複雑・ファジー小説

Re: BaN -A to Z- ( No.13 )
日時: 2021/08/19 14:11
名前: Cude (ID: Sua4a79.)

Episode5

「アイデアル……アイデンティティ」
「えーっと、簡単に言えば変身能力です。私が見た事がある人どんな人にでもなれるっていう」
「何すかそれ……。めちゃくちゃ便利じゃないですか……」
「うーん。正直、普段使う機会なんてあんまりないですよ」
「マジっすか……。俺めっちゃ欲しいですけどね……」
「もしかして、変な事考えてるでしょ」

 そう言って、冗談っぽく口を膨らませる彼女にドキっとしてしまう。やはりこの女は、自分がどうやったら可愛く見せられるかを完璧に心得てるな……。そして、変な事考えてたのは図星。すいません。

「結局喋り方とか雰囲気で変に怪しまれたりとかされちゃいそうですけどね」
「でも、NEOの概念を知らない奴らは見た目と声が本人同然なら流石に信じちゃいません?」
「ゲームにおいてですよぉ。この2年間、参加者の皆さんはかなり疑心暗鬼になると思うんです」
「まぁ確かに。……俺全く気付かなかったけど」
「えへへ。演技力の賜物かなぁ?」
「調子乗らないでくださいよ」

 そう軽口を叩いて気付いたが、さっきの握手の時が何だったんだというくらいに今の俺はキョドっていない。俺が変わったというよりは、彼女の雰囲気が変わった気がする。普段、アイドルとして活動している高橋千鶴は、儚げで可愛らしいのに、隙を感じない完璧な女性というイメージだった。今俺の目の前で喋っている彼女は、見た目こそまさにテレビで見ていた高橋千鶴そのものだが、非常に話しやすく、なんというか、良く喋るクラスメイトの女子みたいな雰囲気を醸し出していた。
 それに、彼女が物凄く天然である事にも気付いてしまった。さっきから独り言を俺に隠れるかのようにぶつぶつ言っているが、全部聞こえている。その上、冷たい飲み物を「ふーふー」と息を吹いて飲んだり、どこか挙動も「おバカさん」らしさが漂っている。こんなに裏と表で人間が変わる事ってあるのだろうか。目の前の彼女が素の高橋千鶴なのだとしたら、「WHiTe MiLkyの高橋千鶴」を人前で演じ続けている彼女はとんでもない才能を持っている。彼女が自分で言った演技力の賜物という言葉は、あながち間違いじゃないのではないか。
 そんな事を考えボーっとしている俺に、彼女は尋ねた。

「私にNEOの事を伝えに来たって事は、協力してくれるって事ですよね?」
「あ、ああ。そういうつもりでした。Nの正体どころか、参加者も分からない状態でどう攻略していけばいいか分からなかったので」
「私もです! でも、私と一緒にいたら危ないかも……」
「まぁ、あれだけ話題になったら俺以外にも千鶴さんを参加者じゃないかと疑っている奴はいそうですね」
「参加者の方が私に接触するのは怖くないですよ? Nに一つでも傷をつけるっていうのがゲームのクリア条件なんだから、まずみんなで協力してNを見つけましょう!」
「みんなその考えなのが一番なんですけどね。ただ、多分ですけど、そんな甘くないんじゃないすかね。結局ゲームに勝てるのは参加者の一人だけですから、金に目が眩んで他の参加者を蹴落とそうと考える奴もいるでしょ。考えたくないですけど、場合とNEOの効果によっちゃ死ぬ奴が出てもおかしくない気がする」
「ええ……。そんなの嫌です……! なんで貴方はそんなに達観していられるんですか?」
「いや、めちゃくちゃビビってますよ。俺だって死ぬ訳にはいかないしね。でも、そういう可能性もあるって考えないと、いざという時に何にも出来ないでしょ」
「かっこいい……」

 彼女は恍惚として俺を見ていた。今俺全くかっこいい事言ったつもりないんだけどな。てか、多分それ心の声だよな。漏れてますよ。嬉しいけどね。
 彼女ははっと我に返り、顔を赤らめる。

「ご、ごめんなさい! そうですよね。日本政府だけじゃなくて参加者にも気を付けないとですね!」
「うん。とりあえず、しばらくは千鶴さんのNEOで別人に変装する生活を送ってもらえればって感じですかね。って言っても既存の人物に変装するのも割とリスク高いか」
「あ、それは大丈夫です。実在しなくても、頭の中でハッキリ理想が思い描ければ変身できるんです」
「そいつはかなりチートですね……。あ、そういえば1ヶ月くらい前から別人みたいになった言われてたのは……」
「はい。NEOで私の思い描く理想のアイドルになっていたつもりでした。ファンの皆さんは余り好んでくれなかったみたいですけど」
「なるほどね……、アイドルってのも大変だな」
「でも私は大好きですよ、このお仕事。ファンの皆さんも、メンバーも、スタッフの皆さんも。勿論アイドルの自分もね」
「そっか。それは良い事を聞いたな。裏でファンの悪口なんて溜まったもんじゃないですからね」

 彼女は根っからのアイドルなんだな、と感じる。それにしても、美少女と話をすると、時間が経つのは早い。既に時計は、握手会再開の時間5分前を指していた。

「あ、いけない! そろそろ時間です」
「本当だ。じゃあ俺も戻らないとだな。てかこの部屋から出て俺逮捕されたりしないですか?」
「休憩中のスタッフさんに変身するので一緒に出ましょう」
「そいつは助かります」



「それじゃあ、今日はありがとうございました。えーっと」
「佐藤です。佐藤悠時。名前聞いてなかったですもんね」
「悠時君。素敵な名前」
「俺も気に入ってます」
「悠時君、これ」

 千鶴さんから小さなメモ書きを受け取る。そこには、電話番号とトークアプリのIDが書かれていた。

「私の電話番号とIDです。家に着くのが0時回ったあたりだと思うから、そのくらいに連絡してほしいな」
「アイドルの連絡先ゲットなんて、このゲームも捨てたもんじゃないですね」
「ゲームの為だからね! もう。まだ悠時君のNEOについても聞いてないし、今後の事、話したい事沢山あるから」
「分かりました。じゃあ今夜連絡します」 
「待ってるね。それじゃ」

 そういって千鶴さんは手を振った。高橋千鶴の連絡先。胸が高鳴る。ダメだぞ悠時。変な事を考えるな。天音という大切な彼女がいながら、大人気アイドルと秘密で連絡を取り合うなんて最低だぞ。これはあくまでもゲームの為だからって千鶴さんも言ってただろ。
 そう自分に言い聞かせ、俺は握手会会場を後にした。そういや、友人どこ行ったんだ。