複雑・ファジー小説
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.52 )
- 日時: 2020/12/28 17:33
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: oKgfAMd9)
【黄昏のアムネシア】
不思議な不思議な店がある。魔法の王国の片隅に。
店の扉を開ければ、魔導士の姉弟が客を迎えてくれるだろう。
『願い、叶えます! アリア&ヴェルゼ』
看板には、そんな文言が書かれている。
◇
カランコロン、ドアベルが鳴る。今日も頼まれ屋アリアの一日が始まる。
「はーい、いらっしゃいませー!」
アリアは元気よく答えた。
やってきた客は茶髪の青年。青い瞳が不安に揺れている。
「黄昏の時だけ現れるという、ある町に」
彼は言った。
「俺の大親友が行ったきり帰ってこないんだ。あんたたちにはあいつを連れ戻してほしいんだよ」
そこは魔性の町なんだ、と彼は語る。
「『黄昏の町』アムネシアは訪れた人間に幸せの幻影を見せて惑わし、町から出たくないと思わせる。ある日の黄昏、偶然俺たちは迷い込んだ。俺は自分で何とか幻影を断ち切って町を出たが、あいつはそうはならなかった」
「黄昏の町、ねぇ……聞いたことあるよ」
デュナミスが口を挟んだ。
「あれは……何だっけ。人々の抱く幸せへの思いと夢が集まった町。そこは人の思念が集まりやすいとかそんな話を聞いたなぁ」
行くなら自分も幻影を断ち切る覚悟をしないとねとデュナミスは言う。
でもさ、とアリアは客に赤い瞳を向けた。
「あなた困ってるのよね?」
「ああ……そうだけど。あいつ、俺の大親友だからさ……」
「ならば助けるのが頼まれ屋アリアよ! 危険な町? 幻影の町? 行ってやるわそんなところ」
人間を連れ戻すだけなんて、これまで受けてきた様々な依頼に比べれば簡単なことだ。アリアはいつもの台詞を口にした。
「頼まれ屋アリア、依頼、承りました!」
◇
男から対象の外見や簡単な過去の話などを聞く。対象の名はルィス。依頼してきた青年オーウェンとは幼馴染で、いつも二人は一緒にいた。
しかしある日、ルィスの家族は故郷の村にやってきた熊によって皆殺しにされ、ルィスは熊に復讐するために猟師になることを固く誓った。オーウェンは戦士になることを望んでおり、その日から二人の道は分かれた。けれどそれでもよく会っていたし、絆が崩れることはなかった。
ある日偶然再会した二人は喋りながらも街道を歩いていた。そして迷い込んだのが黄昏の町。そこでルィスは死んだはずの家族の幻影に囲まれて動けなくなった。悲劇的過去を持たなかったオーウェンは辛うじて町を出られたが、彼の前にも幻影は現れた。それは彼の憧れている人の姿をしていた。
自分の幻影を振り払うので精いっぱいだったオーウェンは、もうルィスを連れ戻す気力なんてない。だからアリアたちに頼ったのだった。
よろしくな、と頼んでいなくなったオーウェン。アリアが彼を見送っていると、店の奥からヴェルゼが出てきた。
「で、勝算は」
「んー……わかんない」
アリアは難しい顔をする。
「幸せだった日々……確かにあるわ。エルナスの町でのあの日々がもしも目の前に出てきたら……」
迷うなよ、とヴェルゼが鋭い声を投げる。
「それは過ぎ去った過去なんだから。いくら幸せな過去であっても、もう二度と戻って来はしないのだから、な」
「ヴェルゼは強いよね……」
「安心しとけ」
不安そうなアリアを見て、ヴェルゼが言った。
「もしも姉貴が幻影に惑わされても、オレが必ず救い出す。町に入ったら手を繋ごう。その手を絶対に離すなよ」
「……うん、わかった」
「幸せの幻影、ですか……」
そんなやり取りを見ながらも、ソーティアはひとり呟いた。
頭に浮かんでいるのは、滅ぼされる前の故郷の里。あの日々に戻りたいと何度も思い焦がれた戻らない日々。
「……ううん、今のわたしの居場所はあそこじゃない」
思い出を振り払うように頭を振った。
「アリアさん……わたしはね、ここでも幸せを見つけられたんですよ。波乱はあるけれど、ここもまたわたしの居場所になりました」
誰にも聞こえない声で、小さく呟いた。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.53 )
- 日時: 2021/01/01 19:24
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: 9j9UhkjA)
翌日。リノールの町から旅立ち、黄昏の町アムネシアへ。町はそこまで遠い場所にない。比較的簡単にたどり着いてしまった。
その町は、どこか郷愁漂わせる赤レンガで作られていた。切り出した石を使った建物が多いこの国では、レンガなんて滅多に見られるものではない。近くに良質な土の採れる場所があるのだろうか。
濃密な魔力の気配を感じる町だった。普通の町ではないということがよくわかる。
「ここにルィスさんがいるのよね?」
アリアがヴェルゼを振り返ると、ああ、と彼は頷いた。
「らしいな。見た目の特徴は覚えたか?」
「ぼさぼさの茶髪は左目を隠していて、頬には大きな傷跡。身長は低めで、見えている右目の色は緑……だよね?」
「割と特徴的な見た目らしいし、すぐに見つかることを期待する」
さぁ行こうか、と差し出された手をアリアは握る。
たとえ幸せの幻影に惑わされたとしても、手を繋いでいればきっとまだまともでいられる。
「わたしも……いいですか?」
恐る恐る問うたソーティアに、当然とアリアは笑いかけてヴェルゼと繋いでいない方の右手を差し出した。
意識して実体化しないと手を繋げないデュナミスは、ただふよふよと浮いている。
そんな彼を見てヴェルゼが声を掛けた。
「オレの左手は空いてるぜ、デュナミス?」
「いや、いいさ。わざわざ実体化するまでもない。何かあった時のために力は温存しておくべきだろう」
申し出に彼は首を振った。
準備はいいわね、とアリアが言う。
「行くわよ……」
覚悟を抱いて町に踏み込んだ。
途端、
「わっ、何これ!?」
目の前を覆ったのは謎の霧。それは隣に立つ人の姿さえも朧げにする。
だが、繋いだ手がある。その感触が、自分は一人じゃないと教えてくれる。
霧の中でアリアは見た。
「……とうさ、ん?」
遠い記憶の中にしかいない父親を。ヴェルゼが生まれてすぐに死んでしまったために、ヴェルゼの記憶の中にはいない父親を。彼は死んだ母親の手を繋いで、霧の向こうからこちらを見て笑っていた。
かすかな記憶。優しい父親だったのを覚えている。不器用に抱きしめてくれたあの感触を覚えている、力強い手を覚えている。
それはアリアがまだ、自分というものを確立させていなかった頃の、遠い日々の記憶。アリアの最初の記憶は、この父親の大きな手だった。
予想外だった。エルナスの町で過ごした日々の記憶が来ると思っていた。そのための覚悟をしていたのに。
