複雑・ファジー小説

Re: 紫電スパイダー ( No.13 )
日時: 2022/06/09 21:41
名前: 緑川蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: hi4BpH9d)

 新宿にあるビジネスホテルの一角で、端整な顔立ちの少年が薄目を開けた。
 
「ん……」
 
 少年……紫苑は色白な肌をしており、それが淡い紫色の頭髪と馴染んでいる。
 寝返りを打って仰向けになる。ホテルで貸し出される白いパジャマの襟から、紫苑の鎖骨と筋肉質な胸元が覗く。眩しい朝日を左腕で遮り、未だ睡魔に身を委ねる。
 
 そして二度寝の魔力に抗えない紫苑へ──人の身丈ほど長い巨大ノコギリが迫る。
 
 巨大ノコギリの切っ先は、紫苑が振り出した左手を合図に、ワイヤーで阻まれた。
 巨大ノコギリを振り下ろした少女は歯噛みして、しかし怯まず2度3度4度と連続攻撃を仕掛ける。どれもが紫苑の致命傷を狙う、必殺の一撃だった。
 
「ゴキゲンな目覚めだな……おはよう」
「おはよう、さっさと死ね。起きて間もなく永遠におやすみしてしまえ」
 
 暴風雨さながらに繰り出される剣戟を、左手の指捌きによって舞い踊るワイヤーで弄びながら、右手は欠伸を受け止める。目元を軽く擦る間も、何食わぬ顔で左の指先から伸びるワイヤーが重い剣閃を受け流していた。

 昨晩の事だ。ビジネスホテルへとチェックインする際に、もちろん紫苑は蛭と別々の部屋を取っていた。それでもなぜか蛭は紫苑の部屋にいる。
 隣室との間には、ぽっかりと大きな穴が空いていた。まるで巨大ノコギリか何かでブッた斬ったような断面だ。

 誰かに寝顔を見られるのは、あんまり良い気分じゃないな……等と考えつつ、紫苑は頭を掻きながらベッドから這い出る。
 ついでにワイヤーを足に引っ掛けられた蛭が床へと転がる。
 
「とりあえず顔を洗うか」
「あ……待て、藤堂紫苑」
 
 床で寝そべったまま見上げてくる蛭に対して、紫苑が振り返る。
 
「また血を吸わせてくれ」
「……歯を磨いてからにしろ。それから藤堂紫苑フルネームだと長い。紫苑で良い」
 
 紫苑は無愛想に言い捨てながら洗面所の方へと歩く。
 蛭はのっそり立ち上がり、呆然と巨大ノコギリをぶら下げたまま立ち尽くす。
 
「紫苑」
 
 噛み締めるように、小さく彼の名前を呟く。
 蛭は彼の後を追い掛けるように小走りで洗面所へと向かった。
 
 
 

 
 
 
 駅のホームで4つ同時に缶を開ける音が鳴る。オレはエナジードリンクを、紫苑はブラックのコーヒーを、岩猿は小さなアロエの欠片が入ったジュースを、蛭はトマトジュースを、各自勝手にぐいっとあおる。
 
「それ美味いよな、アロエのやつ」
「しかもアロエは健康に良いらしいからなあ、最高だぜ」
 
 結局のところ、オレも紫苑たちと一緒に情報屋を訪ねる事にした。
 オレを縛っていた阪成たち……家守組も既に居ない。副業である物流倉庫のバイトも今日は休みだ。今後どうするかは決めていない。ただ情報屋ザイツェフと呼ばれる男に興味があったし、ヴェリタスで稼ぐにしても何か有益な事が聞けるかもしれないと考えたのだ。

 まずオレ達4人は連れ立って山手線に乗り込んだ。車内では、何度かあからさまに蛭の方へと注がれる視線を感じた。当の蛭は何食わぬ顔のまま、巨大ノコギリを片手に掴んでぶら下げたまま座席に腰を下ろして、素足に包帯だけ巻いた両足を無造作に揺らしている。
 大丈夫だ。何か言われても都内なら大概は「コスプレですが何か?」っていう顔で平然としていれば問題は無い。ダメそうなら徹底的に他人のフリを貫く所存だ。

 途中、ベッタベタな髪にシミだらけのTシャツ一丁で尚且つ下半身丸裸という風貌の百貫デブが、真っ赤に充血した目で物凄く鼻息を荒立たせつつ指先はダンゴムシの足みたいにワキワキと高速で動かしながら蛭の方へノシノシ歩いてきたが、おもむろに立ち上がった蛭の蹴りをアゴに喰らい電車内の天井を突き破ってめり込んでいた。
 
「紫苑、アレは殺しても良いか?」
「知らねえよ、俺に訊くな」
 
 とんでもなく不快げに顔をしかめながら再び座席へ着く蛭と、腕を組んだまま目を瞑っていた紫苑との間で、そんなやり取りが交わされた。
 
「……次は、鶯谷。お出口は左側です。The next station is Uguisudani, station number JY06. The doors on the left side will open……」
 
 岩猿の後を追いかける形で、オレ達は駅のホームを降りる。
 駅から出て少し歩く。辿り着いたのは質素な蕎麦屋だ。軒先に「そば処・こやま」という看板を掲げるのみで、店の前は往来する人通りも少ない。その辺のゴミ捨て場で知らん人がブッ刺さっていたりもしなかった。
 ただガリッガリに痩せた見知らぬネーチャンが向かいの室外機に腰掛けて、アルミホイルの上で何か白い粉を炙り吸引していた。ひょっとして片栗粉かな。

