複雑・ファジー小説
- Re: 加藤虎之助 ー 豊臣と徳川を変えた男 ー ( No.2 )
- 日時: 2020/09/12 12:51
- 名前: 東氏 (ID: 07aYTU12)
熊本地震でお亡くなりになられました方々とご遺族の皆様に対し、謹んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り致します。また、被災に遭われた方には、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧と復興を衷心よりお祈り申し上げます。
《平成二十八年【二〇一六】四月【卯月】の十四日(新暦)。「肥後の虎」と呼ばれた加藤肥後守清正が築いた熊本城(隈本城)は、逆さに転じてしまうかの様な大きな揺れに襲われた。熊本城は震度七の前震と本震に揺れ、熊本城の北東に位置する東十八間櫓や北十八間櫓は全壊。天守閣を除いた、城の凡ゆる門や櫓が倒壊した。明治二十二年【一八八九】に熊本城を襲った直下型地震の金峰山地震から約百三十年が経ち、再び熊本城を襲った此の地震は世に知れる『熊本地震』である。此の地震より約四百年前。戦国時代と言う茨の道を唯、只管に突き進む戦国武将の一人に加藤虎之助清正。彼が居る。》
──── 天正十一年【一五八三】清水口を出た先で激闘を繰り広げるは加藤虎之助清正[かとうとらのすけきよまさ]と山路将監正国[やまじしょうげんまさくに]で有る。
虎之助清正の力が幾ら強いとは言え、将監正国は虎之助清正が産まれる前に初陣を迎えた武将。両者の太刀と槍の突き合いに仕舞いが付いたのは凡そ四半刻[ 三十分程 ]後の事であった。両者に持久力と体力の限界が迫り、虎之助清正は大太刀を地に刺して手を広げた。此れは『相撲をしよう』と言う事であった。虎之助清正は太刀を地に刺す音だけを響かせて構えを取る。其れには将監正国も乗り、長槍を地に刺した。
『羽柴の若造よ、掛かって参るが良い。』
虎之助清正は凡そ六尺三寸(約百九十一センチメートル)で「虎」の様に将監正国に体当たりして襲い掛かった。将監正国も抗いはしたものの、虎之助清正の苛烈さに足に止めが入らず斜面を下る他無かった。両者互いに絡れながら途中で頭に岩を打ち付けながら斜面を下る。虎之助清正を上にして円転に止めが入ると、虎之助清正は脇差を取り出した────。 序章 終