駆け寄ろうとする。しかし動かない左足が邪魔をして、そのまま転んでしまった。デュナミスは必死で這って、ヴェルゼの元へたどり着こうと足掻く。食いしばった歯の間から、声がもれる。
「誓ったんだ……これ以上、僕の解放した災厄による犠牲者を増やしてなるものかって……。そのための旅だ、そのための贖罪だ! ヴェルゼを――傷つけるなぁぁぁあああああああッ!!」
叫んだ。黄昏の主に、デュナミスは強く願う。
自分の命を消費し尽くしてもしてもいいから、自分はどうなってもいいからヴェルゼを助けてと。
デュナミスが睨むように見ている先、死霊の振り上げた必殺の拳がヴェルゼに迫る。ヴェルゼは必死で抵抗しようともがいているが、そんなちっぽけな鎌ひとつでどうにかなるような威力ではないだろう。
デュナミスは、必死で叫んだ。
「させるかぁぁぁあああああああッ!!」
瞬間。
動かなかったはずの身体が、動いた。
あり得ない距離を一瞬で跳んだ。気が付いたら、デュナミスはもうヴェルゼの目の前。ヴェルゼを庇う位置に到着したデュナミスは、ヴェルゼを思い切り突き飛ばす。
ヴェルゼが驚いた顔をした。
「デュナミス! お前――ッ!」
「死ぬのならヴェルゼじゃない! 僕だッ!」
立ちふさがったデュナミスを、
死霊の拳は問答無用で叩き潰した。
ヴェルゼの目の前で、デュナミスは赤く染まった肉片へと変わる。
飛び散った粘りつく液体、むっと漂う赤錆のにおい。
「お前――ッ!」
嘘だ、嘘だろとヴェルゼの頭が現実を拒否する。死なせるものか、死なせてなるものかと死霊術師の力を呼び起こし、ぐしゃぐしゃになったデュナミスの身体を修復する。出ていった魂に必死で呼び掛ける。「死なせてなるものか」強い思いで。持てる限りの力を駆使して。
それと同時、死んだばかりのデュナミスの魂が叫ぶ。「死んでなるものか」と。それにヴェルゼの思いが重なる。「死なせてなるものか」「死んでなるものか」重なる想いは共鳴する。
だが無駄だった。戻って来はしない。失われた命を蘇生させるのなんて、神様ですら不可能なのだから。それでも願った、必死で願った。あの日口にした未来を、デュナミスと一緒に頼まれ屋アリアに戻るという未来を、何としてでも現実にするために。
そうしたら、声が聞こえたのだ。
- Re: 頼まれ屋アリア〜Welcome to our Agency〜 ( No.42 )
- 日時: 2020/12/02 00:20
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: yOB.1d3z)
――『面白い。ならばその狂った運命、一度だけ捻じ曲げてみせよう』
聞いたことのない声。それは低い、男性の声。
刹那。
光が、あふれた。死霊は反射的に目を庇う。
次の瞬間、ヴェルゼは見る。自分の隣に、淡く透き通ったデュナミスがいるのを。
嘘だと思った。奇跡なんか起きないと、ヴェルゼは良く知っていた。
それなのに。
「……ただいま、ヴェルゼ。何を呆けてんだい。一緒にあいつを倒すんじゃないのかい」
透き通ったデュナミスは、笑っていた。
理解する。そのまま冥界へ行くだけだったはずのデュナミスの魂が、奇跡のような何かによって現実に繋ぎとめられたのだと。あの不思議な声が、奇跡を起こしたのだろうと。
同時に感じる。デュナミスの強い力と、温かい魔力を。身体は死んでも、彼は今隣にいる!
今なら行ける、と確信した。
「デュナミス!」
名を呼べば。
「ヴェルゼ、僕はここにいる」
悪戯っぽくデュナミスは笑う。
「やれるか」
問えば。
「ヴェルゼと一緒なら」
強い信頼を声ににじませ、デュナミスは透けた手を伸ばす。
その手を握っても、すり抜けてしまうだけ。だがデュナミスの力は、彼が亡霊となっても確かにそこにあって。
死霊がヴェルゼたちを見た。口元に浮かぶのは無邪気な笑み。幼くして死んだ神童は、それゆえに残酷で凶悪な爪痕を残す。
ヴェルゼは胸元の笛に手を触れた。いつだって身につけている、エルナスの笛だ。ヴェルゼの故郷に通じる笛だ。ヴェルゼは相手を漆黒の瞳で見据えながら、素早く一曲奏でた。
一陣の風が吹くような刹那、流れたのは幼い子供に聞かせる子守唄。
ヴェルゼは死者を葬り、弔う役目だってある。これは彼なりの手向けのつもりだった。
低く呟く。
「眠れぬ魂よ……安らかに眠れッ! さぁ、行くぞデュナミス! 弔いの時間だ!」
「そうだねヴェルゼ。そして僕は、死んでいったみんなも弔わなくちゃ……」
デュナミスの声を隣に受け、二人で叫ぶ。
「お前と」「君と」
「「一緒なら、負けない!」」
跳躍。握った鎌に魂を込める。さっきは届かなかった。デュナミスだけでは届かなかった。けれど今はもう、一人だけの力じゃない。二人で力を合わせれば、打ち倒せない敵ではない!
斬撃。刃はあやまたず、ソレの右腕を切り落とす。絶叫。痛みに咆哮を上げる死霊。反撃。残された左腕が迫りくる。前転。前に転がって回避。相手は巨大だが、動きは単純だ。見切れぬヴェルゼではないのだ。
冷静に判断。敵を確実に葬り去るためにはどうすればいいのか。鎌を握り直して相手を睨む。自傷による傷はとりあえずは塞がったが、鈍い痛みを発している。大丈夫だよとデュナミスが寄り添った。そうだ、デュナミスがいるのならば。
「ヴェルゼ、僕は死んでしまったけれど。でも君が代わりに、僕の無念を晴らして」
囁くようなデュナミスに頷く。
そして再び、
跳躍。
自分の足元を薙ぎ払うように飛んできた左腕をかわし、さらに高くへ。実体のない相手に触れることは出来ないから、腕を踏んで更なる高みへ行くことは出来ない。だが、ヴェルゼの鎌ならば相手に触れられる。再度、跳躍。ヴェルゼは鎌を下に構え、それで相手の腕を押して反作用でさらに跳ぶ。その目の前には相手の首があった。届く、届く、今ならば届く。
「迷い惑う幼子よ――眠れッ!」
「僕の災厄よ――消え去れッ!」
絶叫。同時に放たれるのは二人分の声と。裂帛の気合。斬撃。想いを込めて振るわれた大鎌は、相手の首を切り裂いた。どう考えても致命傷だ。退避。ヴェルゼは身体を丸めて衝撃を逃がし、それでも油断なく相手を見据える。
揺れる。圧倒的な力でこちらをねじ伏せていた相手の身体。ぐらり、ゆらり、頼りなく。何も知らない無垢な瞳が、悲痛な輝きを帯びる。
無知ゆえに、無垢ゆえに多大な災いをもたらしたソレは、最後の最後にこう言った。
『――いたいよ ねぇ どうして』
「それは、何も知らないままでお前に殺された人々が言いたかった言葉だよ」
大きく息をつき、相手の言葉にヴェルゼは返す。
返しの言葉が聞こえたかどうか。致命傷を負った死霊は、光に溶けて消えていく。
ヴェルゼは大地に膝をついた。もうこれ以上、立っていられるほどの気力はなかった。
「終わった……な……」
大の字になって呟くと、終わったねと透き通ったデュナミスが返す。
「僕は死んでしまったけれど。君のお陰で旅の目的を果たせた。あいつを倒してくれてありがとう、ヴェルゼ。君がいなかったら僕はきっと……」
「それは……オレの台詞だデュナミス。一人だけでは……オレはきっと死んでいた……」
偶然出会った二人の死霊術師。何の因果か運命か、出会いは奇跡を引き寄せた。
そして。
「お前は死んだが……結局……二人で頼まれ屋に……帰れるのか」
ヴェルゼは呟く。
思い描いた未来。二人で頼まれ屋に帰りつくこと。それはどうやら現実になりそうである。デュナミスは死んで霊となってしまったけれど、奇跡の結果か、冥界には行かず地上界に留まっている。
目を輝かせてデュナミスは言った。
「僕さ、アリアって人に会ってみたいよ。ヴェルゼがあんなに話していた人なんだし、気になるねぇ」
「それよりもまず……助けを呼んでくれ。一人では……動けそうに、ないんだ」
「了解」
ヴェルゼの頼みに応じて動こうとするデュナミス。だが、騒ぎを聞きつけたのか人々が集まりつつあった。その必要はなさそうだねとデュナミスは笑った。
◇
町の人々に事情を話したヴェルゼは数日後、亡霊となったデュナミスを伴って頼まれ屋アリアへと戻る。戻る前にエルナスの笛で笛言葉を奏で、自分は無事だとアリアに伝えた。あの心配性な姉のことだ、こういった連絡は頻繁にしなければ心労でぶっ倒れかねない。
それから一週間。ヴェルゼはようやく、久しぶりの我が家の扉を叩いた。
カランコロン、ドアベルが鳴る。扉を開ければ、奥のカウンターでアリアがお客様用の笑顔を浮かべていることだろう。
「はーい、ようこそ頼まれ屋アリアへ……ってヴェルゼ!?」
いつも通りの声が、動揺を示す。ただいま、とヴェルゼは返した。
「ようやく依頼完了だ。紆余曲折あったが問題ない。それよりも姉貴、頼まれ屋アリアの新しいメンバーだ」
ヴェルゼの振り返った先、いたのは灰色の亡霊。
デュナミスが笑みを浮かべた。
「初めまして、ヴェルゼの姉さん。僕はデュナミス。デュナミス・アルカイオンだよ。これからよろしくねぇ」
「……へ?」
亡霊を見て、アリアは驚きで固まった。
数瞬後、とんでもない悲鳴が響き渡る。
「え? え……えええぇぇぇぇぇええええええええ!?」
彼女がデュナミスに馴染むのは、それからしばらくした後の話。
◇
「……そんな話があったよな」
「あったねぇ」
頼まれ屋の昼下がり。ヴェルゼと、すっかり馴染んだデュナミスは穏やかに談笑していた。ヴェルゼは追想する。一年前、死霊を追走していた頃のことを。
「なぁデュナミス。あの時、オレたちを助けてくれた声は結局何なのだろうな?」
ヴェルゼの問いに、さぁねとデュナミスが返す。
「神様の仕業なんじゃないの? 気紛れに人間と関わる神様だっているよねぇ」
「そうだな……」
ヴェルゼは頷き、そっと目を閉じる。
閉じた目の向こうでは、目的を果たしたデュナミスの、輝かしい笑顔があった。
【死霊ツイソウ譚 完】
- 【ヴェルゼ誕生祭】頼まれ屋アリア ( No.43 )
- 日時: 2020/12/02 00:25
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: yOB.1d3z)
12月2日はヴェルゼの誕生日!