「おとう、さん……」
呟いた。
ほんの少ししか会えなかった父親との思い出に、涙がこぼれる。
両親は赤ん坊のヴェルゼを抱いて、アリアを手招きしていた。アリアはふと自分の姿を見る。アリアは幼い少女の姿になっていた。
呼ぶ声が聞こえてきた。
――アリア、探していたんだよ、心配したよ。さぁおいで。
その声に導かれるまま、繋いだ手も忘れて手を離して駆けだそうとした刹那、
「しっかりしろ姉貴ッ!」
ヴェルゼの鋭い声が、現実に引き戻した。
霧に覆われて姿は見えない。ただ、彼は隣にいる。手はまだ離してはいない。
鋭い声が、言う。
「何を見たのかは知らないがな……ミイラ盗りがミイラになってどうする? そんなもんただの幻影だ! 惑わされるなよ?」
ヴェルゼの声に、幻影は消えていく。大好きだった両親は、アリアに背を向けていなくなる。思わず呼び止めたくなった。あたしを置いていかないでと叫びたくなった。本当はずっと一緒にいたかったのに、父も母も早くに亡くなってしまった。そんな二人が目の前に現れて、正気を保てるはずがない。
アリアは思い知る。自分にとっての「本当に幸せだった日々」は、エルナスの町で幼馴染のカルダンやシドラらと一緒に遊んでいた日々ではないのだと。それよりもっと昔の日々だったのだと。
「あたし、は……」
ぐっと唇を噛み締めた。噛んだそこから血が流れるまで。鮮烈な痛みがアリアを現実に引き戻す。そうだ、そうだ。もうみんなこの世にいないのだ。思い出せ。そして何よりも。
「あたしは……頼まれ屋アリアなんだからッ! 邪魔しないでよッ!」
幸せな思い出。それと戦うことを決意する。心を奮い立たせ炎を呼び出し、幻影に思いっきりぶっつけた。
「あたしは! あたしは! 父さんにも母さんにも死んで欲しくなんかなかった! でも、でも、今は確かに楽しいんだから、それは真実なんだからっ! 邪魔しないでよ――あんたたちなんか、消えちゃいなさいよ!」
叫んだ瞬間、
霧が晴れた。赤レンガの町が目の前に広がっているのが見える。
そして気付く。
「ソーティア……ちゃん?」
彼女の手の感触が、なくなっていることに。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.54 )
- 日時: 2021/01/04 13:19
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: 6Z5x02.Q)
ソーティア・レイはただ、呆然としていた。
覚悟はしてきた。それなのに、やっぱり無理だった。
人間たちに滅ぼされた故郷。焼き払われ、阿鼻叫喚の地獄となった町でソーティアは、これまで過ごしてきた全てを失った。そこで過ごしてきた日々は、何にも代えがたいかけがえのない日々で。
いくら頭でわかっていても、心で割り切れようはずもないのだ。
「お姉ちゃん……ルーシア……」
ソーティアは大切だった姉と妹を呼ぶ。
「リェレンさん……アーシュくん……リィラおばさん……」
いつも自分を可愛がってくれた近所の青年、自分に懐いていた子供、たくさんのことを教えてくれたおばさんを呼ぶ。彼らは皆、霧の向こうにいた。霧の向こうで、ソーティアを呼んでいた。
繋いだ手の感触。でも、それさえもどうでもいいやと思えてしまった。頼まれ屋アリアでの日々は所詮、そんなものでしかないのだと心が言う。
それよりも。
「みんな……会いたかった……」
取り戻そうとしたくたってもう絶対に取り戻せない幸せがそこにあった。
こらえきれず、手を離して、ソーティアは幻影に向かって駆けだした。理性はもうそこらに置いて、ただ感情だけで動いた。
穏やかな霧が、そんな彼女を包み込んでいく……。
◇
「……ったく、行方不明者を増やしてどうする」
ヴェルゼが毒づいた。
彼の腕には大きな傷。どうやら自分を傷つけて、その痛みから強引に現実に戻ってきたものらしい。自傷による魔法を放つ彼らしい方法ではある。現に、アリアは自分の唇を血が出るまで噛むことで現実に戻ってきている。
「あたしさ……ちっちゃい頃に死んじゃった、父さんと母さんの幻を見たのよ。ヴェルゼは何を見たの?」
アリアは問う。そうだな、とヴェルゼは頷いた。
「予想通りさ、エルナスでの日々だよ。姉貴もオレもカルダンもシドラもさ……みんなみんな笑ってやがるんだ。あれほど憎いシドラとの日々が、まさかオレの中で美しい思い出になっているだなんて……あんなものに騙された自分が嫌になるね」
吐き捨てるように彼は言った。まぁまぁと笑うデュナミス。彼もまた無事だったようで、アリアはほっと胸をなでおろした。
で、とヴェルゼがアリアを見る。
「ソーティアと依頼人、どちらを捜す? 言っておくが、二手に分かれるのはナシだ」
「あ! それよりも」
いいこと思いついた、と手を叩く。魔法素《マナ》を即席で組み上げて、作った式に破壊の力を加えるべく詠唱を開始する。
「吹きわたれ、谷をめぐる涼風よ! たゆたう惑いを吹き払い、現実への道、ここに示せ!」
途端、
びゅうっ、と強い風がやってきて、町に残った霧を物理的に吹き飛ばしていく。成程なと感心したようにヴェルゼが頷いた。
町の奥。まだ霧に閉ざされた区画があった。そこにみんないるだろうと思って、この魔法を使ったのだ。
この町は霧に閉ざされてさえいなければ、見晴らしの良い町だ。そしてソーティアの白い姿は、赤レンガの町の中ではよく映える。
彼女はすぐに見つかった。
「ソーティアちゃん!」
叫んで駆け寄った。彼女はただ呆然とした表情で突っ立っていた。
「ソーティアちゃん! あたし、心配したんだからね?」
アリアが声を掛けると、首を傾げて彼女はこちらを見た。
「あなた……誰ですか?」
「…………は? ソーティアちゃん、今、何て?」
驚き問うと、ソーティアは虚ろな瞳でこちらを見、言うのだ。
「わたしはね、ここで楽しく暮らしているんですよ。あなたのことは知りませんが……そうです、案内して差し上げますね。ここがカディアス、イデュールの民の秘境です」
瞳は虚ろだが声は楽しげに、彼女はおかしなことを言う。
「……夢と現実の境が分からなくなってるな。あの霧に抗えなかった場合、こうなるのか」
「冷静に解説している場合じゃないでしょヴェルゼ! 何とか出来ないの?」
「物理的な方法で構わないか?」
アリアの返事も待たず、ヴェルゼは虚ろなソーティアに近づいていく。
そして、
その頬を思い切り張った。
ばしん、と大きな音が響く。殴られたソーティアは驚いた顔をしていた。
「……いつまで夢に囚われている」
低い声でヴェルゼは言った。
「お前は頼まれ屋アリアのソーティアだろう。ここに居させてほしい、とお前から依頼したんだろうがッ!」
「頼まれ屋、アリア……」
赤い瞳が焦点を結んでいく。
そうよとアリアも叫んだ。