 岩猿が木造りの引き戸を開く。ぞろぞろと暖簾をくぐり後に続く。店内も何て事は無い、真昼間から他に客が一人も居ないような、寂れた蕎麦屋だった。店の奥側にはタヌキだの木彫りの熊だのダルマだの雑多に並べられた戸棚がある。
 入って横合いの座敷席へと、まず我先にどっかと座った岩猿、続いて紫苑、その隣に蛭、最後にオレという順序で滑り込む。
 すぐに厨房の方から、ひとりの女性が品書きを持って歩いてきた。

 彼女はハイネックセーターとロングスカートの上から、臙脂の布地に白い筆字で「こやま」と書かれているエプロンを着けていた。肩のあたりで切り揃えた黒髪に、黒縁メガネを掛けている地味な出で立ちだ。左側のこめかみ辺りだけ、髪を三つ編みにしてまとめている。
 
「ご注文が決まりましたら、お呼び下さい……」
「いつも通りのペペロンチーノだあ。黒胡椒は多めでな」
 
 岩猿が得意げな笑みを浮かべ言うと、女性はメガネの縁を左手で少しだけ上げた。
 オレは隣の岩猿に向かってこっそり耳打ちする。
 
「コイツが、例のザイツェフって奴なのか?」
「いんや違う。コイツはザイツェフの……何だっけかあ?」
「あたしは彼の弟子です。コードネーム『透狐とうこ』とでも、そう呼んで下さい」
 
 少女は、透狐は平坦な声で言いつつ再び厨房に戻った。エプロンを外し「準備中」と書かれた札を持って店の入口へ行くと、すぐにオレ達の方へ戻ってくる。
 
「アレクサ、オープンセサミ」
「OK, Welcome to hell」
 
 透狐が2回ほど柏手を叩く。すると店の奥側にあった、タヌキの置物など置かれている棚が、真っ二つに割れてずりずりと左右へ開く。立ち上がり寄って覗き込むと、地下へ縞鋼板の階段が続いているようだった。
 
「付いて来て下さい」
 
 透狐が先に、ロングスカートの裾を揺らしながら階段を降りてゆく。
 オレと、後ろに岩猿、更に後ろに蛭、最後尾に紫苑という順序で並び降りて行く。
 
「アレクサって便利だなァ……」
「なんと誕生日にはバースデーソングも歌ってくれるんだぜえ?」
「紫苑の誕生日はいつなんだ?」
「忘れた、覚えていない」
 
 縞鋼板の階段を一番下まで降りると、簡素な鉄扉が立ち塞がる。鉄扉の真ん中には黒いタッチパネルが設えられていた。透狐がその表面で何か描くように指を滑らせると、すぐドアが解錠されたらしい。簡単で硬質な音が鳴る。

 扉の向こうは、まるで古ぼけているゲームセンターだった。
 薄汚れたコンクリートの室内を照らす蛍光灯は、あちこち不規則に点滅しており、電気が点いていないものも幾つかある。蛍光灯の合間にぶら下がっているシーリングファンは、羽根が欠けていたり、そも軸が残っていなかったりした。
 並んでいる筐体も……ゲームには詳しくないが……ひと目で型落ちだと分かるほど旧いものばかりだ。レーシングゲームのポリゴンは車か背景かもう判別が付かない。脱衣麻雀は女の子がドットで全身ギザギザしている。エアホッケーのネットは破けているし、ビリヤードの棒なんて折れている。

 あちこちから絶え間なくチープな電子音が飛び交う中を、透狐に付いて突き進む。ゾンビを倒すゲームの筐体に誰か居た。背が高く、黒いコートを着込んでいる男だ。
 
「……そろそろ来る頃だとは思っていたよ。私がザイツェフだ」
 
 騒音の中にあって、低く落ち着いている声がはっきりと聞こえた。
 ザイツェフが片手をポケットに突っ込んだまま、もう片手は拳銃を模したいかついコントローラーの、トリガーを立て続けに引き続ける。画面の中で襲い掛かってくるゾンビ(らしき……ポリゴンが荒い灰色っぽい何か)がひとり残らず爆散した後で、彼はオレ達に向き直る。
 アゴに黒いヒゲを蓄えている精悍な男だ。鼻筋がまっすぐ通っていて、目元の彫りが深い。青い瞳も相まって、おそらく日本人ではないだろうと考えた。
 
「久しぶりだな、岩猿クン」
「よう、ザイツェフさんよお。その口ぶりなら要件は分かっているだろ?」
「透狐が篝火イグニスを通して視ていたからね。大太法師だいだらぼっちに至る手掛かりが欲しいのだな。では……こちらの部屋へ」
 
 ザイツェフがゲームセンターの更に奥にある、小さな灰色の扉を目指す。連れ立ち後を追う間に、岩猿がオレ達に説明した。
 
「ザイツェフは変わりモンでなあ。ちょいちょいこうやって情報料の代わりにゲームをさせてくるんだあ」
 
 ザイツェフが開いた扉の先は、小さな個室だ。地下だから、当然ながら窓は無い。観葉植物が部屋の四隅に1つずつと、真ん中に麻雀卓が置いてある。後はパイプ椅子が卓の周りに並んでいるだけだった。
 ザイツェフが雀卓を親指で指し示しながら、嗤う。
 
「今日はこれにしよう。オーラスの点数で私と透狐に勝てば、何だって答えるとも」