そんなわけで誕生日SSを書きました。
◇
時は少し進んで。
それは、十二月はじめの穏やかな日のことだった。
「やぁ、ヴェルゼ。ちょっと二人でお出かけしない?」
悪戯っぽくデュナミスが笑った。
ヴェルゼは訝しげな顔をする。
「ん? あぁ……別に悪くはないが。いきなりどうした?」
「いいからいいから。たまには二人で行こうよ、ね?」
誘われるがままに、ヴェルゼはデュナミスと共に店を出る。吸い込んだ空気は冬の匂いがした。凛と澄み渡った外気は心地よい。
「……最近はめっきり寒くなったな」
マフラーに顔をうずめながらもヴェルゼが呟く。初雪はもう降った。本格的な冬がやってきている。
そんなヴェルゼの隣にふわふわ浮かんでいる半透明のデュナミスは、いつも通りの灰色の服に白いネクタイ。その姿は、季節が移っても変わらない。
亡霊が実体を持っているだけの存在である彼は、寒さも暑さも感じないし、食べることも眠ることもしない。寂しそうにそう言っていたのを思い出す。
「で? お出かけって、何処へ」
「何処へでも。ねぇヴェルゼ、何処か行きたいところある? 僕がついていくよ」
「お前、今日は妙に優しいな……。行きたいところ、ね。死霊術で使うアヴァラン香木が足りなくなってきたから、補充しようとは思っていたが……でも今日でなくても構わないぜ?」
「じゃ、お店に行こっか」
首を傾げるヴェルゼをそのままに、デュナミスは足を引きずりながらも進んでいく。何が何だかよく分からなかったが、とりあえず目的を果たすことにしようとヴェルゼは町の商店街に向かった。
◇
行きつけの薬草屋を訪れる。アヴァラン香木を始めとした幾つかの薬草類を買って店を出る。またお越しくださいとの声を背中に受け、商店街を進んでいく。
「用事は済んだし……帰るぞ」
デュナミスを振り返ったら、通せんぼするように立ち塞がられた。
「はぁ? 何なんだよ今日は……」
ヴェルゼは眉間にしわを寄せる。
「何のつもりだ。お前、朝から変だぞ。何だよ……もしかして店に戻ってもらいたくない何かがあるとか? 尚更不安なんだが?」
「ええっとね……」
普段はヴェルゼと腹を割って話すデュナミスにしては歯切れが悪い。
苛々して、ヴェルゼは先へ進む。するとデュナミスが実体化してヴェルゼを止めた。
「そ、そうだヴェルゼ! 何か食べたいものとかないかい?」
「ない。というか、姉貴の作るご飯以上に美味いものなどないだろ。そこをどけ」
「今、お店は準備中なんだよね……」
「準備中? 何の?」
「夕方まで待って! そうしたら話すから!」
「……分かった」
ヴェルゼは大きく溜め息をついた。
「お前がそこまで言うんだから、きっと何かがあるんだろう。仕方ない、待ってやる」
ヴェルゼが言うと、デュナミスはほっとした顔をした。
今日は特別な何かの日らしい。
何の日だったっけなと頭をひねっても、ヴェルゼにはそれが何か分からなかった。
それは、あまり意識したことのない日だったから。
◇
夕方になる。冬は日が落ちるのが早い。黄昏の光が、町に残る雪を幻想的に染め上げる。
二人で商店街をぶらついていたら、そろそろ頃合いかなとデュナミスが呟いた。
「ヴェルゼ、お店に帰ろう。アリアたちが待ってるよ」
「もういいのか?」
「うん。流石に準備終わってるでしょ」
ふわふわと、しかし足を引きずりながらも浮かぶデュナミスについていって、ヴェルゼは店に戻る。店の扉の前に立つと、デュナミスがすっと脇によけた。ヴェルゼが扉を開けなければならないらしい。
「何なんだよ一体……」
扉に手を掛けて一気に引く。すると。
「ハッピーバースデー、ヴェルゼ!」
明るい声。同時、何かの弾ける音。輝く火花がヴェルゼの鼻先を通り抜けた。
「……は?」
ヴェルゼは呆然と固まった。
いつもと同じ店、見慣れた空間、のはずだったのに。至る所に装飾がほどこされ、そこは全く違う空間のようにも見えた。金銀に光るリボン、火花を閉じ込めたガラスのランプ。来客用に複数あった机や椅子の多くは脇に寄せられ、大きな机と幾つかの椅子だけがどーんと置いてある。
アリアが明るい声で言う。
「今日、十二月二日! ヴェルゼの誕生日でしょ。忘れたの?」
「誕生日……」
あ、と思い至り頷いた。
そうだ、今日は自分の誕生日だったのだ。すっかり忘れていた。
今日のデュナミスの行動。店から連れ出し、店に帰らせようとはしなかった。それは全て、アリアたちがパーティーの準備をする時間稼ぎのためだったのだ。
「姉貴……」
「へっへーん、待ってなさい。今日はご馳走作ったんだから! ヴェルゼはその椅子に座ってて! さぁ、豪華な夕食よ!」
何か言いかけたヴェルゼに気付かず、アリアは店の奥の台所に消えていった。お手伝いします、とソーティアもいなくなる。僕も、とデュナミスまでいなくなりヴェルゼは途方に暮れた。とりあえず、言われたとおりに椅子に座る。
しばらくして。
「はーい、お待たせっ! お姉ちゃんのお祝い料理、召し上がれ!」
アリアたちが料理を運んでくる。
鶏の香草詰め、ほわほわの小麦パン、野菜たっぷりのあったかスープに川魚の塩焼きフルーツ添え。立ち上る良い匂いを、ヴェルゼは胸いっぱいに吸い込んだ。
滅多に食べられるものではない。切り分け、かぶりついた鶏は、幸せの味がした。
「美味しい? ヴェルゼ」
一緒に料理を食べながら、アリアが訊ねてくる。ああ、とヴェルゼは頷いた。
「最高に、美味い……。ありがとな、姉貴」
「お姉ちゃん、すごいでしょー?」
料理を褒められて、アリアは嬉しそうに笑った。
穏やかな時間だった。依頼ばかりの日々は楽しいこともあったけれど、忙しくもあって。あまりのんびりした時間を取れていなかったなとヴェルゼは思う。厄介な魔道具を運搬したり、新しい仲間がやってきたり。目まぐるしい日々だった。だから。
この時間を、とても愛おしく思った。
ヴェルゼは知っている。自分の命がもう、あまり長くはないこと。ヴェルゼの魔法は、己の命を死の神である黄昏の主に捧げて放つ特殊な魔法だ。そして意識をこらせば、黄昏の主が今どのあたりにいるのか、察知することが出来る。
ヴェルゼの死神はまだ少し遠い。だがこれから先も魔法を使うことをやめるつもりはない。黄昏の主との距離は近づくばかりだろう。だが、それでも。それが「ヴェルゼ・ティレイト」という人間の生き方なのだ。
幸せなひとときは、自分にあと何回残されているのだろうか。それを思うと胸が苦しくなってくる。
いつか、いつか、自分が死んだあと。アリアはこの幸せな時間を思い出して、その悲しみを癒してくれるのだろうか。
今が幸せであればあるほど、痛みを感じてしまうのは何故だろうか。
「ヴェルゼ? どうしたの?」
食べる手が止まっていたらしい。はっとなって、何でもないとヴェルゼは笑う。
いつか必ず来る「その日」。考えてしまうのは仕方のないことだけれど。でもそればっかり考えて、目の前の幸せを台無しにするのはナンセンスだ。
ヴェルゼは鶏肉と一緒に、幸せを噛み締めた。
◇
その後、アリアとソーティアの作ったケーキを食べた。ケーキは、甘いものがあまり得意でないヴェルゼに配慮したのか、甘さ控えめで食べやすかった。たくさん食べて、たくさん笑って。そして夜はふけ、眠る時間がやってくる。
「今日はありがとう。……お休み、姉貴」
「ええ! お休みなさい、ヴェルゼ」
姉に挨拶をして自室に戻る。
窓からは、澄み渡った冬の星空が見えた。
ヴェルゼは冬が好きだ。冬の、この透き通るような空気が好きだ。それに冬には希望がある。冬が終われば春が来る、という希望が。今は確かに凍えるような世界でも、約束されているのは明るく温かい未来。それがあるから冬が好きだ。
「……春になったら」
ヴェルゼは呟く。
「姉貴の誕生日が、あるな……」
その時は祝い返してやると、ヴェルゼは小さく心に誓った。
明るい春のことを思えば、確実に来る終わりへの恐怖も薄らぐような気がした。
【いつか来る春 完】
【Happy Birthday、Verze Tirate】
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.44 )
- 日時: 2020/12/04 08:57
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
【権力色の暴力】
不思議な不思議な店がある。魔法の王国の片隅に。
店の扉を開ければ、魔導士の姉弟が客を迎えてくれるだろう。
『願い、叶えます! アリア&ヴェルゼ』
看板には、そんな文言が書かれている。
◇
アンディルーヴ魔導王国、やや田舎の町リノール。
そこにある頼まれ屋アリアの噂は、いつしか国中に広がっていった。
「伝説の魔導士からの依頼をこなしたそうだ」
「災厄を未然に防いだそうだ」
そんな噂が王都でも流れるようになり、ある日のこと。
カランコロン、ドアベルが鳴る。今日も頼まれ屋アリアでの一日が始まる。
「はーい、ただいま!」
その時は偶然店の奥の方にいたアリアがぱたぱたと駆けてきて、カウンターの前にやってきた。訪れた客を見て目をぱちくりする。赤い瞳に浮かんだのは警戒の色。
「初めまして、アリア様。私、こういった者なのですが」
やってきた客はとてもきちんとした身なりの男性で、彼はアリアに身分証のようなものを見せてきた。そこに書いてあったのは、
「……フォーリン第一王子直属、ですって?」
「ええ、そうです。私は王子の命令を受け、ここに参ったのです。この店に依頼をしたいと王子が」
礼儀正しく男が答えた。
待ってよ、とアリアは頭を抱える。
有名になったということは、依頼が増えるということ。依頼が増えれば負担が増えるが、背負った借金は返しやすくなる。先のイルシアのような裕福な人間からの依頼を受ければ、その分もらえる報酬は増える。だがしかし。
相手は、王子の使者である。この国アンディルーヴ魔導王国の、次期王位継承者とみなされている王子の使者である。もしも受けるにしたってその責任はあまりに重大で。失敗したらという可能性を考えると、安易に承諾できるようなものではない。
「待って、待って、ちょっと待ってよ。王子様? ただの一般人のあたしに何故? どんな依頼よ何なのよ……」
「あなた様は類稀なる全属性使い。それゆえにあの方はあなたを、と」
困り果てるアリアに、男が静かに言う。
「端的に申します。王子はあなたを王宮魔導士にすることを望んでおります」
王宮魔導士。それはアンディルーヴ魔導王国の中では誰もが憧れる職業。
魔法至上主義を掲げるこの国にとって、王宮魔導士になるということは輝かしい未来を約束されたも同然だ。努力したって、王宮魔導士になれるのはほんの一握りの人間だけだ。そんな輝かしい申し出を蹴る人間なんて、このアンディルーヴ魔導王国にいようはずがない。
ただ、アリアの理性が「待って」と叫ぶ。ここに店を構えた理由を思い出せ。王宮魔導士にスカウトされるためじゃない。多額の借金を背負ったのは人助けのためであって、魔法を使うのは誰かを助けるためであって。確かに、王宮魔導士になれば借金なんてその給料で返せるだろうし魅力はあるのだが……。
思い出せ。
自分は、出世するために今、ここにいるんじゃない。
「……流石に急すぎましたよね」
ぺこりと男性は礼をする。
「王子も即日中に返事が欲しいとはおっしゃりませんでしたし……一晩だけ時間を差し上げます。明日また参りますので、その時までに結論を出しておいてください。――良い結果を、お待ちしておりますよ?」
ふふふと口元に笑みを浮かべ、では失礼と男性は去っていく。
悩むアリアだけが残された。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.45 )
- 日時: 2020/12/07 09:04
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
◇
「おい姉貴」
店の奥からヴェルゼが出てきた。
「アリアさん……」
「とんでもない人が来ちゃったねぇ」
その後ろからぞろぞろと、心配げなソーティア、飄々とした態度を崩さないデュナミスが現れる。
ヴェルゼが問うた。
「で? 姉貴は王宮魔導士になるのかならないのか?」
「いきなり言われたって……それに考える時間が少なすぎてあたし、どうすればいいのかわかんない」
王子の使者。迂闊な断り方をすれば、国に反逆していると取られてもおかしくはない。王宮魔導士にしてくれるという申し出は確かに魅力的だ。しかし。
姉貴は、とヴェルゼがアリアに近づいていく。黒い瞳が真っ直ぐに、赤い瞳を覗き込んだ。
「本当は、どうしたいんだ。権力とか圧力とかそういうのは抜きにして。姉貴は王宮魔導士になりたいのか?」
「……ううん」
アリアは首を振る。
「あたしはさ、この小さなリノールの町で、いつも通り穏やかな日々を送れていればそれでいいの。地位とか権力とか要らないわ。借金? そんなの自力で返してやるんだから。あたしはただ、穏やかな日々を送っていたいだけなのよ」
「なら受ける必要はない。心を捻じ曲げてまで就いた地位では長続きしないだろう」
それに、とデュナミスが割り込んだ。
「あの口ぶりだとさ、王宮が欲しがっているのはアリアだけみたいだよねぇ。じゃあヴェルゼも僕らも一緒には行かれない。もしもアリアが王宮魔導士になったとしたら、僕らとは離れ離れになってしまうね」
「それは嫌!」
アリアは叫んだ。
これまで、たくさんの逆境があった。どうにもならないかも、と思った出来事もあった。それら全て、みんながいたからこそ乗り越えられた。アリアは弱い、だからこそ。一人では生きていけないのだ。ましてや王宮などという冷たそうなところなんて、ヴェルゼの冷静さがなければ生き延びられないのではないか。そのヴェルゼだって熱くなりすぎて周りを見失うこともあるのだし。