「最初はヴェルゼがあなたを遠ざけたけどさ、最終的にあなたがみんなを助けてくれたんじゃない! 店の一員になれたって喜んでいたじゃないの! 思い出してよッ!」
「……わたし、は」
はっ、と驚いた顔をソーティアがした。その目が驚きに見開かれる。
「わたしは……頼まれ屋アリアのソーティア・レイ……」
「ようやく思い出したか。ったく、手間かけさせやがって」
ごめんなさい、とソーティアが謝る。
「わたしには……無理だったみたいです。役立たずで、それどころか足まで引っ張ってしまって……ごめんなさい」
「別に平気よ。ソーティアちゃんが無事でよかったわ。ここで受けた心の傷は、少しずつ癒していけばいいの」
アリアはそっとソーティアを抱きしめた。
その様子を穏やかに見守っていたデュナミスが、言う。
「さて、みんな見つカったし今なら霧も晴れてるし。依頼人を捜しに行こうカ」
「デュナミス……?」
その声の調子が少し変だと気付いたのは、ヴェルゼだけだった。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.55 )
- 日時: 2021/01/06 12:44
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
依頼人は見つかった。彼もまたソーティアと同じように、現実がわからなくなっているようだった。アリアたちでは彼を現実に戻せるような言葉を掛けられない。だから何とか説得して、一緒に町を出てもらうことにした。
その後は簡単だった。オーウェンを呼んできてルィスに会わせ、オーウェンの言葉と拳でルィスは正気に戻った。二人は固く抱き合って、アリアらに感謝の言葉を伝えた。報酬としてもらったお金はそこそこの額で、目標金額にまた一歩近づいた。
「頼まれ屋アリア、依頼、完了しました!」
いつもの笑顔で、アリアは決め台詞を口にした。
そして戻ってくる日常。あの町で皆、心に傷を負った。それぞれ、本当に戻ってきて欲しい日々はいつだったのかを思い知った。
「デュナミス」
ある日ヴェルゼはデュナミスに声を掛けた。
何、と応えるその声の調子は、相変わらず何かがおかしい。
ヴェルゼは、問う。
「お前……あの霧の中で何を見た?」
「……何かおかしいの、ばれちゃったかぁ。君に隠し事は出来ないね」
笑うデュナミス。しかしその笑みはどこか不自然で。
分かっちゃった、と彼は小さく呟いた。
「僕のこと。僕の出自、僕が何者なのか。アルカイオンの家に来る前の日々をあそこで見た。それはさ……思わず涙が出てしまいそうなほど幸せな記憶だったんだ。まぁ確かにね? 姉上にいじめられたこともあったけど」
その灰色の瞳は、ヴェルゼの知らない遠くを見ている。
デュナミスは、言う。
「ねぇヴぇルゼ」
相変わらず、おかしな声で。
「僕の正体が誰であれ、これまで通り普通に接してくれるかい?」
「は? どういうことだよ。というかお前の正体は何なんだよ? 分かったんなら教えろよ!」
「教えない」
デュナミスは首を振る。
「ただ……そうだね。『デュナミス』って名前は僕の本名じゃなかったよ。あの頃の僕は、違う名前で呼ばれていたみたい」
「…………」
驚きのあまり、ヴェルゼは固まってしまった。
これまでずっと一緒にいた友人。その告白を聞いて。
安心してよとデュナミスは言う。
「僕の正体が何であれ……でも僕はずっと君の傍にいるよ。あそこに戻る気はないし。話せないのは……ちょっと今話したら面倒なことになりそうだから」
でもこれからもよろしくねぇと、彼は透き通る手を差し出した。触れられないその手を、ヴェルゼは握る振りをする。
黄昏の町、アムネシア。それは内なる願いをあらわにさせる町。町の生み出す幻影の中に浸っていれば幸せだろうけれど、それは同時にどこまでも残酷なことでもある。
叶わないとわかっている夢の中で、それを現実だと思い込ませられて生きる。
魔性の町だなとヴェルゼは思った。町の中には人っ子一人いなかったが、こんな環境で人が住めるわけもないのだし頷ける話である。
デュナミスに関しての謎は増える一方だ。しかし追及しても答えてはくれないようだ。時が来たら分かる日も来るのだろうか?
こうして、ひとつの依頼は終わったのだった。
【黄昏のアムネシア 完】
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.56 )
- 日時: 2021/01/08 08:55
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
【運命を分かつ白双】
不思議な不思議な店がある。魔法の王国の片隅に。
店の扉を開ければ、魔導士の姉弟が客を迎えてくれるだろう。
『願い、叶えます! アリア&ヴェルゼ』
看板には、そんな文言が書かれている。
◇
カランコロン、ドアベルが鳴る。今日も頼まれ屋アリアでの一日が始まる。
「はーい、ようこそ頼まれ屋アリアへ!」
アリアは元気よく客を迎えた。
やってきたのは、白いフードをかぶった人物だった。顔はよく見えない。フードの隙間から、白い髪が零れ落ちているのが見えた。体格は華奢で、男性にも女性にも見える。
「こんにちは」
フードの人物が声を掛ける。柔らかな声音。声からして男性とわかる。
「僕の名前はフィード。イデュールの民です。フードをかぶっているのはそのためだと理解してほしいですね」
イデュールの民。その言葉を聞いて、ソーティアが店の奥から出てきた。
フィードと名乗った青年は、ソーティアを見て驚いたような声を上げる。
「おや、ここにも同族がいたのですね。ああ、でも話は聞いたことがあります。あなたがこのお店の居候、ソーティア・レイ……と。ああでも面識はありません。完全に初対面ですね」
お願いがあります、と彼はアリアの方を向いた。
「人間たちに、僕の大切な仲間が捕まってしまったんですよ。あなた方には彼を助けてもらいたくてね? もちろんお礼は弾みます。お願いできますかね?」
成程、とアリアは頷いた。
しかしこれは難しい問題でもある。
そのイデュールを助けた結果、こちらが普通の人間たちに目をつけられたら? そうしたらいつも通りに店を営業できなくなる可能性もある。今回の依頼に関しては、営業のリスクがあった。
だが、困っている人がいれば放っておけないのがアリアだ。
「わかったわ……引き受ける! 頼まれ屋アリア、依頼、承りました!」
「あなたならそう言ってくれると思っていましたよ」
フィードは、フードの中でふふふと謎めいた笑みを浮かべる。
賛成はできないな、とそれを見て店の奥からヴェルゼが出てきた。
「今回の依頼にはリスクがある。怪我とかそういったのとは別の、な」
「でしょうねぇ。ああ、ならこれで納得してくれますかね?」
不信感をあらわにするヴェルゼを見て、フィードは胸元から何かを取り出した。それは笛だった。その笛は、
「エルナスの、笛――!?」
追放された故郷の特産品。それを何故持っている?
