複雑・ファジー小説

Re: 紫電スパイダー ( No.1 )
日時: 2022/04/29 19:25
名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: Jhl2FH6g)

 オレが肩に掛けている竹刀袋の中身は真剣だ。
 家守組の2人に連れられ、今日も新宿の裏通りへと入り込んでいく。
 バーなのか風俗なのかよく分からん店の軒先に、うめき声を上げるオッサンがヨガみたいな体勢で転がっている。
 見ないことにした。この辺じゃあ3日にいっぺん位はよくある景色だ。
 たまに全裸にアザだらけの知らん人が、ゴミ捨て場に打ち捨てられ事切れている。
 それはちょっとレアだから、運良く見れた日は何か良い事があるかもしれないと勝手に思っている。
 ゴミ捨て場を過ぎて3分くらい歩けば、オレの仕事場に着く。
 赤いネオンに彩られた『Bar Pandora(バー・パンドラ)』という文字が見える看板の真下は、地下へ続く階段に繋がっている。
 コンクリの所々にクラックが入った階段を下りていけば、やがて木造の簡素な扉に行き当たる。
 金属製のドアノブを引けば、むせ返る様なアルコールとタバコの臭いが出迎えた。
 荒々しく凶暴なメタルが空気を震わす店内は、バカみたいな大声と罵声と笑い声が飛び交っている。
 グラスを磨いているマスターは視線だけオレの方に向けた。
 マスターはオレがポケットから取り出した黒い会員カードを見るなり、顎先で店の奥側を示す。
 それからまた惰性で磨かれるグラスに視線を戻した。
 オレは竹刀袋と一緒に背負っていたリュックからマスクを……黒地に黄色い模様でデザインされたガスマスクを……取り出し、着けながら進む。
 マスターが促した先にあるのは、黒く重厚な鉄扉だ。
 横合いには2人の従業員が控えていて、オレ達が扉へ向かうのを見計らい、取っ手に手をかける。
 もったいぶるように扉が軋んだ音を上げ、そこのテーブルとは比較にならない騒音が、熱気をはらんで殺到した。

 鉄扉の先には、すり鉢状のスタジアムが広がっている。

 スタジアムの中央は闘技場がある。闘技場の地面は捲れ上がっており、色黒い模様もあちらこちらに見える。
 血痕だ。ひょっとしたら今日もオレが来る前に誰か死んだのかも知れない。
 闘技場の中央で向き合っているのは、片や青竜刀を握る男……こちらは渦巻き模様の仮面を被っている……と、筋骨隆々の大男……こちらはゴリラがモチーフの仮面を被っている……だ。
 声援と呼ぶには荒々しい野次が降り注ぐ中で、彼らは悠然とした様子で相対する。

「さあさあさあさあッ! 次の死闘が始まるぜッ! 血飛沫あげろ、踊り狂えやッ! Betは200万だッ! コードネーム『螺旋らせん』ッ、対ッ、コードネーム『岩猿いわざる』ッ、レディーッ……」

 あちこちの古ぼけたスピーカーから、レフェリーのコールが響く。

「……ファイッ!!」

 ひときわ強い歓声が轟く。
 ゴングが鳴る音と同時に、螺旋は岩猿に向かって駆け出した。
 岩猿はガントレットを嵌めた両腕で構え、螺旋を待ち受ける。
 両者が間合いへ入る、その瞬間に、岩猿がカウンター狙いで思い切り拳を振りかぶる。
 しかし岩猿の拳は空を切った。
 カウンターを読み切っていた螺旋は真上へ高く飛び上がる。
 岩猿の真上から、青龍刀の一閃が迫る。
 そして岩猿は脳天から両断……されなかった。

 突如として地面から突き出た石柱が、落下する螺旋のみぞおちへ深く食い込む。

 空を切った岩猿の拳は、そのまま地面に叩きつけられている。
 石柱は拳の真ん前から生えて屹立している。
 次いで岩猿は、今度は左手を地面へ打ち付ける。
 地面が荒れたあちらこちらから、石柱の上で吊り上げられている螺旋へと向かって、幾つもの石つぶてが飛来する。
 お手玉のようにさんざ打ち据えられてから、螺旋は重力に任せて落ちてくる。
 落ちてくる螺旋のちょうど顔面を……岩猿の裏拳が、強かに捉えた。

「勝負ありッ! 勝者ッ……岩猿ゥウウウッ!」
「ゥゥゥウッホォオオオラァアアアァイ!」

 ボロ雑巾のように打ち捨てられたままで動かない螺旋をよそに、岩猿は両手で胸を叩きながら……ドラミングしながら、一身にスタジアムを揺るがす歓声に応えた。
 観客席からは勝者への称賛や、敗者への罵倒などが、悲喜こもごもとなって響く。

 ──この世界には『篝火イグニス』という名の異能がある──。

 オレは螺旋と岩猿の顛末を適当に見やりつつ、スタジアムの階段を下りていく。
 一番下まで下りてくれば、そこには参加者用の受付席がある。
 レフェリーも座っている受付席で、オレはまとめられた札束を5つ投げやった。
 それから会員カードを差し出して言う。

「岩猿との賭けをしたい」

 ──通常ならば、その行使は法律で厳しく制限されている──。

 受付の男は「岩猿との賭けですね」とだけ短く言い捨て、賭け金を受け取り、会員カードを見やる。
 手元のタブレットにオレのコードネームと何かを打ち込んで立つ。
 それからスタジアムと闘技場を分ける壁の扉を開き、進むよう手先で促した。
 これが大一番だと思えば、当然ながら思う事もある。
 オレは緊張していた。口を丸めて息を大きく吐き出す。
 1億円あった借金も、9500万は返済した。残るは500万だ。
 500万円もの賭けに乗ってくるのは、ここでは岩猿くらいのもの。
 アイツに打ち勝って、オレはようやく自由を手にするんだ。

 ──だからこそ裏社会ではこの様な賭博が横行する──。

「さあさあさあさあ次の祭りはッ! おっとッ、チャンピオン岩猿をご指名だァ! 名乗りを上げるはコードネーム『炎馬えんま』ッ!」

 持っていた竹刀袋から黒い鞘の日本刀を取り出し、スタジアムに降り立つ。

 ──暴力も凶器も、篝火イグニスだろうが何でも有り。
 生死問わずの賭け『ヴェリタス』が──。

「なけなしの小遣いをありがとうよ。その金髪からケツ毛まで、全部すっかり丸ごと毟っちまって良いんだな?」
「テメエこそ今の内に財布を出しときな、ボス猿。金玉まで質に入れる準備しとけ」