みんな一緒だからこその頼まれ屋アリアだ。
アリアにはみんなが必要なのだ。
「ならさ、アリア。嫌なら嫌だってはっきり言いな? 心を殺してまで権力の言いなりになる必要はないさ」
デュナミスが冷たい気配を身に纏う。
「……最悪、僕が奴らを消し飛ばしてあげることも出来る。僕は死んでるけど、死ぬ前は天才死霊術師だったんだしまだ多少は力が残ってる。そして僕が反逆者になったって、そもそも死んでるんだから影響はないだろうし」
穏やかな声に秘められたのは、覚悟。
その灰色の瞳が本気を宿す。
面倒なことになりましたね、とソーティアが目を伏せた。
「このまま何事もなければ良いのですが……。わたしも権力は好きではないです。わたしの住んでいたイデュールの里は、権力者たちに滅ぼされたので」
「とりあえず。姉貴は自分の道を行け。恐れるな、怯えるな。また使者が来たっていつも通りの姉貴でいろ、いいな?」
ヴェルゼの力強い言葉に、うん、とアリアは頷いた。
それでも不安は消えなかった。
相手からの頼みを断った先、もしもひどい目に遭ったとしたら? だって相手は王宮なのだ、この国最大の権力者なのだ。何が起こるかわかったものではない。
それでも、
思い出せ、と声がするから。
不安を恐怖を呑み込んで、アリアは無理して笑顔を浮かべた。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.46 )
- 日時: 2020/12/11 09:09
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
翌日。いつもよりも緊張してカウンターの前に立つ。アリアの隣には寄り添うようにヴェルゼが立っていて、その後ろには見守るようにデュナミスが浮いている。イデュールの民は差別されかねないので、ソーティアは白いフードを目深にかぶって店の奥に待機していた。
そして。
カランコロン、ドアベルが鳴る。音を立てて扉が開く。
「こんにちは、アリア様……と頼まれ屋一同様。返事は決まりましたでしょうか?」
昨日と同じ男性が、丁寧な口調で訊ねてくる。
ええ、とアリアは頷いた。
「色々、考えたの。店のみんなで話し合ったわ。それで、出した結論は……」
勇気を出せと心が叫ぶ。ヴェルゼの手が、安心しろとでも言うかのようにそっとアリアに触れた。
アリアは、言う。
「お受け出来ません」
はっきりと。
「あたしたちは権力なんて望んでないの。ただこの小さな町で、穏やかに暮らしていたいだけなのよ。借金は自分で返す。だから」
「……それは残念ですね」
アリアの返答を聞いて、男は慇懃に頷いた。後ろを振り返り誰かを呼ぶ。
「……だ、そうですよ殿下。どうなさいますか?」
「ぼくが直々に出てこよう」
凛、とした声が響き渡る。男がすっとよけた先には、一人の青年が立っていた。
太陽のごとく美しい金の髪、赤玉石《ルビー》のごとく燃える瞳。身に纏う威厳は王のそれで。
まさか、とアリアは思った。
使者の男性は彼を「殿下」と呼んだ。その意味は。
「初めましてだな、アリア・ティレイト」
青年は、名乗る。
「ぼくはフォーリン・アンディルーヴ、この国の第一王子だ。拒否されることを見込んだうえで、わざわざここに来た」
改めてお願いしよう、と彼は言う。アリアは凍り付いたまま、動くことが出来なかった。
「全属性使いアリア・ティレイト――王宮魔導士になる気は、ないか?」
発せられる威厳。思わず「はい」と答えてしまいそうになる。
アリアの口が無意識の内に動き出そうとしたときだった。
「駄目だ」
鋭い声が、アリアを現実に引き戻した。
ヴェルゼが、アリアを守るように立っていた。黒い瞳に浮かぶのは警戒。
「姉貴、相手に気圧されるなよ? いくら相手が王子だからって、それで自分の意志を曲げるのか? 自分が正しいと思う道を進め」
「……不敬な」
ヴェルゼの言葉に眉をひそめた王子が、つかつかとカウンターに近づいていく。警戒心を強めるヴェルゼ。王子はそのままヴェルゼに近づいていき、
その頬をぶっ叩いた。
「……ッ!」
「ぼくはアリア・ティレイトに頼んでいるのだ。口をはさむな!」
「……王子だからって、好き勝手してくれるじゃないか」
ヴェルゼの顔に、冷たい怒りが浮かぶ。
ヴェルゼは静かに切れていた。その手が背負った鎌に伸びるのを見て、アリアは慌てて止めた。
「駄目よ駄目! 相手は王子様なのよヴェルゼ!」
「……フン」
鼻を鳴らし、舌打ちをしてヴェルゼは伸ばした手を引っ込めた。その目に浮かぶのは明確な敵意。
一度深呼吸して、アリアは答える。
思い出せ、と心が叫んでいた。
「弟が粗相をして申し訳ございません。けれどあたしは、王宮魔導士になる気はありません。いくら王子様のお願いであっても、これだけは……どうかご勘弁を」
「……そうか。ならばこれならどうかな?」
言って、王子が手で何かのサインを送る。すると王子の背後から数人の人間が飛び出してきて、ヴェルゼの首に刃を突き付けた。店の奥から、悲鳴。引きずり出され、首元に刃を突き付けられたソーティアが泣きそうな顔でアリアを見ていた。
冷たい口調で王子は言う。
「彼らを殺されたくなければ、王宮魔導士になるんだなアリア・ティレイト」
ヴェルゼたちを人質に取られているから、亡霊のデュナミスも迂闊には動き出せない。ヴェルゼとソーティア。どちらかを助けたらどちからかが犠牲になるのは明白だ。
「……卑怯な王子様」
アリアは唇を噛んだ。
大切な人を人質にされてしまったのならば、選択肢は一つだけ。
アリアは平和な生活を望んではいるけれど、それは大切な人たちが在ってこそ。彼らがいない頼まれ屋アリアなんて、アリアの居場所ではない。
「わかったわ。王宮魔導士になります。でも代わりに、弟たちを解放して!」
「断る」
冷たく王子は言い放つ。
「彼らには人質としての役目があるのだからな、ついてきてもらう。さてさて、王宮へようこそだアリア・ティレイト。歓迎しよう!」
半ば引っ立てられるようにして、アリアたちは店を出ていくのだった。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.47 )
- 日時: 2020/12/14 09:26
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
アリアたちは、王子の用意した立派な馬車に乗せられた。もちろん、アリアはヴェルゼたちとは引き離され、王子たちと一緒にいる。どうしても話す気にはなれなくて、アリアは終始無言だった。
馬車に揺られながらも、これは勧誘ではなく連行だ、とアリアは思う。
大切な人たちを人質に取られて。これの何処が勧誘なのだ。
ヴェルゼはきっと、自分の意志を貫き通せと言うだろう。けれど大切な人たちを犠牲にしてまで、貫き通したい意志などない。彼らを失って立ち直れるほど、アリアの心は強くない。
だから、決意する。覚悟を固める。
この先、王宮魔導士としてどんなことをやらされたって、やり抜いてみせると。ヴェルゼたちが生きているのならばそれでいいと。
その想いを、まんまと利用されたわけだけれども。
(権力は、嫌いだ)
アリアは思う。
その権力を悪用し、こういったことをする人がいる。その事実をアリアは心に強く刻んだ。ましてや今回の相手はこの国では二番目に強い権力を持つ第一王子なのである。
憂鬱な馬車旅は続いていく。
◇
やがてたどり着いた花の王都。しかし今のアリアには、その全てが灰色に見える。これからの日々、希望なんて持てない。これからどうなるのだろうという不安だけがあった。
馬車は王都の中を進んでいく。流れる景色は、これまで何度か来たことのある場所。しかしやがて、見覚えのない場所になっていく。選ばれし者しか入れない区画にやってくる。
それが、こんな時でなかったらきっと楽しめただろうに。
そして馬車はついに城へ着く。立派にそびえる巨大な城は、このアンディルーヴ魔導王国の繁栄の証。
「ようこそ、新人王宮魔導士アリア・ティレイト。ここがぼくの王宮だ」
誇らしげに王子は胸を張るけれど、そんな気分ではない。
ヴェルゼら人質を乗せた馬車は、さらに奥へ進んでいってやがて見えなくなった。
「ここから先は私が案内致します。どうぞこちらへ」
アリアの手を、使者の男性が取った。手を引かれ城の中に入る。王子はまだ他にやることがあったようで、逆方向に進んでいった。
使者の男性は落ち込んだままのアリアに優しく言う。
「どうか嘆かれますな。ここでの日々も、過ごしてみたら悪くはないものだと思えるようになりますよ? 弟ぎみたちと二度と会えなくなるわけでは御座いませんし」
改めて紹介致します、と彼は軽く一礼する。
「私は第一王子の側近にして王宮魔導士を束ねる者、ギャレット・サヴィア。得意魔法は水属性。あなた様の上司になります。これからどうぞ、お見知りおきを」
「……あたしはアリア・ティレイト。全属性魔法使いで、得意属性は炎」
「よろしくお願い致しますね」
差し出された手を、唇をかみしめたままアリアは取った。
◇
「ここがあなたたちの住処です」
ヴェルゼたちが通されたのは一つの部屋。それは立派な部屋だったけれど、部屋の入り口には外からかけられる鍵が付いている。人質がここから出られないようにするためなのだろう、窓だってついていない。
「部屋こそ豪華だが、まるで牢獄だな」
ヴェルゼが鼻を鳴らした。彼らをここに連れてきた屈強な男はそのまま聞き流す。
「何かありましたら部屋のベルを鳴らして下さい。お手洗いは部屋の奥に御座います。食事は空間転移魔法で運びます」
「運動は?」
「見張りつきでなら。ただし、逃げようとした場合は命はありません。王宮魔導士を甘く見ないことです」
フン、と再度ヴェルゼは鼻を鳴らした。
それではごゆっくり、と男は去っていく。鍵の掛けられる音、続いて何かを唱える声。この部屋は鍵と魔法とで、二重の施錠がされているらしい。
困ったことになりましたね、とソーティアが難しい顔をする。
二人は一緒の部屋だったが、それぞれのベッドの距離はかなり空いておりカーテンもつけられていた。
そうだねぇとデュナミスが頷く。
「この部屋、特殊な障壁が張られているようで亡霊の僕でもすり抜けられないし。嫌になっちゃうなぁ」
「逃げ出すことは基本的に不可能、逃げ出したとしたら命の保証は出来ないし姉貴に迷惑が掛かる、か。だから権力は嫌いなんだよふざけんな」
ヴェルゼは怒りをあらわにした。
ここに送られる途中、武器は全て没収された。鎌もナイフも失っては、ヴェルゼお得意の自傷から成る血の魔術も発動できない。亡霊が通り抜けられないということは、死者を集めて死霊術を使うことも出来ない。完全にお手上げだった。
幸い、本だけは部屋の中に大量にあるので退屈することはなさそうだったが、それにしてもである。
「これは不当だ。王宮の中に、まだまともな奴がいてオレたちを解放してくれることを願うしかない」
「でも……何も行動出来ないのは歯がゆいですね」
「仕方ないだろクソッ!」
ヴェルゼはばん、と壁を殴った。痛いだけで何かが変わるわけでもない。
頼まれ屋なんて始めなければ良かったのだろうか、とぼんやりと思った。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.48 )
- 日時: 2020/12/18 10:36
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
ギャレットに案内され、他の王宮魔導士たちに会う。その後ギャレットは用事があるとかでいなくなってしまった。居合わせた面々に恐る恐る名乗ると、皆優しげな表情で迎えてくれた。
「ようこそアリアさん。あの王子様に強引に連れてこられたのねぇ……。でも私たちはあなたを酷いようには扱わないわ。ここが新しい居場所になればいいわね」
穏やかな微笑みを見せたのはローリア・フェイツ。流れるような紫の長髪に青い瞳をした女性だった。よろしくお願いしますと小さくアリアは言う。
ローリアが説明を始めた。
「私たち王宮魔導士は、第一王子の抱える直属部隊。王子の命令に従って様々な仕事をこなすわ。あなたの頼まれ屋と少し似ているかしら? 依頼主が第一王子限定の何でも屋なの」
あなたの力は大変助かるわと彼女は言う。
「十人十色な王宮魔導士だけれど、その時その場に必要な人がいないこともあるから……。でもあなたは一人で全てまかなえる。目を付けられるのも当然よね」
つけられたくなかったのに、とアリアは心の中でこぼした。
力を持っていたせいでこんな目に遭ったのならば、力なんて要らなかった。
アリアの想いをよそに、ローリアは説明を続けていく。
「今王子から頼まれているのは、この国に時折侵略してくる小さな部隊の撃退。あなたがここに慣れたのならば、いずれ現場にも連れて行くわ。まずはあなたの実力を見極めないとね。さて、質問はあるかしら?」
ないです、とアリアは首を振る。
何も考えが浮かばなかったのだ。
では、と彼女が言った。
「今はまだ日が高い……。あなたの実力を見てみたいの。だからちょっとついてきてくれないかしら?」
はい、とアリアは頷いた。
案内されるままに、魔法の訓練場にたどり着く。
◇
「あなたの戦い方を見てみたい。今から何体か魔法生物を呼び出すわ。そいつらと戦って頂戴」
アリアは頷いた。隣にヴェルゼはいない。でもやらなければならない。
最初に現れたのは、いつかのナグィルだった。いつかシドラに嵌められて、ヴェルゼを襲った毒持つ爬虫類。ヴェルゼとの日々が頭の中に蘇ってきてくらくらしたが、何とか集中してみせる。