困惑する一同。フィードはそのまま笛を奏で始める。
流れたのはエルナスの音楽。エルナスに住んでいた者しか知らないはずの、特別な音楽。
「お前――何者だ?」
「知りたければ、依頼を受けて下さいよ」
飄々とした態度でフィードが返す。
ヴェルゼは大きく溜め息をついた。
「……わかったよ。受ける。で? 捕らわれたそいつはどこにいる」
「イノシアの森まで同行願えますか? ああ、出来れば今から。大切な仲間です、すぐにでも助けたいので。僕じゃ戦えないんですよ」
アリアは複雑な表情を浮かべた。
「……わかったわ。準備する」
相手がどんな人物なのかはまだわからない。不信感だってもちろんあるが、依頼を進めなければどうせ何も分からない。
「そこに机と椅子があるでしょ。ちょっと待ってて」
言って、アリアは自分の部屋のある二階へ向かった。その後をヴェルゼとソーティアが付いてくる。
そんな皆を、フィードが面白がるような目で見ていた。
「……君は何者なんだい?」
亡霊ゆえに準備する必要のないデュナミスが問うが、「どうでしょうねぇ」とフィードははぐらかすばかり。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.57 )
- 日時: 2021/01/12 09:28
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
急いで支度をして一階へ戻る。イノシアの森。そこはいつか出会った同業者、絡繰人形館のイヅチのいる町の近くの森だ。そこにイデュールの民が捕らわれているというのか。
イノシアの森で事件が起きているのならば、イヅチたちに頼むのが筋だろうに。彼もまた優れた実力者であるのはよく分かっている。
そんな思いを抱きつつ。
「準備できたわ。行きましょう」
アリアはフィードに声を掛ける。
ありがとうございますとフィードは頭を下げた。
鋭い目で、ヴェルゼがフィードを睨む。
「怪しい真似をしたら殺す」
「嫌だなぁ。僕はただの無力なイデュールなのに。戦えない僕には怪しい真似なんて出来ませんってば」
困ったようにフィードは笑った。だが、油断してはならないとヴェルゼは自分の心に刻む。
目の前のフィードからは、シドラと同じようなにおいを感じたのだ。
◇
フィードに案内されてイノシアの森へ着く。
鬱蒼と茂った森の奥、縄に縛られている白フードの人影が見えた。
「この人が……?」
アリアが問うと、縛られていたはずの人影は縄を振りほどき、アリアにずいっと近づいた。
「やぁ、久し振りだねアリア」
人影が頭を振ると、被っていたフードがはらりと落ちた。
そこにあった顔は、忘れもしない、
「――シドラッ!」
「おおっとぉ、ここは森だ、炎はご法度だよ?」
反射的に魔法を使おうとしたアリアの手に、どこからか飛んできたブーメランがぶち当たった。それを投げたのはフィードだった。シドラはフィードの方を向き、嬉しそうな顔をした。
「ありがとうね兄さん。やっぱり兄さんは騙すのが上手いなぁ。ボクじゃさ、警戒されちゃうから助かったよ」
フィードが無言でフードを外す。現れた顔はシドラと同じ顔だった。
兄さん。シドラの言葉にアリアは思い出す。
よそ者のシドラがエルナスの町に来た時、彼は一人ではなかった。彼の双子の兄も一緒だった。けれど双子の兄フィドラは身体が弱くて、滅多に外に出ることはなかった。だからアリアたちはその存在を忘れていることが多かった。
けれど彼は確かにいた。確かに、あの町にいたのだ。
盲点だった。
「お察しの通り、僕はフィドラ・アフェンスクです。騙してしまって済みませんね」
悪びれもせずに、フィードと名乗っていたフィドラが答える。
貴様、とヴェルゼが彼に飛びかかろうとするが、
「あたいの仲間に手を出すなっ!」
割って入った人影があった。金属音。ヴェルゼの鎌は人影の持っていたナイフに弾かれる。
それは少女だった。短く切った赤い髪に、野生の獣のような鋭さを宿す赤い瞳。身に纏うはところどころ汚れた、白のワンピースに革のサンダル。
そんな彼女は、左胸から赤い薔薇を咲かせていた。それは異様な姿だった。
「あたいはローゼリア・イヴ・レンツィア。シドラたちは恩人だよ。手を出すことは許さない」
獣のような双眸が、ヴェルゼを睨み据えた。
はぁ、とアリアは溜め息をつく。
「わかった、わかったわよ。ヴェルゼも殺意をおさめなさい。で? 何が目的なの?」
「和解しないかって話さ」
「絶ッ対にお断りだ!」
シドラを、ヴェルゼが鋭い瞳で睨む。
「和解だって? ハッ、何を今更。人を裏切って居場所奪った奴が何言ってやがる。用件がそれだけなら帰っていいか?」
「まぁ待ってよ。話を聞いてくれるかな?」
シドラがローゼリアと名乗った少女に目配せをした。すると彼女が頷き、胸に咲き誇った薔薇から妙な香りが漂い始める。それを吸ってしまったアリアたちは、身体が動かなくなるのを感じた。
「簡単な麻痺毒だよ。話を聞いてくれるまで逃がさない」
ローゼリアが言った。
アリアは大きなため息をつく。
「はぁ……仕方ないわね。話だけ聞くわ。でもその後であたしたちがどう動こうが、文句言わないでくれる?」
