複雑・ファジー小説

Re: 花泥棒に罪はなし ( No.2 )
日時: 2020/10/13 00:29
名前: 天津 ◆8Er5238aVA (ID: uWyu1tga)

#1

「あたし、好きなひと出来たんだ」
「……ふーん」

 がりっ、と氷菓のアイスを噛み砕きながらちらりと隣をうかがう。
 肩につくかつかないぐらいの長さの黒いサラサラした髪の毛に、ぱっちり開いたつり目の黒い瞳。顔だちは特別整ってるわけじゃないけれど、雰囲気はまぁ、可愛い。少なくともモテないことはないルックスだろう。

「サッカー部の先輩なの。すっごくかっこいいんだよ?」
「……ちょっと、あんたそれ、話したことあんの。由井ゆいって確か、野球部のマネージャーでしょ?」
「無いけど……それはいーじゃん別に、これからめっちゃ話しかけまくる予定だし!」
「あー、はいはい。予定ね予定」

 そんな彼女の欠点を一つ挙げるとしたら、極端に恋愛脳なところだろう。彼女曰く「恋愛しないとこの世は生きていけないでしょ」だとか。
 実際、由井は何人もの男と付き合っては別れて、を繰り返している。酷い時には一週間で別れていた記憶がある。
 由井は今回みたくすぐ一目惚れするし、誰かに告白されてもすぐにオッケーする。だから、付き合うのにそれほど苦労はしていないのだろう。そんな浅い関係の何が恋愛なのか、とは思うけど。

「てか、その先輩って誰よ」
「えーっとね、多海川先輩だよ。多海川たみかわ 夏月なつき古都ことも知ってるでしょ?」

 いやいやいや。知ってるも何も、初めて聞く名前なんですけど。けれど、由井がこうして私に言うってことは、学校内でかなり有名な人なのだろう。いや知らねぇよ、と突き返したくなるのをグッと抑え、現在までの学校生活を思い返す。
 サッカー部なら体育祭のときとか? 多分、部活対抗リレーとかで走ってるんじゃないの。それか単純に、キャプテンとか。
 そう思考を巡らせ、辿り着いた予想は。

「…………キャプテン?」

 そう首を傾げて由井の方を見る。「はぁ」とあからさまに馬鹿にしたように溜息を吐いているのを見て、間違えたか、なんて思いながら。

「ぶっぶー。正解は、“マネージャー”でしたー」
「は? マネージャー?」

 由井は両手の人差し指で小さいバッテンを作りながら、何故か嬉しそうな笑みを浮かべた。
 どうしてこのタイミングでこいつが笑っているのか分からないが、とりあえず馬鹿にされているのは分かった。
 反射的にオウム返ししつつ、もう残り少ないアイスをがばりと口に含む。

「そうだよ、K高唯一の男子マネージャーとして有名じゃん。まぁ、ちょーイケメンでモテるのに彼女いないってことでも有名だけど」
「……ふーん?」

 中々男がマネージャーしてるなんて思わないだろ。……いや、だからこそ、由井の言う通り多海川先輩は有名なんだろうけど。
 口をすぼめて、棒についている残りのアイスをするりとまるごと取りつつ、彼女の話を促す。

「つまり、多海川先輩って今フリーな訳。ど? ワンチャン狙えると思わない?」
「さあね。私に聞かれても困るんだけど」

 シャクシャクとアイスを噛み砕いて口の中を空にすれば口を開き

「……あ、でも、同じクラスの子……誰だっけ、音無おとなしさんだっけ。確か、告って振られてたと思うけど」
「ああ、れいちゃんのこと? ……って、え、それ、まじ?」

 そんな事実を告げてやれば、さぁーっと顔を青ざめさせている由井がそこに居た。

「そ。ま、本人から聞いたわけじゃないから、本当かどうかは知らないけど」

 音無さんはいわゆる読モってやつで、誰もが認める美少女だ。私も例に漏れず、音無さんのことは可愛いと思ってるし。けど、音無さんって性格はちょっと変わってるから、少し苦手だ。
 けど、そんな音無さんが多海川先輩に振られたとなると、流石の由井も戦意喪失してしまうか。まぁ、無理はないだろう。実際、私も由井と同じ立場になったら、多海川先輩にアタック掛けるより先に諦めてしまうだろう。

「はぁ……びっくりしすぎて、アイス落としたわ……」
「は? あんたが食べてるのってアイスの実……」

 かなり落ち込んでいるらしい由井の方を見て、思わず絶句する。由井の制服に、べっちょりと溶けかけのアイスの玉が付着していたのだ。
 高校生らしかぬ状況に固まらざるを得なかったがはっと我に帰り、アイスをティッシュで拭い取ってやる。……いや待て、なんで私が処理してやってんだ。そうは思いつつも拭いていくが、時すでに遅し。私が慌てて落ちたアイスを取ったものの、由井の制服には紫色の染みが円状にじわりじわりと広がっていた。

「……どうすんの、これ。由井の母さん、めちゃくちゃ怒るよ?」
「や……学校に石鹸無かったっけ。ウタマロとか」
「あー……確か、美術室にあったかもしれないけど……」
「それ。使お」



   *


 キュッキュッ、と蛇口を閉める。
 紫色に変色していた箇所は前のように白くなり、アイスの染みが取れたらしかった。ごしごしと石鹸を擦り付けたせいでまだヌルヌルしているけれど、少し擦れば取れるだろう。

「……はい。取れた」

 洗っていた制服を、ボールに張った水に浸したまま由井に見せる。
 どうして私が由井の分の制服を洗っているのか。

「わー、さすが古都!」
「……どうも」

 由井が何度も服を擦り合わせているのに一向に染みが落ちる気配が無かったからだ。この最強ウタマロ石鹸に落とせない汚れなどあるはずがないから、ただ単純に由井の洗濯スキルが低かっただけなのだろうけど。
 ボールの中で素早く制服同士を擦り合わせて細かい石鹸を粗方落とした後、ギュッギュッと制服を濡れた雑巾の要領で絞る。絞った制服は由井に渡した。

「ここだけ石鹸の匂いがするー」
「そりゃそうでしょう。ウタマロで洗ったんだから」
「あははっ、そりゃそっか。乾くまで教室で干しとこーっと」

 由井の天然発言を軽く受け流しつつ、美術室を出て鍵を掛ける。
 私たちは借りてきた鍵を職員室に返した後、自分たちの教室へと戻った。ちなみに由井とは同クラス。

「美術室、けっこー涼しかったね。風通し抜群って感じだった」
「ん、確かにね。でも、冬は寒そうじゃない?」
「……あーね、確かにそれはそうだわ」

昼間と比べると比較的涼しめな朝の時間帯だから、というのもあるだろうが、由井の言う通り、美術室はかなり涼しかった。それに比べ、私たちの教室は少し空気が淀んでいる。少しムシムシしている感じ、っていうか、そんな感じだ。
 多分、階が違うから風通しの具合が違うんだろうと思う。美術室は三階で、私たちの教室は一階だし。
 窓を開けて、手すりに制服を干しているらしい由井を横目に見つつ、鞄から教科書類を取り出す。
 手すりに手を掛けながらも振り返って私を見ている由井の背後には、眩しいほど快晴の青空が広がっている。この天気であれば、三時間目が終わる頃には乾いているだろう。

「あ、ねぇそういえば古都、一時間目ってなんだっけ?」
「……現社。あんた、寝ないようにしなさいよ」
「えー……はぁい……」

 げぇっ、と嫌そうな顔を浮かべている由井に向かってそう注意すると、由井は渋々と言った様子で頷いた。