「……とりあえず燃やしてみようかしら。燃え盛れ、山に咲く炎の華よ!」
何も考えずに炎魔法をぶっぱなす。あの時ナグィルを倒したのはどんな魔法だったっけ、なんて考えもしないまま。
だがナグィルの鱗は炎なんて簡単にはじく。一切ダメージを受けない様子で、ナグィルはゆっくりとアリアに迫った。
ローリアが声を掛けた。
「ナグィルに炎は効かないわ! 相性をよく考えて! 全属性使いなんだから他の属性を使ってみたらどうかしら?」
「……はい」
頷き魔力を集めるけれど、
口にしたのは炎の魔法。
「燃えちゃえ! 太陽の中にある熱き炎!」
「だから、炎は効かないの! 違う属性で戦いなさい!」
言われても、言われても。反射的に放つ炎の魔法、得意な魔法。
駄目だ、とアリアは思う。ヴェルゼが隣にいないと駄目なんだ。いつも冷静なあの子が隣で指示を出してくれるからこそ、安心して戦えるのに。今ヴェルゼはいなくて、きっとどこかに囚われていて。
「風魔法を使いなさい、アリア・ティレイト!」
迫るナグィル。ローリアが叫ぶけれど、放ったのは炎魔法。弾かれ、もうナグィルの爪は目の前だ。死にたくはないけれど、無効化される炎の魔法素《マナ》しか紡ぐ気力などなくて。
死を覚悟した、その時。
「――烈風よ!」
ローリアの声。彼女の生み出した風がナグィルの鱗を切り裂き、あっという間に絶命させた。
呆然と突っ立っているアリアにローリアが近づき、指を突き付けた。
「あなた! 全属性使いでしょう! なぜ炎魔法しか使わないの!」
「……使えない」
絞り出すようにアリアは言った。
声は叫びに変わる。
「使えるわけがないじゃない! あたしは! これまでずっと、ヴェルゼと一緒だったの! ヴェルゼがいたから安心して魔法を使えたの! あたしって馬鹿だから属性の相性なんて分かんない! ヴェルゼが教えてくれたから、こうすればいいんだって教えてくれたから、あたしは戦えたんだってば!」
伝い落ちた、涙。
激情が彼女の中で荒れ狂う。
「あたしとヴェルゼは二人で一人の頼まれ屋アリアなの! なのにこうやって引き離されて! それで普通に戦えると思うわけ!? あたしはあの子がいないと駄目なのよ! それで戦えなんて無理よ!」
二人で一人の頼まれ屋アリア。辛いことや苦しいことがあった時でも、二人一緒だったから乗り越えられた。ソーティアやデュナミスの助けだってあった。一人きりだったらきっと、もっと早くに死んでいた。
いくら才能があったって、
それを活かしてくれる最高のパートナーがいなければ、
アリアはただの弱小炎使いにしか過ぎないのだ。
号泣するアリア。それを見ながらもローリアは静かに言った。
「……それでも、戦わねばなりません。それが私たち王宮魔導士なのですよ、アリアさん」
私はあなたの気持ちが分からないけれど、と彼女は言う。
「甘えたことは言っていられないのです。それを心に刻みなさい」
◇
愛する人と引き離されて、まともに戦えるわけがない。
アリアの存在は一時期期待の新人王宮魔導士として話題に上ったが、やがて彼女の話すらされなくなった。
いくら周りがけしかけても、いくら死の危険を味わわせようとも。アリアは弱い炎魔法しか使うことはなかった。それくらいならそこらの炎使いをつかまえた方が幾分かマシというものである。
そんなある日のことだった。周りから馬鹿にされ、落ち込んでまたその日を終えて、あてがわれた部屋で眠っていたアリアの元に、
風が吹いた。
宝石の瞳が、アリアを見つめた。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.49 )
- 日時: 2020/12/22 09:15
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「やぁ、囚われのお姫様。起きて。君に幸せを届けに来たよ」
囁くような声に目を覚ますと、そこには見知らぬ青年が立っていた。
闇の中で顔は見えない。男性ということはわかった。彼の周囲では何もないのに、小さな風が吹いていた。
「……誰?」
疲れ切った目で相手を見る。すると相手は悪戯っぽい声でこう言った。
「王子様」
「……は?」
驚き飛び起き、明かりとして簡単な炎魔法を使う。暗闇の中にぼんやりと浮かび上がったのは、緑色。緑色の髪が真っ先に目に入り、続いて見たのは左右で色を変える瞳。右目が青緑、左目が青。宝石のような瞳を持つその青年は、飄々とした雰囲気を身に纏っていた。
「紹介しよう。俺はアンディルーヴ魔導王国第二王子、フェンドリーゼ・アンディルーヴ。まぁたあの駄目兄貴が変なことやったって情報聞いたからさ、飛んで帰ってきたんだよね。案の定だよまったく」
無邪気に笑う彼からは、悪意なんて微塵も感じられない。
同じ王子なのに、彼はあの第一王子とは全然雰囲気が違っていた。
「俺はあんたを助けに来たんだ。まぁあんたは俺からすりゃ赤の他人だけどさ、誰かがあいつのせいで囚われているっていうのが気に食わなくって、ね」
「……ヴェルゼは?」
思わず問うたアリアに、安心しなと彼は言う。
「あっちには俺の部下が向かってる。第二王子の部下だ、引き留められるもんか。しかもこっちには魔法破壊の破術師がいるんだし、部隊の精度からしてもこっちのが上。兄貴の部隊は俺のよりは弱いぜ」
まぁ、そんなわけで、と彼は手を差し出した。
「あんたはさ、こんなところより穏やかな場所で暮らしてる方が似合う気がするんだよな。だからさ……ここを出てみない? 帰ろうぜ、あんたの家に」
「……うんっ!」
アリアは大きく頷いた。
ずっと望んでいた、いつかここから出られる日を。
王宮魔導士なんて望んでいない。ヴェルゼやソーティアたちと引き離されることなんて。
差し出された手を取れば、全身に力が巡ってくるのを感じた。
じゃあ行こう、と彼が言う。彼に手を引かれてアリアは外へ出る。
外へ出てしばらく歩いた先で、懐かしい影を見た。
「――ヴェルゼッ!」
◇
暗闇の中にあっても、見間違いようのない黒い姿。武器も返してもらったのか、背にはいつもの大鎌がある。
アリアは思わず駆け出して、黒い姿に抱き着いていた。
「ああ、ヴェルゼヴェルゼ! 本物だ! 生きてるわ!」
「……姉貴、苦しいんだが」
ヴェルゼがくぐもった声をもらすと、アリアはヴェルゼを解放した。その隣にはソーティアもデュナミスもちゃんといる。引き離された大切な人たちがちゃんといる!
ヴェルゼの側には、茶色いフードを被った顔の見えない人影が、何も言わずに立っている。第二王子の腹心なのだろうか、人影はフェンドリーゼ王子に一礼した。
「改めて、名乗ろうか」
第二王子の悪戯っぽい声。
「俺はアンディルーヴ魔導王国第二王子、フェンドリーゼ・アンディルーヴ。今回は兄貴が悪かったね。謝ったって、奪われた時間は取り戻せないんだけどさ……」
左右で色の違う瞳が、宝石のようにきらりと光る。
「まぁでも、謝らせて欲しいな。本当に、悪かった!」
頭を下げる彼に、慌ててアリアは言った。
「第二王子様のせいじゃないです! またこうやって会えましたし、大丈夫ですよ!」
「ん、そう? あー、あと俺のことはフェンでいい。呼び捨てが嫌ならフェン様でな。長い呼び名は面倒でね」
あっけらかんとした声で彼が笑った。自由な人だなとアリアは思う。
と、そこへ。
「フェンドリーゼッ!」
怒りに震えた声がした。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.50 )
- 日時: 2020/12/24 09:47
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
そこにいたのは第一王子フォーリン・アンディルーヴだった。思わず警戒するアリアたちを手で制し、フェンドリーゼは相手にずんずん近づいていく。
「こんばんは。兄上はご機嫌麗しゅう」
芝居がかった仕草で礼をする。その声は笑っていた。
どういうことだ、とフォーリンが怒鳴ると、どういうこととは? と聞き返す。
怒りをあらわにフォーリンが叫んだ。
「お前は! ぼくの大切な部下を勝手に連れ出そうとした!」
「部下なの? 本人が部下だと認めてない人を部下と呼ぶの?」
「あたしは強引に連れてこられただけよ! 弟たちを人質にされて!」
思わずアリアが叫ぶと、そういうことだねとフェンドリーゼが笑う。
「そんなやり方じゃ誰もあんたになんか従わないさ。俺はさ、こういったことが大嫌いなわけ。次期王位継承者? 知ったことか。あんたみたいなのが王になったらこの国も末だね」
「う、うるさい! 王位を放棄したお前に何が分かるか! ぼくは次の王だ、逆らうな!」
「次の王は兄貴じゃないよ。俺はもう、心に決めている人がいてね」
フェンドリーゼの言葉に、ぼくこそが次の王だとフォーリンは叫ぶ。彼は顔を真っ赤にし、自分の部下たちを呼んだ。
「お前たち! 時期王の命令だ、奴らを殺せぇっ!」
それを見て、おやおやとフェンドリーゼが眉を上げる。
「自称時期王がご乱心っと。これは弟がなだめなきゃぁ駄目なパターン?」
彼の周囲で風が渦巻く。圧倒的な風の魔力が彼に集まる。
アリアもまた身構えた。その視界の端、ごめんなさいと謝るような眼をローリアが向けた。彼女は王宮魔導士だ、王子には絶対服従しなければならないのだ。
アリアはフェンドリーゼに声を掛ける。
「ねぇ、フェン様」
「ん、何だい? 軟禁生活で疲れたろ。ここは俺に任せていいよ小鳥ちゃん」
「あたしも一緒に……戦っていい?」
その赤い瞳には強い意志。
そうだ、今はヴェルゼが一緒だ。彼と一緒ならば、訓練された王宮魔導士だって打ち倒せるような気がした。二人で一人の頼まれ屋アリアだ、今こうして揃ったのならば。
アリアの決意を見て取って、いいよとフェンドリーゼは頷いた。
「ただし……殺しちゃいけないよ。撃退目的の魔法を頼むぜ?」
「了解!」
アリアは魔法素《マナ》を組み合わせる。組んでいるのは氷の魔法素《マナ》だ。氷の大きな壁を作り、その場から撤退する方針だ。
ヴェルゼがいるから。他の属性だって思うように使える!
「さぁて始めようかぁ!」
叫んだフェンドリーゼが風を吹かせた。それは幾千の鋭い刃となって王宮魔導士たちに襲いかかる。だが相手も訓練されたもので、咄嗟に張られた氷の盾に風は弾かれる。そこへアリアが氷魔法を発動させようとした瞬間、
意外なところから声が上がった。それは普段ならば穏やかな人物の、凍えきった声。
「流れろ流れろ魂の炎、空を大地を穿て抉れ破砕せよ! 悲しみの運命に嘆く魂よ、今こそその無念を解き放て! 全力解放ッ! ――|魂の灯火《ウィスプ・リュウール》!」
瞬間。
幾つもの星が、落ちた。
真夜中の、王宮に。
穿たれた大地、爆裂した空気。吹っ飛ばされる魔導士たち、巻き込まれる第一王子フォーリン。
デュナミス・アルカイオンが、冷酷な笑みを浮かべていた。
「僕はさ……こういった奴、大ッ嫌いなんだよね。何が第一王子? 何が権力? 権力をかさにして好き勝手しやがって……」
瞬間、垣間見せられたのは元天才死霊術師の実力。死してもなお残るその力。
誰もが圧倒され、彼を見ていた。
怯えて尻餅をつくフォーリンに、デュナミスはそっと囁きかける。
「これ以上僕たちに関わるな」
そこの言葉は、魔力さえ宿しているかのようで。
あれほど偉そうだったフォーリンは、がくがくと頷いた。
ヴェルゼを止めるのはデュナミスだ。しかしデュナミスを止められるのは何処にもいない。何故なら彼は死者、恐れるものなど何もないから。
デュナミスは冷酷な表情を解き、いつもの笑顔を浮かべて言った。
「はい、撃退完了っと。あ、見せ場奪っちゃった? ごめんねぇ」
「……あんた、強いな」
フェンドリーゼが笑っていた。
「これでもう兄貴もあんたらに手出しは出来まい。俺の役割は終わったな」
ふわり、彼の周囲で風が吹く。
最後に、と彼は空を見上げた。風が吹く。それは次第に勢いを増して、アリアたちを包み込んでいく。一体何が起こるのかと不安げなアリアたちに、彼は言った。
「迷惑料。今からあんたたちを風の魔法でリノールまで運んでいく。亡霊さんは実体化してないと置いてかれるから要注意な。『風神の申し子』なんて呼ばれた俺の実力、見せてやるよ。兄貴なんて余裕で撃退できたんだけどなぁ」
風はどんどん強くなっていく。やがて。
「わぁっ、飛んだ!」
アリアは驚きの声を上げた。
アリアたちの身体が、ふわりと浮きあがっていた。
一人大地に残っているフェンドリーゼが声を投げた。
「またな、頼まれ屋御一行。結構楽しかったぜ? では御機嫌よう!」
フェンドリーゼが遠ざかる。アリアたちは空を飛ぶ。
全てが小さく見えた。空の旅なんて生まれて初めてだし、これから先もあるかはわからない。アリアは景色を思う存分楽しもうと思った。
その隣で。
「…………」
「ヴェルゼさん、大丈夫ですか?」
一人、ヴェルゼが顔を青くしていた。
彼は絞り出すような声で言う。
「地面を見ていると眩暈がする……」
その日、ヴェルゼの高所恐怖症が判明した。
「ソーティアは……平気なのか?」
はい、と彼女は大きく頷いた。
「イデュールの里があった場所が高山なんです。だから高いところから見下ろす景色は見慣れているんですよ。でも空を飛ぶなんて、流石に初めてですが……」
実体化したデュナミスも平気そうである。
悔しそうに、ヴェルゼは歯噛みした。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.51 )
- 日時: 2020/12/26 11:16
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: fMHQuj5n)