「ふふ、約束しよう」
満足げにシドラが頷き、語りだす。
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.58 )
- 日時: 2021/01/15 08:57
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「この世界は……理不尽だと思わないかい?」
シドラの赤い瞳に、仄暗い感情が宿る。
「だってさ、ボクらさ、イデュールだってだけで差別受けてんだぜ。馬鹿みたい。イデュールに生まれたことがそこまで罪なことなのかい? 人間たちから酷い目に遭わされるたびにさ、何度も何度もそう思った。そしてそんなボクたちがいくら頑張ったって、人間たちには認められない。そこの」
彼は不安げな目で自分を見ているソーティアを指さした。
「彼女だってさ。今こそ頼まれ屋アリアで良い待遇を受けてるみたいだけど? 店から出たらどうなるかなどんな扱いをされるかな? ああ、やっぱり世界は理不尽だ」
シドラの言葉に、ソーティアはぐっと唇を噛み締める。
そう、アリアたちが特別だっただけだ。普通はイデュールの民なんて、
誰も受け入れてはくれないのだ。
ただ、イデュールとして生まれただけ。それなのに、のし掛かるは圧倒的理不尽。
だからさ、とシドラは続ける。
「ボクと兄さんは決めたんだ、この世界に爪痕を残そうって。さんざん馬鹿にされてきたイデュールでも、誰かの心に残ることは出来るって証明したかった。たとえそれが――憎しみという形でも」
「だからオレたちを騙して追放させたのか?」
鋭い目でヴェルゼが睨む。
ああそうだよと頷いた。
「だって……どうせさ、何か善いことをしたって、『イデュールだから』って理由だけでそれをなかったことにされる社会だぜ。ならさ、自分たちの生きてきた証を残すなら、憎しみとか消えない傷とか、悪い感情で塗り潰すしかない。これはボクたちの挑戦なんだよ――」
で、とヴェルゼがシドラを睨む。
「お涙頂戴な話をありがとう。お前たちの事情はわかったが、そんなことで傷が消えるか。犯した罪が消えるわけじゃないんだ。和解だって? 寝言は寝て言えよ。誰が貴様なんかと」
「ソーティア・レイ」
ヴェルゼを無視し、シドラは真剣な瞳でソーティアを見た。
その鋭い眼光に射抜かれて、ソーティアの身体が固まる。
シドラは彼女に手を差し出した。
「キミのだけ毒は解いた。ねぇキミ。同じイデュールなら分かるだろう? ボクらの悲しみや憤りが、感じてきた理不尽が。人間と一緒にいたってキミは幸せになれないよ。ならさ……ボクらと一緒に来ない? ローゼリアもさ、胸に咲いた花のせいで外れ者だ。ボクたちと一緒にさ、この世界に爪痕を残さない?」
「…………お断り、します」
うつむき、ソーティアは差し出された手を払った。
「わたしには助けてくれる人間がいた。でもあなたには自分たちしかいなかった。だから、人間の善性を信じられないのでしょう。けれどわたしは信じます。アリアさんたちと一緒にいれば、わたしはきっと幸せになれる。世界に爪痕を残すことだけが、イデュールの使命ではありません。そんな大きなものに生きた証を残さなくても……わたしは……」
アリアたちを見る。そこには居場所をくれた大切な人たちの顔がある。
ソーティアは満面の笑みで、
「わたしは、アリアさんたちの記憶にさえ残ればそれでいいんです!」
シドラの頬を張った。ぱーんと小気味よい音。
「だから、アリアさんたちを傷つける相手は、たとえ同じイデュールであっても許しません!」
「……そうかい」
張られた頬を押さえながらも、苦虫を噛み潰したような顔でシドラが声を絞り出した。
「なら残念だ。キミなら分かってくれると思ったのにさ……。さてローゼリア、全員分の毒を解除して。話し合いは決裂したようだ。これ以上、ここにいる意味はないよ」
頷くローゼリア。しばらくして、アリアたちは身体の自由を取り戻した。
去りゆくシドラが言葉を投げる。
「分からないよね、ああそうだよ。迫害され無価値だと嘲笑われ、傷ついたことのないキミたちには分からないかぁ。残念だな。……次はエルナスで会おうか、ティレイト姉弟」
謎めいた言葉を残し、彼は去っていく。追い掛ける者はいなかった。
そうそう、と最後にフィドラが言った。
「ソーティアさん。あなたの故郷であるカディアスの里は、少しずつ復興してきています。いずれは顔を見せてあげると良いかもしれませんね」
「……!」
ソーティアの顔に喜びが宿る。
「ありがとう……ございます!」
「感謝されるいわれはありません。あなたは僕らの同族ですから当然です」
そして彼らは森の奥に消えていった。
シドラ・アフェンスク。策でアリアたちを陥れた張本人。
彼もまた、複雑な過去を持つ存在である。それは分かったけれど。
「でも……ええ、あたしたちとは決して相容れない」
アリアは呟いた。
目的がどうであれ、それで誰かの心をずたずたにする彼に共感できる日なんて一生来ない。
その後は終始無言で、店へ帰ったのだった。
◇
因縁の相手、シドラ・アフェンスク。
いつか彼らと本気で対決する日が来るのだろうか?
