複雑・ファジー小説

Re: 愛はまるで水のような 其ノ弐『動き出す歯車』 ( No.7 )
日時: 2021/10/31 19:07
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: rMENFEPd)

 屋敷は三階建てに見えるが、実際以上に大きく見えてしまう。それだけ強い威圧感を放っていた。しかしそれよりも横に長く、窓の数を見る限り、部屋数も多いらしい。
 公洋達は門をくぐり正面玄関に辿り着いた。門から玄関へのびる石畳の道があるにはあったが、石と石の隙間から雑草がのび、そして道の両脇にあるかつての芝生からも草が這い寄っており、ほとんど緑に埋もれていた。みれば屋敷全体もつるに囲まれている。

 正面玄関は、五段と少しあるくらいの階段の上にあった。屋敷の壁から突き出したような形になっている二本の柱に支えられた屋根の下に入ると、大きなドア(ただし表面はかなり風化して崩れている)が明らかになった。立方体よりもやや太った両開きのドアの中央付近に、円状の取っ手がついていた。元々は漆黒であったろうそれは錆びて茶けてしまっている。デザインは『何か』が取っ手をくわえているような印象を受けるが、風化してそれが何なのかはわからない。

「なんだか、気味が悪いね」
 びくびくと瞳の中を揺らして黒羽が言った。両手も上がったり下がったりを繰り返していて、何かを掴もうとしているようだった。それを見た黒音はやれやれと首を振ったが、呆れるだけで何も言わない。
「雰囲気あるな! さっさと中に入ろうぜ!」
 黒羽とは対照的に楽しげな健太が玄関の取っ手に手をかけた。リング状のそれを元気よく引っ張ると──

 ガチッ

「ひぃあっ?!」
「落ち着きなさい。ドアに鍵がかかっているだけでしょう」
 恐怖により飛び上がった黒羽に、今度は見過ごせなかったらしい黒音が言った。
「そうだぞ。そんなんで本当に大丈夫かよ。もし吸血鬼に会ったらどうするんだ?」
 健太はガハハと笑い飛ばした。
「え、吸血鬼ってほんとにいるの?」
 紗英が目を丸くして言ってから、恵にしがみついた。
「いるわけないじゃない。伝説なんて嘘ばっかだもん」
「おい、恵! やる気が無くなるようなこと言うなよ!」
「え? ああ、ごめんごめん!」
 健太と恵が笑い合いながら話しているのを見ながら、しかし視界に入っていないらしい黒羽は、細い体を震わせ、カリカリと親指の爪を噛みながらブツブツと呟いていた。

「錆びているんじゃなくて、なんで鍵がかかってるんだ? こんなに荒れ果てているのに鍵は手入れされているのか? それに今までに子供たちが出入りしてて誰も住んでいないなら鍵なんてかかってないだろう。一人くらいドアを壊して入ろうとした人がいてもおかしくないはずだ。実際に門は壊れてるんだから。外部から鍵をかける方法なんて家主である吸血鬼以外に持っているはずないし、そうでなくただ単純に無人の屋敷ならそれこそ鍵なんてないだろうから犯罪者なんかの誰かが中にいることになる。嫌だ嫌だ行きたくないよでも爺様の命令だから行かないと」

 その声はあまりにも小さく、そして健太と恵が大声で話しているせいで、少なくとも公洋は、自分にしか聞こえていないのではないだろうかと思った。

「どうやって入ろうか」
 普段は温厚で、良くも悪くも何においても『中立派』な叶は、今回の肝試しには乗り気なようだ。玄関のドアを見て、思案している。
「公洋、どう思う?」
「えっ、俺?!」
「うん、俺」
 叶は傍に居た親友である公洋に尋ねた。公洋は始めこそびっくりしてあわあわしていたが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「うーん、裏口とか、無いのかな? これだけ大きい屋敷なら多分あると思うんだけど。もしかしたらそっちは開いてるかも」
「あ、確かに! 行ってみる?」
 恵が振り向き、公洋の言葉に同意した。

「じゃあ、俺と公洋の二人で見に行ってくるよ。開いていないかもしれないし」
 叶が言うと、恵は首を傾げた。
「えー。皆で行かないの?」
「開いていなかったら行き損だろ」
「そんなの二人だって同じじゃない」
「俺達はいいんだよ」
「俺達って、公洋の意思を全く確認してないくせによく言うわね」
 二人は終始笑顔だったが、目が笑っていなかった。バチバチと二人の間に火花が散ろうとしたそのほんのわずか数秒前に、公洋が割って入ったことで、あったかもしれない未来は崩れ落ち、場の空気が『険悪』の一色に染まるはなかった。

「まあまあ。じゃあ俺達二人で見に行ってくるから! みんなは他に入る方法がないか探しててくれよ!」

 引きつった笑みを浮かべて半ば強引に叶の背を押し、公洋は八人の輪から抜け出した。そして押された叶は去り際に、恵に向かって舌を出し、片目の下の皮膚を人差し指を使い引き下げるという、いわゆる挑発の表情である『あかんべえ』をした。その直後、恵の背中に不穏なオーラを見たのは、傍に居た紗英だけだったとか。

 前述した通り、この屋敷は横に長い。そして裏口とはその名の通り家の裏にある入口のことであり、つまり正面玄関から裏口にまわるまで、この屋敷の場合は少々時間がかかる。
 どんよりと暗い、夜の闇を具現化した森の中を突き進む。もちろん屋敷の壁に沿って、であるが。それでも気を抜けば永遠の迷宮に閉じ込められるという緊張感を持ち続け、ようやく屋敷の端にたどり着いた。

「やっとここまで来たな」
「うん」
 ふう、と息を吐いた叶は、ボソリと言葉をこぼした。
「やっぱりあいつらを連れてこなくて良かったよ」
「え、どうして?」
 前を歩いていた公洋が首を後ろに回して尋ねる。
「だって、絶対誰か迷子になっただろ。俺、公洋しか助けたいと思わねえもん。あ、公洋が迷子になると思ったわけじゃないからな! 確かに迷子にならないか気にしながら来たけど!」
「あっはは。ありがと」
 公洋はあまり気づいていないが、叶はかなり感情の冷めた少年だ。何故かは後に明らかになるだろうが、とにかく公洋以外に心を開いていない節がある。なので今の叶の言葉に嘘はなく、他の誰かが危ない目にあったとしても、少なくとも心から『助けたい』と念じることは無いだろう。ただ、助けることにより叶にメリットが、あるいは助けないことにより叶にデメリットが生じる場合は別であろう。叶はそんな、年に似合わぬ損得で動くタイプの大人びた性格をしているのだ。

 二人はそれからもしばらく歩き、とうとう裏口らしきものを発見した。それなりに立派だった正面玄関のドアと比べると質素な木目のドアの付近にあった窓から叶は中を覗いた。
「うーん、暗くてよくわからないけど、台所かな?」
「えっ、見えるの?! こんなに暗いのに!」
「ちょっとだけだよ」
 叶は少し照れたように鼻の頭を赤くした。 「それより、とりあえず開くか確認しようぜ。俺が開けるよ」
「えっ、いいよ。中に誰かいるかもしれないし、俺が……あ……」
「?」
「う、ううん。なんでもない。じゃあ開けるよ」
 公洋はやや青冷めた顔を背け、ドアノブに手を伸ばした。ゆっくりと五本の指を添わせ、それよりも遅い動作でドアノブを回し、回転が止まりそれをこちら側に引く。

「あ」

(開いてる)