数時間後、アリアたちはゆっくりとリノールの町に着地した。着地まで丁寧である。この規模の魔法をこんなに長い間維持出来るなんて、とアリアたちは改めてフェンドリーゼのすごさを実感した。
店の扉を開けて、アリアは大きな声で叫んだ。
「たっだいまー!」
久しぶりに帰って来た店。帰って来ると、ああここが自分の居場所なんだなと実感する。王宮なんてきらびやかなところ、似合わない。ましてやヴェルゼと引き離された状態でなんて。
王宮は一度関わってきた。フェンドリーゼは極力向こうが関わってこないようにすると言ってくれたが、どうなるのかは分からない。これ以上この町にいたら危険かもしれない。しかし借金を返し終わってはいない。
「……ひとまずは、借金問題が解決したら今後のことを考えましょうか」
ずっとずっとリノールにいたいと思っていた。しかし状況によってはこの町を出ることも考慮せねばならないだろう。そして。
「デュナミス」
ヴェルゼが透明になろうとしていたデュナミスに声を掛けた。
「穏やかなお前があそこまでキレるなんて珍しい。理由を聞かせてもらえないか」
「……思い出した、んだよね」
デュナミスが顔をしかめつつ答えた。
「ほら、前に言ったろ。僕は貴族の家アルカイオンの息子だけど、本当は養子だったんだって。ある時僕は拾われたんだって、そんな話」
「拾われる前のことを、思い出したのか?」
「うん、少し」
僕はどこかの王族だったはず、とデュナミスは言う。
「そこはとても良いところだった。でもね、当代の王がすっごく嫌な奴で……何か、酷い目に遭ったような気がする。だから僕は王族が好きじゃない」
「貴族かと思ったら王族かよ? すっごい生まれだな」
「ん……でも記憶が曖昧で。どこ出身かは思い出せないなぁ」
分かっているのは、王族の彼が昔、王族によって酷い目に遭わされたということ。フォーリン王子のやったことは、その時のデュナミスのトラウマと似たようなことだったのだろうか。だから彼は珍しく、あそこまで怒りをあらわにしたのか。
権力は暴力と相通ずる。それを忘れてはならない。
分からないことはまだ多い。頼まれ屋アリアの中でも問題は山積みだ。借金は返さないとならないし、シドラとの因縁も決着がついていないしデュナミスのことも、ソーティアの故郷のこともある。ソーティアはいずれ故郷に戻ってみたいですとも言っていた。
やることは、やらねばならないことはあまりにも多い。だがひとまずは。
「頼まれ屋アリア、依頼再開しました……なんてな?」
日常に戻って来られたことを、喜ぶべきだろう。
それから数日間は、アリアがヴェルゼに対してとても過保護になり、鬱陶しくなったヴェルゼが家出してしばらく戻って来なくなったのは別の話である。
【権力色の暴力 完】
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.52 )
- 日時: 2020/12/28 17:33
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: oKgfAMd9)
【黄昏のアムネシア】
不思議な不思議な店がある。魔法の王国の片隅に。
店の扉を開ければ、魔導士の姉弟が客を迎えてくれるだろう。
『願い、叶えます! アリア&ヴェルゼ』
看板には、そんな文言が書かれている。
◇
カランコロン、ドアベルが鳴る。今日も頼まれ屋アリアの一日が始まる。
「はーい、いらっしゃいませー!」
アリアは元気よく答えた。
やってきた客は茶髪の青年。青い瞳が不安に揺れている。
「黄昏の時だけ現れるという、ある町に」
彼は言った。
「俺の大親友が行ったきり帰ってこないんだ。あんたたちにはあいつを連れ戻してほしいんだよ」
そこは魔性の町なんだ、と彼は語る。
「『黄昏の町』アムネシアは訪れた人間に幸せの幻影を見せて惑わし、町から出たくないと思わせる。ある日の黄昏、偶然俺たちは迷い込んだ。俺は自分で何とか幻影を断ち切って町を出たが、あいつはそうはならなかった」
「黄昏の町、ねぇ……聞いたことあるよ」
デュナミスが口を挟んだ。
「あれは……何だっけ。人々の抱く幸せへの思いと夢が集まった町。そこは人の思念が集まりやすいとかそんな話を聞いたなぁ」
行くなら自分も幻影を断ち切る覚悟をしないとねとデュナミスは言う。
でもさ、とアリアは客に赤い瞳を向けた。
「あなた困ってるのよね?」
「ああ……そうだけど。あいつ、俺の大親友だからさ……」
「ならば助けるのが頼まれ屋アリアよ! 危険な町? 幻影の町? 行ってやるわそんなところ」
人間を連れ戻すだけなんて、これまで受けてきた様々な依頼に比べれば簡単なことだ。アリアはいつもの台詞を口にした。
「頼まれ屋アリア、依頼、承りました!」
◇
男から対象の外見や簡単な過去の話などを聞く。対象の名はルィス。依頼してきた青年オーウェンとは幼馴染で、いつも二人は一緒にいた。
しかしある日、ルィスの家族は故郷の村にやってきた熊によって皆殺しにされ、ルィスは熊に復讐するために猟師になることを固く誓った。オーウェンは戦士になることを望んでおり、その日から二人の道は分かれた。けれどそれでもよく会っていたし、絆が崩れることはなかった。
ある日偶然再会した二人は喋りながらも街道を歩いていた。そして迷い込んだのが黄昏の町。そこでルィスは死んだはずの家族の幻影に囲まれて動けなくなった。悲劇的過去を持たなかったオーウェンは辛うじて町を出られたが、彼の前にも幻影は現れた。それは彼の憧れている人の姿をしていた。
自分の幻影を振り払うので精いっぱいだったオーウェンは、もうルィスを連れ戻す気力なんてない。だからアリアたちに頼ったのだった。
よろしくな、と頼んでいなくなったオーウェン。アリアが彼を見送っていると、店の奥からヴェルゼが出てきた。
「で、勝算は」
「んー……わかんない」
アリアは難しい顔をする。
「幸せだった日々……確かにあるわ。エルナスの町でのあの日々がもしも目の前に出てきたら……」
迷うなよ、とヴェルゼが鋭い声を投げる。
「それは過ぎ去った過去なんだから。いくら幸せな過去であっても、もう二度と戻って来はしないのだから、な」
「ヴェルゼは強いよね……」
「安心しとけ」
不安そうなアリアを見て、ヴェルゼが言った。
「もしも姉貴が幻影に惑わされても、オレが必ず救い出す。町に入ったら手を繋ごう。その手を絶対に離すなよ」
「……うん、わかった」
「幸せの幻影、ですか……」
そんなやり取りを見ながらも、ソーティアはひとり呟いた。
頭に浮かんでいるのは、滅ぼされる前の故郷の里。あの日々に戻りたいと何度も思い焦がれた戻らない日々。
「……ううん、今のわたしの居場所はあそこじゃない」
思い出を振り払うように頭を振った。
「アリアさん……わたしはね、ここでも幸せを見つけられたんですよ。波乱はあるけれど、ここもまたわたしの居場所になりました」
誰にも聞こえない声で、小さく呟いた。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.53 )
- 日時: 2021/01/01 19:24
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: 9j9UhkjA)
翌日。リノールの町から旅立ち、黄昏の町アムネシアへ。町はそこまで遠い場所にない。比較的簡単にたどり着いてしまった。
その町は、どこか郷愁漂わせる赤レンガで作られていた。切り出した石を使った建物が多いこの国では、レンガなんて滅多に見られるものではない。近くに良質な土の採れる場所があるのだろうか。
濃密な魔力の気配を感じる町だった。普通の町ではないということがよくわかる。
「ここにルィスさんがいるのよね?」
アリアがヴェルゼを振り返ると、ああ、と彼は頷いた。
「らしいな。見た目の特徴は覚えたか?」
「ぼさぼさの茶髪は左目を隠していて、頬には大きな傷跡。身長は低めで、見えている右目の色は緑……だよね?」
「割と特徴的な見た目らしいし、すぐに見つかることを期待する」
さぁ行こうか、と差し出された手をアリアは握る。
たとえ幸せの幻影に惑わされたとしても、手を繋いでいればきっとまだまともでいられる。
「わたしも……いいですか?」
恐る恐る問うたソーティアに、当然とアリアは笑いかけてヴェルゼと繋いでいない方の右手を差し出した。
意識して実体化しないと手を繋げないデュナミスは、ただふよふよと浮いている。
そんな彼を見てヴェルゼが声を掛けた。
「オレの左手は空いてるぜ、デュナミス?」
「いや、いいさ。わざわざ実体化するまでもない。何かあった時のために力は温存しておくべきだろう」
申し出に彼は首を振った。
準備はいいわね、とアリアが言う。
「行くわよ……」
覚悟を抱いて町に踏み込んだ。
途端、
「わっ、何これ!?」
目の前を覆ったのは謎の霧。それは隣に立つ人の姿さえも朧げにする。
だが、繋いだ手がある。その感触が、自分は一人じゃないと教えてくれる。
霧の中でアリアは見た。
「……とうさ、ん?」
遠い記憶の中にしかいない父親を。ヴェルゼが生まれてすぐに死んでしまったために、ヴェルゼの記憶の中にはいない父親を。彼は死んだ母親の手を繋いで、霧の向こうからこちらを見て笑っていた。
かすかな記憶。優しい父親だったのを覚えている。不器用に抱きしめてくれたあの感触を覚えている、力強い手を覚えている。
それはアリアがまだ、自分というものを確立させていなかった頃の、遠い日々の記憶。アリアの最初の記憶は、この父親の大きな手だった。
予想外だった。エルナスの町で過ごした日々の記憶が来ると思っていた。そのための覚悟をしていたのに。
「おとう、さん……」
呟いた。
ほんの少ししか会えなかった父親との思い出に、涙がこぼれる。
両親は赤ん坊のヴェルゼを抱いて、アリアを手招きしていた。アリアはふと自分の姿を見る。アリアは幼い少女の姿になっていた。
呼ぶ声が聞こえてきた。
――アリア、探していたんだよ、心配したよ。さぁおいで。
その声に導かれるまま、繋いだ手も忘れて手を離して駆けだそうとした刹那、
「しっかりしろ姉貴ッ!」
ヴェルゼの鋭い声が、現実に引き戻した。
霧に覆われて姿は見えない。ただ、彼は隣にいる。手はまだ離してはいない。
鋭い声が、言う。
「何を見たのかは知らないがな……ミイラ盗りがミイラになってどうする? そんなもんただの幻影だ! 惑わされるなよ?」
ヴェルゼの声に、幻影は消えていく。大好きだった両親は、アリアに背を向けていなくなる。思わず呼び止めたくなった。あたしを置いていかないでと叫びたくなった。本当はずっと一緒にいたかったのに、父も母も早くに亡くなってしまった。そんな二人が目の前に現れて、正気を保てるはずがない。
アリアは思い知る。自分にとっての「本当に幸せだった日々」は、エルナスの町で幼馴染のカルダンやシドラらと一緒に遊んでいた日々ではないのだと。それよりもっと昔の日々だったのだと。
「あたし、は……」
ぐっと唇を噛み締めた。噛んだそこから血が流れるまで。鮮烈な痛みがアリアを現実に引き戻す。そうだ、そうだ。もうみんなこの世にいないのだ。思い出せ。そして何よりも。
「あたしは……頼まれ屋アリアなんだからッ! 邪魔しないでよッ!」
幸せな思い出。それと戦うことを決意する。心を奮い立たせ炎を呼び出し、幻影に思いっきりぶっつけた。
「あたしは! あたしは! 父さんにも母さんにも死んで欲しくなんかなかった! でも、でも、今は確かに楽しいんだから、それは真実なんだからっ! 邪魔しないでよ――あんたたちなんか、消えちゃいなさいよ!」
叫んだ瞬間、
霧が晴れた。赤レンガの町が目の前に広がっているのが見える。
そして気付く。
「ソーティア……ちゃん?」
彼女の手の感触が、なくなっていることに。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.54 )
- 日時: 2021/01/04 13:19
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: 6Z5x02.Q)
ソーティア・レイはただ、呆然としていた。
覚悟はしてきた。それなのに、やっぱり無理だった。
人間たちに滅ぼされた故郷。焼き払われ、阿鼻叫喚の地獄となった町でソーティアは、これまで過ごしてきた全てを失った。そこで過ごしてきた日々は、何にも代えがたいかけがえのない日々で。
いくら頭でわかっていても、心で割り切れようはずもないのだ。
「お姉ちゃん……ルーシア……」
ソーティアは大切だった姉と妹を呼ぶ。
「リェレンさん……アーシュくん……リィラおばさん……」
いつも自分を可愛がってくれた近所の青年、自分に懐いていた子供、たくさんのことを教えてくれたおばさんを呼ぶ。彼らは皆、霧の向こうにいた。霧の向こうで、ソーティアを呼んでいた。
繋いだ手の感触。でも、それさえもどうでもいいやと思えてしまった。頼まれ屋アリアでの日々は所詮、そんなものでしかないのだと心が言う。
それよりも。
「みんな……会いたかった……」
取り戻そうとしたくたってもう絶対に取り戻せない幸せがそこにあった。
こらえきれず、手を離して、ソーティアは幻影に向かって駆けだした。理性はもうそこらに置いて、ただ感情だけで動いた。
穏やかな霧が、そんな彼女を包み込んでいく……。
◇
「……ったく、行方不明者を増やしてどうする」
ヴェルゼが毒づいた。
彼の腕には大きな傷。どうやら自分を傷つけて、その痛みから強引に現実に戻ってきたものらしい。自傷による魔法を放つ彼らしい方法ではある。現に、アリアは自分の唇を血が出るまで噛むことで現実に戻ってきている。