まだあの日のことは終わっていない。決着はついていない。
「エルナスで会おう」その言葉の真意とは? 自分たちはまた、あの故郷に戻らなければならなくなるのだろうか。
シドラの残した言葉が、アリアの中で不穏に響いた。
【運命を分かつ白双 完】
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.59 )
- 日時: 2021/01/18 09:06
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
【満ちぬ月の傀儡使】
不思議な不思議な店がある。魔法の王国の片隅に。
店の扉を開ければ、魔導士の姉弟が客を迎えてくれるだろう。
『願い、叶えます! アリア&ヴェルゼ』
看板には、そんな文言が書かれている。
◇
カランコロン、ドアベルが鳴る。今日も頼まれ屋アリアの一日が始まる。
今回はどんな依頼だろう。思いながらも、アリアは元気よく声を掛けた。
「はーい、頼まれ屋アリアへようこそ! 今回はどんな依頼かしら?」
やってきたのは黒髪の少女。青い瞳をし、服は黒を基調とし、青いレースやフリルがたくさんついたワンピース。胸には大きな青いリボン、そして頭に青薔薇のコサージュをつけた彼女は、どこかの貴族の令嬢のように静かで上品な雰囲気を漂わせている。
少女がアリアを見て、訊ねた。
「あなたが……アリアさん?」
ええ、とアリアは頷く。
「誰かから、あたしたちの話を聞いたのかしら?」
問われ、少女は頷いた。
おもむろに口を開く。
「私は薬草師のシヅキ……。絡繰人形館《からくりにんぎょうかん》のシヅキ。人形使イヅチという名前に聞き覚えはあるかしら?」
「……!」
頭にひらめくものがある。
「あ……いつかの同業者さん!」
アリアはぽんと手を叩いた。
五月。謎の男に魔法人形の修理を頼まれた。その際に手助けをしてくれたのが、人形使のイヅチだった。一見優しげでひ弱そうに見えた彼だったけれど、凄まじい力の気配を感じたのを覚えている。目の前の少女は彼の関係者なのだろうか。
イヅチ、の名前を聞いて、店の奥でヴェルゼが反応した。いつかイヅチと戦ってみたいと言っていたヴェルゼ。その関係者が店に来たのだから当然と言えば当然の反応だろう。イヅチのことを知らないソーティアが首を傾げ、それを見たデュナミスが説明してやっているのが見えた。そんな様子を眺めながらも、シヅキは言う。
「私は、イヅチの妹。兄さまからここの話を聞いたわ」
「ボクも来てるよ」
そんなシヅキのワンピースの中から、ふわりと人形が現れた。
短めの金髪に金の瞳、青いマントを身に纏った少女の人形。彼女はイヅチの相棒たる、意思持つ人形ミカルだ。
「えへへっ、また会えたねっ! 頼まれ屋のみんなぁ、元気してたー?」
ミカルが元気な声を出す。だが、その声には前に聞いたほどの元気がないようにも思える。
アリアは首をかしげた。
イヅチの妹もイヅチの相棒もいる。なのに肝心のイヅチがいない。これはどんな依頼なのだろう。まるで見当がつかない。
いつもは明るくお茶目な態度を取っているミカルも、何故か今は真剣に見えた。
困惑するアリアに、シヅキは青い真っ直ぐな瞳を向けた。
「単刀直入に言うわ」
その声には、どこか焦りのようなものすら感じられた。
「兄さまを、助けて」
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.60 )
- 日時: 2021/01/21 09:18
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
シヅキは語る。ある日、近所の森から帰ってきたらイヅチがいなかったこと。そこには、人を人形のようにする特殊な香のにおいが漂っていたこと。ミカルに周囲を偵察に行かせたら、心を抜き取られ人形のようになっているイヅチを見掛けたこと。そしてイヅチの傍には謎の男が立っており、イヅチに何か命令を下しているようにも見えたこと。
「十中八九、そいつが黒幕だわ。けれど私は魔法の使えないただの薬草師。私では兄さまを助けることなんて出来ないわ。だから……兄さまから話を聞いたのを思い出して、あなたたちを頼ることにしたのよ」
沈鬱な表情でシヅキは語った。
そっか、とアリアは頷く。
「イヅチには前に助けられたし! 今度はあたしたちが恩を返す番ね? いいわよ了解!」
アリアは笑顔をシヅキに向けた。
「頼まれ屋アリア、依頼、承りました!」
「あいつがピンチになっているって、珍しいと思うしな」
店の奥からヴェルゼが出てきて、にやりと笑った。
「オレはアリアの弟、死霊術師のヴェルゼだ。いいぜ、受けてやる」
「……ありがとう。助かるわ」
シヅキは深く礼をした。
「とりあえず……奴のところに案内するわね。あなたたちみたいに経験豊富な魔導士さんたちなら、何か方法が浮かぶかも知れない。話だけ聞いたって分からないでしょ?」
そうねとアリアたちは頷いて、シヅキの後についていく。
いつか出会った、とても強い人形使。そんな彼が危機に陥っているという事実に、胸は不安でざわついた。
◇
シヅキが案内したのは、とある丘だった。その上に立つ二つの人影を、下の方にあった林から見た。
一人は、見間違えようもないイヅチ。黄金の髪に黄金の瞳、身に纏うは漆黒のマント。その表情は虚ろで、動きもぎこちない。
人形のようになったイヅチの傍らに立つ男は、金色の髪に赤い瞳。左目を黒い眼帯で隠し、身に纏うは漆黒のマント。その面立ちは、どこかイヅチに似ていた。
男がイヅチに何かを命じる。するとイヅチはふらふらと動き出し、丘の向こうへ消えて行った。その姿には、いつかのような強い雰囲気など微塵も感じられない。彼は完全に、生ける人形と化しているようだった。
「へェ、あいつが……」
ヴェルゼが小さく驚きの声をもらした。その目は細められ、何かを観察しているかのようだった。漆黒の瞳に輝きが宿る。
「だが……分かったことがあるぜ。ひとまずこの場を離れよう。やるべきことが出来た」
アリアはきょとんと首を傾げた。
「え? あたしには何も分からなかったよ?」
「オレと……デュナミスには分かったはずだ。死霊術師の領分だなこれは」
首をかしげるアリアに、静かにヴェルゼは答える。
その場を離れて、ヴェルゼは言った。
「今のあいつには魂が無い」
「魂を抜き取られてる、と言った方が正しいかなぁ。今の彼は魂の抜け殻さ」
難しい顔でデュナミスが補足した。
「要は。抜き取られた魂を見つけ出せれば、きっと彼は元に戻るはずなのさ。でもこれは、僕ら死霊術師にしか出来ないことだから」
「別行動を取らせて頂こう」
きっぱりとヴェルゼが言った。
「オレとデュナミスは魂を探しに行く。必ず戻るから、それまで待っていてくれ」
別行動。それは寂しいことではあったけれど。
確かに、死霊関係ではアリアは足を引っ張ることしか出来ない。
前の依頼で、アリアたちは引き離されたばかり。離れがたい、という気持ちは確かにあったが、感情を優先してばかりでは依頼をこなせない。
