複雑・ファジー小説

Re: BaN -A to Z- ( No.10 )
日時: 2021/08/08 03:01
名前: Cude (ID: Sua4a79.)

Episode 3

「うへぇ……。マジかよ……、こんなにいるとは思わなんだ」
「これでも予想よりは少なめだよ」
「嘘だろ……。とんでもねぇな。高橋千鶴は……」

 5月4日。俺は予定通り大学の友人と共に「WHiTe MiLky」の握手会へと参加していた。友人に言われるがままにCDを買い、高橋千鶴のレーンへと向かったところだったのだが、これまで生きてきて一番くらいの長蛇の列が出来ていた。これはヤバい。見るだけで疲弊してしまう。列は当然のように会場の外にまで出来上がっており、最後尾からじゃ会場がほとんど見えないくらいだ。朝イチで会場に向かった上でこれは……とんでもない。とんでもなさすぎる! いくら推しているアイドルに会う為とは言っても、こんな列に平然と並べるアイドルファンは化け物だ。一見大人しそうに見えて、尋常じゃない体力と精神力を兼ね備えている。
 ん……、一見大人しそう、と今言ったが、意外とチャラついた若者や、可愛い女性も少なくない。むしろ、アイドルに興味の無い人間が想像するアイドルファンみたいな見た目の奴らの方が少数だな……。俺が小学生の頃なんて、アイドルが好き=オタク、オタク=キモい、よってアイドルが好き=キモいといった不条理な三段論法が世の常識だったのに、時代は変わるもんだ。まぁ、俺たちが幼かっただけという可能性も大いにあるんだけど。
 
「じゃあ、俺はななたんの所に並ぶから、終わったら連絡してくれよ!」
「おー。じゃあな」

 勿論、俺の目的は「高橋千鶴と握手をする事」ではなく、「高橋千鶴がゲームの参加者かどうか確かめる事」だ。俺はほとんど確定で彼女が参加者だと思っているし、活動休止の理由も恐らくゲームやNEOに関わっていると睨んでいる。テレビでの彼女のまんまなら、俺がゲームの参加者という事を伝えても彼女は危害を加えてこなさそうだし、なんなら俺の事を頼りにしたりして……、って待て待て。俺には天音ちゃんという大天使がいるんだ。変な事を考えるんじゃないよ、全くもう。冗談はさておいて、話の通じる協力者が欲しいというのは事実なのだから、どうにかしてこの握手会で彼女に全てを伝えなければ。
 俺は、短い時間で彼女に要件を伝える為に、何度も何度も心の中で言うべき言葉を暗唱した。



 もうどのくらい並んだだろうか。足腰が痛すぎて立ってるだけで精一杯だ。並ぶ人の中には折り畳み式の椅子を持ってきている奴もいた。畜生、その手があったか。今度行く時は絶対持っていこう。今度があるかも分からないけど。これまで数時間に渡り1人でぶつぶつ文句を垂れてきたが、もうすぐで俺の順番がやってくるとこまで来ていた。千鶴ちゃんとの握手まで後9人。あ、今8人になった。ヤバい、急に緊張してきたぞ。なんだこれ。残り7人。6人。5人。千鶴ちゃんが見える。この世の者とは思えない程顔が小さい。テレビで見るより背も小さく見える。おいおいおい、アイドルってこんなに可愛いのかよ……。

「お次の方どうぞ」
「あ、は、はい」

 千鶴ちゃんに見惚れてボーっとしている間に、俺の番が来ていた。剥がし、と呼ばれるスタッフに握手券を渡し、両手を消毒する。「WHiTe MiLky」の握手会では、握手券を一度に5枚までまとめ出し出来るらしい。まとめた分だけ一度に握手できる時間が長くなるとか。とは言っても、体感長く感じる程度らしく、基本的には周回する方が得ではある。しかし、さっき俺が体験したような地獄の列に二回以上並ぶ事は時間の問題上現実的に不可能なので、千鶴ちゃんのような人気メンバーにはまとめ出しをするのが主流なんだとか。勿論俺も5枚まとめ出しをした。
 待ったかいがあった。ようやく千鶴ちゃんとの握手だ。めちゃくちゃ近い。良い匂いがする。めちゃくちゃ可愛い笑顔を俺に向けている。もしかして俺の事好きなのかこの子は……? だったら俺も言ってあげないと。好きだって。

「す、す、すすすす」
「す?」
「ち、ちがくて!」

 千鶴ちゃんが首を傾げる。女の子と話すのは得意な方だと自負してきたのだが、なんだこのとてつもない緊張は。自分でも何を言いたいか分からないんだから、そりゃ向こうに伝わってる訳無いんだよなぁ。ああ、恥ずかしい。俺は今これまでで経験した事のない辱めを受けている。ああ、いっそ殺してくれ。

「お時間でーす」

 剥がしが俺の肩を掴む。もう終わりかよ。これで5000円って。恥ずかしい思いだけして帰るのかよ! てか俺言いたい事あったんじゃねぇのか? そうだ。肝心な事を忘れてた。あんだけずっと頭にあったのに、アイドルって怖ぇ。
 剥がしの手の力が強くなる。俺はそれに少しだけ抵抗して、最後に千鶴ちゃんに叫んだ。

「ね、NEO! 千鶴ちゃん、NEO持ちでしょ! ゲーム、協力してくれ! 俺は……」

 ここで流石にレーンから剝がされてしまう。まぁ、言いたい事は言えたけど、問題は、千鶴ちゃんに伝わったかどうかだ。啞然とした顔をしていたのは、NEOの事を話されたからなのか、変な男に急に大声で意味不明な事を捲し立てられたからなのか。変な男って自分で言いたかねぇけど。後はもう、彼女がゲームの参加者で、その上どうにかして俺とコンタクトを取ってくれる事を祈るしかない。
 彼女の余りの可愛さと、自分の気持ち悪さで真っ赤になった顔のまま、俺はレーンを後にした。