「あたしさ……ちっちゃい頃に死んじゃった、父さんと母さんの幻を見たのよ。ヴェルゼは何を見たの?」
アリアは問う。そうだな、とヴェルゼは頷いた。
「予想通りさ、エルナスでの日々だよ。姉貴もオレもカルダンもシドラもさ……みんなみんな笑ってやがるんだ。あれほど憎いシドラとの日々が、まさかオレの中で美しい思い出になっているだなんて……あんなものに騙された自分が嫌になるね」
吐き捨てるように彼は言った。まぁまぁと笑うデュナミス。彼もまた無事だったようで、アリアはほっと胸をなでおろした。
で、とヴェルゼがアリアを見る。
「ソーティアと依頼人、どちらを捜す? 言っておくが、二手に分かれるのはナシだ」
「あ! それよりも」
いいこと思いついた、と手を叩く。魔法素《マナ》を即席で組み上げて、作った式に破壊の力を加えるべく詠唱を開始する。
「吹きわたれ、谷をめぐる涼風よ! たゆたう惑いを吹き払い、現実への道、ここに示せ!」
途端、
びゅうっ、と強い風がやってきて、町に残った霧を物理的に吹き飛ばしていく。成程なと感心したようにヴェルゼが頷いた。
町の奥。まだ霧に閉ざされた区画があった。そこにみんないるだろうと思って、この魔法を使ったのだ。
この町は霧に閉ざされてさえいなければ、見晴らしの良い町だ。そしてソーティアの白い姿は、赤レンガの町の中ではよく映える。
彼女はすぐに見つかった。
「ソーティアちゃん!」
叫んで駆け寄った。彼女はただ呆然とした表情で突っ立っていた。
「ソーティアちゃん! あたし、心配したんだからね?」
アリアが声を掛けると、首を傾げて彼女はこちらを見た。
「あなた……誰ですか?」
「…………は? ソーティアちゃん、今、何て?」
驚き問うと、ソーティアは虚ろな瞳でこちらを見、言うのだ。
「わたしはね、ここで楽しく暮らしているんですよ。あなたのことは知りませんが……そうです、案内して差し上げますね。ここがカディアス、イデュールの民の秘境です」
瞳は虚ろだが声は楽しげに、彼女はおかしなことを言う。
「……夢と現実の境が分からなくなってるな。あの霧に抗えなかった場合、こうなるのか」
「冷静に解説している場合じゃないでしょヴェルゼ! 何とか出来ないの?」
「物理的な方法で構わないか?」
アリアの返事も待たず、ヴェルゼは虚ろなソーティアに近づいていく。
そして、
その頬を思い切り張った。
ばしん、と大きな音が響く。殴られたソーティアは驚いた顔をしていた。
「……いつまで夢に囚われている」
低い声でヴェルゼは言った。
「お前は頼まれ屋アリアのソーティアだろう。ここに居させてほしい、とお前から依頼したんだろうがッ!」
「頼まれ屋、アリア……」
赤い瞳が焦点を結んでいく。
そうよとアリアも叫んだ。
「最初はヴェルゼがあなたを遠ざけたけどさ、最終的にあなたがみんなを助けてくれたんじゃない! 店の一員になれたって喜んでいたじゃないの! 思い出してよッ!」
「……わたし、は」
はっ、と驚いた顔をソーティアがした。その目が驚きに見開かれる。
「わたしは……頼まれ屋アリアのソーティア・レイ……」
「ようやく思い出したか。ったく、手間かけさせやがって」
ごめんなさい、とソーティアが謝る。
「わたしには……無理だったみたいです。役立たずで、それどころか足まで引っ張ってしまって……ごめんなさい」
「別に平気よ。ソーティアちゃんが無事でよかったわ。ここで受けた心の傷は、少しずつ癒していけばいいの」
アリアはそっとソーティアを抱きしめた。
その様子を穏やかに見守っていたデュナミスが、言う。
「さて、みんな見つカったし今なら霧も晴れてるし。依頼人を捜しに行こうカ」
「デュナミス……?」
その声の調子が少し変だと気付いたのは、ヴェルゼだけだった。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.55 )
- 日時: 2021/01/06 12:44
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
依頼人は見つかった。彼もまたソーティアと同じように、現実がわからなくなっているようだった。アリアたちでは彼を現実に戻せるような言葉を掛けられない。だから何とか説得して、一緒に町を出てもらうことにした。
その後は簡単だった。オーウェンを呼んできてルィスに会わせ、オーウェンの言葉と拳でルィスは正気に戻った。二人は固く抱き合って、アリアらに感謝の言葉を伝えた。報酬としてもらったお金はそこそこの額で、目標金額にまた一歩近づいた。
「頼まれ屋アリア、依頼、完了しました!」
いつもの笑顔で、アリアは決め台詞を口にした。
そして戻ってくる日常。あの町で皆、心に傷を負った。それぞれ、本当に戻ってきて欲しい日々はいつだったのかを思い知った。
「デュナミス」
ある日ヴェルゼはデュナミスに声を掛けた。
何、と応えるその声の調子は、相変わらず何かがおかしい。
ヴェルゼは、問う。
「お前……あの霧の中で何を見た?」
「……何かおかしいの、ばれちゃったかぁ。君に隠し事は出来ないね」
笑うデュナミス。しかしその笑みはどこか不自然で。
分かっちゃった、と彼は小さく呟いた。
「僕のこと。僕の出自、僕が何者なのか。アルカイオンの家に来る前の日々をあそこで見た。それはさ……思わず涙が出てしまいそうなほど幸せな記憶だったんだ。まぁ確かにね? 姉上にいじめられたこともあったけど」
その灰色の瞳は、ヴェルゼの知らない遠くを見ている。
デュナミスは、言う。
「ねぇヴぇルゼ」
相変わらず、おかしな声で。
「僕の正体が誰であれ、これまで通り普通に接してくれるかい?」
「は? どういうことだよ。というかお前の正体は何なんだよ? 分かったんなら教えろよ!」
「教えない」
デュナミスは首を振る。
「ただ……そうだね。『デュナミス』って名前は僕の本名じゃなかったよ。あの頃の僕は、違う名前で呼ばれていたみたい」
「…………」
驚きのあまり、ヴェルゼは固まってしまった。
これまでずっと一緒にいた友人。その告白を聞いて。
安心してよとデュナミスは言う。
「僕の正体が何であれ……でも僕はずっと君の傍にいるよ。あそこに戻る気はないし。話せないのは……ちょっと今話したら面倒なことになりそうだから」
でもこれからもよろしくねぇと、彼は透き通る手を差し出した。触れられないその手を、ヴェルゼは握る振りをする。
黄昏の町、アムネシア。それは内なる願いをあらわにさせる町。町の生み出す幻影の中に浸っていれば幸せだろうけれど、それは同時にどこまでも残酷なことでもある。
叶わないとわかっている夢の中で、それを現実だと思い込ませられて生きる。
魔性の町だなとヴェルゼは思った。町の中には人っ子一人いなかったが、こんな環境で人が住めるわけもないのだし頷ける話である。
デュナミスに関しての謎は増える一方だ。しかし追及しても答えてはくれないようだ。時が来たら分かる日も来るのだろうか?
こうして、ひとつの依頼は終わったのだった。
【黄昏のアムネシア 完】
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.56 )
- 日時: 2021/01/08 08:55
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
【運命を分かつ白双】
不思議な不思議な店がある。魔法の王国の片隅に。
店の扉を開ければ、魔導士の姉弟が客を迎えてくれるだろう。
『願い、叶えます! アリア&ヴェルゼ』
看板には、そんな文言が書かれている。
◇
カランコロン、ドアベルが鳴る。今日も頼まれ屋アリアでの一日が始まる。
「はーい、ようこそ頼まれ屋アリアへ!」
アリアは元気よく客を迎えた。
やってきたのは、白いフードをかぶった人物だった。顔はよく見えない。フードの隙間から、白い髪が零れ落ちているのが見えた。体格は華奢で、男性にも女性にも見える。
「こんにちは」
フードの人物が声を掛ける。柔らかな声音。声からして男性とわかる。
「僕の名前はフィード。イデュールの民です。フードをかぶっているのはそのためだと理解してほしいですね」
イデュールの民。その言葉を聞いて、ソーティアが店の奥から出てきた。
フィードと名乗った青年は、ソーティアを見て驚いたような声を上げる。
「おや、ここにも同族がいたのですね。ああ、でも話は聞いたことがあります。あなたがこのお店の居候、ソーティア・レイ……と。ああでも面識はありません。完全に初対面ですね」
お願いがあります、と彼はアリアの方を向いた。
「人間たちに、僕の大切な仲間が捕まってしまったんですよ。あなた方には彼を助けてもらいたくてね? もちろんお礼は弾みます。お願いできますかね?」
成程、とアリアは頷いた。
しかしこれは難しい問題でもある。
そのイデュールを助けた結果、こちらが普通の人間たちに目をつけられたら? そうしたらいつも通りに店を営業できなくなる可能性もある。今回の依頼に関しては、営業のリスクがあった。
だが、困っている人がいれば放っておけないのがアリアだ。
「わかったわ……引き受ける! 頼まれ屋アリア、依頼、承りました!」
「あなたならそう言ってくれると思っていましたよ」
フィードは、フードの中でふふふと謎めいた笑みを浮かべる。
賛成はできないな、とそれを見て店の奥からヴェルゼが出てきた。
「今回の依頼にはリスクがある。怪我とかそういったのとは別の、な」
「でしょうねぇ。ああ、ならこれで納得してくれますかね?」
不信感をあらわにするヴェルゼを見て、フィードは胸元から何かを取り出した。それは笛だった。その笛は、
「エルナスの、笛――!?」
追放された故郷の特産品。それを何故持っている?
困惑する一同。フィードはそのまま笛を奏で始める。
流れたのはエルナスの音楽。エルナスに住んでいた者しか知らないはずの、特別な音楽。
「お前――何者だ?」
「知りたければ、依頼を受けて下さいよ」
飄々とした態度でフィードが返す。
ヴェルゼは大きく溜め息をついた。
「……わかったよ。受ける。で? 捕らわれたそいつはどこにいる」
「イノシアの森まで同行願えますか? ああ、出来れば今から。大切な仲間です、すぐにでも助けたいので。僕じゃ戦えないんですよ」
アリアは複雑な表情を浮かべた。
「……わかったわ。準備する」
相手がどんな人物なのかはまだわからない。不信感だってもちろんあるが、依頼を進めなければどうせ何も分からない。
「そこに机と椅子があるでしょ。ちょっと待ってて」
言って、アリアは自分の部屋のある二階へ向かった。その後をヴェルゼとソーティアが付いてくる。
そんな皆を、フィードが面白がるような目で見ていた。
「……君は何者なんだい?」
亡霊ゆえに準備する必要のないデュナミスが問うが、「どうでしょうねぇ」とフィードははぐらかすばかり。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.57 )
- 日時: 2021/01/12 09:28
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
急いで支度をして一階へ戻る。イノシアの森。そこはいつか出会った同業者、絡繰人形館のイヅチのいる町の近くの森だ。そこにイデュールの民が捕らわれているというのか。
イノシアの森で事件が起きているのならば、イヅチたちに頼むのが筋だろうに。彼もまた優れた実力者であるのはよく分かっている。
そんな思いを抱きつつ。
「準備できたわ。行きましょう」
アリアはフィードに声を掛ける。
ありがとうございますとフィードは頭を下げた。
鋭い目で、ヴェルゼがフィードを睨む。
「怪しい真似をしたら殺す」
「嫌だなぁ。僕はただの無力なイデュールなのに。戦えない僕には怪しい真似なんて出来ませんってば」
困ったようにフィードは笑った。だが、油断してはならないとヴェルゼは自分の心に刻む。
目の前のフィードからは、シドラと同じようなにおいを感じたのだ。
◇
フィードに案内されてイノシアの森へ着く。
鬱蒼と茂った森の奥、縄に縛られている白フードの人影が見えた。
「この人が……?」
アリアが問うと、縛られていたはずの人影は縄を振りほどき、アリアにずいっと近づいた。
「やぁ、久し振りだねアリア」
人影が頭を振ると、被っていたフードがはらりと落ちた。
そこにあった顔は、忘れもしない、
「――シドラッ!」
「おおっとぉ、ここは森だ、炎はご法度だよ?」
反射的に魔法を使おうとしたアリアの手に、どこからか飛んできたブーメランがぶち当たった。それを投げたのはフィードだった。シドラはフィードの方を向き、嬉しそうな顔をした。
「ありがとうね兄さん。やっぱり兄さんは騙すのが上手いなぁ。ボクじゃさ、警戒されちゃうから助かったよ」
フィードが無言でフードを外す。現れた顔はシドラと同じ顔だった。
兄さん。シドラの言葉にアリアは思い出す。
よそ者のシドラがエルナスの町に来た時、彼は一人ではなかった。彼の双子の兄も一緒だった。けれど双子の兄フィドラは身体が弱くて、滅多に外に出ることはなかった。だからアリアたちはその存在を忘れていることが多かった。
けれど彼は確かにいた。確かに、あの町にいたのだ。
盲点だった。
「お察しの通り、僕はフィドラ・アフェンスクです。騙してしまって済みませんね」
悪びれもせずに、フィードと名乗っていたフィドラが答える。
貴様、とヴェルゼが彼に飛びかかろうとするが、
「あたいの仲間に手を出すなっ!」
割って入った人影があった。金属音。ヴェルゼの鎌は人影の持っていたナイフに弾かれる。