気持ちを呑み込んで、わかったわとアリアは言った。
「行ってらっしゃい、ヴェルゼ」
「行かないでとか言うと思ってたが意外な言葉だな?」
「思ってるわよ! でもあたし、ヴェルゼのこと信じてるし! 待ってるから絶対に戻ってきなさいよね!」
「……了解だ、姉貴」
ヴェルゼがにっと笑った。
じゃあ、と彼は背を向ける。
「行ってくる。死霊関係のプロが二人だ、あまり時間は掛からないと思うが……」
「何かあったらヴェルゼが笛で連絡するでしょ。心配し過ぎて変な行動は起こさないようにね?」
デュナミスがそっと付け足した。
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.61 )
- 日時: 2021/01/25 09:12
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「ヴェルゼ、イヅチの魂の気配って覚えているかな」
二人きりになり、デュナミスが問う。
覚えている、とヴェルゼは返した。
「一見、輝かしい黄金の光のように見えて……深い闇が垣間見える魂。あんなのは滅多にないな」
さて、追跡の儀式を始めるか、とヴェルゼは鞄から道具を引っ張り出す。
出したのは漆黒の香木と香を焚くための金属製の壺、そして赤く輝く小さな宝石と何かの布の切れ端、緑の液体の入った硝子の小瓶、。壺の中には、半分ほど灰が入っている。ヴェルゼはその上に香木を置いた。誕生日に買ったアヴァラン香木である。
ヴェルゼが赤い宝石に触れて小さく何かを唱えると、そこから小さな炎が生まれた。それで香木に火を点けると、深い森の香りが漂ってくる。それはとても落ち着く香りで、思わず深呼吸したくなるほどだった。
煙を上げてゆっくりと燃える香木の上、布の切れ端を落とす。それはあの日、イヅチに貰った幸運の人形の着ていた服の一部だった。何かに使える日も来るだろうと思って一部を切って持っていたのだが、こんなところで役に立った。ヴェルゼは基本的に、自分と関わった人間の服の一部や髪の毛などを、こっそりと拝借している。それはいつか、呪いを掛ける時や何かを探す時に役に立つだろうと考えてのことである。
落とした布の切れ端は、音も立てずに静かに燃えだす。それが燃え尽きる寸前、ヴェルゼは小瓶の中身の液体を一滴だけ垂らした。
「居場所を示せ――イヅチ!」
目を見開き、唱えると。香木から漂う煙が、すっとある方向へ向かっていく。ヴェルゼはにやりと笑った。
「成功したみたいだな」
「まぁ、魂の捜索なんて死霊術師の基本だしねぇ」
隣でデュナミスが茶化す。
煙の導く先に、きっときっとイヅチの魂はある。
ここ最近、戦闘が多くて血の魔術を使ってばっかりの日々だったが、ヴェルゼの本業は死霊術師である。迷子の魂を探し、暴れ出した死霊を倒し、死者の声を聞いて無念を晴らす。それが本来の彼の仕事だ。
そしてやがて、見つけた。
「イヅチ、か……?」
声を掛けるなり、その魂は襲いかかってきた。
◇
「落ち着けって! オレたちは敵じゃない!」
鎌を背中から引き抜いて応戦する。イヅチの魂は不安げな声を上げて、その身を黄金の毛並みを持つ狼に変えて噛み付いてきた。
人の魂は、その人の望んだ姿に変身して死霊術師の前に現れることがある。今の狼の姿は、イヅチの自己防衛の気持ちのあらわれだろうか。
襲いかかってくる狼。ヴェルゼの声なんて聞きやしない。これが彼の本性なのだろうか。明るく優しく笑っていた彼は、本当は大きな不安や敵愾心を抱えていたのか。
「傷つけるのは本意じゃない……」
それを考えて動くヴェルゼは防戦の一方だ。デュナミスは何かの術式を練っているようだが、彼は優しく見えて冷酷にも慣れる人間である、早めに決着をつけないとイヅチの魂が大きな傷を負う可能性がある。
大きな傷を負った魂でも、元の身体に戻ることは出来る。しかしそうなった場合、長い間目覚めなくなることがある。それは望むところではない。イヅチを元に戻せたって、目覚めなくなっては意味がない。そして傷ついた魂は、時間の経過以外で治す方法がない。
「デュナミス! 魂を傷つける真似はするなよ?」
「……黙ってて! さぁ出来た! 我に溢るる魂の炎! その身を変えよ、大蛇と変えよ。大蛇と変わりしその後は……呑み込め果てどない深淵へ!」
霊体のデュナミスが銀色に輝く。死んでいる彼の力は有限だ。身体は死んでいるために、これ以上新しい力を生み出すことは出来ない。一度使った力はもう二度と戻ってこないが、そもそもが膨大な魔力を持つ術師だった。そう簡単に枯渇するような魔力ではない。
輝いたその身体。その手から放たれたのは魔力の波動。太い光線のようだったそれは、黄金の狼にぶつかる寸前でくわっと大きな口を開き、狼を包み込む。
動きが静かになった時、それは灰色に輝く檻となっていた。
「攻撃しか出来ないと思った?」
得意げに笑うデュナミスに、
「……死んでるから、オレみたいに道具使うのは出来ないじゃないか。見せ場奪いやがって」
ヴェルゼは、憎まれ口を叩いた。
けれど確かにこれが最善の方法。檻の中に閉じ込めれば、傷つけずに送り届けられる。
灰色の檻の中、暴れ狂う狼に向けてヴェルゼは笛を吹いた。流れる音色は穏やかで、相手を落ち着かせようという思いが分かる。その音色を聴いて、最初は暴れていた狼も次第に静かになっていった。
さて、とヴェルゼは前を向く。
「思ったよりも早くに見つかった。……帰ろう」
◇
- Re: 頼まれ屋アリア~Welcome to our Agency~ ( No.62 )
- 日時: 2021/01/29 12:15
- 名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: q7aBjbFX)
「ヴェルゼを待っている間、何もしないのもなんだかなぁ」
アリアはぼやく。
ねぇ、とシヅキたちを振り返った。
「もう一回、さ。あいつの様子を見に行かない? 偵察くらいなら問題ないでしょ!」
大切な弟が動いているのに、自分だけ動かないというのは癪だった。動かなければ、と心の声がする。
そうね、とシヅキも頷いた。
「今なら、さっきよりもよく状況が理解出来ているでしょうし。いいわ、行きましょう」
そうと決まれば迅速だった。
アリアたちは再び、例の丘に着く。
そこにいたのは黄金の男と、魂を抜き取られたイヅチ。何度見ても変わらない。彼はまるで人形のように、焦点の合わない目をしている。そんなイヅチを見て、男は満足げな表情をしていた。
耳を澄ませば、声が聞こえた。
「ふふ……くっくっく。何て、何て無様なんだイヅチ。人形使が人形になる……これほど滑稽なことはないな? ああ……ようやく。俺はお前に……」
瞬間。
もっと声を聞こうとしていたアリアが、前につんのめった。
大きな音が、した。男の眼が、こちらを見つめる。
「誰だ」
「やらかしちゃった……」
ごめんねとアリアはシヅキたちを見る。