それは少女だった。短く切った赤い髪に、野生の獣のような鋭さを宿す赤い瞳。身に纏うはところどころ汚れた、白のワンピースに革のサンダル。
そんな彼女は、左胸から赤い薔薇を咲かせていた。それは異様な姿だった。
「あたいはローゼリア・イヴ・レンツィア。シドラたちは恩人だよ。手を出すことは許さない」
獣のような双眸が、ヴェルゼを睨み据えた。
はぁ、とアリアは溜め息をつく。
「わかった、わかったわよ。ヴェルゼも殺意をおさめなさい。で? 何が目的なの?」
「和解しないかって話さ」
「絶ッ対にお断りだ!」
シドラを、ヴェルゼが鋭い瞳で睨む。
「和解だって? ハッ、何を今更。人を裏切って居場所奪った奴が何言ってやがる。用件がそれだけなら帰っていいか?」
「まぁ待ってよ。話を聞いてくれるかな?」
シドラがローゼリアと名乗った少女に目配せをした。すると彼女が頷き、胸に咲き誇った薔薇から妙な香りが漂い始める。それを吸ってしまったアリアたちは、身体が動かなくなるのを感じた。
「簡単な麻痺毒だよ。話を聞いてくれるまで逃がさない」
ローゼリアが言った。
アリアは大きなため息をつく。
「はぁ……仕方ないわね。話だけ聞くわ。でもその後であたしたちがどう動こうが、文句言わないでくれる?」
「ふふ、約束しよう」
満足げにシドラが頷き、語りだす。
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.58 )
- 日時: 2021/01/15 08:57
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「この世界は……理不尽だと思わないかい?」
シドラの赤い瞳に、仄暗い感情が宿る。
「だってさ、ボクらさ、イデュールだってだけで差別受けてんだぜ。馬鹿みたい。イデュールに生まれたことがそこまで罪なことなのかい? 人間たちから酷い目に遭わされるたびにさ、何度も何度もそう思った。そしてそんなボクたちがいくら頑張ったって、人間たちには認められない。そこの」
彼は不安げな目で自分を見ているソーティアを指さした。
「彼女だってさ。今こそ頼まれ屋アリアで良い待遇を受けてるみたいだけど? 店から出たらどうなるかなどんな扱いをされるかな? ああ、やっぱり世界は理不尽だ」
シドラの言葉に、ソーティアはぐっと唇を噛み締める。
そう、アリアたちが特別だっただけだ。普通はイデュールの民なんて、
誰も受け入れてはくれないのだ。
ただ、イデュールとして生まれただけ。それなのに、のし掛かるは圧倒的理不尽。
だからさ、とシドラは続ける。
「ボクと兄さんは決めたんだ、この世界に爪痕を残そうって。さんざん馬鹿にされてきたイデュールでも、誰かの心に残ることは出来るって証明したかった。たとえそれが――憎しみという形でも」
「だからオレたちを騙して追放させたのか?」
鋭い目でヴェルゼが睨む。
ああそうだよと頷いた。
「だって……どうせさ、何か善いことをしたって、『イデュールだから』って理由だけでそれをなかったことにされる社会だぜ。ならさ、自分たちの生きてきた証を残すなら、憎しみとか消えない傷とか、悪い感情で塗り潰すしかない。これはボクたちの挑戦なんだよ――」
で、とヴェルゼがシドラを睨む。
「お涙頂戴な話をありがとう。お前たちの事情はわかったが、そんなことで傷が消えるか。犯した罪が消えるわけじゃないんだ。和解だって? 寝言は寝て言えよ。誰が貴様なんかと」
「ソーティア・レイ」
ヴェルゼを無視し、シドラは真剣な瞳でソーティアを見た。
その鋭い眼光に射抜かれて、ソーティアの身体が固まる。
シドラは彼女に手を差し出した。
「キミのだけ毒は解いた。ねぇキミ。同じイデュールなら分かるだろう? ボクらの悲しみや憤りが、感じてきた理不尽が。人間と一緒にいたってキミは幸せになれないよ。ならさ……ボクらと一緒に来ない? ローゼリアもさ、胸に咲いた花のせいで外れ者だ。ボクたちと一緒にさ、この世界に爪痕を残さない?」
「…………お断り、します」
うつむき、ソーティアは差し出された手を払った。
「わたしには助けてくれる人間がいた。でもあなたには自分たちしかいなかった。だから、人間の善性を信じられないのでしょう。けれどわたしは信じます。アリアさんたちと一緒にいれば、わたしはきっと幸せになれる。世界に爪痕を残すことだけが、イデュールの使命ではありません。そんな大きなものに生きた証を残さなくても……わたしは……」
アリアたちを見る。そこには居場所をくれた大切な人たちの顔がある。
ソーティアは満面の笑みで、
「わたしは、アリアさんたちの記憶にさえ残ればそれでいいんです!」
シドラの頬を張った。ぱーんと小気味よい音。
「だから、アリアさんたちを傷つける相手は、たとえ同じイデュールであっても許しません!」
「……そうかい」
張られた頬を押さえながらも、苦虫を噛み潰したような顔でシドラが声を絞り出した。
「なら残念だ。キミなら分かってくれると思ったのにさ……。さてローゼリア、全員分の毒を解除して。話し合いは決裂したようだ。これ以上、ここにいる意味はないよ」
頷くローゼリア。しばらくして、アリアたちは身体の自由を取り戻した。
去りゆくシドラが言葉を投げる。
「分からないよね、ああそうだよ。迫害され無価値だと嘲笑われ、傷ついたことのないキミたちには分からないかぁ。残念だな。……次はエルナスで会おうか、ティレイト姉弟」
謎めいた言葉を残し、彼は去っていく。追い掛ける者はいなかった。
そうそう、と最後にフィドラが言った。
「ソーティアさん。あなたの故郷であるカディアスの里は、少しずつ復興してきています。いずれは顔を見せてあげると良いかもしれませんね」
「……!」
ソーティアの顔に喜びが宿る。
「ありがとう……ございます!」
「感謝されるいわれはありません。あなたは僕らの同族ですから当然です」
そして彼らは森の奥に消えていった。
シドラ・アフェンスク。策でアリアたちを陥れた張本人。
彼もまた、複雑な過去を持つ存在である。それは分かったけれど。
「でも……ええ、あたしたちとは決して相容れない」
アリアは呟いた。
目的がどうであれ、それで誰かの心をずたずたにする彼に共感できる日なんて一生来ない。
その後は終始無言で、店へ帰ったのだった。
◇
因縁の相手、シドラ・アフェンスク。
いつか彼らと本気で対決する日が来るのだろうか?
まだあの日のことは終わっていない。決着はついていない。
「エルナスで会おう」その言葉の真意とは? 自分たちはまた、あの故郷に戻らなければならなくなるのだろうか。
シドラの残した言葉が、アリアの中で不穏に響いた。
【運命を分かつ白双 完】
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.59 )
- 日時: 2021/01/18 09:06
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
【満ちぬ月の傀儡使】
不思議な不思議な店がある。魔法の王国の片隅に。
店の扉を開ければ、魔導士の姉弟が客を迎えてくれるだろう。
『願い、叶えます! アリア&ヴェルゼ』
看板には、そんな文言が書かれている。
◇
カランコロン、ドアベルが鳴る。今日も頼まれ屋アリアの一日が始まる。
今回はどんな依頼だろう。思いながらも、アリアは元気よく声を掛けた。
「はーい、頼まれ屋アリアへようこそ! 今回はどんな依頼かしら?」
やってきたのは黒髪の少女。青い瞳をし、服は黒を基調とし、青いレースやフリルがたくさんついたワンピース。胸には大きな青いリボン、そして頭に青薔薇のコサージュをつけた彼女は、どこかの貴族の令嬢のように静かで上品な雰囲気を漂わせている。
少女がアリアを見て、訊ねた。
「あなたが……アリアさん?」
ええ、とアリアは頷く。
「誰かから、あたしたちの話を聞いたのかしら?」
問われ、少女は頷いた。
おもむろに口を開く。
「私は薬草師のシヅキ……。絡繰人形館《からくりにんぎょうかん》のシヅキ。人形使イヅチという名前に聞き覚えはあるかしら?」
「……!」
頭にひらめくものがある。
「あ……いつかの同業者さん!」
アリアはぽんと手を叩いた。
五月。謎の男に魔法人形の修理を頼まれた。その際に手助けをしてくれたのが、人形使のイヅチだった。一見優しげでひ弱そうに見えた彼だったけれど、凄まじい力の気配を感じたのを覚えている。目の前の少女は彼の関係者なのだろうか。
イヅチ、の名前を聞いて、店の奥でヴェルゼが反応した。いつかイヅチと戦ってみたいと言っていたヴェルゼ。その関係者が店に来たのだから当然と言えば当然の反応だろう。イヅチのことを知らないソーティアが首を傾げ、それを見たデュナミスが説明してやっているのが見えた。そんな様子を眺めながらも、シヅキは言う。
「私は、イヅチの妹。兄さまからここの話を聞いたわ」
「ボクも来てるよ」
そんなシヅキのワンピースの中から、ふわりと人形が現れた。
短めの金髪に金の瞳、青いマントを身に纏った少女の人形。彼女はイヅチの相棒たる、意思持つ人形ミカルだ。
「えへへっ、また会えたねっ! 頼まれ屋のみんなぁ、元気してたー?」
ミカルが元気な声を出す。だが、その声には前に聞いたほどの元気がないようにも思える。
アリアは首をかしげた。
イヅチの妹もイヅチの相棒もいる。なのに肝心のイヅチがいない。これはどんな依頼なのだろう。まるで見当がつかない。
いつもは明るくお茶目な態度を取っているミカルも、何故か今は真剣に見えた。
困惑するアリアに、シヅキは青い真っ直ぐな瞳を向けた。
「単刀直入に言うわ」
その声には、どこか焦りのようなものすら感じられた。
「兄さまを、助けて」
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.60 )
- 日時: 2021/01/21 09:18
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
シヅキは語る。ある日、近所の森から帰ってきたらイヅチがいなかったこと。そこには、人を人形のようにする特殊な香のにおいが漂っていたこと。ミカルに周囲を偵察に行かせたら、心を抜き取られ人形のようになっているイヅチを見掛けたこと。そしてイヅチの傍には謎の男が立っており、イヅチに何か命令を下しているようにも見えたこと。
「十中八九、そいつが黒幕だわ。けれど私は魔法の使えないただの薬草師。私では兄さまを助けることなんて出来ないわ。だから……兄さまから話を聞いたのを思い出して、あなたたちを頼ることにしたのよ」
沈鬱な表情でシヅキは語った。
そっか、とアリアは頷く。
「イヅチには前に助けられたし! 今度はあたしたちが恩を返す番ね? いいわよ了解!」
アリアは笑顔をシヅキに向けた。
「頼まれ屋アリア、依頼、承りました!」
「あいつがピンチになっているって、珍しいと思うしな」
店の奥からヴェルゼが出てきて、にやりと笑った。
「オレはアリアの弟、死霊術師のヴェルゼだ。いいぜ、受けてやる」
「……ありがとう。助かるわ」
シヅキは深く礼をした。
「とりあえず……奴のところに案内するわね。あなたたちみたいに経験豊富な魔導士さんたちなら、何か方法が浮かぶかも知れない。話だけ聞いたって分からないでしょ?」
そうねとアリアたちは頷いて、シヅキの後についていく。
いつか出会った、とても強い人形使。そんな彼が危機に陥っているという事実に、胸は不安でざわついた。
◇
シヅキが案内したのは、とある丘だった。その上に立つ二つの人影を、下の方にあった林から見た。
一人は、見間違えようもないイヅチ。黄金の髪に黄金の瞳、身に纏うは漆黒のマント。その表情は虚ろで、動きもぎこちない。
人形のようになったイヅチの傍らに立つ男は、金色の髪に赤い瞳。左目を黒い眼帯で隠し、身に纏うは漆黒のマント。その面立ちは、どこかイヅチに似ていた。
男がイヅチに何かを命じる。するとイヅチはふらふらと動き出し、丘の向こうへ消えて行った。その姿には、いつかのような強い雰囲気など微塵も感じられない。彼は完全に、生ける人形と化しているようだった。
「へェ、あいつが……」
ヴェルゼが小さく驚きの声をもらした。その目は細められ、何かを観察しているかのようだった。漆黒の瞳に輝きが宿る。
「だが……分かったことがあるぜ。ひとまずこの場を離れよう。やるべきことが出来た」
アリアはきょとんと首を傾げた。
「え? あたしには何も分からなかったよ?」
「オレと……デュナミスには分かったはずだ。死霊術師の領分だなこれは」
首をかしげるアリアに、静かにヴェルゼは答える。
その場を離れて、ヴェルゼは言った。
「今のあいつには魂が無い」
「魂を抜き取られてる、と言った方が正しいかなぁ。今の彼は魂の抜け殻さ」
難しい顔でデュナミスが補足した。
「要は。抜き取られた魂を見つけ出せれば、きっと彼は元に戻るはずなのさ。でもこれは、僕ら死霊術師にしか出来ないことだから」
「別行動を取らせて頂こう」
きっぱりとヴェルゼが言った。
「オレとデュナミスは魂を探しに行く。必ず戻るから、それまで待っていてくれ」
別行動。それは寂しいことではあったけれど。
確かに、死霊関係ではアリアは足を引っ張ることしか出来ない。
前の依頼で、アリアたちは引き離されたばかり。離れがたい、という気持ちは確かにあったが、感情を優先してばかりでは依頼をこなせない。
気持ちを呑み込んで、わかったわとアリアは言った。
「行ってらっしゃい、ヴェルゼ」
「行かないでとか言うと思ってたが意外な言葉だな?」
「思ってるわよ! でもあたし、ヴェルゼのこと信じてるし! 待ってるから絶対に戻ってきなさいよね!」