ばれてしまっては仕方がない、と思い、アリアは正々堂々名乗ることにした。
「あたしはアリア。頼まれ屋アリアのアリア・ティレイトよ。依頼によって、イヅチを元に戻しに来たの」
「頼まれ屋アリア……聞いたことはあったが……成程」
アリアを見ていた男が、シヅキを視界にとらえて眉を上げる。
「む……お前は、シヅキか?」
「どうして私を知っているのかしら?」
首を傾げるシヅキに、何でもないと男は返す。
だが、ほんの少しだけ、動揺したようにも見えた。
男とイヅチとシヅキ。何やら因縁がありそうだが、まだよくわからない。
男は、シヅキを見ながら何やらぶつぶつと呟いている。
「……とすると、依頼人はシヅキか。兄さん想いの優しい妹を持って、イヅチの野郎も幸せなことで。だが、俺は邪魔されるわけにはいかないのでな」
男の残された赤い右目に、鋭い輝きが宿る。
「消えてもらおう、かッ!」
「危ないッ!」
刹那。
飛んできたのは、片手に刃持つ人形。迷いなくアリアの首筋を狙ったそれからアリアを庇ったのは、イヅチの相棒たる人形ミカル。その身を大きく切り裂かれ、中の綿がはみ出る。
ミカルは、文句を言うように小さな指を男に突き付けた。
「ふーう、不意打ちはやめてくれるかなミツキさん? ボクがいなかったら死んでたんだけど!」
「どうして俺の名を……」
「伊達にイヅチの相棒やってないって! ボクなら、キミがどいつか予想するくらい難くない! まぁ……イヅチとの約束もあるし? 名前以外はバラす気はないけどね」
ミカルはくるりとアリアたちを振り返る。
「人形使の相手をするのは中々大変だよっ! 物理攻撃に要注意さ。防御魔法を張っておくんだねっ!」
物理攻撃が相手なら、鎌を使うヴェルゼが適任だ。しかし彼は今この場にいないのだし、種を蒔いたのはアリアである。やるしかない。
ひとまず氷の魔法を展開、目の前に防御壁を作る。どうしようかと考えている時だった。
「やれ」
男――ミツキの冷酷な声がした。
何、と思ったアリアは、見た。素手で氷の壁を打ち砕いた、虚ろな瞳のイヅチの姿を。その拳からは血が出ているが、痛がる様子なんて微塵も見せない。
当然だろう、今の彼は人形なのだから。
人形使は、直接戦闘はしない。人形と相手を戦わせ、自分は遠くで人形を操っているだけ。そして今のイヅチは人形だ。無論、ミツキの駒である。つまり。
「あたしは……イヅチと戦わなくちゃならないの?」
救わなければならない相手と。
アリアの隣で、シヅキが唇を噛む。
「……みたいね。私が許すわ。死なない程度なら攻撃しても構わない! 兄さまの動きを止めて!」
「分かったけど……あたし、細かい調整は苦手なのよね……」
炎の魔法を使ったら、相手を焼き殺してしまう可能性がある。却下。風の魔法なら、相手の足だけを傷つけることも可能だろう。しかし得意魔法でないため、そのまま足を切り落としてしまう可能性もある。却下。植物の魔法でならば、足止めくらいは出来るかもしれない。しかし今の丘に、大きく育ってくれそうな植物は見当たらない。却下。アリアの出来ることは限られてくる。
全属性使い。聞こえはいいだろう。だがその分、細かい制御を得意としない。全ての属性を使える代わりに、一つの属性を極めることは出来ない。それがアリアの欠点である。
迫ってくるドール=イヅチ。その手に握られているのは片手剣。だが、今のアリアに打開策は見当たらない。硬直するアリアの隣、シヅキがどこからか弓を取り出して、矢をつがえた。放たれる。
それはあやまたず、イヅチの左足を射抜いた。シヅキは顔をゆがめていた。こうするしかない、けれどこんなことしたくない。揺れる思い、それでも放たれる矢は真っ直ぐだった。
「アリアさん!」
ソーティアがアリアに囁く。
「イヅチさんじゃない方に、風の魔法を放って下さい! 風の刃をお願いします!」
「え? いいけど……どうするの?」
「早く!」
言われ、アリアはイヅチではない方に向かって、風の刃を放った。うなりを上げる風は、何にも触れることはなく通り過ぎ、やがて空に消えていく。
ソーティアの赤い瞳が、輝いた。その瞳に、人間には見えないものが映る。
アリアは思い出す。ソーティアたちイデュールの民は、人間には見えない魔法素《マナ》を見ることが出来る。そして誰かの魔法が放たれた直後に限り、その魔法を完全にコピーすることが出来る――。
「ソーティアちゃん、あなた、まさか」
「切り裂け、風よ!」
絶叫。顔をゆがめたソーティアの手から、風の刃が放たれる。それは完璧な制御をされて、イヅチの足を傷つけるだけで終わった。
アリアだったら、彼の足を切り落としてしまったかもしれない。だがソーティアは、足止めだけで済ませることが出来た。
「ソーティアちゃん……」
「魔法の制御のやり方ならば心得ています。アリアさんが出来ないのならば、わたしがやります!」
魔法の使えないイデュールの民が、魔法を使うにはこうするしかない。
ソーティアは普段は戦えないが、こんな時に、アリアたちを救うことになるとは。
そしてソーティアはくずおれる。当然だ、魔導士でない者が、無理して魔法を使ったのだから。掛かる負担は大きい。
「ありがとうソーティアちゃん。あなたはもう、休んでて」
優しく声を掛け、ソーティアを庇うようにして立つ。
そして見た相手は、
目の前に。
「……へ?」
相手の片手剣が、ゆっくりと持ち上がる。シヅキの悲鳴、ミカルの声。
足を傷つけられた程度で、人形は止まらない。
ミカルだって、胸を大きく切り裂かれたのに、余裕で動けていたのを忘れていた。
もしも人形を動かなくしたいのであれば、その手足か頭を、欠損させるしかないのだという事実に気付く。そしてそんなこと、イヅチに対して出来るわけがない。
それを分かって、ミツキはイヅチをけしかけたのだろうか。
「アリアさんっ!」
「――姉貴ッ!」
その時。
待ちわびていた、声がした。
金属音。イヅチの片手剣は、ヴェルゼの鎌に弾かれる。
アリアは涙目で弟を見た。彼がこれほど頼もしく思えた日はない。
「ヴェルゼ……」
「この……大馬鹿姉貴がッ!」
ヴェルゼは、怒り心頭といった顔で姉を睨んだ。
「後で話がある。だがひとまずは……今の状態を何とかしなければな」
ヴェルゼは背後のデュナミスを見た。デュナミスの手に抱えられているのは、イヅチの魂を収めた檻。
「解放しろ、デュナミス」
「仰せの通りに」
芝居がかった仕草で礼をしたデュナミスは、魂の檻を解放する。解き放たれた黄金の魂は、一直線に自分の身体へと向かっていく。ミツキが悲鳴を上げた。
「やめろ……せっかく! 復讐出来るところだったのに!」
「悪いが、これは依頼なんだよ」
イヅチの身体に追いすがろうとしたミツキに、ヴェルゼは容赦なく鎌を向ける。
そうやって見ているうちに、魂は完全に身体に吸い込まれた。
「兄さま!」
泣きそうな顔でシヅキが駆け寄る。
イヅチのまぶたが、ふるふると震えた。黄金の瞳が顔をのぞかせる。
絞り出すように、吐き出された、声。
「……ぼくは」
それは、頼りない幼子のような。
「いったい……なにを、していたの?」
◇