「……了解だ、姉貴」
ヴェルゼがにっと笑った。
じゃあ、と彼は背を向ける。
「行ってくる。死霊関係のプロが二人だ、あまり時間は掛からないと思うが……」
「何かあったらヴェルゼが笛で連絡するでしょ。心配し過ぎて変な行動は起こさないようにね?」
デュナミスがそっと付け足した。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.61 )
- 日時: 2021/01/25 09:12
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「ヴェルゼ、イヅチの魂の気配って覚えているかな」
二人きりになり、デュナミスが問う。
覚えている、とヴェルゼは返した。
「一見、輝かしい黄金の光のように見えて……深い闇が垣間見える魂。あんなのは滅多にないな」
さて、追跡の儀式を始めるか、とヴェルゼは鞄から道具を引っ張り出す。
出したのは漆黒の香木と香を焚くための金属製の壺、そして赤く輝く小さな宝石と何かの布の切れ端、緑の液体の入った硝子の小瓶、。壺の中には、半分ほど灰が入っている。ヴェルゼはその上に香木を置いた。誕生日に買ったアヴァラン香木である。
ヴェルゼが赤い宝石に触れて小さく何かを唱えると、そこから小さな炎が生まれた。それで香木に火を点けると、深い森の香りが漂ってくる。それはとても落ち着く香りで、思わず深呼吸したくなるほどだった。
煙を上げてゆっくりと燃える香木の上、布の切れ端を落とす。それはあの日、イヅチに貰った幸運の人形の着ていた服の一部だった。何かに使える日も来るだろうと思って一部を切って持っていたのだが、こんなところで役に立った。ヴェルゼは基本的に、自分と関わった人間の服の一部や髪の毛などを、こっそりと拝借している。それはいつか、呪いを掛ける時や何かを探す時に役に立つだろうと考えてのことである。
落とした布の切れ端は、音も立てずに静かに燃えだす。それが燃え尽きる寸前、ヴェルゼは小瓶の中身の液体を一滴だけ垂らした。
「居場所を示せ――イヅチ!」
目を見開き、唱えると。香木から漂う煙が、すっとある方向へ向かっていく。ヴェルゼはにやりと笑った。
「成功したみたいだな」
「まぁ、魂の捜索なんて死霊術師の基本だしねぇ」
隣でデュナミスが茶化す。
煙の導く先に、きっときっとイヅチの魂はある。
ここ最近、戦闘が多くて血の魔術を使ってばっかりの日々だったが、ヴェルゼの本業は死霊術師である。迷子の魂を探し、暴れ出した死霊を倒し、死者の声を聞いて無念を晴らす。それが本来の彼の仕事だ。
そしてやがて、見つけた。
「イヅチ、か……?」
声を掛けるなり、その魂は襲いかかってきた。
◇
「落ち着けって! オレたちは敵じゃない!」
鎌を背中から引き抜いて応戦する。イヅチの魂は不安げな声を上げて、その身を黄金の毛並みを持つ狼に変えて噛み付いてきた。
人の魂は、その人の望んだ姿に変身して死霊術師の前に現れることがある。今の狼の姿は、イヅチの自己防衛の気持ちのあらわれだろうか。
襲いかかってくる狼。ヴェルゼの声なんて聞きやしない。これが彼の本性なのだろうか。明るく優しく笑っていた彼は、本当は大きな不安や敵愾心を抱えていたのか。
「傷つけるのは本意じゃない……」
それを考えて動くヴェルゼは防戦の一方だ。デュナミスは何かの術式を練っているようだが、彼は優しく見えて冷酷にも慣れる人間である、早めに決着をつけないとイヅチの魂が大きな傷を負う可能性がある。
大きな傷を負った魂でも、元の身体に戻ることは出来る。しかしそうなった場合、長い間目覚めなくなることがある。それは望むところではない。イヅチを元に戻せたって、目覚めなくなっては意味がない。そして傷ついた魂は、時間の経過以外で治す方法がない。
「デュナミス! 魂を傷つける真似はするなよ?」
「……黙ってて! さぁ出来た! 我に溢るる魂の炎! その身を変えよ、大蛇と変えよ。大蛇と変わりしその後は……呑み込め果てどない深淵へ!」
霊体のデュナミスが銀色に輝く。死んでいる彼の力は有限だ。身体は死んでいるために、これ以上新しい力を生み出すことは出来ない。一度使った力はもう二度と戻ってこないが、そもそもが膨大な魔力を持つ術師だった。そう簡単に枯渇するような魔力ではない。
輝いたその身体。その手から放たれたのは魔力の波動。太い光線のようだったそれは、黄金の狼にぶつかる寸前でくわっと大きな口を開き、狼を包み込む。
動きが静かになった時、それは灰色に輝く檻となっていた。
「攻撃しか出来ないと思った?」
得意げに笑うデュナミスに、
「……死んでるから、オレみたいに道具使うのは出来ないじゃないか。見せ場奪いやがって」
ヴェルゼは、憎まれ口を叩いた。
けれど確かにこれが最善の方法。檻の中に閉じ込めれば、傷つけずに送り届けられる。
灰色の檻の中、暴れ狂う狼に向けてヴェルゼは笛を吹いた。流れる音色は穏やかで、相手を落ち着かせようという思いが分かる。その音色を聴いて、最初は暴れていた狼も次第に静かになっていった。
さて、とヴェルゼは前を向く。
「思ったよりも早くに見つかった。……帰ろう」
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.62 )
- 日時: 2021/01/29 12:15
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「ヴェルゼを待っている間、何もしないのもなんだかなぁ」
アリアはぼやく。
ねぇ、とシヅキたちを振り返った。
「もう一回、さ。あいつの様子を見に行かない? 偵察くらいなら問題ないでしょ!」
大切な弟が動いているのに、自分だけ動かないというのは癪だった。動かなければ、と心の声がする。
そうね、とシヅキも頷いた。
「今なら、さっきよりもよく状況が理解出来ているでしょうし。いいわ、行きましょう」
そうと決まれば迅速だった。
アリアたちは再び、例の丘に着く。
そこにいたのは黄金の男と、魂を抜き取られたイヅチ。何度見ても変わらない。彼はまるで人形のように、焦点の合わない目をしている。そんなイヅチを見て、男は満足げな表情をしていた。
耳を澄ませば、声が聞こえた。
「ふふ……くっくっく。何て、何て無様なんだイヅチ。人形使が人形になる……これほど滑稽なことはないな? ああ……ようやく。俺はお前に……」
瞬間。
もっと声を聞こうとしていたアリアが、前につんのめった。
大きな音が、した。男の眼が、こちらを見つめる。
「誰だ」
「やらかしちゃった……」
ごめんねとアリアはシヅキたちを見る。
ばれてしまっては仕方がない、と思い、アリアは正々堂々名乗ることにした。
「あたしはアリア。頼まれ屋アリアのアリア・ティレイトよ。依頼によって、イヅチを元に戻しに来たの」
「頼まれ屋アリア……聞いたことはあったが……成程」
アリアを見ていた男が、シヅキを視界にとらえて眉を上げる。
「む……お前は、シヅキか?」
「どうして私を知っているのかしら?」
首を傾げるシヅキに、何でもないと男は返す。
だが、ほんの少しだけ、動揺したようにも見えた。
男とイヅチとシヅキ。何やら因縁がありそうだが、まだよくわからない。
男は、シヅキを見ながら何やらぶつぶつと呟いている。
「……とすると、依頼人はシヅキか。兄さん想いの優しい妹を持って、イヅチの野郎も幸せなことで。だが、俺は邪魔されるわけにはいかないのでな」
男の残された赤い右目に、鋭い輝きが宿る。
「消えてもらおう、かッ!」
「危ないッ!」
刹那。
飛んできたのは、片手に刃持つ人形。迷いなくアリアの首筋を狙ったそれからアリアを庇ったのは、イヅチの相棒たる人形ミカル。その身を大きく切り裂かれ、中の綿がはみ出る。
ミカルは、文句を言うように小さな指を男に突き付けた。
「ふーう、不意打ちはやめてくれるかなミツキさん? ボクがいなかったら死んでたんだけど!」
「どうして俺の名を……」
「伊達にイヅチの相棒やってないって! ボクなら、キミがどいつか予想するくらい難くない! まぁ……イヅチとの約束もあるし? 名前以外はバラす気はないけどね」
ミカルはくるりとアリアたちを振り返る。
「人形使の相手をするのは中々大変だよっ! 物理攻撃に要注意さ。防御魔法を張っておくんだねっ!」
物理攻撃が相手なら、鎌を使うヴェルゼが適任だ。しかし彼は今この場にいないのだし、種を蒔いたのはアリアである。やるしかない。
ひとまず氷の魔法を展開、目の前に防御壁を作る。どうしようかと考えている時だった。
「やれ」
男――ミツキの冷酷な声がした。
何、と思ったアリアは、見た。素手で氷の壁を打ち砕いた、虚ろな瞳のイヅチの姿を。その拳からは血が出ているが、痛がる様子なんて微塵も見せない。
当然だろう、今の彼は人形なのだから。
人形使は、直接戦闘はしない。人形と相手を戦わせ、自分は遠くで人形を操っているだけ。そして今のイヅチは人形だ。無論、ミツキの駒である。つまり。
「あたしは……イヅチと戦わなくちゃならないの?」
救わなければならない相手と。
アリアの隣で、シヅキが唇を噛む。
「……みたいね。私が許すわ。死なない程度なら攻撃しても構わない! 兄さまの動きを止めて!」
「分かったけど……あたし、細かい調整は苦手なのよね……」
炎の魔法を使ったら、相手を焼き殺してしまう可能性がある。却下。風の魔法なら、相手の足だけを傷つけることも可能だろう。しかし得意魔法でないため、そのまま足を切り落としてしまう可能性もある。却下。植物の魔法でならば、足止めくらいは出来るかもしれない。しかし今の丘に、大きく育ってくれそうな植物は見当たらない。却下。アリアの出来ることは限られてくる。
全属性使い。聞こえはいいだろう。だがその分、細かい制御を得意としない。全ての属性を使える代わりに、一つの属性を極めることは出来ない。それがアリアの欠点である。
迫ってくるドール=イヅチ。その手に握られているのは片手剣。だが、今のアリアに打開策は見当たらない。硬直するアリアの隣、シヅキがどこからか弓を取り出して、矢をつがえた。放たれる。
それはあやまたず、イヅチの左足を射抜いた。シヅキは顔をゆがめていた。こうするしかない、けれどこんなことしたくない。揺れる思い、それでも放たれる矢は真っ直ぐだった。
「アリアさん!」
ソーティアがアリアに囁く。
「イヅチさんじゃない方に、風の魔法を放って下さい! 風の刃をお願いします!」
「え? いいけど……どうするの?」
「早く!」
言われ、アリアはイヅチではない方に向かって、風の刃を放った。うなりを上げる風は、何にも触れることはなく通り過ぎ、やがて空に消えていく。
ソーティアの赤い瞳が、輝いた。その瞳に、人間には見えないものが映る。
アリアは思い出す。ソーティアたちイデュールの民は、人間には見えない魔法素《マナ》を見ることが出来る。そして誰かの魔法が放たれた直後に限り、その魔法を完全にコピーすることが出来る――。
「ソーティアちゃん、あなた、まさか」
「切り裂け、風よ!」
絶叫。顔をゆがめたソーティアの手から、風の刃が放たれる。それは完璧な制御をされて、イヅチの足を傷つけるだけで終わった。
アリアだったら、彼の足を切り落としてしまったかもしれない。だがソーティアは、足止めだけで済ませることが出来た。
「ソーティアちゃん……」
「魔法の制御のやり方ならば心得ています。アリアさんが出来ないのならば、わたしがやります!」
魔法の使えないイデュールの民が、魔法を使うにはこうするしかない。
ソーティアは普段は戦えないが、こんな時に、アリアたちを救うことになるとは。
そしてソーティアはくずおれる。当然だ、魔導士でない者が、無理して魔法を使ったのだから。掛かる負担は大きい。
「ありがとうソーティアちゃん。あなたはもう、休んでて」
優しく声を掛け、ソーティアを庇うようにして立つ。
そして見た相手は、
目の前に。
「……へ?」
相手の片手剣が、ゆっくりと持ち上がる。シヅキの悲鳴、ミカルの声。
足を傷つけられた程度で、人形は止まらない。
ミカルだって、胸を大きく切り裂かれたのに、余裕で動けていたのを忘れていた。
もしも人形を動かなくしたいのであれば、その手足か頭を、欠損させるしかないのだという事実に気付く。そしてそんなこと、イヅチに対して出来るわけがない。
それを分かって、ミツキはイヅチをけしかけたのだろうか。
「アリアさんっ!」
「――姉貴ッ!」
その時。
待ちわびていた、声がした。
金属音。イヅチの片手剣は、ヴェルゼの鎌に弾かれる。
アリアは涙目で弟を見た。彼がこれほど頼もしく思えた日はない。
「ヴェルゼ……」
「この……大馬鹿姉貴がッ!」
ヴェルゼは、怒り心頭といった顔で姉を睨んだ。
「後で話がある。だがひとまずは……今の状態を何とかしなければな」
ヴェルゼは背後のデュナミスを見た。デュナミスの手に抱えられているのは、イヅチの魂を収めた檻。
「解放しろ、デュナミス」
「仰せの通りに」
芝居がかった仕草で礼をしたデュナミスは、魂の檻を解放する。解き放たれた黄金の魂は、一直線に自分の身体へと向かっていく。ミツキが悲鳴を上げた。
「やめろ……せっかく! 復讐出来るところだったのに!」
「悪いが、これは依頼なんだよ」
イヅチの身体に追いすがろうとしたミツキに、ヴェルゼは容赦なく鎌を向ける。
そうやって見ているうちに、魂は完全に身体に吸い込まれた。
「兄さま!」
泣きそうな顔でシヅキが駆け寄る。
イヅチのまぶたが、ふるふると震えた。黄金の瞳が顔をのぞかせる。
絞り出すように、吐き出された、声。
「……ぼくは」
それは、頼りない幼子のような。
「いったい……なにを、していたの?」
◇